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鶏的思考的日常 ver.17〜ニワトリ頭に秋風ぞ吹く 編〜



2007-09-20:世界という舞台で


新聞でも、テレビでも、パソコンのニュースサイトでも、電車やビルの広告塔の電光掲示板にさえ、毎日たくさんの「事件」が報道される。たとえ積極的に情報を集めようとは思わなくても、わたしたちはそうした事件報道と無縁にいることはできない。

ちょっと大きめの事件が起こると、何日かその報道が続き、それを見てわたしたちはもう少し詳しいことを知り、あるいは事件の進展や推移を知り、それについて憶測や自説を述べるさまざまな人のコメントを目にする。最近ではそうした事件について、ブログで書いている人も多いので、望めばさらに多くの人の意見を読むこともできる。

ふだんとはちがう何ごとかが起きると、その「原因」が求められる。「原因」を起こした「犯人」の「責任」が問われる。

「閣僚の不祥事」では「閣僚」が悪かったのだし、「政権放棄」したのは「首相」が「無責任」だったからだし、高校生の男の子が「自殺」したのは「同級生」が「恐喝」したからだし、エキスポランドでジェット・コースターが「暴走」したのは……これはまだ「原因」はわかってなかったのかな、ともかく「管理体制の不備」というあたりで落ちつくのだろう。

けれど、「閣僚の不祥事」というと、その閣僚以外は免責されてしまう。「首相」が「無責任」だったからだ、というと、首相以外の人は免責されてしまう。件の「同級生」の場合だと、彼らを育てた「家庭」が悪い、あるいは「教育」が悪い、ということになって、家族や学校関係者以外は免責されてしまう。エキスポランドはもちろん「関係者」の問題で、それ以外の人は何の責任もない。

「政治家はカネに汚い」
「無責任な首相だな」
「ひどい高校生もいるもんだ」「いや、最近の親が悪いんだ」
「まったく無責任な企業が増えてるな」

けれど、ほんとうにそうなんだろうか。
その人が取った行動が、どういう形で現れるかは、その人が置かれたさまざまな条件によって決まってくるだけの話なのではないのだろうか。

原爆を「しょうがなかった」と言った閣僚がいた。
わたしはいまでも覚えているのだけれど、今村昌平の『黒い雨』という映画がカンヌ映画祭に出品されたとき、外国の批評家が「まるで原爆を自然災害のように描いている」と批評したことがある。わたしはそれを読んで、井伏鱒二の原作自体が、原爆を落としたアメリカを告発したり、戦争の終結をいたずらに引き延ばした日本の政府を告発するという性格のものではなく、『黒い雨』というタイトルにも見て取れるように、そういうふうに描いているものなあ、と思ったものだった。
この「自然災害」のように描くことと、「しょうがない」と受け止める発想は、そんなにちがうんだろうか。

もちろん原爆の後遺症にいまも苦しむ人や、身内にいる人、あるいは、そういう人たちを支援している人が、その発言を無責任に感じ、怒りを覚えるというのは、非常に納得できる話だ。そういう人から見れば、その閣僚の発言は、ほんとうに腹立たしいものだろう。

けれども身内にそういう人もいない、八月がくれば思いだすけれど、それ以外のときは原爆のことなど考えることもないような人は、「しょうがな」くはない、「原爆を落としたアメリカは許せない」「アメリカはそのことに対して謝罪すべきだ」「原爆投下以前に戦争を終結させられなかった当時の日本政府は誤っていた」というふうに考えているんだろうか。あるいは、連合国側の「原爆は第二次世界大戦を早期終結させるために必要だった」という理論に、きちんと反駁できる理論を持ち合わせているのだろうか。

多くの日本人は、「核兵器は怖ろしい」「核兵器は廃絶しなければならない」と思っているにせよ、誰がやった、何のためにやった、さらに、それを回避するためには日本はどういうことをしなければならなかった、と考えるのではなく、「あれは不幸な出来事だった(けれどしょうがなかったなあ)」とばくぜんと感じているとばかり思っていたので、件の閣僚の発言が問題になったとき、わたしはびっくりしたのだった(閣僚の立場でそういうことを言うのは、ずいぶん緊張感のない、センスの悪い人だとは思うけれど)。

私宅を「事務所」として届けることにしたって、実際、多くの人がそういうことを「税金対策」としてやっているわけで、もちろん「その立場にある人がそういうことをやってはいけない」という考え方があるのは理解できるけれど、それをひっくり返して、その立場でなければそういうことをやってもいい、というふうに置き換えてみると、やはりこの理屈は成り立たないような気がする。

同級生から金をたかった高校生たちになると、「デートにお財布を持っていったことがないの」というおネエちゃんの発想と、いったいどこがちがうんだろう。相手を人間ではなく「金ヅル」としか見なしていない点では同じじゃないのだろうか。さらに言ってしまえば、わたしたちはいつも他人を「一個の人格」として相対しているんだろうか。便利屋扱いしたり、一種の機械のようにみなして、相手が何か自己主張を始めれば、やかましいなあ、なんて思ってしまうことはないのだろうか。

「事件」という形で報道されることの多くは、その当事者が自分であったかもしれないのだ。自分でなかったのは、単にいくつかの偶然と諸条件が重なっただけに過ぎない。

たぶん、そうした「事件」の報道に意味があるとすれば、「じゃ、自分はどうなんだろう」と立ち止まって考えるきっかけとなりうる、という一点なのではないだろうか。自分の毎日で、あ、これはまずいな、と思うようなことをあらためるきっかけ。ふだんは気にもとめずにいるような自分の見方や、あたりまえ、と疑問も抱かずに機械的にやっている行動を見直すきっかけとして。

「誰かのせい」にしておけば、自分は関係なくていられる。だが、正しいことを言うことなんて、大変でも何でもないのだ。言葉は、言葉でしかないのだから。「百歩歩く」と言うときに、一歩から始める必要はないけれど、現実に百歩歩こうと思えば、一歩から歩き始めて、そこからさらに九十九歩歩き続けるしかない。他人に向かって「百歩歩くべきだ」というより、「一歩」踏み出すことのほうがはるかに大変だし、そこから責任だって生じるし、批判の矢面に立たされることだってあるだろう。

シェイクスピアは " All the world's a stage."(全世界が舞台だ)と言った。
世界が舞台なら、やっぱりわたしはたいそうなことを言う評論家より、たとえ批判でズタズタにされたって舞台の上に立ちたいと思う。


鶏頭




2007-09-08:コーラで乾杯


このあいだ缶コーラを一本もらった。ブルトップを開けて一口飲むと、昔と同じ味がして、不意にいろんなことを思いだしてしまった。

いまではほとんど飲むこともなくなってしまったが、中学から高校にかけて、わたしが学校で飲むものといえば、コカ・コーラだった。
もちろん昼食時には、週番(わたしはこの言葉を高校を卒業してから初めて使ったことにいま気がついた。ものすごく懐かしい言葉なのだが、この文脈で意識することもなくすんなりでてきて、ちょっと感動している)がお茶を用意することになっていて、それを飲むのだが、放課後とか、部活が終わったあととかに飲むものといえばコカ・コーラだったのである。

中学にあがるまで、コーラなど飲んだことがなかったように思う。家で飲むのはお茶か牛乳、せいぜいカルピスぐらいで、炭酸飲料は相当大きくなるまで飲めなかったはずだ。

校舎の裏手にプレハブの売店があって、例の赤い自動販売機は売店の外にあった。売店のなかにも椅子や机はあったが、たいていそこに腰かけているのは大人っぽい高校生で、わたしたちは外のベンチが空いていればそこにすわって、もしそこがふさがっていればそのあたりに立ったまま、コーラを飲みながら、好きな男の子の話やクラスメイトのうわさ話に興じたのである。学校にお金を持っていって自分で好きなものを買って飲む。それだけのことが、ひどく大人になったような気がして、そういうときにはコーラがふさわしいように思ったのかもしれない。ともかく、わたしはいつもコカ・コーラの赤い缶を持っていたような記憶がある。

まだそうすることが楽しくてたまらない一年生の一学期だった。わたしたちが外のベンチに座って、ずいぶん大人になったような気分でいたときに、とある高齢の先生がやってきて、自動販売機の前に立った。使い方がわからないようで、小銭を投入する場所を探している。お釣りの返却口をのぞきこんだりしているので、わたしたちは先生に、ここをこうやったらいいんですよ、と教えてあげた。するとその先生はびっくりしたように、おお、そうか、と言い、わたしたちの言うがままにお金を入れ、ボタンを押す。ガタンと音がすると、たいそう感激したようすで、君たちどうもありがとう、となんどもくりかえして言いながら、缶コーヒーを片手に戻っていった。

確かにすこし浮世離れしたところのある先生ではあった。授業中にふっと口をつぐむと、いきなり生徒たちを放ったまま考えこんだり、かと思うと、教科書にも参考書にも載っていないような専門的な話が突然始まったり。どこからともなく流れてきた、その分野ではずいぶん高名な先生だという噂はほんとうらしい、とわたしたちも思うようになっていた。雰囲気といい、ひょうひょうとしたしゃべりかたといい、わたしたちはちょっと仙人かなにかを見るような感じでその先生のことを眺めていたように思う。

「あの先生、自動販売機、使ったことなかったんだね」
「そうだね。全然、わかってなかったもんね」
風にふくらんだワイシャツが遠くなっていくのを見送りながら、わたしたちは人助けでもしたような気分でいたのだろう。

それから何年かが過ぎ、学校にも慣れたというより長くいすぎたような気がしていたころだった。コーラを飲んだのも、何百回目くらいになっていたはずだ。そのときまた、その先生がやってきて、まったく同じように自動販売機の前で立ち往生してしまったのである。

相も変わらず、どこからお金を入れたらいいかわからないらしく、返却口のプラスティックをカチャカチャいわせたりしている。居合わせた中学生の一団が、先生、お金はここに入れるんです、そしたらここから出てきます、と口々に教えていたのだった。おお、そうか、君たちどうもありがとう、と言いながら去っていく先生を見送りながら、わたしはえもいわれぬ感動を覚えていた。

おそらく先生は、わたしが入学するはるか前、おそらくそこに自動販売機が設置されてからこちら、いったい何度利用したかは定かではないが、ずっとわからないできたのだろう。自販機の使い方など、覚える気になりさえすれば、実に簡単なものだ。けれども先生は覚えることをしなかった。それくらい、専門の研究に没頭していたのだ。なんとすごいのだろう。そんなふうに、ひとつのことに夢中になれるなんて。

まわりでは、中学生たちが、自販機の使い方がわからなかったその先生のことを、かわいい、かわいい、と言い合っていた。その向こうで一部始終を見ていた高校生の男子生徒たちが、あいつ、呆けてんじゃねえの、と悪口を言っていた。わたしは、なんでみんなわからないのだろう、と、ひそかに腹を立てていたのだった。

それからさらに十年以上が過ぎて、ひさしぶりにコーラを飲んで思いだしたのがその先生のことだった。そうしていまは、その出来事を今度は別の角度から眺めてしまうのである。

たとえばパソコンを日常的に使えるからといって、パソコンの機能をすべて使いこなしているわけではない。わたしが使っている機能など、パソコン全体のごく一部でしかない。そうして、ふだんとはちがうことをやろうとするとき、たとえばわたしは以前にHDDの交換をしたことがあるのだが、そのときはサポセンに電話したり、マニュアルを引っ張り出したり、検索で調べたり、ヘルプを使ったりしながら、さまざまな助けを借りながらやったわけだ。だが、つぎに交換が必要になったとき、まちがいなく今度もまたマニュアルの助けやヘルプが必要だ。前の経験などきれいさっぱり忘れ、同じようにまたマニュアルやヘルプのお世話になるわけだ。まるで自販機と先生の関係と同じではないか。

別に浮世離れしていたからでも、何かに没頭していたからでも、「かわいい」からでも、呆けているからでもない。ただ、必要ないことは覚えない、それだけの話だったのではないか。

簡単かどうかは、その人が置かれた条件によるものにすぎない。人によってはHDDの交換など自販機でジュースを買うのと同じぐらいのものだろう。ある人にとってはそれがどんなに簡単なことであっても、別の人にとって、日常の動作ではなく、覚える気もないことは、覚えられないのである。一定の年齢を超えてしまうと、どうやら人間はそうなるものらしい。

ただ、いまのわたしは、そうだったのではあるまいか、と思うけれど、それが「正解」だとも思わないのである。

わたしたちは、人のことをさまざまに理解する。この人がこうしたのはこんな人だからだ、と考える。けれど、それはどこまでいっても、自分が見たいその人の姿でしかない。わたしが変われば、わたしの見方も変わる。同じ先生の、同じ行動が、「浮世離れした先生」から「研究に没頭していた先生」へと見えたように、そうしていま、覚える気がないことは覚えない、ただそれだけだ、というように。

そもそも人というのは、そんなふうに一言で言い表せるものなのだろうか。同じ人間が、さまざまな状況で、さまざまにふるまう。おおまかな傾向とか、癖、といったものはあるかもしれないが、それ以上のものはないのではあるまいか。さまざまな状況でさまざまにふるまって、自分でもどうするか予想もつかない、あとになって自分の行動の理由をあとづけていく、それが人間なのではあるまいか。

そう考えると、「正解」も「誤解」もないことになる。

わたしたちはいつもその人の近似値を求めながら、きっとそれに失敗しているのだろう。けれど、それがどれほどずれていたとしても、勝手に決めつけて、そのずれが明らかになったときに、失望した、見損なった、なんて勝手なことを言いさえしなければ、それでいいんじゃないだろうか。決めつけず、少しずつ修正しながら、理解しようとし続けていきさえすれば、少々トンチンカンだったり、多少ロマンティックに過ぎたり、変な色がついていたりしたとしても、大丈夫なんじゃないだろうか。

だから、もしある人の見方が、あなたのセルフイメージとずれていたとしても、大目に見てあげてほしいのである。その人はたぶん会うたびに、話をするたびに、あなたの書いたものを読むたびに、修正を続けるから。そうして、あなたもおそらく同じことをやっているのだから。

わからなくても、まちがっても大丈夫。
お互いを知っていく時間はいくらでもある。


鶏頭




2007-09-07:新しい買い物


最近、炊飯器を買った。

わたしは基本的に、本を除くとあまり買い物をしない人間で、日本の景気回復にはいかなる面でも貢献していない自信がある。なかでもしないのが「衝動買い」というやつで、あるものの購入が必要になってくると、いろいろ情報を集め、人から話も聞き、さらに実物をいくつか見て、それでもすぐには買わず、三ヶ月くらい「どうしても買わなくては」という気分が高まってくるのを待つのである。電化製品の購入を検討するときというのは、たいていがすでに故障しているので、そんな悠長なことは言っておれないはずなのだが、なければないでどうにかなるもので、三ヶ月の気持ちの醸成期間はとらないにしても、やはり比較検討の時間は必要なのだ。そうでなければ、前と同じメーカーのものを買うか。ただ、わたしは物持ちまでいいので(笑)、以前、コーヒーメーカーが故障して、修理に出したら、この型番のつぎの機種がすでに製造中止になっているので、この機種の部品はもうない、と言われて新しいのを買わざるを得なかったのである。

ところがこの炊飯器だけは、めずらしいことに衝動買いに近かったのである。
実はそれまで使っていた炊飯器、マイコンジャーというやつなのだが、マイコン(いまでもそんな言い方をするのだろうか?)の具合がおかしくなってしまったようで、ときどき炊飯をせずに、保温状態になってしまうのである。
これは悲しいよ。
さあ、おかずも作った。おみそ汁もできた。ご飯だご飯だ、と、炊飯器をぱかっと開けたら、水に浸かっていくぶん膨らんだ生米が水底に沈んでいるのを見るのは。
そこで、胸の中で舌打ちしながら(わたしは子供の時に舌打ちするたびに親からひどく怒られたので、未だに舌打ちができないのである)、「白米高速」のスイッチを押して、これを押すととりあえずは20分ほどでご飯が炊けるから、それをひたすら待つのである。そのあいだ、焼いた鮭も、炒めたキャベツも徐々に冷えていくわけだ。まあ食べるときは温め直すけれど。

そういう気まぐれこそ、たまに起こしていたものの、基本的にご飯が炊けないわけではない。炊飯器というのは毎日使うもので、修理に出すタイミングをつかむのもむずかしい。何を考えているかよくわからない人にペースを合わせていくためには、根本的に相手を信頼するしかない、ということを経験則として学んでいたわたしとしては、何を考えているかわからない炊飯器を相手に、それを実践していたわけである。

ところがその日、たまたまある臨時のバイトをやって、その報酬を振り込みではなく現金でいただいていたのである。なんとなく気分も大きくなって、ショッピングモールを歩いていたのである。そこへ、銀色に輝くIH炊飯ジャー(IHって何の略だ?インター・ハイか?)が赤札40%OFFとなっていたのである。考えてみれば、いまの気まぐれな炊飯器も、買ってから9年を超える。壊れているとは言い切れない。だがしかし、ときどき炊けない。この状態は、壊れていると言ってもいいのではあるまいか。だがしかし、未だ炊飯器を検討しているわけではない。これが買っても良い機種であろうか……と、しばらく悩んだ。いやいや、まだ壊れていないのだ、といったんそこをあとにしたのだが、しばらくして、やっぱり買おう、と思い直したのだった。

わたしが前に買った頃は、炊飯器といえば白いものだった。ところがこの炊飯器は銀色に輝き、なんとなくC3POに似ていなくもない。先にも書いた、去年買ったコーヒー・メーカーはなんとなくダース・ベイダーに似ていて、つぎに買うのはチューバッカか、という気がしないではないのだが、チューバッカに似ている電化製品というのは見当もつかないので、きっとそれはないだろう。

ともかく、このC3PO、実にすばらしい炊飯器なのである。ほんとうに、ご飯がおいしく炊けるのである。文明はわたしが知らない間にも着々と進歩していたのだなあ、としみじみ感動してしまった。

ところで、この炊飯器、ご飯が炊けるとアマリリスのメロディの最初の二小節で教えてくれる。
例の
♪ソラソド ソラソ
である。
どうもここだけというのは気持ちが悪いのである。「起」があれば「承」、「魚心」あれば「水心」、「呼びかけ」があれば「応え」がほしいのである。
しかたがないので、いつもわたしは口で
♪ララソラ ソファミレ ミド
と歌って応えているのだが、いっそどこかにつくってほしいものである。
家中の電化製品が順番にフルコーラス演奏してくれれば、きっとさぞかし楽しいだろう。わたしが買うかどうかはまた別問題なのであるが。

そうそう、古い炊飯器、捨てるのが忍びないなあと思いながら、それでも置き場所がないので、粗大ゴミの回収日に出したのである。出したその足で、通りを渡ったところにあるパン屋に行って、また横断歩道を渡ってゴミ捨て場の横を通りかかった。すでに炊飯器の姿は消えていたのである。
新たな場所で活躍してくれることを祈るのみだ。
そこではもう気まぐれをおこすんじゃないよ。


鶏頭




2007-09-06:だれかが見ている


大学での寮生活の最後の年のこと。何人か入ってきた新入生のうち、とてもかわいらしい顔をした女の子がいたのだが、すぐに彼女の奇妙な習慣が上級生たちのあいだで話題になった。

部屋のゴミを廊下に掃き出すのである。寮には共同の掃除用具として、ホウキやちり取りばかりでなく、掃除機もある。わたしも含め、ほとんどの寮生は、自分の部屋の掃除には、掃除機の方を使っていた。ところが彼女の部屋のドアの前には、ときどき、掃除をやりました、と証明するかのようにゴミが溜まっているのである。もちろん丸めた紙くずのような大きなゴミはないが、畳の端切れや綿ぼこり、髪の毛、ときにはキャンディの包み紙までもが散らばっている。

廊下や玄関などの共有場所は掃除当番があって、みんなで手分けしてそういう場所の掃除はする。だから週に一度、当番が廊下に掃除機をかけると、そのゴミもなくなる。だがそれまでは、だれの目にもどこから掃き出されたか一目瞭然のゴミが、廊下に溜まっているのだった。

なんで掃除機をかけないんだろう? 外に掃き出したゴミをそのままにしておくのだろう? 個人的に注意したほうがいいか、それとも集まりのときに言うか。初めてのひとり暮らしに慣れていないということを考慮に入れたとしても、理解しにくいふるまいだった。
共同場所の掃除をやらない寮生、私物を共有場所置きっぱなしにしている寮生はそれまでにも多かった。そういうわたし自身、読み終わった古雑誌を廊下に積んだまま、ゴミの日に出し忘れることがつづいて、ひと月ほどほったらかしにして、文句を言われたこともある。ただ、自分の部屋からゴミを掃き出すケースは始めてで、入寮して間もないその子がどういう子かわからないこともあって、わたしたちはちょっとこまってしまったのだった。

いったいどういういきさつでわたしが注意することになったのか、まったく記憶にないのだが、ともかくある日、たまたま彼女が部屋のドアを開けて、ゴミを掃き出している場面に行きあったのである。これはいい機会だ、とばかりに、わたしは廊下は共同の場であるから、そこにゴミを掃き出したら、せめてそのゴミは片づけるように、ということをごく穏やかに言ったのだ。

すると彼女はすごい勢いで反論を始めた。何を言ったのか、これまたまったくわたしは覚えていないのだが、ここらへんの記憶が曖昧なのは、わたし自身が不快な記憶を忘れたくて忘れてしまったような気もする。ともかく、なんともいえずいやな思いを味わったことだけが微かに記憶にあるだけだ。
話がまったく通じない人間というのはいるものだということを、いやというほど思い知らされたのである。

わたしたちは日常生活のさまざまな局面で、「見られている」という経験をする。
たとえ家のなかではパジャマ姿であっても、外に出るときは、たとえそれが近所のコンビニであっても、ゴミ捨て場でも、一応は着替える。その格好は仕事に行くときや、どこかに遊びに行くときの格好とはちがうにせよ、最低限「見られて恥ずかしくない」格好である。

ゴミ出しにしてもそうだ。可燃物・不燃物や資源ゴミを分別するのは、もちろんそれをしなければ持っていってくれないからだが、ゴミであってもだらしのない出し方をしていては、他の人に「見られて恥ずかしい」。

つまり、「見られる」ことは、わたしたちに「恥ずかしい」という感情を引き起こすのである。
だからこそ「誰も見ていないと思っても、お天道様が見ている」という言い方があるのだし、「だれに見られても恥ずかしくないように」という意識も生まれる。

ジョージ・オーウェルの『1984』では、いたるところに「ビッグ・ブラザーが見ている」という標語が貼られている。事実、人々は双方向TVによって監視されているのだが、それよりもビッグ・ブラザーに見られている、と感じさせることによって、人々の内に「つねに見られているという意識」を植えつけ、それによって人々が自発的に自分の行動に制限を設け、命令に従うようにしたてあげるという目的が、その標語にはあったのだ。

『1984』の世界では、「見られている」ことは、「恥」を喚起するのではなく、捕らえられること、さらには尋問され、拷問されることの恐怖を喚起するものだったのだが、恥であろうが恐怖であろうが、「見られているという意識」が、自分の行動を制限するものであることは、だれでも非常によくわかるのではあるまいか。あの「坊ちゃん」だって、せまい松山にうんざりしたのは、自分の行動が逐一監視され、しかもその監視が公然となされていたからだった。

現実にわたしたちは、ときにうんざりもしながら、人目を気にせずいられたらどれほど自由に、やりたいことができるだろう、と思いながらも、それでもやはり、「見られても恥ずかしくないように」と自分に歯止めをかけながら、意に添わないことや面倒なことでも辛抱してやっている。

ところが歩きながら平気でゴミを捨てることができる人や、電車のなかでお化粧をしたり、ものを食べたり、果ては着換えまですることが平気な人にとっては、見られることはなんら恥ずかしいことではない、というか、現実に見ている人がいるのだが、彼ら彼女らにとっては「見られている」とは思ってないのだろう。知らない人、よその人は自分にとって「人」ではない、だから「見られて恥ずかしい」という感情も起こってこないのだろう。

大学の寮がもっと寮生相互の結びつきの強かった時代というのをわたしは直接には知らない。わたしが入った当時は、すでに部屋のドアを閉めてしまえば、そこはもう誰にも邪魔されない自分のプライヴェートな空間だったし、上級生に、共有の部屋で一緒にTVを見ない? ビデオを見ない? と誘われても、何回かに一度、応じさえすれば、残りはずっと断ってもかまわなかった。
そうして、寮生の親睦を図るような、さまざまな行事を企画していた上級生が卒業していくにつれ、わたしたちはもっと多くのプライヴァシーを手にし、反面、次第に寮生というよりも、同じアパートに住む人のようになってしまったのである。

わたしたちよりもっと上の世代なら、一度でもゴミを廊下に掃き出す寮生を見つければ、有無を言わさずやめさせていただろうし、誰が言う? と、悩むことはなかっただろう。そしてまた、そんなふうに密度の濃いつきあいを日常的にしていたら、ほかの寮生の目をもっと意識しないわけにはいかなかったろうし、だれがやったかすぐわかるようなやり方で部屋からゴミを掃き出すような恥ずかしいことは、とてもではないけれどできなかっただろう。

プライヴァシーを求めたわたしたちは、同じ寮生の目など意識することもない新入生が現れても、互いに話し合うことさえできないことになってしまった。その新入生にとっては、わたしたちは意識には上らない、壁紙の模様のようなものだった。だから、わたしたちの目など、どんなレベルであっても恥ずかしいとは感じられなかったのである。だから咎められても平気で食ってかかることもできたのだ。

さて、そのとんでもない新入生が入学して二ヶ月ほどたった、ちょうど暑くなり始めたころだった。一階の部屋に住む寮生が、部屋の窓を開けっ放しにして、ちょっとのあいだ部屋を出ていた。それから戻ってみると、窓の外には防犯用の柵がついているのだが、その隙間から手がのぞいているのが見えた。その向こうに男の姿がある。彼女は悲鳴をあげた。
その悲鳴は二階の部屋にいたわたしの耳にも届いた。
わたしは急いでドアをあけた。ドアというドアから、寮生の顔がのぞいた。わたしたちは互いの顔を見合わせ、互いの表情から、悲鳴が幻聴でなかったことを確認し、それから誰からということもなく、もういちど、バタンとドアを閉めて部屋に閉じこもってしまったのである。恐くて、一瞬、身がすくんでしまったのだ。
それから、これではいけない、ともういちど気を取り直して、手近にあった武器になりそうなものを手に(何だったのだろう。やっぱり英語の大辞典だったんだろうか)、もういちど部屋から出て、そうするとほかの寮生たちも出てきたので、みんなで一緒にゾロゾロと階下に降りて、その手が見えていた顛末を聞いたのである。男は彼女の悲鳴で逃げていったらしい。

それからすぐ、警察に通報はしたものの、結局は何もわからず、戸締まりを厳重にするように、と言われただけだった。幸い、それ以降、そういうことは起こらなかったのだが。

だがわたしは、ドアから顔を出したわたしたちが、一斉にバタンとドアを閉めてしまったことが忘れられない。
「見られている目」を失い、プライヴァシーと自由を手に入れたわたしたちは、助け合い協力するということをその代わりに失ってしまったのである。

「見られている」という意識は窮屈なものだ。けれども、見られることによって、わたしたちは恥の感覚を身をもって知り、自由に制限を加えられることで、逆に自由の可能な範囲を知ることができたのだと思う。
そうして「見られている」ということは、同時に「見ていてくれる」でもある。「見られている目」を失うことは、同時にわたしたちが孤立し、力を失うということでもあるのだ。

もう手遅れかもしれないのだけれど、これは時計を逆に回そうとすることなのかもしれないけれど、見ること、見られること、見られながら、そこからもういちど関係を作っていくことを、わたしたちは身近なところからもういちど考えたほうがいいのかもしれない。


鶏頭




2007-09-05:祝30000ヒット


以前、サイトの方にも書いたことがあるのですが、その昔、冬の夜、橋のたもとに座って物乞いをしているお婆さんを見たことがあります。いまではホームレスを目にすることもめずらしくはなくなったのですが、そのときは、90年代の半ばにさしかかったころ、バブルが弾けたとはいえ、まだ不況もそれほど深刻なものではなく、人はみなお天気が変わるように、景気もそのうち良くなるさ、ぐらいに考えていた頃でした。

わたしは言葉では知っている「物乞い」という行為を実際にしている人を目にし、しかもそれが貧しい身なりのおばあさんであることに衝撃を受け、自分が座っているお婆さんではなく、その前に立っている通行人であることをどう考えたらいいのかよくわからなくて、ただとまどうことしかできなかったのです。

わたしは自分が施しを与える側には立ちたくはなかった。それでも、それ以外に自分に何ができるのか。

そこからわたしは、それを見ておこう。言葉にとどめ、記憶しておこう、と考えたのです。そのことに何か意味があるのかどうなのかはわからなかったけれど。

やがてわたしは、ホルヘ・センプルン、十代の頃、フランスでレジスタンスに参加し、やがてナチスに捕らえられ、収容所に送られたスペイン人がフランス語で書いた作品の翻訳『ブーヘンヴァルトの日曜日』(宇京頼三訳 紀伊國屋書店)を読むことになりますが、そのとびらにモーリス・ブランショのこんな言葉がエピグラムとして引かれていました。

記憶しようとする者は忘却に、完全な忘却というあの危険に、次いで記憶となるあの幸いなる偶然に頼らねばならない

あらゆることは、ただ起こり、流れていきます。現実は、少しもストーリーとは似ていない。

それでも、言葉によって何かをつなぎとめることによって、「出来事」になっていきます。わたしがただ見たことが、「出来事」として記憶され、つなぎとめられる。

記憶となる偶然を引き起こそうと思ったら、まずなによりも「言葉」に結びつけなければ。

それでもまだ、何かの意味を持つかどうかはわかりません。けれども、わたしの物語の一部に組み込むことによって、その「出来事」は、わたしのありようを少し変える。わたしの一部はいまだそのときの出来事を、どう考えたらいいのだろう、と思っています。

あらゆることは、言葉によってつなぎとめられます。わたしたちは、その言葉を読むのです。本ばかりではない、映画も、絵画も、写真も、音楽も、風景も、人の心も表情も、わたしたちは「読む」ことによって理解し、自分のうちに意味づけていく。

言葉はいつもできあいの言葉を借りてくることしかできません。どんなにすばらしい絵を見て、感動したと思っても、その感動に対応する言葉が自分の内になければ、「良かった」としかいうことができない。

わたしは本を読むことで、少しずつ、ボキャブラリをストックしていきました。ひとりだけでは決して知ることができない世界を、本を通じて、あるいは紹介してくださった方を通じて知っていった。そうした本が、いくつもの触媒となって、わたしと世界の橋渡しをしてくれました。

そうして、わたしもまたささやかな触媒になれないだろうか、と思ったのです。
わたしのサイトは、たった一冊の本にも及びません。それでも、本を紹介することはできる。そういうかたちで、小さな触媒になれないか、と。

のべ30000人の方が訪問してくださったこと、やっぱりすごくうれしいです。
来訪者の多いサイトなら、一日で達成するような数字なのだろうけれど、銀河系の片隅で小さな声を上げているわたしにしてみれば、ちょっと信じがたいような気もします。だって、わたし、実際にはそんなに大勢の人を知ることもできないはずだから。

読みに来てくださって、ありがとう。
わたしの言葉が、あなたと世界をつなぐ言葉を見つける小さな触媒となることを願ってやみません。
そうして、これからも、よろしく。


鶏頭




2007-09-04:陰陽師版「〈甘え〉の構造」

ときどき見かける、決して重いようには見えない連れの女性のハンドバッグを持って歩いている若い男性がいるが、あれはいったいどういうことなのだろう。

1. あなたを大切にしてあげる、という女性に向けたアピール(もちろん本心は不明だから “アピール”なのである)
2. 自分はガールフレンドに箸より重いものは持たせまいと考える男である、という世間に向けたアピール
3. これはおれが出資したバッグだから、ある意味ではおれのものでもある、という女性に向けたアピール
4. おれはこんなブランド品を彼女に買ってやることができるほど財力があるのだ、という世間に向けたアピール
5. 女性用ハンドバッグが実は好きでたまらない。だから実は手にするチャンスをうかがっている。

一方、ハンドバッグを相手に持たせている女性というのも、どんなつもりでそんなことをさせているのだろう。

A. あなたが持ちたいというなら、そうしてください、わたしはなんでもあなたの言うことを聞きます、という男性に向けたアピール
B. わたしの大切なものが入っているバッグをあずけるほどあなたを信頼しているから、という男性に向けたアピール
C. わたしはこれからも箸より重いものは持つ気がないから、しっかり荷物は持ってね、という男性に向けたアピール
D. わたしはこんなにも彼氏に大切にしてもらってるのよ、という世間に向けたアピール
E. 実は、ハンドバッグを始め、荷物を持つのがいやでたまらない

この行為を「何らかのアピール」と見ると、ここらへんの理由が考えられるのではあるまいかと思ったのだけれど(もちろん冗談も含めて)、わたしが偏屈なせいで、何か重要な点を見落としているような気もする。気がつかれた方はぜひご指摘お願いします(愉快なのも大歓迎)。

ここらへんは善し悪しではなく純粋にその人の嗜好の問題だと思うのだが、わたしは基本的に他の人に自分のものをふれられることがあまり好きではない。別に、エンピツ貸して、本貸して、という場面を指しているわけではなく(こういうときは喜んでお貸しします)、そうではなくて、ああ、こう書きながら自分がひどく狭量で偏屈な人間のような気がしてくるのだけれど、つまりは自分からすすんで差し出すものでないかぎり、私物を他の人にあまりふれてほしくないと思っているわけだ。これは手をつなぐ、腕を組む、ハグする、という身体に関わることでも一緒なのだけれど(あくまでも自分からすすんで差し出すときは別です←結局、わがままということか?)。

だから、どれだけ大荷物だろうが自分で持つことにしている、というか自分が持てる量というのはたいてい見当がつくので、自分が持てない荷物を抱えて苦労するような経験は、幸いにしてこれまではない。形状にもよるが、20kgくらいまでなら大丈夫。米袋なら、三つは……ムリかな。

何はともあれ、こういうおおざっぱな言い方は多少どうかとは思うのだが、それでも言ってしまえば、1970年代の空気を吸って育ったわたしたちの世代にとって、少なくともわたしの周囲では、「男女平等」というのは、その内実はどうであれ、ひとつの重要なルールだったように思う。

女だからという理由で差別されることがあってはならない。このことは表裏として、女だからという理由で、楽をしたりいい思いをしたりすることがあってはならない、という、当時の女の子たちを縛る禁忌を含んでいたように思う。だからこそ「ぶりっこ」というのは、最大の非難であり、侮蔑だったのではあるまいか。

一般的に言う力仕事を経験しなくてはならない場面は多くはなかったが、椅子だの机だの本だのを運ぶようなときも、力のある男子と同じだけは運べないにしても、自分に可能な量は運ぶ、というのが暗黙の了解だった。あくまでもわたしの目を通した感じ方ではあるのだが、「女だから」という扱いをする人間も、それを期待する人間もあまりいなかったように思う。もちろん力仕事と水仕事とがあれば、水仕事の方にまわるようなことはあったが、トータルに考えて、どちらか一方が楽をするようなことはならないよう、なんとなくみんな自分からそんなふうに動いていたように思う。

自分の行動を決めるときも、「甘え」かそうでないかは、ひとつの判断基準だった。男性ばかりではない、女性であろうと、周囲の誰かの好意をあらかじめあてにしておいて、それを前提としたところで自分の行動を計画していく、というのは、非常によろしくない、甘ったれた考え方だと思っていた。

ただ、少しずついろんなことが見えてくるようになるにつれて、さまざまなことを「甘え」と言ってしまうことにためらう気持ちが強くなってきた。
わたし自身が「女であることに甘えている」という批判を何度か受けたということもある(ちなみに女性から)。まったくそういう自覚はなかったのだが、そういう人からみれば「それこそが問題」で、「男性上位的なイデオロギーにどっぷりと浸っている」から、まったく気がつかないのだそうだ。
わたしの行動を「女であることに甘えている」と解釈してしまうのも、「別のイデオロギーにどっぷりと浸っていてそのことに気がつかないせいだ」という可能性もありますよ、と指摘してあげようかと思ったが、指摘してもあまりいいことはなさそうだったので、やめておいた(なにしろわたしは人間が練れているのである(含嘘))。

なんというか、「甘え」と言ってしまえば、何もかもが甘えなのだ。
わたしたちのコミュニケーション自体が「相手はわたしの言うことを聞いてくれるはず」「相手はわたしの言うことを理解しようとしてくれるはず」「お互い、わかりあえるはず」という、相手の好意を前提としているのだから。「甘え」だといえば、これほどの甘えもないのである。

たとえば誰かに対する批判的な言辞を述べる。悪口を言う。そういうことが言えるのも、相手がそれを受け入れてくれるということを前提としているからこそなのだ。相手がそれで腹を立てたり、ものすごい仕返しをしてきたり、殴りかかってきたりしないということに「甘え」ているからこそ、そういうことができる。
その最たるものが、「それは甘えだ」と他人に対して言うときだろう。
自分は相手ではない。相手の置かれた状況もなにもほんとうにはわからない。それを、わかりあう努力もせず、相手の事情を聞いて相互了解に至る前に、勝手にコミュニケーションをうち切り、「甘えだ」という一言の下に切って捨てるのだから。

あるいは、冗談を言う。大げさな言い方をする。
「もう、ここに来てくださらないと、わたし、病気になっちゃいますからね」
この言葉は、“そのくらい自分にそこに来てほしいのだ”と相手が理解してくれることを前提としている「甘え」だ。相手が理解してくれなければ、これはただの嘘になってしまう。相手は自分の気持ちをわかってくれる、と安心しているからこそ、こういうことも言える。

レトリックだって、アレゴリーだってそうだ。相手が言葉通りにしか受けとってくれなければ、レトリックもアレゴリーも成立しない。相手はもう一歩踏みこんで、自分の言葉を読み取って(聞き取って)くれるにちがいない、ということを前提としている。

人と話をして、この人はこういう人だと思う。だから、つぎのことを言って、その理解が正しいかどうか確かめてみる。そういうことができるのも、たとえその「理解」が、相手からしてみれば「誤解」であったとしても、おそらく相手は「誤解だ」と腹を立てて席をたってしまわないだろうと思っているから、「自分はあなたのことをこのように理解したのだけれど……」ということができる。あるいは、それをもとに、何らかの提案をすることができる。たとえその「理解」が相手と一致しなくても、やり直せる、修正できるとわかっているからこそ、そういうことも言える。

甘えのないコミュニケーションというのは、どのようなものだろう。
まず、相手が自分の話を聞きたがっているかどうかわからないのだから、まずそこに「甘え」ないよう、了解を取らなければならない。
「これから約三分にわたってわたしはあなたに話をするつもりですが、かまいませんか?」
それから、“このことは相手がすでに知っているはず”という前提に「甘え」ないよう、伝達すべき情報は遺漏のないように、あらゆることを伝えなければならない。場所も北緯・東経から始めた方がいいかもしれない。
いや、そんな七面倒な話を三分間相手が辛抱して聞いてくれるということに「甘え」てはならない……。
となると、いったい何をどう言えばいいのだ?

土居健郎は『甘えの構造』のなかで、「甘え」とは日本人特有の感情だと定義しているが、ほんとうにそうなのだろうか。土居の言うように、甘え=他人への依存、というのが、日本人に特有の心的傾向なのだろうか。
わたしには、言葉を尽くして語り合えばかならず共通認識に至る、という西洋流のコミュニケーションの根本にも、現れはちがっていても、「相手は理解してくれるにちがいない」という依存があるように思うのだが。

情報を伝達する、気持ちをつたえあう、わかりあおうとする、そうしたことはすべて「甘え」を含んでいる。つまり、自分が自分でない相手とつきあおうとする限り、どこかで依存しないわけにはいかないのだ。
問題なのは、「甘える」ことではなく、互いに、甘えあえるような関係を、一時的ではなく、長期に渡って築いていくということではないのだろうか。
何か、これだけ書いて、あまりに当たり前のことしか言えないことに、自分でも情けなくなってくるのだけれど。

彼女がハンドバッグを持ってもらっていて彼氏に甘えているのか、彼女のハンドバッグを持たせてもらっている彼氏の方が彼女に甘えているのか、わたしにはよくわからない。ただ、そういうことができる関係というのは、したいのにできない関係よりはずっといい。したくもないのにしているのであれば、それはそれで困ったことだが。

とはいえ、わたしはハンドバッグは自分で持ちたい。相手によっては、米袋なら持ってもらうかもしれないけれど。

【コメント欄より】
Unknownさんから 2007-09-05 00:46:33

初めて投稿です。
さすがに夜風は少し涼しくなり、自然のサイクルというのは多少変動とかあっても基本的に律儀だなあと、ホッとするやら感心するやらの、この頃です。
ちょっとした調べもので検索をかけている時たまたま、ここに行き会いまして、それから時々拝見しています。この間はサキの短編翻訳を特におもしろく読ませていただきました。
30000番踏んでいたら贈り物いただけるそうでしたのに残念ですが、どんな贈り物か気になります〜(笑)

女性のハンドバッグを持たせる行為について考察されているのを読んで、数年前の、ある光景を思い出しました。
人通りのない一本道をテクテク歩いていた時に向こうから20代と思しき男女の一組が現れまして、おかしなことに、こちらの姿をみとめるや否や突然、女性のほうが連れの男性の手を握り、すがりつかんばかりにベタッとくっついて歩き出しました。
それが不自然なくらい急なしぐさだったので見るともなしに視野に入れたのですが、女性よりも男性の照れくさそうな困惑気味の表情のほうが印象に残りました。
私のほうは気がかりを抱えて急いでいたときだったので一瞬後には、もう急用のほうに気をとられていたのですが、妙に間近に接近してきた、その男女連れが通り過ぎる瞬間、女性のほうが強い視線を私の顔に投げかけてきたのを感じて、またそちらに目が走った時、その女性は、どういうものか非常に不満そうな表情を浮かべていたのです。
私は、ナンだ?と思って、少し行き過ぎてから振り返ってみました。
女性は連れの男性に絡みつけていた腕を離し、先ほどとは打って変わって、単なる知り合いのような距離を保った、もとの状態で歩いていました。
…というようなことです。

ハンドバッグというのは女性にとって、ごくごく私的な小物類それも直接肌や髪にふれるようなものを入れておくものですよね。それだけが入ってるようなものを男性に持たせる、つまり、それだけ親密な関係を表現しているともとれますが、また、そうしたものを男性に預けているということは女性側のごくごく個人的な密やかなものを、その男性に預からせているという見かたもできます。ハンドバッグは女性器の象徴でもあるそうな。
でも、こうした男女が、もしも他人の目のない場所で、それこそ「米袋」を男性が持ってあげるに違いないという保証はないと思います(笑)

サイト主様が私物や身体的にも他人の接触を好まない傾向がおありなのでしたら、パーソナルスペースの問題が絡んでいるかもしれませんね。
それにしても「20kgくらいまでなら大丈夫。米袋なら、三つは……」とは驚きです。私は10kgでもヤバイです。。。

ところで先日『What's new? ver.8 8.28』を読ませていただいたのですが、そのなかで
「死期の近いことを知ったその方は、自分の死後をたった一人に託し、密葬も何もあらゆる式を執り行わず、一定の期間、近親者含め誰にも通知しないでほしいと頼んだのだそうです。」というくだりを読んで、これに似たような状況を自分が体験し、また近しい人のことでも見聞したことがあるので思うのですが、死んだ人の後始末って大変です。とくに残した物が多いうえに人手がないとなると。
そこへさして、亡くなったの、お葬式だのというと途端に訪問客やら香典やら御供え物やらが続々。。。それらに対して返礼するのが、また大変。香典、御供物は一切辞退しております、とお断りしても持って来る人は持って来る。だから誰にも知らせないでくれということになるのではと思います。

知らせなくても知らせても、いずれ「死者をめぐるあらゆる情報」は駆け巡り、面識のない人にも憶測される…これが現実なんですねぇ。。。

長い投稿、失礼しました。
暑さが残ってるので御自愛ください。
そうそう、この間、私もダッツのブルーベリー試してみました。クリームチーズみたいなコクがあって、なるほど!のおいしさでした。

陰陽師 2007-09-05 09:50:06

Unknownさん、おはようございます。
コメント、ありがとうございました。大変楽しく拝見させていただきました。

カウンタ、目立たないところに地味にあるから、気をつけて見なくちゃ見落としてしまうんです。20000のときは、アナウンスするのを忘れてたから、今回はちゃんと気をつけてもらおうと思って呼びかけていたのですが、語学のテスト勉強のために検索で来て、そこからトップに戻って……というパターンの来訪者が多いサイトですから、踏まれたのはいわゆる「いちげんさん」で、カウンタなどに興味もない方だったのかもしれません。もちろんすべては推測なのですが。

でも、こんなふうにお話を聞かせてくださる方がいらっしゃって、とてもうれしかったです。

> 数年前の、ある光景を思い出しました。

このお話はとても興味深いものでした。
ログのほうでも、「アピール」と書いていますが、わたしたちはどうしても「人の目」を意識しますよね。それが向かい合う相手のこともあれば、世間一般のこともあるけれど、そういう「目」から、自分の行動を組み立てていく。
もしまわりにだれの目もなかったら、ということは、つまり、自分以外の人がいなかったら、というあり得ない想像でしかないのですが、わたしたちはアメーバとさして変わらないのではないか。おそらく感情と呼べるようなものをどれほども持っていないキンギョですら、人間の目を意識します。

思うに、お話の女性は、「ラブラブな自分」を誰かに見てほしかったのだろう。「ラブラブな自分」を認め、さらには、ひとりで歩いている人に対してうらやましがってほしかったのだろうと思います。

これで思いだしたのは、以前、わたしはアメリカ人の大変カッコイイ男性と歩いていたのです。ダンサーだったので、身長は小柄でしたが、細身でしなやかな体つき、ダンサーらしい重力を感じさせない歩き方の人でした。
すると、向こうからアメリカ人の若い女の子が歩いてきた。彼に向かってあからさまに誘いをかける笑い方をし、わたしを上から下まで、それから下から上まで眺めて「ふんっ、わたしの方が断然勝ってるじゃない」という目でキッとにらんですれちがっていきました。
時間にすれば、1分にも満たないのに、人間、何を考えているかというのは、怖ろしいほどわかるもんだなあ(笑)と思った経験です。

ところがわたしと歩いている男性はゲイで、わたしは当時つくづく、性的要素の介在する可能性がまったくない異性とつきあうというのは、なんと気楽で楽しいものなのだろう、と感じていたところでしたから、その女の子の視線はとてもおかしかったんです。

のちに、何かの機会でそのことを別の日本人女性に話したんです。すると、彼女は、ゲイだろうと彼氏でなかろうと関係ない、カッコイイ男の子と歩くだけでいい、という。いろんな人に、自分はこんなステキな男性と歩いていると見てもらえるだけでいい、と言うのです。

わたしたちが「認められること」を求める相手は、人によってさまざまだなあ。そうして、だれにどう「認められるか」というのが、その人を形づくっている要素のひとつでもあるのだなあ、と、しみじみ思ったのでした。


> 死んだ人の後始末って大変です。とくに残した物が多いうえに人手がないとなると。

そうでしょうね。
わたしはそうした経験をしたことがまだないのですが、きっとそうだろうと思います。
そうして、わたしがうかがったお話の方も、まず何よりも、そういうかたちで遺された方を気遣われたのだろうと。

> そこへさして、亡くなったの、お葬式だのというと途端に訪問客やら香典やら御供え物やらが続々。。。それらに対して返礼するのが、また大変。香典、御供物は一切辞退しております、とお断りしても持って来る人は持って来る。

わたしたちはいままでこうやって、死者を共同で(故人との関わりの深さによってさまざまな関わり方で)送ってきたのだと思います。そうやって、それぞれの関わり方に応じて行動することによって、その人の「死」、人間の「死」、やがて訪れる自分の「死」を受け入れ、折り合いをつけていこうとしてきたのだと思います。

ところが、「わたし」という考え方がずいぶん変わってきた。○○家の誰それ、××社のなにがしではなく、「わたし」は「わたし」だ。そう考えた人が「わたしはわたしとして死にたい」と考えるのもまた、少しも不自然ではない。

そういうとき、「死者を送る」ということがどうなっていくのだろうか。
人間は「ひとりで生き、死ぬ」と胸を張って言えるほど、強い生き物なのだろうか。ふと影を落とす「不安」に、「ひとりで生き、死ぬ」と思っている人は、どう対処していくのだろうか。
さまざまなことがいま移り変わっていっているのだろうと思います。


> 私もダッツのブルーベリー試してみました。
> なるほど!のおいしさでした。

でしょでしょ!
ほんとうに暑くなっちゃうと、あのコクもちょっと重くなって、シャーベット(ハーゲンダッツではソルベだな)の方がおいしく感じるのですが、そろそろまたクリーミィなアイスクリームのおいしい季節になってきました。
今度、また何か買ってこよう。何にしようか……。

書きこみ、ありがとうございました。
またお話聞かせてくださいね。

朝晩はずいぶんしのぎやすくなりましたが、今日もなんだか暑くなりそうです。
どうかお元気でお過ごしください。

imaiさんから 2007-09-07 00:52:58

きっと財布を忘れたので、今夜の夕食のお金が無く、彼女がトイレにでも行くときに財布から拝借しようとしているのでしょう。でも、
"バック返して"
という一言とともに扉の奥に消えるので、彼の計画はもろくも崩れ去るのです。

さてハンドバックと言えば、ムッソリーニの愛人が彼とともにイタリア敗戦時に銃殺されるに当たって、持つことを許されたものだったと読んだことがあります。これを認めた連合国の将校の心遣いは、彼女の屈辱を(遺体は逆さ吊りで晒しものになった)思えば、何の意味もないように思われますが、しかしながら物ごとを良く考え、見通していた人物であっただろうと思います。本文とは関係ありません。

陰陽師 2007-09-07 16:50:54

imaiさん、こんにちは。

> きっと財布を忘れたので、今夜の夕食のお金が無く、彼女がトイレにでも行くときに財布から拝借しようとしているのでしょう。

なるほど、これは考えつきませんでした。
ただ、これ、彼の方はほとんど初デートですね(笑)。女の子はトイレに行くときバッグを持っていく生き物だということを彼は知らない。

> 彼の計画はもろくも崩れ去るのです。

たしかに、そういう結果になります。このあと、彼はどうしたんだろう。素直に言えればいいんですけどね。

世の中の女の子には大きく分けて、おごってもらうのが当然、と思う子と、割り勘が当然、と思う子がいます。
わたしは経済的自立=自分の自立、とずっと思っていましたから、おごってもらうのはずっと心苦しかったんです。何か、負い目に感じてしまって。
だけど、当時のわたしの自尊感情というのは、逆にいうと、そのくらい傷つきやすい、もろいものだったんだなあ、みたいに思うところもあります。

いまだに払ってもらったり、おごってもらったりすると、何か落ち着かない気分ですし、できれば割り勘がありがたい。とくに、長くつきあっていきたい人であれば、年齢や性別(年下は多少ちがうんですが)とは関係なく、そうした面ではきちんとしたい気持ちは強いです。ただ、おごってもらったからといって、昔みたいに負い目を感じるということはなくなりましたけれど。
でもね、やっぱりどちらが払うか、っていうのは、デリケートな問題だと思います。

ときどき、「大事にしてもらっているバロメーター」を、相手が出資してくれる額に換算する、恐るべき人(笑)っているんですよね。
それはその人の考え方だから、別にどうのこうの言うつもりはないんですが、なんか、ね。
「わたしはデートのとき、サイフを持っていかない」なんて公言しちゃえるような人とは、ちょっと友だちにはなれないかな、なんて思ったりします。


> ハンドバックと言えば、ムッソリーニの愛人が彼とともにイタリア敗戦時に銃殺されるに当たって、持つことを許されたものだったと読んだことがあります。

これはとても心に残るお話でした。わたしは知りませんでした。

映画でも本でも読んでいて、わたしが何よりも気持ちが悪くなるのは、ひとが尊厳を踏みにじられた状況で殺されていく場面です。最近の映画の多くは、それはもうたくさんの人が簡単に死んでいくわけなんですが、そういうのはもう、人間が死んだというより、記号が消えていったにちかい、というふうに、感情的には処理しているのです。

そうではなくて、名前を持ち、表情を持ち、自律した登場人物が、ストーリーを盛り上げるために、あるいは犯人の残虐さを浮き彫りにするために、彼ないしは彼女を殺すのが目的でも何でもない状況の下、尊厳を剥奪されたかたちで殺されていくことがある。そういうのを見ると、ほんとうに、足下がぐらぐらしてしばらくのあいだ調子が悪くなるので、なるたけそういう場面は避けるようにしているのですが、どうかするとTVの映画がついている場面に行きあわせたりしてひょいと見てしまうので、なかなか油断がなりません。

人間は人を殺すこともあると思うのです。
もちろんそれを肯定しているわけでは全然ないのですが、さまざまな条件が重なった結果、殺すという行為を選択せざるをえない場面もある、あるいは選択の余地もなく、のっぴきならずそういうことに追いこまれる場合もあるのだろうと。
それでも、のっぴきならない、無我夢中の場面では、お互い五分と五分ですから、尊厳もなにもないのですが、殺す側が圧倒的に優位な状況であれば、たとえ殺す相手であっても、というか、殺さなければならない相手だからこその、最大限の敬意を払うべきだ。相手の尊厳を傷つけるようなことがあってはならないと思うのです。

おそらく、ハンドバッグを持つことを認めたのは、個人の判断だと思うのですが、そういう判断をわたしは尊いものに感じます。おそらくそういうかたちで、その人は相手の尊厳をできるだけ尊重しようとしたのだと。
遺体を辱めるような行為に出た人とはおそらくまったくちがう人だろうと思います。

> しかしながら物ごとを良く考え、見通していた人物であっただろうと思います。

これはまったく同感です。
よいお話を聞かせてくださいました。ありがとうございました。もし本のタイトルなど記憶しておいででしたら、教えていただければ、と思います。

書きこみ、どうもありがとうございました。さまざまなことを考えさせられる書きこみでした。

鶏頭




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