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英語大変記――これを読んでも英語ができるようにはなりません――


「じゃ、英語、ペラペラなんですね?」

これまでの人生の中で、軽く千回は聞かれたことだろう。
いつもそのたびに返答に窮してきた。

だいたい、日本語が「ペラペラ」ではないのだ。
いや、もちろん生粋の日本人、日本生まれの日本育ちではあるのだけれど、だいたい話すのが遅いうえに、「なんとなく」おしゃべりする、ということができない。
話題が決して広い方ではないので、相手に合わせて話題を選ぶなんて器用なことは逆立ちしてもできないし、こちらがいくらでも話せるようなことは、非常に多くの場合、聞き手があくびをかみ殺す結果になってしまう。相手がどんどん話してくれる人なら、にこにこしながら聞いていればよいのだが、いったん話が途切れると、わたしからはどうすることもできない。四人で話をしているときに、例によってもっぱら聞き役ですませていると、「わたしたちのこと、バカだと思ってるでしょ」と突然言われて、うろたえたこともある(ほんとうに、なるほどなー、と感心しながら聞いていたのだ。こんなところで言い訳してもしょうがないが)。

仕事で知らない人に会わなければならないときは、朝から気が重い。美容院に行くのもそう。
美容院というところは、おしゃべりがサービス料みたいなものに含まれているのだろうか、どこへ行っても美容師さんがかならず話しかけてくる。それを歓迎しない客もいるのだ、ということはマニュアルには書いてないのだろうか。"Don't disturb."と書いた札を首から下げておきでもしない限り、まずはこんな具合になってしまう。

「どうしましょう」
「前は××くらい、横は△△くらい、後ろは**くらいで、全体に〜な感じでお願いします」(と言って、持ってきた本を取りだして開く)
「何の本ですか〜?」
「『日英語比較講座』」
「わー、むずかしそう」
「むずかしいです」
「何が書いてあるんですか?」
「日本語と英語がどうちがうか、みたいなこと」
「すごーい、じゃ、英語、ペラペラなんですね?」

***

英語の勉強を始めたのは、中学生になってから、学校の英語の授業が最初である。といっても、それほど熱心に勉強したわけではない。英語ばかりではなく、学校の勉強なんてものは、高校受験がないのをいいことに、六年間、至極適当にすませていた。

中高時代に受けた授業の内容は、先生によっては、かなりよく覚えているのだが、どういうわけか英語に関してだけは、さっぱり記憶にない。せいぜい高校のリーダーのテキストに、キング牧師の"I have a dream."の演説が載っていて、実際のスピーチも聞かせてもらったたのだが、聞いているうちに、身体が震えてどうしようもなかったこと、ことば、というより、アジテーションの力に畏れのようなものを感じたのが記憶に残っているぐらいだ。予備校の夏期講習に行って、いわゆる名物講師の授業も受けたけれど、これまた全然記憶に残っていない。受け手の問題もあるのだろうが、やはり深いところに届かなかったものは、そういう結果になるのだと思う。

高校になって、近所に住んでいるアイルランド人のところに英語を習いに行くようになった。自宅でやっている少人数の教室で、わたしが参加していたクラスには、ほかに歯医者さんと、以前外資系で働いていた人がいた。
テキストに使っていたのは、この先生があちこちに向けて書いた文章である。英字新聞に掲載された投書もあれば、在日外国人向けの雑誌に書いた文章や、イギリスの雑誌に採用された文章のこともあった。環境問題や時事問題。イスラムとカトリックの問題。日本の伝統文化をテーマにしたエッセイなど。
これをまず読む。発音が少しでもおかしいところがあれば、徹底的に直される。
つぎに内容の説明を受ける。もちろん英語である(ただし、かなりゆっくりとしたスピード、聞き取りやすい、はっきりした発音で)。だいたいこの人の文章は、かなり複雑な構文を取るものだったので、主語と述語のペアを見つけ出していくだけで骨が折れた。
最後に、そのエッセイを元に話し合う。
これが大変だった。
だいたい自分の意見を作るというのは、日本語でやっても大変なのだ。それを即興でやっていかなくてはならない。
しばらくの間、言いかけては脈絡を失って、ことばにつまる、を繰り返した。

なぜ、つまるのだろう。
それは、考えがないからだ。英語という以前に、意見がないのだからことばにできるわけがない。
英文を読む→日本語で考える→日本語で意見を作る→それを英語にする
このプロセスをたどっていては、とてもではないが間尺に合わない。
英語で考えなければ。

本屋へ行くと、英語で考える、といったタイトルの本が、それはそれはたくさん並んでいた。ところが手にとってみると、英語で考えるためにはどうしたらいいか、という、肝心要のことが書いてないのだ。
その多くが、単に頻出フレーズがあげてあるだけだった。実際、「頻出フレーズ」といっても、それが使える場面など、極めて限定される。そんなものは、クソの役にも立たない。

そのうちに気がついた。
英語の半分以上は、第三文型、S+V+Oで構成されている!
この組み合わせなら、なんとか喋れる!
頭の中を三つに区切る。
だれが(動作主のグループ)
どうした(他動詞のグループ)
何を(目的語のグループ)
この三つの中から、適当なものを選び出して、組み合わせていけば、とりあえず英語にはなる。

とくにこのなかで重要なのは、動詞だと思った。
意見を作るとき、まず自分の考えの中心にくる動詞を決める。その動詞はだれのアクションか。何に向けてのアクションか。
考えることはたった三つなので、とりあえずひとつのまとまったフレーズは完成する。複雑なことを言いたいときは、それを繋げていく。

そうやって、わたしは何とか討論に加わることができるようになった。
その動詞はそうした使い方はしない、そういう場合はこう言った方が良い、と訂正されることのほうが多かったが、とりあえず「何を言っているかわからない」という英語ではなかったとは思う。
実を言うと、未だにわたしの「英語で考える」は、この領域を越えていない。

***

このころ、Mちゃんという子と仲良くなった。Mちゃんは、高校編入組で、中学まではアメリカンスクールにいた、いわゆる帰国子女である。
一緒に映画を観たり、買い物に行ったり。
若い外国人男性を見かけると、Mちゃんはわたしに「話しかけてもいい?」と了解を求める。人相風体を見て、わたしは「どうぞ」、あるいは「ダメ」と言う。
わたしからのOKをもらっても、Mちゃんはすぐに話しかけたりしない。そちらをじっと見て、何とか視線を合わせようとする。視線が合えば、にこっ。そうすると、かなりの確立で向こうから話しかけてくる。
話をするといっても、だいたいが本屋の洋書売場での立ち話で、そこからお茶を飲みに行くことさえしなかったけれど、このちょっとした度胸試し(武者修行?)は、それなりに楽しくもあった。だいたいにおいてわたしは聞き役で、最初は「アンタも何か喋んなよー」と言っていたMちゃんも、話を向けられたわたしが、Patrickというのはアイルランド系に多い名前のような気がするけれど、その認識は間違っているだろうか、と聞いて以来、あまり積極的にわたしの参加を求めなくなった。
いま考えてみると、ずいぶん傍迷惑な行動だったのだが。

***

同じころ、あるミュージカルの来日公演を見る機会があった。バックダンサーのひとりの踊りに、ものすごく心惹かれた。なんとかお金を工面して、もういちど見た。二度目は、最初から最後まで、主役ではない、歌うシーンもほんの少ししかないそのダンサーだけを見た。

家に帰ってからも、忘れることができない。だから、手紙を書いた。
どのくらいのファンレターを受け取るのか想像もつかないけれど、なんとか読む気になるような、特別の一通になるためには、極め付きでおもしろいものを書かなくてはならない。だから、考えられる限りおもしろいものを、英語で、イラストつきで書いた。
じきに返事が来た。
まず相手の字が下手なのに驚いた。大きくて、小学生が書いたようなアルファベットである。しかもその文章の単純なことといったら、中学1年の教科書のようなものだ。
その中学生のような英語で、日本に来てちょうどホームシックになっていたところだった、手紙を読んでうれしかった、大笑いした、自分の高校時代を思いだした、とあった。
うれしかった。
それから、手紙をせっせと書くようになった。

英会話教室のクラスメイトである歯医者さんは、論文の添削を先生にしてもらっていたが、さすがにファンレターの添削は頼めない。
英語らしい表現、おもしろい、気の利いた表現をさがして、本を読み、ランダムハウスを引き、自分なりの表現辞典を作っていった。あのときほど、真剣に「おもしろい」文章を追求した時期はない。なんであそこまでできたのか、いま考えるとよくわからないのだが、とにかく、書くことはこれで相当に鍛えられた。なにしろ、一流の文章を引き写し、自分のものにしていくのである。鍛えられない方がどうかしている。
その時期の下書きが残っているが、いま見ても、それだけの文章が書けるかどうかわからない。

公演が終わって帰国する前、一度会った。
アメリカに帰ってからも、一年ほど手紙のやりとりは続いたけれど、相手も東海岸、西海岸と移動が激しく、こちらも大学受験が近くなって間遠になり、出した手紙も宛先不明で戻ってきた。
いまとはちがって、まだメールなどないころの話である。わたしがPCを使い出してから、5年そこそこでしかなけれど、それ以来、通信手段がまったくかわってしまったことには驚かされる。
あれがメールだったら、そこまで内容や文章を練ることはしなかっただろう。そして、こんなことを書くこともなかったと思う。

What I am trying to say is, while studying for years in English, most of the focus is demanded towards technique. But as a would-be writer, personality is the most important part to express my ability, if any, to write. Each day I try to find a word to carry things a little further. It's so easy to get bored because of doing the same thing everyday; one must look beyond what your actually doing and get self enjoyment out of it.

(つまり、わたしが言いたいのは、英語の勉強をもう何年かやっているけれど、その焦点はテクニックの習得に置かれてる、っていうこと。でも、モノ書き志望者としては、自分の書く能力、もしあれば、の話だけど、を表出するために一番大切なことは、人間性だと思う。毎日わたしは、ものごとが少しでも遠くまで伝わるようなことばを探そうと思ってる。同じことを毎日やっているんだから、飽きてしまうのは簡単だけど。でも、人はいまやっていることのもっと先を見なくちゃならないし、そこから自分のための楽しみを見出さなくちゃならないと思う)

***

なんだかんだいいながら、日本にいたまま、読む、聞く、話す、書く、を結果的にバランス良く勉強していたことになる。もちろん勉強しなさい、と言われたとしたら、きっとソッポを向いていたことだろう。そうした意味では非常にめぐりあわせが良かったのだと思わずにはいられない。
わたしのやってきた方法が万人向けとは決して思わないし、実際、わたしよりできる人は星の数ほどいるわけだから、勉強法はそうした人に聞いてもらいたい。
ただ、わたしはそうやってきて、いつもおもしろかった。いまやっていることの少し先を見ながら、なんとかそこに行きたいと思い、そうしながら楽しみを見つけてきたのだと思う。

ところで最初の質問。
ペラペラは、喋れません。おそらくは、これから先も。
だけど、話したいことがある限り、やっぱり話していくと思う。それは、日本語であろうと、英語であろうと、同じこと。






初出Jan.16, 2005、改訂Jan.17, 2005