鶏的思考的日常入り口<Home
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ここは地獄の一丁目、もとい、とめどもなく書き続けるつなぎ記事のまとめ、「鶏的思考的日常の入り口」のページである。

鶏的思考とは文字通り、鶏のごとく三歩あるけば何でも忘れる頭に浮かぶよしなしごとを、日暮らし硯にむかひてそこはかとなく書きつくればあやしうこそものぐるおしけれ――ああ、なんでこういうことは忘れないんだ?――と、書いては忘れしていくうちに、かくも溜まりに溜まり、今後も溜まっていくであろう雑文の物置きなのである。

思考実験とも、混沌とも、苦し紛れとも、冗談とも、備忘録の役目を果たしていない備忘録とも、あるいは単なるくずかごとも言える場所である。ここから何かが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。
そんなものは見たくない、と思う者は、遠慮なく立ち去るがよい。

なお、上が新しく、下へ行くほど古くなっている。ところがテーブルのなかのインデックスは、上が古く下が新しい。ずいぶん書いてしまってから気がついたのである。もういまとなっては修正などしたくないのである。まぁどっから読んだっていいや、ぐらいのものである。大目に見てほしいのである。
なお、タイトルは初出時と若干変更してあるものもある。多くの場合、深い意味はない。
鶏頭
正月ネタだ、と思ったら、今年のではなく、去年の正月なのである。いったい何をやっているんだか……。

ところが不思議なもので、「逃亡者、潜伏者」で書いた被告が本を出し、巷では、いまふたたびその人のことが話題になっていたりする。いろんな出来事というのは、こんなふうに思いもかけないところで回帰してくるものなのだろうか。

更新しなくては、しなくては、と思いながら、日ばかり過ぎていくうちに、昔書いた文章の中にいる自分に、ひょいと出くわす。そこにいる「自分」は、もはや自分ではなく、いまここにいる自分と、似て非なることを考えていたりする。一種、古い友だちに会ったようなものなのである。単に記憶の退化により、思考の連続性が失われているだけなのかもしれないのだが。
最近ちょっと環境が変わったために、もうなんだかやたらいそがしいのである。ほげほげしていたら、2010年が終わりそうなのである。もうこれは何が何でも2009年分だけはさっさと片づけてしまいたいのである。

イチローのことが書いてあるのは、そのころ「メジャーリーグ初の9年連続200本安打達成」ということがやたら話題になったからだし、マイケル・ジャクソンのことを書いたのは、そのころにマイケルが亡くなったから、だが、ナンシー関のことを書いたのは、単にふと思い出したからである。インフルエンザのことを書いたのは……これを書いたころ、流行っていたっけ?

中学のとき、初めて「過去進行形」を習ったとき、過去のことが「進行する」というのに奇妙な印象を受けたことを覚えている。だが、いまならそれがよくわかる。「過去進行形」とは、「そのとき」自分が「何をしていたか」を述べる文章なのである。こうした過去のログは、すべて「そのときわたしが何をしていたか」を明らかにしている。わかるのはただ、たいしたことはしていない、ということだけだが。
選挙の話が出てくるが、先日の参議院選挙ではない、去年の衆議院総選挙の話である。いったい何をしているのか、という感じだが、日々、忙しくしているのである。毎日かならずひとつかふたつ、やり残しができてしまい、あとへあとへと残っていってしまう、そんなことをやっていると、なかなかこちらまで手が回らないので、気がついたら一年前の話を書き直す羽目になってしまった。

当時、追い風が吹いていた人たちも、一年経ったら思いっきり向かい風になっているとは思ってもみなかっただろう。普天間基地だの何だのがあったといえばあったが、かといってそれが急激な風向きの変化となった、と言われても、何だかよくわからない。

こんなふうにあやふやで、因果関係もはっきりしないのに、急にあっちを向いたりこっちを向いたりする有権者の動向のことを「風」というメタファーでとらえるのは、まさにそれ以外に言いようがないように思う。

だが、「風」というメタファーが当てはまるのは、有権者の意識ばかりではない。はっきりとしないもの、眼に見えないもの、移ろいゆくもの、そんなものはみな「風」だ。ときに「風」を感じ、「風」に吹かれ、「風」に逆らい、あるいは「風」を無視して、いろんなことを考えてみたい。ふと気がつけば、風ならぬ「虱(シラミ)」になっているかもしれないが。
vol.32 雨降りお月さん 傘忘れ 編(2009-06-04〜2009-07-18)
二ヶ月ほどのあいだにとびとびに書いたログだが、こうやってまとめてみると、一ダースの話のうち、三本が動物ネタ、残りが「身近な他者」といったところだろうか。もしかしたらわたしの頭の中では「身近な他者」と「動物」は同じカテゴリに振り分けられているのかもしれない。

動物と人間。人間は言葉を駆使してさまざまなことを考え続けるが、動物は言葉を使わない。言葉による思考もすることはない。おかげで彼らの考えていることは、わたしたちには決してわからない。尻尾を振っている犬を見て、わたしたちはその犬が「喜んでいる」と思うが、ほんとうのところ、「喜び」などという感情を彼らは持っているのだろうか。

こう書きながら、わたしはこんなことを思い出す。本を足の上に落として痛がっているところを見たうちのネコは、わたしをバカにしきったように、確かにフフンと笑ったのだ。やはり「身近な他者」と「動物」は、同じカテゴリに相違ない。
タイトルは、アップしたのが2010年の4月11日だったからである。なんのかんのとここまでずれこんでしまった。だが、これだけずれてみると、逆に当時のことを思い出しておもしろかったりするのだが、それは自分だけかな。ともかく、読んでくださった方が、このささやかな文章を読んで、インフルエンザさわぎのことなどを思い出してもらえれば幸いである。

振り返ってみると、世間は新型インフルエンザ、わたしは引っ越しで、なんとなく落ち着かずにいたことがよくわかる。引っ越しのさなか、ふだんならパソコンを開いて私的な文章書き(ブログなどですね)に当てる時間を、もっぱらマーガレット・ミラーやスティーヴン・ドビンズ(『死せる少女たちの家』はおもしろかったのに『水の棺の少年』はおもしろくなかった)を読むのに当てていたのだ。上で書いた「なんのかんの」とはそういうことを(かなり)含んでいる。とほほ……。

だが、こうやって振り返ってみると、実のところ「好きなものは好き、きらいなものはきらい」としか言っていないことに気がつく。好きなもの、きらいなものがどうしてできるのか。これを書き始めると長くなるので、こちらはブログでそのうち。
タイトルは、本歌の「故郷やどちらを見ても山笑う」(正岡子規)を知っておいてもらわないと、わけがわからない。知っておいてもらっても、たいしておもしろくはないのだが。

こうやって振り返ってみると、この時期、世間は不況のまっただなか、故中川財務大臣がサミットの記者会見で酩酊状態になったことが世間をにぎわしたりしていたことを思い出す。世間とずれているわたしでも、やはり時代の空気を吸っているということなのだろう。

過去に起こったあれやこれやは、どんなときの出来事でも、それを見ていたときの自分を映し出す鏡だ。だから、何ごとかについて書いている文章は、自分が自分であって、それ以外の何者でもないことを思い出させてくれる。結局、過去の何を思い出そうと、自分を思いだしていることにほかならないのだろう。だからこそ、何かを思い出すたびに、バカなことをしているような気がどこかでしてくるのだ。こんな埒もないことを思い出す暇があれば、よほどやることがありそうだ。たとえば2009年の大掃除とか……。
2009年があとひと月半で終わろうとしている。もうじき、「今年の汚れ、今年のうちに」というコマーシャルソングが流れ始めるだろう。2009年の雑文、2009年の内に片づけてしまわないと、年が越せなくなりそうだ。

年頭の挨拶を書き直し、大昔に訳した(としか思えない)「危険の報酬」にまつわるネタを書き直し(これは結論が初出とはまったくちがうものになった)、「百年に一度の不況」とこのころ連呼されていた言葉に対する感想を書き直した。改めて見てみると、書いていたときにはわからなかった「そのとき自分が何を感じていたか」がはっきりと見えてくる。時間にあぶりだされるように、当時、自分でも気づかなかった「自分が抱いていた気分」というものが浮かび上がってくるのだ。あらためてリリアン・ヘルマンの「ペンティメント」の序文が思い出される。

だが画家なら、浮かび上がるのが木やイヌかもしれないが、わたしの場合はへのへのもへじのようなものなのかもしれない。キャンバスに描かれている「へのへのもへじ」を透かして、古い別の書体で書いた「へのへのもへじ」が浮かび上がってくるというのも、なんとも虚しいことのような気がする。

そういえば、星新一かだれかのSFショートショートで、異世界の文言を苦労して解読してみれば「おまえのかあちゃんデベソ」とあった、というような話があった(ような気がする)。歳月を経て浮かび上がるのは事実であるにしても、それに価値があるかどうかは別問題、ということか。
もちろんこの章のタイトルは、「この道や 行く人なしに 秋の暮れ」なのであるが、いじりすぎてわからなくなってしまった観もあるので、本歌をあげておくのである。本歌取りのつもりで書いてみて、誰も気がついてくれないのではないかとこっそり本歌を出すというのはすごくカッコ悪いなあと、いま改めてカッコ悪さをかみしめているところである。

なんとか2008年の分が全部終わった。こうやって振り返ってみると、この時期、「百年に一度の不況」という言葉を耳にしない日はなく、経済に対するなんともいえない不安感が、重苦しい霧のように垂れこめていたことがわかる。それから一年の四分の三も経たないうちに、大きな風が吹いたわけでもないのに、その重苦しさもいつのまにかどこへやら吹き飛んでしまう、なんてことをいったい誰が予想していただろうか。いやいや、たぶんそんなことになるんじゃないか、とわたしはどこかで思っていたし、そう思ったのもわたしばかりではないはずだ。その実、ほんとうの「危機」とやらが去ったかどうかは誰もわからないというのに。

百年前といまの最大の違いは、もしかしたら人がすっかり気短かになったことなのかもしれない。これが「危機」なのか「不況」なのか、じっくり見きわめる前に不安になり、ほんとうに安心して良いのかどうなのか、さまざまに検証する前に結論を出す。なんとまあ、忙しいことだ。このわたしときたら、10ヶ月近く前の文章をのったらのったら書き直しているというのに。
ドアーズの歌ではないが、夏がもうすぐ終わろうとしている。2009年の夏だ。なのにわたしは去年の秋のログをまとめている。ほんとうにドアーズの歌のように、夏が終わってしまったら、いったいみんなどこにいっちゃうんだろう。この歌を歌うジム・モリソン並みに、陰気な気分になってしまうのである。陰陽師ではなく、陰々滅々師というところか。

これをブログに書いていた当時、「しゃべるカラス」と「ハッピーアイスクリーム」の検索で来る人がどういうわけかやたら多かった。年末の「占い」を除いては、新規来訪者が500を超えるようなことはまずないので、ちょっと驚いていた。ほどなくいつものペースに戻ったので、自分のなかでは「アイスクリーム・カラスバブル」と名づけられ、記憶されることとなった。ただ、どちらのログも、わざわざ検索で飛んできてもらうほど、充実した情報を提供しているわけではなかったので、申し訳なく思ったものである。かといって、即座に路線の転換というわけにはいかないのである。

相も変わらず、いったい何の役に立つのやら、という話は続く。だが役に立つ情報の多くは賞味期限がある。役に立たない話は、いつ読んでもおもしろい、だといいのだけれど。
五月から六月にかけて、かかりきりになっていた文章がひとつあって、ブログこそなんとか続けていたものの、ほとんどサイトまで手が回らなかった。おまけに引っ越しだのなんだので、えらく忙しかったのである。手を入れる時間が何とか見つかって、久しぶりに書き直したら、ひとつひとつがいやに長くなってしまって、結局アップできるのが六月も終わりになってしまった。

かかりきりになった文章は、最初の構想から含めると、三年近くを引きずったことになる。それを最終的に書き上げて、こちらに移ったので、なんとなく微妙に文章が重たい。文のトーンというのは、つくづく自分ではどうにもならないものだなと思う。

ところで、このあいだ、引っ越しをした折りに、ぎっしりと本を詰めた段ボールが 50箱以上あって、そのほかにも料理の本だのマンガ類だの雑誌類だのがごっそりあって、引っ越し屋のお兄ちゃんが、運びながら小声で「いったいどんだけ本あんねん」と毒づいているのを小耳に挟んでしまった。本は箱詰めして楽しいものでも、その箱を積み重ねて楽しいものでもなかったが、運んで楽しいものでもなかったらしい。

詰めても、重ねても、運んでも楽しくない本にまつわる話と、まつわらない話はこれからも続いていく。まるで運んでも運んでもあったわたしの部屋の本のように。
ヘタをしたら初出から一年が過ぎそうで、どんどん片づけていこうと思っている。それでも読み返してみると、手を入れなければ再読に堪えないようなものもあれば、着眼点だけはおもしろいものもあって、いずれにしてもかなり徹底的に書き直す羽目になる。

初出とほとんど変わっていないものもあるが、それはそのログが申し分なかったからではなく、その内容に関して、書いた当時の自分と、半年以上が過ぎたいまの自分のあいだにほとんど変化がないということなのだろう。新幹線に乗って、うしろの席がやかましかった経験は同じでも、それを振り返った当時のわたしと、半年以上が過ぎたわたしでは、目をつけるところがちがっている。そんなときは、元の文章と話はずいぶんちがってきてしまう。

時間が経つと、当時とはまったくちがった見方で出来事を振り返る。そうすると、出来事はもはや同じではなくなっている。変わったのは、「わたし」か「出来事」か。両方だとすれば、生きていくのはおもしろいものに思えてくる。過去だって、振り返るたびに姿を変えているのなら、振り返り甲斐もあるというものではないか。

放っておけば忘れてしまうことも、こうやって書きつけておくことで、「二度おいしい」経験となる。結局わたしの書いているのは、膨大な備忘録ということなのだろう。この類のログのほとんどは、読み直すまで書いたことさえ忘れているので、果たしてそれが「備忘録」と呼べるのかどうかは、疑問の余地があるところだが。
三月の終わりから少しずつこれを書き直した。本文を書いてから、なんと半年以上が過ぎている。こうしてみると、もう自分が書いたようなものの気がしない。

よく言われることに、事務的なメールではない、私信の性格の強いメールは、手紙と同じように一晩置いた方がいい、というものがある。何かあると、ほんのひとこと、即座に送って、即座に返信するような、電話のやりとりさながらのメールはさておいて、書きたいことがあって、ある程度時間をかけて書いたメールは、書いている自分の「熱」のようなものを帯びているのだろう。

一晩たつと、自分と自分の書いたもののあいだに少し距離ができている。「熱」はいつのまにか冷めている。そうすると、自分が書いたものであっても、あたかも他人の書いたものを読むように、昨日とは少しちがう位置から眺めることができる。

そう考えていくと、時間がたつ、ということは、それだけで自分がかつての自分とはちがう人間になっている、ということだろうか。

わたしたちは、どこかで「自分」という唯一不変の「何もの」かが自分の体のどこかにいるような気分でいるけれど、そんなふうに、時間の経過とともに、どんどんちがう人間になり続けているのかもしれない。

だとしたら、前のことをどんどん忘れても、仕方があるまい。たとえよく似たことを下の方で書いていたとしても、それはいまここで書いている自分とはちがう人間の書いたこと。

ケ・セラ・セラとはそういうことではあるまいか。
こうやってふりかえってみると、頭の中にごろごろ転がっているネタのタネの一覧という感じがしないでもない。

その日あった出来事や読んだ記事をもとに書いたログもふたつほどあるが、あとはこのとき持ち出す必要もまったくないような遠い日の記憶(数年前から四半世紀と、タイムスパンはずいぶん幅広いが)を引っ張り出して、虫干しをしているようだ。

そういうものの常として、これだけでは終わるはずもなく、「どこかへ行く途中」といったものばかりのようにも思える。だが、それが「虫干し」ということでもあるのだろう。

虫干ししながら、そのときどきの空気に当てて、繕ったり、ほかのものとつなぎあわせたり。そうやって、つぎの季節に備える。つぎの季節、その服を着ることになるかどうか定かでないのも虫干しと一緒である。こんな服を持っていたのか、と驚くのも、持っていたことを忘れるのも。ついでに言えば手持ちが少ないにもかかわらず、忘れてしまうことまで。
ブログに出した当時、翻訳の訳語を決めるために調べるうちに、おもしろくなって書いたログ(「東インド会社に就職するためには」)にはオチがなかったし、「塩の話」は全然関係ない本(『倫理問題101問』)を読んでいて、なるほど、と思っただけで書いたので、内容がほとんどなかった。それを書き直すためにまた本を読んでいたので、えらく時間がかかってしまったのである(といっても、純粋にそのことに要した時間はそれほどでもないのだが)。

こうやって振り返ってみると、タイトルの半分が「対句」でできている。容量の関係でつぎに回したのも「飲んだり飲まれたり」という対句であった。佐藤信夫は「現代でも世間ではおびただしい《対比》表現が、製造され消費されている」(『レトリック認識』)と書いているが、まさにわたしも製造消費に一役、というか、三人分くらいを買っているのである(ひとり頭の割り当てというのはどのくらいだろう)。

統一感を考えて、いっそのこと「東インド会社に就職するか、貧乏貴族のままでいるか」とか「塩か、しからずんば隷属か」とか「夢のような読書・夢のような音楽」とか「ぎっくりきたとき、こないとき」とかとすべてのタイトルを対句にしてもよかったのかもしれない。

だが、先の文章に続いて、佐藤信夫は「口あたりのいいわりには(というより、口あたりがいいからこそ)心に印象を残すこともない対比句が氾濫する」とし、さらにパスカルのこんな言葉を引用している。
 ことばに無理を強いて対比表現をこしらえる人々は、対称形のために見せかけだけの窓をこしらえる人々のようだ。
 彼らの基準は、正しく話すことではなく、正しいかたちをこしらえることなのだ。
見せかけだけの窓を作るのは止めた方がよさそうだ。だが『パンセ』のこの部分だって「正しく話す」「正しいかたちをこしらえる」と対比表現を使っているではないか、とつっこみたくなるのだが、パスカルの「窓」は、見せかけだけではないということなのだろう。

よし、つぎのタイトルは「見せかけだけの窓、見せかけではない窓」でいこう。それとも「開く窓、はめ殺しの窓」の方がいいかな。
最初、書き直しがほぼ完了して、あとこのページを書いて、アップするばかりになっていたときに、ハードディスクがクラッシュしてしまったのである。そのころ平行して「「がんばれ」の代わりに」を書いていて、一緒につぶしたそっちの方は、かろうじて記憶が残っていたのだが、こちらの方はほとんど覚えていなかった。

だから一からまた書き直したのである。七月に入って、汗を流しながら "Happy New Year" の文章を書くのはちょっとうんざりだったのだ。どうしても鶏的思考は後回しになってしまうのだが、今度からもっと早く始めることにしよう。まるで試験が終わったばかりの出来の悪い子の言いぐさのようだ。といってもつぎに待っているのは3-13に書いた「東インド会社」のログで、すでに書いてから四ヶ月が経過している。

02-01の「指導者出よ?」は、大阪府知事選の報道がやかましいころに、別に現府知事に好意的感情を持っているわけでもなんでもなかったのだが、報道のトーンにうんざりして、そんなことを書いたのである。だがそのことをはっきりさせていないおかげで、半年たってもそんなに時期はずれということにはなっていない(一般論として書いたのであたりまえだが)。これを深謀遠慮と呼ぶべきかどうかは微妙なところだが。一月に書いたのが一本しかないのは、つなぎの雉、もとい、記事から巣立っていったヒナたちが、たくさんいるからである。まだ巣立つ前で転がっているのもあるのだが。まあそのうち、日は続く、たいていのことは明日で大丈夫、というのがわたしの座右の銘なので、いつになることやら、なのではあるが。
クリスマスといい、恒例の占いといい、季節もののネタが並ぶラインナップである。

なのにいまは初夏の日差しもまぶしい五月なのである。占いの内容などほとんど忘れてしまっていたのだが、自分の星座以外の項に思い当たる節を見つけて、少しにんまりしてしまったのである。だが果たしてこういうのを「当たる」と言えるのだろうか。まあ当てることを目的とした占いではないので、大目に見てほしいのである。

当てることを目的にしていないのであれば、いったい何を目的としているのか。実は「笑い」を取ろうとしているのだが、今年のはいまひとつ笑えない。実はネタ本にモンテーニュの『エセー』とラ・ロシュフコーの『格言集』を使ってしまったので、微妙に説教臭くなってしまったのである。ネタ元の設定に失敗したということだろうか。

それにしてもモンテーニュもラ・ロシュフコーにしても、自分が書いたものが極東のブログの正月用のネタに化けるとは夢にも思わなかっただろう。もちろん文章も状況も言葉もずいぶんネタ元とは変えてあるので、いま自分で見ても、どこをどう使ったかはまったく記憶にない。記憶にない原因は、変えたせいばかりではないかもしれないが。
11月に書いたネタをおさめたvol.19 の壁紙が、いったいどうしてハロウィーンなのかというと、ハロウィーンネタがあるからである。ひねくれたわたしは、わざわざハロウィーンが終わって二週間ほどしたころに、ハロウィーンの話を書いていたのである。なんだかなあ。

半年ほどしてやっとこれをまとめたのだが(今日は5月3日)ハロウィーンネタあり、感謝祭ネタあり、いかにも秋ということで、まあ許してほしいのである。まったく季節とは縁のない竜宮城の考察も、ナンパの考察も、それをあえて考察と呼ぶならば、であるが、とりあえずしてある。

ところで竜宮城といえば、それを書いた当座、「宮城、キャバレー、竜」の検索子でブログ「陰陽師的日常」にたどりついた人の記録が、たまたま見た解析に残っていた。申し訳ないことをした。探していた情報はおそらくなかったことだろう。斜め読みでも楽しんでくだされば良かったのだが。

それにしても宮城県には「竜」というキャバレーがあるんだろうか。ああ、また検索した人がここに迷い込んできたらどうしよう。
ごめんなさい、ここはキャバレーの情報はありません。
このつなぎの記事を書いているときというのは、たいてい翻訳や続き物の推敲をやっている時期にあたるので、限られた時間にえいやっとひねり出すことになる。いきおい、そのときに頭にあることや、遭遇した出来事、それもないときには時事ネタということになる。

実は時事ネタを書くときは、かなりネタに困っているのである。新聞やニュースサイトの配信で見たニュースを要約して、それに自分のちょっとした感想を書きつけるというブログならすでにあることだし、これという知見や分析の角度を持っているわけでもないわたしがそこに加わる必要もない。

それでもなおかつ書くのであれば、みんながいい加減あれやこれや言い尽くし、熱も冷め、あらかた忘れかけた頃、そっと出してみたい。みんなが飽きてしまったそのあとに。関係のないわたしたちは、忘れたり、飽きたりすることもできる。けれど、忘れることもできず、飽きることもできない人が確かにいるのだ。そういう人がいることを、思い出すために。

忘れても、忘れても、あとに残っていく「落ち穂」を拾い集めておく。トコロテンは押し出されてしまえば終わりだが、拾い集めた落ち穂なら、また眺めることもできる。それさえ忘れてしまう鶏頭は悲しいが、それでもこうやって集めておけば、また思い出すこともできるはず。
こちらにアップしようと思ってブログを読み直していたら、本文よりコメント欄の方がおもしろかったので、一緒に採録してみた。やはり対話というのは思いもかけないものが引き出されることがあるので、ありがたいことなのである。

今回もブログに書いてから半年近くが経過してしまったために、「閣僚の話」とか「総理大臣の退陣」とか、「ああそういうこともあったなあ」という話がいくつか出てくる。その一方で、同じ出来事が決して風化することのない方々のことも胸をよぎる。

それでも、日々起こる出来事を、片っ端から忘れてゆくわたしではあっても、こうやって書きつけておけば、また読むことができる。そこでもういちど新しい経験にしていくことができるのだ。おそらく、忘れるというのは、わたしたちに与えられた能力のひとつなのだろう。この能力だけが洗練されていく、というのも、なかなかコマッタことではあるのだが。
なんともはや、こちらにアップするまで半年近くがかかってしまった。実はグレアム・グリーンの『復讐』と、そのあとにいくつか書いたログをまとめてひとつの読み物にしようとし(これは「嫌っても、嫌われても」「怒る人々」となっていった)、さらにはもうひとつまとめようとしているうちに(これはまだ日の目を見ていない)年を越してしまったのである。vol.16のタイトルだけは決めていたので、すっかり季節はずれになってしまったのはそういう背景事情があるのだ。

もう読み返しても、全然自分が書いたような気がしないのである。結構おもしろいじゃん、と、まるでほかの人が書いたものを読むように読めてしまうのである。

やはり季節柄、というネタがいくつかある。だが、幽霊話が夏の風物詩であるのは日本だけで、ヨーロッパではだいたい冬だし、アメリカではハロウィーンのころだ。まあいつだっていいじゃないか、人間だもの、というところである。というか、幽霊だもの、だろうか。

おまけに朝青龍のニュースなど、覚えている人がいるのだろうか、という話も出てくる。ところがこの内容とは関係ないのだが、今日このログに手を入れていたら、この話に出てくる人物(当然ながら朝青龍ではない)がわたしの家にいきなり訪ねてきたので、びっくりしてしまった。いや、何のことはない、時間があるときに訳しておいてくれ、急ぐ仕事ではないから、と頼まれた原稿を、急ぐ仕事でないのなら、とずっと放って置いたら(というか、忘れていたのだ)、どうなったか、と聞きに来たのである。いやはや、期日がないというのは、忘却を誘うものである。期日があったとしても、やはり忘却は誘われるのだが、微妙なひっかかりが残る。ああ、何かあるような気がする、もやもやする、という具合に。期日がなければ、もやもやもせず、気持ちよく忘れてしまうのである。ううむ、そろそろ重い腰を上げなければ……。上げる前に忘れてしまわなければ、の話ではあるのだが。
空に輝く鶏座 編(2007-6-20〜7-08)
もうこの時期どうしていたかなんて全然覚えていないのである(これを書いている今日は9月28日だ)。

生協に入った話が出てくるので、ああ、そういえば六月に生協に入ったんだった、と思いだしたり、そういえば七月初めの定期検診で「おばちゃん」と呼ばれたんだった、とか、このころ鈴木孝夫を読んでいたのか、とか、ここにアップするために思いだしたことがほとんどなのである。どれも自分が書いたにちがいないのだが、そうしていかにもわたしの書きそうなことではあるのだが、ほとんど書いた記憶すらないのである。

……大丈夫なんだろうか。

まあ、たぶん大丈夫だろう。食い違ったことを何箇所かで書いているのをこのあいだ発見したのだが、幸い、まったく同じ内容のログはいまのところ書いてはいない。それをしない限り、大丈夫だろう。

だが、もしそれをしていたら……。
どうか指摘してほしいのである。だが、読んでくださるみなさんだって、そんなにしっかり覚えていることはないだろう、とも思っているのである。
聖書だって「汝らのうち、罪なき者まず石を擲て」と言っているではないか。
いてっ。
ほとんどの文章は初出時とは似ても似つかぬものになっているので、「補筆」と書くのをやめた。ところがどっこい、ほぼ初出時と同じものもある。これはそのログが完成されたものだったというより、書き直すのが面倒になってきたのである。どれが初出と同じで、どこがどう書き直されているか比較するのも一興ではあるが、ほとんど意味がないのでお勧めしない。日々、苦し紛れにひねりだしているのが多いので、あとで苦労する、というだけの話だ。

こうやってみると「〜の話」という、おっそろしく安直なタイトルが多いのが気になってくる。階級問題を扱っているわけでは全然ないのに「階級の話」とつけてよいものか、とか、「どう考えたらいいのかよくわからない話 」というのは、わたしが書く文章の、ほとんどすべてに当てはまるのではないか、とか、相変わらずつっこみどころは多々あるのだが、まあ大目に見ていただきたいのである。

個人的には「耳で聴く言葉」が思い入れがあるのだが、思い入れがある文章はたいていオチをつけそこなう、という傾向がわたしにはあって、これもオチをつけそこなっている。それは、わたしのATOKが「じゅにく」と入力すると、かならず「獣肉」と変換してしまい、そこから戻してもいつのまにか勝手に「じゅうにく」となってしまっているのと、あながち無関係とは言えないように思うのだが、それはわたしのまったくの気のせい、もしくはこじつけ、あるいは八つ当たり、ひょっとしたら言い逃れかもしれない。ただ、話を聞いて深く深く感じ入った、ということさえ伝わればそれで良いのだが、それさえも書いてない。

「犬の散歩」のように初出時やっつけで、書き直しの段階でも疲れてしまった文章は、そのうち、記憶にあるならば、いつのまにかふくれているかもしれないが、そこはそれ、鶏頭ゆえ……。
なんと四月だけでひとつのページがいっぱいになってしまった。 最近ではブログに書いてから、書き直すまでにかなり時間がかかってしまっているために、いきおいつなぎのログも増え、しかもそのときに書き流した内容があまりに情けないのでここで書き直すうちに長文化する、というふたつの理由があると思われる。それにしてもこちらを書き直すのもやはり時間がかかるのである。どこかまちがっているような気がするのだが、いったいどうしたものだろう。

ウェルズにしても、「秘密」にしても、鶏的思考であつかうのはもったいない(笑)ような気がしないではない。やがて別の記事に出世していくかもしれないが、そういうときは、ああ、また廃物利用か、と厭な顔をせず、つきあっていただきたいのである。鶏的思考は読者の鶏頭をも要請するのである。

さて、今回、順番に並べていくと、年齢確認の記事がトップにきてしまった。ページ内リンクのタグをつけようかと思ったが、それも面倒になってしまったのである。18歳未満のみなさんは、そこを素早くスクロールしてほしいのである。といっても、期待するようなことは何も書いていない。

こうやって振り返ってみれば、毎日毎日、まったく毛色のちがうことを思いつくわたしも、つくづくエライものである。だれも褒めてくれないので、自分で褒めることにしたのである。
ついに桜の花にたどりついた(ちなみにこれを書いている今日は5/27。梅雨入りの声も聞きそうな今日このごろ)。長い長いあいだ放っておいた鶏的思考もやっと更新できたのである。

ここまで書き直しに時間がかかったのは、ブログのほうにアップした段階のログが、なんともいえずぬるかったからである。そこからしこしこ書き直すのにこれだけ時間がかかってしまった。ところが書き直しているといつのまにか膨らんで、「早い定年」は「仕事の話」に、「歳を取った話」は「時間とわたしたち」に独立していった。「出藍の誉れ」といってよいのか、廃物利用といってよいのか、悩ましいところであるが、時間がかかったのはそういうことをやっていたこともあるのだ。ほかのログもほとんど手が入っている。なかには結論がすっかり変わってしまっているのもあるが、それはわたしが節操がないというだけなのかもしれない。

今回タイトルに困って、山村暮鳥から一部拝借した。「凶準鶏」を除けばすべて暮鳥の詩「囈語」から来ている。これは神学校を卒業した暮鳥が、牧師として赴任した秋田で作った詩である。初めて駅に降り立ってみると、街中の人々が大祝賀会の準備に余念がない。いったい何ごとか、と聞いてみると、刑務所ができたお祝いだという。そこで暮鳥は「地獄の開けたるを喜ぶなるか」としてこの詩を書いたのだとか。「竊盗金魚 強盗喇叭 恐喝胡弓 賭博ねこ 詐欺更紗……」と続いていき「誘拐かすてえら。」で詩が終わる。

詩人というのは名詞を組み合わせただけで詩を作ってしまうのだ。つくづくえらいものだと感心するのである。飲んでどうにかなるのなら、爪の垢を煎じて飲みたいものだ。暮鳥のころにはなかった「凶器準備集合罪」、鶏と合わせてみたのだが、これから日々、お茶代わりに爪の垢の煎じ薬を飲まなければならなくなりそうだ。
だいたい50キロバイトをめどにページを分けている鶏的思考も、いよいよ11ページ目に入った。塵も積もれば山になっているのだ。ただ、塵だけに登れるかどうかは不安だが。

この11ページ目には「ミリアム」の推敲をやっているあいだと、書いても書いても終わらないのではないか、と途中不安になった「あなたのなかの子供」の書き直しをやっているあいだに、日々書いた断片的な文章をまとめている。この時期書いていた「キンギョとの信頼関係」と「I trust you.(あなたを信頼しています)」の二本は「信頼ということ」として、「この話したっけ」に収めている。

振り返るに、かつて書いた文章の使い回しが三つもある。サブタイトルは「使い回す日々」とすべきだったのかもしれない。ただ「使い回し」と言うと聞こえは悪いが、限られたリソースの有効活用、といえば、ぐっと聞こえがよくなるのである(でもないか)。何度も同じネタを読んでくださった方、ほんとうにありがとうございます。

ただ、ここにあげたネタのいくつかは、さらに使い回せそうな気もしているのである。同じことばかりいっている、と飽きられる日も近いのかもしれないが、読んでくださっている方にしても、実はいい加減忘れているのではないか、と密かに推測もしているのである。
なお、「洗濯機の法則」は書き足したら結論がまったくちがうものになってしまった。行き当たりばったり、生きていると、こういうこともあるのである。
鶏頭でいいのか? 牛尾より 編(2006-12-28〜2007-1-12)
ここでの目玉はなんといっても「2007年陰陽師的占い」である。連日二百を超えるアクセスを記録し、改めて「占い人気」の一端がうかがえる思いであった。
幸い、だれからも怒られなかったのではあるが、ためしに実際の「占い」を見てみると「どんなことにも全力投球!真面目にコツコツと頑張れる運勢です」などと書いてある。これでは「陰陽師的占い」といったいどこがちがうのだろうか、と思ってしまうのである。もっともわたしが試しに見たのは、無料版で有料版はもっとありがたいことが書いてあるのかもしれないが。
この時期忙しくて、ブログではうまく書けていなかった部分もあるので、相当に手が入ってあるログもある。悪口がどうのこうの、と書きながら、そのすぐあとで悪口を書いていたりもするのである。いきあたりばったり、というか、三歩で忘れる、というか、まあそこはそれ鶏頭だけに大目に見ていただきたいのである。
笑える話が好きだ。何が楽しいといって、大まじめな本の中で大まじめな著者が、どうしても書きたくてたまらなくて思わずほくそ笑みながら書いたようなちょっとしたジョークに行きあうほど楽しいことはないと思うのである。
ピーター・バーガーも、ジャン=ピエール・デュピュイ(ああ、検索で飛んできた人ごめんなさい。ここでは『物の地獄』のことは何も書いてません)も、まさかそういうところばかり喜んでいる読者がいるとは思いもよらなかっただろうが、ここにいるのである。
ところが笑いを目指して書くのは、実は簡単ではないのである。わたしのなかには「牝牛のように感傷的」(メアリー・マッカーシー『グループ』)な面があるのだ。自分でも実際うんざりしていて、ダイエットや運動で皮下脂肪のように落とせるものなら、なんぼでもやるのに、と常々思っているのだが、残念ながらそんな運動はないらしい。つい、気を緩めると、そちらに落っこちてしまうのである。ここにもそんな落っこちたあとがある。
笑える話を書くためには、心身の充実とテンションを高く保つことが必要なのだが、だいたいにおいてわたしはたいそうテンションの低い、低血圧の人間なのである。日陰に柵、ではなかった、咲く花のような笑いをめざそう。いつの間にかその花を食べている牝牛になっていそうだが。
鶏だって夢を見る 編(2006-10-18〜11-12)
最近、夢を見ないのである。以前はロクでもない夢をよく見ては、起きてからしばらく夢うつつの状態で、それを反芻したものだったが。おそらくロクでもない夢は、いまも日々、見続けているのだろうが、起きてからすでに思い出せなくなってしまっているのだろう。
以前、ネコを飼っていたころは、ネコが寝ながら笑ったり、にゃーにゃー鳴いたり手(というか前脚)を動かすのを見て、いったいどんな夢を見ているのだろう、と考えた。おそらくは人間には想像もできないようなイメージにあふれた夢なのだろう。一度でいいから、ネコの見る夢を見てみたいと思ったものだった。
鶏だって夢を見る。だが、三歩あるけば忘れてしまう鶏の見る夢は、いったいどんなものだろう。
ここには「あの頃わたしが読んでいた本」をアップするまでと、「報道の読み方」をアップするまでのつなぎが載っている。記事に手を入れながら、その一方で、小さく丸めたパン種を発酵させて膨らませるようにちっぽけな種を膨らませながら書いたものなのだが、それなりに膨らんでいるもの、イビツなもの、さまざまである。それがちょっとひしゃげたパンでも、まぁ許してほしいのである。
2006-10-18力とイメージ 2006-10-19手帳の話
2006-10-28お相撲さんの話 2006-10-29ものの値段の話
2006-10-31恐いものの話 2006-11-02家内安全の範囲
2006-11-03祝二周年 2006-11-04挨拶の話
2006-11-05声の話 2006-11-11退屈ということ
2006-11-12物を包む話
わたしのなかの鶏 編(2006-09-19〜10-7)
記憶の話が三度出てくる、と思ったら、最初のころに書いていたメモの謎も記憶力が衰えた、という内容だった。
どうやらわたしにとっては使いやすいネタということなのだろうか、それとも、いよいよ末期症状ということなのだろうか。
判断に迷うところである。
反面、相変わらず子供のころに眠れなかったことだの、学生時代に犬に氷をぶつけた話だの、どうでもいいことはわれながらよく覚えていることに感心する。
おそらく筆者の記憶領域は、こうしたガラクタで埋めつくされているのだろう。
トコロテンのように押し出せるものなら押し出してしまいたい。
だが、そうなったらそうなったで、その空き領域にまたガラクタが入りこんでしまうのだろう。
来た、見た、忘れた編(2006-07-15〜09-07)
ここらへんから、連載を終えて書き直すあいだに、日々苦労しながらネタをひねり出しつつ短時間でそれをまとめる、という綱渡りが本格的に始まっている。
ごく地味に生活している筆者がおもしろおかしい出来事に遭遇する日はむしろ少なく、過去の出来事もいい加減棚卸しし終わって、持ちネタに困りつつ、ひねり出したあげくにオチをつけそこなっているのもある。
ただ、書き終えたときはもう見るのもイヤだと思ったログが、こうして日を置いて見直してみると、それほど悪くなく見えてくるのも、いい加減なものだ。単に、日々自分に甘くなっていっている、ということなの証左なのかもしれないが。
書いて忘れて何だっけ? 編(2006-05-25〜07-04)
だいたいコラムの総量が50kbになると、ページを変えるようにしているのだが、このページは10本で終わっている。つまり、一回が長文化しているのである。長い割には内容がないよう……シマッタ、やってしまった、ともかく、薄いものもあるのだが、薄くないものもある。うまく書けているかどうかは別として。「いい人、悪い人」などはそのうち「読みながら…」のほうで扱うかもしれない。
「開運四字熟語」は、年頭の占いの好評に気をよくして、二匹目のどじょうをねらったのだが、二匹目はいなかったようで、ちっともウケなかったのである。つぎの占いに臥薪嘗胆を期すのである。
考えても考えても深い鶏。編(2006-04-03〜05-16)
三歩、歩けば何でも忘れる、と言っているとおり、記憶にまつわる話が一ヶ月後にもう一度出てきている。内容は多少ちがうのだが、昔は記憶力が良かった、だが…という展開は同じで、つい先日も似たようなことを書いてしまった筆者は、頭を抱えるのである。
もうちょっと書いて膨らましたらいいような話もいくつかあるので、またそのうち、とも思っているのだが、そう思いながら忘れてしまうのだろう、とも思うのである。
通算1万ヒット記念の「コンビニの話」が感慨深いが、「道しるべ」と「灯台」のメタファーがかぶっているのである。これはほんとに書き直そう。……そのうち。
完結したエッセイふうの体裁が整ってきた時期である。
当初の「この話したっけ」はこんな内容を集めるつもりだったのだが、あちらが長文化してしまったために、鶏的思考のコーナーがこの手のエッセイを引き受けることになった。
ここからコラムに発展した文章もあるし、もう少し展開できないかと思っているものもある。単なる読書記録もあれば、映画がつまらなかった、というのもある。
個人的には"Happy Birthday, My Dear" が印象深いのだが、あくまでも個人的な思い入れなので、ほかの人が読んでおもしろいかどうかは知らない。

どこまで行っても鶏頭 編(2005-11-08〜12-31)
「鶏的思考」の一定のスタイルができてきた時期である。日々のふろくから、独立したつなぎになったのである。
自分で書いていて、「独立したつなぎ」というのは論理矛盾であるまいかと考えたが、あまり小さなことにはこだわらないのである。
笑えるのもあるが、相当苦しいのも少なくない。こっそり埋めてしまってもいいのだが、それもまた面倒なので、しないのである。タイトルが大仰な割にはたいしておもしろくないログは、あえて名を伏せておく。
「陰陽師的占い」はどういうわけか大変な好評を博し、筆者は一瞬、真剣に転職を考えた(含嘘)。雑誌の占い記事は、このようにいい加減に書かれてはいないことを祈るのみである。
この時期はまだ書き流すつもりだったころである。更新情報の末尾だったり、翻訳のおまけだったりして、独立性が低いので、これだけでは何のことかよくわからないかもしれないが、いまさら書き直す気にはなれないのである。
個人的には「移民の歌」が好きだ。コラムではなくて、曲の方が。
どうでもいいが、♪ブナの森の葉隠れに〜、というのは「流浪の民」でツェップの歌ではない。
2005-08-16『るつぼ』の書きこみ 2005-08-29新幹線から見たお寺の屋根
2005-09-08おばちゃんのひとりがたり 2005-09-09英語がしゃべれない!
2005-09-10鳥になりたい 2005-09-11選挙の風景
2005-09-12『夜は暗くてはいけないか』を読む 2005-09-24携帯屋、花盛り
2005-09-30病院にて 2005-10-01山の上の火のように
2005-10-06どうということはありません 2005-10-10物欲な日々
2005-10-11キャバクラのもてかた 2005-10-12脱走者の歌、移民の歌
2005-10-13怒りの矛先 2005-10-14癒しはいらない
2005-10-15忘れられない人、わからない人 2005-10-16お見合いを見た
2005-10-18親切と失礼のあいだ 2005-10-18携帯メールへの不信感
2005-10-20『カーネギー語録』 2005-10-21つぎはなんだ?
2005-10-23メモの謎 2005-11-03祝サイト開設一周年
2005-11-06がんばれ、ヒヨコたち!
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