私たちの愛は今もそこにある
牝ろばのようにかたくなに
――ジャック・プレヴェール『その愛』
狐のようで獅子のようで犬のよう ――たとえ話の動物たち
1.似ているのは外見か、性質か
「直喩」というとなんだかものものしいが、比喩表現(たとえ)のなかでもわたしたちに一番なじみ深いもので、「ナントカのようだ」という表現を指す。
X を知らない A さんに、A さんの知っている Y を持ってきて、「 X というのは Y のようなものですよ」と説明する。この直喩によって、Aさんはこれまで知らなかった X を理解することができる。
「大広間は縦30メートル横20メートルの部屋です」というより、「大広間は体育館のようにだだっ広い部屋ですよ」と言った方が、正確さはさておき、イメージがわきやすい。「山田先生ってヤギそっくり。もう話し出すと眠くて眠くて」と聞くと、会ったこともない山田先生が目に浮かぶ。
わたしたちは比喩のおかげで直接経験したことのない出来事や、知らない人やものを知ることができる。特に、直接には関係ないもの同士(部屋と体育館、ヤギと山田先生)を「〜のようだ」で結びつける直喩は、日常会話のなかでも大活躍だ。
実際、わたしたちの人生は、直喩とともにある、と言っても過言ではない。言葉がなんとか操れるようになると
「花火ってなあに?」「うーんと大きなマッチみたいなものよ」
から始まって、
「A君のようにしっかり勉強しなさい」
「会社を学校のようなところと考えてもらっては困る」と説教され、
「あなたの瞳は星のようだ」と恋をささやき、
「たとえ雲をつかむような話だと言われても、実現させてやる」と仕事をし、
「おれも気がつけば親父のような生き方をしているなあ」と自らを省み、
「こうやって振り返ってみると、一生なんて夢のようだ」と感慨に浸る。
何かを何かで「たとえること」は、言葉で理解し、言葉で感じ、言葉で考えるわたしたちの思考の基本的な枠組みであるといえる。わたしたちは比喩なしには生きていけない。
比喩のなかでもわたしたちに身近なのが、動物のたとえだ。「カメのような仕事ぶり」「学校ではウサギみたいだけど、家に帰るとライオンになる」「あのふたり、まるでアリとキリギリスみたいだな」「ノミの夫婦」「ニワトリみたいな髪型」……。わたしたちはその人の仕事ぶりや学校と家で、態度が豹変してしまう子供のようす、怠惰な人と勤勉な人の組み合わせ、背の低い男性と背の高い女性のペア、頭のてっぺんを逆立てて染めているヘアスタイルなどを即座に思い浮かべることができる。
ところでこのたとえには、二種類の「〜のよう」があることに気がつく。「カメのような仕事ぶり」をしている人の外見が、カメそっくりなわけではない。たとえどれほど男前であろうと、その彼の仕事ぶり(その人の持つ性質の一部)が「カメ」のようにのろくさければ、このたとえが使われる。逆に、「ニワトリみたいな髪型」のパンク・ロッカーが、ニワトリのように朝早くから起き出して元気に鳴いているわけではなく(おそらくそんなことはしていない可能性の方が高そうだ)、一部を立てて、赤く染めた髪の毛を「ニワトリ」のトサカになぞらえているのだ。
「あなたを動物にたとえると?」という質問があるが、この質問にはその両方の答え方が可能だろう。たとえばほっそりした長い首を持つ人が、自分の外見を「キリン」にたとえることもできるし、先頭を切ってバリバリ仕事をするより、誰かのあとについてみんなと一緒にのんびりやりたい人は、自分を「ヒツジ」になぞらえるかもしれない。最近よく耳にする(もはや流行りではなくなったか?)の「草食系」「肉食系」という言葉も、彼がヤギやウサギに似ているか、ライオンやジャッカルに似ているかを言っているのではなく、その人の性質を草食動物や肉食動物になぞらえている。
おもしろいのは、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というたとえが、現実の蝶や蜂の動きを視覚的にとらえた表現であるのに対し、性質のなぞらえはその動物の直接的な性質から来ているわけではないということだ。
その昔「男はオオカミなのよ〜」という歌があったが(ふるっ!)、現実のオオカミは人間を襲うことがほとんどない。それでも誰かが「あの人はヒツジの皮をかぶったオオカミだから」と言うのを聞けば、「あの人」に対する注意をうながしているのだとすぐに理解できる。つまり「オオカミ=残忍で恐ろしい獣」という図式が、話し手、聞き手、双方になりたっているのだ。
交番に張ってある容疑者の似顔絵に「キツネ目の男」というキャプションが添えられていたこともあった。おそらくそれは、単に容疑者の目がつり上がっているというばかりでなく、わたしたちが抱く狐のイメージと企業脅迫事件の容疑者のイメージが重なり合っているからだろう。その似顔絵の隣りに、黒目がちの大きな目をした別の事件の容疑者の似顔絵もあったが、そこには「子鹿目の男」とは書いてなかった。強盗や放火殺人の容疑者には「子鹿」はふさわしくないからだろう。
わたしたちの多くは、狐といっても現実には動物園の狭い檻の中でうろうろしている獣しか知らない。だが「キツネ目」と言われると、たちまちそのイメージがわく。「 X というのは Y のようなものですよ」というたとえが成立するためには、話し手、聞き手双方にとって、 Y が既知のものでなければならないはずだ。わたしたちはどうして狐を既知の Y 項におけるのだろう。わたしたちが共通に「既知」として抱いている狐のイメージは、いったいどこから来ているのだろう。
ここではわたしたちと動物のたとえについて、考えてみたい。
2.狐と権謀術策
佐藤信夫の『レトリック感覚』の「直喩」の章は、モンテーニュの『エセー』を引くところから始まっていく。
法王ボニファキオ八世は、狐のようにその地位につき、獅子のようにその職務をおこない、犬のように死んだという。
(『エッセー』II)
十三世紀から十四世紀初頭にかけて西洋史をにぎわせたこの勇ましいローマ法王(教皇)の生涯を二行ほどに要約しようとすると大変だ。なにぶん派手な活躍をした人物だから、百科事典類もかなりの行数をさいているだろう。その生涯を、このたとえは簡潔に、生き生きと伝えている。科学的に正確というわけではないが、印象的にはきわめて正確だと言ってもいい。くどくど説明しなくても、くだんの法王の登場のしかた、全盛時代の勢い、そして世を去るころの姿が、なんとなくわかってくるからおもしろい。
(佐藤信夫『レトリック感覚』)
実際のボニファキオ八世というのはどんな人物だったのだろう。
ボニファキオ八世は、通常ボニファティウス八世と呼ばれる人物である。「Wikipedia ボニファティウス八世」の項には、中世末期、最盛期を過ぎ、過日の面影のないローマ教会において教皇の地位に就き、教皇権の拡大に努めた人物であると記されている。権謀術策を駆使して最高位に就いたものの、国王の権力の拡張をもくろむフランスのフィリップ四世と争って破れ、虜囚の辱めを受け(この事態は「教皇のバビロン捕囚」として後世に名が残る)、救出されたもののその三週間後に亡くなった。なるほど、波瀾万丈な生涯は、比喩の使い甲斐もありそうだ。
モンテーニュはまず「狐のようにその地位につき」とたとえる。「狐」にたとえることで、ボニファキオ八世がずるいことをやってその地位を得たことを伝えているのだ。読み手であるわたしたちも、何をしたかよくわからないけれど、きっとずるいことをしたのだろうと考える。情報の送り手・読み手ともに「狐=ずるい」という図式を参照しているのだ。だが、当たり前の話ではあるが、「狐=ずるい」という図式は、生物学的な根拠をもったものではない。いったいこれはどこから来たのだろう。
アンソニー・マーカタンテの『空想動物園』には、「数千年ものあいだ狐は抜け目なさと欺瞞の象徴になってきた」として、こんなユダヤの民話が紹介されている。
神エホバが自分の創造した万物を眺めおろしてすっかり悦に入っていると、死の天使がエホバの王座に近づいて来た。
「エホバよ」と死の天使は言った。「あなたはわたしにまだどの生き物も殺させて下さらない。万物がまだ生きている。どうです、生き物を二匹ずつ殺すことを許して戴けぬものでしょうか」
「よかろう」とエホバは言った。「だが、寿命がつきる前に殺してはならんぞ」
こうしてエホバの許可を得た死の天使は地上に降り、あらゆる生き物を二匹ずつ殺す仕事にとりかかった。やがて死の天使は二匹の狐と出会ったが、二匹ともさめざめと泣いていた。
「あんたは俺たちの両親を殺してしまった」と狐は異口同音に叫んだ。
死の天使は狐は一匹も殺していないと言い張ったが、それでも狐たちは本当に父母が殺されたのだと言って譲らなかった。
「まあ、ついて来てごらん」と狐たちは死の天使に言った。「そうすれば、死んだ両親のむくろを見せてあげる」
死の天使は狐と一緒に池のほとりまで行った。すると狐たちは水ぎわに身を乗り出して、水に映っている自分たちの姿を指さした。
「あれが親父とおふくろだ! あんた、俺たちには手を出さないでくれよ、だって、あんたはエホバに約束したんだろう――寿命がつきた生き物しか殺さないって」
死の天使は、ずるい狐たちに騙されてその二匹を殺さずに逃がしてやったという。
(アンソニー・マーカタンテ『空想動物園―神話・伝説・寓話の中の動物たち』
中村保男訳 法政大学出版局)
この話の主人公は、イソップやグリム、絵本で読んだロシアやドイツの昔話になじんだわたしたちにもおなじみの「ずるく抜け目のない狐」である。たとえこのユダヤの民話になじみがなくても、死の天使さえあざむく狐の狡猾さは、わたしたちの目から見ても決して意外なものではない。
ただ、わたしたちがよく知っている狐には、もうひとつ別の性質がある。日本の昔話では、狐は最初からずるかったり抜け目がなかったりするというより、人に化けたり、木の葉をお金に変えたりすることを通して、ずるさや抜け目のなさを披露するのだ。おもしろいことに、ヨーロッパの狐は、人に化けたり人を化かしたりはしない。マータカンテも「東洋人は同じ狐をややちがう目で見ている」と言っているように、わたしたちにはおなじみの「化ける狐」の昔話は、日本や中国に限られている。どうやらわたしたちがたとえに使う動物たちの性質には地域差があるらしい。「化ける狐」についてはあとでもう一度考えることにして、ここでは話を先に進めよう。
マータカンテは「ずるく抜け目のない」という性質が、狐を昔話の人気者にしているという。「抜け目なさというものは、たとえ社会や文化がそれは不道徳であると教えている場合でも、常に人びとから賞賛される」からだと。
ロシア民話をもとにした『おだんごパン』(瀬田貞二訳 福音館)という絵本がある。
おじいさんとおばあさんが粉箱の底から集めた小麦粉でおだんごパンを焼く。ところが焼き上がったおだんごパンは、ころころと転がって逃げ出す。途中で兎に食べられそうになり、狼にも食べられそうになり、さらには熊にも食べられそうになるのだが、そのたびにおだんごパンは「ぼくは天下のおだんごパン …おじいさんからも、おばあさんからも、兎さんからも逃げ出したのさ、あんたからも逃げ出すよ」と歌って、逃げ出してしまう。
ところが狐はおだんごパンを褒めたたえる。なんときれいにおいしそうに焼けているんだろう。おだんごパンが例の歌を歌い出すと、なんといい声で歌うのだろう、もっとよく聞こえるように近くで歌ってくれないか、と相手の警戒を解き、ついには自分の鼻の上で歌わせることに成功する。おだんごパンが鼻先で歌い出したところで、狐はぱくりと食べてしまう。
マータカンテによると、狐は「相手の貪欲だとか虚栄心だとか食いしんぼうといった弱点につけこんで相手を手玉にとる」存在である。凶暴な狼、力の強い熊から逃げ出したおだんごパンも、狐に手玉にとられてしまった。強い者を狡知で出し抜く存在としての狐を象徴するような昔話である。
かつて狐は人間のすぐ身近に生息していた獣だった。すぐ近くまで来ていても、動きの敏捷な狐は、容易に「尻尾をつかませない」。人間にとって害獣である鼠や兎を獲ってもくれるが、同時に人間が育てている鶏を獲ることもある。そんな狐の生態が、「ずるく抜け目のない狐」という物語を生んだのだろう。
いまのわたしたちにとって、現実の狐は動物園のせまい檻のなかにいる、犬のような生き物でしかない。むしろわたしたちがイメージする狐とは、伝えられた物語を通してはぐくまれたものである。わたしたちが「狐」という言葉から連想するのは、現実の「狐」ではなく、昔話や童話に登場する「物語の狐」なのである。
「物語の狐」だから、現実の狐を知らなくても、イメージを抱くことができる。「狐のようにその地位につき」というモンテーニュの言葉を読んだだけで、ボニファキオ八世のことを何一つ知らなくても、立派な地位に就くために権謀術策を弄したのだろうな、と想像することができるのは、モンテーニュとわたしたちが同じ種類の物語を参照しているからなのである。
ただ、ここで気になることがある。もしかしたら、イソップやヨーロッパの民話を知らなかった時代の日本人がモンテーニュの言葉を聞いたなら、ボニファキオ八世は、何者かに化けてその地位についた、と考えるのではないだろうか。
このことは、もう少しモンテーニュに沿いながら、考えて見ることにしよう。
3.身近ではないから百獣の王
ボニファキオ八世が「獅子のようにその職務をおこな」ったというのも、狐と同じく、非常にわかりやすいたとえだ。なんといっても獅子には強力なイメージがある。獅子といえば「百獣の王」だ。
一頭の獅子が狐やジャッカルや狼と共に狩りに出かけた。一行はとうとう雄鹿を見つけ、襲いかかって殺した。四頭の獣は、息絶えて横たわっている雄鹿を真中に挟んで、雄鹿をどのように分配すべきかについて各自思案した。
「この鹿を四つに切れ」と獅子は吼えた。
他の獣は、獅子のこの一声に従順に従って雄鹿の皮を剥ぎ、四つに切り分けた。すると獅子は死骸の前に立った。
「四切れのうちの一つは、百獣の王たるわが輩のものだ」と獅子は言った。「もう一つは、鹿を分配する問題をこうして調停したわが輩のものだ」――さらに続けて、「三つめは、この鹿の追跡に加わったわが輩のもの。四つめは、お前たちのうち誰一人として敢えて手をつける奴はおるまい」
この“故事”から、分け前と称しながら全部を一人占めすることを「獅子の分け前」(the lion's share)と言うようになったのである。
(『空想動物園』)
ライオンが「百獣の王」たる自分の力にものを言わせ、あらゆることをほしいままにしたように、「獅子のようにその職務をおこな」ったボニファキオ八世も、さぞかし力づくでやりたい放題をしたにちがいあるまい。
マキァヴェリは『君主論』のなかで、支配者はすべからく狐と獅子を真似るべし、と主張する。獅子の強さと狐の老獪さを併せ持つ者が支配者にふさわしいのだ、と。マキァヴェリもモンテーニュも、依拠しているのは民話や神話で培われたイメージだ。
ライオンの第一義的イメージは「百獣の王」で、この見方は世界中に広まっている。もちろん「百獣の王」ではないイメージもあるのだが、それで有名なのは、古代ローマ期の物語だ。キリスト教が異教であった当時、キリストを信仰する人びとが、コロシアムでライオンに殺されるという見せ物が行われた。ここではライオンは、恐ろしい死刑執行人の役割を与えられているのだが、ほかの大型肉食獣でなく、ライオンであったということは、やはりライオンの威厳が関連しているのかもしれない。のちにライオンはキリストの象徴ともなり、C.S.ルイスのナルニア国物語でも、アスランとして登場する。
ライオンもかつてはアフリカからヨーロッパ、中東からインドあたりまで分布していたらしいが、コロシアムに登場させるために、ローマはその国力にものを言わせ、アフリカからライオンを連れて来たのだという。その時代にはすでに、ヨーロッパや中東では絶滅していたらしい。つまり、ライオンは歴史的に見ても人間にとって決して身近な生き物とはいえないのである。むしろ、ライオンを見るチャンスを得た人びとが、その物腰や威風堂々たる姿に魅了され、詩や物語に描くことで伝えていったと考えられる。
動物学者であるローレンツは、動物行動学の入門書『ソロモンの指輪』のなかで、人びとがどれほど現実のライオンに対して誤ったイメージを持っているか、指摘する。動物園の檻に閉じこめられたライオンに、人びとは「センチメンタルな同情」をよせているが、それはひどく的はずれだというのだ。
ライオンは幽閉の身になっても、心理的に同程度の発達段階にあるほかの食肉獣のようには苦しまない。それはひとえに、彼が運動にたいしてあまり強い衝動をもたないからだ。さらに率直にいうならば、ライオンはおよそ食肉獣のうちでも、いちばんものぐさだ。まっやくうらやましいくらいのものぐさである。たしかに自然環境のもとでは、ライオンはえものをあさりながら、広大な範囲を歩きまわる。だが、それは明らかに、飢えに迫られてのことにすぎず、けっして内的な衝動によるものではない。だから檻の中のライオンは、あわれなキツネやオオカミがするように、何時間も何時間もあちらこちらと休むことも知らず走りまわるようなことはしない。(…略…)
以前ベルリン動物園で、砂漠の砂と黄色い岩の崖のある大きな区画が、ライオンのためにつくられたことがある。だが、このぜいたくな設計はまったく無意味であった。いっそ剥製のライオンを配置したパノラマをつくったほうがよかった。ライオンたちはこのロマンチックな風景のすみっこに、ただごろごろねそべっていただけだったのである。
(コンラート・ローレンツ『ソロモンの指輪』日高敏隆訳 早川書房)
ここからわかるのは、わたしたちは物語によってはぐくまれたイメージを通して、現実のライオンも眺めてしまうということだ。おもしろいことに、ここでも「 X というのは Y のようなものですよ」というたとえの図式が当てはまる。現実のライオンに当てはまるのが未知のもの X 、そうして Y に当てはまるのが、既知の「物語のライオン」。「あれが物語に出てくる百獣の王ですよ」と、現実のライオンを物語のライオンになぞらえているのだ。
わたしたちはどこかで「現実」が根底にあって、そこから「物語」が派生しているように感じている。けれども実際は逆なのである。「物語」が先にあって、その助けを借りながら「現実」を理解しようとしているのがわたしたちなのである。
さて、モンテーニュの話は狐と獅子だけでは終わらない。「犬のように死んだという」のはどういうことなのだろう。
4.犬に行く
「犬死に」ということばが日本語にはある。事故がもとで人が亡くなった。責任者は厳粛な顔をして「彼の死を犬死にしないためにも、新しい対策が必要だ」という。この言葉には、「犬の死」を無駄なものととらえた上で、人間の死は犬と同じように無駄なものであってはならない、という考え方がこめられている。
おもしろいことに英語にも" die like a dog "というイディオムがあるのだが、これは日本語のように、無駄に死んでしまうという意味ではなく、もうちょっと意味が強くて、惨めな死に方をする、ということになる(これは「引っかけ問題」として試験によく出るので受験生は覚えておこう。ためになるサイトだなあ)。
英語のイディオムに限っていうと、dog のニュアンスはあまり芳しいものではない。"go to the dogs" というと「堕落する」という意味だし、"lead a dog's life " というと、「惨めな暮らしをする」ということだ。
『空想動物園』にも犬にまつわるさまざまな物語が紹介されているが、ずるい狐や王者ライオンのような統一したイメージが得られない。「地獄の番犬」に象徴される恐ろしい犬、「人間の最良の友」たる忠実な犬、狂犬を装った悪魔、賢かったり愚かだったり強情だったり働き者だったり、昔から近くにいたからこそ、人は犬のことをよく知っていた。だからこそ、ひとつの象徴に押し込めることができなかったらしい。日本でもそれは同様で、中村禎里の『動物たちの日本史』を見ると、犬は食用獣であり、逆に人の死骸を食う存在でもあり、警備の役割を担い、狩猟の手助けをし、「犬追物」では弓で射られ、芸をし、愛玩動物でもあった。当然、『今昔物語』や『日本霊異記』を始め、犬はさまざまな物語に登場してくるが、化けたり神の使いだったりする狐よりもいっそうその性質は多岐に渡っている。
いまとはちがって、野犬がたくさんいた昔なら、道に転がっている犬の死骸もめずらしいものではなかったろう。誰からも振り返られることなく、うち捨てられた犬の死骸は、「無益さ」の象徴であり、同時にまた「惨めさ」の象徴であったとしても、まったく不思議はない。「犬のように死んだ」と描かれるボニファキオ八世の末路は、性質のなぞらえではなく、様子からくるなぞらえなのだろう。「道ばたに転がっている犬の死骸」がめずらしいものでなかったころは、いまより容易に「惨めなさま」が浮かんできたにちがいない。
いまのわたしたちは「犬のように死んだ」というたとえは、狐や獅子ほどはっきりとはしない。逆に「犬死に」などの言葉の助けを借りて、なんとか想像できるぐらいだ。物語にもとづかない視覚的ななぞらえの場合、参照する Y が目の前からなくなってしまえば、「 X というのは Y のようなものですよ」と言われてもわからなくなってしまう、ということをここでは押さえておこう。
5.ところ変われば…
犬の親戚、狼となると、ヨーロッパの昔話や童話では、きわめてはっきりとした性格を持っている。人や動物を食い殺そうとする飢えた獣である。「赤ずきん」しかり「三匹の子豚」しかり「狼と七匹の子ヤギ」しかり。だが、アメリカ・インディアンの世界では、狼は世界の創造主である。
そのインディアン説話によると、或る日、いたずら者ウィサガトキャクが巨大な穴熊を罠にかけるために小川を堰きとめるダムを造ったという。夕暮れどきになって穴熊が近づくと、いたずら者は待ちかまえていた。ところが麝香鼠がいたずら者をかじったので、彼は穴熊を見失ってしまった。
翌日、いたずら者はダムを撤去した。すると他の穴熊たちが復讐せんものと水を溢れ流したので、しまいには全土が水中に没して、どこにも大地はなくなった。二週間のあいだ水嵩は増しつづけた。あの麝香鼠は水の深さを測るために跳びこみ、そのまま溺れてしまった。一羽の渡り鴉が偵察に飛び立ったが、陸地は発見できなかった。
とうとうウィサガトキャクは狼に助けを求めた。狼は苔の球をくわえて筏のふちを走り回った。苔の球はやがて大きくなり、その上に陸地が形成された。狼がそれを降ろすと、すべての動物がこぞって踊り回り、強力な呪文を唱和した。こうして大地は次第に大きくなり、筏の上にまで拡がった。それでも大地は大きくなるのをやめず、遂には全世界が出来あがったのである。
(『空想動物園』)
アメリカ・インディアンは狼に特別な地位を与えていた。それはおそらく彼らが狩猟民だったからだろう。群れで獲物を狩る狼は、同じ狩猟者である彼らの理想とあこがれだったのかもしれない。
一方、ヨーロッパでは早くから家畜を飼育していた。アメリカ・インディアンと異なり、ヨーロッパ人にとっての狩猟の主目的は、食用獣の確保ではなく、毛皮の獲得とスポーツだった。彼らにとって狼とは、まず何よりも家畜を襲う害獣であり、同時に自分たちが楽しみのために狩る対象だった。狼が昔話や童話の中で「飢えた恐ろしい獣」という性格が割り当てられているのは、このような理由であったにちがいない。
いまのわたしたちが抱いている狼のイメージは、ヨーロッパの昔話や童話によるものだ。日本には狼を祀った神社もあるというのに、わたしたちのイメージの狼は、ヨーロッパ産だ。これはわたしたちのイメージをはぐくんでいる物語が、いまでは多くが絵本によるものであることからくる証左であるのかもしれない。
柳田國男は「口承の文芸」と書物とを対比させながら、このように述べた。
印刷という事業は社会文化の上に、怖ろしいほどの大きな変革をもたらしている。以前双方がほぼ歩調をそろえて、各自の持場を進んでいたものが、瞬く間に両者その勢力を隔絶してしまった。必ずしも智識の欲求が急に片方に偏傾したためではなくして、ただあるものが特に与えられやすくなったのである。同じ書物の中でも数少ないものは退き隠れている。いわゆる定本の権威は専横になって来た。個々の小さな口から耳への伝承が、これと対立してその由緒を語ることを得なくなったのも、ないしはその特殊なる流布の様式によって、国の文芸の大体を説明し得なくなったのも、共に前人のまったく予想しなかったことである。国の文芸の花模様は、色取り取りに人の心を惹くけれども、我々はもうその下染を忘れようとしているのである。
(柳田國男「口承文芸史考」『柳田國男全集第八巻』ちくま文庫)
庄野潤三の短編小説『静物』の中に、父親が子供たちと一緒に横になって、さまざまな物語を聞かせてやる場面がある。舞台は昭和二十年代後半から三十年代初頭ぐらいだろうか。いろりのまわりでおじいさんやおばあさんが話を聞かせてくれた時代がすでに過去となっていても、そのころにはまだ「口承の文芸」は残っていたのである。遠い記憶をさぐってみても、わたしの幼い頃には、すでに「語って聞かせる話」ではなく、絵本の「読み聞かせ」になっていた。
自分が聞かされた話に経験を織り交ぜながら語り継ぐ「口承の文芸」には、その土地ならではのものもあっただろう。狼が神の使いである物語もあったのかもしれない。柳田のいうように「あるものが特に与えられやすくなった」結果、わたしたちの持つ狼のイメージは、ヨーロッパの昔話にすっかり染まってしまったのだ。
とはいえ、「日本昔話」の絵本がまるごと「ヨーロッパの民話」にその座を明け渡したわけではない。この分野を見る限りでは、「日本昔話」もなかなか健闘しているといえる。それは化けるものたちの物語である。
6.化けるものたち
子供のころ、何度かイタチを見たことがある。わたしが住んでいたのは古い住宅街だったのだが、少し行ったところに木立に囲まれた神社があった。おそらくそこに住みついていたのではないか。板塀の下をくぐり抜け走っていくそのすばやさは、飼われている猫とも犬ともちがう野生の生き物のそれだった。イタチを見た、と親に言うと、化かされるんじゃないよ、とからかわれたものだった。
日本の昔話では、狐や狸、狢(ムジナ)ばかりでなくイタチやカワウソも人を化かす。獣が人を化かすというのはわたしたちにたいそうなじみ深いので、ヨーロッパでは、動物が人を化かしたりしないと聞くと、かえってそのことに驚いてしまう。
西洋の狐は「だます」が「化かさない」。日本の狐は「だます」こともあれば「化かす」こともあるし、神様の使いにもなれば、人間にこっそり栗や松茸を届けもするし、手袋を買いに行ったり、人間に化けて人間とのあいだに子供を作ることもある。
折口信夫の「信太妻の話」のなかで、浄瑠璃や歌舞伎の演目である「葛の葉」(白狐を助けてやった主人公のもとに、お礼ということで、白狐が「葛の葉」という若い女性に化けてやってくる。ふたりは子供までもうけるが、子の童子丸が五歳のときに「葛の葉」の正体がばれてしまい、葛の葉は「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という歌を残して信太の森に帰る)はずっと実話と信じられていたという。
尠くとも、徳川末期の人々からは、極(ごく)の最近に起つた実話と信じられて居たのである。其実録の方では、常陸稲敷郡の或村の百姓忠七が、江戸からの帰り途、女化原を通つて、一人の女に逢うた。其女を家に連れ戻つて、妻とした処、男二人、女一人の子を産んだ。ある時、添へ乳して寝た中に、尻尾が出た。子供が騒ぐので、為方なく、一首の歌を残して逃げ去つた。
人間に近い生活をしたものとして、最後の抒情詩を記念に止めさすのも、吾々の民族心理の現れだなどゝ、簡単な心理説明では説明はつかない。人間でない性質のある者まで、歌を読み残して居るのである。
獣だって人間と同じように、愛情を感じるし、別れのつらさも味わう、だからこそ歌も詠む、という感じ方を昔の人はしていたと聞いても、いまのわたしたちはそれほど意外には思わないのではあるまいか。信太の狐よりイソップの狐の方が身近になってしまったわたしたちだが、新美南吉の『手袋を買いに』を始め、現在も続いているシリーズの『白狐魔記』などの創作童話でも、狐が化けるというモチーフは繰りかえし使われている。
それでは、ヘビ・キツネ・タヌキが人に化けるのはなぜだろうか。これらの動物は霊力を持っており、その意味で動物神と見なされた。動物神は、巫女の幻想のなかで人の姿を取って現れる。さらにこれが拡大した共同幻想を主源として、動物から人への変身説話が誕生したと思われる。ヘビ・キツネ・タヌキは、妖怪のイメージをも強く発散している。私の考えによれば、妖怪は神から派生した観念である。神は、かならずしも人にとってプラスの方向にだけ作用するわけではない。気にいらないことがあれば、人に災厄をもたらす。後者の側面を独立させ、これを実体化したのが妖怪だといってよいだろう。
(中村禎里『動物たちの日本史』海鳴社)
西洋では、悪い魔女が人間を、カエルやろばや野獣や魚や蛇や白鳥など、さまざまな動物に変えてしまう。月を見てオオカミに変身する人間もいる。いずれも動物が人間に変身するのではなく、もともと人間だったものが、まがまがしい者によって異類に変身させられ、また善なる存在の手によって人間に戻される。この背景には、人間と動物の間に厳しい断絶があることが見て取れる。だからこそ、動物に変えられることを恐れるばかりではなく、変えられたと見なされる動物をも恐れていたのである。
日本では、動物と人間の境はあいまいだ。さらに、動物の一部は、神でもあって、人間以上の存在でもある。動物たちが自分の意志で人間に変身し、人間との間に子供をなし、さらには歌を詠んでそこから去っていく。ヨーロッパ人と日本人とでは、自然に対するものの見方、動物に対するものの見方というものが、根本的にずいぶんちがっていた。わたしたちが日本の昔話に出てくる「化ける者たち」の話を棄ててしまうときは、同時にこの見方をも棄ててしまうということなのだろう。逆に、「化ける者たち」の話が身近であるあいだは、昔からの自然観と断絶していないといえるのかもしれない。
7.動物たちのたとえとわたしたち
動物が主人公の昔話やお伽噺は多い。人間が動物ともっと親しかったころ、人びとは自分たちの夢やあこがれや恐れを動物に託した。物語の中で動物たちは、人間がすることを何でもし、人間の性格のことごとくを備えた。これまで見てきたように「 X というのは Y のようなものですよ」の Y 項に、幼い頃に聞かされたり読んだりした物語が入ることは非常に多い。つまり、動物を主人公とした物語によって、わたしたちは人間の性格と行動を理解し、原因と結果を理解していった、ともいえる。
昔話やお伽噺を卒業しても、動物のたとえはわたしたちと共にある。それだけではない。星占いや血液型占いで、知らない人を類型に当てはめ、理解しようとするのも、この動物のなぞらえの一種のバリエーションということはできないか。人を昔話の「狐」や「獅子」や「兎」や「羊」になぞらえる代わりに、「獅子座」や「A型」になぞらえて理解しようとしているのだ。血液型や星座による性格分類が、どれだけ非科学的だとか根拠はないとかと言われてもなくならないのは、これが「たとえ話」だからなのだろう。
動物のたとえがおもしろいのは、それだけではない。最初に直喩を説明するとき、X を知らない A さんに、A さんの知っている Y を持ってきて、「 X というのは Y のようなものですよ」というのが直喩である、と言った。だが、動物にたとえるのは未知の人を説明するときばかりではない。双方がよく知っている、たとえば校長先生を「狸おやじ」と呼んでみる。別に置物の狸に似ているわけではないから、それまで誰も校長先生と狸を結びつけて考えたこともなかった。ところが「狸おやじ」と呼んだとたん、偉そうにしている割りに、通俗的なことしか言わない校長先生と、「カチカチ山」の狸のイメージが重なってくる。動物になぞらえることによって、校長先生に対する新しい見方が生まれたのだ。それまで X は既知であったはずなのに、「 X というのは Y のようなものですよ」と、これまで考えたこともなかった結びつきを示されることで、既知の X に新しい光が与えられる。
現実の動物の多くは、わたしたちからずいぶん遠いものになってしまった。けれども物語を聞き、読んできたわたしたちが、実際には動物園でしか見たことのない動物たちを比喩で使い、そこから新しい見方を引き出せるかぎり、その動物はわたしたちにとって親しいものであり続けるのだろう。