日付のある歌詞カード 〜Porcupine Tree
16歳以上を信じるな ――"Fear of a Blank Planet" の世界
ここに出口がある
おまえはここから出ていける
――"Sleep Together"
“ラヴ”のつかないソング
「小説のなかで愛が途方もなくのさばっていることは、みなさんもよくご存じのとおりです。そしてそれが小説に害をなし、小説を単純なものにしているというわたしの意見にも、たぶん同意してくださるでしょう」とE.M.フォースターは『小説の諸相』のなかでユーモラスに語っているのだけれど、ポップ・ミュージックにしても同じことが言える。ディストーションの利いたギターやベースのリフで始まらない、アコースティック・ギターやピアノのポロポロとした音で始まるような曲は、たいていが愛の歌だ。
ベン・フォールズがピアノを弾きながら「本を一ページずつ破いていって、この本を捨ててしまおう 悲しみも怒りも 本と一緒に捨ててしまおう」(ベン・フォールズ・ファイブ "Smoke")と歌い始めると、よくよく鈍い人ではないかぎり、これは焚書の歌ではなく恋の終わりを歌っているのだとすぐに見当がつくし、「君は過去は死なないって言うけど、そんなこと言うのはやめて、(※本を燃やした)煙のにおいを嗅いでごらんよ」という箇所は、いろいろあったけどそのうちきっといい思い出になるよ、どうもありがとう、などという言葉を、きれい事だ、うそっぱちだ、と思いながら口にしたことがある人ならだれでも、この歌の言葉にならない「思い」もそのまま共有することができるはずだ。そのとき "Smoke" は「わたしの歌」になる。
ところがヘビーメタルだのハード・ロックだのにカテゴライズされる曲は、あまり恋愛を歌わない。というか、恋愛を歌ったとたん、なんとなくそういうジャンルから外れるように思えてくる。
たとえば、ロッド・スチュアートの "Maggie May" はロックと言えるだろうか?
高校生ぐらいの男の子が、夏の終わりの長くなった朝の日差しのなかで、同棲相手の寝顔を見てしまう。そこで自分より、母親の方に近い彼女との歳の差に気がついて、家に帰ろうか、学校にもどろうか、自分でも入れてくれるようなロックバンドを探そうかと考える、残酷でちょっと意地悪で、でもやっぱり彼女のことが好きで、胸が痛んで、という曲だ。マンドリンの音がなんとも繊細でキラキラした音を出していて、それがハスキーで表情豊かな声とオルガンの和音に引き継がれ、最後にまた戻ってくるマンドリンの音がとてもいいのだけれど、これがロック? なんて、分類が大好きな原理主義者に詰め寄られたら、ちょっとひるんでしまう。リズムセクションはうんざりするくらい単調だし、しかもそれを歌っているのはロッド・スチュアートだ(言っておくけれど、"Maggie May" を歌っていた頃のロッドは、"D'ya think I'm Sexy" なんて歌はまだ作ることさえ想像もしていなかったはずだ……たぶん)。
ではどういうのがロックの歌詞にふさわしいのかというと、これが実はよくわからない。
日本で言えば夏目漱石あたりにも相当しそうなイギリスの詩人コールリッジの長詩「老水夫行」は、ライブでブルース・ディッキンソンが「アホウドリに頭の上でフンをされたら、いったい何をしちゃいけないか? "The Rime of the Ancient Mariner"!」と曲の紹介をするアイアン・メイデンの歌になってしまったし、同じくコールリッジの「クーブラ・カーン」はラッシュの "Xanadu" の下敷きになっている。
かと思うとパール・ジャムの "Animal" のように、おそらく主人公は路上で暴行を受けていて、細かい設定がないだけに、かえってその暴力性が異様に生々しい歌もあるし、ツェップのようにタイトルの「天国の階段」がいったい何のメタファーなのか、どうにも焦点を結ばない歌も、ラッシュの "2112" のように、スペース・オペラのような壮大な世界観を持った歌も、ドリーム・シアターの" The Answer Lies Within " のように「人生は短い、だから失敗から学ぶのだ」という説教臭い歌もある。
だが、ラヴ・ソングが特に凝った構成を持たなくても、詳しい背景の説明などなくても、すっとその世界に入っていけるのに対し、「ママ、ぼくはたったいま、人を殺してしまったんだ」と歌っていたかと思うと、突然「ガリレオ! ガリレオ!」と叫び出したら、たいていの人はあっけにとられてしまうはず。曲想もリズムもちがう、さまざまな要素が渾然一体となった "Bohemian Rhapsody" は、まるで歌舞伎のけれんを見るような、極端に劇的な歌い方をフレディ・マーキュリーがしてくれて初めて、「なんかよぉわからんけどす、すごい……」という印象を受けるのである。「ラヴ」のつかない歌は、あらかじめハンデを背負っている、と言えるかもしれない。
おそらく多くの聴き手にとって、十歳から十五歳くらいまでの子供の歌というのはそれほど興味が持てるものではないはずだ。確かにその時期を過ごしてはいても、いろんなことを深く感じるようになった十代後半にくらべると、まだまだ子供だったし、どちらかといえば印象の薄い、部活と高校受験の日々の記憶ぐらいしかない時期である。いまの子供が置かれている問題の多い環境、と言われても、縁もゆかりもないことではあるし、どう考えたらいいかもわからない。音楽を通じてそういうことを考えるなんてゴメンだし……。
けれど、Porcupine Tree の "Fear of a Blank Planet" という「16歳以上を信じるな」というコンセプトアルバム(このコンセプトはわたしがでっち上げたので、念のため)は、全然そういうアルバムではない。全然縁もゆかりもない、まったくちがう世界の子供を歌にした曲を聴きながら、いつのまにか自分のなかへ、奥へ、おりていっているアルバムなのである。
ドラッグではなく病院で処方された薬
スティーヴン・ウィルソンはこのアルバムのコンセプトをこう語っている。
…この死ぬほど退屈してる子供は、十歳から十五歳ぐらいで、昼間はずっとカーテンを閉め切った自分の部屋にいて、プレステをやったり、i-podを聴いたり、友だちと携帯でメールをやったり、ハードコア・ポルノをインターネットで見たり、音楽だろうが、映画だろうが、ニュースも、暴力事件も、なんでもダウンロードしてる……。彼は処方薬漬けでもあるんだ。最近の親って、自分の子が問題を抱えていても、腰を下ろしてじっくり話を聞くんじゃなくて、医者のところにつれていって、薬を処方してもらうだろう、そういうのは悲劇的だと思うよ、ほんと。
一曲目、アルバムのタイトルチューンでもある"Fear of a Blank Planet" で、このアルバムの作品世界が明らかにされる。
* * *
"Fear of a Blank Pplanet"
(のっぺらぼうの惑星の恐怖)
Sunlight coming through the haze
No gaps in the blinds
To let it inside
The bed is unmade, some music still plays
日がホコリを透かして入ってくる
ブラインドには光が入ってこれるような
隙間なんてないのに
寝床は起きたまま、何か音楽がまだ鳴ってる
TV, yeah it's always on
A flicker of the screen
A movie actor screams
I'm basking in the shit flowing out of it
テレビはいつだってつけっぱなし
ちらちらしてる画面では
映画女優が悲鳴をあげてる
ぼくはそこからあふれだすゴミにどっぷり浸りきる
I'm stoned in the mall again
Terminally bored
Shuffling around the stores
And shoplifting is getting so last year's thing
ショッピングモールでまたハイになった
死ぬほど退屈しながら
店を回るけど、万引きなんかはしない
あんなもの去年で卒業したからね
Xbox is a god to me
My finger on the switch
My mother is a bitch
My father gave up ever trying to talk to me
Xボックスがぼくの神様
ぼくの指が乗ってるのはスウィッチ
ぼくのママはビッチ
ぼくのパパは僕に話しかけることなんてあきらめてる
Don't try engaging me
The vaguest of shrugs
The prescription drugs
You'll never find a person inside
ぼくに関わろうなんてしないでよ
肩をすくめたように見えたとしても
それは病院でもらった薬のせいだ
なかに個性なんてものがあるわけじゃないんだ
My face is mogadon
Curiosity
Has given up on me
I'm tuning out desires
The pills are on the rise
ぼくの顔は睡眠薬
好奇心の方がぼくを見捨てたのさ
欲望なんて感じない
薬だけが増えていく
How can I be sure I'm here?
The pills that I've been taking confuse me
I need to know that someone sees that
There's nothing left, I simply am not here
ぼくがここにいるってどうやったら確かめられる?
いつも飲んでる薬で、わけがわからなくなってるんだ
だけど誰かが気がついたんだったら知っておかなくちゃ
ここにはだれもいない、ぼくはここにいないんだって
I'm through with pornography
The acting is lame
The action is tame
Explicitly dull, or rather a lull
もうポルノはうんざりだ
芝居は野暮だし
やることはヘボだ
モロにたいくつ、っていうより眠くなっちゃう
Your mouth should be boarded up
Talking all day with nothing to say
Your shallow proclamations
All misinformation
口なんか閉じてしまえ
しゃべることなんてないのに一日中しゃべってるじゃん
そのうすっぺらな主張なんて
みんなうそっぱちじゃないか
My friend says he wants to die
He's in a band, they sound like Pearl Jam
Their clothes are all black
The music is crap
友だちは死にたいんだって
バンドをやってるんだけど、パール・ジャムそっくりだ
着るものは黒ずくめ
やってる音楽はゴミ
In school I don't concentrate
And sex is kinda fun, but just another one
Of all the empty ways of using up the day
学校じゃぼうっとしてるんだ
セックスはまあおもしろかったけど、それもただ
一日をやり過ごすくだらない方法のひとつってだけ
How can I be sure I'm here?
The pills that I've been taking confuse me
I need to know that someone sees that
There's nothing left, I simply am not here
ぼくがここにいるってどうやったら確かめられる?
いつも飲んでる薬で、わけがわからなくなってるんだ
だけど誰かが気がついたんだったら知っておかなくちゃ
ここにはだれもいない、ぼくはここにいないんだって
Bipolar disorder
Can't deal with the boredom
Bipolar disorder
Can't deal with the boredom
躁鬱病っていうのは
退屈をどうにもできないことなんだ
躁鬱病っていうのは
退屈を乗り越えられないことなんだ
Don't try to be liked
You don't mind
You feel no sun
You steal a gun
To kill time
You're somewhere
You're no where
You don't care
You catch the breeze
It still relieves
So now where?
好かれようなんて思うなよ
気にしなきゃいいんだ
日の光なんて感じない
銃を盗んだのも暇つぶし
どこかにいるんだろ
どこにもいないのか
どうでもいいさ
風が吹いてきた
そんなことでホッとするなんて
じゃ、どこへ行きゃいい?
* * *
パソコンのキーボードを叩く音、かすかな目覚まし時計の電子音、そこにディストーションの利いたギターの音が空気を引き裂くように始まるこのタイトルチューンは、冒頭の曲というだけあって、 ノリのいい、キャッチーな曲だ。アコースティック・ギター、それからドラムの音に続いて、ベースのリフが聞こえてくる。わたしがなにより、ああ Porcupine Tree の音だなあ、と思うのは、コリン・エドウィンのベースで、この人はゴムのボールが弾むような独特のリズム感を持っていて、ただリズムが正確とか響きがあるとかだけではなく、ベースラインに躍動感を与えている。このリフの上に、スティーヴン・ウィルソンの、無表情な歌声がかぶさっていく。
リフをひっくり返したようなうねうねと続くシンプルなAメロから、サビの部分(歌詞だと "How can I be sure I'm here?" から)はリチャード・バビエリのキー・ボードが印象的。この人は、ピアノを習った経験がない人にちがいない。離鍵の極端に少ない、なでるようなキータッチで、メロディではなく、奥行きを与えるためだけに音を作る。だからこの部分は音が高くなるだけでなく、キー・ボードが加わることによって、ぐっと歌われている世界が広がる。Aメロとサビ(あとはコーダ)というシンプルな作りなのだが、単調な印象を受けないのは、この部分の奥行きによるような気がする。
四分過ぎたあたりから、変拍子をはさんでインストによる再現部が始まる。リフを展開させた変拍子のギターとベースのユニゾンを経て、短いギターソロにつづいて、3/8拍子のコーダ。"Don't try to be liked" という歌詞が、いかにも Porcupine Tree らしい、どこかノスタルジアを感じさせるメロディは、きれいに二曲目につながっていく。
前のアルバムの延長というか、そんなに目新しさがない一曲目に続いて、やはりPorcupine Tree の真骨頂というのは2曲目の " My Ashes" みたいな曲かなあ、という気がする。
http://www.youtube.com/watch?v=7ndWJFGZrlUでは、どういうわけかこの曲に映画《ロスト・イン・トランスレーション》がかぶせられているのだけれど、全然歌詞とは関係ない。サビの部分はこんな歌詞。
And my ashes drift beneath the silver sky
Where a boy rides on a bike and never smiles
ぼくの灰が舞い散る 灰色の空の下
あの子がにこりともせず自転車に乗っていくところを
And my ashes fall over all the things we've said
On a box of photographs under the bed
ぼくの灰はこれまで言葉にしたすべてのものの上に降り積もっていく
ベッドの下の写真を入れた箱の上にも
スティーヴン・ウィルソンにしか絶対書けない世界、イギリスの湿度というか、鉛色の空の下の独特の匂いを感じる世界で、自分の遺灰が風に乗って舞うのを見る、という、センチメンタルでありながら、独特のざらっとした感じが曲想とよく合っている。ストリングスの音が印象的なサビの場面は、灰がきらきらしながらスローモーションで降っていく映像が目の前に浮かんでくる。
声が薄くて(でも"In Absentia"の頃にくらべると、震えるところがなくなった。喉をずいぶん鍛えたらしい)、胸のふるえが直接に伝わってくる、という歌い方が、ウィルソンの特徴が一番よく出ている。特に感情をこめなくても、そこにある悲しみも、疲れた感じもよくわかる。
コンセプトアルバム、薬漬けにされたミドルティーンの男の子の心象風景を歌っているといっても、筋のある、お話的な音楽ではない。むしろ音が色彩や情景を持っていく、という意味で、コンセプトアルバムなのだ。
そういう意味で三曲目の "Anesthetize(麻痺させる)" はとてもおもしろい。この曲は三部構成になっていて、まずモノトーンのような一部(ドラムのリズムの後半の十六分音符が、下へ下へ引きずり落ろすような効果を出している)が始まる。
A good impression of myself
Not much to conceal
I'm saying nothing
But I'm saying nothing with feel
ぼくについてのいい印象なんて
隠すほどにもありはしない
ぼくは何も言ってない
気持ちなんてこめてない
Bメロが変奏されながら間奏に入っていく。そこでゲストギタリストとして、Rushのアレックス・ライフソンがソロを弾いている。ぱっと来てぱっと弾いて帰ったんじゃないか(まったく根拠のない憶測)という気がちょっとするのだが、その場でぱっと「悲しい、悲痛な音」を出している。ライフソンの音を聴く度に、この人はなんでこんな夾雑物のないピュアな音が出せるんだろう、きっとものを考えないからにちがいない(まったく根拠のない憶測)と思う。大きくて、繊細で、生き生きとした手のもちぬしの音。ともかくこのライフソンのギターソロを受けたキーボードのソロに続いて、リズムが変わって二部に入る。ざらっとした音のギターとベースのリフがとてもいい。ここからどうなっていくだろう、ってワクワクしたところで、二部のボーカルが軽めに入っていく。
だが、このサビがわたしはものすごーく、ものすごーく気に入らないのだ。
Only apathy from the pills in me
It's all in me, all in you
と、Porcupine Tree の曲ではおなじみの解決が用意されているのである。スティーヴン・ウィルソンだったら、絶対もっといいメロディが書けるはずなのに、ちょっとここでガックリくる。この解決部からどうも二部の間奏は、流れが決まっちゃって、わたしにはあまりおもしろくない。ここからブリッジを経て続いていく、全体のコーダにあたる第三部は、またとてもいい雰囲気になるのだけれど。
このコーダ部はこんな歌詞
The water so warm that day
I was counting out the waves
And I followed their short life
As they broke on the shoreline
I could see you
But I couldn't hear you
You were holding your hat in the breeze
Turning away from me
In this moment you were stolen
There's black across the sun
あの日の海の水は温かかった
波の数を数えながら
波打ち際で砕けていく
短い命を見守っていた
君が見えた
だけど君が何を言っていたか聞こえなかった
風に帽子が飛ばされないように押さえたまま
向こうを向いてしまった
その瞬間、君の姿は消えて
闇が太陽を横切っていった
現実なのか、夢の世界なのか、映画の一場面から来た捏造された記憶なのか、どれもが入り交じった世界が提示され、寂しげでいながら、底にざらっとした感じを残したまま、この曲は終わっていく。
そこから四曲目の " Sentimental" 、これはピアノのイントロがものすごく凝ったつくりになっている。右手の和音(離鍵の少ないキータッチがここではとても生きている)は5/8と6/8が混ざり合いながら続いていくのだけれど、左手は3/8+2/8の五拍子をずっと刻んでいて(たぶん)、右と左のリズムがあったりずれたりしていく。このずれた感じに「えっ」と思わせられたまま、そこにドラム(五拍子)が加わって、リズムだけがあとに残る感じ、足を引きずりながら、きれいな場所をあるいているような、なんとも不思議な世界が提示されたところから歌が始まっていく。
危ういバランスのピアノとドラムのリズムに乗っかって、ウィルソンの薄い声が「歳なんて取りたくない」とつぶやいていくあたりはとてもいい。ベースも音を軽くしながら、それでも弾むように、乾いた音を出している。
ところがこの曲もサビのところに来ると、四拍子のありきたりなメロディになってしまう。うーん、これはこれでいいのかもしれないんですが。好みなので。ただ、わたしとしては、せっかくこれだけおもしろいリズムで始まる曲が、こんなふうにまとめられてしまうのは、ちょっとつまらないのだ。このサビ以降は主題のリズムもふつうの四拍子になってしまう。
ただ、この曲は間奏からサビにかけて、ギターが二本(一本はトレモロの音を響かせている)、キーボードいくつもの旋律がポリフォニーを形成していって、メロディラインの単調さを補うほどの音の豊かさがある(きっとアレンジメントをたいそう才能のある人がやっているにちがいない)。足を引きずってあるいている感じが、少しずつ宙に浮いていき、風に乗ってゆっくりと漂っているようだ。そうして、最初のリズムにもどってピアノがこの曲をしめくくるのだが、このときの和音は、きらめきながら空からおりてくるようだ。
五曲目"Way Out Of Here"は一転、リアルな子供の情景。あえて無表情に歌ってきたスティーヴン・ウィルソンは、この曲でだけ、ひどく悲しい声を出す。「君のことなんて忘れることにするよ きっと忘れるってぼくにはわかるんだ 千年ほどしたらね それとも来週の内には」と。彼がこんなに悲痛な声で歌う人だとは知らなかった。
この曲ではバビエリのキー・ボードがいい。キー・ボードは一貫してメロディを歌わない。悲痛なボーカルの声に逆らうように、つややかなテクスチュアを残してポリフォニックに音を重ねていく。そうして弾むようなベースラインは、この曲に不思議な力強さを与える。この歌を悲しい歌にしてしまうことにみんな反対しているかのように、バンドの音はどんどん力強さを増していく。そのためにつながらないものはつながらないまま、それぞれ楽器の音とフレーズを独立させて、はっきりと現している。曲としてまとまりがいいかどうかはともかくとして、この五曲目から最後の曲へつながっていく部分は、不思議な高揚感がある(You Tube でも見ることができるシングルカットヴァージョンでは、ここらへんがほとんどカットされていますので、念のため)。
そうしてこのアルバムの圧巻、最後の "Sleep Together"に入っていく。 http://www.youtube.com/watch?v=0yney83QKG8で聴くことができる。アニメーションはエヴァンゲリオン?なのかな。
これは「一緒に永遠の眠りにつこう」という曲なのだが、うねるようなストリングスを聴くための曲、といっていい。この曲で「歌って」いるのは、スティーヴン・ウィルソンではなくて、ストリングスと言っても良いほどだ。だが、この曲での白眉は息をするようなシンバルの音。単調にリズムを刻んでるだけじゃない(ドラムのギャヴィン・ハリスンは、強弱のアクセントが比較的単調な気がして、これ以前のアルバムではずっと、それほど好きなドラマーではなかったのだけれど、このアルバムでは三曲目のリフになるリズムとか、はっとするようなタイコの音を聞かせている)、ここでは息をするようなシンバルの音を出している。このピアニシモのシンバルの音が、キーボードのうねりにからんでいくところは吸い込まれるくらい、すごい。このうねりの底でベースが鼓動のように刻んでいく。体内に回帰していくような曲で、遠くからスティーヴン・ウィルソンの声が聞こえてくるのだ。
ここで歌詞が暗示しているのは〈死〉だ。だが、この曲の、メロディラインとは別個のストリングスやキーボードやベースやドラムが奏でるうねり、弾み、ここから感じられる一種の温みというのは何なのだろう。わたしにはよくわからない。それでもこれを聴いていると、自分の意識が内面に向けてどんどん集中していくのを感じる。もちろんハッピーエンディングを予感させるものはどこにもない。だが、これを聴いていると「永遠にここから出ていこう」と言う先は、向こう側の世界ではないような気がする。
このアルバムには、慰めなどどこにもない。救いもない。けれど、慰めのかわりに、鼓動があり、息の音がある。わたしはここで言葉をつぐむ。そうしてもう一度、アルバムの最初の曲に戻る。