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日付のある歌詞カード 〜"Being Boring"



♪ Pet Shop Boysの"Being Boring"を聞いてノスタルジーに浸ってみる


同窓会というものに出たことがない。高校を卒業して地元から離れた、ということもあるのだろうけれど、六年間同じ学校に通ったので、出たときは「やれやれ」みたいな気分の方が強くて、恥ずかしいことをあまりにたくさんしでかしてしまったそのころを、一刻も早く振り捨てたかったのかもしれないし、それから先はいつだって新しい生活に追いまくられていて、とてもじゃないけれど同窓会どころじゃなかった。

そのころの友だちとは、卒業してからもしばらくは会ったりしていた。けれど、おそらく十代から二十代にかけて、っていうのは、そういう時期なのだろうけれど、お互いにどんどん変わっていって、いつの間にか見ようとするものも、実際に目にしているものも、全然ちがうものになっていた。そうして、それに気がついたとき、わたしたちはどちらからともなく会うのをやめたのだと思う。

そのときは、それが寂しいことだとも思わなかった。ただ時が過ぎていくうちに、十代のころのようにだれかと心を通わせることは、二度とできなくないんだ、とわかってくる。それはもちろん、二十代には二十代の、三十代には三十代の、そうしておそらく四十代には四十代の、つまり、それぞれの年齢に応じた心の通わせ方というものがあるのだろうけれど、あんなふうに誰かをまるごと自分のなかに受け入れて、自分もまるごと委ねてしまって、欲も得もなく、ケンカしたり、笑いあったり、たいしたことではないけれど自分にとっては重大な秘密を打ち明けあったり、みたいなことはもう絶対にできない。それは、恋愛ともちがう。たぶん、十代っていうことに関係があるんだろう。

たまに映画や本のなかで、共に成長しながら、十年、二十年と友人であり続ける、という話が出てくる。そういう話を聞くと、すごいな、とは思うけれど、なんだかあんまり自分とは世界がちがいすぎて、正直、ピンとこない。けれども、途中で断ち切られた話、というのは、心の深いところを揺さぶる。たとえば、この歌みたいに。

ライン

Being Boring

古い写真を偶然見つけた
十代のころのパーティの招待状も一緒にあったんだ
「白い服着用のこと」というコメントに添えて、引用がしてあった
だれかの奥さんで、有名な作家でもあったらしい人が
1920年代に言ったことばだ
若い頃っていうのは、いまはもういないけれど、
閉じようとしているドアを開け放ってくれた人の言葉に励まされることがある
その人は、「わたしたちは絶対に退屈したりしない」って言ったんだよ

だって、ぼくたちが退屈な存在じゃなかったから
自分を理解する時間なら、ありあまるくらいあった
そう、ぼくらは絶対に退屈な存在じゃなかった
ドレスアップして、喧嘩して、それから思い直して仲直りして
ためらったり、終わりがいつかくるなんて心配したりしたことなんて、一度だってなかった

ぼくはこの街を出ようと、駅へ行ったんだ
背負ったリュックと一緒に不安も抱えて
誰かが言ってた「用心しとかなきゃ、何もかもなくしてしまうし
大事にしてるものだって、価値がなくなってしまうぞ」
1970年代のことだったけれど
だけどぼくは暢気なものだったし、うきうきもしていた
ぼくの靴底は厚かったし、ドラッグだって手に入れたところだった
閉じかけたドアから逃げ出して
自分が絶対に退屈な人間なんかにならないだろうと思っていた

だって、ぼくたちが退屈な存在じゃなかったから
自分を理解する時間なら、ありあまるくらいあった
そう、ぼくらは絶対に退屈な存在じゃなかった
ドレスアップして、喧嘩して、それから思い直して仲直りして
ためらったり、終わりがいつかくるなんて心配したりしたことなんて、一度だってなかった
振り返ったらたよりになる友だちがいてくれるんだ、
ぼくたちはいつだってそう思っていた

いま、ぼくは見知らぬ顔に囲まれてすわっている
借りた部屋、知らない場所
ぼくがキスした人たちも
何人かはここにいるけれど、消息不明の人もいる
1990年代になった
ほんとうは自分がそうなれるって夢を見てたわけじゃなかったんだ
自分がなりたいといつも願っていたようなものに
だけどそんな夢とは関係なく
君はどこかぼくの近くにすわってくれているはずだと思っていた

だって、ぼくたちが退屈な存在じゃなかったから
自分を理解する時間なら、ありあまるくらいあった
そう、ぼくらは絶対に退屈な存在じゃなかった
ドレスアップして、喧嘩して、それから思い直して仲直りして
ためらったり、終わりがいつかくるなんて心配したりしたことなんて、一度だってなかった
振り返ったらたよりになる友だちがいてくれるんだ、
ぼくたちはいつだってそう思っていた

(以上私訳 原詞はこちら http://fly.cc.fer.hr/~shlede/lyr/boring.html)

ライン

Behavior
Behavior
Pet Shop Boys

一連目の「だれかの奥さん」とはスコット・フィッツジェラルドの奥さんのゼルダのこと。統合失調症と診断された彼女が、〈混濁した思い出にまとまりをつけようとする絶望的な試み〉(当時の彼女の医師の話による)として書いた唯一の小説『ワルツはわたしと』のなかの[S]he refused to be bored chiefly because she wasn’t boring.という一節から来ている。「彼女は退屈な存在ではなかったために、なににも増して、退屈であることを拒んだ」、ということだろうか。

二連目 "I had scored" を「ドラッグだって手に入れたところだった」っていうのは、ちょっとやりすぎちゃってるかもしれない。ただ、自動詞scoreには「うまくやる」のほかにスラングで「麻薬を手に入れる」という意味もあるし、もちろん言っているのはそういうことだ。たぶん、その前の "My shoes were high" もドラッグと関連する言い回しなんだろうけれど、単にハイになっている、ということなのかもしれないし、shoesにそんな意味があるのかもしれない。もちろん70年代ファッションのロンドンブーツのことを表面的には言っているから、こちらはそのままにしてみた。だけど、ドラッグとか何とか、それはちょっと、と思う人は、「うまくやったところだった」ぐらいに置き換えて読んでください(笑)。

三連目の「借りた部屋、知らない場所」というのは、つまり葬儀場と理解してかまわないと思う。
わたしはあまりPet Shop Boysについて詳しいことを知っているわけではないのだけれど、これが90年の曲だということを考えると、その「いつもそばにいてくれるはずだった友だち」がAIDSで亡くなったことを歌っているのだ。

つまりこの歌は、80年代の爛熟したゲイカルチャーがエイズの登場によって一気に終息した、それを、29年の大恐慌によって終息した20年代アメリカのジャズエイジになぞらえ、ゼルダ・フィッツジェラルドの言葉を引用しながら、亡くなった「友だち」というか、恋人を悼んでいる、そういう歌なのだ。

もちろんこの歌はそんな背景事情なんて知らなくても全然かまわない、単にティーンエイジャーだったあの頃をノスタルジックに歌っているものとして聞けばいいんじゃないかと思う。
もうあのときには戻れない、っていうのは、確かに感傷だけれど、生産的な感情ばかりが「正しい」わけじゃない。音楽、特に、ポップ・ミュージックに関しては、政治的に「正しい」ことを歌っていたり、前向きな精神を持つように呼びかけたりする歌よりも感傷的な歌の方がずっとすてきなことが多い。これははっきり断言してしまってかまわないと思う(もちろん例外は常にあるけれど。たとえばU2とか)。

曲の方もノスタルジックな音だ。シンセサイザーに混じって、あれは何ていうのだろう、ホース?をふりまわす音が入っている。カッティング・ギターはもうちょっと音がシャープなのが好みなんだけど、この曲にはこのくらいおとなしめなほうがぴったりなのかもしれない(あたりまえだけど、これはレッチリの曲じゃない)。
でも、この曲を決めているのはなんといってもニール・テナントの声だ。このアルバム(どうでもいいけど、なんで邦題が「薔薇の旋律」なんだろう……)も考えたら15年も前のアルバムで、やっぱり80年代ポップのなんともいえない「薄い」音がする曲もあるんだけど、この曲は、あえてノスタルジーをねらっているから、逆に古さを感じさせない。もちろん、悲しみを感じさせながら、どこか超然としているニール・テナントのボーカルによるところが大きいのだと思う。軽く、ふわっと宙に浮いて、時を自由に行き来する感じだ。

その昔、一年以上前のCDなんて、ほしいとは思わない、と言った人がいて、一年以内の曲を聞くなんてことが滅多にないわたしはものすごく驚いてしまったのだけれど、それでもポップ・ミュージックというのは基本的にそういうものなのかもしれない。エマーソン・レイク&パーマーの「展覧会の絵」は、ものすごい名盤だと思うけれど、毎日聞くのはちょっとしんどい(いや、聞きたくなるときは三日間ぐらい毎日聞いたりして、それが過ぎるとあと一年、というより二年か三年は聞かなくなる、と言ったほうが正しいかもしれない)。

ごく短い間に何百回となく繰り返され、その後にも使い果たされずに生き延びていく音。
どうかすると頭にふっとよみがえってきて、ああ、あの曲がまた聞きたいな、いまの気分にぴったりたな、と思わせてくれる曲。
「そのときのこと」を具体的に思い出させてくれるのではなく、もっと抽象的な、普遍的なことを感じさせてくれる(たとえばノスタルジーのように)曲。
歌えるのはサビのところだけなんだけど、それでも口から流れてくる英語のフレーズ。
つまり、"Being Boring"というのは、わたしにとってそういう曲なのだ。

初出 Jan.15 2006 改訂 Feb.4 2006

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