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日付のある歌詞カード 〜"Catalyst" by Oceansize


トレモロと三拍子と陰影のある歌詞と


このところ、Oceansize(オーシャンサイズ)の《Effloresce》(エフローレス:開花)というアルバムをずっと聴いている。
結成が1998年で、このファーストアルバムの発売が2003年ということだから、比較的新しいバンドだ。バックグラウンドなども英語版のwikipediaに出ているくらいしか知らないのだけれど、聞けば聞くほどハマる感じで、いまやどっぷり、というところ。

基本的にはごく単純な要素を、ボーカルや複数のギター、ドラム、ベースによってさまざまな語り口で聴かせるタイプの曲の作り方をしているのだけれど、その要素の反復が決して単調に聞こえないのは、独特の緊張感をずっと維持している点にある。変拍子をところどころではさみ、フォルテシモとピアノという強弱の変化をこれでもかとつけることによって、それ自体は単純なコード進行とフレージングが非常に強い印象を残すことになる。
まだ集まって、これからどこへ行こう、と模索しているような、手探りしているような部分もあるけれど、完成度の高い、いいアルバムだと思う。

まずアルバムのオープニングはインストのごく短いナンバー。全体が三拍子で八小節のテーマが繰りかえし演奏される。アルバム全体のイントロともいえるようなこの "I am the Morning" という静かな曲は、同時に Oceansize というバンドの自己紹介でもあるようだ。

“ぼくたちはね、三拍子を基本にしてるんです。三拍子なんていっても、お上品なワルツなんかじゃありませんけどね。どうですか、このトレモロ。よく響くでしょう。高音と低音がよく揃って、低音がしっかり支えているから高音の金属的な音が強調されてるでしょう。少しノスタルジックな、シンプルなメロディに聞こえるかもしれないけど、それだけじゃないんですよ。よく聴いてみて。トレモロを使っているのは、音に空間的な拡がりを与えるためなんです。シンプルなメロディラインの向こうに、空間的な拡がりがあるでしょう。ぼくたちの音楽を聴いてリラックスなんてできない。だけど、どこかへ連れて行ってあげますよ。君の知らない世界へ。”

それから切れ目なしにつぎのナンバー、"Catalyst" に入っていく。ひっかくようなノイズとドラムの音から始まって、いきなりフォルテシモで三本のギターの重層的な音が入ってくる。オープニングナンバーが静かな Oceansize の自己紹介だとしたら、このフォルテシモは、Oceansize のハード面の自己紹介というところだろう。
イントロは4/4→3/4のパターンと4/4→4/4→4/4→3/4のパターンが交互に出てくる。このイントロにしても、サビの部分にしても、コードはDとD7の二種類だけ。極端にシンプルなコード進行が、聴く者を不安にさせる変拍子に乗って進んでいく。

そうしてフォルテシモのイントロから、一転、ボーカルがふっと抜いたような、独り言のような歌い方でメロディラインを歌い始める。“今朝、ハッと目が覚めたんだ”。強音から弱音へ、あるいは弱音から一転して極端な強音へ("Catalyst"だとサビの部分)、この唐突な交替は、この曲でも、またアルバム全体でもずいぶん見られる。まるで聴く者を驚かして楽しんでいる感じでもある。かならずしもうまくいっているばかりではなく、ときにあざとい感じもするのだけれど、それでもその直後、音のバランスが崩れないのは、ドラムの力によるところが大きい。

大ざっぱにまとめてしまえば、三拍子の旋律にメロディアスな部分を、それに対して四拍子の旋律に激しい部分を担当させて、曲相に変化をつけている。
そうして変拍子の部分では、独特の不安定感を、この一拍足りない三拍子が与えている。
その変拍子の鍵になるのがドラムの拍だ。このドラムはいろんな表情を出せるけれど、根本にあるのは、正確で、きちんと整った筋目の良い音だ。

もうひとつの特徴がトレモロを多用するギターの音。
このギターのトレモロは、「自分たちの音」を模索しようとした彼らが見つけていったもののような気がする。おもしろいのは You Tube で "Amputee" の
ライブがアップされているのだけれど、ボーカルの Mike Vennart が歌いながら、拍子で拍をとるのではなく、トレモロの細かいリズムに合わせて体を震わせていることだ。もしかしたら、「こんな音が出したい」という最初のイメージの核にあったのが、このトレモロだったのかもしれない。
ディストーションを効かせたトレモロもあるし、高い、鈴がなっているような音をさせている部分もある、あるいはトレモロ抜きで、単純にアコースティックギターの音だけを響かせている部分もあるけれど、それは逆に、つぎに出てくるトレモロを強調させるためでもあるようだ。
ときにリリカルだったり、メランコリックだったりもする三拍子の部分と、激しい四拍子の部分の双方を貫くように、ギターのトレモロはずっと流れている。

このアルバムのなかでは唯一といっていいくらい、ストレートな四拍子の "Amputee" 、ライブでは Mike Vennart が「自分たちの一番古い曲」といっているのだけれど、確かに曲の作りはほかのものに較べてずいぶんシンプルだ。
それでも、このトレモロが、まるでだれもがそこだけ知っているポール・ニザンの『アデン・アラビア』の冒頭

 ぼくは二十歳だった。 それがひとの一生で一番美しい年齢だなんて、誰にも言わせない。

ポール・ニザン『アデン・アラビア』(篠田浩一郎訳 晶文社)

みたいな感じ、若い男の子の自負心というか、孤独感というか、傷つきやすさというか、そんな微妙で繊細な感じ、剥きだしのひりひりするような感覚、刺すような痛みがそのまま音になったみたいで、とてもいい。最初に聴いたときはこのコード進行に沿って進むトレモロの音がずーっと頭のなかで鳴っていて、何をしていても出ていかなくて、ちょっと困ったくらいだ。
ともかくこのアルバムのなかでは、肩の力を抜いたリズムと、少し人を食ったようなメロディラインがおもしろい "Remember Where You Are" から、切迫した "Amputee" へ移っていく緩急のバランスが、わたしとしては一番のお気に入り。

そうしてもうひとつ、このバンドは歌詞がおもしろい。
基本的にロックのアキレス腱は歌詞だとわたしは思っていて、何か、ベタベタした恋愛をベタベタと歌っている(それでも"Maggie May" みたいに内容はどうしようもなくても、曲の感じと歌い手の表現力が相まって、なんともいえず切なくなるような歌もあるのだけれど)か、変に説教臭いもの、あるいは曖昧さをメタファーの複雑さと勘違いしたような意味不明の歌詞のものが多くて、 Rush の曲のように、曲全体を深めていくような歌詞を持つバンドは決して多くはない。
Oceansize も何を言っているのかよくわからないものもあるのだけれど、どの歌詞にしても根本には、しっかりしたイメージの核がある。そうしてその核は、読んだ本によって培われたもののように思うのだ。わたしは根本的に本を読む人が好きで、歌詞でも本に言及されたものはそれだけで好きになっちゃうという傾向がどうしてもあるから、見たいものを見てしまっているのかもしれないのだけれど。

たびたび出てくる "Amputee" はこんな歌詞だ。

Dear god you can suit yourself
 よぉ、神様、あんただって好きなようにしていいんだぜ

Oh you could be an amputee
 手足を失うぐらいですませたってよかったんだ
There's got to be
 何かあるんじゃないか
Something better than...
 それよりもっといいやりかたが

amputee (四肢切断)というタイトルの意味はこういうことなのだけれど、その中に、"I swam the long route home and I've got broken shoulders" (おれは家まで長い距離を泳いで帰ったから、肩を痛めてしまった)という部分があって、これはあきらかに以前訳したジョン・チーヴァーの「泳ぐ人」が下敷きにされている。

また三拍子でささやくように歌う "One Day All This Could Be Yours" 、ノスタルジックなメロディラインと三拍子の三拍目のドラムの十六分音符が印象的な歌はこんな歌詞だ。

たった一回の行為だった
離婚することもできなかった
それで命が君の中に吹きこまれたんだ
中絶するにも遅すぎだ

ぼくは君と十分なだけ一緒にいてやれなかった
君にふさわしい時間の半分さえも
かわいいぼくの息子

心の中で思ったっていいんだ
ぼくのことをめちゃくちゃに打ちのめしたいと思ったって
不安と捨て鉢な気分で
だけど、足をしっかり地面につけておくんだ
怖れは自分の中に閉じ込めておくんだ
ドアはみんなしっかり打ちつけておけ
ぼくはもう君のそばにはいてやれないのだから

たぶん、いつか君にもわかると思う
こうしたちょっとしたことに耐えられるようになっておけば
呼吸をするたびごとに、歩いていくごとに
君は、君自身になっていく たとえ
だれも君のことを生涯愛し続ける、と言ってくれなかったとしても
人はおだてたり落ちこませたりするものさ
永遠に離ればなれになったとしても

いつかすべてが君のものになるかもしれないのだから

この若いお父さんの胸が痛くなるような思いは、あえて感情を排してささやくように歌われるのだけれど、これを聴いているとイギリスの作家ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』(原題は "Intimacy")が根底にあるのではないか、とどうしても思ってしまう。

 生まれてからいちばん悲しい夜だ。というのもぼくは家を出て、もう二度と帰ってこないからだ。明日の朝、六年間一緒に暮らした女性が自転車に乗って仕事に出かけ、二人の間に生まれた子供たちもそれぞれボールを手にして公園に遊びに行ってしまうと、ぼくは必要なものをスーツケースに詰め込み、誰にも見つからないようにそっと家を抜け出し、地下鉄に乗ってヴィクターのところへと向かう。

ハニフ・クレイシ『ぼくは静かに揺れ動く』(中川五郎訳 角川書店)

では、"Catalyst" は何を下敷きにしているのだろう。
ここで大胆な仮説を立ててみよう。それは安部公房の『箱男』だ。



Catalyst(触媒)

今朝、ハッとして目が覚めたんだ、腹も決まった
胸は期待でいっぱいだったし、気合いだって入ってた

だけどいまは未来が不安でしょうがなくなった
いまのことはなんにもわかっちゃいないし
過去は怪しいものになってしまった

ドアを抜けて
脚を引きずりながら歩いて玄関に向かっていく
まったく同じの廊下が続き、人工的な明かりが点る

箱の中に男がいた
おれの世界をまっとうに戻すために生まれた男だ
男はわけなくおれの頭の中で叫び声を響かせる

生まれ変わるんだ
この声が触媒となって、お気楽なおれを吹き飛ばす
おれが言いたいことはまだまだあるって知ってただろ
だからすぐに助けに来てくれよ、助けに来てくれ

おれは未来が怖い
いまがわからないし、過去も信じられない
そんなことはしたくないけど
だけどいまはどうしてもそうしなきゃならないんだ
わずかな金を使って
その男におべっかをつかう

おれが疲れちまったのもムリはないだろ
今朝、ハッと飛び起きてから



安部公房の『箱男』というのは、タイトル通り、箱をかぶって町中を徘徊する男の話だ。
彼は箱の中から世界を覗く。人はそれを「箱」だと思っているから、だれも「彼」のことは気がつかない。

この作中に出てくる「ぼく」というのはいったい誰なのだろう。
箱の中で日記を書いている「箱男」なのか。

この「箱男」は最後に看護婦に箱を譲り渡して、箱から出る。そうしてこんどは医者がその箱のなかに入って「贋箱男」になる。

この曲も、箱に入った男がだれなのかよくわからない。
もちろん"in a box" には、途方に暮れて、とか、進退に窮して、みたいな意味もあるのだけれど、ここはもう「箱に入った男」と解釈してしまおう。
「おれ」はアパートの廊下でその「箱男」に会った。そうしてその「箱男」が触媒になって、「おれ」の世界は揺らぎ始めた。この揺らぎは"set my world to rights" 「おれの世界をまっとうに戻す」ものなのだ。「おれ」は生まれ変わる。

だけど生まれ変わってどうしたのだろう?
たぶん、箱を譲ってもらったのだ。「わずかな金」で。
未来からも、現在からも、過去からも切り離されて、疲れて箱に入ってしまうのだ。

『箱男』という作品が確固とした自分をもたない、自分が誰だかもよくわからない、根こぎにされた都市生活者、自分を隠し、穴から覗くことで、唯一社会との接触を保っている現代人の不安な気分を現しているように、歌詞は、気分良く目を覚ました「おれ」が箱男に会うことによって、箱男が触媒となって、過去も現在も未来からも切り離されてしまった自分に生まれ変わってしまった不安を現している。

この安定から不安定へ、そうして最後に宙づりにされてしまう気分は、ギターのリフもそれを表現している。

イントロではギターのリフは四拍子でこうなっている。
#ファーファーファー(休符)|#ファーファーファー(休符)
#ファーファーファー(休符)|ララララーシソー
ソーソーソー(休符)|ソーソーソー(休符)
ソーソーソー(休符)||ララララーシ#ファー
これが間奏では四拍子+三拍子になってこう変奏される。
#ファーファーファー(休符)|ララララーシソ
ソーソーソー(休符)|ララララーシ#ファ
そうしてこれがさらにエンディングでは三拍子になっていっそう変形される。
#ファーファファー|ドードードー
#ファーファファー|ドードードー
ラーララー|#ソーソ#ファミレ|ラーララー|#ソソ(休符)
ラーララー|#ソーソ#ファミレ|ラーララー|#ソソ(休符)
イントロではフォルテシモで演奏されていたリフは、ここではピアノぐらいになっていて、最後に曲全体がすっと消えていく。

安定から徐々に不安定に移行して、最後には宙づりにされてしまう歌詞の世界と、この不安定な音がぴったり一致しているのだ。

ボーカルの Mike Vennart は、つぶやくように歌う部分とシャウトする部分のバランスがかならずしもよくなくて、ときにその強調の仕方がちょっとあざといぐらいに感じてしまうのだけれど、アンチクライマックスに向かっていく部分の歌い方は悪くない。
そうしてこのエンディングのリフが宙づりにされたまま、つぎのモノクロの写真のような"One Day All This Could Be Yours" へ続いていくつなぎ目は実に自然で、すっと耳になじんでいく。緩急のバランス、緊張感、歌詞の世界、これは出色のバンドだ、と言っていい。

初出 Feb.01 2007 改訂 March.31 2007

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