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  2009-11-04:

ベランダに落ち葉が溜まるので、百均でホウキとちりとりを買った。前住んでいた集合住宅では最上階だったこともあって、落ち葉が溜まるようなこともなく、部屋に掃除機をかけるついでに、隅の埃など吸えばことが足りたのだが、新しいところでは生け垣がどっさり葉を落とすのである。

考えてみればホウキというものをあまり使ったことがない。学校時代、掃除で使っていたのは、モップの先がぞうきんではなく、短い黒い毛が植えてある「自在箒」だった。実はこのログを書くまで、このホウキの名称を知らず、検索で「自在箒」、もしくは「自由箒」と呼ばれるホウキの一種であることを初めて知った。なぜこれが「自由自在」なホウキなのか、はたまたその姉妹品として「応用自在」ボウキがあるのかどうか(すいません、めちゃくちゃマニアックなネタです。このジョークがわかるあなたは元中学受験生)およそわたしの知るところではない。

ともかくわたしは検索で名称を知るまで、これはホウキではなくモップのカテゴリに属するものだろうとばかり思っていたのだが、事実、これはホウキのように「掃く」ものではなく、モップのように床を「押し」てゴミを集めるものである。ホウキの柄を動かしながら床を掃き清めるのは、モップかけにくらべてはるかに技術を要するもののように思う。

記憶をさかのぼっても、わたしが物心ついたころには、家では掃除機を使っていた。自分の部屋ぐらい掃除しなさい、とお小言を喰らえば、部屋に散らばった本だの服だのを片づけて、掃除機をかける。大きくて重い掃除機をうんうんと二階へ持って上がって掃除機をかけていると、本体があちこちにぶつかって大きな音を立てたり、果てはふすまにぶつけて破ったりしては怒られたものだ。

だが、そのころの掃除機はほんとうに大きくて、操作性も悪かったのだ。いまのような丸っこくて軽い掃除機なら、そこまで掃除が面倒でなかったはずだ……といっても、いま掃除機を嬉々としてかけているかというとそんなことは全然ないのだが。おそらく当時、仮にいまのような掃除機があったとしても、
第一楽章:なんでそんなにだらしがないの
第二楽章:部屋の整理整頓ができないのは頭の中が整理されてない証拠
第三楽章:片づけもできないのなら部屋は取り上げる
第四楽章:掃除しなさい
から成る「お小言交響曲 掃除編」は聞かされていたにちがいない。

つらつら思い返すに、玄関にはシュロボウキがあったし、外の掃除は竹ボウキを使っていたはずだ。それでも自分が家で使った記憶がないというのは、単にわたしがしなかったというだけことなのだろう。中学に入って、校庭の端のプラタナスの下を竹ボウキで掃いていたら、「先をそんなに寝かしたら、穂先が斜めになる」とおっかない先生に怒られた。体の大きな体育の先生だったが、その先生は、穂先を地面に垂直に、動かすときは手首を返すのではなく腕全体を使う、と持ち方・動かし方を事細かにおしえてくれた。だが、学校にある竹ボウキは、どれもすでに斜め、というより、ひらがなの「れ」の字の尻尾のように先が外を向いていて、こんなに反った先をどうやって垂直に地面に立てることができるんだ、と内心わたしはおもしろくなかった。

それからはるかに歳月が流れ、数年前、町内一斉清掃に当番で参加したときのこと。高校を卒業して以降、初めて竹ボウキを使うことになった。その清掃のためにわざわざ買い込んだらしい、真新しい竹ボウキがいくつも地面に横たえてある。その一本を手にとって、中学の時に教えられたことを頭の中で思い返しながら、巨大な筆のようにまっすぐの竹ボウキを両手に構え、穂先を痛めないよう、昔の教えを思い出しながらおそるおそる掃いていた。そこへ、同じマンションに住むおじいさんがやってきて、「ふだん箒を使うてへん人間の掃き方ゆうのんは、すぐにわかるなあ? そんな恐る恐るやっとって、何が掃けるもんやら」とイヤミを言われてしまった。

そうですよ、どうせふだん掃き掃除なんてしてませんよ、と内心思ったが、礼儀正しいわたしは何も言い返すことはしなかった。掃除をするふりをして柄を動かして、偶然を装ってそのおじいさんを突いたあげくに「おっと失礼」と言ったりも、もちろんしなかった。単に頭の中でその図を思い浮かべただけである。

先日テレビのコマーシャルで、「実写版レレレのおじさん」を見た。赤塚不二夫描くところのレレレのおじさんよりはかなり若そうな、体の大きな人がやっていたが、ホウキの先を地面に押しつけるようにして、掃くのではなく、なでている。どうやら本物の竹ボウキではなさそうで、そもそもがコマーシャル用に作ったものなのだろう、おそらく実際の役には立ちそうもないものだった。たくましい姿形は、マンガとのミスマッチがかもしだすおかしさを狙ったのかもしれないが、掃除の手つきのぎこちなさは狙ったものではあるまい。たとえコマーシャルでも、もうちょっとちゃんと指導してほしいものだと思ったのだった。

ホウキの見事な遣い手といえば、竹ボウキではなく、丈の短いしゅろボウキだが、ディズニーランドの園内清掃をやっている人の右に出る人はいないだろう。ディズニーランドでは、園内いたるところにいるホウキとちりとりを持って掃除をしている白服のキャストを「カストーディアル」と呼ぶ。片手にホウキ、片手にちりとりを持って、足を巧みに操りながら掃除をしていく様は一種のエンターテインメントだった。おそらくは訓練のたまものなのであろう様式化された動きで、ゴミであろうがこぼれたポップコーンであろうが、あっという間に片づけてしまう。最初にディズニーランドに行ったとき、何よりも感動したのはカストーディアルさんで(当時はその名前も知らなかった)、しばらくついて歩いたことを思い出す。

ベランダの掃除をするのも、ほんとうはカストーディアルさんが使っている、ふたのつきの柄の長いちりとりがほしかった。だが、百均にシュロ箒とセットになった、プラスティックのちりとりがあったので、つい値段に引かれてそれを買った。思ったより小さく、足の使いようもなく、あまり使い勝手もよくない。本家の華麗な手つきとはほど遠いが、気分だけはカストーディアルになったつもりでせっせと葉っぱを掃いて、スコップですみに溜まった埃と砂をかきだした。二個見つかったどんぐりは、記念に部屋に持って入った。

そのどんぐりは、ベランダの初掃除記念、ということで、いまも保存されている。

鶏頭





  2009-11-02:

中学一年の英語で「代名詞」というものを習う。一人称代名詞として "I"、二人称として"you"、そうして三人称として"he","she","it" の三つ。男の子はJohnも太郎もheで受け、おばあさんもおねえさんも女の子の赤ちゃんも、みんなsheで受ける。それに対して、人間以外は単数であればすべてit、家で飼っている犬も、本やカップやスリッパと同じくitで受ける、と習った。シロがたとえ雄犬であっても、タマが雌猫であっても、その性別にかかわらず、人間以外にはheやsheは使わないのだ、と。

ところが文法ではそう習っても、上の学年のリーダーのテキストには "He likes to sit in front of the television."(彼はテレビの前に坐るのが好きだった)という文章があった。この「彼」はお父さんではなく、イヌのマックスだったのだ。一年のときには、動物は"it"で受けると言われたのになあ、と思ったものだ。

後年、アメリカやイギリスやカナダ、オーストラリアからやってきた語学教師に、動物は"it"で受けるか、と聞いてみたところ、"he" や "she" で受けるべきだ、という人の方が圧倒的に多かった。"it"を使うと、人間とはちがうことを強調している印象を受ける、というのである。とりわけ家族の一員であるペット、性別ももちろん知っている彼らのことを、あえて"it"を使うことはありえない、とまで言う人もいた。

なかでもわたしがなるほど、と思った説明は、"it"は人間に当てはまる動詞がふさわしくないような場合に使う、というものだった。たとえば「眠る」「遊ぶ」といった動詞は
He sleeps on the floor. (彼は床で眠る)
とは言えても
× It sleeps on the floor. という文章はどう考えてもおかしい。だから動物は"he"や"she"で受けるのだ、と言うのだった。

さて、昨日までここでフィリップ・K・ディックの"The Father Thing"を訳していたのだが、この the father-thingを受ける代名詞は、かならずitである。heといったら、thingのつかない本物のお父さんのことであり、thingがつく「もどき」はかならずitなのである。"it"という言葉が出てくるときは、こいつはheではないのだ、itに過ぎない、ニセモノである、おぞましい存在なのだ、という、代名詞に悪意がこめられていて、このはっきりとした区別から、改めて中学で英語を習い始めたときのことを思い出したのだった。

この短篇を改めて読み返してみれば、スティーヴン・キングとの類似に驚いてしまう。男の子たちが協力してまがまがしいもの、この世ならぬものをやっつける、というのは、ブラッドベリにもあるが、"it"という代名詞にこめられた違和感、代名詞ひとつで「人間とそうでないもの」の区別を見せつけたこの言葉の使い方が、のちにキングをして『It』という長編小説を書かせたにちがいない、とわたしは思っている。

スティーヴン・キングの『It』は、よく「キングの最高傑作」みたいなことが書いてあるのだけれど、わたしとしては個人的には異論のあるところだ(わたしとしては怖さでは『シャイニング』を、ストーリィのおもしろさでは『クージョ』を推したい)。なによりも"it"の正体がクモであるところが、なんとも腰砕けのような気がするからなのだ。けれど、『it』が、ディックの"The Father Thing"を本歌取りしたものであると考えれば、それも文句はいえないかな、という気がしてくる。なにしろ「本家」ディックの"it"は、虫なのだから。

たかが虫のくせに、なんでこんなに「人間もどき」になるのだ、とか、言葉をどうして操れるようになるのだ、とかと、ディックの短篇は、いろいろ突っこみたくもなる要素はたくさんある。文章もヘタだし(原文を訳してみて、つくづくそう思った)。だが、そんな欠点をさっ引いても、なんともいえない不気味さを描きだすのは、やっぱりこの人はうまいものだな、と思う。とくに、樽の底からほんものの父親の「残骸」、薄皮一枚を取り出すところのえもいわれぬ不気味さは、いろんな部分が曖昧に残されているからこそ、最後まで残っていくのかもしれない。

欧米の昔話では、人間は悪い魔法使いによって、動物に変えられるが、動物は人間にはならない。人間のふりをする人間以外のものは、ヴァンパイヤなどの不気味な物の怪に限られる。日本のように狐が人間に化け、人間とのあいだに子供を作ったりするようなことは、欧米では考えられないのだ。やはり、根本にあるのが、動物を受ける代名詞は"it"という思想なのだろう。

鶏頭





  2009-10-23:

わたしは腰痛持ちで、気をつけないとすぐ腰が痛くなってしまう。こんなことを書くと、ああそんな歳なのだ……と思われてしまいそうだが(どんな歳だろう?)、すでに小学生のころから、背骨の一番下あたりに鉄板が張りついたような鈍い痛みは、ズキッとくる虫歯の痛みや、みぞおちがしくしくと痛む胃の痛みと同様、親しいものだったのである。

元来、外で走り回って遊ぶより、腰を下ろしてひとつのことをやり続けることの方が得意な子供だった。まるで不活性元素のように、本を読んだり、絵を描いたり、ブロックで遊んだり、じっとすわったまま夢中になっていると、気がつけば三時間、四時間が過ぎていたこともよくあった。

それでも最初のころは、腰痛といっても同じ姿勢を続けていたことからくるしびれや痛みで、じきにおさまったのだ。それがいつからか、どうにかすると一週間から二週間、骨盤がうまくはまっていないような、ぎくしゃくした痛みを抱えるようになった。寝込んだり、医者に行きたくなったりするほど痛いわけではない。我慢できる痛みではあるが、やはり長く続く違和感は不快である。だから、さまざまな対策を試してはみたのだが、結局は「同じ姿勢を続けない」ことに優るものはないことがわかった。

一時間ほどしたら、立ちあがって腰をひねったり伸ばしたり、背伸びをしたり前屈したり。そうやって腰にかかっている負担を一時的に取ってやり、何とか血行をよくしようと努める。当たり前すぎて、「秘訣」とも言えないようなことばかりなのだが、それ以上に効果的な対策はないのだ。

そんなふうにこまめに小休止を取って気をつけていれば、決して「一撃」を喰らうこともないのだが、忙しくなったり、集中してやらなければならない仕事を抱えることになったりすると、元来の不活性ガス的性質がすぐ顔を出してしまう。坐りっぱなしがまったく苦にならないことを良いことに、ついうっかり根を詰めて、仕事が片づいたころに足を引きずりながらヨロヨロと歩く羽目になる。

そこで、引っ越しを機に、かねてから念願の椅子を買ったのである。いわゆる「腰痛防止椅子」というやつで、通販のサイトの紹介文には、さまざまな医療機関からの「お墨付き」が麗々しい。なんだか読むだけで腰の痛みも解消されそうだ。少し高めだが、大事に使えば元は取れるはず、と考えて注文した。

ほどなく椅子は届き、運送屋さんが帰るのももどかしく、勇躍、梱包を解いた。黒いパイプが湾曲しているあたり、何だかやたらハイテクっぽい形状なのである。腰を載せてみると、膝を載せる台がシートの下についていて、最近とみに増加傾向にあるわが体重が、腰ばかりではなく両膝に分散されていることが実感される。なるほど、これがすべて腰にかかっていたのか、重かったはずだな、と、腰をいたわる気持ちまで生まれてきて、わたしは自分の買い物にたいそう満足した。

ところが、である。その椅子を実際に使ってみると、当たり前のことではあるが、じきに膝が痛くなる。膝をずらしてみたり、膝をつくのをやめてみたり、痛くなると無意識のうちに体が動いているようで、ふと気がつくと、ずいぶん変な格好をしていたりする。どうも椅子本来の機能というより、さまざまな坐り方が可能である、という一点で、役立っているように思えなくもない。結局、集中し始めると、時間を忘れてしまうのが、一番の問題なのかもしれない。

昔、誰だったか、明治生まれの作家が書いていた。当初、その作家は文机に向かい、畳に腰をすえて仕事をしていたのが、やがて椅子と机で仕事をするようになった。そうなると、自分の書いたものが「腰掛け仕事」になってしまっているのに気がついた、とあったのである。

それを読んだ当座は、椅子と机で「腰掛け仕事」なら、西洋の作家は全員「腰掛け仕事」だし、さらにはずっと立ってタイプライターを打っていたヘミングウェイはいったいどうなるというのだろう、自分がやった仕事に対する不充足感を、椅子と机のせいにしているだけじゃないか、と思ったものだったが、いまになって考えてみると、確かに作者の言い分もわからなくはない。

「腰を落ち着ける」という。
坐る、ということは、すなわちそこにじっと動かないで、集中して何ごとかを行う、ということだ。畳に坐れば、容易には立ち上がれない。姿勢を変えることすら、ままならない。しかも視線は低い位置に固定される。いきおい、視界の大部分を占めるのは、原稿用紙のマス目である。その圧迫感はいったいどれほどのものだろう。疲れればいつでもひょいと立って、どこにでも行ける「腰掛け」とは、見える風景も、心的状況も、ずいぶんちがってくるだろう。

人は、その人が置かれた環境と無縁ではいられない。とりわけ、数学の問題を解くのとはちがって、紙の上に言葉で何かを作りだそうとすれば、机周りの環境が、かならず何らかの形で影響を及ぼす。巻紙に筆で書くのと、キーボードを叩くのでは書く中味が必然的に変わってくるのと同様、椅子に坐るか、畳に坐るか、あるいはまた立ってタイプライターを打つか、おそらく文体は変わり、言葉も変わり、つまりは思考自体も変わっていくにちがいない。後期ヘミングウェイのあの文体は、立っていたからこその文体ともいえる。「腰掛け仕事」と自分の作品を評した例の作家は、自分の変化を好ましいものとは感じなかったのだろう。

大枚はたいて買った「腰痛防止椅子」のおかげか、以来、ひどく腰をいためることもなく、なんとかここまで来た。気がつけば両足の膝小僧に、タコができてしまっている。「腰掛け仕事」ならぬ、「膝つき仕事」である。だが、ふと気がつくと、坐り方を変えている。膝を載せる位置に足を置いたり、片脚を折り曲げて坐る位置に載せていたり。無意識のうちに体勢を変えているのがわたしにとっての「腰痛防止椅子」の最大の功績らしい。何か使い方がまちがっているような気もするのだが、この「腰痛防止椅子掛け仕事」がどんなものになっているかは、いまのところまだわからない。

鶏頭





  2009-10-18:

その昔、上野公園で友だちと待ち合わせたことがある。上野といえば西郷さん、待ち合わせのメッカ、西郷像で待ち合わせたのだが、例によって時間より少し早く着いたわたしは、二十分ほど遅れてきた相手を待ちながら、三十分ほど西郷さんの像をしげしげと眺めていたのだった。

ちょうど今の季節で、秋の日差しが紅葉し始めた木々の葉を照らす、気持ちの良い日曜日。西郷さん同様、犬を連れて散歩している人の姿も多く見られた。小さなポメラニアンが自分の体の十倍はありそうなゴールデンレトリバーに吠えかかり、レトリバーの方がしっぽを丸めて飼い主の後ろに隠れたのを、いまでも覚えている。相変わらずわたしの記憶の引き出しは、そういうジャンクであふれかえっている。

ところで西郷さんの像はどうして上野に立っているのか、わたしは長いこと不思議だったのだけれど、山田風太郎が『死言状』(角川文庫)のなかでそのことを書いている。

 果然、そもそも西郷の銅像を建てるなどということを思いついたのは、東京人ではなく、薩摩人であった。  その発起人は樺山資紀(かばやますけのり)、吉井友実(よしいともざね)という人であった。(中略)
 これが音頭をとって募金して銅像を作らせ、西郷の名誉回復のため、はじめは皇居のそばに置こうとしたが、さすがにいちどは逆賊の名を受けた人物の銅像を皇居のそばに飾るのはいかがなものかという異議が出て、やむなく移した先が上野公園だったというわけだ。いわば間に合わせの場所なのである。

(山田風太郎『死言状』角川文庫)

なるほど、「間に合わせ」で上野に居を定めたのはわかったが、さて、西郷さんというと、たいていの人はあの銅像の顔を思い浮かべるだろう、というか、それ以外の西郷さんの顔をわたしたちはよく知らない。坊主刈りで、眉の濃い、ぎょろ目で彫りの深い顔立ちの顔が、箱のような胴体の上に載っている。

ところが山田風太郎によると、西郷さんはあんな風貌ではなかったそうなのである。もう少し『死言状』から引用する。

 この銅像ができてみると、こんどは西郷の遺族から異議が出た。隆盛はあんなぞろっぺいな姿で狩りをしたことはないし、顔もまた似ていないというのである。
 服装はともかく、容貌については、この銅像の作り手は、おそらくキヨソネのえがいた西郷の銅版画の肖像によったせいだろう。

 正しくは、エドアルド・キオソーネ、紙幣などを作るために日本に招聘されたイタリアの画家で、彼は奇しくもこの年(※西郷の銅像が上野に建てられた明治三十一年)の四月に東京で死んでいる。

 西郷は生涯写真をとらさなかった。この点、明治天皇と同じである。
 いったい明治の政治家や軍人は、後代よりもりっぱな顔をしている。それは主としてヒゲによると私は考えている。
 で、いまもわれわれの知る両人の顔は、キヨソネのイタリア的美術感覚で修正された肖像なのである。またイヌをひいた粗衣の西郷は、銅像の作者高村光雲の庶民的感覚で空想された姿なのである。

さて、わたしがわざわざこの話をしたのは、イタリア人であるキオソーネが描いた顔が西洋人風になり、木彫りの仏師が彫った彫刻が裾の短い浴衣姿である、という風太郎の指摘がおもしろかったからなのだ。

藤田嗣治 ルノワール

この話を読んで、わたしは藤田嗣治の絵のことを思い出したのである。
藤田というと、乳白色の独特の質感の肌でフランス人を描き、大変な評判になった。だが、フランス人の描くフランス人と比べてみると、ずいぶん印象が異なるのは驚くばかりである。上の絵はためしにルノワールと並べてみた。モデルの年齢は多少ちがうようだが、ともに卵形で顎のとがった、繊細な顔立ちの女性である。だが、単に表現されたものがちがうばかりでなく、あきらかにルノワールと藤田では、「見ているものがちがう」という印象を受けてしまう。藤田の描く線の細い華奢な造作は、フランス人が描くフランス人の顔より、浮世絵の線の細さに近い。左の女性を黒髪にして髷を島田に結い、キセルを持たせて箱火鉢の前に坐らせれば、それほど違和感なくおさまりそうなのに対し、右は絶対に無理だ。

イタリア人画家の描いた明治天皇の肖像画にしても、西郷隆盛の肖像画にしても、ふつうの日本人には見られない、目元から鼻梁に両脇に深い影が描かれている。単に目がくぼみ、鼻が高い、というだけではない。その立体的な面構成に、日本人にはない顔の奥行きを感じてしまうのだ。何しろキオソーネが描いた肖像以外に、判断材料がないので、明治天皇や西郷隆盛がほんとうに彫りの深い顔をしていたのかどうなのかはわからないのだけれど、「イタリア的美術感覚で修正」というのには説得されてしまう。

画家といっても、生まれてからずっと見てきた経験を通して人を見、自分の見た姿を描くのだとしたら、日本人の描くフランス人がどこか日本風で、フランス人の目から見て独特のエキゾチズムがあることにしても、イタリア人の描く日本人が、どこかイタリア風の彫りの深さを持っていることにしても、不思議はあるまい。

あの西郷さんの顔が、イタリア人の目を通して見た西郷さんの顔だと思うと、なんだか楽しくなってくる。ほんものの西郷さんは、いったいどんな顔をしていたのだろう。

鶏頭





  2009-10-17:

大学に入って寮生活を初めてすぐ、寮にある共同の冷蔵庫の棚の一段を割り当てられた。自分の食べ物はそこに置くこと。そのほかに、牛乳や卵や冷凍食品などは共有のドアポケットや冷凍庫に、自分の名前を書いて入れておく。ふたつある卵ケースには、さまざまな名前を書いた卵がいつも並んでいた。

自炊といっても、朝はパンとせいぜい卵を食べるぐらいだし、ちゃんと料理を作るのは、一日に一度だけだ。それでもキャベツやダイコンは、たとえ1/4に切ったものを買ってきたとしても、数日間は場所を取ったし、味噌もマヨネーズも場所を取った。棚一段分しか割り当てがないのは確かに不便だったが、何人かの先輩がそうしているように、自分の部屋に小型の冷蔵庫を置こうとまでは思わなかった。というのも、その日に食べる分だけ、鮭の切り身ひと切れとか、トマト一個、豚肉の小さなパック(これはたいてい二日か三日に分けて使った)とかを、毎日帰りがけに買っていたからだ。だから、冷蔵庫のひとつの段しか割り当てがなくても、そこまで困ることはなかった。

それからずいぶん時が過ぎて、わたしの使っている冷蔵庫も二代目となり(考えてみたらわたしが冷蔵庫を持つようになって、いまのがたった二台目だ。何によらず物持ちがいいなあ)、そのたびに容量も大きくなった。それでも家電量販店にあるような大型の冷蔵庫には遠く及ばない。どう考えてもそんなに入れるものがあるようには思えないからだ。

あんな大きな冷蔵庫に、食べ物をぎっしり詰め込めば、四人家族でも一週間はもつだろう。だが、量販店にあるのを見ても、大型が圧倒的に主流であることを考えれば、週末に一週間分を大量に買い込んで冷蔵庫にストックするというライフスタイルが、今は主流なのだろうか。

うちの場合、冷凍庫を占領しているのはアイスノン(笑)やコーヒー豆だし、冷蔵庫の中で場所を占めているのは、麦茶や牛乳やジュースを除けば、小麦粉や片栗粉などの粉類に昆布や切り干し大根、大豆や春雨などの乾物、あとはヨーグルトぐらいしかない。野菜室は満杯だが、かさばっているのは米袋を入れているせいで、あとはキャベツとグレープフルーツが入っているぐらい。過去に何度かやってしまった経験から、とにかく冷蔵庫のなかで物を腐らせるのが恐ろしいのだ。

色が変わって黄緑色の汁を垂らしているレタスとか、カビのはえた瓶詰めとか、そんなことをやってしまったのは、つらつら思い返すに十五年以上も昔のことなのだが、わたしはまだあのときの恐怖から立ち直れないでいる。おそらく一生、立ち直れないかもしれない。

かつて食べ物であった存在が、非食べ物に変質しただけで、どうしてそこまでおぞましく思えるのだろう。そういえば、小学生時代、食べられなかった給食の残りを、こっそり机の中に隠していた子がクラスにいて、あるときカビのはえたパンやら何やらが大量に発掘されて、大騒ぎになったことを思い出す。パレットをちゃんと乾かさずに絵の具箱にしまって、水彩絵の具にカビを生やしていた子だって、パンに生えたカビを、汚い、汚い、と騒いでいたのだ。どうやらわたしたちは、「食べ物」を玉座に据えて、そこから転落した「元食べ物」を、ことのほか賤しい地位に貶めたくなってしまうらしい。

そんな「非食べ物」に遭遇した過去のトラウマのせいか、今日、せいぜい明日、確実に食べるとわかっている以上のものを、どうしても買うことができない。ついでに言うと、常備菜というのも作ることができない。残ったおかずを翌日の昼あたりに消化すると、なんともいえない達成感を味わい、正しい生活を営んでいるような気がしてくるほどだ。

その昔、アメリカの巨大なスーパーで、食料品で満杯の巨大なカートを押しながら、なおも買い物を続ける人を見て、アメリカ人はだからあんなに大きな冷蔵庫が必要なのだなあ、と思ったものだった。それらの食品を残さず消費したにちがいない、ふくよか、という表現は穏やかに過ぎるような体型の人を見ながら、ライフスタイルがあの冷蔵庫を必要としたのか、巨大な冷蔵庫があのライフスタイルとあの体型を創りだしたのか、どちらが原因でどちらが結果かと考えたものだった(んじゃなかっただろうか)。

いまの日本の大型冷蔵庫は、容量だけ考えれば当時のアメリカの冷蔵庫に十分対抗できるような気がする。だが、毎日スーパーで出会う人たちは、さほど大量に買い込んでいる人を見たことがない。

それとも週末に郊外のショッピングセンターに車で出かけるような人は、かつて見たアメリカ人のように大量の買い物をしているのだろうか。ともかくそんな人は、冷蔵庫で物を腐らせたり、カビを生やしたりすることがないよう、入念な計画を立てて、毎日料理をしているのだろう。きっと頭の中がシステマティックになっているのにちがいない。

近ごろ、スーパーに行くたびに、インフルエンザや台風に備えて、食料品の買い置きをしておきましょう、というポスターが目に入る。ほとんど毎日買い物に行っているわたしは、毎日それを見ているのだが、買い置きしようという気がどうしても起こらない。緑の汁のトラウマから決して自由になれないのである。

おそらく大型冷蔵庫に大量に食品をストックしている人は、インフルエンザが蔓延し、なおかつ台風が来ても、何の痛痒もないにちがいない。アリとキリギリスのアリ、備えあれば憂いなしを実践しているわけだ。

キリギリスのように毎日歌って暮らしているわけではないのだが、まあ、その日ぐらしのキリギリスの亜種であるわたしは、インフルエンザが蔓延したら、切り干しダイコンと春雨スープで、持ちこたえられるところまで持ちこたえることにしよう。インフルエンザの蔓延が起こるかどうかはわからないが、野菜室のレタスはまちがいなく一ヶ月後には液状化する。

鶏頭





  2009-10-12:

死んでしまった人はいい人、という言い方があるが、確かにマイケル・ジャクソンに関しては、その言葉が当てはまるような気がする。

ここ数年は、マイケル・ジャクソンといえば、整形に整形を重ねたあげく、顔面が崩壊した、とか、鼻が落ちた、などといったグロテスクなうわさ話ばかりが伝えられていた。それがほんとうかどうかは無関係、「いかにもありそうな話」であれば、十分笑い話として通用する。そんな扱われ方をしていたように思う。

昔から、芸能人の誰それは整形をしている、という話はよく聞いた。誰それと同じ高校だったが、当時はいまのように目が二重ではなく、鼻も低かった、という話も聞いたことがある。

だが、そんな話を聞くと、オーディションに受かったときや、街でスカウトされたには「整形前」の顔だったのだから、どうしてそんなにパッとしない女の子が芸能人になれたのだろう、と不思議に思う。その状態から現在の顔を想像して合格させたり声をかけたりしたのだとしたら、見いだした人の眼力というのはは、占い師並みということになるなあ、と思ったものだが、美容整形というのは、ほんとうにそこまで顔かたちを変えることができるのだろうか。

佐々木正人の『からだ ―認識の原点』には、こんな例があげてある。「戒厳令下チリ潜入」という映画を撮るために、亡命中だった映画監督のミゲル・リティンは、変装して母国チリに潜入することにした。メガネをかけ、ヒゲを剃り、ウルグアイ人から身振り、話し方などを学んだ。

だが、変装の手助けをした心理学者は「笑ったら死ぬぞ」と警告したという。つまり、どれだけ変装したとしても、表情はすべてをぶちこわす、ということなのである。人間は顔ではなく表情で、その人を見分けているのだ。

このエピソードが教えてくれるのは、わたしたちが見ているのは「目」や「鼻」などのパーツではなく、そうしたパーツが作りだす「表情」である、ということだ。笑顔、といえば一種類しかないような気がするが、人の笑顔はそれぞれにちがう。百人いれば百通りの笑顔、その人独特の笑顔があって、わたしたちが見分けているのは、顔の造作ではなくその人ならではの笑顔なのである。

そう考えていくと、目を大きくするとか、鼻の形を変えたりするとかが、どれほどその人の表情に影響を及ぼすのだろうか。逆に、少々目の大きさを変えたり、鼻を細く高くしたりしても「その人」とわかるのは、その人の「表情」が変わらないからなのだ。

近所の子供たちが小学生から中学生、高校生へと成長していくのを見ていると、それぞれの顔の変化が、その子供たちがどう生きているかと密接に関連していることがよくわかる。中学時代、暗い顔をしていた子が、高校入学とともに、なんだか憑き物が落ちたように、明るくのびやかな顔になっているのを見ることもあるし、小学生時代、あどけなくかわいらしかった子が、髪を染め、眉を抜き、化粧をし、それだけでなく生活の乱れをうかがわせるような、無惨な顔になっていくのを見ることもある。

ある人物の顔と、その人が生きている「物語」は、端で見ていてもはっきりとわかるほどの関連がある。逆に、整形を施すことによって急激な変化を顔に与えることは、おそらくその「物語」に、いくばくかのゆがみを生じさせることになるのではあるまいか。

マイケル・ジャクソンは、自分の望む顔を手に入れようと、整形を繰りかえした。アルバムのジャケットを見るだけでも、彼の顔が別人のように変わっていることがわかる。だが、変わっていっているのは、造作だけなのか。人種や性別からの逸脱は、人間らしい表情からの逸脱でもある。望む顔になりさえすれば、望む人生が手に入れられると思ったマイケル・ジャクソンは、逆に、どこまでいっても望む顔になれない、という逆説のなかにはまりこんでいってしまった。そうして、いつのまにか彼の顔は、グロテスクなうわさ話とともに語られるようになってしまったのだ。

マイケル・ジャクソンの最後のコンサート映像を編集した映画がまもなく公開されるらしい。だが、もはや誰も彼の顔について、意地の悪いことを言うことはないだろう。マイケルの名は、不世出のダンサーかつシンガーとして語られ、顔のことを取りざたする者はいなくなるだろう。整形に整形を重ねた顔が崩れることもなければ、そこからさらに整形を施すこともないのだから。

良い人になったかどうかはさておいて、少なくとも彼の名前は、やっとその音楽やダンスとともに語られるようになったわけだ。歌はまあともかく、ダンサーとしては、希有な、不世出のダンサーのひとりだったとわたしは思う。

それでも、マイケル・ジャクソンの動きなら思い出せるのだけれど、彼その人の顔を思い出そうとしても、いったいどのマイケルを思い浮かべたら良いのか、わたしははたと迷ってしまう。何度も見たのは「スリラー」のMTVだが、いま見てみると、なんだかそれもマイケルとはちがうような気がする。

彼としてみれば、いったいどの自分を思いだしてほしいのだろうか。
まあ、そんなことなどどうでもよくなったところに行ってしまったのだろうが。

鶏頭





  2009-10-09:

あまり親しくない関係、というか、有り体に言ってしまえば、こちらとしては、どちらかといえば関わり合いを避けたいぐらいに感じている相手から、何かしら恩を受けるのは、気の重いものである。

菊池寛の「恩を返す話」の主人公も、自分の命が助かったことより、目の上のたんこぶのような相手から恩を受けたことを悔やんでいる。命が助かったからこそ、悔やむこともできるのだ、とわかっていても、こんなことならいっそ死んだ方が良かった、という主人公のほぞをかむような思いは、十分すぎるほどに伝わってくる。

恩を受けたくない相手から、心ならずも恩を受けてしまった。となると、さて、どうしたら良いのだろう。即座にそれに相応する「恩」を、こちらも返すことだ。貸し借りをチャラにする。さっぱり、きっぱり、なかったことにする。「恩を返す話」でも、神山甚兵衛は自分の命を救ってくれた佐原惣八郎に対して、何とかして一日も早く恩を返そうと、その機会をうかがうのである。

仮に相手が「目の上のたんこぶ」ではなく、親しい相手であったとしても、わたしたちはどちらかというと「恩」を受けるより、着せる側、してもらう側ではなく、してあげる側にまわりたいのではないだろうか。恩を受けるときは、なんとなく居心地が悪い。あたかもわたしたちの心のなかに、秤のようなものがあって、世話をされたり便宜を図ってもらったりしたら、その分傾いて、こちら側が沈みこんでしまうかのように。だからすぐにお返しをして、秤を平行に戻しておかなければならない、というかのように。

ただ、わたしは長いこと、ひとつ不思議に思うことがあった。

確かにデートのときの食事代やお茶代はどちらが払うかというのは、さまざまな要素の絡み合うデリケートな問題であるように思う。だが、そういうデリケートな配慮が必要とまでいかない、恋人とも呼べない、特に好きなわけですらないような相手と出かけるときに、「すべて相手持ちはあたりまえ」と言ってはばからない女の子たちが、どうしてそんなことができるのだろう、と不思議だったのだ。

男の子の側が、食事をおごり、映画やコンサートのチケットをおごり、送り迎えをする、というのはわかる。言葉は悪いが「恩」を売って、秤に傾斜をつけたいわけだ。お礼やお返しは、つぎの「恩」の呼び水となる。テニスのラリーが続くように、相手が打ち返しやすいところへ正確なサーヴを打つようなものだ。

だが、「恩」を受けてもいい相手かどうかの選択権は、受ける側にあるのではあるまいか。受けたくもないような相手なら、さっさと断ればいい。なのに裏でさんざん悪口を言いながら、一方的に「恩」を受けるなんて、秤がこちらの側に傾きっぱなしでよく平気でいられるものだ、とわたしにはよくわからなかったのである。

ところが彼女たちは、それを「恩」とはいないようだった。友だちであれば、受けた恩や世話に対して、きちんきちんと返していくような子、微妙なバランスまで考えるような子が、自分を誘う男の子に対しては、まったく「恩」を感じない。男と女の関係というのは複雑なものだなあ、と、十代のわたしは思っていたのである。

ところが先日、過去にそんなことをやっていたという人と話す機会があった。あのころはわたしも若かった、と笑いながらバブル時代の話を聞かせてくれたので、わたしも気楽にかねてからの疑問をぶつけてみたのである。

すると、「恩の秤」はきちんと釣り合っている、とその人は言うのである。「恩」は何もお茶代や食事代だけではない。相手に好意も持っていない自分が、一緒に出歩いてあげることが「恩」で、相手はそれを返すために食事代を払ったり、お茶代を負担したりするのだ、というのである。

「いま考えると、ほんと、世間知らずだったと思う。一体何様、って感じよね」

それを聞きながら、なるほど、とわかって、おもしろく感じた。やはりそこにも「恩の秤」は働いていたのだ。

わたしたちは恩や世話や物のやりとりをしながら、その行き来した物や結果ではなく、やりとりしていること自体によって、お互いの関係を確認している。そのたびごとに動いていく「恩の秤」の傾きで、上下関係を測りながら、微妙なバランスのなかで関係を絶えず結びなおしているのだ。その関係がどんなものかは、動くからこそ、確認できるのだろう。だからわたしたちは、関係のある相手に対して、何らかの働きかけをし続けるのだ。

菊池寛の短編では、主人公は恩を返そうとして果たせずにいる、と思い込んでいる。だが、返そうとするその試みが、実は恩のやりとりになっていることに気づかない。相手も周囲も、主人公の思いを友情とみなし、友情に厚い人間と主人公を評価するのだが、主人公はその評価をも、自分の側に秤を傾けさせると焦る。だが、結果がどうであれ、やりとりを続けるということは、同時に眼に見えないかたちでの「恩」の行き来がなされているのだ。かたくなな主人公は、最後までそれに気がつかないのだが。

鶏頭





  2009-10-08:

一体何が原因だったのか、いまとなってはよくわからないのだが、中学生の頃、真剣に「どうしたら強くなれるだろう」と考えていた時期がある。

周囲の情況を見るにつけ、わかってきたのは「何かをほしがっている人は弱い」ということだった。頭が良いと思われたい、かわいいと思われたい、人気者になりたい、そんなことを考えていると、そう思ってほしい人間に対してどうしても弱くなる。言いたいことも言えず、相手の顔色をうかがうようになる。

事実、生徒の歓心を買おうとしている先生は、生徒たちになめられていたし、男の子の前に出ると態度ががらっと変わる女の子は、他の女の子たちからバカにされていた。難しい本を机に置いていて、授業中もそこから小難しいことを引っ張ってくる子の成績が、実はたいしたことがないのも、みんな知っていたし、ホームルームでいつも立派なことを言う子は、ちょっと批判でもされようものなら、必死で言い訳し、いつまでもくよくよしていた。

つまりは、欲しがり屋というのは、弱い人間なのだ。何も欲しがりさえしなければ、立場を弱くすることもない。好かれようと思わなければ、自分のことを嫌う人間の存在を気に病むこともないし、頭が良いと思われたいと願わなければ、少々悪い点を取ったところで、親から叱られるぐらいですむ。中学生のころのわたしはそんなふうに考えていた。のちに、リリアン・ヘルマンが、「つまり、よろこんで懲罰を受ける覚悟さえあれば、闘いはもう半ば終ったも同然だということだった」(『未完の女』)と言っているのを知って、我が意を得たような気がしたものである。

だが、当時のわたしは気がついてはいなかったのだけれど、ほかならぬ自分のなかに、好かれたり認められたりすることを願う部分があり、なおかつ、それが満たされないときの屈辱を知っていたからこそ、「欲しがり屋」の弱さが目についたのだろうし、嫌悪すべきものと映ったのだろうと思う。ともかく、わたしはそうした評価や承認から身を引くことで、自分自身のプライドを守ろうとしていたわけだ。

それからしばらくたって、二十代に入ってしばらくした頃だろうか。ナンシー関という書き手を知るようになった。正確にはナンシー関はアクションジャーナルで消しゴム版画のイラストを載せていたころから知っていたのだけれど、コラムを読むようになったのは、それからかなりあとだった。

コラムで取り上げられているテレビ番組も出演者も、それほど知っていたわけではなかったのだが(たぶんわたしが「キムタク」を知ったのは、ナンシー関のコラムを通じてだ)、多くの人が気がついていながら、言葉にうまく載せられないでいたような「感じ」を、視点を少しずらすことで的確にとらえ、短い言葉ですぱりすぱりと断定していく小気味よさにひかれた。

誰だかよく知らない人であっても、的確な描写とカリカチュアライズで、その人が何をして、どんな人であるか手に取るようにわかる。芸能界のことなど、およそ何も知らなくても、隣村に住む、おぼろげに顔だけは知っている人の話をおもしろがるように、コラム集をたて続けに読んだ。

ところが、何冊か読むうちに、読み続けるのがしんどくなってきたのである。ゴシップに飽きてきた、というのともちがう。何かが自分の内側に溜まっていくのだ。いいものではない。閉めきった部屋にいるうち、自分の吐く二酸化炭素で空気が悪くなっていくような感じ、とでもいったらいいのか、ともかくそんな不快感である。

ナンシー関という人は、怖いものがないらしかった。良い人と思われたい、好かれたい、カッコイイと思われたい、そんな「欲しがり屋」とは無縁のところに身を置いて、自分の批評眼だけを唯一の物差しに、似顔絵を版画と文章で描いていく人だった。

賞賛や評価を求めないでいられるためには、つねに自分が心の底から満足できる仕事をしている必要があるだろう。そうして何よりも、自分に対して厳しくあることが求められるはずだ。だが、なんというか、それだけでもないような気がした。

中学生のころのわたしが気がつかなかったもうひとつのことは、何かを好きな人、大切なものがある人というのは、弱さを抱えるということでもある、ということだ。

虫が好きな人、サッカーが好きな人、本が好きな人、鉄道模型が好きな人、なんでもいいのだけれど、何かが正真正銘心から好きな人というのは、同時にそのことに関してはバカでもある。好きなものを悪く言われると、やっきになって反発する。子供っぽくもなるし、ばかげたことも言う。それが「好き」ということなのだ。

好きな人、大切な人がいる、ということは、その人物がどれだけ強くても、弱点を抱える、ということでもある。だから、ヒーロー物の映画でも、スーパーマリオでも、主人公の彼女はさらわれる。敵はその弱点を突いてくるのだ。

好きなものある人、好きな人がいる人は、何もかもを舌鋒鋭く批判したり、おもしろおかしくカリカチュアライズしたりすることはできない。好きなものや好きな人に対しては、どうしたってバイアスがかかるし、手ぬるいこと、さらにはアホなことを言ってしまう。自分にそういう弱点があることを知っている人なら、それ以外のものに対しても、やはり舌鋒は鈍ってしまうはずなのだ。

こう考えていくと、いつも強くあること、いつも正しい批判ができること、というのは、そんなに立派なことなのだろうか、という気がしてくる。ナンシー関のコラムを読んでいて、次第に感じてきた息苦しさというのも、そんなところから来るものではなかったか、という気がする。

ただ、いまでも覚えているのだけれど、彼女が中学生向けの雑誌に書いた短いエッセイはとてもいい文章だった。冒頭の消しゴム版画は自分の姿で、自分が他人の目にどう映っているかよく知っている人のそれだった。けれど、文章はそれだけではなかった。

彼女が育った青森の中学では、棟方志功を輩出したこともあって、木版画が美術の授業の中心だったそうだ。そうして東京に来るまで、それが当たり前の授業、日本中どこの中学生もおなじことをやっていると思っていた、と。東京で、美術といえば木版画、というのが当たり前でもなんでもなく、特殊、青森だけだったことを知る。ナンシー関はそこから、自分があたりまえと思っていることは、当たり前でもなんでもないのだ、と続けていく。当たり前、と思ってしまうことの危険、同時に、他者に対してはそれが暴力的でさえある、ということも。

「当たり前を疑え」と言う彼女は、カッコイイと当たり前のように思われている人、おもしろいと当たり前のように思われている人は、ほんとにそうなんだろうか、と。

おそらく多くの媒体でナンシー関に求められていた文章というのは、そういうものではなかったのだろう。けれど、もう少したくさんそんな文章を書く場があったら、もう少しあの人も長生きできたのではなかったか、というような気がする。

そんなことを言っても、意味はないのだけれど。

鶏頭





  2009-10-03:

近所に小さな川が流れている。もちろん自然そのままの川ではなく、川底も壁面もコンクリートで整備された、川というより用水路に近いものだ。大雨にでもなれば水かさも増し、濁流が音をたてて流れていくが、普段は川底をかろうじて覆うほどの水が、流れているのかいないのか、縦に長い水たまりといった具合である。

ところがその川に何匹もの鯉がいる。それも体長50センチは優にあろうかというほどの大きな鯉なのだ。いずれもどす黒く、お屋敷の庭で悠々と泳いでいるような錦鯉と同じ名前がついていて良いのかと思えるような鯉、黒と灰色と緑と茶が混じったような、とにかく何でこんなに汚い色なのだろう、と別の意味でほれぼれするほどの薄汚い鯉である。川べりを歩いていると、目の隅をよぎる大きな姿を感じて、ぎょっとする。そこで目を凝らして浅い水面を見下ろせば、どす黒い胸びれを緩く動かしながら、少しでも深いところを縫うようにして、鯉が泳いでいるのだ。

何年か前、近所にスーパーが出来るというので、あたりを視察に来たらしい、いかにも管理職という中年男性が数人、川べりを歩いていたのに遭遇したことがある。たまたま進行方向が一緒で、その数人の後ろを歩いていく羽目になったのだが、その一団のひとりが急に大きな声を出した。
「部長、鯉がいますよ、大きな鯉です」
「まさか。水もろくに流れていないような川に」
部長と呼ばれた男性は答えたのだが、その返事が聞こえたかのように、鯉がばしゃんと水をはねかした。音につられるように部長も川をのぞきこみ、「えらい大きな鯉やな」と感心したように言っていたのだった。

川べりでパンをやっている人を見ることも多い。その上前をはねようと、近所のハトも集まっている。一度など、パン屋さんでもらってきたのパンの耳を、レジ袋いっぱいに詰めていて、それを大量にばらまいている人がいた。水面をのぞいてみると。川に住んでいる鯉が全部集まってきたのか、水面が真っ黒くなるほど大きな鯉が集まってきて、押し合いへしあいしながら、大きな口をぱくぱくとさせていた。

わたしが小学生の頃というのは、「環境」などという言葉も聞いたことがなく、いまよりよほど川は汚かった。住宅街も完全には下水が完備されていなかったのだろう。ときおり洗剤の泡の混じった水も流れ込み、川面を下る白い泡の筋も見かけたものだった。

そんな川を、大人も子供も総出で年に何度かさらう。そうして川底のヘドロだのゴミだのを取り除いて、透明な水が流れるようになったところに、小学生が鯉の稚魚の放流をするのだ。わたしも小学生の頃、何度か放流をやったことがある。キンギョのような大きさの稚魚が数匹入った洗面器を抱え、銀色の背びれを見ながら、こんな川でも鯉というものは生きていけるのだろうか、元気でがんばれよ、と、祈るような気持で放流したものだ。

しばらく川べりを通りかかる機会があるたびに、水面をのぞきこんだ。腹を上にして浮かんでいる稚魚の姿もない。そのうち鯉のことなども忘れてしまったころに、すっかりごつい体つきになった元幼魚たちが、十センチ近くにもなって、元気に泳ぎ回っている姿を目にして、鯉というものは意外と強いのだなあ、と思うのだった。

いま、近所の川の水底を悠然と泳いでいく鯉も、そうした放流の名残りなのだろうか。だんだん水温もさがってきたせいか、今朝見たときには何匹か寄り集まって、固まってじっとしていた。その姿はまるで、もうすぐ冬が来ますねえ、そうですねえ、寒いのはつらいですねえ、と頭を寄せて相談しているようにも見えたのだった。

鶏頭





  2009-09-28

先日、出先で昼食を取った。行ったことのない場所で、ファーストフードも見当たらない。しょうがないので、目に付いた店に入ることにした。イタリアの国旗が店の前に立てかけてあるのがちょっと不安だったが、入り口の小さな黒板には、Aランチ、Bランチとあって、それぞれ値段が書いてある。わたしが昼食にかけたい金額よりを大幅に上回っていたのだが、たまにはいいか、と思って入ることにした。

ところが扉を押して一歩入るや否や、店構えからは信じられないほどの喧噪が耳に飛び込んできた。一瞬、わたしが開けたのはどこでもドアで、開けた先にあるのは中学の校門、下校時にどっと中学生が吐き出されてきたところか? と思ったほどだ(含嘘)。

それほど広くない店はほぼいっぱい、二十人ほどの客は全員見事なまでに女性である。おっと、ちがった、何人か走り回っている小さな子供たちのなかに男の子がいる。ドアに手をかけたまま、このままきびすを返して外に出ようかと一瞬思った。

そうしなかったのは、バイトとおぼしき店のウェイトレス(そういえば最近はあまりこの言葉も聞かないが、もっとユニセックスなスタッフという呼称の方が好まれるのだろうか)と目がばしっと合ってしまったからだ。彼女はきびきびとした仕草でドアを引いてくれ、お一人様ですか、こちらへどうぞ、とわたしを招じ入れた。わたしは出るタイミングを失ってしまった。

隅の二人がけの席に通される。覚悟を決めて、しばらく辛抱することにした。どうやら団体客というわけではなさそうだ。いずれもカジュアルな格好をした主婦とおぼしき人たちである。いわゆる「ママ友」というのか、三人から四人の仲良しグループのようだ。

それにしてもやかましい。確かに店が狭く、テーブルそれぞれで話をしていれば、隣りの声に混ざらないよう、徐々に話し声は大きくなっていくのかもしれない。店内がやかましいため、自分の話がかき消されないよう、声を張り上げる。その声が店内のやかましさを倍加させている。とはいえ、川をはさんでしゃべっているわけではないのだ。自分の目の前にいる相手に話をするのに、そこまで大きな声を出すものだろうか。耳がわんわんしてきた。耳栓は置いてないかしらん。

もしかしたら、大きな声を出すことで、ストレスを解消させようとしているのかもしれない。ただのおしゃべりにしては、なんだか妙に必死な感じもする。

おそらく、こんなふうに主婦が誘い合わせてランチに出かけるということは、おそらくはそれほど頻繁なことではないのだろう。週に一回か、月に一回かは知らないけれど、その日を楽しみにしてきたのだ。だからこそ、こんなにテンションが高いのだろう。

不意に隣の席の女性の声が耳に飛び込んできた。「このところ手抜きが続いてたから、おいしくておいしくて……。」すると、その向かいにいた人は「そうそう、昼なんかまともに作れへんよね。昨日の昼は卵かけやったわ」「勝った! わたしはふりかけ」そこでどっと笑い声が上がる。

自分以外の人に食べさせるために、せっせせっせとご飯を作る生活を続けていると、自分ひとりの食事となると、フライパンを使う目玉焼きを作ることさえいやになるのだろう。ときには母でもなく、妻でもなく、ひとりの人間として食事に行きたくなる……その気持ちはなんだかとてもよくわかるような気がした。

そうしたときの行き先は、吉野屋やマクドナルドであってはならないのだろう。ちょっと気取った店でも、ランチならたかが知れている。そうやってイベントにして、予定表に書き込むのだ。

それでも「あーちゃんママ」「ゆうちゃんママ」と互いに子供の名前にママをつけて呼び合って、どれだけにぎやかにしゃべり合っても、子供を介在させた人間関係に気を遣いながら話し続ける。なんというか、それはそれでしんどいことのように思えた。

高校時代、ときに母親の作る弁当を、教室でみんなで食べるのがいやで、たまに売店で焼きそばパンと牛乳を買って、空き教室でひとりで本を読みながら食べていた。その静かさと、化学室のなじみのないにおいと、そこから見る普段とちがう空はいいものだった。そんなとき、頭の中で鳴っていたのは、RCサクセションの「トランジスタラジオ」だったかもしれない。

いまの主婦にそんなふうな昼食の場所はないものだろうか。
そんなことを思う昼下がりだった。

鶏頭





  2009-09-20:

小学生の頃、福本豊の伝記を読んだことがある。伝記といっても本ではなく、学研の小学生向けの学習雑誌、「科学」と「学習」シリーズのなかの記事のひとつ、それもおまけに図書館かどこかにあったバックナンバーだったような気がする。

小学校三年かそこらに読んだ記事のことを、記憶だけを頼りに書いているので、かなり事実と反することをわたしは書いているにちがいない。くれぐれもあやふやな記憶によるいい加減な記述であることをふまえて、読んでいってほしい。

ともかくそのなかに、子供時代の福本は、家があまり裕福ではなく、野球道具を買ってもらえなかった。そのために、草野球のチームの一員になることができず、外野のさらに外側で球拾いをやっていた。遠くまで飛んだボールが川に落ちたときは、川にざぶざぶ入ってそれを拾った。それでも、遠くに飛べば飛ぶほど、自分が長いことボールにさわることができる。遠くまで投げることができる。そう思って、試合を見ながら、球がこっちに飛んでこい、飛んでこい、と願っていた、というエピソードがあったのだ。

当時ピアノを習っていた、というか、心情的には限りなく「習わされていた」に近いのだが、ともかくわたしはピアノを弾くのが決して楽しくはなかった。毎日毎日何時間も練習しなければならないし、ちょっと手を抜けば、即座に母親の叱責が飛んでくる。レッスンに行けば行ったで、さらに厳しい批評にさらされ、ヘタをすれば手の甲に物差しが飛んできて、手の甲には目盛りの跡がくっきりと刻印される。

もういやでいやでしょうがなくて、そのくせいやいややっていると「音を聞けばいやいややっているのがすぐにわかる」と叱られる。そんなとき、母はいつも「誰もがピアノが弾きたいからといって弾けるわけじゃない」「自分がどれだけ恵まれているか」「弾きたくても弾けない子の分までがんばりなさい」と決まって言うのだった。いまから思えば、「弾きたくても弾けない子」はかつての母で、だからこそ自分の娘にはなんとしても習わせたかったのだろうが、当時はそんなことはわからない。わたしにとっては「弾きたくても弾けない子」というのは想定のはるか外の存在で、母がよく言う「一日練習をさぼれば、三年分後退する」という脅し文句(三日練習したら、わたしは零歳児並みということになるではないか)のようなものだろうと思っていたのだ。

そこへ、福本少年の話である。ボールにさわりたい一心で、外野のまた向こうで球が飛んでくるのを待っている、という話は、ピアノが「弾きたくても弾けない子」と結びついた。ああ、そうなんだ、やっぱりそんな子がいるんだ、と思ったのだった。

それから練習に身が入ったかというと、全然そんなことはなくて、相変わらず、練習なんていやだ、もっと遊びたい、本が読みたい、と思いながら練習をさせられていた。それでも、ピアノを弾きたくても弾けない子と、福本少年のイメージがわたしのなかにはひとつになって、自分のためじゃなくて、その子のために、わたしはがんばらなきゃいけないんだ、といった意識が芽生えていったような気がする。だらだらやってたら、そんな子に申し訳ないじゃないか。

ともかく、わたしは「福本豊」というと、世界の盗塁王でもなんでもなくて、「弾きたくても弾けない子」が、のちにものすごく立派な野球選手になった、という、どこかおかしな理解をずっとしていたのだった。

先日、イチロー選手が「メジャーリーグ初の9年連続200本安打達成」した、という記事を新聞で読んだ。その記事のなかに、彼が小学生時代、自分は絶対プロ野球の選手になる、なぜかというと、こんなに練習しているのだから、ということを作文で書いていた、というエピソードが紹介されていた。

「こんなに練習しているのだから」というのがどれほど練習しているのか、「あんたほど練習をしない子は見たことがない」と毎日叱られながら四時間ほどピアノに向かっていたわたしにはなんとなく想像がついて、胃のあたりが重たくなるような、なんともいえない気分になった。

きっとイチロー少年は、いやいややらされていたわたしとは異なって、みずから進んで、目的意識的に取り組んでいたにちがいない。そうやって日々の努力を積み重ね、成果を着々とあげていくのは、苦しくはあっても、楽しい、満足できる日々だったにちがいない。

けれど、それが外野のその向こうで、ボール、こっちへ来い、こっちへ飛んでこい、と願っていた男の子がボールにふれたときの歓びとは、およそちがうもののように思えるのだ。

近所にも野球やサッカーをやっている小学生たちがいる。本格的にやる子は、小学生のころから、学校や地域をベースにした、誰でも参加できるようなチームではなく、選抜されたチームに所属しているらしい。プロ選手の多くは、高校野球で活躍するどころか、小学生のころからすでに名を知られ、注目されているのかもしれない。

どちらがいいとか悪いとかいうことを言いたいのではない。もし福本少年がいまの時代に生まれていたら、優れた指導者の目に留まり、おそらく小学生のころからそんな選抜チームに所属しているのかもしれない。あるいは逆に、イチロー選手が福本少年の立場であれば、同じ歓びをもって、川に落ちたボールを取りに行ったにちがいない。人は生まれてくる時代や環境を選べないし、人より抜きんでる人は、どのような時代や環境であっても、かならずそこから抜きんでる人になるのだろう。

「メジャーリーグ初の9年連続200本安打達成」したイチロー選手の向こうには、同じように小学生の頃から注目され、練習に練習を積んだけれども、何かが足りなくて、あるいはケガをしたりして、プロになれなかった大勢の元小学生がいたはずだ。

いずれかの段階でイチロー選手と道が分かれた人が、それでも、いまでも白球が弧を描いて飛んでくるのに胸を躍らせ、ボールを歓びをもってふれることができていればいいと思う。そのときの経験が、いまなお野球を愛する気持と結びついていればいい。ほんとうにそうであればいい。

鶏頭





  2009-09-19:

「わたしって〜でしょう?」もしくは「おれって××だろう?」という質問が、会話文のなかには存在する。

この「〜」や「××」には、ブスだとか頭が悪いとか勉強ができないとか太っているとか足が太いとかスタイルが悪いとか字が汚いとか文章がヘタだとか、とにかく自分に関するネガティヴなことが入る。「わたし」の代わりに「わたしの家」や「ウチの車」、「わたしの彼氏」や「オレんちのかあちゃん」「ウチのイヌ」と、自分を中心にして多少範囲が広がることもある。

だが、ネガティヴといっても、たとえば虫歯が痛くてご飯が食べられないとか、水虫で足が痒くてしょうがないとか、借金がどれだけあるとか、単位が足りなくて留年しそうだ、などといった具体的で解決を必要とするような問題は、ここには入らない。

「わたしっていまアゴが外れてるでしょ?」
という質問があり得ないのは、アゴが外れているかどうかは相手の承認を待つまでもない出来事だから、わざわざ聞くに及ばない(もちろんアゴが外れているようなときに、そんなことは言えない、ということもあるのだが)。

「わたし(一人称)って××でしょう?」という文脈で語られるネガティヴな××というのは、そうとも言えるしそうでないとも言えるようなことなのである。これはいわゆる修辞疑問というやつで、実際のところは質問ではない。

「わたしってメガネが似合わないでしょ?」と問いかけるのは、相手に似合うか似合わないかの判断を求めているわけではない。
ここで試しに「そうだね、確かに似合わないね」とでも言おうものなら、国交断絶、橋は焼き捨てられるにちがいない。つまり、この質問がやっかいなのは、そう問われた相手には、「そんなことないよ、よく似合うよ」と返事をする以外の選択の余地がない点にある。

思えばわたしは昔から「わたしってバカでしょ?」と言った子に、「だから勉強しなきゃ駄目じゃん」とついうっかり返事をしてひどい目に遭ったり、「この服、わたしには似合わないでしょ?」と聞かれて「大丈夫」と答えて身も凍りそうな視線を浴びたり、「彼氏ってわたしにはもったいないような人だと思わない?」と聞かれて、「そう思うんなら別れたら?」と答えて「ひどいことを言われた」と泣かれたり、人生においてずいぶんムダな苦労を背負い込んでしまったものである。これらの質問にはすべて「ううん、そんなことないよ」と言えば良かったのである。
『人生を切り開く魔法の言葉――「ううん、そんなことないよ」』……そんな本を書いたら売れるだろうか?
「ううん、そんなことないよ」

ただ、弁解するわけではないのだが、それが「答えがひとつしかない質問」かどうかわからない場合も少なからずある、というか、実はそっちの方が多いような気がしてならないのだ。そもそも成績が良くて、客観的評価が明らかに高い人間は、あまり「オレってバカだろ?」とは言わないだろう。その人は自分がバカでないことをよく知っているし、むしろそんなことを言うのが嫌味になってしまうことも知っているはずだ。そうではなくて、ついそんなことを言ってしまうのは、自分ではそこそこ頭が良いと思っているにもかかわらず、周囲からの評価がそこまで高くない、自分の自己認識を裏付ける客観的な証拠も乏しい人が、相手に自分の不安をうち消してもらおうと、「オレってバカだろ?」とたずねているのだ。「そんなことないよ」の一言を聞くために。

だが、「そんなことないよ」という一言は、いったいどれほど効果があるものなのだろうか。

もちろん、自分でやったことがどれほどのものかわからなくて、自分では精一杯やったつもりでも、ほかの人から見てどうかわからない、そんな不安な心持ちでいるときは、ほかの人の一言が、何にも増してうれしく心強いこともある。だが、そんなとき、人は自分の仕事を「そんなことないよ」と言ってもらうために、「たいした仕事じゃないでしょ?」と言うだろうか。もっと虚心坦懐に、相手の判断を仰ぐのではないだろうか。

やはり、「そんなことないよ」と言ってもらいたいのは、とにかくネガティヴな評価をうち消してほしい、いまの自分の不十分な現状を、「そんなことないよ」と否定してほしい、という場合なのではあるまいか。

だが仮に、誰かが否定してくれたとしても、それは自分が敷いたレールの上を、他人が忠実にたどってくれたまでのこと。レールを敷いたのは自分であることを、人は忘れることはできない。だからじきにまた、おなじことを聞きたくなる。「オレって頭、悪いだろ?」

そもそも「そんなことないよ」と言ってほしいんだろうなあ、と思いながら、相手の要求を入れて「そんなことないよ」と口にする人は、大なり小なり、内心忸怩たる思いでいるはずだ。
こまったなあ、返事にこまるよ、まったく。いっそ、その通りだね、と言ってやったらどうだろう……。
相手にそんな思いをさせてまで、翌日になったら酸っぱくなってしまうような安心感を手に入れて、いったいどうするというのだ。

「そんなことないよ」という一言がほしくて、「わたしって〜でしょう?」と言いそうになったら、その前に、相手の顔がうしろめたそうに変わるところを頭のなかでシミュレーションしてみるといいかもしれない。相手を困らせてまで、自分は安心したいのか。

それなら、駄目なものは駄目と開き直って、いっそはったりでもいい、堂々としていようではないか。少なくとも、答えがひとつしかない質問をして、相手を困らせるよりその方がずっと良くはないか。

鶏頭




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