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鶏的思考的日常 ver.28〜どの道か 忘れたままで 年は暮れ 編〜



2008-12-31:陰陽師的2009年占い

今年もやります。「陰陽道に基づかない陰陽師的占い」の発表です。

陰陽師的2009年占い

【牡羊座】2009年のキーワード:「往生際」の達人を目指す

身の回りのささやかな物事の寿命を決めるのは、意外にむずかしいものです。噛んでいるガムはかなり前から味がなくなっているし、プリンタは赤いランプを点滅させてインクがなくなっていることを知らせています。歯ブラシの先は明らかに反っているし、パソコンのマウスも、電池残量10%以下の表示が三日前から続いている。いつ諦めて新しいものに切り替えるか。あなたの身の回りの物たちは、あなたの決断を待っています。

ものを大切にするあなたがそういうものをなかなか換えられないのは、「本当にそれでいいのか、まだ使えるのではないのか」という疑念がいつまでもあなたを苦しめるから。

まだ早いかな、と思いながら使っていると、あと半分、というところでプリンタが止まってしまったり、暗い部屋に帰ってきて、明かりをつけた瞬間に蛍光灯が切れたりする羽目になります。

そうなるまえに、さっさと引導を渡して新しいものに交換してしまいましょう。日常至るところにある「往生際」を見きわめて、ひとつずつ片づけていくたびに、あなたの「往生際」の達人度合いはあがっていくはず。


【牡牛座】2009年のキーワード:週に一度「心ゆくまで」を楽しむ

その昔、わたしの知人にひとつのティーバッグを三度に分けて使っていた人がいました。一度目、二度目のティーバッグがソーサーに載って保存してあるのを見るたびに、ひからびた三度目のティーバッグで入れた「紅茶」が、どれほど紅茶の味がするものか、いつも疑問に思っていたのですが、見方を変えればその人は「心ゆくまで」ひとつのティーバッグを味わっていた幸せな人ともいえます。

あわただしい日々を送るあなたは、朝は朝で「心ゆくまで」寝ていたい、夜になると「心ゆくまで」お風呂に浸かっていたい、ダイエットなど気にせず「心ゆくまで」ケーキを食べたい、翌日の仕事など気にせず「心ゆくまで」お酒を楽しみたい、と思っています。このように、あなたの「心ゆくまで」を妨げるのは、外的な制約です。だから「心ゆくまで」は外的な制約に対する反抗ともいえる。

ときに、あなたの好きなことを「心ゆくまで」やってみましょう。いや、まだまだ、「心ゆくまで」には至らない、と往生際悪く思い続けるのもまたよし。心ゆくまで往生際の悪さを楽しんでみましょう。


【双子座】2009年のキーワード:雨の日だって晴れ(ばれ)男(女)

その昔、マイクロバスに乗ってサファリパークを一周したことがあります。後ろになぜかおばちゃんのふたり連れがすわっていたのですが、
ライオンのエリアに来ると「あー、ライオンがいるわ」「ライオンねえ」
クマのエリアに来ると「あー、クマがいるわ」「クマねえ」
シマウマのエリアに来ると「あー、シマウマがいるわ」「シマウマねえ」
という会話を際限なく続けていました。

前にすわっていたわたしは、ひそかにキリンのコーナーにワニがいたりしないかな、と期待していたのですが、当たり前のことを繰りかえして言われると、人というのはいらいらするものです。

雨が降っているときにうっとうしい気分になるのは、誰でも同じこと。
「雨が降ってるわ」「あー、雨ねえ」
そんなうっとうしいときに、こんな会話を聞かされて、はり倒したい気持ちになっている人だっているかもしれません。

雨が降っていることをぶつぶつ言っても始まりません。雨が降っているときこそ晴ればれと。そんなあなたは、周りのみんなの「太陽」になれるはず。


【蟹座】2009年のキーワード:一度にふたつのことをしようとしない

忙しくなってくると、多重債務を負ったような気分になって、たったひとつのことしかしていないと損をしたような気分になってしまうものです。料理をしながら本を読み、プリントアウトし、i-Tuneで音楽をダウンロードしながらアイロンが温まるのを待っていると、実に多くの仕事をこなしているような気がするものですが、うっかりするとプリントアウトした紙を鍋で煮込みながら本を切り刻み、i-Podにアイロンをかけてしまうかもしれません。

咳が出るあいだは水を飲むのを待たなくてはならないし、じっと待たなければならないときに、こちらから迎えに行くようなことをすると、相手と会えなくなるかもしれません。一度にふたつのことはできないのです。息を吸いながら吐いている人の姿が想像できないのと同じことです。


【獅子座】2009年のキーワード:聞いているより歌う方が楽しい

カラオケに行くと、歌というのは自分で歌うから楽しいのだということがよくわかります。おつきあいで手を叩いていたとしても、誰もが夢中になっているのは「自分がつぎに何を歌うか」ということ。何ごとも自分でやってみなくてはほんとうの楽しさはわかりません。

自分にはできない、と始める前から尻込みし、カラオケに誘われても決して行かない人は、自分をわきまえている慎み深い人ではなく、下手な自分が受け入れられないだけでしょう。

一生懸命やる、失敗しても、何度でもやってみる。
このことには思いもかけないもうひとつの余録があります。自分がやる側に回ってみると、周囲の人が一緒に楽しめる人か、あらさがしばかりしている人か、よくわかってくるのです。


【乙女座】2009年のキーワード:その場にふさわしい行動をとる

おもしろくない人の話を聞いてしまったあなたは、おもしろくなさそうな顔をしてしまうかもしれません。自分ならもっとおもしろい話ができるのに。「いいこと」が言えるのに。

すると相手はがっかりしたり不愉快に思ったりして、おもしろくない話はいよいよおもしろくなくなってしまうのです。その結果、いいことなどひとつもない、ということになってしまいます。

聞かなければならない話なら、それがおもしろそうな態度を取ることです。興味を持てるところを探す。「要するに」と、要しているわけでもないのに何度繰りかえすか、正の字を書いて数えてもいいし、相手の口ひげが、鼻息でふるえる様を観察するのでもいい。寝つけない夜に横になって眠いふりをしていれば、いつしか眠っているように、聞くべきときに聞く態度を取っていれば、きっと得るものはあるはず。それが四十三回の「要するに」であったとしても、そのあいだ不愉快でいたことを思えばずっとマシではありませんか。


【天秤座】2009年のキーワード:トラブルを受け入れる

パソコンを使うということは、いくつかのトラブルを抱えながら、それをなだめなだめ、もしくはヒヤヒヤしながら使い続けるということを意味するもののようです。わたしのいま使っているパソコンも、どういうわけか再起動したときでないと無線LANが使えなくなってしまいました。そこで昔のLANカードを差しこんで使っているのですが、これがいったいどういうトラブルなのか、わたしにはよくわからず、使えればまあいいか、という状態が続いています。知人のなかにはTVの画面が乱れるたびに叩いて直していましたが、どうして叩くと直るのか、説明できる人がいるでしょうか。

トラブル・シューターでもあるあなたは「根本的な解決」に心引かれますが、いつもそれが可能とは限りません。それが不可能なときは、とりあえずさまざまに試してみながら、次善の策、次々善の策を試してみることです。「旧型というだけですでにトラブル」などという、ある意味とんでもない電化製品であるパソコンを使いこなしているあなたは、トラブル・シューティングの達人の道を歩んでいるのかもしれません。


【蠍座】2009年のキーワード:役に立つことができる自分を喜ぶ

有能なあなたのところには、いろんな仕事の依頼が舞い込みます。ときにそれに対する報酬が、あんぱん半分だったり(実話)、木で鼻をくくったような「ありがとうございます」のひとことだったりすることもあるのだけれど、別の見方をすれば、あなたはすでに大きな報酬を得ているともいえます。自分に何かができた、人の役に立つことができた、という実感は、何にも代え難い喜びのはず。きっとあなたが求めているのは、やったことから得られる利益ではなく、評価なのでしょう。ただ、人は自分にないものを評価はできないもの。あなたの仕事の価値を誰もがわかってくれなくても、自分ができたという実感は、何にも優る喜びでしょう。


【射手座】2009年のキーワード:体を動かす楽しみを持つ

あれやこれや考え始めると、感情が頭のなかで渦巻いてしまうことがあります。一粒の種があっというまにジャングルになり、ターザンがぶらさがっているところまでいってしまいます。そこまでいくと自分の感情を自分でコントロールなんてできません。

頭の中が考えでいっぱいになってしまったら、バットの素振りでもレース編みでもピアノを弾くことでもいいから動く。日頃からそんなときの楽しみを持っているあなたはとてもステキです。それが草引きなら、ウチに招待したいほどです。


【山羊座】2009年のキーワード:自分に騙されない

騙して壺を売りつけようとする人は、「別に信じなくていいんですよ」と言うのだそうです。こんなインチキの壺に大枚をはたくほど、あなたが息子の引きこもりや娘の非行に心を痛めているということがわかってもらえれば、それでいい、と。そういう人は自分を騙せ、とそそのかしているのです。

騙される人の話を聞いたとき、わたしたちは不思議に思いますが、ほんとうは騙そうとする人に騙されているわけではなく、自分が自分を騙している。だからこそ、だれだって騙される可能性はあるのです。

不幸にして騙された人をバカにするようなことをしていると、つぎの被害者は、あなたかも。


【水瓶座】2009年のキーワード:不幸自慢は毒の味

あなたの周りにいろんな人が集まってくるのは、あなたといると楽しいから。
もちろんあなたにだって暗い話はありますが、いまのことであれ、過去のことであれ、そんな話を聞かせて周りの人をいやな気持ちにさせる必要はありません。

自分の不幸な記憶は自家中毒のようなもの。切り抜けたあとは忘れてしまえばよいのです。もっとも、忘れようとして忘れられるものなら苦労はいらないのですが、少なくとも痛い歯を自分の舌でつつきまわすようなことはやめるべき。それをさせているのはあなたの習慣です。ならば新しい習慣をひとつ、作ってみましょう。

不幸な記憶を思い返していることに気がついたら、右手を上に。手首を曲げて。左手は胸の前。片脚を上げて膝で曲げ、言ってみましょう。

「シェー!」


【魚座】2009年のキーワード:悪い運命などない

運命という言葉がありますが、たとえそんなものがあったとしても、誰もあらかじめ知ることができず、コントロールも手出しさえもできないのだとしたら、あろうがなかろうが関係ありません。

だれでも振り返って、自分がやったことやらなかったことに運命のしるしを見いだそうとしますが、そんなものは星と星をつないで勝手に星座をでっちあげるようなもの。わたしたちは目の前のことを毎日やるだけです。

悪い運命なんてない。
一年に一度だけ無資格占い師となるわたしが断言してあげます。

* * *

H.G.ウェルズが「タイムマシン」という乗り物を発明して以来、わたしたちはどこかで「未来に行ける」ということを空想するようになりました。

けれども、起こっていない未来にどうやったら行けることができるのでしょう。もし行けるような未来がどこかにあるとしたら、すべてはすでに起こってしまって、わたしたちがそこへいくのを待っている、ということになるではありませんか。

未来なんてどこにもない。

それでも、わたしがいま食べるのは、これから行動するためです。明日も生き続けられるように、食物を摂取し、新陳代謝を行う。たとえ心臓が鼓動を停めても、しばらくは爪も伸び、髪の毛も伸びるのだとか。つまり、身体はつねに未来を指向している。けれど、意識の側は知らないものを想定し得ない。だから身体としてある意識にとって、〈不安〉というのは、本来的なことなのかもしれません。

むしろ〈不安〉が当たり前のことなら、意識して希望を持とうではありませんか。 この「陰陽師的占い」の意図は、そこにあります。

ささやかな笑いと希望を感じていただければ、これほどうれしいことはありません。

鶏頭




2008-12-29:屋根の上にて

わたしはどうも昔から「屋根にのぼってそこにすわっている」という情景にヨワい。エルトン・ジョンの《ユア・ソング》のなかにも「屋根に腰かけて、苔を蹴っとばした」という箇所があって、あの歌が好きなのはひとえにその部分があるからのような気がする。

映画の《セント・エルモス・ファイアー》にも、メア・ウィニンガムとロブ・ロウが屋根で話をするシーンがあって、ディヴィッド・フォスターの音楽とその場面だけ、いまでもはっきりと記憶にある。

ところがわたしには屋根にのぼった経験というのがないのだ。二階の自分の部屋の窓をあけると、屋根瓦にはすぐ手がとどいたが、傾斜がきつく、幅も狭く、あっという間に下まで滑り落ちそうで、猫ならぬ身のわたしとしては、ちょっとそこから出る気にはなれなかった。だが、横に目を転じると、隣の家とは軒を接するほどで、屋根づたいにどこまでも行けそうだった。実際にわが家の猫たちはそうやって行き来していたのだが、夜寝るときは、猫のように部屋から抜け出す自分のことを空想したものだ。

井伏鱒二の『厄除け詩集』(講談社文芸文庫)のなかに、こんな詩がある。

   歳末閑居

ながい梯子を廂にかけ
拙者はのろのろと屋根にのぼる
冷たいが棟瓦にまたがると
こりゃ甚だ眺めがよい

ところで今日は暮の三十日
ままよ大胆いっぷくしていると
平野屋は霜どけの路を来て
今日も留守だねと帰って行く

拙者はのろのろと屋根から降り
梯子を部屋の窓にのせる
これぞシーソーみたいな設備かな
子供を相手に拙者シーソーをする

どこに行って来たと拙者は子供にきく
母ちゃんとそこを歩いて来たという
凍えるように寒かったかときけば
凍えるように寒かったという

(『厄除け詩集』)

昔は「掛け」で買って、支払いは盆と暮れに店の人が集金に回っていた。昭和四十年代でもまだこの風習は残っていたのではないか。わたしの家でも「掛けで買う」という言葉を両親が使っていた記憶がある。おそらくその相手は米屋や酒屋に限られていたのだろうが。

西鶴の『世間胸算用』にも、暮れにやってきた掛け取りを、切腹の真似をして追い返すという話が出てくるが、大晦日までうまくやり過ごせば、除夜の鐘が鳴ってしまえばしめたもの、つぎの節句までは大丈夫、ということになるのである。

この詩の「拙者」も、掛け取りが集金に来ても、払う金がない。だから屋根に上って居留守を使うのである。屋根の上に上って見ていると、「平野屋」は「今日も留守だねと帰って行く」、居留守は今日もうまくいったらしい。

つぎの「ままよ大胆いっぷくしていると」というのは、元ネタがあるという。

 このころ流行った軍歌の一つに「雪の進軍」というのがあります。その歌詞の一番は、次のようです。

 雪の進軍氷をふんで
 どれが河やら道さえ知れず
 馬は斃れる捨ててもおけず
 ここはいずくぞ皆敵の国
 ままよ大胆一服やれば
 頼みすくなや煙草が二本

〈歳末閑居〉の、

 ところで今日は暮の三十日
 ままよ大胆いっぷくしていると

は、軍歌「雪の進軍」からの流用ということになります。

(川崎洋『すてきな詩をどうぞ』ちくまライブラリー))

軍歌といえば行進曲、行進曲といえば「軍艦マーチ」や「星条旗よ永遠なれ」のように、威勢がいいものだろうと漠然と思い込んでいたわたしは、こんな威勢の良くない、しみったれた、というか、それでいてクスッと笑ってしまうような、ペーソスに満ちた軍歌があったということ、しかもそれが「流行った」ということに驚いてしまう。

ともかくこの軍歌を本歌取りして、「拙者」は歳末の掛け取りという「敵」をやりすごして、えいままよ、と煙草に火をつけているのだ。

『厄除け詩集』が出されたのは昭和十二年。日中戦争が始まり、戦時色が日ごとに強まっていく時代である。

わたしたちは戦前というと、ひたすら暗い時代という印象を受ける。「治安維持法」や「国民総動員法」の下で、当時の人びとがどんなにつらい、苦しい境遇に置かれていたのだろう、と思うのだが、そういう時代でも、やはり年は暮れ、正月はやってくる。子供と遊び、子供の味わった寒さに思いを馳せていたのだ。

時代という。
わたしたちのものの見方や感じ方は、もちろん時代の影響を受けずにはおかない。けれど、「暗い時代」だったから、人びとがいちように暗かった、などということがあるのだろうか。

わたしたちはあとから、「良い時代だった」とか「悪い時代だった」とか言うけれど、たとえいまのわたしたちから見てそれが「悪い時代」であったとしても、そのときそこで生きていた人びとが一様に「悪かった」から悪い時代になったわけではないし、時代が良くなれば、それだけで誰もが良くなるわけでもないだろう。「良い時代」に「悪い」ことが起こらないわけではない。「悪い」ことが起こったからといって、「良い時代」がたちまち「悪い時代」になるわけでもない。

どんな時代であれ、朝は来るし、新年はやってくる。
そんなふうに考えていくと、「時代」なんてものが明るかろうが、暗かろうが、そんなことはあまりたいしたことではないのではないか、と思うのだ。

鶏頭




2008-12-25:えこひいきの話

先日、兄弟姉妹というのはなかなか大変なものだなあと思う話を聞いた。

わたしにその話を教えてくれたのは、ふたり姉妹の妹にあたる人だったのだが、その人のもうすぐ二歳になる娘に、彼女の実家からクリスマスプレゼントが届いたのだという。それが、彼女のお姉さんの子供ふたりに送ったものと「全然ちがう」のだそうだ。姉のところには、ふたりそれぞれに、いまはやりの、子供たちの喜びそうなものをみつくろってくれたのに、自分のところには、それより額もぐっと下回る、ついでに調達したとしか思えないようなものだったとか。

小学校の、それも高学年になる子供たちのおもちゃと、まだ一歳の子供のおもちゃでは、そもそも比較すること自体、無理があるような気がしたのだが、自分が小さな頃からいつもそうだった、姉ばかりかわいがられていた、と、これまでのあれやこれやを、いくぶん感情的になったその人が縷々訴えているのに耳を傾けるうち、子供を育てるというのは、自分自身がもう一度、子供時代を生き直すという側面があるのだなあ、と思ったのだった。

子供というのは「えこひいき」にことのほか敏感だ。母親がケーキを切り分けるときは、どれが一番大きいか、目を光らせる。たとえケーキがそれほど好きなわけではなくても、ケーキの大きさの差は、母親が子供たちをどのように見ているかの反映なのである。

学校だって同じこと。小学校時代から誰が「先生のお気に入り」かはたちまちみんなの知るところとなったし、「あの先生、えこひいきするよね」という言葉は、先生に向けられる最大の倫理的批判だった。中学時代、先生になりたい、という子に向かって、「A子は人の好き嫌いが激しいでしょ、先生に向かないと思う」と意見する子もいた。

だが、自分が公平さを求められる側にまわってみると、「公平」というのはそれほど単純なことではないことがわかる。ちょうどおでんを煮込むときのようなものだ。それぞれの具材によって、下ごしらえも、入れる順序も、煮込む時間もまるでちがう。「公平」を期してコンニャクと牛スジと大根とジャガイモと昆布とはんぺんを同じ状態で同じ時間煮込んでしまえば大変なことになるだろう。

さらに言えば、料理人であるわたしの問題もある。わたし自身にだって好みはあるし(わたしはおでんにニンジンを入れるのは好まない。はんぺんとちくわぶも嫌いだ)、不調なときだってある。しかも現実の人間は、おでんの具材と比較にならないほど複雑で、しかも一度きりではないのだ。全員に「公平」であろうとするのは、至難の業、というか、そもそも不可能なことなのである。

親や先生が「えこひいきをした」と憤る子供たちは、親や先生たちが自分たちと同じように、好きと嫌いがあり、好調と不調があり、うまくできることとできないことがあり、しょっちゅう間違え、失敗する人間であるということを知らない、というか、それに気がつくまいとする。そういうオトナは「公平で正しい行動」を取るべきで、それを逸脱することが許せない。不正を目の当たりにすれば、持てる限りの正義感を総動員して、批判の声を上げる。

だが、実際のところ「公平で正しい行動」というのはどこにあるのだろう。

もちろん、同じ情況に過去遭遇していて、以前の経験が適用できる場合はあるかもしれない。本やマニュアルによる知識や、自分が教えてもらったことで対応できる場合もあるだろう。だが、そんな情況は限られているし、いくら似ていたとしても、時間と相手がちがえば、情況はすでに同じではない。どんなときでも遭遇するのは「初めて」だし、初めてのことは誰だって手探りなのである。いろんなことはやりながらわかっていくしかないのだ。間違えるのはあたりまえだし、第一、間違うことが最悪のことでもない。

親に対する「恨みつらみ」が忘れられない人がいる。わたし自身がずっとそうだったから、その気持ちはすごくよくわかるし、そんなふうに思ったこともないような、安定した幼少期を過ごした人がうらやましい。

家を出てしばらくは(というか、家に縛り付けられていたのと、ほぼ同じくらいの年数のあいだは)ずっと、どうかすると親に対する批判が頭をもたげてきて、あのときはああいうことをすべきではなかった、とか、自分だったらそうはしない、自分はそんな大人にはならない、などと思っていたものだ。

だが、自分自身が失敗を繰りかえし、恥ずかしい思いをしたり、落ち込んだりしたあげく、この失敗が最後ではないのだ、これからだっていやになるほど失敗を繰りかえすのだ、という、情けない、脱力するしかないような事実を徐々に理解するにつれ、親に対する気持ちも少しずつ変わってきたような気がする。

もちろん過去のあれやこれやの記憶がよみがえってくることもある。だが、たとえ過去、そういうことがあったとしても、それをいま思い出して、改めて自分を傷つけ直しているのは、もはや親ではない。思い返している自分自身だ。そうなると、悪いのは一体誰なのだろう? いま、自分に痛みを与えているのは、自分自身ではないのか。

親であれ、先生であれ、どこかの「エライ人」であれ、誰かの行動を取り上げてそれを批判する、というのは、自分を子供の位置に置こうとすることなのかもしれない。自分は大切に扱われ、保護されるべき子供なのだ、と。自分の「取り分」が少ないことに腹を立て、不公平だと正義感に満ちあふれて告発している子供。

「えこひいき」という言葉を使うのは子供だけだが、「不公平」というと適用範囲は広くなる。さらに「不正」となると「社会的正義」の後ろ盾も加わってきそうだ。だが、それを声高に叫ぶことの根っこにある感情は、結局は同じものであるように思う。

わたしに「クリスマスプレゼントの差別」の話をしてくれた人も、どこかで自分の怒りの理不尽さに気がついていて、それで余計に感情的になっているような気配もあった。すでにそこから出てきたはずの過去に、ふたたび足を取られたような気持ちだったのかもしれない。

坂口安吾は、太宰の訃報にふれて、「不良少年とキリスト」という一文を書いた。そのなかで、この言葉がのちに有名になる。

親がなくとも、子が育つ。ウソです。
 親があっても、子が育つんだ。親なんて、バカな奴が、人間づらして、親づらして、腹がふくれて、にわかに慌てゝ、親らしくなりやがった出来損いが、動物とも人間ともつかない変テコリンな憐れみをかけて、陰にこもって子供を育てやがる。親がなきゃ、子供は、もっと、立派に育つよ。

親なんて、しょせんそのぐらいのものなのだ。そのぐらいのものだからこそ、大昔から人間はいなくならずに続いてきた、とも言える。どれだけ腹を立ててみたところで、たかがわたしの親なのだ。そうして、そんな自分が親でもあるのだ。そのことを彼女も受け入れることができたら、もしかしたら見方も変わってくるのかもしれない、と思う。

けれど、安吾の文章でもっと大切なのは、それにつづく箇所だろう。

 時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、自分が生れてから、死ぬまでの間です。
 大ゲサすぎたのだ。限度。学問とは、限度の発見にあるのだよ。大ゲサなのは、子供の夢想で、学問じゃないのです。
 原子バクダンを発見するのは、学問じゃないのです。子供の遊びです。これをコントロールし、適度に利用し、戦争などせず、平和な秩序を考え、そういう限度を発見するのが、学問なんです。

「限度」という発想がないから、子供は親が全能だと思い、だからこそ不公平が許せない。先生は教室で全能だから、「えこひいき」が許せない。

大人になる、というのは、この「限度の発見」なのかもしれない。

 私はこの戦争のおかげで、原子バクダンは学問じゃない、子供の遊びは学問じゃない、戦争も学問じゃない、ということを教えられた。大ゲサなものを、買いかぶっていたのだ。
 学問は、限度の発見だ。私は、そのために戦う。

こういうのを読むと、つくづくオトナってカッコイイ、と思う。
こんなオトナに、ワタシハナリタイ。

鶏頭




2008-11-23:枯れ尾花が怖いわけ

昨日の続きで、今日も三島由起夫の『不道徳講座』をもとにした話である。

せっかくだからと電車のなかで全編を読み返してみたのだが、「知らない男とでも酒場へ行くべし」とか「大いにウソをつくべし」とか「約束を守るなかれ」とか「弱い者をいじめるべし」とかというタイトルは刺激的でも、実際のところはとてもまっとうで良識的なことが書いてあって、さほどニヤリともできないし、鈍いわたしには、解説を書く奥野健男のように「得意の心理分析、洞察で人間の心理を裏返し、悪へ、革命へ、破滅へ虚無へ向かう人間の現存在の深淵をチラリと垣間見」られるようにも思えず、結局は想定された「読み手」を「この程度」と踏んでいたのかなあ、という印象が強かった。

それでもそんな具合に、ごく力を抜いて軽く書いているにもかかわらず、小説よりももっとずっと「素」の三島の健全さ、まじめさが透けて見えるようで、ジンメルの「各人が他者についてその他者がすすんで明らかにするよりもいくらかはより多くのことを知ってい」て、「しばしばその多くのことは、それが他の者によって知られるということをその本人が知れば、本人には都合が悪いことなのである」(『社会学』)ということばを改めて思い出したりもしたのだった。

とはいえ、やっぱり「なるほど」と思う章もいくつかあった。「悪口の的となるのは、…必ず何らかのソゴであります」という「批評と悪口について」の章、「ニセモノの物語には、バレるというクライマックスが絶対必要」という「ニセモノ時代」の章、そうしてここで取り上げようと思っているのが「自由と恐怖」という章である。

三島はここでは自分がカニがコワイ、という話から話を書き起こす。カニが怖い、あるいはナメクジが怖い。どうしてこんなつまらないものが怖いのか。たとえば真剣にナメクジを怖がっている人に、原爆や水爆とナメクジとどちらが怖い? と聞けば、おそらくナメクジの方が怖いというだろう。

 今のところまだ落ちるか落ちないかわからぬ水爆よりも、目の前のナメクジのほうが怖い! 実はこれがわれわれの住む世界の本質的な姿なのです。この法則からは英雄も凡人ものがれることができない。世界中の恐怖が論理的に説明のつく正当なものだけならば、世界中の人の恐怖心は一致して、水爆も原爆も戦争も、立ちどころにこの世から一掃されることでしょう。しかし歴史がそんなふうに進んだことは一度もありません。人間にとって一番怖いのは「死」の筈であります。でもあらゆる人が死の恐怖において一致したということはない。アパートの一室で死にかけた病人が死の恐怖にすべてを忘れているとき、隣の部屋では、健康な青年が油虫を怖がって暮らしているのです。

 そう考えてゆくと、「正当でない恐怖」こそ、人間の一等健康な姿かもしれないのです。…
 カタツムリやカニなど、とるに足らないものへの恐怖は、他人のマネではなくて、全く自分だけの個性的な恐怖でありますから、むしろそこには自由の意識が秘められている。死や水爆や戦争に対する恐怖は、受動的な恐怖であって、こちらの自由を圧殺して来るおそろしい力に対する恐怖ですが、それに比べると、カニやクモや鼠や油虫に対するわれわれの恐怖は、むしろ積極的なものだ。われわれはそれらを、進んで怖がるのです。…

人間、生きるためには、下らんものを怖がっているほうがよろしい。人の心の抱く恐怖の分量などは各人大体同じだから、下らぬものを怖がっていれば、恐怖の全分量がそれで一杯になってしまい、死や水爆や戦争に対する恐怖を免れる。そういう圧倒的な、のしかかって来る恐怖から自由でいられる。そのおかげで、現在における自分の自由を確保できるのです。

(三島由紀夫『不道徳教育講座』角川書店)

これはまったくその通りだと思うのだ。恐怖ばかりではない、不安でも、悩みでも、現れ方はさまざまだが、自分の行動を立ち止まらせてしまうような感情的な混乱は、根本的にはどれもまったく同じものであるように思う。

以前、職場に「Aさんはあのときああ言った、Bさんは別のときこんなことを言った」と、端で聞いていれば、ほとんど取るに足らないようなことを、しかもよくよく聞いてみれば、一年も二年も前の出来事を、執念深く思い返しては改めて腹を立て直しているような人がいた。だがその人は、わたしの目から見れば、仕事の上で、もっとずっと深刻な、即座に抜本的な改善の必要があるような問題を抱えていたのだ。また、何年も失敗を続けている資格試験の前になると、決まってややこしい恋愛を始めて、周囲も巻き込んで大騒ぎを始める人もいた。

「そういう圧倒的な、のしかかって来る恐怖から自由でい」るために、人はみずから進んで怖がったり、腹を立てたり、不安がったり、悲しんだりするのだろう。三島は「人間には、こんな風に、恐怖をほしがるふしぎな心理もあります」と書いているが、恐怖ばかりではない、さまざまなネガティヴな感情を、多くの場合、人は進んで求めている。

何かが怖いと思ったとき、ほんとうはちがうものを恐れているのではないか。自分はその恐怖や不安を必要としているのではないか。そう問い返してみることは、決して無意味なことではないように思う。おそらく、ほんとうの原因がわからない限り、自分の感情をコントロールすることはできない。「生理的に受けつけない」というのは、自分のごまかしを自分自身に正当化しているだけなのだろう。

鶏頭




2008-11-22:おせっかいはどこへ行った

三島由紀夫の『不道徳講座』というエッセイを高校時代に読んだことがある。軽く読み終わってしまって、中身もほとんど記憶に留めることもなかったように思うのだが、「おせっかい」に対して手厳しい批判を投げつけている箇所だけは、ひどく心に残った。鬱屈した高校生だったわたしは、ばくぜんと感じていた「おせっかいなんてどうしようもない連中だ」という意識に裏付けを与えられたように思い、何かにつけ自分におせっかいを焼こうとする連中に対して、(胸の内で密かに)牙をむいていたのだった。

とはいえ、どんな批判だったかまったく覚えていなかったので、このあいだ図書館でたまたま見つけたのを幸い、読み直してみた。

奥野健男の解説を見ると、初出は「女性向き大衆週刊誌」(「解説」)の連載ということで、一回分が原稿用紙10枚くらい。奥野は「三島氏は裃を脱いで、ふざけています」と書いているのだが、こういうエッセイが「大衆週刊誌」に載っていた時代もあったのだな、という感慨を持つ。いまはどうなんだろう。そもそも「女性向き大衆週刊誌」なんて「大衆」が読むんだろうか。

それはともかく、くだんの回は「うんとお節介を焼くべし」というタイトルなのである。

そのコラムは、三島が新婚時代、妻宛に匿名の手紙を受け取った、という話から始まっていく。匿名の手紙の主は、「世間では、作品はどうか知りませんが、作者のことは随分な遊び人とか申してましたし、突然婚約を発表されたとき、私、大へん貴女がお気の毒な気がしました」と、結婚を考え直せという手紙なのである(どう考えてもここに出てくる手紙は、どこからどう見てもまごうかたなき三島の文体で、そもそもそんな事実があったかどうなかは、まあ、どうでもいいことなのだろう)。

三島は「いかにも真情があふれており、まことにうるわしい友情の手紙であります」と、皮肉な調子で話を続けていく。

 こういう人たちの人生はバラ色です。何故ならいつまでたっても自分の顔は見えず、人の顔ばかり見えているので、これこそ人生を幸福に暮らす秘訣なのです。……

 お節介は人生の衛生術の一つです。われわれは時々、人の思惑などかまわず、これを行使する必要がある。会社の上役は下僚にいろいろと忠告を与え、与えられた方は、学校の後輩にいろいろと忠告を与えます。子供でさえ、よく犬や猫に念入りに忠告しています。全然むだごとで、何の足しにもならないが、お節介焼きには一つの長所があって、「人をいやがらせて、自らたのしむ」ことができ、しかも万古不易の正義感に乗っかって、それを安全に行使することができるのです。人をいつもいやがらせて、自分は少しも傷つかないという人の人生は永遠にバラ色です。なぜならお節介や忠告は、もっとも不道徳な快楽の一つだからです。

(三島由紀夫『不道徳教育講座』角川書店)

どうです、こう言われたら、確かにそうだなあ、と思うでしょ?

ところが、なのである。
ちょっと考えてみてください。あなたが最後に誰かにおせっかいを焼かれたのはいつですか?

わたしはこれを読んでからつらつら考えてみたのだが、「大きなお世話」と思ったのは、いまから五年ぐらい前、知り合いと踏み切りの手前で待ち合わせをしていたときが最後だ。

いつものように待ち合わせの少し前に着いたわたしは、だんだん暮れていくなか、そこに立って遮断機が下りたり上がったりするのを見ながら、待ち合わせた相手を待っていた。

すると自転車に乗ったおじさんが「あんた、悩みがあったら、なんでも聞くデ」と、わざわざ自転車から降りてきて、声をかけてきたのである。そこで待ち合わせたのは、単にその踏み切りを超えたところに用があり、待ち合わせ場所として、一番わかりやすかったというだけのことだったのだが、どうやらおじさんの目には、わたしが自殺を考えているものと映ったらしい。

「待ち合わせしてるだけです」という言葉の向こうに「大きなお世話」というニュアンスが確実に伝わるように、木で鼻をくくったような語調で返事をすると、「ああ、そんならええねん」とおじさんは自転車に乗って去っていった。内心、仮に悩みがあったとしても、あんたにだけは言わないよ、と思ったのだが。

以来、「おせっかい」と判断されるような出来事にわたしは遭遇していない。

高校のころ、クラスにひとりぐらいはかならず「おせっかい」な女の子はいた(“血中おばさん濃度の高い子”とわたしは密かに名づけていた)。とんでもなく寒い日でも、せっかく教室が暖まったころを見計らって「空気が悪い」と称して、窓を全開にするような子である。HRが大好きで、何かあると「クラスの問題」にしてしまうし、ボタンがとれかけていたらカバンからソーイングセットをだしてきて、すかさず縫いつけてくれる。そのあいだ、こちらは散歩に連れて行ってもらうのを待つ犬のごとく、横に控えて待っていなければならない。

わたしの記憶のなかには、ひとりだけ“血中おばさん濃度”の高い男の子もいて、彼は観察対象としてはなかなか興味深かったのだが、実際、話していると「弁当に肉料理が二種類入っているのはバランスが悪い」などとすぐ指摘してきて、相当にイライラさせられる人物だった。弁当云々は、中学時代、完璧な肥満体だったが、高校で一念発起してダイエットに成功した彼は、人の弁当を見て、たちどころに総カロリーを計算する能力を身につけていたのである。その才能をもとに、人の弁当を見てはアドバイスに余念がなかったのである。

近所にも「おせっかい」なおばさんはかならずいた。回覧板を持ってきては玄関のあがりがまちに腰をおろして話し込み、町内のあれやこれやを疎漏なく伝えてくれる。そうした情報がありがたい、ことも、まあ、なくはなかったのだろうが、多くは“木下さん(仮名)んとこの奥さんときたら、おばあちゃんがいるのに、毎晩毎晩トンカツだのカレーだの、そんなものしか作んないですってよ。あのおばあちゃんもかわいそうねえ。だからあたし、奥さんに言ってあげたのよ。それじゃいくらなんでもおばあちゃんがかわいそうよ、って。それで、ほうれん草のおひたし、作って持っていってあげたのよ」といった、およそどうでもいい話をしていくおばさんである。

そういえば、親戚にも一人ぐらい、そんな人がいたような気がする。そういう人は、未婚の人間が自分の視野にいれば、そのパートナーになりうる対象を四方八方から探し出し、「いい人がいるんだけど」とお見合いの段取りをするような人だったのだろう。

だが、いつしかわたしの周囲からはそんな「おせっかいなおばさん」が消えていった。頼まれてもいないのに、隣の家の前も一緒に掃き掃除をしてくれるようなおばさんはいなくなり、スーパーを走り回る子供がいても、迷子になって泣きわめく子供がいても、誰かなんとかすればいいのに、という目でそちらに目をやる人ばかりである。

確かに「おせっかい」というのは、周囲の人間にとっては、いやな気持ちにさせる存在ではある。くだんの「お掃除おばさん」にしたところで、こんな人が近所に住んでいたら、なんとしてもおばさんが掃除を始める前に、自分の家の前だけはきれいにしておこうという気になるはずだ。

だからこそ、みんな「おせっかい」になるのを避けようとしてきたのだ。これは「おせっかいじゃないかしら」と控え、「こんなことはあの人の問題だから」と見て見ぬふりをし、必要以上の関わりを避け、そうやって少しずつ人との距離を広げていったわけだ。

それでも「万古不易の正義感に乗っかって、それを安全に行使」ということは、相変わらずわたしたちはやっているような気がする。具体的な人間関係のなかでそれをやるかわりに、「最近の若い人は」と新聞の投書欄に投稿したり、事実関係をはっきり確認する前に「たらいまわし」と書かれた新聞記事を読んで「医師の無責任」を声高に批判したり、芸能人のスキャンダルを批判したり。

だが、三島には悪いのだけれど、こういう人は「おせっかい」なんだろうか。
「不道徳な快楽」の出口としては、踏み切りで無意味なおせっかいを焼いてつっけんどんな対応をされるより、リスクを引き受けない分、卑怯とはいえないか。

おせっかいを厭ったわたしは、ちょっと前にこんな経験をした。

連れと一緒にスパゲティ屋で夕食を取っていたときのこと。

隣の席に、きちんとした身なりのおばあさんが一人きりで坐っていた。その人は、注文を取りに来たウェイトレスにわたしが食べているものを「あれは何?」と聞いていた。「あれ、おいしそうねえ。わたしもあれにしようかしら」と。

ウェイトレスの方はごく事務的に「あれはペスカトーレです、魚介類のトマトソースです」と答え、その会話はそれっきりで終わってしまったのだが、なんとなく、その人は誰かと話したそうな気配がうかがえた。おそらく一人暮らしで、ときどき、きちんとした格好で外食をする。そうやって単調な生活にめりはりをつけようとしているのだろう。

そんなときにわたしが「このペスカトーレ、ムール貝がとってもおいしいですよ」とでも言うことができれば、ずいぶん良かったのだろうと思う。

ほんとうは、一瞬、そう言おうか、とも思ったのだ。だが、連れがいるし、などといろいろ考えて、結局、無視してしまった。だが、連れがいる、などというのは、実のところ、ほんとうの理由でもなんでもなくて、それだけの関わりも厭うてしまうようなものがわたしの内側にあったのである。

きっと、こんなとき「おせっかい」な人だったら、進んで話し相手になったことだろう。もしかしたらその結果として、相手に立ち入りすぎて不愉快にさせてしまうかもしれない。それでも、まぎれもなく人と話した、人と関わったという記憶は、そのおばあさんにとって、プラスであれ、マイナスであれ、のちのち思い返す材料となったはずだ。黙ったまま、目も合わさなかったわたしとでは、どんな記憶にもなっていかない。そのどちらがいいか。やっぱり何であれ人と関わろうとすることは、どこかにおせっかいの要素を含んでいると思うのである。

そうは言っても、そのときの出来事をいまだに思い出し、「おせっかい」ではない自分にたいして、忸怩たる気分でいるわたしの内にも「血中おばさん濃度」のいくばくかがあるからこそ、こんなことを考えているのだろうが。

鶏頭




2008-11-21:役員さん

知り合いにPTAの役員をやっているという人がいる。月に一度、学校での会合に出なければならないのだそうだ。四月に役が回ってきたときは、なんと運が悪い、と思ったが、実際始めてみると、学校の様子もわかるし、ほかのお母さんからの話も聞ける。確かに会合のあるときは、仕事時間の調整もしなければならないし、ときにそこでのつきあいがわずらわしく思えるときもあるけれど、いまではやって良かったと思っている、という話だった。

わたしはいま輪番制で回ってくる、住んでいるところの役員をやっているのだが、実際、役が回ってきたときは、ほんとうに気が重かった。集合住宅といっても、知っているのは両隣の人ぐらい。まったく顔も知らない、ふだんのつきあいもまったくないような人と、最低でも月に一回顔を合わせ、あれやこれやの話をしなければならない。おまけに配布物だの回覧板だのと、さまざまな仕事もある。

ところがそういう仕事を始めて見て、ひとつわかったことがあった。
PTAにせよ、アパートの自治会にせよ、ふだんのわたしたちの生活に「なくては困る」と実感されるものではない。わたしなんて、回覧板が回ってきたら隣りに送っていたけれど、そんなものがあるということすらはっきりとは知らなかった。PTAにしても、「何であんなものが必要なんだろう」という声も少なくないという。

けれど、「そんなことはないに越したことはない」ようなことが起こったときに、必要なのがそういう組織なのである。たとえば学校で事故があったり、あるいは大きな地震が起こったりしたようなとき。保護者や住人が一堂に会して討議が必要な事態はあるのだ。

大きな事故や災害が起こったとき、保護者や住人が集まることのできる組織はかならず必要になってくる。危急時、ただ集まればいいというものではない。たとえば学校側に情報の開示を求めるとか、危険区域の情報の集中とか、目的をもって集まるのだ。そうしてその目的を達するためには、役割分担が必要だ。口々に自分のことばかりを言っていては、決して総意を形成することはできない。PTAや住民の自治会がないところでは、まずそうした組織を作るところから始めなければならず、緊急を要するときは、そういう組織をあらかじめ備えているところといないところでは、大きな差ができてくるだろう。

つまり、輪番制の住民自治会とか、PTAの役員とかは、いつくるか定かではない、来ない方が望ましいような「いざ」というときに備えて、バトンを渡され、つぎに手渡すリレー走者のようなものなのだ。自分たちが、組織があることの恩恵を受けることはないかもしれないが、それでも「いつか」のために、みんなで少しずつ役割を分担していっているのだ。

思い起こせば、わたしの母親は一貫して一学期の授業参観日のあとの懇談会には出席せず、わたしと一緒に帰っていた。今日懇談会に出ると、PTAの役員を押しつけられるから、というのがその理由で、それはずっと続いた。当時はそういうものか、ぐらいに思って、別に疑問を感じたこともなかったのだが、当時ですら、PTAの役員というのはそんな具合で、なり手に事欠く状態だったのだろう。いまは仕事で参観日に行けなかったら、そのあいだ「欠席裁判」で役員を押しつけられた、という話も聞くので、もはや母のようなことをやっても、役員からは逃れられないらしい。

あんなもの必要はない、そんなものに時間をとられるぐらいなら、もっと家族と過ごしたい、という意見も理解はできる。
けれど、自分の時間と労働力をそういう組織に提供することで、未来の誰かの役に立つだけでなく、やはり、現在のわたし自身が得るものもある。

ふだんは接することのないような年代の人と話をする機会もできるし、わたしが住んでいるところでも、普通に生活しているだけでは知らないような場所があることもわかった(だからといってどうということもないのだが、それでもなんだか知らない場所があったことを知ったというのは楽しい)。

もちろん、そういう良い面ばかりではないだろう。幼稚園での保護者会のとりまとめの役がまわってきて、幼稚園とほかの保護者の要求のあいだで板挟みになって、神経性胃炎を患ったという人の話も聞いたことがある。青い顔で、あと何ヶ月の辛抱、と言い、そんな役は二度とこりごり、と言っていた。人が集まれば、意見の一致をみないのはむしろ当然だろうし、それがもとで苦しむ人も出てくるだろう。

それでも、わたしたちには、やはり組織が必要なのだ。
もちろん必要ではない、という考え方もある。けれど、それが行き着く先は「お金を払えばいい」という、「お客さん」の発想だ。お客さんは自分からは何もしなくてすむ。誰とも関わらなくてすむ。けれど、「お客さん」はそこを利用させてもらうだけだ。お金を払って、代価を受け取るというだけだ。

けれど、人間の関係は、それだけじゃない。そうじゃない関係がある、ということを経験できることが、最大の得るものなのかもしれない。

鶏頭




2008-11-20 :寒い日の楽しみ

このところ、急に冷え込んできましたねー。二月くらいの寒さはもう勘弁してほしい、と思うのですが、この時期の、ああ、寒くなってきたなあ、という感じは悪くないものです。

幸田露伴に『折〃草』というエッセイがあります。
露伴が「試みに心のたのしさを数へむ」といって、「たのしさ」をあげていく。

そのなかに「一、風さはがぬ朝早く起て袖寒きを冒し、静に歩めば落ち葉ひらひらとひるがへり、魂魄引締まるようなる初冬のさびしさ。」というのがあって、この時期、朝いつもこの文章を思い出します。

この『折〃草』には、ほかにもいろんな「たのしさ」があげてあって、「一、顔の色のうつくしき十一二歳の男の子に、八百善の料理せし肴食はせても左程よろこばず、浅草公園の賑やかさ見せても嬉しがりもせざりしが、我畜ひし小犬を欲し気なりし故それを与ふべしと云へば、眼中一段の麗はしさを増し、罪もなく笑かたまげ、はや我ものぞと其犬の頭を摩で首筋抱きて楽しみ深そうにしたる長閑さ。」とイヌをかわいがる子供の姿が目に浮かんでくるようなものもあります。
「グリフォン」に出てくるトミーも「セルビー氏」というイヌをかわいがっていましたね。なんでイヌに「セルビー氏」なんて名前をつけたんだろう。その名前のもとになっている人がいたのだろうか、なんて、想像はいろいろ広がります。

「一、三四里離れたる所に閑居せる友を訪ふて、互におもしろく風流の話し修行の話しの間に一ツ二ツは浮世の恋ものがたりなども交り、誰に遠慮なく高笑したる揚句、飯時になりて菜ごしらへも主客の別なく共にはたらきて、然も作り出せし煮物の塩からきに眉皺めし可笑しさ。」

こんなふうに、話をしたり、食事の用意を一緒にしたり過ごすのも楽しそう。煮物のしょっぱいのさえ、楽しさをましますよね。やっぱりこの人恋しさも寒い季節にぴったりくるかもしれません。

鶏頭




2008-11-17:うがった見方?

以前、人の話をすぐに引き取って、「それってこういうことでしょ」とまとめる人がいて、同席しているとだんだん不快になってくるのでこまったことがあった。なぜそれが不快なのかその当時はよくわからなかったのだが、ここでチャールズ・バクスターの「グリフォン」を訳しているとき、ふとそのことを思い出したのだった。

代理の先生のフェレンチ先生は、ある生徒が「6×11=68」と答えたのを、「はい、よくできました」と言ってしまったため、そこから「代理の事実」とか、「高等数学では6×11が66にならない場合もある」などと怪しげなことをいう羽目になってしまう。

ところがここでだれかが「それは、先生がちゃんと聞いてなかったからそういうことになったんですね」と言ったとする。すると、それで話は終わってしまうのだ。

だが、作品のなかでの子供たちは、だれひとりとしてそんなまとめ方をしない。フェレンチ先生の言葉を額面通り受け取った上で、先生の不思議な言葉を、ひとつひとつ自分たちが知っていることと照らし合わせながら、頭を悩ませる。だから話は続いていく。

人の言ったことをそのとおりに受け取らず、うがった見方をしてしまうと、その「見方」が「まとめ」となって、相手の言った「言葉」も、それまでのやりとりも、かき消えてしまうのである。

これはなんでもそうだ。「この本はおもしろいよ」と誰かが言ったとする。「どこがおもしろいの?」と聞けば、そこから話は続いていく。どんなところがおもしろい、ああ、そういう本は自分も読んだことがある、こういう話はどうだろう……。

ところが「この本はおもしろいよ」という発言を、「それって読んでることを自慢してるのね」と言ってしまえば、もうそこから話は拡がりようがないのだ。そうして、わたしたちの頭には「おもしろい本」ではなく、「自慢する××」という印象だけが残る。これでは不快になるのも無理はない。

うがった見方という言い方がある。「ものごとの本質をうまく的確に言い表す」と辞書には載っている。だが、「本質」というのはいったいなんだろう。「うまく的確に言い表す」ことが、ほんとうに大切なことなんだろうか。

「本質」を「うまく的確に言い表」されてしまえば、そこから決して話は広がっていかない。「本質」にくらべれば、ほかの何ごとも些細な子葉、そこから何を言ったとしても、些細なこと、と結論が出てしまったのだから、あとはもう口をつぐむしかなくなってしまう。

だが、「本質」と言われることが、ほんとうに「本質」なのだろうか?
人は「本質」という言葉で、あまり表に出ていることを指したりはしない。「あの人の本質は髪が長いことだ」とは絶対に言わない(ものすごく髪の毛を大切にしている平安時代の貴族のような人ならそういう場合はあるかもしれないが)。たいてい「本質」という言葉であらわされるのは「あの人の本質は善人だ」というふうに、表面に現れない部分を指す。

「うがつ」という言葉にもあきらかなように、表面にノミを立て、削り取り、「取り出したもの」を「本質」と言っているわけだ。こう考えていくと、何が「本質」かは、削り取られる本体の側ではなく、削り取る人の判断による、ということにはならないか。

ノミをふるう人は、「本質」うがった自分の腕を、あるいは目の確かさをを誇る。そのあとに続くのは、賞賛か否定のどちらかでしかない。

けれど、賞賛か否定かを得ることが、そんなに重要なのだろうか。わたしたちは別に成績表をもらう生徒ではないのだ。人とつきあうということは、評価したり、されたりとはまったく別の種類のことではないだろうか。そう考えていくと、相手の「本質」をうがつよりも、言葉をそのまま受け取って、そこから会話を弾ませた方が、よほどいいのではないだろうか。

少なくとも、わたしが話したいのはそんな人だ。

鶏頭




2008-11-07:不幸な体

以前、小学校に入った年の子供がいきなり「もうこれから何もいいことが起こらないような気がする」と泣き出したのを聞いて、ぎょっとしたことがある。

クリスマスとお正月が過ぎ、三学期が始まったばかりの頃だった。楽しいことが終わって寂しくなったのか、学校で何かいやなことがあったのかと思ったのだが、その子はつぎの日高熱を出した。インフルエンザを発症したのだ。

大人であれば、風邪の引き初めの「何かだるいような感じ」「なんとなく普通ではない感じ」と表現したのだろうが、その「感じ」を六歳の子は、「これから何もいいことが起こらない感じ」と表現した。つまり彼にとっての〈世界〉は、未だ身体と心が別物ではない、風邪に罹った身体の不調は、未来への不安として知覚されたのだ。

わたしたちは「言葉」を介して世界とふれあっている。わたしたちが目で見ているのは、「ものそのもの」ではなく「言葉」であり、「音そのもの」ではなく「言葉」であり、感覚といわれるものですら「暖かさ」「静けさ」「穏やかさ」という言葉を感じているのだ。だが、もしかしたら「痛み」「不快」「不調」「不安」という言葉での分節を知る以前の赤ちゃんにとっては、何もかもが同じことなのかもしれない。

わたしは以前から眠くなった赤ん坊や幼児が泣くのが不思議でならなかった。眠たければ寝ればいいのに、何をいったいぐずぐず言っているのだ、と、眠くてぐずぐず言う弟を見て腹を立てたものだった。だが、彼にとっては、「痛い」のも「眠い」のも、あるいは母がそばにいなくて「不安」なのも、全部同じものとして感じられているのかもしれない。眠くてぐずぐず言うのを、母が抱き取って「よしよし、眠いんだね、ねんねんよ」ということで、「眠い」という分節を知り、転んで泣き叫ぶのを「よしよし、痛かったんだね、お薬をつけようね」と言いきかせて「痛い」という分節を知る。「言葉」を使うこととふるまうことが一緒に示されることで、赤ん坊は言葉の世界に入っていく。そうして言葉の使い方をある程度は知っている六歳の子は、その不安=不調を言葉でそう表現したのだ。

言葉の世界の住人であるわたしたちは、もはや言葉によって分節されなかった世界がどんなものか、想像すらできない。「わたしの身体」「わたしの手」「わたしの足の指」などというように、そんな「身体」を所有している「わたし」が身体とは別にどこかに存在しているかのような気持ちでいる。

けれど、疲れているときのものの見方は疲れていないときとはちがうし、アグレッシブな音楽を聴いていると、自然と気持ちは高揚する。気持ちに対しては嘘はつけても、身体をだますことはできない。風邪を引いたりしたときは、おそらく身体が真っ先に気づくのだ。けれど、言葉で身体と意識を隔ててしまっていると、言葉を使わない身体の声は聞こえない。身体の声を聞く回路というのは、おそらく大人になってしまえば、意識的に作り上げていかなければならないものなのだろう。

鶏頭




2008-11-05 :祝オバマ大統領

大統領になることはほぼ確実だと言われていたオバマだけれど、現実に「オバマ大統領」が誕生してみると、改めてよかったという気持ちがしみじみと湧いてくる。

モーガン・フリーマンが1998年の映画で大統領をやったとき、最近の映画にはめずらしいほど格調高い、アメリカ人が理想とするような正統的な大統領だなあ、と思った記憶がある。こういう映画ができるということは、そのうち黒人大統領も誕生するのだろうと思ったものだった。

反面、なかなかそれはむずかしいかもしれない、という気もしていた。やはりアメリカの人種問題というのは、日本で「差別は良くない」と考えるのと、全然問題のレベルがちがうような気がする。

先日やっとアップした「納屋は燃える」でも、貧乏白人である主人公の父親が、お屋敷に雇われている黒人の使用人に、家にはいることを止められて、激しい屈辱を感じる場面がある。同様の場面は同じフォークナーの長編『アブサロム・アブサロム』にも出てくる。

主人公のサトペンは、山から出てきて間もない、未だ「貧しい」ということがよくわからないころに、父親の雇い主の屋敷を訪ねたところ、「貧乏人は裏へ回れ」と黒人の使用人に言われて、ひどい屈辱を味わうのだ。

白人から貧しさを指摘されることと、黒人に指摘されることでは、屈辱のレベルがまるで異なる。貧しい白人にとって、自分が白人であるということは、ほとんど唯一のよりどころであるのに、その自分が、自分より下とみなしている黒人に、貧しいがゆえに「差別」されるのは、これ以上ないほどの屈辱なのである。

もちろんこれは小説のなかの話だ。しかもサトペンにせよ、アブナー・スノープスにせよ、人格者とは言い難い人物ではある。だが、こういうのはどうだろうか。

人種主義はいかなる時でも醜い。しかし、歴史的に人種差別の主要な被害者のうちに数えられてきた有色人種の一人が公然とこれを口にするとき、人種主義はことさら醜さを増す。

(C.ダグラス・ラミス『最後のタヌキ ―英語で考え、日本語で考える』中村直子訳 晶文社)

これは初出が『スチューデント・タイムズ』に載ったコラムで、わたしは '86年に新聞に載ったときに初めて読んで以来、この文章をずっと奇妙に感じてきた。

このコラムは、当時日本の首相だった中曽根康弘が、アメリカの「知的水準」は「黒人やメキシコ人、プエルトリコ人、その他『そういうの』のせいで低くなっている」と発言したのを受けて書かれたものである。

「人種主義という疫病は、白人によって作られ、広められた。その種族の一員として私ができることは、いつでも、どこでも、どんな形で現れようと、人種主義に反対するということだ。この態度は、有色人種の人々がとるにしても、立派で威厳のある態度だと思う」に続いて、上に引用した文章が来る。

白人が人種主義を口にするときよりも、有色人種が口にすると、「ことさら醜さを増す」のだそうだ。その理由が有色人種であるわたしにはわからない。そこに醜さを感じるのは、筆者が「白人」であるからではないのか。「白人」であるという意識の中に、有色人種とはちがう、という意識があるからではないのか。

たとえばこれを「身体に障碍を持つ人」に置き換えてみれば、そのおかしさは一層鮮明になるかもしれない。
“「身体に障碍を持つ人」に対する差別意識という疫病は、健常者によって作られ、広められた。健常者の一員として私ができることは、いつでも、どこでも、どんな形で現れようと、「障碍者差別」に反対するということだ。この態度は、「身体に障碍を持つ人」がとるにしても、立派で威厳のある態度だと思う。…「障碍者差別」はいかなる時でも醜い。しかし、歴史的に「障碍者差別」の主要な被害者のうちに数えられてきた「障碍者」の一人が公然とこれを口にするとき、「障碍者差別」はことさら醜さを増す。”
……冗談じゃない。一体、醜さのランク付けをしているのは誰だというのだ。「醜さを増す」と言っている人は、いったい誰によって判定する資格を与えられたというのか。

ダグラス・ラミスというと、何年か前に出た『世界がもし100人の村だったら』の監修者としての方が有名かもしれない。ベトナム反戦運動の経験があり、日本で平和運動を続ける、リベラルとして知られる。まあ、ベ平連なんてそんなもの、といってしまえばそれだけなのかもしれないのだが、ともかく、仮にも自由だの平等だのと口にする人が、無自覚にそんなことを書けるというところに、人種問題の厄介さがあるのかもしれない。

「人種主義という疫病は、白人によって作られ、広められた」とラミスは書いているが、何も差別は白人の専売特許ではない。人間が自分が誰かの上に立とう、誰かを支配しようという意識がある限り、あらゆる場面で差別意識は生じるはずだ。

差別の問題を考えていくとき、まず向き合わなくてはならないのが、自分の中に、まぎれもなくそれがある、ということだろう。「自分」という意識は同時に「他の人ではない」ということでもある。「わたし」と考えているときは、つねに「他の人ではないこのわたし」と考えてもいるのだ。「他の人ではない」と考えることによって、つねにほかの人と比較する。自分の方が優れている点、劣っている点。流動的でそのたびごとに生まれているこの比較されているだけならいいのだが、どうかすると固定化され、制度化されてしまう。やがてマジョリティがマイノリティを迫害することになる。そうなってくると良くも悪くも問題は顕在化するのだが、押さえておかなければならないのは、「自分」が「自分」という意識を持っている限り、差別意識とは無縁ではいられないということなのだ。

自分が当事者であるのだから、いつもその問題は、自分の問題だ。自分の問題であることを認めようとしない限り、この問題の入り口にも立てない。

オバマが大統領になったことは、やはりすばらしいニュースだと思う。けれども、どこがどういいのか、それをすばらしいと思う自分は、どこがどうすばらしいと思っているのかを、やっぱり考えなくちゃ、と思うのだ。

鶏頭




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