芸術家たち 蝶


ところであなたは芸術家を知っていますか?
ピアノを教えている知人はいても、あるいは、知り合いが句集を出した、CDを出した、個展を開いた、という話を聞いて、半ばつきあいで作品を買ったり、展示場へ赴いたりした経験があったとしても、そういう人がいわゆる「芸術家」に当てはまるかどうか、悩むところである。
わたしたちは「芸術家」に関して、かなりはっきりとしたイメージを持っている。
芸術のための芸術に邁進する人、少しエキセントリックだけれど、きわめて純粋な人、一般人にはない、特殊な才能を持った人……。
そういうイメージは、いったいどこから来たのだろう?
そう、わたしたちは小説で、あるいは映画やドラマで芸術家のことを知ったのだ。
小説には、音楽家、画家、詩人、もちろん作家など、さまざまな芸術家が頻繁に登場する。そうした芸術家はいったいどこにいるのだろう。彼らは物語の「女王様」や「魔法使い」のように、空想上の生き物なのだろうか。あるいは、実在の、わたしたちとどれほどもちがわない人間なのだろうか。
わたしたちは描かれた芸術家を読むことを通して、いったい何を思うのだろう。描かれた芸術家には、いったいどんな魅力があるのだろう。

さまざまな作品に描かれた芸術家を見ながら、そうしたことを考えてみたい。


1.なぜ描くか 〜藤沢周平『溟(くら)い海』


藤沢周平の短編『溟い海』の主人公は、葛飾北斎である。

作品の舞台は1833年、このときすでに北斎は七十三歳。二年前、「富岳三十六景」で衆目を驚かせたものの、それ以降はぱっとせず、世間からは盛りの過ぎた大家とみなされている。

無名時代の長かった北斎は、四十半ばから、憑かれたように世間を騒がせるようなことをやってきた。

 音羽護国寺の境内で大達磨を描いた。本所合羽干場では馬、両国の回向院で布袋を描いた。評判を聞いて集まった人々が見まもる中で、百二十畳敷の紙をひろげた上に、藁箒で墨絵を描きあげるのである。米粒に、躍動する雀二羽を描いたのもその頃である。指先に隅をなすって描いたり、紙を横にして逆絵を描いたりもした。

 新兵衛(※版元)は、それを香具師の啖呵にすぎないというのだ。北斎はそれを否定することが出来ない。現実に、そうして得た人気をテコにして、読本の挿絵を描いては第一人者という、評判と地位を手に入れた。効果的に、あくどくやったと自分でも思うことがある。

(藤沢周平「溟い海」『暗殺の年輪』所収 文春文庫)

だがそれは単に売名行為というだけではなかった。北斎は単に無名でいることに耐えられなかったばかりではない。

 月並みなものに爪を立てたくなるもの、世間をあッと言わせたいものが、北斎の中に動く。北斎ここにあり、そう叫びたがるものが、北斎の内部、奧深いところに棲み、猛々しい身ぶりで歩き回ることをやめない。

そののち、北斎は「表皮を剥奪」し、「肉を削がれ」たような富士を描いていった。そうして「富岳三十六景」は、北斎の思惑通り、世間をあっといわせた。
それから二年、北斎は日増しに人気が高まっていく安藤広重と彼の「東海道」が気になってならない。なかなかその版画を見る機会に恵まれない北斎は、弟子たちに聞いてみる。

「お前さん、東海道を見たってかい」
「はあ、見ました」…(略)…

「で、どんな風なのだ。お前たちがみた東海道を聞かせてもらおうか」
「あたしは、思ったより平凡な感じをうけましたが」
と、北渓が言った。
「思ったよりというのは、世間の評判ほどでない、という意味もありますが、絵そのものが。大体そういう感じでした」
「やはり風景か」
「ええ、風景です。東海道の宿場を、丁寧にひき写したもので、よくまとめてはありました。しかし、構図にしろ、色にしろ、あッと息を呑むような工夫はなかったです。たとえば、先生の富嶽のような、前人未踏といった感じのものは、一枚もないですな」

あるとき北斎は版元に呼ばれる。広重の東海道の初刷りが手に入ったから見に来ないか、と誘いを受けたのだ。そこで北斎は初めて広重に会う。もの静かな中年の男。慎重な話しぶり。ところが横顔に大きな黒子を見つける。「それは、広重の柔らかい物腰を裏切って、ひどく傲岸なものに見えた」。
広重が帰ったのちに、北斎はとうとう広重の版画を見ることができる。

 構図、手法、材料、色の平凡さは、疑い得ないのだ。…この平凡さの中に、広重は何かを隠していないか。大店の主人のような風貌が、目立たないところに、ほとんど獰猛な感じさえする黒子を隠していたように、だ。

 一枚の絵の前で、北斎はふと手を休めた。隠されている何も見えないことに、疲れたのである。結局広重は、そこにある風景を素直に描いたにすぎないのだと思った。

 そう思ったとき、北斎の眼から、突然鱗が落ちた。

 まるで霧が退いて行くようだった。霧が退いて、その跡に、東海道がもつ平凡さの、ただならない全貌が浮かび上がってきたのである。

 広重は、むしろつとめて、あるがままの風景を描いているのだった。

 描いたというより、あるいは切り取ったというべきかも知れない、と北斎は息をつめながら思った。北斎も風景を切りとる。ただしそれはあくまで画材としてだ。それが画材と北斎との格闘の末に絵になることもあれば、材料のまま捨てられることもある。

 広重と風景との格闘は、多分切りとる時に演じられるのだ。そこで広重は、無数にある風景の中から、人間の哀歓が息づく風景を、つまり人生の一部をもぎとる。あとはそれをつとめて平明に、あるがままに描いたと北斎は思った。

北斎は「東海道五十三次のうち蒲原」を見ながら、絵の中にふるひそやかな雪の音と一緒に、巨峰北斎が崩れていく音も一緒に聞く。

鳴り物入りで出した「富嶽百景」は不評だった。
心の奥深いところに咆哮する声のまま「九十歳、なおその奧をきわめるだろう。百歳にして、正に神妙ならんか」と書いたことまでもが、不評のために、落ち目の老絵描きの遠吠えと受けとられてしまう。
そのころ、本来ならば自分のところに来るはずだった風景画の注文が、広重のところに回った話を聞く。広重に対する憎しみが募り、とうとう北斎は無頼の徒を雇うことにする。広重を襲撃させるのだ。

 若僧が、いい気になりやがって、と北斎は呟いたが、それは低いうなり声にしか聞こえなかった。

 木曾街道を、広重に描かせたくなかった。街道風景を描くことは、広重にとっては、故郷に帰るようなものだ。…

 なぶり殺しにされてたまるか、と北斎は思う。富嶽三十六景――その栄光は遠い。それは何といとおしく、遙かかなたにあることか。いまここに蹲っているのは、老醜の巨体だけだった。すでに、心の底に、暗く咆哮するものの気配を聞かなくなって久しい。

暗がりに潜んでいる北斎たちのところへ広重がやってくる。ところが目の前、月に照らされた広重の表情は暗い。このあいだ、版元で見た柔和な気色は影も形もない。

「やめた」
 と、北斎は応えた。何かが脱落し、心はほとんど和らいでいた。渋面をつくりやがって、と思った。正視を憚るようだった。陰惨な表情。その中身は勿論知るよしもない。ただこうは言えた。絵には係わりがない。そこにはもっと異質な、生の人間の打ちひしがれた顔があった、と。言えばそれは、人生である時絶望的に躓き、回復不可能のその深傷を、隠して生きている者の顔だったのだ。北斎の七十年の人生が、そう証言していた。

広重を襲うことをやめた北斎だったが、金の持ち合わせがなかったために、逆にならず者たちに殴る蹴るの暴行を受ける。なんとか杖を頼りに家に戻った北斎は、手と顔の血を洗い流し、やりかけの仕事にふたたび向かう。

 絹布の上に、一羽の海鵜が、黒々と身構えている。羽毛は寒気にそそけ立ち、裸の岩を掴んだまま、趾は凍ってしまっている。

 北斎は、長い間鵜を見つめたあと、やがて筆を動かして背景を染めはじめた。はじめに蒼黒くうねる海を描いたが、描くよりも長い時間をかけて、その線と色をつぶしてしまった。漠として暗いものが、その孤独な鵜を包みはじめていた。猛々しい眼で、鵜はやがて夜が明けるのを待っているようだったが、仄かな明るみがありながら、海は執拗に暗かった。

「猛々しい眼」で夜が明けるのを待つのは、画家の姿でもある。
広重が隠す「深傷」の存在に気づいた北斎は、広重の中に自分の姿を見た。そこにいたのはライヴァルではない、自分自身だった。

広重の姿を通して自分自身にふたたび向き合った北斎の内側に、「猛々しい眼」をした鵜が戻ってくる。暗い凍えるような闇の中、鵜には日の出を待つことしかできない。それでもいつかは夜は明ける、と信じる以外にない。

さて、北斎に絵を描かせる、そうしておそらくは広重にも絵を描かせている「奧深いところに棲み、猛々しい身ぶりで歩き回ることをやめない」もの、「心の底に咆哮するもの」とはいったい何なのだろう。これについて、もう少し考えてみよう。


2.心に潜む虎 〜中島敦『山月記』


「奥深いところに棲み、猛々しい身ぶりで歩き回ることをやめない」もの、とくれば、当然浮かんでくるのが中島敦『山月記』である。
これはかつて高校の教科書に収録されていて、多くの日本人はこの作品に教科書でふれることになった。

『山月記』は青空文庫で読むことができるのだが、ここで簡単にこの作品を見ておこう。

隴西の李徴は若くして官吏に登用されるが、下吏に甘んじるよりは、と詩作に没頭するようになる。ところが文名は上がらず、生活は苦しくなり、半ば詩作をあきらめ、地方に下ることにする。ところが一年ほどして、行方不明になる。

一方、李徴のかつての同朋で、いまは中央の高官にのぼりつめている袁さん(※人偏+參)が都へ帰る途中、虎に会う。危うく襲いかかるところでやめた虎は、人間の声で「あぶないところだった」と繰りかえす。それを聞いた袁さんは、李徴ではないか、と尋ねる。袁さんは狷介な李徴のほとんどただひとりの友人だったのだ。虎は「如何にも自分は隴西の李徴である」と忍び泣きとともに答える。そこから李徴が虎になったいきさつが語られ、それでも一日のうち数時間は人間の心が返ってくる。そのときには詩作もする。その詩を聞いてほしい。そうして、一部でも後代に伝えてほしい、と言う。

虎になった李徴はさらにいう。

 何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

夜明けが近いことを知った李徴は、もうひとつ、妻子の行く末を頼み、消えていく。

学校ではこの作品を読むとかならず「どうして李徴は虎になったのか」という質問がでてくる。いわゆる「読解のポイント」である。そうして、作品の中から「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という語句を見つけ出し、それがその答えであるとされる。
さらにはどうして「自尊心」が「尊大」ではなく「臆病」なのか、「羞恥心」は「臆病」ではなく「尊大」なのか、まで考えることを求められる。

その「正解」はおそらくこんなものだろう。
自分のなかに才能がある、と頼みにする気持ちはあったが、もし自分がそれほどのものでなかったらどうしよう、と考えて、その才能をとことん磨いていこうとはしなかった。だからこの自尊心は「臆病」なのである。
かといって、自分の才能に見切りをつけ、平凡な官吏として生きることもできなかった。だからこの「羞恥心」は「尊大」なのである。

ところでわたしは昔から疑問だったのだが、前半の「臆病な自尊心」はともかく、後半は、果たして「羞恥心」と呼べるものなのだろうか。
wikipedia で「羞恥心」の項目を見ると、このような記述がある。

羞恥心は、自我や自尊心の延長に有る概念で、恥となる行動をしてしまった場合に感じるものである。

いったい李徴はどういう「恥」となる行動をしてしまったのだろう。中島敦は「己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」と書くのみで、これを「恥」の行動と考えることはちょっとむずかしい。

さて、この「羞恥心」ということを「恥」と分けて考察した本がある。作田啓一「羞恥の文学」(『仮構の感動』所収 筑摩書房)は太宰治の文学を「羞恥」をキーワードに読み解いた大変おもしろい評論なのだけれど、ここではこの本を参考にしながら、『山月記』をもう少し考えてみたい。

モデルを職業としている人が、裸になって、画室でモデルを勤めているという場合に、モデルは別にはじらいを感じないですね。しかし、その画家が自分に対して特別の関心を抱いている、というふうに思った瞬間、そのモデルは急に羞恥心に襲われる。それはなぜか、ということです。

 モデルとして画家に対している場合には、モデルは自分を眺める視線が普遍性という観点に立った視線であることを疑わない。つまり画家一般、モデル一般という普遍的な関係の枠の中で、画家とモデルという状況が設定されている。…しかし、突然そこに個別性の観点が入ってきて、画家がモデル一般に対して抱いている関心ではなくて、まさに特定の女性として自分を眺めているかもしれない、と思ったとたんに、当惑――「はにかみ」が起こってくる。つまり普遍的であるべき状況の中に、いきなり個別的なものが持ち込まれるというときの当惑ですね。

 それとちょうど反対の場合も起こり得るわけで、たとえば二人の男女が愛を語り合っているときに、ひょっとしたら相手は自分を誰かと比較しているのではないか、あるいは恋愛におちいっている人間はこのような状態になるのだ、ということを観察しているのではなかろうか、という想念がふと念頭に浮かぶと、突然羞恥心が起こってくる。…ですから「恥」の感情と区別される「はにかみ」というのは、普遍性と個別性という二つの視線が交錯する状況において起こってくる、というふうに考えることができます。

(作田啓一『仮構の感動』筑摩書房)

羞恥心とは、自分の属するふたつの集団から向けられるまなざしが交錯するときに起こってくる。
たとえば、小学生のときの参観日、「家」のお母さんが「教室」の後ろに立って自分を見ている。そのとき、自分は何をしていなくても、わけもなく「恥ずかしい」。
田舎から都会に出てくる。周囲に馴染むために、訛りを隠し、共通語で話している。そういう姿を同郷の人間に見られると、自分の気取りを見透かされたように感じて「恥ずかしい」。
わたしたちの「羞恥」の意識は、わたしたちが属する二種類の集団から向けられるまなざしが交錯するところで生まれてくる、という説明は、非常に説得力を持つ。

ここから作田は「日本の社会はその社会構造の点で、二重の視線が交錯する状況が非常に起こりやすい」という。

 集団に所属するということと、安定した自我を持つということは両立しない、つまり集団に所属することは自我を失うことであるから、集団に完全にはまりこんでいる人は自我の弱い人である、同調性が強くて、自分自身を持たない人だけが集団に完全に埋没する、というような考え方がひろく広がっております。しかし私の考えでは事実はそれと反対であって、われわれが自分自身について持っている自信というものは、けっして自分一人でつくり上げたものではなく、安定した集団に依りかかっているから自身ができたのだ、ということだと思います。

 集団にしっかりと所属している人は、強い自信を持ちうる。そうでない人間は、いつも自分に対して自信を持つことができない。

『山月記』の「羞恥心」の意味も、こう考えるとよくわかってくる。
李徴は「己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった」とあるように、詩人としての集団に依りかかることもできず、いっぽうで官吏としての集団に依りかかることもできなかった。

どちらかの集団にはっきりと依拠することができれば、「自分は官吏である」「自分は詩人である」と強い自信を持つことができ、羞恥心を覚えることはなかった。だが、官吏の集団に対しては、詩人としてふるまい、反面、詩人の集団には進んで参加することができなかった李徴は、つねに「羞恥心」を味わっていたのである。
やがて詩人となることをあきらめた李徴は、官吏の一員となる。けれども、自分は周囲とはちがう、という思いは捨てることができない。
自分は詩人なのだ。
だが、そういう評価をしてくれる人はいない。「羞恥心」はいやがうえにも強まっていく。そこで一種の転倒が起こる。
自分は詩人だ。その証拠に、凡俗な連中のなかに入っていることにがまんがならないではないか。
作品ではなく、まわりからの評価ではなく、自分のなかにあっては「羞恥心」が詩人であることの根拠となっていく。こうしてその「羞恥心」はいよいよ「尊大な」ものになる。
官吏(生活者)のなかにあって、詩人(芸術家)であろうとしたために生じた「羞恥心」は、一方で李徴にとっては、詩人である証し、拠り所ともなっていくのである。

ある日李徴は「戸外で誰かが我が名を呼んでいる」のを聞く。「奧深いところに棲み、猛々しい身ぶりで歩き回ることをやめない」もの、「心の底に咆哮するもの」(『溟い海』)が李徴を呼んだのである。
おまえはそれでいいのか。
それで生きられるのか。

そうして李徴は「心の底に咆哮するもの」を解き放ち、虎になった。

一睡してから、ふと眼を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫んで走っていた。何か身体中に力が充ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手先や肱のあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。

この描写は美しい。短いけれど、躍動感に満ちている。人間の集団というくびき、すなわち、「他者のまなざし」から解き放たれた虎は美しい。
ところが袁さんの前に出ると、ふたたび「羞恥心」は戻ってくる。ふたたび「他者のまなざし」の前に自分をさらさなければならないからである。

人間でありながら、虎の姿をしている自分にたまらない「羞恥心」を覚えながらも、李徴は袁さんと話さずにはいられない。それは、自分が作った詩を書き留めてほしいからだ。書き留めてほしい、広く、世に問いたい、後世に残したい、それ以前に、たったひとりでも袁さんに聞いてほしい。聞いてほしい、知ってほしいという欲望は、虎となったおのれの姿を見られる「羞恥心」をもしのぐものだった。

詩は、詩ばかりでなく、文学にしても、絵にしても、楽器の演奏にしても、いかなる文化的表現行為も、あらかじめ受け手を前提としたものだ。それを聞いてくれる他者がいなくては、どんな表現行為も成立しない。「他者のまなざし」のないところでは、芸術活動は不可能だ。

袁さんは感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか、と。

李徴に欠けているものはなんだったのだろう。
それはわたしにはわからない。ある作品を「一流」にして、ある作品を「一流」にしない「何ものか」は、さまざまにあるだろう。
けれども李徴は作品ではなく、自分自身に欠落したものについてこのように考える。

人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。

「奧深いところに棲み、猛々しい身ぶりで歩き回ることをやめない」もの、「心の底に咆哮する」「猛獣」は、同時に「他者のまなざし」のなかでしか生きられないものである。
人に注目され、評価されればしばらくはおとなしくなり、やがてまたつぎの作品を求めてうごめき始める。
認められなければ、そのまま姿を消すかもしれない。ほかのものに姿を変えるのかもしれない。
官吏として生きる李徴のなかでは「羞恥心」となった。李徴はこの「羞恥心」に依拠するしかなく、その「羞恥心」を太らせ、やがてそれに身をのっとられてしまったのである。彼に欠けていたのは、その猛獣を制御する力だった。いったいどんな力がこの猛獣を制御することができるのだろう。

さらに李徴は袁さんに妻子のことを頼み、「飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ」と自嘲する。
いかにも芸術家らしいふるまいである。
生活と芸術を対置し、芸術の方を重要視する。そのために、生活をともにする家族など、捨ててかえりみることがない。この態度をつきつめていくと、芥川龍之介の「地獄変」の主人公、娘が焼かれるさまを写し取る絵師良秀の姿になっていく。

李徴は「芸術家」であろうとした。文名があがらず、いったんは「生活者」のなかに身を置いたが、どうしても「生活者」となることができず、そのあいだで引き裂かれ、虎になってしまった。

この「生活者」対「芸術家」という対立の構図は、ほかにも多くの文学に出てくる。「猛獣を制御する力」を考える前に、もう少しこの対立を見てみよう。


3.芸術家か生活者か 〜太宰治『人間失格』


この『人間失格』は、「生活者」対「芸術家」の対立を根底に据えた作品である。作品のなかにこのような場面がある。

 またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、対義語の当てっこでした。黒のアント(対義語(アントニム)の略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。…

「罪。罪のアントニムは、何だろう。これは、むずかしいぞ」
 と何気無さそうな表情を装って、言うのでした。
「法律さ」
 堀木が平然とそう答えましたので、自分は堀木の顔を見直しました。近くのビルの明滅するネオンサインの赤い光を受けて、堀木の顔は、鬼刑事の如く威厳ありげに見えました。自分は、つくづく呆れかえり、
「罪ってのは、君、そんなものじゃないだろう」
 罪の対義語が、法律とは! しかし、世間の人たちは、みんなそれくらいに簡単に考えて、澄まして暮しているのかも知れません。…

 罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容れざるもの。罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……

これは決して単なる言葉遊びなどではない。それが証拠に、物語の決定的な場面の直前に出てくる。罰の対義語としての罪と、罰の同義語としての罪。これはいったいどういうことなのだろう。その前に、この対立を軸に作品全体を見てみよう。

第一の手記はこの文章から始まる。

 恥の多い生涯を送って来ました。
 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。

ここでまず「生活者」対「芸術家」という図式が出てくる。
主人公は自分は人間の生活が見当のつかない、空腹ということすら理解できない非生活者、すなわち、はっきりと明言することはないけれど、「芸術家」であると自分のことを規定している。

なぜ「恥の多い生涯」なのか。
葉蔵は「芸術家」でありながら、幼い頃から自分をほかの人間と同じ「生活者」であるふりをしてきた。「生活者」の一員として、みんなに混ざって生活したいと望みながら、「芸術家」である自分は、そのなかに入ることができない。「芸術家」と「生活者」という「二重の視線の交錯」が葉蔵の羞恥心を生んできたのである。

だが、周囲を偽る一方で、だれかに自分の真実、自分が芸術家であることを認めてほしかった。
そんなある日、主人公はこんな経験をする。

 その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁きました。
「ワザ。ワザ」
 自分は震撼しました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。
 それからの日々の、自分の不安と恐怖。

だが、これ以降の竹一に対する執着ぶりは、単に不安と恐怖とばかりは言えないように思える。むしろ、「ワザ」とやったと見破った竹一こそ、自分の真実の姿を認めてくれる存在なのかもしれないという期待がどこかにあったのではないか。「親友のように」竹一につきまとったのは、「彼が秘密を口走らないように監視していたい」と思う一方で、彼におもねる気持ちがあったとは考えられないか。だからこそほかのだれにも見せなかった自分の絵、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、という自画像を竹一に見せるのである。

竹一は、主人公の期待通り「お前は、偉い絵画きになる」という評価をしてくれた。求める回答を得た主人公には、もはや竹一は必要ではなくなる。そこで竹一は作品から姿を消す。

やがて主人公は東京に出て画塾で堀木正雄という青年に出会う。
この堀木は、葉蔵の「対義語」にあたる人物、「芸術家でありながら生活者のふりをする」主人公とは逆に、「芸術家を気取る生活者」である。
彼の手引きで主人公は「酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想」を知るようになるが、一方でこの無頼を気取る自称芸術家はつましい生活者である。

「おい、おい、座蒲団の糸を切らないでくれよ」
 自分は話をしながら、自分の敷いている座蒲団の綴糸というのか、くくり紐というのか、あの総のような四隅の糸の一つを無意識に指先でもてあそび、ぐいと引っぱったりなどしていたのでした。堀木は、堀木の家の品物なら、座蒲団の糸一本でも惜しいらしく、恥じる色も無く、それこそ、眼に角を立てて、自分をとがめるのでした。考えてみると、堀木は、これまで自分との附合いに於いて何一つ失ってはいなかったのです。
 堀木の老母が、おしるこを二つお盆に載せて持って来ました。
「あ、これは」
 と堀木は、しんからの孝行息子のように、老母に向って恐縮し、言葉づかいも不自然なくらい丁寧に、
「すみません、おしるこですか。豪気だなあ。こんな心配は、要らなかったんですよ。用事で、すぐ外出しなけれゃいけないんですから。いいえ、でも、せっかくの御自慢のおしるこを、もったいない。いただきます。お前も一つ、どうだい。おふくろが、わざわざ作ってくれたんだ。ああ、こいつあ、うめえや。豪気だなあ」
 と、まんざら芝居でも無いみたいに、ひどく喜び、おいしそうに食べるのです。

主人公が「芸術家」でありながら「生活者」のふりをしようとしてきたのとは逆に、堀木は、根はここまで実直な「生活者」なのである。

登場人物には、堀木を始めとして、ヒラメ、画商など、さまざまな「生活者」の男たちが登場する。彼らはみな「生活者」としての罪、欲望からの罪を犯していく。

一方で、ひたすらに葉蔵を許す女たちもつぎつぎに登場する。
彼女たちは「生活者」の真似をしながらどうしても周囲と行き違ってしまう葉蔵を、ひたすら許す。だが、だれも「芸術家」としての葉蔵を認めるものではない。そのために、葉蔵は女たちがどれだけ許しを与えたとしても、許しを実感できない。彼が求めていたのは、自分がほんとうは「芸術家」である、という承認だった。さらにその承認してくれることを求めていた対象があったのだ。

作品には、あらゆる登場人物が、同義語、あるいは対義語としての存在を持つ。ところがたったひとり、同義語も対義語も持たない人間がいる。
それは主人公の父親である。この作品の中で父親は特別な位置、一種の「神」の位置にある。
葉蔵がほんとうに許しを求めていたのは(「芸術家」として認められたかったのは)父親からだったのだ。最後の方で、精神病院に強制入院の措置をとられた葉蔵は、父親の死をそこで聞くことになる。

 父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜けたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。

こうして主人公は承認される相手を失って、闇の中にただひとり取り残されるのだ。
だが、話を少し端折りすぎた。重要なポイントを見るために、物語を少し戻ってみよう。

いくつかの女性遍歴を経て、葉蔵は自身の「同義語」であるヨシ子と出会う。
彼女は作品に出てくる、唯一「生活者」ではない女性である。
「芸術家」である主人公がどうして「生活者」になれないかというと、欲望ということがわからないからだ。欲望を持たない、イノセントな存在であるから、ともいえる。
葉蔵のイノセンスを分かち持つヨシ子は、葉蔵の「同義語」、もうひとりの葉蔵である。
このヨシ子と生活をする時期、例外的に葉蔵は家長として、ヨシ子を養う。一時的に葉蔵が「生活者」となる時期なのである。

最初にあげた堀木との同義語・対義語遊びは、主人公が「生活者」となり、同義語のヨシ子と生活をする、嵐の前の静けさのような場面で行われたものだ。
「生活者」の犯す欲望からの罪ならば、法律が定める罰が対義語となる。
だが、「芸術家」の犯す罪というのは、「生活者」ではないこと、言い換えれば、「生活者」から超越し、高い位置から世間というものを俯瞰しているという罪である。
そこで与えられる罰とは、超越している自分は周囲の誰からも認められない、という罰である。
その意味で、「芸術家」の罪と罰は同義語である、と言葉遊びの中で主人公は思いいたる。

直後、堀木の手引きによって、ヨシ子が画商に犯されている場面を目撃することになる。
これは決定的な場面である。

これまで女性からひたすら許されてきていた葉蔵は、ここでほんとうならヨシ子を許さなければならない。許す側に回ったら、おそらく葉蔵は、自分がほんとうに求めていた許しが得られたはずなのだ。

(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

主人公は、堀木との会話のなかで、「(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです」という。
主人公はこれまで世間から受け入れられることを願っていた。そのために「芸術家」であることを隠して「生活者」であるふりをしていた。
だがその一方で、「芸術家」であると認められたい、とも願っていた。
これまでずっと自分が相手にしていたのは「世間」だったけれど、実は、世間なんてものは、個人じゃないか、というところまでたどりついた。
自分が求めていたのは、個人、それも、父ただひとりなんじゃないか、と気がつくところまで、あと一歩なのだ。そうして、その「父からの許し」というのは、ほかならぬ自分の意識が生みだした幻想でしかない、というところまで、あと一歩、というか、実際には手が届いていた。

許しは誰かから得られるものではなく、自分が許すことによって、その対立そのものを無効とすることでしか得られない。
許し、というのは、つまり「生活者」対「芸術家」の対立などというものは、自分の意識が生みだした幻想でしかないのだ、ということに、主人公はほとんど気がつきかけている。

ところが主人公はそれができない、というか、太宰はおそらく漠然と気がつきながら(気がついてなかったら、こんな場面を設定することはできないだろう)、それに答えを出すことができなかった。
主人公を成長させて、「芸術家」対「生活者」という図式の外に連れ出し、「父」の同義語になることで、ヨシ子を許さなければならなかったのに、作者はそういう展開の筋道を作っていくことができなかった。

もしここで主人公が、ヨシ子と一緒に辛がるのではなく、つまり自分のイノセンスが「生活者」に陵辱されたと感じるのではなく、あるいはまた「芸術家」である自分に下された「罰」である、と感じるのではなく、自分の愛する他者が陵辱されたのだと感じることができ、憤ることができ、そうして許しを与えることができたら、そういう筋道を太宰の側が用意できたら、『人間失格』という作品が生まれることはなかっただろうけれど、別の作品が生まれただろう、そうしておそらく作者は死ななくて良かっただろう。

だが、太宰は日本の近代文学が作り出した「生活者」対「芸術家」という図式を壊すことができなかったのである。

実はこの「生活者」対「芸術家」という図式は、二葉亭四迷の『浮雲』以降、近代の日本文学が繰りかえし扱ってきたテーマなのである。
伊藤整の『改訂 文学入門』にはその歴史的経緯がのべられているが、それを簡単にまとめると、以下のようなものとなる。

明治という時代が始まり、古い制度が全部滅びると、新しい知識や技術を持っている人びとは、絶対数が少なかったために、どんどん出世することができた。
それが明治中期ごろになると、技術や学問を持っている人間も増えてくる。競争も増し、積極的に仕事をしようと思うと、周囲とぶつかることが多くなってきた。
そういうなかで、自分の身についた知識や技術を生かそうと思っても、働くことで人を蹴落とし、あるいは人に蹴落とされ、屈辱的で反人間的な生活を送らざるを得なくなってくる。

良心を持ち、汚れのない仕事をしようとする人は、親の仕事も引き継がず、勤め人にもならず、家庭など壊してしまって飛び出したほうがいい。
やがてこうした考え方を、身をもって実践する人々が出てきた。それが自然主義系の私小説家である。

大正から昭和初期にかけての作家の多くはこういう人々であったし、読者も、「たとえ貧乏をし、破滅しようとも、良心を持った人間の、自己を偽らない生活、または清らかな生活の典型がここにある」(『改訂 文学入門』)として、「芸術家」が描いた「芸術家」の生活のありのままの記録として、その作品を読んでいたのである。

中島敦も太宰治も私小説家ではない。それでも多くの読者は『山月記』の李徴に中島敦を重ね合わせ、『人間失格』を太宰治の告白として読んできた。

確かにそれらの作品は、作家の告白ではない。それでも、やはり根底には「生活者」対「芸術家」という対立の構造は、抜きがたくある。
あるいはまた、わたしたちの「芸術家観」のなかにも、それは色濃く反映されている。
芸術のために生活を犠牲にする人、生活力はないけれど純粋に理想を追い求める人……。

確かに「芸術家」対「生活者」というのは、日本の文学の流れのなかで、必然的に生まれてきた図式だった。それでも「芸術家」と「生活者」は根本的に対立するものなのだろうか。
たとえばこの作品はどうだろう。

 真夜中を過ぎてから、窓辺に座って絵を描いた。もう一度眠ろうとしたけれど、寝返りを打つばかりで眠れなかったのだ。それで、赤ん坊が寝ている多くの夜にやるように、わたしは仕事机に向かった。まず、シャープな線を描いた。ある顔の輪郭の曲線だ。オイル・パステルでそれに色を塗った。それをさらに何度も描き、指の爪で余分な絵の具を削った。わたしはそれを何層も重ねて描き、色を塗り、爪で削り、ふたたび描いた。そのうち、絵のどこか下のほうから顔が浮かび上がってくるように見えてきた。バスケットに入れておいた雑誌の切り抜きを顔の一部――鼻、横向きの唇――の形に慎重に切り取り、それを糊で貼りつけ、オイル・ペイントをこすりつけた。

(メアリー・モリス『シングル・マザー』斉藤英治訳 筑摩書房)

シングル・マザーとして赤ん坊を育てながら、宝石のデザインと修理でかつかつの生活を送っている主人公は、一方で画家としてコラージュを作る。このコラージュの底に浮かびあがる顔は、幼い頃に捨てられた母なのである。
『シングル・マザー』の原題は "A Mother's Love"(ひとりの母親の愛)。これにはシングル・マザーである主人公と、自分を捨てた母の両方の意味がある。主人公は自分を捨てた母を求めながら、逆に、自分が母親となることで、自分自身を救っていく。『人間失格』では父親からの承認を求めながら、ついに自分が父親になることはなかった主人公だが、この作品の女性は、救済を与えることによって、みずからが救済されていくのだ。

果たして彼女は生活者なのか、それとも芸術家なのか。
この問いそのものに、もはや現代のわたしたちは、意味を見出すことはできないのではないだろうか。芸術家というのは、生活者から超越した存在ではなく、生活者として日々の生活を営みながら、その一方で何かを生みだそうと努力を続ける人ではないのか。

もう一度『人間失格』に戻ろう。
「恥の多い生涯を送って来ました」という葉蔵の「羞恥心」は、李徴とも共通する感覚である。
「生活者」のふりをして、周囲の生活者を欺いている、という罪の意識にとらわれた葉蔵も、「生活者」として生きることを余儀なくされ、周囲を「俗物」「瓦」と見なす李徴も、ともに「芸術家」と「生活者」という二種類の視線の交錯によって、「羞恥心」を覚えている。
ところが葉蔵が芸術家であることを示す根拠となるものは、中学生のときに竹一に見せた、いまは存在しない数枚の「お化けの絵」でしかない。
実際に作品を生みだしたことのない葉蔵の「芸術家」としてのアイデンティティを支えたのは、「生活者ではないのに生活者のふりをしている」という罪の意識だったのだ。

文名があがらず、官吏の一員として生活しなければならなくなった李徴が「尊大な羞恥心」をよりどころとしなければならなかったように、作品を生みださなかった葉蔵は「芸術家」の証拠としての罪の意識を必要としたのである。

だが、「生活者」対「芸術家」という図式のなかではあれほど深刻な問題だったはずの李徴の「尊大な羞恥心」も、葉蔵の罪の意識も、その対立そのものを取り払ってしまうと、ずいぶんピントのはずれたものになってしまう。
しょせん、李徴は「才能」はあるが、「何かが足らな」かったから、芸術家にはなれなかった。それだけの話ではないか。
葉蔵は、イノセントだったかもしれないが、漫画や春画のコピー以外に、作品を描いてさえいないではないか。
芸術家を芸術家たらしめているのは、羞恥心や罪の意識ではなく、結局は芸術作品を生みだす能力、つまり、才能ということになるのではないか。


4.才能の問題 〜チャールズ・バクスター『世界のハーモニー』


まず、才能のあるなしを単純明快に描いた作品を見てみよう。

サマセット・モームの『人間の絆』の主人公フィリップは絵の勉強にパリに渡る。そこで才能のかけらさえ感じられない拙い絵を描きながら、生活に追いつめられて自殺する女性や、あるいは享楽に身を持ち崩す学友など、さまざまな「失敗の悲劇」を目の当たりにしながら、次第に芸術そのものに疑いを持つようになる。

「あの、先生、ちょっとお話がしたいんですが。」
フォアネは、ちらりと、素早く彼を見て、気はついたらしいが、別に、笑顔一つ返すでない。
「言って御覧。」
「私は、もうこれで二年近く、先生の御指導を受けているんですが、どうか一つ、 ありのままを言っていただきたいのです。今後もつづけていくだけのものが、ありますか、どうか。」…(略)…

 フォアネは、ピクリと、軽く、肩をすくめた。
「君は、手の器用さの方は、ある程度ある。辛抱強く勉強すれば、一応描ける。努力型の画家に、なれないことはあるまい。そりゃ、君より拙い画家だって、何百人といようし、君くらいのが、また何百人といる。ただ君の見せてくれた画の限りでは、才能は、全然認められないねえ。あるものは、ただ努力と聡明さだけだ。まあ、平凡以上の画家には、なれまいねえ。」
フィリップとしては、ただ静かに答えるよりほかなかった。
「お手数をかけて、まことにすみません。なんと御礼を申し上げてよいか、わかりません。」

フォアネは、立って、行きかけたが、ふと気が変ったかのように、立ち止ると、フィリップの肩に手をかけて、
「だがね、もし君が、私の意見を聞きたいというのなら、言ってあげよう。一つ、しっかり勇気を出して、なにかほかのことを、やってみるんだねえ、ひどい言い方かもしれぬが、このことだけは、言っておこう。つまり、私が、君の齢頃だった時分にだねえ、もし誰か、この忠告をしてくれたものがあったら、私は、どんなに有難かったかしれない。そして、きっと、その忠告に従ったろうからねえ。」
 フィリップは、呆気にとられて、相手の顔を見上げた。フォアネは、無理に、唇だけで微笑したが、眼は、依然として、厳粛な、悲しげな表情をたたえていた。
「もう手おくれになってしまってから、自分の凡庸さに気がつくなどというのは、君、残酷なもんだよ。それじゃ、少しも気持は救われやしない。」
 この最後の言葉を言い終ると、彼は、軽く笑って、すばやく部屋を出て行った。

(サマセット・モーム『人間の絆(二)』中野好夫訳 新潮文庫)

結局、フィリップは伯母の死で帰国したまま、イギリスの地に留まり、そこで医学校に行くことになる。この託宣で芸術の道をすっぱりとあきらめ、医者として生きるのである。

だが、『人間の絆』のフィリップにしても、作品に登場する学友にしても、現代のわたしたちの眼から見ると、あまりに素人くさい。自分の才能を根拠なく信じこむファニー・プライスにいたっては、現代なら美大に合格するどころか、美大受験のための予備校にさえ入れないだろう。
もしかしたら、二十世紀初頭はそのようなレベルにあっても、たとえばヒトラーが一時期画学生であったように、画家を夢みることができた幸せな(考えようによっては不幸でもある)時代だったのかもしれない。

現代のアメリカの作家、チャールズ・バクスターの『世界のハーモニー』の主人公ピーター・ジェンキンズとなると、ずいぶんレベルは高くなる。
彼は中西部の小さな町の神童として、ピアニストの人生をスタートさせた。だが大学に入ると「世の中には小さな町がほかにもあるのだった。そしてその町のひとつひとつにひとりずつ天才がいる」ということを知る。さらにそこからジュリアード音楽院に進めば「そこでは才能などというものは言うに及ばず、天才そのものが実は日用品みたいにありふれた存在であることを知」るようになる。

「とてもいい。きみには才能がある」
 そこで間ができた。私はしばらく待ってから言った。「ありがとうございます」
「きみはいい家を持っているか?」と彼は言った。
「家ですか? いえ、ありませんけど」
「だったらどこかにいい家を見つけるべきだ」と彼は言って、ポケットからハンカチを取り出すと、それを私に向けて振った。「窓のある家をな。いい景色が見える窓のある家だ」
 私は彼の口ぶりが気に入らなかった。で、「家を買う余裕はありません」と言った。
「今はなくてもこの先買えるようにするんだ。いい家をな。きみときみの家族のために」
 私は話の核心に迫ろうと意を決して言った。「先生、先生はぼくの演奏についてはどう思われるんです?」
「すばらしい」と彼は言った。「きみが弾いたのはとてもむずかしい曲だ」
「それはどうも」
「そう、きみの演奏は技術的にはすばらしい」…(略)…

「何千という音符をきみは」彼は私の額に浮き出た汗を見ながら言った。「すべて正確に弾いた。ただ、ひとつ忘れているものがある」
「なんですか?」
「情熱だよ!」と彼は声を荒げて言った。「きみは情熱を忘れてるんだよ! いつもそうだ! きみの情熱はどこにあるんだ?…(略)…

「そうだ、その通りだ。きみには情熱がないんだよ。情熱がなきゃ音楽じゃない。きみの演奏は上品すぎるんだ。なんだか知らないが趣味がよすぎるんだよ。天才みたいにピアノを弾くには、少しばかりの狂気がなくちゃならない。ほんの少しでいい。…(略)…

「私が今日こんなことをきみに言うのは、遅かれ早かれ誰かが言わなければならないことだからだ。音楽の世界にいるかぎり、きみは失意の人生を送ることになるだろう。…きみはあともう一歩というところまでは行ってる。でも、溝を跳び越えることと、一インチ手前で溝に落ちることとはやはりちがういのだよ。きみは一インチ足りないのさ。もちろんこのあともレッスンを受けに来てもいい。きみならここを卒業するぐらいはできるだろう。でも、考えることだ。そしていさぎよくさよならを言うことだ。さよなら」

(チャールズ・バクスター『世界のハーモニー』田口俊樹訳 早川書房)

ジュリアードで「一インチ足りない」と言われたピーター・ジェンキンズは、新聞社で音楽の批評を書く仕事を始める。いくつかの都市で記者としての訓練を積み、やがてニューヨーク州のなかほどにある市の新聞社に職を得た。音楽会の批評を書いたり、音楽家に会ってインタヴュー記事を書いたりする仕事である。そうしてピアノ教師に言われたとおり、窓のある家を買う。

安定した職と家を得たものの、主人公はピアノを弾くことと音楽評を書く以外の余暇の過ごし方を知らない。そこで声楽専攻の学生や独演者の伴奏を引き受ける仕事を始める。
さっそく依頼してきたのは、もうじきリサイタルを開くという女性カレン・ジェンスンである。

 私たちは、ヘンデルの“忠実な羊飼い”の〈青ざめた唇から洩れる溜息〉から始めて、彼女のプログラムをひと通り演奏してみた。やり始めてすぐ私には、彼女がなぜまだニューヨーク州のこんな田舎町におり、なぜまだ生徒なのかわかった。彼女はいい声をしていた。音階も明瞭で的確だった。どことなくビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(だと思う)を思わせるスタイルで、有節発音もすばらしかった。それだけを取り上げれば、彼女は充分プロとして通用するだろう。が、音調を保たなければならないところで、彼女のピッチはどうしようもなくぐらつくのだった。それは滑稽なほどというわけではない。相手が素人ならおそらく気づかれずにすむだろう。しかし私には悲惨としかほかに言いようがなかった。彼女は何小節かを完璧に歌ったかと思うと、半音を飛ばすのだ。そのたびに私は、見えない爪の先を頭に突き立てられるような気分になった。

耐えがたい思いにかられて、ジェンキンズはピアノを止めてしまう。そのとき、カレンの手首のブレスレットの下に「彼女の狂気が二本の平行線の傷痕となってくっきりと刻まれていた」。ジェンキンズは彼女の伴奏をすることを承諾する。

レッスンのために彼女の部屋に赴いたジェンキンズは、カレンの部屋が自分のものとそっくりであることに驚く。もっとエキセントリックな部屋を想像していたのだ。
誘われるままに彼女の用意した食事を一緒に取り、ふたりはさまざまな話をする。
カレンは、あなたはどんなふうにも見えない、どうして何者にも見えないの、と聞かれたジェンキンズは、ジュリアードでピアノ教師から言われたことを教える。「きみはとても善良な市民だ、だから狂気というものがないんだとね」
それに対して、カレンは、狂気のかわりにわたしを持ち合わせてみたら? と誘われ、ふたりは恋愛関係になる。

カレンのリサイタルには四十人の人が聴きに来た。すべて友人ばかりである。カレンはいつもどおり音を外して歌うが、聴きに来た友人たちは口々におめでとう、という。ジェンキンズは耐えられなくなって、ついに感情を爆発させてしまった。

「問題なのは音楽だ。音楽が裏切られたんだ。きみはほんとうに今夜の演奏がすばらしかったと思うのかい? 少しもすばらしくなんかなかったよ! まるで茶番だった! ぼくたちは今夜の歌を全部だめにしたんだ。そんなことをしておいてきみはよく平気でいられるね」

「わたしは歌をだめになんかしてません。わたしはそれなりに歌えたと思っています。そして感情を表現できたと思ってます。みんなわたしの歌を愉しんで聞いてくれた。わたしはそれで充分なのよ」

「おそろしい」と私は自分の怒りに酔っているのに気づきながらも言った。「きみはあと一歩というところまでは行っている。でも、きみはいい歌手じゃないんだ。無知蒙昧な連中がどう思おうと、そんなことは知ったことか。連中はきみがどういう音を出さなきゃいけないかも知らないんだ。きみはあのいやったらしいピッチのぶれのこともなんにも知らないんだよ。きみは歌を殺してるんだ。きみは歌をスイカみたいに舞台の上に落としてるんだ。それがむかつくんだよ! ぼくにはもう我慢がならないんだ。ピッチのぶれたきみの歌を聞くのは! 死んじまうよ、こんなことをしてたら」

翌朝、ジェンキンズは自宅の窓から見える林の一本の木に、首に縄を巻いた女の姿がぶらさがっているのが見えた。裸足のまま家から飛び出したジェンキンズは、それが人形であることに気がつく。それには手紙が添えられていた。

 昔ならこれがわたしだったかもしれません。でももうそんなことはないわ。でもこれであなたにも少しは考えてもらえるかもしれないと思ったのよ。わたしは歌をあきらめようとは思いません。それはそうと、あなたの演奏に欠けているのは狂気ではありません。集中力よ。あなたはひとつのことに一分以上心を集中することができないみたいね。わたしだっていろんなことに気づいているのよ。あなただけが音楽批評家ではないってことよ。この人形を大事にして、ねっ?

ピーター・ジェンキンズとカレンは、部屋のしつらえを始め、性格のさまざまな部分で、非常に似通った存在だった。音楽の面では、プロになるためには、ともにあとちょっとのところで何かが足りなかった。
ピーターは「才能」は充分なのに「狂気」に欠ける。
カレンの方は「狂気」は持ち合わせていても、「才能」という面ではどうにも足りない。

だが、たとえ恋人であっても、音程を外したままリサイタルができる彼女をピーターは許すことができない。
「溝を飛び越え」てもいないくせに、音楽を平気で続けていられる彼女が許せないのだ。根底にあるのは、自分は音楽から足を洗ったのに、という思いである。才能に決定的に欠ける彼女が、どうして平気で続けられるのか。そのような状態で音楽を続けるのは、音楽に対する冒涜ではないのか。

だが、ほんとうにピーターは音楽から足を洗ったのだろうか。
確かにジュリアードは中退した。それでも、音楽評を書き、「時間つぶしのため」伴奏のピアノを弾く。
これは音楽を続けているとはいえないのだろうか。
カレンの歌に対する評価も、音楽を続けていることのうちに入るのではないか。

カレンはおそらく才能の限界を感じて自殺未遂という「狂気」を経験した。
だが、その経験を通して、音楽のなかに自分なりの意味を見出し、自分なりに関わっていくために足場を作り出そうとした。
それがどれほど危うい足場でも、そこから生みだされるものがどれほど拙いものであろうとも、そこからなにものかを生みだしていく努力を続けているのだ。
それを「音楽ではない」と評価されても、カレンは揺らがない。

ピーターはジュリアード在籍中に「狂気が欠けている」という評価を得て、音楽家になるという夢をあきらめたものの、音楽とは関わり続けた。
だがそうやって関わるつもりなら、そこに自分の足場を築き、そこからなにものかを生みだしていこうとする努力は最低限続けていくべきではないのか。自分はもはや音楽家ではない、ということを口実に、曖昧なまま音楽と関わりつづけるそのありようが、カレンから見れば「集中力を欠く」ものと感じられたのではあるまいか。

もういちどモームの『人間の絆』を見てみよう。
先生(フォアネ)に自分の絵を見てほしい、と頼んだフィリップは、内心、こんな場面を期待する。

やはり心の底では、フォアネが絵を見てくれ、そして滅多に見られない微笑が、彼の顔に浮かんで、フィリップの手を握ったかと思うと、「ああ、結構だ(パ・マル)。君続け給え。君には、才能がある、本当に才能がある。」と、言ってほしい気は、十分にあった。

だが、このような託宣は、おそらくはありえない。「才能」があったとしても、そんなものは何も保証などしてくれないのだ。教師に言えることは、「いますぐやめなさい」か、「いましばらくは続けても良い」かのどちらかでしかない。

以下の引用は小説ではない。現実の、わたしたちだれもが知っているピアニストの話だ。吉田秀和が「二十世紀の偉大なるピアニストたち」というコレクションを聴いての感想である。

 ホロヴィッツでさえ、キャリアは決して一本道ではなかった。1928年にアメリカでデビューして以来(その前からすでにロシアから西欧で広く認められてはいたのだが)、成功につぐ成功をおさめ、栄光の頂上に立っているようなキャリアをつんでいる最中、1935年、突如として活動を中止した。その原因は何だったのか? (…略…)

 1903年の生まれで、ホロヴィッツとほとんど同年代のクラウディオ・アラウが、1920年――というから十七歳だったろう――精神的な閉塞感にとらわれ、音楽を通じて自分を表現するのがうまくできなくなってしまい、結局、精神分析の治療を受けたという話は、これまで知らなかった。(…略…)

 私はよく思うのだ。グレン・グールドが50年代の中ごろのあのセンセーショナルな成功のあと、間もなく、ステージでの演奏活動をやめ、録音スタジオにこもってしまったというのも、本人があれこれ主張するだけでは、これまでにいろんな本に出ているが、それでも、私はまだ完全に納得はできてない。アルゲリッチがここ何年とソロ・リサイタルをほとんどやらず、合奏とか公開レッスンとかに時間を費やしている姿を見聞きするにつれ、私が感じるのも、グールドとは違うけれど、しかし、大ホールで満員の客に囲まれ、その熱心な眼差しと関心を一身に集めながら、全身全霊を傾倒して、ショパンやリスト、ラヴェル、プロコフィエフなどをひいているのに、耐えられなくなった何かが、彼女の中にも生まれてきたからではないか。

「「二十世紀の偉大なピアニストたち」より」『吉田秀和全集 24』所収 白水社

吉田はこのあとピアノという楽器の特殊性に話を続けていくのだが、決してそれだけではないように思う。
並はずれて際立った能力を、幼い段階から発揮している人を、わたしたちは「神童」と呼び、その能力を発揮し続ける人をさらに「天才」と称し、そういう人のことを「才能がある」と考えるのだけれど、たとえどれほどその能力が際立っていたとしても、それだけでは何ものをも意味しない。
ホロヴィッツやグールドやアルゲリッチのような人々でさえ、そのキャリアを一時中断させたり、後退させたりしている。「才能」というものが仮にあるとしたら、こういう人ほどその言葉にふさわしい人々もいないだろう。けれども、そういう人々でさえ、「才能」は、その人が音楽を続けていける保証を与えてくれるものではないのだ。

確かにそれを職業として、そこから報酬を得られるところまでのぼりつめることができる人はいる。多くの人に感動を与え、後世に名を残すことができる人もいる。そうしてその数は限られている。

だが、たとえそういう人であっても、やはり自分がその音楽とどのように関わっていくかは問われるのである。音楽のなかにその人なりの足場を築いて、なにものかを生みだしていく努力はつづけていかなくてはならない。
そうして、そこで生みだされたものは、それぞれのレベルに応じてつねに評価されつづける。

「やめなさい」という評価を受ければ、もういちど、自分の音楽と、あるいは美術と、文学との意味を見直しは求められる。
それによって、せっかくそれまでに築いた足場を捨てていかなければならなくなるかもしれない。軌道修正も必要だろう。それでも別の場所で、別の種類の足場を築いていくだけの話だ。何らかのかたちで関わる以上、その努力は終わることはない。

だがこれはまるでわたしたちの毎日のありようそのものではないか。
わたしたちは仕事をする。あるいは、勉強をする。そこでは常に評価される。
フィリップの先生、フォアネは「一つ、しっかり勇気を出して、なにかほかのことを、やってみるんだねえ」と言うが、その「なにかほかのこと」においても、評価は続いていくのだ。
自分なりに仕事の意味を考え、自分がその仕事を通して、より望ましいことができるように、少しずつ足場を固めていく。これは誰にとっても必要なことだ。
「奥深いところに棲み、猛々しい身ぶりで歩き回ることをやめない」ものさえわたしたちは知っている。
わたしたちの内側には、自分が持って生まれた能力を十分に発揮させることを求めてやまない衝動がある。自分の存在を維持し、拡大し、強くなろうとする衝動は、ときに荒々しく、激しいもので、内側からわたしたちを揺さぶるのだ。
おそらくは芸術家というのは、より深いところでの意味づけが求められ、生みだすものに対しては、質の高いもの、あるいは深いもの、感情に直接働きかける要素の強いものが求められる。それはわたしたちが想像する以上に、厳しいものなのかもしれない。
それでも、つまるところ、わたしたちと「芸術家」のちがいというのは、それだけのものではあるまいか。

わたしはここでも「生活者」と「芸術家」のありように、本質的なちがいがあるようには考えられないのだ。

さて、いよいよまとめに入っていこう。
芸術家の登場する作品をわたしたちが読む意味は何なのだろうか。


5.なぜそこに感動があるのか 〜芥川龍之介『戯作三昧』とヘミングウェイ『移動祝祭日』


芥川龍之介の短編に戯作三昧という作品がある。

この作品は曲亭(滝沢)馬琴を主人公にしている。
馬琴は『南総里見八犬伝』を書いているところである。舞台が天保二年(1832年)とあるから、1814年から書きだして1842年に大団円に漕ぎつけている、実に28年間に及ぶ作品の三分の二あたりにいるところだろうか。

九月の朝、馬琴が銭湯の風呂に入っている場面から物語は始まる。
馬琴のところに「どういたしまして、いっこう結構じゃございません。結構と言や、先生、八犬伝はいよいよ出でて、いよいよ奇なり、結構なお出来でございますな。」と、読者がやってくる。自分の作品を愛好してくれる読者に対する好意と同時に軽蔑を感じながら、馬琴は適当に話を合わせるつもりでも、文学者としての沽券に関わる点になると、どうしても譲れない。かならずしも真意の伝わらない会話を交わしたあと、湯に浸かっていると、今度は聞こえよがしに、八犬伝など水滸伝の焼き直しではないか、と悪口を言っているの者がいる。馬琴は悪口を好まない。意気阻喪するからではなく、逆に「後の創作的動機に、反動的なものが加わる」ことを怖れるためである。そこで彼は風呂を出る。

家へ帰ると版元が待っている。八犬伝の一方で、同じく馬琴が書いている『金瓶梅』に、先日捕らえられた鼠小僧次郎太夫の話を盛り込んでくれないか、と依頼する。断る馬琴に対して、今度は他の読み本の書き手の話を始める。種彦がどう、春水がどう、と馬琴の神経を逆なでするかのような話を持ち出して、もういちど、鼠小僧次郎太の登場を依頼したので、腹を立てた馬琴は版元を追い返す。

そこへ渡辺崋山がやってくる。
崋山は絵を描いた、と持ってきたのである。崋山は言う。

「古人の絵を見るたびに、私はいつもどうしてこう描けるだろうと思いますな。木でも石でも人物でも、皆その木なり石なり人物なりになり切って、しかもその中に描いた古人の心もちが、悠々として生きている。あれだけは実に大したものです。まだ私などは、そこへ行くと、子供ほどにも出来ていません。」

 馬琴は崋山が自分の絵のことばかり考えているのを、妬ましいような心もちで眺めながら、いつになくこんな諧謔を弄した。
「それは後生も恐ろしい。だから私どもはただ、古人と後生との間にはさまって、身動きもならずに、押され押され進むのです。もっともこれは私どもばかりではありますまい。古人もそうだったし、後生もそうでしょう。」

「いかにも進まなければ、すぐに押し倒される。するとまず一足でも進む工夫が、肝腎らしいようですな。」
「さよう、それが何よりも肝腎です。」(…略…)

「八犬伝は相変らず、捗がお行きですか。」
 やがて、崋山が話題を別な方面に開いた。
「いや、一向はかどらんでしかたがありません。これも古人には及ばないようです。」
「御老人がそんなことを言っては、困りますな。」

「困るのなら、私の方が誰よりも困っています。しかしどうしても、これで行けるところまで行くよりほかはない。そう思って、私はこのごろ八犬伝と討死の覚悟をしました。」
 こう言って、馬琴は自ら恥ずるもののように、苦笑した。
「たかが戯作だと思っても、そうはいかないことが多いのでね。」
「それは私の絵でも同じことです。どうせやり出したからには、私も行けるところまでは行き切りたいと思っています。」
「お互いに討死ですかな。」
 二人は声を立てて、笑った。が、その笑い声の中には、二人だけにしかわからないある寂しさが流れている。と同時にまた、主人と客とは、ひとしくこの寂しさから、一種の力強い興奮を感じた。

崋山が帰ったあと、胸に残る興奮を抱きながら机に向かう。ところが自分が書いたものを読み返してみて、その粗雑さに言葉を失う。自分に能力があると思ったのは、とんでもないうぬぼれだったのか。
そこへ浅草に遊びに行った孫が戻ってくる。
孫は祖父に、毎日よく勉強なさい、癇癪を起こしちゃいけません、よく辛抱なさい、と浅草の観音様が言っていた、と告げる。

 馬琴の心に、厳粛な何物かが刹那にひらめいたのは、この時である。彼の唇には幸福な微笑が浮んだ。それとともに彼の眼には、いつか涙がいっぱいになった。この冗談は太郎が考え出したのか、あるいはまた母が教えてやったのか、それは彼の問うところではない。この時、この孫の口から、こういう語を聞いたのが、不思議なのである。
「観音様がそう言ったか。勉強しろ。癇癪を起すな。そうしてもっとよく辛抱しろ。」
 六十何歳かの老芸術家は、涙の中に笑いながら、子供のようにうなずいた。

その夜、ふたたび馬琴は机に向かう。

 始め筆を下した時、彼の頭の中には、かすかな光のようなものが動いていた。が、十行二十行と、筆が進むのに従って、その光のようなものは、次第に大きさを増して来る。経験上、その何であるかを知っていた馬琴は、注意に注意をして、筆を運んで行った。神来の興は火と少しも変りがない。起すことを知らなければ、一度燃えても、すぐにまた消えてしまう。(…略…)

「あせるな。そうして出来るだけ、深く考えろ。」
 馬琴はややもすれば走りそうな筆をいましめながら、何度もこう自分にささやいた。が、頭の中にはもうさっきの星を砕いたようなものが、川よりも早く流れている。そうしてそれが刻々に力を加えて来て、否応なしに彼を押しやってしまう。
 彼の耳にはいつか、蟋蟀の声が聞えなくなった。彼の眼にも、円行燈のかすかな光が、今は少しも苦にならない。筆はおのずから勢いを生じて、一気に紙の上をすべりはじめる。彼は神人と相搏つような態度で、ほとんど必死に書きつづけた。

これで終わってしまえば良さそうなものなのだが、芥川龍之介はこのあとわざわざ顔を出してきて、こんなことを言うのだ。

 この時彼の王者のような眼に映っていたものは、利害でもなければ、愛憎でもない。まして毀誉に煩わされる心などは、とうに眼底を払って消えてしまった。あるのは、ただ不可思議な悦びである。あるいは恍惚たる悲壮の感激である。この感激を知らないものに、どうして戯作三昧の心境が味到されよう。どうして戯作者の厳かな魂が理解されよう。ここにこそ「人生」は、あらゆるその残滓を洗って、まるで新しい鉱石のように、美しく作者の前に、輝いているではないか。……

この短編を読むわたしたちは、だれであっても、崋山と馬琴が対座して、古人の作品に圧倒される、と言いながらも、行けるところまで行こう、と言い合うふたりの言葉に勇気づけられるはずだ。自分の書いたものを読み返し、索漠たる気分に襲われるのも、誰しもが理解できる心情であるし、子供の声を通して「観音様」の声を聞く、そうした一種の啓示のようなものを受けとる、というのも理解できる。そうして、最後の場面、一心不乱に机に向かう馬琴の姿は、「戯作者の厳かな魂」を理解しなくても、わたしたちの胸を打つし、勇気づけるのだ。
それは、わたしたちは同じようなことを実際に体験して知っているからだ。

だが、そのような体験は、あわただしい毎日の中で、わたしたちに意識されることもなく流れていってしまう。
そんなとき、作品を読むことによって、こうした体験はより増幅された形で、あるいは劇的に、わたしたちの前に現れる。それを読みながら、わたしたちは自分の体験を重ねあわせ、その作品を「生きる」のである。そうすることで、自分自身に向かい合い、気がつかなかった自分を知り、作品や登場人物を通して世界を見ることで、これまでとは少しちがう(深い)形で、世界を知っていく。そうして、もう一度、そこで生きていく勇気を得るのである。

芸術家について書かれた作品は、芸術家がいかに純粋な人であるか、生活者とは異なる人々であるかを教えてくれるものではない。そうではなくて、わたしたちと同じような人間が、より深いところで苦しみながら、何ものかを生みだしていくプロセスにわたしたちを立ち会わせてくれるものなのである。
ふだん、わたしたちは「完成品」しか見ることができない。だが、実際には見ることができないなにものかがまさにいま生みだされつつある現場に、作品を通して立ち会うことができるのだ。

 それは、あたたかく、清潔で、親しみのある気持の良いカフェだった。私はコート掛けに私の古いレインコートをかけて乾かし、ベンチの方の帽子掛けに、自分のくたびれて色のさめたフェルト帽をかけ、カフェ・オ・レを注文した。ウェイターがそれをもってくると、私はコートのポケットからノートブックを出し、鉛筆をとり出して、書きはじめた。私はミシガン湖畔について書いていた。その日は荒れた、寒い、風の吹く日だったので、物語の中でもそういうふうな日になった。私はすでに少年時代、青年時代、それから大人になりかけの時代に、晩秋のやってくるのを見てきた。そのことについて、ある場所では、他の場所でよりも、うまく書けた。それは、自己を移植することと呼ぶのだ、と私は考えた。そのことは、人間にとっても、他の成長するものにとっても、同じくらい必要なことなのだ。しかし、物語の中では、少年たちは酒を飲んでいたので、そのため、私ものどがかわいてきて、ラム酒セント・ジェイムズを注文した。寒い日には、これはすばらしい味がした。で、私はとてもいい気持ちになり、この良いマルチニークのラム酒が私の全身と私の精神をあたためるのを感じながら、書きつづけた。

 一人の女がカフェへ入ってきて、窓近くのテーブルにひとりで腰をおろした。とてもきれいな女で、新しく鋳造した貨幣みたいに新鮮な顔をしていた。雨ですがすがしく洗われた皮膚で、なめらかな肌の貨幣を鋳造できればの話だが。それに彼女の髪は黒く、カラスのぬれ羽色で、ほおのところで鈍く、ななめにカットしてあった。

 私は彼女の顔を見ると、心が乱れ、とても興奮した。私の物語の中か、どこかへ、彼女のことを入れたいと思った。けれど、彼女は、街路と入口を見守っていられるような位置に身を置いていた。だれかを待っていることがわかった。だから私は書きつづけた。

 物語はひとりでに展開していったので、それに調子をあわせて書いてゆくのに、私は苦労していた。もう一杯、ラム酒セント・ジェイムズを注文した。そして私は目を上げるたびに、あるいは鉛筆削りで鉛筆を削るたびに、その女の子を見つめた。鉛筆の削り屑は、くるくる巻いて、私の飲物をのせてある台皿の中に落ちた。

 美しいひとよ、私はあなたに出会った。そして、今、あなたは私のものだ。あなたがだれを待っているにせよ、また、私がもう二度と、あなたに会えないにしても、と私は考えた。あなたは私のものだ。全パリも私のものだ。そして、この私はこのノートブックとこの鉛筆のものだ。

 それから私は、また書く仕事にもどり、物語の中へずっと没入してしまった。今は、私がそれを書いているのだった。その物語がみずから展開しているのではなかった。私は目もあげず、時間のこともちっとも知らず、自分がどこにいるかも考えず、もうラム酒セント・ジェイムズも注文しなかった。意識はしなかったが、ラム酒セント・ジェイムズにはあきあきしていたのだ。やがて物語が終ると、私はとても疲れていた。最後の一節を読み返し、それから目を上げて、例の女の子をさがしたが、彼女は立去っていた。良い男といっしょに行ったのならいいが、と私は考えた。けれど何かしら悲しかった。

(アーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』福田陸太郎訳 岩波書店)

ヘミングウェイの死後発表された『移動祝祭日』は、ヘミングウェイ最後の作品である。若き日のことを思いだし、作品を生みだそうとする自分の姿を描くことで、そのころの自分にあった厳密な文体やエネルギー、自分に寄せる信頼を取りもどそうとする。

描かれた若き日のヘミングウェイの姿が感動的である以上に、書くことによって、書く自分を力づけようとする晩年のヘミングウェイの姿は、わたしたちの深いところに響き、鼓舞せずにはおかない。

わたしたちは、生みだされつつある瞬間に立ち会うことができるのだ。
昔、青虫を育てていたことがある。青虫はやがてサナギになり、蝶になった。セミが羽化するのを見たこともある。金魚が卵から孵るのも。
ものが生まれる瞬間というのは、いつでもわたしたちに深い感動を与える。それは、自分自身が「生きている」という感覚をもういちど呼び覚ますからだ。
芸術家を描いた作品は、それが生まれる現場へわたしたちを連れて行く。読むことを通して、わたしたちは自分の体験を増幅した形で、もういちど生き直すことができるのだ。

しなくちゃならぬことは、ただ一つの本当の文章を書くことだ。お前の知っている一番本当の文章を書くんだ。

(『移動祝祭日』)




(※注:本文3.の太宰治『人間失格』の項の「生活者」対「芸術家」の構図、あるいは登場人物の対批性など、この箇所の読解は多くを作田啓一氏の『個人主義の運命 ―近代小説と社会学』(岩波新書)に依っています。ただ、同義語・対義語、主人公を「芸術家」とする観点、父親の許しを求めていたとする点などはわたし独自のものです。理解のいたらないところ、読解でおかしな箇所があるとしたらすべてわたしの責任です。)

初出 March 26-April 04 改訂 April 15, 2007

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