ジョン・アップダイク  『A&P』

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ジョン・アップダイクの『A&P』の全文訳を掲載します。

原作は
http://www.tiger-town.com/whatnot/updike/
で読めます。
邦訳は新潮文庫で『アップダイク自選短編集』(訳 岩元巌)が出ているのですが、最近この本は新潮文庫のラインナップから外れました。まだamazonでは在庫が残ってるみたいなので、手に入れたい人は急げ!

いつものように、注意書きを。
これは当方があくまでも趣味的に訳したものです。あくまでもそういうものとしてお読みください。
誤訳にお気づきの方はご一報ください。
なお、見やすいように原文にはない改行がしてあります。冒頭一字下げしてあるところは原文の段落、それ以外のところは、原文にはない改行と理解してください。

A&Pというのは、アメリカのスーパーマーケット。
アメリカ最初の食料品店として19世紀半ばにオープンしたGreat Atlantic and Pacific Tea Company が、第一次世界大戦のころA&Pと改名して、いまに至ります。いわばスーパーマーケットチェーンの元祖のようなA&Pは、1960年代半ばにシアーズ・ローバック社に抜かれるまで、世界最大の小売業者でした。



『A&P』

ジョン・アップダイク



 水着姿の女の子が三人入ってきた。ぼくは三番レジで入り口に背を向けていたから、その子たちがパンコーナーに来るまで気がつかなかった。
最初に目に飛びこんできたのは、緑のチェックのセパレーツの女の子だ。ころころした子で、いい色に焼けていて、ステキに大きくて柔らかそうなお尻のすぐ下、たぶんそこは陽が当たらないんだろうな、ふともものつけねに、三日月型の白い肌が見えている。

ぼくは突っ立ったまま、自分が手をかけているハイホー・クラッカーの値段を、もう打ちこんだかどうか、思いだそうとした。ためしに打ってみたら、客がぎゃぁぎゃぁ言い始める。客というのは、レジ監視人とでも呼びたいような手合いのひとりで、ほっぺたをまっかに塗りたくった、眉毛のない、50ぐらいの魔女みたいなおばさんで、ぼくのミスがうれしくてたまらないんだろう。40年間、毎日毎日レジを見張り続けてきて、これまで一度も間違いを見つけたことがなかったにちがいない。

 なんとかなだめて品物を袋に入れると、おばさんときたら、ふんっ、と鼻を鳴らして行った。もうちょっと早く生まれてたら、セイラムの魔女裁判で火あぶりにされていただろうな。
ともかく、おばさんを送り出したころには、女の子たちはパン売場をぐるっとまわって、こっちへ戻ってくるところだった。売場の棚に沿って、レジと特売コーナーの間の通路を、カートも押さずにぼくの方に向かってくる。靴さえはいていない。

まずは太めちゃん。セパレーツの水着は鮮やかな緑で、ブラの縫い目もくっきりとしているし、おなかもまだかなり白いから、買って(水着の話だよ)間がないんだろう。その子は、よくいるだろ? ぽちゃぽちゃっと丸い顔をしていて、鼻の下にきゅっとつぼめたような口がついている。

それから背の高い子。黒い髪はなんだか中途半端に縮れてて、目の下にくっきり日焼けの跡がついていて、アゴが少し長すぎる。ほかの女の子たちから、「すっごく目立ってる」とか「魅力的」なんて思われてるんだけど、でもほんとはそんなにモテてるわけでもなくて、それがわかってるからこそみんなにも好かれてる、っていうタイプだ。

そして、それほど背の高くない三番目の子。だけどこの子こそ女王様だった。言ってみればみんなを引き連れて歩いている感じ。ほかのふたりは、あたりをきょろきょろ盗み見したり、肩を丸めたりしてる。でも、この女王様ときたら、周りには目もくれず、プリマドンナみたいな白くて長い脚を緩やかに運んで、ただまっすぐに歩いていらっしゃる。
はだしでなんてあんまり歩いたことがないみたいに、かかとのつけかたが少し硬いんだ。かかとからおろして、重心を爪先の方へ移していくのだが、ひとあしごとに床の感触を確かめているかのような、悠然としたおもむきがあった。

女の子の頭のなかがどうなっているのか知らないけれど(ほんとうに考えてるんだろうか、それともガラス瓶のなかのハチがたてるみたいな、ブンブンいうちっちゃな音がしているだけなんだろうか)、このことだけはよくわかった。この子がふたりを誘って店に来て、いまはふたりに背筋をピンとさせて優雅に歩くお手本を見せてやっているのだ。

 その子の水着はくすんだピンクっていったらいいのか、ベージュっていったらいいのか、まぁそんな色で、一面に小さなこぶがついていて、とにかくサイコーなのは、両方のストラップが外れていることだった。肩からゆるく輪を描くようにたるんで、なんともステキな腕のつけねあたりにかかっている。そのせいで、水着も少しずりさがってたんだと思うんだけど、水着の境い目にそって、輝くばかりの白い縁取りができていた。その部分がなかったら、あの肩より白い肌があるなんて思いもよらなかったにちがいない。ストラップが外れているせいで、水着のてっぺんと頭のてっぺんの間にあるのはただ彼女の肌だけ、鎖骨から胸元へと、なめらかで剥き出しの肌は、まるで起伏のある金属板を光にかざしたようだった。つまり、美しい、なんて言い方じゃとても足りやしないのだった。

髪の毛は褐色が陽と潮風にさらされて明るくなった感じ、上に束ねたおだんごが、少しほどけかけてて、なにか、つんとすましたみたいな顔をしていた。まぁストラップを下げてA&Pに入ってこようっていうんだから、そんな顔しかないのかもしれない。頭を昂然と掲げていたから、白い肩からすらりと伸びた首が、なんだか引っ張られてるようにも見えるけれど、それがどうしたというんだ。首が長けりゃそのぶん、あの子をたくさん見られるじゃないか。

 その子は視界の隅で、ぼくと、ぼくの肩越しに二番レジのストークシーがじっと見ているのを感じているのにちがいないのだけれど、気にするそぶりはこれっぽっちもない。女王様はそんなことは気にしないんだ。棚に目をやって、立ち止まり、たいそうゆっくりと振り返る。あんまりごゆっくりなんで、ぼくの胃がひっくり返りそうになって、エプロンの裏をこするのを感じたくらいだ。その子がほかのふたりになにか囁くと、ふたりはほっとしたようにそばに寄った。それから三人そろって、ペットフード、朝食用シリアル、マカロニ、ライス、干しぶどう、スパイス、ジャム、スパゲッティ、清涼飲料、クラッカー、クッキーが並ぶ通路を進んでいった。

この三番レジからは、食肉コーナーまで通路がまっすぐ見渡せるものだから、ぼくはずっと女の子たちを目で追いかける。日焼けした太めちゃんが、クッキーの箱を手にとって迷っているみたいだったけれど、思いなおして棚に戻した。女の子たちは人の流れに逆らって歩いていたので(別に一方通行の標識があるわけじゃないんだけどね)、カートを押して通路をやってくる普通の客の反応はけっこう笑えた。真っ白なのが、女王様の肩だとわかって、ギクッとして身をひいたり、ぴょんと飛び上がったり、しゃっくりの発作に襲われたり。だけど、すぐに自分の買い物カゴに目を戻して、そのままどんどん行ってしまう。

A&Pの店内にダイナマイトをしかけたって、たいていの客は、棚に手を伸ばして買い物リストからオートミールを片付けると 「なんだったかしら、アで始まるもののみっつ目は、アスパラガス……、じゃない、そうそう、アップルソース!」とかなんとかそんなことを言っているものなんだ。ところがこの事態でみんなは動揺している。頭にカーラーをつけたままの主婦が何人か、カートを押して通り過ぎたあとでわざわざ振り返って、いま見たものが現実の光景かどうか確かめたほどだ。

 ほら、水着の女の子がビーチにいるんだったら、照りつける太陽の下で他人のかっこうなんてだれも見やしないわけだからどうってこともないんだけど、ひんやりしたA&Pの店のなか、蛍光灯の明かりの下で、山と積まれた商品をバックに、緑色とクリーム色の市松模様のラバータイルの床を、はだしでぺたぺた歩くのは、全然話がちがうんだ。

「パパー」隣にいたストークシーが言った。「アタシ、気を失っちゃいそう」 「ダーリン」ぼくも調子を合わせる。「ボクをしっかりささえてて」 ストークシーは結婚していて、すでにふたりの赤ん坊を抱える身だったが、ぼくの見る限り、そのことだけがふたりのちがうところだった。ストークシーは22で、ぼくはこの4月に19になったところだ。

「あれはまずくないか」と聞いてくる声は、所帯持ちの責任ある男のそれになっていた。言い忘れてたけど、ストークシーはいつか店長になるつもりらしい。たぶん1990年代、A&Pがグレート・アレキサンドルフ・アンド・ペトルーシュキ・ティー・カンパニーとでも呼ばれるようになるころに。

ストークシーが言いたかったのは、この街はビーチから8kmほど離れているってこと。大勢が集まる避暑地から、ぼくらがいるここ、街のどまんなかに出てくるときは、女の人は車から通りへ出てくる前に、たいていシャツとかショートパンツとか、とにかく何かを身につける。おまけにそういうのは6人ばかり子どもを引き連れ、脚に静脈瘤が浮き出てるようなおばさんたちだったから、どのみち、向こうもこっちも気にするはずがないのだった。

さっきも言ったみたいに、ここはほんとに街のどまんなかで、店の前に立ったら、銀行がふたつと会衆派教会、新聞販売店と、不動産屋が三軒、おまけに下水管がまた壊れたもんだから、27人くらいの人夫が、中央通りを掘り返しているのが見える。まぁケープ・コッドほどでかいわけじゃないけど、とにかくここはボストン北部で、街には二十年も海をみたことがない、ってひともいるくらいだ。

 女の子たちは肉のカウンターのところまで進んでいて、マクマホンに何か聞いている。マクマホンが指さし、女の子たちも指さし、それからダイエット・ディライト・ピーチ缶でできたピラミッドの陰に消えていった。ぼくらの視界に残るのは、口元をなでながら、女の子たちの“肉片”を品定めするマクマホンのおやじの姿だけ。かわいそうに。ぼくは女の子たちが気の毒になってしまった。あの子たちにはどうしようもないのに。

 さて、ここから話の嘆かわしいところに入っていく。少なくとも、ぼくの家族は嘆かわしい、って言うんだけど、ぼく自身は嘆かわしいと思ってるわけじゃない。店はガラガラで、その日は木曜日の昼下がりだったからなんだけど、レジによりかかって女の子たちが現れるのを待つ以外にたいしてやることもなかった。店全体がピンボールマシーンみたいなもので、あの子たちがどのトンネルから出てくるのか見当もつかないんだ。

しばらくして一番端の通路に女の子たちが現れた。電球とか、“カリビアン・シックス”だの“トニー・マーティン・シングス”だの、レコードにするだけムダなんじゃないの、なんて思っちゃうような連中の廉価盤レコードとか、チョコ・バーの6個パックとか、セロファンで包装されてるけど、子どもが中を見ただけでバラバラになっちゃいそうなプラスチックのおもちゃとかが並んでいるところだ。やってきた女の子たちの先頭は相変わらず女王様、手にはグレーの小びんを持っている。四番レジから七番まではだれもいないので、ストークシーのところか、ぼくのところか迷ってるのがわかった。

だけどいつもどおりついてないストークシーが引いたのは、だぶだぶのグレーのズボンをはいた年寄り。じいさんがパイナップルジュースの巨大な缶を四つ抱えて(ぼくはよく不思議に思ってたんだけど、こんなものを買う連中って、パイナップルジュースをそんなにたくさんどうしてるんだろう)ふらふらしながらそっちへ入ってしまったので、女の子たちはぼくの方に来ることになった。女王様がびんを置き、ぼくが氷のように冷たい指で取り上げる。キングフィッシュ極上おつまみニシンのサワークリーム漬け、49セント。いまあの子の手にはなにもない、指輪もブレスレットもない、神様がお作りになったそのままだ。お金はどこにあるんだろう、とぼくは思った。するとあのつんとすました表情のまま、折りたたんだ1ドル札を、こぶこぶのついたピンクの水着の胸元の谷間からつまみ上げたのだ。手のなかのびんが急にズシッときた。ホント、すっごく、かわいい。

 そこからみんな、ツキに見放されるんだ。駐車場でトラック山盛りのキャベツを値切り倒して店に入ってきたレンゲルが、一日中こもりきりの「店長室」に大急ぎで戻ろうとしたまさにそのとき、女の子たちの姿を目に留めた。レンゲルってのはおっそろしく退屈なやつで、日曜学校で教えたりやなんかしてるんだけど、そんな女の子たちを見過ごすはずがない。つかつかとこっちへ来るやこう言い出した。
「お嬢さんたち、ここはビーチじゃないんだが」

 女王様はさっと赤くなった。もしかしたら、ただ日に焼けて赤くなってただけかもしれないんだけど、こんなに近くまで来て、やっとぼくはあの子が日に焼けてることに気がついたんだ。
「母におつまみ用のニシンの瓶詰めを買ってくるよう頼まれたんです」

その声を聞いて、ぼくはちょっと驚いた。初対面の人の声に驚かされることがあるだろ、そんな感じ。ひどく平凡でちょっとバカっぽい、だけど「買ってくる」とか「おつまみ」なんてことばをゆっくりいうところなんかがなんともいえず優雅だった。

その声に乗って、ぼくは突然、あの子の家のリビング・ルームに舞い降りる。あの子のお父さんやほかの男たちが白い上着に蝶ネクタイ姿でたむろしていて、サンダルをはいた女の人たちは、大皿から楊枝に刺したニシンのおつまみを取っている。みんなが手にしているのは、オリーブとミントの小枝を浮かべた透明な飲み物。うちの両親が家にだれかを呼ぶときなんかレモネードで、一番不健全なパーティっていうのがシュリッツ・ビールを「ゼイル・ドゥ・イット・エヴリ・タイム」のマンガがプリントしてある丈の高いグラスに入れて出すんだよ。

「それは結構」レンゲルが言った。「だが、ここはビーチじゃない」
そのことばを二度も繰り返すものだから、ぼくはおかしくなってしまった。
まるでそのことしか頭にない、A&Pはビーチではなく巨大な砂丘で、自分がそこの救助隊の隊長だってもうずっと考えてるみたいに聞こえたからだ。レンゲルはぼくが笑ったのが気にくわなかったようだけど、ほら、滅多に見過ごさないって言っただろ? でも、女の子たちを、例の日曜学校の教育長みたいな目でにらみつけるのに忙しいらしい。
 
 女王様の頬が赤いのは、もはや日焼けなんかのせいじゃない、そこへチェックの水着の太めちゃん、この子は実にかわいいお尻をしてるから、後ろ姿の方がずっといいんだけど、その子が話に割り込んできた。
「わたしたち、なにもお買い物がしたくてここに来たんじゃありません。用がひとつあっただけなんだから」

「同じことでしょうが」レンゲルはこう言ったが、その目つきから、いままでその子がセパレーツの水着を着ているのに気がつかなかったのが見て取れた。
「当店はお客様には見苦しくない格好で来ていただきたいと思っとるんですがな」

「わたしたち、見苦しくなんかありません」
だしぬけに女王様が言った。下唇が突き出て、いまやご立腹のようす。自分の身分を思いだしたのだ。女王様から見ればA&Pを経営する輩など、まったく下等なものとしか映らないにちがいない。極上ニシンおつまみが青い綺麗な目に映っていた。

「お嬢さんがた、あんたたちとやりあうつもりはないんだ。これから当店に来るときは、肩になにかはおってきてもらいたいな。それが当店の方針でね」
レンゲルはそう言うと背を向けた。そりゃあんたの方針だろ。方針なんてものに用があるのはお偉方だけだ。ほかのみんなに用があるのは、青少年の非行なんだよ。

 その間にも、客はカートを押してやってきてたけど、みんな羊みたいにおとなしいもんだから、この場面に出くわして、群をなしてストークシーのレジに押しかけた。ストークシーときたら、桃でも剥くみたいに、そーっと紙袋を振っては開けて、ひとことも聞き漏らすまいとしている。静寂のなか、みんながイライラしてきているのがわかる。だれよりも、レンゲルが。
そのレンゲルがぼくに聞く。
「サミー、お買いあげの商品の精算はもうすんだのか」

 ぼくは考えながら「いいえ」と答えたけれど、もちろん考えてたのはそんなことじゃない。
4、9、食品、合計、とキーを打っていく。これはみんなが思ってるほど単純じゃないし、回数を重ねるうちに、ちょっとした歌を歌い始めるんだ。その歌詞っていうのは、ぼくの場合はこんな感じ。「みんな(ビン)こんにちは、しあわせ(ガン)そーぅだね(パシャッ)」、このパシャッでレジの引き出しが飛び出すんだ。

ぼくは1ドル札の折り目を、これ以上はできないくらい、優しくのばす。なにしろこいつはぼくの知る限り最高にすべすべのヴァニラ・アイスクリームふたつの谷間から出てきたばかりなんだから。それから50セント玉と1セント銅貨をほっそりしたピンクのてのひらにのせ、ニシンを袋にていねいに収めると、袋の口をくるくる巻いて、あの子に渡した。その間もずっと考え続けた。

女の子たちが足早に店から出ていこうとしていたので――いったいだれがそれに文句がつけられる?――あの子たちに聞こえるように急いで「ぼく、辞めます」とレンゲルに言った。あの子たちが足を止めて、ぼくという思いがけないヒーローに熱いまなざしを注いでくれないかな、と思いながら。女の子たちはそのままどんどん歩いていって、マジック・アイを横切ると、自動ドアがスーッと開く。駐車場から車へと向かう女の子たちの姿が浮かんで消える。女王様、チェック、ノッポのダサ子ちゃん(素材的には悪くはないんだが)はぼくを、レンゲルと、レンゲルの片方だけ持ち上がった眉と一緒に残して行ってしまう。

「君は何と言った、サミー」
「ぼく、辞めます、って」
「確かにそう言ったようだな」
「あの子たちにきまりの悪い思いをさせることはなかったじゃないですか」
「きまりの悪い思いをさせられたのは、わたしたちの方じゃなかったかね」

なにか言おうとして開けたぼくの口から飛び出したのは、
「たわけたことを言いおって」
ということばだった。
これはおばあちゃんの口癖で、おばあちゃんも喜んでくれたにちがいない。

「自分が何を言ったか、わかっとらんようだな」とレンゲルが言った。
「わかっちゃいないのは、あんたのほうだよ。ぼくじゃない」
背中で結んだひもをほどくと、肩をすぼめてエプロンをはずす。こっちのレジにやってきたカップルの客が、誘導路のなかで怯えるブタみたいにぶつかりあう。

 溜息をついたレンゲルの顔が、辛抱を重ねてきた顔、年寄り臭い、灰色じみたものに見えてくる。ぼくの両親とは、もうずいぶん長い友だちなのだ。
「サミー、お父さんやお母さんのことを考えたら、こんなことはできないだろう」
確かにそうだ。こんなことはできない。だけどいったん気持ちを行動に移した以上、もうそんなことにかまっちゃいられない、これは運命なんだ。ぼくはポケットに“サミー”と刺繍がしてあるエプロンをたたんで、カウンターに置き、蝶ネクタイをそのうえにのせた。蝶ネクタイは店のものなんだ、念のために言っとくと。

「君は一生後悔するぞ」
レンゲルは言ったけど、そんなことぐらいわかってるさ。だけどあんなにきれいな女の子がレンゲルのことばで真っ赤になったんだと思うと、胸の内がぎゅっと押しつぶされるような気がする。
「販売終了」のキーを叩くと、レジが“みな・さん”と歌って、引き出しがパシャッと開いた。
この場面の舞台が夏で良かったことがひとつ、ぼくはこのあときれいに退場できる。上着やオーバーシューズをもたもたと身につける手間もなく、昨夜、母がアイロンがけしてくれた白いシャツのまま、マジック・アイのところへのんびり歩いていく。自動ドアが開き、外では陽の光がアスファルトの上で踊っていた。

 ぼくはあの女の子たちをさがしてあたりを見回したけれど、もちろん、もう影も形もない。そこにいたのはどの子でもなくて、金切り声をあげている若いお母さんだった。パウダーブルーのファルコン・ステーションワゴンのドアの横で、子どもたちがキャンディを買ってもらえなくてぐずぐず言ってるらしい。

振り返って、大きなガラス窓の向こう、ミズゴケの袋やアルミニウムの屋外用家具が通路に積み上げてあるその先を見ると、ぼくのいたレジにレンゲルが入って、羊の買い物の精算をやっていた。レンゲルの顔はくすんだ灰色、背中はこわばって、なんだか鉄の棒でも打ちこまれたみたいだ。これからさき厳しくなっていくはずの世界を思い、ぼくの胃は重く沈んでいった。



The End






アップダイクが切り取った瞬間


『A&P』はおそらくアップダイクのもっとも有名な作品のひとつだろう。
初出は1962年『ニューヨーカー』。
アメリカでは数多くのアンソロジーにも収められ、アップダイクのほかの作品を読んだこともないような高校生たちにも親しまれているようだ。

最初に紹介した新潮文庫の『自選短編集』には、アップダイク自身の手による前書き、「日本の読者に」という作品紹介が掲載されているのだが、そこには「これを書いた当時、この短編は少しJ.D.サリンジャー風すぎる、とわたしの妻が言っていた」とある(余談だけれど、ナボコフの『ヨーロッパ文学講義』の序文はアップダイクが書いていて、奥さんがコーネル大学でナボコフの講義を受けたことが記してある。ナボコフの薫陶を受けたこの奥さん、さぞかし厳しい読み手だったにちがいない。たぶん同じ奥さんだと思うんだけど)。
たしかに一人称の男の子の口語的な語り口で話は進んでいくし、彼のおとなの欺瞞性に対する怒りは、『ライ麦畑』にも通底する。
ただ、やはりアップダイクならではの特徴が、この作品にもいかんなく発揮されている。

まず、なんといっても視覚的なイメージに満ちあふれていること。
アップダイクはハーバードを卒業したあと、オックスフォードへ留学し、そこで美学を学んでいる。
おそらく色や形や質感に対する感覚は、もともと鋭かったのだろうし、それをことばに置き換えていく基礎的な訓練は、そういった過程で積んでいったにちがいない。
女の子の水着の描写から、日焼けしていないところ、はたまた一風変わった女の子の歩き方、カーラーを巻いたお客の反応から、中年女性の静脈瘤、わたしたちはまるでアップダイクによく見える目を与えてもらったかのように、世界のありとあらゆる「細部」を見ることになる。

そうした細部は、単に精緻に描かれるだけではない。
「神は細部に宿る」ということばそのままに、女の子の歩き方をとおして、その子の境遇や性格までもが浮かび上がってくる。
アップダイクの切り取る瞬間には、そこに登場人物たちのすべてが凝縮されているのだ。

重ねられていくことばは、視覚的な喚起力に満ちている。
ナボコフが講義のなかで『アンナ・カレーニン』に出てくるキャシーのドレスや『ボヴァリー夫人』の帽子のデッサンをやったように、女の子たちの水着(ところで背の高い、冴えない女の子はどんな水着を着ていたんだろう? 新潮文庫の表紙のイラストは、三人ともセパレーツになっていて、どうしたってこれはおかしい)を、イメージしてみてほしい。
ほんとうに筋を追いかけて読むだけではもったいない、ある種、とてもぜいたくな「ことばの悦楽」といったものがアップダイクの小説のなかにはある。
それを日本語にしようというのだから、考えてみれば無謀なことを企てたのかもしれない。

こちらもできるだけ日本語を吟味したつもりだけれど、最後の最後まで決まらなかった訳語がひとつ。
「キングフィッシュ極上おつまみニシンのサワークリーム漬け」のなかの「おつまみ」……。
"Kingfish Fancy Herring Snacks in Pure Sour Cream"が原文なんだけれど、この"snacks"にあたる適切な日本語がどんなに考えても見つからなかった。

カンニングするみたいに、新潮文庫の岩元訳を見てみたら、な、な、なんと!訳してない。
このあと、サミーが女王様のこの単語の発音の仕方がとても上品だと思うところだってあるのに。
訳さないのは、反則ではないでしょうか。

ということで、みなさんのお知恵拝借!
snacks、いい日本語思いついたら、教えてください。


もうひとつ思うのは、夏というのは、大人になっていく季節なんだな、ということ。
日本では新年度は4月から、というのが定着しているから、なかなかこの感覚は理解しにくいのだけれど、アメリカやヨーロッパのYAは、夏休みを舞台にしたものが圧倒的に多い。
7月の初めに学年が終わり、9月から新学年が始まる。
中学生が高校生になるのも、高校生が大学生になるのも、夏休みをはさんでのこと。
夏休みは、成長していくため、つぎの段階に進んでいくための準備期間でもあるのだ。

両親の友人が店長をやっている店に、母親がアイロンをかけてくるシャツを着て、勤めていたサミーは、偶然に起こったできごとをきっかけに、自分の足で歩き始める。

やはり『A&P』は、忘れられない夏の物語のひとつだ。





Nov.14,2004




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