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アクセル・ローズはどこへ行ったんだ?






今日はお休みだったけれど、持ち越しの仕事もあったので、普段できない雑用をなんとか片づけたあと、プリントアウトの束と本を何冊か抱えて、駅前のコーヒー屋にでかけた。

そこの店は、たぶん有線だとは思うのだけれど、ともかく洋楽がまったく無節操にかかっていて、アラニス・モリセット(たぶん)だの、陰気に歌っている若い(笑)女の子だの、フォー・レター・ワーズ以外ちっともわからないラップだのに混じって、ときどきQueenの"Bohemian Rhapsody"とか、Janis Joplinの"Me And Bobby McGee"なんかが何の脈絡もなく流れてくるのだった。

仕事をしていると、ふっと、アクセル・ローズがどしたらこしたら、という歌詞が耳に入ってきた。全然聴いたことのない曲だったのだけれど、なにしろこの十年ほど、竜宮城(笑)にいたもんだから、たいていの曲は聴いたことがない。気をつけて聴いてみると、「アクセル・ローズはどこへ行ってしまったんだ?」という部分がどうやらサビらしく、繰り返しでてくる。

耳に残る"Where did you go Axl Rose?"をメモして、家に帰って検索してみたら、そのものズバリ、"Axl Rose"というタイトルの、SR-71というバンドが歌っている曲だった(原詩はhttp://www.lyrics007.com/SR-71%20Lyrics/Axl%20Rose%20Lyrics.html)。

 アクセル・ローズ (SR-71)

エインジェルは東ボルティモアで一人暮らし
表のドアに「退去勧告」の札を下げられてしまった
ブリーチしたブロンドに、網タイツ
いまが15年前だったらどんなにいいだろう
あのころは一杯おごってくれたら、なんだって好きなようにさせてあげたけれど、
それだって悪くなかった
だけどコカインの涙と15年が過ぎて
今夜はひとりで眠る

アクセル・ローズはどこへ行ったんだ?

リッキーは一人暮らし、住んでるのはおふくろさんちの地下だけど
37年生きてきたけれど、いまのところ何一つできないまま
ヘヴィメタ野郎で髪の毛を伸ばしている
てっぺんは寂しくなってるけれど、まだロックしてるからポニー・テールだ
いま、ポスト・グランジ・アパシーに手ひどくやられている
(この世の終わりだ)

「The Vinesも The White Stripes もピンと来ないんだ。
 オレの友だちは
 あのころに連れ戻してくれる……」

アクセル・ローズはどこへ行ったんだ?

ある晩、カラオケ屋で
リッキーはBon Joviで盛り上がっていた
たぶん、歌ってたのは"Dead Or Alive"だと思う
ちょうどそのとき、エインジェルは恋に落ちたんだ
彼女にはふたりがぴったりだってわかったんだ
一緒に過去に、はまっていられる

彼は自分が80年代から出られなくたって、気にしやしない
彼女だって80年代から出られなくたって、気にしやしない
ふたりは80年代から出られなくたって、気にしやしない
おれたちみんな80年代から出られなくたって、気にしやしない

アクセル・ローズはどこへ行ったんだ?

(私訳)

"Guns'N Roses"がわからない人は、ここを↓
http://hometown.aol.com/xplorer037/gnr2.html
この人がアクセル・ローズさんです。

常に時代とずれているわたしは、八十年代には七十年代初めの音楽を聴いていたので、そのころの"Guns'N Roses"は知らない。何か、「アタマの悪そうな音楽をやってる人たちだなぁ」と、偏見を持っていたのだ。

ガンズ(語尾上げ)を聴いたのは、92年だ。
この年、わたしはバイトで、大検を受験する女の子の家庭教師をやっていたのだった。

高校を中退してしばらくブラブラしていた彼女は、名前を聞いたらだれでも知っているような企業の重役でもある父親が目の前で泣くのを見て、「なんかせな」という気になって、とりあえず大検でも受けようか、と思ったのだという。さして年のちがわないわたしたちは、先生と生徒というような厳格な関係になれるはずもなく、勉強を始めても、つい雑談に傾きがちになり、そのくせ友だちというには、共通する話題もないのだった。

彼女が何で大学までエスカレーター式に上がれる私立の高校を中退したのか、わたしは何度もその理由を聞かされたけれど、いつもそのたびごとに微妙に理由がちがって、そのくせどれもたいした理由には聞こえなくて、結局最後までよくわからないままだった。
たとえば、冬は、校則で、黒いストッキングをはかなくてはならなかったのだけれど、それがキライだったとか、カバンに同じグループであることを示すマスコットをつけるのがどうしてもイヤだったとか、そんな話だ。

ディスコ(当時はまだクラブではなくディスコだった)で踊るのは好きだったみたいだけれど、それほど遊んでいるわけでもなく、好きな子はいるようだったけれど、決まったボーイフレンドがいるわけでもない。勉強は確かにできなかったけれど、とりあえず高校一年までの単位は取っていたので、大検で数学を受けなくてもすむのが助かった。生物や歴史は、別の家庭教師がいて、わたしは英語だけ教えればそれですむ。その割にはバイト代はめっぽう良くて、逆にそのことがプレッシャーになったりもした。

とにかくやる気がない。なんとかとっかかりを探そうと部屋を見回せば、赤いギンガムチェックのベッドカバーが大きく場所を占めている、女の子らしい部屋には不似合いな、"Guns'N Roses"のポスターが、壁に貼ってある。
「ガンズが好きなんだ?」
「アクセルて、むっちゃかっこええて思わへん?」
「そぉかぁ? すぐ上半身、脱ぎたがるオトコは趣味じゃないんだ」
「あれはなぁ、ココロに傷を抱えたはることの裏返しやねんて」

アクセル・ローズのココロの傷はさておいて、わたしはこれをとっかかりにすることにした。確か彼女が持っていたのはCDではなく、カセットテープだった。92年というのは、まだそんな時代だったのだ。"Appetite for Destruction"のテープから、歌詞カードを引き出して、
"She's got a smile that it seems to me
Reminds me of childhood memories"
などという歌詞を彼女にノートに写すよう言って、研究社の中辞典を引きながら、一緒に逐語訳をしていく。
「このthatは何を指してる?」
「あれ?」
「じゃなくて、これは関係代名詞。どういう構造になってるか、わかる?」

こうやって彼女は"reckless"や"restrained"という単語も覚えたし、"I know it's hard to keep an open heart, When even friends seem out to harm you"という歌詞も、なんとか英文解釈できるようになっていった。
いまこの文章を書くために、洋楽の歌詞サイトを見れば、ずいぶんたくさんの"Guns'N Roses"の歌が歌えるのに気がつく。机の前に置いたラジカセから、アクセル・ローズのひしゃげたような英語の発音を聴きながら、どれもこれも似たり寄ったりの傷心の男の心を日本語にして、過去分詞を、仮定法を、比較級を、関係代名詞を、わたしたちは勉強していったのだ。

色素の薄い明るい色の髪と、透き通るような膚、そうして繊細な目元と、それにはどこか不似合いな、だらしのない口元の女の子だった。
大検が終わって、すぐ受験勉強というのもしんどい、だから留学したい、と言い出すこともあれば、やっぱり大学に行く、と言うこともある。
絵がやってみたい、ダンスを習ってみたい、英語がもっと話せるようになりたい……。
思いつきはいくらでも出てくるけれど、とにかくはっきりしない、突発的にやる気は出ても、長続きがしない子だった。

それでも九月の検定に合格して、わたしは十月にそこを辞めた。
合格祝いに、バスキア(いまのようにユニクロのTシャツなんかになる前のバスキアだ)の画集をあげた。ソフトカバーの洋書で、結構高かったのを覚えている。

彼女とはそれっきり、大学を受験することに決めたらまた連絡する、という彼女の言葉も、それほど当てにしないまま別れた。合格のお礼、ということで、少なからぬ額の謝礼をお母さんから受け取って、それほどのことをしなかったのに、と、ちょっと罪悪感を覚えた。

二年ほどして、たまたま友人の車に同乗しているとき、ラジオからニュースが聞こえてきた。バイクの死亡事故のニュースだった。後部座席の女性が死亡した、という。それが、彼女の名前だった。珍しい名前だったので、別人ではなかったと思う。

享年22歳。

それから何年もたつけれど、ときどき、生きている、というのは、どういうことなのだろう、と思う。

わたしは何度か死にかけている。
一番最近の出来事は、数年前。自転車の前カゴに載せたショルダーを、後ろからきたバイクにつかまれてひきずられたのだ。ハンドルにかけていたため、カバンが離れず、そのままふみきりのところまで引きずられた。一段高くなった拍子に自転車が倒れ、わたしはそのまま転倒してひどく頭を打った。目の前が暗くなり、一瞬意識が遠のいた。
警報機のカンカン鳴る音で気がついた。見ると遮断機が下りかけていて、遠くに電車が見える。わたしは自転車を押しだし、自分も転がるようにそこから出た。電車が、すわりこんだままのわたしの、そのころはまだ長かった髪の毛を吹き上げた。しばらくしてから震えがきて、そこから立ち上がるまでずいぶん時間がかかった。

死ぬというのは、あっけないものなんだ、と、そのとき思った。

死ぬことに、意味はないのだ、と。
生きることにしか、意味はないのだ、と。

そのとき、わたしはそう思ったのだった。

死と生を分けるものは何なのか、それをどう受け止めるべきなのか、いまだにはっきりとはわからない。
わたしが助かって、彼女が助からなかった「理由」。
わたしがここにいて、彼女はここにいない「理由」。

あるいは、大きな事故や災害が起こるたびに、自分がそれを免れたことの「意味」。

偶然、という言い方もある。けれども、〈因果関係〉が、わたしが状況を取捨選択と意味づけによって作りあげた〈物語り〉であるのなら(※「物語をモノガタってみる」参照)、「偶然」というのも、「偶然」という名の「物語り」ではないのだろうか。「偶然」は、はたしてこうした「因果関係という名の物語り」の外にあるものなのだろうか。

そう考えていくと、結局は自分がこの出来事をどう意味づけていくか、と言うことでしかないような気もする。

こういうふうに言うことには、ためらいがある。それでも、どこかで、危ないところを助けられた、生かされた、と思っている自分がいる。
だから、自分の「生」を無駄にしてはならないと常に思うし、ありがたい、という感謝の気持ちもある。そうして、自分を生かし、助けているのが、だれなのか、あるいは何なのかよくわからないけれど、そのことは不問にしておいてかまわないのではないか、無理に決めつけてしまう必要はないのではないか、と思ってもいる。

いっぽうで、これを他者に向けてはならない、と思う。これを他者に当てはめてしまうと、死んでしまった人は、死んでもいい、と見なされたことになる。それはちがう。自分が死なず、ほかの人が死んでしまったことに「意味」を読み込むのは、非常に不遜なことだ。

いま、自分が生きていること、こうしてここに「ある」ことは、自分を越えた大きなものに助けられているのだ、という気持ちを、わたしが個人として内側に持っていることは、少なくともわたしにとって、良いことだし、必要だし、それによって助けられてもいる。けれどもそれは内側に持っていればそれでいいことなんだ、と思う。このことを他者に向けない限りは。

わたしは自分を助けてくれた(かもしれない)誰か、あるいは何かを不問にしたまま、漠然と、感謝の気持ちを感じていたい。そうして、生かされていることの意味というものを、忘れないようにしたい。
そうして、その誰か、あるいは何かに向かって、そっと祈るのだ。自分が生きていることの意味を、どうかわたしに果たさせてください、と。
わたしが大切に思っている人たちを、どうか、お守りください、と。
どうか、わたしから奪わないでください。
この祈りが、どこへ行くか、そうしてどうなっていくかは不問にしたまま。

アクセル・ローズがどこに行ったにせよ、彼女がそのSR-71の歌を聴くことはない。
そうして、ほんの一瞬のはずみで生きているわたしは、この歌を聴いて、アクセル・ローズが好きだった女の子のことを思い出しながら、アクセル・ローズはどこへ行ったのだろう、と思う。




初出Nov.14 2005 改訂Nov.17 2005

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