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翻訳>これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?
ここではジョイス・キャロル・オーツの "Where Are You Going, Where Have You Been?" を訳しています。
1966年に発表されたこの短編は、オーツの初期の代表作でもあり、アメリカの短編アンソロジーの定番でもあります。作品冒頭に「ボブ・ディランに」と献辞がついているのは、ディランの曲 "It's All Over Now, Baby Blue" にインスパイアされたから、ということです。(出典:wikipedia)
原文はhttp://jco.usfca.edu/works/wgoing/text.html で読むことができます。
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これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?
by ジョイス・キャロル・オーツ
――ボブ・ディランに捧ぐ
彼女の名前はコニー、十五歳で、神経質そうにクスクス笑いながら、首を伸ばして鏡をのぞきこんだり、相手の表情をうかがって、自分の顔がちゃんとしているかどうか確める癖がある。母親は、何だって気がつき、何もかもお見通し、しかも、もはや鏡に向かって自分の顔を見ることもなくなってしまったような人だったから、コニーの癖にはいつも小言を言った。
「自分の顔に見とれるのはやめて。何様のつもり? 自分がそんなに美人だとでも思ってるの?」いつもながらのせりふに、コニーもそのたびに眉をあげ、まっすぐに母親に顔を向け、その目のなかのおぼろげな自分の姿が、いまこのときもステキであるかどうか、のぞいてみるのだった。コニーは自分が美人であることを知っていたし、それだけがすべてなのである。アルバムのスナップが信頼できれば、という但し書きがついているにせよ、母親も昔は美しかった。だがいまや美貌は過去のもの、だからこそコニーについてまわる。
「どうしてあなたはお姉さんみたいに部屋を片づけられないの? その髪型はどうしたのよ――その臭いはいったい何? ヘア・スプレー? お姉さんがそんなガラクタを使ってるところなんて、あなた見たことないでしょう?」
姉のジューンは二十四歳だったが、まだ家にいた。コニーの通っている高校で事務員をやっているのだが、同じ建物にブスで小太りでクソまじめな姉といるというだけで十分ひどいことなのに、その上、母や叔母がのべつまくなしに姉のことを褒めるのをコニーは聞かなくてはならない。ジューンがあれをした、ジューンがこれをした、ちゃんと貯金もしているし、家の掃除や料理のお手伝いもしてくれる、なのにコニーときたら何一つできないんですからね、あの子にできることといったら、くだらない夢みたいなことで頭をいっぱいにすることだけ。父親は一日のほとんどのあいだ、仕事に出かけて家にはいなかったし、帰ればすぐに食事を要求するくせに、食べるときには新聞を読みながらだったし、食べ終わってしまえばすぐにベッドに入るのだった。家族とわざわざ話をするつもりもない父親なのに、うつむいて食事を取っているその横で、母親はコニーに小言をいつまでも続けた。そのうちコニーは、ママなんか死ねばいい、そうしてあたしも死んで、何もかもが終わりになっちゃえばいい、と思うのだった。
「ときどき、ママのせいで、おえっとなりそうになっちゃう」コニーは友だちにこぼした。コニーは高い、息を弾ませているような、おもしろがっているような声をしていたので、何か言うと、まじめなときもそうでないときも、ちょっと無理をしながらしゃべっているような感じがした。
ひとつ、いいこともあった。ジューンが女友だち、自分と同じくらいブスでお堅い女の子たちと出かけていたから、コニーが同じことをしたがっても、母親はそれに反対するわけにはいかなかった。コニーの親友のお父さんが、五キロほど離れた町まで車で連れて行き、ショッピングセンターでおろしてくれたから、彼女たちは店をのぞいたり、映画を見に行ったりすることができた。十一時になると、またそのお父さんが迎えにきてくれるのだが、その人は何をしてたんだ、などということを聞いて、娘たちをうんざりさせるようなまねはしないのだった。
いつもショッピングセンターをショートパンツをはいて、手首のブレスレットをじゃらじゃらいわせながら、ぺたんこのバレエシューズを引きずるように舗道を歩いていくふたりの姿は、おなじみの光景になっていたにちがいない。おかしな人や気になる人とすれちがうたび、ふたりは身を寄せてひそひそ話したり、笑い合ったりした。
コニーは人目を引く濃いブロンドの髪を長く伸ばしていたので、一部を頭の上でおだんごに丸め、残りはそのまま後ろに垂らしていた。ジャージ素材のボタンのないブラウスを着ていたが、家でその格好をしているときと外にいるときは、ちがったふうに見えた。コニーの何もかもがそうしたふたつの面、家での顔と家以外の場所で見せる顔を持っているのだ。歩き方にしても、家では子供らしくぴょこぴょこと歩くのだが、そうでないときは、物憂げな、頭の中で音楽でも聴いているのではないかというような歩き方だった。口元も、たいていのときは血色の悪い、うすら笑いが張り付いているような口だが、夜に出かけたときはピンク色に輝いている。笑い声も、家では皮肉っぽい、うんざりしたような響きがあったが――「あはは、おっかしいー」――よそでは甲高く神経質な、ブレスレットのかざりがじゃらじゃらと鳴るような笑い声になった。
ときにはほんとうに買い物をしたり映画に行ったりすることもあったが、混み合う車をよけながらハイウェイを走って渡り、もう少し年かさの子たちがたむろするドライブインレストランに行くこともあった。そのレストランは大きなビンの形をしていて、実際よりはいささか角張ってはいたが、ともかくビンのキャップにあたる場所では、ハンバーガーを高々と掲げて歯をむき出して笑う男の子の人形がくるくる回っている。
真夏のある晩、ふたりはまたハイウェイを横切り、大胆きわまる行動に息を切らせていると、車の窓から身を乗り出して誘ってくる者がいた。ふたりがあまり良い印象を持っていない高校の生徒だ。無視してやったので、ふたりはすっかりいい気分になった。駐車したり、ぐるぐる回ったりの車の迷路を抜けて、明かるい誘蛾灯のようなレストランに近づいていく。その顔は喜びと期待にあふれ、まるでこれから入っていくのが夜の闇に浮かび上がる聖堂、探し求めた安息と祝福を与えてくれる場所であるかのようだった。カウンターの席に腰かけて、くるぶしで足を交差させる。興奮のためにほっそりした肩をこわばらせ、あらゆるものをすばらしく変えてしまう音楽に耳を傾けた。音楽はいつも背景に流れていた。まるで教会でのミサのように。音楽は確かな拠り所だった。
エディーという男の子が話しにきた。スツールに後ろ向きに腰をおろすと、勢いよく半回転させては止め、また反対方向に回す。しばらくしてコニーに、おなか空かない? と聞いた。何か食べようかな、とコニーは答え、立ち上がり際に連れの腕を軽く叩くと――コニーを見上げた顔には、平気よ、と言わんばかりのおどけた表情が浮かんでいた――、十一時に通りの向こうで落ち合おうね、と約束した。
「あんなふうにあの子を残して行くの、いやだな」コニーは本心からそう言ったが、男の子の方は、すぐに相手ができるさ、と答えた。それからふたりは彼の車に向かったが、そのあいだもどうしても、コニーの目は車のフロントガラスや周りの人の顔にさまよってしまうのだった。コニーの顔は喜びに輝いていたが、それはエディーとも、この場所とさえも何の関係もなかった――だが、音楽のせい、となら言えたかもしれない。胸を張って深々と息を吸いこみ、生きていることの純粋な喜びを感じた。その瞬間、ほんの数メートル先の顔が、ぱっと目の中に入ってきた。ぼさぼさの黒い髪をした男の子が金色に塗り直したおんぼろのコンパーティブルに乗っている。コニーをじっと見つめていたが、急に唇が広がってにっと笑った。コニーは相手を見ていた目を細め、つんとソッポを向いたが、どうしてもそちらにもういちど目を遣らずにはいられなかった。まだこっちを見てるわ。彼は指を一本振って笑いながら言った。「おまえはじき、オレのものさ、ベイビー」コニーはまた顔をそむけたが、エディーは何一つ気づいてはいなかった。
エディーとは三時間ほど過ごした。レストランでハンバーガーを食べ、汗をかいている蝋引きの紙コップに入ったコーラを飲んでから、路地を一キロあまり奥へ入っていった。エディーと別れたのは十一時五分前で、ショッピングセンターは映画館以外はみんな閉まっていた。コニーの友だちはそこで男の子と話をしている。コニーは近寄っていって、友だちと笑顔を交わした。「映画はどうだった?」コニーが聞くと、相手は「知ってるでしょ」と答えた。友だちのお父さんの車に乗り込んで、眠い、ご機嫌な気分で、暗くなったショッピングセンターや空っぽの広い駐車場、もうネオンサインも消えて気味が悪くなった光景を、振り返って眺めずにはいられない。向こうのドライブインレストランでは、何台もの車が疲れも知らず、ぐるぐると円を描いている。その距離では、音楽は聞こえなかった。
翌朝、姉のジューンに夕べの映画はどうだった? と聞かれて、コニーは「まあまあだった」と答えておいた。
コニーは昨日の子と、ときにはもうひとりの子も加わって、週に何度か出かけたが、それ以外の日には家にいて――いまは夏休みだった――、母親の邪魔をしたり、デートした男の子たちのことをあれこれ考えたり空想したりして過ごした。だが、男の子たちはみんな記憶のなかで薄れ、まざりあって、たった一つの顔、顔というより実際にはばくぜんとしたイメージや雰囲気となり、それがせきたてるような激しい音楽のリズムや湿った七月の夜の風とまざりあっていくように思えてくるのだった。母親はいつもコニーにつきまとっては、昼の光のなかに戻そうと、用事を言いつけたり、脈絡なく「ペティンガーさんところの女の子はいったいどんな子なの?」と聞いてきたりした。
そんなときコニーは決まってぴりぴりした調子で「ああ、あの子。うすのろよ」と答えた。コニーはいつも太い、はっきりした線を自分とその手の女の子たちのあいだに引いていたのだが、母親は他愛ないというか、お人好しというか、コニーの言うことをそのまま信じるのだ。ママったらほんとに単純なんだから、とコニーは考える。ママのことをバカにするなんて、ひどいことなのかもしれない。
母親は古ぼけた寝室用のスリッパをはいて家の中をペタペタと歩き回っては、自分の姉妹のうちのひとりに電話しては、別の姉妹の悪口を言い、今度は別の姉妹が電話してきて、ふたりでもうひとりの悪口を言う。そこにジューンの名前が出るときは、母の声の調子も満足の調子を帯び、コニーの名前は不満の意をこめて口にされた。だがそれも、別に母親がコニーを嫌っているからではなく、実のところ、コニーはわたしの方がジューンよりかわいがられている、それもわたしの方が美人だからだ、と思っていた。なのにママもわたしも、仲が悪いふりをしてる、ほんとはどうだっていいようなことで言い合ったりケンカしたりしてしまうんだ。ときどき、一緒にコーヒーを飲みながら、友だちといってもいいような雰囲気になることもあったが、何かが――たとえば蠅が急に頭のまわりをぶんぶん飛び回るような、いらだたしいことが起こってしまって、たちまちお互いの顔はこわばり、相手にうんざりしてしまうのだった。
ある日曜日のこと、コニーは十一時に起きて――コニーの家には教会にわざわざ行くような人間はいない――髪を洗い、日なたに出て一日がかりで乾かすつもりでいた。両親と姉は叔母の家でのバーベキュー・パーティに行く予定だったが、コニーは、わたしは行かない、と言った。そんなもの、興味ないんだもん。目玉をぐるりと回して、それが本心であることを母親に伝えた。「なら家にいなさい」母親は厳しい声で言った。
コニーは外に出て、芝生に置いた椅子に背中をあずけ、家族が出かけるのを見送った。物腰の穏やかな禿頭の父親は、車を出すためにバックさせようと背中を丸めており、母親のまだ怒ったままの表情は、フロントガラスごしでもいっこうに和らいでは見えない。後部座席にはかわいそうなジューンが、叫び声をあげて走り回る子供や蠅だらけのバーベキューがどんなものか知らないとでもいうように、上から下までめかしこんでいた。
コニーは日差しのなかで目を閉じて坐ったまま、自分を取り巻く暖かさに、夢うつつ、ぼうっとなっていた。まるで日差しが一種の愛であるかのように、愛撫されているかのように感じながら。コニーの気持ちは昨晩一緒に過ごした男の子に漂い始め、ステキな子だったな、すごく優しかった、と考えた。それもジューンが考える“ステキ”や“優しい”ではなく、映画に出てくるような、歌で歌われるような“ステキ”や“優しい”だ。目を開けても自分がどこにいるかわからない。裏庭の向こうは雑草が生い茂り、木立が囲いのように続いていて、その向こうの空は抜けるほど青く、静かだった。今年でできてから三年になる、アスベストの郊外の一戸建て住宅が、急にコニーを驚かせた――ひどく小さく見えた。目を覚まそうとするかのように、コニーは頭を振った。
ひどく暑い日だった。家に入り、静かさを破ろうとラジオをつけた。裸足のまま、ベッドの端に腰をおろして、一時間半ほどXYZサンデー・ジャンボリーという番組に耳を傾けた。激しくテンポの速い、シャウトする曲に合わせてコニーも歌い、レコードの合間に“ボビー・キング”の叫ぶ声が聞こえた。「さあ、よく聞いてくれ、ナポレオンの女の子たち――サンとチャーリーがこの新曲に注目してくれ、と言ってるぞ!」
コニーもまたその曲に注目し、ゆっくりと湧き上がってくる喜びに浸った。その喜びは、音楽のなかからそっと立ち上ってくるもののように思える。風の入らない小さな部屋に所在なく寝そべり、そっと息を吸ったり吐いたりするたびに、胸がかすかに盛り上がったりへこんだりした。
しばらくして、私道に車が入ってくる音が聞こえた。驚いてぱっと立ち上がった。父親ならそんなにすぐに帰ってくるはずがない。通りから入ってくる私道には砂利がしきつめられているのだが、その砂利のきしる音に――私道の距離は長い――、コニーは窓へ駆け寄った。知らない車だった。古いオープンカーだ。明るい金色に塗った車体が、日を鈍く照り返している。胸がドキドキしはじめ、指を髪にからませて具合を確かめながら、「どうしよう、どうしよう」とつぶやいた。きっとひどいざまに決まってるわ。車は勝手口のところで停まり、クラクションが短く四回聞こえてきた。まるでコニーがよく知っている合図であるかのように。
台所に行って、勝手口にそうっと近づき、スクリーンドアにもたれかかった。裸足のつま先が丸まって敷居を踏みしめる。車には男の子がふたりいたが、そのとき、運転席にいるのが誰かわかった。もじゃもじゃの黒い髪は、かつらかと思うほど妙ちきりんだ。彼はコニーににやっと笑いかけた。
「遅かったかな?オレ」彼が言った。
「あなたいったいだれよ」コニーは聞き返した。
「行くって言わなかったか?」
「あなたがどこのだれかも知らないのよ」
コニーはふくれっつらでそう言い、つとめて興味を引かれたようにも喜んでいるようにも見えないようにふるまったのだが、彼の方は頭の良さそうな、一本調子の早口で話した。コニーは後ろにいるもう一人の男の子の方に、ことさらに時間をかけて目を移した。明るい茶色の髪をしていて、額にひねった前髪を垂らしている。もみあげをはやしているせいで、きつい、機嫌の悪そうな顔になっていたが、コニーの方をほんのちらりとも見ようとはしなかった。ふたりともサングラスをかけている。運転席の彼のサングラスはミラーになっていて、そこにはなにもかもがミニチュアサイズになって映っていた。
「乗らないか」
コニーは気取って笑みらしきものを浮かべると、髪の毛をゆるく一方の肩にまとめた。
「オレの車、いいだろ? 最近塗り替えたんだ」彼は言った。「な?」
「どうかした?」
「おまえ、かわいいな」
コニーはいかにもいらいらしたふうを装ってドアの蠅を追い払った。
「オレのこと信用できない? それとも何かあるのか?」
「だから、わたし、あなたがだれかってことも知らないのよ」コニーは怒ったように言った。
「おい、エリー、ラジオをつけてくれよ、おれのは壊れてるんだ」自分の連れの手を持ち上げて、彼が持っている小さなトランジスタラジオをコニーに見せた。音楽が聞こえてきた。さっきまで家の中で聞いていたのと同じ番組だった。
「ボビー・キングでしょ?」
「オレはいつもボビー・キングを聞いてる。ほんと、すごいぜ」
「そうね、いいわよね」コニーは仕方なく認めた。
「おいおい、いいどころじゃない、すごいんだ。どこで勝負をかけたらいいかわかってるんだから」
コニーの頬が少し赤くなったのは、サングラスのせいで、この男の子がいったいどこを見ているのかわからなかったからだ。好きになってもいいのか、いかれたヤツなのか判断がつかなくて、ドアのところでぐずぐずしたまま、外に出ていくか、中に引っ込むか決めかねていた。コニーは尋ねた。「その車にはなんて書いてあるの?」
「読めないか?」車のドアを、まるで外れるのを恐れているかのように、慎重に開けた。それから同じように慎重な動作で出てきたかと思うと、両の足をしっかりとふんばって地面に立った。サングラスに映った小さな金属の世界が、ゼラチンが固まっていくときのようにふるえが小さくなり、その真ん中にコニーの明るいグリーンのブラウスがあった。
「まず、ここに書いてあるのがオレの名前だ」と言った。サイドボディーにタールのような黒い文字でARNOLD FRIEND(アーノルド・フレンド)とあって、その横に丸いニコニコわらっている顔が描いてある。それを見てコニーは、カボチャみたい、と思った。サングラスさえかけてなきゃ、だけど。
「自己紹介をしよう。オレはアーノルド・フレンド、ほんとうにそういう名前なんだが、実際におまえのフレンドでもある。で、車の中にいるのがエリー・オスカー、ま、シャイなやつだ」エリーはトランジスタラジオを肩の上にのせて、バランスをとった。
「この数字は秘密の暗号だ」アーノルド・フレンドは説明した。33、19、17と数字を読み上げ、そう思う? と眉を持ち上げて、コニーの反応をうかがったが、コニーは別に何とも思わなかった。後部フェンダーの左がへこんでいて、そのまわりのけばけばしい金色の車体に、こう書いてあった。“イカれた女ドライバーにやられた”。コニーはそれを見て笑ってしまった。コニーが笑ったことに気をよくしたアーノルド・フレンドは、コニーを見上げた。
「反対側にはもっといろいろ書いてあるんだ。そっちも見たくないか?」
「見たくない」
「なんで?」
「なんでわたしが見なきゃいけないの?」
「車にいろいろ書いてあるのが見たくないのか? こいつに乗りたくない?」
「わかんないわ」
「なんで?」
「だってやらなきゃいけないことがあるんだもの」
「何をやらなきゃいけないんだ」
「いろいろ」
コニーが何かおもしろいことを言いでもしたかのように、声を上げて笑い、腿を叩いた。彼の立ち方は変わっていて、車に背をもたせかけているくせに、バランスを取っているようにも見える。背は高くない。隣に並べば、コニーよりほんの数センチ高いぐらいだろう。コニーは彼の服の着こなしがステキだと思った。みんな似たような格好をしていたのだが。細身の色のあせたジーンズを、黒いよれよれのブーツのなかにたくしこみ、ベルトを食い込むほどきつくしめていたので、どんなに細身かよくわかった。プルオーバーの白いシャツは少し汚れていて、腕や肩を薄いがしっかりした筋肉がおおっているのが見えた。おそらくきつい仕事をしているのだろう、荷物を持ち上げたり運んだりするような。首にまで筋肉がついているようだった。なんとなく、どこかで見たことがあるような顔立ちだった。一日か二日、髭を剃っていないのだろう、あごやほほはうっすらと影に覆われている。細長い鼻は鷹のようで、獲物のコニーに飛びかかろうとでもするように、もちろんそれもみな冗談さ、とでもいうように、ひくひくと動かしてみせた。
「コニー、嘘を言っちゃいけない。今日はオレとドライブに行くために時間を空けておいたんじゃないか、自分だってわかってるだろう」笑いながらそう言った。やがて急に笑いの発作がおさまり、体をまっすぐに起こしたが、そのようすから、すべてがお芝居だったことが見て取れた。
「どうしてわたしの名前を知ってるの?」いぶかしげにコニーは尋ねた。
「だってコニーだろ」
「かもしれないし、そうじゃないかも」
「おまえはオレのコニーさ」そう言いながら指を振った。もうレストランの裏手で会ったときのことも、ずいぶん細かいところまで思い出していた。すれちがった瞬間、わたしがはっと息を呑んだんだっけ、わたしがどんなふうに見えたかまるわかりだわ。思い返してコニーの頬は熱くなった。このひとはわたしのことを忘れなかったんだ。
「エリーとオレはおまえのために特別にここまで来てやったんだ」彼は言った。「エリーは後ろへ坐ってるから気にしなくていい。さあ、どうする?」
「どこに行くの?」
「どこに、ってどういうことさ?」
「わたしたち、これからどこに行くの?」
彼はコニーをじっと見つめた。サングラスを外すと、目の周りの皮膚が白く、日陰ではなく、日の光のなかで見る穴のようだ。親しみをこめた目は、光を反射するガラスの破片のようにきらめいている。彼は微笑んだ。どこか決まった場所に向かってドライブする、などということは初めて聞いた、とでもいうように。
「ただ車を走らせるんだ、コニー」
「わたしの名前がコニーだなんて、一言も言ってない」
「だけど知ってるんだ。おまえのことなら、名前だろうがなんだろうが、全部知ってるのさ」アーノルド・フレンドは言った。身動きせず、まだ自分のぽんこつの車に身を預けたままだ。「おまえってすごく興味をそそるんだ、かわいい女の子だもんな、だからおまえのことならなんだってわかるようになった――おまえのおやじとおふくろと姉さんがいま出かけてるってことも、どこへ行ったかってことも、いつぐらいまで帰ってこないかってことも、夕べおまえが一緒にいたのは誰かってことも、おまえの親友の名前がベティだってこともな。そうだろ?」
彼の声は、何の変哲もない、小さな声で、ちょうど歌を口ずさむようなしゃべり方をした。その笑顔は、何も怖いことはない、とコニーに言い聞かせているみたいだ。車の中ではエリーがラジオの音量を上げて、わざわざふたりの方に目をやろうともしなかった。
「エリーは後ろに坐りゃいい」アーノルド・フレンドは言った。軽くあごをしゃくって、自分の連れを示す。エリーなんて気にしなくていい、忘れてくれよ、とでも言うように。
「うちの家族のこと、どうしてわかったの?」コニーは聞いた。
「まあ聞けよ。ベティ・シュルツだろ、トニー・フィッチに、ジミーとナンシーのペッティンガー兄妹」詠唱するように続けた。「レイモンド・スタンレー、それからボブ・ハッター」
「その子たちをみんな知ってるの?」
「みんな知ってる」
「うそ、冗談ばっかり。あなた、ここらへんのひとじゃないでしょ」
「ここらへんのひとさ」
「なら――いままでなんで会ったことがないの?」
「会ったことがあるに決まってるじゃないか」自分のブーツに目を落としたそのようすは、ちょっとムッとしたようにも見えた。「忘れちまっただけだ」
「もしかしたら会ったかもしれない」コニーは言った。
「だろ?」上げた顔は輝いていた。うれしそうな顔をだった。エリーのラジオから流れてくる音楽に合わせて、足でリズムを取りながら、両の拳を軽く合わせ始めた。コニーは相手の笑顔から、目を車の方へそらしたが、車の色があまりに明るいので、じっと見ていると目が痛くなりそうだった。名前を見た。ARNOLD FRIEND(アーノルド・フレンド)。そこから前のフェンダーに目を移すと MAN THE FLYING SAUCERS(空飛ぶ円盤の男)という見慣れた言葉が書いてあった。去年、子供たちのあいだで流行った言葉だったが、今年はもう誰もそんなことを言わない。コニーはそれをしばらくじっと見ていた。まるでそこには自分が未だ知らない意味がこめられているとでもいうように。
「なあ、何を考えてるんだ?」アーノルド・フレンドは聞いた。「車に乗って、髪の毛が風に吹かれてぐしゃぐしゃになったらどうしよう、なんてなことか?」
「そんなことじゃない」
「オレの運転がヘタだとでも?」
「なんでそんなことがわかるのよ」
「素直じゃない子だな。なんでそうなんだ?」彼は言った。「オレがおまえのフレンドだってわからないのか? おまえが向こうに歩いていくとき、オレが出したサインを見なかったのか?」
「何のサイン?」
「オレのサインだ」
そういうと彼は空中にXの字を書きながら、コニーの方へ身を乗り出した。ふたりのあいだはおそらく三メートルぐらいのものだったろう。手が身の脇の位置に戻っても、宙のXの文字はまだそこにそのまま見えているような気がした。コニーは手を離してスクリーンドアが閉じるにまかせ、自分は内側に立ったまま身動きひとつしないで、自分のラジオから聞こえる音楽と男の子のラジオの音楽がひとつに解けていくのに耳を澄ました。アーノルド・フレンドを見つめていた。彼は固さの残るまま、落ち着いたふりをしていた。いかにも余裕がありそうに、片手を所在なげにドアの取っ手にかけていたが、そうやって自分を落ち着かせようとしているようにも見えたし、もう動くつもりがないかのようにも見えた。
彼が身につけている何もかもが、コニーには見覚えのあるものだった。太股や腰の線をあらわにしている細身のジーンズも、グリースを塗ったようなブーツも、ぴったりしたシャツも、どこか信用ならない、親しげな笑顔さえも――男の子たちが言葉にしたくない思いを伝えようとするときの、ぼんやりした夢見るような笑みなのだった。何もかも見たことがあったし、彼の歌うようなしゃべり方のなかから聞こえてくる、かすかにからかうような、冗談を言っているような、にもかかわらず真剣で、どこか憂鬱そうな響きも知っていたし、途切れることなく背後で流れる音楽に合わせて、拳をぶつける仕草も覚えがあった。だがこうしたものすべてが、ひとつの像を結ばないのだった。
急にコニーは口を開いた。「ねえ、あなた何歳なの?」
相手の顔から笑みが消えた。彼が子供ではなく、ずっと年長の――三十かもっと上――であることがわかった。そのことに気がついたとたん、彼女の胸の鼓動は速くなった。
「バカなことを聞くじゃないか。おまえと同い年には見えないか?」
「まさかそんなわけがないわ」
「ふたつかみっつ、上かもな。十八だ」
「十八歳ですって?」彼女は疑わしそうに言った。
コニーを納得させようと、にっこり笑ってみせると、口の両側にしわが刻まれた。大きな白い歯をしている。口をいっぱいに広げて笑ったので、目が細くなり、コニーはなんて濃いまつげなんだろうと思った。濃くて黒くて、タールか何かを塗ったみたいだわ。するといきなり、とまどったような表情になって、肩越しにエリーを振り返った。
「あいつな、ちょっと危ないやつなんだ」彼は言った。「暴れるわけじゃない。ただ、イカれてるのさ。ほんもののな」エリーはまだ音楽に聴き入っている。サングラスのせいで、いったい何を考えているのか見当もつかない。明るいオレンジ色のシャツは、ボタンが半分しかかかっておらず、胸があらわになっていたが、白い血色の悪い胸で、アーノルド・フレンドのような筋肉もなかった。シャツの襟をぐるりと立てていて、顎より高い位置にきている襟の先は、顎を保護するためのもののようにも見えた。トランジスタラジオを耳に押し当て、直射日光を浴びながら、恍惚とした表情で坐っている。
「変わったひとみたい」コニーは言った。
「おい、彼女が、おまえが変わってるってさ! 変わってるんだってよ!」アーノルド・フレンドが怒鳴った。エリーの注意を引こうと車を叩いた。エリーが初めて振り向き、コニーは彼もまた子供ではないことに衝撃を受けた――白い、つるりとした顔、頬はかすかに赤く、静脈が透けて見えるかのようで、その顔は四十歳の赤ん坊だった。めまいの波が押し寄せてくるようだ。この衝撃を鎮めて、何もかもを元通りにしてくれるような何かを待ちながら、エリーの顔から目を離すまいとした。エリーの唇はずっと、自分の耳元で炸裂する音に合わせてもぐもぐと動いていた。
「ふたりとも帰った方がいいと思うわ」コニーは消え入りそうな声で言った。
「何でだ? どうしてだよ」アーノルド・フレンドは大きな声で言った。「オレたちはおまえをドライブに連れて行くためにここに来たんだ。日曜なんだぜ」いまの声は、ラジオで聞いた男の声だった。同じ声だわ、とコニーは思った。
「今日が一日中、日曜だってこと、おまえは知らないのか? な、おまえが夕べ一緒にいたのが誰であろうが、今日、おまえはアーノルド・フレンドと一緒にいるんだし、それを忘れちゃいけない。こっちへ出てこいよ」彼は言ったが、最後の言葉は、別の声に変わっていた。いささか抑揚の乏しい、外の暑さがとうとうこたえてきたとでもいう感じだった。
「行かない。やらなきゃいけないことがあるんですもの」
「おいおい」
「ふたりとも帰った方がいいわ」
「おまえが一緒に来るまではここを離れるつもりはない」
「わたしが絶対に行かないって言っても?」
「コニー、遊びは終わりだ。つまり――オレが言いたいのは、冗談はいいかげんにしろってことなんだ」彼はそう言いながら頭をふった。疑い深そうに笑ってみせる。サングラスを頭にかけたが、実際にかつらをかぶっているかのように慎重に持ち上げ、つるを耳にかけた。コニーは彼を見つめていたが、まためまいの波が押し寄せ、恐怖がこみあげてきて、一瞬彼の姿が焦点を結ばなくなり、金色の車を背に立っている姿がぼやけた。彼は確かに車で私道に入ってきたが、その前はどこからかやってきたのでも、これからどこへ行くのでもないような気がした。彼の何もかも、そうしてこんなになじんだ音楽さえも、半分は現実味を失ったように思えた。
「もし父が帰ってきてあなたを見つけたら?」
「おやじさんはまだ帰ってきやしない。バーベキュー・パーティに行ってるんだから」
「なんでそんなこと知ってるの?」
「ティリー叔母さんの家だろ? ちょうどいま――ああ、一杯やってるところだな。坐ってくつろいでる」曖昧な口調でそう言いながら、町を越えた先にあるティリー叔母さんの裏庭を見通そうとでもいうように目を細めている。やがて情景がはっきりしてきたのか、大きくうなずいた。「ああ、坐ってくつろいでるな。おまえの姉さんは青いワンピースを着てるだろう? それにハイヒールだ、かわいそうな女だな――おまえとはまるでちがう。おふくろさんは太った女を手伝って、トウモロコシに何かしてるところだ。トウモロコシをきれいにしている、ああ、皮をむいてるんだな」
「太った女の人ってだれ?」コニーはさえぎった。
「オレが知るかよ、そんな太った女のことなんて。世界中にはオレの知らない太った女がゴマンといるさ」アーノルド・フレンドは笑った。
「あ、きっとミセス・ホーンビィだわ……だれがあの人を呼んだんだのかしら」コニーは言った。軽いめまいを覚える。息づかいも激しくなっていた。
「あの女はちょっと太りすぎだな。太った女は好きじゃない。おまえみたいな子が好きなんだよ、ハニー」そう言うと眠たそうな笑顔を見せた。ふたりはしばらくスクリーンドアをはさんで見つめ合った。
彼はそっと言った。「なあ、おまえはこれからこうするんだ。まずドアを出てこっちに来る。それから前の座席にオレと一緒に坐る。エリーは後ろに坐るし、やつのことなんかどうだっていい。わかるな? これはエリーとのデートじゃない。おれはおまえとデートする。おれはおまえの恋人だ」
「何ですって? あなた、おかしいわよ」
「いいや、オレはおまえの恋人なんだよ。それがどういうことだかいまはわからなくても、じきにわかるようになる」彼は言った。「オレにはそれがわかるのさ。おまえのことなら何でもわかるんだ。だがな、よく聞けよ、オレが恋人だってことは実にいいことで、オレよりいい男を探そうったって無理な話だ。こんなに優しい男はいない。オレは絶対に約束は守る。これは言っておく。オレはいつだって最初のときには、初めての子に対しては優しいんだ。おまえをぎゅっとだきしめてやろう。おまえはもう逃げだそうとしたり、何かのふりをしたりしなくてもよくなる。そんなことは必要ないとわかってくるからだ。そうしてオレはおまえのなかに、おまえが誰からも隠しているところに入っていく。おまえはオレになにもかも委ねる。オレを愛するようになる」
「いいかげんにしてよ! あなた頭がおかしいんじゃない?」コニーはそう言うと、戸口から後ずさった。両手で耳をふさいだその格好は、恐ろしいことを聞いてしまった、自分には何の関係もないのに、と言わんばかりだった。「ふつうのひとはそんなこと言わない。あなた、狂ってる」と低い声で言った。胸に収まりきらないほど心臓がふくらんだような気がする。その心臓の鼓動に合わせて汗が全身から噴き出した。外に目を向けると、アーノルド・フレンドは、ちょっと立ち止まってから、ポーチに向かって足を踏み出そうとして、ぐらりと体が傾いた。だが、ぬかりのない酔っぱらいのように、なんとかバランスを取った。長いブーツをぐらつかせながら、ポーチの柱をぐっとつかんだ。
「ハニー」彼は呼んだ。「聞こえてるか?」
「ここから出ていってよ!」
「おとなしくするんだ、ハニー。言うことを聞けよ」
「警察を呼ぶわよ」
彼はまたよろめき、口の端から短い悪態を素早く吐いた。彼女には聞かせるつもりはなかったらしいが、「クソッ(クライスト)」という悪態は妙に不自然に響いた。そこでふたたび彼は笑顔を浮かべた。コニーはその笑みが広がるのを見ていたが、ぎこちない、まるで仮面の内側から浮かび上がってくるような笑みである。顔全部がお面なんだわ、と奇妙なことを思った。喉元は日焼けしているが、そこから急に白くなっている。まるで顔にしっくいを塗って、喉だけを塗り忘れたかのように。
「ハニー、聞いてくれ。こういうことだ。オレはいつだって本当のことを言うし、これは約束する。おまえを追いかけて家に入るつもりはない」
「だめに決まってるじゃない。警察を呼ぶわよ、もしあなたたちが――あなたたちが帰らなかったら」
「ハニー」彼はコニーの声にかぶさるように言葉を続けた。「ハニー、オレがそこに行くんじゃなくて、おまえがそこから出てくるんだ。何でだかわかるか?」
コニーはあえいだ。台所はなぜかいままで一度も見たことがない場所のような気がした。自分が逃げ込んでみたものの、役に立たない、自分を守ってはくれない部屋。台所の窓はこの三年間ずっとカーテンを引いたこともなく、流しには――恐らく――彼女が洗うことになっているはずの皿があった。テーブルの上に手をすべらせれば、きっとそこには何かねばねばしたものがこびりついているのだろう。
「聞いてるのか、ハニー。おい」
「警察を呼ぶから」
「電話にちょっとでもふれてみろ。オレも約束は守らなくてもよくなるから、中へ入るぞ。それは困るだろう?」
コニーは戸口に駆け寄り、鍵を掛けようとした。指がふるえる。
「何で鍵なんて掛ける?」アーノルド・フレンドは優しい声で、コニーの顔の前で語りかけた。「ただのスクリーンドアじゃないか。こんなことをしても何にもならない」
ブーツの片方が奇妙な角度に曲がっていて、なかには足がないみたいだった。先が左を向いて、かかとのところでねじ曲がっている。
「網戸だろうがガラスだろうが、板だろうが鉄だろうが、たとえそれ以外のものだろうが、誰だってその気になりゃ破るのは簡単だ。誰にだってな。ましてこのアーノルド・フレンドならわけはない。この家に火がつけば、おまえはオレの腕のなかに飛び込んでくる。オレの腕のなかなら、まるで自分の家にいるみたいに安心できる――おまえもわかっているように、オレはおまえの恋人だし、ふざけるのはほどほどにしたほうがいい。お行儀のいいはにかみ屋の女の子ならいいが、おかまいなしにふざけるのは好きじゃない」こうした言葉の一部は、リズミカルな、軽く歌でも歌うような調子で口に出され、コニーはこれもまたどこかで聞き覚えがあるように思った――去年聞いた歌が耳に残っているような。女の子がボーイフレンドの腕に飛び込んで、家に戻ってきたと思うような歌だ――。
コニーは裸足でリノリウムの床に立ったまま、彼をじっと見つめていた。「あなたは何が望みなの?」そっとそうささやく。
「おまえだよ」彼は答えた。
「何ですって?」
「あの晩、おまえに会ったとき思った。そうだ、あの子だ、とな。それ以上確かめる必要もなかった」
「でも父がじきに戻ってくるわ。わたしを連れに。わたし、まず髪の毛を洗わなくちゃならなかったから」気持ちのこもらない早口で言った。相手にはっきりと聞こえるように、声のトーンをあげることさえしなかった。
「いいや、おやじさんは戻ってこない、確かにおまえは髪を洗ったが、それはオレのためだったんだよ。ああ、きれいだ、キラキラしてる、それもオレのためなんだ。ありがとうよ、ハニー」そう言いながらふざけてお辞儀をしたのだが、またしてもバランスを失いかけた。腰を曲げてブーツの具合を直している。どうやら足がブーツにぴったり合ってはいないらしい。おそらく何か詰め物をして、身長を高く見せようとしているのだろう。コニーは彼と、後ろの車のなかにいるエリー、コニーの右手のあたり、あらぬ方に目を据えているエリーを見つめた。そのエリーが中に浮いている言葉を引っ張り出してきたような、まるでたったいまその言葉を見つけたような口調で言った。「電話線を引っこ抜いてやろうか」
「口を閉じてろ。もう何も言うんじゃない」アーノルド・フレンドは言ったが、かがみ込んでいたために顔が赤くなっていた。ひょっとするとコニーにブーツを見られてはずかしかったのかもしれない。「おまえには関係ない話だ」
「何なの? あなたたち何をしてるの? 何がほしいの?」コニーは言った。「警察に電話したら、あなたたちつかまるんだから。逮捕されちゃうわよ」
「おまえが電話に手を触れさえしなければ、約束は生きてる。オレは約束を守るつもりだ」彼はまた体をまっすぐにすると、肩をそびやかした。まるで映画の主役が何か重大なことを宣言するかのようなしゃべりかただ。だがその声はひどく大きく、コニーの後ろにいる誰かに話しかけているようだった。「オレは自分の家でもないところに入っていくつもりはない。おまえがオレのところにきたらいいんだ。やるべきことをやればいい。おまえはオレがだれだかわからないのか?」
「あなた、おかしいわよ」彼女は小さな声で言った。戸口からあとずさったが、ほかの部屋に逃げたくはなかった。そんなことをしたら、ドアから入ってくる許可を与えるようなものだとでもいうように。「あなたは何を……おかしいんだわ……」
「はぁ? 何を言ってるんだ、ハニー」
彼女の目は台所をさまよった。ここが、この部屋がどこか、思い出せない。
「こういうことだ、ハニー。おまえは出てきて、おれたちと一緒に車に乗る。楽しいドライブに出かけるんだ。だがな、もしおまえが出てこなかったら、おまえの家の人たちが戻ってくるまで、おれたちは待つ。そうしてオレたちみんなでカタをつける」
「電話、引っこ抜いた方がいいか?」エリーが言った。ラジオを耳から離してしかめっつらをしている。ラジオがなければ空気の量が多すぎるとでも言いたげだった。
「黙ってろと言ったろうが、エリー」アーノルド・フレンドは言った。「聞こえなけりゃ補聴器を使えよ、わかったな。しっかりしろ。この小さな女の子は悪いとこなんてどこもないし、じきにオレの言うことも聞くようになる。だからエリーは自分の面倒だけみてろ。この子はおまえのデート相手じゃない、いいな? オレにかまうんじゃない。でしゃばるな。手を出すな。じろじろ見るな。あとをついてくるな」早口のそっけない言い方で、以前習ったが、どの言葉がはやっているのか、いまどんな言い方をすればよいのかわからなくなったみたいだった。そこで目をつぶったまま、新しい言い回しをつぎつぎと使うことにしたらしい。
「境界線を越えて入ってくるな、シマリスの穴をにぎりつぶすな、オレの糊の臭いをかぐな、オレのアイスキャンデーを食うな。その油染みた手を引っ込めとけ!」片手を目にかざして、じっとコニーをのぞきこんだ。コニーはテーブルのところまで後ずさりした。
「やつのことは気にしないでいい。ひどいやつなんだ。のろまで。いいな? オレはおまえのものだし、オレが言ったように、こっちにレディみたいに出て来て、オレに片手をあずけてくれたら、誰も痛い目に遭わずにすむ。つまり、おまえの禿頭の親父もおまえのお袋さんも、ハイヒールを履いたおまえの姉さんも、何かの目に遭うようなことにはならないってことだ。なにしろおまえは言うことを聞くからな。あの人たちを巻きこまないようにしないとな」
「もう、わたしのことはかまわないで」コニーはつぶやいた。
「なあ、この先に住んでるばあさんを知ってるだろう、ニワトリだとかなんだとか飼ってるばあさんだよ、知ってるよな?」
「あの人、もう死んじゃったわ!」
「死んだんだって? どういうことだ? 知ってるよな?」アーノルド・フレンドは言った。
「あの人、もう死んでるのよ?」
「嫌いなのか?」
「死んじゃったの――あの人――死んで、ここにはもういないの」
「でも、おまえはあの人がきらいなわけじゃないんだろう? っていうか、何かあのばあさんを向こうにまわしてやりあったなんてことはないだろう? 根に持つようなことだとか――」まるで自分のぶしつけさに気がついたかのように、急に声が低くなった。頭の上にのっているサングラスが、まだそこにあるかどうか確かめるように、指先でふれた。「さあ、いい子になるんだ」
「何するつもり?」
「ふたつ、いや三つのことだ」アーノルド・フレンドは言った。「時間がかからないってことは約束する。おまえが身近な人を好きになるように、オレのこともじきに気に入るだろう。大丈夫だ。ここであれこれやるのももう終わりだ、出ておいで。おまえの家の人に迷惑をかけたくはないだろう?」
コニーはきびすをかえすと、途中で椅子か何かにぶつけたせいで足が痛んだが、それでも奥の部屋へ走っていき、受話器を取り上げた。耳の奥で何か叫び声のような音が聞こえる。小さな叫び声だったが、極度の恐怖に吐きそうだったので、その叫び声を聞くよりほかは何もできそうになかった――電話はべとつき、ひどく重たい。ダイヤルを回そうと指をのばしたが、力が入らず、ふれることもできなかった。受話器に向かって、その叫び声に向かって悲鳴を上げ始めた。コニーは叫びながら母親を呼んだ。自分の息が肺のなかで逆流しているような気がする。まるでアーノルド・フレンドに情け容赦なく、何度も何度も何かで突き刺されでもしているかのようだ。コニーの周りのあらゆるものがあげる悲痛なすすり泣きの声は、耳を聾するほどで、ちょうどこの家に閉じこめられるように、コニーはその泣き声にがんじがらめにされてしまっていた。
やがて、ふたたび物音が聞こえるようになった。床に坐りこんで、汗まみれの背を壁にもたせた。
アーノルド・フレンドが戸口から声をかけた。「いい子だ。受話器を元に戻すんだ」
コニーは受話器を蹴飛ばした。
「そうじゃない、ハニー。拾うんだ。拾って、元に戻せ」
拾って元に戻した。発信音は止んだ。
「いい子だ。つぎは外に出てくるんだ」
コニーのからっぽの体には、それまで恐怖だけがつまっていたのだが、いまはまったくのからっぽになってしまっていた。悲鳴をあげているうちに、恐怖は霧散してしまった。坐り込んだ体の下で、脚が痙攣していた。脳の奥の方でずっと、何か光のようなものがぱっぱっとひらめいていて、気持ちを片時も鎮めさせてくれない。コニーは思った。わたしはもう二度とお母さんには会えないのだろう。コニーは思った。もう自分のベッドで眠ることもできないのだろう。明るいグリーンのブラウスは汗で濡れていた。
アーノルド・フレンドは、よく通る優しい声、まるで舞台に立ってしゃべっているような声で言った。
「おまえが生まれた場所は、もうここにはないし、おまえが行くつもりでいた場所はもうなくなってしまった。いまおまえがいるそこは――おまえの父親の家のなかは――しょせん、段ボールの箱みたいなものだ。オレにとっちゃ壊すぐらい、なんでもない。おまえだってそんなことぐらい、始めからわかっていただろう。聞いてるな?」
考えなくちゃ。コニーは思った。どうするか決めなきゃいけないんだわ。
「気持ちのいい原っぱに行こうか。田舎の方に行けばいい匂いのところだってあるだろうし、こんなにいい天気なんだ」アーノルド・フレンドは言った。「しっかり抱いててやるよ、そうすれば逃げだすことなんて考えなくてもすむ。愛がどんなものか、愛があるとどうなるか、教えてやるよ。こんな家なんてクソだ! たとえちゃんとしてるように見えてもな」
彼が爪でスクリーンドアをひっかく音がした。だが、コニーは怖気を感じない。昨日なら震え上がったはずなのに。「さあ、胸に手を当てて、ハニー。感じるだろ? これもちゃんと動いてるように思えるが、オレたちにはもっとほんとのところがわかってるよな。オレの言うことを聞くんだ、とびきり優しい子になるんだよ、おまえみたいな女の子は、優しくてきれいで、言いなりになる以外にはないんだから――家の連中が戻って来る前にここを出よう」
彼女は心臓が激しく鼓動するのを感じていた。両手ですっぽり包んでいるような感じだ。生まれて初めて、心臓が自分のものではないような、自分とは関係のないのに、鼓動をし、同じように自分のものとは思えない体のなかで動いているような感じがした。
「家の人たちを傷つけたくはないだろう」アーノルド・フレンドは続けた。「さあ、起き上がるんだ、ハニー。自分で立てるな」
コニーは立った。
「よし、こっちを向くんだ。それでいい。オレのところまでやってくるんだ――エリー、そんなものあっちへ置いとけよ、さっき言っただろう? この間抜けめが。おまえはほんとうにひでえ抜け作だな」アーノルド・フレンドが言った。怒っているのではない、呪文の一部だ。おだやかな呪文だ。「さあ、台所を抜けて出ておいで、ハニー、その笑顔を見せておくれ、さあ、おまえは勇気のある優しくてかわいい女の子じゃないか。いま連中は外の火であぶったトウモロコシやホットドッグを食べてるところだ。連中にはおまえのことなんてひとつもわかっちゃいないし、これまでだってそうだった。おまえは連中なんかよりはるかに上等な人間だし、連中はだれひとりおまえにこんなことをしようとしたこともなかったろう?」
コニーは足の下のリノリウムを感じた。冷たい。目にかかった髪を払った。アーノルド・フレンドはためらいがちに柱から手を離し、彼女に向かって腕を拡げた。肘を向かい合うように曲げて手首の力を抜き、おずおずとした、どこかまねごとじみた抱擁であることを示していた。コニーに自意識過剰になってほしくないのだ。
コニーはスクリーンドアに手を伸ばした。自分が、まるでどこかほかの安全な場所の戸口にいるかのように、ゆっくりとドアを押して開け、自分の体と長い髪が、アーノルド・フレンドが待っている日差しのなかに出ていこうとするのを見つめていた。
「オレのかわいい青い目の女の子」と彼は言い、半ば歌うように溜息をついた。その言葉は、コニーの茶色い目とは何の関係もなかったが、それでも彼の周囲に広がる日の光に満ちた広大な世界に吸い込まれていく――コニーがこれまで見たこともなければ、気づくこともなかったほど広い世界――ただこれから自分がそこへ向かって歩き出そうとしていることだけはわかる世界へ。
The End
暴力的な、あまりに暴力的な
アメリカの小説のなかには、ときにひどく暴力的なものがある。暴力といっても、具体的な描写があるもの、登場人物が何かというと殴り合ったり、銃を撃ち合ったりするようなものばかりではない。この作品、あるいはレイモンド・カーヴァーのいくつかの作品などのように、なにひとつ暴力的な行為はなされていないのに、その暗示が息苦しいほど全編をおおっているような作品もある。どちらが暴力的か比べることにあまり意味はないのだが、わたしたちに「暴力」について意識を向かわせるのは、後者の作品群であるように思う。
読者は、確実に破局へ向かっていく人を目の当たりにしながら、手を出すこともできない。そのくせ、目を離すこともできない。残酷な描写は、作品のなかで何らかのけリがつく。だから、物語は終わるし、本を閉じてしまえば、わたしたちはその世界から去っていくこともできる。だが、暴力の暗示がたれこめるだけ、そうして、この作品のように、未だ何も起こっていないものは、起こっていないだけに終わりようがない。わたしたちは恐ろしい暴力を予感するだけで、宙づりにされてしまう。
この作品は、実際に起きた事件を下敷きにしている。1964年から65年にかけて、三人の少女を殺害したチャールズ・シュミットの事件である。この事件が当時、大変な話題となったのは、彼が裕福な家に育ったアリゾナ州立大の学生だったためだけではない。彼がやったことを「約三十人の十代の若者が知っていた」(コリン・ウィルソン『殺人ケースブック』)にも関わらず、自分のガールフレンドがつぎの標的になるのでは、と危惧したシュミットの友人が警察に密告まで、みんながそのことを一年半も秘密にしていたのである。60年代当時の合い言葉「三十歳以上の誰も信用するな」が、現実にそういうかたちを取ってあらわれたことに、多くの人びとはショックを受けたのだ。
トゥーソンは十代の若者の都市である。アリゾナ大学がそこにあるからだ。夕方になると、レストランやドライブインは青いジーンズをはいた十代の若者でごった返す。…「スミティー」で通っていたチャールズ・シュミットは、こうした連中の間ではよく知られていた。事実、彼は、十代の若者のセックス・クラブの発起人だった。…スミティーは人に知られることの好きな青年だった。彼は、自分の背が五フィート三インチ(※158センチくらい)なのを苦にして、踵の高いカウボーイ用のブーツをはき、その中に紙をつめてさらに半インチばかり高くした。彼はまた、左頬に大きな付けぼくろを描き、パンケーキでメークアップした。
(コリン・ウィルソン『殺人ケースブック』高儀進訳 河出文庫)
この彼のイメージが、作品の「アーノルド・フレンド」に投影されていることは疑う余地もない。だが、 "An Old Friend"(古い友だち)という言葉を容易に連想させるアーノルド・フレンドは、チャールズ・シュミットではない。確かに最初の被害者である十五歳のアリーン・ロウは、夜、自宅にひとりいたときに誘い出される。だが、家を訪ねたのは彼女より四歳年上の友人メアリー・レイ・フレンチで、ふたりの男の子と一緒に出かけないか、と誘ったのである。チャールズ・シュミットと友人は車の中で待っていた。
このことから、短篇小説の中核を占めるアーノルド・フレンドとコニーのやりとり、徐々に相手に魔術的な力をおよぼしていく、暴力的な存在と、それに最初は抵抗するものの、逃れようもなくからめとられ、最後には怯えながらもまるで魅入られたようにそれに屈服してしまう主人公は、まったくの作者の創作であることがわかる。
ジョイス・キャロル・オーツの作品には、暴力が底に流れているものが多い。それも、暴力をふるう側から描かれる暴力、力を背景として、人を支配しようとする者の暴力ではなく、暴力にさらされる側、被害者の側から見た暴力である。たとえば『ブラック・ウォーター』という作品では、車が川に落ちて、黒い水に飲みこまれてながら、同乗していた上院議員、自分だけ逃げ出したエドワード・ケネディをモデルとする年上の恋人が戻ってくるのをひたすらに待つ若い女性の心理が描かれる。水の中に投げ出され、意識がなくなるまでのあいだ、彼女はこれまでの人生をふりかえり、相手と会ったときからのことをふりかえり、自分の気持ちを、まるで玉ねぎの皮を剥くように、一枚一枚はぎとっていく。そうして最後に圧倒的な絶望に身を委ねるのだ。
わたしたちは「暴力」のことを考えるとき、不可避的にそれを「ふるう者」とのセットで考える。緊張と敵対関係から生まれる暴力。人を支配し、抑圧するための暴力。だが、オーツが描くのは、暴力をなだめるために供出された、いけにえの目に映る暴力である。いけにえになる者は、まったく偶然に(美人だったから、というのが理由になるだろうか?)選ばれる。選ばれた者は、怯え、助けを願い、なんとかそこから逃れようとするが、それがかなわないことを理解したとき、いったいどうするのか。わたしたちが現実には決して知ることのできない、いけにえの目に映る暴力が、オーツの作品では描かれていく。
いけにえであるコニーは、アスベストの住宅(いまでこそ問題になっているが、60年代は防音・断熱用に優れた最先端の建材として、広く使われた)のなかに閉じこもる。だがその家は、悪魔を思わせるアーノルド・フレンドからは守ってくれない。追いつめられ、空っぽの体には、怯えしか詰まっていなかったコニーは、アーノルド・フレンドのささやき声に耳を傾けるうち、怯えさえもがどこかにいってしまう。ほんとうの空っぽになって、コニーは日差しのまぶしい広い世界に、自然の中に、自分から足を踏み出していく。「古い友だち」に誘われて、自分がそこから来た世界にふたたび戻っていく。
さて、この作品は、同時にオーツがボブ・ディランの "It's All Over Now, Baby Blue" という歌にインスパイアされて作ったのだという。小柄な体にぼさぼさの頭、体のなかに浸透していくような奇妙に密度の濃い声は、どこかアーノルド・フレンドにも重なり合うように思う。
ボブ・ディランを聴くたびに(といってもわたしはそれほど何度も聴いたことはないのだが)60年代にリアルタイムでディランを聴くというのはどういう体験だったのだろうと思わずにはいられない。おそらくその時代に持っていたパワーとか、魔術的な要素といったものは、いまのわたしたちの理解を超えるものだ。それ以降のあまりにも多くの「名曲」を聴いたあとにディランを聴いても、それはただの歌、ときにはいい歌だな、と思うことはあっても、その曲とのあいだに深い絆は生まれない。だが、このオーツの短編は、発表から四十年が経っても、たとえ日常の風景が変わったとしても、見慣れた風景に裂け目を入れて、その向こうの世界、言葉を越えたものが混沌としている世界をちらりと見せてくれるのに変わりはない。
最後にこの作品とどこか重なり合うイメージの歌詞をあげておく。
* * *
http://www.youtube.com/watch?v=YN25Pp0hrOM&feature=related
It's All Over Now, Baby Blue
You must leave now, take what you need, you think will last.
But whatever you wish to keep, you better grab it fast.
Yonder stands your orphan with his gun,
Crying like a fire in the sun.
Look out the saints are comin' through
And it's all over now, Baby Blue.
おまえはここを出て行かなくてはならない、
必要なもの、ずっととってけるようなものだけを持って
だが手元においておきたいものなら、
いそいでつかんで離さないことだ
向こうに銃を持って立っているおまえのみなしごは
太陽のなかの炎のように泣いている
気をつけろ、聖者がやってくる
さあ、何もかも終わったんだ、ベイビー・ブルー
The highway is for gamblers, better use your sense.
Take what you have gathered from coincidence.
The empty-handed painter from your streets
Is drawing crazy patterns on your sheets.
This sky, too, is folding under you
And it's all over now, Baby Blue.
ハイウェイはギャンブラーたちのためにある
自分のセンスを使った方がいい
集まったのは偶然でも、とりあえず取っておけ
おまえの町の通りから来た手ぶらの絵描きは
おまえのシーツに狂った模様を描いている
空も、そうさ、おまえの下に折りたたまれていく
さあ、何もかも終わったんだ、ベイビー・ブルー
All your seasick sailors, they are rowing home.
All your reindeer armies, are all going home.
The lover who just walked out your door
Has taken all his blankets from the floor.
The carpet, too, is moving under you
And it's all over now, Baby Blue.
おまえの船酔いした船乗りたちは
船を漕いで家に帰っている
おまえのトナカイの軍隊も みんな家に帰っている
ドアからちょうど出てきた恋人は
床から毛布を全部取り上げた
カーペットも一緒に、おまえの下で動いている
さあ、何もかも終わったんだ、ベイビー・ブルー
Leave your stepping stones behind, something calls for you.
Forget the dead you've left, they will not follow you.
The vagabond who's rapping at your door
Is standing in the clothes that you once wore.
Strike another match, go start anew
And it's all over now, Baby Blue.
踏み石なんかは放っておけよ
おまえを呼ぶものがある
おまえが置き去りにした死んだ人間のことも忘れてしまえ
やつらはおまえについてはいかない
おまえのドアを叩く放浪者は
おまえが前に着ていた服を着て立っている
もう一本マッチをするんだ、新しく始めろよ
さあ、何もかも終わったんだ、ベイビー・ブルー
* * *
“さあ、何もかも終わったんだ、ベイビー・ブルー”、さて、わたしはこれからどこへ行こう。