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鶏的思考的日常 ver.19

〜カボチャ頭を叩いてみればコケコッコーと音がする 編〜



2007-11-30:タイム・トラベル・ブルーズ


リップ・ヴァン・ウィンクルというと、たいがいの辞書には「西洋版浦島太郎」と書いてある。だが、この説明はあまり正しくはないのではないかとわたしは昔から思ってきた。

日本の浦島太郎が古来からの伝説をもとに成立した物語であるのに対し、「リップ…」は時代もぐっと新しく19世紀初めにワシントン・アーヴィングの創作によるものである。1819年に発表された短編集『スケッチ・ブック』のなかの一作、このなかには数年前映画化された「スリーピー・ホロウ伝説」も所収されているが、やはり圧倒的に有名なのはこの「リップ…」だろう。

ざっとあらすじを紹介しておくと、山奥の小さな村に住むリップ・ヴァン・ウィンクルは、あくせくせずにのんびり暮らすのがモットーの気のいい男。がみがみ口やかましいおかみさん(この「口やかましい」という形容詞は、これから女房の前にかならずつく。原文でも、具体的にどう「口やかましい」かを説明したあと、wife の前に、「口やかましい(おもに女)」を意味する"termagant" という単語が二度も出てくる)と、孝行娘の三人暮らしである。

ある日、そのリップはその口やかましい女房からのがれ、山に入っていく。山奥では見慣れない姿かたちの人々が、ボウリングの元祖、ナインピンズで遊んでいる。リップも仲間になって遊んだり酒を酌み交わしたりしているうち、酔ったリップはそのまま眠ってしまう。

目をさますと朝になっている。口やかましい女房にはなんと言い訳したものかと頭を悩ませながら山を下りると、知った顔はひとりもいない。女房も娘の姿もない家は、廃屋になっている。なんと二十年間も眠っていたのだった。

そのあいだにアメリカはイギリスから独立している。折しも、山からおりたその日は大統領選挙の当日、共和党と民主党のどちらに投票したかと聞かれて、質問の意味がさっぱりわからないリップは、村に暴動でも起きたのかと動転して、「わたくしは国王に忠誠を誓っております、国王陛下万歳!」と答えたことで、「イギリスのスパイが紛れこんでいるぞ」と大騒ぎが起こってしまったりする。

じき、口うるさい女房はもう死んでしまったことを知り、娘は立派な男と結婚している。そこで娘と一緒に暮らしながら、村人からは長老として敬われ、幸福な余生を過ごしたのだった……めでたしめでたし、という話なのである。

二十年寝ていたのだから、年を取っても長老とは言えないのではないかと思うのだが、まあそこは人徳というものもあったのかもしれない。あくせくせず、気楽に生きてきた彼は、二十年のギャップなどものともせず、新しい時代にあっというまに順応してしまうのである。この話を見ていると、タイム・スリップやカルチャー・ギャップコメディと、映画などで脈々と受け継がれているストーリーの原型がここにあることがよくわかる。勤勉篤実を旨とするピューリタンの遺風も色濃い19世紀初めのアメリカで、恐妻家でお気楽なリップが愛されたのもおもしろい。

だがこの話と浦島伝説が似ているところといえば、帰ってみれば思わぬほど時間が経っていた、というただそれだけ(山中異界と海中異界という見方もあるけれど、単純にアメリカにスライドさせていいのか、とか、いろいろむずかしい話になってきそうなので、ここではそういう考察は置いておく)なのである。しかもこちらは二十年、浦島伝説ではなにしろ行った先が時間のない世界なので、計測不能なのである。ほんとうに戻ってきた太郎さんは、いったいどれほどの恐怖と、やがて絶望を感じたことだろう。

しかもリップが楽しんだのは、ボウリングなのだから。なんとなく楽しそうではあるが、とにかく竜宮城とは質においても規模においても、スケールはえらくちがう。

もちろん、浦島といえば竜宮城なのだが、学生時代に深夜の時間帯、古い映画のリバイバル放送をよく見ていたのだが、そんなころ「キャバレー竜宮城」みたいな、奇妙なコマーシャルが流れていたような記憶がかすかにあるのだ。低予算のローカルCMで、あきれるくらいセンスの悪いものだった。

それを見るたび思い出したのが、太宰治の『お伽草子』の「浦島さん」の竜宮城である。

浦島さんを連れてきた亀が竜宮城の説明をする。

「これは海の桜桃の花です。ちよつと菫に似てゐますね。この花びらを食べると、それは気持よく酔ひますよ。竜宮のお酒です。それから、あの岩のやうなもの、あれは藻です。何万年も経つてゐるので、こんな岩みたいにかたまつてゐますが、でも、羊羹よりも柔いくらゐのものです。あれは、陸上のどんなごちそうよりもおいしいですよ。岩によつて一つづつみんな味はひが違ひます。竜宮ではこの藻を食べて、花びらで酔ひ、のどが乾けば桜桃を含み、乙姫さまの琴の音に聞き惚れ、生きてゐる花吹雪のやうな小魚たちの舞ひを眺めて暮してゐるのです。どうですか、竜宮は歌と舞ひと、美食と酒の国だと私はお誘ひする時にあなたに申し上げた筈ですが、どうですか、御想像と違ひましたか?」
 浦島は答へず、深刻な苦笑をした。
「わかつてゐますよ。あなたの御想像は、まあドンヂヤンドンヂヤンの大騒ぎで、大きなお皿に鯛のさしみやら鮪のさしみ、赤い着物を着た娘つ子の手踊り、さうしてやたらに金銀珊瑚綾錦のたぐひが、――」

だが、この亀の話を聞くまでは、わたしの「御想像」も「ドンヂヤンドンヂヤンの大騒ぎ」、わたしが持っていた絵本の挿絵でもそうだったし、ほかの絵本でも似たり寄ったりなのだった。ところが太宰のこの小説を読んでしまえば、そんな絵はどう考えても「キャバレー竜宮城」、海の底にもしほんものの「竜宮城」があるのなら、太宰が描く青に染め抜かれたような静かな場所以外にありえないように思われる。「神聖の聖の字に、あきらめ。」という「聖諦」の曲を奏でる、琴によく似たもっと寂しい楽器の音が、耳の奥にかすかに響いてくるような。

浦島さんは、やがてこの太宰版美しくもどこかかなしい、批評のない、無限に許されている竜宮城から、人間界に戻っていく。
そうして玉手箱を開けるのだが、太宰版ではそこで一気に三百歳になったのは、「決して不幸ではなかった」という。一気に三百年の月日が浦島太郎に流れ、そうしてそこに忘却が訪れたのである。おそらく浦島太郎はそこであらゆることを忘れてしまったのだ。
太宰は話をこの言葉で締めくくる。

「浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたといふ。」

これは、リップ・ヴァン・ウィンクルと同じことなのかもしれない。片や、眠っていて何も覚えていない、年だけ取った、経験のない長老の幸せな晩年の日々。片や、すばらしい経験を忘れるという慈悲を受けた、これまた幸せな晩年の日々。

もちろん、断然、太宰版『お伽草子』の世界の方がすばらしい、というか、くらべることにあまり意味はないのだが。

鶏頭




2007-11-29:昼ご飯、何食べた?


昼ご飯に何を食べるかというのは、実に由々しい問題である。ことによったら晩に何を食べるかより難しい問題かもしれない。というのも、昼ご飯にはいくつもの条件が課せられているからなのである。

まず
1.時間をかけられない

たいてい昼食に当てられる時間というのは限られており、その一定の時間の間にすませなくてはならない。そのためにコンビニでおにぎりを買うとか、ファーストフードに行くとか(うっかりここでモスバーガーに行ってしまうと、ことによったら青ざめることにもなる)、近くのラーメン屋に行くとか、学食とか、とにかく近場で、すぐ出てくるところに行くことになる。

2.お金をかけられない

自分の自由になるお金というのは、どこまでいってもそうそう増えるものではない。そこで何かを買うために削れるところを削るとなると、昼食代はまっさきに対象となる領域である。いきおい、できるだけ質素倹約を心がけることになる。

小田嶋隆の『我が心はICにあらず』のなかに、こんな一節がある。

貧困とは昼食にボンカレーを食べるような生活のことで、貧乏というのは、ボンカレーをうまいと思ってしまう感覚のことである。ついでに言えば、中流意識とは、ボンカレーを恥じて、ボンカレーゴールドを買おうとする意志のことだ。

(小田嶋隆『我が心はICにあらず』光文社文庫)

わたしはこれを読んで、この定義に思わず笑ってしまったのだが、ただ、わたしは貧乏な時期、貧困という言葉がまさにふさわしい時期を長らく過ごしたが(いまも似たようなもんか)、実際には「昼食にボンカレーを食べる」生活を送った経験はない。

ほんとうに貧乏だった頃はボンカレーだって買えなかったし、具といえば卵とネギだけのチャーハンとか、卵とネギだけの雑炊とか、卵にネギだけ入れたオムレツとか、月見うどん(具は卵とネギだけ)とか、つまりは一パックの卵と長ネギで一週間食いつないだりしても、「ボンカレーをうまいと思ってしまう」ことはなかったのである。まあ卵とネギだけのチャーハンをうまいと思ってしまうのと、ボンカレーをうまいと思ってしまうのと、どちらがどう貧乏なのかは一考の余地のあるところだが。ともかくわたしは貧乏だった頃はボンカレーも買えなかったほど貧乏だったのだし、ボンカレーが買える頃には、チャーハンに入れる干しエビだのショウガだのを買っていたのだった。

ところで「ボンカレー」の「ボン」、やっぱりフランス語の「良い」にあたるあの bonなんだろうか。「良いカレー」、うーん。せめてヒンディー語という発想はないもんだろうか。まあどうでもいい話だが。

3.何を食べても、もそもそと食べてしまうことになる

昼時、それはおそらくわたしがOLの方々がランチをなさるような場所で食べないからなのだろうが、わたしが行く先々では、たいていの人がうつむいて携帯をのぞきこみながら、ひとり静かに昼食をとっている。どうもその姿を見ていると、わたしの頭に、いがらしみきおのマンガ『ぼのぼの』の10巻の「もそもそとめしを喰う」というフレーズが浮かんでくるのである。

ぼのぼの、シマリスくん、アライグマくんと三人一緒に、色の変わる岩を見つけに出かける。その旅は、大きくはないがさまざまなできことが起こる旅なのだが(自分が目を閉じていても、世界はそのままで存続しているかどうか、どうやったら知ることができるのか、という非常に哲学的な考察もする)、最後の方でアライグマくんはこんなことを言うのである。

いつだったかクズリが川で溺れているのを助けたことがあってな
そりゃみんなホメてくれたよ
だけど次の日はひとりでもそもそメシ喰ってたのさ
だから色が変わる岩を見つけたって同じだよ
そりゃあみんな驚くだろう
だけどまたもそもそメシを喰うんだよ

(いがらしみきお『ぼのぼの 第十巻』竹書房)

どんなにいいことがあっても、どんなにいい仕事をしたとしても、つぎの日はまたもそもそとメシを喰う。どうもわたしたちの生活というのはそういうふうになっているらしい。そしてまた、ひとり背を丸めて、見知らぬ者同士が「相席お願いしまーす」などと言われて向かい合い、向かいの見知らぬ人と目を合わせないようにうつむいて、携帯や文庫本に目を落としたまま食べる昼食は「もそもそとめしを喰う」という言葉が、これ以上ないまでにぴったりくるように思うのだ。こうなると何を食べたって大差ない感じがする。

とはいえ、本を読みながら食べる昼食も、それはそれで悪いものではない。左手に持った本をやや離し気味にささげ、首を正面から左に向けて、右手で箸を動かす。気がつくと、丼のなかにはうどんは一本もなくなっており、あまり食べた記憶もなく、いったいどこに行ってしまったのだろうと首を傾げながらうどん屋を出ていく。
まちがっても「パワーランチ」とは呼べないが、それはそれで働く人及び学生の正しい昼食のありようとは言えまいか。

鶏頭




2007-11-26:現代ナンパ考


インターネットと携帯電話が普及して、わたしたちの生活もずいぶん様変わりしてきたが、そのひとつが「ナンパ」という行動様式の減少ではあるまいか。
はやり言葉の寿命がどんどん短くなってきている昨今では、耳にすることもまれになったが、しばらく前には「逆ナン」(わたしは最初にこの言葉を耳にしたとき、インド料理の「ナン」を一瞬思い浮かべたものだった)という言葉をよく聞いた。この「逆ナン」というのは、「逆ナンパ」、つまり女性の方から男性に「お茶でもご一緒しませんか」と声をかけるものらしいのだが、こういう言葉がまだ生きているということは、ナンパそのものがまるっきり消滅したわけでもないのだろう。

思い起こせばわたしは小学生の時、塾が終わって駅で迎えに来る母を待っていたときに、学生風ではない、成人男性から声をかけられ、怖くてたまらず、ちょうどそのときにやってきた母の顔を見て、思わず泣いてしまったことがある。男は、そんなつもりではなかった、とかなんとかかんとかと口のなかでもごもご言いながら逃げていったのだが、当時のわたしは暗くなって知らない大人の男から声をかけられて、ただ怖かったのである。念のために言っておくと、当時のわたしは格別大柄だったり発育がよかったりしたわけではなかったのだが、よく中学生、ときに高校生にも間違えられたのだった。「高校生に間違えられる」という状態は、小学校の高学年から大学卒業後の数年間が該当するのだが、つまりわたしは相当長いあいだ高校生に見えたようだ。

以来、「お茶でも……」とか「いま何時ですか」とか「ニホンゴ、ベンキョーするホン、ドコありますかー」とかと声をかけられるたびに、「飲みません」「……」(何も言わずぐいっと腕をつきだして腕時計を見せる)「そういうことは店員に聞いてください」と、きわめて非友好的な態度をとってきた。

実際、ナンパというのは「下手な鉄砲、数打ちゃあたる」式に、キャッチセールスよろしくひたすら声をかけまくる、コストパフォーマンスの面ではきわめて効率の悪い行為だし、なおかつわたしのように無礼な態度を取ってくる相手に出くわすリスクもきわめて高いであろう。こんなハイリスク・ローリターンな行動に平気で打って出るのは、どう考えてもあまり知的な人物とは言い難いように思える。

こういうことを書くのも、昨夜寝る前に鹿島茂の『モモレンジャー@秋葉原』という本を読んでいたら、その「ナンパ」が考察されていたからなのである。
鹿島茂は「ナンパ師という存在を心の底から憎んでいた」という。というのも、

ナンパ師は、賭けるものとては、己の気恥ずかしさだけで、失うものなどなにもない。ようは、尊厳を捨てさえすればいいのだ。これほど軽蔑に値する人間もいないのではないだろうか?

(鹿島茂『モモレンジャー@秋葉原』文藝春秋社)

ところが、鹿島先生、フランス滞在中に考え方が変わった。フランスで実に多くのナンパの実例を目撃し、なおかつ、せっせと声をかけているのが、ナンパ師とも思えないような、良識をわきまえた男たちであったからだという。なかのひとりはこう言った、とある(ちょっと話ができすぎているような気がしないでもないのだが)。

「そりゃ、私だって、見ず知らずの女性にいきなり声をかける(注 フランス語ではこれを draguer と呼ぶ)のには、強い心の重圧を感じますよ。いっそ、こんなことはやめてしまおうと思うことも少なくない。しかしですね、もし、ここで声をかけなかったときに失う可能性のことを考え、声をかけたことによって得られるかもしれない喜びのことを思えば、どうしたって、声をかけたほうがいいという結論になる。ようは、自分の心との戦いですね。臆病、弱気、自己嫌悪、それに怠惰、こうした心の弱さに打ち勝つことができるか否か、それが問題なんですね。そして、心の戦いに勝つということは、決して女々しいことじゃない。むしろ雄々しいことではないかと思います。あなたはスタンダールの『赤と黒』をお読みになりましたか? なに、ある。それなら、おわかりになるでしょう。レナール夫人の手に最初にキスしようと思ったときのジュリアン・ソレルの心の葛藤は、アウステルリッツの戦いにおけるナポレオンのそれと少しも変わりはないんですよ」

ここから鹿島先生はフランス文学における「心の葛藤に勝った歴戦の勇士に等しい存在」としてのナンパ師、ラクロの『危険な関係』の主人公の一人、ヴァルモン子爵の考察に移り、なおかつ日本のナンパには歴史がない、「その人は、おのれの存在と行動を世界とのかかわりで意味づける言葉を持っていない」とフランスのナンパ師のちがいを指摘、さらにそのちがいの起源を日本の武士と、フランス貴族の差に求めるのだが、そこらへんの考察に興味がおありの方は、ぜひお読みください。

わたしはフランス人の知り合いはいないので、その哲学をもったナンパ師というのを見たことがないのだが、実にまめなナンパ師なら見たことはある。そうして、そのまめなナンパ師というのは、やはり、というべきかどうか、ともかく日本人ではなかったのである。

英語を学ぶ日本人と、日本語を学ぶ外国人の交流会の席上だった。
わたしのところに東南アジアの某国からやってきた三十代後半とおぼしき男性がやってきた。自分は医学部を出た、と言い、どこの企業とつきあいがある、と言い、何月生まれか、と聞くのでそれに答えると、メモを取りだし、誕生石からわたしの性格を教えてくれる。そうして「あなたの生活は表面的には満たされていても、内心では寂しさを感じている」と言い出す。

あまりに古典的で露骨な言いぐさに、わたしはほとんど笑い出しそうになったのだが、街頭のナンパとはちがうので、さすがにそこまで無下にはできない。とりあえず適当に相手をして、その場を離れると同時に、彼はつぎの女性のところに歩いていくのが見えた。しばらく彼のことは忘れていたのだが、帰り際、ふと見ると、さらに別の女性に「内心では寂しさを感じている」と言っている。自分がどう見えるかなど、いっさい考慮の外、ただひたすら声をかけ続ける彼の努力は、果たして実を結んだのだろうか。

いまはそんな「臆病、弱気、自己嫌悪、それに怠惰、こうした心の弱さに打ち勝つことができるか否か」というリスクを犯すこともなく、顔を会わさないまま、出会いの機会を可能にしてくれる場がいくつもあるのかもしれない。「臆病、弱気、自己嫌悪、それに怠惰、こうした心の弱さ」を抱えたままで、誰かと出会おうとするなんて、街頭で顔をさらして声をかけるよりも、なおさら「なんだかな」と思うのであるが、それもわたしの偏見なのかもしれない。

さて、かくいうわたしも数年前を最後に、ぱったりと声などかけられることもなくなってしまった。これもナンパという行動様式が減少したわけではなく、わたしがその対象層から外れたというだけかもしれない。

先日、横断歩道の手前で風俗系のポケットティッシュを配っていた。わたしの後ろで中年の女性たちがティッシュがもらえた、と喜んでいる。
「最近、こういうの、もらえへんねん」

わたしもそのうち風俗系のティッシュをもらえるだけで喜ぶ歳になるのだろう。

鶏頭




2007-11-25:感謝祭には七面鳥


用の東西を問わず、というか、人間の考えることには変わりはないということなのか、そのような実例はいくつもあるのだが、秋に農作物の収穫が終わって、神に感謝を捧げる行事も、やはり世界各地でおこなわれる。日本ではいまでは「勤労感謝の日」という名前になっていて、いったいだれが何に感謝するんだかよくわからない日になってしまっているが、これももともとは「新嘗祭」という収穫を祝う儀式、その年に収穫された米とその米で作った酒を神に捧げ、大王が神と飲食をともにするという儀式だったのである。

アメリカでは、十一月の第四木曜日が感謝祭である。たいていはそこから日曜までの四日間が祝日となる。日本で年末とお盆の時期の新幹線が満席になるように、この感謝祭とクリスマスの時期、アメリカ人は右往左往し、飛行機は軒並み満席になる。

それにはこんな背景がある。
1620年12月、メイフラワー号で北米大陸にやってきたピューリタンたちは、約半数が寒さと病気と飢餓で死亡するに至った。だが、残った半分の人びとは、ネイティヴ・アメリカンにも助けられ、なんとか越冬する。そうして翌年の春、彼らから分けてもらったトウモロコシやカボチャなどの農作物を栽培したのである。実りの秋がきて、初めての収穫を迎えた人びとの喜びは、実際、どれほどのものだったろう。こうして彼らは感謝と祈りの日を設けたのである。

そこから四世紀ほどが過ぎた今日でも、アメリカ人は大陸を横断して、一族はともに食事をするために戻っていく。映画でいうと、ジョディ・フォスターが監督をやった《ホーム・フォー・ザ・ホリデイ》にその感じがよくでているように思う。一族が集まり、大きなテーブルを囲んで、ただひたすら、延々と食べるのである(実際、食事に三時間とか四時間とかを平気でかけるのだ)。そのメインが七面鳥。

シャーロック・ホームズでは確かクリスマスに食べる七面鳥が事件の発端になる、というのがあったような気がするのだが、アメリカではクリスマスはチキン、そうして、七面鳥は感謝祭と決まっている。だが、七面鳥が好きな人ばかりではあるまい。アン・タイラーの『アクシデンタル・ツーリスト』では、こんな場面が描かれる。

 感謝祭が近づき、いつものようにリアリー家の兄妹四人は、感謝祭の夕食をどうするか話し合った。というより、四人とも七面鳥があまり好きではないのだった。しかしローズは、だからと言って感謝祭に七面鳥以外のものを出すのはよくない、と主張した。よくない気がする、と。兄たちは、七面鳥をオーヴンに入れるのに、彼女が朝の五時に起きなければならない点を指摘した。でも、どっちみちわたしがやるわけでしょ、とローズは反論した。兄さんたちの手を煩わすわけじゃないわ。

(アン・タイラー『アクシデンタル・ツーリスト』田口俊樹訳 早川書房)

つまりわたしたちが大晦日に年越し蕎麦を食べ、お正月にお雑煮を食べるがごとく、アメリカ人にとって感謝祭というのは七面鳥を食べなければならないのである。

わたしはこの七面鳥、一度だけ作るのを手伝ったことがあるのだが、なかなか印象的な経験だった。

日本で鶏肉を買うといっても、たいがい部位に分かれており、ほとんど原形をとどめていない状態である。以前は骨がついている「いかにも腿」という状態のもも肉も売っていたように思うのだが、最近ではほとんどそれも見かけない。骨からはいいだしがでるので、使い道はいろいろあるように思うのだが、やはりそういう原形を想像させるものは好まれないのだろうか。

ところがこの感謝祭に料理をする七面鳥の肉、たいがいスーパーで凍ったのを買ってきて、ひとばんマリネ液に漬け込んで解凍するのだが、まさに首と蹴爪を落とし、内臓を抜いた状態なのである。わたしが見たのはかなり大きい、小型テレビくらいはたっぷりあったものだった。そのどでかい肉塊が、どーんと調理台の上にのっているのである。当時まだ料理の経験も家庭科の調理実習ぐらいしかなかったわたしは、一瞬、腰が引けてしまった。

ところがそこは自分の家ではない。相手は、できるだけわたしに豊かなアメリカン・ライフを経験させようと、好意をシャンパンの泡のようにあふれさせているアメリカのおっかさんである。わたしは覚悟を決めたのである。ぬめぬめとした皮にぶつぶつと小さく盛り上がっている表面を見ながら、自分の腕も似たような状態になっているのを感じつつ、袖まくりをしたのだった。

さて、詰め物はどこからしていくか、というと、お尻を切ってそこからずんずん詰めてていくのである。確かに、非常に理にかなっている。帝王切開にするならば、そこを縫合してやらなければなるまい。そうして、日本人がカツオブシのだしを大切にするがごとくアメリカ人が大切にしている肉汁が、そこから流れ出してしまうのである。だが、お尻を切れば、詰めたあとはその部分を凧糸でくくってしまえばしまいなのである。
……巨大な尻の穴。
まったく理にかなっている。だが、なんだかな、と日本人であるわたしは、一瞬、思ったのである。

ともかく米や野菜や香草などを、曲がった関節が脚ということをほんの一瞬も忘れさせてくれない、二本の脚のあいだの大きな穴に、どんどん詰めていく。ぱんぱんに詰めたあとは脚も一緒に凧糸で縛る。そうしてすでにしっかりと暖まっている、大きなガス・オーヴン(その昔、詩人のシルヴィア・プラスはここに頭をつっこんだ)で焼くのである。

ところが『アクシデンタル・ツーリスト』でローズは「エネルギーを節約するため」に、前の晩から「温度を目一杯低くして一晩かけて焼くのよ」という新しい調理法に挑戦する。それを聞いた兄たちは、心配のあまり夜中のオーヴンをのぞきに行かずにはいられない。

オーヴンのダイアルの目盛りは、摂氏六十度になっていた。
「こりゃひどい」と彼はうしろについてきていたエドワードに言った。するとちょうどそのとき、チャールズも台所にはいってきた。だぶだぶのくたびれたパジャマ姿の彼は、ダイアルをのぞくと、溜息をついて言った。「これだけじゃない。こいつにはもう詰めものもされてるんだ」
「すばらしい」
「詰めものが二クォート。確かそう言ってた」
「うじゃうじゃと群れたバクテリアが二クォート」

最後に温度をあげて焼いたこの七面鳥、兄たちが内幕を暴露したため、みんな急にベジタリアンになってしまうが、にもかかわらず、男気を見せてひとりせっせと食べる人物と、こののちローズは結婚することになる。

おそらくふつうは200℃〜250℃ぐらいで一時間ほど焼くのではあるまいか。いいにおいがあたりにただよってくると、できあがりなのである。
その味は、少し癖のある、味の強い鶏、というところだろうか。特に、アメリカ人の好む胸のあたりは、淡泊ななかにも強い味わいがあったように思う(『美味しんぼ』風表現)。
だが、なにしろ大きいのである。九人で延々と食べても残る。残った肉はスライスしてとっておき、しばらくターキー・サンドイッチを食べる日々が続く。

英会話教室でバイトをしているころ、講師の一人に「ターキーはどこで買えるか」と聞かれたことがある。まだパソコンもなく、検索して調べることもできない。東京なら紀伊国屋(本屋じゃないほう)に行けばあるだろうとは思ったのだが、東京ではない。ちょっと調べてみるよ、と言っておいて、デパートの地下の食肉コーナーをいくつか回ってみた。食肉コーナーではなく、ホテル系列のお総菜屋(とは言わないか。デリカ・テッセンかな)にあるのを確かめ、そこの場所を教えてやったのである。

後日、別の講師からその顛末を聞いた。
「ピートさん、Turkey 買いに行きましたね。" Turkey あるですか?" ピートさん、聞きました。でも、売り場のひと、"Turkey" わかりません。ピートさん、手、バタバタさせて、クォーックォックォッ鳴きました。わたし、知らないふりで歩いて逃げました」

七面鳥というのは、どうやら“クォーックォックォッ”となくものらしい。

鶏頭




2007-11-21:愛されてお金持ち?


M.J.アドラーとC.V.ドーレンの『本を読む本』は、本をどう読んだらいいかを教えてくれる、きわめて実践的な教科書のような本である。文学作品はともかく、いわゆる「固い本」をどう読んだらいいのか、わたしはほとんどすべて、この本から学んできたような気がする。出たのはいまから十年くらい前なのだけれど、いまだにときどきこの本に戻ってくる。

さて、この本が教えることのひとつに、「タイトルに注意する」というのがある。

多くの人は本の題名くらいわかっていると思っているが、実のところ本当に注意深く表題を読んで、その意味を考えている人は少ない。(…略…)
ギボンはローマ帝国について有名な長い本を書いた。『ローマ帝国衰亡史』という書名はたいがいの人が知っている。けれども、さっきの二十五人(※この例の前に、ダーウィンの『種の起源』というタイトルについて二十五人に聞いたところ、半数以上が "The Origin of Species(※さまざまな種の起源)" というタイトルを "The Origin of the Species(※ある特定種の起源)" と記憶していたということが述べられている)に、第一章が「アントニヌス朝時代の帝国の版図と軍事力」と名付けられているのはなぜかとたずねると、見当がついた者はひとりもいなかった。表題に「衰亡」史とあるからには、話はローマ帝国の最盛期からはじまって、週末にいたるという構成をとるだろうとは考えつかないのだ。無意識に「衰亡」を「興亡」と翻訳してしまっているのだ。

 表題をよく読めば、読みはじめる前にその本の基本的な情報を得ることもできるはずだ。たいていの人は、もっと身近な本についてさえ同じ誤りを犯している。

(M.J.アドラー、C.V.ドーレン『本を読む本』
外山滋比古 槇未知子訳 講談社学術文庫)

以来、わたしは本の表題には格別の注意を払ってきた。佐藤信夫の本に『レトリック感覚』『レトリック認識』『レトリックの記号論』という、タイトルも装丁も三つ子のような三冊の本があるのだが、わたしはこの表題にも注意おさおさ怠りなく、感覚と認識のちがいに注意を払い、感覚と認識がどうちがうものなのか、頭を悩ませてきた。悩ましすぎて、「鴎外の引用は『感覚』か『認識』のどっちかに出てきた」「換喩は『感覚』か『認識』のどっちかにある」というふうに、確かめたいときはつねに二冊ひっぱり出さなくてはならないことになってしまったのである(『記号論』は幸いなことに扱っている内容がちがうのである)。

ともかく非常に素直なわたしは、以来、つねに表題を正確に理解しようとしてきた。そうして、多くの場合は表題はありがたい道しるべになってくれたのである。たまに『モモレンジャー@秋葉原』(鹿島茂 文藝春秋社)のように、首をひねりたくなるタイトルはなくはなかったが、これは著者が鹿島茂なので悩む前に手に取ることにするのである。

さて、先日図書館のカウンターで貸し出し手続きを待っているあいだ、すぐ目の前の予約本の棚に『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』という本があった。
アドラーとドーレンの言う「多くの人は本の題名くらいわかっていると思っているが、実のところ本当に注意深く表題を読んで、その意味を考えている人は少ない」を頭にしっかりと刻み込んでいるわたしは、注意深く表題を読んで、その意味を考えたのである。

まず思ったのは
ア.愛されて
イ.お金持ち
という直接的な関係を見いだすことができないふたつのことばがいとも無造作につながれていることである。

「炊事洗濯」なら近接のふたつの言葉である。「原因結果」であれば「原因」と「結果」という密接に関連する言葉をつないである。「構造分析」ならば「構造」を「分析」してあることが予測される。だが「愛されて」「お金持ち」のあいだには近接関係も、因果関係も見いだすことができない。まるで「コーヒーを飲んで電車がとまった」という意味の整合しないふたつの出来事が機械的に結びつけられているような奇妙な印象を受けたのである。

にもかかわらず、この著者が「愛されてお金持ちになる」という、相互に無関係なふたつのできごとをひとつの文章にまとめたのには、おそらく何らかの意図があるにちがいない。

わたしの前ではおじいさんが山本穣二の「愛されてナントカ」というタイトルのCDが図書館に所収されていない、と言い、司書は「そんなCDはそもそも発売されてない」という平行線をたどる議論を続けている。わたしはその時間を利用して、このタイトルの考察を深めることにしたのである。

まず、この作者は「愛されてお金持ちになる」というタイトルには、潜在的なニーズがあると予想したにちがいない。確かに「愛されること」を望む人は多いだろうし、「お金持ちになる」ことを望む人も多かろう。だが、愛されることを望む人は、たいていそれだけを求めているのではあるまいか。わたしの経験からいって、恋愛をしてしまうと多くの場合大変お金がかかるものなのである。愛されるというのは、経済効率に反する行為であるように思われる。また、「お金持ちになる」というのは、経済活動に邁進するということである。つまり、「愛される」ことと「お金持ちになる」ことは、根本的に相反することではあるまいか。

そこでわたしはタイトルの後半に気がついたのである。「魔法の言葉」とあるではないか。

つまり、これは呪文の修得を目標とした本なのである。
「愛される」「お金持ちになる」という相反することを可能にする「魔法の言葉」、「漫画を読む」「テストで好成績を収める」という相反することを可能にする「魔法の言葉」、「アイスクリームを食べる」「ダイエットをする」という相反することを可能にする「魔法の言葉」……おそらくそのような呪文が山のように載っている本であるにちがいない。

わたしもそのうちリクエストしてみよう、とは思わなかったが、内容が推測できて、わたしは大変に満足したのである。

【コメント欄より】

imaiさんからのコメント(2007-11-26 00:47:45 )

笑いながら拝読いたしました。
愛されてお金持ちになる = 愛されてかつお金持ちになる
ということですね。なるほどこれは難しいかもしれない。お金持ちを愛する人も、お金を愛する人も、身近にいそうですが、"愛されてかつお金持ちになる"と言うからには、現在はどちらも手に入れていないと想像されます。この場合、愛されることを優先ししかる後にお金持ちになることを目指すべきか。お金持ちになることを実現したあと愛されることをも手に入れるべきか。而して後者は、お金持ちを愛する人に愛されることと何が違うのか。
...なるほど、タイトルは重要です。

読まずに考える (陰陽師) 2007-11-26 11:27:00

imaiさん、こんにちは。

> お金持ちを愛する人も、お金を愛する人も、身近にいそうですが、"愛されてかつお金持ちになる"と言うからには、現在はどちらも手に入れていないと想像されます。

なるほど、鋭いご指摘です。
わたしはその点を考えに入れておりませんでした。

ともに持っていない状態から、つまり、野球にたとえれば、累上ランナーがひとりもいない状態から、二点取ることをもくろむ人を読者に想定しているわけですね。

さて、アストロ球団(ってこれわかる人はかなりの年。imaiさんはごぞんじないかもしれませんが、昔の野球漫画で、ジャコビニ流星打法――名前は忘れていたので、「アストロ球団、バット、ばらばら」で検索してみました――などという荒唐無稽な必殺技がいくつも出てきました)ならそれも可能かもしれませんが、なかなか現実にはむずかしい。

そこで、

> 愛されることを優先ししかる後にお金持ちになることを目指すべきか。
> お金持ちになることを実現したあと愛されることをも手に入れるべきか。
> 而して後者は、お金持ちを愛する人に愛されることと何が違うのか。

ということが問題になってくるわけですね。
一挙に二点取ることをねらうのではなく、まずは一点ずつとりなさい、という筋道を示しているのかもしれません。

では、ここからimaiさんが示してくださった筋道に基づいて、内容を先取りしつつ、考えてみたいと思います。

1.愛されることを優先ししかる後にお金持ちになることを目指す。

これは魔法の助けを借りなくても実現可能かもしれません。

日々、身の回りの務めを一生懸命果たしている。するとあるとき思いがけない電話が「蕎麦でも食わないかぁ」とかかってくる(あれ、ちがう話のような……)。
そうしてこの「蕎麦屋メイト」と力を合わせて働き、お金持ちを目指す。
このときの「お金持ち感」というのは、ときおり、ちょっと気張ったレストランで食事をしたり、ライブハウスにジャズを聞きに行ったり、映画の深夜興業を見に行ってそのあと軽く飲む、ぐらいのことが心配しないでできるくらいのことを指しているのかもしれません(ああ、書いていて、わたしの想像しうる「お金持ち」がどれほどつましいんだろう、と思っちゃいましたよ(笑)。あと考えつくのって、ハードカバーの洋書が何の憂いもなく買える、ってことぐらいだもん。ちょっとトホホです)。

2.お金持ちになることを実現したあと愛されることをも手に入れる。

これまた魔法の助けを借りなくても実現可能かもしれません。
キャリアを目指してバリバリと働く。そうして7桁の年収を得るようになる。
さて、問題はそこでの「愛される」です。
こういう人にとっては「愛する」ことができる対象を見つける方が、より困難かもしれません。7桁の年収を愛してくれる人は、いくらでもいそうですから。

となると、問題は不可避的に

3.愛されることとお金持ちを愛する人に愛されることは何が違うのか。

ということになっていきます。

おそらくはだれでも、自分がお金持ちであるから、という理由で(あるいはお金持ちになれそうだから、社会的地位があるから/ありそうだから)愛されることは望まないはずです。

『あしながおじさん』の第一の手紙のなかで、主人公のジュディはおじさんのことを何と呼ぼうか考える。匿名の出資者の情報は1.背が高いこと 2.お金持ちであること 3.女の子がきらいであること、しか与えられていない。けれど、そこで「お金持ちさん」と呼ぶことは「まるであなたにとってお金だけが大切なように聞こえて、あなたを侮辱することになります」(松本恵子訳)と考える。

なぜこれが侮辱に当たるか。
結局、これはカントが言っていることと同じことなんですね。
カントは「人間および一般にすべての理性的存在者は、目的自体として存在し、誰かの意志の任意な使用のための手段としてのみ存在するのでなく、自己自身に対する行為においても、また他のすべての理性的存在者に対する行為においても、常に同時に目的として見られねばならない。」(『人倫の形而上学の基礎づけ』野田又夫訳)

人を肩書きや年収やあるいは容姿というパーツでとらえて「愛する」というのは、人を「任意な使用のための手段」としてみなすことに他ならない。それを「侮辱」ととらえるジュディの感覚が、わたしはとてもすきです。

ところがさらに「お金持ちを愛する人に愛される」ではなく、条件なしの「愛される」ということのみを求めていくのも、カント的にはNGということになっていきます。 というのも「自分のことを愛してくれる人」を求める、というのも、相手を手段としてみなしていることにほかならないからです。

ただ、愛する。
なかなか、むずかしいことですが。
いつもそういう状態にいることはむずかしくても、ときどきではあっても、そんなふうに思える相手に出会える、というのは、それこそ魔法の助けを借りなければいけないことなのかもしれません。

ということで、『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』というのは、表題に釣られて、どちらも持っていない人物が手に取って、人を手段ではなく目的にすることを学ぶ、非常に有意義な本である、という結論に到達することができました。

楽しい書きこみ、ありがとうございました。

鶏頭




2007-11-13:ハロウィーンの思い出


ここ数年、十月になるとハロウィーンの飾りつけがショッピングモールをにぎわすようになった。例の目鼻をくりぬいたオレンジ色のカボチャが主役だが、ほんもののカボチャではなく、作り物であることが多いように思うやはり生ものだけに、かびたり、腐ったり、はつきもので、何かと扱いがむずかしいためだろうか。おまけに国産のえびす南京などは、アメリカのカボチャとは種類がちがう。アメリカ産のオレンジ色で表面のつやつやしているペポカボチャは、皮も薄いし、実ももっとずっとやわらかい(というか、水っぽく、べちゃべちゃしているという感じ)、だからスプーンでかんたんにかきだすことができるし、小ぶりのナイフさえあれば、三角形の目や鼻、ギザギザの口をくりぬくことができるのだ。

アメリカではその季節になると、地面にカボチャを山と積んだ露店がところどころに開店する。それが全部、かざりつけ用なのである。大きいもの、小さいもの、いくつも持って帰り、各家庭でランタン作りに精を出す。

ランタン作りというのは、まず上を切り落とし、下に新聞紙を広げて、実をかきだしてはそこに落とししていくことである。足下にはオレンジ色の山ができ、最後は丸めて捨てる。もちろん一部は取っておくが(それでスープやマッシュ・パンプキン、パンやプディングなどを作る)、なにしろ作るランタンの数は多いので、とてもではないが食べきれない。小脇に抱えて、あるいは膝のあいだに固定して、スプーンで掘って、掘って、掘って、甘ったるいにおいがじき鼻につき、何も食べているわけではないのに胸がやけてきて、いい加減げっそりしたころ、やっと一個上がり。
そこからまずカボチャに顔の下書きをする。できるだけ怖い顔にするのは魔除けということなのだが、怖ろしい「魔物」がこんな間抜けな顔のカボチャごときを避けてくれるものなのだろうか、と思ってしまう。ともかく、あとは小さな蝋燭(といっても、アルミの容器にロウが入って、芯のついたもの)を入れればいい。

ところが暗い中で実際に見ると、蝋燭の光で内側から照らされるジャック・オ・ランタンは、昼間のカボチャとはまったくの別物になる。内側のオレンジ色が黄色い蝋燭の火を増幅するかのよう。明るい灯が目鼻や口をくっきりと浮きあがらせる。皮の部分はほかのランタンの灯を受けて、鈍いオレンジにてらてらと光る。ジャック・オ・ランタンの効果を高めるために、あたりはふだんよりも暗く、そういうなか、ぼうっと浮かびあがるカボチャ提灯は、魔除けというより、逆に、魔女だの地霊だの、ヨーロッパ土着の「よくわからないものたち」を誘い出してきそうだった。

英会話教室にいたイギリス人は、「ハロウィーン?」と鼻で笑って、「あんなもの、アメリカの商業主義のお祭りさ、大昔、日本でいうとヘイアンとかもっとまえの時代にそういうことをやっていた地域もあったのかもしれないけど、ともかく、いまのあれとは関係ないね、イギリスではそんなものやらない」と言っていた。もちろん出身地(日本人は「イギリス」とひとくくりにしてしまうけれど、英国人は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、ノーザン・テリトリーと、分けて考える意識が強いように思う。彼に「サッカーはどうしてナショナルチームを組まないの?」と聞いてみたところ、答えは「別の国だから」ということだった)や出身階級によってちがいがあるのだろうが、アメリカ人が「ハロウィーン・パーティやろう」と乗り気だったのに対して、非アメリカ人たちは総じて冷ややかだったことを思い出す。

ただ、レイ・ブラッドベリの『ハロウィーンがやってきた』(伊藤典夫訳 晶文社)を読むと、やはりこれはキリスト教以前の、土着の宗教にルーツを持つお祭りなのだとわかる。その世界では10月31日が大晦日。死者の魂がこの日、生者のもとを訪れるのである。

そう考えてみると、これはどこか日本のお盆を思わせる。ナスやキュウリの馬と、お迎え火、そのかわりにカボチャの提灯……。とすれば、「トリック・オア・トリート」と言って歩く子供たちは、戻ってきた精霊が仮装した姿なのかもしれないし、その子供たちに配るキャンデーやチョコレートは、アメリカ版「施餓鬼供養」なのかもしれなかった。

練り歩く小さな子供たちの時代を過ぎてみれば、ハロウィーンといえばもっぱらパーティで盛り上がる。それぞれに「〜になったつもり」で変装し、集まって騒ぐ。
とはいえ、エド・マクベインの87分署シリーズでは、ハロウィーンの夜はティーンエイジ・ギャングが放火に暗躍するし、パーティに行こうとして家をまちがえた日本人留学生が射殺されるという事件も起こった。わたしが英会話教室でバイトを始めたのは、その事件から二年ほどが経っていたが、ハロウィーンということで思い出したか、アメリカ人講師たちは「恥ずかしい(※彼らはこの事件に対して "shameful" という言葉を当てていたのが印象的だった。"embarrassment" という語が、日常的な恥ずかしさ、決まりの悪さを引きうけるのに対し、"shame" はもっとずっと深い、罪の意識から来るような恥を引きうける語であるように思える)事件だった」と繰りかえしていた。そのトピックでフリー・トークをしたところ、"Freeze" を知らないなんて、そんなレベルでアメリカに行ってはいけない、という意見さえ日本人から出てきた、信じられないよ、という話を聞いたこともあった。わたしもその事件まで、"Freeze" は「寒い、凍えるような」という意味しか知らなかったひとりなのだったが。

アメリカ人講師たちは、家をまちがえた高校生に発砲するような人間と同類に見られることを、ひどく怖れていたような気がする。自分たちは彼とはちがう。彼のような無教養で、人種差別的な人間はアメリカのなかでも特殊なのだ、と、そのフリー・トークを通して、日本人に訴えようとしていた。
だが、そのフリー・トークに参加した日本人から見れば、アメリカで射殺された高校生は、同じ日本人といっても、まったく知らない人間だ。まったく知らない日本人より、目の前にいるアメリカ人講師の方が近しい存在であるわけで、彼ら、というかアメリカ人全般におもねったようなことを言ったのだろう。意見を交換するというのは、どこまでいってもむずかしいものだ、と思ったのだった。

わたしがアメリカでハロウィーンを過ごしたのは、たった一度きりの経験だが、幸いなことに怖ろしい目にも遭わず、小さな子供たちについて「トリック・オア・トリート」と言って歩き(スーパーで買ったとんがりぼうしに黒い服とスカートで魔女になった)、パーティでりんごつかみをやって、楽しかったのを覚えている。ただ、あたりにはなんともいえない、カボチャのすえたような、わずかにかびくさいにおいがたれ込めていて、いまもそのときのことを思い出すと、なによりもそのにおいがよみがえってくる。

先に挙げたブラッドベリの小説には、カボチャには二種類のにおいがある、なかを掻き出すときのにおいと、パイが焼けるときのにおい、とあるのだが、わたしはそこにもうひとつつけくわえたい。11月1日になってへなへなになった、元ジャック・オ・ランタンを集めて捨てるときの、すえた、かびくさい臭い。
やはりこれは大晦日のお祭りにはならないだろう。あけて最初にやることがこれでは、新年のすがすがしさもへったくれもないような気がする。

鶏頭




2007-11-10:気分の暗くなる話


二十代の頃、友人の子供を何度か預かったことがあった。預かるといっても、せいぜい三時間ほどで、三歳になったばかりの女の子は、たいがいのことは自分でできたので、それほど大変ではなかった。もちろん、すわっておとなしく本を読んでいてくれるような子供ではなかったのだけれど(絵本を読んであげると、たいてい2ページくらいで、もういい、と言った)、紙をあげると、サインペンでぐるぐると丸を書き、どれも同じ丸に見えるのを、これがちかちゃん、これがちかちゃんのママ、これがちかちゃんのパパ、これがおにぎり、と教えてくれたりしながら、それなりに一緒に遊んでいたような記憶がある。

もたなくなったら連れていって、と、デパートの玩具売り場のことも聞いた。
そもそもデパートなどに足を踏み入れることさえなかったわたしは、そんな場所があることなどまったく知らなかったのだが、デパートの玩具売り場の一角には、子供が遊べるようなスペースが用意してあるのだった。ブロックだの野菜の模型だの積み木だのが置いてあって、子供たちは夢中でそこで遊びだす。そうしてそのあいだに、お母さんたちは手早く買い物をすます、という寸法らしかった。

ちかちゃんもデパートは慣れていたらしく、先に立ってわたしを案内してくれる。そこに着くと、さっさとわたしから離れて遊び始めたので、わたしとしてはすっかり暇になってしまった。

それでも預かった子供から眼を離すのも不安で、その近くに立って、本を読みながら、チラチラと様子を見ていたのである。するとそこにデパートの店員たちが定期的に様子をうかがいに来るのに気がついた。子供の様子を見るだけでなく、あたりに不審者がいないかどうか目を光らせていたようで、周囲の大人たちを、客を見る目とはちがう目つきで確認していたのだった。そうやってときどきそうやって安全確認をしていたのは、子供を置いて買い物に出かける母親とのあいだに了解事項があったわけではなかったのだろうが、デパート側には玩具売り場の一角を、一種の託児所としても機能させていたのだろう。

わたしのすぐ横で、そのちかちゃんより少し大きな子、小学校に上がる前ぐらいの女の子が、プラスティック製のちいさなくだものの模型で遊んでいた。モモやバナナやみかんを小さなカゴにつめている。ほんものによく似た模型というのは、それだけで楽しいのだろう、その子は集めては戻し、集めては戻しを繰りかえしていた。やがて、お母さんらしき人が戻ってきて、慌ただしくその子をせかした。その子は模型のなかでも小さなパイナップルがことのほか気に入ったらしく、「これ、買って」とお母さんにせがんだのである。

小さなプラスティックの模型ひとつ、値札を確かめたわけではないが、百五十円ぐらいのものだったろう。おそらくそのお金が惜しかった、というよりも、そのちっぽけなパイナップルひとつ、レジに持っていき、包装してもらい、精算する手間を惜しんだのだと思う。その遊び場の、何人の子供の手を経た、色も少しはげかけたパイナップルをその子の手に握らせると、その子の手を引いて、そのまま行ってしまったのである。

わたしは何度か万引きの現場を目撃したことがある。一度など、すぐ横で、かばんに入れた瞬間に警備員に肩をつかまれた高校生を見たこともあって、心臓がとまりそうになったものだった。自分ではなくても恐かったし、しばらく動悸がおさまらなかったものだった。

そのときも、子供に握らせたまま行くなんて……と思ったのだが、かといって、そんなことやめたほうがいいんじゃないですか、というような声をかけることもできず、どうすることもできないまま、見送ったのだった。

何ともいえない気分でいたところ、やがてその女の子がひとりで走って戻ってきた。そうして、パイナップルをかごに戻すと、きびすを返して、また走っていったのだった。

そうなんだよなあ、と思った。
そのちかちゃんと一緒に歩いていても、車が来ないから、と、細い通りを赤信号で渡ろうとしても「信号は赤よ」と立ち止まることを求められる。通りをわたるときも、横断歩道をきちんと渡らなくてはならない。子供というのは、子供なりに理解のできる範囲で倫理的なのである。

その走って戻しに来た子は、模型を取ってしまった、という罪の意識に加えて、母親がそういうことをやった、という葛藤も抱えていかなければならないのだ。それだけで何がわかるわけではないのだが、それでもその子が生きていかなければならないこれからの日々を、わたしは思ったのだった。

なんでこういう話を思い出したかというと、今日、駅自動改札を出るときに、目の前のお母さんが、投入口に子供の切符一枚を入れ(子供の切符を改札に通すと、音が鳴るし赤いランプがつくのだ)、小学生とおぼしき子供とくっついて、足の重くなっているその子を自分の身体で押し出すようにして改札をくぐるのを見てしまったからなのである。
そうやって、大人分の運賃を浮かすことでいったいどれだけのお金を「トクした」のかはわからない。それさえも倹約しなければならない生活を送っているのかもしれない。それがいいとか悪いとか、わたしには言えないのだけれど、押し出されている子供の暗い顔が、わたしは忘れられないのだった。

鶏頭




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