友だちが敵になるとき――友情の果てに見えてくるもの
It is easier to forgive an enemy than to forgive a friend.
友だちを許すより敵を許す方が容易である
―― ウィリアム・ブレイク
0.友だち百人できるかな
スーパーにいたところ、突然、甲高い声が響いた。すぐに激しい泣き声が続き、つられてそちらに目をやれば、小さな子供がふたり争っている。こぶしをふりあげている子、ひっくり返って泣いている子、なりゆきは一目瞭然である。声に気づいたらしいお母さんたちも飛んできた。
それぞれが、どうしたの、とわが子に事情聴取し、事態を了解したのだろう、加害者とおぼしき子供のお母さんは「ごめんなさいね」と相手に頭を下げ、子供に向かっては「リョウちゃん、お友だちをぶったりしちゃダメでしょ。お友だちに、ゴメンナサイしなさい」と叱る。被害者とおぼしき側のお母さんは「マオちゃん、あなたがお友だちのお菓子を取ったら、お友だちは怒ったのよ、お友だちにゴメンね、って言いなさい」とこちらもなだめつつも非を伝える。その結果、無事和解は成立した。
ありがちな一幕ではあるが、それぞれのお母さんが相手の子供を「お友だち」「お友だち」と言い合っているのに興味を引かれた。
相手のことを「お友だち」と呼ぶぐらいだから、親しい間柄かと思いきや、大人同士、謝ったり謝られたりするしぐさもぎこちない。どうやらお母さん同士、面識がないらしいのだ。初対面の子供なのに、相手を「お友だち」と呼ぶのか。
ここでの「お友だち」は、「奥さん」「ご主人」「おばあちゃん」「お兄ちゃん」などと同様、その社会的身分を示す代名詞なのである。
ただ、「おばあちゃん、今日も元気だね」とか、「そこのお姉さん、今日はいいカツオが入ってるよ」というときの「おばあちゃん」や「お姉さん」が、本来の意味をほとんど残していないのとくらべると、「お友だち」には、もう少し「友だち」本来の意味がこめられているように思う。
路地裏で子供が大勢駆けまわっていた時代とはちがって、子供の姿も、決まった場所、決まった時間帯でしか目にすることもなくなった。だからこそ、小さな子供のお母さんたちは、「お友だち」という言葉を、意識的に発しているのだろう。子供の前に立ち現れる同じくらいの年格好の子供を、「お友だち」と繰りかえし言いきかせることによって、この子たちはみんな、「お友だち」の可能性を持った存在である、というメッセージを伝えようとしているのだろう。いまは知らない子でも、一緒に遊べば「お友だち」になれるのだから、仲良くするのよ、と。
そんなことを考えていたら、四月になると流れてくる「一年生になったら」という歌の意味が、初めて腑に落ちた。それまで「友だち百人できるかな」と聞くたびに、百人いたら友だちじゃないだろう、同じ学年の子とか、顔見知りとか、せいぜい名前を知っている子ぐらいだろう、百人なんてあり得ない数字をどうして出すかなあ、と思っていたのだ。
だが、おそらくその歌はそういうことではなくて、これからあなたは一年生になって、百人(前後)の子供と一緒に学校生活を送ることになる、そうして彼らはみな、あなたの「お友だち」になりうる子供たちなのだ、楽しみだねえ……そんなメッセージを子供たちに向けて発しているのではあるまいか。
実際、当時を振り返ってみると、最初は「どの子もお友だち」の状態から始まった。「お友だち」は、近所の子や同じクラスの、たまたま隣の席になった子だった。そうして歳を重ねていくにつれ、「友だち」と呼べる対象は、どんどん限定されていく。
それと同時に、「友だち」という言葉の意味も、最初は辞書に載っている「一緒に勉強したり仕事をしたり遊んだりして、親しく交わる人。友人。」(大辞林 第二版)という漠然とした広がりを持っていた状態から、それぞれの「友だち」経験に裏打ちされて、意味は深まり、同時に限定されていく。次第にわたしたちのなかで「わたしにとっての友だちとはこういう人のことだ」と、言葉の意味もカスタマイズされていくのだ。
そうして、あの人はクラスメイトだけど「友だち」じゃない、と考えたり、「ママ友」「メル友」などのように「限定された友人関係」をほかの「友だち」から区別してみたり、年長者から「ぼくの年下の友だち」と呼んでもらえても、逆にこちらから「あの人を友だちと呼ぶのは失礼ではないか」とためらってみたり、「友だちでいましょう」と言われて落ちこんだりするようになる。
こうしたことからわかるのは、「友だち」という言葉は、外からの定義づけがゆるやかなのに比して、わたしたちの内側からの定義づけはかなり厳密であり、わたしたちは、その使用に際して慎重になる、ということだ。
ここではその「友だち」について、天の邪鬼だけれど、その仲が壊れたところから考えてみたい。
1.泣いたお母さん
この話をブログに書くことになったそもそものきっかけは、ある印象的な話を聞いたからだった。話を教えてくれた人を、仮にAさんとしておこう。Aさんには了承を取ってあるが、細部の設定その他、一部事実と変えてあるので、もし身近に共通する経歴を持った人がいても、それはただの偶然、「あの人のことだ」とは思わないでください。
さて、Aさんは高校時代、B君という友だちがいた。B君のお父さんは、大きな法律事務所を開いている地元では有名な弁護士で、B君もそこを継ぐことを期待されていた。AさんもB君と親しく交わるうち、別の角度から見た有名事件や裁判の話を聞くうちに、しだいに法律家という職業に興味を引かれるようになって、ふたりはともに同じ大学の法学部を志望するようになった。
B君はお父さんの力もあってか、学校の先生に個人指導してもらっていた。B君に誘われて、Aさんも一緒にその課外授業に参加するようになった。数学の先生が用意した難問を解いて添削してもらったり、英語の先生に毎日、長文の読解問題を作ってもらったり。数学が得意だったAさんは、B君に先生の解き方をわかりやすく説明してやり、英語の得意なB君からは、単語や構文の覚え方のコツを教わった。そうしてふたりは励まし合って勉強を続け、同じ大学の法学部を受験し、武運つたなく枕を並べて討ち死にした。
高校の卒業を待つように、Aさん一家はお父さんの仕事の関係で大阪に引っ越すことになった。そちらの予備校に通うことになったAさんと、地元で浪人するB君は離ればなれになったが、ふたりは頻繁に手紙を交換し(メールなどまだない時代である)、模試の結果にふたりで一喜一憂したり、さぼりたくなったら相手の顔を思い浮かべてがんばったり、という日が続いた。
そうしてつぎの年、Aさんは見事志望校に合格した。ところがB君はその年も失敗してしまったのである。Aさんは合格の報告を兼ねて担任の先生に挨拶するため、郷里へ戻った。ついでに、というか、そちらの方がほんとうの目的だったのだが、B君にも会って、もう一年がんばれ、と伝えることにした。その地を離れてしまったAさんは、B君が同じ大学にでも来てくれない限り、再会もむずかしい。それを思うと、B君の家へ行かずにはいられなかったのだ。
通い慣れた高台の道を上り、立派な門をくぐっていつものように玄関先で「こんにちは」と挨拶すると、奥から出てきたB君のお母さんの表情が固い。Aさんを見てキッと睨みつけるなり、切り口上で「何のご用でしょう」と言う。驚いたAさんは「もうここに帰ってくることもないので、B君に会って帰ろうと思って」と言うと、お母さんは引っ込み、すぐにB君が玄関に出てきた。
B君はAさんを中に招じることもなく、玄関先で「よかったなあ、おまえ、これから司法試験、がんばれよ」と言ってくれた。Aさんも「おまえもがんばれ」とだけ言うと、そのままふたりは分かれた。それ以後は、何となくお互いに連絡を取ることもなくなってしまったという。
ところが数年が過ぎて、大学院に通うようになったAさんのところに、高校時代の友人が遊びに来た。昔話に花が咲き、B君のことも話題に出た。B君は、結局四浪したけれど、Aさんの大学に合格することはかなわず、今春、別の大学の経済学部に入学したという。その大学ならAさんの下宿からも近い。こんな近くに来ていたのか、と驚いたAさんは、すぐに友人に連絡を取ってもらった。
再会した三人は、居酒屋で旧交を温めた。やがて酔いもまわってきたころ、B君がAさんに突然、「あまえはあのとき何でうちに来たんだ?」と聞いてきた。
「え?」と聞き返すAさんに、B君は続けた。「あのときな、オレの母親は泣いてたんだぞ」
「あのとき」というのは、AさんがB君の家へ行ったときのことである。B君のお母さんは「この子はわざわざ自慢しに来たのか!」と腹立ちがおさまらず、息子の顔を見るうちに、ふがいなさと不憫さで涙がこみあげたのにちがいない。
Aさんは誤解されたことがよほど心外だったのだろう、わたしにまで「ぼくは純粋に、B君に、次はがんばれよ、と伝えたかっただけなんです」と言い足さずにはいられないようだった。「B君にはわかってもらえたと思ったのですがね、そうじゃなかったんだなあ。彼はきっと母親思いだったんだろうなあ」という声は、三十年以上も前の出来事とは思えないほど、無念の色合いが濃かった。
ともかく、せっかくの再会は、ひどく後味の悪い幕切れとなってしまったのだそうだ。だが、話はそこでは終わらないのだ。さらに歳月は流れ、高校を卒業して三十年目の節目に、母校の同窓会が開かれることになった。AさんはB君のことが気がかりではあったけれど、さすがに三十年もたっていることだし、皆に会えるのも楽しみだし、久しぶりの郷里だし、と、奥さんをともなって参加したという。
当時の担任の先生も加わって、昔話を肴に楽しい時が過ぎた。やがてB君がAさんのところにやってきたのである。顔を合わせるが早いか「お前、なんであのときにうちに来たんだ」と詰問が始まった。どうやらわざわざAさんを責めるためだけに、その席までやってきたらしい。すでにアルコールもずいぶん入っているようで「オレの母親は泣いてたんだぞ。いったいどういうつもりで母親を泣かすようなことをしたんだ」と、同じことを繰りかえす。異様な雰囲気を察したほかの同級生が「Bは話がうまかったし、みんなの前で話すと迫力があったよなあ、スピーチで学校代表になったのは二年の時だっけ?」などと話を変えようとしても、B君は頑としてその話をやめようとはしない。
Aさんは、何を言っても弁解に取られるだろうし、もうB君には自分の気持ちは決してわかってもらえないと思って、うつむいて杯を口に運ぶだけだったという。あのときお母さんではなく、直接B君が玄関に出てくれていれば、「まあ、いろいろあったけど」と、いまも楽しく語らえていられたかもしれないのに、と思うと、偶然を恨まずにはいられなかったそうだ。
「大学に入ってからも、そのあとも、親しくつきあった人はいるけれど、高校のときみたいな関係じゃなかったなあ。それを思うと残念でね」
いまなお、そのときのことが心残りらしいAさんには申し訳ないけれど、わたしは非常におもしろい話だと思った。わたしたちが「友だち」をどのようなものと考えているかが、この話のなかに集約されているからだ。
2.新規更新されない不幸
Aさんの無念さの背景には、B君のお母さんが自分の訪問の意図を誤解さえしなければ、自分たちは今なお友だちでいられたのに、という思いがあったように思う。だが、ほんとうにそのときお母さんが出てこなければ、ふたりはそれから先も友だちでいられただろうか。
確かにB君は三十年間一貫して、「母親を泣かせた」から許せない、とAさんを責めた。だが、そもそも母親が泣いたのは、自分が受験に失敗したからにほかならない。その意味では、母親を泣かせたのは自分であり、B君自身もそのことはよくわかっていたはずだ。
友だちならば、相手の合格を喜びたい。だが、自分は失敗していることを思うと、その感情は複雑だ。しかも、B君からしてみれば、Aさんに対して、先生の個人教授など、自分が便宜を図ってやったという思いがあっただろう。目的に向かって、ふたりで頑張っているあいだは、「便宜を図った」などと考えたことがなくても、便宜を図ってやった相手がうまくいき、肝心の自分が失敗したとなると、自分に来るはずの合格通知を横取りされたように感じたのではあるまいか。
自慢しにやってきて、母親を泣かせるなんて。あんなに面倒見てやったのに。あれをしてやった、これもしてやった、なのに母親を泣かせるなんて、おれの友情を裏切ったのだ……。
それから先、浪人生活をもう三年繰りかえしたB君の日々がどんなものだったかを想像すると、胸がふたがれたような思いがする。おそらく、B君の人生の時計は、Aさんが来て、お母さんが泣いたのを見た瞬間に、止まってしまったのだろう。動かない時間のなかで、繰りかえし、お母さんが泣いた場面に立ち戻っていったのだろう。
このように、端から見ると、とても裏切りとは呼べない状況でも、「裏切られた」という思いがどうしようもなく起こる場合があるのだ。小説にもそんな場面はさまざまに描かれている。たとえば山本周五郎の時代小説『橋の下』という短篇などは、その好例だろう。
3.「裏切られた」という思い
この話は、早朝、果たし合いに赴いた若侍が、河原で相手が来るのを待っている場面から始まる。実は彼は、はやるあまりに寺の鐘の音を数え間違い、二時間も先に来てしまったのだ。夜明け前の冷気のなかで、若侍は橋の下の焚き火に引き寄せられる。火を焚いていたのは、門口で物乞いをしながら、橋の下で暮らしている老夫婦だった。
その老人の姿をよく見れば、物乞いという境遇にもかかわらず、貧しいながらもきちんとした身なりと、教養のありそうな面もちである。老人の側も、果たし合いの装束に身を固めた若侍の姿を見て、事情を察したのだろう、問わず語りに自分の過去の話を始めた。
老人は、かつては由緒正しい家柄の武士で、幼いころから大変仲の良い友だちがいた。友だちは学問もでき、武芸の腕も確かで、家中でも次第に注目を集めるようになっていたが、なにぶん身分がものをいう時代である。語り手の老人よりも、身分はかなり下で、およそふたりは競り合うこともなく、幼い頃からの友情は、大人になっても変わることなく続いていた。
年頃になって、彼はかねてより思いを寄せていた娘を妻に貰い受けようとする。娘の気持ちも自分に傾いていることはわかっていた。
ところが、人を立てて娘の家に話に行くと、娘にはすでに縁談を進めている相手がいた。あろうことか、自分の友だちである。彼はその友だちに、裏切られた、と感じた。おまえは自分が娘に思いを寄せており、娘の側もそれに応えていたことを知っていたではないか、きさまは他人の妻をぬすんだのだ、となじり、とうとう果たし合いをすることになった。
老人の話はここから核心に入っていくのだが、ひとまずそれは置いて、ここで少し考えてみたいのだ。果たしてこれは「裏切り」と呼べるのだろうか。
この時代の縁談は、家と家が進めたことで、友人も関知しない出来事だった。冷静に考えてみれば、「裏切り」ではないことは、彼自身にもよくわかったはずだ。自分が思いをかけたほどの女性である。きっとすばらしい家庭が築けるにちがいない。本来なら友だちに起こったすばらしい出来事は、自分にとっても喜ばしいことではないのか。
だが、それはあくまでもたてまえである。家と家が進める縁談なのだから、ほかの人のところへ嫁入りが決まれば、残念ではあっても諦めもつく。だが、相手が友人となると、話は変わってくる。あいつは友だちのくせに、自分の幸せを邪魔するなんて許せない、裏切られた、という思いがわき起こってくる。
AさんとB君の場合でも同じだ。Aさんの合格とB君の不合格の間にはなんら因果関係はない。友の喜びは自分の喜び、Aの合格は自分にとってもよい知らせ……。少なくともそう考えるべきだ、と自分に言いきかせながら、B君も、玄関先でお祝いの言葉を述べたのだろう。ところが母親から涙交じりの繰り言を聞かされ、B君がそれまで抑えていた「裏切られた」という強い思いが噴き出したのだろう。
さほど親しくもないクラスメイトが有名大学に合格した。うらやましい、ねたましいと思うことはあっても、裏切られたとは思わない。けれども、机を並べ、教えたり教えられたりしてきた友だちだけが合格し、自分が失敗したときは、嫉妬ではなく、「一人だけうまいことやりやがって」と腹が立ち、裏切られた、と思ってしまう。
どうやらこの「裏切られた」という思いは、親しい友だちだからこそ、起こってくるものらしい。だが、どうしてそんな感情が生まれてくるのだろう。
4.もうひとりの自分
ここで思い出すのが、カントの有名な「殺人犯に友人の居場所を聞かれた場合に嘘をつくことは正しいか」という倫理学の問いである。おもしろいのは、カントが「嘘をついてはならない」という道徳法則の例題に、「友人」を持ち出している点である。どうして親や子供、きょうだい、配偶者などではなく、「友人」を例に出したのだろう?
仮に、自分の子が殺人犯に追われて逃げ込んできたとする。そうなると、今度は別の倫理的な問題が生まれてくる。殺人犯に対して、嘘をつく、真実を告げる、という以前に、自分の子供を保護し、守ってやるのは親としての義務ではないか。武器を持って戦うとか、通報するとか、方法はさまざまにあるにせよ、殺人犯に本当のことを言うか言わないか、というのは、おそらく問題にもならないはずだ。
カントがここで「友人」と仮定したのは、「友人」はもうひとりの自分だからだ。自分に嘘をつくか真実を告げるかの選択の余地があるのは、友人には自力で殺人犯から逃れる能力があるからだ。自分に道徳的な判断を下せる能力があるように、友人には逃げる能力がある。だからこそ、この問いが成立する。
こう考えていくと、「友だち」という関係の特殊性が浮かび上がってくる。
友だちとは、自分と対等の、「もうひとりの自分」なのである。
小さな子供は、ほかの子が持っているおもちゃがほしくなる。手を伸ばしてそれを取り上げようとして、それがかなわなければ、ひっくり返って泣きわめく。それは、その子の姿に自分を重ね合わせ、「もうひとりの自分」が持っているものを、この自分が持っていないことが不当に感じられるからだ。そのおもちゃがほしいから泣いているのではなく、それを持っているのが「この自分」ではなく、「もうひとりの自分」だから、腹が立つのだ。
もちろん、歳を取るにつれて、誰もそんなことはしなくなる。けれどもそれは、わたしたちを取り巻く人が増え、わたしたちが身を置く関係も少しずつ複雑になっていくからだ。
だが、いくつになっても、どんなときでも、わたしたちが見出す「友だち」の基本は幼い頃と変わらない。相手が好きで、一緒に過ごすことが楽しくて、お互いの気持ちを共にできるような相手である。
年齢が離れていたり、上下関係にあったりすると、気の置けないつきあいはむずかしい。直接的な利害があってもむずかしい。軽蔑している相手とは友だちにはなれないし、かといって尊敬するだけの相手も、こちらが引け目を感じてしまう。自分の方が優れているところがあり、逆に相手の方が優れているところもあり、自分にダメなところがあるように、相手にもダメなところがある。結局「友だち」とは、自分と対等で、「もうひとりの自分」でもありうるような存在なのである。
小さな子供ではないから、「おもちゃ」はひとつだけではない。「友がみなわれよりえらく見」えるようなことがあっても、自分には花を買ってきて共に楽しむ妻がいれば、「裏切られた」という思いが高じる前に、自分の気持ちを慰めることもできる。
ところが受験に自分は失敗したのに、友だちは合格した、あるいは、自分の思いをかけていた女性が、友だちと結婚することになった、というように、たったひとつしかない「おもちゃ」が、自分のものにはならず、相手のものになった。そんなとき、わたしたちの胸にわき起こってくるのは、小さな子供と同じ怒りではないだろうか。それを手にしたのが、どうして<この自分>ではないのか。自分が手に入れられなかったのは、本来、自分のものになるはずだったのに、あいつが横取りしたからではないのか。
相手が裏切ったからではない。友だちだったのに、「もうひとりの自分」だったのに、自分の手に入らないものを手に入れたから、「裏切られた」と感じてしまうのだ。あんなに仲が良かったのに。自分は相手にあれだけしてやったのに。まるでオセロで両端をとられたときのように、「友だち」であった経験が、このとき一気にひっくり返され、盤上は黒一色に染まってしまう。
5.「勝者」はどこにいる?
では逆に、勝者となった側は、自分だけ勝ったことに対して、後ろめたさを感じたり、自分が相手を「裏切った」と感じたりするものなのだろうか。
囲碁でも将棋でも、対局して楽しむためには、実力が均衡していなければならない。ゲームでもテニスなどのスポーツのときでも、自分の方が圧倒的に強いようなときには、そもそも対戦にはならず、手加減しつつ、相手も楽しめるように気を配ることになる。
勝ってうれしいのは、勝つか負けるかわからない相手と、自分が全力を出し切ってやったときだ。遠慮も何もなく、純粋にそのプレーに集中できる。勝ってうれしいだけでなく、負けたとしても、つぎはどうなるかわからない。だからわたしたちは一度の勝負に全力を尽くすし、負けたとしても、つぎを楽しみにできるのだ。
Aさんが、大学に合格したあと、B君の家を訪れたのは、「つぎの勝負」はどうなるかわからない、という思いがあったからだろう。入試をクリアしたAさんの前には、つぎのステージがあった。そこで、またB君との「勝負」は続いていく。だからこそ、Aさんは激励に行ったのだ。早くまた同じところに立って、一緒に勝負を続けようじゃないか、と告げるために。Aさんは、自分がB君に勝ったとは一瞬たりとも思っていなかったはずだ。
ところが入試に失敗したB君にとって、つぎのステージなど絵空事でしかない。「今年の入試」に限って言えば、勝敗は永遠についてしまった。B君が「裏切られた」と感じているのに対して、「つぎ」を考えているAさん、というふうに、ここでねじれが生じてしまったのである。
「裏切られた」と深い恨みを抱いていることを聞いて初めて、相手がそんなことを感じていたのか、と驚く場合は少なくない。それは、裏切られたという思いを抱いている側が、いつまでも過去の時間に囚われているのに対し、「裏切った」と目されている側は、その先の時間をどんどんと歩いているからでもあるのだろう。
このように、一方が自分は敗者だ、自分は裏切られた、と思っていても、もう一方はまったく裏切りとは思ってもいないようなとき、友情を壊しているのは、いったいどちらの側なのだろう。答えは明らかだ。「裏切られた」という意識こそが、友情を壊してしまっているのだ。そのことを『橋の下』の続きを見ながら、考えてみよう。
6.自分はほんとうに「裏切られた」のだろうか
若き日の「橋の下の老人」とその友だちは、ついに果たし合いをした。彼は友だちを斬り、「医者を呼んでくれ」という友だちを見捨てて、娘をともなって城下を出奔することになった。
だが、「自分たちが恋に勝った」という気持ちは長くは続かない。七年目に国許に帰ったとき、自分が斬ったはずの友だちは、ケガを負っただけで命に別状はなく、かえって同情を買い、家中で出世を果たしていることを知る。
彼は、あのとき自分さえでしゃばらなければ、妻もいまごろ幸せになったのに、と後悔し、妻の側は、夫をこんなに落魄させたのは自分だと思い、ふたりで「憎むべきは、かの男だ」と友だちを憎みながら、ふたたび国を出て、諸国を放浪することになった。
だが、その憎しみもまた、長くは続かない。やがて彼は体をこわして日銭を稼ぐ仕事すらできなくなって、ふたりは物乞いになり、橋の下で暮らす境遇にまで身を落とすことになる。
橋の上の世界から出てしまったのは、娘を失うか得るかが、命を賭けるほどの重大なことだと思い込んでしまったからだった。果たし合いをしたらどうなるかなど、深く考えることもなく、裏切られたという怒りだけで、相手を斬ったのである。だが時が経つうち、そんなにも思い詰めたはずの恋も冷め、友の出世を羨む気持ちも失せた。橋の下で暮らすようになったいまでは、ただ、斬ったあげくに「医者を呼んでくれ」という友だちを見捨てたことだけが心残りだ。
老人は言う。「医者を呼んでくれ」と言ったのも、おそらく友だちは自分が助かりたかったためではないだろう。何とか表沙汰にすまい、自分を人殺しにすまい、と考えてのことだった。その友の気持ちを思うと、彼が出世をし、自分が落魄したことさえもありがたい。
怒りにまかせていたときは気がつかなかった「医者を呼んでくれ」という言葉の真意を理解したとき、老人は、裏切ったのが相手ではなく、自分だったことを知るのである。
三十年間、Aさんの裏切りを恨み続けたB君とはちがって、藩を出奔し、諸国放浪を余儀なくされた『橋の下』の老人は、過去の時間に留まっておれる余裕などなかった。厳しい「いま」にさらされて、老人も変わり、過去の出来事を別の角度から眺めることができるようになっていく。そうして「裏切られた」と思っていた自分の方が、実は相手との友情を「裏切っていた」ことに気がついたのである。
いまの境遇を老人が「ありがたい」と思えるのは、自分が受けている苦しみには意味がある、友だちを裏切った過去を消すことはできなくても、こうやって身を落とすことで過去のあやまちをつぐなっているのだ、と考えているからこそだろう。若侍が引かれた老人のたたずまいは、その人の前半生が恵まれたものだったことを示す面影だけでなく、現在の老人の心境からくる穏やかさにあったにちがいない。
さて、この友だちに対する「裏切り」を、さらに徹底して厳しく問いつめたのが、夏目漱石の『こころ』である。
7.裏切った側の苦しみ
『こころ』の主人公の先生は、友だちのKから、自分が心引かれる下宿屋のお嬢さんへの思いを打ち明けられる。だが、わき起こる競争心から、自分も同じ気持ちであることを正直に告げることができず、先生は悩みながらも下宿屋の未亡人に、お嬢さんを自分にください、と結婚話を持ちかける。先生とお嬢さんの婚約を聞かされたKは、自殺してしまう。
果たして自殺したKは、青年時代の橋の下の老人のように、「裏切られた」と感じたのだろうか。おそらくそうではなかったろう。縁談の話を奥さんから聞かされて、Kはむしろ自分のうかつさを責めたのではないか。友だちである先生の、お嬢さんに対する思いにも気づかず、自分の苦しみを先生に訴え、結果的に友だちまでも厄介な立場に追い込んでしまった。お嬢さんを先生に奪われた衝撃よりも、高潔でありたいと願っていた自分が、恋愛感情に足をすくわれて道を見失い、なおかつ友だちまでも裏切ってしまったという慚愧の念の方が強かったのではないだろうか。
Kのお嬢さんに対する恋愛感情を聞いた先生の気持ちの中には、学問の面や人格の面で自分より優れているKに、恋愛でも負けたくないという競争心が起こっただけでなく、裏切られた、という怒りがあったはずだ。自分がこの下宿に連れてきてやったのに、自分が経済面でのバックアップをしてやっているのに、と。その裏切られたという意識が、先生に抜け駆けをさせたのだ。
反面、自分が抜け駆けをしている、誠実なKを裏切ろうとしている、という罪の意識も最初からあった。単純ではない人間の意識は、相反する思いを平気で抱え込むことができる。裏切られたという怒りを抱きながら、怒りにまかせての仕返しを「ひどいことだ」「相手に対する裏切りだ」と罪の意識を抱く自分もいるのだ。そうしてKの自殺によって、先生の側の裏切りは取り返しのつかないものとなってしまったのである。
同じようにひとりの女性を争った『橋の下』の老人は、友だちを斬り、見捨てて逃げた。友だちのことを恨んだり、憎んだり、彼の出世とわが身の落魄を引き比べたりしながら、やがてこのような心境に落ち着く。
「どんなに重大だと思うことも、時が経ってみるとそれほどではなくなるものです…(略)…家伝の刀ひとふりと、親たちの位牌だけ持って、人の家の裏に立って食を乞い、ほら穴や橋の下で寝起きをしながら、それでもなお、私は生きておりますし、これはこれでまた味わいもあります、そして、こういう境涯から振返ってみると、なに一つ重大なことはなかったと思うのです…」 (山本周五郎「橋の下」『日日平安』所収 新潮文庫)
流れる時の中に身を置けば、自分の裏切りも、裏切ったことのつぐないも、やがて「それほどではなくなる」。だが、『こころ』での先生は、あえて過去に自分を閉じこめた。時間を堰き止め、裏切った自分の心の弱さや闇をひたすら問いつめることを選んだのである。過去に囚われ、Aさんを責め続けたB君の三十年はまだいい。自分を「裏切りもの」と責め続けた先生は、自分に「愛想を尽かして動けなくなった」のだ。
死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟で躍り上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと抑え付けるようにいって聞かせます。すると私はその一言で直ぐたりと萎れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何で他の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷やかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。
やがて先生は、乃木大将の殉死の報を聞く。西南戦争での指揮の不手際によって連隊旗手が戦死し、天皇より与えられた連隊旗をうばわれた乃木は、激しい恥辱を感じたが、処罰されなかった。そうして三十五年を経て、明治天皇の崩御に殉じる。それを知った先生は、「生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか」と考えるが、これは先生にとって切実な問いだったはずだ。
法律や規範に抵触するような罪ではなく、友情を裏切った、という曖昧な罪である。仕方がなかった、自分もお嬢さんを愛していた、会ったのは自分の方が先立った……言い逃れしようと思えば、いくらでも罪を逃れることはできる。時間の中で風化させてしまうこともできる。けれども先生はその罪を抱え、誰かに告白して赦しを求めることもなく、ひとり問い続けていったのである。
だが、果たして『こころ』は、人間の心の闇だけを描いているのだろうか。
8.友情は行為を通して表れる
「先生」は自分を慕って近づいてくる「私」に釘を刺す。
「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺かれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから」
「そりゃどういう意味ですか」
「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」
先生の言葉は、友だちであったふたりが決裂する情況を、端的に言い表している。
Kと先生にせよ、『橋の下』の老人と友だちにせよ、わたしに話を教えてくれたAさんとB君にせよ、友だちというのは、一方が他方を尊敬するだけの存在ではない。優れている点、劣っている点があってもトータルでは「対等」だったからこそ、友だちになれるのだ。対等だからこそ、全力で闘うことができるし、素直に相手を尊敬することもできるし、負けても、よし、つぎこそは、と闘志を燃やすことができる。
だが、逆に「友情」は、わたしたちを「友だちだから対等でなければならない」という状況に固定してしまう。対等だから、負けるのはおかしい、対等だから、同じものを手に入れなければおかしい、という、奇妙な、転倒した意識が生じてくる。
そうしてあることが起こる。片方だけが入試に合格する。片方が恋の勝者となる。そのとき、敗者となった側は、この転倒した意識から「裏切られた」と感じるのである。「裏切られた」という意識は、絶え間なくわたしたちに問いをつきつける。あのとき、あいつの行動にはどういう意味があったのだろう。あの言葉はどういう気持ちで口にされたのだろう……。
こうして友だちとして相手を信頼し、尊敬していた記憶、「その人の膝の前に跪いたという記憶」は、一気に別の意味に塗り替えられる。そうして、行動で結果を出さずにはすまされなくなる。「残酷な復讐」をたくらみ、「頭の上に足を載せ」ようとするのだ。それも、すべてはふたりが友だちだったからこそなのである。先生は自分の心を問いつめ、そのことを見つけていった。
だからこそ先生は、近づいてきた「私」に、自分を慕うな、と釘を刺した。自分をそのような「対等」と「裏切られる」関係に身を置くまいとしただけでなく、年若い「私」を、かつての自分と同じ目に遭わすまいと考えたのである。
だが、やがて先生は、一部始終を記した手記を、「私」宛てに遺すということをする。「私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです」といって。先生は「私」の中に、というより、「私」との関係の中に、何ものかを見出したのである。それはいったい何だったのだろうか。
あなたは現代の思想問題について、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑までしなかったけれども、決して尊敬を払い得る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。
知識においても、生きてきた経験においても、決して対等ではありえなかった「私」が、先生からの尊敬を勝ち取ったのは、先生がはぐらかしても、近づくな、と釘を刺しても、先生の過去を問うことをやめなかったからだ。「私」に問い続けられることで、いつのまにか先生は、過去の出来事を、「私」の目で見るようになっていったのではないか。「あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたから」、それまで止めてしまった時間の中で「人間の中に取り残されたミイラのように存在して」いた先生の内に、「温かく流れる血潮」がふたたび通い始めた、ふたたび「いま」という時間が流れ始めたからではなかったか。問う、問われる、その行為を通じて、ふたりが自分たちの関係をどう考えていたにせよ、友だちとして行動していたのだ。
「私」は、先生がどんな人か、すべての情報を入手してから、近づいていったわけではない。「あなたがどんな人かよくわからないからつきあえない」というのは断りの文句であって、相手がどんな人間か知る前に、一緒にいるのが楽しいから、引きつけられるから、共に行動するのだ。
そうして、共に行動するうち、友だちのあいだには不思議なことが起こってくる。「朱に交われば赤くなる」と昔から言いならわされてきたように、ものの見方考え方が自然に相手の影響を受けていく。いつのまにか相手の目でものごとを見るようになり、自然と相手の気に入るように行動するようになっていく。頭ではまったくそんなことを考えてもいないのに、自分はただやりたいことをやっているだけなのに、実際には相手に必要なことをやっている。B君がAさんに個人指導をやってくれる先生を紹介したのも、先生がKを下宿に呼んだのも、友だちという関係が持つ、そんな不思議な力の現れだろう。同様の経験をおそらく誰もが持っているはずだ。
「私」は先生ともっと親しくなりたかったから、先生の過去を聞いただけだったのだが、それが先生を過去の時間から引き出すことになった。「私」はそれがどういうことか、どういう結果を引き起こすことになるかも考えず、誠実に問い続けたのである。その結果、過去の時間から出てきた先生が、自分の人生に終止符を打とうとしたとき、死の床にある父を置いて先生の下に駆けつける。「私」は先生の友だちとしての行為をまっとうするのである。
このように、『こころ』は友だちという関係に潜む、暗い部分を描くだけでなく、かけがえのない部分も描いている。
9.友だちは厄介だ
こうやって『こころ』を読み直してみると、あらためてKと先生、先生と「私」の関係の濃密さに驚いてしまう。競うにせよ、裏切るにせよ、あるいはまた相手のことを深く知ろうとするにせよ、ひとつの自我と、それと対等なもうひとつの自我が激しくぶつかりあっている。
漱石が描いた先生やKに代表される明治人や「私」に代表される大正人にくらべると、現代のわたしたちは、はるかにもろく、傷つきやすく、そんなふうにぶつかり合うような関係にはとてもではないけれど耐えられそうもない。むしろわたしたちが求めているのは、もっと穏やかな、心地よく一緒にいることで安らげるような関係だろう。
わたしが十代の頃、中学や高校の先生から、「君らの親友というのは、ぼくらの頃だったらせいぜい友だちと言えるか言えないかぐらいだな」と呆れられたものだった。そうして小説や映画に出てくる濃密なやりとりや腹を割ったつきあいと、相手に気を遣いながら距離を測っているような、自分たちの繊細でもあり脆弱でもあるやりとりをくらべては、ばくぜんと後ろめたく感じていた。
そうしていま、自分より下の世代の人たちに目を向けると、「あの人、わたしのこと嫌ってないよね?」が口癖の子や、相手からのメールの返信が遅れただけでパニックに陥る子、一日に三十通以上もメールのやりとりをして、つながりを絶やすまいと懸命になっているような子がどうしても目についてしまう。向かい合ってすわりながら、双方がそこにはいない誰かと携帯メールのやりとりに余念のない子たちを見ていると、彼ら彼女らが求めているのは、日常的に一緒に行動することではなく、「友だちのような」関係なのではないか、という気がしてくる。
小説やドラマに出てくるような、自分が理想化した「友だちのような」関係。他人が恐ろしいから、傷つくのが恐いから、共に行動するのは最小限にとどめておいて、言葉だけの頻繁なやりとりがスムーズに進行する「友だちのような」関係を維持しようとして苦労しているのではないかと思えてくるのだ。そうして、わたしたちが過去、「軽い友だち関係」と批判されて、うしろめたく感じたのよりもいっそう、そのような関係しか結べない自分を否定的にとらえているように思える。数少ないサンプルをもとにした、わたしのごくささやかな印象に過ぎないのだが。
これまで見てきたように、友だちというのはそんなに理想的なものではない。友だちだからこそ負けられないと思うし、負ければ裏切られたと感じ、その結果、自分の方が友情を裏切ることになってしまう。その中で傷を負い、時には何年もに渡る恨みを抱えることになるかもしれない。けれども「対等」という危ういバランスに基づいた関係は、ともすればそんな結果に陥ってしまうのだ。
そろそろわたしたちは、理想化された友だちのイメージなど、棄ててしまって良いのではあるまいか。そんな厄介な関係など必要ない、と思うのもよし。けれどもわたしたちはひとりきりではいられない、それもまた確かなのだ。
自分のほかに誰もいなければ、言葉は意味を失い、時間もまた意味を失う。周囲の人びとと、いかに良いつながりを築き、保っていけるか。それは同時にわたしたちが自分を取り巻く世界と、どう関わっているか、でもある。
たとえ、その先で「その人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとする」ことになったとしても、「淋しい今の私を我慢」する代わりに、誰かと「いま」を楽しんでも良いのではないか。
仮につらい経験をしたとしても、その経験は確実にわたしたちを変える。おそらくどこかに旅行に行くより、わたしたちを遠くへ連れて行ってくれる。それまでと同じようには生きていくことができないほどの遠くへ。
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