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鶏的思考的日常 ver.8〜鶏だって夢を見る 編〜



2006-11-12:物を包む話(一部補筆)

自慢ではないが、わたしは不器用である。
このあいだ、職場で千羽鶴を折っている人がいて、わたしも一羽折るように頼まれた。
鶴を折るなんて何年ぶりだろう、と考えながら、それでもまぁこういうことは自転車に乗るのと一緒で、一度覚えたら忘れるものではないから……と思いながら折っていたら、どうやっても鶴にならない。羽根らしいところができてこない。
できない……、と冷や汗をかいていたら、わたしが悪戦苦闘しているあいだに、五羽ほど折り終わった人が、あ、これ、ここでこういうふうに折らなきゃいけないんですよ、と教えてくれた。どうやらわたしの鶏頭は、鶴の折り方まで、網の目からもらしてしまったらしい。明日は自転車に乗れるだろうか……。

という話を書くつもりはなかった。記憶の話ではなく、自分が不器用だと言いたかったのである。

店で「ラッピングはどうしましょうか」と聞かれると、プレゼントにするときは、かならずそうしてくれるように頼むことにしている。時間もかかるし、別料金もかかる。それでも自分でする気にはまったくなれないからなのである。皺にならないように包装紙をかけ、テープで留め(あのセロハンテープというやつは、なんでくっつくべきところにはくっつかず、くっついてはならないところにくっついてしまうのだろう。特に、接着面がほんの少し重なりでもしたら、もうそのテープは捨てるしかなくなってしまう。あれはセロハンテープ会社の陰謀ではあるまいか)、さらにリボンまでかけなくてはならないのだ。考えただけで気が遠くなりそうだ。

知り合いに大変器用な人がいて、その人はなにかあるとちょっとしたものを贈ってくれる。ときどき頼まれて、パソコンで文書を作ったり、英文手紙を書いたりしているのだが、お礼ということで、かならずフレバリー・ティーのティーバッグや焼き菓子、ルームソックスやアームバンドのようなちょっとしたものを、きれいにラッピングして贈ってくれるのだ。こぶりの箱につめたり、袋に入れたりしたものを、和紙や不織布、ときに使用済みの包装紙のこともあるのだけれど、色も素材もさまざまなものでくるみ、リボンや毛糸、荷造り用のひもまでが、包装紙の色や形に合わせてかかっている。ちょっと開けるのが惜しくなるほどのものだ。

ここまでくると、もう一種の才能といえるだろう。こんな能力があれば、贈り物もさぞかし楽しいだろうと思う。過剰包装だのなんだのとあまり評判がよくないラッピングではあるけれど、結局はそれも贈り手のセンスひとつなのかもしれない。
ところがわたしときたら……、なのである。「わたし、不器用で」という人にもいままで何度か会ったことがあるけれど、心配は要らない。まずまちがいなくわたしよりは器用だ。

ただ、こんなこともあった。
日本を離れるアメリカ人に、お皿を一枚あげたのだ。厚手のボール箱入れて、店でプレゼント用の包装をしてもらい、さらにそれをふくさに包んで渡したのである(以前何かで読んだ、風呂敷を贈ると海外では喜ばれる、というのが頭のどこかにあった)。その結び目はゆるめの小間結びにしておいたのだが、なんとそのアメリカ人女性(三十代)はそれがほどけなかったのである。両端を、えいえいと引っぱって、あら、これはほどけない、と言ったのだ。つまり、靴ひもを結ぶような蝶結びしか知らないのだった。
仕方がないから、わたしがほどいた。すると、箱のまんなかあたりに爪で孔を開け、小さい子供のように指を突っ込んで、そこからべりべりと剥がしたのである。
この一事をもってして、アメリカ人の多くがそうであるとは思わない。
アメリカ人の中にも、器用な人はいくらでもるだろう。
ただ、不器用なアメリカ人の彼女の不器用さは、チャンピオン・オブ・不器用の日本人であるわたしを軽くしのいでいた。

以来、何となく気をつけて見るようになったのだけれど、アメリカのドラマや映画を見ていると、みんなプレゼントの包装紙はべりべりと破って、そのままゴミにしてしまっている。包んだ状態のプレゼントを眺めることもなく、意識は中身にしか向かっていない。
それがいいとか悪いとかではなく、アメリカと日本では「包む」という文化のコードがずいぶんちがうのだろうと思う。

民俗学的な考察がおそらくあるのだろうけれど、おそらくものを贈るときに、日本では過剰とも言える包装をしてしまうのは、包むのと一緒に贈り手の気持ちを込めようという思いがどこかにあったのではないか、ということだ。
過剰包装などと言われても、それでも大切な人に贈るときや、改まった贈り物のとき、わたしたちはその「包装」をどうでもよいものとは思わない。
大切な人から何か贈られたら、そのときの包装紙だって取っておきたくなるものだ。わたしたちの意識の中ではそういうものも含めて「贈り物」なのだろう。

やはり、わたしも折り鶴あたりからもう一度練習し直すべきなのかもしれない。

鶏頭




2006-11-11:退屈ということ

いま考えてみると、子供のころに無尽蔵にあったように思えるものがひとつだけある。
それは時間だ。

朝、幼稚園に行く前に、幼稚園バスが来る時間だから本をかたづけなさい、と言われたわたしが、まだ未練がましく読んでいたところ、「帰ってきて読めばいいじゃない」と言われ、そんなときまで待っていられない、と答えたことを覚えている。
そのころは、朝、出るときは、帰ってくる時間など、気が遠くなるほど先のことに思えたのだった。

小学校へ上がると、多少やらなければならないことは増えてくる。それでもまだまだ空白の時間はいくらでもあった。
すでにもういっぱしの本の虫だったわたしは、学校から帰ると、本を読んでいることが多かったような気がするけれど、それでもときに、ありあまる時間に押しつぶされそうになる。仕方がないから、母親のところに「すごーく退屈。何もすることがない。何をしたらいい?」と聞きに行くのだった。

母はたいてい、ピアノの練習をしたら、とか、本を読んだら、とか、部屋を片づけたら、とか、およそ役に立たないアドヴァイスをしてくれる。
別にそう聞いたからといって、母親がどこかに連れて行ってくれるとか、おもちゃを買ってくれるとかと思っていたわけではない。それでももしかしたら何かが起こるのではないか、少なくとも、何かのきっかけになるのではないか、と心のどこかで思っていたのだと思う。

仕方なく、家の中に「家出」したこともあるし、窓一面を、意味もなく溜めていたシールで埋め尽くしたこともあるし、屋根にのぼったことも、ブラウスをマジックで塗ったこともある。たぶん、「死んだふり」をしたのも、そんなときのことだったのだろう。

死んだらどうなるのだろう。
おそらく、このことはすでに何度となく考えていたはずだ。
だからやってみようと思ったのではないのだろうか。シミュレーションなどという言葉は、もちろんまだ知らなかったけれど、ふりをすれば、何か、多少なりともわかるのではないか、と思っていたのかもしれない。

板張りの床に横になる。背中、腰、ふくらはぎ、後頭部に、接している床の冷たさが、徐々に体の中心に拡がっていく。
目をつぶる。目の前に闇が拡がる。
体を弛緩させると動きそうになるので、踵やつま先、肘も背中も力を入れる。そうやって床の冷たさと堅さに意識を集中する。
死ぬと、こんな感じなのだろうか。
ところがそうしていると、かえって耳はさえ、いろんな物音が聞こえ、なかでも心臓がドキドキいっている音は床を伝って轟くようで、こめかみは血がドクドク脈打っているのがわかるし、自分の指先に暖かさを感じるのだった。
こんなのとはちがうはずだ。何も聞こえない、何も感じないのだから。
何も感じない、とはどういうことなのだろう。
わたしの舌は、前歯の裏側に当たっているのを感じる。わたしの手は、組んでみぞおちの上にのっている。ああ、いまお腹がぐーっと鳴った。
死んでしまうと、こういうことを何も感じないのだろうか。
もし、このまま心臓が停まったら、その瞬間に、何も感じなくなってしまうのだろうか。いま、こんなにさまざまなことを感じているのに。

「何してるの」
頭の上の方で声が聞こえたときだけ、
「死んだふり」
と答える。
馬鹿なことはやめなさい、と言われはしたのだろうが、それほど強く止められた記憶はない。それが証拠に、この「死んだふり」は一度だけでなく、何度もやっていたような気がするからだ。

振り返って当時を思うに、これはとんでもなく豊かな時間を過ごしていたのではないのだろうか。
いまは何かを考えているときでさえ、これはどういうふうに考えたらいいのだろう、ああでもない、こうでもない、これとつなげたらどうなるだろう、などと、忙しく考えている。
たとえ傍目にはヘッドフォンを耳に当てて、口を半開きにして(本当は口を開けているわけではないのだが、昔からわたしは集中すると、舌が前歯の付け根、というか、うわあごというか、そこらへんにくっついて、軽く下あごが下がってしまうクセがあって、端で見るとさぞかしマヌケに見えるのだろうなと思うのだ)いるように見えても、耳は、というか頭のなかでは、忙しく音を追いかけているのだ。
本を読んでいるにしても同じこと。
たとえ当時と同じことをやっていたとしても、ずいぶんせかせかと、目的意識的に(と言ってしまえば聞こえは良いけれど)、集約的に、時間を使っているのだろうと思う。 もうあのときの「死んだふり」をしたような時間の使い方は、決してできないのだろう。

もしかしたら、「退屈である」というのは、子供時代の特権であるのかもしれない。 おそらく、その退屈な時間、子供は無から何かを生みだそうとしているのだ。おそらくは唯一の道具、自分自身の身体を使って。

子供から「退屈な時間」を奪ってはいけない。

鶏頭




2006-11-05:声の話

学生時代に寮にいたころ、電話当番をやっていたことがある。
まだ携帯電話などない時代で、電話がかかってくると、その寮生を呼び出すのだった。

じき、受話器を取って、もしもし、という相手の声を聞くだけで、誰にあてた電話か、だいたいわかるようになってきた。呼びだした人間がやってくると、その場を離れることにはしていたが、それでも人間関係は次第につかめてくる。
「もしもし、××さん、お願いします」というだけでも、不思議なくらい、相手の気持ちというのはわかることを知った。

ああ、最近××さんにやたらかけてきてくるこの彼は、あの人が好きなんだな、とか、ああ、このふたりはダメになりかけているのだな、とか、△△さんのお母さんは、このところ△△さんの帰りが遅いから、心配してこの時間になるとかけてくるのだな、とか、たとえ詮索するつもりなどなくても、電話をとりつぐだけで、相手のプライバシーの一端を知ってしまうのだった。

不思議なことに、当人より、取り次ぐだけのわたしの方が気がつきやすいのかもしれない、と思うようなことも何度かあった。
彼女の名前を発音するのがうれしくてたまらないような声を出す彼なのに、彼女の方は、相手は自分のことをどう思っているのだろう、と悩んでいたり。
いかにも不安そうなお母さんに対して、子供の方は、うざいからいなくても風呂へ入ってる、とか、適当に言っておいて、とわたしに言ってきたり。
そういうときは、どこまで言ったらいいのか、そもそもそう聞いてしまうわたしの耳に、どこまで根拠があるのだろうか、と悩むこともあった。
意外と、自分が当事者になってしまうと、相手の気持ちというのはかえってわからなくなってしまうのかもしれない、と思ったのも、このときの経験だった。

ただ、その時期ほど、電話でさまざまな人の声を聞いたことはなかったし、声しか知らない相手が、苛立ったり、胸をときめかしたり、心配したりしながら、「もしもし、××さんお願いします」というのを聞きながら、その息づかいに耳をすませるような経験もなかった。声は、驚くほどさまざまなものを伝える、と思ったのだった。

いまは連絡を取り合うのも、メールが中心になってしまった。
メールの最大の弱点は、受話器を取った瞬間に、ぱっと相手の声が聞こえてくるというものではないことだ。
文字のやりとりだけだと、どうかすると、その向こうに人がいることを忘れそうになる。
実際には会ったこともない相手だとなおさら、具体的な「その人」は見えてこない。

それでも、その文字を読みながら、わたしはその向こうに聞こえる声に耳を澄まそう。
実際の声よりも、行間から聞こえてくる声は、もっと、おぼろげで、あやふやかもしれない。
聞きたい声をそこに読みこんでしまうのかもしれない。
それでも、ときに読み損なったり、受けとめ損なったりしたとしても、そのたびごとに修正していけば、少しずつチューニングも合ってくるのではあるまいか。

鶏頭




2006-11-04:挨拶の話

わたしがいるところは、相当数の世帯が住む大規模集合住宅である。ことによったら、ひとつの集落の人口と同じぐらいのこともあるだろう。

それだけの人が一箇所に固まって住んでいるわけだから、なんのかんのと大勢の人と顔を合わせる。 それでも、名前を知っている人はそれほど多くないし、たとえ同じ階のほんの数軒しか離れていない家でも、家族構成など全然知らない。エレベーターで一緒になった高校生と、自転車置き場で顔を合わせた人が、別の時に一緒に歩いているのを見て、ああ、親子だったのか、とびっくりすることもある。

それでも、たとえだれだか知らなくても、アパートの中で顔を合わせれば頭を下げるし、朝や夜には「おはようございます」「こんばんは」と挨拶することにする。 以前は、この人はここの人だろうか、見た記憶はないけれど、と考えたころもあったのだけれど、考えたところでわかるわけがないし、訪問看護士やセールスの人だって、挨拶をしておいても悪いことではないだろう。

そんなふうに思えるようになったのも、ここ数年の話だ。

子供の時は、お調子者のくせに人見知りなわたしは、知らない人が苦手で、挨拶するだけでも気が重かった。
特に、母親と一緒にいて、きちんと挨拶ができなかったりすると、あとでくどくどと怒られる。たいしたことが求められているわけではなく、会ったときの「こんにちは」、別れるときの「さようなら/失礼します」ぐらいだったのだが、もじもじしていた、と怒られ、ポケットに手を入れたままだった、と怒られ、どうしたって結局は怒られるのだった。
ある程度大きくなってくると、今度は向き合って「そういう雰囲気」になることが恥ずかしく思えてくる。母親がいないようなときには、こっそり気がつかないふりをしたことも、ときどきあった。

ところがアメリカに行くと、どこへ行ってもまず "How are you?" と聞かれる。
それが実は苦痛だった。
"How are you?" と聞かれるたびに、答えなくてはならない。
中学に入ってまず習う、あのバカみたいなダイアログ、
"How are you?"
"I'm fine, thank you. And you?"
これをやらなきゃいけない。
中学の時、友だちと向き合って、恥ずかしい思いを押し殺し、英語には聞こえないような発音とテキストの棒読みで、お互いの目を見ないまま言い合ったことを、どうしても思い出してしまうのだった。

それでも異国の地で、知らない人でも目が合えば、"How are you?" と聞いてくる。
放っておいてほしいようなときでも、仕方がないから"I'm fine, thank you. And you?" と応える。
やがて、それが礼儀、というよりも、わたしはあなたに気がつきましたよ、とでも言う代わりに、そうやって声をかけてくれるのだ、と気がついたのだった。
朝起きて、おはよう、というように、会ったときに、こんにちは、というように、"How are you?" と聞く。
おそらくそれは、その内面をうかがい知ることのできない他者を、それでも自分と同じ人間であると、主体であると、わたしは認めているんですよ、という呼びかけにほかならないのだと、いつしか考えるようになった。

だから挨拶は大切なんだ。
大切なことは、理解できる。
だけど、やっぱり自分はこの問答はしたくない。

だから、バカみたいな気分にならないように、わたしは自分から先に言うことに決めたのだった。
"How are you?"
目が合ったらその瞬間、機先を制するようにそう言う。
そうすれば、"I'm fine, thank you. And you?" というあのあほらしい「ダイアログ」を繰り返さなくてすむ。
すると相手からは実にさまざまな答えが返ってくるのだった。
"Fine."
"That's good."
"Pretty fine."
"So-so."
"Well, actually not very fine, I'm afraid."
わたしがあなたに気がつきましたよ、と言う代わり、"How are you?" と呼びかければ、気がついてくれてありがとう、とでもいうように、"Good." と返ってくる。

日本に帰ってきても、挨拶をする習慣が続いたか、というと、そんなことはない。
ちょっとした顔見知りではあるのだけれど、挨拶をするほど親しくもない、そんな間柄をどうしようか、と、バカみたいなことで悩んだこともある。
向こうから歩いてくる相手に、どこらへんで挨拶すべきかで悩んだこともある。
人と挨拶するような気分ではなくて、向こうが気がつく前に、こっそり道を曲がったこともある。

そうした時期を過ぎて、いままたわたしは自分の方から挨拶することにしたのである。
まぁ知らない人に挨拶していたって、減るもんじゃなし、まぁいいだろう、と。
考え方が、単に粗雑になっただけなのかもしれないし、あるいは、世の中と少しだけうまくつきあっていけるようになったということなのかもしれない。
そうであったらうれしいのだけれど。

それでも、向こうから来る人には、いったいどのタイミングでしたらいいのか、いまだによくわからない。
結構遠くで挨拶して、すれちがうときにちょっと気まずくなってもう一度頭を下げたりしながら、うーん、失敗した、もうちょっと近くまで辛抱すればよかった、などと思いながら。
間合いを計るというのは、どこまでいってもむずかしいのである。

鶏頭




2006-11-03:祝二周年

祝 サイト開設二周年!

このあいだから風邪を引いたりして、体調を崩してしまって、「報道の読み方」のアップも遅れているのですが、とりあえず今日でサイトを開設して二年目になったことを報告します。

その当時から見に来てくださっている方、最近、どこかで見つけてくださった方、「教えてgoo」からの流れでこちらに来てくださった方、いろいろあるかと思いますが、見に来てくださったひとりひとりの方にお礼を言いたいと思います。

ほんとうにありがとうございました。

わたしが書くことを考えるとき、何よりもその根本に置いていることが、〈自分が書いたものは、読み手によって評価を受ける〉ということでした。

寄せてくださったコメントのひとつひとつが、そうして、カウンタに刻まれた数字のひとつひとつが、その評価であるとわたしは大切に受けとめています。

『礼記』に有名な

君子交淡如水(君子の交わりは淡きこと水の如し)
小人交甘如醴(小人の交わりは甘きこと醴(甘酒)の如し)

という文章があります。

この人口に膾炙した文章は、さまざまな場面で使われていますが、わたしはこんなふうに思うんです。

わたしたちにはだれも、自分を理解してほしい、ほかのだれともちがう、自分という人間を認めてほしい、という気持ちがあります。
けれども、どれほど「わたしを見て!」と訴えても、どうにもならないのではないのだろうか。

ジョン・ファウルズの『コレクター』には、ウィリアム・ワイラーが監督した映画ヴァージョンがあります。原作が、閉じ込める男と、そこからなんとか逃げ出そうとする女のサスペンスの色彩が濃いのに対し、映画の方は、一場の心理劇、という感じです。なかでもなんとかサマンサ・エガーの愛を得ようとするテレンス・スタンプの悲痛な演技が印象的でした。

テレンス・スタンプは自分のことを縷々訴える。自分はどんな人間で、どんな生まれ方をして、どんなふうに育ったか。こんな自分を、どうか愛してほしい。ほんとうなら、こんな会い方がしたいわけではなかった。

どれほど必死で頼んだとしても、たとえその思いがどれほど純粋なものであっても、女を拉致し、監禁するような状況下で、相手の愛が得られるはずがない。
そうなんです。愛なんてものは、強制したとしても、力づくで相手から引き出そうとしたとしても、逆に、膝を屈し、奴隷になったとしても、手に入れられるようなものではない。すでに相手の内側にあるものではなく、極めて危うい、不確かな場で奇跡のように生まれるものでしかない。
なのにテレンス・スタンプは、それに最後まで気がつくことができないのです。そういう意味で、痛い映画でもありました。

それでも、ここまで極端ではなくても、わたしたちはよく似たことをやっているのではないか。
たとえ自分のすべてを理解してほしいと願っても、そんなことはできるものではない。
同じように、他人のすべてを理解したいと望んでも、できることではないのに。

わたしたちは結局はそれぞれに、ひとりひとりの生を生きるしかない。そうして、そのときどきで淡い交わりを結んでいくしかないのでしょう。

自分をすべて理解してもらえることもなく、十全に理解することもできない、それでも、たとえそれが淡い交わりであっても、その交わりに拠って自分を育てていけるような関わり方もあるのではないか。
時間をかけて、共に歩き続けていけるような。
「水のような交わり」というのを、わたしはそんなふうにとらえたいと思います。

これからもいろんなことを「読みながら考え、考えながら読」んで、そうして、そのときどきでいろんなことを書いていきたい、と思います。

だからまた、おしゃべりしましょう。

いままで、ほんとうにありがとう。
そして、これからもよろしく。

鶏頭




2006-11-02:家内安全の範囲

まだ小学生の低学年のころだ。
酒屋からもらった日めくりに「家内安全」と書いてあって、「家内」という言葉が「奥さん」を指すということを知っていたわたしは、それは「奥さんがいつも安全でいますように」という意味の詞書きなのだろうと思っていた。

その「家内」が、家のなかや、あるいは家の人、つまり家族を指すこと、そうして、家内安全を祈願する、とは、家のなかが平穏で、また家族全員が安全でありますように、ということを祈るという意味だと知ったのは、それから何年か過ぎてからだ。
そのころには、自分の家族に対しては、何ごとも起こらず、無事であってほしい、という思いは十分に理解できるようになっていた。

ところが、実際に、日々「平穏無事でいてほしい」と思っている人は、それほど多くない。自分の周囲のごくせまい人々、わたしが大切に思っている人に限られる。自分を中心に同心円を描いていき、自分から離れるにつれて「平穏無事祈願」の度合いは薄くなってしまう。

逆に、大きな事件が起こると、気の毒だとは思う反面、その報道をおもしろく見てしまう。
自分や、自分にとって大切な人が巻き込まれなかったことを確認したあとは、出来事は大きければ大きいほど、つまり、災害ならその規模が大きいほど、おもしろいのだ。

阪神・淡路大震災のときは、関東にいる家族はもちろん、それほど親しくもない知人までが電話をくれた。こちらの様子はどうか、と聞きながらも、興味津々といった調子で、スーパーやコンビニでは食べる物がなくなってるんだって? とか、ヤキイモ一本、五千円で売ってるんだって? と聞いてきて、非常に腹立たしかったことを覚えている。
どうやらTVのワイドショーでは、そんな情報を流しているらしかった。こちらではまだ余震が続き、ちょっと大きめの揺れが来るたびに、胸がドキッとし、体が硬直してしまうような状態だったのに。

一昨年、新潟中越地震が起きたときは、新潟に住む友人の安否が気になって、やはりわたしもメールを送った。しばらくして来た返信には、関東在住の知人から「つぎはこっちで地震が来ると思う?」というメールを受けとって、腹が立った話が書いてあった。

結局、関係ない人間の遭遇した出来事に対しては、わたしたちはどこまでいっても野次馬気分、対岸の火事は大きいほど、おもしろいのだ。

それがいいとか悪いとか言う前に、人間というものはそういうものだ、と考えた方がいい。もちろん、こう書いているわたしも含めて。

自分に関係なければ、事件は大きいほどおもしろい。
さらに、因果関係がはっきりしていて、「悪いやつ」が明らかなら、気持ちよく悪いやつを叩くことができる。
日常では、たいていのことは入り組んでいて一概に言えないことが多いのだけれど、大きな事件で新聞やマスコミに名指しされる××や△△は、とてもわかりやすく「悪く」、叩くのも簡単だ。一緒になって、舌鋒鋭く批判すれば、まわりも賛同してくれるし、気持も良くなる。

けれど、批判したくなったら、少し考えた方がいい。
わたしたちは、どこかでその事件を「おもしろがって」いないか。
その「怒り」の裏に、「爽快感」がないか。

日常生活でたいがいのことが入り組んで、一概にあれが良くてこれが悪いと言えないように、そうした大きな事件だって、同じことなのだ。
その入り組んでいるできごとの一端に、あなたの大切な人も巻き込まれているかもしれない。あなたの家族がいるかもしれない。あるいは、あなたかも。
それでもあなたは同じように「おもしろがる」ことができるか。

正しいことを言うのは、むずかしいことではないのだ。
気持ちがいいし、楽しい。だれだってやりたいことなのだ。

問題なのは、そんなことをやったって、誰の、何の役にも立たないということだ。
その当事者となることによってしか、解決の鳥羽口に立つことさえできないのだから。

鶏頭




2006-10-31:恐いものの話

ここだけの話なのだけれど、わたしは恐いものがたくさんある。
とくに恐いのが、歩道にはまっている金属板である。
おそらく、その下には排水溝が通っているのだろうと思う。
たまに緩くなったり、部分的に反ったりしていて、通るたびにバカバカと音がしているようなものは恐くてたまらない。
自転車でそこを通るときは、可能な限りそこを避けて、その上を通らないようにする。

ところが図書館に行く道の途中、歩道の幅一杯に金属板がはまっている場所があるのだ。
しかもその金属板は古く、端が反っていて、しかも隙間まで空いている。
わたしにとっては悪夢のような金属板なのである。当然、わたしの乗る自転車は、その部分は避けて車道を走る。一方通行の、道幅がせまいところなので、車道を走っているとクラクションを鳴らされたりもするのだが、歩道など走れたものではないのである。

なんでそんなに恐いのか、自分でもよくわからない。
やはりどこかで、そこを通って落ちたらどうしよう、と思っているからなのだろうか。
歩道の脇にふたのない排水溝が通っているところもあって、落ちる危険はそちらのほうがはるかに高いはずなのだが、そちらはまったく恐くない。
危ないな、気をつけなくては、と思うだけだ。
ふたがはまっていて、そこの上を通るのが恐いのだ。

ボブ・グリーンの『マイケル・ジョーダン物語』のなかに、シカゴ・ブルズのチーム・メイト、スコット・ピッペンの話がでてきた。ピッペンは、スコア・ボードが頭に落ちてきたら、と思うと、恐くてしょうがないらしい。だから、いつもその下に立たないようにしている、と言っていた。2メートルをはるかに超す大男のバスケット・ボール・プレイヤーがそんなことを言うなんて、と、ボブ・グリーンはおもしろがっていたのだけれど、「恐い」と思う気持ちは、理不尽なものなのではあるまいか。

昔から排水溝のふたの上を通るのが恐かったのだろうか。
遠い記憶のなかに微かに母の声がする。あそこに気をつけなさい。ぐらぐらしてるから。そこを踏むと落ちるよ。

うーん。それなのだろうか……。

ただ、以前は通り道にそういうものがなかったのかもしれないのだけれど、あまり意識にのぼらなかったように思える。
やはり、図書館に行く道のそれが、意識の底に沈んでいた小さな時の記憶を呼び覚ましたのだろうか。

小さい頃、よく熱を出していたわたしは、熱を出すたびに見る悪夢があった。
地面の中から手がにゅっと出てきて、わたしの足をつかむのだ。
わたしの水色のズック靴と、白いレースがついている三つ折りソックスが、地面から出てきた、茶色い節くれ立った手につかまれる。そうして、その手はわたしを地面に引きずり込もうとする。
わたしは一体、何度、悲鳴を上げて目を覚ましただろう。

後年、ブライアン・デ・パルマが監督した映画『キャリー』を見たとき、そのエンディングがどれほど恐かったか。
いまでこそあの手法はすっかりあたりまえになって、ホラーというと、最後の一撃を「来るぞ、来るぞ」と待ちかまえるようになってしまったけれど、それの元祖が『キャリー』なのである。
そのシーンを、何の予備知識もなく見たわたしは、文字通り、心臓が停まるほどの衝撃を受けた。夢であまりによく知っている場面だったからだ。

地面に引きこまれる恐怖と、排水溝のふたが恐いのと、やはり関係があるのだろうか。

さらに言えば、狭いところが恐い。
小学校の修学旅行で東大寺に行ったときのこと。
大仏殿の柱の下に、大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴が開いている場所がある。
クラスメイトたちは列をつくって穴くぐりをやっていたが、わたしは、冗談じゃない、と思ったのだった。

たぶん映画『大脱走』を初めて見たのはそのころだったような気がする。リバイバル上映をしていたのを、父親に連れられて見に行ったのだけれど、そのなかで、トンネル掘りのプロフェッショナルであるチャールズ・ブロンソンが、実は閉所恐怖症で、そこに入っていけない、と泣くシーンがあって(記憶だけで書いているので、ちがっているかもしれない)、その気持ちは実によくわかった。実際、匍匐しながら通るのがやっと、という土の中を、それも長い距離、進んでいくというのは、考えただけで気が遠くなる。

もうひとつ、脱走ものといえば思い出すのが『ショーシャンクの空に』である。これは『キャリー』と同じく、スティーヴン・キング原作の『刑務所のリタ・ヘイワース』が元になっているのだけれど、原作とはまったくちがう味わいになっている、いい映画だった。
とくに、原作では「レッド」というニックネームの語り手は、おそらくアイルランド系の白人だと思うのだけれど、映画では、モーガン・フリーマンが扮していて、人種問題を底流に置く映画になっているのだが、まぁそんな話をしようと思ったわけではない。
そのなかで、主人公のティム・ロビンスが脱走するために、壁の中に掘った細い穴を、匍匐しながら進んでいく場面があるのだ。時間にして、1分に満たない場面だったろうと思うが、あれは見ていて息が詰まりそうになった。あの場面は恐かった。

ところが、こんなに恐がりのわたしなのだけれど、「恐い」と言って、鼻先で笑われたことがある。

学生時代、寮の物干場に、すずめばちではなかったけれど、かなり大きな蜂の巣ができていたので、大学の寮を管理する部所に出向いて駆除を頼んだ。
ところが出てきた係長が、わたしの顔を見るなり、「あんたが取ったらよろしいやないの」と言う。
「そんなことできません」と言うと、
「新聞、丸めて、はたき落として、ライターで火ィつけて燃したったらよろし」と言うのである。
「そんな恐いことできません」というと
「ほっほっほっ(ちなみにこの係長は男性である)。あんたが恐いわけがない」

いや、その数箇月前、寮の洗濯機が壊れたので修理を頼みに行くと、その係長が「あんたら自分の心の洗濯をしたほうがよろしなぁ」などとわけのわからないことをぬかしたので、そういう態度は学生にたいしてまったく不当であると、縷々訴えただけなのである。
それをもって「あんたが恐いわけがない」と言われるのも、これまた不当なのである。
もちろん、それがいかに不当であるか、声を荒げることもなく、理路整然と(わたしの主観では)、道理を尽くしてお願いして、後日駆除に来てもらえるよう話をとりつけることはできたのだけれど、別れ際にやはり言われてしまったのだった。
「あんたやったらできますて。あんたが蜂が恐いわけがない」

確かに、一匹や二匹の蜂が恐かったわけではなかった。蜂の巣が危険だと考えただけだ。
わたしが「恐い」のは、そういう理屈を超えたもの、具体的には、排水溝のふたと大仏の鼻の穴なのだ。

鶏頭




2006-10-29:ものの値段の話

先日、母親が電話でこんな話をしていた。

弟は小さい頃、ウルトラマンだかなんだかのビニール製の怪獣の人形を、それはそれはたくさん持っていた。当時、わたしなどよりずっと甘やかされていた弟は(これは姉のひがみではなかったように思う)、何かあるたび、どこかへ行くたびに人形を買ってもらい、ウルトラマンシリーズは全部制覇し、やがてもっとマイナーなシリーズに移っていったように思う。

同時に弟は怪獣図鑑の類も大量に持っていて、さまざまな怪獣の身長・体重ばかりでなく、その特徴も教えてくれた。メトロン星人は木造アパートに住んでいた、とか、「タッコング」というタコの化け物のような怪獣は「IQが2億」あった、とか、――ああ、ほんとうにどうしてわたしはこんな愚にもつかないことだけは忘れないんだろう――そういう何がなんだかよくわからないような豆知識を、弟はわたしのところへ来ては、読んで聞かせてくれていた。

小学校に入って何年かたつうち、怪獣の人形もかえりみられることもなくなり、やがて段ボール箱ごと、押入の奧に仕舞いこまれることになる。何かの拍子に押入の奧をごそごそしていたわたしは、偶然、その箱を探り当ててしまい、ふたを開くと、小さな弟が一緒に抱いて寝ていたグロテスクな怪獣たちが、古びることも壊れることも知らず、つやつやとしたビニール素材独特の質感で、当時のまま出てきたのだった。

ものというのは、悲しいものだ。
情況は変わっても、ものは変わらない。
その変わらなさが、悲しい。

のちに何度かそう思うことになる初めての体験を、わたしは怪獣相手にしたのである。
まったく結構な初体験である。

それはともかく、母親の話によると、やがてそれは「邪魔でしょうがないから」全部ゴミの日に出してしまったのだそうだ。塩化ビニールの人形たちは、さぞや大量のダイオキシンを発生したことだろう。

ところが母が悔やんでいるのは、ダイオキシンの発生に自らが関与したことではなく、どこからか、それがかなりの金額で売れものるらしいと聞きつけたからなのである。

ああ、残念だった、捨てずにとっておけば良かった。ああいうのに、マニアみたいな人がいて、そういう人はいくら払ってもいいんだってよ……。

捨てちゃったんでしょ、しょうがないじゃん、あきらめなよ、とすげなく言う娘に対し、ああ、なんで捨てたんだろう、そんなことならアンタの本や雑誌を捨てるんだった、となおもくどくどと続ける母なのだった(もしかしたら、お金に困っているのだろうか……)。

実際に「マニアみたいな人」が高い金額を払って買い求めているようなレアものは、きっと実家にはなかっただろうとは思うのだけれど、それにしても、ものの値段というのは、実によくわからないものだ、と改めて思ったのだった。
30年ほど前に作った原価がいくらもしないような怪獣の人形一体が、集めている人にとっては、おそらくはかりしれない、「いくら払っても惜しくない」ような価値を持つのだろう。

別に、そういう人のことをとやかく言うつもりはない。
こんなふうに見られたいから集めている、というのではなく(「シャネルをコレクションしているワタシってなんてお金持ちなのかしら」と思ってる人の発想って、ずいぶん貧乏くさいとわたしは思う)、ほんとうにその人がそれが好きで、所有していることで心からの喜びが得られるものであるのなら、それが線路の枕木だろうが(わたしは枕木を宝物にしている人を知っている)、サインを求めたプロレスラーのポケットから落ちたコンビニのレシートであろうが(それを宝物にしている人も知っている)、冷蔵庫に貼っているために、あちこち染みのできた詩のプリントアウトだろうが(これを宝物にしているのはわたし)、十分に理解できる。

他人から見ればまったく無価値なものでも、その人にとってはまぎれもなくそれが宝物なのだ。そこに汲めどもつきぬほどの意味を見いだすことができ、所有する喜び、そのものとともに生きる喜びがそこにあるのなら、その人にとってそれは幸せなことである。

ただ、それとは別個に、やっぱりものの価値というのは、どこまでいってもよくわからない、と思ってしまう。

ふだん、わたしたちは189円のリンゴには、189円の価値があると思っているし、220円の食パンには220円の価値があると思っている。あまりそういう買い物をしているときに、価値だの価格だのということは考えない。それは、わたしたちはここで価値=価格であると受け容れているからなのだろう。

それでも、たとえこうした見慣れたものであっても、この「価値」と「価格」のあいだに裂け目が生じるようなことがある。
以前、雪が積もった日にスーパーに行ったら、ほうれん草がひと束350円、とか、キャベツ一個500円とか、尋常ではない値段がついていて、いったいこれはどういうことなんだ、と思ってしまう。
少なくとも、スーパーが仕入れた段階では、雪が降っていなかったはずなのに。つまり、それは、翌日の入荷がどうなるかわからないことを見越して、設定された価格だということなのだろう。けれども、その数字にどこまで根拠があるのだろうか。

こういうことを考えると、わたしたちがふだん漠然と思い描いている、ほうれん草ひと束百円〜二百円、というのも、どこまで根拠がある数字なのか、よくわからなくなってくる。

さらに、食料品や生活必需品を離れると、ますますその裂け目は拡がっていく。
百均で売っている一本百円の化粧水と、デパートの化粧品売り場(わたしは未だかつてそういうところで買い物をしたことがないのだが――だって、臭くありません?)で売っている二万円の化粧水は、いったいどうちがうのだろう。そうして、どうしてどちらも同じように売れるようなことが起こるのだろう。

たぶん、その二万円の化粧水を使っている人は、わたしは直接には知らないので話を聞いたわけではないのだが、おそらくそこに価値を見出しているから、それを買い、さらに買い、使い続けているのだろう。そうして、その価値を、日々実感しているのだろう。

けれども、成分一覧表を百円のものと見比べたりはしないはずだ。
というのも、その差たるや、極めて微々たるものにちがいないからだ(その「極めて微々たる成分の違い」が決定的な効果となってあらわれる、と信じている人のことをとやかく言うつもりももちろんないのだが)。

おそらく、二万円の化粧水の価値は、極めて微量の、ナントカカントカ酸が入っているから、というよりも「二万円」という価格にあるにちがいない。「二万円」だから、価値があるのだ。

ところが、ブランド品を持つ人の多くは、そんなことは認めたがらないだろう。
おそらくは「ものがいいから」「一生ものだから」と理由づけているのではあるまいか。
なら、一生使い続けるのか、というと、そんなことをする人ばかりではないのである。
ひとつ持っている人は、つぎのモデルが出るたびに、新しいものがほしくなる。新型モデル、またつぎのモデル。
生まれ変わりを信じているのならそれも結構なことだけれど、残念ながら、ヴィトンは来世には持っていけない。

たぶん、ブランド品に価値があるのは、高いから、価値があるのだ。
その価格が、価値を決めているのだ。
そうして、それを買う人は、自分がそれを買える人間である、と認めてほしい、という気持ちが、少なからずあるように思う。

なんだかな、と思うのである。
価格が価値を決めるというのは、やっぱりどこか転倒してはいないだろうか。

もしかしたら、わたしが単に価値のわからない人間なのかもしれないのだけれど、そういうものの価値なら、わからなくてもまあいいか、と思うのである。
そうじゃない、ほんとうにエルメスが好きなんだ、というのなら、一生使い続ければいい。おそらくそうやって使い続けるうちに、ものと人間のあいだにも、やはり絆が生まれるはずだ。そのときどきの歴史が刻まれ、思いがこめられていくはずだ。

母親も、単なる場所ふさぎが宝箱だったかもしれない、と後悔していたようだったが、もし、実際に手元にあったら、売る気にはなれないような気がする。
怪獣の人形ひとつひとつに、小さかった弟の記憶は結びついているし、その記憶はやはり値段なんかつけてほしくないものにちがいない。
もはや手元にないものだからこそ、ああ、取っておけばよかった、もったいないことをした、と言っているのではあるまいか。

ところで、わたしはつい最近、3035円のDream Theater の"The Number of the beast" を買ったのである。こんな音楽を3035円で自分のものにできるなんて、夢みたいなのである。この一枚のおかげで、どれだけ至福の時を過ごしていることか。
ただ、その間、魂を抜かれて、ぼけーっと聞く以外、何にも手につかないのが、悩みではあるが。

鶏頭




2006-10-28:お相撲さんの話

その昔、わたしが通っていた歯科医院は、近くに相撲部屋があってよくお相撲さんと待合室や診察室で一緒になった。

虫歯だけでなく、相撲の稽古で歯が折れたり、差し歯が飛んだり、ということも少なくなかったのかもしれない。鬢づけ油のいい匂いをさせているお相撲さんもいれば、髪の毛をまだ伸ばしている途中の人や、体もまだ細いお相撲さんもいた。

待合室のお相撲さんで一番気になったのは、当然、どんな本を読むのだろう、ということだ。ジロジロ見ないように気を遣いながら、それでも興味津々で観察していたのだけれど、わたしが見た限りでは、不思議なことに、置いてある新聞や週刊誌、週刊マンガの類ではなく、子供向けの「恐竜図鑑」や「動物図鑑」を手にしていることが多かった。その頃はお相撲さんはみんな大人に見えていたのだけれど、考えてみれば中学を卒業してすぐの、わたしと歳もどれほどもちがわない、「男の子」たちであったのかもしれない。
もっともマンガの類は、相撲部屋ですでに読んでいたのかもしれないけれど。

お相撲さんが先にいるときは、入り口には白い鼻緒の雪駄があった。ずいぶん大きな雪駄は、鼻緒の付け根のあたりに油性のマジックで部屋の名前が書いてあった。
入り口にあったのは雪駄でも、お相撲さんはいつもスウェットの上下で、浴衣姿は見たことがない。体格の良いお相撲さんのときは、いったいどんなサイズなのだろうと思ったものだ。

外で見かけるときはたいてい自転車に乗っていた。大きな体で、まるで大人が三輪車にのっているかのように、バランスをとりながらふーわりふーわりと乗っている。
それでも、そんな格好でもお相撲さんは確実にわかるのだった。

まだ髷を結えないお相撲さんは別として、髷を結っているお相撲さんは、たとえどんな服装をしていても、どこにいても、確実に職業がわかってしまう。
歯医者の近くばかりではない、ディズニーランドで見かけたこともあるし、いまも二月の終わり、お相撲さんの姿を見ると、ああ、大阪にも春が来たのだなぁと思う。
それが何という名前のお相撲さんかわからなくても、髷と浴衣(あるいはスウェット)と雪駄で、職業が確実にわかってしまうのだ。

考えてみれば、いまのわたしたちの住む社会では、なかなか私服姿でその職業はわからない。スーツ姿にデイパックを背負っているのは先生が多いような気がするけれど、これは統計を取ったわけではないから、なんともいえない。

以前入院しているとき、院内をうろうろしていたら、不意にわたしの担当だった看護師さんとばったり出くわしておどろいたことがある。ひっつめていた髪をたらし、極端に体にぴったりしたミニのスーツ、お化粧もくっきりとし直していて、一瞬だれだかわからないくらいだった。

もちろん朝、スーツ姿で電車に乗っている人の多くは、オフィスや役所や学校や病院に勤めているのだろうけれど、その人が具体的にどんな仕事をしているのかまではわからない。そのチームの一員であることを示す制服が職場にあったとしても、そこに着くまでは、そういう面を一切表さない、無個性なスーツなのである。

ところが昔はそんなことはなかったのである。いま、お相撲さんが「あ、お相撲さんだ」と一目でわかるように、服装や髪型で、その人の職業はよくわかった。そうして、その区分を守ることは重要だったのである。

現代社会においては、この姿・形とその人間の身分、階層、職能などの規定性が、ほとんど失われているが、歴史的にみれば、最近までこの両者の関係は、かなり一致した厳密な社会秩序として存在していた。すなわち、その人間の姿・形は、その人間の社会的存在としての身分、階層、職能などを表示していたのであり、前近代社会においては、とくにこの関係は厳しい社会秩序として存在していた。形がその存在を規定するという考え方は、日本の社会においても、古くから根強く存在している。

 日本の中世社会において、人間とはどのようなものと考えられていたかといえば、そこにはいろいろの定義が存在したことはいうまでもないが、その一つの有力な定義に、人間の形をしたものが人間であるという把握のしかたが存在したことは間違いない。人間と動物=異類との相違は、心のありかた、理性の有無より、さらに重要な要素として、姿・形の相違が存在した。形を変えることにより、人間が動物になり、動物が人間に変わることが可能であるという考え方は、今日のわれわれが想像する以上にはるかに現実性をもっていたことは、この時代の物語、説話、民話等の存在形態をみれば明らかであろう。そして当然のことながら、人間社会の内部のあらゆる区分にも、この観念が一貫してその一つの指標として流れていたといえる。男、女、子供という区別も明瞭にその形で区別されていたし、人間の社会的身分、職能も、一見すれば弁別できる形で規定されていた。

勝俣鎮夫『一揆』(岩波新書)

たしかに、いまは一目でその職業がわかるような外見をしている人はごく限られるようになってしまった。それでも、わたしたちはそこまで思い通りの格好をしているわけではない。

制服は、職能を明らかにするだけでなく、学校や集団に対する帰属意識を培う、という側面がある。
それと同じように、ブランドがはっきりとわかる服や持ち物は、そのブランドのユーザーであるという帰属意識を培っているとは言えないだろうか。

もうひとつ、はっきり何をしているかわかる服装がある。
それはリクルートスーツに身を包んだ学生である。チャコール・グレイや黒のスーツに白いシャツ、黒い革靴という独特の格好は、自分が会社という社会に順応しうる存在であることを訴えているようだ。
この考え方は、いわゆる「身分」というものがなくなった現代であっても、中世の時代とそれほどちがうものではない。

「形を変えることにより、人間が動物になり、動物が人間に変わることが可能であるという考え方」は、就職活動を始める頃になると、髪を黒く戻して切り、そろいのリクルートファッションに身を包むことによって、組織の一員として生きることが可能であることを示そうとする学生そのものだ。
そうして、同時にそれはこれまでとはちがう、組織の中で責任を持って生きる「社会人」になるための、トレーニングの一種でもあるのだろう。

お相撲さんは、「あ、お相撲さんだ!」という視線を常に浴びながら、街中を歩く。
そうしながら、自分が「お相撲さんである」という実感を、日々自分の中に培っていっているのかもしれない。もしかしたら、そう「見られ」ることも、お相撲さんの日々の稽古の一環なのだろう。

鶏頭




2006-10-19:手帳の話

十月になると、文房具屋ではたいていコーナーを設けて来年の手帳を売るようになる。
携帯やパソコンにスケジュール管理をさせている人が増えたことを考えると、売り上げも年々落ちているのだろうが、それでも結構な量の手帳が置いてあるし、立ち止まって見比べている人の姿も見受けられる。わたしの周囲でも、携帯はあっても、手帳がなくては、という人も少なくない。電話番号や住所などのアドレス機能なら携帯に覚えさせるのが便利でも、日々新しく増えていく予定や決定事項などは、従来どおりの手帳の方が使い勝手がいい、という話を聞いたこともある。

わたしの場合、十年近く前に、分不相応なほど立派な革製のシステム手帳をもらったので、中のリフィルを取り替えれば良いだけなのだが、わたしはもっと以前からスケジュール帳を通年でつけたためしがなく、一念発起して今年こそ最後まで使おうと思っても、たいていが四月一杯、五月の連休前あたりで終わってしまうのだ。仕事関係は予定表が来るし、新たに予定が加わればそれに赤字で書きこめばよい。それ以外にあまり書いておかなければならないような予定がないせいもあるのだけれど、たまに入れば手近な紙に書きつけておいて、冷蔵庫に張ってあるドンクでもらったこぶりのカレンダーに書きこむだけだ。

だからシステム手帳の中に入っているリフィルは数年前のもののまま、日付とは無関係に、予定とも仕事とも無関係の、ちょっとしたことを書きつけている。
読んだ本のタイトルや著者名、発行年月日などの読書記録は、パソコンの蔵書管理のフリーソフトを使っているのだけれど、電車のなかで読み終えてすぐ、思いついたことを書いておきたかったりすると、手帳をカバンの中から取りだして、ちょこちょこと書いておく。たまに電車のなかや街頭でめずらしい様子の人を見かけたらスケッチをしておくこともあるし、たまに出費があいつぐ日などは備忘録代わりに使った額をメモしておくこともある。

つまり、最近とみに記憶が怪しくなってきたので、何でも書いておこうとしているわけなのである。
システム手帳は、何年もカバンから出し入れしているうちに、いい感じで手ずれしてきてきた。相も変わらず分不相応な手帳に、ごちゃごちゃと、子供っぽい字でそういうことを書きつける。書いたことに安心して、すっかり忘れることも少なくないのだけれど、忘れたころに開いてみると、それはそれで(用は足りないにせよ)楽しい。まぁ楽しければそれでいいのかもしれない。

そういえばもうずいぶん以前から、ちくま文庫から「文庫手帳」が出ている。
安野光雅の手による品のいい表紙はステキだけれど、あれを実際に使っている人というのがいるのだろうか。
文庫本の手帳というのはおもしろいとは思うけれど、使い勝手はどのようなものなのだろう。
もし、使ったことがある人がいらっしゃいましたら、どうか教えてください。

鶏頭




2006-10-18:力とイメージ

美容院に行って、髪の毛を洗ってもらうときに、よく「力を抜いてもらっていいですよ」と言われます。つまり、後頭部を洗う美容師さんが、わたしの頭を持ち上げる、そのときについ力が入ってしまうんです。
力を入れていれば、当然頭は軽い。美容師さんとしてみれば、わたしが気を遣ってそうしているように思えるのでしょう。

ただ、人に頭を持ち上げられれば、どうしても頭に意識は集中し、首に力は入ってしまいます。
それだけではありません。
緊張すると、肩に力が入る。
持ちつけない筆を持っていると、肘に力が入る。

ところが力が入ると、力仕事でもない限りは、たいていのことはうまくいきません。
「いらないところに力が入って」と自分でもいい、人からも指摘されるように、動きはぎくしゃくしてしまいます。
「肩に力が入ってるよ」
「そんなに力んじゃダメだよ」
「リラックス、リラックス」

このリラックス、「肩に力が入る」の対極にあるこれは、別のいい方として、力を抜くともいい、自然体でいる、ともいうけれど、いざやってみようとするとできるものではありません。

そこで、脱力して、手をぶらぶらふってみる。
首を回してみる。
腕を回してみる。
頭を動かしてみる。

つまり、ここでやっていることは「力を抜く」ではなくて、力を移動させている、あるいは、複数の箇所に分散させている、ということなんでしょう。

人間には「力」を入れることはできても、「抜」くことはできないらしいのです。
ところがイメージというのは不思議なものだと思います。
以前も書いたんだけど、バレエをやっている人が、「脳天からつり下げられるイメージで立つ」と、ほんとうに重力を感じさせない立ち方になる。つまり、それというのも、そのイメージに沿って、力が分散されるからなのだと思います。
分散しようと思ってできるわけではない。
ところがイメージすると、自然に「流れて」いくわけです。

何か、言葉って不思議だなと思います。

鶏頭




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