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鶏的思考的日常 ver.15〜空に輝く鶏座 編〜



2007-07-08:アンチ・アンチエイジング

どうもこのところ立て続けに奇妙な格好をしている人を見かける。つまり、中年、というかもう少し上の、言ってみれば孫がいてもおかしくないような年代の女性が、二十代の女性とそっくり同じ格好をしているのである。目の前にくると、正視しがたいような気がして、思わず目をそらしてしまう。

現実にそういう人が増えたのかどうかは定かではないし、わたしが目にしたのも、たまたまが続いただけなのかもしれないけれど、それでもアンチエイジングなる言葉が広告に氾濫しているのも確かだ。

新聞下段の広告の欄は、毎月一度、似たようなタイトルの雑誌にべったりと埋めつくされる。黒々とした太字で「みるみる痩せた!」とか「痛みが取れた!」という文字が踊る見出しは、「アンチエイジング」ではなく「二十歳若返る!」という。たぶん編集者たちが、雑誌の購買層には「タマネギ」や「ウエスト」以外のカタカナは理解不能であろうと考えているにちがいない。

アンチエイジングと言おうが「若返り」と言おうが、そうした広告がかきたてるのは、「なんとか歳を取らずにいたい」という人間の、大昔から連綿とつづく欲望である。

だが、以前は一方で「年相応」という言葉も生きていたし、年輩者は経験からくる知識や技術を持つ人として尊敬もされていた。いまや知識はいくつか検索子を入力して見つけるもの。「おばあちゃんの豆知識」も、お小言も繰り言もなしに、ありがたくいただける。つまり、経験も知識も、人を介在させないかたちでやりとりできるものとなってしまったのである。

こうなれば、もてはやされるのは「いつまでも歳を取らない人」ばかり。
ただ、『ダロウェイ夫人』ではないが、人間は生きている限りかならず歳を取る。となるとできることは、いかに年齢を否定するか、ということになる。

アメリカのユーモア・コラムニストのデイヴ・バリーは『デイヴ・バリーの四十歳になったら』のなかで、ローリング・ストーンズのコンサートに行ったときのことをこう書いている。

前にも一度、どちらもずっと若かった六〇年代に、彼らを見たことがある。それは典型的な六〇年代のコンサートで、警察犬までがマリファナでハイになり、午後九時に始まる予定だったのに、二時間たっても何も起こらず、十一時半になってプロモーターのひとりがステージに上がり、ストーンズはまだニュージーランドの空港にいるから、開始が少し遅れると報告したりしたものだ。

 マイアミで見たコンサートは、かなりようすがちがっていた。まず、時間どおりに始まった。これはたぶん、そうしないと、会場にいる約一万三千人の弁護士の誰かが訴訟を起こすからだ。それから、観客の年齢層がぐっと上がり、大半がぼくのような中年のソフト・ロック派で、カジュアル・ウェアにポケットベルという最新のファッションでばっちりと決め、ダイエット・ペプシを大胆にがぶ飲みしていた。むろんハイになっている連中もいたが、それは幻覚誘発物質の摂取によるものではなく、週末の夜にベビーシッターが見つかったうれしさが高じてのものだった。

 しかし、ぼくにとっての最も衝撃的なちがいは、ストーンズ自体の中にあった。記憶の中にある彼らは、大きくて、近寄りがたくて、一種神秘的な存在だったから、ぼくは期待を込めて、オレンジボウル競技場上段のてっぺん近くにある席に座ったのだった。…
ライトがまばゆく一閃し、『スタート・ミー・アップ』の切りつけるように激烈なイントロが聞こえ、闇の中から突然……ちっぽけでたよりないローリング・ストーンズが登場した。身長およそ十四インチ。望遠鏡を逆さにのぞいたような滑稽な眺め。彼らはまるで、動く懐メロ・ロックバンド人形だった。

 席が高いところにあったせいもあるだろうがこの印象は、歳を取るということと無関係だとは思えない。十九歳で、職もなく、世の中にやたら腹を立てていた少年にとっては、ストーンズはまさに不良の神さまだった。しかし、その少年が家庭を持ち、住宅ローンをかかえ、成人病保険に加入して、一方、ストーンズのほうは、最高裁判所の判事と似たような平均年齢の営利企業になってしまった今、事情はまったくちがう。彼らの音楽はいまでも楽しめるが、ちんけな初老の男たちが、ロックンロール・スーパースター超ぴっちり衣裳売り場で買ってきたズボンをはいて、ステージを歩き回っているのを見ると、正直な話、ちょっとばかり(ストーンズのことをこういうふうに書くのは、ぼくとしてもつらいのだが)あさはかに思えてしまうのだ。

(デイヴ・バリー『デイヴ・バリーの四十歳になったら』
東江一紀訳 集英社)

人間は歳を取らないわけにはいかない。「アンチ・エイジング」を実践、つまりは若いころと同じことをしていたら、かつてどれほど魅力的に思えたことでも、もはやステキには見えない。

おそらくストーンズの場合は、たとえ「あさはかに思」われようが、滑稽に見えようが、「不良少年の神さま」であること、「変わらない」ことを選択したのだろう。もちろんそれには商業的な要請があったことはまちがいない。

たとえばニール・ヤングが、ピークを過ぎたとか、外れだとかと言われながらも、とにかく変わり続けようと苦闘を続けたのと反対に、往年のヒット曲をあそこまで臆面もなく歌い続けるのは、ちがった意味で一種の才能だろうと思ってしまう。四十年間同じ歌を、同じ歌い方で、同じぎくしゃくした振りで。いまは太ってしまって、ロック・シンガーなんだか、カントリー・シンガーなんだかよくわからない外見になってしまったニール・ヤングとくらべると、あの体型を維持しているミック・ジャガーには、おそらく並々ならぬ克己心(プラスお金)が備わっているにちがいないのだが(ああ、どうもわたしはストーンズのことを書くとき、いつも意地悪になってしまうなあ)。

人間は生きている限り、かならず歳を取り続ける。つまり、時間がその人のなかを通り抜けていく、ということだ。そうして、以前「時間とわたしたち」でも書いたことなのだけれど、時間ということは、すなわち変化ということなのだ。どれだけ「アンチ・エイジング」に精を出そうが、変化を拒絶することはできない。いくら「不良少年の神さま」であることを選択したところで、いまの「不良少年」(これすらもすっかり「死語」になってしまったけれど)は、おそらくストーンズなんて目もくれないはずだ。

むしろ問題は「エイジング」すなわち「歳を取る」という当たり前のことではなくて、あるいは仙人のように不老不死を目指すのでもなくて、そのなかでどう変わっていくかということのように思う。

わたしは精神的にずいぶん早く大人になったと自分でも思っていて、周りからもずっとそんなふうに見られてきた。喜怒哀楽は表に出すまいとしてきたし、「もう少し混乱した方がいい」とまで言われたこともある。そのときは、混乱すまい、仮に混乱したとしても、それを外に出すようなことはすまいと、わたしがどれだけ自分をコントロールしているかも知らずに、人というのは適当なことを言うものだ、と思ったものだった。

だが、いまふりかえってみて、その人がなんでそういうことを言ったかわかるように思うし、そんなふうにわたしのことを考えてくれたことをありがたく思う。自分のことを大人だと思っていたわたしが、逆に、どれほど子供だったかもわかってきた。

当時はもっと歳を取れば、自分の動揺も混乱も、隠す必要もないほど、精神的に安定するにちがいない、と思っていたのだが、相も変わらず同じように動揺もするし、混乱もする。
それでも、どれだけ落ちこむような失敗をしたとしても、これが自分の最後の失敗ではない、ということだけはわかるようになった。これからも失敗をするのだ。何度でもするのだ。そう思うと、なんとなく情けなくはなってくるが、ひどく落ちこむのもバカらしくなってくる。失敗しても、それを受けとめてくれる人がいることにも気がついた。そのぶんだけ、動揺したり混乱したりしないですむようになった。ほんのちょっぴり、ではあるけれど。

過去は流れ去ることはない、といったウィリアム・フォークナーの言葉を引くまでもなく、自分のなかにはこれまで生きてきたすべての年齢の自分が、どこにもいかずにいる。もちろん忘れてしまったことの方がはるかに多いのだが、それでも、三歳の自分、十歳の自分、十七歳の自分……、そうした存在が撚り合わさって、いまの自分がいる。それを考えると、過去のある時期に戻りたいとは思わない。

「アンチ・エイジング」というかけ声は、おそらく「外見上、歳を取らない」ことを目指しているのだろう。
だが、一方で、歳を取るのを拒否しながら、他方で成熟を目指すということが可能なものなのだろうか。わたしにはそういうふうには思えないのだ。変化を拒絶し、同じであり続けることを求めることは、とりもなおさず成長の拒否、成熟の拒否だ。拒否したところで、時を止めることはできない。時の中にいる自分は、どれほど拒否しようがかならず歳を取っていく。となると、成長も成熟もしないまま、歳だけ取っていく、という、かなり悲惨なことになってしまうのではないか。いまの自分の否定し、鏡をのぞいてそこに「こうありたい自分」を見つけたとしても、他人が同じものを見てくれるとは限らない。とりもなおさずそれは自分を誤認し、偽り続けるということではないのか。

「アンチ・エイジング」よりやらなければならないこと、考えなければならないことはあるだろう。実年齢を裏切ることにエネルギーを費やすより、ほかにやることを持っている方が、あたりまえのことだがずっとステキだ。同じ歌を歌うにしても、経験を投影させ、その歳に沿う別の解釈で、別の歌い方だってできるはずだ。まあ、「いったんオレをその気にさせたら、もう止まらなくなっちまうぜ」(“スタート・ミー・アップ”)という歌詞は、それ以外のどんな解釈も不可能かもしれないんだけど。

若い頃はともかく、少なくともいまはニール・ヤングのほうがミック・ジャガーより、ずっとカッコイイ、とわたしは思う。

鶏頭




2007-07-07:七夕あれこれ

以前、折口信夫の本を読んでいたら「七月六日の夜から、翌朝へかけての行事であるのが、本式であった」(「たなばたと盆祭りと」『折口信夫全集第三巻』)と書いてあったので、ブログに七月六日にそのことを書いておこうと思ったら、昨日は帰ってきてなんだかんだと忙しく、ついでに最近買った " World's End Girlfriend" のCDを聞いていたらすっかり忘れてしまったので、今日書くのである。まあ本式だろうがなんだろうが、今日は七夕、とみんなマクラのように言っているのだから、大目に見てもらおう。

太宰治は「作家の手帳」のなかで「七夕は女の子のお祭である」と書いている。

たなばたは、「七夕」と書くけれど、本来は「棚機」、「棚機女」(たなばたつめ)から来ているのだという。そうして、棚機女にあやかって、針仕事などが巧みになるようにお願いするところからきたのだと。
折口信夫などを読むとまたちがうことが書いてあるのだけれど、まあここでは七夕の起源はさておいて、太宰は、牽牛と織女が会うめでたい日に、自分のお願いをするとは「女の子って、実に抜け目が無く、自分の事ばかり考えて、ちゃっかりしているものだと思った。織女さまのおよろこびに附け込んで、自分たちの願いをきいてもらおうと計画するなど、まことに実利的で、ずるいと思った」と書いている。

わたしが小さい頃は、七夕が女の子のお祭りということもなく、笹の葉に吊す短冊は、老若男女の区別なく、だれでも書いていたように思う。商店街の一角に大きな笹が立ち、その手前に出してある机には、縦に切った色画用紙にこよりをつけたものとペンが用意してあって、通りがかる人は自由に書いてよかったのだ。自分が何を書いたか、そもそも書いたかどうかの記憶さえないのだけれど、子供のわたしのちょうど目の高さの位置に、小さな子の字で「ウルトラマンになれますように」と書いたオレンジ色の厚紙が揺れていて、「バカだな〜」と思った記憶だけがどういうわけかはっきりと残っている。見上げるように大きな笹には、いろとりどりの短冊やかざりが笹の葉のあいだにゆれて、薄暗くくすんだアーケード街のそこだけがカラフルなのだった。

わたしが行った学校では、毎年、幼稚園から小学校の二年までが参加する七夕祭りがあった。なぜ二年までなのか理由など知らなかったが、ともかくその日は夕方から浴衣を着せてもらった四歳から八歳までの子供たちが集まるのだった。小学校の校庭には、篝火が焚かれ、子供たちはそれをぐるりと取り囲むように、外に出した教室の椅子に腰かける。学年ごとの出し物があり、先生の出し物もあり、最後に小さな蝋燭の入った提灯をひとりずつもたせてもらって、みんなで校庭を一周したあと幼稚園の方まで練り歩くのだ。薄暮の頃から始まった七夕祭りも、その時刻にはすっかり暗くなり、遠くまで続く提灯の列がゆっくりと動いていくのは、美しい光景だった。

七夕祭りの楽しみのひとつは、ふだん着ることもない浴衣を着せてもらうことで、たいてい提灯行列が終わる頃は、履き慣れない下駄のために、親指の股のあたりにマメができ、足を引きずりながら歩いていたものだったが、それでも浴衣のしゃりしゃりした生地が肌にふれるのも心地よく、それが終わってからも、何かあるごとに着せてもらった。

商店街では夏になると週末、夜店が開かれ、いまとちがって店が閉まるのも早かった当時、その日ばかりはいくつかの店は閉店時間をくりのべて、遅くまで開いていた。ふだんはそんな時間に行くこともない、蛍光灯が煌々と光る本屋に入って、子供向けにリライトされた小泉八雲の『怪談』や、上田秋成の『雨月物語』を、親に文句を言われながら、どうしても、と買ってもらったのはそんなときだ。シャッターを下ろした店の前には、風船釣り、キンギョすくい、綿飴などの出店がどこまでも続いていた。

これはいったいいつの記憶だろう。
同じように浴衣を着せてもらって、神社の境内の夜店に出かけたのだ。まるでクリスマスの電飾のように裸電球がつらなり、その明かりの下に、これまた風船釣りや当てもの、コリント台やキンギョすくいの出店が続く。
そうした明るい露店の向こうは、神社の奧の木立が続き、うすぼんやりと見える木々の向こうは闇なのだった。このまま不意に人混みから外れ、そのまま木立の奧へ入っていくと、もうこちらには戻って来れないかもしれない。そんなことを考えたら、ふと怖くなって、親の手を探してにぎったような気がする。

太宰のこの小品には、七夕の記憶から曲馬団の記憶が導かれていく。
わたしもどこかで「見せ物小屋」という看板を見たことがあるような気もするのだが、さすがに昭和四十年代ともなると、そんなものはなかったように思う。江戸川乱歩の少年探偵団か、さらには図書館にあった、貸本屋から寄贈された戦前の少年小説ででも読んだのだろうか。ともかく夏の夜店というと、「見せ物小屋」の字面が浮かんでくるのだ。

見せ物小屋。
その木戸の向こうには何があるのだろう。
母に聞いたら、「いたちがいる、と言っておいて、箱をのぞいたら、赤ペンキがちょこっとついた板が入ってるようなものよ、板に血がついてるから、いたち、だとか言って」と教えてくれた。それでもいいから、見てみたい、と強く思った記憶があるから、やはりその看板を見たのかもしれない。

この太宰の小品は、同じ七月七日に起こった蘆溝橋事件にもふれ、しかも最後に「私は戦争の将来に就いて楽観している。」という、太宰にはめずらしく、当時の時局に迎合的なことが書いてあることもあってか、単に小品というだけでなく、太宰の作品のなかでは、比較的光の当たらない作品であるように思う。わたしも全集に収録されているのを、『十二月八日』などと一緒に、こういう作品も書いていたのか、と思いながら読んだような記憶がある。

「作家の手帖」というタイトルにふさわしく、作中の「私」は七夕飾りを見ながら、こんな小説を書いてみたい、と思いをめぐらす。七夕さながらに、一年に一度だけ会うふたり。いや、そんな小説を構想するより、実行してはどうだろう。
ところが「今夜これから、と眼つきを変えてうなずいてはみたが、さて、どこといって行くところは無いのである。私は女ぎらいだから、知っている女は一人も無い。」とある。ああ、この作家は太宰自身のことではないのだな、と、当時まだ作者と作品中の「私」を簡単に同一視してしまっていたわたしは思ったものだった。

今日はこちらは曇り。場所によっては雨のところもあるだろう。たとえ地上はどしゃ降りでも、雲の上はいつも晴天である。地上の天候とは無関係に、牽牛と織女はランデヴーを楽しんでいることだろう(折口説によると、いまごろは昨夜のことを思いだしているところだろうが)。
一年に一度しか会えないというと、悲恋のようにも思えるけれど、それでもかならずその日に会えるのだから、考えようによっては幸せなことかもしれない。一年の半分は、前に会ったときのことを思いだし、残りの半分は、つぎに会う日のことを指折り数えて待てば良いのだから。
会いたくても会えなかったり、この先、会えるかどうかさえわからない人のことを思えば、牽牛と織女は幸せと言えるのかもしれない。

一年に七日の夜のみ逢ふ人の恋も過ぎねば夜は更けゆくも

(柿本人麻呂)
鶏頭




2007-07-06:英語漬け雑感

今日電車に乗ったら、隣に座っていた人が、携帯ゲーム機を出して、しきりになにやら考えこんでいる。何をそんなにむずかしい顔をしているのだろうとひょいとのぞくと、英語のスペリングテストみたいなものをやっていた。おお、これがうわさの「英語漬け」というやつか。

昔から新聞や雑誌にかならず広告が入っていた英語の学習補助教材は、当時カセット・テープだったけれど、いまや携帯ゲーム機というわけだ。「聞き流すだけ」と書いてあるぶんには、「そんなわけないだろ」とつっこみたくもなるのだが、スペリングテストやリスニングテストがついている分、なんとなく効果も期待できそうな気がしないではない。なにをもって「英語力」というかはともかく、これでボキャブラリを増やしながら、たとえば毎週届くTIMEを追いまくられるようにして読んだり、Web版ニューヨーク・タイムズのトップページを毎日読んでいけば、相当読めるようにはなることだろう。

それにしても、なんで英語を勉強しなければならないのだろう。
自分自身、よくわからないまま、少なからぬ時間を英語に費やしてきたわたしは、英会話教室でバイトをしていたころ、よくそういうことを考えたものだった。来年からアメリカに駐在が決まったんです、と、あきらかにせっぱ詰まっている人もいたけれど、そういう人を除けば、とりあえず就職に有利になるんじゃないかと思って、とか、さらには、道を聞かれたら困るから、海外旅行のときに便利だから、という、あまり判然としない理由の人の方が多かったように思う。

だが、道なんてそんなに聞かれるものだろうか。以前、道を聞かれて日本語で答えている人を見かけたことがあるが、向こうだって必要があるのだから必死で聞く、想像力も総動員させているのだから、たとえ日本語だって、身ぶり手振りだって、十分に通じるものなのである。

中野好夫の『英文学夜話』という本の中に、作家の堀田善衛が「だいたい外国語上達の秘訣というのは、神さまと戦争だよ」と言っていたと書いてあった。つまり、「神さま」とは布教伝道のこと、戦争とは、敵国の研究や敵に対する宣伝工作のこと、そうした「明確、緊要の目的でもないかぎり、そう外国語などというものの上達するはずがない」と言ったそうだ。
いまならさしずめ、布教の代わりにものを売る「ビジネス」と、戦争とならんで「何でもあり」の恋愛だろうか。そのふたつなら「明確、緊要の目的」といえそうだ。

わたしがバイトしていた当時、平日昼間のクラスは別に「主婦クラス」と銘打っていたわけではなかったのだが、実際には中高年の女性が「ちょっとおしゃれな趣味」という感じで集まっていた。彼女たちのほんとうの目的は、授業よりむしろ教室に集まっての、生徒同士の日本語によるおしゃべり、そのあとの「ランチ」や「ショッピング」にありそうだったが。

いま思えば、そういう人に対しては、日本人男性と結婚して滞日経験を重ねた主婦でもある講師がふさわしかったのだろう。そういう人にふさわしいテキストやトピックスを選ぶことによって、もっと英語の方に関心を向けさせることも可能だったのではなかったか。

だが、わたしがいたところはほとんどの講師が留学生か留学生上がりで、彼ら自身、必死で日本語の勉強や文学の勉強をしていたために、そういう生徒を必要以上に厳しい目で見ていたのだった。何年やってもまるで上達しない、何一つ覚えない、どれだけ教えても何も聞いてない……授業が終わると、たまったうっぷんを晴らすように、控え室で悪口をぶちまける講師もいた。なかにはアメリカやイギリスに長期滞在の経験があり、せっかく身につけた英語を錆つかせたくないという人のためのアドバンスクラスもあったのだが、ずいぶん流ちょうに英語を操るにもかかわらず、彼女たちがそれで喋るのは自分の家のイヌのことだの、庭に何を植えただの、内容のない話ばかりだ、アメリカやイギリスのニュースも知らなければ文化に興味もない、それで英語がしゃべれていったい何になる、と、話せることさえもが苛立ちの種になるようだった。

いまならわたしもそういう人たちをもう少しちがう目で見ることもできるように思うのだが(だといいのだけれど)、当時は講師たちの側に立って、それでも英語を勉強しようとしていた人のことを軽く見ていたように思う。それが態度に出ていなかったこと、当時、わたしが接触した人が厭な思いをしなかったことを祈るばかりだ。

ただ、そんなぬるま湯のような昼間のクラスに、ひとりだけ、講師たちの尊敬を集めているおじいさんがいた。その人は、大正生まれで、高等小学校しか出ていない人だった。六十代に入って家業を引退してから勉強を始めたのだ。英会話教室に来た頃は放送大学も受講していて、英語も中学のテキストぐらいなら難なく読めたし、聞くのはむずかしいようだったが、自己紹介などはかなりしっかりした内容を話すことができる人だった。ほとんどカタカナのような発音だったにもかかわらず、その人が話しはじめると、講師たちも小さなおじいさんに近寄って、文字どおり耳を傾け、「 Ugly? ……アア、ワカリマシタ、agriculture デスネ〜? “ノウギョー”ノコトデスネ?」と懸命に聞こうとしていた。つまり、そういう態度を聞き手に取らせるほどに、一語一語真剣な話しぶりだったのである。

ちょうどそんなころ、中野好夫の「英語を学ぶ人々のために」という文章を読んだのだ。本の方はどこかへ行ってしまったのだが、最近読んだ鈴木孝夫の『日本人はなぜ英語ができないか』(岩波新書)のなかに引用されていたので、懐かしくなったからここで引用しておく。確かこの精神の内容についても何か書いてあったと思うのだが、この引用では落としてあって(ここで「中略」となっているのは、引用した鈴木孝夫が略している)、そこがちょっと残念なのだけれど。

「語学が少しできると、なにかそれだけ他人より偉いと思うような錯覚がある。くだらない知的虚栄心である。実際は語学ができるほどだんだん馬鹿になる人間の方がむしろ多いくらいである。」
「英語を話すのに上手なほどよい。書くのも上手なら上手なほどよい。(中略)だが、忘れてならないのは、それらのもう一つ背後にあって、そうした才能を生かす一つの精神だ。だからどうかこれからの諸君は、英語を勉強して流石に英語をやった人の考えは違う。視野が広くて、人間に芯があって、どこか頼もしい(中略)ような人になってもらいたい。
 語学の勉強というものは、どうしたものかよくよく人間の肝を抜いてしまうようにできている妙な魔力があるらしい。よくよく警戒してもらいたい。」

(中野好夫「英語を学ぶ人々のために」
鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書)

鈴木孝夫の本には、何度となく「何のために英語を学ぶか」の目的をはっきりさせよと書いてある。だが、日本にいて、英語を使わなくてもまったく困らないわたしたちには、なかなか確固たる目的を持つのもむずかしいのが実際のところだろう(鈴木孝夫は、まず、日本文化を海外に向けて発信せよ、と書いているのだが、その前にわたしはまず「日本文化」ってなんじゃらほい、と思ってしまうのである。これが日本文化である、ドウダスゴイダロー、なんてなことは、ちっともすごくないわたしは気恥ずかしくなってしまうのである)。仮に確固たる目的を持ち、その目標に向かって邁進し、見事しゃべることができるようになったとしても、そのことと「くだらない知的虚栄心」を持たずにすむこと、芯のある、どこか頼もしい人になることは、関係がない。

そのおじいさんは、口癖のように、勉強は楽しい、いままで生きてきて、勉強するほど楽しいことはほかになかった、と言っていた。中野のいう「そうした精神」、何と書いてあったか忘れたのだけれど、煎じ詰めるとそういうことではなかったか。
ひとつ言葉を覚える。そのぶん、世界が少しだけ広がる。ひとつの文章をまとめることができる。そのぶん、わたしのまわりの世界も広がっていく。

「勉強するのは楽しいから」
結局は、これほど「知的虚栄心」と無縁の言葉もないのではないか。

「虚栄心」の対義語は、「謙虚」なんかではないと思うのだ。「虚栄心」というのは、自分のなかに見つけるものだが、「謙虚」というのは他人の評価だ。ところが自分のことを「謙虚」だなんて思ってしまうと、逆に、たまらないほどの虚栄心に通じていくように思う。「わたしって謙虚だわ」なんて思っている人とは、わたしは友だちにはなりたくない。それなら「どうだ、すごいだろう」の方がまだマシだ。

「虚栄心」の対極にあるのは、楽しいからやっている、ではないのだろうか。鈴木孝夫はそれを目的とは呼ばないかもしれないが、これ以上の動機はないように思えるのだ。

鶏頭




2007-07-05:「おばちゃん」か「おねえちゃん」か、「ワンワン」か「ニャー」か

先日、病院の待合室で三歳ぐらいの男の子がそこらへんを走りまわっていた。まだひとりで本を読んだり、携帯ゲーム機で遊んだりができない年齢の小さな子をなんとかおとなしくさせておくのは、親の側も大変だ。そうでなくても子供をじっとすわらせておくなど、至難の業なのだから、長い長い待ち時間をなんとか持たせるためには、親がつきっきりで相手をしてやらなければならない。
ところがわたしのひとつおいた席に腰かけているそのお母さんとおぼしき女性は、携帯メールに余念がないのだった。送ったかと思うとすぐに返信があるらしく、走りまわる子供をよそに、ずっと開いた携帯に見入っている。

とうとうその子がわたしの隣の椅子に土足のまま飛び乗って、びょんびょんと跳ね始めた。わたしはその子に怖い顔で「だめっ」と一言、低い(ドスを利かせた)声で言ったのである。
すると、その携帯お母さんが「あーちゃん、おばちゃんに怒られるから、おりなさい」と投げやりに声をかけた。確かにその「おばちゃん」の一言が太字で発音されたのを、わたしは聞き逃さなかった。どうやらその「おばちゃん」という言葉でその人は「邪魔しやがって」という反感を表現しようとしたみたいだ。

わたしとしては「おばちゃん」という呼称にうろたえたりムッとしたりする歳でもないので、それを聞いてムッとするようなこともなく、逆に、こういう機会でもなければ「おばちゃん」と呼ばれる経験がないことに気がついた。いまでは「おばちゃん」という呼称自体が、あまり好ましくないものとして避けられているのかもしれない。

わたしが小さい頃は、友だちのお母さんは「えっちゃんのおばちゃん」「マリちゃんのおばちゃん」「ススム君のおばちゃん」というように、みんなおばちゃんと呼んでいたし、近所にいる三十代ぐらいの女性は、既婚未婚を問わず「おばちゃん」と呼んでいたように思う。だが最近では「ママ友」という言葉もあるように、未就学児ぐらいまでの子供のお母さんは「ルミちゃんママ」というように呼ぶらしい。子供だけでなく、お母さん同士そう呼ぶわけだ。自分の子供でもない、同じ年代の人に「ママ」と呼ばれるのも、なんとなく気持ちが悪いような気もするけれど。ともかく「おばちゃん」というのは、極めて取り扱いに慎重を要する呼称かもしれない。

さて、「おばちゃん」で思いだしたのだが、二十歳になったばかりの頃のことだ。卒業してから年数がたった元寮生が、二歳前後のまだ言葉も覚束ないような小さな子を抱いて、寮に遊びに来たのである。

小さい子がめずらしかったわたしたちは、お菓子をあげたり、何かしゃべらそうと、いろんなことを問いかけたりしていたのだろう。不意に、その子がわたしを見て「おねえちゃん」と呼んだのである。
するとそのお母さんは「あら、この子、おねえちゃん、て言うたの初めてやわ」と言った。ほかの寮生も不服そうに「わたしはおばちゃん、って言われたのに」と言い出して、「おねえちゃん、って言ってごらん」とみんなはそう呼ばそうとトレーニングを始めた。ところがその子はどうやってもわたし以外のだれも「おねえちゃん」とは呼ぼうとせず、ひとりずつ指さしては「おばちゃん」「おばちゃん」と繰りかえすのだった。さすがにそのときはいい気分で、「この子、見る目があるじゃん」と喜んでいたのだが、考えてみると、どうもその子はわたしの若さを評価して(笑)、「おねえちゃん」と呼んでくれたわけではないような気がする。

それとはまったく別の機会、別の子供の話だが、年齢は一歳になったばかり、単語がまだほんの数語というころだ。その子はあらゆる動物を「(わ)んこ」、乗り物は自動車も電車も自転車も「で(んしゃ)」と呼んでいた。ただ、どうしてもわからないのがガソリンスタンドを「で」と呼ぶことだ。ガソリンスタンドに車が停まっているから「で」なのか。それでも駐車場を見ても「で」とは言わない。駅を見ても「で」とは言わない。なぜガソリンスタンドだけ「で」と呼ぶのだろう。観察に観察を重ねたが、結局わからないままだった。

さて、尼ヶ崎彬の『ことばと身体』には幼児の概念というものが、どのように形成されているかについて、こんな観察記録が引用されている。

 ある女児は「ピン」というラベルで《針》や《パン屑》、はては《ハエ》や《毛虫》までを表した。一見この子の〈ピン〉の概念は支離滅裂に見える。ところが仔細にみると、床から指でつまみあげるものを総て「ピン」と呼んでいることがわかった。つまりこの子にとって概念設定の基準となっているのは、〈何か小さいものを指で慎重につまみあげる〉という行動の型なのである。

(尼ヶ崎彬『ことばと身体』勁草書房)

つまり、先の子が「で」という言葉で言い表す概念の枠組みがいったいどこから来ているのか定かではないのだが、ともかくそれは大人の「電車」という概念とは異なるものであることにはまちがいない。そうしてそれは姿や形、色などの客観的特徴ではなく「自分自身の行動や経験の型に基づく」らしい。

わたしのことを「おねえちゃん」と呼んでくれた大変かしこい(笑)子は、おそらくわたしの姿形を見て「おねえちゃん」と呼んでくれたわけではないのだろう。わたしの動作の何かがその子にとって「おねえちゃん」という新しい言葉を発動させるきっかけにはなったのだろうが、非常に残念ながら、それは大人が考えるところの「若々しさ」とは関係ないものであるように思う。
そういえば「んこ」「で」という子は、空を飛んでいる鳥は「んこ」とは言わなかったが、歩いているハトは、元気に「んこ!」と呼んでいた。

また別の子供は、すべての生き物を「ワンワン」か「ニャー」に分類していた。この子の場合は、あらゆる人も「ワンワン」か「ニャー」なのである。お母さんが「りーちゃん、この人は?」と聞くと、老若男女とは無関係に「ワンワン!」、あるいは「ニャー!」と分類してくれる。
わたしは「ニャー」だったのだが、いったいなぜ「ニャー」だったんだろう。

鶏頭




2007-07-04:大工かセイウチか

あなたなら大工とセイウチ、どちらが好きですか?

これは『鏡の国のアリス』に出てくる、双子のトゥィードルディーとトゥィードルダムが暗唱する詩の話だ。(※全文訳はhttp://www.genpaku.org/alice02/alice02j.html#ch4で読むことができます。)

大工とセイウチが浜辺を散歩している。セイウチはカキを散歩に誘い出す。最年長のカキは誘いには乗らないが、若いカキたちはおめかしして足? には靴まで履いて、いそいそと散歩についていく。しばらく歩いた大工とセイウチは、石の上にこしかけた。カキたちは待っている。

そこでセイウチが声をかけた。「さあ親愛なるカキくんたちよ、よければ食事を始めよう」
大工の方は、カキを端からたいらげながら、しゃべることといえば、パンをもうひときれ、とか、バターを厚く塗りすぎた、というばかり、だが、一方のセイウチといえば……。

『かわいそうなきみたち』とセイウチ、
『心底同情してあげる』
セイウチ、嗚咽と涙に隠れつつ
選ぶはいちばん大きいカキばかり
ポケットからのハンカチで
涙流れる目を隠しつつ。

と、涙を流しながら、カキを食べまくるのだ。

詩を聞いたアリスは、セイウチのほうがいい、カキをかわいそうに思ったから、と言うと、トゥィードルダムは、セイウチは大工よりたくさん食べたんだよ、ハンカチを口に当てて隠しながら、と教えてやる。それを聞いたアリスはどちらがよりましか悩むのだが……という場面なのである。

結局アリスは「どっちもずいぶんといやな連中で……」という結論に至るのだが、実際、同情もせず、ひたすらカキを食べまくる大工と、涙を流しながら、こっそり大工よりたくさん食べるセイウチと、どちらがよりマシか考える、というのも、不毛な話にはちがいない。

ところが現実にわたしたちはセイウチのようなことを日常的によくやっている。

昔、大学の寮にいるころ、裏庭に入りこんだ捨てネコに餌をやる寮生がいた。そうしているうちになついてくる。なついてくるとかわいくなって、畳敷きの部屋にあげたら、ノミだらけになって大変なことになった。すでに寮には二匹のネコがいたのだが、その寮生は、かわいそう、わたしが面倒見るから、と、どうしても飼うと言い張ったのである。ノミだらけの部屋は、彼女がバルサンだかダニアースだかを買ってきて、薫蒸を始めたのだが、ネコはかわいそうでもノミはかわいそうじゃないんだな、と、なんとなく奇妙な気がしたのだった。

春先になれば、毎年のように、カルガモの親子が並んで歩く姿が報道される。その一方で、わたしたちは一方で鴨南蛮そばを、おいしいおいしいと食べる。
いまはどうか知らないが、わたしがときどき行っていたころ、東京ディズニーランドにはカルガモの親子がいた。ポップコーンをもらって食べるせいか、よく太って、色つやの良いカルガモだったが、ディズニーランドには、ほかにはカラスもハト(イヴェントで飛ばす白いハトではなく、そこらへんにいる小汚いハトのほうだ)も、夏になっても蚊もいないところなのである。

「かわいそう」と言いながら、その一方でわたしたちは「かわいそう」なはずの生き物を、平気でパクパク食べたり殺したりしているのだ。ただセイウチとちがって、「かわいそう」と言っている相手と、殺したり食べたりしている相手がちがっている点だけだ。

以前、とある作家が飼っていたネコが産んだ子供をつぎつぎに殺していた、と、その経験をエッセイか何かに書いたとかで、ずいぶん問題になったことがあったらしい。わたしはそのことを人づてに聞いただけなので、なんとも言えないのだが、飼えないネコを自分で殺す、というのは、ひとつの責任の取り方ではあると思う。アメリカで「ネコが子を産んだなら、自分で飼うか、飼ってくれる人を捜すか、自分の手で溺死させなさい」と、子供向けの本か何かに書いてあるのを見てギョッとしたことがあったのだけれど、それでも、たしかに保健所などに連絡して、人に押しつけるよりは、痛みを引きうけるというぶん、ずっと筋が通っていると思ったのだった。

いまでは避妊・去勢手術を受けさせる方が一般的ではある。だが、昔、わたしの家にいたネコは、去勢手術のあと、死んでしまったことがあるので、それがほんとうに最高の方法かと言われるとちょっとためらう気持ちがある。もしかしたら、そんなことはめったにおこらないのかもしれないけれど。それに、その行為がほんとうに彼らにとっていいことなのかどうなのか、いったい誰にわかるだろう。

もちろん、何らかの形で生き物を飼う人はかならず選択しなければならない。自分が何をしようとしているのかを理解した上での選択であるべきだと思う。そうして、その選択の責任は、自分が負う、という覚悟も必要だろう。ただ、他人の選択に関しては、責任を負えない人間が、端からああだこうだ言うというのは、筋が通らないように思うのだ。

わたしたちはみな、矛盾を抱えて生きている。食べ物はできるだけ原形を想像させないパック詰めにされた肉や魚を、さらに原形を思い起こすことのないように、煮たり焼いたりして火を通し、徹底的にもとの状態から変化させて、やっとそこで安心して食べている。一方で、「かわいい」だの「かわいそう」だのと言い、他方で「おいしい」と言って食べ、不衛生だの、害虫だのといって殺しているのだ。いくらベジタリアンだといっても、野菜を収穫するまでに、さまざまな「害」虫は殺しているはずだし、第一野菜だって「命」であることには変わりはない。

可能な限り、元の状態を思い起こすことのないよう、徹底して火を通して加工する欧米人の中には、生の刺身や目玉のついたままの魚を平気で食卓に載せる日本人を「野蛮だ」と感じる人もいる。わたしたちからすれば、肉の摂取量が較べものにならないほど多い欧米人にそんなことを言われたくない、と思う。だが、わたしたち自身が、別の局面ではおなじことをやっている。

「かわいそう」という言葉は、自分以外の人に向けられた非難の一種だ。その「かわいそう」という感情は、その人が生まれた環境や文化からくるものだ。だから、環境や文化がちがえば「かわいそう」の該当する範囲も変わってくる。つまり、他の人に向かって「かわいそう」と非難する人間もまた、どこかで「かわいそう」なことをやっている。確実にやっている。だからこそ、誰からも「かわいそう」と非難されない生き方を目指すのではなく、矛盾を抱えていることを受け入れることが必要なんじゃないだろうか。矛盾を抱え、ほかの生き物を殺す自分だからこそ、他人の矛盾も理解できるし受け入れられるのではないか。

「命の尊さ」なんていう言葉だって同じだ。それが抽象的な「命」であるかぎり、そんなものはただのスローガン、わたしたちの胸にはしみこまない。けれど、逆に「殺す」ことによって、「奪う」ことで、自分の命につなげていくことで、その「命」は具体的になっていくのではないか。「尊い」ということが、単なる言葉ではなく、その現場に立ち会った記憶とともにその人のものになっていくのではあるまいか。

「そんなことはかわいそう」という言葉が口元に浮かんできそうな場面に遭遇して、誰かを非難したくなったら、わたしはセイウチじゃないのか、と考えることにしているのだ。セイウチか大工か、どちらがマシかと考えるのは不毛な話だが……わたしがカキだったら、セイウチにだけは喰われたくはないから。

鶏頭




2007-06-22:生きること、殺すこと

最近、近所づきあいの一環で、生協に入ってしまった。
なにしろ近所に「生協命」のおばちゃんがいらっしゃるのである。信じる者は救われる、かどうかは知らないが、信じるものがある人は強い強い。戸別訪問の襲来を受けて、撃退すること三度、四度目に弱みを握られ(その中身はヒミツ)、ついに陥落してしまったのだ。

以前にも銭湯は環境破壊かで書いたことがあるけれど、わたしはこれまで「有機野菜」というものをわざわざ選んで買うということもなかった。
どこまで「有機野菜」「減農薬野菜」というのに根拠があるものか疑っていたし、なんというか、「ちょっと値段が高いものを選ぶ」というセンスが何となくイヤ、というのもあったのだ。

ところがおばちゃんのオルグに陥落して、いまではれっきとした生協の組合員である。

いざ入ってみると、これがなかなかすごい。
チラシ、というか、タブロイド判の新聞みたいなチラシを見て、注文票に記入する。この注文票というのが、昔懐かしいマークシートなのである。昔もこうやって枠内をぐるぐると塗りつぶしたなあと思いながら、そうそうあれ買っとこう、これも良さそうだなどとチェックしていくと、市価より高い(ものによっては「かなり」とつけたくもなる)ので、気を許しておおっとぉ、という値段になってしまって、あわてて消しゴムで消したりするのである。これまた懐かしい光景で、塗りつぶしたのをきれいに消すのがまた一苦労なのである。

そうやってキャベツや白菜を頼んだりすると、葉っぱの間に蛾がぺたんこになって潰されているわ、アオムシはバラバラ落ちてくるわ、このあいだはナメクジを三十年ぶりぐらいに見た。

もはや干からびている蛾や羽虫ならいいのだが、生きてもぞもぞと動いているアオムシや葉についたタマゴをどうするか。これは悩むところなのである。たいていは集めて外葉にくるんで、ポリ袋に入れて捨てる。また殺生をしてしまったなあ、と一瞬思うのだが、しかたない。一匹や二匹のアオムシではないのである。こんなにたくさん飼ってやるわけにもいかないし、公園に放してやる、というわけにもいくまい。

生協のチラシで卵のところを見ると「有精卵」と書いてある。有精卵、ということは、温めてやれば孵るということだ。一パック十個、十羽のニワトリになるかもしれない卵を、冷蔵庫に保存して、つぎからつぎへと食べていく。

こうした野菜にしても、卵にしても、届くたびに実感するのは、食べるということは、命を食べているのだな、ということだ。あるいは、食べるものを守るために、ほかの命を殺している、ということだ。

スーパーに並んでいるぴっちりとラップされたキャベツや、ニワトリには決してならない卵、あるいは、原形を想像させないパック詰めされた魚の切り身やスライスされた肉は、他の生き物を殺してそれをわたしたちが食べていることを見えなくするためのあれやこれやの工夫でもある。

減農薬やらなんやらという付加価値のついた、いささか高い生協の商品は、スーパーが隠そうとしていた「命を食べている」ということを剥きだしにしてみせる。付加価値は「安全」ということだが、虫にとっては農薬を使用されることも、わたしの台所まで来てポリ袋に詰められることもまったく同じ結果である。ちがうのはたったひとつ。消費者であるわたしが手を下しているということだ。

「アオムシが喜んで食べるくらい、おいしいっていうことよ」とそのおばちゃんは力説するのだが、近所の別の人は、野菜だけは怖くって買えない、と言っていた。わたしは虫は平気なのだが、それでもやはりこまったなあ、と思う。高い値段で買っている「安全」とやらにどれだけ実体のあるものかは、はなはだ疑問なのだが、この「こまったなあ」には確実にもぞもぞとうごめく実体がある。生き物を殺すということが食べることの根本にあることを、忘れさせないのが生協の商品の付加価値なんだろうか、と思ったりもするのだ。うーん、生協は倫理学を売っているのか。

ともかく、今度そのおばちゃんに会ったら聞いてみよう。「アオムシも喜ぶ生協のキャベツについてるアオムシ、どうしてらっしゃるんですか?」
あのおばちゃんのことだから、知らん顔でバシバシと叩きつぶしているかもしれない。

鶏頭




2007-06-20:質問に答えてみました

いやいやみなさんこんばんは。

えーと、このかん、何人かのかたからメールをいただいたんですが、返事、書けてません。ごめんなさい。

このおばちゃんにも昔、毎日毎日せっせと長ーいメールを書いてたころがあったんですよ(遠い目)。
だけどね、歳を取ってくると、長いこと坐ってたら腰は痛くなってくるし、パソコンの液晶画面を見てたら目はすぐに疲れるし、夜は眠いし、やらなきゃいけない雑用はなんだかんだあるし、おまけに性格がひねくれてきて(おっとこれは昔からか)、やらなくてもいいことならできるんですが、やらなきゃならないと思ったら、そのとたんに何にもしたくなくなる。

こう見えても、結構、文章書くのに時間がかかるんです。
ブログの文章も、書き飛ばしているように見えるかもしれませんが、書き飛ばす状態に入るまで、やはり相当時間がかかってる。毎日のブログの更新でも結構大変です。

とくにくださったメールの返事は、くださったかたに波長を合わせるのに結構時間がかかる。それをしないと定型文になっちゃって、それはそれで書くのが苦痛ですから、それを避けようとすると、やっぱり数時間はかかっちゃう。で、いきおい休みの日に書こうと思うんですが、それでもね、なんだかんだと……。Rushに魂を抜かれたり、本を読んだり、台所の床に山と積まれた本を整理したり、キンギョ水槽のメンテをしたり、地雷除去作業に精を出したり(って何もカンボジアに出かけるわけではなく、パソコンに入ってるゲームのことです。これとか、上海とか、Zookeeper って、動物が落っこちてくるのをまとめるやつとか、つい、ね…)、そういうことやってると、どんどん後回しになっちゃって。

ほんとうにごめんなさい。

ただ、これまでいただいたメールには、よく共通するご質問がありました。ここでFAQとしてあげておきますので、わたしのブログやサイトを見て、同じような疑問を抱かれた方は、これを参照なさってください。

Q.1:翻訳の勉強がしたい(英語を生かした仕事につきたい)のですが。

まず、わたしはプロの翻訳家でもなんでもないので、どうかそれを忘れないでください。単に文章を書く勉強をする一環として、翻訳の勉強もやっているだけです。プロだったら、こんなレベルで人に晒すようなことはしないでしょうし、無料で公開したりもしないでしょう。だから、そういう人間の意見として、読んでくださいね。

まず、本気で勉強をするつもりなら、学校へ行ってください。
最近では大学でも教えてくれるところがあるみたいですが、わたしにはよくわかりません。ともかく、あちこち調べて、パンフレットなんかも集めて、いろいろ検討してみてください。お金はかかる。これは勉強しよう、資格をとろうと思ったら、何でも一緒です。泣きたいくらい、お金はかかる。そういうもんです。それが勉強をするということです。
親に頼めるなら、頼んでください。それが無理なら働く。とにかく方法はいろいろあるから、必要に迫られればどうにかなるもんです。

独学は、そこを出てからの話です。心配いりません。独学はもう好きなだけ続けることができます。あるていど基礎を教わったら、そこから先は一切独学なんですから。
ただ、まず最初は先生につくことです。
ピアノを弾くにしても、絵を描くにしても、泳ぐのにしても、なんでも最初は習わなきゃなりません。自分のフォームは自分では見えないでしょ? 正しいフォームを身につける。
英語ができることと、翻訳をやることは全然ちがいます。学校でとにもかくにも英語を習ったように、翻訳も最初は教わらなきゃできません。本気でやるつもりだったら、まず習いに行ってください。

Q.2:ブログや英会話(翻訳)の勉強が三日坊主で続きません。

ブログの更新であれ、英会話の勉強であれ、ダイエット(これはやったことないけど)であれ、続かないのは、それがあなたにとって必然ではないからです。

あのね、たとえば誰かが好きになったとするでしょ、そういうとき、つい、相手のことを考えちゃいますよね。相手のことを考えるのが三日坊主……なんてことはありえない。つまり、そこで「相手のことを考える」はあなたにとって、のっぴきならない必然があるからです。

あなたが単身アメリカに行く。そこで英語を理解することは、のっぴきならない必然です。生死に関わる事態ですから、必死になって聞くし、自分の要求もなりふりかまわず通そうとします。

だけど日本ではそんなことはできない。なりふりかまわず……なんてことは恥ずかしくってできません。英語をしゃべる、っていうのは、ある種、バカにならなきゃやっていけないところがありますから、バカになりきれない、カッコ悪い自分が受け入れられない人はできません。
だけどそれでも大丈夫。日本にいるんですから。

必然がないことは、できることじゃない。だからやらなくていいんです。どうしてもやりたい。カッコ悪くても、バカにされても、どうしてもやりたい、という気持ちがたかまってきて、自分の中で必然になったら、わたしのように書くことなんてなくても、なんとかひねりだせるようになります。

たいていのことは三日坊主で十分です。人生のスパイスです。ときにちがったものが食べたくなるようなもの。全然、問題ありません。

Q.3:やりたいことがわかりません。どうやって見つけたらいいの?

このご質問はたいていはちがう形で質問をいただきますが、煎じ詰めればこれになるように思います。

これは、むずかしいね。
だけど、ほんとにやりたいこと、なんて、あらかじめ持っている人なんているのかしら。多くの人は、自分以外のみんなが「ほんとにやりたいこと」を持っていて、充実した毎日を過ごしているように思えて、それにくらべて自分は……みたいに思っているような気がします。

だけど、そんなに心配しなくて大丈夫。
「ほんとにやりたいこと」をしっかりと持って、それに邁進している人なんて、それほど多くない。
そうしてあなたがまだそれに向かって動けないんだったら、まだその時期じゃないんだと思います。あせらないで、日々、早起きして、ちゃんと食べて、身の回りの人に「おはよう」「おやすみ」って挨拶して、時間が来たら学校や職場に行って、楽しいことやら楽しくないことやら、やりたいことやらやらなきゃいけないことやらをこなしていけばいいと思います。

何かしなきゃ、と思ったら、まずはなんでもやってみることです。一生懸命やる。やる以上はそのことを勉強する。そうしたら、少しずつ楽しくなってくる。
でも、続けてみて、そこから楽しみがもう汲み出せない、と思ったら、またもういちど考える。いろんなことをやってみて、自分の身体に耳を傾けてみてください。身体がやっていて喜ぶことをやってみる。

そうして見つけたら、深いところから、ああ、自分はこれが好きなんだ、って思ったら、もう髪振り乱して、やってってください。下手くそ、とののしられようが、落ちこもうが、それがもとで彼氏彼女にフラれようが、それでも手放せない。そういうものが見つかったら、それを軸に、自分の人生を立てていけばいいんです。

実際には何にも始めずに、文句ばっかり言ってる人もいますが、とにかく動くことです。人に会うことです。そうしていると、自分の気持ちも見えてくる。気持ちなんて、何かにぶつかるまでわかったりはしないもののような気がします。

アクシデントが起こったっていいんです。手放さなきゃならなくなって、手放せるんだったらそれはそれだけのこと。やめようと何度も思って、それでもやめられなかった、そういうものをとおしてわたしは自分を作ってきたように思います。

何か、説教じみたことを書いちゃいましたが、何らかの参考になれば、と思っています。
いつも読んでくださってありがとうございます。
メールもありがとうございました。
ブログにコメント書く方が楽なんで(なんでなんだろうなあ)、返事が必要な方はそちらに書き込んでくださるとうれしいです。

ということで、それじゃまた。

鶏頭




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