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鶏的思考的日常 ver.6〜来た、見た、忘れた編〜



2006-09-07:スイーツ、スイーツ


車にとってのガソリン、植木にとっての水、池の鯉にとってのお麩、「南から来た男」にとっての「指」、わたしにとってはそれにあたるのが、アイスクリーム、ほとんど食べ物というより生きる喜びに近いものではありますが、いちどきにそれほどたくさん食べられない。ハーゲンダッツのミニカップ、希望小売価格260円のそれすら、ほんとうは少し多いのです。そんなありがたいもの、残せますか、ってんで、がんばって食べますが、ほんとういうと、これの3/4、いや2/3ぐらいのサイズだったらどんなにいいだろう、といつも思います。

小学生のころ、近所に「鍵っ子」の友だちがいました。
いつも一緒に帰って、その子の家がわたしの家に帰るまでの通り道だものだから、よくその子の家へ寄り道しました。
鍵をランドセルのポケットから出して。
玄関ではなく、お勝手口を開けて、そこから入る。
お勝手の先は、少し湿った独特のにおい、自分の家とはまったくちがうにおいがしました。

そこから中へあがり、ランドセルをおくと、当時の真っ白い冷蔵庫(そういえば、どうしていまは冷蔵庫というと色がついているのでしょうか)から麦茶の入ったプラスティックの大きな容器をよいしょ、と取りだして、わたしにもコップに一杯、ついでくれました。

家で麦茶を飲む習慣がなかったわたしは、かすかにプラスティックのにおいがするその麦茶が、ひどくおいしいもののように思いました。そうして、ときどき、冷凍庫にあったカップ入りのアイス、もちろんハーゲンダッツなんかとはまったくちがう、溶けてしまうと糊料がぶよぶよになるような、クリームのつかない「アイス」でしたけれど、それを平らな木のさじですくって食べる。ほんのひとくちか、ふたくち、わたしに食べさせてくれるのですが、それはそれは夢のようにおいしいものでした。

お勝手の扉には、はめごろしの小さなガラス窓がついていました。
そこからブロック塀にはさまれた小さな路地が見え、塀の隙間から突き出したアベリアのしなる茎のさきには、白い小さな花がいくつも垂れ下がっていました。
自分たちのほかにはだれもいない、静まりかえった家のなか、「鍵っ子」というのは、いいものだな、と思いました。

アメリカにほんの一時期、ホームステイしていたときがあって、そこのホストマザーはおやつをよく作る人でした。

だいたい、アメリカでは食事をすればかならずといっていいほどデザートがついてくる。
そうして、もちろんケーキ屋さんとかもありますが、毎日のデザートは家で作る。
日本のケーキみたいに、計量して、粉をふるって、なんてことはするはずがありません。どれもこれも無造作、乱暴に作ります。そうしてそれがどうして、なかなかにおいしいものなのです。

冷凍のパイシートを買ってくる。
それを容器に広げ、うすくリンゴを切って、ざくざくならべて、もういちどパイシートを上にかぶせて、オーブンで焼いたら、できあがり。

そこの家の庭には、小さいやぶのようになったブルーベリーの木や、ラズベリーの木が無造作に、雑草と一緒に、ざわざわと繁っていました。ときどきそれを取ってくる。
それをパイレックスの器に入れて、上からちょっとお砂糖をふりかけて、レンジでチン、あっというまに、ジャム? ができる。

それも、パイシートにのせて焼く。
これでブルーベリーパイのできあがり。

どれも焼きたて、あたたかいうちにバニラアイスクリームをのせて、パリパリのパイ皮がしんなりしたのを、とろけたアイスクリームと一緒に食べます。これまた、夢のようにおいしい。
そういえば、そこの家の冷蔵庫も、白く、そうして巨大でした。
冷凍庫には、アイスクリームが入ったバケツのような大きな容器が、どかっと場所を占領しています。そうしてその大きなバケツから、ほんのひとすくい、アイスクリームを自分のパイの上に載せながら、わたしはなぜか太平洋の反対側、お勝手口の窓から見た、遠い路地の風景を思い出すのでした。

鶏頭




2006-09-05:たで食う虫はエゴイストにはなれない


「高尚なご趣味で」という言い方があるが、たいがいそう言っている人間は、腹の中で「また、ものずきな」と思いながら言っているにちがいない、とわたしは思う。

たとえお茶にしても、詩吟をうなるにしても、囲碁にしても、どこに出しても恥ずかしくなさそうな趣味ではあるけれど、それに夢中になってしまえば、端から見ればどこか滑稽だ。このあいだ、自転車に乗りながら詩吟をうなっていたおじさんを見かけたのだけれど、本人が実に気持ちよさそうなぶん、見ているわたしはなんとなくおかしくなってしまった。

こうなると、「オタク」だの「マニア」だのと、多少の揶揄といくぶんかのさげすみをこめて語られる(ではないのかな? 不快に感じる人がいたらごめんなさい)「鉄道マニア(いわゆる“てつ”)」や「アニオタ」などと実際にはなんら変わるものではない。

思うのだけれど、「適度に」好き、程良く「好き」などという状態を維持できるというのは、じつはそれほど好きなのではなく、せいぜいが「好きな自分が好き」のレベルに留まっているのではないだろうか。ほんとうに好きとなると、おそらく我を忘れてしまう。端から見ると「ちょっと大丈夫?」とでも言いたくなるような、一種、常軌を逸した部分を不可避的に抱えてしまう。

古本屋で床に直置きしてある文庫本をよく見ようと、いきなり床にはいつくばったり(わたしです)、待ち合わせ場所の本屋でほしい本を見つけてそのまま帰ってしまったり(これもわたしです)、こういう行動は単にマヌケなだけではなく、やった本人は決して反省していない。それどころか同じ局面ではきっと同じことをするにちがいない、と思っている。

知り合いにもドラゴンズの野球中継をTVで見るときは、かならずメガホンを手元に用意して、それを振りながら見る、そうすると勝率が上がる、と大まじめな顔をして言う人物がいるが、たまたま彼は高校生に数学を教えている。いったいどのような因果関係をもとに勝率を割り出しているのか不思議になってしまうのだが、おそらくそれが「好き」ということなのだ。

「好きな自分が好き」な人、というのは、どう見えるかがいつも気になるから、好ましい本の背表紙をさりげなく見えるように持ち歩くことをしても、いきなり床にはいつくばったりはしない。「好きな自分が好き」な人も、もちろんそれについて話すし、事実、よく知っていたりもするのだけれど、「自分が他人にどんな印象を与えるか」をつねに気にかけているので、夢中で話していて、ふと気がつけばまわりがしらけていたりすることは決してない。

つまり、ほんとうに好きな人というのは、多少滑稽であり、子供っぽくもあり、いくぶん極端でもある。「なんでそこまで夢中になれるんだ」という思いには、賛嘆と同時に、「ものずきな」という揶揄もこめられているはずだ。

ただ、これは自分がそうだから言っているのかもしれないのだけれど、滑稽であろうが、子供っぽかろうが、「好きな自分が好き」な人よりは、我を忘れるくらい好きになれるものがあったほうがずっといい、と思う。
「好きな自分が好き」な人には、自分以上に好きなものはない。
こういう人を、別の言い方で、「エゴイスト」というんじゃないだろうか。
おそらく、そういう人の世界は、寂しいもののはずだ。
寂しいよりは、滑稽な方が、ずっと楽しい。

鶏頭




2006-09-04:「南から来た男」で考えた


「南から来た男」というのは、結末の意外性で「おおっ」、と思わせる短編なのだが、いつも不思議に思うのは、どうしてこの男はそんなにまでして賭けをしたがるのだろうか、ということだ。

見方を変えれば、この男は他人の「指」がほしくて、賭けを続けているわけだ。
「車」というエサをちらつかせながら、指を取ってやろうと待ち受ける。
この場合はジッポのライターだが、さまざななケースがあったのだろう。しかも四十七人の指を取り、失った車は十数台というから、結構な勝率である。
なぜ指なんだろう?

指を切る、というので思い出すのが、「指切り」である。
指きりげんまんの「指切り」というのは、もともとほんとうに切っていたらしい。

遊女が商売ではなく、相手(といっても客なのだが)に対して、自分の想いが不変であることを訴えるために、切り落としていたわけだ。
「心中立て」とも言うのだけれど、心中、すなわちこころのなかの思いを肉体で表現するものとして、刺青で相手の名を彫ったり、爪をはがしたり、はては指を切り落としたりしていたという。

つまりこれは、自分の身体の一部を相手に差し出すことで、相手に対して進んで膝を屈し、相手からの支配を受け入れるポーズである、と考えることができるのかもしれない。

逆に言えば、相手の指を取り上げる、というのは、相手を支配するということでもある。
こう考えていけば、髪が長い生徒を、校則違反だから、という理由で、いきなり切ってしまうのが体罰であるというのも、よくわかる。たとえ痛みはなくても、髪など放っておけばまた伸びるものであっても、本人の意志に反して、いきなりジョキジョキ切ってしまうことは、相手の身体に対する侵害であり、暴力であるといえよう。

ところで、昔話を見てみると、悪い魔女や魔法使いは、たいてい、人間の姿を変えてしまう。王子をカエルに変え、子供を犬や猫に変える。メデューサは人間を石に変え、呪いをかけられた王女は石像に変えられてしまう。
つまり、邪悪な存在は、人間を別な姿に変える。

いっぽう、「女神」とか「聖者」とか人間に味方する良い「魔法使い」は、人間をしかるべき姿に「戻す」。歩けないときは、歩けるようにしてやり、病は治し、貧しい灰かぶりには、美しいドレスとガラスの靴。
けれどもその変化は、むしろ本人に「ふさわしい」変化なのである。

こうやって見ていくと、この「南から来た男」の「小柄な老人」というのは、典型的な「悪い魔法使い」ということになる。やはり悪い魔法使いは、相手の一部を変えてしまうのである。そうして、自分が相手に及ぼした「力」の記念に、指を取っておくのかもしれない。

鶏頭




2006-08-18:贈ったり贈られたり


つなぎとしてこのところ毎日駄文を書き連ねているのだけれど、いよいよ「ものを贈る話」のリライトも、『蜆』のところまでさしかかったので、たぶん明日にはアップできると思います。いやあ、長かった。

さて、「贈り物」というと、わたしが選ぶときの規準は
・実用的でないもの
・なくても困らないけれど、あるといい気分が味わえるもの
・ちょっと笑えるもの
というあたりに置いている。

まず、実用的なものは、言葉を換えれば必要なものということだ。必要なものならば、おそらくすでに相手は持っているだろうし、それに対する好みもあるだろう。 そういうものを改めてわたしが贈る意味がないように思えてしまうのだ。

自分で買おうなどとは思いもよらない、それでも、あるといい気分、となると、だいたいプレゼントを選ぶカテゴリは限られてくる。ここでは諸事情からあえて明らかにはしないのだけれど、贈る相手が子供である場合をのぞいては、もっぱらとある分野から選んできた。
もちろん三点目は相手にもよるのだけれど、わたしとしては、これはかなり大きなファクターなのである。

逆に、これまでもらったなかでうれしかった贈り物というとなんだろう。
以前クリスマスの話でも書いたのだけれど、小さいときのプレゼントというと、クリスマスには決まってレゴで、誕生日はたいてい本だった。つまり、うれしくないわけではないけれど、飛び上がって喜ぶほどのものでもないプレゼント、というわけだ。

そのころもらってうれしかったのは、東ドイツから来た手紙だった。
学校でフランス語を教えてくれていた東ドイツ出身のシスターが、東ドイツの小学生と文通の仲立ちをしてくれたのだ。ベルリンの壁が崩壊する前の話で、同封されていた便せんは質の悪い紙、写真は確かモノクロだったように思う(さすがにこの記憶には自信がないのだけれど)。仮装行列の写真、ということで、帽子をかぶって、顔に紙で作ったらしいつけひげの男の子がふたり映っていて、裏にはドイツ語の文字と「お兄さんとぼくです」というシスターの手による和訳がついていた。「海賊になりました」と書くべきところの「海賊」という文字が「海族」になっている、と母が指摘して初めて、わたしは「海賊」という字を読めるようになったのだと思う。

なにしろクラスの子が全員書くので、ドイツ語に訳して送るのも大変だったのだろう、長くは続かなかったけれど、とにかく二通、返事をもらった。二通目の手紙に、わたしが返事を書いたかどうかは記憶にない。

自分では読めない不思議なアルファベットの並ぶその手紙と、同封されていたドレスデンの絵はがき、そうしてその子の写真は、長らくわたしの宝物だった。

わたしのような贈り物の規準を持っている人はそれほど多くないらしく(笑)、大人になってもらう贈り物の多くは、実用的なものである。
ただ、おもしろいことに、いつまでも使い続けるかどうかというのは、巡り合わせとしか言いようのないところがあるのだ。
マイケル・ジョーダンが好きだった頃に、MBAのドリームチームがプリントされたトレーナーをもらって、大切に取っていたら、そのうち、着るに着られなくなって、部屋着になってしまったケースもあれば(実はいまだにわたしはそのトレーナーを着ているのである。マジック・ジョンソンもスコット・ピッペンもわたしの胸元で笑っているのである)、柔らかくて実に具合のいい手袋をもらっても、あっという間に片方落としてなくしてしまったこともあるし、デザインはかわいいのだけれど、柄の先がアヒルになっていて、やたらに差しにくい折り畳み傘、これがどういうわけか忘れてもかならず手元に戻ってきて、十年近くたつのに未だに使っているというケースもある。
文鎮にせよ、手帳にせよ、使うたびに相手を思い出す……というわけでもないのだが(ゴメンナサイ。でも、ほんと、感謝しています)、だれからもらったかも、くれたその人のことも、忘れることはない(はずです。たぶん)。

わたしは基本的に義理堅い人間であるし(自己申告)、贈り物を贈ることも好きだ(さらに自己申告)。だから、贈られっぱなし、ということは、あまりないのだけれど、それでも事情で、もらったままになっている場合もある。ときどき、取りだしては使っているのだけれど、お返しをするのだったら、何がいいだろう、と漠然と思ったりもする。お返しができる機会があればいいなぁ、と思いながら。
もちろん、笑えるものじゃなきゃね。

鶏頭




2006-08-17:自転車に乗りたい

車の免許も原付の免許も持っていないわたしの、徒歩以外の唯一の交通手段が自転車に乗ることだ。わたしの愛車はごくふつうの三段変速付きの、俗に言う「ママチャリ」である。

ふだんは駅と自宅を往復するぐらいにしか使っていないのだけれど、たまの休みなどには遠出をすることもある。だいたい時速15kmぐらいで走っているから、片道一時間を目安に、つまり、15km程度離れた場所なら、自転車に乗っていくことにしている。

ただし、自転車というのは歩道を走るか、歩道の縁と車道のぎりぎりのスペースを走るしかなく、やはり交通量の多いところを走るのは、心臓に悪い。できるだけ幹線道路を避けて走っていくのだが、そういうところさえ車の抜け道になっていたりして、細い道であるぶん、大変だったりもする。
それでも、自転車は渋滞とは無縁だし、乗り換えで駅と駅のあいだを延々と歩かされることもない。いまの季節でも、早朝の風に吹かれながら、あるいは、月を見ながら走るのは爽快でもある。

以前住んでいたところの近所に、自宅で英会話教室を開いているアメリカ人がいた。その人もいつも自転車で走りまわっていたので、並んで信号待ちをすることも多く、あるいは銀行や郵便局やスーパーなどで顔を合わせることもあって、なんとなく話をするようになった。

この人は何よりも車というものを憎んでいて、「年間一万人以上の人が交通事故で死んでいます」とか「交通事故による死者の数は、原子力発電による死者よりもはるかに多いのです」などという内容の手製のステッカーをいくつも持っていて、こっそりあちこちに貼って歩いていた。当然、わたしももらった。捨てた記憶はないけれど、もちろん何かに貼った記憶もない。こういう「どこかへ行ったもの」というのは、いったいどこへ行ってしまうのだろう。星新一のショートショート、『おーい、でてこい』のように、いつか天から降ってこないことを祈るのみだ。

さて、話を戻すとそのステッカー活動のほかにも、駅に無料の駐輪場を作るよう、市議会に何度も訴えたりもしていた。車一台停めるスペースがあれば、自転車は十台停められる、駐車場の代わりに無料駐輪場を充実させれば、不法駐輪が問題になることもない、というのだった。

一度、銀行の前で、この人がまっ赤な顔をして怒っていた場面に遭遇したことがある。 身体の大きな人だったのだが、仁王立ちになって、なにやらまくしたてているのだ。あきらかにびびっている撤去作業という腕章をつけた小柄なおじいさんふたりが気の毒になって、わたしは、どうしたんですか、と聞いてみることにした。

なんでもその人がそこに駐輪していたら、違法駐輪取り締まりのトラックがちょうど来て、自転車がトラックに乗せられてしまったのだ、という。ここは駐輪禁止区域だ、法律で決まっている、いったんトラックに乗せた自転車は返すわけにはいかない、収容場所に取りに来て、罰金を払って引き取って欲しいという撤去作業員に対して、
「それは金持ちの法律デスネ。あなたやわたしの法律ではない」と言い張って、一歩も引き下がろうとしない。

この人たちにこれ以上言ってもムダだ、違法駐輪車の撤去作業をするのがこの人たちの仕事なのだから、それをやめるということは、職務放棄にも繋がる。この人たちを困らせるのはやめて、また市の方に、違法駐輪車の撤去作業が不当であると訴えたらよいのではないか、と言ってみた。
しばらく個人の判断がどうのこうのと言っていたのだけれど、この人たちに言っても埒が明かないと思ったのだろう、その場ではなんとか矛を収めることにしたらしかった。

それからのち、どうなったかはわたしは知らない。それでもおかしいことに、この人はおもに中高年の女性を相手に英語を教えていたのだけれど、その生徒たちの多くが、車でその先生のところに習いに来るのだった。
確かに、駅から徒歩で十五分くらい、そこの教室は比較的不便な場所にあった。
つねづね車の害を説き、ステッカーやリーフレットを配り、ソローの『森の生活』などをテキストにしていたにもかかわらず、その人の教えは、ちっとも伝播力を持たないものだったらしい。その先生は、生徒たちのために、数台分の駐車場を借りていたのだった。

撤去作業のおじいさんたちには強く言えても、英語を習いに来る生徒たちには何も言えなかったのだろうか。それとも、言ってはみたものの、なし崩しになってしまっていたのだろうか。
わたしはそのことを聞いてみたことはなかったのだけれど、その英会話教室の名札がかかった駐車スペースのわきを通るたびに、まっ赤な顔で「それは金持ちの法律デスネ。あなたやわたしの法律ではない」と言っていたそのときのことを思い出したものだった。

鶏頭




2006-08-16:お客様は神様か


仕事が終わって帰りの電車を待っていたところ、事故のせいで電車が遅れているらしかった。電光掲示板には10分の遅れ、と出ているのだけれど、その10分はすでに過ぎている。
ホームに立っている駅員をつかまえて、どうなっているんだ、と、しつこくからんでいる中年の男性をみかけた。おそらく今日で夏休みも終わるのだろう、仕事着ではない、どう見ても身にしっくりこない派手な色のシャツを着ている(どうでもいいのだけれど、カジュアルになると、ショッキングピンクのポロシャツとか―もちろん胸元には派手なブランドのロゴ―、黄色いシャツ―これまた胸元にロゴ入り―とか、とんでもない格好をしてしまうおじさんが多いのはどうしてなんだろう。どうも「明るい色」=OFFという記号が、そういう人の頭の中には抜きがたくあるようで、しかもどんな色だろうがデザインだろうが、ラルフローレンだのポールスミスだのというロゴがすべてを救ってくれる、という理解の仕方をしているのではあるまいか。いくら仕事着ではないからといったって、もうちょっと普通の格好をしてほしいものだ)。

ともかくその派手なシャツのおじさんは、大きな声で、「自分は金を払っているんだぞ、金を払っている客のことをどう考えているんだ」ということを、繰りかえし強調していた。

確かにわたしたちが生きている資本主義社会というのは、あらゆるものがお金を通じて取り引きされる社会だ。電車に乗るのもお金を払わなくてはならないし、食べるにも、着るにも、住むにも、自転車をとめるのにもお金がかかる。駐輪場にとめるのをケチって、駅前の空き地に留めておくと、違法駐輪取り締まりにやられて、あとで駐輪場二十回分くらいの罰金を払って、自転車を引き取りに行かなければならない羽目になったりもする。

それはもちろんそうなのだが、反面、わたしたちの文化というものは、それをなるべくあからさまにしないようとしているのではないか、とも思うのだ。
とくに、人と人がふれあう場面ではその傾向が強い。
食事をしに行って、伝票が運ばれてくるときに裏返しになっているのもそのためだろうし、それいくらだった? と、むきつけに聞いてくるような人は、どこかソフィスティケートされてない人のように思われたりもする。

中学生のころ、自分たちは授業料を払って学校を使っているのだから、お客さんだ、いったいどこの世界に掃除をするお客がいる? だから、自分たちが掃除をする必要はないのだ、と力説している子がいて、どこかちがうよな、と思いながら、うまく反論もできないでいた。

さまざまなサービスを受ける場面を、貨幣を媒介とした関係とみなすことは可能だ。
けれど、そうした関係に一元化してしまうと、実にさまざまなものが抜け落ちてしまう。
それこそ、学校の例など、その最たるものだろう。先生が「知識」を生徒に「切り売り」する存在であるとしてしまうと、逆に、そこは学ぶ場所ですらなくなってしまうような気がする。
あるいは、食事に行く。ウエイトレスがまわってきてお茶を足してくれる。これは、果たして食事の価格に含まれているのだろうか。だが、含まれているかどうか考えるより、それに対して「どうもありがとう」とひとこと言ったほうが、少なくともその場が双方にとって、気持の良いものになる。

そもそも、ものの値段、というのは、かならずしもよくわからないところがある。 たとえば、電車の一区間の料金にしたところで、単一ではないし、そのいずれかが「正し」く、残りが「不当」ということもないだろう。
そういうことを考えてみると、「適正な価格」の根拠が、どこまで「適正」なものなのかどうかもよくわからないのだ。

そうしてまた、その根拠のはっきりしない料金を払って、切符を買って、改札をくぐったとする。そこでわたしたちは、当然、電車に乗れるものだと思う。そこで乗れない、となると、その説明を求めることは当然だろう。けれども、そこで、いつ電車が来るか、十分に説明ができない駅員をつかまえてなじることまで、その料金に含まれているのだろうか、とも思うのだ。

客だから、お金を払っているから、ということを、ことさらに強調したい人に、一度、聞いてみたいと思う。そういうことを言っても良い金額を、あなたは払っているのですか、と。その苦情をあなたから聞かされる人は、そのぶんの代価を受け取っているのでしょうか、と。
あらゆるものを貨幣を媒介とした関係とみなすのなら、それが自分のやっていることにも当てはまるのだ、ということを受け入れなければならない。

文句を言いたい人は、どうぞ。
ただし、その代価は別途請求されます。

態度の横柄なおじさんのコース……価格 松
理屈の通らないおばさんのコース……価格 竹
だらしなく脚を投げ出してすわる若いお兄ちゃんのコース……価格 梅
……(以下略)……

鶏頭




2006-08-13:夏祭り


先日の夕方、遠くのスピーカーから民謡らしいメロディが、風に乗って流れてきた。そういえば、と、郵便受けに入っていたお知らせを思い出したのだが、その日は近所の小学校で夏祭りがあるのだった。

わたしの住む地域でも夏休みに入ると、市内にあるあちこちの小学校で、毎週のように夏祭りが開かれるようになる。
こうした地域の小さなお祭りは、小学校の学区がお祭りの単位であるらしく、日にちをずらしながら、毎週のようにどこかの小学校でお祭りがあるらしかった。

夏の長い日も徐々に暮れていく校庭をのぞくと、グラウンドの中央部には赤白だんだら模様の櫓がくまれ、頭のうえには運動会のときの万国旗のように、豆電球で光る小さな提灯がはりめぐらされている。そうして、その櫓の上には、カラオケ用のアンプとスピーカーが置いてある。

小学校のグラウンドが祭りの会場ではあっても、単に会場として借りているだけらしく、出店の中にはビールを売っているところもあって、ふだんであればありえないような、焼き鳥の串を片手にビールの紙コップを持ってそぞろ歩く人が、学校のなかから出てきたりする。その開放的な雰囲気に誘われるように、小学校の中へ入ってみた。

暗い校舎のなかで、一階のそこだけ電灯があかるい部屋は、おそらく職員室なのだろう。 グラウンドをぐるりと取り囲むのは、運動会と同じ白いテントだ。それぞれのテントには、それぞれの名前を書いた××町内会自治会の字が黒々と記されている。運動会とはちがって、茣蓙はしいてなく、そのかわりに並べたパイプ机の上には、コンロにのったおでんやカレーの大鍋や、焼き鳥を焼くグリル、たこ焼きを焼く鉄板やホットプレートがならんでいるのだった。

そう思って見渡せば、ほとんどの出店が食べ物や飲み物を売っている。それ以外の店というと、スーパーボール掬いなどがほんの申し訳ていどにあるだけだ。それでもたいそうなにぎわいで、浴衣を着て走りまわる子供や、校庭の端の遊具に腰を下ろして、おでんを食べたりビールを飲んだりしている人の姿もあった。

絵本などを見ると、昔のお祭りの風景はたいていが秋で、神社のまわりに赤い幟が立っている風景が描かれている。島崎藤村の『夜明け前』でも、初めの方に、秋祭りの準備に余念のない人々の姿が描かれているのだけれど、わたしには、壮年の男たちが、子供のようにお祭りの日を指折り数えるようにして待っているのが不思議だった。
町内のお祭りの準備はいったいどういった人々が中心となっているのだろう。少なくとも会社に縛り付けられているであろう『夜明け前』の登場人物たちと同じ年代の人々ではないように思う。

いまではお祭りというと、大勢の人々を集める祇園祭や天神祭にしても、小学校の校庭で開かれる町内のお祭りであろうと、ほとんどが夏に開かれる。
秋祭りが、豊かな収穫を感謝する祭であったのに対し、こうした夏祭りは、人々が農村から離れて、都市に集まるようになって起こったらしい。
夏になれば伝染病が蔓延しやすい。病気に対する知識のなかった当時の人々は、伝染病の原因を、非業の死を遂げた人々の怨霊のなせる業であると考え、その怨霊を宥めるために祭礼がおこなわれるようになったという。
神社を中心とした秋祭りとちがって、だれでもが参加できる祭りは、時代を追うごとに華やかになっていき、祇園祭や天神祭となっていったのだ。

それに対して、小学校で開かれるいまの夏祭りは、どこらへんに起源があるのだろう。お祭り、といっても、何を祀るわけでもないお祭りは、みんなが集まって、ともに食べるお祭りとしてあるのかもしれなかった。

のぞいたころにはまだ明るかった空も、それほど時間もたたないうちに、ずいぶん闇が濃くなって、わたしはそこをあとにした。家に向かっているころ、浴衣をぴしりと着込んだおばあさんたちが、三々五々、学校へ向かって歩いていた。夏祭りのフィナーレは、盆踊りのようだった。電車の中で見かける、若い女の子の浴衣姿が、布一枚を体に巻き付けただけのようで、どうにもくだらしなく見えてしまうのに対して、下に襦袢を着ているせいか、それとも着方に差があるのか、このおばあさんたちの浴衣姿は、たいそう美しいものだった。

やがて開け放った窓の向こうから、花笠音頭や東京音頭、炭坑節など、地域にまったく関係のない民謡が、雑音まじりに小さく聞こえてきた。
すっかり夜になっても、ちっとも暗くならない南西の空に、それでもくっきりと木星が見えた。

鶏頭




2006-08-03:道を聞かれる話


わたしはよく道を聞かれる。

今日も駅前で、「駅はどこですか」と聞かれたので、「この目の前にあるのが、駅の建物です。改札は二階ですが」と教えてあげた。

平均すると一週間に一回は聞かれているように思うのだけれど、実際はそんなに均等ではなく、聞かれるときは日に四、五回も聞かれることがあるかと思えば、そうでない日も続いたりして、平均するとそんなものではないかと思うだけなのだが。実際、この数字は果たして多いんだろうか。

ためしに「道を聞かれる」という文章でGoogleで検索してみた。
なんとそのヒット数は約3,7000件である。
ざっと見てみたが、そのほとんどが、「自分は道をよく聞かれる」と書いているようだ。
当然ダブりがあるにせよ、だいたい自分のことを「道を聞かれやすい」と思っている人がざっと三万人(母集団は何人だ?)いると考えても良いのではないだろうか。
「レッド・ツェッペリンを聞く」で検索してみると、ヒット数は約8320件なので、レッド・ツェッペリンを聞く人の四倍ほどが、自分はよく「道を聞かれる」人間である、と考えてよいことになるのではあるまいか(統計上の処理に関しては、あまりつっこまないでください)。

となると、ずいぶん多くの人が、「自分は道をよく聞かれる」と考えているわけだ。
「よく聞かれる」
「聞かれることもある」
「あまり聞かれない」
「ほとんど聞かれない」
この人口比がいったいどのくらいなものか、どこかに統計がないだろうか。
なんだか、一番上と二番目で、ほとんど終わってしまいそうな気がしないではない。

「自分はほとんど聞かれたことがありません」
こういう方は、ぜひ、教えてください。

* * *

ところで、聞かれるわたしは、あまり道を聞くことはない。

というのも、わたしの母親がつねづね「口さえあればどこへでも行ける」が信条の人間だからなのである。
まだ子供の頃、その信条のもちぬしである母親につれられて「ほんの二、三軒先」のはずが、道を隔てて隣の町内だったり、「歩いてすぐ」が、軽く三百メートル先だったり、「××の隣」の「××」がすでになくなって三年以上経っていたりするような経験を、いやになるくらいしたからである。

一緒に「おかしいね」「すぐそこ、って言われたのにね」という言葉を母と交わしながら、わたしが学んだことはこれだった。
人の話は、当てにならない。

身近で、なんとなく「知っている」つもりでいることほど、当てにはならないのだ。
たとえば自分が住んでいるところが、駅からいくつめの信号だか、何回角を曲がってるか、ぱっと言えますか? 指を折って数えてみて、実際にそれが正確ですか?
確実な「目印」から、正確に位置関係を言えますか?

だから、自分が初めてのところに出向くときは、かならず地図を頭にたたき込んで、最近ではYahoo!で検索した場所のプリントアウトを持って、時間の余裕を見て行くことにしている。
「口さえあればどこへでも行ける」? 
そんなおっかないことはできません。

ところがそれだけ苦労をしても、母親の側はいっこうにそれをあらためようとしない。そう考えてみれば、道を聞いてくるのも、圧倒的に中年以上の女性が多い。

以前、英語のジョークでこんなものを読んだことがある。
「モーゼが女だったら、四十年も荒野をさまよわなかった」
つまり、人に道を聞いていた、というわけだ。
男性は、人に道を聞かない、助けを乞わない、ということを、暗に批判するジョークなのである。

ただ、聞けばいい、というものでもないような気もする。
駅の構内で、○○にはどう行ったらいいんですが、と聞かれ、そこの改札を出て……、と言いかけたら、「ああ、改札出なあかんのですか、わかりました、そこから先はまた聞きますわ」と言われたこともあったのだけれど、こういうのは道を聞くとかそういうこと以前に、基本的なコミュニケーションのやり方に問題があるのではないか、と思ってしまう。
聞くというのは、最低限、相手の時間のいくばくかを奪う行為でもあるのだ。

本当に道が知りたいのかどうなのか、よくわからないこともある。
外国人男性に道を聞かれた。
説明したのだが、どうもうまく通じていない。ちょうどこちらもその方向に行く用事があったから、途中までいっしょに行きましょう、ということになった。
相手はべらべらと話しはじめる。勤務先だの、仕事だの、日本に来てどのくらいだの、と、どうにもうさんくさいので、自分はここで用があるので、あとは一人で行ってください、こう行って、つぎを曲がって、信号を渡って、まっすぐ行くと大きな交差点に出るから、そこを左に曲がってすぐ、ともう一度説明して、さっさと別れてしまった。

セールスの電話がいきなりべらべらとしゃべり出すのと一緒で、おそらく何らかの意図がないかぎり、あんなふうにべらべらしゃべることもないとは思うのだけれど、もしかしたら、まったく意図などなかったのかもしれない。だったらもうちょっと親切にしてあげても良かったのだ。

道を聞かれる、というのは、相手が正しく行けたかどうか、別れたあとも気になる。 たったそれだけのやりとりであっても、時間の長さとは関係なく、聞かれたほうは、「重荷」を背負わされるのだ。

鶏頭




2006-08-02:セミの話


洗濯物を取り込んでいたら、ベランダにセミが仰向けになって転がっていた。死骸かと思ってつまみ上げると手足を急にもぞもぞと動かし、しゃがれた声でジィジィとやかましく鳴いた。まだ生きているぞ、とでも言いたかったらしい。手すりにはってある落下防止用のネットにつかまらせたら、そのまま飛んでいってしまった。そろそろ寿命なのだろうが、少しでも気に入った死に場所を探しているのだろうか。

昔、セミの脱皮を見たことがある。
昼間、窓を開けていたら入ってきたのだろう、蛍光灯の柄にセミの抜け殻がくっついている、と思ったら、小さなふたつの黒い目がついていた。抜け殻ではなく、幼虫だったのだ。

抜け殻なら、もっと小さなころ、近所にあった小さな神社の境内によく拾いに行ったものだった。虫が湧く、アリがあがってくる、と怒られながらも、空き缶の箱の中にいくつもしまって置いたのだった。
だから蛍光灯にくっついているのも、抜け殻だろうと思っていたのだ。まさかセミの幼虫と「目が合う」とは夢にも思わなかった。

いつ羽化するのだろうか。
そう思ってみると、殻がときどき動いているようにも思える。驚かせないほうがいいだろう。暮れていく部屋のあかりもつけず、わたしは薄暗い中でときどきふるえる幼虫を見ていた。

少し部屋を出ていたのだろうか、それとも、椅子に座ったまま、うたたねをしてしまったのだろうか、いまとなってはよく覚えていないのだけれど、つぎに気がついたら、暗い部屋の中でそこだけ白いセミの一部が見えていた。背中の切れ目が徐々に広がり、白い部分が広がっていく。濡れてつやつやした白い体表は、暗い中で光る蛍光色のようにも見えたのだった。

全身が現れた。特に、羽根の部分が薄葉紙のように白い。さかさまの身をゆっくりと立て直して頭を上にすると、また動かなくなった。

やがて体の色がすこしずつ濃くなって、部屋の闇の中に溶ける。
わたしはそのまま、蒲団を敷いて寝てしまったのではなかったか。とにかく、翌朝見てみれば、見慣れた抜け殻だけが、柄につかまっていたのだった。

今年は暑くなるのが遅かったので、例年より少し遅い感じがするが、そろそろセミだのカナブンだのの死骸が、ベランダや非常階段に転がる時期になってきた。死んでいるかと思うと、急に手足を動かす。放っておくと踏まれるかもしれない、と思って、いつも拾い上げてやるのだが、そこからもうどれほども生きることはないのだろう。

それでも、床にころがっているセミも、かつてわたしが見たようなプロセスをそれぞれに経て、羽化し、求愛の歌を歌い、子孫を残したのにちがいない。
それでも、羽化したばかりの、濡れて輝き、気高ささえ感じたあの姿と、床に仰向けに転がっている、干からびた姿のちがいはどうだろう。やはり、生を燃焼し尽くしたために、そんなに干からびてしまったとしか思えない。

地中で長い時期を過ごし、地上に出て一週間ほどの寿命しか持たないセミを、人間はときに「儚い」という形容で語るけれど、セミは、セミの時間を生きたのだ。
普遍的で客観的な、モノサシの目盛りのような「時間」があるわけではない。

セミは、セミの時間を生きたのだ。

(※これは書いているときは気がつかなかったのですが、窓からセミの「幼虫」が入ってくるわけがありません。おそらく、弟あたりが庭かどこかで見つけたのを、わたしの蛍光灯の柄に留まらせたのではないかと思います。気がつくまでえらく時間がたってしまいました。あのセミの玄孫がいまごろ土の中にいるのでしょう)

鶏頭




2006-07-25:月桂樹


昨日は天気予報によると一日中雨だったので、朝、傘をさして仕事にでかけた。
ところが昼過ぎには上がっていて、帰りは薄日がさし、空気には雨の匂いがまだこもり、まだらになったアスファルトから湯気が立ち上る中を、閉じた傘をぶらさげて歩いて帰ってきた。

毎日行き来する道ではあるけれど、自転車と徒歩ではずいぶんちがう。
塀から歩道に顔をのぞかせているサルスベリも、芙蓉も、木槿も、ふだんよりずいぶんゆっくりと見ることができる。

途中、一軒の家の前で、剪定して切り落とした木の枝をたばねている人の脇を通りかかった。歩道一杯に枝やら葉やらが落ちている。腰をかがめてビニールひもで結わえている人にぶつからないよう、「すいません」と声をかけた。

「ああ、どうも、邪魔でしょ、ごめんなさいね」
そう言って立ち上がったのは、五十代半ばぐらいの女の人だった。長めのゴム手袋をはめている。
「もう月桂樹が伸びてねえ、どうしようもなくなったから、ずいぶん刈り込んだら、えらいことになってしまって」
「あ、月桂樹なんですね、向こうから、何か匂うなと思ってたんです。ローリエの匂いなんだ」
空気も雨をふくんでいるせいか、切り落とした枝からただよう木のにおいはどこにもいかず、みっしりとした固まりのように、あたりを覆っていた。
「ローリエ、使わはる? 使わはるんやったら、持って帰って」
「じゃ、何枚かいただきます」
わたしが落ちた葉っぱを拾おうとすると、
「これ持っていき」と、かなり大きな枝をそのままくれた。煮込み料理のたびごとに、たとえ三枚ずつ使っても、優に一年分はたっぷりありそうなぐらい葉っぱがついている。
「これ、取って干したらいいんですか?」
「枝のまま置いとったらええよ、必要なだけ、そのたびに取ったら」
それにしても、こんな大きな枝を置くような場所はウチの台所にはないなぁ、と思いながらも、その深い香りがいつも家の中にある、というのは、悪くないもののように思えた。

アポロが追いかけたとき、美しい少女だったダフネは、逃げて、逃げて、とうとう捕まりそうになったときに、一本の木になった。それが月桂樹である。
そこの家の塀越しに見上げた木は、美少女というにはずいぶん大きかったけれど、その大ぶりの枝は、どことなく少女が天に向かってさしのべた腕のように見えないこともなかった。

左手でトートバッグと傘を持ち、肘を少し曲げて右手を体の前に持ってくるようにして、月桂樹の枝を下げてわたしは家に帰ったのだった。

あとでスーパーに行って鶏の胸肉を買ってきて、タマネギやニンジン・セロリ、あとローリエもたっぷり入れて味を染みこませ、蒸し鶏にしてサラダを作った。

鶏頭




2006-07-20:字を書く話


文章を作るときは、たいていいつも書いては書き直し、書いては書き直し、それから順序を替え、挿入し、また戻って書き直し……ということをやっているので、パソコンがなければほんとうに困ってしまう。
わたしはつねづね、パソコンのもっともすばらしい機能は、この文章の推敲が簡単にできることではないか、と思っているぐらいだ。

ただし、紙と鉛筆でなければならないものもある。

まず、翻訳。
一文が長く、入り組んだ構造の文を訳すとき、主語と述語のペア、先行詞と関係詞のペア、その他、とにかく構造を見つけるとき、というのは、わたしはかならず紙と鉛筆が必要だ。
まず英文を書いて、そこに丸だの矢印だのSだのVだの書き込んで、構造を明らかにする、そのプロセスを経なければ、入り組んだ文章は訳せない(ただ英語ができないだけかも)。

あるいは、文章を書くときの、一番初期の段階、アウトラインを考えるメモを作るのも、紙と鉛筆が必要だ。これもどういうわけかパソコンではできない。

あと、その本の種類によっては読みながら、見取り図を取っていくために、ノートを作ることもあるのだけれど、これもパソコンではできない。やってみたこともあるのだけれど、うまくいかない。

この三つに共通するのは、言葉以外の要素、矢印、囲み、アンダーライン、二重線、波線、こういうものが重要だということ。
さらにそれだけではなく、どれも文章にする前の段階のものである、ということ。

つまり、文章にする前の段階で、考えを煮詰めていく助けとして、こういうものを手を使って書きたくなるのだ。

筆記具もなんでもいいわけではない。フェルトペンやボールペンでなくて鉛筆、紙に鉛筆がひっかかる感じがほしいのだ。

石川九揚の『筆蝕の構造』(※「蝕」『むしばむ』の旧字体)に、このような部分がある。

 人間が手にした道具である尖筆の尖端が紙に触れて、そこに〈触〉と〈蝕〉つまり〈筆蝕〉が生じる。〈筆蝕〉が生じるか否かが、「書く」か「話す」かを分ける境界線である。尖筆の尖端が紙に触れるか否か、さらにその動きが痕跡を残すか否かという差が「書かれた言葉」と「話された言葉」という決定的な差を生む。…

 パソコンのキイを叩く、あるいはキイに触れることは、書くことと同じように手を使うが、筆記具=尖筆の尖端が紙に触れることによって生じる〈筆蝕〉が不在である。このため〈筆蝕〉に導かれている「書くこと」は完全に切れている。(p.59-60)

この指摘は非常におもしろい。パソコンのキイを叩くことは、むしろ「話す」の延長にあるという指摘ももちろんおもしろいのだけれど、書くことは、まず〈筆蝕〉なのだ、という点に、目を開かれる思いがする。

紙と鉛筆を使わなければ書けないメモを考える。
前、書きながら考えることについて文章を書いたのだけれど、もっと正確にいうと、考えるというのは、この〈筆蝕〉から始まるのかもしれない。
また考えてみよう。

鶏頭




2006-07-17:リフの話


生まれて初めて、世の中にこんなカッコイイ曲があるのか! と思ったのは、ワーグナーの〈ワルキューレの騎行〉だった。気合いを入れようと思うときには、レコードでこの曲をかけ、たぶん、中学入試の朝にも、これを聴いて試験場に赴いたような記憶がある。とにかく、この♪タンタカターンタン、タンタカターンタン、タンタカターンタン、ターン、という出だしは、パブロフの犬にとってのベルの音で、ヨダレを垂らすかわりにアドレナリンが体中に横溢するのだった。

そのつぎにカッコイイと思ったのは、中学に入って聴いたピンクフロイドの〈吹けよ風、呼べよ嵐〉だった。
最初はまだイントロのベンベンいう音がベースだということも知らず、ギターとベースの音さえ聞き分けられなかったのだけれど、ピアノを習っていた当時から聴音が得意だったわたしは、何を思ったか、これをカセットテープに録音して、それぞれのパートに分けて採譜することにしたのだ。一小節ずつカセットを留めては音楽のノートに音符を書いていく。音が重なるところは何度も繰り返し、それでもわからないところはピアノで音を拾う、という、後にわたしが何度もやることになる無意味な努力の第一回目である。そうやって、ずいぶんの時間をかけてわたしは多くの曲のバンドのスコアを完成させたのだった(世の中にバンドのスコアというものが実際に売られているということを知ったのは、かなりあとのことである。だがしかし、バンドともまったく関係がなかった自分がいったいなんのためにそんなことをやっていたのだろう……)。

最初のうちは、古典音楽から音楽に入っていった人間らしく、「和音」は知っていても、コードネームは知らなかった。それでも楽譜を書いているうち、すぐに、短いフレーズが繰り返されることに気がついた。
そのころはまだそれを「リフ」と呼ぶことも知らなかったのだけれど、すぐにこれはバッハの〈インヴェンション〉だ! と思った。自分がうんざりするほどやらされたバッハの〈インヴェンション〉と同じ構造を取っているのだ。

カッコイイのはメロディじゃない、リフなのだ。
それにしてもこの短いフレーズの繰りかえしが、どうしてあそこまで「カッコイイ」と思えるのだろう。
いろいろ聴いても「カッコイイ」と思う曲は、デレク&ドミノスの〈レイラ〉にしても(あの曲はなんで後半ああなっちゃうんだろう、というのは、いくら考えてもわからなかったけれど)、レッド・ツェッペリンの〈ハートブレイカー〉にしても、どれものっけから印象的なギターのリフが流れてくるものだ。
ともかく、そのころはメロディよりもなによりも、とにかく印象的なリフがある曲が好きだった。

リフの良さ、というのは何なのだろう。
「カッコイイ」と思うのは、メロディを味わうとか、曲の複雑な構成を楽しむ、といった曲の聴き方に比べて、ずっと生理的な感覚なのかもしれない。「繰りかえし」は、耳や体に心地よいのかもしれない。

ところが、近所で道路工事などが始まって聞こえてくる単調な機械音の繰りかえしは、心地よいどころか、きわめて神経に障るものだ。
道路を掘り返すドリルのダダダダ…という反復音は、何ら快感を生みださない。
快感を生む反復音と、苛立ちしか生まない反復音の差はどこからくるのか。

もちろん、ちゃんとした研究もあるのだろうと思うのだけれど、ここではまったく根拠のない類推から、私感を述べてみたい。

わたしはドリーム・シアターが大好きで、特にユニゾンの部分が震えるくらい好きだ。ベースとギター、あるいはキーボードとギターが、寸分違わず同じリズム・同じメロディを奏でる。なんでこんなにスリリングなんだろう、と思うぐらい、スリリングなユニゾンだ。
けれど、おそらくユニゾンがこんなにもおもしろいのは、違う人が別の楽器で、同じ音・同じ旋律を奏でているからだ。つまり、音楽的には「正確」であっても、ほんのわずかに、別の人間の手によるゆえのきわめて微妙な「ずれ」があるからだと思うのだ。
この微妙な、わずかな、あるかないかの「ずれ」。
それが緊張感を生んでいるし、同時に楽しくもあるのだろう。

リフの反復の楽しさも、機械が繰り返すものではないことの楽しさ、そうしてそのリフが、イントロ部分であったり、メロディに重なっていたり、ほかのパートが異なっていたりして、リフそのものが同じであっても、曲の中で聴く限り、決して同じではない、その意味での「ずれ」が「快感」を生んでいるのではないのだろうか。

機械の反復には、それがない。
それがないからこそ、苛立ち、不快になってくるのではあるまいか。

ところでわたしは合唱部に所属していたことがあるのだけれど、そこでパッヘルベルの〈カノン〉を歌ったことがある。

アルトというのはたいてい中間音域の、メロディにはほどとおい、うねうねとした旋律を歌うのだけれど、〈カノン〉ではアルトのパートにも、ちゃんと主旋律がやってくる(もともと「カノン」というのは音楽の形式で、主旋律がパートを移動しながら繰り返されるのだ)。ふだんは地味で陰気なパートが主旋律を歌うというのは、主旋律しか歌わないソプラノには思いもよらないことなのだろうけれど、晴れがましいものなのである。
ほかのパートの演奏をバックに従えて

♪ダーダバ、ダーダバ、ダバダバダバダバ
ダーダバ、ダーダバ、ダバダバダバダバ

と歌ったときは、大変気持ちが良かった。

ところが。
バスのパートだけはずーっと、ずーっと

♪(休符)ドゥン、ドゥン、ドゥン、
(休符)ドゥン、ドゥン、ドゥン、

だけなのである。
音階でいうと、ドミソ、シレソ、ラドミ、ミソシ、ファラド、ミソド、ファラド、ソシレのパターンを28回繰り返すのだが、最後の最後まで和音をドゥンドゥン言っているだけなのである(笑)。
すんげえ退屈、なんでこんな曲を選んだんだ、とバスのパートがぶうぶう言っていたのは言うまでもない。

彼らに「リフ」の快感は訪れなかったらしい。

鶏頭




2006-07-15:単語を知らないとき


英語を話そうと思えば、ある程度の単語は知っていなければどうしようもない。
ときどき、「日常会話程度なら(しゃべれる)」という人がいるのだけれど、その人が一体どの程度の意志疎通をもって「日常会話を交わしている」と言っているのだろう。
扱う話題が限定されない「日常会話」というのが、結局は一番難しいような気がする。
さらに、単語をつなげただけでもコミュニケーションは可能である、という、大胆な見解を持っている人までいる。
けれども、日常会話に要求される単語というのは、おびただしいほど幅が広い。
まったく知らない固有名詞を説明するために、いったいどれほどの「単語をつなげる」必要があることか。

その昔、まだまだボキャブラリも少なかったころの話だ。
外国人留学生と一緒にパスタを食べに行って、メニューの解説を求められた。
〈ミートソース〉というのはスパゲティ・ボロネーゼ、〈ペスカトーレ〉というのはトマトソースのシーフード、〈キノコクリーム〉というのはマッシュルームのクリームソース、……〈たらこスパゲティ〉タ、タラコ? タラコって英語でなんというんだ?
タラの卵だからタラコなんだよね、じゃ、タラって何だ??

困ったわたしはこのように説明したのである(一応英語で)。
「ケンタッキー・フライドチキンでフィッシュフライがあるでしょ、あの魚の卵をバターと塩であえて、バジルと一緒にパスタに混ぜてあるの」
ケンタッキー・フライドチキンの魚がタラであるのかどうなのかわたしにはよくわからなかったのだけれど、タラを意味する"cod" という単語を知らなかったのだから仕方がない、とりあえずあれはタラだということにして、その魚の卵(英語には魚の卵を意味する"roe" という単語があるのだが、当然そういうことは知らなかったので"fish egg"と言ったわけである)であるのだと説明した。すると、相手は眉間に皺を寄せて、おまえら日本人はそういう奇怪なものを食べるのか、という顔でこちらをしばらく見たあと、「自分はマッシュルームのクリームソースにする」と宣言した。
おそらくその判断の大きな根拠に、わたしの怪しい説明がなっていたことは間違いなかろう。

それから何年かして、それなりにボキャブラリも増え、英会話教室でバイトするようになって、英語で話す機会も格段に増えた頃、講師の一人とパスタを食べに行ったのだった。
そこでもまたメニューの説明を求められ、ひとわたり説明して注文を終えた後、そこにあったタラコスパゲティから昔の会話を思い出し、その講師に、自分が"cod roe"という単語を知らなかったばかりに、わざわざケンタッキーから話を展開したことを話した。彼がタラコスパゲティを食べなかったのは、きっとその「フィッシュフライの卵」なんて食べられるか、と思ったからにちがいない、と。

するとその講師は、うーん、と考えて、確かに自分もケンタッキーのはタラじゃないと思うけど、と前置きしてから、アメリカ人は普通、魚の卵は食べない、キャビアだって気持ちが悪いと思う人も少なくない、と宥めてくれた。かならずしも、ケンタッキーから展開した説明のせいではないと思うよ。

わたしの乏しい経験によると、英米人というのは、とにかく説明を求めてくる。あれは何? これは何? あれは何のためのもの?

講師「日本人の家に行ったら、玄関に赤い丸い、片目だけ白い人形があった。あれは何? 何のために片目なの? 三軒に行ったら三軒ともあったから、日本人の家にはすべてあるのだろう」
わたし「あれは〈だるま〉といって、昔から伝わる人形。片目が白いのは、願い事をするため。願い事が叶ったら、その白い方も黒く塗って両眼を開けてやるの。別に日本人の家に必ずあるわけじゃない(いったいどこに行ったんだ? 普通の家にはだるまなんてないぞ)」

講師「神社(Japanese shrine)と寺(Japanese temple)ってどうちがうんだ」
わたし「ジャパニーズゴッドがいるのがシュラインで、ブッダがいるのがテンプル(ちがうような気がする……)」

講師「レストランに行ったら例の模型があった。黄色いクレープみたいなものにケチャップがかかっているのはあれはなんだ?」
わたし「あれはケチャップ味のピラフの上にオムレツがのせてあるの。オムレツプラスライスで、オムライスって日本語では言う」
講師「わはは、それは嘘だ、ぼくを騙そうっていったって、そうはいかないぞ!」

この三つの例で唯一正確なのは最後の説明だと思うのだけれど、とにかくわたしもずいぶん誤った知識をこうやって垂れ流してきたにちがいない。

どうもみなさん、すいません。

鶏頭




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