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鶏的思考的日常 ver.24〜夏草や 見てきたことも夢のあと 編〜



2008-07-13:消臭剤が消そうとするもの

いまではドラッグストアに行くと、種類も様々な消臭剤が棚一面を占めるまでになった。よその家の玄関を開けると、最初に気がつくのがその家独特の「におい」なのだが、最近ではそれが玄関先の芳香剤であることも少なくないように思う。それでもどこも同じかというと決してそんなことはなく、やはり奥からは、その家独自のにおいが漂ってきて、たとえ同じ「キンモクセイの香り」を使っていても、玄関先のにおいは、それぞれに異なっている。新しく登場したカーテンやソファにスプレーするタイプの消臭剤は、そういうにおいさえ消してしまおうとしているのだろうか。

アメリカ人がみんなそうかどうかはよく知らないのだけれど、わたしの知っているアメリカ人は、男性も女性も、どういうわけか大量のコロンをふりかけていた。会ってハグでもされたことなら、こちらの服にまでそのにおいが移って、一日中それが消えない。まるで一日中その相手と一緒にいるようなもので、においがしているというのは、その人間のことをつねに思いだしてしまうということなのだなあ、と思ったものだった。一度、何を使ってるの? と聞いて教えてもらった「イヴ・サンローランのクーロスのトワレ」は、未だにそのにおいを覚えている。たまに同じクーロスを使っている人とすれちがうたび、その人のことを思いだす(わざわざ思い出さなければならないような関係では全然なかったのだが)。

ただ、こうした香水系のにおいは、知らない人にとっては、単なる異臭なのかもしれない。以前、食事に行った先で、ウェイトレスの女性がアラミスのコロンを使っていて、食事をする場で働くにしてはにおいがきついな、と思っていたら、一緒に食事をしていた相手が眉をひそめて「機械油の臭いがする」と言ったのだった。知識がなければアラミスだろうがなんだろうが「機械油」なのである。もっとも、夏の満員のエレヴェーターでプワゾンのにおいを嗅いだときには、ひといきれと混じり合って吐き気すら覚え、〈毒〉という名のちがう意味を「味わった」ものだったが。

インド人の近くに行くと、カレーの香辛料のにおいがするし、アラブ系の人の近くでも、あれは何のにおいなのだろう、それとはまたちがうスパイスのにおいを感じる。同じように日本人も、日本にいる日本人には気がつかないだけで、「日本人のにおい」がするのだろう。

学校はどこの学校へ行っても「学校のにおい」がするし、図書館も、市役所も独自のにおいを持っている。おかしいことに、アメリカの図書館も日本の図書館と同じにおいだ。
たとえふだんは忘れていても、「たとえば盆と春秋の悲願のころに、里にも野山にも充ち渡る線香の煙は、幼い者にまで眼に見えぬあの世を感じさせた」(柳田国男『明治大正史 世相篇』)という文章を読めば、お彼岸に行った墓地に漂う線香のにおいと、お寺の白壁を思いだす。

ろうそくのにおいが思いださせるのは教会の内部だ。ミサに参列した経験など数えるほどしかないのに、それも、いずれも十歳にならないころの記憶なのに、バースディ・ケーキに立てたろうそくに火をつけると思いだすのは、自分の誕生日の記憶ではなく、あの明るい教会の情景だ。

先に引いた柳田の文章はこう続いていく。

休みや人寄せの日の朝の庭を掃き清めた土の香というものは、妙にわれわれの心を晴がましゅうしたものであった。作業の方面においても、碓場・俵場の穀類の軽い埃には、口では現せない数々の慰安があり、厩の戸口で萎れていく朝草のにおいは、甘い昼寝の夢の連想が豊かではあったが、やはり何といっても雄弁なのは火と食物の香であった。冬の林で焚火をして居ると、旅人までが蛾のように寄って来る。

(柳田国男『明治大正史 世相篇』中公クラシックス)

このことは、たとえ自分には同じ経験がなくても、なんとなく想像がつく。そしてまた自分の経験とも混ざり合い、たとえば夏の朝、ラジオ体操に出かけた神社の境内のにおいや、昼寝から目覚めたときの、庭先のひまわりの太い茎と大きな葉のにおい、夕立のあとの校庭の土のにおい、といったものがよみがえってくる。

夕方、アパートに足を踏み入れると、各家庭からさまざまな夕餉の支度のにおいがただよってくるのを順繰りにたどっていくことになる。みそ汁のにおい、魚の煮付けのにおい。夏の週末になると、カレーのにおいがあちらからもこちらからも流れてきて、うちもその仲間に加わろうかな、と思ったりもする。

さらに柳田の続き。

飲食はこれにくらべるとはるかに外部の人には親しみ難いが、それだけにまたわれわれをして孤独を感ぜしめ、家への路を急がしめる。無始の昔以来、人類をその産土につないでいた力はこれであった。
 鼻は要するにこの力を嗅ぐために具わるといってもよい。

おそらく「におい」というのは、人が生きるということなのだ。そのにおいは消えるものではないし、過去をよみがえらせるだけではなく、おそらく「いま」と「未来」をつなぐものでもあるように思う。

鶏頭




2008-07-12:友だちの話

他人の目というのはいい加減なもので、どういうわけか小さい頃から「活発」というレッテルを貼られていた。それも同じ年頃の子ではなく、大人の目からそう見えるらしかった。

実際のわたしは、といえば、自分の興味のある話は周囲の誰も興味がないし、人といるよりはひとりで本を読んでいた方がずっと良かったのだが、学校でも、休憩時間に教室や図書館で本を読んでいると、どうして友だちと遊ばないの、と先生が聞いてくる。下手をすればそんなことぐらいで親が呼び出される。そのあと、親からも、友だちがどれほど大切か、延々とお説教まで喰らうことになる。

仕方がないから、帰る方向が同じ子や、たまたま同じ班になった子、席が隣になった子と「友だち」になった。自分が話したい話をすると、たいてい相手はあからさまにいやな顔をするので、いつも相手の話を聞いていた。適当に相づちを打って、話を整理してあげると、相手は喜んで「親友」と呼んでくれたりして、それはそれで楽しくないわけではなかった。

それでも、相手に合わせているという感じはぬぐえず、ひとりになるとホッとした。そんなふうに感じる自分が、ひどく欺瞞的(という言葉は当時は知らなかったが、のちにこの言葉を知ったとき、「自分のことだ」とドキッとした)で、人前で「良い人間」を演じているような気がして、いやでたまらなかった。だからよけいに、こんなわたしでも受け入れてくれる相手は大切にした。どこかで「友だちはいなくてはならないもの」という固定観念もあった。

自分はだれともちがうという自意識と、自己嫌悪のあいだを行ったり来たりする、おそらくその意味ではむしろ平凡だった十代二十代を過ぎて、学生時代を終えてしまえば、日常的に接する「友だち・知人」の絶対数が一気に減ることになる。ところが、そうなってくると、これまで意識されなかった人びととの関係ができてくるようになった。職場、近所や地域、自分が責任を負ったり、何らかの役目を果たすことが求められたり。その責任や役割に付随して、それぞれの相手と「関係」を築いていかなければならなくなる。

それまで、わたしは「自分」−「他人」という世界に生きてきて、それではよくないから、「他人」のなかに「友だち」というカテゴリーを作って、なんとかそういう人と関係を絶やさないように苦労してきたわけだ。けれども、役職や近隣という、責任や役割主導の関係は、別にその相手と関係を持ちたいわけではない。それでも、そういう関係を、否応なく築いていかなければならない相手と、責任や役割を媒介としながら関係を続けていくうち、こちらが自然にありがたいと思えるような出来事に遭遇したこともあったし、感謝されたりすることもあった。誤解もあれば、いやな思いをしたこともあるが、そういうことを通して、世の中には、「他人」と「友だち」だけではなく、さまざまな人がいて、さまざまな関係を自分が築いていかなければ社会生活が営めないのだ、ということを理解するようになったのである。

わたしには、いま、さまざまなレベルで自分が責任を負っている人びとがいる。会って話をすることを楽しみにしている人もいる。その人から学びたいと思う人もいれば、何をおいても元気でいてくれるだけでいい、と思う人もいる。

それが「友だち」なのか、「知人」なのか、相手は自分のことをどう思っているのか、そんなことはどうでもよくなってしまった。
これが成長ということなら、わたしは成長によって、少し、自由になったような気がする。

他の面でも、こんなふうに経験を重ねるだけで成長できるものならば、ずいぶん助かったのだが。

鶏頭




2008-07-10:退屈ではない人たち

ひところインタビューを読むのが好きだった。アメリカ版の『プレイボーイ』はインタビューが充実していて、小さな活字で10ページほど、ずいぶん読みでのあるものだ。映画スターであれば、新しい映画の話題、撮影時の苦労とありきたりなことから話は始まっていっても、聞き手の誘導がうまいので、そこを切り口に、話はどんどん広がっていく。

当時、日本では雑誌といわず、ペーパーバックといわず、めっぽう高かったので、めったに買うことはできなかったのだが、数寄屋橋のアメリカン・ファーマシーで、人目を気にしながらよく立ち読みしたものだ。

そのころ読んで覚えているのは、トム・ハンクスやキース・リチャーズ、ロバート・デ・ニーロなどなど。トム・ハンクスが育った家の貧しさは衝撃的だったし(トレーラー・ハウスだったか、それとも家だったか忘れたが、テレビを見ていると、ガタンと音がして、自分の家の棚か何かが壊れる音がする、画面に映っているのは明るいきれいな部屋、ガタン、また何かが壊れる音、その差に頭がクラクラするような思いだった……)、キース・リチャーズは予想に違わずとっても変な人(笑)、シャロン・ストーンを読んだときは、「氷の微笑」で脚を何度も組み直している人は、こんなに頭が良くて、話のおもしろい人だったんだ、と驚いた記憶がある。

ところで、こういうところに出てくる映画スターの決まり文句は、「自分は(映画スターといっても)退屈な人間だ」というもので、わたしにはそれがひどく不思議だった。というのも、わたしの知る範囲では、「退屈な人間」というレッテルを貼られることを極端に恐れるのがアメリカ人、という印象を受けていたからだ。

自分には友だちがたくさんいる。
わたしにはやるべきことがたくさんある。
自分はこんなボランティア活動で余暇を過ごしている。
忙しく過ごし、豊かな人間関係を築いている自分は、退屈とは無縁だ……。

アメリカ人というのは、公式の場では、かならずこういうことを熱心にアピールするものだと思っていた。「彼は退屈な人」「あの子と話してると、退屈になってくるんだ」というのが最大の悪口、いったん「退屈」とみなされでもしたら、ああ、あの人ね……とばかりに、だれも近寄らなくなってしまう。まるでインフルエンザに感染したかのように、周囲から距離を置いた扱いを受けるのだ。

ところが映画スターなど、退屈とは無縁の人生を送っているように見える人びとが、口々に自分の平凡さを訴える。それは自分の庶民性をアピールしたいというよりも、みんなが想像しているようなカラフルな生活なんかじゃない、役を離れれば、平凡でつまらない毎日を送っているのだ、と、その人の実感を語っているように思えた。

映画スターのいう「退屈」な生活というのがいったいどんなものなのか、わたしは全然知らないし、実際のところ興味もない。それでも「退屈な人間」とみなされることを恐れるアメリカ人は、映画スターにでもならなければ、その恐れから解放されないのだろうか、これもまたえらくしんどい話だなあ、と思ったのだ。

もうずいぶん少女マンガも読んでいないけれど、わたしが読んでいたころは、平凡でちょっとドジな女の子が、みんながあこがれの、バスケ部のエースとかの男の子が好きになり、どうせわたしなんて、と思っていたら、相手も自分のことが好きだった……という話が定番だったような気がする。主人公が人も振り返るほどの美人であるようなことは決してなく、たとえ才能があるにせよ、それは秘められたもので、作品の進行とともに徐々に明らかになっていく体のものである。しかも、どれだけある分野で非凡なものを持っていたとしても、ほかの面では相変わらず平凡でパッとしない女の子のままなのである。才色兼備、非の打ち所もないような女の子は決まって敵役、さえない主人公に最終的に敗北(恋愛もしくは特殊分野で)してしまう。どうやら少女マンガは「平凡でパッとしない」あなたでも、いつかそのうち、限られた場面ではあるけれど、かならず勝利者になれるんですよ、というメッセージを、手を換え品を換え送り出しているらしかった。

ところがアメリカの十代向けのドラマや映画を見ても、主人公の女の子は、たいてい美人で、しかも非常に優秀だ。優等生過ぎておもしろみに欠けるぶん、まわりには、ダメな友だちがあふれている。その子たちの引き起こす問題を解決してあげるのが主人公で、優秀なゆえの悩みを抱えていたり、家族のことで悩んだりすることはあっても、彼女たちは問題を起こさない。王子様に見初められるのではなく(ヨーロッパ旅行に行って、パリでステキな男の子に出会うことはあるが)、自分にふさわしい男の子を「獲得」する。パッとしない女の子は、その他大勢、せいぜいクラスメイト止まりだ。

しかも主人公たちは、両親が離婚したり、死別したりして何らかのトラブルを抱えてはいても、郊外の、ベッドルームがいくつもあるような大きな家に暮らしている。当然その子も、バスルームのある広い部屋を持っている。

どうやらこちらでは「勝者はすべてを手に入れる、だから勝者になれ」というメッセージを送りだしているようだ。「平凡でパッとしな」ければ、その他大勢で終わってしまうよ、と。

以前、英会話教室にいたころ、よくこんな場面を見た。講師の側が、「休みには何をしていた?」と聞く。それに対して日本人の生徒の多くは「特に何もしなかった」「ぼーっとしていた」「寝ていた」などという。講師になって日も浅いアメリカ人たちは、病気だったのか、具合が悪かったのか、と聞き直していたものだ。病気でもないのに、何もしないなんて信じられない。ほんとうは何かしていたはずだ、なぜそれを言いたくないのだろう、と聞かれたこともある。講師生活が長いアメリカ人から、日本人の謙虚さや恥じらいの意識が現れているのだろう、という解釈を聞かされたこともあれば、「退屈な生徒が多い」という感想を聞かされたこともあった。

おそらく「ぼーっとしていた」の中身は、実際に何もしないで壁に向かってじっとすわっていたのではないだろう。テレビを見たり、雑誌を読んだり、パソコンを開いたり、音楽を聴いたりと、とりたてて言うほどのものでもない、さまざまなことをしていたはずだ。わたしたちの日常会話は、ことさらに「何かをしていた」と言う必要を感じさせない、ということなのだろう。「退屈な人間」と思われたら大変、というプレッシャーがあれば、何とかそうでないことを証明するために、「○○をしていた」「そのあと××と会った」と報告しなければならない。だが、「平凡でパッとしな」くても大丈夫、と、少女マンガのみならず、わたしたち全員が感じいれば、「ぼーっとしていた」と答えても、全然問題にはならない(ただ、そのあとの「限られた場面ではあるけれど、かならず勝利者になれるんですよ」というメッセージに対しては、ちっともそうならないじゃないか、と不満を抱いている人は多そうだが)。

どちらが良い、悪いではなく、たぶん「退屈」の評価に見られる日米の差は、退屈をどうとらえているか、のみならず、人生観やあるべき理想像、さらには人と人との関係全般に渡って関わってくるものなのだろう。

いまのわたしは一仕事終えて、二週間ほどゆるーい生活を送っている。
何度も聞いたDream Theater にやっぱり魂を抜かれ、本を読み、洗濯物が早く乾くのに喜び、アイロンをかけたり部屋の掃除をしたり、少し念入りな食事を作ったりしている。あまり人にも会わず、おそらくアメリカ人からみたら、さぞかし「退屈な日」なのだろうが、なかなかいい日々だ。きっとわたしがおっそろしく退屈なせいだからなのだろうが、退屈な日は、わたしにはちっとも退屈ではないのである。

鶏頭




2008-07-08:「しろうるり」と「タコ」

『徒然草』の話はまだ続く。

一昨日書いた芋の好きなお坊さんの話というのは、確かめてみたら第六十段に出てきた。だが、この芋好きなお坊さんは、芋好きといって侮ってはいけないのである。「みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・辯舌、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども」というのだから、芋を大量に食べるスーパーマンのお坊さんバージョンというところだろうか(どうもイメージがひとつにまとまらないが)。

その芋を主食とするスーパーマンの盛親僧都、あるときほかのお坊さんに「しろうるり」というあだなをつけた。
「“しろうるり”とはいったい何だ?」と聞かれて「自分もそんなものは知らないが、もしあったらあいつの顔そっくりにちがいない」と答えたという。

「そんなものは知らない」ようなあだなを人につけるなよ、とも言いたくなってくるのだが、それでも「しろうるり」といことばを聞くだけで、色白でつるりとしたお坊さんの顔が浮かんでくる。

文学作品に出てくるあだなというと、なんといっても『坊っちゃん』だろうが、わたしは「うらなり」ということばを『坊っちゃん』で覚えた。「うらなり」がいったい何なのか、見たことがなくても、「大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだがこの男は蒼くふくれている」という描写だけでなく、「うらなり」という語感で、古賀先生のイメージはありありと思い描くことができたのだ。

「善男」とか「正」などという名前をもった悪党もいるだろうし、「美子」という名前の不美人もいるかもしれない。それゆえ、思いを込めてわが子に名前をつけたときの親心とは別に、私たちは、ふだん、人名の意味など無視して暮らしているし、人名が人物に似ている、似ていない、というような意識をいだくこともほとんどない。  ところが、不思議なことに、あだ名は人物に似ていることが多い。「タコ」さんはタコに、たしかに似ている。
 もちろん、「タコ」という文字や音ではなく、その意味しているものがその人物に似ているのだ。言いかえれば、隠喩は、名前と現物とを(直接的にではないが)間接的に類似させてしまう手法である。

(佐藤信夫『レトリックの記号論』講談社学術文庫)

ここで佐藤は「「タコ」という文字や音ではなく」と言っているのだが、あだなというのは、この「しろうるり」や「うらなり」の例にもあるように、映像的な要素だけでなく、音の要素が少なくないのではないか。

その昔「タコ」というあだなの女の子がいたが、その子はタコに似ていたわけではなく、名前がタカコだったから「タコ」と呼ばれていたのだ。けれどもこの「タコ」という音の持つ、軽くて明るくて屈託のない響きは、その子に実にぴったりとくるものだったのである。

名前というのは、音として聞くだけでなく、字面で目にすることも少なくない。ところがあだなはほとんど音で聞くものだ。だから名前よりも音との結びつきは深いはずだ。そう考えていくと、音の響きに類似性を聞き取ってもいいような気がする。

だが、もしその子がカヨコという名前で、「カコ」と呼ばれていたとしたら、やはりその子にぴったりだと思うだろう。「ア行」ではなく、リサコという名前で「リコ」と呼ばれていたとしても、やはり「ぴったり」と思うかもしれない。そう考えていくと、わたしたちの感じる「ぴったり」という感覚は、かなりいい加減なものなのだろうか。

「寅さん」に出てくる「タコ社長」というあだなが生き物のタコから来ていることは、タコ社長を演じている太宰久雄の姿形(というか、頭の形)を見ていればすぐわかる。わたしたちは「タコ社長」の本名(役名)が「桂梅太郎」だとは知らなくても(というか、知っている人の方が圧倒的に少ないだろう)、「タコ社長」というだけで誰のことを言っているかわかってしまう。

ところがタカコちゃんの「タコ」の方は、彼女の名前を知らず「タコ」とだけ聞いていても、誰のことかはわからない。ところが両方を知っていると、脳裏に生き物の「タコ」あるいは「タコ社長」が浮かぶことなく、その音の響きに「ぴったり」と思ってしまう。会わなくなって何年も経って、「あの子、だれだっけ、タコってみんな呼んでた子……」と、本名は忘れてしまっても、あだなだけは記憶されていく。

音から来る「ぴったり」という印象は、姿形から来る「ぴったり」よりは結びつきが弱いのだろう。だが、わたしたちの側が「軽くて明るくて屈託のない響き」という共通点を見つけだすことで、みんなに共有されるあだなとなっていく。「しろうるり」のように、いったいその人と何が結びついているのか判然としなくても、音だけで結びつく「あだな」というものがあるのだろう。

鶏頭




2008-07-07:嫌いというのはむずかしい

昨日、『徒然草』に出てくる芋の好きなお坊さんの話をちょっと書いた。
これは中学の時に大根が助けてくれる話などと一緒に授業で教わって、先生が、小林秀雄は『徒然草』について、妙に格調高げなことを言ったが、結局、吉田兼好はおもしろい話が好きな人だったんじゃないか、と言っていたのを思い出す。

この大根が助けてくれる話というのもおもしろい。
大根が体にいいから、というので、毎朝二本ずつ食べている筑紫の役人がいた。その役所にあるとき敵が攻めてきた。すると、どこからともなくふたりの武士があらわれて、その役人を助けてくれた。追い返したあとに、だれかと尋ねると、毎朝食べてくれている大根である、というのだ。大根にしてみれば、自分を信じて毎日食べてくれる人の危機を放ってはおけずに出てきた……というのも、なんとなくつじつまの合うような、合わないような話である。「大根の神様」みたいな人(?)がいたのだろうか。

それにしても、『徒然草』には栗だの芋だの大根だの、何かを好きな人の話はよく出てくるが、兼好自身であれ、ほかの誰かであれ、何かを嫌う人の話は出てこないように思う。もちろん「わろし」とか「見苦しけれ」などと評されるような行為はいくつか出てくる。けれども『枕草子』のように「憎きもの」というかたちで「これが嫌い」とはっきり言い切ることを兼好は避けている、とまでいうと、言い過ぎになってしまうだろうか。

何かを嫌うというのは、好きになることにくらべてむずかしいような気がする。
『枕草子』で「憎きもの」とされているのは、急ぎの用事があるときに長居をする客だとか、髪の毛が硯に入るときとか、文句のつけようのない、誰でも納得ができるようなものだ。清少納言は歯切れの良い文体と、新鮮な視点でそれを書き表したけれど、日常で誰でも納得ができるような「嫌いなもの」というのは、別にことさら言うほどのものでもないのかもしれない。
「わたし、スーパーで使い終わったかごを、置きっぱなしにしている人、大嫌い」
「駐輪場で自転車をちゃんと留めない人、大嫌い」
「映画館で携帯を開く人、大嫌い」
それはそうだ。誰でもそうだ。そうして、そんなことを言っていったい何になる、という種類の言葉のように思える。

一方、あの作家が嫌い、とか、あのバンドが嫌い、とか、あきらかに好きな人がいるものに対して「嫌い」といいたくなるようなときがある。そういうのはほんとうにむずかしい。好きなものが、結局のところ「好きだから好き」としか言えないように、嫌いなものも「嫌いだから嫌い」としか言えないのだ。

けれど、多くの場合、「嫌い」と口に出して言う人は、相手に自分の「嫌い」を共感してほしがっているように思う。そうしていくつも嫌いな理由をあげる。何かを好きな人が、その対象とのあいだの絆だけで満足できるのに対して、嫌いな人は、対象を自分の世界から排除するだけでは飽きたらず、周囲にもそれを求めるような気がする。だってあなたの目の前で、誰かあなたの嫌いなものを食べているとしたら、あなたはきっと言うはず。
「そんなもの食べるの?」
一応疑問符はついてはいても、本音は、そんなまずいもの、食べなきゃいいのに、という気持ちのはずだ。

おそらく何か、誰かを好きになる、というのは、究極的にはそれを自分だけのものにしたい、という願望にいきつくのに対し、嫌いになる、というのは、この世から抹殺したい、という願望にいきつくからなのだろう。

「嫌い」な理由というのも、なかなかやっかいなもので、「好き」という気持ちがその対象を「好き」ということばですっぽりとくるみこんでいくのに対して、「嫌い」という気持ちは、その対象のある部分を取り上げて、全体に敷衍する。そのとき一種の決めつけが起こってくる。根本にあるのが「嫌いだから嫌い」という非論理的な感情でしかないのに、それで人を説得しようとして論理の衣をまとおうとして、結局はある種の決めつけをすることになってしまうのだ。

しかも、嫌いというのが「その存在をこの世から抹殺したい」というネガティヴな感情だけに、最初から自分と気持ちを同じくする人と運良く(?)巡り会えれば、悪口大会で盛り上がることもできるのだろうが、そうでない人にしてみれば、「かくかくだから嫌い」「しかじかだから嫌い」と延々と言われるうちに、だんだんわずらわしくなってくる。何かを好きな人が、周囲を明るくするのと逆に、「嫌い」「嫌い」と言っている人は周りを暗くする。

以前「Aさんってどうして自分の考えを押しつけるんだろう」とさんざん人をなじっておいて、その舌の根もかわかないうちに「わたし、トマトの皮は口の中に残るから嫌いなのよね。なんでそんなものあなた平気で食べられるの?」と言う人がいて、たったそれだけのことなのに、ひどくいやな気分になったものだった。

誰でも好きなものがあるように、嫌いなものもあるだろう。
だが、自分が嫌いなものを好きな人もいる。「嫌い」と言い切ってしまうことは、自分が嫌いなものと深い絆を結んでいる人を否定することにもなる。

嫌いなものがあるのは仕方がないが、「嫌い」という感情は、「好き」にくらべてずいぶんやっかいな、取り扱いに慎重さを要求される感情なのだろう。

だから、おもしろい話が好きだった兼好法師は、何かが嫌いな人の話は「榎木僧正」ぐらいしかなかったんじゃないだろうか。

公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞えしは、極めて腹あしき人なりけり。

坊の傍に、大きなる榎の木のありければ、人、「榎木僧正」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を伐られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを堀り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池僧正」とぞ言ひける。

(「徒然草 第四十五段)

嫌いなものを、仮に目の前から排除しても、かならずその後釜はやってくる。あれが嫌い、これが嫌い、と言っていたら、そのうち世界は嫌いなものだらけになってしまうだろう。嫌いなものをうまく嫌う、それからさらりと身をかわす。好きになることが特に訓練を要求されないのに対して、うまく嫌いになることができるようになるためには、自分のなかでその方法を編み出していかなければならないのかもしれない。

鶏頭




2008-07-06:好きなもの、好きな人

先日、少し年長の友人から“ジュリーのコンサートに行った”というメールが来た。楽しかった、感動した、すばらしかった、という言葉のあいだに、パソコンで受けたメールには、「Q」だの「。」だのという不思議な文字がたくさん入っていたのだが、おそらくそれはハートマークなどの携帯の絵文字なのだろう。ふだんそんなメールを寄越すような人ではないから、よほど気持ちが弾んでいたのにちがいない。

趣味を聞くとき、英語ではホビーを使うことより、「あなたは暇な時間に何をしますか」と聞くことの方が多い。「やらなければならない仕事」とは別に、「暇な時間」を楽しく過ごせる何ごとかを持っている人は、持っていない人にくらべて、毎日を二倍、いやそれ以上に楽しむことができるだろう。

もうずいぶん前になるが、最初にその人からジュリーが好き、と聞かされたときは少し驚いた。ジュリーの歌、と聞いて、とっさに「エーデルワイスとか?」と聞き返して、変な顔をされたのだ。わたしが思い出したのは「サウンド・オブ・ミュージック」のジュリー・アンドリュースの方で、沢田研二と言われても、どうもわたしにはぴんとこない。半ばむりやり「時の過ぎゆくままに」を聞かされて、バックのストリングスがなんだかいやに気持ちが悪かったが、半音高い、不思議なサビはおもしろかったし、声の出し方も独特で、それはそれで悪くなかった。ほかにも何曲か聞いたような気がするが、それ以外はまったく覚えていない。

タイガース(野球のチームにあらず)のころから好きだったのだそうだから、最初はその人も小学生だったのだろう。それから何十年も曲を聴き続け、コンサートに足を運び、「話す声は年取ったけど、歌うと昔のまま」と、その人はジュリーと一緒に歳を重ねていったのだ。

これという趣味もないので何か探さなくては、といって、いろいろ手を出したところで、ただちに好きなものが見つかるわけではない。二十代のころから「老後の楽しみを見つけるんだ」と、カメラや釣り、バイク、登山、ゴルフといろいろやって、結局金が続かない、とやめてしまった人の話も聞いたことがあるが、お金をかけなければ続けられない、というものでもないように思う。ほんとうにそれをやりたい、続けたい、という強い気持ちがあれば、お金の工面も含めて、なんとか続けられるような算段をすることも苦にならないはずだ。それと巡り会ったのはたまたまであっても、そこから長い時間をかけて好きであり続けるためには、絆を深める何ものかがかならず必要だ。そんな絆ができていく対象は、決してなんでもいいわけではないのだろう。

徒然草のなかの、いったいどの段だったかよく覚えてないのだが、芋の好きなお坊さんの話があった。そのお坊さんはとにかく芋が好きで好きで、お寺も芋に代えて食べ尽くしてしまう、といったおかしな話だったが、おそらくそのお坊さんの一生は、とても幸せなものだったのではないだろうか(仏教的に見てどうなのかは知らないが)。

芋というと滑稽だし、芋が好きといっても立派な人だと誰が思ってくれるわけでもない。それでも無心に芋を食べ、それだけで幸せになれたお坊さんと芋のあいだには、きっと特別な絆があったはずだ。そうして、芋を食べて幸せそうにしているお坊さんの近くにいる人も、それを見ておもしろがりながらも、どこか幸せな気分になったにちがいない。だから兼好法師も書き留めたのではあるまいか。

好きなことをしている人はみんなほんとうに楽しそうだ。そうして、たとえ同じことをしていても、時間をかけて好きになったことをやっている人は、それぞれに少しずつちがう。ひとつひとつちがうジグソーパズルのピースのように、独特のはまり方で、その人にぴったりはまっている。おそらく、長い時間をかけていくことで、「好きなこと」がその人のものにカスタマイズされ、同時に、その人の側が、「好きなこと」によって作り上げられていく、この両方の面があるのだろうと思う。だから、端で見ていて、その人と「その人が好きなこと」は、切っても切れない絆を形成しているように感じられるのだ。

それがジュリーであろうと、芋であろうと、ひとりの作者であろうと、好きなものはわたしたちを作っていく。豆のつるが太陽に向かってのびていくように、好きだという気持ちはわたしたちを伸ばしていくのだろう。そうして、よく伸びた豆のつるを見ていると、なんとなく楽しくなってしまうように、心から楽しそうな人を見ていると、その幸せな気分は伝播する。どんなときにも楽しめ、心を慰める喜びを持っている人は、きっと周りを幸せにできる人なのだろうと思う。

鶏頭




2008-07-04:本を読む話

先日、近所の人の家にお邪魔した折りに、思わぬところから重要な話を聞いて、ちょっとメモをとっておきたい、と思った。普段から、本とメモ帳とペンと電子辞書だけは、肌身離さず持って歩いているのだが、同じ「マンション」のなかだったので、財布もカバンも家に置いたまま、手ぶらで行ってしまったのだ。

記憶力の減退をつとに感じている身としては、いくつかの日付だけでも書き留めておきたかった。そこで、そこに家の人に、紙とえんぴつを頼んだのである。
すると、困った、とその人は言う。もううちには長いこと、ペンも鉛筆もないのよ。確か、ここにあったはず、とあちこち探しても出てこない、あんまり探してもらうのも気の毒になって、だいじょうぶです、覚えて帰ります、と、歌でも歌うように節をつけて、日付を六つほど頭の中でくりかえしながら、部屋に帰ってきた。

帰ってからは玄関で靴を脱ぐのももどかしく、カレンダーに覚えている限りのことを書き込んだのは言うまでもないのだが、そう言われてみると、わたしの家には、玄関と言わず、台所と言わず、筆記用具はかならず決まった場所においてあるし、机のなかには鉛筆もペンもボールペンも油性マーカーも色鉛筆もあふれているのだった。

いまでこそ、ちょっとした文章を作るときでさえ、パソコンを開いて、TeraPadを起動する。キーボードを打って、ローマ字を変換し、さらに書いて、読み直してはDeleteキーを押し、また書き直し……と繰り返すのが、わたしにとっての文章を作るということだ。つまり、「文章を書く」というのは、レトリックになってしまった。

だが、自分の私的なメモは、やはり紙に鉛筆がいい。まとまった文章を書く前の、見取り図や、読書ノート。買い物に行く前のメモにしても、おぼろげな計画にしても。パソコンを起動するまでもない、というだけではない。自分で手を動かしながら、頭の中をまとめていく。

とくに、本を読みながら、メモをひろげて、図形や矢印や英単語や断片を書き付けていく。込み入った本、むずかしい本は、メモと鉛筆がなければ読み進むこともできない。一枚のメモ用紙がいっぱいになると、本のページにそれをはさむ。一冊のあいだに、いくつもはさんだメモがひらひらしている。

そんなメモを取っているとき、わたしはいつも幸田文のこんな文章を思い出すのだ。

 その私があるとき、ひょっと「本を読んでものがわかるというのはどういうこと?」と訊いて、ただ一ツだけ父の読書について拾っておいたことばがある。――「氷の張るようなものだ」である。一ツの知識がつっと水の上へ直線の手を伸ばす、その直線の手からは又も一ツの知識の直線が派生する、派生はさらに派生をふやす、そして近い直線の先端と先端とはあるとき急に牽きあい伸びあって結合する。すると直線の環に囲まれた内側の水面には薄氷が行きわたる。それが「わかる」ということだと云う。だから私は一ツおぼえに、知識は伸びる手であり、「わかる」というのは結ぶことだとおもってい、そして又、これが父の「本の読みかた」のある一部だと思っているのである。

(幸田文『ちぎれ雲』講談社文芸文庫)

博識な露伴と自分の「わかる」が同じものだとは、おこがましいにもほどがある、と自分でも思う。それでも、「つっと水の上へ直線の手を伸ばす」という感じは、わたしの「わかる」実感にほかならない。伸びていく手を、自分の目で確かめるために、わたしはメモをとる。そうして直線と直線が「牽きあい伸びあって結合する」瞬間を待っている。

鶏頭




2008-06-26:こういうとき、なんていう?

今日、自転車で信号待ちをしていたら、前にお母さんと小学校の低学年ぐらいの男の子が立っていた。
「お母さん、信号て、緑やん、なんで青ゆうん?」
「昔は青やってん」
「いま、緑やん、そやから、緑信号、ゆうた方がええんちゃう?」
「そうやな。でも、緑信号て長いやろ、青でええねん」

そういうことじゃないよ……とわたしは思ったのである。
日本語では、もともと「みどり」っていうのは色の名前じゃなくて、色の緑は青っていってたんだよ……、と言いたかったが、だまっていた。

以前、電車の中で隣の高校生が会話していた。
A「そいつを倒そうおもたらな、自分がやられんとこ、ゆうんはあかんねん。ダメージ覚悟で、技、連打するしかないねん」(ゲームの話ね)
B「へー、そぉせなあかんのかー」
A「せやねん。そぉゆうの、何てゆうんやったかなぁ(考えている)」(捨て身?)
A「(まだ考えつつ)肉、とか、骨、とか」(あ、あれね)
B「骨付き肉?」(典型的な「ボケ」)
A「アホか、おまえ。肉をどうたらして骨をどうたらする、ゆうやつ……」(ほら、あれだよ、あれ)
二人して考えている。
やがてB「わかったっ!肉をちぎらせ骨を切る、やろ!」(おいっ!)
A「そや、そや」(違うっ!)

こんなとき、なんていったらいいんだろう……。

鶏頭




2008-06-24:パソコンという他者

それにしても壊れてつくづく思うのは、パソコンというのは、わたしたちの身の回りのどんな物ともちがうということだ。

もちろんその人がパソコンを使って何をしているかにもよるのだろう。連絡にメールを使い、あとはインターネットのサイトをいくつか閲覧するだけの人と、わたしのようにあらゆる文書をそれで作り、スケジュールや読んだ本や読むべき本、金銭の出入りその他の細かなデータ管理までそれでしている人間とでは、パソコンが生活に占める割合は全然変わってくる。

だが、それが使えなくなったときの、なんともいえない途方にくれた感じ、道具が使えないだけにとどまらない、一種、手足をもがれたような感じは、ほかの何ともちがうように思える。あえていうなら、周囲に人っ子一人おらず、読む本もなく、やることもなく、見るべき風景すらないという状態に一番近いのかもしれない。

わたしたちの身の回りの道具というのは、わたしたちの体を延長させたものだ。たとえば鉛筆というのは指先の延長だし、穴を掘るシャベルは、穴を掘るわたしたちのてのひらの延長だ。それがショベルカーになっても、どこかに手の痕跡は残っている。そういえば《エイリアン2》で、シガニー・ウィーバーは手足をそのまま延長させたような“パワーローダー”を身にまとって、巨大なエイリアン・マザーと闘うのだった。

だが、パソコンのことを考えてみると、どうも自分の体を延長させた道具というような気がしない。わたしは英文タイプライターを使っていた時期があるのだが、あれはまったくの道具だった。ちょうどピアノの鍵盤を叩くようにキイを打てば、アーム(腕)の先の部分が、インクリボンを叩きつけ、紙に文字を印字していく。鉛筆で書くのとはずいぶんちがったが、やはり「指先」の延長にそれはあった。やがてタイプライターがワープロに代わり、今度は打つのは英語ばかりでなく、ローマ字変換した日本語になっていき、自分の思考を目で確かめながら見えるアームもなくなったが、ワープロの液晶画面に浮かび上がるのは、自分の指が印字した文字と思えた。

ところが、パソコンを使っていると、道具を使っているのとは少しちがう「感じ」がしてくる。自分がパソコンのなかに入り込み、一体となっていく感覚、そこからさらに、もうひとりの自分がいるような感覚に襲われることがあるのだ。モニターに浮かび上がるのは、自分の書いた文章ではなく、そこにもうひとりの自分のような気がしてくる。

たぶん浦沢直樹の『20世紀少年』だったと思うが、登場人物のひとりが“ある年代を境に、ロボットというのは“鉄人28号”型の、リモコン装置で動かすものから、“マジンガーZ”のパワースーツ型のものを指すようになった”という場面があったように思う。なにしろわたしはテレビを見ないで大きくなってしまったために、“マジンガーZ”も“ガンダム”も“鉄人28号”もリアルタイムで見たことがないから、もしかしたらピントのずれたことを言っているのかもしれないが、たとえリモコンで操縦していても、「鉄人28号」というロボットに向かって、主人公は「立て」とか「よくやった」とか話しかけるように思う。だが、パワースーツに向かって、「おまえのおかげだ」と話しかける人はいないだろう。つまり、パワースーツが自分の身体の延長としての単なる「道具」であるのに対し、ロボットは、一種の〈他者性〉を帯びる、ということだ。

パソコンという道具の特殊性は、そのロボットが帯びている〈他者性〉ということではあるまいか。もちろん、パソコンがもともと備えているわけではなく、使っているわたしたちの意識のうちで、いつのまにか備えさせてしまうのだ。

こういう話を始めると、かならず出てくるのがELIZAだ。ELIZAは1960年代に開発されたプログラムで、単に語尾を換えて聞き返すだけの単純なものだった。それでも相対する人には知性を感じさせたのである。つまり、相手に知性を感じるかどうかは、向き合う私たちの態度を離れてはない。

パソコンを導入して作業効率があがった、という話は、一昔前にはよく聞いた(いまは作業効率も何も、導入する以前との比較にもはや何の意味もないだろう)。だが、それはグラフや文書作成が容易になった、という意味ではなく、パソコンを相手にしていれば、わたしたちは長時間それに向かい合うことができる、という意味のように思える。

高校生の頃、机に向かって勉強しなければならなかったころ、ほんの一時間でも集中してノートに向かっているのが大変だったが、パソコン相手なら、「集中がむずかしい」という経験を、あまりすることはない。むしろ、息のぴったり合う相手と、共同作業や話し合いを続けていて、気がつけば、ああ、こんなに時間が経っていたのか、という感覚に近い。それは、パソコンに向かっているわたしが、ひとりではない、応答する相手と共にいる、という意識を、漠然と抱いているからではないか。

統計があるのかどうかも知らないのだが、引きこもりの人の部屋にはかならずパソコン、ないしは携帯電話があるはずだ。逆に言うと、パソコンもない部屋に、果たして人は引きこもれるのだろうか。そこが部屋であって独房ではないのは、快適さよりもなによりも、「パソコンがある」という一点ではないか。

いつからか、ネット上の書きこみなどに対して、「画面の向こうに人がいる」と強調されるようになった。それは、きつい言葉、激しい罵倒をされる側に立って考えよう、という呼びかけではなく、わたしたちにとって、日常の多くの時間を共に過ごす〈他者〉はパソコンのモニターになってしまい、「いや、ほんものの〈他者〉というのは、そんなものではないのだ」と、わざわざ注意しなければならなくなりつつある、ということなのかもしれない。

わたしたちは、考える必要のないものは考えない、自分が見たくないものは視界から排除する、という能力を持っている。だからこそ、ケガをして松葉杖をつくようなことになれば、世の中にはこんなに体の不自由な人が多いのか、と驚くことになるのだ。それまでにそんな人がいなかった? とんでもない。単にわたしたちの目に入らなかっただけだ。

それと同じように、わたしたちはいま、目の前にいる人を視界から排除し、携帯に向かって文字を入力し、「会話」しているではないか。わたしたちにとっての〈他者〉は、もしかしたら徐々にシフトしつつあるのかもしれない。

だが、人間ということを考えるとき、やはり「身体」という問題を抜きには考えられない。あらゆる「わたし」のものの見方考え方を陰ながら規定しているのは、わたしの身体の方だ。頭の方は、自分が作りだした〈他者〉にだまされても、身体は決してだまされない。疲れ目や頭痛、腰痛、長時間パソコンに向かっていると出てくるさまざまな身体の反逆は、わたしたちに、電源を切れ、部屋を出て、人に会いに行け、と訴えているのかもしれない。

鶏頭




2008-06-21:鳥の目から眺めてみれば

その昔、パンフレットの個別配布のバイトをしたことがある。パンフレットだけでなく、うちわだったかボールペンだったか、二人ひと組で、ひとりがパンフレットを入れたショッピングバッグを、もうひとりがうちわ(もしくはボールペン)を入れたショッピングバッグをぶらさげて、二百戸以上ある集合住宅のドアポケットに、一軒の漏れもないよう、ひとつひとつ入れて歩くのである。

まず、エレヴェーターで最上階まで上る。カタカナのコの字型の建物を、ちょうどコの字を描くように、左端から出発する。縦棒のところで折れ、さらに下の横棒のところでまた方向転換して左向きに歩いていく。その左端にある非常階段をおりて、今度はコの字を下から逆に歩く。そうしてコの書き始めの位置の非常階段をおりる。そうやって一筆書きをするように、すべてのドアの前を通っていく。

ところが組になって歩いている人は、わたしより年長の社員の男性だったのだが、大変な方向音痴だった。突き当たりまで行って向きを変えたり、角を曲がったりするたびに、かならずといっていいほど、方向を見失うのである。非常階段のある場所は決まっているのに、それに気がつかないまま通り過ぎようとしたり、自分がいままで歩いて来た方角へ戻って行こうとしたり。こちらも最初は遠慮していたのだが、じきに、こっちです、つぎはここの階段を下ります、と、わたしの方がナヴィゲーターとなって歩いていったのだった。

このとき、わたしの頭のなかには、建物の簡単な模型ができていた。自分がいるのが建物の何階のどのあたりか、ちょうど模型のなかに人形を配置するように、自分の位置関係を外から把握していた。わたし自身はそれほど方向感覚に優れているわけではないのだが、コ型という単純な建物だったおかげで、すぐに全体像をつかむことができたのだ。ところが一緒に歩いている男性は、目の前のドアや壁や廊下だけしか見ていない。俯瞰するイメージを持てていないために、同じドア、同じ壁、同じ廊下に、目印のつけようがないまま、方角を見失っていたのだ。

これでもね、山歩きはよくしてるんですよ、山を歩かせたら、あなたなんか、びっくりしますよ……などと、言い訳のようにその人は何度も繰りかえしたが、確かに山なら、いくつかの目印をたよりに上っていくこともできるだろう。だか、目の前の目印をたよりに歩くことと、俯瞰図のイメージを持って、自分のいる場所を空間的に把握することは、ちがうことなのだ。

カーナビが普及した現在は、あまりそういう能力を目の当たりにすることもなくなってしまったが、以前は車に乗せてもらうと、たいそう方向感覚に優れている人に驚かされることがときどきあった。そういう人は、初めての場所でも、渋滞する幹線道路をはずれて、だいたいここらへん、と見当をつけながら、抜け道を見つけて巧みに走り、迷うことがない。おそらく初めての場所でも、自分がどこらへんにいるか、自分の場所をつねに確認できる、俯瞰する目を持っているのだろう。

あるいは、名選手と呼ばれるサッカーの選手は、フィールドでプレーをしていても、まるでスタンドから全体を見渡しているように、全部の選手の位置関係が頭に入っているという。おそらくそうした人は、フィールドレベルで自分が得た情報をもとに、俯瞰したイメージを頭のなかに持つことのできる人なのだろう。

以前、とあるアメリカ人に地図を書いてもらったとき、笑ってしまったことがある。自分の家からスタートし、自分の歩く方向に合わせて紙をくるくるまわしながら地図を書いていくのである。

え、そんなふうに書かないの? と聞くので、わたしは駅から自分の家までの地図を書いてみた。
まず東西南北を地図の右上に書いておく。
つぎに東西に走る線路。
真ん中に駅。
線路と平行に走る道路が二本と、それに交差して走る三本の道。
目指す交差点をマークし、ここから細い通りを二本超えて三軒目。

なんと地図を書くのがうまいのだろう! と感心されたが、おそらく多くの日本人は、地図というとこんなふうに書くのではあるまいか。たとえそんな俯瞰するような位置から実際には見たことがなくても、わたしたちは目の前のものを見ながら、同時にそれが空間的にはどのように配置されてているかを把握している。地図というのは、その空間的な配置を記すものなのだ。そう考えていくと、自分の家からスタートして、紙をまわしながら地図を書いていく人は、目の前の光景を思い出しながら、そこから道を延ばしていく、というイメージなのだろうか。

これとは逆に、以前、テレビ番組で「透視能力」があるとかいう外国人が地図を書いている場面を見たことがある。犯罪に巻き込まれた人が、いまどこにいるかを「透視」する、というのだ。その「透視能力」のもちぬしは、俯瞰地図を書いていた。その地図に、市販の地図を重ね合わせ、ああ、これは××だ!、とテレビ・クルーが出動し、結局煽るだけ煽って、何も出てこなかったのではなかったか。

この「透視」とやらが、いったいどういった性質のものなのか、わたしには見当もつかないのだけれど、たとえばスティーヴン・キングの『デッド・ゾーン』の主人公のように、犯罪被害者に一種の憑依をおこなって、被害者の見る風景から場所を特定するというのであれば、俯瞰地図が書けるというのはおかしいような気がする。被害者の目から見えるのは、目の前の光景だけで、ビルが立ち並んでいれば、その向こうに線路が走っているかどうかもその人にはわからないだろう。その「透視家」が俯瞰地図が書けるのは、単にそこの地図をすでに見ていたから……というのは、うがちすぎなんだろうか。

そうは言っても、目の前のものの連続、というかたちでしか、場所を把握できない人もいれば、初めての場所でも、即座に空間的な位置関係を把握できる人もいるのだ。自分のいまいる位置を、俯瞰的な視点から見ることなんて、肉眼では不可能なことを平気でやるのが人間だ……としたら、「透視」などということも、あながちインチキばかりではないのかもしれない。

鶏頭




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