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有島武郎と共同体と共に生きることと


十分人世は淋しい。私たちは唯そういって澄ましている事が出来るだろうか。
――有島武郎 『小さき者へ』

葡萄

1.彼らは何語でしゃべってるんだろう


先日TVで《のだめカンタービレ》を見た。
ドラマの舞台はフランスである。何で音楽の勉強をするためにパリに行くんだろう、とちょっと思ったけれど、おそらくそれにもしかるべき理由があり、それ以前のドラマでは説明されていたのだろう。ともかく、エッフェル塔やノートルダム寺院を背景に、主要登場人物の日本人、外国人という設定の日本人、外国人という設定の外国人が入り乱れ、話は進んでいくのだった。

ドラマはフランス人を演じる日本の役者(?)が怪しげな発音でフランス語をしゃべるところから始まっていく。画面に字幕が出ていたかと思うと、始まってから五分後ぐらいに、視聴者の便宜を図ってせりふはすべて日本語に切り替える、という注釈が入って、以降は「画面では日本語で会話がなされているが、実際にはフランス語で会話されているんですよ」という約束事のもと、話は展開していくのだった。

外国人俳優が実際には何語をしゃべっているのか不明だが、日本人の声優による吹き替えが上からかぶせられ、ここだけはTVで見る洋画劇場と一緒だ。だが、それに受け答えする日本人は、そのまま日本語をしゃべっていて、そのやりとりの具合が実に奇妙で、わたしはそれが気になって最後まで見たようなものだ。

実際はちがう言葉を話しているのだ、という設定で思い出すのは、映画《レッド・オクトーバーを追え!》だ。ソ連原子力潜水艦の艦内から物語は始まっていくこの映画も、冒頭しばらくは響く音の多いロシア語ですべての会話がなされているのだが、やはり五分後ぐらいに、こちらは注釈もなく、実に自然に英語に切り替わっていく。最初はロシア語をしゃべっていたショーン・コネリーもサム・ニールも、あるときを境に英語を話しているのだ。だがそれは、彼らが亡命を企てているから英語でしゃべり始めたのではなくて、画面上では彼らは英語で話しているが、実際には引き続きロシア語で会話しているんですよ、という暗黙の了解を観客には期待しているのだろう。以降、会話はすべて英語となるのだが、スコット・グレン扮するアメリカの原潜の艦長が、いかにもアメリカ的な振る舞いや物言いをするのと対比させる意味でも、引き続きショーン・コネリーにはロシア語で話してほしかったなあ、と思ったものだった。

この《レッド・オクトーバー…》も、はや古典的名作の仲間入りをしたようで(ああ、わたしの記憶では有楽町マリオンでこの映画を見たのはついこのあいだのことなのに……)、TVの洋画劇場では定番なのか、毎年見ているような気がする。ともかくそんな機会にこの映画を初めて見た人は、TV画面に現れるショーン・コネリー、坂口芳貞の声で(あるいは若山弦蔵の声で)最初からずっと日本語をしゃべっている艦長と副長を、実際は英語でしゃべっているが、それは実はロシア語でしゃべっていることになっているのだ、などと考えもせずに見ているのだろう。

ところで、なぜこの映画では、冒頭、ショーン・コネリーとサム・ニールはロシア語で会話するのだろう。それはレッド・オクトーバー号がソ連艦だからだ。ロシア語で話すことによって、そこはソ連艦であり、英語を話す人々とは異なる政治的軍事的共同体に属する人々であることが一目で諒解される。耳慣れない、響く音の多い言葉は、雄弁に、彼らがことなる勢力の一員であることを物語っているのだ。だが、それは英語に切り替わっていく。このことは、単に観客の便宜を図るだけでなく、同時に彼らがやがて英語を公用語とする社会に同化していくことを暗示してもいるのだろう。

《のだめ…》もそうだ。主人公ののだめと千秋が、日本という本来彼らが属していた共同体から外に出たことを示すためには、なによりも周囲の人々はフランス語で話さなければならなかった。さらにそれがフランス人俳優による流暢なフランス語ではなく、日本人俳優や、外国人といっても、日本で見慣れた人びとによる奇妙なフランス語で話されることによって、このドラマがコメディであることを示してもいたのだろう。

このように、言葉というのは、その人間が属する共同体を示す指標でもある。
わたしたちは、ある共同体のなかにいるときは、自分たちがどういう共同体に属しているか考えることもない。わたしたちがそれに気がつくのは、自分たちがそこを出たとき、あるいは、異なる共同体の一員であることをしめす言葉や外見をもった人間が現れたときである。そのとき急に自分が使っている言葉や、自分が属している共同体に意識が向かう。

たとえば通天閣を背景に、大阪弁で話している人々が現れる。このときは単に舞台が大阪であることを示しているにすぎない。それが、東京駅を背景に、登場人物が大阪弁で話し始めると、それだけでその背後に物語があることが暗示される。つまり、大阪という共同体から外に出た人間の物語である。あるいは平安神宮付近で、片言の日本語で道を尋ねる外国人が登場する。これは「古い日本」に憧れてやってきた外国人の物語であるとわかる。そうしてわたしたちは、日本という共同体のなかにこの外国人が徐々に同化していくか、あるいは周囲の日本人に影響を及ぼしていくかの物語なのだろう、と予想する。

ここで大胆に結論を出してしまおう。人と共同体の関わりが意識されるとき、ドラマが生まれる。ここでは有島武郎の作品のいくつかを見ながら、人と共同体の関わりを見ていこうと思う。


2.とがめるのか許すのか〜『一房の葡萄』


有島武郎の子供向けの童話に『一房の葡萄』という作品がある。わたしも子供の頃に読んだことがあるが、童謡の「赤い靴」にも通じる、「ハイカラ」という言葉に象徴されるような、ある時代の横浜のイメージ、過去の横浜にほんとうにそんな情景があったのかどうかも定かではない、おとぎ話のようなノスタルジックな世界。童謡で「異人さんに連れられて」女の子は外国に行くように、この男の子の学校には、ジムや白い服を着た優しい先生がいるのだろう、と漠然と思っていたのである。

「教師は西洋人ばかり」の学校という、日本のなかでの異国を舞台に設定した有島は、いったいどのような共同体を描き出そうとしたのだろうか。

関川夏央の『白樺たちの大正』には、この作品の背景が簡単に説明してある。

 有島武郎は…父武が横浜税関長となったとき横浜に移住し、山手の居留地に住んだ。五歳の一年間、アメリカ人の家庭に二歳下の妹と通って英語に親しむ日を過ごした。六歳になると、ミス・ブリテンが校長をつとめる横浜英和学校に入り、学習院予備科に途中入学するまでの二年間学んだ。この時代の経験を彼はのちに自分の子供たちのため、『一房の葡萄』という童話に書いた。

(関川夏央『白樺たちの大正』文藝春秋社)

ところが関川はこの作品には妙なところがあるという。

 主人公の少年はどうも日本人らしいがジムはアメリカ人、先生もまた明らかに白人である。まず第一に、彼らが何語で話していたかという問題がある。つぎに、主人公はただ泣くばかりでついに一度も反省の言葉を口にせず謝罪もしないのである。なのになぜかジムは彼を赦し、先生はあいまいな状況を放置して事態を「一房の葡萄」をしめすことだけでまとめてしまう。

第一の疑問。確かに「真白い左の手」「大理石のような白い美しい手」と強調されるこの女教師は白人なのだろう。その彼女がノックに応えて言う「お這入り」というやさしい声の言葉は、実際には "Come in." だったのではなかったか。"Come in." であればノックに応える通常の返答だが、「お這入り」となると、日本語として「やさしい」女先生が言う言葉としては、多少の違和感を覚えるのだ。ジムの言葉も、彼がこなれた日本語を話せたというよりは、《のだめ…》や《レッド・オクトーバー…》のように、「実際に話されているのはちがう言葉」と理解した方が良いように思う。おそらくその学校内での公用語は英語だったのだろう。

ところでここにもうひとり、この作品には重要な登場人物がいる。名前を与えられていない「僕の級で一番大きな、そしてよく出来る生徒」である。「ちょっとこっちにお出で」と主人公を外に連れ出すのも、「君はジムの絵具を持っているだろう。ここに出し給え。」と命じるのも、「泣いておどかしたって駄目だよ」と「馬鹿にするような憎みきったような声で」言うのも彼。つまり先頭に立って、被害者であるジムよりも厳しく主人公を糾弾する少年である。この少年は何人なのだろうか。

「一番大きな」というところから、西洋人の子供、と考えるべきなのかもしれない。だが、わたしにはこの名前のない少年は、ジムや主人公より少し年長の日本人だったのではないか、という気がするのだ。日本人でありながら、西洋人の子供より背が高く、西洋人よりも勉強がよくできる子供。西洋人に伍して、負けまいと必死でがんばっている明治時代の日本人の理想を体現したような少年である。

そういう彼が、同じ日本人のしでかした盗みを恥ずかしく思い、ことのほか許せなかったと考えた方が、彼の行動には納得がいくのである。そうしておそらく糾弾の際に彼が使った言葉は、たとえ同じ日本人に対してであっても、学校の公用語である英語であったにちがいない。自分は彼とはちがう。彼のような情けない日本人ではない、と証明するために。最後の場面では、主人公を迎えに来るジムの姿が描かれていても、その体の大きなよく出来る少年は姿を見せない。「よく出来る生徒」なら、真っ先に主人公を迎えに行っても良さそうなのに。

この少年をここでは仮に「級長」と呼ぶことにしよう。級長が途中で姿を消してしまうことが、関川の言う第二の疑問とも関連してくるように思うのだ。

さて、わたしのときは『一房の葡萄』は教科書で扱った記憶はないのだが、この作品は、小学校や中学の教科書に、一時期ずいぶん採られたようだ。石川千秋が「「国語」という教科の目的は道徳教育にある」(『秘伝 中学入試国語読解法』)と言うように、「国語」で扱うからには、ここから何らかの道徳的な教訓を引き出すことが求められているはずだ。関川の言うように「主人公はただ泣くばかりでついに一度も反省の言葉を口にせず謝罪もしない」ような作品から、いったいどんな教訓を導くことが期待されているのだろう。

『鑑賞日本現代文学I 有島武郎』には、この女教師が「理想的な女教師」である、と解説されている。

この女教師の〈僕〉に対する態度は全く非の打ちどころがない。〈僕〉の弱い性格と、それゆえの心の動きをよく見抜いており、最善の処置をとったといってよいであろう。…もし仮に、この女教師が自分と同国人の子供たちの面前で叱責・懲戒を加えるような挙にでたとしたならば、〈僕〉の心はとりかえしのつかぬ深傷を負う結果となったにちがいない。最善の処置というのは、以上のような配慮が頭をかすめる余裕すらなく、〈僕〉の身になって考え、〈僕〉の今後にとって最も賢明であったといえる処方箋を実行することである。そのために、この女教師は〈僕〉に、〈そして明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。屹度ですよ〉と言い聞かせたのである。そしてまた、そのためにジム少年ははじめこの出来事に関わりのあったクラスの子供たちにも打つべき手を打っておいたし、ジムたちも日頃からこの女教師に心から服していたからその言いつけをよく守ったのである。この女教師は、単に寛大でやさしいばかりではなかった。末尾に近く〈僕はその時から前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなったようです。〉(※強調は山田)とあるが、これが〈僕〉の性格にもたらした女教師の愛の力による感化であり、その〈少し〉が、実は得がたく尊いものであると思われる。

(山田昭夫『鑑賞日本現代文学I 有島武郎』)

『一房の葡萄』というタイトルは、聖書なかのの「ヨハネ書第十五章」から取られたものだという。その十二節にはこのような文言がある。

わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

(『ヨハネによる福音書15-12』)

つまりこの物語の教訓は「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」ということなのである。先生は主人公をとがめることもなく、無条件に許した。それに従って、ジムも無条件に許した。その許しによって、主人公は「少しいい子」になったのだ。

級長はこの教えに従ったのだろうか。わたしが彼を日本人ではあるまいかと考える根拠がここにある。

小さい頃からキリスト教の教えを受けているジムならば、すでにこの箇所も知っていて不思議はない。「聖書にもあるように、わたしたちはこうすべきなのです」として教えられれば、すぐに行動に移すことができる。言葉を換えれば、聖書という規範にしたがうことは、クリスチャンであるジムにとってはあたりまえのことなのである。

だが、クリスチャンではないわたしは、山田の言うように、この教師を「理想」とまでは言い切れない。関川の言う「先生はあいまいな状況を放置し」ているという印象をどうしてもぬぐいきれないのだ。というのも、わたしたちが属する共同体には「人のものは盗んではいけない」という規範があり、その規範を逸脱した者は「謝罪するなりして、逸脱の責任を負うべきだ」と考えるからだろう。

級長が日本人であれば、おそらく同様に、この先生の指導は受け入れがたいものだったのではなかったか。先生が盗んだ生徒を愛したようには、愛することができなかった。ジムと一緒に、主人公の手を取ることはできなかった。だから最後の場面には表だって姿を現さなかったのではあるまいか。おそらく彼はこのとき、これまで共同体の一員となるべく精一杯努力してきた自分が、そこから外に弾き出されてしまった悲哀を感じたにちがいない。

当然この先生も「盗むな」「規範逸脱の罪はつぐなうべきである」という規範は理解していた、というより、自身がその規範に従って生きてはいただろう。けれど、この場面では、ヨハネによる福音書が指し示す規範の方に従ったのである。

わたしたちが属する共同体というのは、ひとつだけではない。もっとも小さな「家」から始まって、学校、職場、地域、国、さまざまな共同体に属することになる。その共同体のあいだで、規範はかならずしも一致しない。たとえばよく行き過ぎた校則が話題になることがあるが、そこだけで通用する規範というのは、同時にそこがどういったところのなのか、その共同体の性質を物語るものなのである。

この先生にとっては福音書の教えが、一般社会の規範より重要なものだった。こうした先生を中心とする共同体は、罪をとがめ、それをつぐなうことを求めるよりも、愛による許しを規範とする共同体だったのである。少なくともこの作品を書いた有島が理想としたのは、ヨハネ書にあるような、先生が「葡萄の木」、子供たちは「葡萄の枝」、そうやってつながっているかぎり、豊かな実を結ぶ、そうした共同体だったのだろう。

おそらく今日の学校で、この作品が教材として取られることが少なくなっているのは、「盗むな」という規範よりも「互いに愛し合え」という規範を重んじたこの作品を、今日の学校は受け入れがたくなっていることを示してもいる。

ともかくここでは、共同体にはそれぞれに規範がある、ふだんは意識されないその規範も、何らかのかたちで逸脱するものが現れたとき、その規範の存在があきらかになる。そうしてあきらかになった規範は、社会一般のそれとずれていることもある。このずれこそが、共同体の特質を物語るものである、そういうことが『一房の葡萄』という作品からは読みとれる、というふうにここではまとめておこう。

さて、今度は学校とは別の、職場という共同体を舞台にした作品を見てみることにしよう。学校は社会から隔てられ、独立した性格が強いが、職場はもっと社会からの干渉を受けやすい場である。また、その職種によっていくつもある共同体は、社会の中でランクづけされてもいる。いわば社会の「底辺」と目される職場共同体の物語である。


3.虫か人間か〜『かんかん虫』


『一房の葡萄』が、日本の中で英語を公用語としている共同体で話している作品であるとしたら、同じく有島武郎の『かんかん虫』はロシアが舞台、登場人物たちもみなロシア人という作品である。おまけにこのロシア人、

 おい、船の胴腹にたかって、かんかんと敲くからかんかんよ、それは解せる、それは解せるがかんかん虫、虫たあ何んだ……出来損なったって人間様は人間様だろう、人面白くも無えけちをつけやがって。

と、江戸っ子の職人のような言葉で話すのだ。「かんかん虫」とは

〔虫のようにへばりついてハンマーでたたくところから〕艦船・タンク・ボイラー・煙突などのさび落としをする工員の俗称。

(大辞林)

とある。「私」という語り手は、この「かんかん虫」たちの共同体に、偶然やってきた流れ者である。

親分格であるヤコフ・イリイッチは「私」に探りを入れる。字は読めるか、もとは何をしていたか。だが、正直に応える「私」の話の内容に興味はなく、「探偵でせえ無けりゃそれで好いんだ」と言う。彼には探偵を怖れる理由があった。

イリイッチには娘がいる。娘のカチヤには同じ「かんかん虫」仲間のイフヒムという恋人がいた。ところが会計士ペトニコフがカチヤを囲おうと申し出てきたのである。イリイッチはカチヤをペトニコフのもとにやることにする。だがイフヒムは引き下がりはしないだろう。何らかの暴力沙汰が出来することを見越して、イリイッチは探偵を怖れていたのである。

イリイッチがそこまで「私」に話したところで、仕事が終わったことを見届けに、ペトニコフがやってくる。ペトニコフが上甲板に足をかけようとした時、クズ鉄が飛んできてペトニコフの頭に当たりペトニコフは転落する。やがて警官たちが来るが、誰ひとり口を割らなかった、というのが、この作品のあらすじである。

この作品で問題になっていくのが、タイトルにもなった〈虫〉である。イリイッチは〈かんかん虫〉と呼ばれる自分たちが、果たして人間なのか、虫なのか、という強い疑いを持っている。「俗称」は「俗称」、彼らが人間であることを疑って、だれも彼らのことをそう呼んでいるはずがない。さて、ここで少しこの「あだ名」について見てみよう。

佐藤信夫の『レトリック感覚』によると、あだ名というのは「白雪姫型(隠喩)」と「赤頭巾型(換喩)」に大別されることが指摘されている。

お姫さまと白い雪のあいだには何のかかわりもない。雪だるまのように雪でできているわけでもなく、雪女のように雪のなかに住んでいるのでもない。ただ、色や清純さが似ているだけである。
 ところが、くだんの女の子のほうは、いっこうに赤くもなく、頭にかぶるシャプロンとは似てもにつかぬ。そのかわり、現実にそれをかぶっている。人間と頭巾は現実にかかわり合い、まさに接触し合っている。

(佐藤信夫『レトリック感覚』講談社学術文庫)

『坊ちゃん』に出てくる教頭は赤いシャツを着ているから「赤シャツ(換喩)」、英語の古賀先生は顔色が悪いから「うらなり(隠喩)」、いがぐり頭の堀田先生は「山嵐(隠喩)」である。
「かんかん虫」は「船の胴腹にたかって、かんかんと敲くからかんかん」叩く彼らの仕事を「虫」に見立てた隠喩なのだろう。

隠喩というのは、「〜のよう」がつかないたとえのことである。
「あの人の頭ははげていて、怒ったりすると、まるでゆでだこみたいになる。」というのが直喩で「寅さん」に出てくる裏の町工場の禿頭の社長を「タコ社長」と呼ぶのが隠喩だ。

そのちがいは「〜みたい」「〜のようだ」のあるなしだけではない。「ゆでだこみたい」というのは、相手が説明してくれることで、わたしたちはただそれを聞いているだけなのだが、「タコ社長」という言葉を聞いたわたしたちは、自分自身で、はああ、あの頭の形から来ているのだな、と発見する。自分の発見があるから楽しい。つまりあだ名の楽しさというのは、あとからでも、一緒に命名のゲームに参加できるからなのだろう。たとえば金田という名字だから「カネゴン」というあだ名がついていたりするより、口元があの怪獣に似ているから「カネゴン」という方が楽しい。

だが、その呼び名にも慣れてくると、もはやあだ名はその人物として定着され、「タコ社長」も「御前様」も、ほとんど役柄の名称と変わりはなくなる。そうなると、もはやわたしたちはその名称で笑うことはできない。

おそらく最初は「タコ社長」と面と向かって呼ばれて、くだんのタコ社長も腹をたてただろうが、やがてそれにも慣れてくる。そう呼びかける寅さんに、いちいち食ってかかることもなくなってくる。

ところが「かんかん虫」と呼ばれて久しいはずのイリイッチは、いまなおそのあだ名をおもしろくなく思っているのである。つまり、人間である自分たちが〈虫〉に見立てられているだけでなく、人間の社会から、現実に〈虫〉のように扱われてることに、このイリイッチの不満は集約されている。

「旦那、お前さん手合は余り虫が宜過ぎまさあ。日頃は虫あつかいに、碌々食うものも食わせ無えで置いて、そんならって虫の様に立廻れば矢張り人間だと仰しゃる。己れっちらの境涯では、四辻に突っ立って、警部が来ると手を挙げたり、娘が通ると尻を横目で睨んだりして、一日三界お目出度い顔をしてござる様な、そんな呑気な真似は出来ません。赤眼のシムソンの様に、がむしゃに働いて食う外は無え。偶にゃ少し位荒っぽく働いたって、そりゃ仕方が無えや、そうでしょう」

〈かんかん虫〉の共同体は、人間という共同体内部に属する職能集団のなのか、それとも人間の共同体から弾き出されたところにある別の共同体なのか、という疑問である。同じ〈人間〉の共同体にあるから、〈虫〉は単なるあだ名を越えて、虫並みの扱いとなって現れるのか。その疑念と不満が渦巻いているのである。

ところが〈かんかん虫〉の共同体の外にいる会計士ペトニコフがイリイッチの娘カチヤを囲おうとする。イリイッチは悩む。

カチヤを餌に、人間の食うものも食わ無えで溜めた黄色い奴を、思うざま剥奪(ふんだ)くってくれようか。

ここでイリイッチはなぜ悩んだかを考えてみたい。カチヤのほうは、すでに楽をさせてくれそうなペトニコフの妾になることを承諾しているのである。イリイッチがこだわるのは正妻でないことや、すでにイフヒムとつきあっているからではないだろう。

もしイフヒムとカチヤが結婚したとする。おそらくその場合は個人と個人の結びつきの性格が強いのだろうが、ここではあえて共同体という観点から考えてみる。この場合は、イフヒム家とイリイッチ家の婚姻である。ところがペトニコフの妾に成った場合、イリイッチはペトニコフ個人というよりも、人間の共同体に〈かんかん虫〉の共同体の一員である娘を送り込むことになる、と意識されているようすである。

それよりも人間に食い込んで行け。食い込んで思うさま甘めえ御馳走にありつくんだてったんだ。そうだろう、早い話がそうじゃ無えか。

カチヤをペトニコフ、いや、〈人間〉に差し出してしまうことは、イフヒム家とイリイッチ家という関係が婚姻によって成立するように、〈かんかん虫〉の共同体と〈人間の共同体〉が別個に成立することを認めてしまうことになるのではないか。この交換を成立させることによって、自分たちがペトニコフとは異なる共同体に属する、言い換えれば〈人間〉の共同体とは異なった〈虫〉の共同体に属する存在であると認めてしまうことのためらいではなかったか。

だが、そのためらいも、カチヤに良い暮らしをさせられる、という思いの前に、道を譲ることになる。カチヤと金銭を交換することで、自分たちを〈人間〉とは別の共同体に属する存在、〈人間ではないもの〉と認めたのである。

だが、イフヒムは納得しない。

イフヒムの云うにゃ其の人間って獣にしみじみ愛想が尽きたと云うんだ。人間って奴は何んの事は無え、贅沢三昧をして生れて来やがって、不足の云い様は無い筈なのに、物好きにも事を欠いて、虫手合いの内懐まで手を入れやがる。何が面白くって今日今日を暮して居るんだ。虫って云われて居ながら、それでも偶にゃ気儘な夢でも見ればこそじゃ無えか……畜生。
ヤコフ・イリイッチはイフヒムの言った事を繰返して居るのか、己れの感慨を漏らすのか解らぬ程、熱烈な調子になって居た。

親方のイリイッチとはちがって、イフヒムは〈かんかん虫〉と〈人間〉は、もともと別個の共同体であると思っているらしい。人間は、自分たちの共同体のなかで十分満ち足りているはずなのに、〈虫〉の共同体にまで手を出してくるとは何事だ、と憤る。悩むイリイッチとは逆に、自分たちの共同体を守るために、戦いをしかけていくことを決意するのである。〈私〉にイフヒムの言葉を伝えているうちに、いまだ〈人間の共同体〉の内部という幻想が捨てきれなかったイリイッチも、自分が〈かんかん虫〉であるという気持ちが強くなっていく。

「人間が法律を作れりゃあ、虫だって作れる筈」である。かくして「虫の法律的制裁が今日こそ公然と行われ」た。イフヒムの犯行は、表面的にはカチヤを奪われた腹いせでしかなかったのかもしれない。けれども、それは〈かんかん虫〉と〈人間の共同体〉のあいだの戦争だったのである。

〈かんかん虫〉たちは、イフヒムの犯行を知りながら、だれもそれを警察に告げようとはしない。流れ者であり、最初は傍観者だった〈私〉も、〈かんかん虫〉の一員として厳しい労働を経験するなか、共同体の確たる一員となる。そうして同じようにその一員を〈人間の共同体〉から守ったのである。

さて、『一房の葡萄』と『かんかん虫』と、ずいぶん雰囲気のちがう有島の作品をふたつ見てきたのだが、ひとつ共通点がある。どちらの作品でも、一般社会における規範の逸脱がなされるのだが、その小さな共同体は、逸脱を罰することなく、全体でかばうのである。つまり、罪を犯す者が出たとしても、共同体は彼を弾き出すのではなく、共同体全体で受け入れることによって、罪を赦そうとする。

小さな共同体は、いつもそうやって、一員をかばってくれるものなのだろうか。そうしたありがたい、暖かいものなのだろうか。そのことを『カインの末裔』に見てみよう。


4.内か外か〜『カインの末裔』


『カインの末裔』の主人公、広岡仁右衛門の外見は『かんかん虫』のヤコフ・イリイッチとよく似ている。「身体の出来が人竝外れて大きい」イリイッチと「背丈けの図抜けて高い」仁右衛門、共に物言いは乱暴である。だが、「不思議にも一種の吸引力を持って居る」イリイッチは、「かんかん虫」仲間の親方、〈虫〉のなかでも〈人間〉に近い存在ゆえに、共同体のありようについて悩むのだが、仁右衛門は、妻と赤ん坊と一緒にどこからともなく松川農場に流れてきた小作人、共同体のなかでも一番最下層の人間である。

彼れはその灯(※市街地のかすかな明かり)を見るともう一種のおびえを覚えた。人の気配をかぎつけると彼れは何んとか身づくろいをしないではいられなかった。自然さがその瞬間に失われた。それを意識する事が彼れをいやが上にも仏頂面にした。「敵が眼の前に来たぞ。馬鹿な面をしていやがって、尻子玉でもひっこぬかれるな」とでもいいそうな顔を妻の方に向けて置いて、歩きながら帯をしめ直した。良人の顔付きには気も着かないほど眼を落した妻は口をだらりと開けたまま一切無頓着でただ馬の跡について歩いた。

すでにできてしまっている共同体への新規参入者は、まずそこでの代表格と交渉しなければならない。『かんかん虫』でも「私」はイリイッチに問われるまま正直に応え、彼の信頼を勝ち得る。そうやって、共同体の一員になっていったのである。ところが町の灯にもおびえる仁右衛門は、そうした人間の共同体を怖れている。怖れているために、自分に有利なように交渉を進めることができない。寒さの中で泣きやまない赤ん坊のために、事務所で金を借りようとして断られてしまうと、こんどはすぐに腹を立て、小屋の在処さえ聞かずにそこを出ていこうとする。結局、小作の世話人である笠井に連れて行ってもらうことになるのだが、彼の話もまともに聞かず、火種を借りることさえ思いつかない。そのために飢えた夫婦は、小屋の暗闇の中で三枚の塩煎餅を争うのである。

だが、自然を相手にするときの仁右衛門は、働き者で有能な小作人である。

 仁右衛門は眼路のかぎりに見える小作小屋の幾軒かを眺めやって糞でも喰えと思った。未来の夢がはっきりと頭に浮んだ。三年経った後には彼れは農場一の大小作だった。五年の後には小さいながら一箇の独立した農民だった。十年目にはかなり広い農場を譲り受けていた。その時彼れは三十七だった。帽子を被って二重マントを着た、護謨長靴ばきの彼れの姿が、自分ながら小恥しいように想像された。……

仁右衛門は逞しい馬に、磨ぎすましたプラオをつけて、畑におりたった。耡き起される土壌は適度の湿気をもって、裏返るにつれてむせるような土の香を送った。それが仁右衛門の血にぐんぐんと力を送ってよこした。
 凡てが順当に行った。播いた種は伸をするようにずんずん生い育った。

農場という共同体のなかにあって、仁右衛門はその一員であるという自覚がない。彼の目は遠くを見ているからなのだ。そのために、ほかの小作人に対しては、傍若無人に振る舞う。

仁右衛門はあたり近所の小作人に対して二言目には喧嘩面を見せたが六尺ゆたかの彼れに楯つくものは一人もなかった。佐藤なんぞは彼れの姿を見るとこそこそと姿を隠した。「それ『まだか』が来おったぞ」といって人々は彼れを恐れ憚った。もう顔がありそうなものだと見上げても、まだ顔はその上の方にあるというので、人々は彼れを「まだか」と諢名していたのだ。
 時々佐藤の妻と彼れとの関係が、人々の噂に上るようになった。

小作の世話役である笠井からは、その体格と面構えを見込まれて、地主に小作料の値下げ交渉の席に自分と一緒に着いてくれ、と頼まれるが、与十の女房と密会の約束をしている仁右衛門はにべもなく断る。
一方、土が痩せるために禁止されている亜麻の連作だが、商人に高く売れるから、という理由で、帳場の禁止を無視して作る。やりたい放題の仁右衛門に、人々は近づこうとしない。やがて仁右衛門の赤ん坊が赤痢で死ぬことになり、いよいよ仁右衛門は凶暴になる。

「まだか」、この名は村中に恐怖を播いた。彼れの顔を出す所には人々は姿を隠した。川森さえ疾の昔に仁右衛門の保証を取消して、仁右衛門に退場を迫る人となっていた。市街地でも農場内でも彼れに融通をしようというものは一人もなくなった。佐藤の夫婦は幾度も事務所に行って早く広岡を退場させてくれなければ自分たちが退場すると申出た。駐在巡査すら広岡の事件に関係する事を体よく避けた。笠井の娘を犯したものは――何らの証拠がないにもかかわらず――仁右衛門に相違ないときまってしまった。凡て村の中で起ったいかがわしい出来事は一つ残らず仁右衛門になすりつけられた。

この笠井の娘の陵辱事件というのは、果たして仁右衛門の犯行なのだろうか。確かに状況証拠はそろっている。だが、作者は「何らの証拠がないにもかかわらず――仁右衛門に相違ないときまってしまった」と、含みの多い言い方をしている。この言い方から見て取れるのは、仁右衛門が犯人であるかどうかはわからない、ということでしかない。にもかかわらず、「村の中で起ったいかがわしい出来事は一つ残らず仁右衛門になすりつけられた」。

ここに共同体のもうひとつの性格が見て取れる。共同体のなかにもさまざまな矛盾がある。さまざまなメンバーのさまざまな思惑や欲望は、必ずしも一致せず、反目や足の引っ張り合い、裏切りは、たとえ目立たなくても、いたるところではびこっているはずなのだ。そこで共同体は内部の結束力を強めるために、小作料の値下げ交渉ということを通して、外部と闘う。だが、この結束力を強めるには、もうひとつ方法があるのだ。共同体内部の異分子を、スケープゴートとするのである。新参者で、しかも規範の逸脱を繰りかえす仁右衛門は、格好のスケープゴートだった。人々は彼を弾き出すことで、結束を強めたのである。

それでも仁右衛門はまだ「三年経った後には彼れは農場一の大小作だった。五年の後には小さいながら一箇の独立した農民だった。十年目にはかなり広い農場を譲り受けていた。」という夢をあきらめられない。そのために、笠井たちの失敗した小作料の値下げ交渉を、函館に住む農場主に直接に掛け合いに行く。農場での自分の位置を、一時的にでも確保しようとしての行動である。ところがこの仁右衛門のもくろみは、農場主から「馬鹿」と一喝されて、もろくも崩れ去ってしまう。

仁右衛門はすっかり打摧かれて自分の小さな小屋に帰った。彼れには農場の空の上までも地主の頑丈そうな大きな手が広がっているように思えた。雪を含んだ雲は気息苦しいまでに彼れの頭を押えつけた。「馬鹿」その声は動ともすると彼れの耳の中で怒鳴られた。何んという暮しの違いだ。何んという人間の違いだ。親方が人間なら俺れは人間じゃない。俺れが人間なら親方は人間じゃない。彼れはそう思った。そして唯呆れて黙って考えこんでしまった。

ここで非常におもしろいことに気がつく。仁右衛門が自分が小作人の共同体に属していることをはっきりと自覚したのは、場主と会ってからなのだ。それ以前にほかの小作人に対して傍若無人の振る舞いができたのは、自分が彼らの一員ではない、彼らと自分は関係ないと感じていたからである。

だがそれも、実際に自分たちとはちがう共同体に属する人間に会った。そこで初めて「親方が人間なら俺れは人間じゃない。俺れが人間なら親方は人間じゃない」というほどに自分と農場主の地位の隔たりを感じたのである。それによって、逆に自分が小作であることが自覚されたのである。そのときやっと、自分が本来所属していたのは、小作人の共同体であったこと、そうして共同体の一員としては行動してこなかったことを理解した。そのとき同時に、自分がそのなかからすでに弾き出されてしまっており、もはやこれ以降ほかの小作人に混じってはやっていけなくなっていることを理解したのである。もはや彼には松川農場には居場所はない。出ていくしかなくなる。

物語は、仁右衛門が松川農場のはずれの小屋に住むようになった、冬の初めからつぎの年の冬を迎えようとするまでの一年間が描かれる。一年後、仁右衛門はその農場におれなくなり、来たときにはいた赤ん坊と馬を失い、妻とそのふたりで重い荷を背負って出ていくところで終わる。共同体のなかから弾き出されてしまった者は、犯さなかった罪までかぶって、そこを離れざるを得なくなったのである。

まるで映画のラストシーンのように、吹雪のなかを歩いて遠ざかるふたりの夫婦の姿が見えなくなったところで、この作品は終わる。だが、見方を変えれば仁右衛門にはまだ女房がいたのである。共同体からたったひとり弾き出された女性は、どうなっていくのか。このことを長編小説『或る女』から見てみよう。


5.行き場がない!〜『或る女』


文学作品の中には、「転落小説」というジャンルがある、というのはウソで、わたしが昔から密かに名付けているだけなのだが。だが青年がさまざまな経験を経るなかで自己形成を果たしていく「教養小説」というジャンルがあるのなら、その対極に「転落小説」を位置づけても良いのではあるまいか。教養小説の主人公が、ほぼ例外なく男性であるのに対し、転落小説は女性が主人公である。男性が転落する場合は、転落した結果アウト・ローになって、ピカレスク・ロマンというジャンルを形成し、そこでは転落はつぎの新たな主人公が獲得する地位のために、逆転したステップアップなのである。ここでいう「転落小説」とは以下のような特徴をもつ。

・地位も資産もある、美しく魅力的な若い女性が
・徐々に転落していき
・最終的に死ぬことで作品が終わる
というものである。

具体的に作品でいうと、フローベールの『ボヴァリー夫人』、トルストイの『アンナ・カレーニナ』、イーディス・ウォートンの『歓楽の家』、そうして有島武郎の『或る女』が該当する。ケイト・ショパンの『目覚め』は「徐々に転落していき」という部分があっけないので入れなかったが、まあこれも入れても良いかもしれない。

この「転落」の中身は、小説のなかで具体的に現れる事件としては、婚外恋愛だったり(ボヴァリー夫人、アンナ・カレーニナ)、社会的に釣り合った結婚ができなかったり(リリー・バート)、派手な恋愛沙汰だったり(早月葉子)する。中心的な出来事がどれも恋愛がらみなので、一見したところ、破綻した恋愛小説のように見えるかもしれない。だが、夫のもとを去るアンナが「あたしだって愛さなくちゃならないし、生きなくちゃならないんだわ」と言ったことに代表されるように、夫や親、家の束縛を受けずに自立して生きようとする主人公たちの行動は、恋愛として焦点化するしかないのである。

三浦雅士は『青春の終焉』のなかで「教養小説」というジャンルが近代に特有のものであったことを述べたあと、「成長」が許されたのは中産階級の男性に限られていたと言う。

樋口一葉の『たけくらべ』がその端的な例だが、一般に、男は成長し、女は変容する。信如は成長し、美登利は変容する。娘と妻と母は一個の女性のなかの別の人格をさえ思わせるが、息子と夫と父はむしろひとつの連続性のうちにある。だが、この連続性はたんに男性の視点にもとづいていたにすぎなかった。近代が男性を基軸とする時代であった以上、この連続性を自明としたのは当然だった。それが成長という物語だったのである。……

 男は成長し女は変容するというのは虚構である。……

 成長が許されるのは階級的に限られたものだけなのだ。信如と正太郎は成長しうる階級に属している。成長とは、教育を通して社会的に飛躍した地位を手に入れるまでの物語にほかならない。あるいはその地位に不安を覚える物語にほかならない。不安こそ成長の源泉だからだ。したがって、庶民階級と同じように、貴族階級にも成長はない。社会的地位が確定しているものには、ただ変容があるだけなのだ。谷崎潤一郎が成長の物語を描かなかったのは、擬似的な貴族階級を仮構したからである。
 成長の神話は、近代ブルジョワ市民社会に特有のものだったというべきだろう。

(三浦雅士『青春の終焉』講談社)

主人公が男なら、目の前に立ちふさがる壁を、教育を通じて従来より高い社会的地位を手に入れることで、ひとつずつ乗り越えていく。ところが主人公が女の場合、壁はもっぱら恋愛の障害なのだ。家名復興を果たそうにも独力では不可能なリリーは、有力な結婚相手を自分一人で探すしかない(『歓楽の家』)のように、彼女たちに何かができるとしたら、恋愛でしかなく、その恋愛すらも家や親族、あるいは夫、従来の道徳や社会規範が、障害として彼女たちの前に立ちふさがる。

だがそうしたものがうち砕こうとしているのは、主人公の恋愛感情ではない。彼女たちの自立心である。あるいは、成長していこうという意志である。だが三浦がいうように、成長が認められない近代文学にあって、彼女たちは「変容」していくしかない。教養小説の主人公たちが壁にぶつかるたびに成長し、社会の階段を一段ずつのぼっていくのとは逆に、壁に抵抗し、従おうとしない彼女たちは、社会の階段を転げ落ちることで「変容」していく。いずれの共同体も彼女たちを弾き出す。共同体から弾き出されることで、彼女たちの心身は不調に陥り、やがて病気になる。しかも経済的に困窮する。そうして彼女たちは悲惨でボロボロになった状態で死んでいくのである。

読後、わたしたちは非常に理不尽な思いに襲われる。確かにわがままなところがあったかもしれない。自分勝手だったかもしれない。だが、頭も良く(ボヴァリー夫人はそれほど良さそうではないが)、魅力的で、美しく誇り高かった彼女たちが、いったいどうしてそういう末路をたどらなくてはならなくなったのか。

『或る女』というのは非常にさまざまな角度から読むことのできる作品なのだが、ここではこの一点にしぼって読んでみたい。

『或る女』は新橋駅の場面から始まっていく。発車間際に駅に人力車で駆けつけた葉子は、そこで待っている青年と一緒に改札を通ろうとする。

改札はこの二人の乗客を苦々しげに見やりながら、左手を延ばして待っていた。二人がてんでんに切符を出そうとする時、
「若奥様、これをお忘れになりました」
 といいながら、羽被の紺の香いの高くするさっきの車夫が、薄い大柄なセルの膝掛けを肩にかけたままあわてたように追いかけて来て、オリーヴ色の絹ハンケチに包んだ小さな物を渡そうとした。
「早く早く、早くしないと出っちまいますよ」改札がたまらなくなって癇癪声をふり立てた。
 青年の前で「若奥様」と呼ばれたのと、改札ががみがみどなり立てたので、針のように鋭い神経はすぐ彼女をあまのじゃくにした。葉子は今まで急ぎ気味であった歩みをぴったり止めてしまって、落ち付いた顔で、車夫のほうに向きなおった。

「そう御苦労よ。家に帰ったらね、きょうは帰りがおそくなるかもしれませんから、お嬢さんたちだけで校友会にいらっしゃいってそういっておくれ。それから横浜の近江屋――西洋小間物屋の近江屋が来たら、きょうこっちから出かけたからっていうようにってね」
 車夫はきょときょとと改札と葉子とをかたみがわりに見やりながら、自分が汽車にでも乗りおくれるようにあわてていた。改札の顔はだんだん険しくなって、あわや通路をしめてしまおうとした時、葉子はするするとそのほうに近よって、
「どうもすみませんでした事」
 といって切符をさし出しながら、改札の目の先で花が咲いたようにほほえんで見せた。改札はばかになったような顔つきをしながら、それでもおめおめと切符に孔を入れた。

これだけの描写で、わたしたちは彼女がどういう女性かわかってしまう。まず、汽車の時刻に代表されるような決まり事など、無視してはばからない女性であること。ほほえんでみせるだけで改札がばかのようになってしまうほど美しい女性であること。そうして、自分の美しさを自分に備わった力として、十分に意識していること。命令されるのが大嫌いで、誇り高いこと。「若奥様」と青年の前で呼ばれたことに腹を立てる、つまり、「お嬢様」と呼ばれる年齢ではなくなりつつあるのだが、彼に対しては若い娘として振るまいたがっていること。下手な作家であれば、延々とそうした「性格」を説明するのだろうが、有島はあわただしい駅頭での、ほんの数分の出来事のうちに、彼女のおおまかなプロフィールを描き出して見せるのである。

本多秋五は「或る女をめぐって」のなかで、葉子を「前篇では、女主人公の葉子は読者の同情をひかない女である。少なくとも私には、彼女は驕慢で、得手勝手で、浪費癖があり、虚栄心ばかりが強く、いやな女に思える。おまけに彼女はウソ吐きであり、淫乱の傾向がある。」(『鑑賞日本現代文学I 有島武郎』所収)と言っているのだが、ほんとうにそうなのだろうか。

冒頭部分に続いて、乗り込んだ汽車のなかで、葉子はかつて短い同棲生活を送り、子供まで作った(だが葉子は父親の名を明かさないために誰も子供の父親が彼だとは知らない)木部孤キョウに出会う。
視線が何度か交錯する。葉子の胸に過去がよみがえる。やがて汽車は川崎のプラットフォームに入る。

そして列車が動かなくなった時、葉子はその人のかたわらにでもいるように恍惚とした顔つきで、思わず知らず左手を上げて――小指をやさしく折り曲げて――軟らかい鬢の後れ毛をかき上げていた。これは葉子が人の注意をひこうとする時にはいつでもする姿態である。

葉子はこうやって木部の注意を引く。

 しかもその最後から、涼しい色合いのインバネスを羽織った木部が続くのを感づいて、葉子の心臓は思わずはっと処女の血を盛ったようにときめいた。木部が葉子の前まで来てすれすれにそのそばを通り抜けようとした時、二人の目はもう一度しみじみと出あった。木部の目は好意を込めた微笑にひたされて、葉子の出ようによっては、すぐにも物をいい出しそうに口びるさえ震えていた。

ここで葉子が少しほほえみかければ、ふたりのあいだに流れた時間はなくなったかもしれない。

葉子も今まで続けていた回想の惰力に引かされて、思わずほほえみかけたのであったが、その瞬間燕返しに、見も知りもせぬ路傍の人に与えるような、冷刻な驕慢な光をそのひとみから射出したので、木部の微笑は哀れにも枝を離れた枯れ葉のように、二人の間をむなしくひらめいて消えてしまった。葉子は木部のあわてかたを見ると、車内で彼から受けた侮辱にかなり小気味よく酬い得たという誇りを感じて、胸の中がややすがすがしくなった。

ああ、いやな女、と思う。木部はどうするのか。

木部はやせたその右肩を癖のように怒らしながら、急ぎ足に濶歩して改札口の所に近づいたが、切符を懐中から出すために立ち止まった時、深い悲しみの色を眉の間にみなぎらしながら、振り返ってじっと葉子の横顔に目を注いだ。葉子はそれを知りながらもとより侮蔑の一瞥をも与えなかった。

だが、葉子はそれでおしまいではない。

 木部が改札口を出て姿が隠れようとした時、今度は葉子の目がじっとその後ろ姿を逐いかけた。木部が見えなくなった後も、葉子の視線はそこを離れようとはしなかった。そしてその目にはさびしく涙がたまっていた。
「また会う事があるだろうか」
 葉子はそぞろに不思議な悲哀を覚えながら心の中でそういっていたのだった。

自分の美しさを力の感覚としてとらえ、相手を見くだし、その気持ちをもてあそぶだけの人間は、自分の後ろ姿を人に見せつけることはあっても、人の後ろ姿を見送ったりはしない。さらに、さびしく涙を浮かべるようなこともない。表面には表れない、むしろ意識してそういう部分を彼女は抑えようとしている。一口に「いやな女」と言うこともできない、彼女の実に複雑な性格が描かれている。雑に見ていけば決して好きになれない葉子だが、実に細部まで繊細に描かれた、複雑な陰影を持った女性なのである。

ここで葉子の転落の過程を簡単に見ていこう。

誕生……裕福な家に生まれる。父親は開業医、母は基督教婦人同盟副会長の著名人である。

十四歳……キリスト教の寄宿学校にいた葉子は、十四歳の頃、キリストに捧げようと、絹糸で帯を縫い始める。ところがそれを男への贈り物と誤解され、醜い容貌の舎監に責められる。それを機に葉子は変容する。

十五歳……「十も年上な立派な恋人を持っていた。葉子はその青年を思うさま翻弄した。青年はまもなく自殺同様な死に方をした。一度生血の味をしめた虎の子のような渇欲が葉子の心を打ちのめすようになったのはそれからの事である。」

十九歳……日清戦争の従軍記者として一躍脚光を浴びた木部孤キョウと結婚。二ヶ月後に離別。

二十歳……木部の子供定子を出産。産後乳母に預け、自分は社交界の花形になる。

二十五歳……新聞に根も葉もない不倫記事が、母親と一緒に載ってしまう。木村の奔走で母の汚名は晴らされたが、葉子の方は晴れることはなかった。このときのことを感謝し、母は勝手に木村が申し出た葉子との結婚を承諾してしまう。やがて葉子の両親は相次いで死去。葉子はアメリカに渡った木村のもとに嫁ぐことになる。物語は実際にはここから始まる。

九月……絵島丸で横浜を出航。そこで事務長の倉地三吉に会う。まもなくふたりは恋愛関係になる。

十月……アメリカに着くが葉子は体調不良を理由に絵島丸から下船しない。迎えに来た木村も追い返す。

十一月……日本に戻ってきたが、自分と倉地の関係が新聞に暴かれる。一緒に乗船していた田川夫人のリークである。倉地は船会社をクビになる。倉地は離婚しふたりは同棲を始める。

十二月……葉子の方は倉地の愛を得ただけで十分なのだが、倉地はそうではない。倉地はスパイ活動を始める。葉子は金の調達を木村に頼むことを考える。

二月……倉地はスパイ活動を告白する。「倉地が自分のためにどれほどの堕落でも汚辱でも甘んじて犯すか、それをさせてみて、満足しても満足しても満足しきらない自分の心の不足を満たしたかった。」

三月……葉子は体調を崩し始める。

五月から六月……痛みが強くなるとともに、成長して美しくなった妹に嫉妬し、倉地と妹の中を邪推し、ヒステリーを起こす。木村からの送金も途絶える。

七月……倉地はいよいよスパイ活動にのめりこみ、葉子への興味を失い、とうとう行方しれずになっていく。最後、手術に失敗した葉子は、ひとり「痛い痛い」と呻きながら死を待つ。

こうやって見てみると、それ以前にもさしたる遺産もなく両親が相次いで亡くなり、自分の子供と妹二人の面倒を見るための経済的負担が葉子の双肩にかかったことを始めとして、徐々に転落の条件は整っていくのだが、決定的な一歩を踏み出したのは、やはり倉地に会ったことである。
倉地に会うまでの葉子が求めていたのは、力の感覚だった。もし彼女が男に生まれていたら、その力の感覚は、仕事や社会的な地位を獲得することによって得られたはずである。だが、当時にあって女でありながら力を発揮することは不可能に近かった。社会活動に尽力し、名士とされていた彼女の母親でさえ、実生活では不本意な思いをすることも多かったのである。

仮に予定通りにアメリカに行けば、日本とはちがう環境で、彼女は自分の野心を満たすことができるような場を見つけることができたかもしれない。だが、木村はどうしても好きにはなれなかったし、葉子は倉地に会ってしまった。

それが日本でもない、アメリカでもない、海の上だった、ということは重要な点だろう。葉子と倉地の恋愛は、「船上」という特殊な共同体、かつ時間的にも、日本を離れ、アメリカに着くまでという、宙づりにされた時間であったために許されたようなものだった。そうして、本来なら限られた場と時間だったものを、葉子は強引に日常に持ち込もうとした。

葉子は自分のすべてを倉地に注ぎ込む。だが、倉地にとって恋愛はすべてではない。まるで仁右衛門が松川農場を去っていったように、倉地はひとりで葉子の下から去る。葉子はひとり残される。


わたしたちは共同体のなかに生まれる。自分自身を意識するようになるより前に、子供として、家族の一員として、人のなかにいることをあたりまえのようにとらえている。家族を意識するようになるのは、おそらくは幼稚園や学校にあがってから、もうひとつの共同体にも属するようになってからだ。

わたしたちはひとつの共同体の内部にいるだけときは、その共同体のことに気がつかない。家の外に出ていかなければ、家の中が世界のすべてである。だから家族を家族と見ることもできないし、自分と家族の関係を考えてみることもない。つまり、わたしたちはいったんそこから離れてみて、そこを外から眺めることができるようになって、あるいは別のものと比較することで、初めて自分が所属している共同体のことを意識するようになる。

共同体を意識し始める頃、「自分」をも意識するようになる。ほかの人間ではない自分。自分がやりたいように行動すると、家族のほかの人間と、あるいは学校のほかの子供とぶつかるようになる。周囲との衝突によって、自分が自分であるという意識は強いものになっていく。束縛があるから自由の意味がわかるし、命令されるから抵抗の意識も生まれるのだ。

『或る女』の主人公、早月葉子は「自分」であろうとした。そうして力の感覚を味わい、自分が支配できる相手を求めたり、捨てたりしてきたのである。けれども、そうした力は彼女がほんとうに求めているものではなかった。彼女が属する共同体が認める相手ではなく、自分が愛するに足る相手を見つけ、そうして全身全霊をかけて愛そうとした。

ある時期が過ぎてしまうと、わたしたちの多くは、自分というものを厳しく問いつめることをやめてしまう。とくに共同体に対して責任を負う側になっていくと、自分のことよりも、共同体を守るほうに意識は向かっていくのである。

外部から、共同体に対して攻撃をしかけてくるような敵。
内部にいる異分子。いつまでも「自分」の意志ばかりを主張し、調和を乱すような人間。
そうした異質な者は排除しにかかる。排除することで、結束を固めようとするのである。

「転落小説」の
・地位も資産もある、美しく魅力的な若い女性が
・徐々に転落していき
・最終的に死ぬことで作品が終わる
というのは、共同体の側からすれば、
・共同体の一部に場所が用意されているにもかかわらず
・その位置に不満を言い、抵抗を続け
・一員になろうとしないので排除する
ということでもあるのだ。

このように、共同体を脅かす存在を排除することによって、いっそうの結束を固めていく、という性質もまた、共同体のひとつの側面なのである。


6.有島武郎の不思議


ドナルド・キーンは「太宰治の文学」(『日本の作家』所収)のなかで、太宰治の「走れメロス」や「駆け込み訴え」「新ハムレット」の作品のように、外国人を登場人物に置いた作品に関して、「異人の登場人物は、完全に日本人にしたくなかったかのように、それでいてまことしやかな異人の人物を作り上げることができなかったように、二つの世界の間に不安定にぶらさがっているように思われる。……ちょうど外国の作家が日本人について書いた小説が(日本の読者の目で見る限りでは)何かこう誤っているように思われるように、これらのヨーロッパ文学の翻案物は私の心を動かさない」と書いている。確かに、メロスにしても、ユダにしても、キリストにしても、西洋人の目から見ると、不自然なのかもしれない、というのはなんとなくわかるような気もする。

だが、同じそのキーンが、有島武郎の処女作『かんかん虫』に関しては「外国の中に外国人を登場させるという思いきった手法は、西欧を完全に理解したと信じる有島の信念を間接的ながら物語るものであった。そして有島のその信念は、決して誤りではなかった」(『日本文学の歴史 11 近代・現代篇2』)と評価している。有島の描いたロシア人は、アメリカ人であるキーンが見て、不自然さを感じない、太宰のように「二つの世界の間に不安定にぶらさがっているよう」ものではなかったのだ。

1903年から1906年にかけて有島はアメリカのハヴァフォード大学で修士学位を取り、さらにそののちハーバードに移っている。単に外国生活の経験があるということにとどまらず、語学の能力もずいぶんあっただろうし、また勉強量もものすごかっただろうことは想像に難くない。さらに彼は精神病院で看護師として働いた時期もある。

ただ、同じ経験を積んだとしても、「西欧を完全に理解したと信じる」ことができるようになるかどうかはわからない。外国を舞台に、外国人を主人公にして描くとき、その外国人になりきれる資質のようなものがあるような気がする。たとえロシアのドゥニバー湾に降り注ぐ夏の日差しを知らなくても、船底で働く『かんかん虫』の仕事を知らなくても、有島の作品を読めば、船底を叩くやかましい音を聞くことができるし、その場の熱を感じることもできる。

あるいは、たとえ北海道の冬を知らなくても、松川農場のはずれの掘っ建て小屋のなかで、すきま風の吹きこむ暗闇の中で、三枚の塩煎餅を争う仁右衛門とその妻の空腹も、必死の思いも理解できるし、赤ん坊を間にはさんでわらにくるまって眠るその凍えるような寒さも、寒さの中で、それでもしだいに人の体で暖まってくる暖かさも感じることができる。

前田愛の『近代文学の女たち』のなかでは、『或る女』のこんな場面が引用されている。葉子が自分が産んでから乳母にあずけている子供の定子のところへ行こうとして、取りやめ、行けなくなったという手紙とまとまったお金を人力車夫に頼んで乳母のところへ届けさせる。行くのをやめたくせに、つい定子のいる乳母の家の近くまで、ふらふらと行ってしまう場面である。

葉子の口びるは暖かい桃の皮のような定子の頬の膚ざわりにあこがれた。葉子の手はもうめれんすの弾力のある軟らかい触感を感じていた。葉子の膝はふうわりとした軽い重みを覚えていた。耳には子供のアクセントが焼き付いた。目には、曲がり角の朽ちかかった黒板塀を透して、木部から稟けた笑窪のできる笑顔が否応なしに吸い付いて来た。……乳房はくすむったかった。

赤ん坊の重さも感触も、葉子の体が覚えている、という場面である。
この部分に関して、前田はこのように言っている。

 この『或る女』というのは女性が書いた小説ではなくて、まちがいなく男性が書いた小説です。しかし男性がこういう女性の描写をするのは非常に難しいんです。たとえば乳房ひとつ書くにしても、それはたくさんの作家が書いているけれども、女性になりかわって乳房の感じを書くのは難しい。(…略…)

 有島の場合には、女性の体にかかわる想像力というものがことのほか豊かであったということです。これは実生活でもそうだったらしい。有島が外国から帰ってくるのは明治四十年ですけども、フランスから船に乗りまして、インド洋を経て日本に帰ってくる。その途中で『アンナ・カレーニナ』を英訳で読んでるんですが、そのときに船中で音楽会が催される、ある中年の女性がバイオリンを弾いている。そうすると有島はその曲を聴きながら、自分がバイオリンになったような気がするんです。弓が私の弦に触れるたびに心臓が震えだすと。私がその女性の中に入ってしまった。それで私の中に彼女がいる。そういうふうに書いています。そういう想像力のはたらきを、有島はもっていた人だと思うんです。

(前田愛『近代文学の女たち ―『にごりえ』から『武蔵野夫人』まで』 岩波書店)

なにしろバイオリンにまでなれるぐらいなのだから、女性であろうが、ロシア人労働者であろうが、農夫であろうが、ミッションスクールに通う小学生であろうが、そのなかに容易に入って行けたのだろう。相手に感応して、自分と相手の境を消してしまい、相手のなかに入っていくというのは、「想像力のはたらき」というのとは多少ちがうように思える。もっと身体的な感覚なのだ。自分の身体と相手の身体の境界が、共にあることによって曖昧になっていく感覚。これは言葉ではなかなか説明できないのだが、確かにわかるような気がする(わからない人にはわからないだろうという気もする)。おそらくは有島の場合、この感応力がことのほか高かったのだろうと思う。

こうして自分の身体から外に出て、異なる身体と解け合うことができるような感応力を持っていた有島だからこそ、共同体ということにことのほか敏感だったのではないか。

人間はひとりでは生きていけない。何らかの価値を求めて、いくつかの共同体に属していく。共同体は、そのなかで人を育て、保護していくものでもある。

個人を包み込み、秩序と規範の内に置くもの。秩序と規範に従わない者に関しては排除するもの。有島は共同体のそうした両面を、さまざまなかたちで問題にしていった作家であるように思う。
共同体の中心ではなく、やや、あるいは大きくはずれた位置にある人間の中に入り込みながら、あるいは自分の中にその人物を生かしながら、彼らを鏡のようにして共同体を描いていったのである。

ここでもういちど『一房の葡萄』に戻ってみよう。規範を逸脱した主人公をとがめる級長は、もし先生がいなければ、そのまま主人公を共同体から排除しただろう。けれども先生は、排除するのではなく、無条件で許すことを教えた。この教えによって、クリスチャンではなかった級長は排除されただろうか。級長は、確かにおもしろくはなかっただろう。けれども、この先生の教えの方向は、ちがう考え、ちがう背景をもった級長をも同時に受け入れようとするものではなかったか。ここに、共同体の性格とは少しちがう、共に生きることを求めようとする方向性があるように思うのだ。

共同体とはちがう、共に生きること。それは『一房の葡萄』の、おとぎ話の世界でのみ、可能なことなのかもしれない。けれども、葉子や仁右衛門も共に生きられるような、そのような世界をわたしたちは夢に見てもいいような気がする。





初出Jan.08-21 2008 改訂Feb.06 2008

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