暑いときにはコワイ本 補筆

 ――『夢十夜』「第三夜」を考える――





0.前口上

さきに書いた「暑いときにはコワイ本」のなかで、漱石の『夢十夜』から「第三夜」にふれた。
「第三夜」とは、こういう話である。

「自分」は、闇のなかを歩いている。
背中におぶっていた子供が、いつの間にか、盲目になり、大人のような喋り方で、自分の心を見透かしたようなことを言い始める。
「自分」は徐々に怖くなっていき、森に子供を捨てようと思いながら歩いている。
杉の木にさしかかったところで、背中の子供が「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」と言う。 その瞬間、子供は石地蔵のように重くなる。

わたしは以前からこの「第三夜」を一種の怪談であるという印象を受けていた。ただし、上田秋成の『雨月物語』や小泉八雲の『怪談』などとはまったくちがうものであるとも思っていた。
背中の子供は自分自身なのではないか。自分自身から「おれを殺したのは今からちょうど百年前だね」と言われると、どれほど怖いだろう。同時に、ひどく怖いだけでなく不思議でもある。 秋成や八雲を読んでもこうした疑問は生まれない。それはどうしてなのだろう。
漠然とそうしたことを考えながら、一度、この「第三夜」について、きちんと考えてみたいと思っていたのだ。
これを機会に、これまでのさまざまな解釈を紹介しながら、「第三夜」について、みなさんと一緒にもういちど読んでみたいと思います。

 ※夏目漱石『夢十夜』

1.『夢十夜』は漱石が見た夢か?


『夢十夜』は、膨大な量がある漱石研究のなかでも、比較的まとまった論考の少ないものである。そのなかで、この『夢十夜』を「量的に言ふと小さなものであるが質的には特殊な意味を持つてゐる作品」ととらえたのは、伊藤整である。伊藤はのちに『作家論』としてまとめられる、1949年刊行の『現代日本小説大系十六巻』の夏目漱石の解説のなかで、『夢十夜』についてこのように述べている。

現実のすぐ隣にある夢や幻想の与へる怖ろしさ、一種の人間存在の原罪的不安がとらへられてゐる。この試作的な作品によつて彼はその内的な不安な精神にはつきりした現実感を与へたのである。それは後期の作品「それから」、「明暗」などで写実的でありながら自ら漂ふ一種の鬼気的な不安を作ってゐることろの要素である。「夢十夜」的なものは、獨立した形において漱石はその後扱はなかつたが、彼の弟子内田百閧ヘ、この作品にもつとも強い影響を受け、その代表作「冥途」その他を書いて、日本の散文に新しい境地を開くやうになつた。(『作家論』)

この伊藤の見解が、以降の解釈に大きな影響を与えていく。
もうひとつ、これと並んで後に影響を与えたのが、荒正人の〈暗い漱石論〉である。

漱石は父親を嫌つてゐた、母親を愛してゐた、そして母親を奪ふものとしての父親を意識下の領域では殺してしまひたいといふ願望を抱いてゐた。その願望は、未来のものではなく、過去のものとして、すでに行はれた事実として夢のなかで体験され、盲目殺しの記憶といふ罪の意識を植えつけたのである。……眼がつぶれるといふことはなにか特別の意味があるのではないか。精神分析学では、それは去勢の象徴と解釈されてゐる。では、眼のつぶれた子供とはなんであらうか。私はそれを、年老いた父親とみたい。生理的に去勢されてしまつてゐる父親である。

(荒正人「漱石の暗い部分」『近代文学』所収 1953年12月号)

こうした見解が、のちにどのような影響を与えているかは、江藤淳のこの文章を見ればあきらかだろう。

「夢十夜」が「人間存在の原罪的不安」を主題にしている、という伊藤整氏の見解は、漱石の内部の、あの「深淵」の存在をよく洞察し得ている。この一連の小品に描かれた世界は、決して片岡良一氏のいうように「草枕」や「一夜」の系譜を引いた世界ではない。ここに描かれたのは「漾虚集」のそれよりも、もっと暗く生ま生ましく彩られた漱石の内部のカオスの世界である。そして又、「倫敦塔」や「幻影の盾」にあった「黒」の心象はここでも同じようにくりひろげられている。屍臭がただよい、蛇のイメイジがあり、全体の雰囲気が澱んだ湿潤なものであることも、ある種の暗合の存在を物語るものである。しかも、ここでは、「薤露行」や「幻影の盾」にあった造型的な意志が薄弱になっていて、それだけ逆に、彼の内部世界のどろりとした触感を露わにしている。それは、「裏切られた期待 」のモチーフであって、期待する側は作者を象徴する人物であり、それを裏切るのは、常に、その人間の意志の及ばぬ運命的な力である。そしてこの関係にはしばしば女が重要な因子として登場する。
 例えば、最も象徴的な「第三夜」では、自分の子と思って背負って歩いていた盲目の子供が、実は百年前に殺した盲人であった、という形でこのモチーフが表れる。ここでは、「おれは人殺であつたんだな」、という隠微な罪悪感が閃光のようにひらめいて、不気味な挿話が閉じられる。

(江藤淳『決定版 夏目漱石』新潮文庫)

もうひとつ、『夢十夜』評論に必ず登場するのが、漱石自身によるこの書簡である。漱石は、この「第三夜」の着想のもとになったと思われる夢を見ているのだ。

昔し大変な罪悪を冒して其後悉皆忘却して居たのを枕元の壁に掲示の様に張りつけられて大閉口をした夢を見た。何でも其罪悪は人殺しか何かした事であつた。

(明治38・1・15 野間真綱宛書簡)

こうしたところから、『夢十夜』は、

・漱石が実際に見た夢に材を取ったものであり、

・漱石の暗い心象を表出したものである

という見方が従来からあったのだ。

だが、これをそのまま受け取ってよいものだろうか。
ここで、「第三夜」を除く『夢十夜』全体のアウトラインをたどっておくのは無駄ではないだろう。

【第一夜】 夢の中で女が百年たったら逢いに来る、と言って死ぬ。「自分」が百年待っていると女が白い百合となって帰ってくる。

【第二夜】「自分」は侍である。禅の公案を与えられて悟りを開こうとするが、和尚に罵られる。つぎの刻までには悟り、悟った上で和尚の首をとるか、悟れない場合は自刃しようと考えるが、悟りも開けず自刃の機も逸したまま刻限がくる。

【第四夜】「自分」は子供で、白い髯の爺さんを見ている。爺さんは手拭いを蛇にしてやる、と笛を吹くが、手拭いは動き出さない。そのうち爺さんは河の中へざぶざぶ入ってしまって、それきり上がって来ない。

【第五夜】「自分」は戦に敗れて、降参を拒んだために殺されることになる。死ぬ前に、一目思う女に逢いたいと願うと、敵将が鶏が啼くまでなら斬るのを待とう、と言う。馬に乗って女の下に駆けつけようとするが、途中、天探女(あまのじゃく)の鳴き真似を鶏とまちがえ、手綱さばきを誤って淵に沈む。

【第六夜】 護国寺の山門で運慶が仁王を刻んでいるのを、見物人が見ている。「若い男」が、彫刻とは「掘り出す」ことだ、と言うので、「自分」も彫ってみようとしたが失敗して、「明治の木には到底仁王は埋まつてゐない」と諦める。

【第七夜】 どうも「自分」は大きな船に乗っているらしい。意味もなく西へ向かう果てのない旅に疲れた「自分」は、海に身を投げる。飛び込むが、足は容易に水に届かない。「無限の後悔と恐怖」を抱いた男を置いたまま、船は去っていく。

【第八夜】 「自分」は床屋の鏡の前に坐っている。鏡に写った女が札を数えているのだが、その札は尽きることがない。椅子から立ち上がってそちらを見ると女の姿がない。外に出ると、床屋が言っていた金魚売りがいたが、金魚売りはまったく動こうとしない。

【第九夜】 若い母親が三つになる子供をおぶってお百度参りに行き、侍の夫の無事を祈る。ところが夫はすでに浪士に殺されていた。「自分」は「こんな悲しい話を、夢の中で母から聞いた」

【第十夜】 庄太郎が果物屋の店先にいると、美女が現れ、果物籠を買う。閑人で女好きの庄太郎は、果物籠を持ってやろう、と同行する。行きついた先は断崖絶壁。ここから飛びこんでご覧なさい、と女に言われる。尻込みしていると女は、飛びこまなければ豚に舐められる、と脅す。命には替えられないと思っているところへ、豚がつぎつぎに現れる。庄太郎はステッキで豚の鼻面をつぎつぎ叩いて、断崖から落としていくが、七日六晩目に力つき、とうとう豚に舐められて、絶壁の上に倒れてしまう。

こうして全体を見てみると、漠然とした不安、そこはかとない悲しみ、いくつかの夢に繰り返し出てくる水や、落下のイメージはあるけれど、第三夜を除けば、「原罪的不安」あるいは「父殺し」を読みとるのにはいささかムリがあるような気がする。
おそらくはそうした「原罪的不安」も「父殺し」も、「第三夜」からきたものではないか。

『夢十夜』という作品全体ではなく、そのなかのひとつの作品をことに強調して、全体へ敷衍していくというやりかたは、解釈の方法としてはあまり適切なものではないだろう。

加えて、『夢十夜』を漱石が見た夢の告白である、と受け取ってもよいものだろうか、という疑問がある。
漱石は、当時の文壇の主流であった自然主義文学、因習や権威からの解放を求めて大胆に自己を告白するという方法論を採っていた自然主義文学を批判して、たとえば以下のようなことを言っている。

作家は造物主である。造物主である以上は評家の予期するものばかりは拵らえぬ。突然として破天荒の作物を天降らせて評家の脳を奪う事がある。

確かに書簡のなかで、自分が忘れていた、過去の「人殺し」を公表されて閉口した、ということを書いていたとしても、『夢十夜』は漱石自身が見た「夢」の告白と理解するよりは、むしろ「夢」という形式を借りた作品、「突然として」降らせた「破天荒の作物」ではないか、と考えたほうが、漱石の思想から見たとき、収まりがよいのではないだろうか。
「夢」を舞台にする。これはつまり、現実の足かせをはずす、ということだ。
漱石自身は、「筋」ということをそれほど重要には考えていなかった。

彼ら(※写生文家)のかいたものには筋のないものが多い。進水式をかく。すると進水式の雑然たる光景を雑然と叙べて知らぬ顔をしている。飛鳥山の花見をかく、踊ったり、跳ねたり、酣酔狼藉の体を写して頭も尾もつけぬ。それで好いつもりである。普通の小説の読者から云えば物足らない。しまりがない。漠然として捕捉すべき筋が貫いておらん。しかし彼らから云うとこうである。筋とは何だ。世の中は筋のないものだ。筋のないもののうちに筋を立てて見たって始まらないじゃないか。どんな複雑な趣向で、どんな纏った道行を作ろうとも畢竟は、雑然たる進水式、紛然たる御花見と異なるところはないじゃないか。喜怒哀楽が材料となるにも関わらず拘泥するに足らぬ以上は小説の筋、芝居の筋のようなものも、また拘泥するに足らん訳だ。筋がなければ文章にならんと云うのは窮窟に世の中を見過ぎた話しである。(『写生文』

『夢十夜』が筋らしい筋をもっていなかったからといって、それを単純に漱石自身の夢であるから、筋がないのだ、と考えることはできない。
ここではまず、『夢十夜』を漱石の創作であると考えたい。
漱石個人の「原罪的不安」や「漱石の深淵」は見ない。
こういう立場から「第三夜」を見ていってみよう。


2.物語構造から見た「第三夜」


笹淵友一は『夏目漱石 ――「夢十夜」論ほか――』(明治書院)のなかで、まず、伊藤整のいう「原罪的」を批判する。

「原罪」というのは、そもそもキリスト教的な概念で、人間の始祖アダムが犯した罪が、子孫である人間全体に帰せられる」というものである。つまり、人間が人間である限り、始祖アダムの犯した罪の責任を負っていく、ということである。
原罪というのは、罪の自覚であり、「御前がおれを殺したのは今から丁度百年前だね」と言われて「おれは人殺しであつたんだなと始めて気が附いた」という「自分」は、

  1. 指摘されるまで罪の意識を持っていなかった、という点から考えて、原罪を自覚していたことにはならない

  2. 「おれは人殺しであつた」という罪意識と、人類の歴史を貫く根源的な罪である原罪とは、異質である

という二点から、「原罪的」という考察を退ける。

ついで荒説の「父親殺し」に関しては

  1. 確かに漱石自身は父親に対して「おやぢが死んでも悲しくも何ともない」というほど醒めた気持ちを持っていたが、それは憎悪という否定的な情熱でもなかった

  2. 「父親殺し」の願望を、暗に描いたものであるとするならば、父親の代替がなぜ盲目という肉体的な条件を持っていなければならなかったのか、なぜ文化五年辰年という百年前の過去でなければならなかったのか、という疑問に対する答えがない

として、この「父親殺し」も退けるのである。

笹淵は指摘する。
「自分」が背負っている六つになる男の子が、「たしかに自分の子」であるにもかかわらず、「不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている」という謎は、「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」という言葉によって解ける。つまり、盲目でなかった子が、百年前に自分が殺した盲目の亡霊にとりつかれて盲目になっていたのであり、子供の盲目は、自分が殺した盲人の祟りのためだった。
そう考えるとこの話の性格が、非常に鮮明になってくる――怪談である。

この「第三夜」は、「近世末期から明治初頭にかけての文学・演劇の一様式としての怪談噺」から着想を得たものではないか、と笹淵は言うのである。
具体的には河竹黙阿弥『蔦紅宇津谷峠』、鶴屋南北『東海道四谷怪談』、三遊亭円朝『真景累ヶ淵』などに示唆を得たのではないか、という相原和邦の指摘(※この具体的な内容に関しては未見のため不明)を紹介している。

即ち第三夜の着想の機縁は漱石自身の夢にあったとしても、構想そのものは戯作者や噺家に負っており、問題はこれを「如何に」芸術化するかにあったにちがいない。周知のように、南北、黙阿弥、円朝らの江戸末期から明治初年にかけての怪談物は頽廃的で陰惨な叙述や描写に傾く。その恐怖感は官能に直接迫り、不快感が混じる。漱石が第三夜において企てたのは、怪談の中からこの不快な不純物を除き去り、官能よりも想像に豊かな余地を残したものを創造することだったと考えられる。

(笹淵友一『夏目漱石 ――「夢十夜」論ほか――』明治書院)

3.「第三夜」のなかの怪談


では、ここから笹淵の書を離れ、「第三夜」のなかに織り込まれたさまざまな「怪談」を、具体的に見ていくことにしよう。

三遊亭円朝の『真景累ヶ淵』というのは、実にさまざまな登場人物の因果が絡み合う複雑な噺なのだが、その初めの部分に、こんな場面がある。

まず、按摩で金貸しの宗悦が、貧乏旗本の新左衛門のところに貸した金の取り立てに行くが、新左衛門に手打ちにされてしまう。新左衛門は宗悦の死体をつづらに入れて、下男に捨てに行かせ、首尾良く罪を免れたのだが、奥方の具合が悪くなってしまう。ある晩、通りがかった按摩に針を打たせようとするのだが、その按摩はまだ慣れないために病人の治療はできないという。せっかく呼んだのだから、と新左衛門は肩を揉ませる事にする場面である。

 新「……アヽ痛、これ/\按摩待て、少し待て、アヽ痛い、成程此奴は何うもひどい下手だナ、汝は、エヽ骨の上などを揉む奴が有るものか、少しは考えて遣れ、酷く痛いワ、アヽ痛い堪らなく痛かった」
 按摩「ヘエお痛みでござりますか、痛いと仰しゃるがまだ/\中々斯んな事ではございませんからナ」
 新「何を、こんな事でないとは、是より痛くっては堪らん、筋骨に響く程痛かった」
 按摩「どうして貴方、まだ手の先で揉むのでございますから、痛いと云ってもたかが知れておりますが、貴方のお脇差でこの左の肩から乳の処まで斯う斬下げられました時の苦しみはこんな事では有りませんからナ」
 新「エ、ナニ」
 と振返って見ると、先年手打にした盲人宗悦が、骨と皮許りに痩せた手を膝にして、恨めしそうに見えぬ眼を斑に開いて、斯う乗出した時は、深見新左衞門は酒の酔も醒め、ゾッと総毛だって、怖い紛れに側にあった一刀をとって、
 新「己れ参ったか」
 と力に任して斬りつけると、
 按摩「アッ」
 と云うその声に驚きまして、門番の勘藏が駈出して来て見ると、宗悦と思いの外奥方の肩先深く斬りつけましたから、奥方は七転八倒の苦しみ、
 新「ア、彼の按摩は」
 と見るともう按摩の影はありません。
 新「宗悦め執ねくもこれへ化けて参ったなと思って、思わず知らず斬りましたが、奥方だったか」

(三遊亭円朝『真景累ヶ淵』)

呼んだ按摩がいつの間にか宗悦になりかわって喋りはじめる。そこで斬りつけると、それは奥方に変わっている。
第三夜のなかでの背中の子供がいつのまにか盲目になっており、その口調も大人のものになっている、というのは、こうした怪談ものの一種の常套なのである。

あるいは「第三夜」の最後、急に背負った子が石地蔵になる場面は、このような先例がある。

お岩の亡霊も跟いて入って来た。伊右衛門はふるえあがった。 「お岩、もういいかげんに成仏してくれ」  と、お岩がゆらゆらと寄って来て、抱いていた嬰児を伊右衛門の前へさし出した。 「死んだと思ったら、それでは其方が育てていたのか」  伊右衛門はうれしそうにその嬰児をお岩の手から執った。同時にたくさんの鼠が出た。伊右衛門は驚いたひょうしに抱いていた嬰児を執り落した。嬰児は畳の上にずしりと云う音をたてた。それは石地蔵であった。

「第三夜」に現れるいくつかの場面は、従来からあった怪談を踏まえていることが見て取れる。

ここでもういちど、第三夜の冒頭を見てみよう。

 こんな夢を見た。
 六つになる子供を負ってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。

漱石のこの描写を、円朝の筆記本や南北の歌舞伎の再話と比較してみると、そのちがいが鮮明になってくる。
怪談は、恐怖感を煽ることを目的とする。そのために、具体的な描写を積み重ね、受け手を否応なく「その場」へ連れて行く。そのため、受け手は何かおぞましいものを目の当たりにした感じ、一種の肉体的な不快感を感じてしまう。
それに対して、「第三夜」では同じような情景を扱っているにもかかわらず、具体的な描写が一切ないために、幻想的で、肉体的な感覚を一切伴わない。極彩色の絵双紙と、水墨画ほどの差がある。読者は「第三夜」を読みながら、闇夜、田圃のあぜ道を歩いていく男の姿を想像するしかない。「怖い」と思うためには一歩作品のなかへ入っていかなければならない。
言葉を換えれば、説明をしないことによって、作品のなかに空白を作るのである。その空白を埋める作業は、読者に委ねられているのだ。

しかも、「累ヶ淵」のほうでは、物語ができごとの時間軸に沿って語られるために、按摩の姿が宗悦になりかわっていくのも、それがいつの間にか奥方になっているのも、宗悦の怨霊の仕業であることは疑いの余地もない。 「第三夜」では、「自分」が百年前に盲目を殺したという記憶は、子供(子供に取り憑いた怨霊)との会話を通して明らかになっていく。そうして、明らかになった瞬間、子供は石地蔵になって、何の説明もないままこの作品は終わるのである。

以上のことから、漱石は怪談に題材を取りつつも、時間軸を解体し、構造を転換させて、空白を広げていったのだ、ということができる。その結果、描かれた恐怖は、具体的な要素、不快感とも結びつく肉体的な要素は排せられ、抽象的な、一種透明な恐怖となっていったのである。

では、「自分」はなぜ百年前に盲人を殺したのだろうか。
つぎにこの理由を考えてみよう。


4.過去の「自分」―現在の「自分」


『真景累ヶ淵』にはこのような記述がみられる。

 申続きました新吉お賤は、実に仏説で申しまする因縁で、それ程の悪人でもございませんでしたが、為る事為す事に皆悪念が起り、人を害す様な事も度々になりまする。(『真景累ヶ淵』)

ここでいう「因縁」というのは、どういうことだろうか。
円朝は別の箇所でも「因縁」という言葉を使って、人間同士のつながりの不思議さを説明している。

 深見新五郎がお園に惚れまするは物の因果で、敵同士の因縁という事は仏教の方では御出家様が御説教をなさるが、どういう訳か因縁と云うと大概の事は諦めがつきます。
 甲「どうしてあの人はあんな死様をしただろうか」
 乙「因縁でげすね」
 甲「あの人はどうしてあア夫婦中がいゝか知らん、あの不器量だが」
 乙「あれはナニ因縁だね」
 甲「なぜかあの人はあアいう酷い事をしても仕出したねえ」
 乙「因縁が善いのだ」
 と大概は皆因縁に押附けて、善いも悪いも因縁として諦めをつけますが、其の因縁が有るので幽霊というものが出て来ます。

『真景累ヶ淵』の世界では、殺人も恋愛も、定められた運命のはたらき、個人にはどうすることもできない「因縁」によって、あらかじめ決定されているのである。

「第三夜」の「自分」が百年前に盲人を殺したのも、あるいはその殺した盲人の怨霊が子供に祟ったのも、やはりこの「因縁」のためなのだろうか。

「第三夜」を禅の公案から読み解く、という解釈がある。
公案とは、禅の修行としておこなわれる禅問答のこと。過去の祖師たちの言行の記録のうちひとつを修行僧に課題としてあたえ、師と問答をくりかえすものである。
漱石は27歳のとき参禅し、実際に公案を与えられた。それが「父母未生以前の面目を問う」というものだった。

この公案については、漱石は『門』の中で具体的に触れているので、その部分を見てみよう。

 「まあ何から入っても同じであるが」と老師は宗助に向っていった。「父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えて見たら善かろう」
 宗助には父母未生以前という意味がよく分らなかったが、何しろ自分というものは必竟何物だか、その本体を捕まえて見ろという意味だろうと判断した。それより以上口を利くには、余り禅というものの知識に乏しかったので、黙ってまた宜道に伴れられて一窓庵へ帰って来た。

(夏目漱石 『門』(十八))

「父母未生以前本来の面目」を字義どおりにとらえると、両親が生まれる以前の「私」とは、だれであるか、ということになる。漱石は「自分というものは必竟何者だか、その本体を捕まえて見ろ」という問いだと理解したのである。

 この面前に気力なく坐った宗助の、口にした言葉はただ一句で尽きた。
「もっと、ぎろりとしたところを持って来なければ駄目だ」とたちまち云われた。「そのくらいな事は少し学問をしたものなら誰でも云える」

(引用同)

漱石は、なんと答えたのだろうか。あるいは、「ぎろりとし」ていなかった宗助は。
それは定かではないけれど、27歳の漱石も、宗助同様、この公案に答えることができなかった。 けれどもこのときの経験は、後の『門』や『行人』、『夢十夜』の中に生かされることになる。

越智治雄『漱石私論』(角川書店)は、『夢十夜』の主題を、「父母未生以前」への追求である、というのである。

 漱石はこれら二夜(※注:「子供」の目を通して語られる「第九夜」と「第四夜」)の中で遠い幼年の日を仮構することによって、その存在の恐れや憧憬を、存在そのものの痛みを語っている。幼童への変身はいわば存在の根元への遡及の願望の現われでもあるに違いない。夢みることによって彼は内面の根元的な自由を追っていると言ってもよい。ひいては、漱石の読者に親しい言葉を借りて言えば、これらの夢に働いているのは、父母未生以前に対する絶ちがたい執着ではなかったか。

(越智治雄『漱石私論』 角川書店)

越智は「百年前」の意味をこう考える。

 第三夜の「自分」にもまた、「こんなものを背負ってゐては、此の先どうなるか分からない」と、どこへ行くのかわからぬという第七夜にみられた不安な想念の変奏が現われる。文中のこんなものとは背中にいる盲目の自分の子供であるが、この夢を動かしているのは、この子供の「もう少し行くと解る」という言葉だと言ってよい。ただここでは「自分」は、百年前、つまり父母未生以前に自分の存在を決定されていることが、わかることは恐ろしい。したがって「自分」の思いと子供の言葉は明らかに矛盾する。「自分」は恐れを払うために子供を捨てようとしてひたすら闇の中を急ぐのだが、結果としてそれは自身を百年前の殺人の場所に導くことにほかならない。

百年とは、人間の生涯を超える期間、すなわち父も母も生まれる前のことである。百年前に殺した、というのは、当然、現在の「自分」の経験ではない。だが、その時盲人を殺した誰かの生まれ変わりが現在の自分であるとしたら。言葉を換えれば、現在の自分の存在が、過去の事実によってあらかじめ決定されているとしたら。

つまり、自分の存在は、根源的に罪を負ったもの、ということになる。
これは伊藤整の「原罪的不安」と共通する考え方といえよう。

ただし、ここからは「公案」に対して知識もなにもない、かつまた漱石の研究者でもないわたし個人の印象なのだけれど、そもそもこの「公案」を輪廻的世界観に立って考えることに疑問を感じるのだ。「父母未生以前本来の面目」というのは、少なくとも自分の「過去生」を問うものではない、と思うのである。そういうことを考えていくと、この公案から「第三夜」を読み解く解釈には、無理があると思うのだ(あくまで個人的な感想です。間違いがあれば指摘してください)。
ただし、越智のこの指摘には注目しておきたい。

生きることは遠い過去の繰り返しではないのか。いや、「父母未生以前に受けた記憶と情緒が、長い時間を隔てゝ脳中に再現する」、つまりは「先祖の経験を数十年の後に認識する」(「趣味の遺伝」 明三九・一)のだとすれば、むしろわれわれの生とみえるものは、ある祖型をなぞっているにすぎすぎぬのではないか。(同書)

この「祖型」の反復とは、先にも言った輪廻的世界観である。

現在の「生」は、過去の因縁の結果であり、罪の根拠も過去にある。同時にまた現在は、未来の「生」のありようの根拠でもあるのだ。
「その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている」(「第三夜」)というのは、そういうことではないか。
漱石がそうした世界観のもちぬしであったかどうか、あるいは越智が言うように、「父母未生以前」の追求が主題であったかどうかはともかく、「第三夜」での物語構造をここに見ることができる。

この物語において時間は円環している。
そう考えると、背中に負った子供から、過去の話を聞くということは、単なる祟り以上の意味を持ってくる。子供は「未来の自分」でもあり、その未来の自分から、過去に犯した罪の話を聞く。そうやって、「現在」の自分が決定されていく。

怪談の枠組みを借りつつ、漱石が提示した世界は、一種の抽象性を持ったものだった。
この「輪廻的世界観」も、円朝の『真景累ヶ淵』の「因縁」と同じものである。けれどもその表現形式は、まったく異なる地平に立っていた。

もういちど、この二種類の文章を較べてみよう。
「新吉お賤は、実に仏説で申しまする因縁で、それ程の悪人でもございませんでしたが、為る事為す事に皆悪念が起り、人を害す様な事も度々になりまする」(『真景累ヶ淵』)
「その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている」(「第三夜」)

円朝の描写は、すべてを説明する。それに対して、漱石の描写は抽象的で説明をしない。言葉を換えると、非常に空白が多く、空白を埋める作業は、読み手に委ねられているのだ。

近代の小説は、伝承文学や説話に見られた空白を埋めることから発展していったともいえる。
桃太郎が鬼ヶ島に鬼を退治に行ったのは、なぜなのか。桃太郎の心理を、昔話は語ってくれない。あるいは鬼ヶ島に幽閉されていた「姫」とはいったいだれなのか。
こうした物語は、近世−近代を経るうちに、次第に細かく描かれていく。登場人物の心理は事細かに説明され、行動にはすべて動機があるようになる。

ところが、漱石はここで、ひどく空白の多い物語世界を創出した。
これほど空白が多い物語は、近代の文学では日常生活を舞台にしたところでは成立しがたい。
ただし、物語世界の舞台を「夢」と設定すると、「不思議」が「不思議」のままで、説明がなくとも、納得されてしまうのだ。それは、「夢だから」。なにが起こっても不思議はないから。
事実、夢の中で階段を上っても上ってもどこにもいきつかなかったり、大人のままの状態で小学校に行っていたり、いきなり土の中から手が出てきて足首をつかまれたりするけれど、わたしたちはそのことを不思議には思ったりしない。

笹淵友一は『夏目漱石 ――「夢十夜」論ほか――』のなかで、この「第三夜」がソポクレスの『オイディプス王』と物語構造を同じくしていることを指摘する。
オイディプスはそれとは知らないまま、自分の父である王を殺し、母である王妃を妻として子を設ける。その結果、テバイの都に災厄が降りかかる。『オイディプス王』はこの時点から始まり、災厄の原因が、自分自身の存在にあることを知った時点で物語が終わる。
物語の始まった時点では、登場人物たちに決定的な影響を及ぼした事件は起きてしまっている。主人公は何も知らないまま、導かれるままに、真実を知っていく。
確かに、この構造は「第三夜」と同じものだ。

けれども、類似の物語はこれだけに留まらない。
「聖クリストフにまつわる伝説」との類似を指摘する研究もある(大浦康介『漱石研究 第八号』1997)。さらに大浦は『ドン・ジュアン』伝説との類似、ゲーテの物語詩『魔王』との類似をも指摘する。

あるいはまた、まったく別の読み方も可能なのである。
「闇」のなかを、「森」に向かう。この「森」は異界ではないのか。
背負っている盲人は「異界」よりの使者ではないのか?

あるいは、突然出てくる「日ケ窪」、「堀田原」という固有名詞は、あるいは「文化五年辰年」は何を意味するのか。
なぜ最後に「小僧」は石地蔵になるのか。なぜ、ただの石ではなく、地蔵なのか。

この「第三夜」を書いた漱石の脳裏に、怪談の存在があったことは、おそらく間違いはないだろう。
怪談を抽象化することによって、「夢」であるからこそ可能な、空白の多い作品となった。 その空白の多さゆえに、さまざまな解釈が可能であり、どこまでいっても疑問はなくならないのだ。
同時に、抽象的な物語というのは、ある種の普遍相を有した物語でもある。それゆえに、多くの物語との類似を認めることが可能なのである。

さて、蛇足ながら、わたしはこう思う、ということで、このまとまりのない文章に区切りをつけよう。

『夢十夜』のなかには、「こんな夢を見た」ということばで始まる作品と、そうでないものとがある。
この「第三夜」は、「こんな夢を見た」で始まる。

「こんな夢を見た」のはだれか?
「自分」という言葉が文中に出てくるから、この「自分」が語っていると考えられよう。
では、「自分」はだれに語っているのか?
『夢十夜』が発表されたのは、明治41年、西暦では1908年のことである。
文化五年とは1808年。
つまり、文化五年の「百年後」というのは、この作品が発表されたその年、すなわちリアルタイムで読んでいる読者にとって、作品中の「いま」は、まさに読者が読んでいる「いま」である。

語り手である「自分」は、「いま」ここで読んでいる読者に向かって語りかける。
そうして、語り手である「自分」が、「自分」に話しかける「子供」の言葉――同時に百年前に殺された盲人の言葉を伝えるとき、それは「語り手」でありながら、同時に「聞き手」でもある存在である。
つまり、ここで語る「自分」は「百年前」と「いま」をつなぐ存在なのだ。
そうして「自分」が背負っている「子供」は、未来の自分でもある。
こうやって、過去―現在―未来という円環する時間のつなぎ目として、語り手である「自分」が、読み手であるわたしたちの前に現れ、わたしたちをその円環する時間のなかに誘うのである。





初出Aug.17-22,2005 改訂Aug.30, 2005





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