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鶏的思考的日常 ver.11〜キャッチャー・オブ・ザ・トコロテン 編〜



2007-02-22:洗濯機の法則(補筆)

ときどき思うのだけれど、いまや洗濯というのは家事のうちに入らないのではないだろうか。
全自動だと洗濯機に洗濯物を入れてボタンさえ押しておけば、あとは全部やってくれて、干しさえすればよい。朝の陽を浴びて洗濯物を干すのは気持ちがいいし、まあ取りこんだあと畳むのはめんどくさいのだけれど、せめてそれくらいは文句を言わずにやろうと思っている。

ところで、これまでのわたしの経験を鑑みると、洗濯機の置き場と家賃のあいだには相関関係があるように思われる。
わたしが大学の寮を出て最初に生活をするようになったアパートは、入り口のドアの横が洗濯機の置き場だった。大荷物を下げて帰ってくると、洗濯機の上に買い物袋をのせて、部屋の鍵をカバンから取りだしていたものだ。うっかり部屋の中に入れ忘れて、どこへおいたのだろう、とさんざん探した挙げ句、もしや、と思って外を見たら、しっかりそこに置いてあった、ということも何度かあった。一度などはアイスクリームを忘れてしまってどろどろにしてしまったこともある。

そのころ使っていた洗濯機は、先輩から3千円で譲り受けた小さな二層式のものだった。もともと中古の洗濯機だったらしく、ずいぶん昔の製造年のシールが裏の方にはってあった。
朝起きて、とりあえずアパートの外に出られるくらいの格好に着替えて、サンダルを履いて外に出て、洗濯をする。冬はふきさらしの廊下は寒くて、上着を着てマフラーを巻いて、手袋まではめてやっていた。洗剤を入れて10分ほど回すと、まず軽く脱水をして、それから水を張って、すすぎを二回、それから脱水、と洗っている物も何度も出し入れしなければならなかったし、それに合わせてこちらも何回も出入りしなければならかった。
廊下も人が通ったし、下の道から丸見えでもあった。いわば、衆人環視のなかで洗濯をしていたわけだ。

やがてそこを出て、もう少し広くて日当たりの良い、家賃も二割ほど高いところに移った。今度は洗濯機の置き場は、ベランダになっていた。
ベランダに置いた洗濯機は、洗濯がすむとすぐそこに干せるのはありがたかったし、玄関脇よりはずいぶんマシだったが、それでもやはり下を通る道からは見えるし、洗濯をしようと思ったら、パジャマのまま、という訳にはいかない。
洗濯をするためには、それなりの身支度が必要なのだった。

それから数年が経過して、つぎには「マンション」と呼ばれるところに入った。英語でいう mansion の、敷地内にある使用人のための小屋よりも、敷地面積はさらにせまかったのだろうが、それまで住んでいたところよりは、格段に良かった。
そうして、ついに専用の洗濯機置き場が、風呂場の外、脱衣場のわきにあったのだった。
薄いベージュ色のプラスティックでできた排水口付きのちゃんとした洗濯機置き場に、えらく古い二層式、しかも玄関脇やベランダと雨風にさらされた洗濯機はプラスティックの部分が、黄色がかったグレーというのか、グレーがかった黄色というのか、なんともいえない面妖な色に変色していて(元は白かったのだ)まったく似つかわしくなかったのだが。

そこに移って間もなく、洗濯機は壊れた。ベルトが切れて、ドラムが回転しなくなったのだ。譲り受けてから六年ほど経っていた。そのころやたらあちこちで見かけるようになった家電量販店に行ってみると、全自動は思ったよりずっと安かった。かえって、端に追いやられた二層式の方が高いくらい。迷わず小ぶりの全自動を買ったのだった。
さすがにそれは洗濯機置き場に、ぴたりとおさまった。

いまや洗濯をする前に、上着を着こんでマフラーを巻く必要もないし、何度もふたをあけて手を突っこんで、洗濯物を取り出したり移したりする必要もない。洗う前にネットに入れたり仕分けして洗濯槽に入れさえすれば、あとはボタンを押せば、全部やってくれる。

家賃が上がるにしたがって、洗濯機は見えない場所へと移行した。洗濯機の値段があがるにつれて、洗濯という行程も、見えないものになってしまった。

洗濯場が共同の場だった時代もあったのだ。わたしはん経験したことはないけれど、長屋で赤ん坊を背負ったおかみさんたちが、たらいと洗濯板を持ってしゃべりながら洗濯をしている場面を、昔の映画で見たこともある。
当時といまを較べれば、洗濯は、信じられないほど密やかな行為になってしまった。

それでも、生物学的なレベルでいうと、生きる、とは、代謝をおこなうということだ。それは食べることであり、動くことであり、成長することであり、排泄することだ。つまり、生きるとは、汚すことでもある。

どうやら人間は排泄を隠すように、自分が汚したものも隠し、さらにはその汚したものをきれいにしているところも隠したくなるものなのかもしれない。
けれども、隠し、遠ざければそれだけ「汚れ」は「汚れ」と意識されるのではないか。ほかならぬ自分の身から出た汗や体液の痕跡が「汚らしい」ものに映ることはないか。

いまのわたしは、人目に触れない場所で、密やかに洗濯をしているわけなのだけれど、洗濯物を、「汚れ物」というふうには、あまりとらえたくない。

ジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』という小説の末尾近く、主人公のヨッサリアンが、ともに戦闘機に乗っていた砲手の少年をなんとか助けようとして、その怪我の全貌を目の当たりにする場面がある。「スノードンの体は床まで切り裂かれてずぶ濡れの山となっており、あとからあとから血が流れていた」。剥きだしになった内臓の山を目の当たりにして、ヨッサリアンは考える。

彼の内臓のメッセージを読みとるのはたやすいことだった。人間は物質だ――それがスノードンの秘密だった。窓から放り出してみろ、人間は落ちる。火をつけてみろ、人間は焼ける。土に埋めてみろ、人間は腐る――他のあらゆる台所屑と同じように。精神が消えてなくなってしまえば、人間は台所屑だ。

(ジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』飛田茂雄訳 ハヤカワ文庫)

精神があろうがなかろうが、物質レベルでいえば、人間は台所屑なのだ。台所屑であるわたしが、つぎにまた汚すために、洗っている。そういうことなのだろうと思う。

洗濯機が、家のなかへ、奧へ、目立たない場所へと移ったとしても。
直接に、洗い物にふれることが少なくなったとしても。
洗濯する前の、着終えた衣類を「汚れ物」とは考えたくない。

鶏頭




2007-02-20:苦労は買ってでもしろ、というけれど

このあいだ、新聞を見ていたら、つい「悩み相談」に目が留まって読んでしまった。

相談者は四十二歳の女性(主婦)で、これまでさしたる苦労もせずに生きてきたけれど、これから大きな不幸が降りかかってきたときに耐えられる精神力があるかどうか自信がないから、いまから少しずつ苦労に慣れておいた方がいいのだろうか、「はしかと同じように、苦労も年齢が進むほどダメージが大きいと思いますが……」(2007年2月16日付け 朝日新聞)というもので、なんとなく相談者のずれっぷりがおかしくなって笑ってしまったのだった。

回答者の室井佑月は苛立ちを隠せないようすで「『世の中には大変な人たちもいるのね、自分は違うけど』。あなたのいっていることには、そんな選民意識の高いイヤらしさを感じざるを得ない」と書いていたけれど、まあ、何を言ってもわからない人にはわからないわけで、これがでっちあげたものでないのだとしたら、相談者の方はいったい自分がなぜ怒られているのか、見当もつかないだろう。

逆にこういう人が「幸福」と思うのはどんなことなのだろう、と聞いてみたくなったりもする。
たとえば親の/配偶者の年収であるとか、学歴・職歴であるとか、全部、数値と名詞で説明できる自分の外側のモノサシなんじゃないのだろうか。そうして、その外側の規準には「平均値」のところに赤い印がついていて、ああ、自分はだいたいどれもその上をいっている、だからシアワセなんだ、って、そんな雑な感じ方しかできないのではないだろうか、と思ってしまうのだ。

「苦労」というのは、結局は、いまの自分では対処できないことに対処するよう求められる、ということだ。いまのままでは対処できないから、なんとか「いまの自分」を作りかえることで、それに応えなくてはならない。うまくいくこともあれば、いかないこともあるけれど、どちらにしても、「いまの自分」という限界をつきつけられ、そこを乗り越えようとする試みであることには変わりはない。
もちろん外から求められるばかりでなく、自分から進んで限界を乗り越えていこうとすることもある。こういうときはあまり「苦労」とは言わない、やはり「苦労」というと、外から強いられるものという側面はどうしてもあるから、必然的に、そのときはつらいことでもある。

自分を作りかえるというのは、実際、並大抵のことではないし、うまくいかないことも多いし、また、時間だってかかる。
だからこそ、「苦労」の記憶はその時期をうまく乗り越えられることができさえすれば、充実感をもって振り返ることができるのだし、他人の苦労話は、関係のない人間にとっては、どうしても自慢話に聞こえてしまう側面を持つ。

苦労をしたことがない、というのは、つまりはその人の限界を超えるように求められたこともなければ、自分から求めていったこともない、ということで、つまりはその人がどこかで大きく成長したり、何かを克服した、という経験がない、と、自分から認めているわけだ。
それでも、何かひとつでも真剣にやろうとしたことがある人なら、まちがってもそんなことは言えないのではないだろうか。

年末にやった件の「陰陽師的2007年占い」でも書いたのだけれど、わたしは「幸福な出来事」や「不幸な出来事」というものがあるとは思わない。自分自身に起こる出来事でも、それが幸福か不幸かということなど何とも言いがたいし、そのときはどれほどつらい出来事であっても、そこから何かを学び、生みだすことができるなら、その人にとってはきわめて大きな意味を持つ。それを「幸福か不幸か」とレッテルを貼ることに、何の意味もないと思うからだ。

苦労は不幸を意味しないし、かといって、逆に、苦労の経験がないことが不幸であるとも思わない。その人がどう感じるか、というだけだ。

失敗した経験は、その人が届かないことをやってみようとした経験でもある。
届かない思いは、たとえ届かなかったとしても、それだけの人に会えた、という経験でもある。
問題は、その経験を通して、その人が何を感じるかということであり、そこから何を引き出し、自分のなかに意味づけていくということだ。

苦労というものは、その女性が考えるように、来るべき「不幸」に備えて、少しずつ体を慣らしておく免疫ではないだろう。
それにしても、その人はふだんから周囲に無自覚にそんなことを言って、あの人はああいう人だからしょうがない、という目で見られているのかもしれない。そういうのはわたしから見たら、かなりキツイ事態のように思えるのだけれど。

鶏頭




2007-02-08:好きなものはわからないもの

このあいだTVを見ていたら、ものを食べる番組をやっていた。
タレントだかなんだかが、出てきたものを口に入れ、咀嚼して呑みこんで、それからどうのこうのと感想を言う番組である。

ところがその感想というのが、変わり映えがしないのだ。
何を食べても、だれが食べても
「あまーい!」
「やさしい味です」
「外はサクサク、中はすごく柔らか」
だいたいこの三つのパターンに収まる。
メンチカツを食べても、魚を食べても、パイを食べてもその三つをとっかえひっかえしているだけなので、おそらくあらかじめ台本などないのだろう。

食べたものの味ばかりではない。読んだ本、聴いた音楽、観た映画、自分が見たり聴いたり食べたりしたものを、ひとに説明することは、簡単なことではない。おいしかった/おいしくなかった、良かった/良くなかった、おもしろかった/おもしろくなかった、これ以上のことをなんとか言おうとすると、それはもう大変だ。

以前、『美味しんぼ』というマンガを読んだことがある。そのマンガでは、主人公のカップルが食べた物をあれこれと論評するのがストーリーの中心なのだけれど、その言いまわしのバリエーションはおそろしく豊富で、ちょっと滑稽なほどだった。美辞麗句のオンパレードというか、よくぞここまで、というか、味に関するありとあらゆる言いまわしが、これでもか、これでもか、と出てくるのだった。

けれどもそれを読んでみて、味の想像がつくか、というと、ちっともつかない。それを読んで、お腹が空いてくるか、というと、そんなことはない。その形容によって、読み手の世界が拡がるような、そんな表現ではなく、ただ言葉が過剰にあふれている印象しか受けないのだった。
過剰な言葉は、決して豊かな表現とはなっていかない。わたしはそのマンガを読んだとき、そのことを知ったのだ。

よく、文章指南の本などには、ボキャブラリを増やしなさい、と書いてある。ただ、単に辞書的に言葉数を増やしただけではどうにもならない。できあいの言いまわしをいくら知ったところで、それは自分が言葉を使うこととはまったくちがう。
それを感じるのは、ほかでもないこの自分なのだ。できあいの言いまわしに自分の感じ方を当てはめるのではない。単純なありきたりの言葉の組み合わせをさぐりながら、同時に自分の感じ方を言葉によって豊かにしていくことが必要だ。

これはわたしだけなのかもしれないけれど、音楽にしても、本にしても、映画にしても、あるいは写真や絵にしても、心を深く動かされたときというのは、たいてい「よくわからない」と思う。
何なのだろう。このわからなさはどういうことなのだろう。さまざまな言葉を当てはめて、それでも、それでは言い切れない、どうやってもわかるようにならない。
それでも、そのわからなさを持ちこたえていれば、ふと、思わないところから、手がかりが得られたり、何か固いものにコツンとぶつかったりする。そこを手がかりに、少しずつ、少しずつ、読み解いていく。
そこでは好きなものを知っていくことは同時に、自分の感じ方を深めていくことにもなる。
そんなふうに時間をかけて、それでもまだよくわからない、そういうものがわたしにとって好きだと言えるものなのだ。

そういうときに、できあいの、何か言っていそうでそのくせ何も言っていない表現は、鬼門だ。それを使っておさまりのいい表現にしてしまうと、そこからはもう何も深まっていかないように思う。

わたしは食べ歩きのレポーターではなくて良かった、とつくづく思う。
だってわたしに食べさせても、たぶん、じーっと考えこんでしまうから。

鶏頭




2007-02-07:読むことと見ること

星新一のショートショートに『おーい、でてこい』というものがある。

突然、穴が出現する。誰かが隠れているのだろうか、と「おーい、でてこーい」と呼んでも、返事はない。石を投げてみても、底に届いた音がしない。そこでみんないろんなものをその穴に捨て始める。死体だの、廃棄物だの、ありとあらゆるものを捨ててしばらくしてから、上の方から「おーい、でてこーい」という呼び声がして、石が降ってくる……。

これを劇にしたものを、弟が小学校のときにやることになった。
台本を見せてもらったのだが、クラス全員にせりふが行き渡るように町の人のせりふが増やしてあるけれど、ほぼ原作通りに進行する。ところが最後に、石が落ちたあとに「このあと、町の人たちが捨てたものが、あとからあとから降ってきたのでした」というナレーションがつけ加えられていたのだ。

なんでこんないらないことをするんだろう、と腹が立った。そんな蛇足をつけてしまうと、原作のシャープなエンディングが台無しになってしまうじゃないか。

ともかくわたしは中学が休みだったか何かで、その劇の発表会を、母の代理で見に行ったのだった。
劇はつつがなく進行し、「おーい、でてこーい」という声がしたあと、石が落ちてきて、 幕が下りた。
わたしのまわりで、お母さんたちがざわざわとどよめいている。クエスチョンマークがあちこちに浮かんでいるのが見えるようだ。
そこにナレーションが入った。
「ああ、そういうこと」と、あきらかにホッとした空気が流れたのだった。
台本を読んだときにはまったくのつけたしにしか思えなかったナレーションは、完全に功を奏したのだった。

このとき、わたしは「本を読むこと」とそれを見ることにはちがいがあることを知ったのだった。

本を映像化したものをわたしたちは映画やドラマで見ることがあるけれど、本と、そうした映像とのあいだには、ずいぶん差がある。
主要な筋はそのままであっても、登場人物の数は減り、細かなエピソードなどはずいぶん落としてあることが多い。だから、本を読んで、映像化されたものを見ると、なんとなくスカスカになったような印象を受けてしまう。

それは、本で読むことにくらべて、映像の方が細部をとらえにくいからなのではないだろうか。

よく百聞は一見に如かず、という。本では、ときには一ページ以上も費やして、建物や洋服や外見の描写がなされるが、映像ではこうしたものは一瞬である。
ところが屋根の形やスカートや襟元の形は、一瞬でわかったとしても、それをきちんと目に留めなければ、そのまま流れていってしまう。屋根の形など、説明がなければ、わたしたちは見流してしまう。
本のなかで「スレート葺きのコロニアル様式」とあってもどんな形かわからないけれど、辞書を引いたり、イメージ検索を使ったり、あるいはその部分の描写を丁寧に読んだりして、なんとかイメージをつかもうと、頭を働かせる。
けれども映像では、たとえ屋根がアップされたとしても、わたしたちは「屋根だ」とも思わず、せいぜい立派な家だな、という漠然とした印象を受けるだけだ。

本を読むためには、文字をひとかたまりの言葉としてとらえ、それを読み、理解し、筋を追う、複雑な行為が不可欠だ。
ところが映像であれば、ぼーっと見ているだけで、ある程度のことは伝わる。ただ、伝わるのは、あくまでも「ある程度」であって、ぼーっと見ているだけでは、やはり、ほとんどは意識から洩れ落ちてしまうのだ。

本を読むときは、自分のペースで読む。
ほとんどの人が、読むものに応じてその速さはちがうだろう。
読み流して良いものは、さーっと目を走らせるだけ。なかなか理解できないものは、ほんとうに一語、一語、考えながら読み進む。
戻って確かめることもできる。
ところが映像は、自分のペースで見るわけにはいかないし、一瞬、一瞬で消えてしまう。

だから、映像化される場合には、かならずといっていいほど、ストーリーは単純化され、情報はずいぶん少なくなっているのだ。

たとえばむずかしい本の著者が講演をしたとする。その講演録のほうが、もともとの著作よりわかりやすいことのほうが多い。それは、聴衆を前にした講演は、単純化されているからだ。何が言いたいか、より鮮明になっているはずだ。そうでなければ、聞いている側は、おそらくはついていけない。

おそらく、映像は、話を単純化するのだ。
単純化、ということは、善悪でくくる、ということでもある。
以前、
「報道の読み方」でも書いたのだけれど、報道というのはかならず出来事を原因−結果としてとらえるし、そこには「犯人」がいる。文字情報としての新聞でさえそうなのだから、それがTVとなると、一層の単純化がなされている、といっていい。事実、ワイドショーなどでは、初めから「犯人」が特定されている。

ところが現実は、そんなに単純なものではない。
ひとつの出来事をめぐって本が何冊も書けるほど、出来事というのは多種多様な側面を持つものなのだ。時代が変われば、また別の解釈もありうる。そうやってさえ、全貌をとらえることはできない。
まして、TVのワイドショーなどは、出来事をおそろしく単純化してしまっているのだ、と、くれぐれも心に留めておいたほうがいい。単純化というのは、そこからたくさんのことが落とされているのだ。そうして、落とすか、残すかの判断は、どこまでいっても送り手の恣意的な判断に拠っている。

読むことと、見ることは同じではない。「百聞は一見に如かず」というけれど、自分のペースで読み、読み返すこともできる、言葉を費やした表現の方が、流れてしまう映像よりも、数倍、複雑なことを伝えている。

鶏頭




2007-02-06:めぐり逢えても

Kiwiさんのキウィの楽園「おっさんの魔法」というエントリがあった。

ルイ・アームストロングがおっさん……。

ま、いいですが。
ルイ・アームストロング、いいですね。わたしはおっさん、じゃなかった、サッチモの "As Time Goes By" が好きで……とコメントを書こうとして、何かヘンだなと思った。
何のアルバムに入っていたんだっけ。
検索しても、出てこない。でも、確かに"Kiss to Build a Dream On" と一緒にアルバムに入っていた、わたしはテープを持っているはず……。

検索してみて、わかった。
わたしが持っていたテープは "Sleepless In Seattle" のサントラだったのだ。
そうして、"As Time Goes By"はジミー・デュランテが歌っていて、つぎのアームストロングの"Kiss to Build a Dream On" とごっちゃになっていたのである。
このサントラではジョー・コッカーが "Bye Bye Blackbird" を歌っているし、ドクター・ジョンのデュエットもあるし、ひところはテープを毎日聞いていたものだった。


"Sleepless In Seattle"、直訳すると「シアトルの不眠症」になるのだが、邦題は《めぐり逢えたら》というなんとも甘ったるいものになってしまった。とはいえ、この映画が《めぐり逢い》を下敷きにしているので、あながち的はずれでもない。

監督をやっているのは、ノラ・エフロン、わたしはエフロンのコラムが好きで、いろいろな雑誌を探し出しては読んでいた。
エフロンが『大統領の陰謀』を書いたカール・バーンスタインと結婚していた、というのもびっくりしたが、その結婚が破綻した顛末を『ハートバーン』というタイトルで小説にしていたのにはさらにおどろいた。《心みだれて》という邦題になった映画まで見に行ったぐらいだ。主演はメリル・ストリープとジャック・ニコルソン、"heartburn" という単語を直訳すると「胸焼け」になるのだけれど、実際そのタイトルにふさわしい、胸の焼けそうなカップルで、ふたりがでかいスクリーンに登場して、過剰にやり合い始めると、ちょっとやれやれではあったのだが。

ともかくそんなエフロンが監督した、というので、《めぐり逢えたら》も勇んで見に行った。
奥さんを亡くしたばかりのトム・ハンクスが、ラジオで思い出を語る。いまも妻のことを考える、息をするのも、吸って、吐いて、と自分に言い聞かさなくてはならないほどだ、と話す場面では、カーラジオでそれを聞いてもらい泣きしてしまうメグ・ライアンと一緒に涙にくれたし、要所要所で流れる音楽のセンスに、これはエフロンが選んだのかな、と考えたりもした。

ところで、わたしはその映画をたった一回しか見ていないのだが、未だに忘れられないシーンがある。1993年の映画だから、なんと14年の歳月を経て、忘れられない強烈なシーンである。

シアトルに住むトム・ハンクスの八歳の息子は、新しいママがほしい。それでラジオにママ探しを依頼する(さきほどのハンクスが現在の心境を語ったのも、息子に頼まれてラジオ局からの電話に答えたのだ)。ニュー・ヨークで働くメグ・ライアンには婚約者もいる。東海岸と西海岸、距離も離れているし、そんなことをしている場合ですらないのに、子供の声とハンクスの声が忘れられないライアンは、子供宛てに手紙を書く。
メジャー・リーグの強打者の話題を書きかけたところで、ハッと我に返り、レポート用紙をぐしゃぐしゃに丸めてくずかごに捨てる。

そこにライアンの同僚のロージー・オドネルがやってきて、くずかごから拾って皺を伸ばし、うまく書けてるじゃない、と言うのだ。
つぎのシーンでは、「この手紙、最高!」と男の子が喜んでいるのだが、その手紙は皺だらけなのである。

……そんな、くずかごに一度捨てたような手紙を、そのまま出すか?

わたしはもうそのことが気になって気になって、映画の顛末より(どうせうまくいくのはわかりきっている)、よほどそちらのほうが気になった。これは何かの伏線なんだろうか、と思ったのである。あるいは、主人公の雑駁な性格をあらわすための描写なんだろうか?

ところが最後まで行って、そのしわくちゃの手紙が、「もしかしたら出さずに終わったかもしれない手紙だったが、結局出すことになった」という、いくつかある選択肢以上の意味を持たないことがわかって、わたしはいろいろ考えてしまったのだった。

というのも、わたしもそれまでに何度かアメリカ人から手紙をもらっていたのだが、実際、コーヒーをこぼしたあとがあったり、濡れたカップを置いた輪の跡が残っていたり、変な具合に皺がよっていたり、赤いボールペンで書いてあったり、封筒の裏側に宛名が書いてあったり、一度などはレシートの裏に書き殴ったメモ書きのような手紙さえもらったことがある。
それでも、それをくれる相手は、そういうことにあまりこだわらない人なのだろうと思っていた。

どうやら、アメリカ人の多くかどうかは不明だが、少なくともある程度の割合で存在する人々というのは、手紙というものを、きれいな状態で出さなければならないとあまり思わないのかもしれない、と思ったのだ。

だって、初めての手紙である。しかも相手は子供ではあるけれど、とにかく自分がどんな人間であるかを示し、さらには気に入ってもらうための手紙なのだ。
それをくずかごから拾い上げて、皺を伸ばしたまま出すなんて。

手紙をもらうこともいまではもうまれになったけれど、手紙をもらう楽しみのうちの少なからぬ要素が、その人の自筆ということであり、便せんや封筒であったりする。
それはきわめて日本人的な感覚なんだろうか。それでもその人を語るのは、書いてある内容ばかりではない。
人と話をするときに、表情や、声のトーンや、言いよどんだり、弾むように喋ったり、そういうことが内容よりはるかにその人の気持ちを伝えるように、やはり手紙もそういうものだろうと思うのだ。

だから、初めての手紙がしわくちゃではまずいだろう、と、映画を見てずーっと気になったのである。あんまり気になったから、14年たって、こんなことを書いてしまったのである。

鶏頭




2007-02-02:おにぎりにラップは必要か

このあいだ、お弁当を買う必要があったときのこと。
コンビニのおにぎりは味気ないな、と思っていたところで駅の構内でおにぎりやさんを見つけた。これはちょうどいい、と思って、おにぎりをふたつ注文し(梅干しとシャケ)、待っていると、ガラスの向こうで人が握っているところが見えた。

まず三角形が三つ並んでいる型にご飯をしゃもじでつめる。それに型のもう一方を合わせ、まず基本の形を整えてから、最後に手で二、三度握って、のりを巻く。にぎる人は、ポリエチレン製の半透明の手袋をしている。
衛生的ということなのだろうけれど、なんだかなあ、と思ったのだった。

竹の皮に包んでくれたのはうれしかったけれど、実際に食べてみると、本当ににぎったのかというほどもろく、のりにくっついて崩れてしまって、食べるときに苦労した。

わたしはどちらかというと、固めの、ぎゅっとにぎったおにぎりが好きなのだけれど、そういうのは長らく食べたことがない。仕方がないから、自分で握る。

太宰治の『斜陽』の冒頭部分で、あらゆる面で本物の貴族である「お母さま」は「おむすびが、どうしておいしいのだか、知っていますか。あれはね、人間の指で握りしめて作るからですよ」というのだけれど、生粋の庶民であるわたしも、ほんとうにその通りだろうと思うのだ。

わたしは学校の調理実習でおにぎりの作り方を習ったのだけれど、そのときは手で握った。
ところがいまではラップを使って握るのだ。ラップをひろげて、そのなかにしゃもじですくったご飯と具を入れて、ラップに包んで、それから両手で握る。確かに手が直接触れない、という意味で衛生的なのだろうけれど、それではうまく握れない。やってみたことがあるのだけれど、ラップで絞ったようになってしまって端がつぶれ、「握る」という状態にはならないのだ。どう考えてもコメの集合体でしかなく、「おにぎり」とはちがうもののような気がする。やはり「人間の指で握りしめ」たものとは、食感が全然ちがう。

ポリの手袋というのは、これまた使ってみたことがあるのだけれど、ラップのように絞って端がつぶれるようにはならないのだけれど、手にフィットしないために、やはり具合が悪い。へんなところに皺が寄って、そのあいだにご飯粒が入りこんだりして、均等に力を入れてにぎることができない。これも慣れなのかもしれないけれど。

もちろんその前に丁寧に手を洗う、それも香料の入っていない石けんできちんと洗っていれば、手で握った方が、ずっと簡単に、おいしいおにぎりが握れるように思うのだけれど、そんなに神経質になる必要はないのではないか、と言ったら、ダメなのかなあ。

まあわたしはめったにカウンターでお寿司なんていうものは食べないのだけれど、そこでお寿司屋さんがラップやポリ手袋で握っていたら、興ざめだろう。
逆に、そんなものは食べたくないと思うはずだ。
それは寿司屋が「そういうところ」だからだ。
高いお金には、寿司職人に対する信頼の気持も含まれているから、その手が衛生的かどうかなどともとより考えることもない。 だから、どちらがおいしいか、ということは、わたしたちの誰もがよくわかっているのだ。

自分が食べるおにぎりは、自分が手でにぎって、大丈夫だろう。自分で握ってすら、不衛生な気がする、という人は、あまりいないのではないか。

だれの握ったおにぎりなら食べられるか。
もしかしたらこれは相手に対する自分の信頼度を測るバロメーターなのかもしれない。 一度、考えてみてください。

鶏頭




2007-01-31:祖母の話

母の左手の中指の第一関節は奇妙にねじれたあとがある。
母が幼いとき、庭先で脱穀をやっているのを見ているうちに、ふと刃先に手を伸ばしたのだそうだ。あっと思う間もなく、指先が飛んだ。近くにいた母の母、つまりわたしにとっては祖母にあたる人は、それをつかむといそいで元の場所にくっつけ、包帯でぐるぐる巻きにしたらしい。それがあまりに早かったために、元通り、動かせるようになったのだ、と母は主張する。ねじれたのは、その跡だ、と。

人間の指がそんな具合に簡単に修復できるものなのかどうか、わたしにはよくわからない。
それでも母はそう信じている。

母の母は、母が八歳のときにまだ二十代で亡くなった。
小さな子供をふたり残して逝くときは、どれほど心残りだっただろう。ほんとうに、死んでも死にきれない思いであったにちがいない。子供を殺して、とまで思うことさえあったのではないか。

それでも、たとえどれほど苦労を舐め、つらい思いをしたにしても、母は生き延びた。
わたしに対しても、ことあるごとに「お祖母さんにお祈りをしなさい」と言っていた母だから、おそらく自分でも何かにつけ、若くして亡くなった祖母のことを考え、心の支えにしていたのだろうと思う。
そのとき、指先に残るねじれた跡は、自分の指をつなぎとめてくれた記憶のよすがになっていただろう。繰りかえし、それを見ながら思い返すことで、祖母は亡くなったあとも、ずっと母の傍らにいたのだ。

たとえ傍にいることはできなくても。
たとえ、声を聞くことも、姿を見ることもできなくても。
人は、誰かと共に在ることはできるのだ。
ともに過ごした微かな記憶をたぐりよせ、かき集め、繰りかえし、繰りかえし思い返すという在り方で。
そうして、その記憶は、ほかにどれほどの経験を積み重ねたとしても、思い返すたびにその人を暖め、力づけ、心の支えとなっていく。

おそらく祖母はそういう在り方で、母の傍らにいつもいてくれたのだし、そうして、母の話を通じて、わたしの記憶ともなっていっている。

母はよく祖母のことを話してくれた。
歌のうまい人で、良い声でよく歌っていたこと。
大変きれいな人であったこと。
服装にやかましく、特に色の好みにうるさかったこと。
八歳の子供の記憶だから、それは限られたものだったのだろうけれど、わたしにとってはどんな人にも負けないぐらい、リアルな存在でもある。

もうずいぶん前になるけれど、祖母の兄という人に会ったことがある。その人はわたしの顔を見て、額から鼻、眉のあたりの骨相がそっくりだと言っていた。わたしの会ったことのない祖母は、そういう形でわたしの中にも生き続けているのだ。

霊魂などということをわたしはあまり考えても仕方がないと思っている。あると考えたければ考えればいいし、ないと考えたければ、それもまたよかろう、と。どちらにせよ、だれにもわかることではないことを考えても仕方がないように思える。
それでも、命というものは、そういう形で受け継がれていくのだ、と思う。そういうレベルで考えれば、個々の命を超えた大きな命のようなものがあるのかもしれない。

わたしも既に祖母の亡くなった年を追い越してしまった。
それでもわたしは「お祖母さん」と考える。
お祖母さんがいたから、わたしがいたのだと。
わたしのなかにも、お祖母さんは生きているのだ、と。

服装にやかましい人だったらしいから、いまのわたしの格好を見ると、眉をひそめるかもしれないけれど。

鶏頭




2007-01-25:給食費のニュース

「給食費滞納、全児童生徒の1% 総額22億円」というニュースが話題になりました。

わたしにはほんとうに滞納者の60%が、経済的な問題ではないのかどうなのかよくわからないし、滞納者がどういった人なのかもわからない。そんなところで何かを言ってよいものだろうか、とも思うのですが、ひとつ思うのは、「学校」というものが、ずいぶん軽いものになっているのだろうな、ということです。

親の世代も給食を食べて大きくなった世代です。
そうして、自分のことを振り返っても、決してその給食はおいしいものではなかったし、給食がありがたいと思った経験もない。
その給食に対するありがたみのなさが、不払いの根本にあるのではないか。
そうして、戦後の教育を受けて育ったわたしたちの多くは、公教育というものを、それほどありがたいものとはとらえていないのではないか、とも思うのです。

教育、つまり、何かを教わり、技術を身につける、ということは、本来少なからぬ額のお金がかかることです。実際、おとなになって英会話でも、パソコンでも、ピアノでも、習いに行こうと思えば、ほんの週に一時間でも相当な費用がかかることはわたしたちはよく知っています。ところが義務教育に関しては、水道をひねったら水が出てくるのはあたりまえ(もちろん水道料金を払ってはいるわけですが)、ぐらいにしか思っていないのではないか。

本来なら、同じようにスキルを身につけた先生が教えているわけです。コストという面では同じようにかかっているはずだ。それがかからない、というのは、あたりまえですが公的資金が投入されているからです。

もちろん、その公的資金はわたしたちの税金ですから、わたしたちが負担していることにはちがいない。
ところが、あたりまえのように義務教育を受けてきたわたしたちは、どこか、そういうことがブラックボックスに入ってしまっているのではないか。

わたしは、生きることは学ぶことだと思っています。
そうして、この「学ぶ」ということは、自分のできないことを知り、そのできなさをひとつひとつ埋めていく作業だと思っています。
これは時間がかかることだし、楽なことではない。
そうしてまた、学んだことが具体的にどういう形で返ってくるか、よくわからないことのほうが多いかもしれません。

けれど、たとえばタイコを叩くとき、三連符がきちっと同じ長さで一拍のうちにおさまるように叩けたときのよろこび、そうしてそれを続けて、何度も何度も叩けたときの達成感、それはたとえそれが具体的に何をもたらさなくても、その人の生きる喜びにつながっていくのだと思います。

学ぶ、ということは、よし、やろう、という決心だけでできることではありません。
もちろん身につけるというプロセスでは、たったひとり、やっていくしかない要素も少なからずあります。
同時に、ひとりきりでは決してできない部分もまた、あるのです。

おとなになって、忘れてしまったかもしれない。
学校といって思いだすのは、まずかった給食とか、ちっともわからなくても座っていなければならなかった授業時間の苦痛だとか、そんなことばかりかもしれない。

それでも、わたしたちはそこで、おそろしくたくさんのことを学んだ。
たとえば二重跳びができたとき。たとえば、面積の求め方を覚えたとき。画数の多い漢字が書けるようになったとき。そのときの達成感は、深いところでいまもわたしたちを支えているのではないか。

わたしも、いまの学校教育がそのままでいい、とは思っていません。
それでも、学校という場は絶対に必要だし、支えていかなくちゃいけないと思っています。

鶏頭




2007-01-23:悪口の話 リターンズ

いま『ミリアム』の翻訳の推敲をやりながら、トルーマン・カポーティについて読み返しているのだけれど、カポーティというのは、彼自身が非常にカラフルなおもしろい人物である。ジョージ・プリンプトンのオーラル・バイオグラフィ(いろんな人が彼について話すことで、その人物を浮かびあがらせる特殊な手法)の『トルーマン・カポーティ』にしても、カポーティに対するインタビューが中心のローレンス・グローベル『カポーティとの対話』も、実におもしろい。

見たい見たいと思っているうちに見損ねてしまった映画「カポーティ」も、おそらくおもしろいのではないかと思う、というか、カポーティを描いて、おもしろくないものになるはずがない、と思ってしまう。

ところで、そのカポーティ、実にたいした悪口の名手なのだ。
メリル・ストリープを好きではない、と言って、その理由を聞かれてこう答えている。

うーん、彼女はニワトリに似ているだろう。彼女の鼻も口もニワトリそっくりだ。私にいわせれば彼女は才能のかけらもない。

ローレンス・グローベル『カポーティとの対話』川本三郎訳 文藝春秋社

あるいは、ローリング・ストーンズのツアーに同行したときのことについては、こんな具合だ。

――ミック・ジャガーについてはどういう意見をお持ちですか?

 ミックは退屈な男だ。彼らはみんな退屈だと思う。私はローリング・ストーンズを演奏者として重視したことなんか一度もない。君も私のように何回もミックの舞台を見れば、彼のことを演奏者として考えなくなるよ。ただまあ、彼にはすごいエネルギーがあり、同じことを何度も正確に繰り返せるというのは非凡といえるかもしれないが。まったく彼らのコンサートはどれもみんな同じだ。すべてはまったく同じだ。あらゆるビート、あらゆる歌詞、あらゆる動き、みんな同じだ。彼らには即興性というものがまったく欠けている。彼ら自身は即興性、自然らしさをよそおってはいるが。そのために彼らのステージは退屈だ。しかし彼はビジネスマンという点では実に鋭く、賢いと思う。ステージに現われるや、彼はポケットから計算機を出しているのさ。彼はふつうの人間と同じように糞真面目な男だ。

カポーティの悪口は、思いもかけなかった見方を提示する。いったんメリル・ストリープがニワトリそっくり、というのを聞いてしまうと、メリル・ストリープを見るたびにそれを思いだしてしまう。ミック・ジャガーがあのタイトなジーンズのヒップポケットから電卓を取り出して、指先でポチポチ押しているところが目に浮かんでくる。
カポーティの悪口というのは、批評眼に裏打ちされた、一種の創造的な行為なのだろう。

もうひとつ、この悪口がおもしろいのは、カポーティはあくまで意地悪な人間として、それを言っている点だ。悪口を言う自分が、善い人間に思われたいなどと夢にも考えていないところだ。
たまに悪口をいうことで、誰かを貶めながら間接的に自己弁護や、自慢話をするような人に行きあうことがある(わたしはそんなことをしていなければよいのだけれど……)。
そんな悪口は楽しくないどころか、見苦しい。

あるいは、あの人はちがう、と線を引いて悪口の対象を排除して、自分たちの結束を強めるような悪口ともちがう。
インタビューということもあるのだろうけれど、この悪口には保身とか、自己弁護の要素がまったくない。
つまり、そういう意味でこれは一種の批評、自分の目の確かさを担保にした、口の悪い批評なのだろう。

カポーティはこの本のなかで、実に多くの作家や映画スターやミュージシャンをこきおろし、少数の人々を好きだ、すぐれた作家だ、偉大な芸術家だ、と称揚する。カポーティの意見に異を唱えたい部分もあるけれど、多くの点でおもしろいだけでなく、わたしは十代の頃、自分の見方を作り上げていくうえで、ずいぶん参考にしていたのだと、いまになってよくわかる。アイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』やグレアム・グリーンの『ブライトン・ロック』を知ったのも、このカポーティの手引きがあったからだ。

つまりは、おもしろい悪口、創造的な悪口というのは、決して簡単なことではない、むずかしい、上級者向けの技、ということになる。

できればいつか、そんなきらめくような悪口が言ってみたい。
どうもいまは、子供が「おまえのかーさん、デーベーソー」とわめくぐらいの悪口しか言えていないような気がするのである。
それはわたしの性格が温厚でひかえめだから、ではないだろう。

鶏頭




2007-01-22:待っている日々

待ち合わせでも、駅で電車を待っているときでも、信号待ちでも、待つのが好き、という人は、あまりいないだろう。
わたしは初めて見たとき笑ってしまったのだが、JR大阪駅前の横断歩道には、信号機の横に「信号が変わるまであと何秒」という表示が浮かびあがる小さな電光掲示板があるのだ。
歩行者たちは、信号機ではなくそちらを見て、あと十秒、あと五秒……と、固唾を飲んで、いまかいまかと待ち受けているのだろうか。待っている人の表情を映し出して見るとしたら、なかなかすさまじい光景であるようにも思う。

それでも、わたしたちの身の回りでは、「××日公開」とか、「××日発売」とかいう文句があふれているし、スケジュール帳だって予定が埋まっているほうが、なんとなく充実した毎日を送っているように思えてしまう。
そういうことを思うと、やはりわたしたちは先のことを待ちながら、日々を送っているのだろう。

ただ、そういう予定が逆に、「いま」という時間を拘束している側面も、やはりあるように思う。

わたしは子供のころから、来週遠足がある、○日後に発表会がある、××がある、と、楽しみにしているものが近づいて間近に迫ってくると、それがどんなに楽しみにしていることであっても、なんとなくいらいらしてしまうのだった。
というのも、大きな予定が具体的に迫ってくると、どうしてもそのことが意識の中心を占めてしまう。
気持ちはどんどんそちらに向いてしまって、自分が実際に何をやっていようが、何を見ていようが、聞いていようが、どうしても集中できない。ふだんなら楽しいはずのことでさえ、楽しみに待っていることとくらべると、「いまやっていること」が相対的に、軽いもの、どうでもいいもの、一種の「待っている間の時間つぶし」になってしまう。つまりはその感じがきらいだったのだ。

何かを待つあいだというのは、沿道でパレードを見ることと似ているような気がする。

昔、ディズニーランドでパレードを見たときのこと。ちょうどフロートが途切れて、向かいの沿道の人々の姿がよく見渡せた。向かいの人たちは、それからそれに気がついて、自分の周囲を見渡しても、観客はみんな、正面ではなく、パレードがやってくる方角に首を曲げて、一心にそちらを見ていたのだった。
そうして、そのフロートが近づいて来るにつれて、視線を移していくのではなく、ずっと同じ方向に目をやったままだ。
つまり、自分の目の前をゆくフロートではなく、やがてくるフロートを、首を伸ばして見続けているのだ。
みんなが目の前ではなく、一斉に同じ方向を見ているのはおかしくもあり、印象に残った。

自分の目の前を通ってゆくフロートや人は、近い。手を伸ばせば、届く位置だ。けれどもそれは一瞬で通り過ぎてしまう。通り過ぎてしまったら、あとはもう見送ることしかできない。
だからみんな、首を伸ばして、つぎに来るもの、つぎに来る人を待ち受けているのだろう。

ただ、わたしたちはパレードを見るばかりではない。日々の生活は、パレードを見ることとはちがっている。
けれど、うっかりすると、「何か楽しいこと」を待っているだけの日の過ごし方をやってしまうのではないか、と思ってしまう。
「来るべき何か」を楽しみに待つのは楽しいことだけれど、待つだけで、その日その日を満たしてしまうことは、結局、何もしない、無為の日々を重ねることになってしまうのではないか、と思うのだ。

信号待ちでも、電車を待つのでも、待ち合わせの人を待つのでも、待っているあいだイライラしてしまうのは、そのあいだの時間を、自分が支配できないからだ。逆に、自分が「待つ」ことに支配されてしまうからだ。

ところが将来の楽しいことを待っているときでも、実は同じなのだ。楽しみにしているから、そのあいだの時間を自分が「待つ」ことに支配されているのにも気がつかない。

もうひとつ言ってしまうと、将来のことを不安に思って、その不安から、いまなにごとも手に着かない、という状態も、まったく同じ構造だ。
どれも「待つ」ことに、いまの自分が支配されてしまっている。

以前、リリアン・ヘルマンのところでも引用したのだけれど、ヘルマンの戯曲『秋の園』のなかには、こんな一節がある。

 だから、どのような時にせよ、その時は君がそれまで生きてきた集大成なんだ。それを支える小さな時の積み重ねなくして重大な時に到達することは出来ない。決断のための重大な時、人生の転換期、過去のあやまちをにわかに拭い去ろうと待ちかまえている日、今までしたこともない仕事をしたり、考えたこともないやり方を思いついたり、持ったこともないものを持ったりする――その日はいきなりやってきはしない。それを待っている間に君は自分を鍛えておいたんだ。そうでなければ君は君自身をつまらぬことに使い果たしてしまったんだ。僕がそうだったんだ、グロスマン。

(ピーター・フィーブルマン『リリアン・ヘルマンの思い出』より)

これは、自分自身は書かなくなって何年にもなるダシール・ハメットが、ヘルマンに、こんな男の話を書いてみろ、とアドバイスした。それを受けてヘルマンは戯曲を書き始めたのだけれど、どうやっても男の主人公はうまく動かせなくない、というヘルマンに、ハメットは、しばらく散歩にでも出かけているように、と言う。ヘルマンが戻ってみると、このせりふが書いてあった、というエピソードを、ヘルマン自身が書き残している。

生きる、ということは、未来に向かって生きるということでもある。
だから、わたしたちは、先のことを考えずにはいられないし、将来のかくあるべき自分を思い描いて、さまざまな計画をたてたりする。そうして、さまざまなことを待つ。
待つ、というのは、おそらくわたしたちにとって、不可避的なことなのだろう。

けれども、「いま」は「何かを待つあいだの時間つぶし」ではない。
すぐれた短編小説が、切り取った一瞬のなかに、登場人物のすべて、過去も未来も浮かびあがらせるように、わたしたちの「どのような時にせよ、その時は君がそれまで生きてきた集大成」に変わりはないのだろう。

あなたの今日は、どんな一日でしたか?

鶏頭




2007-01-14:会話する人々

以前、こんなことがあった。

駅前のコーヒー屋のカウンターで雨宿りをしていたときのこと。
隣でさきほどからしきりに話をしている男性の声が、ふっと耳に入ってきた。
「バイクに乗るんだ? じゃ、ツーリングとか、ひとりで行くの?」
いかにもしゃべり慣れている人らしい、なめらかな、よどみないしゃべり方。
いわゆるお腹から出す声ではない、ごく少人数しか相手にしない人の発声。
そちらに目をやると、後ろ髪の長い、凝ったヘアスタイルの、三十代ぐらいの男性だった。

その男性が話しかけているのは、わたしの隣に座っている女の子。
体を男性の方に向けているので、わたしにはちょうど背を向けた格好になっている。彼女の声が聞き取りにくいのはそのせいばかりではなくて、厚ぼったい背中を丸めて、ぼそぼそとしゃべっているのだった。
「ツーリングっていうか……ときどき一緒に乗りに行く人はいるけど……」

男性の向こうには、おそらく連れらしいもう一人の女性がいた。二十代初め、いまふうの、上にも下にも太めの真っ黒なアイラインを入れている。話を聞いてはいるらしいが、退屈そうな顔をして、柱によりかかるような格好で、その男性とわたしの隣の女の子を眺めていた。

「いまのバイトはどう? パチンコのホールだったら、きついでしょ」
その男性が聞いた。
「いや……カウンターにいるだけだから……」
「あ、そうなんだ。景品の交換とかしてるんだね。顔なじみのお客さんとかと話はよくするの?」
「ときどき……話しかけられることとかありますけど……」
「へえ、そんなときはどうするの? 好みのタイプだったりしたら」
「あぁ……えぇと……あんまりそういうことないから……。話しかけてくるの、たいていおじさんばっかりで」
「あはは、じゃ、眼中にないんだ」
「えぇ……」
「そんなときはどうするの?」

聞いていたわたしは、ああ、人と話をするときは、こんなふうにいろいろ聞いていってもかまわないんだ、ぶしつけになるわけではないんだ、と感心していた。

わたしは自分のほうから「○○は何? ××はどう思う? 〜のときどうする?」と、聞いていくことが苦手だ。つい、相手を尋問してるんじゃあるまいし、などと、いろんなこと考えてしまって、聞きたいことがあっても、自分の方から切り出すことができない。 ただ、この男性の話は、そんなことはそれほど気にしなくていいんだ、と思わせるような尋ね方だった。聞きようによっては、ずいぶん詮索がましくも聞こえるのだけれど、聞かれる側はまったく警戒することもなく、ごく自然に、構えるでもなく答えていた。

ともかく、男性の側は、明らかに何か目的があって、その女の子と話している様子だった。それが何なのか、どうもよくわからない。わかりにくい原因のひとつには、聞かれている女の子の反応が鈍いことにもあった。
その子が受け手としてもう少し積極的に対応してくれればいいのに、聞かれたことに対して
「はぃ(この小さい「ぃ」は、「え」と「い」の中間的な音として発音されるす)……」
「えぇ……」
「さぁ……」
ともそもそと言うだけなのだった。

それでもしだいに、その子はいまパチンコ屋でアルバイトしていて、みんなから「天然」と思われていて、二回ほど交換率をめぐって大きな失敗(三千円ぐらいのところに四千円の交換率のものを渡した)をして怒られた、ということはわかった。それでも、話相手のその男性との関係がよくわからない。

やがてその男性が「わかりました、じゃ、ここらへんで。また電話しますね。いい電話ができるといいんだけど」と言った瞬間、わたしははっと理解したのだった。

さて、みなさんはこのふたり、どういう関係だかわかりますか? わたしが知り得た情報はすべて提示しました。




これはバイトの面接だったのだ。

この男性は雇用者、いまパチンコ屋で働いているという女の子は、彼の経営する店の販売員に応募してきた女の子だったのだ。

その嵩高い女の子がいなくなって、わたしのところから、店長が手にしている折り目のついた用紙は、履歴書であることが見えた。バイクの話も、パチンコ屋のバイトも、そこにすべて書いてあることだったのだ。

ほどなく男性ともうひとりの女の子が話を始めた。
「あなた」という二人称に微妙にストレスを置いて、男が言った。

「素直でいい子だとは思うんだ。だけどね、あなたの仕事が増えることになるかもしれない。何時に出勤して、出勤したらすぐあれとこれをやって、って、いちいち説明しなきゃ、あの子はやってくれないよ」

「あたし、そういうのダメなんです。自分からぱーっとやっちゃう」

「そうだと思う。あなたはそういう人だ。だけどね、それだとあの子はいつまでたっても使い物にならない。あの子を使えるようにしようと思ったら、あなたは何度も何度も口で説明してやらなきゃいけない」

「あたし、そういうのストレス溜まっちゃって、キーッとなっちゃう」

「だけど、あなたはそれをやらなきゃいけない。どう、それができそう?」

どうやらその男性は経営者、ギャル風のおねえちゃんはその店の「雇われ店長」らしい。 声だけ聞いているときは、もっと若いように思ったのだが、服装やヘアスタイルは若いけれど、目尻の皺や首筋を見ると、三十代後半か、四十代に入ったくらいの男性だった。

それにしてもえらく個人的な面接のやりかたをするものだな、と思った。
これまでわたしも何度か面接は受けてきたが、いつも面接を受ける場はその職場の一室で、そんな雑談混じりのものではない、一問一答式の、こちらもスクエアなら、向こうもスクエア、「面接」という儀式にのっとったものだった。
そこでやりとりされる表面的な情報は限られたものであっても、公式の場面でどのような受け答えができるのか、形式的な設問にこめられた意図を瞬時に読みとって、求められる「正解」を探り当てる能力の有無、そういうものがそのような場では試される、そういうのが面接だと思っていたのだった。

ところがその面接というのは、それはそれで実に見事なものだった。
おそらくは時給も安い、高校生あたりを相手にするチープな洋服やアクセサリーを売る店ではないかと思う。そういうところでは、相手の経歴(○○高校卒)などの肩書きなど何の意味もない。
そうではなくて、その人間が、お客さんに対してどんな対応ができるか(いやな印象を与えず、また来たいと思わせるような対応ができるか)、労働者として、どのくらいの能力を持ち、学習能力があるか、ともに働く人間としてどうか。
そんな雑談混じりの面接は、そういうものが伝わる面接だったのだ。

わたしはそうした面接が、その種の業界ではありふれた方式なのかどうかよくわからなかったのだけれど、それはそれですごいものだな、と感心したのだった。
もちろんそれは労働者として熟練させるとかいったものでは全然なく、一種の使い捨てのような雇用ではあるのだろうが、そうしてそういうありかたの当否を問うことももちろんできるのだろうが、それとは別に、現場は現場でそういうやり方を洗練させていっているのだなと思ったのだった。

あの背中の丸い、がっちりした女の子は、面接に受かったのだろうか。

鶏頭




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