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鶏的思考的日常 ver.25〜忘れ忘れて25編、思えば遠くに来たもんだ 編〜



2008-09-07:自慢する人、される人

先日、新幹線に乗る機会があった。目指す席を見つけて、本を一冊取り出して、かばんを網棚に上げて、腰をおろす。すると、わたしの姿が見えなくなるのを待っていたかのように、後ろの席で話が始まった。

別に大声というわけではないのだが、車内全体が比較的静かだったために、真後ろの話声は、否応なく耳に入ってくる。結局終点まで話のお相伴をさせられるはめになったのだが、なかなか考えさせる会話だった。

英語では、相手に向かって何か話しかける際に、相手の名前や愛称、さらにもっと親しければ、ダーリンだのスイートハートだのという呼びかけが、頻繁に差し挟まれる。それに対して日本語では、最初に相手の注意を喚起するために名前を呼ぶことはあっても、会話のなかでむやみやたらに呼びかけるようなことはない。

ところが後ろの席から聞こえてくる話には、頻繁に相手への呼びかけがなされる。それも名前でも愛称でも、もちろん“ダーリン”でもなく。

「そうですね、部長、部長のおっしゃるとおり、××は○○でございますよね、部長……」

その声がうわずりがちなところといい、押しの弱そうなところといい、TVの『サザエさん』に出てくるマスオさんそっくりで、マスオさん的声質と「部長」「部長」の連呼がぴったりとはまって、わたしはおかしくなってしまったのだった。

マスオさんに応える「部長」の声は、予想に違わず押しの強い声である。胸の底から響くような深い声だが、タバコを吸う人に独特の荒れ方をしている。長年のヘビースモーカーにちがいない。

ヘビースモーカーの部長は、マスオさんが向けた水に、待っておったぞ、と言わんばかりに飛び乗って、最近買ったゴルフクラブの話をし始めた。どこ製のウェッジがどうした、どこ製のアイアンはネックの形状がどうのこうの(はなはだ頼りない記憶をもとに書いているので、おかしなことを書いているかもしれない)と、まあ自慢すること自慢すること。ゴルフが接待などでよく使われる理由の一端が見当がついたような気がした。ゴルフクラブもそれだけあれば、蘊蓄も披露しがいがあるというものだ。

それにしても、ドラマやシチュエーションコントでもあるまいに、こんなステレオタイプの会話を現実にしている人がいるのだなあ、と感心してしまった。話題にしているのはゴルフクラブであっても、「部長」が誇示したいのは、自分の財力であり、自分のゴルフの腕前であり、ゴルフに関する知識である。

【大前提】××というゴルフクラブは高額である。
【小前提】わたしは××を持っている。
そこから導かれるのは、「わたしには高額のゴルフクラブを購入できる財力がある」という結論だが、その結論を自分では言わず、相手に委ねている。

どうして結論まで言ってしまわないかというと、その部分は相手に言わせたいからだ。「オレってお金持ちだぜ〜」と自慢するのは、どれだけツラの皮が厚かろうと、いくぶん気恥ずかしい……というより、相手の口から「そんな高級クラブを一式そろえることができるのも、部長だからです」と言わせたい。相手に「自発的に」そのことを認めてほしいのだ。だからこそ、それを言わせるために、会話しながら筋道を整えている。

一方、マスオさんの側は逆に、「さすが部長です」と言うために、会話の筋道を整えている。何の脈絡もなく、「部長はすばらしい」「部長はお金持ち」「部長は男前」…と褒めたところで、それは賛辞にはならない。それでもし「部長」が「みどもはまこと、優れておるからのお。ふおっ、ふおっ、ふおっ、愛いやつじゃ」と思うとすれば、相当おめでたい殿様、じゃなかった、部長であると言わなければなるまい。むしろ「こやつは何を目論んでおるのじゃ」ということになってしまうのがオチだろう。たとえお世辞であっても、やはり筋道が必要なのだ。

こう考えていくと、自慢する側も自慢される側も、それぞれの「役割」に応じて、共同作業で「筋道づくり」をしていることがわかる。マスオさんがその役割を果たしてくれなければ、部長も「部長」であることはできない。

わたしたちは誰でも、自分のことを認めてほしいと願っている。こういうところがいい、こんなところがステキ、そういうところが好き、あなたは特別、というふうに。

その欲求を満たすために、わたしたちはさまざまに工夫をこらす。身なりに気を遣うのも、楽器の練習をするのも、勉強するのも、その欲求の現れだといえる。殿様が、家臣が自分にひれふすのを見て、自分が殿様であることを知るように、わたしたちは認められることによって、自分が「何もの」であるかを知るのだ。

「部長」「部長」と持ち上げることによって、「部長」が「部長」になるだけでなく、マスオさんは自分を「良き社員」に作り上げている。「部長」が気持ちよく自慢話ができるのも、聞き手のマスオさんが「良き社員」だからこそ、心を許しているからこそなのだ。ふたりのパターンが、あまりにも類型的だったからわたしはおかしくなったのだが、当のふたりも無意識のうちに、ありがちな「部長像」「マスオさん像」を演じていたのかもしれない。

とはいえ、忠実な社員ではないわたしは、じきにその話に飽きてしまった。そこで思い出したのが、このエピソード。

ローマ時代、ネロが皇帝になってから、ぜひやりたかったことは、大勢の前での独唱だった。何回かのレッスンのあと、ナポリで初演をした。あいにく地震が起こり、ネロは歌いつづけたが、聴衆の多くは逃げてしまった。
 べつなコロシアム(野外劇場)での公演では、出口に人員を配置し、外出を防止した。そのため、なかでの出産が何件か発生した。あまりの退屈さに、壁を乗り越えて逃げた男もいた。利口な三人は、堂々と外へ出た。一人が死んだふりをし、あとの二人が運んで、出口を通った。

(アイザック・アシモフ『アシモフの雑学コレクション』
星新一編訳 新潮文庫)

コロシアムならぬ新幹線のなかにいたわたしは、逃げ出すわけにもいかなくて、「死体」役をやってくれる友人もいなかったので、こんなことを考えていたのである。

鶏頭




2008-08-22:それを「芸」と呼ぶんだろうか

小学生の頃、クラスメイトに対する最大の罵倒が「××病院へ行け」という言葉だった。その病院は、一応内科も外科もある総合病院だが、なんといっても有名なのは精神科で、風邪を引いているようだからお医者さんに行った方がいいよ、という意味ではなく、その罵倒に出てくる病院の名前は、すなわち精神科を指していた。

そんなことを口にするのはクラスのなかでも「悪ガキ」と目される男の子たちばかりで、しかも先生に見つかったら大目玉を喰らうのはわかっているから、教室を出て、もっぱら帰り道で口に出されていたのではなかったか。

近くを通ったら、窓に鉄格子がはまっていたとか、叫び声が聞こえたなどとまことしやかに言う子もいたが、『楡家の人びと』を読んでいた当時のわたしにとって、そういう話はむしろ興味深く、もっと教えてくれと水を向けると、ほんとうは何も知らなくて、がっかりしたものだった。

小学生だったか、もしかしたらもう少し大きくなってからのことだったかもしれない。一時期、近所に精神状態の不安定な人がいた。その家までは間に数軒をはさんでいたのだが、夜、たまにガラス窓が割れる音が聞こえてきたり、怒号があがったり、泣き叫ぶ声が聞こえてきたりした。

ほとんどのときに見かけるその人は、きちんとした格好でお勤めに出かけ、夕方には買い物袋を片手に家に入っていく姿なのである。それが、ごくたまに、髪をふりみだして家から裸足でものすごい勢いで飛び出してくるのだった。

だが、町内の人びとは、そこの家だけ排斥するようなこともなく、町内会のどぶ掃除や子供会の廃品回収の折りにも、ふつうに声をかけ、その人もまた参加していた。町内の人もそれとなく気遣っていたような気もする。何かの折りに、家にその人が話しに来ていたこともあるし、わたしも朝夕出会ったときには、胸をちょっとドキドキさせながら、ふつうの顔で挨拶していた。

そのときだけ、どこを見ているのか、すわった目つきをして怖い顔になる。ひっきりなしにしゃべっているのだが、言葉はまるで意味を結ばず、「異形」という言葉にふさわしい姿になる。もちろん恐ろしくはあったが、怖いもの見たさ、という気持ちもあった。目を合わせないよう、ぶしつけにならないよう、うつむいた目の端で、こっそりと盗み見た。あの人は、クラスの悪ガキが口にしたあの病院へ行っているのだろうか、と考えたものだった。

そこの家に、わたしよりは小さいけれど、同じ子供がふたりいたせいか、その人のことは、痛ましい思いとして胸に刻まれている。わたしはどうしても『ジェイン・エア』が好きになれないのだが、その理由も、「屋根裏の狂人」に、どうしてもその人の記憶が重なってしまって、その描き方がどうにも好きになれないせいからなもしれない。

ともかく、それから四半世紀ほどが過ぎ、当時にくらべて「精神病院」という言葉のおどろおどろしさはすっかり払拭されたように思う。身の回りにも、心療内科に行くよりは精神科に行った方がいいから、と言って、抗うつ剤か何かを飲んでいる人もいるのだが、そういう人の様子は、昔見た近所の人とはずいぶんちがうし、言葉に対する抵抗感も感じられない。病院の敷居が低くなるとともに、病気に対する偏見がなくなったのはいいことなのだろうが、その人がカバンから出すふくらんだ薬袋を見たりすると、「不安を抑える薬」などがそんなにも簡単に処方されてもいいのだろうか、という気も、やっぱりしてしまう。

さらに驚いたのは、異常な仕草をして見せて、それをお笑いのネタにしている人がいることを聞いたときだった。わたしは見たことがないので、それについては何も言うべきではないのだろうが、正直、そんなことをしていいのかな、と思うのである。風邪を引いた真似をして見せても問題にならないように、つじつまの合わない話をまくしたてても問題にはならないのか。

おそらくそれをやっている人は、精神状態に問題がないから、「芸」として成立するのだろう。TVで放映されているということが、逆にそれが「芸」であることを保証している、といってもいい。そうして視聴者は、気持ちのどこかで、こういうものを見てもいいのだろうか、ととまどいながら、TVで放映されているからこれは「芸」なのだ、と思いつつ、どこかで「ほんとうに「芸」なんだろうか」とも思うのだろう。

だが、わたしが感じた不快感はそこにあるのではない。
マジシャンが、これを見てください、と右手にカードを持って見せれば、それは左手で何かをしているということだ。注意を引くための仕草は、反対で何かをやっているサインだということを、わたしたちはみんな知っている。だから、左手に目を凝らす。左手に何かがあるはず、と思って。

奇妙な表情とつじつまの合わない話は「注意を引くため」の右手のカードだとわたしたちは思う。彼女は左手に何を持っているのだろう。何を隠しているのだろう。

だが、もしかしたら何も持っていないのかもしれないのだ。何も持っていない人間が、いかにも何かを持っているというふりをするために、わざと「注意を引くために押し出されたカード」をこれ見よがしに差し上げているのではないのか。空っぽの手を偽って、いま左手で何かをやっているのだ、とわたしたちに思わせるためだけに。

注意を引くためにTVに出るような人はさまざまなことをやっているのだから、そのなかに精神を病んだ人の真似をする人が出てきてもいいのかもしれない。それを「お笑い」と称したければ、それもいいのかもしれない。

けれど、『徒然草』は一応読んでおいた方がいい。

狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

(『徒然草 第八十五段』)

精神を病んだ人の真似をしながら安定した精神状態であり続けるには(つまり、それを「芸」として維持できるには)おそらく尋常一様ではない精神の強さと鍛錬が必要なはずだ。その人がそこまでできる人なら、それは「左手」に隠したカードとなるのかもしれない。

鶏頭




2008-08-17:英語の早期教育って必要なんだろうか

先日、小学生を英語を習いに行かせようと思うのだが、どこかいいところを知らないか、という相談を受けた。いまとなってはつながりも切れてしまって、どこかの情報を知っているわけでもない。小学生になると見当もつかない、と断っておいた上で、あとは雑談のように相手の話、ここでは仮にAさんとしよう、Aさんの話を聞いたのだった。

Aさんの主張をまとめると、彼女は中学、高校、大学受験と英語で苦労したから、子供にはそんな思いをさせたくない、と言うのである。

だが英会話教室へ何歳から行ったところで、受験英語にはそれほど役には立たないだろう。受験のことを考えるなら、塾なりなんなりへ行って、それ用の勉強をしたほうが効率がいいのではあるまいか、とわたしは言った。

ところがそういうことはAさん自身も理解しているようだった。受験勉強をどれだけしても、話せるようにはなれないでしょう、と。わたしがしゃべれないから、子供だけはしゃべれるようになってほしいという。

だったらAさんが英語を習いに行けばいいじゃないですか、とわたしは聞いた。ところがAさん、わたしはそんなことしたくない、という。いまさらそんな必要はないから。

必要がないのは、子供だって一緒じゃないですか。リンゴを apple といかにも英語風の発音ができたところで、それが「しゃべれる」にはほど遠いし、駅までの想定問答を覚えたところで、必要がなければ何の役にも立たないんじゃないですか。

そもそも話すべき相手も、話したい内容もないところで、いったい何を話すことを期待しているのかわたしにはとんとわからないのだが、Aさんにはどうもそこのところがわかってもらえない。しょうがないので、あまり大手ではない、個人でやっている先生のところを電話帳で探して、あちこち行ってみて、日本語でちゃんと説明してくれる、信頼できそうな先生のところへ行くのがいいのではないか、と、ごく一般的なことを言うことになってしまったのだった。

わたしが不思議だったのは、Aさんが、自分ではやりたくないことを、子供にさせようとしていることだった。確かに親は子供の面倒を見る責任がある。だが、人間には親という以外の側面だってあると思うのだ。自分のために「教育費」を使うことはできないと考えるのであれば、ラジオの語学講座や放送大学という手段もある。学ぶというのは、なにも学齢期にある子供の専売特許ではない。英語を話せるようになりたいのは、少なくとも子供の意志ではないのだろう。そうであれば、子供にさせるより前に自分が学んだ方がよくはないのだろうか。

そこで言っている「英会話」というのは、「英語ぐらいしゃべれなきゃ」という程度の認識しかないのだろう。だが、「英語をしゃべる」というのが、いったい何を指しているのか、わたしにはどうにもよくわからないのである。そうして、そう言っている人自身が、深く考えることなく、そう言っているような気がするのだ。

少なくとも、読めた方がいい、というのならよくわかる。
いまはインストールする際の同意書も日本語で書いてあるものが多くなったが、それでも英語しかない場合も少なからずある。英語が読めれば、アメリカやイギリスのおもしろそうなサイトも読むことができる。洋楽でメロディが気に入って、それが何を歌ったものなのかも、自分が着ているTシャツに何が書いてあるかを読むこともできる(このあいだ、「げろが出そう! わたしから離れて!」と書いたTシャツを着ている女の子を見た。なんでそういうTシャツを作るんだろう。デザイナーの悪意しか感じられない)。

けれど、それなら手元に辞書を置いておけばすむ類の話であるように思える。そうではなくて、問題が「何を話すか」ということであるなら、それは日本語であろうが、英語であろうが関係なく、話す相手を見つけて、相手と一緒に作っていかなければならないことだろう。そうしてそれはその人の成長のプロセスと不可分のもののはずだ。問題は、"Nice to meet you." を言ったあと。それは早期教育では決して教わることはできないたぐいのことだろう。

鶏頭




2008-08-13:お盆の記憶

昔はお盆の声を聞くと、夏休みも半分過ぎてしまった、と、焦る気持ちにかられたものだった。ごろごろするんじゃありません、と母親に怒られながら、寝っ転がって本棚にずらりと並んだアガサ・クリスティや87分署やマルティン・ベック・シリーズや「鬼平犯科帳」を一巻から順番に読み返しているうちに一日が過ぎていく、という、天国のような日々もあと二週間……と思うのが、この時期だったのである。

夏休みといっても、七月のあいだは、なんだかんだやることはあった。一学期末の懇談と通知票のことをタネにあれこれ言われ、自分でもちょっとなんとかしなくては、という気にもかられて、まあぼちぼちと勉強する。ついでに宿題もこの時期終えてしまう。学校だって、たまに行く用事(何で行っていたのだろう? エアコンの入った視聴覚室で先生に缶ジュースをおごってもらった記憶しかないのだが……)があったし、図書館に勉強しに行く(と称して本を読んでいるわけだが)こともあったし、友だちと誘い合わせてプールに行ったこともある。

ところが八月に入ると、すっぽり空白が訪れる。友だちはたいていどこかに行ってしまい、二学期が始まるのなんてはるか先、勉強する気は失せてしまっているし、宿題はやってしまった。かくして日長一日、ミステリを読んだり、ビーチボーイズだのローリング・ストーンズだのを聴いて過ごすことになるのである。

そういう状態が十日あまり続くとお盆が来る。毎年母は「お盆っていったいいつからいつまでなんだろう」と言っていたが(ついこのあいだ電話したときも言っていた)、それが何日であれ、とにかく父親の仕事が休みになったつぎの日から、父方の実家に行く(ごくまれに母方の実家に行く年もあった)のだった。そうなると、とりあえず二学期のことは忘れることができた。同じ年代の従兄弟に恵まれなかったわたしにとって、この里帰りの行事はあまり楽しいものではなかったのだが。

行けば早々に、きれいに整えられ、提灯が両脇にしつらえられた仏壇に向かう。親族が持ち寄ったおみやげが仏壇脇につみあげられている、そこに、家から持っていったおみやげの包みが加わる。見よう見まねで仏壇の前に正座して、頭を下げる。いったい誰に頭を下げているのかよくわからないまま、今年も来ました、と報告する。ご先祖様、といったところで、ピンとこないのだが、わたしが顔を見たこともない、そういう人びとがいたから、いま、自分がここにいるのだ、と思うと、やっぱり頭を下げておかなければならないように思えるのだった。線香に火をつけると、細い煙が立ち上る。仏壇の前から下がってしばらくしたころ、座敷の方まで線香のいい匂いが漂ってきているのに気がついた。

親族一同が集まった座敷は、なんだか昼間からビール臭く、そのなかに混ざってすわって話を聞いているのは気詰まりで、いっそ手伝いをさせられて、お勝手と座敷の往復をしている方が気楽だった。それでもいつまでもお勝手でごそごそ手伝いをするふりをしていても、やがて「こっちはいいから。もうあっちへ行きなさい」と座敷に追いやられるのだった。

そういう席ではかならずそこにいない親族の話題が出た。亡くなった祖父の話、曾祖父の思い出。幼くしてなくなった伯母の話。話にいつも「○○ちゃん」としか出てこないので、亡くなった歳のままなのだが、もし生きていれば、父や叔父たちと同じ年代なのだ、と思うと奇妙な気がした。

戦死した親族もいた。満州から引き上げてきた親族もいた。あれは戦争の始まる前の年……という具合に話が始まり、わたしの頭の中では教科書に載っている「歴史的事実」でしかない第二次大戦が、目の前にいる人に接ぎ木される。話に出てくる人びとは、その多くがもはや生きてはいない人びとだ。そういう話を聞いているうち、いつのまにか、死者たちに取り囲まれているような気がしてくるのだった。

遊び相手もおらず、特にすることもない。本を何冊も持っていっても、すぐに読み尽くして、あたりを散歩するのもじきに飽きた。庭の木にはカミキリムシやセミやクワガタがたくさんいるという話だったが、虫取りをする趣味はなかったし、見て歩くものもない。帰る日が来るのを待つだけ、ただ消化するだけの時間が続いた。

墓参りが最後を飾るイベントだった。お花やバケツやひしゃくやロウソクや線香を持って、お墓まで歩いていく。古い花を片づけて、新しい花を飾り、ここでもお線香に火をつけて、先祖代々の墓、と彫ってある大きな墓に頭を下げる。ここでも別に何かを祈るわけでもなく、周りの人がするとおりに自分もして、セミの声を聞きながら、ああ、今年もお盆が終わった、と思うのだった。

何時間かの移動を経て家に戻る。閉めきった家は、留守にしたのもほんの数日なのに、空気がこもってひどく埃くさく、帰ってすぐ、家中の窓を開け放つ。自分の部屋に戻ってみれば、いよいよ夏休みも残り二週間か、とため息をつきたくなるような気分になった。

鶏頭




2008-08-04:名人は遠い……

ちょっと前にも書いたのだが、身近にもめごとがあって、そのことをめぐってあれやこれやの話になっている。今日もその話をしに来た人がいて、話に新たな進展があるわけでなし、こちらとしては "what's new" も書かなくてはいけないし、晩ご飯だって作らなければならない、だから話をまとめて、また何かあったら……という方向へ話を持っていきたいのだが、何度そちらへ水を向けても、相手は一向に腰をあげてくれない。正直、困ってしまったのだった。

被害者意識というのはなかなか厄介なもので、ひとたび自分が被害者ということになってしまうと、どうやらその特権的地位は手放したくないものらしい。いや、これは現実に事故や犯罪の被害に遭われた方をそういう眼で見るのはずいぶん失礼な話で、まちがってもそういう方のことを言っているのではない。あくまでもここで言っているのは、日常の延長上にあるトラブルなのだが。

もめごとが起これば、周囲は双方の言い分を聞いて、どちらが悪いか判断する。一方が「被害者」ということになれば、「加害者」の側に、あんたが悪い、と宣告を下し、釈明を聞いてから、今度からそういうことはしないように、と事態の収拾を図る。ところが「被害者」の側は、それだけで終わってほしくない。かくかくしかじか、ああなってこうなって、という話を、聞き手を探していつまでも続けることになる。

周囲の人にとっては、終わった出来事である。そのときは巻き込まれたが、終わってしまえば日常の、自分の仕事に戻りたい。もうケリのついたことを、この人はいったいいつまで言っているのだろう、という気になってくる。だが、「被害者」は、いつまでもその出来事が起こった時間のなかにいる。あのときのイヤな経験が頭を去らない、忘れられない、気持ちを切り替えることなんてできない……と言うのだが、それだけ繰り返して話しているのだから頭を去らないのも当然だ、という気さえしてくる。それはわかったから、どう解決していくか考えましょう、といったところで、話はそちらに向かっていかないのだ。おそらく当事者は気がついていないのだろうが、みんなに慰めてもらい、話に耳を傾けてもらい、「加害者」を悪く言ってもらった過去の特権的地位を手放したくないのだ。

ヘタにあいづちを打つと、いよいよ話は長くなる。気持ちを前に向けるよう誘導しようとしたのだが、やはり強固な意志を持つ相手の前には、そのもくろみは見事に挫折してしまった。

「あいづち名人」の道は遠いようだ。「薪割り」クラスというところか。

鶏頭




2008-08-01:塩の話

暑くなると喉が渇く。どうしても冷たい飲み物がほしくなる。麦茶を毎日作り、冷蔵庫にストックしておくが、すぐになくなってしまう。ところがついうっかり飲み過ぎると、こんどは胃が痛くなったり、気持ちがわるくなったりすることになってしまう。胃液が薄くなってしまうからだろう。

スポーツドリンクというのは、あの薄い甘味が好きではなくて、あまり自分から進んで飲むようなことはしないのだが、やはり汗を大量にかいてしまうようなときは、お茶よりもスポーツドリンクの方がいいのかもしれない。だが、スポーツドリンクのラベルには、なんのかんのと書いてあるが、結局のところは麦茶を飲んで、塩をちょっとなめるだけでいいのかもしれない。

塩は人間が最初に使うようになった調味料である。紀元前2000年以前のパピルスにも「塩漬けの野菜ほどうまいものはない」と書いてあるらしい(『「塩」の世界史』)。これは塩が人間の体を維持していくために必須のものだから、それを基準に「味覚」というものが発達したということなのだろうか。

だが、現代のわたしたちは、外食をした折りには、テーブルにおしゃれな容器に入った「食卓塩」が置いてあるが、あまり料理に振りかけたりはしない。自宅ならなおさら、文字通り食卓に塩を置いて、味が足りなければ料理にじかに振りかけるようなことはしない。たいてい調味の段階で塩をふってしまえば、それで終わりなのに、なぜそんなものがあるのだろう、と昔から不思議だった。さまざまなものに「塩分の摂りすぎに注意しましょう」と書いてあるし、塩よりもほかの調味料(たとえば醤油、あるいは胡椒)の方がおいしいように思っているのではあるまいか。

いまや百均にも置いてある塩だが、昔は高級品だったのだそうだ。

 長い中国史上、食物に直接塩をふりかけることは、ほとんどなかった。たいていは料理の過程で、さまざまな調味料――塩味のソースやペースト――から塩味がつけられる。塩は高価だから、こういった調味料で薄めて使うという説明がよくなされる。古代地中海から東南アジアまで同様の嗜好が見られたが、中国では魚を塩漬けして発酵させた調味料が一番好まれた。これはジャンという。しかし中国では魚を発酵させるさいに大豆が加えられ、やがて魚そのものは材料から消えて、ジャンが「ジャンユ」、すなわち今日の西洋世界で言うところの「醤油(ソイ・ソース)」となった。

(マーク・カーランスキー『「塩」の世界史』山本光伸訳 扶桑社)

高級品である塩を薄めて使うためにできたのが、醤油だったのだ。漬け物も、米に塩味をつけるためのものだったのである。

同書には、こんな記述もある。「貴族は晩餐の席で、卓上に純粋な塩を出すという法外にぜいたくなまねをして財を見せびらかした。これは中国ではめったにないことだったが、豪華な装飾をほどこした容器に入れたりした」
いかにもちゃんとしたレストランにも、食卓塩が置いてある理由は、味覚には個人差があるからだけでなく、こうした名残りでもあるのかもしれない。

だが、実際の塩の役目は味付けだけではない。むしろ、塩の防腐作用が主な役目だったと言っていい。近代に入って「瓶詰め」が登場するまで、食料保存の中心は、塩漬けにすることだったのである。

生命を維持するはたらきがあるだけでなく、腐敗を防ぐはたらきがあるとなると、「塩の力」が一種の象徴性を持って受け入れられたことは想像に難くない。お相撲さんは土俵入りするとき、塩をまくし、お葬式から帰ってきた人は、清めの塩を使う。旧約聖書のエゼキエル書にも「誕生について言えば、お前の生まれた日に、お前のへその緒を切ってくれる者も、水で洗い、油を塗ってくれる者も、塩でこすり、布にくるんでくれる者もいなかった。 」(16章4節)とあるように、当時のユダヤ人たちは、新生児を悪魔から守るために塩で体を浄めていたらしい。

ハイチのブードゥー教では塩を用いてゾンビを生き返らせるというし、古代のエジプト人はミイラを作るのに塩を使ったらしい。おそらくそれは単なる「防腐のため」だけではなかったはずだ。

以前、肩が凝るときは指先に塩をのせてどうにかする、と言っていた人がいて、こちらは一種のおまじないだろうと思って聞いていたら、相手は本気だったので、ちょっと驚いてしまった。塩には力があるから、何やらを吸い取ってくれる、というようなことを言っていたような気がする。そのときは何とも変わったことを言う人だなあ、と思ったのだが、どこでそういうことを聞いたのか、いったい何に由来するものなのか、もっとちゃんと聞いておけばよかった。

高校時代、調理実習でパンを焼いた。ひとつのパン種に、小さじ一杯の塩を入れ忘れ、そのパンだけ、味も素っ気もない、というか、ほんとうにおいしくない味気ないパンで、ふだん意識したこともなかった「塩のおいしさ」を初めて実感した経験だった。

病気の時は、お粥にひとつまみ。
おにぎりのときには手に少しつけてから。
毎日料理をするたびに塩を使う。あまりに身近で、使う量も少ないので、一度買うとなかなかなくならない。ほかの調味料に比べれば、値段だって安いので、ほとんど意識することもない調味料だが、塩がなくなれば料理ができない。

 フランスには、王女が王に向かって「塩のようにお父様を愛します」と言う民話がある。王は無礼を受けたと思って腹を立て、娘を王国から追放してしまう。のちに塩を得ることができなくなってはじめて、王は塩の価値に気づき、さらに娘の愛情の深さを知る。塩はどこにでもあり、入手しやすく、しかも安価なので、文明の起源から、つい百年前までは、人類史上もっとも渇望されていたものの一つだということを、皆忘れがちなのである。

(『「塩」の世界史』)

そういえば、"Could you pass me the salt please?"(塩を取ってくださいませんか?)というフレーズを中学時代覚えたものだ。これは砂糖でもなければ、コショウでもなかった。食事をすることと切っても切り離せないものは、やはり塩なのだろうし、「食卓塩」は、わたしたちの生活にかつてはしっかりと根を下ろしていたのだろう。

映画の《アダムズ・ファミリー》だったと思うが、"Pass me the salt."(塩を取って)という娘にお母さんが「何か足りないものはない?」と聞く。お母さんは"please"を子供に覚えさせたいのだ。
それに対して子供はひとこと。
"Now."(早く!)

鶏頭




2008-07-20:何を言っているんだか…

たまに何を言っているかさっぱりわからない人がいる。
「あれ、見たでしょ、あなた、あれで許せる?」などといきなり問いつめられて、へ? と思っていると、あれは頭に来た、これはひどい……とひとしきり続くのだが、相手が腹を立てていることはわかるが、それ以外には、いったい何が起こったのか、いったい何の話をしているのか、いつまでたってもわからないような話をしてしまう人だ。

5W1Hなどという言葉もあるが、ほんとうはそんなことを意識に留めておく必要などない。相手に伝えようとする出来事を、最初から起こった順に話していくと、必然的にいつ、誰が、どこで、どうした、という情報は、相手に与えられるのだ。

ところが何を言っているかわからない人の話というのは、実際に起こったことと、人から聞いたうわさ話と、自分の憶測が何の区別もなく語られ、そのあいだに霜降り状に「悲しかった」だの「それはひどい」だのという自分の感想が差し挟まれる。そうなると、こんな話を聞かされる羽目になる。

「あれ、見たでしょ、あの表、あなた、あれで許せる? わたしAさんと相談したんだけどあれだけは許せないってことになったのよ、あなたもわたしたちと同じ意見? Bさんってひどいわよね」

この時点で表こそもらっていたものの、わたしは何が問題なのかわからない。Bさんがひどいひどいと繰りかえし言っているので、てっきりBさんがその表を作ったのだろうと思っていたら、表を作ったのは別の人で、Bさんがどこかの時点で関与しているのだろうが、何らかの理由で彼女はBさんの方に腹を立てているのだ。

以前はそういうときに、「その表のどこが問題なの?」と、相手に聞いていた。すると、多くの場合、相手はそういうときに「あなた、これでいいと思ってるのね」と話はちがう方に行ってしまう。だからわたしはもうしばらくは辛抱して、言いたいだけ相手に言わせることにした。五分かかろうが、十分かかろうが、こちらから下手に交通整理をしようとするのではなく、言いたいことを言わせる。そうすればそのうち、「何が問題か」はおぼろげに見えてくる。そういう話し方をする人には、途中で交通整理をしようとしてもムダなのだ。

こういう話し方をする人は、ものすごく疲れるし、できれば相手をしたくないのだが、それでもつきあわなければならないときはある。わたしは何度か失敗を繰りかえし、「そのあいだは辛抱する」のが最良の方法であることを学んだのだった。言いたいことを全部言った相手はとりあえず落ち着く。整理はそこからすればいい。

考えてみれば、わたしもずいぶん人間が練れたものだ。昔は「何言ってるの? もう全然わかんない。ちょっと整理して言ってよ」「すいません。何をおっしゃってるのか、わかりかねますが」などと言って、よく相手を怒らせたものだった。相手を怒らせてもいいことはひとつもない。たったそれだけのことを学ぶのに二十年くらいかかった(笑)。

何を言っているかわからない人の話がわからないのは、情報の伝達に主眼点があるのではなく、自分の感情を伝えることに主眼点があるからだ。

だが、自分の感情を伝えて、その結果、自分はどうしたいのか、考えていない人が多いような気がするのだ。
わたしは腹を立てている、そんな不公平/不正は許せない、そこで頭は止まってしまって、それをそのまま他人にぶつけるから、話はちっともわからない。もしかしたら自分が怒っていること、つまりは、自分が不当な扱いをされた被害者であることさえ相手に訴えることができれば、それで気が済むのかもしれない。

だが、訴えられた側は、問題の解決に動かなければならなくなる。私的なことであれば、「あらあら、かわいそうねえ」と慰めてあげればすむのかもしれないが、作業の分担や当番の割り当てなどであれば、そういう不満を抱えている人がいるなら、それは解決しなければ全体に差し障りが出てくる。

不平や不満を我慢すべきだ、ということを言いたいのではない。問題提起がなければ、問題の解決もできないのだし、最初の問題提起というのは個人の不利益からであってもかまわない。それでも、その提起はあくまで問題の解決に向けたものだと思うのだ。自分がどう思った、自分がどう感じた、あの人はひどい……そういう発言は解決には結びついていかない。

つくづく思うのは、自分の感情を人に伝えるのはむずかしいということだ。相手は自分ではない。自分と同じように相手も感じてくれるかどうかわからない。そもそも、相手に自分の感情をわかってもらうことに、どれだけ意味があるのかどうなのかもわからない。

それでも、この気持ちを理解してほしい。
そうしてくれなければ、この先、あなたと関係を築いていくのがむずかしくなってしまうかもしれない。

そんなときには、できるだけ感情的にならないように伝えたい、と思う。
感情を伝えるときに、感情的にならない、というのは、これほどの逆説はないようにも思うのだけれど、でもそれはわたしが失敗を通じて学んできたことでもある。

伝えなくてはならない感情は、時間をおいて、いったん蒸留して、フィルターにかけて、並べ直して、そこからそっと差し出して、そのぐらいでいいのではないか、と思うのだ。

たいていのことはそれまでにどうでもよくなってしまうのだけれど、そのくらいのことなら、そもそも伝える必要はなかったということだ。

「思い」とは、胸の中にある一つのことをいいます。これに対して「考える」とは、あれかこれか、ああするか、こうするかと、いくつかの材料を心の中で比べたり、組立たりすることです。

(大野晋『日本語練習帳』岩波新書)
鶏頭




2008-07-16:いまが一番

先日、ある人の話を聞いていたところ、その人の知人のお嬢さんが、何をするでもなく、友だちと出歩くでもなく、家でぶらぶらしている、という流れになった。その脈絡で、その人が「二十代みたいな一番いい時期に、そんな生活を送っているなんて、どれほどもったいないことか」と聞いて、なんとなく変な気持ちになった。自分の過去を考えてみても、二十代が一番いい時期であるとは、どう考えても言えないからだ。

当時を振り返ると、いつも小さな箱を頭にすっぽりかぶっているようで、窮屈で苦しくて、眼に見える世界さえ、いまより二段階ほど薄暗かったような気がする。もちろん人にはそんな自分の内心を気取られないように、深く深く胸の奥にしまい込み、何食わぬふうを装って、勉強したり、本を読んだり、音楽を聴いたり、人に会ったり、バイトをしたりしていたのだ。表面を保とうとしたのは、周囲への意地とか見栄の側面もあっただろうし、それだけでなく、自分が内部に抱える混沌に飲み込まれてしまうような恐怖もあったはずだ。

だから、たとえ妖精だか魔法使いだかが現れて、二十歳に戻してあげましょう、と言ってくれたとしても、とんでもない、と断るにちがいない。さすがにあの時期の経験をもう一度繰り返したくはない。そんなことができる体力も、もはや残っていない。

"Sweet sixteen" などという言葉もあるし、十代後半から二十代がいい時期、というのは、確かによく聞く言葉だ。もちろん人は自分の経験しか知らないわけで、もしかしたらその時期が、文句なくすばらしい、と思える人もいるのかもしれない。だが、わたしにはほんとうに、その時期のいったい何がすばらしいのかよくわからないのだ。

何もかもが混沌としていて、解決どころか、いったいどういうふうに問題を立てたらいいのかすらわからなかったあの時期。恋愛など、事態を一層ややこしくするだけだった。バーナード・ショーの言葉だったと思うが、「わたしはわたしを入会させてくれるようなクラブには入りたくない」という言葉そのままに、わたしを気に入るような男の子とはつきあいたくなかった。

自分を「人とはちがう」「かけがえのないもの」と思いたくても、その根拠がどこにも見当たらない。自分にはこういう優れている点があるのだ、と思いこもうとしては、当人が一番それを信じられずにいた。だからこそ、誰も自分のことなどわかってくれない、と思っていながら、周囲からの評価が気になってたまらなかった。マイナスの評価を下されれば動揺し、プラスの評価を下されても、そこがポイントではないのに、といらだっていた。そんな内心を見透かされるのがいやで、素知らぬ顔を装っていた。

いま考えると、ほんとうに鬱陶しい、できればつきあいたくないような人間である。それが自分だった。あの時期、わたしと関わったすべての人に対して、できることなら謝りたい。

あれからいろいろ本を読んだけれど、結局のところ、知識を身につけた、というより、本を読むことによって、自分の問題をひたすら整理し、問題の立て方を学び、いらないものを捨ててきたのだと思う。豊かになったわけではない。ただ、あの時期からずいぶん整理がついたのだ。

おそらくわたしはこれからもこんなふうに整理を続け、「よりおもしろい問題」を見つけていけたらいいと思っている。たぶん、同じような失敗を繰り返すだろうし、結局のところ、賢くなどなれないだろう。それでも、あの時期よりはずっといまの方が楽しいし、そうしてあの時期をくぐり抜けてこれたのだから、たいていのことは大丈夫、とも思っている。

わたしにとっては「一番いい時期」というのは、「いま」だ。
以前にも引いたことがあるのだけれど、わたしの好きな言葉を。

 経験とは、危機を克服することである。「経験」(experience)という語は、「実験」(experiment)、「熟達者」(expert)、「危険な」(perilous)といった語と共通の語源(per)をもっている。能動的な意味で経験するためには、人は思い切って未知のもののなかへ入っていき、捉えがたいもの、はっきりしないものに関して実験を試みなければならない。熟達者になるためには、人は新しいものがもたらす危機にあえて直面しなければならないのであるが、なぜそうしなければならないのであろうか。人は危機へ駆り立てられて情熱的になるが、情熱は知力のしるしなのである。

(イーフー・トゥアン『空間の経験 ―身体から都市へ』 山本浩訳 ちくま学芸文庫)

経験とは、受動的でしかありえない。あらゆる出来事は、ただ、自分に降りかかってくる。「わたしは見る」というが、外界の事物の方が、わたしの視野に飛び込んでくるのだ。だが、わたしはそのなかから、自分の見たいものを「地」に浮かびあがる「図」として、瞬時に弁別して見ている。いったいどうして「見る」前に、自分が「見る」ものを選ぶことができるのか、いまのわたしにはよくわからない。その意味で、トゥアンのいう「能動的な意味で経験」というのが、レトリックではなく、文字通りの意味で可能なのかどうかも、まだよくわからないでいる。

それでも、トゥアンはこのようにも言っている。

経験するとは学ぶことであり、あたえられたものに働きかけて、そこから何かを生みだすことである。あたえられたものは、それ自体では知りようがない。われわれが知ることができるのは、経験によって構成された、つまり感情と思考によってつくりだされた現実の世界なのである。

わたしたちが知ることのできる世界は、視界のなかに飛び込んでくるものではなく、自分が見、知覚し、「感情と思考によってつくりだされた世界」であると。それが「現実」なのだ、と。

歳を取るというのは、自分が経験を重ねた刻み目がまたひとつ増えた、ということだ。「新しいものがもたらす危機」というのは、外側からやってくることだけを意味するものではないはずだ。おそらく自分の内にある、わけのわからない混沌が、それを受けて形を取ることなのだと思う。わたしたちが対面するのは、外からやってきたものであると同時に、自分の混沌でもあるのだ。だからこそ、経験することは同時に自分の混沌を整理することでもあるし、自分が生まれ変わる契機でもあるのだろう。

よく苦しんでいる人に向かって、そんなものは苦労でもなんでもない、ただあなたが恵まれていて、世間知らずで、甘えているだけだ、アフリカの飢えた子供たちに比べればはるかにあなたは幸せではないか……のような、粗雑なことを言う人がいる。

だが、そう言っている人は、少なくとも「アフリカの飢えた子供たち」の経験は持たないし、自分が言っている相手の苦しみを経験したわけでもない。もしかしたら自分の抱える混沌に向き合ったこともなく、「新しいものがもたらす危機」に対しても、出来合いの対応策ですませてきたような人なのかもしれない。あらかじめある答えで用が足せるのなら、怖いことも苦しいこともないだろう。

人がそれぞれ抱える苦しみというのは、その人とは切り離せないものだ。単純に「いつか抜けられる」などと気安いことはわたしには言えない。
それでも、それを抜けてしまえば、その経験はまぎれもなくその人の力になる。未来のあなたが、そこからさらに先の未来に立ち向かっていこうとするとき、その人を勇気づけるものとなる。いまの自分の毎日が、未来の自分を勇気づけることができるなんて、なんとなくステキじゃない? けれど、これはほんとうのことだ。

歳を取る、というのは、だからたぶんステキなことだ。自分が今日まで生き延びた、いくつもの危機を克服した、ということなのだから。だから、たぶん、いつだって「いま」が一番いい時期なのだ。

鶏頭




2008-07-15:それ以外が読む『悪女入門』

以前「愛されてお金持ち?」というログのなかで、M.J.アドラー、C.V.ドーレンの『本を読む本』を引用しつつ、本を読むときは「タイトルに注意する」ことがきわめて重要であることを書いた。アドラーとドーレンは「表題をよく読めば、読みはじめる前にその本の基本的な情報を得ることもできるはずだ。」と言っていて、たとえば『日本人はなぜキツネにだまされなくなったか』(内山節)というタイトルなどは、まさにこの主張を裏付けるものであるといえよう。

とはいえ例外というのは何にでもつきもので、『モモレンジャー@秋葉原』(鹿島茂 文藝春秋社)という本のように、どれほどタイトルに注意を払っても、内容の想像が困難な本もある。そのことについても、そのログでちゃんとふれておいたのだが、このたび、タイトルと内容が合っていないのではないか、というより、表題を読むことによって、まちがった情報を得てしまうような本を読んでしまったのである。著者は上でもふれた鹿島茂である。

鹿島茂は従来『馬車が買いたい!』『明日は舞踏会』『デパートを発明した夫婦』『子供より古書が大事と思いたい』…といった具合に、「表題をよく読むことによって、その本の基本的な情報を得ることができる」タイトルをつけていた。ところが『パリ五段活用』『文学は別解でいこう』あたりから、なんとなくよくわからなくなってきて、『モモレンジャー@秋葉原』あたりになると、いったい何のことやら……と首をひねりたくなってしまった。そうして今回の『悪女入門』である。

これは「悪女」を志す女性が読むための書物であろう、と、悪女を別に志していないわたしは、久しく敬遠していたのである。
表には「男を破滅させずにはおかない運命の女 femme fatale ――魔性の魅力の秘密は何か。宿命の恋の条件とは。フランス文学から読み解く恋愛の本質、小説の悦楽」と紹介文が書いてある。ううむ、魔性の魅力の秘密も、宿命の恋の条件も、恋愛の本質(わたしはあまり「本質」ということばが好きではないのである)も、あまり興味があるとは言い難かったが、「フランス文学から読み解く」に引かれたのである。

読んでみると大変おもしろいばかりでなく、得るところの多い本だった。とりわけエミール・ゾラの『ナナ』においては、主人公ナナが作品の進行とともに、近代資本主義のメカニズムそのものと化していく、という指摘には、わたしも、おお、と膝を打つと同時に背中を伸ばし、ついでに目から鱗を十枚ほど落としてしまった。もっと早く読んでおくべきだった、こんな本を何でいままで避けて来たのだろう……。

だが、一読後、わたしはやはり首をひねらないわけにはいかなかった。
いったいどこが「悪女入門」なのだろう?
図書館でこの本の背表紙をながめながらいままで手を出さなかったのは、ひとえにこのタイトルのせいである。確かに「悪女」はたくさん出てくる。さまざまな作品におけるさまざまなタイプの「悪女」をとりあげ、彼女たちが作品の中で果たす役割が考察されている。ところがそれを読んだところで、悪女道、みたいなものが仮にあるとして、入門できるとも思えないのだ。

ところで、鹿島茂の本にはときどきモモレンジャー対ウッフン、という対立の図式がでてくる。

モモレンジャーというのは、「秘密戦隊ゴレンジャー」を嚆矢とする戦隊もののなかで、紅一点の「モモレンジャー」を男の子に混ざってやりたがる女の子のことである。彼女らは子供時代、一緒に遊ぶ男の子たちから、とにかくモテる。ところが彼女たちのモテ期のピークはその時期で終わり。思春期を過ぎたあたりから、男の子たちは、先天的に男を蠱惑する術を備えた、百パーセント女である女の子(鹿島茂は「ウッフン」と命名している)のほうに吸い寄せられていく、というのである。

 私はこうした状況を観察していて(…)、ゴレンジャー・ガールたちに、なんとかスーパー・ウッフンの高度な誘惑技術を学ばせる方法はないかと考えました。なぜなら、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが『第二の性』でいみじくも言っているように、「女は女として生まれるのではなく、女になる」のですから、ただ肉体的に女として生まれてきたというだけでは、誘惑術は身につかないからです。どこかで、それを後天的に学習することが必要となります。とりわけ、先天的にそれを欠いているゴレンジャー・ガールには学習が不可欠です。人間としての魅力という点から見ると、ウッフンよりもゴレンジャー・ガールのほうが魅力のあるケースが多いのに、結婚までこぎつけないどころか、恋人もできないとは、あまりにもかわいそうです。なんとか、彼女たちが誘惑術を無理なく学べる方法はないものでしょうか?……

フランス文学を勉強するといったのでは、欠伸をしてしまう女子学生も、ファム・ファタルの誘惑術ということなら身を乗り出すにちがいありません。なにしろ、それを学びさえすれば、ゴレンジャー・ガールもスーパー・ウッフンに変身できるのですから。

(鹿島茂『悪女入門』あとがき 講談社現代新書)

その意図のもと、書かれたのが『悪女入門』である、と書いてある。

なるほど。

だが、モモレンジャーというのは、五人のなかの「紅一点」なのである。残りの四人は男、ということは、男女の人数がほぼ同数であるとすると、女の子の五分の四はモモレンジャーではないのである。わたしもそうだった。わたしのころはもちろん戦隊などというのはいなかったが(じゃないんだろうか?)、「ウルトラマン」の科学特捜隊(だっけ?)にだって、紅一点はいた。おそらくその紅一点をやりたがる女の子だっていたのだろう。だがわたしは全然そういうのとは無関係だった。

もちろんその五分の四が「ウッフン」のはずがない。つらつら考えてみるに、「ウッフン」に該当するような女の子など、これまでわたしの知る限りで、ほんの数人しかいない。わたしの知り合いのなかで、男の子にやたらもてていた女の子は、「ウッフン」というより「わんわん」と言いそうな女の子(なんだか子犬に似ていたのである)だった。さらに小さい頃、自分の家族を除いて男の子が身近にいなかったわたしは、「ゴレンジャー・ガール」にあたる女の子さえ知らないのである。

どうやらこの本は、対象読者を「元モモレンジャー」に置いているようだが、大多数の女性は「元モモレンジャー」でも「ウッフン」でもないのである。まずこの本は対象読者の選定を誤っているように思われる。

二点目。
「それ(※スーパー・ウッフンの誘惑術)を学びさえすれば、ゴレンジャー・ガールもスーパー・ウッフンに変身できるのですから」と書いてあるが、「スーパー・ウッフン」も「場」と「相手」と「本人」の三つの要素が複雑に絡み合って生まれることが、一冊の本を通して、十一の作品と十一人の「スーパー・ウッフン」を通して書いてある。ということは、仮に「誘惑術」を実行したところで、「場」も「相手」も「本人」もまったく無関係にそれを繰り出しては、小学校の騎馬戦に出場した象に乗ったハンニバル将軍のようなことにもなりかねないではないか。

やはりこの本を「ゴレンジャー・ガール」向けの「誘惑術」の本とするのは無理があるように思われる。ここは「フランス文学に見るファム・ファタル」というタイトルにすべきだったのではあるまいか。売り上げには貢献しないかもしれないが、M.J.アドラーとC.V.ドーレンは喜んでくれるように思う。

ところで、わたしがこの本を図書館で読んでいたら、向かいにすわっていたおじさんに、まじまじとタイトルとわたし本人を見比べられてしまったのである。そのおじさんの顔には「無駄なことはやめておいたほうが」という表情が浮かんでいたように思ったのは、かならずしもわたしの被害妄想とは呼べないような気がする。

いや、わたしは別に入門しようとしているわけではありませんから。

鶏頭




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