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鶏的思考的日常 ver.3〜鶏のように考え、猿のように書く〜


2006-03-27(3-29一部補筆):筆で字を書く

近所に小さなお寺がある。

入り組んだ、昔はあぜ道だったにちがいない、くねくねとした細い道を入っていくと、やがて大きなクスノキにでくわす。樹齢二百年、と立て札が出ているのだが、木そのものは高い塀の内側に生えているために、上の方しか見ることはできない。その高い塀がお寺で、それほど広くはないらしいお寺の、ちょうどその塀が切れたところから、くねくねした道は、これまた細い、一方通行の道と合流する。ところがこの道は渋滞抜け道マップに載っているらしく、そこからは自動車が引きも切らない。道の端を通っていても、ええい、邪魔邪魔、とばかりにクラクションを鳴らされたりする。

わたしがそこを通るのは、さまざまな事情で一週間に一度なのだけれど、そこを通るたびに楽しみにしていることがある。

そのお寺の門の横に掲示板があって、白い和紙に毛筆で「今週のことば」が出ているのである。
「今週」とあるが、必ずしも毎週新しくなっているわけではなく、一ヶ月近く同じものが出ていたかと思うと、頻繁に別のものに変わっていたりする。こういうのも「更新」と呼んでしまっていいものなのだろうか。

書いてある内容は、「わたしが、わたしになる」とか、「かけがえのない、いのち」とか、間に読点を入れるのは、おそらくそこのご住職の好みなんだろう、わたしがこれまで目にした限り、いつもひらがなで読点入りだ。文言は、例の「みつを」というサインが入っているあれみたいだけれど、あんなふうに崩した字ではなく、几帳面な楷書で書かれている。どっしりと整った字は、見ていて楽しい。といっても自転車を降りて鑑賞するわけではなく、通りすがりに目に留めるだけなのだけれど。

習字というのは、小学校、中学校と授業で教わったこともあるけれど、あまり良い思い出はない。だいたい、半紙や硯、筆や文鎮が入った習字の道具を、普段の荷物にプラスして持っていくのは大変だったし、実際、雨でも降った日には、目も当てられないことになった(だいたいわたしは未だに傘をさすのがヘタクソで、雨の中を歩くとどういうわけかずぶ濡れになってしまい、人から「傘、持ってなかったの?」と聞かれる羽目になる)。

筆を使うのもむずかしく、肘が下りている、とよく先生から注意された。自分の肘に意識が向いてしまうと、手の先がお留守になる。指に力を入れると、肘を忘れて、下がり、また叱られる。とにかく体勢がつかめず、不自然なところに力を入れているために、すぐ、息苦しくなった。習字というのは、身体全体が痛くなるものだと思った。

中学のとき、後ろの席の子が、墨汁がしみこんだ筆を、うっかりわたしの制服のブラウスの袖口に押しつけてしまったこともある。それからあと、その日は一日中、なんでこんなに気分が塞ぐんだろう、と思うほど、憂鬱になった。
家へ帰って母に告げると、いろいろ試したらしい母は、「昔の人の知恵っていうのは、たいしたもんね。ごはんつぶできれいにとれたわ」と言って、きれいになったブラウスを見せてくれた。何がそんなに気を塞がせたのだろう、と思うぐらいあっさりと、かすかに一部分、グレーの丸が残るだけの、白く戻ったブラウスを見ていると、気持ちはすうっと晴れた。

毛筆の字も、お世辞にもうまいとは言えず、普段はマンガ字しか書かないクラスメートが、うってかわってどっしりした重厚な字を書くのを、信じられないような思いで見るだけだった。
普段の硬筆でも字が下手、というコンプレックスはあったのだけれど、それが抜きがたいものになったのは、おそらくこの書道の授業のたまものである。

ところで、つい先日、新聞のニュースで、作家の村上春樹の自筆原稿がオークションに出された、というものを読んだ。その背景には、オークションに出した編集者と村上春樹との軋轢みたいなものがあったようだが、わたしが思ったのは、こういう字を書くんだ、ということだった。

これも一種のマンガ字というのか、小さく丸まった、およそしかるべき年代の男性の字とは思いがたい字なのである。

ふと、作家に悪意があったらしい編集者が、こいつはこんな字を書くのだ、と、晒しものにしたいような思いがあったのではないか、と思った。
書いた側は、そんなことなどおよそ脳裏をよぎったこともなかっただろう。そこまで、字そのものには何の意識も向かっていない字だった。
おそらく、かみ合わない人間の間では、悪意さえもがかみ合わない。
かみ合わないまま、むなしく空転し、後味の悪さだけが残っていく。
そんなことを、その字を思いながら、考えた。

「文は人なり」という言葉があるけれど、そんな単純なものではない。
同じように、字は、人を表さない。
それは確かだ。
けれども、あらゆる作品は、絵であれ、音楽であれ、文章であれ、少なからず機械が介在するはずの写真であれ、作り手の一部がそこに注入されたものであることを考えると、たとえ意識が向かっていなくても、書きつけられた字は、まぎれもなくその人のある部分を反映する。

こういう字を書こう、という意識を持っている人の字は、一種のまとまりがあるし、指向性を持っている。
その指向性がまったくない人もいる。
指向性を持つ人のなかには、この指向性がない、ということが信じられない人もいるのだろう。その指向性のなさを、たとえば幼児性、とか、未熟さ、みたいに理解してしまうのかもしれない。
だが、字はたんに字でしかなく、字のまとまりとなった言葉にしか意識が向かわない、さらに言えば、自分の「字」がどのように受け止められるかなど、いっさい意識されない、そのような字もあるのだ。
それはいい、悪いということとは関係がないことだ。

字を書く経験がどんどん減っているなかで、筆を持って、習字をやってみたい、という気持ちが、わたしのなかにある。
いまのあわただしい生活の中で、そんな余裕などないのだけれど、筆で、書を書いてみたい、と思う。なによりも、あのころよりは、身体も思うように扱えるのではないか、と思うのである。

書をなさっている方、
どうか、わたしに教えてください。

鶏頭




2006-03-25:記憶の話

ある匂いをかぐと、特定の記憶がよみがえってくる、というのはよく聞く話だ。

あまりに人口に膾炙しているために、引用するのも気が引けるくらいだけれど

五月まつ 花たちばなの 香をかげば むかしの人の袖の香ぞする

と、みかんの花が咲いているだけで、かつての恋人のことをありありと思い出すわけなのだ。

嗅覚というのは、脳のなかでも情動をつかさどる扁桃体や視床下部に直接影響を与えるから、視覚、聴覚にはない、エモーショナルな反応というのが生まれるのだそうだ。

ただ、この「視覚、聴覚にはない反応」というところがどうなのかな、と思ったりする。そんなに嗅覚だけが特別に情動反応と結びつくんだろうか。

音楽のある一部分を聞いただけで、まえにそれを聞いたときの出来事を思い出すこともよくあることだ。ある時期に繰りかえし聴いた曲なら、その時期のこと、あるいは当時の心的状況などを思い出さないわけにはいかない。そういうときの記憶のよみがえり、というのはまぎれもない情動的な反応ではないんだろうか。

あるいは、よくわからないけれど、急に不安感に胸をさいなまれたりする。 なんでだろう、と考えてみると、一瞬目にした光景が、記憶の中の光景と結びつき、当時の心情がフラッシュバックされてしまう。

こうした意味で、記憶というのは、匂いであれ、光景であれ、音であれ、きっかけさえあれば、ぱっとよみがえってきて、わたしたちの身体を、勝手に乗っ取ってしまうものなんじゃないだろうか、と、わたしはそんなふうに思ってしまうのだ。

わたしの場合、本を読み返すと、最初に読んだ場所がありふれた場所ではなく、変則的なところだったりすると、読んだ場所の空気の匂いやあたりのざわめきまでよみがえってくる。 とくに、「声」が聞こえてくるような文章だったりすると、読む、というか、わたしはその文章を耳で聞いているので、そういうときはたいていその「声」を身体に刻み込んで記憶している。そうした「声」は、ほかの情景までいっしょに連れてくるのだ。

たとえばわたしがピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を初めて読んだのは、都電荒川線の中だった。いまでもあの本のベージュの背表紙を見ると、わたしの頭の中では日本語をしゃべるエディパの、少し甘い、低めでやわらかな声が、ゴトゴトという都電の音をB.G.M.に話かけてくる。そうして、あの電車独特の匂いがよみがえってくる。

ところが記憶というのは、よみがえらせようと思ってもうまくいかないことのほうが多い。 あのときはどうだったっけ、と考えるより、望む、望まないに関係なく、不意にこちらを捕まえるようなときのほうが、ずっとリアルに感じられる。 あのときのことを思いだそう、と思って、引き金になるようなあるものの匂いを嗅いだところで、望むような記憶がよみがえってくるわけではない。

こんなふうに考えると、記憶というのは、わたしたちが「所有」している、とはいいにくいような気もする。やはり記憶は「所有」するものではなくて、ともにあるものなんだろう。

鶏頭




2006-03-16:ひとと会う話

「出会い」という言葉は、無色透明な言葉ではない。

試しに「出会い」をGoogleで検索してみると、延々と「出会い系」サイトが続いていく。「出会い系」という奇妙な用語も、Web上では確固たる地位を確立しているらしい。

「出会い系」というものが一体どんなものなのかまったく知らないのだけれど、少なくともこの言葉は、「出会い」という言葉の持つ独特なニュアンスに寄りかかったものであるように思う。

「あれは重大な出会いだった」
「運命的な出会いだったのではないか」
「貴重な出会いを大切に」
「彼との出会いがわたしの運命を決めた」

こんなふうに「出会い」という言葉は、「重大」だの「運命」だの「貴重」だのという言葉とやたら親和性が高い。

「巡り会い」というと、そこにたどりつくまでいろいろあって、紆余曲折の後、という感じだけれど、「出会い」というと、運命がいきなり人をばたんと引き合わせたようなニュアンスだ。
つまり、この「出会い」という言葉そのものが、すでに物語を内包している、とも言えるのかもしれない。
そうして、この物語が行き着く先は、重大で貴重で運命なのだから、大切にしなくては、という結論だ。そこから「一期一会」などという言葉も出てくる。

「出会い」によって導かれる人、というのは、すでに「あるべき関係でとらえられた人」ということになる。そこですでに一種の類型化がなされているのだ。

「彼との出会いによってわたしが得たものは」

と書き始めた文章は、それにつづくのが「たいやき」であってはならないのである(いや、ふと思いついたもので)。

言葉による類型化、というのは、逆に、個々の具体的なものを、そのカテゴリーの中にからめとっていく。

たとえば「血液型占い」がお遊びであるうちはいいけれど、それが問題になってくるのは、その人が、たとえば「B型」ということによって、「いわゆるB型」に類型化されてしまうことだ。
同じように、その人を「優しい人」と言ってしまうことは、そういうカテゴリーに押し込めてしまうことであり、「優しい」なんていう抽象的な言葉は、その人のいかなる側面も説明しない。逆に、わたしたちの理解を遠ざける。

「出会い」という言葉で類型化したくないひとに会ったとする。
そういうのを、なんと呼んだらいいんだろう。

シモーヌ・ヴェーユは『ヴェーユの哲学講義』のなかでこんなふうに言っている。

 人がふつうに考えているのとは反対に、《人間は、一般的なものから個別的なものへと高まっていくものなのです。》…

 子供たちに観察することを覚えさせたり、抽象的なものから具体的なものへ移行させたりするには、感情に訴えなければなりません。
物が抽象から抜け出して具体の中へ移行するのは、もっぱら感情のおかげです。

《このように、人がふつう考えているのとは反対に、個々の物について観想するということは、人間を高めることであり、人間を動物から区別することでもあります。》

(『ヴェーユの哲学講義』渡辺一民・川村孝則訳 ちくま学芸文庫)

わたしたちは、一般的にものを見ることに慣れてしまっている。それで、わかったつもりになっている。そうではない見方というのは、逆に、意識的に学んでいかなければならないのだ。
どうやって?
それは、個々のものや人を見ることによって。

鶏頭




2006-03-08:『いのちの文化人類学』を読む

波平恵美子『いのちの文化人類学』(新潮選書)という本を読んだんですが、そのなかにこんな部分がありました。

一人の病人の存在は、その病人の周囲にいる人々に何らかの影響を与える。それは、職場グループで一人病人が出れば残りの人の労働の配分量が増えるとか、家族内に一人でも病人がいれば、家族全員の生活リズムが狂ったり、経済的に困窮したりということだけを意味するのではない。「病人がいる」というただその事実に、周囲の人々の気分や心理状態あるいは精神状態といわれるようなものが影響を受ける。まして、病人が絶えず激しい痛みを訴え続けたり、痙攣や嘔吐や麻痺などの異常な身体状況を示したりする時、周囲の人々は強い不安にさらされる。病気は、他から切り離された個別の身体を場として生じる現象であるのに、あたかも、病人の身体と周囲の人々の身体が何らかの形でつながっているかのように、病気は他の人々をも脅かす。

こんな経験はだれにもあるのではないかと思います。
わたしなど、自分が長いつきあいの慢性疾患を抱えていますから、自分が具合が悪くなると、これがどの程度大変な状態なのか見当もつくし、どうしたらいいかもわかっている。それに比べて、自分以外の人間が体調を崩したりすると、たいそう不安になるものです。

そう考えると、わたしたちは職場などで体調が悪そうな人を見ると、「病院に行きなさいよ」「家へ帰って休んだら」とすぐに言いますが、それは病院に行って、専門家の治療を受けて(わたしから心配を取り除いて)ほしい、ということであり、家へ帰って休んで(ともかくこの場で具合の悪そうな顔を見せないで)ほしい、という気持が、意識されていないにせよ、どこかにあるのでしょう。

先日ここで訳した『雪の中のハンター』、あの短編には、どこかリアリティを欠き、ゆがんだ感覚、雪が積もって白一色になった世界で遠近感を失ったような感覚、決して行き着くことのない悪夢のような感覚が一貫して流れているわけなのですが、その奇妙さの原因のひとつが、ライフルで撃たれた人間がいるのに、もちろんその彼を病院に運ぼうとしているわけですが、そのいっぽうで休んだり、悩みをうち明けたり、食べたりしている。
実際に、わたしたちが当事者になってみれば、あのとおり、本来「こうすべき」という優先順位とは無関係に行動してしまうものなのかもしれない。それでも、それにしても、なんともいえない奇妙な感覚に陥ってしまう。

その原因のひとつは、この波平の指摘にもあるように、病気をしたのが自分ではなくても、わたしたちの身体はそばにいるだけで何らかの影響を受ける、ということにあるのだと思います。おそらくそれは大けがでも同じことでしょう。一緒に狩りに出かけた友だちを撃ってしまう。友だちが撃たれてしまう。
これは大変な出来事であるはずです。
もちろんタブもフランクもできるだけのことをしようとするのですが、それも次第次第にずれていく。終いには、震えて歯を鳴らしているケニーから、毛布までとりあげてしまいます(おそらく一枚は残しているのでしょうが)。

このタブとフランクの、身近にいても不思議はないような等身大のリアルな人間が、そのいっぽうで、ふつうではありえないような行動を取る。その奇妙さが、この作品のひとつの要素になっているのだと思います。

波平の本では、昭和四十年代の初めの、農村部の聞き取り調査であきらかになったことが報告されています。
ムラのだれかが重い病気で危篤状態になる。あるいは病院で大手術を受ける。
そうすると、ムラの全戸から一人ずつ代表が出て、紋付羽織の正装で神社に集まり、昼間でも篝火をたいて、神官の指導の下、祝い歌を太鼓を打ちながら歌う。
そうやって、病気の回復を祈願するのです。
こうすることで、病気に対して周囲の人々が自分の生命力を少しずつ分け与える。病気で苦しんでいる人のみならず、影響を与えられた自分をも癒す。
この平癒祈願には、こうした意味合いがあったわけです。
この風習には深い意味を感じます。

こうやって考えていくと、身体というのは、不思議なものです。
病気というのは、「人間の身体の場」という、限られた場で起こる。にもかかわらず、他者の身体に影響を与えずにはおかない。

一緒にいると、確かに気持が通じあったと感じる瞬間がある。
相手がうれしそうにしていると、こちらの気持ちまで暖かくなるし、相手が表面に出さないようにしていても、どこか鬱屈しているように感じられるとき、その鬱屈はこちらにまで伝わって、一緒にいてうれしかったはずが、どこか塞がれてしまう。
わたしたちは、身体があるからこそ、他者と分かりあえるのかもしれません。

微妙に関係あるようなことを書いてしまいましたが、なんとか明日にはアップさせますので、また遊びに来てくださいね。
それじゃ、また。

梅の花も満開です。

鶏頭




2006-03-01:愚痴について考えた

知人というか、友人というか、まぁそこらへんの人と会って話をしますよね。
シリアスな話題ではない。うわさ話程度のものです。
そういう流れで、相手が「○○は××なのよねー。だから、ほんと、いやなんだー」といったとする。
そんなとき、なんて返事をします?

学生時代はそんなことをいう人に対しては、
「それは△△だから、わたしは〜だと思う。だから**って考えたら?」みたいにいってました。

ところがたいていのとき、「だけどそれは……だから、できない」みたいな返事が返ってくる。もちろん、万事にずれているわたしが、的確なアドヴァイスをしているわけもないのですが、それ以上に、相手の期待する受け答えをしていない感じがする。なんとなく相手の不満そうな顔を見て、そういうことに気がつくわけです。どうもコミュニケーションが円滑にいってない。

そういう経験を幾度も繰り返して、そのうち、数人でいるときに、「円滑なコミュニケーション」というものを観察することにしました。

うまくいっている会話というのは、多くの場合
「〜なのよねー」
「ほんとよねー」
「でしょ、でしょ。そうなのよー、わかってくれてうれしい」

「××ってやだよねー」
「ほんとにやだよねー。その気持ち、わかるわー」
「そう思ってくれる? うれしいわー」

という具合につづいていく。
当時わたしはそれを「精神的握手」と名付けていましたが、いまならもうちょっと正確に、「言葉によるなぞりあい」と呼ぶかもしれません。ともかく、わたしは、なるほど、と思いました。
こんなふうに、相手のいうことにまずうなづいて見せて、自分はあなたの味方だよ、という立場をあきらかにすることがコミュニケーションを円滑に進めるコツなのか、と。

そうしてわたしは実際に方向転換してみたのですが、実にこれがうまくいく。
「ほんとうに気持ちをわかってくれる」
「聞いてくれて、気持ちがラクになった」
そんなことをずいぶん言われるわけです。以前より、むしろ適当に聞いている、といっていいくらいなのに。

そうなると、愚痴をつぎつぎに聞かされるようになりました。
「なるほどねー。そういうことってあるよねー」と相づちを打ちながら、なんかこれはちがうぞ、とずっと思っていました。

愚痴をこぼしたら、気持ちが軽くなった、ストレスが解消された、ってよくいいますよね。

おそらくそれは、木のうろに向かって「王様の耳はロバの耳」と叫んだら、気分がスッキリした、ということとは根本的にちがっていると思うんです。
愚痴というのは、ただ話したらそれでいい、というものではなく、
・だれかに聞いてもらい
・同意してもらい
・自分は間違っていないのだ、という保証を与えてもらいたい
という心理が働いているのではないか。

だけど、そうしてもらうことに、どれほどの意味があるのだろう、と、どうしても思ってしまうのです。
愚痴を吐き出すことは、必ずしも生産的ではないけれど、それほど悪いことではない、という見方があるのは理解しています。日常というものは、意味があることばかりではなく、それを倍するほどの、無意味なもの、無駄なもの、不必要なものも含めてなりたっているわけだし、そういう余剰というか、アソビというか、そんな部分を削ってしまったら、ほんと、大変なことになる、とも思うんです。

それでも、愚痴っていうのは、なんかまずくないか、と思う。

わたしはあちこちで書いているのですが、パースペクティヴということをいつも考えます。見方をずらす。遠近法を変えてみる。

いやなことがあった。
いやな人がいた。
思うとおりにならない。
うまくいかない。

そういうとき、パースペクティヴを変えてみる。
絶対にできない、そういうわけにはいかない、と思っていたことが、自分の思いこみに過ぎなかったり、別の解決法が見つかったり、そこまでいかなくても、見方を変えることで、少なくとも笑い飛ばせるようになったりできるわけです。

ところが愚痴をこぼす、っていうのは、決まり切った考え方の筋道を、もう一回なぞり直すことになってしまう。

もちろん、人に話すことで、言葉にしてみることで、パースペクティヴが得られるというのは、よくあることです。漠然と、もやもやしている思いを言葉に当てはめるだけで、問題点は焦点化する。けれども、それは愚痴ではないでしょう。

愚痴をいうときは、同じことを何度も何度も、しかも解決しようとする意志さえないままどうせ、情況は変わらないのだから、と思いながらいうんじゃないでしょうか。つまり、同じ思考の筋道を、何度も何度もたどっているということだから、パースペクティヴなんて何千回愚痴を繰り返したところで、得られない。

そんなものを聞いてもらったところで、なぞってもらったところで、なんにもならないだろう。

じゃ、愚痴を聞かされた側はどうしたらいいのか。 これがまたむずかしいことではあります。

話を聞くだけで、圧倒的に限られた情報しかないところで、解決策を提示できるわけがない、というより、それ以上に問題なのが、「こうしたら」ということで、つい、干渉してしまうことなのだ。

以前サイトのなかでも引用したのだけれど、

「……愛する者が自分の望むことや、相手によかれと思うことをしてほしいと願うのは人情だが、人のことはなにごともなりゆきにまかせなきゃいけない。自分が知りもしない人に干渉するもんじゃないのと同様、愛する人に干渉しちゃいけないんだよ」とウォーリーはエインジェルに言い、そしてこう付け加えた。「それにしてもこれはつらいことさ、人はとかく干渉したくなるもんでね――自分が計画をたてる側になりたがるんだな」

(ジョン・アーヴィング『サイダーハウス・ルール』真野明裕訳 文藝春秋社)

アドヴァイスを送る人は、そうしたほうがいい、と思ってそういう。けれども、その通りにしてうまくいくかどうかはだれにもわからないし、うまくいかなかったところで、その責任をとれるわけではない。にもかかわらず、アドヴァイスを受け入れたはずの相手がその通りに行動しなかった場合、不機嫌になる。

つまり、アーヴィングのいう「計画をたてる側になりたがる」。

相手の言葉をただなぞるのではなく、また、「計画をたてる側」になるのでもない聞き方。 つまり、相手がパースペクティヴを得る助けになるような聞き方というのは、どういうふうにしたらいいんだろう。

いまのところ、ときに愚痴を聞かされながら、そんなことを考えているわけです。

鶏頭




2006-02-21:手紙について考えた

つい先日、手紙を頂いた。

最近では連絡も、もっぱらメールになってしまって、郵便受けに入っているのはダイレクトメールか、そうでなければ携帯や電話料金、カードの請求明細ばかりで、個人的な私信など、年賀状を除いては入っていることもなくなったのだが、そういうなかで届いた書簡はうれしかった。

文面はごく簡単なお礼状だったのだけれど、なにより、罫のない便箋に記された濃紺のインクの文字は、字くばりが行き届いたもので、ひと目見て、ああ、きれいだな、と思ったのだった。

習字ならいざしらず、日常目にするときの肉筆の文字は、一字一字がきれいかどうか、ということよりも、大きさが整っていることと、字配りによるところが大きい。不恰好なわたしの字も、大きさを揃え、配列に気をつけさえすれば、美しくまではならないにせよ、比較的見やすい、読みやすい字になる。

大きさを整えるためには、原稿用紙はありがたいし、私信を友人宛てに頻繁に書いていたころは、Life! の方眼に罫が入ったレポート用紙を使っていた。字より絵のほうが多いわたしの手紙には、その罫がたいそう使いよかったのだ。

そうではない、正式な手紙というのを、これまで何通ぐらい書いただろう。思い起こしても、片手で十分なぐらいではあるまいか。少しでも形が整いやすい万年筆を使って、慣れない縦書きで苦労しながら大きさを合わせて、何枚も反故にしながら、子供っぽい字を書き連ねた記憶がある。

手紙というと、なんといっても思い出すのが漱石の『こころ』の先生の手紙だ。
あの手紙は巻紙に毛筆でしたためてあったのだろうか。
確か、『坊ちゃん』には、清から来た手紙を坊ちゃんが読むシーンがあって、巻紙の読み終えた部分が、風にひらひらする、という、おかしみのある、けれどもそれ以上に、坊ちゃんを思う清の心情に胸がいっぱいになってしまうような描写があったように記憶している。

もうひとつ思い出すのは、ラクロが書いた『危険な関係』で、これは当時は多かったのだけれど、全篇、手紙から成り立っている。ストーリーを進めていくのは、不道徳な公爵夫人宛てに、若い人妻を誘惑する自分の手練手管の成果を報告するヴァルモンの手紙である。なかには「女の尻の上で書いた」という手紙まであって、ここまで正々堂々(?)と不道徳であるというのは、なかなか天晴れなことであるな、と、おもしろく読んだ。
このときの手紙は、羽ペンにインクをつけながら書いたのだろうが、紙はなんだったのだろう。

わたしが絵入りの手紙を書き始めたのは、もちろん『あしながおじさん』の影響があったからだ。
児童文学に分類されることが多いこの作品は、孤児であるジェルーシャ・アボットが、ヴァッサー女子大での生活を報告したもの。したがって、児童文学というより、年齢的にはヤング・アダルトのほうがふさわしいのだけれど、やはり古きよき時代、というか、同じヴァッサーでも、メアリ・マッカーシーの『グループ』と比較すると、同じ場所を舞台にしたものだとは信じられない。

ただ、わたしは子供時代にはこの本は読んでいなくて、英語の勉強用の教材として、直接英語で読んだ。英語の読解力の不足がかえって幸いしたのか、比較的起伏のない、たいして事件も起こらない手紙ではあっても、大変おもしろく読むことができた。そうして、こんなふうに絵を入れるのは楽しいなぁ、と、さっそくまねを始めたのである。

もうそんなものを書くこともなくなってずいぶんになるけれど、たまにおもしろい出来事にでくわしたとき、絵入りで報告できたらな、と思うこともある。
とはいえ、そんなものを読まされる側は、さぞ迷惑なことだろう。

そういえば、ロラン・バルトは『テクストの快楽』のなかで、こんなことをいっていた。引用元を確かめずに書くのだけれど、読者をたいくつさせる文章というのは、まるで子供のおしゃべりのような、文章のおしゃべり。単に書きたいという欲求の結果から生まれた、言語活動の泡に過ぎない……。

はぁ……。
気分が暗くなってきた。
おしゃべりにつきあってくださって、どうもありがとうございます。

明日にはサイト更新するつもりでいます。それは「おしゃべり」以上のものであればよいな、と思っております。
それじゃ、また。

鶏頭




2006-02-20:視点を変えることについて考えた

「「読むこと」を考える」にぼつぼつと手を入れているのだけれど、もうブログバージョンとは似てもにつかぬものになっております。とりあえず、今日は「視点」書いたんだけど、それに関連して思い出した話があったので、ここに書いておく。

「誰が見るか」によって、まるっきり出来事の様相が一変する、ということで有名なのが、芥川龍之介の『藪の中』である。
けれども、ここまで劇的でないにせよ、日常でもこうした食い違いというのは、わたしたちが気がつかないだけで、よく起こっているのだろう。
どうしたはずみかでこの食い違いがはっきりとした形をとることがあって、そうしたとき、自分が見ていたと思ったものは、いったいなんだったのか、と思う。

ところが、もっと頻繁に経験しているのが、同じ自分が見たできごとなのに、見方を少しずらしただけで、まるっきりちがうふうに見えてくる、という経験だ。

サマセット・モームの短編『仮象と真実』はそのことをテーマにした作品である。
手元に実際の本がないので、中野良夫『英文学夜はなし』(新潮選書)を元に書く。

ストーリーというのはこんなところだ。
フランスの内相であり、かつまた大企業の経営者、財界の大立者でもあるル・スール氏は、あるとき若いモデルに恋をした。

長年連れ添った妻は、特別不仲ではないものの、経済的な理由で結婚した相手であり、ル・スール氏に「燃えるような恋愛」の経験はなかったのである。
夢中になったル・スール氏、このモデル、リゼットのためにアパートメントまで借りてやる。そうして、夢のような二年が過ぎた。

ある日曜日、ル・スール氏がリゼットの元を尋ねてみると、なんと食卓には若い男が自分のパジャマを着て座っている。若い男は叩き出したものの、ル・スール氏、腹が立ってどうにもおさまらない。

「つまり、あなたは騙されてたってことに腹が立つらしいのねえ。面白いわ。男の人ってみんなそうなのね。自惚れが強すぎるのよ。つまらんことを大きく考えすぎるのよ。……かりにあの青年があたしの夫で、あなたの方が情人(おとこ)だったとしてごらんなさい。きっと、あなた、自然も自然、完全に自然だと思うはずよ。つまり早く言えば、こうなった以上、この問題を丸く納めるにはね、あたしがあの青年と結婚するのが一番いいんじゃない?」

…略…

 ル・スール氏はちょっと意味が呑みこめなかった。が、次の瞬間には、彼女の言っている意味が、稲妻のように聡明な彼の頭に閃いた。彼はチラリと女の顔を見た。彼女の美しい眼が、いつも彼の惚れ惚れする例の瞬きをくりかえしており、赤い大きな唇には、心なしか悪戯っぽい微笑さえ浮かんでいるのだ。

 まもなくリゼットと青年の結婚式が、ル・スール氏立会いの下、華々しく執り行なわれる。無事式も終わり、新婚旅行に出かけるために車に乗り込もうとするリゼットは、そのまえにル・スール氏の頬にかわいいキスをし、そっと耳打ちする。
「月曜の五時よ。待ってるわ」

この作品に対して、中野良夫はこのように書いている。

 では、この場合、人間の心理の盲点「とはなにか。リゼットをめぐるル・スール氏と、そして青年。考えてみれば、実にこれはありふれた、そして単純きわまる三角関係である。ただ青年とリゼットの正式結婚を境にして変わったのは、それまでのル・スール氏が女を盗まれる被害者(コキュ)の立場であったのにひきかえ、結婚後は逆に彼が盗む方の立場に一変したというだけの話である。実態そのものからいえば、一人の女と二人の男、なんら図式に変わった点はない。だが、ただ盗まれる立場にあるかぎりは、やれ男の面子だの、やれ名誉だのと、ル・スール氏「までが息巻いて、猛烈な痴話喧嘩沙汰にもなったのであった。だが、ひとたび盗む立場に変われば、「月曜の五時よ。待ってるわ」の一言で、満足そうな溜息までつけるのである。奪られるのは腹が立つが、奪る分にはいい気持の優越感さえ味わうという、虚栄心というか、自惚れというか、男の心理の盲点を、チクリと意外な角度からメスを入れたところが愉快なのである。……

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」とは漱石の名言だが、情に溺れては悲劇になる。だが、うまく智に働けば喜劇になる。一歩立ち離れて客観的に観察すれば、すべては喜劇に終わるというのが、所詮人生の真実なのではあるまいか。

もうこの作品に関しては、この中野の言葉以上に付け加えることは何もないのだけれど、実際にわたしたち自身、この「ずらし」をよくやっている。

つまり、時間の経過ということである。
起こったそのさなかにいるときは、どんな悲劇的な出来事でも、時間の経過とともに、その悲劇性は薄れていく。それは、わたしたち自身の「忘却」ということでもあるけれど、時間の経過とともに「見ている場所」が変わっているからである。

わたしたちは「時間」ということを、空間的にしか認識できないから、このようなことも起こる。時間の経過とともに、ものごとを見るわたしたちの位置というのは、実際に変わってきているのである。

* * *

ところで、わたしたちはどこまで「自分の視点」を離れることができるのだろうか。

「思いやる」という言葉がある。
思いやる、とは、相手の立場や気持ちになってみる、ということだろう。
自分の立場や気持ちをいったんカッコに入れ、相手ならどう思うだろうか、どうするだろうか、と考える。

さらに「思いやりをもって行動する」というと、これに加えて、相手が自分に望むであろう行動を推し量って自分が相手にしてあげる、ということになるだろう。

ところが、わたしたちはどれほど親しい相手でも、相手の気持ちになったつもりでも、相手に成り代わってものごとを見たり、感じたりすることはできない。これが一致するなら、それは一種の奇跡ともいえることで、そんな奇跡はいつもいつも望めるものではない。

わたしたちにできるのは、せいぜい自分がしてもらったらうれしいことを、相手もそうなんじゃないかな、と思って、するだけだ。
ところが相手から期待したほどのリアクションが返ってこないとき、なんとなくおもしろくなくなってしまう。わたしがあなたのためを思ってしてあげたのに……、という不満は、必ず相手にも伝わり、相手も不愉快になる。こうなると、実際、なんのための「思いやり」だかわからなくなってしまう。

昔からわたしは「ナントカのため」、という物言いには、どうもなじめないものを感じてしまっていたのである。「思いやり」というのも、そこまで結構なものなんだろうか、と思うわけである。いや、わたしが単に「思いやり」に欠ける人間であるだけなのかもしれませんが。

つまり、視点のずらし、というのは、あくまでも「わたし」という定点から、パースペクティヴ(遠近法)を変えてみる、ということであって、自分の視点を、そっくり誰かのものに移してしまう、ということではないのだろう、と思うのだ。そんなことは、できることではない。

それができるのはただひとつ。
本を読む、あるいは、映画を観るなどして、フィクションのなかに入ることだけなのだろう(あ、TVもそうだな、自分が見ないから忘れてた)。

フィクションを読むことで、わたしたちは自分以外の視点からものごとを見ることができる。
こうした経験は、おそらくものごとを見るパースペクティヴにも関連してくる。

その真っ只中にいるときは、悲劇でも、一歩はなれて見るならば、笑い飛ばせる喜劇になる。そうした柔軟な遠近感をもっていたいものだ。

いや、わたしは現実に遠近感が相当おかしくて、とくにコンタクトではなくて、メガネのときがダメで、この間ガラスの扉に激突したんですけどね。これは関係ないか。

鶏頭




2006-02-17 :食べることについて考えた

数日間、病院で食事をした。

ことさらいうまでもないことだけれど、病院の食事というのは、おいしいものではない。薄味、というより寝ぼけたような味だし、どれもぬるいし、おそらくは高齢者が嚥下しやすいようにという配慮なのだろうが、どれにもとろみがついていて、なんだかぬるぬるしたものばかり食べていた。

ただ、一日一度の診察と、検査に呼ばれて行くほかは、まったくメリハリのない生活なので、食事というのは、たとえそのようなものでも楽しみになってくる。
楽しみである以上は、あまり文句を言わず、楽しく食べたい。
ところが、病室というのは、カーテンで区切られた狭いスペース、小さなヘッドボードの引き出しにトレーを載せて、壁に向かって、もしくはTVに向かって食べるのだ。これでは「もそもそとめしを食う」(いがらしみきおのマンガ『ぼのぼの』より)しかない。

どうしたら少しでも優雅に食事ができるか。

となると、B.G.M.である。
わたしのi-podには、あまり背景音楽に向いたものは入っていないのだが、とりあえずキース・ジャレットをかけてみた(うなり声が気になるので、のちにチェット・ベイカーに変更)。

つぎに、お行儀は悪いけれど、本を読みながら食べてみる。
生憎、食事に適した本、という基準で本を選ばなかったのだが、仕方がないから手元にあった『貨幣の思想史』の続きを開いた。

すると、この食事が意外に本を読みながらに適していることに気がついた。取り分けたり、ほぐしたり、という苦労がないぶん、片手で楽に食べられるのである。
低い音でチェット・ベイカーがロマンティックに「枯葉」なんかを歌うのを聞きながら、19世紀の経済状況を読み、味のない食事をするのは、それほど味気ないものではなかった。

なんというか、食べ物に対して不平を言うのは、あまり好きではないのだ。
もちろんおいしいものを食べるのは好きだし、行列してまで食べようという熱意はないけれど、外食するならおいしいものが食べたい、とは思う。
それでも、出されたものは、少々期待に外れようと、クールに(笑)、ニール・テナントが歌うみたいに、超然として食べたい、という気がする。

実は、身近に(というのは、うちの母親なんだけれど)まずかったりすると、箸もつけない人間がいて、子供心に、ああいう態度はなんだか子供っぽいナーと思っていたのである。子供っぽい親を持つと、子供は早くにオトナになるのである。

ある面では給食で鍛えられた、ということもあるのだろう。
いまはずいぶんおいしくなり、ヴァラエティ豊かにもなったようだけれど、わたしが小学生のころは、まだまだおいしいというには程遠い時代だった。

なんといっても、食パンがダメだった。食用油そのもののようなマーガリンも、甘いだけのジャムも、ぱさぱさの焼きもしないパンを、ちっとも食べやすくはしてくれない。おまけに量も多くて、食が細かったわたしは、いつも持って帰っていた(あー、それはきっと捨てられてたんだろうなー)。

どうも給食における「教育的観点」というのは、もっぱら「時間以内にすみやかに食べる」ということと、「偏食をなくす」という、この二点のみに置かれていたのではあるまいか。
「ともに食べることで親睦を深める」とか、「さまざまな味や料理を経験する」という観点など、一切考慮されていなかったにちがいない。

偏食だけはなかったわたしは、その面ではそれほど苦労はしなかったけれど、教室の隅で掃除の時間になっても残って給食をもてあましている子の姿は、いまでも記憶に残っている。あれはつらかっただろうな。

いまはどうなんだろう。
アレルギーに対する配慮なんかもずいぶんされるようになったみたいだから、残すことにもおそらくはとやかく言われたりはしなくなったにちがいない。
それでも、どこまでいっても給食は給食で、どうしたってそこまではおいしくはないだろう、けれども「おいしくないものも文句を言わず、それなりに楽しく食べる」訓練だと思えば、やはり意味はある。

わたしは食べ物を残すのはいやだけれど、残したからといって「アフリカでは…」みたいな物言いをするのは好きではない。自分が残すことと、第三世界の食糧問題の間にはまったく因果関係はないし、そうした問題を「残す」か「がまんして全部食べてあとでおなかを痛くする」の次元で語ってはいけないと思う。
残さなきゃならなくなったら、「ああ、失敗したな、もったいないことをしたな」という経験として、自分のなかに蓄積していけばいいだけの話なんじゃないだろうか。自分が食が細かったから、ほんとうに声を大にして言いたいのだけれど、食べられなくなっても食べなきゃいけない、というのは、これまたつらいのだ。残したくて残しているわけではない。

食べることは、本来、楽しいことだ。
料理だって楽しいし、自分のところの猫の額ほどのベランダで取れたブルーベリーやバジルの葉っぱを料理に使うのも、ことのほか楽しい。

一緒にいて楽しい人と食事ができるのは、ほんとうに幸せなことだし、そうした経験は大切な思い出として、心に刻まれている。

問題なのは、そうではないときだ。だけど、そんなときでも、クールに自分の経験として刻んでいきたい。

それに、どんな食事であっても、つねに作り手はいるのだし、自分のために食材として調理された生き物(動物であれ植物であれ)がいたことも、忘れちゃいけないと思う。

ところでね、ときどき、まずいものって食べたくなりません?

いまの飲みやすいやつじゃなくて、昔のセロリくさい野菜ジュースが飲みたくなったり、胸の焼ける焼きソバが食べたくなったり。
これ、いままでわたしは共感してもらったことがないんだけど、たまに、「ああっ、マズいものが食べたいっ」って思うわたしはちょっとヘンなんでしょうか?

鶏頭




2006-02-16(3-04 補筆):『貨幣の思想史 ―お金について考えた人びと―』(内山節 新潮選書)を読んだ

先日、洗い桶(流しでお皿を洗ったりするときに使うやつです)を新しくしました。
前のはずいぶん昔から使っていたもので、いつも使い終わると洗って乾かして、ときどき熱湯で消毒もしていたのですが、さすがに古い汚れが層のようにこびりついて、洗っても取れなくなってきた。

だからそれを捨てて、百均で新しいのを買ってきたんです。
今度のは透明で、なんだかすごくきれいなんです。
それだけですっかりうれしくなってしまった。

百円でうれしくなるんだから、安い話です(笑)。

この間、スピーカーも買いました。これはちょっと覚悟が必要だったけれど、冬休み、仕事の帰り、毎日見に行ってました。
買うぞ、買うぞ、と気分を盛り上げていって、ついに清水の舞台から飛び降りました。
これなんですけど。

http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20041001/bose.htm

使い勝手もいいし、コンパクトで場所も取りません。BOSEにしては価格もずいぶんお手頃だし、音だってそんなに悪くない。
これまた、うれしい買い物でした。

この百円と三万円、どこでその価格が決まっていくのか?
考えると、不思議です。

入院中に『貨幣の思想史 ―お金について考えた人びと―』(内山節 新潮選書)という本を読みました。

お金をさわったあと、手を洗う人がいます。
「誰がさわったかわからないから」と言うけれど、これも一種のお金を「不浄のもの」とする見方からきているのではないか、と思います。

若い女の子(うう、おばさんくさい…)のなかには、「お金持ちと結婚して、専業主婦で、一生ラクをして暮らしたい」みたいな、身もフタもない物言いをする子もいます。こうした物言いを「身もフタもない」と感じるのは、やはりどこかにお金に対する不浄感もあるのかもしれません。

その一方で、「IT長者」みたいな言い方もある。
お金だとか、情報だとかをただ右から左へと動かすだけで巨万の富を手にする人が出てきて、そうした人が権力を持っていく。

例のライブドアの元社長をめぐる毀誉褒貶も、わたしたちのお金に対する相反する感情を反映したものといえるのかもしれません。

この本は「お金」という、本来ならそれ自体としての価値を何ら持たないものが、人間社会に入ってきて、次第にのさばり、逆に人間のありようを規定するまでになっていった歴史が描かれていっています。

こんなことがあったのも思い出しました。
高校時代、学校の図書館にカラーコピー機が入ったんです。そこでだれかがお札をおもしろがってコピーしたものがくずかごに入っていたらしい。
校内放送があり、HRがあり、先生たちが半ばパニックになって右往左往していたのが不思議でした。ほどなく、偽札を作るということが、無期刑まで含む重罪であることを知り、驚いた記憶があります。

紙幣の偽造というのは、漠然と、詐欺の延長線上にあるもの、といった印象をもっていたわたしは、その先生たちののあわてようを見ながら、お金というものの不思議さを最初に実感したできごとでした。

別に、現在流通している貨幣が、おもちゃの「子供銀行券」であっても、いっこうにかまわないわけです。もちろん、万人に認められさえすれば、なわけですが。貨幣そのものに価値があるわけではない。にもかかわらず、わたしたちは、実際の一万円札なら一万円札に、「一万円分の価値がある」と思いこんでいる。「子供銀行券」にたとえ百万円札があったところで、だれも価値を認めない。

わたしたちは、はっきりとは意識していないけれど、この貨幣の虚構性に気がついてもいる。だからこそ、逆にその虚構性をつこうとする「犯罪」に対して、厳罰が適用されるのでしょうし、貨幣に対して、万能感と同時に不浄感も抱くのでしょう。

商品の価値をつくりだしているものは、使用価値においても、交換価値あるいは価値の面においても、その価値実体をつくりだしているものは、それとともにある関係的世界である。使用価値は、それを使用する関係が、使用価値という価値実体をつくりだす。交換価値、あるいは価値でも同じである。ここでは価値は価格に等しく、価値量は労働時間量に等しいとみなすことによって成立する商品経済の構造が、価値実体を成立させる。すなわち商品経済の構造と価値(=交換価値)との関係が、実体としての価値を成立させているのである。

 その結果、その商品の価値実体が価格としての貨幣量を定めるのではなく、貨幣化された価値が逆にその商品の価値実体を生じさせるという顛倒が構造化される。貨幣が単なる交換財であったときは、商品の結果であったはずの貨幣が、近代的商品経済のもとでは出発点になっている。ここにおいて貨幣は「神」の地位を獲得する。

(『貨幣の思想史』p.218)

なるほど。BOSEのスピーカーが三万数千円で、洗い桶が百円、という値段は、こういうところで決まっているわけなんですね!

鶏頭





2006-01-27:Happy Birthday, My Dear.

暮れの忘年会のとき、一応のおつきあいも終わり、座がばらけてきてから、ひっそりと隅のほうで四、五人と話していた。それが、どういう流れからか、悲惨な誕生日の話になった。

カードローンの返済をATM機でしたところ、出てきたレシートに「お誕生日おめでとうございます」と書いてあってそれで初めてその日が自分の誕生日だったことを思い出した、とか、朝起きた瞬間にギックリ腰になって、そのまま数日間、ベッドからでられなかった、とか、言った本人含め、みんなで笑ってしまうような話ばかりで、楽しい時を過ごした。

わたしも「これがお母さんからの誕生日プレゼントよ」と言って、母親に頬をひっぱたかれたことを初めとして、結構悲惨な話はいくつかある(ああ、なんという親だろう…)。けれど、過ぎてしまえば、悲惨なできごとが起こった日というのは、後になって笑える。もちろんうんとシリアスな出来事はそうはいかないけれど、日常起こるたいていのことというのは、そのときはショックだったり落ち込んだりするようなことでも、時間の経過やその後の流れとともに、その質が変わっていくからだ。とりわけ誕生日のように切り取りやすい一日だと、「悲惨な」という括りで眺めることによって、「楽しいはずの誕生日」とのギャップが生まれて、おかしくなってくるのだ。

だって、ただギックリ腰になって数日間動けなかっただけの話だと、「それは大変だったね」で終わりだけれど、二十代最後の誕生日がそれだった、と聞くと、やはり笑ってしまうでしょ?

実は、記憶に残るようなことが何ひとつ起こらない、誰からも忘れられている誕生日が何よりも「悲惨」なのだけれど、それでは笑い話にすることさえできない。いろいろなことがあるから楽しいんだし、時間がたてば、たいていのことを笑い飛ばせるようなメンタリティというのは、わたしは相当にカッコイイと思うし、そうでありたいと思うのだ。

ただ、ある程度年齢を重ねてくると、やはり誕生日はうれしいばかりではなくなってきてしまう。最近は十代の女の子が、二十代なんかになったら「もう終わり」と思うらしいし、それどころか小学生でさえ、「幼稚園のころは良かった」と思うらしいんだけど、そういうのはさすがによくわからない。「成熟」というものが、いまの時代、ここまで意味を失ったのか、と驚くしかないのだけれど、やはり三十路を過ぎると、「うれしいばかりではない」の中身も、ずいぶん現実的・具体的になってしまう。それでも楽天的なのか、それとも想像力に欠けるのか、「いま」ではないある時期に戻りたい、とはあまり思わない。やっぱり「いま」の状態の自分は、過去のどの自分よりも、ほんのすこしだけではあっても、確実に成長しているはずだし、忘れてしまっていることがどれだけたくさんあったとしても、その間に積み重ねてきたことだって、間違いなくあるからだ(足し算引き算した結果がマイナスになっていたらどうしよう……)。だから、鏡を見て、ウッ、と思うことがあっても、ま、いいじゃん、と思うことにしている。

それにくらべて、自分が大切に思う人の誕生日は、単純に、すごくうれしい。
その人が、この世にうまれてきたことを、それがだれだか、あるいは何者だかよくわからないけれど、その何だかよくわからない人だかものだかに、感謝したくなってしまう。
その人がいなかったら、世界はどんなに寂しいものになっていただろう、と思うから。

今日はモーツアルトの誕生日で、ちょうど生誕二百五十周年にあたる。わたしは「クラシックが好き」と言ってはばからない人が、キライなのだけれど(だって「クラシック」なんてそもそも英語じゃないし(英語では"classical music")、「マンション」だとか「ナイーブ」だとかの和製英語を聞いたとき同様、居心地が悪くなってしまう。おまけに「クラシックが好き」と言ったって、それに象徴されるようなステイタスというか、知的なイメージが好きなだけで、実は音楽なんてロクに好きでさえないような人がけっこういるからだ)、おまけにモーツアルトだってそれほどよく聴いているわけではない(というか、滅多に聴かない)けれど、“フィガロ”のカヴァティーナとか、“魔笛”で怪物につかまりそうになったパパゲーノが鈴を振るときの曲(タイトル忘れた)とか、クラリネット協奏曲とかの音楽が、もし世界になかったら、ほんとうに寂しい、基本色が一色ないぐらい寂しいことじゃないのか、と思ってしまう。

こんなふうに「モーツアルトの誕生日」なんていうと、なんでもない、1月27日という日が、特別なものになる。それもステキだ。

ところで、モーツアルトの誕生日ははっきりしているからいいのだけれど、昔の人の中には、それがはっきりしない人が結構いる。代表的なのは、二葉亭四迷で、本を探すのが面倒だから、曖昧な記憶のまま書いてしまうのだけれど、確か、幕末の混乱で戸籍がはっきりしてなくて、二月説と三月説のふたつがあったと思う。本人はもちろん知っていただろうに、それについてまったく書き残していないせいだろう。二葉亭にはことのほか愛着を感じているわたしとしては、できることなら二葉亭の誕生日も、「生誕記念日」として記憶に留めておきたいのだけれど、はっきりしない、というのは、たいそう不便なものである。今後の研究を待ちたいものだ、というところなんだけれども、誕生日なんてだれも調べないんだろうか。

鶏頭




2006-01-25:仕事のよろこび

今日は職場の近くのモスバーガーで、遅めのお昼を食べました。
近くに工事現場があるらしく、交通整理をしているおじさんが、窓の外に見えました。

あの仕事は警備員と呼んでいいのでしょうか。
通行止めにしている道に、工事車両を誘導したり、出てくる車両のために、道路の車や歩道の人を通行停止させたりする仕事をしている人です。

見るともなしに見ていると、その人の動作が大きく、手だけでなく、全身を使って誘導し、停めていることに気がつきました。単に大きくてわかりやすいだけではない、熟練しているだけでなく、仕事を隅から隅まで知っていて、しかもそれを楽しんでいる人の動き、一種ダンスのように流麗で、軽やかさをもった動きでした。

わたしは食事の間、ずっと見ていたのですが、見ていて見飽きるということがありませんでした。

わたしが経験や観察から導き出したセオリーに、「一生懸命やらない仕事は辛い」というものがあります。

落ち込むようなことがあっても、気分を腐らせるようなことが起こっても、わたしは仕事に向かうときは、できるだけ気持を立て直して、いまやっていることに集中して、できるかぎり一生懸命やってこようとしました。もちろんうまくいくときも、いかないときもありましたが、逆にそれでずいぶん自分が救われてきたのだと思います。

いわゆるニートと言われる人たちがいますが、そういう人はほんとうに辛いだろうなと思います。自分の抱えている正体不明のものに、日長一日、向かい合っていなければならない。ほかのものに集中して、気持を切り替えることもできないのだから。

コンビニでもスーパーでも、いかにもいやそうにやっている人も見かけますが、その人たちも辛いだろうと思います。嫌々やっているのだから、上達や熟練とも縁がない。

ああ、なんだかお説教じみてきちゃいましたね。
だけど、パートであろうがバイトであろうが、熟練した人の動きは美しいものです。
楽しそうに仕事をしている人の姿は、見ているこちらの心まで暖めてくれます。

――こんど、あなたがお仕事をなさっているところを見せてください。――

鶏頭





2006-01-17:映画〈Mr.&Mrs.スミス〉を観ながら殺し屋について考えた

殺し屋というのは興味深い職業だ。
http://www2.kobe-u.ac.jp/~akehyon/korosiya.htmlに、「殺し屋百人に聞きました」という実態調査(いったいどうやってコンタクトを取ったのだろう?)が載っている。中には組合幹部をしている「殺し屋」さんもいらっしゃるようで、想像をかき立ててやまないものがあるのだけれど、伝統的に、映画にはよく出てくる。小説に出てくる「殺し屋」というと、ヘミングウェイの短編の『殺し屋』と、あとはローレンス・ブロックの連作短編“殺し屋ケラー”のシリーズしか思いつかないのだけれど、わたしが知らないだけでエンターテインメントにはきっといっぱいあるだろう。

テロリストというのは、思想信条に基づいて人を殺す。
けれども、殺し屋には思想信条というものはない。純粋に金のために殺人を請け負う、ちょうど郵便配達夫が郵便を配達するように、職業として殺人を犯す。

ここで問題になってくるのが、殺人を犯すのは間違いなく重罪であり、非常にハイリターンであるけれど、それ以上にハイリスクであることが予想される、ということなのである。
今日の社会で、金銭がそこまでのモチベーションになりうるのだろうか、とここまで書いて、こういう発想そのものが、いかに金銭とは縁のない生活を送っているかを物語るものでしかないことに気がついた。いわゆる「お金持ち」というのは、お金を増やすことがおそらく生き甲斐なのだろうし、そういう人は「お金を増やす」というのは、極めて強力なモチベーションであることは言うまでもない。

ただ、「お金を増やす」ことを人生最大の目標としている人は、おそらく「殺し屋」家業に足を踏み入れることはないだろう。あまりにリスクが高すぎるし、もっと割のいい仕事はいくらでもあるような気がする。

むしろ金銭というよりも、困難な任務を成し遂げ(つまり、殺人そのものよりも、生きて、しかも捕まらずに生還するということ)、それを可能にする技術を誇り、その世界で評価されることこそが殺し屋の報酬なのではあるまいか。

つまりこれは一種の「ものづくり」のよろこびに近いものである。

ただし、「ものをつくる」ことと、人を殺すことには、本質的に大きなちがいがある。 人を殺すというのは、おそらく精神的にものすごくきつい、自分の感情のある種の部分を殺さなくてはやっていけないことだからだ。「仕事のよろこび」ということと殺人の間には、本質的に相容れないものがあるような気がする。

この点、思想信条ゆえに殺しをするテロリストの場合、合理化・正当化は非常に容易なのである。逆に言うと、テロリストは自分の自由意志で殺すわけではないのに対して、殺し屋はその仕事を請け負うかどうかは自分の選択に委ねられる(わたしが好きな「錆びついた銃弾」という映画では、殺し屋を演じるフォレスト・ウィテカーは、女と子供は殺さない、というルールを自らに課している)。

つまり、殺し屋というのは、絶えず「引き裂かれている存在」なのではないか、ということを考えていたのだ。
これは、いつかまたもうちょっと考えてみたい。

いや、映画がものすごくつまらなかったので……。映画を観ながらこういうことをずっと考えてました。
途中、捕獲した「人質」が国家機密に絡んでいるのではないか、と微かに期待して、それが裏切られたときは、ほとんど泣きそうになってしまった。

ま、いいんですけどね。
「スーツを着た殺し屋」を見に行って、その目的は果たしたわけですから。

鶏頭




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