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鶏的思考的日常 ver.7〜わたしのなかの鶏 編〜



2006-10-07:十六夜の話

わたしが住んでいる地域は、夜中でもあたりは明るく、夜空が暗くなるということがない。
星といっても見えるのはふたつかみっつぐらいなのだが、中秋の名月を明けて、十六夜となった今晩も、まだ丸いくっきりとした月が、月の周りを黄色に染めて、あたりを明るく照らしていた。

昔、夜がまだ暗かった頃であれば、満月はどれほど明るかったろう、と思う。

少し前、地元のプラネタリウムに行ったことがある。
プラネタリウムといってもシンプルなもので、ちょうど学校の教室ぐらいの大きさの部屋の天井に、白い布がドームの形に張ってある。真ん中に投影機があって、椅子がそこを取り囲むように配置してある。この木製の椅子は、背もたれの部分が120度くらいまで傾くようになっていて、身体を預ければ、天井の「星」がよく見えるという仕組みだ。

投影が始まってすぐ、真っ暗な夜空に、無数の星が浮かびあがった。まさに「ミルキー・ウェイ」という言葉がふさわしいように、天の川の白い帯も南北に走っている。そうして、あちこちでいくつも星が流れているのだった。
「これが200年前ぐらいまでの夜空です」と言われた。

それから一段階、空が明るくなって、見える星の数も半減した。
「これがだいたい百年前」

さらに明るくなって、天の川もはっきりしなくなるのが五十年前。

「そうして、三十年ぐらい前から、このあたりの夜はこんなに明るくなりました」
そうなると、天球は、もはや闇とは呼べない。セピア色と呼んだらいいのか、「薄暗い」としか呼びようのない空には、星が三つほど。

「この西の空、太陽が沈むとすぐ見えてくる、大きな星はわかりますか。これが木星です。宵の明星と呼ばれる金星は、もうこのあたりでは見ることができません」

これでは星の観察はできないので、200年前の空に戻します、とふたたびドームの背景は真っ黒になったのだけれど、夜が明るいことは知ってはいても、実際にそこまで明るくなっているとは知らなかったわたしは、たいそう驚いてしまったのだった。


このあいだ、防犯のチラシをもらった。
それには「この界隈で夜暗い箇所」というのが地図でチェックしてあった。
「この区間は街灯の数も少なく人通りも少ないため、夜間の一人歩きは避けましょう」という場所に、いくつか印がつけてあったのだが、これだけ夜が明るくなっても、そんな箇所はまだまだなくならないらしく、こういう場所にもさらに大きな街灯が増えたりすると、いったい夜はどこまで明るくなっていくのだろう、と、ちょっと思ってしまった。

確かに「防犯」ということを考えれば、夜は明るい方がいいのかもしれない。
けれども、ただひたすら街灯を増やし、通りから暗い場所を一掃すれば、それで犯罪がなくなるというものでもないような気がする。
夜間の犯罪発生率が抑えられるのなら、星が見えないことぐらい、たいしたことではない、という考え方ももちろんできるわけだが、その両者のあいだにそこまでの因果関係があるのだろうか、という気もするのだ。

明るい月を見れば、ひとくちに夜空といっても、季節によって、それぞれにちがいがあることがわかる。
今日のように、月の周りに黄色い色が滲みだして見えるようなときもあれば、冬の中天に、刃物ですぱっと切り落としたような半月がかかっていることもある。
春の夜のうるんだような月の下に見る桜は、この世のものとも思えないほどに美しい。

小説を読むときに、情景描写を飛ばして、筋だけを拾って読む、という人がいる。最近はそういう人が増えたのか、情景描写もどんどん減っていく傾向にある。
確かに19世紀の、1ページ以上にわたって服だの髪の毛の様子だのの描写が延々と続くのは、さすがに読んでいると飽きてもくるが、実はそういう部分を丁寧に読むか、読まないかで、小説を読む楽しみが決まってくる、というのもまた確かなのだ。

日々の生活というのは、ルーティンとして過ごしていけば、何も見ず、何も聞かず、何も感じないままで生きていける。
筋を追うだけの読み方をする小説のように、出来事だけを追いかけて、必要のないものに気がつかない「効率的な」生き方も、確かに、アリだ。

それでも、月を見、星を見ることに喜びを見いだすような生き方もある。
「星空」とはとうてい言えなくなってしまった夜空だけれど、それでもまだ十六夜の美しさは愛でることができる。

こうしたささやかな喜びを、できるものなら奪わないでほしいものだ。

鶏頭




2006-10-06:Happyな話

その昔、とある事情から八歳のアメリカ人の女の子と映画を見に行ったことがある。「とある事情」というのもずいぶん大仰な言い方で、要は一種のベビーシッターを頼まれたのである。

見に行ったのは、ディズニーの〈美女と野獣〉で、子供向け長編アニメ、といっても、冒頭部分、主人公のベルが歌うメインテーマに、村人たちがワンフレーズずつからみながら、主人公のひととなりや置かれた情況を紹介していく、黄金時代のミュージカル映画そのままの展開が楽しくて、すっかり夢中になってしまった。

ともかく、父親を助けるために、ベルは見るも恐ろしい(というか、バッファローとライオンを足したような「野獣」は、そんなに恐ろしくはないのだが)野獣の下に留まることになる。
野獣は、実は呪いをかけられた青年領主で、人間の姿に戻るためには、女性に愛されなければならない。狷介な性質と、自分の容姿を恥じる気持ちがわざわいして、なかなかベルに自然に接することができないのだが、キャンドルやポット、目覚まし時計などに姿を変えられた家来たちの活躍で、ベルと野獣は次第に心を通わすようになる。

ある日、野獣はベルに聞く。 "Are you happy with me?"(君はわたしといて幸せか)

すると、わたしの隣にいた8歳児は、スクリーン上のベルが木に片手を伸ばしているのと同じように、手を前に伸ばして、
"Yes..." と、ベルより先に答えたのだった。

あんまりかわいくて思わず笑ってしまいそうになったのだが、いやいや、そんなことをしてはいけない、と目をスクリーンに戻し、ここまで感情移入できるっていうのはすごいなぁ、と思ったのだった。

それにしても、"with me" はあまりつかないけれど、アメリカ人はよく"Are you happy?" と聞くような気がする。
これは「あなたは幸せですか?」と、街頭の宗教団体よろしく聞いてくる、というより、楽しんでる? 気分は上々? ぐらいのニュアンスで聞かれることが多い。
さらによく耳にするフレーズとして"You look so happy."というのがあるのだけれど、これも「あなたは幸せそうに見えます」というより、日本語でいう「楽しそうだね、何かいいことあったの?」ぐらいのニュアンスのような気がする。

ともかく、アメリカ人にとって、ハッピーというのは、きわめて重要なことばであり、ハッピーであるかないかは、かなり重要なことであるようだ。

ただ、日本人であるこちらとしてみれば、"Are you happy?" と聞かれると、ああ、そんなこと聞かれてもなぁ、みたいに思ってしまう。
幸せ、というほど、大げさなものではなくて……でも、まあいいか、So-so, などというと、角が立つし、というわけで、アイ・アム・ハピー、などと答えてしまい、ああ、実感とどうしたってずれるなぁ、といった感情を抱いてしまうのである。

ところが、相手が自分のために何か世話を焼いてくれて、どう? わたしがやったことは役に立った? という流れでも、やはり"Are you happy?" と聞いてくるのだ。わたしの努力は、あなたを幸福にしているだろうか、ということなのだ。
先ほどあげた〈美女と野獣〉も、やはりそういう側面がある。
野獣の側は、懸命にベルをもてなしているのだ。
彼女を楽しませようと、豪華な晩餐会を開き、壁一面、天井に届くほどの本棚いっぱいの本を贈ったりもする。
わたしはあなたのために尽くす、こうしたわたしといてあなたは幸せか、と聞いているのだ。

ところで、アメリカ人は、幸せになるために、自分たちの国を作った。 こういうと変に聞こえるかもしれないが、このことはちゃんとアメリカの独立宣言に記されている。

『独立宣言』には、後のアメリカを理解する上での重要な考え方がいくつか出てくるが、まず、「人間はすべて平等に創られた」という観念。それから、神によっていくつかの権利を与えられているのであって、その中には〈life, liberty and the pursuit of happiness〉(※生命、自由、幸福の追求)と、“幸福の追求”は3番目に出てくる。

加藤恭子 マーシャ・ロズマン 『ことばで探るアメリカ』 ちくま文庫

幸福の追求が「個人に保障された権利である」というのも、考えようによってはしんどい話のように、わたしなどには思えてしまう。つまり、ひっくりかえせば、自分を幸福にするために、努力を続け、幸福を追求していくのが、その個人にとっては義務である、とも考えられるからだ。

そこでの幸福は、努力の結果、獲得される「果実」であって、果報は寝て待て式に、ぼやっとしていることは許されない。
そんなことをしていれば、なぜ、もっと自分を幸福にするよう努力しないのか、と怒られそうだ。

もちろん、みんながみんなそうではないだろう。
それでも、たとえば「さっきまで何してた?」と聞かれて、ぼーっとしていた、という返事は不可能なのである。だいたい、「ぼーっとする」にあたる言葉がない。"Just relaxing." (ただ、リラックスしていただけ)が一番近いかと思うけれど、「リラックスする」というのは「ぼーっとする」にくらべると、ずいぶん積極的なニュアンスがあるように思える。

本を読んでいた、音楽を聴いていた、○○をしていた、という答えを相手は期待している。そこで「特に何もしていなかった」などと答えようものなら、それはなぜか、と聞かれたり、あるいは何か言いたくない理由があるのだろうか、と勘ぐられた経験さえ、わたしにはあるのだ。

もちろんどちらがいい、などと単純に比較することはできないけれど、ハッピーか、とすぐ聞かれるたびに、わたしはつい、ハッピーかハッピーでないかがそんなに大きな問題なんだろうか、と思ってしまうのだ。
ハッピーになるために、何かをする。そうしてその努力の結果、ハッピーというゴールに到着できる、というよりも、その「何かをしている」状態のうちに、その人が「ハッピー」であると漠然とでも感じられれば、それでよいのだと思うのである。
そうして、そのあらわれは「ハッピー」というかたちばかりではないだろう。
「無我夢中」かもしれないし、「気がつけば終わっていた」かもしれない。ただ、はっきりとはわからないけれど、胸の内になんともいえない暖かな感じがある、それだけで十分なのではないのだろうか。

おそらく野獣は、自分がベルを喜ばせようと努力した、その努力で、わたしはあなたを幸福にできたであろうか、と聞いたのだと思う。けれども、同時に、"with me" のなかには、「わたしとともにいることが」あなたに幸福という状態をもたらしているであろうか、とも聞いている。

そうして、おそらくそれに"Yes" と答えたベルは、あなたはわたしを幸福にしてくれていますよ、というより、あなたとともにいることが、わたしにとって幸福な状態をもたらしてくれているのですよ、と答えたのだろうと思う。

誰かとともにある幸せ、というのは、相手が「幸福の追求」を自分のためにしてくれることではなく、時間と空間を共有し、そこになにものかをともに生みだせる、ということなのだと思う。

たとえそれがどんな場所であっても。
ファミリーレストランで、傷だらけのコップでまずい泥水のようなコーヒーをすすろうと、「コーヒーまずいね」と言い合うことだって、それが幸福であると思える場面は確かにある。けれども、それは懸命に追求した結果、というよりも、相手と自分とのあいだに、奇跡のように、生みだされるものであるようにわたしには思える。

鶏頭




2006-10-05:合理性とは縁のない話

ちょっと前に、階下の風呂場の天井から水が漏る、ということがあって、うちの浴室の防水工事があった。
工事といってもたいしたことをするわけではない。そもそも狭い風呂場の、小さな排水溝の箇所だけの工事なのである。表面を少し削ってシンナー臭い塗料を塗りなおすの、ほんの数時間の工事だった。

ところが、いやに大勢の人がやってくるのである。
まず、作業着の上下を着ているが、その下には真っ白いワイシャツと、ネクタイをぴっちり締めて、プラダのビジネスバッグを持ってきている五十年配の男性。ここでは仮に作業員Aと呼ぶことにしよう。

つぎに、同じく作業着の上下だが、下にはワイシャツ+ネクタイではなく、Tシャツを着ている三十代の男性。この人物は、青焼きの図面やポラロイドカメラ、その他資料をどっさり抱えていた。この人物を作業員Bと呼ぶ。

さらに、作業着ではなく、Tシャツに、いわゆるニッカボッカ、というんでしょうか、建設作業員らしい、あちこちいろんな染みがついて、タオルではちまきをした二十代後半の男性。この人物を作業員Cと呼ぶ。

加えて、作業員Cとほぼ同様の格好ではあるけれど、髪は金髪、耳にはピアスが六個ほど、鼻の脇にもピアスの跡がある、二十代前半ないし、十代後半の男性。この人物を作業員Dと呼ぶ。

まず、事情を聞いてやってきたのが、作業員AとBである。
こちらからの説明をAとBにすると、Bは写真を撮ったり、図面を見たり水をはったりしながら、Aと相談しつつ(といっても、もっぱらAは話を聞いているだけ)作業の手順を定めているらしい。

やがて、AとBは帰っていき、しばらくして戻ってきたA、B、さらに、ずいぶん様子のちがうCとDまで加わった。うちの小さな玄関には、足の踏み場もないほどの靴(革靴が二足、作業靴が一足、ぼろぼろのスニーカーが一足)が並び、どう考えても全員が入るのは不可能なはずの風呂場に、全員が集合した模様である。
やがて、作業員A,B,さらにDはそこを出ていった。

作業をしているのは、Cのみである。AとBは玄関の前で立ち話をしている。
その状態が数時間つづいた。
それじゃ、失礼します、と玄関の前で声がして、見ると作業員Bは、大荷物を抱えて帰っていくところだった。ひとり残されたAは、電話をかけたり(あきらかに私用)、ぶらぶらしたり、わたしに話しかけたりしている。
やがて、作業員Dがバケツとぞうきんを持って入ってきた。作業が終わって、後かたづけに入ったらしい。入れ替わるようにDを残して、Cは去っていった。
やがてDも去り、Aはもういちど風呂場をのぞくと「これで終わりましたから」とわたしに告げ、終わった印としてサインを求めた。

別に、それだけの人間が必要なら、それはそれでいいのだ。仕事というのは、そういうものなのかもしれない。わたしがわからないだけなのかもしれない。
ただ、ものすごく奇妙な感じがしただけだ。

特に、作業員Aである。
彼を「作業員」と呼ぶこと自体が、おそらくまちがっているのだろう。彼は、作業員ではなく、おそらく「管理職」なのだと思う。その大事そうに下げているプラダのビジネスバッグから、わたしが見ている限りで彼が取りだしたのは、携帯電話とペットボトルに入った「午後の紅茶 ミルクティ」だけだった。
彼の仕事というのは、いったい何だったのだろう。

おそらく持ち物や着るものを見ても、四人のなかで一番高給を取っているのは、彼であることはまちがいないだろう。実際の作業をほとんどひとりでしていた作業員Cの何倍もの給料をとっているにちがいない。

世の中というのは、わたしの理解できないシステムで成り立っているような気が、ときどきする。

鶏頭




2006-10-04:犬の話

最近、自転車の前カゴに犬を乗せて(というか、入れて)走っている人をたまに見かける。
多くはポメラニアンなどの小型犬なのだが、なかには前カゴのふちに足を踏ん張って、あたかも船の舳先の船首像のように、毛を風になびかせながら、きりっとした顔(かどうかは知らないが)をしている犬もいたりして、信号待ちをしているときに目などが合うと、やぁ、と挨拶してみたくなる。
ただ、犬というのは、自転車に乗る(乗せる、あるいは入れる)ものではなくて、自転車と並んで走るものではないのだろうか、という気がしてしまうのだけれど、この風を感じている犬の凛々しい顔を見ていると、まぁそれもいいか、という気になってしまう。

ただ、わたしは犬はそれほど好きではない、というか、吠えかかられる犬は、ちょっと怖い。いまは放し飼いにされている犬など見ることもないけれど、昔はそこの家に用があって門を開けると、いきなり犬が走ってくる、という家などもあった。

小さいころ、近所の子が大型犬に噛まれて大けがをした、という事件があって、そこの近くを通りかかるたびに、うるさいくらいに、あそこの犬に気をつけなさい、と母親から言われたのだった。その事件以来、犬は庭の奧のほうに繋がれているらしく、姿を見ることはなかったのだが、それでも大型犬らしい、野太い吠え声が聞こえてくると、自然と胸はドキドキしてくるのだった。のちに英語のことわざで「吠える犬は噛まない」(A barking dog never bites.)というのを習ったときに、そうでもなかったな、とその犬のことを思い出したものだ。

大学にいるころ、しばらく住んでいたアパートの隣が犬を三匹飼っていた。アパート全体と同じくらいの敷地の庭の広い家だったのだが、庭も荒れ放題なら、家のガラス窓も犬の泥足のあとだらけ、玄関のドアはベニヤ板がささくれて、家の中にも平気で入っていくらしく、アパートの二階の窓から見える範囲では、荒れはてた家だった。
中年のおばさんと、そのお母さんらしいおばあさんの二人は、家の奧でごくひっそりと暮らしているようだったが、犬のほうは一日中わんわんと鳴きっぱなし、うるさいというような生やさしいものではなかった。

ある晩、塀のすぐ向こう、部屋のほぼ真下で吠えているのがどうしても腹に据えかねて、思い立って冷蔵庫から氷を取りだして、三、四個、つぎつぎにぶつけてやった(証拠隠滅を図ったのである)。驚いた犬がキャンキャン鳴きながら逃げていったので、味をしめたわたしは、今度はもっと大きな氷をぶつけてやろうと考えたのを覚えている。

アパートの住人が出していたゴミを荒らしたことも、再三ならずあった。管理人に苦情を言ったら、すでに管理人も何度となくそこの家には苦情を言いに行っていたらしい。そればかりでなく、市役所の方からも、何度となく注意が行っているらしかった。
管理人は「価値観の差、ゆうたらええんでしょうかねぇ。ほんまにいろんな人がいたはりますわ。なにゆうても、ちぃとも聞いてくれはらへんのです」と曖昧に言っていたけれど、いささか奇妙な人たちではあったらしい。気をつけてみれば、散歩に連れて行くでもなく、エサも、庭に転がっている、あちこちへこんだ大きなアルミナベに、残飯をどさっと入れているのを食べさせているらしかった。

とにかく犬がやかましく、結局そのせいもあってそこは十ヶ月ほどで出たのだけれど、寝るときは毎晩耳栓をして寝ていたほどだった。つぎの場所で、犬の声がしないというのは、こんなに気持ちが落ち着くものなのか、と、改めて実感したのをよく覚えている。昼間、ほとんどいなかったとはいえ、よく十ヶ月も辛抱したものだ。

数年後、外国人と話をしていて、たまたま犬の話になった。
わたしが氷をぶつけた話をしたところ、彼も、隣の犬に悩まされたという。
彼は夜、耳栓をする代わりに、別の方法を取った。
量り売りの肉屋で、挽肉を少しずつ買ったのだという。そうして、彼がときどき飲んでいた睡眠薬を砕いて挽肉に混ぜ、肉団子にして食べさせていたのだという。
最初は量が多すぎて、二日ほどずっと寝ていたらしい。それから量を加減したのだ、と。
そうしているうちに、肉屋がある日、この挽肉はどうするのか、と聞いてきたのだそうだ。
彼が自分が何に使っているか話したところ、その肉屋はこう言ったという。
「外人さん、あんた、二、三日、温泉でも行ってきや。帰ったら、あんじょうしてやっとるから」
その「あんじょう」が、さすがに恐ろしくて、彼はもうその肉屋には行かなくなったのだという。

わたしもその話は妙に怖かった。
犬を「始末」する、肉屋の親爺。
市場の片隅にそんな肉屋があるのかもしれない。やかましく鳴く犬に悩まされている人に、そっとアリバイを作るよう示唆してくれる肉屋が。
フレデリック・ブラウンの短編にそんなのはなかったっけ?

鶏頭




2006-09-25:記憶の話、三たび

ところで、あなたは自分の携帯の電話番号を覚えていますか?

わたしはいまの携帯を使い出してまる六年と三か月が経過しているのだけれど(もちろん同一のものである。最近、電池が切れてきて、一度電話がかかったら、着信音だけで電池の残量を示すバーが一本消えるようになってしまった。話を始めると、さらに一本。長電話せずにすんで、実は大いに助かってもいるのだが)、いまだに自分の番号を知らない。
メールアドレスは自分の名前の3/4を使ったものすごくわかりやすいものなので、自分の名前を忘れない限り、大丈夫なのだけれど、最近の記憶力の減退を考えると、これもいつまで大丈夫か、いささか不安でもある。ともかく、忘れたら開いて確かめればよい。自分の名前だって住所だって電話番号だって書いてある。え…、と…、どこに書いてあるんだっけ。

毎朝自分が駐輪場のどこに自転車を停めたかわからなくなって、帰ってくるたびにうろうろ探す、というのは、このブログにも何度となく書いてきたような、おぼろげな記憶があるのだけれど、自分でははっきりしないので、気にせずもう一度書くのである。毎日繰りかえすようなできごとは、それが昨日のことなのか、一昨日のことなのか、とんとわからなくなっている。いつも仕事帰りにスーパーに寄って晩ご飯の材料を買うときでも、昨日何を食べたっけ、と考えるのだけれど、五目豆の煮物を作ったのが昨日だったか、一昨日だったか、さき一昨日だったか、わけがわからない。
風呂場の電球が切れても二日連続で買って帰るのを忘れ、三日目に忘れたときは、さすがに四日連続で暗い風呂に入るのがイヤになって、あきらめてコンビニにクソ高い(失礼)バルブを買いに行ったのだった。

歯医者の予約も忘れる。火曜日だと思っていたら、それが月曜日だった、などということも珍しくなく、すいません、忘れてました、という電話も何度も入れる羽目になった(もちろん、風邪で調子が悪かった、急用ができた、という言い訳、ではなく、ウソというか、方便というか、ともかくそういうのもしっかり使ったけれど、そうそう風邪ばかりひいているわけにはいかないのである)。十五分早く行く、三十分早く行く、などは記憶違いのうちには入らない。待合室で本を読んでいれば良いだけの話だ。

いや、わたしに記憶力がないわけではない。
一年以上前に、初めてお会いした人が、最近何もかも忘れる、あたかもトコロテンを押し出すように、ひとつ覚えたらひとつ忘れていく、という話をされたのは、いまでもちゃんと覚えている(ついでにそのときうかがった、ちょっとここでは書けないようなジョークも)。
そんな具合にところどころ、異様に鮮明な記憶が、「地」のなかの「図」のように、あるいは霜降り肉のなかの赤身のように、あるいは庭の飛び石のように、ぽつぽつと浮いている。だが多くのできごとは、混沌の海のなかに沈んでしまった。

ところがわたしだって昔は鉄壁の記憶力を誇っていた時期があったのだ。
いや、正直いうと、そのころだって、電話番号は覚えられなかったし、覚えたくもない化学式などちっとも頭に残らなかった。
そうではなくて、一度本を読めば、その登場人物の細かい情報から、ささやかなエピソードに至るまで、すべてきちんと頭に入っていたのだ。

それが、あれ? なんだっけ、という機会がときどき混ざり始めた。
そうしてついにこんなできごとが起こったのである。

行きつけの古本屋にペーパーバックのミステリが出ていた。Ruth Rendell の "Make Death Love Me"、端は変色しているが、どうせミステリ、読み飛ばすのだから平気、とばかりに買ってきた。登場人物も出そろい、銀行強盗たちが銀行を襲う。人質が取られ、主人公は予期せぬ金を手にし、ストーリーは全体の約半分まで来た。

と、突然、わたしには最後のシーンが目に浮かんだ。
○○はこうなって、××はこうなるのだ!
わたしはいつの間にか予知能力まで身につけたか!?

わたしはあわてて本棚の奧を探った。
原題とは似ても似つかぬ邦題『死のカルテット』の表紙をめくり、見返しの原題を確かめてみた。
"Make Death Love Me"
……。
翻訳を読んでいた……。

この話、してませんよね?

鶏頭




2006-09-24:陰陽師的ストレス度チェック

以前、お医者さんからうかがったことがある。

患者さんは「ストレスが原因ですね」というと、うれしそうな顔をするのだそうだ。
「そうなんですよ、ずっとストレスがあるので、やっぱりそれが原因ですか」と、自分で納得するらしいのだ。
どうやら「ストレスがあるんじゃないですか?」という言葉は人間関係の潤滑油になるらしい。

ストレスなんてものは、あると思えばある、ないと思えばないようなもの。
ストレスを減らそう、なんてことを考えてしまえば、そのためにストレスが溜まってしまうような気もする。

ストレスをなくそう、なんてことを思わずに、それとうまくつきあうことが求められている。
そこでまずあなたのストレスをチェックしてみましょう。

ストレス度チェック(心当たりのあるものに○をつけてください)

1.家を出るときガスの元栓を閉めてきただろうか。

2.待ち合わせに遅れそうだ。

3.帰りがけ、スーパーでどうしても買って帰らなければならないものがあったような気がするが思い出せない。

4.図書館で返し忘れた本があったような気がする。

5.うしろからパトカーが来る。

6.ガンをつけられた。

7.受信料を取りに来た。

8.電車の切符がない! ポケットに入れておいたはずのに。

9.体重を測ったら0.5s増えていた。

10.駅前でお兄ちゃんがギターを片手にすさまじくヘタな歌を歌っていた。

11.ちょうど家を出たときに電話の音が聞こえたので、あわてて鍵を開けて靴を脱いで電話に出たらセールス電話だった。

12.駐輪していたら自転車のタイヤがナイフで切りつけられていた。

13.わざわざ買いに行った本(CD、カバン、その他)が品切れだった。

14.そんなことも知らないの? と笑われた。

15.風呂上がりに食べようと思って冷凍庫を開けたらアイスクリームが切れていた。

16.また誕生日が来る。

17.すれちがいざまに女子高校生の一団が大笑いをしたが、その直前にこちらを見ていたような気がする。

18.キンギョ(あるいはペット)の具合が悪い。

19.それは誤解なんです。ほんとはそんなつもりじゃなかった。

20.昨日定価買ったものが、今日見たら三割引になっていた。

【結果】
○の数が

0〜5の人:心穏やかな毎日をお過ごしのようです。まわりからも「幸せなやつ」と思われているかもしれませんが、いいんです、あなたが幸せなら。

6〜11の人:いろいろあるのが人生。それでも明るい方に目を向けているあなたは、大丈夫、どんなところでも生きていけます。

12〜17の人:ストレスがありつつもなんとか折り合いをつけていられるあなたはえらい人です。もう十分です。あとは人のストレスまで背負い込まないことだけに気をつけて。

18〜20の人:いまが底。きっとそうです。うまくいかないことは、そのストレスが原因なんです(潤滑油を一滴)。
にっこり笑って、世界にあなたの一番いい顔を見せてあげてください。そうすればきっと世界はもあなたに微笑みかけてくれるはず。

鶏頭




2006-09-23:眠れない子供と眠い大人と

子供には、寝つきの良い子供と、眠れない子供の二種類がある。
寝つきの良い子供というのは、見事なもので、横になるともう寝息をたてている。
ところが眠れない子供は、目をつぶっては寝返りをうち、ときどき暗い中で時計を確かめて、ため息をついて、また目をつぶって寝返りをうつのだ。

敷布の足のあたりがすっかりあつくなって、足をどこへやっても冷たい場所はない。そうやってごろごろしているうちにシーツは蛇のように体にまとわりつき、いよいよ眠れない。なのに、部屋の向こうからは、姉のやすらかな寝息が聞こえてくる。

意を決して起きあがって、トイレに行く。オレンジ色の暗い電球が点ったトイレは、昼間とはちがう場所のようだ。小さな窓ガラスも真っ黒だ。その向こうには恐ろしい闇の世界が拡がっているにちがいない。そう思って壁を見ると、奇妙なしみがひろがっている。この形はなんだろう。なにか、壁の内側に禍々しいものが埋められていて、それがしみ出して来ているのではあるまいか。

恐くなって、トイレの中から母親を呼ぶ。
「お母さん、ちょっと来て」
うんざりとした声が外から聞こえてくる。
「もう十時よ。さっさと寝なさい」
「そんなことより、ここの壁がヘンなの」
「変なわけがないでしょ。さっさと出てきなさい」

そうしてまた部屋に追いやられる。
目をつぶると、まぶたの裏側に白いドーナツ状の円が見える。これはなんだろう。
ああ、一軒先のチロが吠えている。泥棒が来たのかもしれない。あの吠えかたは普通ではない。恐くなる。また起きあがって、ふすまをあけようとすると、まだ半分も開いてないのに叱責が飛んでくる。
「まだ寝てないの!」
「あのね、チロが吠えてるの」
「関係ありません。早く寝なさい」

自分が親になったら、絶対にそんなことはしない、と思った。
『おやすみなさい、フランシス』に出てくるおとうさんのように、「部屋に大男がいるの」と子供が言ったら、「なんのようだかきいておいで」と言えるような親になるのだ。
ほんとうにフランシスのお父さんはいいお父さん、それにくらべて……。

そんなことを思いながら、また寝返りを打っていると、こんどは足音が近づいてきて、ふすまがすっと開く。
あわてて目をしっかりつぶる。
「まだ寝てない。明日、起きられませんよ」
そんなことはないのだ。たいてい、朝、日の出とともに目を覚ましているのだから。
どんなに早く起きても、夜、眠れないものは眠れない。
ああ、なんでこんなに眠れないんだろう。足が熱い。シーツが体にからみつく。ますます眠れない。
すると、たいてい、つぎに気がつくのは朝だった。

それが、どういうわけか、勉強をしなければならない年代になると、本を広げただけで、まぶたがくっつきそうになる。
突然、それまで眠れなかった子供が、いくらでも眠れる子供になったのだった。

なんで勉強をしなければならない、となると、あんなふうにいくらでも眠れるのだろう。
そうして、それはわたしだけではないらしかった。
授業中、机に突っ伏して寝ている男の子だっていたし、夏休み、図書館に行けば、開館前から行列してやっと座席を確保したのに、席につくと腕を枕に寝ている子もいた。お昼休みには図書館脇のグラウンドで、大声をあげながら野球に興じているのに、机に戻れば、開いた辞書に寝よだれで世界地図を作っている。
図書館でも、寝ずにいるいささかトウのたった子供たちと、睡魔に屈してしまう、これまたトウのたった子供たちに分かれるのだった。

授業をしながら、寝る先生だっていた。
黒板に板書しながら、突然チョークをぽとりと落とし、黒板に額をつけて、ほんの数分ではあったが、立ったまま寝入ってしまう先生。
教卓について、ほおづえをつきながら授業をしていて、支えた手がずれて、グラッとなったところで目を覚まし、苦笑混じりに、一瞬眠りこんだことを生徒に向かって白状した先生もいた。

人間というのはあまのじゃくなもので、やらなければならないことは、できるだけやりたくない。
小さな子供が眠れないのは、「寝る」ことがやらなくてはならないことだからだろう。 そうして、勉強が始まると、やらなければならないことは「勉強」になり、「睡眠」はそこからの逃げ道になる。

やらなきゃいけないのはわかっていても、ああ、かったるい。
そう思えば、あっという間に眠ることができる。
ベッドのなかはパラダイス。もう二度とここから出たくない。

あれほど眠れなかったわたしも、いまはたいてい慢性的な睡眠不足も手伝って、横になればほとんど数秒で意識がなくなる。
以前好きだった、眠りに落ちる瞬間を確かめることさえ、めったにない。
眠れないあの時間は、考えてみれば豊かな時間だったのかもしれない。

鶏頭




2006-09-22:失敗したら

これまでいくつも失敗をしてきた。パン屋のバイトに行って、流しで油を切っている巨大なツナ缶を、ひじではたいて流しにぶちまけてしまったこともあるし、塾で教えている中学生の女の子を泣かしたこともある。

このときは、完全にこちらに背を向けて、後ろの席の子とおしゃべりしているその子に、彼女ができないことがわかっている問題をわざと当てて、必要以上に時間をかけて、いちいちその間違いを指摘して、立たせている彼女を念入りに辱めたのだった。
このときのことを思い出すと、いまでも顔が赤らむような思いだ。

実は、前からその子の態度には頭に来ていたのだ。
まず、先生によって態度がまるっきりちがう。男の先生(男子学生バイト)に対しては、鼻声を出し、横にすり寄っていって、見苦しいほどベタベタまとわりつく。一方、わたしに対しては声もちがう、それこそ虫けらを見るような目でちらりと一瞥すると、授業のあいだじゅう、ずっとくっちゃべっているのだ。もちろん何度となく注意もしたし、上とも相談し、主幹から話もしてもらったし、家にも連絡した。

ああ、あれからずいぶん時間は経っているけれど、それでもこんなふうに言い訳せずにはいられない。

わたしはその子がキライだったのだ。キライだったから、自分の権力を利用して、あるいは、知識を笠に着て、その子を念入りに虐めたのだった。しかも、自分がそのとき楽しんでいたことさえ覚えている。

その日の授業が終わってしばらくは、まだいい気分だった。やがて、夜中になって、自分が明らかに一線を越えていたこと、とんでもないことをしてしまったことに気がついた。ほかの子供たちのびっくりしたような顔と当惑を、あらためて思い出す。だれの目にも明らかなほど、やはりそれは異常なことだった。いっそ、怒鳴ったってよかったのだ。これまで何度注意した? そんなに聞きたくないのなら、出て行きなさい、と、教室から追い出しても良かった。そうする代わりに、わたしは相手のダメージを測りながら、的確に言葉を選んでいったのだ。六つも年下、たかだか十四歳の子供を相手に。

つぎの授業でわたしはその子に謝った。そういうことはすべきではなかった、と。
謝ったことで、彼女がいい気になって、態度をますます悪化させる場合も予想できた。それでもわたしは自分のやったことがなにより恥ずかしかったし、恥ずかしい気持ちは謝る以外に持って行き場がなかったからだ、
それでも、心のどこかで、自分にそうさせたのは、彼女の態度だ、とも思っていた。

そのあと、その子の授業態度が良くなった、とまでは言えないまでも、とりあえず前を向いて座っているようにはなった。それから成績が上がった、などというような記憶もないので、おそらくそうした面で、目立った変化はなかったのだと思う。

それからこちら、教える場面でも、それ以外の日常的なつきあいの場面でも、あとになって言わなければ良かったと思うようなことも何度となく言ったし、してはならないようなことも幾度もしてきた。ずいぶん忘れてしまったからこそ平気でいられるわけで、実際に自分がしでかしてしまった失敗を、目の前に積み上げていけば、それこそ地中深くに潜っていって、アルゼンチンまで行ってしまうことになるのかもしれない。

わたしは長いこと「善い」人間になりたい、と、どこかで思っていた。
自分の欠点を克服し、すこしでも「善い」人間、いまの自分よりマシな自分になりたいと思っていた。
何かに迷ったら、できるだけ、自分が「どうしたいか」ではなく、「どうすべきか」を考えるのだ。
失敗から学ぶのだ、と、いつも自分に言い聞かせてきた。

それでもやはり、失敗は繰りかえす。

そうして気がついたのは、たとえ失敗したとしても、これが「最後の失敗ではない」ということだった。これからだって何度でもわたしは失敗を繰りかえすのだ。何百回も繰りかえすのだ。

そう思ったら、「今回」の失敗で落ちこむことなど、馬鹿らしくなってくる。
自分の成長のなさや愚かさが悲しくはなってくるけれど。

そうして次第に自分がどれほどのものか、気がついてくる。所詮、これくらいの人間なのだ。「善い人間」などと現実的でないことを夢見ても、自分で自分の首を絞めるだけだ。
まだまだ先は長い。これから先、重ねる失敗も、山のように待ち受けている。そのたびごとに落ちこんでいてもどうしようもない。なんてバカなんだ、なんてダメな人間なんだ、と思っていては、その失敗を取りもどすこともできない。

失敗して一番厄介なのは、「恥ずかしい」という感情だ。
これに向き合いたくないがために、穴に頭を突っ込むことにして、落ちこんでしまう。
落ちこめば、この恥ずかしさに向き合わなくてすむからだ。

けれど、失敗をきちんと認めなくては、その失敗に付随して起こる困難な事態に対処できない。恥ずかしさと向き合い、折り合いをつけ、そうして、つぎの行動を起こさなくてはならないのだ。

恥ずかしい、と思う。自分がこう見られたい、と思っていたのに、もうそうは見てもらえない。相手の目がまっすぐに見られない。
だが、それは、自分にはどうすることもできないのだ。失敗して、迷惑をかけた相手には、謝って、あとは相手に任すしかない。許してくれるか、許してもらえないか、それは相手が決めること。自分に手出しはできないのだ。

おそらくこれからも、何度も謝らなくてはならない羽目に陥るだろう。
許してもらえたり、もらえなかったりするんだろう。
それでも、そうしなければわからないことも、きっとあるはず。そうやってわかったことを大切にしておこう。
そうすれば、たとえ同じ失敗を繰りかえしたとしても、「同じ失敗を繰りかえした」ということは理解できる。そうして、それを許してくれた相手の寛容さも理解できる。

失敗なんて、よくあることなのだ。
ああ、またやっちまった。
天を見上げて、関係者一同に謝って、事態の収拾をつけたら、恥ずかしかったことなど忘れてしまおう。
これが最後の失敗じゃない。それだけは確かだから。

鶏頭




2006-09-21:スポーツの楽しみ

なんでこんな質問が世の中にあるのだろう。

「スポーツは何をやりますか?」
やりません。

わたしがするスポーツに一番近いことは、仕事カバンとスーパーの袋と図書館で借りた本(Maxで12kgほど)を抱えて階段を九十八段上ることか、駅までの自転車の往復、取ってつきの重たい中華鍋を揺することぐらいだ。あ、あとは遅刻しそうになったとき、駅の構内を走ることもあった。
それだけ運動をしているのに、何をこのうえ、と思うのだが、なぜか人はあたりまえのように、「スポーツ」の話をしてくる。

「ゴルフを少々」
「休みの日には草野球」
「ときどきテニスを」
「スノボ好きなんですよ、冬が待ちきれないなー」
なんていう人が、世間にはそんなに多いんだろうか。

「いま、何の本を読んでる?」
これは滅多に聞かれない。
「i-pod、何が入ってる?」
これも聞かれたことがない。1239曲も入っているのに。
「最近、何か映画見た?」
これもとんと聞かれない。お望みならこのあいだ見た〈マイアミ・バイス〉のストーリー、微に入り才に入り、教えてあげるのに。

なのに、「スポーツは何をしてます?」と、このところ立て続けに三度聞かれた。これは単なる偶然なのだろうか。それとも、わたしがそんなにアスリートっぽく見えるのだろうか(そんなわけない)、はたまたわたしが知らないだけで、ほとんどの人が日常的に何らかのスポーツをやっているのだろうか。あるいは、このごろでは歩くことは「ウォーキング」、階段を上ることは「クライミング」、駅の構内を走ることは「ジョギングもしくはランニング」と位置づけられることになったのだろうか。

物心がついたころから、スポーツというのは自分以外の人がするものだと思っていた。
バトミントンをすれば羽根がラケットに刺さり、ピンポンは玉が見えない。ボーリングは溝に入れることを競うようにルール改正すれば、まちがいなく優勝できるはず。

どういうわけか、走ったり、泳いだり、幅跳びしたり、というのは大丈夫だった。
ところが、ものを扱う段になると、それがたとえ缶蹴りであっても、わたしの手には負えないこととなる。

自分がやらないだけでなく、スポーツをやっている人に対しても、あるいはスポーツを媒介とした連帯感というものに対しても、冷ややかな目を向けていた。

確か、あれは高校生の頃だったと思う。
通りにひとけがなく、車さえ走っていない。
わたしが知らないうちに、どこかで核戦争でも起こったのだろうか、と、車道をしらじらと照らす秋の日差しを見ながら、一瞬、思った。
地震の予知が発表されたのか。ノストラダムスの大予言が繰り上がったのか。 すると、向こうからトランジスタラジオを耳に当てながら歩いている男の姿があった。 わたしは不穏なニュースを待ちかまえた。
すれ違いぎわ、わたしの耳に入ったのは、「六甲おろし」の歌声だった。日本シリーズの最終戦をやっていたのだ。
世間にはこんなにタイガースファンがいるのかと、信じられない思いがした。

ところが大学に入ってから、ある機会でラグビーの試合を見に連れて行ってもらった。冬の寒いさなかで、グランドも寒々とした風景、吹きさらしのスタンドは、コンクリートから冷気が立ち上り、歯がガチガチと鳴った。

ルールもまるで知らなかったけれど、見ているうちに、表面のぶつかりあいはあるにしても、これは緻密な空間を取っていくゲームだということがわかってきた。少しずつ、少しずつ押し上げながら、前方の空間に侵入していったかと思うと、一瞬のスキをついて、後方の選手が駆け抜け、いっきに確保した空間を広げていく。
しかも、前へ走りながら、ボールを後ろへ後ろへ送っていく、という奇妙な約束事もおもしろかった。
そのとき初めて、スポーツというのはこんなにおもしろいものなのか、と思ったのだった。

以来、スポーツというのは、わたしにとって、「フィールドで人がやっているのを見るもの」なのである。
野球は、やたらに切れるので、すぐ飽きてくる。
それでも、ピッチャーが投球フォームに入ると同時に、フィールドにいる選手の全員の身体に、あたかも電源が入ったかのごとく緊張感がみなぎるのを見るのは好きだ。バッターが打った瞬間に、野手全員がそれぞれに走り出す方向がちがうのも、おもしろい。こんなものはどうしたってTVを見ていてはわからない。

おそらくスポーツを見る楽しさというのは、「俯瞰する楽しさ」なのだろうと思う。
別にチームはどこだっていいし、そのスポーツが野球だろうが、ラグビーだろうがなんだっていいのだ。
さまざまな役割とともに走る人がいて、そのあいだを転がるボールさえあれば、見ていると、おもしろい。
「筋書きのないドラマ」ではなく、「機能的に働くシステム」を見るおもしろさなのである。なかに入ってしまうと、システムを見ることはできなくなる。

ならばスポーツをやる楽しさ、というのはなんだろう、と考える。
体を動かすことの素朴な楽しさ。
自分の体を少しずつ思い通りに動かせるようになる喜び。
ほかの人と一緒になにかをやることの楽しさ。

だがしかし、わたしにとってはこうも言えそうだ。
たしかに、体を動かすのは楽しい。
それでも、自分の体がちっとも思うとおりに動かせない悔しさ。
ほかの人の足を引っぱることになる恥ずかしさ。いたたまれなさ。
そうして次の日に襲ってくる全身の筋肉痛。

こういうことを考えると、すぐにいい気になってしまう自分を謙虚に保つという意味で、願ってもないことなのかもしれない。

よし、「スポーツは何をやりますか?」と聞かれたら、こんどはこう答えることにしよう。
いま特に何もやってないんです。今度、誘ってください。何もできないんですけど。

うーん、謙虚だ。申し分ない。

……たったひとつ残念なのは、こう返事をしている自分のイメージがちっとも思い浮かばないことだ。

鶏頭





2006-09-19:裸の王様

先日美容院に行ったところ、ケープを着せかけてくれたり、髪を梳かしてくれたりする美容師の女性が、ローライズのジーンズをはいていた。まぁローライズのジーンズなんてきょうびめずらしくもないのだけれど、彼女が着ていたシャツのほうも相当に短くて、つまりは腰骨がすっかり出ていたのだった。その腰骨から下腹部がすわっているわたしの目の前を行ったり来たりする。向こうを向いて腰を屈めたりすると、背中はもちろん、腰というか、ほとんどお尻のほうまで見えてしまう。かなり肉付きのいいお姉ちゃんだったので、実に肉感的というかなんというか、日常的な空間で見るべきではないものを見たような気分になってしまった。

ファッションに疎いなんてもんじゃないわたしだから、こういう感想を持ってしまったのかもしれないのだけれど、それにしても、なんだかな、である。

ちょっと前から、前傾姿勢になって自転車で信号待ちをしている女の子の背中が出て、パンツ(これはズボンの意)の上から、下着が見えていることは珍しくなかったのだけれど、そのたびに、これは「ファッション」である、つまり、「ファッション」という記号で解読するものであって、「身体」という記号から読解するものではない、という、あらかじめの約束事があるのだろう、と思ったのだった。

わたしたちは「シンボル」としての世界を生きている。 その昔「デンエン」と陰で呼ばれていた人がいたのだけれど(というか、わたしがこっそりそう呼んでいたんですが)、この人は二言目には「田園調布だと…」「田園調布では…」と言うのだった。別に自分の家に遊びに来てほしくて、ことあるごとに住所を教えてくれていたわけではもちろんない。自分は高級住宅地に住んでいる高級な人間なのである、ということを言いたかったわけだ。つまり「田園調布」は「シンボル」もしくは「記号」なのである。

食べる物にしてもそうだし、もちろんつぎつぎにデザインが移り変わり、種々のブランド名が大きな意味を持つ服などは、まさにシンボルそのものだろう。 なんですり切れも、ほころびてもいない服を、シーズンごとにつぎつぎに買い続けなければならないのか。流行に合わせてつぎつぎに服を買っていく人は(ここで「わたしたちは」と書かないのは、わたしはそんなことをしないからだ。ところが、本来なら流行に左右されないはずのトラッドまで、最近は丈といい襟といい、シーズンごとに変わってしまって、まったく困ったものだ。まぁ歩く「年代記」として、そんなものは一切気にせず着続けている「地球に優しい」わたしなのである)、「服」ではなく、あくまでも「記号」を買っているのである。

おそらくそのお尻の一部がのぞくようなローライズのジーンズをはいている女の子は、自分の身体を見せようと思ってそういう格好をしているのではなく、それが「かわいい」から、「おしゃれ」だから、はいているのだろう。 わたしにはそれが「かわいい」とも「おしゃれ」だとも思えないのだけれど、それは彼女たちが属する社会のローカル・ルールでは、十分に「かわいく」「おしゃれ」なのだろうと思う。だから、たとえお尻の一部がのぞいていても「恥ずかしい」とは思わず、むしろそういう見方をする人間の方が、ルールを解さない「未開人」もしくは「いやらしい人」ということになってしまうのだ。

明文化されているわけでもない恥の意識が、時代や社会的な感覚に応じてどんどん変わっていくというのは、別に不思議なことでもなんでもない。 あるいは、特殊な社会の特殊なルールが、社会全体のルールと一致しないことも、それほどめずらしいことではない。

けれども、たとえばアウトローのグループを形成する人々は、自分たちのローカル・ルールが社会全体のルールには相容れないものであることは、わきまえていたのだと思うし、そのほかにも「校則」などのように、「学校のなかだけでの決まりごと」というように理解をしていたと思う。

ところがいまは社会全体を貫く確固たるルールがやはり曖昧になってきた、ということなのだろうか。あるいは、社会全体で共有できるような恥の感覚が揺らいできた、ということなのだろうか。 「そういう格好をしてあなたは恥ずかしくないかもしれないけれど、見ているわたしが恥ずかしい」という場面に出くわしてしまうのである。

記号というのは、すぐに古くなり、たとえば道路標識のように、見慣れて決まり決まったものとなってしまうために、生き生きとしたものでありつづけるためには、不断に新しくなり続けなければならない、という側面がある(車がモデルチェンジし続けるのもそのためだ)。 だからファッションもつぎつぎに新しいものが生まれ、「これがカワイイ」「これがオシャレ」そうして、「これが欲しい!」という情報が発信され続ける。そうして人はその欲望を模倣していくのだ。

自分が「カワイイ」と思っているつもりでも、実はそう思わされているのだ、ということは、最低限、知っておいたほうがいい。 ふと気がつくと、自分だって「裸の王様」をやらされているのかもしれない。

鶏頭




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