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鶏的思考的日常 ver.4〜考えても考えても深い鶏。編〜


2006-05-16:ゴミの話

わたしの住む地域では、週に二回、燃えるゴミの回収があり、月に二回、資源ゴミと粗大ゴミの日がそれぞれにある。

わたしが住んでいる集合住宅には、ほとんど一軒分くらいの大きな集塵庫があって、そこにゴミを出すようになっているのだが、回収日に当たる日は、ゴミ収集車が回収し終えると、すぐに掃除が始まり、それから翌朝六時まで、締め切りになる。つまり、週二日をのぞくと、だいたいいつ出しても良いシステムなのだ。だから、だいたい毎朝仕事に行くついでにゴミを出す、というのがだいたいのパターンで、たまにイレギュラーな仕事が入って曜日を間違え、うっかりいつものように持って降りて、ああ、シマッタ、今日はゴミが出せない日だった、ということになってしまうこともある。そうなるとまたはるばる持って上がらなくてはならない。

鍵のかかった集塵庫の前には、かつて不心得者がゴミをそこに置きっぱなしにした証拠写真が貼りつけられていて、もちろんそれはわたしではないのだけれど、その写真には英字新聞が写っていて、ちょっと肩身が狭く感じてしまうのである(ちなみにわたしは英字新聞は取っていないのだけれど、たまにもらってくる)。

いったん家から出してしまったゴミを、またもう一度家に戻す、というのは、結構な抵抗感がある。落ちた髪の毛でも、切った爪でも、さっきまで自分の身についていたときはちっとも汚くないのに、自分の身から離れた瞬間、ゴミになってしまい、紙くずなどよりいっそう不潔感を伴う、というのは、いったいどういう心理なのだろう。いったん家から出したゴミを持って入る抵抗感、というのは、床に落ちた自分の髪の毛を目の当たりにするのに近いものなのかもしれない。

ともかく、そうやって、また階段をせっせとあがって自分の家に戻り、台所のダストボックスにもう一度放り込み、ふたたび鍵をかけて階段を下りて仕事場へ向かうのである。

実は一度だけ、持って上がる時間がなくて、ゴミを持ってそのまま駅に向かったことがある。スーパーのポリ袋に入った、一日分の生ゴミと、あと紙くずが少し、量としてはそれほど多いものでもない。途中のスーパーかどこかののダストボックスに、こっそり不法投棄しようと思ったのだ。

ところがいざしようとなると、人目が気になる(実は小心者なんです)。結局、どこにも捨てられないまま、駅の駐輪場まで来てしまった。そうでなくてもギリギリの時間に出たのに、あちこちのゴミ箱を観察して、さらに遅くなっていた。駐輪場に着いたときには、すでに前カゴに入れていたゴミ袋のことは記憶になかった。

そうして、夕方、わたしは自転車置き場のわたしが自転車を置いたあたりから異臭が漂ってくるのを発見することになる。

ええ、それは持って帰って、さすがに家の中に入れる気にはなれなくて、玄関前の物置の下の段(ふだんそこに新聞紙や資源ゴミを保管している)に入れておきました。以前、同じように、ゴミを出せない日に持って降りてしまって、再び持って上がって、入れっぱなしにしてしまった苦い経験があるので、そういうことのないように、冷蔵庫の前にメモを貼って置き、翌朝さすがに忘れず、しっかり出して置いた。

ところがゴミを出し終えてから、朝食のパンを買おうと通りを渡ろうとしたときだ。集塵庫で出会った人が、わたしと一緒に通りを渡り、向かいのアパートに入って行くではないか。

そうなのだ。その人はわざわざ通りを渡って、わたしの住むアパートまで、ゴミを出しに来たのだ。おそらくそこでは収集日以外に出してはいけない決まりがあるのだろう。
ゴミというものは、一刻も早く、自分の家から外に出したい。だが、自分の住む場所では出してはいけない決まりがある。そうなると、通りを渡って出しに来るわけだ。それも一種の不法投棄にはちがいない。

ゴミというものは、考えてみれば奇妙なものだ。
「ゴミ」という状態でなければ、家にあってもかまわない同じものが、「ゴミ」となったその瞬間に、外に出したくなってしまう。
このありようは、少し考えてみたほうがいいのかもしれない。

鶏頭




2006-05-15:お地蔵様の話

図書館脇の四つ辻にお地蔵様を祭った小さなお堂がある。
どちらも片側一車線の、さほど広くもない道路なのだけれど、東西に伸びる道は駅へ続き、南北に伸びる道は幹線道路に続くということで、交通量は多く、夕方には渋滞していることが多い。

信号待ちのあいだ、お堂のなかをのぞいてみるのだけれど、いつ見てもきれいに掃き清められていて、花やジュースがお供えされている。「奉納」と黒いマジックで書いてあるお地蔵様の赤いよだれかけには、いつもアイロンがピンと当たっている。

わたしが子供のころを過ごしたあたりにも、こうした四つ辻にお地蔵様があった。お堂はなくて雨ざらし、たぶん姿形もはっきりとしていなかったように思うのだけれど、そこにもやはりお供えはしてあった。
朝、そこの前を通るときには、歩道で交通整理をしている「みどりのおばさん」に、このお地蔵様に頭を下げるように言われ、わけもわからず頭をさげていた記憶がある。もちろん帰りがけ、だれもいないところで頭を下げるはずもなく、そんなものがあるなどということさえ忘れていた。

そこの四つ辻で、学校の帰りがけ、姉が交通事故に遭ったことがある。
歩道を渡っていて、右折してきた車にぶつかったのだ。
幸い、車がスピードを出していなかったために、姉はアスファルトで頭を打ってこぶを作ったぐらいだったのだけれど、現場を目撃した近所のおばさんは、真っ先に救急車を呼んだ自分の迅速な対応を、しばらく何度も家に来ては繰り返していた。

そのおばさんは、R子ちゃんが無事だったのも、お地蔵様が守ってくれたんだよ、R子ちゃん、お地蔵様にお礼言っときなよ、と決まってそう言っていたものだったが、あるとき、いつもの話のほかに、こんなことを教えてくれた。

そこの四つ辻は見通しが悪くて危ないんだけど、不思議に大きな事故がないんだよ。お地蔵様が守ってくれてるからね。
あのお地蔵様、なんでできたか知ってる? お地蔵様ができる前は、信号機もなくてね、よく事故があったんだよ。いつか大変な事故になる、ってみんな言ってた。
それがね、ある日とうとう××さんとこの息子さんが、トラックにはねられてね、亡くなったの。即死だったんだよ。ちょうど雨の日でね、××さんの奥さんは、傘を持って迎えに行ってたとこだったのさ。それからというもの、雨のたんびに××さんの奥さんは、傘持ってそこで待つようになってさ。みんなあんまり気の毒だから、いろいろ話しかけたりしてたんだけどね。家に帰ろうとしないのさ。もうすぐ帰ってくるってね。
じき、越してっちゃったんだけどさ。
それで町内で相談してさ、市役所にかけあって、信号機つけてもらって、それと一緒にそこにお地蔵様を祀ることにしたんだよ。
良かったよ、R子ちゃんも。お地蔵様のおかげだよ。

すでにそれなりの知恵がまわる子供に育っていたわたしは、大きな事故がなくなったのは、おそらく信号機のせいだろうと思ったけれど、それよりなにより、雨の日に傘を持ってじっと待つ女の人というのは怖かった。しばらくは、雨の日などドキドキしながらそこを通ったものだ。

やがて、高校になって、謡曲の『隅田川』を知るようになる。
人買いに子供をさらわれて狂った母親が、たずねたずねた挙げ句に隅田川のほとりにやってくる。そこではちょうど死んだ息子の梅若丸の一周忌の法要が行われていた……というもの。そのころわたしは引っ越してそのお地蔵様のある場所から離れていたのだけれど、それを古文のテキストのなかで読んだときに、はっと思い出したのだった。
そのお母さんはどれほど自分が遅れたことを悔やんだだろう。
どれほどそれが夢ならば、と思っただろう。
『隅田川』のなかで母親は、息子に会う。夜が明けて、我が子と思ったのは、塚に生えた草だったのだけれど、たとえ幻でも、おそらく母親は、その瞬間、さぞかし嬉しかったことと思う。

傘を持って待っていたお母さんは、それからどうなったのだろう。
お地蔵様は、そういう人も、どこかで守っていてほしい、と思うのである。

鶏頭




2006-05-14:コンビニの話 ―あるいは祝10000―

以前住んでいたところは通りの向かいにコンビニがありました。

いまでこそ、早寝早起きが生活の軸となっているわたしなのだけれど、そこに住んでいる一時期は、さまざまな事情から、夜も昼もないような生活をしていたんです。

住宅街のはずれで、夜の十一時を過ぎると、窓から見えるよその部屋の灯りも少なくなる。十二時を回ると、明るい日のなかでは集合住宅が密集して建っているはずのあたりも、嘘のようにすっぽりと闇に覆われる。近所に木立に囲まれた小さな祠があったんですが、ベランダから眺めるその一帯の闇はいっそう濃く、暗闇が塗りつぶされたようにも見えました。

そこから別の方角に目を転じると、線路に沿って細い道が走っているのが見えました。十一時を過ぎると信号機は点滅信号になる。それをわたしは時計代わりにしていたように思います。その点滅する信号機の横断歩道を渡ったところにコンビニが、蛍光灯の白い灯が浮かび上がるようにありました。まるで、夜に航海する船が、灯台の灯を頼りにするように、一晩中明るいコンビニは、わたしの夜の道の道しるべだったんです。

夜中、ファックスを送りに行ったり(当時はまだメールでのやりとりも一般的ではなく、パソコンは使っていましたが、フロッピーで送るか、急ぎの用件ならファックスを使っていたんです)、修正液みたいな文房具も、ご飯のかわりのおにぎりも、あるいはアイスクリームも、わけもなくレーテの水を思い出させるエヴィアンも、特に食べたいわけではないけれどなんとなく口寂しいときにほしくなるようなゼリーやヨーグルトやジャンクフードも、全部そこで調達できる。ついでに電気代も電話代も払うことができる。買いもしないのに、お菓子の棚に妙に詳しくなって、新製品をすぐに見つけていたのも、この時期に限った出来事でした。

なんとか外に行ける程度の格好に着替えて財布をにぎりしめ、サンダル履きで階段をおりて通りを渡り、照明つきの水槽のようにも見える夜中のコンビニに向かいます。よく、立ち読みしている男の子たちがいました。話しているところを見たことはないのだけれど、いつ見ても同じ顔ぶれの三、四人の、あれは中学生なのか、それとも高校に入ったばっかりぐらいなのか、その年代の男の子たちが、微妙な間隔を空けて、マンガを読んでいたのでした。

明るい色に髪を染め、鼻にピアスをした十代ぐらいの女の子が、大きくなったお腹をさすりながら菓子パンを選んでいたのも、何度となく行きあいました。

店員も、学生風のお兄さんのこともあれば、もう少し年齢が上の男性だったこともありました。どの人も、とりたてて礼儀正しいわけでもないけれど、笑顔を貼りつけているわけでもない。そっけないわけでも、なれなれしくもなく、機械じみてもいない。決して近づくことのないその距離感は、まさにコンビニならではのもので、合計金額を告げられ、お金を払い、品物をもらい、「どうも」と言って、必要最小限の受け応えをすることは、さまざまなことで疲労が溜まっていたそのころのわたしには、たいそう心地よいものだったのです。

終電がアパートの前を通る時間も、深夜の保線工事用の車両が通る時間も、始発電車が通る音を聞いて、なんとなくほっとする時間も、すべて知っていました。
そうして、階段を下りて通りを渡りさえすれば、人に会うことができるコンビニは、灯台でした。

いまは、早寝早起き、ときどき新聞配達が来る時間の前に目が覚めちゃったりもしますけれど、健康的な生活を送っています。

でも、あのころのわたしのように、いろんな事情で夜中起きていて、起きているのが自分だけ、みたいな人も、いるのだと思います。

わたしのサイトはコンビニじゃありませんから、いらっしゃいませ、とも、ありがとうございました、とも言わないけれど。そうして、新製品はなかなか出ない、変わり映えのしない棚なのかもしれないけれど。

サイトのメンテナンスのとき以外は、いつでも開いています。
そんな夜は、またのぞいてみてください。
もしかしたら(笑)新製品が並んでいるかもしれません。

いままでどうもありがとう。
そうして、これからもよろしく。

鶏頭




2006-05-13:もうすぐ10000

昨日更新したら、カウンタが9900を超えていました。
早ければ、明日には10000に行くかもしれません。

そもそも翻訳の勉強がしたいと思い、思っているだけではできないので、なにかの形で発表しよう、それにはブログという形式が便利だなと思って始めたのでした。
昔訳した「くじ」があるだけ。

そうして、黙々と翻訳を続けていくだけじゃなくて、なにか本を巡る文章が書きたい、と思うようになりました。
読んでおもしろかった、とかの感想文じゃなく、書くことによって読みが深まっていくような。

本を読む。
そうして、自分のうちに、さまざまな問題意識が生まれる。
ある本と、ある本を結び、そうすることで、見えてくるものがあるのではないか。
ある本のなかに見つけたある問題は、別の本のなかではどんな形が与えられているのか。
そういうことを探していこう。

とくに、ブログに出す段階では、翻訳にしてもコラムにしても、粗の多いものです。やはり、そこからいったん推敲というプロセスを経ることが、自分のやりかたには一番いい感じなんです。こんなレベルのものを発表することに意味があるのかどうなのか、よくわからないのだけれど。

読みにきてくださって、どうもありがとう。
のべ一万人、というか、たぶん800くらいは自分で踏んでると思うんですが、のべ9200人のみなさんひとりひとりにお礼をいいます。

わたしの書いた文章を見て、そこに引用された本や、翻訳した作家の別の作品が読んでみたい、と思われたら、これほどうれしいことはありません。

わたしはいつもいまやりたいことをやってきました。

やりたいことと向かい合う。
やりたいことを続ける。
心底やりたいことは、あきらめない。
それだけです。

自分のそのときどきで、やりたいことも少しずつ変わってはきましたが、読む、そうして書く、またふたたび読む、というプロセスは、どんなときも揺らいできませんでした。
そうやって、これからも読み、書いていくんだろうな、と思います。
だって、それがわたしのやりたいことだから。

これからも、少しずつ続けていきます。
良かったら、また遊びに来てください。
そうして、10000及び前後賞(笑)含めて、踏んだ方、ご連絡ください。

ささやかに、お祝いしましょう。

鶏頭




2006-05-11:適材適書

電車の中でカレル・チャペックのエッセイ『いろいろな人たち』(飯島周編訳 平凡社ライブラリー)を読んでいたところ、こんな小文に行きあった。

タイトルは「適時適書」。

こんな文章から始まる。

 時として隣人を悩ますのに用いられるおきまりの質問の一つは、「どの本が一番好きですか」というものである。おきまりの質問の大部分のように、この質問もまさに不正確である。より正確には、こう言われるべきであろう。「こんなとかあんなとかの場合には、どの本が一番好きですか」

つまり、どんな本でも、読むにふさわしい情況がある、というのである。

たとえば、聖書は列車の中での旅行用読み物としてはふつう不適当である。歯医者の待合室での患者の待ち時間短縮用読み物として、詩集が置かれることはまずない。朝のコーヒーを前にしたときは、ユーゴーの『レ・ミゼラブル』ではなく、新聞に頭を突っ込むことの方がはるかに多い。

チャペックは言う。朝は本を読むのには向かない。午後に向かって徐々に本を読む能力が育っていって、夜に最高になる、と。
しかも、一口に「夜」といっても、さまざま夜がある。

くたくたに消耗している時には、たっぷりした肉の切り身のような読み物を要求する。それは美味を求めるのではなく、仕事を終えた樵のように、勇壮に詰め込みたくなるのだ。しっかりとした筋書きのあるような、たっぷりした長編小説を自分に与えたりする。場合によってはホラー物である。ホラー物でなければ、その時は冒険長編物語、とくに航海小説がよい。ほどほどに気分がすぐれない時、たとえば心配事があったり働きすぎたりした時などは、エキゾチックな、歴史的な、またはユートピア的な小説を自分に読ませる。その理由は主として、それらの遠い国や遠い時代は、実際に自分にとってなんの関係もないからである。急病にかかった時は、極度に興奮させ、はらはらさせる読み物を希望するが、それはセンチメンタルなものであってはならず、きちんとした結末の「終わりよきもの」でなければならない。簡単に言えば、それは探偵小説である。慢性の病気の時には、探偵小説さえ放りだし、なにか善意に満ちて信頼を呼び起こすものを求める。それに一番ふさわしいのはディケンズであろう。……

死に際してはどの本に優先権を与えるであろうか、それはまだテストしていない。しかし、刑務所にぶちこまれたり生命の危険に迫られたりしている時には……『モンテ・クリスト伯』や『三銃士』、またはスタンダールの『赤と黒』のようなものが人には一番よく効くと言われている。

 日曜日にはエッセイを読むのが一番好ましいのだが、それはもう、そういうものを読んでいると、ほどほどに、そしてある程度祭日めいて退屈になるからである。さらに古典的諸作品がふさわしいが、それらを読むのは、よく言われるように「教養人すべての義務」なのだ。一般に日曜日の読書はいささか徳義的行為の実践のようなものであり、一方平日の読書はむしろ自由放恣で、いわば暴飲暴食めいている。……

秋に読むのに一番よいのはアナトール・フランスで、それはあきらかに、その特別な熟成のためである。冬になると読者は、可能な読書の材料のすべてを自分の中で燃やし尽くす。夏には故意に避けていた膨大な心理的小説にさえ耐える。天候が悪くなればなるほど、小説も厚くなる。ベッドの中で読まれるのは詩ではなく散文である。詩を読むのは、人が軽やかに、まるで小枝に止まる小鳥のように座っている時である。目的地に向かって進む車内では、人は旅行案内書、新聞、読みかけの長編小説の終わりの何章か、そして時事的なパンフレットを読む。歯痛の時にはロマンチックな文学を好むが、鼻かぜの時にはそれを軽蔑するだろう。なにかを、たとえば手紙とか誰かの訪問を待っている時には、短編小説、たとえばチェーホフの作品が一番好ましい。

えらく長々と引用したのは、非常に共感できる箇所が多々あるからだ。

肉体が疲労しているときには、確かに、読み応えのあるものを読みたくなる。難解ではなく、むしろリーダブルなのだが、軽く読み流せないようなもの、体育会系の読み物だ。チャペックがいう「ホラー物」はどんなものを指しているのか、ちょっとよく分からないのだけれど、航海小説、というのは非常に納得がいく。そういえば、大掃除のあとでチャールズ・ジョンソンの『中間航路』を読んだっけ。わたしが歴史小説を読むのもこんなときかもしれない。

ただ、文章を大量に書いたり、推敲作業をしたあとは、たいてい脳が酸欠になっているので、そんな体力がいるようなものは読めないし、ストーリーの把握さえ困難になっている。そういうときは、もうはっきりいって、アイスクリームの原材料名を読むぐらいのことしかできない。ブルーベリー果肉、ブルーベリー果汁、とあるのは、別々に入れているということなんだろうな、という以上の推理ができなくなっている。

ところが、こういうときによく知っている探偵小説を読み返すのが、効くのだ。おそらく、こんな人はいないんじゃないか、とも思うのだけれど(笑)、江戸川乱歩だの坂口安吾の捕物帖だの横溝正史だの、あるいは都築道夫の捕物帖でもいいのだけれど、すでに何度も読み返して良く知っているものをぼけー、と眺めるのがいい。実に効く。全身を脱力させて、よく知っている展開に身を任せる。確実に癒される(笑)。わたしはもう何度こうやって「おりんでございます、お庄屋さんのところへ 戻ってまいりました」と読んだだろうか。

心配事があるときは、いっそ集中しなければならない、ノートを取りながら読まなければならない本の方がいいような気がする。旅行記であろうが、歴史小説であろうが、そこまで心を心配事から引き離してはくれないだろう。そうなれば、いっそ、全力で取り組まなければならないことに集中した方がいい。

急病に罹った時、というのは、たいてい風邪を引いて熱が出ている状態なのだけれど、それほどひどくなければ、確かに探偵小説や、あるいはSFなどはいい。それも、できればあまり出来の良くないもの。普段だったらバカバカしくなるようなものも、熱のおかげで、結構おもしろく読めたりする。

チャペックがいう「目的地に向かって進む車内」というのは、おそらく旅行のことなのだろうけれど、ほどよく空いた電車の中で読む、というのは、読書環境としてはかなり良い部類ではないのだろうか。それは、むしろ自宅で机に向かってする読書より頭に入りやすかったりする。わたしはポール・ヴァレリーもミラン・クンデラも、その著作のほとんどを電車の中で読んだ。

あるいはこんな読書もある。
わたしは寝る前に、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』、『古事記』や『日本霊異記』、あるいは『千一夜物語』などのごく短い物語をひとつかふたつ読んで寝るのが好きだ。

昔は長編をベッドに持っていって、エイミィ・タンの『キッチン・ゴッズ・ワイフ』上下巻やポール・セローの『Oゾーン』、これも上下巻なんかを一気に読み終えて、気がついたら外が明るくなっていた、とか、よくやったものだ。学生の頃ならいざしらず、いまはとてもではないけれど、そんなことをやっていては身体がもたない。加えて、あまり読み終わって衝撃が強いものも眠れなくなってしまう(アゴタ・クリストフの『悪童日記』を読んだ後は、しばらく胸の動悸が収まらなくて眠れなかった)。

むちゃくちゃおもしろい、というわけでもなく、衝撃も受けず、短いもの。
これは小さい頃の寝る前の「おはなし」そのものである。結局わたしは小さい頃と同じことをやっているのかもしれない。

ただし、なにかを待っているときにチェホフなんぞを読んだ日には、誰が来ることになっていようと、確実に忘れて読みふけることは間違いない。
なにかを待つときは何を読んだらいいだろう?

軽いもの? エッセイ? うーん、何を読んでいても忘れそうで、コワイ。でも、これはまた別のもんだいなのかもしれない。

鶏頭




2006-05-01:笑い話の話

ジョークを訳すのはむずかしい。

「ポーランド人が電球を換えるときは、人間が何人必要か? 答えは三人だ。ひとりが電球を持って立つ。ふたりが彼を抱えて回す」

こういうのを読んでも、どこが笑いのポイントなのか、それ以上に果たして笑ったものなのかどうか悩んでしまう。

先日、某所でこんな話を聞いた。
英語の講演があった。横で日本人通訳が同時通訳をしていく。
公演の最中、講演者のアメリカ人がジョークを言った。
会衆は大笑い。講演者は通訳の実力に感心した。
ところが通訳が言ったのは
「今、彼が面白いジョークを言ったので皆さん笑ってあげて下さい」。

確かにこんなことはあるのだと思う。

英会話教室でバイトをしていたころ、わたしも同じような経験をしたことがあった。
講師が「カルピスというのは、アメリカ人にはcow pissと聞こえて、あれはちょっと飲めない」みたいなことを英語で言い、生徒全員が笑った。

pissですぐ「おしっこ」とわかるこのクラスはすごいな、と思って見ていたのだけれど、あとで「先生はあのとき何て言ったの?」と生徒さんに聞かれ、よくよく聞けばだれひとりわかってなかった。

「cowっていったら、乳牛です。だから乳牛のおしっこ、ってアメリカ人には聞こえる、って言ってたんです」と説明したら、一斉に、ああ、そう、とうなずいたのだけれど、今度はだれも笑わなかった。

ジョークを言う人は、ジョークを言うぞ、という顔をする。そうして、言い終わったあと、ちょっと笑ってみせる。確かにわたしたちは、対面して話すとき、言語情報が限られるケースでは、普段より注意して表情や手振りを、とらえようとするのではないか。だから、何を言っているかわからなくても、雰囲気で笑うのだ。
逆に、意味内容をその場や雰囲気から切り離してしまうと、文化的、あるいは社会的バックグラウンドが異なるものの間では、意味は理解できても、笑うことはできないことが多い。

わたしは人見知りで愛想が悪い癖に、妙にお調子者のところがあって、つい、冗談を言うタイミングをこっそり計っていたりする。ひとこと、ぼそっと言うのが止められない。それで笑いが取れると、この上ない快感なのである。

以前、いままでで一番ウケたジョークを聞かれたことがある。
お調子者のわたしは、たいしておもしろくないことはわかっていたが、言わずにいられなかった。

英会話教室の講師数人と、ミスター・ドーナツに行ったときのこと。
「アメリカン・コーヒーのお代わり、いかがですか?」と言いながら、店のお姉さんがまわってきた。
「アメリカン・コーヒー、おつぎしますね」といちいち言いながら、カップに注いでいく。
お姉さんが向こうに行ってから、わたしはコーヒーカップをのぞき込んで
"Hello," と手を振った。
何をしてるの、と聞かれたので、"このなかにアメリカ人がいるらしいから、声をかけてみた"。

ええ、「アメリカン」と「アメリカ人」をかけてるんです。
え? おもしろくない? だけど、そのときは、ウケたのだ。みんな、爆笑して、ひとりなど五分近く笑い続けたのだ。
そこまでウケて、言ったわたしが一番驚いたのだ。

だから、その話をしたのだ。
いや、親切な方だったので、笑ってくださいました。
「そのときはおそらく、雲間から光が差してきたんだろうねー」と言われましたが(ハイ。良く覚えておりますです)。

いまここに書いて、改めて思う。
ああ、なんておもしろくないんだろう……。

ほんと、人を笑わせるのって、むずかしい。

鶏頭




2006-04-30:どうして覚えておけないんだろう?

わたしは昔は記憶力が良かった。
昔は、と書いてしまうのも、いまでは見る影もないからである。

いまでも、本を読んだりして、ここはポイントだな、と思ったり、使えるな、と思ったりする。そうするところは迷わずポストイットをはりつけておくのだけれど、それはほとんどの場合、正確に引用するために必要なだけで、頭に刻んでおいた内容を忘れるということはない。

ところが、アパートの断水の日時とか、古紙回収とか、あるいはどうでもいい(と判断をくだすのは、当然わたしである)用事や集まりの日時、これはもう、気持ちがいいくらい忘れる。そんなこともあったな、と思うのはまだいいほうで、聞いたことすら忘れてしまうこともある。最近では、その通知を見た段階で、これは忘れそうだ、とだいたい見当がつくので、気をつけておかなくては、と、カレンダーに印をつけ、冷蔵庫の前に貼り、携帯のカレンダーにもマーキングしておくのだが、それでも忘れる。あとかたもなく、忘れる。朝、出かける前にカレンダーを見て、そのことを確認していたとしても、その時間が来る頃にはきれいさっぱり忘れていることも少なくないし、冷蔵庫の前のピンナップは、じつはわたしのコレクションなので(含嘘)、肝心なとき肝心なものは決して目に入らない仕組みになっている。携帯は、日常的に見るという習慣がないので、実はほとんど意味がない。

先日、フリーマーケットに初めて参加する、という友人が、仕事は休みなんでしょ、絶対来てね、と言ってきた。聞いた段階で、ああ、これは忘れるな、と思ったわたしは、当日もう一度電話してね、と頼んでおいた。当日、すっかり忘れて日が暮れて、夜になって電話が鳴った瞬間に、はっと思い出した。わたしは彼女から電話を受けて(案の定忘れていたのだけれど、何かあるような気がして、早めにその日の雑用はすませていた)、家を出たところで、そういえば図書館に行かなくちゃいけなかったんだ、と気が変わって、図書館で本を借りて、読み出したら『猫の大虐殺』が大変おもしろかったので、そのまま続けて読んでしまって、あ、そうだ、「ジュリア」の翻訳も手を入れなくちゃ、と翻訳の手入れを初めて、やりだしたらちょっとのつもりが大変な作業になってしまって、気がついたら日が暮れていたのだ。受話器を取りあげ、向こうの声を聞く前に「あー、ごめん、ほんとうにごめん」と謝ったら、とりあえず許してくれた(のだと思う)。ただ、これでもうわたしをフリーマーケットには誘おうとは思わないだろう。それがお互いの平和でもあると思うのである。

最初に、昔は記憶力が良かった、と書いたけれど、なんでもかんでも記憶するのが得意だったわけではない。試験前の一夜漬けなどうまくいったためしがないのだ。

ところがうちの弟は、教科書をひととおり眺めただけで、世界史の年代だろうがややこしい地名だろうが、あるいは英単語だろうが熟語だろうが、端から覚えてしまっていた。
そんなことができるわけがない、と思って、教科書をもとにわたしが質問をしてみる。ほんとうに、全部覚えているのである。

そういう芸当はからきしダメで、一生懸命覚えても覚えても年代にしても王位にしても歴代内閣にしても、ちっとも頭に残っていかないわたしはものすごく悔しく、かつ、うらやましかった(だから結局世界史も日本史もやらなかった。そうして、歴史的常識の欠如に後に泣かされるのである)
ところが弟によると、そんなふうにして覚えた記憶は、試験が終わると、そのまま抜けてしまうのだという。興味があることは別だけれど(彼は小さいころから奇妙な響きの名前や地名をメモ帳にびっしりとコレクションしていた)、試験のために覚えたことは、試験が終わると白紙に戻る。そうしてまたつぎの試験の時には覚えなおさなければならないのだ、と。

それでもわたしからすれば十分にうらやましかったが、いっぽう、わたしが強かったのは、語句や年代ではなく記述のほうである。本であろうが雑誌であろうが新聞であろうが、たいていのことは一度読んだら確実に頭のなかにストックされ、普段、記憶に留めていると意識することがなくても、何かを聞いたら、あ、それはあのとき〜で読んだ、と取り出すことができたのだ――ああ、いま書きながら、大変虚しい思いに襲われている。もうこんなことを書くのはよそう。悲しい気持ちになるだけだ。

やはり三十を過ぎたあたりだろうか、意識が途切れると、ふっと忘れてしまうようになった。とくに、イレギュラーな事態がヨワイ。いつもひとりでやっていることに、たまに同行者ができると、いっしょに来たことを忘れてひとりで帰ってしまう。臨時に場所が変更になったりすると、知っていたはずなのに、いつもの場所に出向いてしまう。自分の携帯の電話番号はもちろん覚えていない(五年以上使っているのに)。買い物のためにメモを書いても、そのメモを持っていくのさえ忘れてしまう。自転車置き場の一体どこに自転車を置いたか、毎日のようにわけがわからなくなって、うろうろと探し回ってしまう。
読んだことをいまのように記憶していられるのも、いつまでだろう、と思うと、不安になってしまう。

最近、寝る前に、小説に出てくるさまざまな登場人物の名前を、できるだけ詳しく思い出してみている。
『鳩の翼』に出てくるのは、まずケイト・クロイ、伯母のモード、ケイトの恋人がマートン・デンシャー、アメリカ人娘がミリー・シール、ケイトの父親の名前はなんだっけ……。

眠れないときは『戦争と平和』をやってみよう、と思っているのだが、たいていのとき大変寝付きがよいわたしは、未だそれは試したことがない。六人以上思い出せるかどうかが不安この上ない今日この頃である。

鶏頭




2006-04-15:あなたのことを教えてください

マルクスについてちょっと調べていたとき、こんなサイトを見つけました。

http://www11.ocn.ne.jp/~garamani/j.marx.html

マルクスの長女ジェニーは友人・知人に「告白遊び」として、二十の質問をノートに書き、それに答えてもらっていたのだとか。
このサイトに載っていた、ジェニー自身の回答、そうしてお父さんであるカール・マルクスの回答も、大変面白いものでした。

さらにこんなのもありました。

http://www.kinokuniya.co.jp/nb/bw/marx/index.htm

マルクス家の飼い犬ウィスキーの「告白」

あなたの好きな美徳:乞食に吠えること
男性の美徳:怒って唸ること
女性の美徳:噛みつくこと
あなたの性格:ハングリー
あなたにとっての幸福:夕食後の散歩
あなたにとっての不幸:水に浸けられること
あなたが許す悪徳:食べ過ぎ
あなたが嫌う悪徳:飲んだくれること
好きな仕事:骨堀り
ヒーロー:オデッセウスの犬
ヒロイン:見張り役
花:バラ
小説家:ビュフォン
料理:肉
好きな箴言:食べて楽しく
座右の銘:遠慮あれば楽しみなし

それにしても、これを考えたのはだれなんでしょう? たぶんジェニーでしょうね。でも、マルクス家の犬が“ウィスキー”って名前だなんて、ちょっと笑ってしまいます。

ということで、ここをごらんのかたに、あなたのことを教えていただきたいんです。
いつもどんな人がごらんになってるんだろう、って思うんですよね。
だからお願いです。
ジェニー・マルクスの20の質問に答えてください。

------(20の質問)-----

あなたがいちばん立派だと思うこと
1.人間では
2.男性では
3.女性では
4.あなたのきわだった特徴
5.あなたの考える幸福
6.あなたの考える不幸
7.あなたの許しうる欠点
8.あなたがもっとも嫌悪する欠点
9.あなたがもっとも反感をもつもの
10.あなたの趣味
11.あなたの好きな詩人
12.あなたの好きな作家
13.あなたの好きな男性主人公
14.あなたの好きな女性主人公
15.あなたの好きな花
16.あなたの好きな色
17.あなたの好きな名前
18.あなたの好きな料理
19.あなたの好きな格言
20.あなたの好きなモットー

---------

ということで、まずは言い出しっぺのわたしから。

-------

あなたがいちばん立派だと思うこと
1.人間では:いまある自分を超えようとすること
2.男性では:権威や地位を傘に着ず一個の人間として他者に向き合うこと
3.女性では:強靱であろうとすること(弱さに甘えないこと)
4.あなたのきわだった特徴:集中力
5.あなたの考える幸福:理解すること
6.あなたの考える不幸:無知の状態に気がつかないこと
7.あなたのゆるしうる欠点:とりかかるまでに時間がかかってしまうこと
8.あなたがもっとも嫌悪する欠点:うそをつくこと
9.あなたがもっとも反感をもつもの:見栄
10.あなたの趣味:音楽を聴くこと
11.あなたの好きな詩人:オーデン
12.あなたの好きな作家:リチャード・パワーズ
13.あなたの好きな男性主人公:ドミートリィ・グーロフ(チェホフ『犬を連れた奥さん』)
14.あなたの好きな女性主人公:モード・コフィン・プラット(ポール・セロー『写真の館』)
15.あなたの好きな花:睡蓮
16.あなたの好きな色:ウルトラマリン
17.あなたの好きな名前:それは秘密です
18.あなたの好きな料理:ざるそば(@神田藪)
19.あなたの好きな格言:「一生のうちには、何もかも失って、ゼロの地点から出直さなくてはならないと思える時期があるものです……生きるためにはその代償を支払わなければならない……樹木が冬に葉をなくし、春にはまた新しい葉をつけるのと同じ――そうして成長していくしかない」(ダイアン・アーバス)
20.あなたの好きなモットー:なんでも形になるまでは時間がかかる

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ブログで募集していますので、興味がおありの方は、どうか書き込みお願いしますね。

鶏頭




2006-04-08:お花見をしました

今日は仕事に出かける前に、少し時間に余裕があったので、近所の桜並木にお花見に行ってきました。
お花見といっても、桜が咲いている遊歩道を、ゆっくりと歩いていっただけですが。

薄曇りの銀色の空の下、淡い色の花が木いっぱいに咲いていました。
強い風に吹かれるたびに、パッと花びらが散る。
道の端には、粉雪のように花びらが吹きだまりを作っていました。

古来から桜の花はさまざまな歌に詠まれてきました。散文が文学の中心になってからも、美しい桜、ときにおそろしい桜として、桜を軸にさまざまな物語が紡がれてきました。
桜の花は、自分の思いであり、季節の移ろいであり、積み重ねてきた歳月として、人々の眼に映り、そうして生活のなかに織りこまれてきたのでしょう。

去年、桜の花を見たのを、昨日のことのように覚えています。
思いがけないうれしいことがあって、多くの幸せな出来事が、そのときはそうと気がつかないまま、失って初めてそれと気がつくのに、そのことばかりは、そのさなかにあって、ただ、うれしいと、毎日そのうれしさをかみしめるような、そのくせ、どこか、何かに急きたてられているような、放っておくとどこかへいってしまうような、落ち着かない気持ちでいたのでした。

それからいろんなことがありました。

そのうれしい出来事が、無意識のうちに怖れていたように、あっけなく失われ、それでも迷いながら、苦しみながら、なんとか自分の方向を定めようとしてきました。
いまふりかえれば、そのときはつらかったそのことさえ、わたしにとっては良かったのだ、と思うのです。
つぎの年に咲くためには、今年の桜が散らなければならないように。
花が咲くためには、さまざまなことを糧として、木が力強く根を張り、枝を伸ばさなくてはならないように。

今年、新しい仕事が始まります。
やっていかなくちゃいけないこともたくさんあります。
来年は、どんな思いで桜の花を見上げるのでしょう。

わたしの桜、咲け。

鶏頭




2006-04-05:二穴パンチ

以前、プリンタについて書いたときにも触れたけれど、わたしはブラウザで読むより、印刷したものを読む方が好きだ。文章に手を入れるときも、必ずプリントアウトすることにしている。

校正がすんだ原稿は、数日取っておいてから、必要がなくなったころを見計らってたいてい捨ててしまうけれど、メールや文書類はパンチで穴を開け、それぞれのフォルダに閉じておく。

わたしが使っている二穴パンチは、十年以上前、まだわたしが学生だった頃、ほんの一時期所属していたあるグループの備品だったものだ。用事があって借りたまま、結局そこから離れることになってしまって、返す機会を逸したまま、それほど高い物ではないことをいいことに、いつの間にか自分のものにしてしまい、気がつくと十年以上がたってしまっている。

金属製で、適度な重さがあって、使い勝手がいい。底のプラスティックの部分が数年前に、一部破れたので、ガムテープを貼って補修している。手で押すところが銀色で、ダークグリーンのボディには白いマジックで"Meiden Voyage"と落書きがしてある。カリグラフを模した美しい書体なのだが、残念ながら"Meiden"は"Maiden"の間違いだ。この落書きをしたのはわたしではない。

この落書きをした上級生は、わたしと同郷の人間だったので、大学に入学したころから何度か顔を合わせていた。入学して間がないころ、いまはなくなってしまった丸善に連れて行ってくれたこともある。「ここに梶井基次郎はレモンを置いたんだ」蛍光灯の白い光がまぶしい清潔な店内には『檸檬』が平積みにされていて、それを除けば梶井基次郎を思わせるようなものはなにもなかった。わたしが欲しかったラッセル・バンクスの新刊を買っていると、「そんなの読むの」と怪訝な顔をしていたのは、おそらく知らなかったのだと思う。

お茶を飲みながら、北一輝について、盛んになにかしゃべっていたけれど、自分くらいになると、北一輝のどういうところが知りたいと思えば、誰の何を読んだらいいか、すぐわかるんだ、という自慢話ばかりで、退屈になってしまったわたしは、二階の喫茶店からアーケードの屋根というのは、薄汚いものだな、と外を見下ろしていた。

それっきり、彼とはしばらく会う機会もなかったのだけれど、数年後、ある読書会をきっかけに、もういちど顔を合わせるようになる。
わたしと語学が一緒の子が、その先輩の彼女だという奇遇に、驚いたりもした。
女の子はやたら明るい元気な子で、ふたりの取り合わせは意外だったけれど。

カリグラフをやっている、ということで、読書会の案内や、季刊誌の表紙を、美しい凝った書体で書いていた。そればかりでなく、みんなで本について話し合っているときも、いつも手を動かしながらコピーの片隅や備品に落書きをしていた。

わたしがそこを離れたのはこの話とはまったく関係がない。ただ、一冊、リーフレットを作る作業を手伝ったのを最後に、そこを離れた。その作業のときに、二穴パンチが必要だったのだ。

後に語学の時間に顔を合わせたとき、彼女が、なんかもうダメみたい、というのを聞いた。会ってもケンカばっかりだし、言ってることはかみ合わないし。好きなのか、好きじゃないのかもわからなくなってきちゃった。
わたしに知恵のあるはずもなく、まぁ、ダメなときはダメだからね、といったおよそ役に立たないことを言ったのではなかったか。

やがて彼は東京でかなり名の通った企業に就職することになった、という話を聞いた。その話を聞いてから、自殺した、という話を聞くまで日がなかったために「だって、春から○×の社員になるんじゃなかったの?」という、ひどく的はずれの返事をしてしまったのだった。

別れるときに相当もめたらしい彼女を責める声もあったらしい。
わたしはそこまで親しくなかったために、告別式に顔を出しただけだけれど、泣き崩れる彼女を、ふたりの女の子が両側からなんとかして抱きかかえようとしていた。

うわさ話はいろいろと耳に入ってはきたけれど、ほとんどつきあいもなく、その先輩のひととなりさえたいして知らなかったわたしに、自殺の原因などわかるはずもない。それでも、Meiden Voyage という字を見るたびに、その先輩のことを微かに思い出す。

失望したり、ひどく落ち込んだり、暗闇に立たされたりしたとき、内側から自分を支えるのは何なんだろう、と、ときどき思うことがある。

人によっては、信仰、という答えもあるだろうし、〜のため、という答えもあるだろう。

ただ、今日まで生きてきたじゃないか、という答えも、あるのではないか、と思う。

いままでだって、何度も大変なことはあったし、もう立ち直れない、と思うことだってあった。それでも、どれほどつらくても、明日になれば、今日より少しだけ、ましになる。またつらさや悲しさがぶり返すこともあるけれど、時間をかければ、少しずつ、立ち直る。 どれほど自分には手の出しようがないように思えても、状況を変える方策はかならず見つかる。だって、これまで自分はそうしてきたんじゃなかったか。
それがどんなささやかな蓄積であっても、まぎれもなく、自分がやったこと、なしたことはある。そうして、その結果として、いまの自分があるのではないんだろうか。

今日、雨のあがった夕方、西の山からもやがたちのぼっていくなんとも美しい光景を見た。
桜も日に日に咲いていく。
世界がこんなにも美しいのは、それを見ている〈わたし〉がいるからだ。〈わたし〉は世界のうちにあり、同時に〈世界〉もまた〈世界〉をそれと見る〈わたし〉のうちに存在する。

山のもやを、淡い色をした桜の花を、もういちど見ることができるだけでも、世界は生きている価値がある。

鶏頭




2006-04-04:電車で歯磨き

昼下がりの電車に乗っていたら、斜め前からシャカシャカ音が聞こえてくる。
なんだろうと思いました。
じき、気がつきました。
歯磨きをしてるんだ。

歯医者さんに行ったら、歯磨きのやり方を教えてくれます。
ペーストをつけないで、歯ブラシに力を入れないように小刻みに動かして、時間をかけて丁寧に汚れを落とす。だいたい二十分ぐらい、って、わたしも教わりました。

毎食後に磨くことなんてできませんから、たいていは夜、お風呂に浸かって、本を読みながら、ぼけーと歯を磨いています。

最近は歯に対する意識もずいぶん変わってきたのか、公衆トイレで歯磨きをしている人の姿もたまに見かけるようにはなってきました。それにしても、電車の中で磨くかなぁ、と、ずいぶん驚いてしまいました。

お化粧する人がいるんだから、歯磨きするぐらい、いいじゃない、という理屈がなりたつのかもしれません。

こういうことを言い出すと、例のお定まりのパターン、「他人に迷惑をかけてるわけじゃないんだからなにをやったってかまわない」っていうことになるのかもしれません。

この「迷惑をかける―かけない」っていう二分法はいったいどこから出てきたのかよくわからないんですが、その昔、英会話スクールで働いていたころ、「わたしのモットー」というタイトルでフリートーキングをしているときに、「わたしのモットーは《人に迷惑をかけないこと》です」ということを英語で言おうとした人がいて、どうしても言えなくて、わたしに助け船を求めてきたんですが、わたしも言おうとして、しみじみ、これは英語にならないなぁ、と思ったことを覚えています。そのあとでアメリカ人講師と話しながら、「それはモラリスティックに生きるということとどうちがうのか」と聞かれて、「迷惑をかける―かけない」ということを「社会の暗黙の規範に従う」と言ってしまっていいのか、ずいぶん考えたものです。

たとえば、狭い道を覚束なげな足取りで歩いているお年寄りは、道を行こうとする人の「迷惑」になっている。
電車のなかで泣きわめく赤ん坊は「迷惑」になっている。実際、やかましいなぁ、という視線を浴び、いたたまれないような顔をしているお母さんもよくいるわけです。
こんなふうに「迷惑をかける」=No Goodと言ってしまえるのか。

それに対して、ひところさかんに言われたのが、「援助交際」をやっている女の子の「別に誰に迷惑かけてるわけじゃないんだし」という「理屈」です。あるいはドラッグをやったって「別に……」という理屈が成り立っちゃう。

つまり「人に迷惑をかけないこと」ということがときとして問題になってしまうのは、必ずしもこの「迷惑」がモラルに裏打ちされたものではないからなのだろうと思うんです。

じゃ、モラルっていうのは何か、ということを話し出すと、また大変なことになってしまいますからここではしないのだけれど、結局はそういうことというのは、ひとから「教えてもらうもの」ではないんでしょうか。

教えてもらう、なんていうと、また「学校」とか「家庭」とかっていう話になっちゃうかと思うんですが、そういう場ばかりでもないだろうと思うんです。

わたしは「正しい日本語」も「美しい日本語」もない、と思っています。
それでも「うる覚え」っていう言葉を聞くのは気持ちが悪い。
「そういう性癖」と言いかけて「わー、やらしー」とか言われた日には、日本人やめてアイスランド国籍を取っちゃおうか、と思うんですが、そんなこと言ってる人は、少なくともそれまで「“うる覚え”って、何、変なこと言ってんの?」って言う人に会わなかったんだろうと思います。

お箸の使い方がおかしい人は「その持ち方、ちがってるよ」って言う人に会わなかったんだろう、と。あんなもの、気をつけたらその時点から直すことができるものでしょう。

そんなふうに、社会にはいろんな「常識」がある。
ドラッグとか、売春とか、そういうことに足を踏み入れると、危険なことに巻き込まれるリスクが高くなる、とか、お化粧とか、歯磨きといった「身仕舞い」というのは、基本的に人目に触れないところでするものだ、とか、鉛筆というものは、親指と中指で固定し、人差し指で押さえて書くものだ、とか、これまでにいろんな人が生きていく中で形成し、蓄積していった、共通する「知識」みたいなものがある。
逆に、年を取ったら、身体というのは思うようには動かないものだ、とか、赤ちゃんは不快だったらあたり構わず大きな声で泣くものだ、とか、一般的な「常識」に考慮を要請する「常識」もある。

もちろん「常識」を疑うことは大切でしょう。だけど、疑うためには、それを知っていなくてはならないわけです。
そういうことを教えてくれる人は、親や学校の先生ばっかりじゃなくて、いくらでもいるはずだ。

電車の中で赤ん坊が泣いていて「やかましいなぁ」と言ったら、「仕方ないじゃん、アカンボはスイッチ切って泣きやませるわけにはいかないんだから」って教えてくれる人がいたら、そこでひとつ「常識」を増やせるんじゃないか。

そんなふうに考えていくと、結局は、人間関係がすごく希薄になっちゃってる、ってことに行き着いてしまうのかもしれません。

電車を降りるとき、シート越しに見てみたら、歯を磨いていたのは40代ぐらいの女性だったんですが、二十分以上たっても、まだ止める気配が見られませんでした。

そのうち、そんな風景もめずらしいものではなくなるのかもしれません。

そうなったら、わたしはアイスランド国籍を取って、アイスランドに移住しようと思っています。

【コメント欄から】

お箸の持ち方 (arare)

私は小さいころ、お箸をバツの字にクロスして持っていました。親が、「こうやって平行にして持つほうが食べやすいよ」と言っても、頑として「こっち(バツ)のほうが食べやすい」と主張して、持ち方を変えませんでした。ある日、父親が「どっちの持ち方が優れているか、競争しよう」と言って、皿にマメを入れ、ヨーイドンでどちらがたくさんマメを掴めるか競争しました。私はクロスのほうが絶対掴みやすいと信じていたので、勝つ自信がありましたが、結果は私の負けでした。負けたら、持ち方を変えるという約束でしたので、仕方なく私は箸の持ち方を変えました。

今から考えると、あれは持ち方の差で負けたのではなく、経験の差で負けたのであって、クロスだって熟達すれば相当な早さでマメを掴むことはできただろうと思うのです。でも、大人になっても箸をクロスして持っていたら、笑い者になっていたのは間違いないので、親のやり方としては、正当であったわけです。

親というものはかくありたい (陰陽師)

と思います。
子供というのは、減らず口をたたく生き物だし(笑)。

というか、子供だって子供なりの論理の世界で生きていると思うんです。
バッテンで持つ箸には、バッテンの論理がある(笑)。

だけど、そういう論理は、他の人には通用しないよ、もうちょっと大きい論理的枠組みの中では通じないよ、ということを示す他者が、身近にいてくれる、というのは、とてもありがたい。それを押さえつけるのではなく、自然に納得できる形で示してくれる人がいれば、それは願ってもないことでしょう。

「だってこれでいいんだもん」
自分はいままでこうやってきたし、これで困ったことなんてなかったし、っていう、自分の中でだけ完結する論理っていうのを、子供ばっかりじゃなくて、わたしたち自身が無意識のうちに持っていると思うんですね。これで困ったことなんてなかったし、のつぎに続くのが「誰に迷惑をかけるものでもないし」っていうことだと思う。

もうちょっと言ってしまえば、そういうことって、自分の外の大きな論理にふれて、漠然と不安になったときに、自分のやっていることを肯定するために出てきた理論でしかないんです。

自分を肯定する論理というのは、もしかしたら自分のなかでしか通用しないものなのかもしれない。
なら、それと自分の外の「大きな論理」と、どう折り合いをつけていったらいいのか。
「大きな論理」に従うのか。
「いいもん」と言い続けるのか。
表面はしたがいつつも、自分の論理の正しさを信じて、そうした「大きな論理」の穴を見つけ、うち崩すための理論武装を積み重ねていくのか。
なんらかの妥協点を見出していくのか。

場面に応じて、できごとに応じて、わたしたちが取る態度はさまざまなのだろうけれど、どれも始まりは「これは自分のなかでしか通用しない論理なのかもしれない」という疑いですよね。こういう疑いを持つって言うことが、結局は人間が「社会化」される、っていうことなのかもしれません。

書き込み、どうもありがとうございました。

鶏頭




2006-04-03:日本語の発音が変わってきた

セールスの電話がかかってきて、若い女性と言葉を交わした。
ところが彼女は作り声で、しかも発音が子音と母音が分離しているために、非常に聞き取りにくい。
あえて書くと「s-s-sすぅおうなんどぇsねぇ」みたいな感じだ。
日本語というのは、母音と子音が一体となっているものなのだ、と改めて感じた。それが分離していると、何を言っているか、ほんとうにわからない。
けれども、そこまで極端なのはまれだけれど、最近、とくにサ行で母音と子音が分離している発音が、耳につくようになってきた。

ショッピングモールを歩くと、あちこちで販売員の女性が作り声で、「いらっしゃいませーーーぇ」という、独特のイントネーションで声をかけているが、それもまるで制服のように同じだ。

わたしが英語を習った先生は、アイルランド人で、日本人が日本人風のアクセントになることは仕方がないことだ、とよく言っていた。アメリカ風の英語の発音が、日本では一般的に「正しい」とされているけれど、とんでもない、イギリス風の発音だって、アイルランド風の発音だって、フィリピン風の発音だって、南アフリカ風の発音だって、同じように「正しい」のだ、ということが持論だった。
だから変にアメリカ風の発音(たとえば twenty-eight を“トウェニィエイt”のように)をすると、厳しくなおされた。

ただし。 日本風の英語、語尾に母音が混ざる発音をしていたら、圧倒的多数の、語尾に母音が混ざらない発音の語を聞き取ることができない。子音で終わる語尾を曖昧にしたままにしていると、発音された単語を語尾まで聞き取ることができない。
そのために、日本語を母語とする人間の陥りやすい癖を知って、日本人以外の国の人と話をするとき、齟齬が起きないように、いくつかの点に注意しなければならない、と言っていた。

日本語の母音と子音が分離しつつあるのが、一般的な傾向とまで言って良いのかよくわからないのだけれど、少なくとも歌詞に英語が混ざるのが当たり前になってきて、英語でない部分の日本語の歌詞もそれに引きずられて、よくわからない発音で歌う人が少なからずいるような気がする。分離の背景に歌の影響もあるのではないか。

発音は、話す言葉に影響を与えたりはしないんだろうか?
店の販売員が「制服のよう」な呼び声を発するのは、文字通り、「素」の自分を隠す仮面としての言葉だろう。

舞台演出家で、発声の実践的指導者であり、身体論の思想家でもある竹内敏春はこう言っている。

ことばの本体は「こえ」である。

「こえ」は在るものではない、生まれるものだ。

(竹内敏晴『思想する「からだ」』晶文社)

自分が、自分の声を生み出す。
おそらく、この母音と子音の分離した、仮面をかぶった声は、声だけにとどまらないはずだ。発生する身体に、考えに、影響を及ぼすはずだ。
このことは、また追々、考えてみたい。

鶏頭




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