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ここでは Rpald Dahl の短篇 "Genesis and Catastrophe ―A True Story" を訳しています。
1962年出版されたダール三冊目の短篇集『キス・キス』所収のこの短篇は、ある有名な歴史的人物の誕生の場面を描きます。サブタイトルに A True Story(真実の物語)とあるのは、出生場所や両親の人となりなど、史実を忠実にふまえて書かれているから。ほとんど会話でのみ進行する戯曲のような作品を読んでいるうちに、わたしたちはいつの間にか歴史の決定的瞬間に立ち会っていることに気がつきます。果たしてこの人物は誰なのでしょう。
原文はhttp://arsethica.files.wordpress.com/2008/03/genesiscatastrophe_dahl.pdfで読むことができます。



幕開けと悲劇的結末 ――ある真実の物語


by ロアルド・ダール

揺りかご


「何一つ異常はありません」医者の話が続いている。「横になってゆっくりなさい」なんだかひどく遠くの方から、大きな声で怒鳴られているような気がする。「男のお子さんですよ」

「何ですって?」

「お元気そうなお坊ちゃんです。わたしの言うことがわかりますね? 元気な男のお子さんですよ。さっき泣き声が聞こえたでしょう?」

「先生、あの、元気なんでしょうか」

「もちろんです。何の問題ありません」

「あの子に会わせてくださいませんか」

「じきお会いできますよ」

「異常はない、っておっしゃいましたよね?」

「その通りです」

「まだ泣いてます?」

「少しお休みになられてはどうです。ご心配なさるようなことはありませんよ」

「なんであの子、泣くのをやめてしまったんですか、先生。いったい何があったんですか」

「興奮なすっちゃいけません。何一つ異常はないんですから」

「会わせてください。どうか、あの子に会わせて」

「奥さん」患者の手を軽く叩きながら医者は言った。「かわいい、丈夫で元気な赤ちゃんですよ。さっきもそう言ったでしょう」

「あの女のかた、うちの赤ちゃんに何をしてらっしゃるんです」

「お母さんに会わせるために、赤ちゃんをきれいにしてあげてるところです」医者は言った。「赤ちゃんを軽く拭いてあげているんですよ。それだけです。それまで少しのあいだ待っていてください」

「ほんとうに、あの子、大丈夫なんですね?」

「まちがいありません。だから安心して横になっていいんですよ。眼を閉じて。お休みなさい。大丈夫。そう、それでいい。良い子だから……」

「ずっとお祈りしてきたんです、先生。あの子が死んだりしませんようにって」

「もちろん赤ちゃんは元気ですよ。一体何をおっしゃっておいでなんです?」

「ほかの子は駄目だったから」

「なんですって?」

「子供たちはみんな死んでしまったんです、先生」

 医者はベッドの傍らに立って、若い女の青い、やつれた顔を見下ろした。この女に会うのは今日が初めてだ。女とその夫はこの町に来て、まだ日も浅い。お産の付き添いできてくれた宿屋の女房が、夫は国境の税関で働いていると教えてくれた。ふたりはほんの三ヶ月ばかり前、行李ひとつとスーツケースをひとつ持って、いきなり宿屋にやってきたのだという。宿屋の女房は、旦那さんって人は大酒飲みですよ、と言った。ふんぞり返った偉そうな人でね、背の低い飲んだくれのくせに、と。だが、まだ歳も若い妻の方は、気持の優しい、信心深い女らしい。いつも悲しげなふうで、笑顔を見せることもないのだという。ここに来てからもう何週間にもなるっていうのに、あたしは奥さんがにっこりしたところを一度だって見たことがないんです。噂じゃ、なんでもあの男はこれが三度目の結婚で、最初のつれあいに死に別れたあと、後添いとは芳しからぬ理由で離婚したそうですよ。ま、これもただの噂なんですがね。

 医者はかがみ込んで、患者の胸のところまでシーツを引っ張り上げてやった。「ご心配には及びませんよ」と優しく声をかける。「非の打ち所もない、元気な赤ちゃんですからね」

「ほかの子もまったく同じことを言われました。だけど、みんな死んでしまったんです、先生。この一年半のあいだに、わたし、三人の子供を全員亡くしました。だからもう心配で心配でどうしようもないんです」

「三人ですって?」

「この子は四人目です……この四年間で」

 医者は剥きだしの床に立ったまま、落ち着かなげに体をずらした。

「子供がみんな死んでしまうのがどんな気持のものか、先生には絶対におわかりになれませんわ。三人の子がひとり、またひとりと死んでいくのがどんなだか。もうずっとその光景が瞼に張りついているんです。グスタフの顔が、ベッドで隣りに寝ていたときのまま、見えてくるんです。それはかわいい赤ちゃんでしたのよ、先生。だけどずっと具合が悪くって。子供の具合が悪いのに、誰も何もしてやることができないのがどれほど辛いことか」

「わかりますよ」

 女は目を大きく見開いて、しばらくのあいだ医者の顔をまじまじと見つめた。それからふたたび眼を伏せた。

「女の子はイーダと言いました。あの子が亡くなったのはクリスマスの少し前。たった四ヶ月前のことです。先生にイーダをお見せしたかったわ」

「あなたには新しいお子さんがいるんですよ」

「だけど、イーダはそれはそれはかわいい子だったんです」

「そうでしょう」医者は答えた。「わかります」

「どうしておわかりになるの?」女の声は高くなった。

「きっとかわいらしいお子さんだったにちがいない、ってことですよ。でもね、今度生まれたお子さんも、やっぱりかわいいお子さんなんです」

 医者はベッドの傍らから離れ、窓辺に歩いていくと、そこに立って外に目をやった。雲が低く垂れこめ、しのつくような雨の四月の午後だった。通りの向こうに並ぶ家いえの赤い屋根には、瓦をたたく雨がしぶきをあげている。

「イーダは二歳だったんです、先生……それはそれはきれいな子供で、朝、服を着せてやってから、何ごともなく、夜にまたベッドに寝かせてやるまで、片時も目を離すことができませんでした。あの子にもし何かあったらと思うと、気が気じゃなかった……。グスタフが死んでしまったあと、かわいいオットーもいけなくなって、だからもうあの子しかいなかった……。よく夜中に起きては忍び足で揺りかごのところへ行って、あの子の口元に耳をつけて息をしているかどうか確かめたものだった……」

「何とか眠るようにしてください」医者はそう言いって、ベッドの横に戻った。女の顔は蒼白で、血の気がなく、鼻翼から口元にかけてうっすらと青ずんでいた。幾筋かの湿った髪の毛が額にはりついている。

「娘が死んでしまったとき……そんなことになったとき、わたしのお腹の中にはもう赤ちゃんがいました、先生。イーダが死んだときには、お腹の子はもう四ヶ月に入っていたんです。『子供はもういらないわ!』って、お葬式のあとでわたしは泣きました。『もう産みたくない! 子供のお葬式なんて、もうあげるのはいや』って。そしたら主人は……主人ときたら、ビールの入った大きなグラスを手に持って、お客さんのあいだをぶらぶら歩いたんですけど……ぱっとこっちを向いて言うんです。『クララ、聞きなさい。いい知らせがある』

先生、考えてもみてください。わたしたち、ちょうど三人目の子を埋葬したばかりだったんです。なのに、ビールの入ったグラスを持って突っ立ったままで、いい知らせがあるだなんて。主人は『今日、ブラウナウへの転勤が決まった』って言いました。『だからすぐに荷造りにかかりなさい。おまえも新規まき直しだ、クララ』それからこう言ったんです。『新しい場所に行けば、新しい医者が見つかる』」

「おしゃべりはもうよしましょう」

「先生がわたしの新しいお医者さんなんですよね」

「そうです」

「そうしてここがブラウナウ」

「そうです」

「わたし、怖いんです、先生」

「できるだけ不安にならないように、気持をしっかり持って」

「今度の四番目の子は、どれほど望みがありますか?」

「そんなことは考えちゃ駄目です」

「どうしようもないんです。うちの子がこんなふうに死んでしまうのは、何か遺伝的な原因があるにちがいないんです。そうに決まってるわ」

「バカバカしい」

「オットーが産まれたとき、主人がなんて言ったと思います? 部屋に入って来るなり、揺りかごに寝ていたオットーのところへ行って、こう言ったんです。『どうしてわが家の子というのは、そろいもそろって小さくて弱々しいのか』って」

「何か聞きちがいをなさったんでしょう」

「まるで小さな虫を観察するみたいに、主人はオットーの揺りかごの上に頭をかがめて、ためつすがめつしていました。それからこう言ったんです。『これだけは言っておきたい。わが家にはもっとちゃんとした赤ん坊が生まれてもいい』って。それから三日経って、オットーは死にました。三日目に急いで洗礼を受けさせて、その晩に亡くなったんです。それからグスタフが死にました。そのうちにイーダがいけなくなって……。みんな死んでしまったんです……急に、家の中が空っぽになってしまった」

「いまはそのことを考えるのはおよしなさい」

「こんどの子もすごく小さいのですか」

「ごくふつうのお子さんですよ」

「でも、小さいんですね?」

「多少小柄かもしれません。ただ、往々にして小さい赤ちゃんというのは、大きい赤ちゃんより丈夫なものなんですよ。まあ、考えてもごらんなさい、ヒトラーさん。この赤ちゃんが来年のいまごろには歩き出してるんです、想像するだけで楽しくなってくるじゃありませんか」

 彼女はそれには返事をしなかった。

「二年もすれば、のべつまくなしのおしゃべりにつきあわされるだろうし、そうなったら頭がどうかなりそうになるにちがいない。お子さんのお名前はもう決まっているのですか?」

「名前……?」

「そうです」

「わかりません。わからないんです。主人が、男の子だったらアドルフォスにしようと言っていましたけれど」

「となると、アドルフと呼ばれることになりますね」

「そうなんです。主人はアドルフっていう名前が好きなんです。アロイスに似てるでしょう? 主人の名前がアロイスなんです」

「いいお名前だ」

「どうしましょう!」枕からがばっと身を起こすと彼女は悲鳴を上げた。「オットーが生まれたときもちょうど同じ、名前のことを聞かれたんです! っていうことは、あの子もまもなく死んでしまうのね! いますぐ洗礼をしてやってください!」

「まあ、落ち着いて」医者はそう言うと、両肩を優しく押さえた。「ずいぶんおかしなことをおっしゃる。そんなことはありませんよ。わたしはただの詮索好きな年寄りなんです。それだけのこと。名前の話をするのは楽しいものでしょう? アドルフォスというのは実にいい名前じゃありませんか。わたしのお気に入りのひとつだ。さあ、お坊ちゃんのお出ましですよ」

 宿屋の女房が大きな胸の上に赤ん坊を抱え、部屋を横切ってベッドまでやってきた。「さあ、ちっちゃな美男子さんの登場だよ!」と顔を輝かせて叫ぶ。「抱っこしてあげたいだろう、奥さん? あたしがそっちへ連れてってあげようか」

「赤ちゃんはちゃんとくるんでありますよね?」医者はたずねた。「ここはひどく寒いですからね」

「あたりまえですよ、ちゃんとくるんであげてます」

 赤ん坊は白い毛糸のショールにしっかりとくるまれていて、小さなピンク色の顔だけがのぞいている。宿屋の女房は、ベッドに寝ている母親の傍らに赤ん坊をそっと置いた。「さあ、ママだよ。これであんたも寝たまんま、心ゆくまで赤ちゃんを眺められるよ」

「あなたもきっと夢中になりますよ」医者はそう言うと、にっこりと笑った。「元気なかわいいお子さんですよ」

「まあ、この手のかわいいこと!」宿屋の女房は嘆息をもらした。「このすんなりした形のいい指を見てごらんよ」

 だが母親は動こうとしない。そちらを見るために頭を動かすことすらしなかった。

「さあさあ」宿屋の女房は声を強めた。「かみつきゃしないよ!」

「見るのが怖いんです。わたしが産んだ赤ちゃんが、今度は元気だなんて、信じられない」

「バカなことをお言いじゃないよ」

 母親はゆっくりと頭を動かして、傍らで枕の上に横たわっている、小さな純真無垢の顔を見やった。

「この子がわたしの赤ちゃん?」

「もちろんだよ」

「でも……ああ……なんてかわいいんでしょう」

 医者はベッドを離れ、テーブルへ歩いていくと、診察道具をかばんにしまい始めた。母親は横になったままで赤ん坊に見入り、笑みを浮かべてそっと赤ん坊にふれ、満足の吐息をもらした。

「こんにちは、アドルフォス」とささやいた。「こんにちは、わたしのかわいいアドルフ坊や……」

「シィーッ!」宿屋の女房が言った。「聞こえるかい? 旦那さんのお出ましだよ」

 医者は戸口まで歩き、ドアを開けて廊下をのぞいた。

「ヒトラーさんですか」

「左様」

「お入りください」

 深緑色の制服に身を包んだ小柄な男が、静かに部屋に入ってくると、あたりを見回した。

「おめでとうございます」医者が言った。「男のお子さんですよ」

 男は左右にぴんと張った、ひどく立派なくちひげ――おそらくフランツ・ヨーゼフ皇帝に似せようと、念には念を入れて手入れをしているのだろう――のもちぬしだった。ビール臭い息をぷんぷんさせている。

「息子か?」

「そうです」

「どんな様子だ」

「お元気ですよ。奥様もお元気です」

「結構」

 父親となった男は、奇妙な、小さく跳ねるような足取りで、妻が寝ているベッドの方へ歩いていった。「クララ」ひげ越しに笑みが浮かんだ。「どうだった?」かがみ込んで赤ん坊を眺めている。そこからさらに深く腰を曲げた。何の前触れもない、ぎこちない仕草を何度かくりかえした結果、父親の頭は赤ん坊の間近、三十センチあたりまで近づいていた。妻はそのすぐ傍らで、枕の上に頭をよこたえたまま、懇願するようなまなざしで夫を見上げている。

「この子はそれはそれは丈夫な肺を持ってますよ」宿屋の女房は断言する。「この子がこの世に出てきたとき、どんだけ大きな声を出したか聞かせてあげたいぐらいでしたよ」

「だが、クララ……」

「なんですか、あなた」

「今度の赤ん坊はオットーよりも小さいな」

 医者は慌てて二、三歩近寄ってきた。

「お子さんには何も問題はありませんよ」

 ゆっくりと夫は体を起こし、ベッドから離れて、医者の方に向き直った。困惑し、打ちひしがれた表情を浮かべている。「嘘を言ってもらっては困りますな、先生」と彼は言った。「どうなるかはわかっている。また同じことの繰りかえしになるのだ」

「いや、わたしの言うことを聞いてください」医者は言った。

「だが、あなたも他の子がどうなったか知っておられるはずだ、先生」

「他のお子さんのことは、ひとまずお忘れになってください、ヒトラーさん。このお子さんに賭けてあげてください」

「この赤ん坊は小さいし、ひどく弱そうに見えるが」

「ヒトラーさん。お坊ちゃんはたったいま、生まれたばかりなんです」

「それにしたって……」

「あんた、いったい何するつもりかい!」宿屋の女房が悲鳴をあげた。「この子をどうにかしようとするなんて!」

「いい加減にしなさい」医者は厳しい声を出した。

 母親はむせび泣いていた。全身を震わせて泣いていた。

 医者は夫の方へ歩いていき、肩に手をかけた。「奥さんを大事にしてあげてください」とそっとささやいた。

「どうか。何よりもそれが大切なんです」肩に置いた手に力をいれて強くつかむと、ベッドの方へそれとなく押しやった。夫は逡巡している。医者は、早く行ってあげなさい、とさらに指に力をこめた。しぶしぶながら、やっと夫はかがみ込み、妻の頬に軽くキスをした。

「何とかなるさ、クララ」彼は行った。「泣くのはよしなさい」

「わたし、どうかこの子を生かしてください、って一生懸命お祈りしてきたのよ、アロイス」

「わかっている」

「もう何ヶ月間も毎日毎日教会に通って、ひざまずいて、この子だけはどうか生かしておいてくださいってお祈りしたの」

「ああ、クララ、そうだったな」

「三人でたくさん、もうこれ以上わたし、耐えられない。わかるでしょう?」

「もちろんだ」

「この子、生きていけるわよね、アロイス。絶対、絶対……ああ、神様、どうかこの子にご加護をお与えください……」



The End






歴史の「もし」


歴史を描く小説には、いくつかの制約がある。森鴎外は「わたくしは歴史の「自然」を変更することを嫌つて、知らず識らず歴史に縛られた」(「歴史其儘と歴史離れ」)と言っているが、縛られるかどうかはさておいて、どこまでの「歴史離れ」が可能かと考えてみれば、実はかなり窮屈なものではないか。いくら離れ具合は作家の裁量に委ねられているとしても、たとえば第二次世界大戦で日本が勝ったとか、関ヶ原の合戦で豊臣側が勝利したなどという筋書きにしてしまうと、歴史小説ではなくSF小説になってしまうだろう。

史実として確定していること、多くの史料が裏付けていることなどはそのままに、史実と史実の隙間を物語で埋めていくのが歴史小説であるとしたら、その「隙間」のとらえ方が従来なかった視点のものであるとか、歴史として確定している行動が、その人物の「性格」として生き生きと描かれているとかが、歴史小説のおもしろさにつながっていく。ここでは、「そうか、なるほど。だからこの人はそんな行動を取ったのか」という納得が「おもしろさ」を占めるのだ。

多くの場合、わたしたちは歴史上の人物を、有名な事件と関連させて理解している。たとえば「フェルディナンド大公」といえば、「サラエボで銃撃されて死亡し、この事件が第一次世界大戦勃発の引き金となった」人物である。だがここではフランツ・フェルディナンドは「人物」ではなく、歴史の「駒」のひとつに過ぎない。これだけでは彼がどんな人物だったか、およそ知ることはできない。

「駒」ではなく、「人物」として理解しようと思えば、物語の助けを借りなければならない。そのとき、彼の「誕生」は、物語の原点になる。その原点が、彼の行動や人となりの「根拠」となっていくのだ。

このダールの短篇は、ヒトラーの「原点」を明らかにしようとする「物語」である。わたしたちの誰もが「ヒトラーという人物の物語」の中盤から結末にかけてを知っている。だが、「原点」はかならずしもはっきりしているわけではない。「ブラウナウ」で「1889年4月20日、土曜日の夕方」に「アロイス・ヒトラー」と「クララ」の下に誕生したことなど、いくつかの事実があるだけだ。ダールはその事実を元に、彼の誕生の場面を再現して見せた。

登場人物は、クララと産科医、そうして宿屋のおかみとアロイス、あとはのちにアドルフとなる赤ん坊だけである。生まれたばかりの赤ん坊が、のちに「未曾有の悪魔」とまで呼ばれる人物になったのはなぜか。戯曲のような、ほとんど会話だけで成り立っている短篇は、それにヒントを与えようとしている。

それにしても、わたしたちはどうして歴史小説を読むのだろう。アドルフ・ヒトラーの誕生の場面を知ったところで、すでに起こってしまったことは動かしようがないというのに。

それでも、こんな小説を読んだあとは、かならず考えてしまう。もし、アロイスがこんなに酒飲みで、冷たい人間でなかったら、ほかのきょうだいがつぎつぎと死ぬような、暗い影が一家に落ちていなかったら……と。

すでに起こってしまった、動かしようのない出来事に対して、もし、こうでなかったら、と考えることは、おそらくその出来事が、いまのわたしたちの目から見て、正しくない、誤ったことと思えるからなのだろう。こうしたら防げたのではないか、このとき、こんなことをしなければ……と、どんどんさかのぼって、その原点にまで立ち返る。ここではそれとなく暗示されているだけだが、クララがもしアドルフを殺していたならば、のちの六百万人にも及ぶユダヤ人の虐殺はなかったのではないか、と考えるのだ。

おそらく、わたしたちの根本には「正しい/誤っている」という規準がある。誤りとみなされることは正すべきだとどこかで考えているからこそ、そんなふうに考えてしまうにちがいない。

日常、わたしたちは何をするときでも、自分のすることが、正しい、良いことだと思って行動する。仮に、本来ならこんなことをしちゃいけないのだけれど、と思ったとしても、いま、このときに限っては、とか、選択肢のなかではこちらの方がより害が少ない、とかと、かならず正当化がなされているはずだ。そうして、このときの「良い」という判断は、自分にとって都合がいいとか望ましいとか利益になるとかということとは別に、そうすることがほんとうに「良い・正しい」という判断が元になっているはずだ。わたしたちの行動や考えには、どこまでいっても「正しい/誤っている」という判断がついてまわる。

おそらくわたしたちが歴史小説を読むのは、「もし〜だったなら」と考えるからなのだ。そうやって、過去の過ちを頭の中で正そうとしながら、わたしたちはきっと「善悪の規準」を自分のなかで練り上げていっているのだろう。

ダールの短篇はいずれも皮肉な要素が強いが、ひどい目に遭うのは、決まってインモラルな人物である。決して声高に正義を語ることはしないダールは、実はきわめてモラルの意識が高い。

だとしたら、彼は歴史のあちこちで、もし〜だったなら、もし〜でなかったなら、と考えていたのかもしれない。その考えの一つが、この作品に結実したのだろうか。



初出Oct.04-06 2009 改訂Oct.22, 2009
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