♪みなさま、お久しぶりでございます。手を入れ出すとキリのない翻訳ですが、なんとかアップまでこぎつけることができました。サキ・コレクションとして、短めの短編がみっつです。このなかのどれかひとつでも、おもしろいものが見つかれば、これほどうれしいことはありません。
手を入れながら、これを訳していた当時のことを思い出していました。短編を三つ、ブログに連載していた時期も比較的長かったので、その間にもいろいろなことがあったなぁ、と。
なによりも大きなできごととして、尼ヶ崎の列車脱線事故がありました。諸関係から、他人事というよりは、もっと身近な出来事として、衝撃を受け、さまざまに考えたのです。
事件からしばらくたって、被害に遭われた方のさまざまな「美談」が紙面をにぎわしたころがありました。よくあることなのだけれど、わたしはいつも、そういうものを見るたびに、耐え難い思いに襲われます。
亡くなられた方は、ほんとうにお気の毒だと思います。普通に仕事や学校に行こうとして、電車に乗って、そこで思いがけずに事故に遭い、生涯を終えてしまう。そんな偶然とはいったい何なのか。偶然に生の側にいるわたしたちは、そのことをどう考えればよいのか。
亡くなった方々の生きた日々の「物語」は、語られなければなりません。それは、残った者の義務であると思います。けれども、新聞などに載る「物語」、ありきたりで、一般化され、血の通わないものとなった「物語」は、生き、死んだその人の「物語」とは、似て非なるものです。そうした一般化された、一種の「美談」となった物語を消費することは、そうした方々の、ほんとうの生のありようといったものを消費しようとすることなのではないのか。
一連の報道を見ながら、そんなことを考えていました。
わたしたちは、あらゆるできごとを「物語」として見ています。「物語」とわたしたちの関わり、というものを、もっと深く考えていきたい、と思ったできごとでした。
♪気がついてみれば、五月も終わりです。ブログのほうに連載した記事も、もうひとつHTMLにしなきゃいけません。やることはあとからあとから出てくるけれど、まぁぼちぼちとやっていますので、ときどき遊びにきていただければ、これほどうれしいことはありません。
♪それでは、また。徐々に蒸し暑くなってきますが。暑ければ暑い、で、楽しいこともある、んじゃないかな? みなさまも良い日々をお過ごしください。