鶏的思考的日常 ver.2〜どこまで行っても鶏頭〜
2005-12-31:陰陽師的2006年占い
わたしは占いがキライだ、と、昨年ここで書いた。
いまでももちろん好きになったわけではないのだが、考えてみれば日常的に似たようなことをやっているのである(「はぁん……。この文章じゃちょっと××は辛いなぁ」)。ここでやってみるのも一興だろう。
一応星占いの分類に従っているけれど、これは一切占星術とは関係ない。
以下の占いは、わたしの観察の結果、導き出されたものである。
各星座のキーワードが、おそらくは来年のあなたを救ってくれることもあるかもしれない可能性は決して否定できないはずである。
- 【牡羊座】2006年のキーワード:親切は必ずしも報われるわけではない
とても親切なあなたは、目の前の困っている人を放っておけません。ところが電車で目の前に小さなおじいさんがきて、席を譲ろうとすると「わしはそんな歳じゃない! 失礼な!」と怒鳴られることがあるかもしれません。そういうとき、このキーワードを思い出してください。降りるとき一緒におじいさんをかついでホームに放りだしたくなる衝動は十分に理解できますが、実行してはいけません。
- 【牡牛座】2006年のキーワード:モノを捨てる
あなたの家はものでいっぱいです。もちろんです。それはすべてあなたが生きてきた証です。でも周囲を見回してください。詰め込みすぎて開かなくなった引き出し、うずたかく積み上げられていまにも崩れそうな雑誌、空き瓶のなかの輪ゴムやペーパークリップ、冷凍庫の中には正体不明のタッパーウェアはありませんか? 2006年には新しいモノをひとつ持ち込む際には、古いモノをふたつ捨てることにしてください。1月1日から、それがムリなら2日から……少なくとも、12月31日までには。
- 【双子座】2006年のキーワード:モノを大切にする
世の中は新製品のニュースでいっぱいです。新しい型の車。新しいデザインのブーツ。新しいパソコン。iPodだってつぎつぎニューバージョンが出ます。でもちょっと待って。最新型はあっというまにつぎの最新型に取って代わられます。その「最新型」は、つぎに改良される前の、出来の悪い「つなぎ」かもしれません。どうせ中身はたいして変わりはしないのです。「新製品? まだそんなことを言ってるの? フッ」と肩をすくめて笑って、いま使っているモノを大切にしましょう。
- 【蟹座】2006年のキーワード:蓄財の精神に目覚める
ほしい、と思うものは、まちがいなく必要のないモノです。ほんとうに必要なモノなら、あなたはすでに買っているはずだからです。耳元で買え、買えと囁く物欲番長に屈してはなりません。お金には「使う」「払う」よりほかに動詞があることを学びましょう。「作る」、「稼ぐ」、「貯める」、「使わない」(「払わない」は犯罪に結びつく可能性が高いので、やめておきましょう)。
- 【獅子座】2006年のキーワード:神は細部に宿る
あなたの家の冷蔵庫をよく見てください。捨てるには惜しいけれど、いざ食べるとなるとちょっと、という残り物や半端物がずいぶんありませんか? 冷凍庫になると、さらにそれは「そこにしまう」ことが目的となっている可能性があります。あなたがもし神の存在を信じているのなら、このキーワードを思い出してください。神はおそらく三ヶ月前のガチガチに凍ったひじきの煮付けの残りのなかに宿りたくはないはずです。冷蔵庫のモノの出入りのチェックはお忘れなく。
- 【乙女座】2006年のキーワード:細かいことにこだわらない
長年使っているモノに対しては、あなたは、必要以上にそのモノに愛着を抱いていませんか? いつも身近にあり、それが同じモノ、あるいは同じブランド、同じ型であれば、人生に連続性が与えられるような気がします。だから、もしかしたらあなたはお気に入りの消しゴムを(あるいはヘアブラシを、靴クリームを)見つけるたびに買ってくるので、家にはそれが17個あるかもしれません。でも、大丈夫。あなたの人生に連続性を与えているのは、あなた自身です。MONO NONDUST消しゴムが手元になくなったからといって、世界が終わるわけではありません。
- 【天秤座】2006年のキーワード:自分が知らないことを他人が知っているわけではない
Webの検索機能のおかげで、おどろくほどさまざまな情報を容易に知ることができるようになりました。「マルホランド・ドライブ」をたとえぼけーっと見ていて店の裏の一瞬のショットを見逃したとしても、検索すればあらましを知ることができます。それでも「父方の叔母さんの結婚相手の“ヒロシ”という漢字は弘だったか博だったか宏だったか」という疑問に他人が答えてくれる可能性は限りなく低いことを知りましょう。
- 【蠍座】2006年のキーワード:自分が知らないことをみなが知らないわけではない
自分が知らないことは他人も知らない、自分が読めない漢字は他人も読めない、自分が書けない英語のつづりは他人も書けない、ということは、決してありません。それどころか、それを知らないのは、もしかしたらあなただけかもしれません。人に聞いて恥をかくまえに、辞書を引きましょう。
「グッドタステ? これ、どういう意味?」
「知らへん」
「新製品ちゃうの? よいタステ」
隣で聞いている人間が辞書をぶつけてやろうかと思っているかもしれません。(ちなみに紙コップに書いてあったのは"good taste"という文字)
- 【射手座】2006年のキーワード:うまい話に注意
「全品売り尽くしセール」と書いてあったら、それはたいしたセールではありません。件名に女性名の書いてあるメールはスパムで、儲け話はマルチ商法です。自分が儲けることに一生懸命な人は、あなたのことを誘ってはくれませんし、あなたを誘ってくれる人は、あなたと楽しみたいから、もしくはあなたから金をはき出させたいからで、儲けさせてあげたいわけではないのです。
- 【山羊座】2006年のキーワード:忘れ物に注意
何か忘れているのではないだろうか、と思ったら、まちがいありません。必ず何か忘れています。忘れていないかどうか考えることさえ忘れるかもしれません。ですからこのキーワードは熟読しておいてください。歯は磨きましたか? 鍵は持ちましたか? ちゃんと靴をはいてますか? メールを出さなければならない人を忘れていませんか? 思い出したら、即実行。あとでやろう、は禁物です。まちがいなく、また忘れてしまいます。
- 【水瓶座】2006年のキーワード:新しいことを学ぶ
指を折らずに数を数えるとか、ペルシャ語でスイカはヘンダワネというとか、椅子に坐ってぼんやりとするとかの新しいことを学ぶのがいいでしょう。こうしたことは、一見無駄にも見えますが、けっしてそんなことはありません。たいせつなのは、人生にできるだけの新鮮さを加えることです。高い山に登ることやインドを放浪することも、生きるすばらしさを思い出させてくれるでしょうが、新しい画家をひとり知ることも、負けないくらい人生を豊かにしてくれます。
- 【魚座】2006年のキーワード:経験から学ぶ
あなたが選んで並んだレジは、一番遅いレジで、同じ失敗は何度でも繰り返します。誤ったことをして、あとで謝罪しても、それをなかったことにすることはできません。あなたはこうしたことをすでに経験から学んでいるはずです。経験は、たいがいのことに「答え」などないことを教えてくれますが、それでも答えを知っているかのようにふるまうことが大切です。

2005-12-22:アイスクリーム、アイスクリーム
わたしが一日、最低一回は必ず考えているのは、本と、アイスクリームのことである。もちろんほかにもあるような気がするが、ここまで確実ではない。
さらに正確に言えば、アイスクリームのことというのは、冷蔵庫(の冷凍室)に入っているハーゲンダッツを食べるべきか、どうすべきか、ということである。食べるとすれば、どの段階で食べるべきか(おやつにしようかな、とか、晩ゴハンを食べたあとにしようかな、それともお風呂から出たときか、文章をいっぱい書いて、ガス欠になった頭に燃料補給が必要なときか、あ、こういうときは迷わないな)、何を食べるべきか(常時ストックされているのはバニラであるが、たまに抹茶やロイヤルミルクティーもそのラインナップに加わる)、つぎのスーパーの特売はいつだろう、最後のカップを食べてしまって大丈夫だろうか、とか、要するに、悩みはつきない。
わたしは甘いもの全般があまり得意ではなく、ケーキは年に二回、多くても四回も食べればいい方だ。いわゆるお菓子というのもあまり食べないし、「羊羹」という字面を見ると、胃のあたりが重くなってしまう。デザートというのは、なくてもいい類の人間である。
ただしアイスクリームだけは別格だ。アイスクリームというのは、わたしの人生のなかで極めて重大な意義を持ったものなのである。
アイスクリームを初めて作ったのは、中学の物理の実験だった。わたしは力学というものが基本的に理解できないのだが、この熱力学だけは別で、非常によくわかった。
まずアイスクリームの原料(生クリーム、牛乳、卵、砂糖、ここでわたしはぜひバニラビーンズを入れたいところだが、中学の時はそんなものは入れなかった)をよく溶かす。
これを金属容器に入れ、まわりに塩をまぶした氷を入れておく。氷を入れる容器は、プラスティックか何か、金属より熱伝導の悪いものでなくてはならない。そうしてボールの中身をひたすらかきまぜていると……。アイスクリームのできあがりなのである。
わたしはこの原理も知っている(いまだに覚えている、というべきか)。
氷は溶けて水になっても、塩があるためにその温度は下がらない。けれども水になるためのエネルギー(熱)はかならず消費される。そこでそのエネルギーは、金属容器のなかの混合物から引き出される。熱が出ていくために、この混合物は凍ってしまうのである。
学校でこの実験をやったときの感動は、いまだに忘れられない。いまなお、アイスクリームを食べるときの喜びの何パーセントかは、このときの記憶から引き出されているのにちがいない。おお、これぞ科学! これぞ熱力学! という感動である。
学校でこの実験をやったあと、家でもさっそくやってみた。非常にうまくでき、母親以外の家族からは好評だったのだけれど、母親は、洗ったはずの泡立て器に、乾いた卵や牛乳の滓がこびりついていたり、流し台に塩が落ちていたりするのに我慢がならなかったらしく、そののちアイスクリーマーを買ってくれた。これは非常に便利で簡単だったのだが、名前が気に入らなかった。
その名は「どんびえ」。
なんでこんな名前にしたのだろう。命名の秘密を聞いてみたいような気がする。
それはともかく、この「どんびえ」は、名前こそ「ぱちもん」くさいが、非常に優れモノで、材料を放り込んでぐるぐる回せば、それだけでおいしいアイスクリームができるのである。わたしはこれでどのくらいアイスクリームを作っただろうか。人生でこれまで消費した牛乳の80パーセントは、まちがいなく「どんびえ」でかきまぜたものにちがいない。
一方、外で食べるアイスクリームは、ハーゲンダッツにめぐり逢うまでは、サーティワン・アイスクリーム(アメリカ名バスキン・ロビンス)のチョコレート・ミントを愛していた。家で食べるのはもっぱらバニラであったため、外で食べるのは、ちがうものが食べたかったのだと思う。人によっては歯磨きペーストの味がする、とも言うのだけれど、苦みのあるチョコレートとペパーミントのマッチングがすばらしく、また、アメリカを思わせるような毒々しい色合いも好きだった。
ここでアメリカを思わせる、と書いたのは、アメリカのケーキだのお菓子だのが、自然派志向が登場する前の80年代末の話だけれど、信じられないような色が平気でついていたのである。ホームステイ先でわたしが帰る、ということで、ケーキを焼いてくれたのだが、四角いケーキに塗ったクリームは青空を示すために真っ青に着色されていた……。
ハーゲンダッツとめぐり逢ったのは、さらに時代は下る。行列に並んで食べた子の話は、ずいぶん早くから聞いたことはあったけれど、流行とは無縁のわたしが食べたのは、もっとずっとあとだった。
そこでバニラのほんとうのおいしさに目覚めるのである。家で作った牛乳と生クリームとタマゴと砂糖だけではない、バニラの味だ。
いま、わたしが食べるのはほとんどバニラであるけれど、たまに特売日など、抹茶を買おうか、ロイヤルミルクティーを買おうか、はたまたクッキークリームも捨てがたい、と迷うこともある。これほど幸せな迷いも、人生にはそれほどあるまいと思われる。
先日、勤労奉仕をしたあと、お礼に懐石料理を食べにつれていってもらった。
料理が終わり、デザートに陶器に盛ったアイスクリームが出てきたのだ。ひとくち食べて、わたしはすぐにわかった。
「あ、これはハーゲンダッツのバニラだ」
思わずそう言ったわたしを、仲居さんは恐ろしい目つきで睨んだ。
だけど、わたしは褒め言葉のつもりで言ったのだ。
フレンチやイタリアンのレストランに行って、ハーゲンダッツが出てきたら、それはちょっと悲しいけれど、懐石料理のデザートである。果物とハーゲンダッツで良いではないか、と思うのだけれど、やはりバラしたのはまずかったのだろうか……。
2005-12-18:偶数月の決めごと
わたしは偶数月に髪の毛を切ることにしている。
自分でそう決めているわけではなく、二ヶ月すると、てきめんに朝起きたとき、アタマの毛のいろんなところがはねて、わたしにその時期を教えてくれるのだ。
美容院に行くのは好きではない。仰向けになってシャンプーしてもらうのは(顔に布きれさえかけられなければ)悪い気分ではないし、カットが終わって、「肩、凝ってますねー」などと言われながら、マッサージしてもらうのも(こんなにマッサージが気持ちいいのなら、今度マッサージに行ってみようか、といつも思うのだけれど、美容院から出た瞬間にそのことは忘れてしまう)とても気持ちがいい。
それでも、切ってもらうあいだ、美容師さんの相手をしてあげなければならないのは面倒だし、これまでに一度としてイメージしたようにカットが完了していたこともない。おまけにあとは家に帰るだけ、というのに、ワックスだのなんだのをつけてくれて、絶対に自分ではできないように、いい感じにツンツン立っていたりするのだ。それにしても、同じ立っているにしても、寝グセとまったくちがうのはどうしてなのだろう。だがそれも、自転車に乗って帰ると、家に着いたころにはくしゃくしゃになっているが。
翌朝、鏡の前に立つと、昨日見たヘアスタイルとまるで変わっているのに愕然とするのも、コマッタものだ。
しばらく伸ばしてみようか、とも思う。
だが、毎朝はねた髪の毛と格闘するのも、気が重いのだが、いちど、限界に挑戦してみるのも一興かもしれない。
2005-12-17:ダメ出しを食らうとき
塾の講師である学生が起こした事件について、思ったことなど書いてみようかと思う。
正直、今回の場合、最悪の形で起こったわけだけれど、何らかの事件がそのうち起こるとは思っていた。
思い起こせばわたしが初めて塾で教えたとき、前任者は生徒の頭をよく殴ったり小突いたりしていた、という話を小学生たちから聞いたことがある。引き継ぎで一度会っただけだけれど、小柄な、ミニスカートのかわいい、そんなことをしそうにもない女の子(当時わたしより年上だったけれど)だったから、ちょっと驚いた。ノートを見ても、どう考えてもまともな授業をしていたとは言い難い。なんだかな、と思った記憶がある。
学生のバイトというのは、学校の教師の能力に差がある以上に差がある。研修があったり、ガイドラインがあったりするにせよ、個々人の能力と資質に委ねられている部分が相当にある。当然、能力もなく資質もなく、さらに経験さえ乏しい学生が、大勢教壇に立っている。
当時に較べて、いまは塾もずいぶん淘汰されているから、おそらくは能力や資質の評価も、厳しいものになってはいるだろう。管理の側も、いつも授業を見て評価するわけにもいかない。生徒からの評価もひとつの基準になっている。
一方で、この生徒からの評価というのも、もちろん非常に微妙なものだ。評価をする側は自分の理解の及ぶ範囲でしか、相手を評価できない。自分より幼く、社会経験も少ない教えられる側からの評価が、万全のものではないことは、本人はわきまえておかなければならないし、当然、管理者の側も理解しているだろう。
ここでよくわからないのは、なんでたかだか小学生の評価に、そこまで度を失うか、ということなのである。
批判されれば、それを反省して、自分の軌道を修正するか、そうするまでもない、的はずれの批判(難癖)である、と無視するか。そのどちらかで良いではないか。なぜ、そのくらいのことで、そこまで追いつめられてしまうのだろう。
なんというか、ダメ出しをされたくない、嫌われたくない、悪く思われたくない、という気分が強すぎるような気がする。
なんでそうなっちゃうんだろう。
自分のやったことなしたことは必ず評価の対象となる。
プラスの評価ばかりではない。マイナスの評価を受けて、初めて自分の軌道の修正もできるのだし、足りない点も見えてくるはずだ。なぜ、たったそれだけのことがわからないのだろう。なぜ、いまのこれだけの自分をありのままに見極めながら、もっと自分を伸ばしていく、ということが考えられないのだろう。
わたしにはよくわからない。
2005-12-16:機転が利かない……
今日は月に一度の定期検診の日。とくに大きな変化があるわけではないので、いくつか検査をしたあと、お医者さんと半ば雑談のような話をして、薬をもらいに行く。
病院の前の調剤薬局のカウンターでは、中年の男性が大きな声でなにやら文句をつけている。この薬を飲んでも、症状は改善しない、前の薬の方が良かったのに、という、薬剤師さんにしても仕方がないような話である。
それでも薬剤師さんは電話をかけて、男性の要求を伝え、ドクターと話をしていたが、結局そのまま、ということになったらしい。だが、男性の方は納得しない。それならなんで自分で言わないんだ、と思うのだが、ただ難癖がつけたいだけなのかもしれない。つけやすいところに難癖をつけている、ということなのだろうか。傍迷惑な話である。
さんざんぐちゃぐちゃ言ったあと、その男性がやっと終わって、わたしの名前が呼ばれた。
そちらに行くと、さんざんごねられていたその薬剤師さんだ。同じくらいの背丈だったので、ぱちんと目が合った。なんとなく、「大変でしたね」と言ったら、その薬剤師さんは、急に目がうるうるしてきて、涙をこぼした。わたしはすっかりうろたえてしまって、「いやー、文句って言うべき人のところじゃなくて、言いやすいところに言う人っていますからねー」みたいなことをもごもご言ったのだけれど、なんだかその薬剤師さんをわたしが泣かしたみたいになってしまって、ちょっと焦った。
鼻をすすりながら、なんとか薬の説明をしてくれようとするので、「大丈夫です、五年くらい同じ薬飲んでますから。あはは…」と無意味に笑って、お金を払って帰った。
なんでこういうとき、まともなことが言えないんだろう……。
2005-12-15:今日の悩み相談
地味に、社会の片隅でひっそりと生きているわたしだが、それでもつながりのある場所はいくつかあるので、それぞれから忘年会の誘いがある。忘年会はなんとしても楽しくやりたい、という人と、一応、つきあいだから、と言いながら、それなりに楽しむ人と、そういうことがめんどくさいが、参加する以上は楽しもうとする人と、参加したくないのに嫌々参加した、という人と、参加しない人に分かれるような気がする。
小さな楽しみというのは、生きていくうえでありがたいものだけれど、どうしても楽しみたい、とは思わない。楽しみというのは、不意に訪れるもので、自分から見つけに行くようなものではないような気がするから。
純粋に、そういう場を楽しめる人がうらやましい。普段とうってかわって、どうにも手がつけられなくなるほど自分を解放できる人がいるのだけれど、アルコールが入ると、開放的になるよりも先に、脳貧血を起こしてしまうわたしは、いつもウーロン茶片手に、嫌々参加した、というふうに見えなければいいな、と思っている。八方美人のつもりではないのだけれど(もちろん八方がつかないほうのそれでもないけれど)、座を白けさせるやつにもなりたくない。そこらへんがむずかしい。
おまけに何度か出るうちに、だんだんコツをつかんできたころ、その年が終わり、また飲み会とは縁のない生活が続き、一年たったころには、去年せっかくつかみかけていたコツも、ふたたびすっかり忘れて、またゼロからのスタートだ。毎年この時期になると「賽の河原」という言葉を思い出すわたしなのだった。
何かいい方法はないでしょうか。
2005-12-13:ラーメン屋はミステリアス
今日はひさしぶりにお休みでした。このところ、休みのはずが、ちっとも休みでない状態が続いていたので、たまっていた雑用をすませ、お昼は近所のラーメン屋に行きました。
そのラーメン屋さんは、駅のショッピング・モールの一画にあるチェーン店。行列ができるほどの店ではないけれど、そこそこおいしくて、そこそこ清潔な店です。
ところが以前、あることがあって、一年以上、近寄っていなかったんです。
それは……。
その店は、カウンタ−だけの店で、真ん中に麺を茹でるナベや、スープを作る大鍋があって、それを取り囲むように、ちょうどカタカナのコ型にカウンターが配置してあります。そのとき、わたしはちょうどコの縦棒のまんなかあたりにすわっていました。
わたしの目の前には、スープをとる大鍋がありました。鶏ガラや、野菜がぷかぷか浮いているのを、お店の人は、ときどきかきまぜる。わたしの位置からは、その背中が正面に来るのです。
やがて、店の人はそのスープを別の鍋に移し始めました。大きなひしゃくで何杯もすくって、やがて底があらわになったのか、店の人が
「なんじゃ、こりゃぁ」
という、大きな声を出したのです。
店内は、しん、としました。
もう一人の人が、その声によってきました。その人も、鍋の底をのぞき込み、ふたりは顔を見合わせました。
しばらくして、もう一人の人は元の場所でふたたび麺を茹で始め、スープの底を浚っていた人も、何食わぬ顔で仕事に戻りました。
結局、「なんじゃ、こりゃぁ」が「何」だったのかはわからないままです。
しばらくそこの店から足が遠のいていました。
ところがなかなか近所に、気軽に寄れる店もない。ということで、そろそろ大丈夫かなぁ、と思って、一年以上経って、ふたたび行くようになったのですが……。
ただ、「なんじゃ、こりゃぁ」、いまでもやっぱり気になります……。
2005-12-11:健康に悪い話
普段、電車のなかではすいているとき以外は、積極的に電車に座らないことにしているわたしも、今日は帰りの電車でちょっと座りたい気分だった。ところがそういうときに限って席というのは空いていないもので、仕方がないから手すりにもたれて本を読んでいた。
ところが後ろで話しているおばさんたちがやかましい。
「ヨーグルトは身体に悪いのよ」
「え〜、ほんま? カルシウム摂れるのとちがうの?」
「カルシウムは必要やけど、ヨーグルトは脂肪分が高いからあかんねん」
「そんなんより砂糖の方があかんのとちがうの」
と、何を食べたらどうなる、それからウォーキングは膝に負担がかかる、泳ぐと腰を痛める、日に当たると皮膚ガンになる……と延々と話は続く。
聞くともなしに聞いていたが、ふと思った。
こうした話をまとめるならば「生きることは身体に悪い」ということになるのではあるまいか、と。
「喫煙はあなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます」
電車の煙草の吊り広告の片隅にこういう表示が小さく書いてあったのだけれど、これを言うなら
「生きることはあなたにとって健康を害する危険性を高めます」
という表示も加えるべきなのではないだろうか。
太っていることは、さまざまな疾患の誘因となる。
ダイエットすれば、摂食障害に陥る危険性がある。
健康によかれと思って、何かを食べると、そのうちそれが健康に有害とわかるかもしれないし、身体に悪いものを徹底的に避けると、それがストレスになるかもしれない。運動すると、逆にそのことがもとでどこかを悪くするかもしれない。
道を歩けば車が突っ込んでくるかもしれないし、看板が落ちてくるかもしれないし、穴に落ちるかもしれないし、日焼けするかもしれないし、犬に噛まれるかもしれない。歩くことによるストレスが加わって、自律神経がやられるかもしれないし、歩きながらいろんなことを考えて、鬱病になるかもしれない。
結局は、生きることはすべて身体に悪いのだ。
あたりまえだ。
わたしたちは生まれ落ちた瞬間から、死に向かって一歩一歩、歩いているのだから。
大事なのは、健康だけじゃない。食材としては「健康に悪」かろうがどうだろうが、人といっしょにいろんな話をしながら食べたり、飲んだりすることで、時間を共有すること、そうして、そのあと気持ちが高揚して、よし、がんばろう、と思ったり、ものの見方・考え方が変わることも、同じように大事なことだと思う。たとえ飲み過ぎたり食べ過ぎたりして、あとで後悔しなくてはならなくなったとしても、そういう時間を持てたということは、十分おつりがくるほどいいことであるはずだ。
まぁそのおばさんたちはとっても元気そうで、それはたぶん健康に関心があるせいじゃなくて、そんなふうに話ができる連れがいるからにちがいない。
2005-12-09 :陰陽師的贈られ物
今日、地元の図書館に行ってみたら、リサイクルの棚に、中央公論社刊の折口信夫全集全31巻が出ていたのです。ひっくりかえるくらい、驚いてしまいました。こんなものが全巻リサイクルされているなんて。身体が震えてしまいました。
まず三十一冊、全部もらって帰ることができるだろうか、と考えました。
自転車です。荷物もあります。前カゴ、うしろのカゴ両方に入れても、絶対に無理です。
加えて置き場所。五つある本棚全部、前後ろ、隙間無く本が並び、入りきらない本は床に置いて、獣道を形成しています。そこに全集本三十一冊を置く余裕は、どう考えてもありません。
おまけにこんな本を、専門でもないわたしが独占しちゃっていいんだろうか。考えました。考えに考え、選びに選んで、古代研究篇三冊だけ、ありがたく頂いて帰ることにしました。
それにしても、うれしいです。ほんとうにうれしい。国文学篇が一冊と、民俗学篇が二冊です。ほんとうにうれしいクリスマスプレゼントを頂きました。サンタクロースの存在を、ちょっとだけ、信じたくなりました。
あ〜、クリスマスといえば冬休みだ。これから二月ぐらいまで、地獄のような日々が続きます。
そういえば去年、身体が痛くて目が覚めたら、玄関先で靴を脱いだだけで寝てたことがありましたっけ……。
台所の床でも寝ないようにしなくちゃ……。
眼が覚めて、一瞬、ここはどこだ、コンタクトを入れたままの目はばりばり、全身が痛んで……、というのは、サイテーの気分です。もちろん酔っぱらったわけではないんです。それが、冬休み、ということなんです(涙)。
2005-12-08:無難な文章書き
翻訳を勉強していたころのテキストが必要になって、本棚の奥底を漁っていた。すると目指すテキストも出てきたけれど、わたしが訳したものを含め、当時のクラスのメンバーの講評一覧まで一緒に出てきたのだった。十二回の連続講義を受けてから、提出した訳文をそのたびごとに評価してもらった結果である。担当者も、扱ったテキストもさまざまだった。
にも関わらず、わたしの講評ときたら。
「無難な訳」
「会話、地の文ともそつなくまとまり無難な印象」
「テクニカル・タームも無難に処理してある」
「大きな誤訳もなく無難にまとまっている」
……。
担当者が変われど、テキストが変われど、「無難」が列をなして行進しているのである。
何を訳しても「無難」なのである。
ちょっとがっくり来てしまった。
もちろん、そのときは二年目だったということもある。いまはそのころより多少はうまくなっているはずである。それにしても、それが必ずしも技術とばかりはいえない、文章そのものの持ち味であるとしたらどうなのだろう。わたしの持ち味、というのは、もしかしたら「無難」ということなのだろうか。実際、「文章のうまさで読ませる」とか、「訳が際だつ」とか、「非常に洗練された訳文」、「日本語として完成度が高い」という評価を得ている人が、必ずほかにいるのだ。
ところが見ているうちに気がついた。文学作品で「際だつ」と評価されている人が、科学エッセイでは「語彙が不適切」であったり、科学エッセイで「日本語として完成度が高い」人が、報道の翻訳では「作文している箇所が見られる」とあったり、必ずしも評価が一定していないのである。
常に無難、ということは、もしかしたら低値安定、ということなのかもしれない。オールラウンドに無難(笑)というのも、一種の能力と言えなくもないのではあるまいか。
とくに文章がうまいわけでもない。とくに英語の能力が高いわけでもない。完成度の高い日本語が書けるわけでもなく、洗練されているわけでもないわたしの訳文は、下調べと、書き手に寄り添おうとする気持ちと、おそらく「無難」なわたしの文章の持ち味によるところのものだったのだろう。
無難、というと、どうしたって褒め言葉にはならないけれど、難が無い、ということでもあるわけで、可もなく不可もなく、ではあっても、それはそれで悪いものではないはずだ。
なんというか、際だったところがない、というのは悲しいものだけれど、それが自分の持ち味ならば仕方があるまい、とも思うのだ。
わたし自身、もしかしたら「無難」な人間なのかもしれない。
……。
なんとなく思い当たる節がなくもないのである。
2005-12-07 :スーパーのサスペンス
近所のスーパーでは、買い物をすると、五百円ごとにレジでスタンプを押してくれる。最近の多くの店で見受けられるような、磁気カードに記録していくような結構なものではなく、その昔、ラジオ体操の出席カードにはんこを押してくれたように、レジの人が判子を押してくれるのだ。
だが、この判子、結構微妙なのである。
864円、買い物をしたとする。これはまず、だれでも判子はひとつだけだ。
2985円、買い物をしたとする。これは非常に多くのケースで6個、判子がもらえる。
ならば1486円はどうか。この額のあたりというのは人によってばらつきがある領域なのだ。三個押してくれる人もあれば、二個だけの人もいる。傾向のようなものがあって、多めに押してくれる人は、決まってポンポンポンと気前よく押してくれるし、パンクチュアルな人は、ほぼ間違いなく、ポンポン、と二個だけだ。
自分のふところが傷むわけではないんだから、多少のおまけはしてくれても良いのではないだろうか、とわたしはいつも思うのだけれど、まぁあまり勝手なことを言っても始まらない。レジに表示された953、という数字を見ながら、二個、二個、と念を送るのみである(笑)。
しわい人というのが確かにいて、そのおばさんはいかにもやる気がなさそうで、ほんとうに困ってしまうのだ。一度など、四百三十五円のおつりのところを、百円玉がないから、と、五十円玉を八枚よこしたぐらいだ。百円玉のストックがスーパーになかった、なんて考えがたいし、常時余分にレジのなかには入っているのではあるまいか。単に新しい包みを開けるのが、面倒くさかったにちがいない。以来、その人がレジにいると、そこは避けるようにしている。バーコードの読みとりも、雑にやっているので、失敗が多く、その人のところだけ、客が捌けない、というのもよく見かける光景だ。それだけ雑なのに、判子に関してだけは、やたらパンクチュアルで、五十円玉のお釣り事件の前、一度1497円買い物をして、判子が二個だけだったことがある(ここまで覚えているわたしは、単にせこいだけか?)。
ただ、この人よりもっと苦手なのが、アパートの同じ並び、数軒先に住む人なのだ。そこの家の子に、宿題の英語を一度教えてあげたことがあるし、わざとらしく避けるのもなんとなく変なので、その人がレジにいると、そこに並んだりもするのだけれど、いつも「三個押しときましたから〜」といった具合に、微妙に恩を着せられてしまう。そういうのはめんどくさいなぁ、と思ってしまうのだ。こんなことなら、パンクチュアルにやってもらったほうが気がラク、というような気もする。
期限は一ヶ月で、このスタンプカードがいっぱいになると、少額の商品券がもらえる。ところがわたしの買い物額というのが、毎月、実に微妙なところなのだ。なんとかいっぱいにしようと、ほかの店にも寄らず、せっせとその店で買い物をするようになって、これはまさに店の思うつぼだ、と思いつつ、精算時に、微妙な額だと、ドキドキしながらレジの人の手元をみつめてしまうわたしなのだった。
2005-12-06:雪の日の思い出
朝、非常階段を下りようとして、そこから見える北西の山が雪をかぶっているのに気がついた。寒いはずだ、あちらのほうは雪がふったのだ。
いまわたしの住んでいる地域では、年内に雪が降ることはまずない。
子供時代を過ごした都内でも、雪が降るのは年が明けてから、という感覚だったような気がする。
大学に入って初めての冬、12月1日に初雪が降ったのをいまでも覚えている。
地下鉄の階段をあがって外に出たら、暗い空から、湿った大きな雪が、ぼたぼたと落ちていたのだ。
暗いなか、雪はぼぉっと浮かび上がり、「おもてはへんにあかるいのだ」という宮沢賢治の詩の一節が浮かんでくる。
湿った雪は、身体にふれるとたちまち溶け、着ていたパーカーはあっというまにべしょべしょになった。粉雪ではない、こんな雪を見るのもめずらしく、おまけに12月に入ったと思ったら、さっそく雪が降るのだな、と思うと、なんだか大変なところに来たような気がして、なんとなくまた、胸の内に重しが加わったように思った。
最初のころは、同じ出身校や同郷の人間とも、親しく行き来していた。自宅から通える大学はたくさんあるのに、わざわざ関西まで来たのはどうしてか、といった話をしたり、「自分、田舎はどこやの?」と言われてカチンときた、「かまきり」だの「おにぎり」だのの発音がおかしいと嗤われた(関東人からみれば、おかしいのはそっちだ)と腹を立て、都内のどこそこの店は行ったことがあるか、どこそこの何は食べたことがあるか、と、ローカルな話題で盛り上がってもいたのだが、後期に入るようになると、それも間遠になっていった。新しい関係を積極的に求めることもしないでいると、気がつけば、一週間以上、まともに人と話もしていなかったりもした。
雪の中、息を蒸気機関車のようにわざと、はっ、はっ、と吐きながら、ウォークマンから聞こえてくるジャズ・メッセンジャーズの“モーニン”に合わせて、ざっくざっくと歩いていった。暗い中、橋を渡っていくと、川面から骨までしみ通るような冷たい風が吹き付けた。遠くの山が白くまだらになっている。白々と明るいコンビニの隣りに、うっそうと暗い町家が並んでいた。通りの向こうではヒールの高いブーツを履いた女の人と、お坊さんがすれ違う。こうやって、歩きながら、一歩、一歩、わたしはこの見知らぬ街を知っていくのだ、と思った。
2005-12-03:ユタ州に行った似顔絵
今日、駅から出たところで、背の高いスーツ姿のふたりぐみのお兄ちゃんに声をかけられました。若い、純朴そうな顔をしたアメリカ人。そうです、モルモンズです。
「英会話を教会でやってます。習いに来てください」とチラシをくれようとしたので、
「あー、わたし、英語、わかんないんですよー」と言って、とっとと帰ってきました。いや、ほんと、教会に習いに行ったほうがいいかもしれないんですが(笑)。
モルモン教徒といえば、その昔、こんな経験があります。
高校時代、冬休みに友だちが「ウチ、いま親いないから遊びにおいでよ」と電話をくれたんです。
親には「Mちゃんちに勉強に行ってくる」と言って、家を出ました。
彼女の家にいくと、おどろいたことにリビングにそのスーツ姿のモルモンズがいるんです。
なんでも、布教に来たんだけど、宗教の話はしない、ということで、ピザをご馳走してあげることにしたんだ、と。
帰国子女で英語と日本語が同じくらいに話せるMちゃんは、せっせとピザを焼いていました。何も話すことがなければ、黙っていることにしているわたしは、本を広げて読み始めました。
そしたら、それは何の本? なんてことを聞いてくるわけです。そこでぼつぼつと話していたら、ピザをオーブンに入れたMちゃんが戻ってきて
"**は絵がとってもうまいのよ"みたいなことを言う。
じゃ、ぼくらも描いて、みたいな話になって、わたしも話すよりは絵を描いていた方がラクだったので、ひとりずつ、似顔絵をあげました。
十九歳と二十歳であること、大学在学中に、必ず二年間、外国で布教活動をしなければならないこと。ひとりのお兄ちゃんは、大学を卒業したら、一般の企業に就職するつもりだ、と言っていましたが、もうひとりのお兄ちゃんは、聖職者になろうかと、いま迷っている、みたいなことを言っていました。
そのほかにも、ユタ州のハイスクールでも、プロム(高校のダンスパーティ)があるの、とか、当時流行っていたマドンナの話とか、わたしが持ってきた数学の参考書を見て、わー、こんなむずかしいのやってるんだ、とか、ごくふつうの高校〜大学生の話をしました。
すると、ひとりのお兄ちゃん(就職すると言った方)は、わたしの描き終えた絵に、髪の毛を書き加え始めたのです。クルーカットの短い髪は、おそらく伸ばすこともできないのでしょう。わたしのたいして似てもいない「似顔絵」でも、どうなっているのか、見てみたかったのだと思います。
納得したのか、自分が描き加えた肩までの髪の毛を、消しゴムで消して、わたしに、もういちど描き直して、と言いました。厚かましいヤツだなー、とは思ったけれど、まぁいいや、と、特別サービスで、もういちど描いてあげました。
Mちゃんの家でピザを食べ、コーラを飲み(カフェイン飲料、良かったのだろうか?)、ああだこうだくっちゃべって、おそらく教会の方は布教で廻っていた、ということにしているのでしょう、なんだか街頭で見かける、笑顔を貼り付けた感じのモルモンズではない、そこらへんのふつうのお兄ちゃんのような感じで、ああだこうだおしゃべりして、そうしてわたしの描いた似顔絵を、ふたりともフォルダーのなかに納めて帰っていきました。
わたしは絶対にそういうことはできないので、Mちゃんがいなければあり得なかった体験だったと思います。
おそらくもうモルモンズと話をすることもないと思うんだけど。
わたしの描いたへたくそな似顔絵、ユタ州にいったんでしょうか。
2005-12-02:英語のレトリック
いま、たまたまレトリックの本を何冊か読んでいるのだけれど、つくづく英語のイディオムというのは一種のレトリックだなと思う。
たとえば、わたしはいまでもよく覚えているのだけれど、昔
"You are barking up the wrong tree."と言われたことがあった。
「ちがう木を見上げて吠えてるんだよ」、つまり、お門違い、ということなのだけれど、わたしはこの言葉を聞いたときに、木を見上げてわんわん吠えている犬が脳裏に浮かんでしまった。
もちろん「お門違い」という言葉を聞いても、わたしたちは門を間違えて入っていってしまう人の姿が浮かんできたりはしない。
あるいは「捕らぬ狸の皮算用」と聞いたって、タヌキの皮もソロバンも頭には浮かんでこないけれど、
"Don't count your chickens before they hatch."(タマゴが孵化する前にヒヨコの数を数えるな)と言われたら、やっぱりタマゴとヒヨコが浮かんできてしまう。
つまり、「呑み込む」にしても、「把握する」にしても、実に多くの言葉が比喩表現がもとになっているのだけれど、わたしたちはそれをモハヤ比喩とも思わないように、「黒山の人だかり」とか「枯れ木も山のにぎわい」とか、言葉そのものの意味とは無関係に、レトリックとしてそれらの言葉を使っているのだ。
ところが英語となると、母国語ではないだけに、まず語の文字通りの意味が頭に浮かんできてしまう。
わたしが好きな表現に
"You let the cat out of the bag."(ネコをカバンから出しちゃったよ)というのがあって、カバンを開けたとたんに勢いよく飛び出してくるネコをイメージしてしまうのだけれど、これは秘密を漏らしてしまう、ということだ。
なんでネコが出てきたら秘密がばれちゃうんだろう? わたしにはわからない。
ネコが出てきたのなら、犬も。
"Your plan will go to the dogs."(その計画はたぶんうまくいかないよ)
ただ、この表現を初めて知ったのは、ポール・セローの"My Secret History"のなかで、型破りな神父が
"Let me tell you when you go to the dogs. Think of it --the dogs!"
と説教をする。日本語にすると、「人間が堕落したらどうなるか教えてあげよう、考えてもごらん……」という感じ。ただしそのあとに"the dogs"とことさら犬を強調するものだから、主人公の少年も自分の叔父さんが飼っている二匹のコッカ・スパニエルを想像して笑ってしまう。
わたしもこれ一発でこの表現を覚えて、使えるチャンスがあったときに意気揚々として使ってみたら、「この子はものすごく英語ができる!」ということになってしまって、実は全然そんなことがなかったものだから、大変な目に遭ったのだった。
中勘助の短編に『犬』というのがあるのだけれど、とにかくインドのバラモンのお坊さんが、呪術で思いを募らせる女性と自分をともに犬に変えて、その女の犬に自分が食い殺される、という『銀の匙』の作者とは信じられないような強烈な話で、それとこのgo to the dogsは抜きがたく結びついてしまっている。だから、なんで犬になっちゃうと堕落するんだろう、とは不思議と疑問には感じない(この中勘助の話にも、たぶん典拠があるんだろうな)。
"I'm burning a hole in my pocket."(ポケットを焦がして穴を開けちゃった)
これは割とイメージが湧きやすいと思うのだけれどどうでしょう。
懐が暖かい、ということなんですね。暖かい、というより、アッチッチ、なんだけど。こういうことを言ってくれる人は、"I'll treat you."と言って、おごってくれるはずです。
じゃ、これは?
"I paid through the nose."(鼻を通して払った)
これは日本語だと目玉になる。目玉が飛び出るほどの値段、ということだ。なんとなく、わからなくはない、というか、何か痛そう……。
"It struck close to home for me."(家の近くを打った)
これは「痛いところを突く」感じ。身につまされた、というときも使う。やっぱり胸が痛いっていうのは、比喩なんだろうか。でもやっぱり実際に痛みを感じますよね。
ところでわたしが全然わからないのは"face the music"
感じとしては、"I've got to face the music."(音楽に向き合わなくちゃ)というふうに使うんだけれど、「身から出たさびだから、仕方がない、と甘んじて受け入れる」なのだ。音楽に向き合うと楽しいんじゃないかな。なんで自分の落とし前をつけることになっちゃうんだろう。
なんでなんだろう。どこから来たんだろう、と昔から考えているのだけれど、ちっともわからない。
ところでDream Theaterの追加公演が新聞の広告に出ていた。1.15、これも日曜、おまけにセンター試験の一週間前じゃん。行けるわけがない。これも"face the music"なんだろうか。レトリックじゃなくて、文字通り聞いていたら手に汗をかいちゃうような"panic attack"、うーん、これだけでもナマで聞いてみたいんだけどなー。
"I can't have my cake and eat it too."(ケーキを食べたい、だけど食べたら持っていることはできなくなってしまう→ディレンマです)
明日には、なんとかサイト更新できると思います。
I'm keeping my nose to the grindstone.(ずっと砥石に鼻をくっつけてるところ→いまあくせく書いてるところです)
2005-11-30:プリンタとインク
プリンタのインクというのは、どうしてあんなに早くなくなるのだろう。あんまりあっけなくなってしまうので、ちょっと印刷を控えでもしたなら、こんどはインクが目詰まりを起こして、ヘッドクリーニングが必要になってしまう。ところがこのクリーニングがまた、えらくインクを食うというシロモノなのだ。
おまけにこのプリンタのインクが高い。しょっちゅうなくなる黒などは、一瞬、カートリッジのなかに墨汁を入れてみたい誘惑にかられるのだが、いまのところ理性の働きによって(ほんまか)なんとか入れずにすませている。
わたしが父親から強奪していまも使っているパーカーの万年筆、これはカートリッジではなくコンバータタイプのもので、ビンから注入するとき不器用なわたしはいつも手をインクだらけにしてしまうのだけれど、この手間を考えても、カートリッジのスペアインクに較べれば、ビン入りのインクはずいぶんお買い得のように思える。プリンタのカートリッジもこんなふうにインクを注入できたら、いちいち買いに行かずにすむ。
事実、インク・カートリッジはそこらへんのスーパーやドラッグストアやコンビニにあるものではなく、夜中に四十枚の原稿を印刷しようとして、祈るような気持ちで点滅するプリンタを見つめていると、三十八枚目の途中で赤いボタンに切り替わり、紙が半分だけはいったところで立ち往生、なんていうのは、悲惨以外のなにものでもない(実話)。
おまけに交換しようと取り出した、この使用済みカートリッジ、分別ゴミのカテゴリーではどこに入れたらいいか、また頭を悩ませなくてはならない。市役所からもらったゴミカレンダーには書いてないし、リサイクルボックスは家電量販店ならあるけれど、そこへ持っていくのをいつも忘れ、とりあえずスーパーの袋に入れてシンクの下にしまっておくと、それがどんどん増えていく、ということになってしまう(これも実話)。
ほんとうにインク注入式ならどんなに助かるだろう。
プリンタのインク・カートリッジが高いのは、プリンタ本体の価格を下げるためのやむを得ない措置なのだ、という話を聞いたとき、なんだかなぁ、と思った。これではまるで無限に続くローンを気がつかないうちに組まされたようなものではないか。いくらプリンタがあっても、インクがなければタダの箱なのだ。小学生ふうに言うならば、「卑怯!」というところである。
それにしても、どうしてプリントアウトしなければならないのだろう。
原稿にしても、送信すればよいものがほとんどだし、かならずしもプリントアウトが必要なものはそれほど多くはないのだ。にもかかわらず、文章の推敲をするときも、事務連絡ではない、ちゃんと読みたいメールでも、あるいはWeb上の文章でも、どうもわたしはプリントアウトせずにはおれないようなのだ。ブラウザ上で十分なはずなのに。どうもそれでは落ち着かないし、どこか不安だ。
これで思い出すのが、ウチの母親だ。わたしが実家にいるころだから、もうずいぶん前の話なのだけれど、あるとき、このファックスは壊れている、という。じゃ、わたしがやってみるよ、と送信してみると、つつがなく送れる。大丈夫だよ。壊れてないよ。
「だって、わたしが書いた紙がこっちに残っているじゃない」
わたしは頭を抱えた。この人は、この紙が電話機の中を通って、さらに電線の中を通って、相手の家に届くと思っているのだろうか……。
確かに「郵便の早いの」と思っていたら、紙が相手の下に行かないというのは、不安なことなのかもしれない。
それを思うと、つい、なんでもかんでもプリントアウトし、それをファイルに納めて安心しているわたしは、母親のことを笑えない、というか、この母にしてこの娘あり、ということなのだろうか。
けれども、メールにしても、実際にどんなふうに届いているのか、わかるわけではない。pdf.の添付ファイルなら届くわたしのメーラーに、一太郎の添付ファイルが来たとき、メーラーは「危険な添付ファイルが来たぞ」とばかり、勝手に弾いてしまったことがある。
そういうときの弾かれたファイルは、いったいどこに行ってしまうのだろう。「電子の海の藻屑と消えてしまった」と言ってしまうのだけれど、ほんとうにそんなものがあるわけではない。日高敏隆の言葉を借りれば「イリュージョン」、目には見えないけれど、概念によって構築される世界なのだ。そうしてすぐ目詰まりを起こすプリンタのノズルが、イリュージョンの世界を目に見えるものに変換する、一種の魔法の装置なのだろう。
ところで最近の音楽配信システムというのを、わたしはまだ利用したことがない。何か、CDという実体がないものを購入する、というのが、どうも不安なのだ。ハードディスクはある日突然、おぞましい音を立ててクラッシュする(※「電脳的非日常」参照)。そうなると、一切のデータは消失する。電子の海の藻屑と消えてしまうのだ。
やはり大切なものは「モノ」として、手元に置いておきたい。その手触りを確かめてみたいのだ。
これは、わたしだけの感覚ではないだろう、と思う。だから、インク・カートリッジがどんなにクソ高くても、売れるのだ。
重要なのは、その時々に必ずなんらかの認識があったということである。その認識はその後改められ、変化しているから、人びとが信じていたのはひとつのイリュージョンにすぎなかったということになろう。けれど、それなしに、その人びとの世界は構築され得なかったのである。
日高敏隆 『動物と人間の世界認識』筑摩書房
2005-11-19:鉛筆の話
いつのまにかどんなメモ書きでも、文章を作るときは、まずパソコンを起動させるようなヘビー・ユーザーになってしまったのだけれど、本を読むときは、鉛筆書きでノートを作っていく。このノートは覚え書き、というか、道筋を作るためのものだから、文章のところもあれば、箇条書きもあり、ところどころ図が混じっていたりする。
もちろん鉛筆はかならずステッドラーを使う。一本130円で、どこにでも打っているわけではないのだけれど、固さといい、書き心地といい、これに慣れてしまうと、ほかのエンピツはちょっと使いたくなくなる。
ステッドラーを使い始めたのは、高校時代、絵を習いに行くようになってからだ。そこでまず最初に渡されたのが、この鉛筆だった。
青いボディ、先は黒で、青と黒の境に白い線が一本入っている。機能的な、美しいデザインだと思った。
それまで鉛筆といったら、母親が安売りの時に大量に買ってくるアズキ色のユニで、削るときはジャーッと電動鉛筆削りに突っ込むだけ。それも小学校も高学年ぐらいからは、ずっとシャープペンシルばかり使っていた。
美術教室で最初に教わったのが、小刀で鉛筆を削ることだった。エンピツを削るどころが、小刀を持つことさえ初めてで、元々不器用だったわたしはたいそう苦労した。小刀はこわいくらいによく切れ、鉛筆に刃を当てると、吸い込まれるように中に刃先が食い込んでいく。刃を倒して、斜めに削っていく力の加減がむずかしかった。二ヶ月ぐらい、鉛筆を削っては、直線を引く、というのを繰り返した。
そのうち、鉛筆もなんとかうまく削れるようになった。鉛筆削りに突っ込んだときのように、円錐形に先端を尖らせるばかりではない。芯だけを長く残す削りかたや、先をぎりぎりまで、針の先のように尖らせるコツを、少しずつ身につけていった。鉛筆を削っていくときの、木の匂いも好きだった。そこではみんなが削った削り屑を集めて、小さな皿の中で燃やしていた。テレピン油やペインティングオイルなどの胸の悪くなるような臭いのなかで、その木くずの燃える香ばしい匂いが立ちのぼってくると、なんともいえず、良い心持ちになるのだった。
よくドローイングというと、4Bとか6Bとかの、芯の太い、柔らかい鉛筆を使うと思われがちだけれど、普段のデッサンで使うのはHBから2Hぐらいの、どちらかというと固めのものだ。このほうが手の延長上にある道具として、別の言い方をすれば、手の運動を伝える道具としての鉛筆として、使いやすいのだ。むしろ柔らかくなればなるほど、手首の力の抜きかたや肘や腕の使い方はむずかしくなる。鉛筆のスタンダードの固さがHBであることも、意味がないわけではないのだ。
インクで書いたものは、退色しやすいし、日にさらしていれば、そのうち読めなくなる。けれど鉛筆は、こすれることはあっても、退色するということはない。その当時のスケッチブックがいまでも残っているけれど、昨日描いた、といってもよいほどの、生々しい線だ。レポートなどが鉛筆書きは不可、となっている理由に、こすれる、薄くなる、と書いてあるけれど、むしろ消して書き換えることが容易であることや、非公式、略式である、といったイメージによるためではないだろうか。そんなにカンタンにこすれて読めなくなるのなら、センター試験など、大変なことになる。
絵を描かなくなって久しいけれど、未だにステッドラーは画材屋か東急ハンズに行って一ダースずつ買ってくる。鉛筆を削るのは、もちろん小刀だ。さすがに削り屑を集めて燃やすことはしないけれど、木くずの一片を手にとって鼻に当ててみると、やはりそれは木の匂いで、ステッドラーが製造されたドイツの、鉛筆になる前の木の姿を想像したりする。
2005-11-18 :冷蔵庫的備忘録
うちの冷蔵庫の前には寸分の隙もなく、というか、重なり合って層をなす、さまざまなメモが磁石で留めてある。この間、足りなくなったので、百均で新たに六個入りを買ってきたのだが、それもすっかり使い切ってしまった。つまり、冷蔵庫のドアには、二十個あまりの磁石が貼り付けてある、ということである。冷蔵庫が肩こりなら、ずいぶんありがたいと思ってくれているにちがいない。貼ってあるコンテンツはざっと以下のようなものである。
- ・メインコンテンツとしての場所を取るカレンダー
わたしは白川静の『漢字暦』が好きで、毎年これを楽しみに買っているのだけれど、もちろんそれは見る、というか、読むためのカレンダーでこんなところには貼っていない。
冷蔵庫に貼ってあるのはB5サイズのスケジュール書き込み式カレンダーなのだけれど、ペンでびっしりと書き込みがしてあって、読もうと思えば顔を近づけて、ときには矢印の先をたどっていかなければならず、たまに隣のメモにまでそれが越境している。基本的に仕事の予定と病院の予約以外は書き込まないことに決めているのだ。つまり、最優先事項ということだ。それでも、なんだかんだと月も半ばになると、字とキャプションで埋まってしまう。なんだか重要人物みたいだが、書いてあるのは「←郵便局振り込み」というような、パシリのような内容がほとんどである。
- ・ゴミカレンダー
さすがにゴミの日は覚えているけれど、細かい分別がわからないとき、参考になる。たとえば乾電池は何ゴミだっけ、スプレーはどうやって出すんだっけ、というときにそれを見るが、このゴミカレンダーは大きいので、その上にいっぱい小さなメモが重なってしまう。そういうときには、ここらへんか、とアタリをつけて、メモの下をのぞきこまなければならない。
- ・アパートのおしらせ
共有部分の工事や断水のお知らせなど、毎月来るたびに貼っているのだが、いま見てみたら九月のまま、「残暑厳しい折」という書き出しで始まっている。十月、十一月と、なぜ新しいお知らせが貼ってないのか(来ていないということは、まず考えられない)わたしにはその理由はわからない。
- ・クリップで留めた病院のレシート
これは医療控除を受けるために取っているのだが、こんなところへ置いておかずに、ちゃんと封筒にでもしまっておかなければならないのだ。そう思いながら時間がなくて、つい、もらってくるたびにここにはさんで、そのたびに、封筒にでもしまっておかなければ……、と思っている。そのうちレシートの重さで、磁石が滑り落ちるようになるまでには、なんとか片づけたいものだ。
- ・クリーニング屋の引換券が四枚
実は、帰りに取ってこよう、と考えて、持っていくのを忘れるために溜まっていくのだ。夏物のワンピース、というのも貼ってあるが、もちろんとっくにタンスにしまってある。
- ・図書館の貸し出し記録が五枚
一週間に二回は行って、そのたびに借りたり、延長したりしているので、いったいどれがいま手元にあるか、この記録を見ても絶対にわからない。
- ・マケドニアとシンガポールのポストカード
目に入るたび、マケドニアと言わない、もっと近くでいいから、あー、どっか行きたい、と思う。
- ・キース・ヘリングのバースデーカード
ろくろっ首のミッキーマウスが楽しい。
- ・ピザの割引チケット
期限切れ。考えてみたら宅配ピザなんて一年以上注文してない。
- ・銀のエンジェル
これは半年くらい前に、森永チョコボールをもらって開けたら、銀のエンジェルが出てきた(スゴイでしょ)。うれしくなって、記念に冷蔵庫の前に貼っておいた。
・土井晩翠の詩のプリントアウト(就職記念)
・単四乾電池を買う、と書いたメモ(この間、閉店間際にかけこんで買った)
・換気扇の掃除、と書いたメモ(まだやってない)
- ・価格の比較と調査(ヨドバシ)と書いたメモ
いったい何を比較しようと思ったのだろう……。
- ・使用済みカートリッジを持っていく(ヨドバシor Sofmap)、と書いたメモ
これはプリンターのカートリッジを交換するたびに、持って行かなくちゃ、と思って溜めているのだが、もう十個以上溜まってしまって、シンクの下、ポリ袋に入って、邪魔でしょうがないのだけれど、出かけるときはなぜか絶対に思い出さない。
- ・毛布を繕うこと。
これは底の方からいま掘り出した。去年の春、毛布を洗って片づけるときに気がついたのだ。洗ったときはもう暑くなっていて、暑いさなかに毛布を繕うのが考えただけでイヤで、メモを書いておいたのを思い出した。ということは、寒くなったから毛布を出そうと思っていたのだが、その端っこがほころびている、ということだ。
……それはね、一日が三十時間くらいあったら、毛布を繕うこともできると思うの。冷蔵庫の前のピンナップを整理することも。
どう考えても、そんな時間は、逆立ちしても出てこない。
毛布、出すのやめようかな……。
※ちなみに『漢字暦』というのはこれ。→
月ごとに漢字を取り上げ、その字源が紹介されている。11月だったら「文」という字がテーマ。
文:「文」とは、慶弔のときに顔や胸などに加えられる呪飾(まじないの文様)で、これによって人は聖化され、死者の霊は永生を獲得するのである。すなわちそれは新しい世界への加入の儀礼である。
というように、その文字の説明がなされている。ほんとうにこれは読んでいて楽しい。来年も買おう。忘れないようにメモして冷蔵庫に貼っておかなくちゃ。[戻る]
2005-11-15:今日の疑問 ――福助増殖中
わたしの住んでいるところの近くにはクリーニング屋が多い。通り道にあるだけで、ちゃんと数えたことはないけれど、いま記憶をたどってみると、七軒、あるはずだ。それだけではなく、普段通らない道沿いにも何軒かあるから、クリーニング屋の密集地帯ともいえるのかもしれない。けれども、先にクリーニング屋と書いたけれど、正確には「取扱店」とでも言うべきで、そこのお店の奥で洗濯したり、アイロン掛けをしたりしているわけではない。店の奥にあるのは、さまざまな高さの手すりと棚だけ。よく界隈を走っている、脇に大きな字で名前を書いたクリーニング屋のバンから、どっさりおろされたプレスされたワイシャツや、スーツなんかが下がっているだけだ。
その七軒のうち、わたしが行ったことのあるのは、普段行きつけにしている一軒と、そこが休みのときにうっかり持っていって、洗濯物を抱えて電車に乗るわけにもいかず、その先の店に持っていったもう一軒だけだ。それだけあると、店の前に出ている料金表は大差ないのだけれど、やはり微妙に仕上げにも差があるし、やはり店の清潔さも(関係はないとはいえ)考慮に入れてしまう。ただ、一番好きなのは、もう潰れてしまった店だった。その店を仮にここでA店としておこう。
A店でよく店番をしているのは、お化粧の濃い、福助人形(※参考画像)そっくりのおばさんだった。
ある日のこと。そのA店に洗濯物を持っていった帰り、近所のスーパーに寄った。そこで、いましがた洗濯物を預けた福助人形が買い物をしているではないか! わたしはぎょっとした。もしかしてドッペルゲンガー!?
だが、よく見れば、髪型がちがう。A店にいた福助は、くりくりに巻いた髪型だったけれど、こちらの福助は、短髪にして、ぺったりと撫でつけている。やはり別人なのだ。それにしても、小太りの体型といい、特に、顔が気味が悪いほどそっくりだった。
クリーニング屋の福助Pと、短髪の福助Qには、その後、何度か顔を合わせた。福助Qの方は、どこかの仕事帰りらしく、いつも制服らしい紺色のうわっぱりみたいなものを着ていた。
わたしの特技に「双子を見分ける」という能力がある。
「双子の親は、よく間違えないなー」みたいなことを言う人がいるけれど、双子というのもいったん見分けがつくようになってしまえば、一度見つけたウォリーが、どんなに大勢の人の中にいようと、そこで叫んででもいるように、ページの中から浮き上がって見えてくるように、双子を取り違えることなんかはありえなくなる。そうして、これは一組の双子を見分けることができるようにさえなれば、トウィードル・ダムとトゥイードル・ディーだろうが、チップとデールだろうが、最初はわからなくても、比較的短期間で、確実にわかるようになる。応用が利くのだ。
わたしがこの能力を身につけたのは、知り合いに、双子の子供がいたことによる。
もちろん最初は全然見分けがつかなかった。
「うちは二卵性だから、全然顔がちがう」とお母さんは言うのだけれど、どう見ても同じ顔に見える。最初は服の色で何とか見分けをつけていたのだけれど、そのうち、徐々にちがいがわかるようになってきた。すごく似ているのだけれど、確かに、同じではない。そうして、いったん見分けがつくようになると、ほんとうに、見事なくらい、別々に見えてきて間違うこともなくなった。「全然違う」というのも、あながち誇張ではないのである。
以来、双子を何組かみかけたけれど、すぐに見分けがつくのを密かに得意に思ってきた。
ところが、この福助Pと福助Qは、同じに見えるのだ。
しばらく悩んだ(含嘘)。
クリーニング屋で聞いてみようかとさえ、思った。
そのうち、天啓のように閃いた。
眉と目が同じなのだ。
ほかのパーツは、けっこうちがっている。眉と目が、似ているのではなく、同じ形なのだ。
あれは何というのだろう、数年前、新聞の折り込みなんかに入っていた「絶対に消えないアイブロウ、アイライン」というやつ、実は入れ墨を眉と目の縁に入れるというあれだ。
つまり、当然のことながら、眉の入れ墨も、目の縁の入れ墨も、型というのがあるのだろう。その型に合わせて形を作っているから、当然同じ形になるのだ。
おそらくPとQは同じところで処置してもらったのだ。
そのうち、先ほども言ったように、クリーニング屋Aは潰れてしまった。福助Qとはときどきスーパーで顔を合わせるけれど、福助Pとはもう会うこともなくなった。
ところが、最近、わたしが新しく行きつけにしていたクリーニング屋の受付のおばさんが変わった。福助人形そっくりの、小太りの、化粧の濃いおばさんなのだ。
このおばさん、福助Pなんだろうか。
それとも新規福助Rなんだろうか。
同じにも思えるし、ちがうようにも思えるのだ。
このおばさんは、パーマをかっちり当て、スプレーもしっかりしています、という、新たな髪型である。
謎は深まるのである。
2005-11-10:英語は泪かため息か
わたしはほんとうに英語ができない。
翻訳なんかやっておいて、こんなことを言うのは、嫌みか謙遜に聞こえるのかもしれないのだけれど、ほんとうにできないのだからしょうがない。
今日の訳でヘンなところにアタリスクが入っているのは、昨日この文章↓
And there is the truth, abundantly self-evident, that seems, now that I think of it, the one most elusive to the old in-laws, the parish priest, and to perfect strangers who are forever accosting me in barber-shops and cocktail parties and parent-teacher conferences, hell-bent or duty-bound to let me in on what it is they want done with them when they are dead.
がどうしてもわからなくて、結局、原文の区切れではないところで区切って、今日、そこから訳したから、原文の区切れのところにアタリスクを入れておいたのだ。今日も少し短いけれど、原文がそのようになっているのだから、勘弁してほしい。
上の文章も、最初"one"を人だと思い込んで、おっかしいなぁ、どこでどう繋がっていくんだ、とずいぶん悩んだのだけれど、なんのことはない、oneを「もの」「こと」と理解すれば、前からの文章に続いていくし、それほど頭を悩ませることもない。ほんとうにこんなことがわからないなんて、ほんとにできないなぁ、できる人だったら、こんなことすぐに気がつくんだろうなぁ、とつくづく悲しくなってしまう。
過去を顧みるに、はっきり言ってできたことがない。中学時代からぱっとしなくて、それでもできないなー、できないなー、と思いながら、どういうわけか縁が切れず、ほかの何よりも長続きしていることのひとつだ。
英文科に行ったのも、ただ、古文ができなかったからで、大学へ行ってからも、ほんとうに英語はずーっとできなかった。
こんなにできないのに、こんなことをやっていていいんだろうか、と思っているうちに、ここまで来てしまったのだからしょうがない。
相変わらずできないなー、と思いながら、これからも英語の文章を読み、英語の文章を書いていくんだろうと思う。
何かどこかで間違っているような気もするんだけど、それもまた"Se a Vida e,That's the way life is"(これが人生というものさ)ということなのだろう。
2005-11-09 :命名の秘密
言語学を勉強するとき、一番最初に習うのが、「言語の恣意性」ということだ。簡単に言ってしまえば、言葉と言葉が指し示すものとの間には、いかなる必然的・実存的結びつきもないということだ。
けれども人の名前は、かならず何らかの意図をこめてつけられる。小説など、まず登場人物の名前が、その人物を解き明かす鍵となっていることも多い。
ところが最近は、命名者の意図、つまり親の希望が判然としない子供の名前も、多々見受けられる。
だいたい路弐(ろに)だの麗良(れいら)だの、いったいどのような子供に育ってほしくてそういう名前をつけたのだろう。
だが、親の希望があまりに明らかなのも、子供にとってはしんどい話なのかもしれない。
思い出すのはわたしが三歳の頃。
天使幼稚園(仮名)の年少さんだったわたしのクラスに、某有名柔道家と同じ名前の男の子がいた。その子は入園してまもなく、こたつの上から飛び降りて、脚の骨を折り、四ヶ月ほど幼稚園を休み、治って幼稚園に通い出して二週間目に、今度は走っていて壁に激突して肘の骨を折った。その一年でそこの幼稚園から転園したわたしは、その柔道家と同姓同名の彼と、ほとんど顔を合わせることもなく別れてしまったのだが、なんと高校から、その彼がわたしのいた学校に入ってきたのだった。そこまで珍しい名前でなければ、覚えているはずもないが、わたしは即座に「あ、こたつの上から飛び降りて、脚の骨を折った○×△□君!」と挨拶したのだった。
彼は卒業するまで、「コッセツ」と呼ばれた。
2005-11-08 :このあいだ見た夢
だいたいわたしは大変寝起きが良くて、熟睡から覚めたら、推定二十秒後にはもう立ち上がっている(ちょっと前に、寝床の中でのびをしたら、ふくらはぎが攣ったので、怖くてもうのびさえしない)。
だから夢というのも、滅多に見ない。シュニッツラーの『夢奇譚』や夏目漱石の『夢十夜』だけでなく、夢の中で句作する芥川龍之介や、水銀の湖に血紅色の草を夢に見る寺田寅彦みたいに、世の中には豊かな色彩の夢を見ている人の話を聞くと、そういう夢と縁のない生活を送っている自分が、なんとなくわびしくも思えるのだけれど。
ところがそのわたしもつい先日、ものすごくひさしぶりに夢を見た。
その夢というのが、まぁ、なんともかとも……。
あまりにバカバカしくて、すっかり自分が情けなくなってしまった。
その話、聞きたいです?
ほんと、バカみたいなんだけど……。
実は今日はネタがないから……。
やめようかな……。
いや、なぜか夢のなかでDream Theaterのベーシスト、John Ro Myungと会う機会があったのだ。で、わたしは
"I am not sure how your name is pronounced, would you please tell me about it?"(あなたの名前の発音の仕方がわからないので、よろしければ教えてほしいのですが?)
と聞いて、そうしたら Myungさんはちゃんと教えてくれて、ああ、よかったなぁ、とたいそう喜んでいる、という夢だった……。
目が覚めて、考えた。
むろん、バカバカしい夢にはちがいない。
だが、夢なのだ。夢だから、目の前でベースを弾いてもらったって、長い髪をつかんで引っぱったって、腕を組んで町内一周したっていいわけだ。ところがわたしときたら、そんなくだらないことを聞いてしまう。さらに情けないことに、現実には間違ってもそんな機会なんてあるわけがないのだろうが、もし万が一にでもありでもしたら、わたしが聞くのはその質問以外にありえないような気がするのだ。
ああ、なんとくだらないことを聞いちゃうんだろう。
ほんとわたしって
ば っ か じ ゃ ね え ?
……念のために質問を考えておくべきかもしれない。