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便利な、不便な話

人生の分かれ道に来たなら
まっすぐでしっかりした道を選ぶんだ
白の女王をどんどん走らせてやれ
君を利口にする暇なんて与えないように
―― Yes "I've Seen All Good People"

働く人


1.便利になると不便になる

数年前、違法駐車の取り締まりが民間に委託されて、ずいぶん話題になったことがある。軽トラックを店の前の路上に停めて、いくつも重ねたビールケースを店内に運び込む酒屋のお兄さんの姿を映し出しながら、「こんな人も取り締まりの対象です」とレポーターが言う映像を、ニュースのなかで何度となく見たような気がする。酒屋のおじさんが宅配業者だったり、家電製品の配達員だったりして多少のちがいはあったが、みんな一様に「困ったことになりそうです」という趣旨のことを口にしていた。

こんな映像もよく流れた。停められた車がずらりと並んで、二車線が完全に一車線になっている。レポーターはここでは一転、うれしそうな顔をして「こんな状態がなくなるんです」と言っていた。同じ「違法駐車」も、ある場面では、取り締まることによって「不便」をもたらし、別の場面では「便利」になる。そのことがよく現れた出来事だった。

それから数年が過ぎて、車に乗らないわたしには、いまどうなっているのか、民間委託にした結果ほんとうに違法駐車が減ったのかどうかはわからない。ただ、自転車で道路の端や歩道を走っていると、路肩駐車や歩道に乗り上げて駐車している車が減ったことは実感される。

以前、歩道がふさがっているから車道に回ったところ、ちょうど運転席のドアが勢いよく開いて自転車に当たり、車道に投げ出されたことがあった。そのときは運良く車が来ていなかったから良かったものの、かならずしも交通量の少ない車道ではなかったことを考えるに、つくづく運が良かったなあと思う。そのとき痛打した膝は、ずいぶん腫れて、二ヶ月ぐらい痛みが引かなかった。わたしにとっては乗り上げ駐車がなくなったことで、自転車が走りやすくなり、「便利」になった。だが、車道の端を走る自転車の存在は、車から見れば、ずいぶん「不便」なものだろう。

さて、違法駐車の取り締まりも、まだ厳しくなかった十年ほど前の話である。
訪ねて行った先の知人が、青空駐車で略式起訴されてしまった、としょげていたことがあった。

その人が住む「マンション」の前の通りは、表通りから一本中に入った細い一方通行で、その先は行き止まり。つまり、界隈の住人以外は、利用する人もないような通りだった。

三階建てから五階建ての、小ぶりの集合住宅が所狭しと建て込んでいる地域で、いきおい駐車場もある程度離れたところにある。その結果、いつもその通りの半分は、ずらりと駐車した車で埋まっていた。知人の話によると、たとえ違法駐車であっても、暗黙の了解による「自分の場所」があるらしく、ちがうところに停めたりすると、吸い殻を前のボンネットの上に捨てられたりするような嫌がらせをされるのだ、とのことだった。

そこで、青空駐車の一斉取り締まりを喰らったのである。通りを埋めていた車は根こそぎやられたらしい。そう言われて、あたりが妙に広々として、光景が一変していたことを思い出した。それにしても少なからぬ罰金の総額は、いったい何に使われたのだろう。

その日だったか、それからあとのことだったか、知人が「遠くて不便」とつねづねこぼしている駐車場に、一緒に歩いていった。五分も歩いただろうか。交通手段というと、徒歩か自転車に限られていたわたしからすれば、まちがっても「遠い」などと呼べるような距離ではない。車のある生活をしていると、五分歩くだけでも「不便」と感じるのだろうか、と思った経験だった。

それからのちも、似たような経験をした。これは別の人だったが、車でショッピングモールに連れて行ってもらったときのこと。ショッピングモールの広い駐車場を、その人は入り口に近い場所を探して、ぐるぐるぐるぐる何周もするのだった。入り口から遠いといったところで、敷地のなかにある駐車場である。歩く距離というほどのこともないのだ。それでも、少しでも入り口に近い、「良い」場所が空くまで、何周でも回るのだった。

こういうのを見ると、「便利/不便」というのがいったいどういうことなのかよくわからなくなってくる。車に乗るようになると、たかだか二百メートルの距離さえ歩くのが不便なことになってしまうのだろうか……と考えていて気がついた。ある便利なものがひとつ生まれると、それを使わない、使えない状態が不便になってしまうのだ。

わたしたちはどこかで「必要は発明の母」、不便だったから、ある発明が生まれて便利になり、その結果、不便は解消された、と考えている。だがほんとうにそうなのだろうか。

移動手段が徒歩しかない時代であれば、歩くことは「面倒」ではあっても、それが「不便」だなどと考える人はいなかった。もっと速く走ることができて、しかも疲れない自転車、さらには自動車が普及して初めて、歩かなければならない状態が「不便」になったのである。

しかも車の登場によって、「駐車スペースを確保しなければならない」という「不便」が生まれてしまった。目的地のできるだけ近くに車を停める。これは「便利」だ。だが、その場所をそれ以外の目的で利用している人にとっては、駐車した車はそこを「不便」にするものだ。こうして、ある人の「便利」と、別の人の「不便」がぶつかりあう。問題を解消しようとして、方策を立てると、またそこに別の問題が出てくる。

こんなこともある。携帯電話が普及し始めたころ、一昔前の小型テープレコーダーのようなものを肩からかけて歩いている人を見た。それが出始めの「携帯」だった。それから数年後、いまよりふたまわりほど大きなのものになったころ、一台11万円ほどする携帯電話を持っていた人に会った。その人は、誰もこれにかけてくれない、とこぼしていたのだが、電話を持って歩かなければならないほどの人というのは、どれほどの用事を抱えているのだろう、と不思議な気がしたものだ。留守番電話でもファックスでもあるじゃないか。留守なら用件だけ残しておけばいいのに、と。

やがて携帯を持つ人が増えるようになり、持っていない状態はいつのまにか「不便」になった。すぐに「つかまらない」から、携帯を持ってくれ、とまで言われるようになったのである。一方で、携帯がペースメーカーの誤作動を招く、という「不便」も問題になった。

「それ」がないときは、「面倒」ではあっても、「不便」ではなかった。「面倒」を解消するはずの「便利」なものが登場すると、今度はそれがないことで生じる「不便」と、あることで生じる「不便」が出てくる。「不便」というのは、「便利」なものが登場して初めて生じる状況なのだ。
どうやらわたしたちの身の回りの「便利」と「不便」はそういう関係にあるらしい。

もう少し別の角度から見てみよう。

「面倒」の対義語は「便利」ではない。それが証拠に、宿題をやりなさい、と子供に言うと、「面倒くさい〜」という返事が返ってくるが、「不便だ〜」とは言わない。最近では「面倒な」計算問題は「電卓を使っても良い」とまで書いてあるのだが(!)、それでも子供が宿題を面倒がるのは変わらない。逆に、ゲームをする。おそろしく複雑なコントローラーの操作を「面倒」がりもせず、夢中になってやっている。どうやら「面倒」の対義語は、「便利」ではなく「楽しい」のようだ。

では「便利」と「不便」は「楽しい」とどういう関係にあるのだろう。
ここに、車の運転が好きな人がいるとする。公共の交通機関が充実していない地域に暮らしているその人にとって、車のない生活は「不便」だ。けれど、その人は車を運転していると、「便利」という言葉だけには回収しきれない「楽しみ」を感じることができる。それは「便利」ゆえの楽しさ、「便利」だからこそ味わえる楽しさなのだろうか。

確かに車は便利だが、「車の運転」ということに限ってみると、ハンドルやレバーの操作など、決して「便利な機械」とはいえない。その証拠に運転技術を習得しようと思えば、お金と時間をかけなければならない。いったん免許をもらっても、乗らないままでいれば、技術は落ちるばかりだし、個々人の「勘」や「能力」の差もある。隣りに乗せてもらって、二度と乗りたくなくなる人もいれば、運転の端々から「懐の深さ」のようなものを感じて、その人の別の一面を見たように思うこともある。電子レンジのように、ネコであろうが、料理歴三十年の人であろうが、ボタンひとつ押せば、同じように温まる、というわけにはいかない。

車の運転の楽しさは、技術の習得の困難さと達成感、さらにはそこに「自分らしさ」を発揮できる、という感覚にあるのではないか。
同じことがパソコンでも言える。おおざっぱにいうと、「パソコンが好き」という人と、「単に道具として使っているだけで、好きでも嫌いでもない」という人と、「パソコンはわからないから(わかりそうにないから)嫌い」という人に分けることができるように思うのだが、「パソコンが好き」という人は、パソコンがあると何かができて「便利」だから好きなのではなく、逆に、パソコンがかならずしも「便利」ではないから好きであるように思える。

パソコンはどのように使うこともできる。目的に応じてワードやエクセルなど、限られた機能だけを使って、それ以上のことをしなくてもいい、興味も持たなくてもかまわないし、逆に、これで何ができるんだろう、と、「目的」を新たに見つけだすこともできる。「パソコンが好き」な人は、パソコンでできる多種多様な機能を使いこなせるような、「目的」を見つけていくことが楽しいのではあるまいか。

ボタンひとつ押せばすむことは、誰にでもできるし、それ以上の技術を要することはない。何の楽しみもない、機械的な動作である。そうなると、立ち上がってボタンのところへ行くまでが「面倒」ということにもなってしまう。楽しみがないことは、どれだけ便利でも面倒なのだ。

ここまで見たことを、ちょっとまとめておこう。
「便利」は「面倒」を軽減したが、新たに「不便」という状態を生み出した。一方で、軽減されたはずの「面倒」は、性質を変えて残っていく。反面、「便利」は「楽しさ」を生まない。「楽しさ」を見つけることができるのは、「不便」さのなかである。「不便」は不都合だけを意味するわけではない。人によっては、また場合によっては「不便」のなかに「楽しさ」を見つけることができる。

さて、もう少し、わたしたちの身の回りの「便利/不便」「面倒/楽しさ」を見ていこう。


2.「便利」を追求していくと……


ブログには、自分の作った料理を写真入りでアップしているところもあって、そういうのを見ていると“きちんとご飯を作っているなあ”と感心してしまう。ところが岩村暢子の『変わる家族 変わる食卓』(2003)には、頭がクラクラしてしまうような「普通の家庭」の一週間の食事が報告されているのだ。

 例えば、こんな主婦(二七歳)がいる。調査一日目は友達の家に遊びに行き帰りが遅くなり、夕飯は「時間がなかったためあり合わせで簡単なものに」する。夫は飲みに行き家で食べていない。二日目は休日だったが「疲れていたから」朝は前日の夕飯の残りをそのまま出している。そして昼は子どもを連れて動物園に遊びに行き、売店で買ったおにぎりや焼きそばを食べる。夜は夫の友達が来たのですぐにできるものをと考え、スーパーの惣菜とインスタントの素でできる料理を作る。

 三日目は家族で実家へ出かけ、「実家に行ったときは全く手伝いません」と朝から三食、実母に作ってもらってたべている。翌日の四日目昼まで同様。そして、夕方帰宅するが「帰ってくるのが遅くなって時間がなかったので」炒め物などで適当に済ませる。五日目は、「朝は時間がないので」納豆だけで食べさせる。昼は「友達の家に遊びに行ったので時間がなくなり」コンビニで買った菓子パンとおにぎりをその家で子どもと三人で食べる。夕食は「帰ってくるのが遅くなったため時間がなくて」テイクアウト弁当を買ってきて家族で食べている。

 六日目の朝は「最近忙しくて買い物にも行っていないので」冷凍庫に唯一残っていた冷凍のハンバーグを母子三人で分けて食べている。寝坊した夫は食事抜き。昼は遊びに出かけ、途中で買った菓子パンとアップルジュース。夜は「たまにはゆっくりと夕食したい」とカラオケへ出かけ親子で焼きうどんを食べている。七日目は、残り物とハンバーガーと、うどんの朝、昼、夕であった。

「小さい子どもがいるので、毎日忙しさに追われて買い物にも行けないときがあり、食事の手間はかけられない」とインタビューでは語っていた主婦の、これが一週間の食事である。

(岩村暢子『変わる家族 変わる食卓――真実に破壊されるマーケティング常識』勁草書房)

「忙しい」「疲れる」の中身がこれか、と「こんな主婦(二七歳)」の怠惰を批判するのはとても簡単だ。だが、これこそが「便利になると不便になる」ことの行き着く先ではあるまいか。

井戸で汲んだ水を瓶に溜めていた時代、かまどで火をおこすことから始めなければならなかった時代には、それがどれほど「面倒」でも、それ以外の選択肢はなかった。ところがスイッチひとつでご飯が炊けるとなると、「炊飯器の内釜を洗わなくて済むように一度炊いたら三日間入れっぱなしで保温」(『変わる家族…』)するようになってしまう(いったい三日目のご飯は、どんな状態なのだろう。想像するだけで、気分が悪くなる)。

ガスコンロをひねれば火が使え、焼き魚であろうが、煮物であろうが、炒め物であろうが、なんでもにできる「便利」な時代になると、今度はそれをしなくてすむ選択肢がある。パック入りのお惣菜を買ってくることにくらべて、魚をおろし、鍋に煮汁を張って煮魚を作ることは、とんでもなく「面倒」なことになってしまった。出来合いの惣菜や冷凍食品を使えないのは、「不便なこと」ですらある。調理手段・調理方法が「便利」になればなるほど、料理をすることは「不便」になっていく。

岩村暢子はこう指摘する。

「「時間がない」とは主婦の生活時間を見ても調理行動を見ても、一部を除いて絶対的時間不足を意味しているのではない。料理に手間暇をかける気分になるような時間はない」ということなのではないだろうか。多くの場合、他に優先されることがあるから食事の支度なんかにかけている「時間がない」。あるいは、他のことを優先してしまうために、結果として食事を作る「時間がない」ということであろう。主婦の多忙さを「女性の高学歴化」や「女性の社会進出」で語る分析は、もはやあまり意味をもたないのである。

「便利」になると、わたしたちは「不便」なことはしなくなる。ちょうど、駐車場を何周しようと、出入り口のすぐ近くに車を停めて、歩くことを避けようとするように。内釜を洗わなければならない「不便」を避けて、保温しつづけ、黄色く変色していやなにおいがするであろうご飯でも、平気で家族に食べさせるように。

だがそこまでして「不便」を避け、「便利」を追求しても、「主婦(二七歳)」が「疲れている」のはどうしてなのだろう。ひょっとしたらそれは、「不便」を避け、「便利」を追求しているからこそ感じる「疲れ」なのではないか。


3.規範と選択


わたしが子供の頃でも、スーパーにはお惣菜のコーナーがあった。だが「そんな『出来合い』のおかずを買う」のは、母が病気で台所に立てないなどの特別な事情があるときに限られていた。外食の機会も限られ、ファーストフードは中学生ぐらいになって、休みの日や放課後に友だち同士で立ち寄る場所であって、家族で行くところではなかった。

当時でも、食事は母親が作る以外の選択肢がないわけではない。だが、一家の主婦は食事の支度をするものだ、という規範の感覚は、母親たちにそれ以外の選択をさせないほど強いものだったのだろう。

その結果として、母親たちの世代の“台所に縛り付けられた”という意識は強い。わたし自身、「あんたは“家庭婦人”になっちゃだめ、しっかり勉強して弁護士か医者になりなさい」と言われ続けて成長し、大学に入るまで米をといだこともなければ、洗濯をしたこともなかった。

 現代主婦は料理学校には行ったことがあっても、家庭で料理をした経験がほとんどない。二〇〇一年度調査時点では、独身時代に料理をしていたという主婦は、一〇人に一人か二人である。しかもそれはたいてい実家で習っているのではない。…いまは、母親が娘に「させたがらない」から、経験がないのである。

「母は、結婚までは家事以外の自分のしたいことをしなさいという考えだったから、料理はさせられたことがない。結婚前に料理教室で習っただけ」(三〇歳)、「母は、勉強さえしてくれればいいのよ、と言って私に台所仕事を手伝わせなかった。母と台所に立った記憶はない」(三四歳)、「結婚前はほとんど台所に立ったことがなく、結婚が決まってから母に教わろうとしたら、母の方がイライラして自分でやってしまって教えてもらえなかった(三九歳)など、こんな話ばかり出てくる。…これは、彼女たちの母親世代の共通した姿勢といってよいだろう。

(『変わる家族 変わる食卓』)

選択肢があることを知ってはいても、それを選ぶことのできなかった世代は、そのつぎの世代に「したくないことはしなくていいんだよ」「自由に選択していいんだよ」と教えた。そうしてつぎの世代は教えられた通り、「したくないことはしない」ようになった。

「時間がなかったためあり合わせで簡単なものに」した夕食、コンビニで買ってきたおにぎりと菓子パンの日々のなかで、食事は単に燃料補給、飢えを満たすだけのものとなる。それは食事だけに留まらない。家族は決められた時間に食卓に集まることもなくなり、気持ちよく食事ができるように家の中を整えることもしなくなるだろう。料理をすることも、掃除をすることも昔よりはるかに便利になったにもかかわらず、家事の持つ意味はどんどん軽くなり、「したくないことはしないですむ」ものとなり、いよいよ「したくないこと」になっていく。

そのことは、たちまちふたつの問題を生むだろう。
ひとつには、〈家族〉というのは、そこからさらにつぎの世代を生み、育てていく場であるということ。もうひとつは、母親たちの世代が家事に縛り付けられていた時間を「したくないことはしない」母となった娘たちは、代わりにいったい何を「自由に選択」しているのだろう、ということだ。


4.選択という幻想


大学に入るまで、米をといだこともない、洗濯機を使ったこともなかったわたしは、結局、それ以降は自分でやるしかなかった。もちろん外食するほどのお金がなかったということが大きかった。だが、わたしにも手が出せるくらいの加工品や外食は、どうもおいしくなくて食べる気がしない、という面もあったのだ。そこで英文法を文法書で勉強し、微分方程式を数学の参考書で勉強したように、料理の本を見てイカのさばき方を覚え、毛糸のセーターを洗うときも、合唱団の舞台衣装のドレスの縫うときも、本を見てやった。自分でやるしか選択の余地はなかったのだから仕方がない。

だが振り返れば、本を見て料理をしていたのは、母も同じだった。家には土井勝を始め料理の本がたくさんあったし、母はそれを見ながら料理をし、レパートリーを増やしていった。本を見て料理を覚えたわたしは、自分では気がつかないまま、母の真似をしていた。わからない言葉は辞書を引く、百科事典を見る、図書館へ行ってみる、本は何でも教えてくれるという根本的な信頼感が空気のように流れている環境に、わたしが育ったということもあっただろう。

そしてまた、料理するとき、食べるときの「おいしいかおいしくないか」という味覚は、自分が育つなかでつちかわれたものだった。能力を発揮できる限られた場で母が発揮した能力は、わたしの味覚を育て、身体を育てた。母がわたしに伝達したのは「“家庭婦人”になっちゃだめ」というメッセージだけではなく、それとは相反する、本を見て料理をすることであり、家族の世話をし、時間がくれば台所に立つ、ということでもあったのだ。

わたしたちはいくつもの選択肢のなかで自分が決定を下した、と考えている。便利な道具を選ぶことも自分、料理をしないことを選ぶのも自分……。
だが、ほんとうにそうなのだろうか。わたしたちを取り巻いているさまざまな世界の側が選択肢を提示し、わたしたちはそれと向き合い、否応なく選ばされるなかで、逆に自分の方が形成されていくのではないのだろうか。

やがて今度は子供を育てる側にまわると、母親になり、あるいは父親になりして、わたしたちの側が子供を取り巻く「世界」の一部になっていく。このときわたしたちが意識的・無意識的に差し出す選択肢が、今度はつぎの世代を形成していくことにもなるのだ。

『変わる家族…』の調査に出てくるような人たちは、自分が現在用意している食卓を、子供が親となってそのままその子供たちに出している情景を想像して、背筋が寒くなったりすることはないのだろうか。それとも、「料理なんかに手をかけるよりはもっと楽しめばいいのよ」と応援するのだろうか。もっとも、つぎの世代には「自分が料理をする」という選択肢すらなくなっているのかもしれないが。


5.思い通りにならない毎日のなかで


ストレス、という言葉が日常化して、いったいどのくらいになるのだろう。だが、改めて考えてみると、このストレスという言葉、いったい何を言っているのか、よくわからない言葉だ。

『変わる家族…』にはしきりに「ストレス」という言葉がでてくる。いったいどんな状態が「ストレス」に当たるのか、ちょっと拾ってみよう。

「健康のためにダイエットを始めてから大好きなカップ麺を控えていたが、好きなものを我慢するのはかえってストレスになって身体に良くないと思い、時々食べるようにしている」(三二歳)、
あるいは「ハム、ソーセージなどは健康のために無添加のものを使うようにと思っているが、完璧にと考えて無理するとかえってストレスになるから、しない」(三三歳)、
「身体に良いからと言っていつも手作りというわけにはいかない。私の息抜きが必要だから身体に良いとは思わないものも食べたり、大好きなハンバーガー店に行ったりすることは必要なことだと思う」(三九歳)

東海道を歩いて旅していたころの人びと、日が昇ってから暮れるまで、野良で鍬をふるっていた人びとは、「ストレス」などという言葉は知らなかった。樋口一葉の作品の登場人物たちも、生活の苦しさ、お金がなくて、明日の生活が立ちゆかないかもしれない苦しさは味わっていても、それはもっとずっとリアルな、「ストレス」などというよくわからないものとはまったくちがう、手触りのくっきりした「苦しさ」だったろう。

だが、「カップ麺」を食べられないことを「ストレス」と言ってしまう人は、やはりその人なりのしんどさを抱えているように思う。別のことで感じているしんどさを、うまく自分でも感じ取ることができなくて、「カップ麺」を食べることでまぎらわしているのではないか。そしてまた、それぐらいでしか気をまぎらわせるものがない人の毎日は、樋口一葉の登場人物たちとはまったく別の意味で、いったいどれだけ貧しいのだろう、と思う。

『変わる家族…』に出てくる「現代主婦」(、一九六〇年以降生まれの主婦)が料理の代わりに「自由に選択」したことはいったい何なのか。それは

(※子供の)成長に従って公園遊びやママともとの交友、お稽古事や塾の送迎、PTAと、次々に「子どもをより良く育てるために」しなければならないことがあり、子どもの食事は後回しにされていく。
 そして、「送迎」がなくなると、主婦はようやくできた「自分自身の時間」を大切にしたり、「自己実現の趣味」もしたい。あるいは「パート」という別の理由も浮上してくるから、「手をかけて料理を作る」日は一向に来ないのである。

母親たちの上の世代は、生き方の選択などほとんどなかった。母親たちは、それ以外の生き方があることを知ってはいても、自分たちにその選択権は委ねられていない、と感じていた。だからわたしたちの世代には、「なんでも好きなようにやりなさい」と教えた。その結果、逆に選択の責任を、自分ひとりで負わなくてはならなくなってしまったのがわたしたちの世代だ。何かを選択したとしても、いつも「それ以外の可能性がある」「もっといい選択をしている人がいる」という情報は、いくらでも入ってくる。もっと充実した生き方ができるのではないか、社会的に重要な役割を自分なら果たせるのではないか。子供を育てていても、「より良く育てる」情報はいくらでも入ってくる。自分の選択に確信も持てないままつぎつぎに選択を迫られ、はっきりした結果が出るわけでもない。その状態は、とてもしんどいことかもしれない。

大きな事件が起こるたび、マスコミは加害者の経歴を伝える。それには、ついこの間まで「ふつうの」人だった加害者、ごく当たり前の生活を送っていた人びとが、一歩足を踏み外した結果、そこからずるずると滑り落ちていくさまが描かれていることが少なくない。そういう人を見るたびに、ふつうに生きることというのは、こんなにもむずかしいことだったのだろうかと思わずにはいられない。

わたしたちはそんなにもむずかしい選択を日々重ねているのだろうか。選択を誤れば、すべり落ちていくしかないような。あるいは、自分ではない、家族のもっとも弱い人間を犠牲にせざるをえないような。

J.G.バラードに「時の庭」という短篇がある。

あるところに伯爵夫妻が住んでいる。地平線のはるかかなたに蛮族の群れが襲来してくるのが見える。伯爵夫妻は庭に咲く「時の花」を一本摘む。すると大群は姿を消す。だが、翌日になるとまた大群はが現れる。夫妻はまた一本摘む。摘むたびに姿を消す大群は、それでも日ごとに近くへやってくる。やがてそのざわめきがすぐそばで聞こえてくる頃、庭に咲いている「時の花」も一本もなくなって……という話である。

だが、生きるということが、たとえ「時の花」を一本ずつ摘みとっていくようなものだとしても、わたしたちは一日のあいだ、迫り来る「大群」を見えないものにし、忘れたふりをする以外のこともできるはずだ。逆に、いつかかならず「大群」が押し寄せてくるからこそ、「何もない一日」がかけがえのないものであることがわかる。日々の繰りかえしは、実は繰りかえしでもなんでもないのだと。



最初に見てきたように、便利なことは不便を生む。面倒は、どこまでいってもなくならない。そう考えていけば、毎日毎日同じことをつづけなければならない日常生活こそ、何よりも面倒なものだ。

しかも、わたしたちはひとりでは生きられない。自分の決して思い通りにならない人とさまざまなかたちで共に暮らしていかなければならず、そこにどれだけ「便利」を導入しようとしても、かならず摩擦や行き違い、対立は生まれる。

さまざまなことが「便利」になった結果、一番「不便」になったことは、わたしたちに「面倒」の耐性がなくなったことだろう。「面倒」は改善すべきものであり、悪であるから、ちょっとの「面倒」も耐えられず、それが「ストレス」になり、わたしたちを苦しめる。「ストレス」を避けて「便利」を選べば、今度はその選択が「良かったのか悪かったのか」責任を問われる。その回答は誰も与えてくれないから、不安なまま「それで良かったんだ」と自分に言いきかせ、つぎのことに向かうが、そこでもまたつぎの「面倒」が待っている……。わたしたちはいま、もしかしたらそんなスパイラルのなかにいるのかもしれない。

いったん新しい発明が生まれてしまえば、わたしたちはもはやそれを捨てて、それがない状態に戻ることはできない。つまり、「便利/不便」という区分が生まれてしまえば、便利を選択するのは不可避なことなのである。

だが、そこに「楽しみ」という観点を導入すれば、わたしたちの選択も変わってくるのではあるまいか。
ここで「楽しい」というのは、ディズニーランドに行くとか、新しい何かを買うとかの「消費」ではない。簡単にいってしまえば、「できなかったことができるようになる」「なんとかできていたことが、もっとうまくできるようになる」ということだ。車の運転でも料理でも翻訳でもゲームでも、それは一緒だ。

以前、キャンプに行ったとき、かまどに火をおこすところから料理をやったことがある。割り木を積んだ上に、一枚ずつ丸めた新聞紙の玉をいくつものせて、まずそれに火をつけるのだ。木に火がつくまでがなかなか大変で、そのとき生まれて初めて「火吹き竹」なるものも使った。やがて赤々と燃えだした火は美しく、それを見ているだけで楽しい経験だったが、火を鑑賞するだけで終わるわけもない。そこから大鍋に野菜や肉をぶちこんでビーフシチューを作ったのだが、湯を沸かすだけで一苦労で、煮込むからといって弱火にするのも簡単なことではない。夏のことで全身汗だく、しかも軍手をした手はすすまみれ、終わるころにはぐったり疲れてしまっていた。キャンプならいざしらず、毎日の仕事であれば、晩ご飯ひとつ作るのがどれほど大変なことだったか、ガスコンロのない時代のことがしのばれたのだった。だが、いまやこの「不便」は、わざわざお金をかけて求める経験なのである。

便利なものは、確かに日常を便利にしてくれるが、楽しくしてくれるものではない。もちろん、新しい電化製品を買った当初は楽しいが、じきそれにも慣れてしまうと、もはや何の感動もなくなる。

だからこそ、人は不便を求める。キャンプばかりではない。釣りにせよ、登山にせよ、多くのレジャーは「不便」を求めるものだ。そういうときの「不便」は「楽しい」。ふだん、風呂の水を入れて、と母親から頼まれて、蛇口をひねることさえ面倒がって、ぶうぶう言う子供が、そういうときなら水汲みだろうが、薪割りだろうが嬉々としてやるだろう。

日常でわたしたちが遭遇する「出来事」は、昨日と同じでもはや「出来事」の体をなしてはいない。そこで「やらなければならないこと」は、単に日々の義務でしかなくなっている。それをしないですむこと、「便利」なこと、手を抜け、労力をかけずにすませることができれば、わたしたちはそれに飛びつく。

だが、非日常でわたしたちが遭遇する「出来事」は、くっきりとした輪郭を持ち、わたしたちの前に「やらなければならないこと」として立ち現れてくる。わたしたちはそれを引き受ける。そのとき、わたしたちは自分に何ができるか最大限、考えるだろう。うまくできたり、できなかったりすることを知るだろう。自分がどんな人間なのか、そのときの行動のなかに、自分自身が立ち現れる。非日常の楽しさとは、自分が立ち現れてくる実感なのではあるまいか。

やらなければならないことを引き受けた自分を元手に、人はまた日常に戻っていく。日常生活が表面的には繰りかえしに過ぎなくても、日は流れ、季節は移りゆく。同じ日は二度となく、それを繰りかえすことによって少しずつできないものができるようになり、できるものは手慣れてゆく。そうするなかでわたしたちは「繰りかえす」ことの楽しさ、変わらないことのありがたさを学ぶことができるのではないかと思うのだ。

「便利」は「不便」を生む。「面倒」なことはどこまでいってもなくならない。そうであるならば、「不便さ」のなかに楽しさを見つけだそう。自分のできることを少しずつ増やしていこう。いまはそれがむずかしくても、いつかきっとできるようになる。

少なくとも、わたしはそう思っている。

初出Aug.5-6, 2008 改訂March.30 2009

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