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エズラはいつもすばやく家族の気持ちをつかみ、
食べ物や飲み物を作ったり、無言の支えになってくれた。
(アン・タイラー『ここがホームシック・レストラン』)



晩ご飯、何食べた?

鍋

 1.ドミグラスソースください
 

 いまから十年近く前のことだが、当時住んでいたところから歩いて十分ほどのところに、何軒かぽつんぽつんと食べ物屋があった。あたりはまったくの住宅街、それも一軒家はほとんどなくて、さまざまな規模、さまざまな色と形の集合住宅ばかりが立ち並ぶ。ファミリーレストランやファーストフード、あるいはそれなりの店構えの食事どころはそこからさらに十分ほど先の駅前商店街にあって、近所にあったのは、集合住宅の一階に間借りしたような、どれも小さな間口の店ばかりだった。赤提灯もいくつかあったような気がするが、そういう店はわたしにはとんと縁がなかったのでほとんど記憶にない。行ったことがあるのは、そのなかでも二軒だけだった。

 そのころたまに友人が遊びに来たりして、晩ご飯でも食べようか、という話になると行っていたのが中華屋だった。一間ぶんほどの間口から、ウナギの寝床のように奧へ伸びていく店内は、約半分を占める調理台を囲むように、L字型のカウンターがあった。それに沿って、ストゥールなんていう結構なものではない、うすっぺらなクッションの部分が赤いビニール張りの、脚のがたがたいう丸椅子が全部で十客ほども並んでいただろうか。人が坐っている後ろを進もうと思えば、すいません、すいません、と言いながら、カニのように横になって、壁にへばりつくように抜けていかなければならないのだった。

 出てくるのはごく普通の中華料理、値段も町の中華屋の値段なのだが、チャーハンにせよ、天津飯にせよ、八宝菜にせよ、春巻きにせよ、漠然と思い描いているのと微妙に味がちがっていて、それも「ああ、春巻きっていうのはこういう味のものなんだ」と思ってしまうような、エッジの効いた、ぴりっとした味なのだった。

 もっぱら料理をしているのは店主とおぼしき男性で、太い腕で中華鍋を巧みにあやつりながら、柄の長いお玉をリズミカルに打ちつけるいい音を店全体に響かせていた。もうひとりは奥さんとおぼしき女性で、この人はもっぱら食器を洗ったり、ネギを刻んだりの下ごしらえ担当。
「なにしましょう」
という発音は、日本に来てまだ日の浅い人のそれで、ときどき客に話しかけられて、たどたどしい日本語の返事が途絶えてしまうと、そういうときだけ店主の男性の方が助け船を出していた。

 わたしはそこの担担麺が好きで、行くたびにたいていそれを注文していたのだが、注文するたびに、その奥さんは少し顔をしかめて「からいですよ(それでもいいですか?)」と確かめるのだった。
後に、陳建民の本を読んで知ったのだが、わたしが当時食べていた「担担麺」、ぴりりと辛い肉味噌がのったラーメンは、麻婆豆腐と同じく陳建民が日本人に合わせて改良したものであるという。あのとき奥さんの広い眉間に細い眉がぐっと寄せられていたのは、日本風の担担麺が、彼女の口に合わなかったせいだったのかもしれない。

 夜、その道を通っていくと、店内に入りきらずに外で待っている人の姿もよく見かけたものだった。別に冬ばかりではなかったはずなのだが、記憶のなかのその店は、夜道に煌々と明るい蛍光灯の光を投げかけ、窓ガラスから中をのぞけば、蒸気で曇った向こうから、中華鍋をあやつる店主の姿がぼんやり浮かんでくる。カンカンというお玉の軽やかな音が、外からはくぐもって聞こえるのだった。

 そこからさらに十数メートル歩いていくと、小洒落た店構えのレストランがあった。木製のドア、店の前には木製の白いアヒルが鎮座しており、その横には小さな黒板を置いたイーゼルが立ててある。看板には「フランス風田舎料理の店」とあって、黒板にはその日のメニュー、かさごのプロヴァンス風とか子牛のナントカ風煮込み、などとチョークで書いてあり、一度行ってみたいものだが、高いのだろうか、と横目でにらみながら、こちらはもっぱら前を通るばかりだった。

 それがある日、その前を通りかかると、窓ガラスのすみっこに、「当店手作りのホワイトソース、トマトソース、ドミグラスソースをお分けします。100グラム300円」と、ルーズリーフにマジックで書いたのがセロテープで留めてあるのに気がついた。ホワイトソースもトマトソースも簡単に作ることができる。だが、ドミグラスソースだけは、簡単には作れない。わたしはハヤシライスを作るときも、タン・シチューやビーフシチューを作るときも、ハンバーグソースを作るときも、ハインツの缶詰めを使っていたのだった。100グラム300円というのは、ハインツの缶詰めに較べればちょっと割高ではあるが、「フランス風田舎料理」の店の自家製である。これは一度試してみなくては、と思って、初めて店のドアを開けたのである。

 たぶん、五時前ぐらいではなかったか。開店前の薄暗い店の奧、そこだけは蛍光灯の明るい調理場で、眼鏡をかけた小太りの三十代前半ぐらいの男性が、寸胴鍋をかきまわしていたのだった。
「ドミグラスソース、ください」
とわたしが言うと、脇にある小鍋から茶色液体をお玉ですくって、二重にしたビニール袋に入れてくれる。二杯いれたところではかりにのせると、針はぴったり100グラムを指し、たいしたものだ、と思った記憶がある。そのドミグラスソースは缶詰めにはない香りと豊かさがあって、なんだかとてもおいしくて、ぜひそのうち、その店でゴハンを食べなくては、と思ったのだった。

 そうは言っても、店で食事をするような機会はなかなか訪れず、それでもドミグラスソースはそれから先も、月に二度ぐらいのペースで買い続けた。ところがそのうち、店の前から、忽然とアヒルが姿を消し、やがて黒板も姿を消した。店の看板から「フランス風田舎料理」の文字が消え、イーゼルにはメニューが載った。そのメニューには「子牛煮込み」のかわりに「オムライス」や「ハヤシライス」「ハンバーグステーキ」「親子丼」などが並んでいたのである。

 そこが「フランス風田舎料理」のレストランではなくなっても、わたしはドミグラスソースを買い続けた。たぶんそのころにはもう張り紙はなかったと思うのだが、もしかしたら、ソースだけ買いに来る常連客というのは、わたしだけだったのかもしれない。それでも店のおにいちゃんはめんどくさそうな顔もせず、二重にしたビニール袋にいつもドミグラスソースを100グラム、きちっと詰めてくれたのだった。

 間もなくそこから越してしまって、結局、食べに行ったのは一度だけ、当時仲の良かったアメリカ人の女友達が来たときだった。ちょうどつきあっていたボーイフレンドと別れたばかり、もう男なんてこりごり、男なんてサイテー、男なんて……、と、腹が立っているのはひとりだけだろうに、男すべてを呪詛しながら、どういうわけか彼女は親子丼を食べ、わたしはハヤシライスを食べ、そのあと彼女はわたしのところへ来て、わたしがストックしておいたチキンラーメンを、途中で自販機で買った缶ビールを飲みながら、音のしないように神経質にすすり、それから、ああ、もう頭に来るとどうしてこんなにお腹が空くのかしら、といいながら、セブンイレブンに買い出しに行って、買ってきたポテトチップスとプリンとさきいかと卵サンドを、二本目の缶ビールと一緒に食べたのだった。わたしはいったいどこまで入るのだろうと感心して眺めていたことを覚えている。

 そのあとその店がどうなったかわたしは知らない。以来、仕方がないので、ドミグラスソースが必要なときは、またハインツの缶詰めを使っている。

鍋【11月1日の晩ご飯】

◆ハヤシライス:※ ハインツのドミグラスソース一缶で四人分。
1.野菜を切る。タマネギは必須、あとは適当。ナスもブロッコリも何でも可。
  この日はニンジンとエリンギを入れた。
  何でも、といっても里芋とか冬瓜とか入れたらどうなるかは知りません。
2.鍋に少量の油を入れ、野菜と薄切りの牛肉を炒める。
3.水を入れ(四人分だと3カップくらい)、コンソメキューブを1個入れる。
4.柔らかくなったらドミグラスソースを入れる。
5.5分くらい味を馴染ませたら、できあがり。
※もちろんじっくり煮込むとそれはそれでおいしいんだろうけど、わたしは Rush の "2112" 1曲分くらいの時間でパッパッとやっちゃいます。
付け合わせ:ゆでたブロッコリにカツオブシ+醤油をからめたもの






 2.わたしを「蕎麦屋」に連れてって

 アン・タイラーの『ブリージング・レッスン』は、実に味わい深い、いい小説で、タイラーはどれもおもしろいけれど、『夢見た旅』『アクシデンタル・ツーリスト』『ここがホームシック・レストラン』そうしてこの『ブリージング・レッスン』がやはり白眉ではないかと思う。一緒に、まったく意味のない空想なのだけれど、太宰治が読んだらどう思っただろう、と考えるのだ。というのも、タイラーの小説は太宰が言った「世間とは個人じゃないか」という発想が根本にあると思うからだ。

 朝起きて、食べて、寝ての繰りかえしの日々のなかで、ケンカしたり、行き違ったり、怒ったり、八つ当たりしたり、相手のことをたいせつに思っているのに気持ちは伝わらず、誤解したり、嘘をついたり、期待したり、期待されることに苦しんだり、思ったことを言わずに胸の内に留めたりしながら、登場人物たちは少しずつ変わっていく。何もかもが時間のなかにあるのだよ、と、そうして、時間とはひとがそのなかで変わっていくということなのだよ、と書いてあるタイラーの小説を読んで、すべてが起こったあと、最初から書き起こす「手記」という形式、その意味で、最初から最後まで変わりようのない人間の小説をいくつも書いた太宰は、何を思うのだろう、と。

 さて、無意味な空想は置いておいて。
この『ブリージング・レッスン』は、長い年月を共に過ごし、ゆっくりと老境に入っていこうとする夫婦が主人公である。夫のほうはうっかり者で底の浅い妻を軽んじているところもあるのだけれど、妻の方は、口が重く容易に本心を言葉にしない夫の心境を、彼が思ってもみないほど、正確に把握している。というのも、夫の方は(本人は気がついてないのだが)、そのときの気分が、つい、口笛の選曲に現れてしまっているからなのである。

 夫のアイラという人物は、頭も良くいろんなことが見えながら、一方で胸の奥に深い失望も抱えている陰影に富む人物なのだが、彼の気持ちが口笛ひとつで丸見えになってしまうという落差がおもしろい。とはいえ、そんなことは実際によくあることなのかもしれない。CDひとつとっても、何を聞くかはそのときの気分をかなり忠実に反映するものだから。

 以前、大学の寮にいたころ、隣の部屋の子がよくラジカセの音量をあげて、大きな音で音楽を聞いていた。彼氏とうまくいっているあいだは、“A〜面でこーいをしってっ、ウ〜インクゥのマシンガンで”などと脳天気な曲が流れていたのだが、徐々にうまくいかなくなるにつれ、曲は“うらみま〜す、うらみま〜す”と、中島みゆきに変わっていったのである。以降三ヶ月ほど、わたしは隣の部屋から聞こえてくる中島みゆきのさまざまな歌と一緒に暮らしたのだった。

 そのなかで、わたしは「蕎麦屋」という曲が好きだった。

 「蕎麦屋」     作詞 中島みゆき

世界じゅうがだれもかも偉い奴に思えてきて
まるで自分ひとりだけがいらないような気がする時
突然おまえから電話がくる 突然おまえから電話がくる
あのぅ、そばでもくわないかあ、ってね

べつに今さらおまえの顔見てそばなど食っても仕方がないんだけれど
居留守つかうのもなんだかみたいでなんのかのと割り箸を折っている
どうでもいいけどとんがらし どうでもいいけどとんがらし
そんなにかけちゃよくないよ、ってね

風はのれんをばたばたなかせてラジオは知ったかぶりの大相撲中継
あいつの失敗話にけらけら笑って丼につかまりながら、おまえ
あのね、わかんない奴もいるさって あのね、わかんない奴もいるさって
あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ

風はのれんをばたばたなかせて ラジオは知ったかぶりの大相撲中継
くやし涙を流しながらあたしたぬきうどんを食べている
おまえは丼に顔つっこんでおまえは丼に顔つっこんで
駄洒落話をせっせと咲かせる

 聞いていて、この微妙な距離感がいいなあ、と思ったのである。こんなふうな距離感でもって、人と関係が作れないものなのかなあ、と。

 相手のことが気にかかる。だから、気をつけて見ている。そうすると、相手のきつさしんどさも見えてくる。そういうときに、すっと手をさしのべる。そのさしのべ方も、押しつけがましいものではなく、そんなことをやっている自分に照れてもいるような。

 けれど、現実にはそんなことはできるものではなかった。気にかかる相手は、距離を置いて見ていることなどできなくなって、どうしても距離を縮めたくなり、あれこれと差し出がましい口を利いてしまう。近くなった相手には、つい、いろんなことを要求してしまい、要求がかなえられないと腹を立て、結局、互いに充たされない思いばかりがつのっていく。自分からそんな手をさしのべられないように、だれもそんな手をさしのべてはくれない。そのころは相手が男であれ女であれ、そんなふうな関係を作っては壊ししていたような気がする。

 それからずいぶん時が過ぎて、中島みゆきの曲も忘れてしまい、自分がそんなことを願っていたことすらも忘れてしまったころ、ふと、そんな手がさしのべられたのである。まったく思いもかけないところで、まるでこの歌のように。シチュエーションはずいぶん異なってはいたけれど、それでもわたしは不意にこの歌のことを思い出したのだった。

 そうして、この歌がはっきりとは言葉にしなかった「それ」、歌の主人公を泣かせもし、電話をくれた「あいつ」が遠慮がちに差し出した「それ」を、わたしもまた受けとったのだった。
情況がたとえ変わらなくても、誰かがわかってくれるというだけで、世界はまるっきり変わってしまうのだ、と。
ああ、わかってくれた人がいたんだ、と。
ただそれだけで。

 おそらくそのとき、わたしがまったくそういうものを望んでいなかったから、望むことなど、思いつきもしなかったから、さしのべてくれた手に気がつくことができたのだ。

 ひとに何かをしてほしい、と思う。相手がそうしてくれるとうれしいし、ありがたい、助かったと思う。けれど、それはどこまでいってもギブ・アンド・テイク以上のものではない。自動販売機にお金を入れて物を買うように、「お願い」を投入口に入れて、相手から何かが返ってくるのを待つ。望んだものが出てくればうれしいけれど、そのうれしさは、「満足」、自分の欲望が満たされたよろこびでしかない。

 ひととひとの関係から生まれるのが、そういう「満足」だけ、というのは、どこかちがうような気がする。わたしたちはほんとうにそういうものを求めて、ほかのひととつきあっているのだろうか。それだと、より大きな「満足」を引き出すために、対策を練り、作戦を考えるようになってしまうんじゃないか。そういう状態は、「人を利用している」と呼ぶものではないのだろうか。
あるいは、わたしはこれだけしてあげた。だからあなたもこれだけ返してちょうだい、と要求、もしくは期待する。そういう等価交換を求めるような関係は、相手を、人間ではなくて、自動販売機とみなしているのと同じじゃないんだろうか。

 そうした利用や等価交換の関係から離れようと思えば、結局は、相手に何かを求めることをやめることしかないのだろう。
だが、たとえ純粋に相手のために何かをしてあげたい、と思うときでも、どうしても感謝の言葉や喜ぶ顔を期待してしまう。ありがとうの一言でいい、ほんの少しの笑顔でいい、と。
わたしたちはつながりを持っていたい相手に、何かを求めずにはいられない。それが、おはよう、という言葉に返ってくる、おはよう、であったとしても。

 永井均は『子どものための哲学対話』でこう言っている。ここで「ペネトレ」と「ぼく」が呼んでいるのは、彼の対話相手であるネコのこと。

ぼく: 猫のことは知らないけど、人間は、自分のことをほんとうにわかってくれる人がいなくては、生きていけないものなんだよ。

ペネトレ: そんなことはないさ。そんな人はいなくたって生きていけるさ。それが人間が本来持っている強さじゃないかな。ひとから理解されたり、認められたり、必要とされたりすることが、いちばんたいせつなことだっていうのは、いまの人間たちが共通に信じこまされている、まちがった信仰なんだ。

(永井均『子どものための哲学対話』講談社)

 これを初めて読んだときはすでに子供という時期を過ぎて久しいころだったけれど、もし子供のときこれを知ってたいら、ずいぶんいろんなことが楽になっただろうに、と思ったものだ。

 それでもいまはやっぱりこんなふうに思うのだ。
それがたとえ「まちがった信仰」であったとしても(というか、永井さんはここで子どもに「強くあれ」と言っているのだろうとわたしは思うし、その激励はとても胸に響くのだけれど)、「自分」という意識のなかには、「ほかのだれでもない」ということが同時に意味されていると思うのだ。だとしたら、自分が、自分である、と思う気持ちのなかにはすでに「この自分をわかってほしい」という思いが織りこまれているはずではないか。

 問題なのは、わかってほしい、認めてほしい、という気持ちを、まるで自動販売機に向かうように、相手にぶつけてしまうことなんじゃないだろうか。ぶつけずにはいられない。だけど、それだけじゃない関係もあるんだ、と頭の隅に留めておくこと。

 だから、「蕎麦屋」なのである。
こういうふうに、求めていないとき、突然かかってくる電話のために、やっぱりわたしたちは、生きているのではないか。
待っているときには、絶対鳴らない電話を。
わたしたちは、もしかしたらその電話のことを忘れるために、日々の生活を精一杯送っているのかもしれない。そうして、偶然、ひょっとしたら、わたしたちの「自分のための精一杯」が、どうかした拍子に、誰かにとっての「電話」になるのかもしれない。そんな意図のまるっきりない「電話」。相手のため、と思っているあいだは絶対にできない「電話」。

 さて、この相手は「丼に顔つっこんで」何をたべているのだろう。
この歌の女性(たぶん)は蕎麦屋で「たぬきうどん」を食べるような人だ。だから相手である「おまえ」も、蕎麦なんて食べてはいないのではないか。「顔をつっこんで」は、顔の前に持ち上げて、かきこんでいる姿をあらわしていると思うのだ。この「おまえ」が食べるのは、やはりカツ丼以外ではありえない、というのが、わたしの大胆な推測である。

 ということで、今日の晩ご飯はカツ丼だったのである。


鍋【11月2日の晩ご飯】

◆カツ丼: ※これはほとんど料理とは言えません。
1.とんかつを買ってくる。ええ、お好きなところでどうぞ。
2.薄切りにしたタマネギを、だし汁+しょうゆ+みりん+さとうで煮る。
  調味料は一人分でだし汁75cc、しょうゆ大1、みりん、さとう各1/2くらい。
  ここでヒガシマル薄口しょうゆを使うとgood! とわたしは思う。
3.切ったとんかつを入れて、ちょっとだけ煮る。
4.卵でとじる。三つ葉をぱらぱら、でできあがり
つけあわせ:酢ダコ(タコとキュウリとワカメとショウガを三杯酢で和えた)
明太子、小松菜と豆腐の味噌汁






 3.お腹が空かない!

 初めて嘘をついたときのことは覚えていない。だが、初めて嘘がばれたときのことは、あれがそうだったんじゃないか、という記憶がある。もちろんそれ以前に、親に嘘がばれたことなら何度でもあったのだろうが、最初に経験した「社会」、つまり幼稚園の「年少さん」(ということは四歳に近い三歳)にあがってまだ日も浅い頃の記憶である。

 幼稚園では何よりもお弁当が苦痛だった。わたしの食の細さは十分に知っていただろうに、母はとても食べきれない量(といっても、いま考えるとたかが知れているのだが)を詰めるのだった。当然、残してはならない。食べ終わって空っぽになった弁当箱を、先生に、残さずちゃんと食べました、と見てもらわなければならないのだ。ところがどうしても食べられないものだから、お腹が痛い、と言っては残していた。それがおそらく何日か続いたのだろう。先生から「いつもお腹が痛いのね。お医者さんには行ってるの?」と言われたのだった。その語調から、すぐにこれは質問などではない、と理解した。先生は知っているのだ、と思うと、恥ずかしさに全身がかっと熱くなった。

 それ以降もお弁当、やがて給食との格闘は続いた。それでも身体が少しずつ大きくなるにつれ、なんとか「人並み」に食べられるようになり、格闘も終わったころ、『人間失格』を読んだのだった。すぐに、中学生のわたしは、この人はなんでこんなあたりまえのことをぐだぐだぐだぐだ言うのだろう、と思ったのだった。

自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。

 おそらくこれは太宰の実感なのだろう、他人には説明しにくいあの「感じ」を、なんとか言葉にしようと苦労している感じが伝わってくる。だがこの感覚を理解する人は決して少数ではないようにも思うのだ。ふと気がつくと、お腹がぐうぐう鳴っている。それで初めて時計を見ると、ああ、こんな時間だったのか、と思うあの「感じ」。自分の鳴っているお腹を、自分のものと感じられないような、あの「感じ」。

小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

 「おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある」という人の言葉を元に、この手記の書き手である葉蔵は、他人の空腹の感じ方と自分の空腹の感じ方のちがいを書いている。だが、実はだれにも「他人の空腹」がどんなものかはわからない。こう言っている人が、ほんとうに言葉通りに「ひどい」空腹を感じていたのだろうか。いまとはちがって食料そのものが決して豊かではなかった時代だから、確かに葉蔵のようにリアルな空腹感を知らない人びとは、それほど多くはなかったのかもしれない。だが、たとえ当時であっても、深刻な飢えを感じる前に、つぎの食事の時間が来るような生活を送っている人はいただろう。まして「飽食」と言われて久しい現代のわたしたちなら、葉蔵の言っていることは、そのままわたしたち自身の感覚なのではあるまいか。

 集団生活を送っていると、空腹とは無関係に食事の時間がめぐってくる。そのパターンに自分の身体をうまく合わせられる人と、合わせにくい人がいるように思うのだ。たとえば、人によって夜型、朝型とあるように、空腹と感じるまでのスパンにも個人差があるのではないか。一日三食にうまく適合しない人が、三食型の食生活を送っているうちに、空腹の実感が、なんとなくつかめなくなってくる。それでもまわりに合わせて食事を摂っているうちに、いよいよ空腹感の実感は希薄になっていく。いまのわたしたちは、多かれ少なかれ、この『人間失格』の主人公に近い状態にいるのではないだろうか。

 ただ、集団生活というものが、決まり決まった時間に食事をとることを要請するのはまだ理解できるのだ。理解できないのは、食べなければいけない量がどうして決まっているのかということだ。食事というのは食べたいものを食べたいだけ食べるものなのではないんだろうか。偏食だのとなんだのというけれど、ピーマンが食べられない子はニンジンを食べればいい、ニンジンもピーマンも食べられない子は、トマトを食べればいいじゃないか。栄養という面から言えば、どうしてもそれを食べなければならない、などというものはないはずなのだ。食べられる量にしたって、代謝率だの運動量だの、個々人にずいぶん差がある、同じ人間だって、ちょっとした調子や昨日食べたものによって、「食べたい量」は変化する。そんなことは当人にしかわからないのだ。いまはどうなのかわからないけれど、わたしたちのころは、お弁当も、給食も、残すなんてとんでもなかった。そういうことをやっているから、空腹感も満腹感も、「おいしい」という実感も、「まずい」という実感も、いよいよわたしたちから遠いものになっているのではあるまいか。

偏食をいけないとするのはひとつの脅迫的な価値観にすぎない。人類はその誕生以来、自然条件に規定されてのことではあるが、偏食を常態としてきたのであり、偏食が負性をおびて「問題」視されるようになったのは、たかだかこの数十年のことでしかない。

 くわえて、偏食が大人の場合には見過ごされ、子供の場合にのみ、「問題」としてクローズ・アップされるのは、それがなにより教育(つまり社会的訓育)の「問題」であるからだ。偏食をなおすことが、あたえられたものをつねに万遍なくすべて食べることへと置き換えられていることに、注意したい。味覚という感性は斥けられ、偏食は悪であるとする道徳的な観念が択ばれている。教育の現場ではあらゆる観念がそうであるように、この偏食=悪という観念もまた、ある奇妙な強迫性をおびつつ流通させられる。

(赤坂憲雄『排除の現象学』ちくま学芸文庫)

 空腹の感覚が鈍くなることは、また別の問題を引き起こす。中学に入ったころから(いまはもしかしたらもっと低年齢化しているのかもしれないし、ひょっとしたら女の子たちばかりではないのかもしれないのだが)、女の子たちの人生に「ダイエット」という言葉が登場するのである。ダイエットしなきゃ、いまダイエットしてるんだ、が挨拶代わり、趣味がダイエット、という子まで出てきたのだ。とはいえ、多くの子はカロリーを気にしながらもきちんと弁当を食べ、休憩時間には学校にこっそり持ってきた、“コアラのマーチ”や“ポッキー”を食べ、放課後には売店で菓子パンを食べて夕食に備えるような健康的な食生活を送っていたのだが、なかにはほんとうに、厳しい食餌制限を自らに課している子もいたのだった。

 弁当を食べているわたしの向かいにすわって、手のひらにのるくらいの小さなタッパーに入れてきたプチトマトとゆでたブロッコリーが「お弁当」。そうしてわたしが食べているもののカロリーを、事細かに指摘してくれる。彼女たちは食品成分表がまるごと頭に入っているのではないかと思われるほど、ありとあらゆる食品や料理のカロリーを知悉していた。ダイエットの必要などどう見てもない華奢な、さらにいってしまえばガリガリにやせ細った子なのに、足が太くて象みたい、とか、ウエストが何センチもある、などと、遊園地の歪んだ鏡に映った像を見ているかのように、最低でも3s、できれば5s減らしたい、と言い続けるのだった。

 大学に入ると、今度は「吐けばいい」という子が出てきた。食べ過ぎたら指を突っこんで吐くことにしている、というのである。そうすれば、食べたいだけ食べられるよ、と。
とっさに思い出したのが、ローマ時代の貴族の話だ。『クォ・ヴァディス』ではなかったかと思うのだが、ローマの貴族たちは、ひたすら美食を続けるために、食べてはガチョウの羽を喉に突っこんで戻していたという。吐くのは実際、苦しいことだろうに。そこまで食べることに貪欲であり続けた人間の欲望に、なんともいえない思いがしたものだが、ダイエットのために「吐く」ということにも、同じようにやりきれないものを感じたのだった。吐けば、際限のない「食べたい」という欲望にどこまででも応えられる。同じように、痩せるために吐くというのも、「痩せる」ということが一種の欲望になっているのではないか。

 「空腹感」なら満たすことができる。けれども「満腹感」という歯止めを失った欲望は、どこまででも行ってしまう。ほんとうなら苦しいはずの「嘔吐」さえ厭わず、欲望を暴走させてしまう。

 お腹が空いたときに食べ、お腹が膨れたところでやめること。
考えてみたら、わたしたちはこのことを教わったことがない。教わるまでもないことなのかもしれないが、これに反することようなことばかり習ってきたのだ。
自分の身体の要求に耳を傾ける。おそらくそのやり方は、個々人によってちがうだろう。それでも身体が欲するものをうまく感じ取ることができるようになれば、わたしたちはまた「空腹感」や「満腹感」や「おいしい」という感じを取りもどすことができるのではあるまいか。その結果、少々体重が増えようが、同じものばかりを食べ続けることになろうが、長期的にはその人に一番合った状態を見つけることができるように思うのだ。


鍋【11月3日の晩ご飯】

※今日はめずらしいことに外食でした。天ぷらを食べたので、ちょっと胃が重い。







 4.ままごとのように

 クスクス、と書くと、何か笑っているみたいだけれど、ものすごく小さい、もうちょっと正確に言うと、直径1ミリ程度のひらべったいパスタである。たいてい大きな紙の箱に、どっさり入って売っている。売れ筋以外は徹底して排除する(のではないか、とわたしは密かに思っている)ジャスコにはないけれど、珍しい食材に寛容な大きめのスーパーに行けばあるのではないかしら。もちろん輸入食材店に行けばまちがいなくある。

 ご飯を炊こうと思うと、愛するわが炊飯器、"C3PO"(これからご飯を炊きますよ、と、キラキラ星の出だしを歌い、ご飯ができましたよ、とアマリリスを口ずさむ炊飯器を、わたしはその外見からスターウォーズの登場キャラクターになぞらえて、"C3PO" と呼んでいる)にはすばらしいスーパーウルトラワンダフルな早炊き機能(これだと、ご飯が二十分で炊ける!)がついているのだが、ともかく二十分は待たなくてはいけない。でも、クスクスなら、お湯を沸かして、沸騰したら火をとめて、そこにクスクスをひとにぎりぶちこんで、ふたをしてほんの三分ほどでできあがり。そのあいだに冷蔵庫の野菜室に転がっている野菜の切れ端をコンソメスープで煮ておいて、そのなかに入れてもいいし、小さく刻んだカボチャとタマネギと一緒に軽く炒めて、少量の牛乳と一緒に煮たなかに入れてもいい。とにかく、カップラーメンができるのとそれほどちがわない時間で一品できるクスクスは、ありがたい食材なのである。炒めて、ピラフみたいにしても食べられるけれど、これはもそもそする感じでわたしには少し食べにくい。

 このクスクスは、もともとは北アフリカの食材だったらしい。アルジェリアでは主食であると書いてあるから、ジャック・デリダも“ジャッキー”だったころによく食べたんだろう。そう思うと、ちょっとありがたいような気もしてくる。

 ビーフンもよく食べる。お湯で軽く戻して、焼きビーフンもおいしいけれど、汁ビーフンもとても簡単。まずお湯に固形コンソメとチンゲンサイを入れて作った超簡単スープに、豚の挽肉とタケノコとエリンギを2センチ角程度に切ったのとネギを炒めて、それにしょうゆとオイスターソースとナンプラーで味付けをして、最後に片栗粉でとろみをつける。この肉ミソを汁ビーフンに入れて、からめながら食べるのである。このナンプラー、小魚を発酵させただけあって、ふたをとってにおいを嗅いでみると、やっぱりちょっと生臭い。でも、ほんのひとたらしで味の奥行きがぐぐっと深くなる。これも15分見ておけば十分。

 空腹の実感がいまだにはっきりしないわたしにとって、食事を作るということは、いまだにどこか遊びのような気がする。大学に入るまでは、家庭科の調理実習を除いては、食事の支度などしたことのなかったわたしは、あらゆることを料理の本から吸収した。最初に買ったのは、『オレンジページ』(これは雑誌なのだが、当時200円という破格の値段と、ほかの本にはないような、料理の基礎の基礎を教えてくれる本だったのである)、小さな鍋をふたつと、計量カップと計量スプーン。化学の実験というか、ままごと遊びの感覚で、本の通りに材料を切り、火にかけ、味付けをしていった。たとえ初めてであろうが、愚直に「教科書通り」にやっていけば、とりあえずのものは完成する。実験成功、というわけだ。

 ひとつ成功すれば、新しいものに挑戦してみたくなる。つぎの料理、つぎの本、新しい食材に知らない国の料理。輸入食材店へ行くのは楽しいし、つい、目新しいものがあれば買ってしまう。本屋に行って、メキシコ料理の本だの、インド料理の本だの見つけても、やっぱりほしくなって買ってしまう。

 もしそれが空腹を満たすためだけであれば、そこにあるものを適当に口に入れればいいのかもしれない。それこそ、お湯を注ぐだけで空腹が満たされるカップヌードルで十分なのかもしれない。それでも、そこでクスクスを箱から取りだしてしまうのは、きっと、そっちのほうがわたしにとっておもしろいからなのだろう。

 シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』を読んだのは、高校生の時、あまりおもしろくなくて、最後まで読まなかったような気がする。それでも、主婦の仕事には創造的なところがまったくない、と書いてあった部分は、結婚しなければ良かった、子供など生まなければ良かった、と繰りかえす母を見ていると、なんとなく納得できるような気がしたのだった。

 けれど、実際に料理をするようになって思うのは、料理はおもしろい遊びなのである。その結果も自分自身で確かめることができる。与えられた条件のもとで、最大の効果を目指す遊び。できるだけ、短時間で、あるいは、限られた食材で、そこでどういうパフォーマンスを見せることができるかどうかは自分にかかっているのだ。

 ジョン・アーヴィングの『ガープの世界』の主人公、T.S.ガープは料理が好きだ。小説家となった彼は、こう書く。

立派な素材を使って、手抜きをしさえしなければ、だいたいなにかうまい料理をつくることができる。ときとして、自分の食べるものが、その日一日のなかで自分の産み出した唯一の価値あるものであることもある。創作の場合は、わたしの経験からしても、じゅうぶんな素材とたっぷりの時間、気配りをかけてなおかつ、なにも産み出せないことがある。それは恋愛もまたしかりである。それゆえ、懸命に努力をする人が正気でいられる場は台所である。

(ジョン・アーヴィング『ガープの世界』筒井正明訳 新潮社)

 ガープがコショウをローストしてドレッシングを作る場面は、作品のなかでもわたしが一番好きな場面だ。

 ガープは緑色のコショウの実を取り、ガスバーナーの真ん中に置いた。炎を大きくすると、コショウが燃えはじめた。一面に黒くなると、冷ましてから、焦げた皮をはがす。するとその中身はとてもおいしいローストペパーができあがるから、それをスライスし、オイルとビネガーとマヨラナ(これもハナハッカの一種)少量とでマリネにする。それでサラダのドレッシングができあがりだ。

 ここで「マヨラナ」と言っているのはマージョラムのこと。わたしはここを読んで種を買ってきて、小さなプランターに、バジルと一緒にベランダで栽培した(何年か前の夏に枯らしてしまったが)。「緑色のコショウの実」、つまりローストする前の、生のコショウの実はどうしても手に入らず、売っている黒コショウは軽くあぶっても皮はうまくはがれず、仕方がないのでミルでごりごり挽いている。それでも挽きたてのコショウは、粉になっているあのコショウとは、全然味がちがう。

 まともに料理をするのは、一日一回でしかない。だから「遊び」でいられるのかもしれない。自分がガープの言う「懸命に努力をする人」に当てはまるかどうか、それも覚束ない。けれど、一日に一度、台所に立つのは、わたしにとっては日々のささやかな娯楽なのである。

鍋【11月4日の晩ご飯】

◆カルビと干し椎茸とダイコンとネギの煮物
1.干し椎茸をもどす。もどし汁もとっておく。
2.ダイコンとネギをザクザク切る。大ぶりの方が食べ応えはある。
  余力がある人はショウガをひとかけ用意。
3.鍋に少量の油を入れてカルビを炒める(ショウガも)。
  焼き肉じゃないんだから、いいやつをかわなくていい。
4.そこに野菜、椎茸も入れる。
5.干し椎茸のもどし汁と水合わせて2カップぐらい入れる。
  しょうゆ大2、みりん大2、酒大2
6.アルバム1枚分くらい弱火で煮込むと、すごくおいしくなる。
  このスープ、ご飯にかけても good!
付け合わせ:ツナと貝割れとワカメの和え物
タマネギとワカメの味噌汁






 5.欲望のロールキャベツ

「男好きのする女」という表現は、小説を通じて子供のころから知っていたが、大学に入るまで、その実例は見たことがなかった。ばくぜんと、胸の大きい、髪が長くて色の白い、きれいで色っぽい人がいるのだろうと思っていたのである。

 ところが実際にわたしが遭遇した「男好きのする女」は、そうした固定観念というか、一般通念というかに当てはまらない「女の子」だった。
女の子の目から見ると、ちっともかわいいともステキだとも思えないのに、彼氏の切れ目がない女の子、すごく人気があるというほど目立つわけでもない。だが、女の子が数人写っているなかで「この子かわいい」と、男の子がまず指さすような女の子、けれど女の子にそれを言ったら「えーっ?? そんなことないよー」と、結構ムッとした表情をされてしまうような、女の子の側も嫉妬とかそういうのではなく、ほんとうにちっとも魅力的とは思えないからそう言ってしまうような女の子が、ほら、あなたのまわりにもいたでしょう?

 わたしが知っていたその子は、色っぽくもないし、胸はちっとも大きくないどころかぺたんこだし、どういう規準からいっても「美人」には当てはまらない、芸能人の誰かに似ているわけでもなく、その子を見ているとわたしはいつも「犬ころ」という言葉を思い出すのだった。

 白い雑種の子犬。むくむくとして、目のくりっとしていて、確かにかわいいのだけれど、人間というより、犬に近い。仕草も、人なつこく寄っていくところも、実に「犬ころ」っぽい子なのだった。わたしはひそかに「わんこ」と頭の中で符丁をつけていたぐらいだ。

 彼女とわたしは学科も同じ、出身地も隣接県ということで、入学後、最初に親しくなった相手だった。だが、マイペースというかなんというか、まあものすごい変わり者、しかも「わたし、ちょっと変わってるでしょ?」という子が例外なくちっとも変わっていないのと反対に、自分のことを変わっているなどと考えたこともなさそうな(というか、自分が外からどう見えるか、そもそも彼女は考えたことがあったのだろうか)彼女は、ほんとうに変わっていた。

 二浪して、歳はふたつ上、二十歳を超えていたのだが、ところかまわず「あの人の髪型、ソフトクリームみたい!」とケラケラ笑い出したかと思えば、いきなり道ばたにすわりこんで泣き出す。
「前に飼っていたジョン(※犬の名前)が死んじゃったこと、思い出したの」
突飛な行動をする子の多くが、どこかで見ている人間の反応をうかがっているのに対し、彼女の場合、まったくそういうところがないのだった。つぎの行動の予想がつかず、こちらが急いでいるようなときはイライラもしたけれど、自意識とは無縁の彼女の行動は見ていて飽きなかったし、意外なことに本はしっかり読んでいて、彼女らしい奇妙な観点からの感想もあったが、反面、手堅い読み方をしているところもあって、そういう話をする相手としては悪くないのだった。ご飯を食べる機会をのぞいては、ときどき電話をかけたり、彼女の持っていたマイケル・ジャクソンの昔のアルバムを聴かせてもらったり、どちらからともなく誘い合わせて映画を見に行ったりもして、おそらく一年の頃はわたしが彼女とは一番親しかっただろう。そのうち、彼女の方にボーイフレンドができて、別れても、別れても、つぎつぎできて、わたしと一緒に出歩くことはなくなってしまったのだが。

 ご飯を食べる機会をのぞいて、と書いたのは、この子のものの食べ方が大変だったのである。こぼす、という限度を超えていて、なんというか、サリヴァン先生と出会う前のヘレン・ケラーの食事風景はもしかしたらこんなだったのか、と思うほどのすさまじさだった。
水の入ったグラスに指をつっこんで、氷をつまんで口に含む。テーブルにこぼれた水をペーパーナプキンで拭き、それをまるめてぐちゃぐちゃにして、食べ物が載っている皿にのせる。本人は一向に気にせず、その皿の上をかきまわす。そのペーパーナプキンの残骸も混ざる。混ざっても気にせず、それだけ外して、その残りにフォークを突っこむ……。

 映画《アニマル・ハウス》のなかに、ジョン・ベルーシがカフェテリアですさまじい食べ方をするシーンがあるのだが、あれは演技、演技というのは、人間が頭で考えることで、天真爛漫にそれをやってのける人にはどうしたって及ばないのである。人が大勢いるところでは、彼女もおそらく気を遣っていたのだろう(そういうときはいつもかわいそうなくらい、身を縮め、うつむいて、ほんの一口か二口、口に運ぶだけだった)が、わたしが相手のときはのびのびと、心ゆくまでくつろいで食事をしてくれるのだった。人間の想像力の及ばない、どれだけ空腹でも一気に食欲がゼロにまで急降下するテーブルマナーというのがこの世にはありうるのだ、とわたしは彼女を通じて知った。

 社会化される、という言葉がある。人が、集団の一員として、規範を身につけ、その集団の価値意識を自分のものにし、周囲の人の行動に一致させる、という意味ぐらいだろうか。
わたしたちは、こうした規範を身につけるとき、同時に、自分の行動が規範と一致しているかどうか判定する目を自分の中に確立する。これをやることがいいことかどうか、だれかが判定する前に、自分でチェックするのだ。たとえ反社会的な行動をしたとしても、自分でチェックしているから、逸脱していることには気がついている。気がついて、誰かに叱ってほしいと思ったり、「自由な自分」はカッコイイだろう、それを見てほしい、と考えたり、そんな自分を誰かに真似てほしいと思ったりする。つまり、社会化されるとは、自分の内部に自分を評価する目を養うこと、と言えるのかもしれない。

 そうしてその目は、わたしたちは「こう見られている」とわたしたちに教える。もちろんそれを考えるのは、自分自身にほかならない、そのために、実際に周囲の人がそう見ているかどうかわからないのだが、わたしたちは勝手に「こう見られている」と自分が判断するようにふるまう。あるいは「こう見られたい」ようにふるまう。

 彼女が特殊だったのは、彼女の内部にそんな目がなかった、とまではいかなくても、わたしたちの多くが備えているようには、機能していなかったことだった。だから彼女の振る舞いは、ときに天衣無縫に見え、無邪気に見え、はた迷惑に思えたのだろう。彼女のかわいらしさもおそらくはそのことと無関係ではなかったのだと思う。

 三年の冬、彼女がいきなりわたしのところにやってきた。当時つきあっていた彼氏は、実は、別の女の子ともつきあっていて、かなりややこしいことになったらしい。多くの女の子からはあからさまに嫌われていた彼女は、ほとんどつきあいもなくなっていたわたし以外に、頼る人間もいないらしかった。

 まっさおな顔色で、目の下に隈を作って、泳いだような目つきのまま、彼女は何が起こったかをとりとめなく話した。どうして、とか、わからない、とかの言葉が息継ぎのように差し挟まれ、泣こうにも涙すら出ないようなありさまだった。そういう彼女に、わたしはロールキャベツを作ってやったのだ。どういういきさつから、何かを食べさせることになったのか、しかもなぜロールキャベツだったのか、細かい部分は記憶にないのだが、ともかく冷蔵庫にもたれてすわりこんでいる彼女に話しかけながら、わたしは「ロールキャベツのコツはねー、挽肉を半分だけ炒めて、生のと合わせることなんだよー」と話ながら、キャベツを破らないように用心しながらはがして茹で、合わせて丸めた挽き肉をくるみ、スープで煮込んだのだった。やがて、鍋一杯に作ったロールキャベツを入れた大鉢を小脇に抱えるようにして、彼女は床に座ったままむさぼり食べた。

 自分と、ロールキャベツだけ。その一直線の欲望は、見ていてとてもいいものだった。

 ちょうどそのとき、わたし自身が自分に何ができるか、行き暮れたような日々を過ごしていたのだった。自分になど何もできないような気がして、どうしたらいいかもわからず、ただ苛立っていた。本屋に行けば、読んだことのない本がわたしを圧迫するようで、読んだ本は、そのことごとくが、こんなにも深い、豊かなことはおまえには理解できるはずもない、と背を向けるように思え、自分は何もできないまま、ただ歳を取っていくだけなのかもしれない、と思っていたところだった。就職する気にはなれず、ならばどうやって食べていくのか、そんなことをしてそこから先の当てはあるのか。頭をかきむしりたくなるような、将来の不安に胸を押さえつけられるような日々を過ごしていたのだった。

 そのとき、自分の作ったロールキャベツを、息もつかず食べ続ける彼女を見て、わたしはなんともいえずうれしい、暖かい気持ちになっていた。いま振り返ってみれば、難破しかけていたのは、わたしも一緒だったのだ。そうして、食べてくれる彼女によって、わたしはその状態から引き揚げられたのだった。

 食べる人がいるから、料理も作るのだ。料理を作るというのは、食べる人がいる、ということなのだ。そうして、人に食べてもらえるということは、わたしにできることがある、ということなのだ。
わたしにもできることがある。 わたしにも。

 鍋にいっぱい作ったそのロールキャベツがどんな味だったのか、わたしはとうとうわからずじまいだった。


鍋【11月7日の晩ご飯】
◆あさり蒸し
1.買ってきたあさりを砂だしする(30分程度)。
2.キャベツ、タマネギ、ニンニク、ベーコンを切る。
3.ニンニク→ベーコン→タマネギ→キャベツを炒める。
4.アサリを入れて、コンソメキューブ1/2、水カップ1/2を入れて蓋。
5.アサリが口を開けたらできあがり。
※ブログにはワイン蒸し、と書いたが、実はワインを入れてない(笑)。
ワインを持ってる人は水の代わりにワインを入れてください。
酒だと大さじ2くらいがいいんじゃないかな。
付け合わせ:ジャガイモとウインナ炒め
※ほんとは本文に関連するようにロールキャベツを作る予定だったのだけれど、スーパーであさりが安かったので予定が変わったのだ。






 6.環境破壊としてのわれわれの生

 ところで、料理の本にはたったひとつ、書いてないことがある。食事がすんだあとは、野菜屑や魚の骨などの生ゴミを捨て、まな板や鍋やフライパンやお玉などの調理器具や食器を洗い、かわかし、かたづける作業が待っている。

 料理を作ることにくらべて、片づけることはどうしてこんなに楽しくないのだろう。ゴハンを作った。ゴハンを食べた。気持ちとしては、そこでオワリ。ところが、まだやるべきことは残っている。その落差なのかもしれない。

 これは洗濯にしてもいえることで、洗濯をする(まあこれは洗濯機がやってくれるのだが)→干す→乾く。たいてい「洗濯」という言葉で想定されるのはそこまでで、そこから取りこみ、取りこんだ洗濯物をたたみ、さらにタンスにしまう、あるいはアイロンをかけてしまう、というのは、干すまでの行程にくらべて、格段にめんどくさい。

 掃除にしたってそうだ。掃除といえば後かたづけそのもののような気もするのだけれど、さあ掃除掃除、とばかりに掃除機をかけて、さあ終わった、というところで、掃除機の紙パックを交換しなければならなかったり、ゴミを出しにいかなければならなかったりすると、やはり、あーあ、ということになってしまう。

 小さな子供だってそうなのである。おもちゃをおもちゃ箱から嬉々として取りだしても、それと同じ作業を反対向きにやる、つまりおもちゃをおもちゃ箱に入れる、ということを教え込むのは並大抵のことではない。おしなべて「後始末」全般、楽しい作業とはいいがたい。

 小学生の頃、何で掃除をやらなくちゃいけない? と言っている子がいた。彼女は帰国子女だったのだが、掃除時間のたびにいやそうな顔をして、ホウキを持つ手を止めたまま、こんなことを繰りかえす。どこに客が掃除をしなきゃいけないような店がある? アメリカでは、掃除なんかやらないよ。
それを聞いたわたしは、そうなのか、外国では掃除をしなくていいのか、とちょっとうらやましかった。

 とはいえ、外国でも掃除をする人はいるのである。どこにでもかならず、洗い、片づけ、しまい、捨てる人がいる。そうでなくては生活はなりたっていかない。

家庭の主婦の仕事ほどシジフォスの刑罰によく似たものはあるまい。毎日々々、皿を洗い、家具の塵をはらい、肌着のつくろいをする。そういうものは明日また汚れ、埃にまみれ、ひき裂けるのだ。主婦は一つところにじだんだをふんでいる。彼女は何もしない。ただ現在を永遠化しているのみ。彼女は積極的な一つの『善』を征服しているという実感をもてず、はてしなく『悪』に抗しているという気持ちのみである。……

ところで、女はよりよき世界を建設するための役割をもっていない。家、部屋、汚れた肌着、床板などは凝結した物である。そういう物にしのびこむ悪の原理を、女ははてしなく追っぱらうという仕事しかできない。女は塵埃(ほこり)や汚点(しみ)を攻撃する。女は罪と戦い、サタンと闘う。しかし積極的な目標に向かうことをせずに少しの暇もなく敵を追っぱらうことばかりしているのは悲しい運命だ。しばしば主婦は怒りのうちにその運命をこらえている。…家庭的な仕事にこりかたまるのはサド・マゾヒズムの一型態だという。

(シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性 II女はどう生きるか』 生島遼一訳 新潮文庫)

 ボーヴォワールは「女はよりよき世界を建設するための役割をもっていない」という。けれども、「皿を洗い、家具の塵をはらい、肌着のつくろいをする」ことは、建設とは何の関係もないのだろうか。

 この夏、近所のあちこちでビルの塗装工事をやっていた。間近で見ていると、いろんなことがわかっておもしろいものだった。工事の行程で一番最初にやることは、建築作業員のためのプレハブを建てることである。そうしてその一角に仮設トイレを作る。それが終わると、いよいよ本格的に工事が始まっていくのである。まず足場を組む。それからビル全体をシートですっぽり覆う。塗らない箇所にマスキングテープを張り、窓ガラスを覆う。それから外壁を水で洗い、そのあとやっと塗装が始まる。塗装工事が終わると、窓の覆いを外し、マスキングテープをはがし、シートを撤去し、足場を解体し、屎尿処理車を呼んでトイレの中身を汲みだし、トイレを撤去し、プレハブを解体するのである。つまり、「ビルの塗装工事」は、そこまでを指すのだ。ビルの外壁を塗るだけが工事ではないように、塗装が終わった段階で「完了」するのではないのだ。
掃除をすること、後かたづけをすること、日々の生活のメンテナンスをしていくこと、というのは、生活を「建設する」ことの一環ではないのだろうか。わたしたちは、ひょっとして終わってもいないところに「終わり」の線を引いてしまっているのではあるまいか。

 もうひとつ、こうも思うのだ。「皿を洗い、家具の塵をはらい、肌着のつくろいをする」ことは、何かを建設することより、不毛なことなのだろうか。

 日高敏隆は言う。

桑畑が自然の破壊だとはほとんどだれも思わない。台風で荒れ果てた山やはげ山はだれの目にも自然の破壊とうつるけれど、そのあとへ、全山きちんとカラマツを植林してしまえば、自然は回復されたと感じる。だが、畑を作ることも植林することも、すべて自然の破壊にほかならない。それを建設であり、自然の管理であると錯覚したところに、現代の文明がこういう事態を生みださざるを得なかった原因がある。

(日高敏隆『人間についての寓話』思索社)

 別のところにはこうもある。

すべての動物は生きてゆくために環境を破壊し、自らの生存によって環境を汚染する。しかし、その破壊は一時的であり、また同時に環境の多様化につながる。たとえば、森の中の木を虫が食い、枯らせば、そこに枯れ木や倒木が生じ。それを基盤にしてまたいろいろな生物が生活する。ところが人間が手をつけると、環境は急激に単純化され、人間以外は住めなくなってしまうのだ。

 他の動物も環境を汚染する。しかしそれはあまり進まぬうちにとどまるか、あるいは汚染の結果その動物がその場所では死滅することによって、環境はまもなくもとにもどる。ところが人間は半永久的な形のものをつくり、それによって汚染するために、もはや原状にはもどらない。(引用同)

 「皿を洗い、家具の塵をはらい、肌着のつくろいをする」ことは、もちろん環境をもとにもどすことではない。けれど、何ごとかをなしたあとに原状を回復しようとする活動である。「環境保護」ということを口にするのなら、むしろ、わたしたちが意識的にならなければならないのは、「建設すること」「半永久的な形のものをつく」ることを「積極的な一つの『善』を征服している」と考えることをやめ、原状を回復することに意識を振り向けることなのではあるまいか。

 確かに女性ばかりがその役割を押しつけられているとしたら、それは問題だろう。けれども考えるべきは、そこからの解放ではなく、「皿を洗い、家具の塵をはらい、肌着のつくろいをする」ことに、少なくとも「建設する」ことと同等の価値を見いだすことだと思うのだ。

 昔、わたしもやはり食事が終わって皿を洗うのが嫌いだった。何よりそういう作業が厭なのは、頭をまったく使わないために、気持ちがあちこちにさまよい始め、気がつけば、考えなくても良いこと、いまとなってはどうにもならない過去のあれこれをほじくりかえしてしまうことなのだった。

 けれど、いまはそういうときに、意識的に、いま読んでいる本のことを考える。主人公はどうしてそこから逃げ出したのだろう、とか、「等価交換」というのはどういうことなのだろう、とか、腰を据えてじっくり考えたいときは、アイロンをかけたり、皿を洗ったり、風呂やトイレの掃除をしていたほうがいいようにさえ思えるのだ。ともすれば抽象に流れがちなわたしの考えを、そういう作業はつねに具体に結びつけてくれる。

 何よりもそういう作業には、一種独特の「確かさ」がある。料理はうまくいかないこともある。期待通りにいかないことも、途中で失敗してしまうことも、本の通りに作ったのに、何となくおいしくないこともある。けれど皿を洗うことやフライパンの焦げを落とすこと、洗濯物をたたみ、食器を拭いて、食器棚に戻すことは、丁寧にやりさえすれば、失敗することはない。つぎに使うときのために、元の状態に戻していく。それは、同時につぎの行程の第一歩なのである。

 料理をすれば鍋も皿も汚れる。服を着れば汚れる。生きることは汚すこと。それを元に戻すということは、明日もまた生きていく、ということだ。

 今日の夜はカレーを作った。カレーのつぎの日は、食べ終わった鍋をこそげて、ネギと油揚げを刻んだのを入れて、カレーうどんを作る。鍋もこれできれいになる。今日の料理は明日につづき、そこからまたそのつぎへと続いていく。


あなたは今日は晩ご飯、何食べました?


鍋【11月9日の晩ご飯】
◆カレーライス
※カレーにもいろいろありますが、これは簡易バージョン。
1.ニンニクとタマネギの薄切り1個分を弱火で炒める。
2.そのあいだに他の野菜を切る。セロリ、ニンジンは入れるよろし。
3.タマネギがぐなぐなになってきたらスパイス類を入れる。
  クミン、コリアンダーはお奨めです。カレーの味が二段階くらい上がる。
4.野菜と肉を炒める。
5.トマトの水煮缶と水とコンソメキューブを入れる。
6.これまたアルバム1枚分聞けるくらい煮込む。
7.鍋を火からおろす(ちょっとだけさます、ってこと)。
  できればぬれぶきんの上なんかに置いて、カレールーを入れる。
  ここでていねいに混ぜておく。
8.火にかける。
  ここからは味をなじませるぐらいで大丈夫。
付け合わせ:キャベツとゆで卵のサラダ



初出Nov.1-9, 2007 改訂Nov.12 2007

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