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ここではFrank O'Connorの短編 "The Geinus"を訳しています。
このサイトでは以前「わたしのエディプス・コンプレックス」を訳していますが、これはフランク・オコナーの自伝的連作短篇 "The Geinus and other stories" に所収されていて、今回その表題作 "The Geinus" を訳してみました。
ここでのラリーは小学校にあがる前後、五歳から六歳の男の子です。学校に上がる前から、「本」の執筆に励むラリーは、大変早熟で、賢い男の子なのですが、一方で、年相応の幼さも併せ持っています。そのギャップが微苦笑を誘います。子供が大人を、大人が子供を、子供が子供を、誤解しながらわかり合い、あるところまでは通じ合いながらもすれちがっていく。描かれるのは小さな世界ですが、その小さなものを丹念に描くことで、普遍相に到達するのだなあと改めて思います。



天 才


by フランク・オコナー

サッカーボール


 男の子のなかには生まれついての意気地なしもいるが、ぼくが男らしさと手を切ったのは、信念があったからだ。母から天才と呼ばれる人びとのことを聞いて、自分もその一翼に連なるつもりだったし、ケンカは罪深いばかりか、わが身を危険にさらす行為であることを、この目で確かめていた。ぼくたちが暮らす軍の家族住宅のあたりの子供たちは、ケンカに明け暮れている。母は、あの子たちは乱暴者だし、あんたにはもっとふさわしい友だちが必要ね、大きくなって学校にあがったら、きっとそんな友だちが見つかるわ、と言うのだった。

 ケンカをふっかけられて逃げられなくなったときのぼくの手は、すぐ近くの塀によじのぼって、天にまします我らが神のことや、礼儀のあれこれを大声でまくしたてるというものだった。大人の注意を引くためにそんなことをしたのだが、たいていはそれだけでうまくいった。敵どもは、こいつはいったい何を言ってるんだ? と、しばらく穴の空くほどぼくを見上げ、人が集まってくる前に引きずりおろして頭をぶん殴ってやる暇があるだろうか、と考えたあげく、「弱虫やあい」とわめきながら、腹立たしげにどこかへ行ってしまう。ぼくからすれば、ケンカすることを思えば、弱虫と呼ばれることなど何でもなかった。近所には貧しい混血の子供たちも住んでいたのだが、その子たちは、はばかるようにあたりをそっと行き来し、人の姿を見かけるといつも一目散に逃げ出した。でもぼくは、なんとかその子たちと親しくなれないかとずっと思っていたのだった。

 ぼくだって遊んだし、ボールを穏やかに蹴りながら歩道を走るのは楽しかったが、それもほかの子が現れるまでのこと。誰かが来ると、たちまち遊びは荒っぽくなり、肩をぐいぐい押しつけられて、道に押し出されそうになる。女の子たちの方がまだましだったが、それも女の子がやたらとケンカをしない、その一点につきた。それ以外の面では、ただただ退屈で、ごく基本的な知識すら、まるで持ち合わせていないのだった。

ぼくが心引かれたのはおとなの女のひとで、なかでも親しかったのはミス・クーニーという洗濯のおばあさんだ。なんでも昔、精神病院に入っていたらしいが、たいそう信心深い人だった。ぼくはこのひとに犬のことを教わった。誰かが動物をいじめでもしたなら、相手かまわず一キロ先まで追いかけていき、警察に駆け込むことだってした。警察の方では、ミス・クーニーがちょっとおかしいことを知っていたから、たいてい相手にはしなかったのだけれど。

 ミス・クーニーは、白髪混じりの頭と、高い頬骨、歯のない歯茎がのぞく、悲しげな顔つきのひとだった。ミス・クーニーがアイロンをかけているあいだ、ぼくはいつも蒸気のたちこめる暑くて湿った台所に坐って、彼女の宗教書を何時間も眺めた。ミス・クーニーもぼくのことが気に入っていたのだろう、坊やは絶対に神父様になれるよ、と言ってくれた。ぼくが、そうだね、もしかしたら司教様にだってなれるかもね、と答えると、司教様だなんて、と、どうやら司教の地位をさほど高くは買ってないらしい。ぼくが、ほかにもなりたいものがたくさんあるからなかなか決められないんだ、と言うと、それにはただにっこりするだけだった。ミス・クーニーは、天才が果たすべき務めはただひとつ、それは神父となることであると考えていたのだろう。

 ただ、ぼくの方はだいたいのとき、自分は探検家になるものと思っていた。ぼくの家のある一画は、二本の道路にはさまれていて、一方が他方より一段高くなっている。家を出てから上の道に出て、宿舎を過ぎて二キロほど歩くと、どの四つ辻や小道を左に折れても、舗道を外れることなく家に戻ってこれるのだった。こうした探検旅行のおかげで、ぼくはどれほど貴重な情報の数々を手に入れたことだろう。家に帰るとすぐに、『ジョンソン・マーティン旅行記:豊富な地図や挿絵つき アイリッシュタウン大学出版会発行 定価3シリング6ペンス』の執筆に取りかかった。それと一緒に『アイリッシュタウン大学ソングブック 学校・専門学校向け ジョンソン・マーティン編集』の編纂にも携わっていて、そっちにはぼくの好きな歌の歌詞と曲を載せていた。ぼくは楽譜が読めなかったけれども、手近にある楽譜は片っ端から写していた。音符を載せるとページの見栄えが良くなるし、写すのは楽しかったのだ。

それでもぼくは自分が何になるのか、確信が持てなかった。わかっていたのはただ、有名になったぼくの銅像が、パトリック通りのマシュー神父像の隣りに立つにちがいないということだけだ。マシュー神父は「禁酒主義の使徒」と呼ばれていて、ぼくには「禁酒」に関する主張は特になかったのだが。わが故郷にはしかるべき天才がいなかったので、自分こそがその穴を埋めるつもりだった。

 だが、この執筆作業のおかげで、ぼくは自分の知識に大きな穴があることを痛感していた。母は困っているぼくに理解を示し、四苦八苦しながらも質問に答えてくれた。だが母にせよ、ミス・クーニーにせよ、知識の宝庫とは言いがたかったし、父は助けどころか邪魔にしかならなかった。父は自分に興味のあることならいくらでも話してくれるのだが、生憎、そうした話題はぼくにはちっとも興味が湧かないのだった。

「バリーベッグ(※日本でいうと「桜ヶ丘」や「青葉台」のように、アイルランドでよくあげられる実在しない町の名)」と陽気に話し始める。「市(いち)が開かれる町。人口648人。もよりの駅はラスケイル」
父はほかにもいろんなことを教えてくれたが、あとから母がぼくをそばに呼んで、お父さんはまた冗談を言ってるんだよ、と教えてくれた。これには腹が立った。ぼくには父の何が冗談で、何が冗談ではないのかまるでわからなかったのである。

 むろんいまのぼくには、父はぼくのことが正直言って好きではなかったことも理解できる。それは気の毒な父の落ち度ではない。天才の父親になりたいなどと夢にも願ったことはなかったのに、ぼくときたらそうなりそうな気配が濃厚だったのだ。まわりの同年代の男たちはみな、平凡で乱暴で無学な子供たちを抱えているのに。息子が大人物になれそうもないからではなく、天才になりそうだと考えて、怖気をふるったのである。公平な目で見れば、父は自分の身を案じていたのではなく、未だ経験したことのないようなことが、家族のなかから現れてくるのを恐れ、自分が恐れを抱いていることにも腹を立てていたのだろう。

よく、帽子を目深にかぶった父がズボンのポケットに両手を突っこんだまま、表玄関を開けて入ってくると、ぶすっとした顔つきでぼくをじっと眺めていた。ぼくはといえば、台所の椅子に腰かけて、紙に囲まれて、自分の旅行記のための新しい地図や挿絵をせっせと描くか、『吟遊詩人の少年』の楽譜を写すかしていたのである。

「どうしておまえは外でホーガンとこの息子と遊んだりしないんだ」
父はそんなふうに聞いてきたものだが、その声には、おもねるような、無理にでも愛想よくしようとするような響きがあった。

「パパ、ぼく、ホーガン家の子たちは好きじゃないんだよ」礼儀正しくぼくが答える。

「だが遊んだって悪いことはないだろう?」と、父はいらだたしげに言う。「あの子たちは男らしい、いい子だ」

「だっていつもケンカをふっかけて来るんだよ、パパ」

「ケンカのどこがいけない?」

「ケンカは好きじゃないよ、パパ。でもそう言ってくれてありがとう」ぼくはまた、文句のつけようがないほど礼儀正しく答えるのだった。

「この子が言うことの方が正しいかもしれないじゃないの」母が弁護にやってくる。「あんな子供たちが、実際どんなだか」

「やれやれ、おまえはあいつを自分そっくりのいやなやつに育てたいらしいな」父は鼻先で笑うと、足音高く表のドアから出ていく。もし自分が結婚相手を間違えさえしなければ、息子も性格のいい、みどころのあるやつになったにちがいないのに、と、腹を立てながら。そういや、おふくろはいつも、あの女はあんたには似つかわしくないよ、と言ってたっけが、たしかにその通りだったな、と。

 気の毒な父が、ぼくの頭がおかしくなるのではないかと目が離せなかったことを思えば、お祖母ちゃんの予言は正しかったのかもしれない。父の気にくわないもののひとつに、ぼくのオペラ・ハウスがあった。オペラ・ハウスというのは、ぼくが暗い廊下にふたつ椅子を並べて、そこに載せた段ボール箱のことだった。ぼくは内部に切れ込みを入れて張り出し舞台を作り、背景に幕を垂らして、そこに山や海、両翼には木々や岩の絵を描いた。役者は絵を切り抜いて台紙に張って色をつけ、何本かの木ぎれを使って動くようにした。自分で作ったカラースクリーンごしにロウソクを照らす。舞台にかけるオペラも、物語の本やいくつかの歌をもとに自分で作った。

ふたりの登場人物による情熱的なデュエットをひとりで歌い、背景幕をくるくる回して月の光の効果をあげているとき、一枚の幕に火がついて、何もかもが炎に包まれてしまった。悲鳴を上げたところへ父が飛んできて、炎を踏み消すと、ぼくを罵り始めた。まもなく、今度は母がその罵倒に対して腹を立て、六人の子供がわめいてるより始末に負えないわね、と言ったので、その後父は、一週間というもの、母にだんまりをきめこんだのだった。

 こんなこともあった。足の不自由な先生のことを知って、ぼくはひどく感銘を受け、自分も片脚を使わないことにしようと決心したのである。ところがその数日間、家は大変なことになってしまった。母はすぐ、ぼくの脚の具合が悪いことに気がついてくれたのだが、父親ときたらぼくの格好を見て、軽蔑したように鼻先で笑うのだ。父に対して腹を立てるぼくと一緒になって、母は、お父さんはひとでなしもいいところだよ、とまくしたてた。そこからまた何日も口げんかは続いたが、やがてぼくにとっても困ったことになった。実のところ、脚を伸ばしたまま引きずって歩くのには、とっくにうんざりしていたのだが、だんだんよくなってきた、と言って、母をがっかりさせるわけにはいかなくなってしまったのである。ぼくが身体を傾けて広場を横切っていくのを、父は門のところに経ったまま、何もかも知ってるぞ、と言わんばかりの意地の悪い笑みを浮かべて見送った。ぼくがとうとう脚を引きずるのを止めたとき、母の言葉をそっくりまねた父には、腹が立ってならなかった。

 2.

 このように、父と母はぼくに何を教えるべきかをめぐって、しじゅう言い争っていた。父は何も教えてやる必要などないと言う。

「でもね、ミック」母は力を込めて言った。「子供っていうのは、いろんなことを学ばなきゃならないの」

「学校へ行くようになりゃ、じきにしっかり教わってくるさ」と父は渋い顔をした。「なんでいつもおまえはあいつの頭ん中へ入れ知恵をしたがる? もう十分悪賢いじゃねえか。子供ってものは、もうちょっと自然に育つ方がいい」

 だが、どうやら母は子供が自然に育つことを好まなかったか、いまのままで十分自然に育っていると考えたらしい。もちろん、男というものが天才に反感を抱きがちなのに対して、女はその半分も反感を抱くことがないという理由もあったろう。女性は、天才に希望を見いだすのではあるまいか。

 ぼくが何をおいても知りたかったのは、赤ん坊はどこから来るのかという疑問だったのだが、このことは誰も説明してくれなかった。母にたずねてみても、何だかうろたえたようすで鳥だの花だのの話をするばかり、昔は知っていたのかもしれないが、どうやら忘れてしまったらしかった。忘れたことを白状するのが恥ずかしいのだ、としか、考えようがない。ミス・クーニーにも聞いてみたが、静かに笑ってこう言うだけだった。「坊やにもそのうち、はっきりわかる日がくるよ」

「でもね、ミス・クーニー」ぼくはありったけの威厳を見せて言った。「ぼくはいま知らなきゃならないんだ。それがぼくの任務だからね」

「無邪気でいられるあいだは、そのままでいりゃいいんだよ」同じ調子で彼女は続けた。「じき、世の中の方が、坊やの無邪気なところをふんだくっちまう。ひとたび無邪気じゃなくなったら、もう二度とそこには戻れやしないんだよ」

 だが、世の中がいったい何をふんだくろうと狙っているにせよ、事実を探求できるなら、ぼくにはそちらの方がいいような気がした。父にも聞いてみたが、教えてくれたのは、飛行機から赤ん坊を落っことすのさ、それをうまいこと受けとめることができたら、自分のものにしていいことになってるんだ、と言った。「パラシュートで?」とぼくが聞くと、父は驚いたふりをしてこう言った。「ちがうさ、ものごとの始まりがそんなふぬけたもんだったら、おまえもいやだろう?」

あとでまた、ぼくは母に呼ばれて、お父さんは冗談を言ったんだからね、と教えてもらった。ぼくはむかっ腹が立ってたまらず、そのうち冗談の言い過ぎで、父さんはひどい目にあうからな、と言ったのだった。

 このことは母にとっても悩みの種だったらしい。母親という母親が、天才を息子に持つわけではない。ぼくに接し方を誤るのではないかと怖れてもいたのだ。母が、父に向かってためらいながら、あの子にはちゃんと説明した方がいいんじゃない、と言ったところ、父は猛然と怒り出した。ぼくはそのとき、二階のオペラ・ハウスで遊んでいることになっていたが、実はふたりが言い合うのを聞いていたのだ。父は、おまえは頭がどうかしているぞ、それだけじゃない、あの子までおかしくしちまおうとしてるんだ、と言った。父の判断をそれなりに高く買っていた母は、すっかり動転してしまった。

 だが、こと親の務めとなると、母はすこぶるつきの頑固者になる。これは容易ならぬ任務だったし、心底いやがっていた――母はたいそう敬虔なひとで、ふれないですむのなら、そんなことには一切、口の端にも上らせたくなかったらしい――が、なされねばならなかったのである。母は、おそろしいほどの時間をかけて――それはある夏の日のことで、ぼくたちはグレンにある小川のほとりに腰を下ろしていた――話してくれたのだった。やがてぼくにも、どうやら母ちゃんたちのおなかにはエンジンがあって、父ちゃんたちが持っているハンドルでそれを起動させる、そうしてひとたびエンジンが動き始めたら、赤ん坊ができるまでそのエンジンは働くのをやめないらしい、と察しがついた。おかげでこれまでぼくが納得いかなかったさまざまなことに説明がついた――たとえばなぜ父親というものが必要か、ということや、どうして母親の胸に蒸気機関車にあるような緩衝器がついているのに、父親にはそれがないのか、などということだ。説明を聞いていると、母親というものが、蒸気機関車と同じくらい興味深い存在に感じられたが、しばらくは自分が女の子ではないせいで、エンジンと緩衝器を持つ代わりに、父のような旧式の起動ハンドルを持つ羽目になったことが悔しくて、そのことばかり考えていた。

 しばらくしてぼくは学校へ行くようになったが、すぐにそこがいやでたまらなくなった。ほかの「おちびさん」たちは、まだ "cat" やら "dog" やらのつづりを習う段階だし、かといって大きな男の子たちと一緒になるわけにはいかない。ぼくは自分が携わっている作品のことを、おばあさん先生になんとか説明しようとしたのだが、先生ときたら、にっこり笑って「ラリー、静かにするのよ」と言ったのだった。ぼくは「静かに」と言われるのが何よりきらいだった。父がいつもぼくに「静かにしろ」と言うからだ。

 ある日、ぼくは運動場の門のところで立ち、孤独感と満たされない思いを味わっていた。すると、背の高い上級生の女の子が話しかけてきた。色の黒い、ふっくらとした顔をして、黒い髪を左右で結わえている。

「おちびさん、あんた、なんて名前?」

ぼくは自分の名前を言った。

「学校に入ったばっかりなの?」

「うん」

「学校は気に入った?」

「ううん、大きらい」ぼくは心の底からそう言った。「ほかの子はまともにつづりも書けないし、先生はおしゃべりだし」

 こういうのも悪くないな、と思いながら、ぼくは話を始めた。ぼくが続けている冒険旅行や執筆中の本、主要都市各駅の汽車の発車時刻といった話題に、その女の子は熱心に耳を傾けてくれた。ぼくの話にたいそう興味を引かれた様子だったので、放課後また会おうよ、もっと話を聞かせてあげるよ、と言った。

 ぼくは約束を守る男だ。昼ごはんを食べて、冒険旅行の続きをする代わりに、学校の女子部に戻ってあの子が出てくるのを待った。どうやら向こうもぼくがいたのがうれしかったらしい。ぼくの手を引いて、家へ連れて行ってくれた。その子の家は、ガーディナー・ヒルズにあり、家並みを隠すほど繁る並木の続く、勾配のきつい、なんだか気取った郊外の道を上っていった。てっぺんのある小さな家に、三人姉妹のひとりとして住んでいるということだった。ほかにジョン・ジョーという弟がいたが、去年車に轢かれて亡くなったのだと教えてくれた。

「ねえねえ、わたしが誰を連れてきたと思う?」一緒に台所に入りながらその子が言うと、背の高い、痩せた女の人がにぎやかに迎えてくれた。ユーナと一緒にご飯を食べていって、と言う。ユーナというのがその子の名前だった。ぼくは食事は断ったが、ユーナが食べているあいだ、コンロのそばにすわって、ユーナのお母さんにもぼくのことを話してあげた。お母さんもユーナと同じくらい、ぼくの話が気に入ってくれたようだった。食事が終わると、ユーナはぼくを家の裏手の原っぱへ連れ出して散歩した。

 晩ご飯の時間になって家に戻ると、母はたいそう喜んだ。

「ほらね。学校へ上がったら、すぐにいい友だちが見つかるだろうと思ってた。もうそろそろだってね」

 ぼくもそれには同意見だったので、お天気さえ良ければ、三時になると学校の外でユーナを待つようになった。雨の日は、母がぼくを外に出してくれず、そのときはひどくつまらなかった。

 ある日、ぼくがそこで待っていると、ふたりの上級生が門の外に出てきた。

「あんたの彼女はまだ出て来ないよ、ラリー」ひとりがクスクス笑いながらそう言った。

「あら、ラリーに彼女がいるの?」もうひとりがさも驚いたように聞き返す。

「そうよ」最初の上級生が言った。「ユーナ・ドワイヤーがラリーの彼女なの。彼はユーナとつきあってるんだから。ね、ラリー?」

 ぼくは礼儀正しく、そうですと答えたが、内心はびっくりぎょうてんしていた。ユーナが果たして彼女といえるのか、考えたこともなかったのだ。そんな経験は初めてだったし、待っているだけのことが、そこまで大きなな意味を持つとは、想像すらしていなかった。いまにして思えば、その子たちの言葉も、まんざら見当はずれではなかったのだろう。なにしろ、ぼくの場合はいつもそんなふうに始まるのだから。女の子が口を閉じて、ぼくに好きなだけ話をさせてくれるだけで、ぼくはその子に夢中になるのだ。だが、そのときはまだ、自分のそうした傾向に気がついてはいなかった。

ぼくにわかっていたのは、誰かとつきあうということは、すなわち相手と結婚するということだった。ぼくはそれまでずっと、母と結婚するものと考えていた。ところがいまや、別の相手と結婚することになるかもしれないのだ。ぼくは喜ぶべきなのかどうか、判断がつかなかった。ちょうどサッカーの試合で、ふたりの選手が、互いに相手を押しのけることなくプレーできないことが明らかになったように。

 二、三週間ほどして、ぼくはユーナの家で開かれたパーティに出かけていった。そのころには、ドワイヤー家の人びとなら、自分の家族のように詳しく知るようになっていた。三姉妹はみんなぼくを好きになってくれたし、ドワイヤー夫人ときたら、ぼくを相手に話をやめることができないらしかった。もっとも天才というものは、みんなに愛されるものだと考えていたぼくにとっては、そのこともとりたてて不思議とは思えなかったが。ユーナが、みんなのために歌を歌ってほしいのよ、と前もって言ってくれたので、ぼくは準備をしておいた。その日ぼくはグレゴリオ聖歌の“クレド”を歌い、小さな女の子たちは笑っていたが、ドワイヤー夫人はいとおしげにぼくのことをじっと見つめていた。

「ラリー、あなた、大きくなったら神父様になるんでしょう?」とドワイヤー夫人が聞いた。

「ちがうと思います、ドワイヤーさん」ぼくははっきりそう言った。「ぼくはほんとうは作曲家になりたいんです。神父様は結婚できないでしょう? ぼくは結婚したいんです」

 その返事には、夫人はいささか驚いたようだった。ぼくは自分の将来の計画についてもっともっと話したかったのだが、子供たちがいちどきにしゃべりはじめた。ぼくは話始めるときはいつも、語らいがとぎれないように、前もって準備していたのだが、ドワイヤー家では話し始めると、とたんに話の腰を折られ、ちっとも集中できないのだ。おまけに子供たちがみんな大声でしゃべるので、ドワイヤー夫人は日ごろ穏やかな物腰のひとなのだが、子供たちと一緒になって、あるいは子供たちに向かって、負けじと大声を張り上げる。最初のうち、ぼくは肝をつぶしたが、じきにぼくに対して悪気があるわけではないことがわかった。パーティが終わるころには、ぼくもソファの上で飛んだり跳ねたり、誰よりも大きな声で叫んだりした。ユーナも笑い転げては、ぼくをはやしたてる。どうやらぼくのことを、見たこともないほどおもしろい子だと思ったらしかった。

月の明るい11月の夜で、小さな家から漏れる明かりが、ユーナがぼくを送っていく帰り道を照らしていた。外に出たところでユーナは不意に立ち止まり、「ここで弟のジョン・ジョーが車に轢かれて死んじゃったの」と言った。

 その場所は特に変わったところもなく、執筆に役立ちそうな材料が手に入りそうにもない。

「その車はフォードだった? それともモリス?」ぼくはごく儀礼的に聞いてみた。

「そんなこと知らない」怒りを抑えた声でユーナは答えた。「ドネガンのとこの古い車よ。あいつら、自分の目の前だって見ちゃいない。年寄り連中が!」

「主が弟さんをお求めになったんだよ」ぼくはおざなりにそう言っておいた。

「そうかもしれないわね」ユーナもそう言ったが、あまり確信はなさそうだった。「ドネガンのじじい!――思い出すたび、殺してやりたくなる」

「君んちのお母さんに、もうひとり作ってもらえばいいよ」ぼくはなんとか力になろうとして言った。

「作るって何を?」ユーナはびっくりしている。

「君の弟だよ」ぼくは気負いこんで言った。「簡単なことなんだ、ほんとに。お母さんのおなかのなかにはエンジンがあってね、君んちのお父さんが、自分の起動ハンドルでそれを動かしてやりさえしたらいいんだよ」

「そんなのうそよ」ユーナはそう言うと、こみあげてくるくすくす笑いを抑えるように、手で口をおおった。「冗談でしょ? まさかお母さんにそんなこと言うなんて」

「だけどそれは本当なんだよ、ユーナ」ぼくはかたくなに言い張った。「たった九ヶ月しかかからないんだよ。来年の夏には、君には別の弟がいるよ」

「ばっかみたい!」ユーナはまたクスクス笑いの発作に襲われたらしい。「一体だれ? そんなこと、あんたに言ったの」

「ママだよ。君んちのお母さんはそんなこと教えてくれなかったの?」

「あら、うちのお母さんは、赤ちゃんは看護婦のデイリーさんのところで買ってくるんだって教えてくれたわ」そう言うと、また笑った。

「そんなこと、信じられないね」ぼくはできるかぎり重々しい調子でそう言った。

 だがほんとうは、またバカなことをしてしまった、という気がしていたのだ。いまにして思えば、ぼくだって一度たりとて母の説明を真に受けたことはなかったように思う。あまりに他愛のない話ではないか。なにしろ母は、女のしそうな勘違いなら、かならず自分もするようなひとなのだ。だがぼくは、生まれて初めて他人に良い印象を与えたいと願っていたところだったから、くやしくてたまらなかった。ドワイヤー家の人びとは、神父様になりたくないのなら、なんでも自分がなりたいものになっていいんだよ、とぼくを説得してくれていた。おかげでもう探検家すら、なるのはいやだった。探検家になってしまうと、長期間、妻や家族と離れていなければならないではないか。ぼくは作曲家になる心づもりをしていたし、作曲家以上になりたいものもなくなっていた。

 その晩、寝るときに、母に結婚のことを言ってみた。ぼくたちのあいだでは、ゆくゆくはぼくが母と結婚することで合意が成立していたから、心変わりを気取られるようなことがあってはならず、うまくやることが必要だった。

「ママ」とぼくは言った。「ちゃんとした男の人が、ちゃんとした女の人に結婚を申し込もうと思ったら、どういうふうに言うの?」

「そうね」と母はあっさり教えてくれた。「なんだかんだたくさんしゃべる人もいるわよ。そういうひとは、口ほどのことはないんだけどね」

 母は心なしか苛立っているようで、どうやらぼくの隠し事に勘づいたらしい。ぼくは心の底から、申し訳なく思った。

「ちゃんとした男の人なら『申し訳ありませんが、ぼくと結婚してくださいますか』って言うので大丈夫?」ぼくはなおも食い下がる。

「そうね、その前に相手の人に、どれほどその人が好きか話しておいた方がいいでしょうね」母は、重要なことであれば、どんな気持ちを抱いていたにせよ、ぼくをだますようなことはしなかった。

 だが、例の疑問に関しては、これ以上母に聞いても仕方がないことはわかっていた。そこで、何日もかけて、学校でねばり強く尋ねてまわり、驚くような情報を入手したのだった。ひとりの男の子などは、ぼくは明るい青のベビー服にくるまれて、雪と一緒にふわふわと降ってきたんだ、と教えてくれた。だが、その子にとってもぼくにとっても腹立たしいことに、そのベビー服は、ノース・メイン・ストリートに住む貧しい子供にあげてしまったということだった。ぼくは証拠が理不尽にも隠滅されてしまったことが、かえすがえすも残念だった。みんなの意見はドワイヤー夫人の主張に傾きがちだったが、エンジンと起動ハンドル説を聞いたことがあるという子は学校にはひとりもいなかった。おそらくその説は、母の子供時代なら、まだ通用していたのだろうが、いまではすっかり時代遅れの説らしかった。

 そのせいで、自分が最も高く評価する説を述べた家族に、これまでからかわれていたような気がしてきたのである。ちょうど、代数をやっている女の子の前で、わり算をやりながら子供じみた間違いをしでかして先に進めないときに、いったいどうやって威厳を見せられるというのか。しかもぼくは女性に笑われることに、がまんがならないのだ。女というのは、ひとたび笑い出すと止まらなくなってしまうのだから。放課後、ぼくたちが一緒にガーディナーズ・ヒルに上ったとき、ユーナが乳母車に乗った赤ちゃんに目を留めた。赤ちゃんが彼女を見てにこっと笑ったので、彼女は吸わせようと指を差し出した。その男の子は、両手を振り回しながら夢中になってしゃぶりはじめたので、それを見たユーナは、またしてもくすくす笑った。

「これも別のエンジン?」

 少なくとも四度、ぼくの失言を彼女は蒸し返し、そのうち二度は、ほかの女の子の前でばらしたのだった。どのときも、ぼくは知らん顔をしてはいたものの、心に錐を突き立てられたような気持ちだった。二度とこのような羽目に陥るような真似はすまい、とぼくは決心していた。

一度、母がユーナと妹のジョーンをお茶に呼んだときには、ずっと母が何を言い出すか気が気ではなく、神経質になるあまり、針のむしろにすわったようなものだった。おなかのなかにエンジンがあるなどと言い出すような女だもの、どんなことを言い出すか、わかったものではないのだから。やがて話題が亡くなった小さなジョン・ジョーに移り、ぼくの胸に屈辱の波がまた押し寄せてきた。二度ばかり話題を変えようとしてみたのだが、母はそのたびに元にもどしてしまう。母はドワイヤー家の人びとを気の毒に思い、強い同情の念を抱くあまりに、涙をこらえられないようだった。とうとうぼくは立ちあがって、ユーナとジョーンに遊びに行こう、と誘った。すると、今度は母が怒り出した。

「なんて子なの、ラリー、この子たち、まだお茶も飲み終わってないのに」と、きっとなって言った。

「いいんです、ディレニーさん」ユーナは優しくそう言ってくれた。「わたし、一緒に遊びに行きます」

「冗談じゃないわよ、ユーナ」母は厳しい声を出した。「お茶をすませたら、またお話の続きをしましょう。あなたのお母さんが取り乱さずにいらっしゃるなんて、ほんとうにえらいと思うわ。なんであんなひとたちに、車なんかを運転させてるんでしょうねえ」

 これにはぼくも腹を立て、わめき始めた。いまにも赤ん坊のことを言い出して、お母さんがどうしたらいいか、ユーナに講釈を始めるのではないかと、気が気ではなかったのだ。

「お行儀良くなさい、ラリー!」母は声を怒りに震わせて言った。「この数週間、あんたときたら、いったい何を考えてるの? 前はあんなにお行儀の良い子だったのに、自分のしていることをよく考えてみなさい! まるで与太者じゃないの! とっても恥ずかしいわよ」

 ぼくが何を考えていたか、どうして母が知ることができよう。ドワイヤー家の家族が集まって、ユーナが笑い転げながら、ぼくの母が時代遅れにも、赤ん坊が人間のおなかから産まれてくるなんて言ってた、と話しているところを想像していたなどと、わかるはずもなかった。だが、おそらくそれこそは真実の愛だった。母を恥じることを通さなければ、ぼくはほんとうの愛に目ざめることもなかったはずだ。

 だが、母もそれを感づいていたからこそ、傷ついたのだろう。それからもぼくは放課後、ユーナと一緒に楽しく家に行き、ユーナが食事をしている横で、ピアノの前に腰をおろして、自分の作った曲を弾くふりをしていたが、ユーナがぼくの家に遊びに来たときは、ユーナの手を引っ張って、すぐさまどこかへ連れていったので、母が話を始める暇さえなかった。

「もう、あんたって子は、頭に来るわね」ある日、母はそう言った。「なんだかあの子の前で、あたしのことを恥ずかしがってるみたいよ。あの子はあんたの前で、自分のお母さんに対してそんな態度を取ったりしないでしょ」

 ある日のこと、ぼくはいつものようにユーナを校門のところで待っていた。だが、別の男がそこで同じように待っていたのだ――上級生だ。校舎の方からわっと歓声が聞こえてくると、そいつはぶらぶらと歩いていき、丘のふもとの四つ辻で腰を下ろした。するとつばの広い帽子をかぶったユーナが、かばんを揺らしながら走って出てきて、いかにも何ごとかたくらんでいるような顔つきで、ぼくの方にやってきた。

「あのね、ラリー、いいことがあったの」彼女はそっとささやいた。「だから今日は一緒に帰れないんだ。だけど、またいつか一緒に帰りましょうね」

「わかったよ。誘ってくれてどうもありがとう」ぼくは凍りついた声で返事をした。人生最大の悲劇に見舞われても、ぼくは礼儀正しかった。じっと見送るぼくを背に、彼女は弾むように走っていく。その先には背の高い少年が待っていた。彼は肩越しににやっと笑いかけると、一緒に歩いていった。

 ふたりのあとをついていく代わりに、ぼくはひとりで丘をのぼって帰った。ときどき立ち止まってレンガ塀の向こうをのぞいてみたり、車道や、眼下に広がる谷あいの市街地を眺めたりした。

終わってしまったのだ。ユーナと結婚するには、ぼくは小さすぎたのだ。赤ん坊がどうやって生まれるかも知らなかったし、代数の問題を解くこともできなかったのだから。ユーナと一緒に帰っていったあいつは、きっと両方とも知っているにちがいない。すっかり気落ちしたぼくは、復讐の念で頭が一杯だった。それまではケンカなんて、罪深く、危険なことだと考えていたのに、どうしてやつを追いかけて、跳び上がって横っつらをはり倒し、やつの歯を何本か折ってやらなかったのか、と悔しくてたまらなかった。だが、仮にそうしていたとしても、ぼくは小さかったし、ケンカも弱い。だから反対にぶちのめされるのがおちだったろう。恋というのは、やればかならずふたりの男がぶつかり合う、ちょうどサッカーのようなものなのだということを、ぼくは知ったのだった。

 ぼくはひと言も口を利かないまま家に帰って、長いこと放り出していた作品を取り出した。もはやこれっぽっちも魅力を感じない。味気ない気持ちのまま、五線譜を引き、やっかいなト音記号をなぞり始めた。

「ユーナとは遊ばないの、ラリー」縫い物から顔を上げた母が、びっくりしたように聞いた。

「そう」言葉にならない気持ちを抱えてぼくは答えた。

「ケンカなんかしてないんでしょうね?」驚いた表情を浮かべたまま、ぼくの方へ来た。ぼくは手で顔をおおってむせび泣いた。「あらあら、泣くことなんてないのに、この子ったら」口のなかでそんなことをつぶやきながらぼくの頭をなでた。「あの子はちょっとあんたには大きすぎたわ。あの子の弟さんが亡くなった話、もちろん覚えてるわよね――だからなんでしょうね。じき、あんたにも新しい友だちができるわよ、お母さんを信じなさい」

 だが、ぼくには信じられなかった。その晩はとうとう一瞬たりとも気持ちの晴れることはなかった。ぼくの偉大な著作も、もはや何の意味もなかったが、この先ぼくにはこれしかないこともわかっていた。何があっても結局のところ、ぼくは神父になることに決まっているようだった。天才よりほかに道はないというのは、みじめで、悲しく、寂しいものだ、と思ったのだった。



The End






どこにいるか、どんな歴史を持っているか


子供は大人に向かって実にさまざまなことを聞いてくる。なんで星はひとつずつ出るの、とか、水たまりの水はなくなるのに海の水はなんでなくならないの、とか、川の水は海に入ったらしょっぱくなるの、とか。

ところが大人になると、あまりそういう疑問は持たなくなる。それは大人になっていく過程でそうした知識を身につけたから、ではなくて、目下の自分に必要のないことを、気にも留めなくなるからなのだろう。

社会のなかでの自分の位置関係を把握していれば、さしあたって何が自分にとって重要な問題かもわかってくる。おそらく大人になるとは、その位置関係をしっかりと把握するということでもあるのだろう。その結果、自分に関係あることのみを問題と意識し、そうでないことは視野にすら入れなくなってしまうのだろう。

そう考えていくと、逆に子供がどうしてそんな疑問を抱くかもわかってくる。子供はまだ、社会のなかでの自分の位置関係を把握していない。わからないから、目で見るものと自分の距離を測り、自分とそれとをどうにかして関係づけようとしているのだ。空に出る星と自分の関係、流れる川と自分の関係、そういうものをひとつひとつ測りながら、自分のいる場所を、何とか確かめようとしているのだろう。

オコナーの「天才」のなかで、ラリーが抱く疑問は、自分はいったいどこから来たか、ということだ。自分の始まりを知らないで、どうやって世界のなかで自分を位置づけることができようか。ラリーはきわめて真摯に、かつ哲学的に、この問題の答えを知りたがっているのだが、大人にとってはなんとも答えにくい、厄介な質問である。

ラリーは質問をさまざまな人に投げかけることを通して、両親や、ミス・クーニー、ユーナや友だちのことを理解していく。質問は、同時に周囲の人びとのあいだで、自分の場所を確認するという働きも負っているのだ。現実でも子供たちは、質問することで、周囲の人びとと自分の関係を確かめてもいる。特に小さいうちは、答えの内容より、何かを問いかければ、自分の方を向いてくれ、考えてくれ、応答してくれる、ということがうれしいのだろう。

子供は世界を理解できないように、大人のことも理解できない。だが、大人は、子供のことは理解できると思っている。自分は子供に比べて知識があるから。経験を積んでいるから。それだけでなく、自分もかつて子供であって、子供時代を経て、いまの自分があるから。

「天才」では、ラリーが大人の世界や自分の両親、ほかの家族のことを誤解する、そのはずれっぷりがおかしさを誘っているだけではない。深い洞察力を持ち、豊かな情感を持つラリーのことを、周囲の人びとはかならずしも理解はしていない。ラリーを慈しみ、誰よりも愛している母ですら、ラリーがなぜ自分を恥ずかしく思うのか、そのほんとうのところは決して理解することができないのだ。

大人も子供もそれぞれに、自分の身体から、ものごとを見ている。自分の身体を離れることはできないから、それぞれの位置からしか見ることはできない。当然、見え方が変わってくれば、それに対する意見も変わってくる。しかも、それぞれ人は、固有の歴史を負っている。生まれてから五年ほどしか経っていないラリーには、小さな弟を失ったユーナの悲しみはわからない。六年生か、中学生ぐらいのユーナからすれば、一年生のラリーが自分を愛しているなどと、想像することもできない。それぞれ固有の感じ方と立場の相違が、対立やすれちがいを生むこともある。

母親から、ユーナはラリーのなかに、小さなジョン・ジョーを見ていただけだと聞かされて、ラリーはそのことがわかったのだろうか。この物語の時点では、赤ん坊がどこから来るかと同様、ラリーにはわかっていないようだ。

「天才」では、それぞれの登場人物のあいだで、誤解は誤解のまま、意見のぶつかりあいはぶつかりあいのまま、解決されることはない。それでも、子供の育て方をめぐって、真っ向から対立しているラリーの両親ではあるが(おそらく同時にそれは、ふたりが異なる歴史をたどってきたせいでもあるのだろうが)、それでも母親は父親の判断を尊重している。ラリーは自分が父親に愛されていないのではあるまいかと感じ、その理由をさまざまに想像しているが、おそらく父親がそれを聞けば、仰天してしまうだろう。

この作品に描かれる小さな世界では、登場人物のひとりひとりがちがう考えを持ち、固有の歴史を持ち、固有の立場を持っていて、誤解は解消されず、互いに理解することもない。それでも、共に暮らし、共に日々を重ねている。まるで、お互いの考え方を一致させなくても、理解し合わなくても、時間をかけ、経験を共にすれば、理解とはちがうやり方でわかりあえるのだ、というかのように。



初出May.08-17 2009 改訂July.25, 2009
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