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八人の見えない日本の紳士たち

グレアム・グリーン



 ホテル・ベントレーのレストランで、八人の日本の紳士たちが魚料理を食べていた。彼らがその理解できない言葉で話をすることは少なかったが、つねに礼儀正しい笑みを浮かべ、たびたび軽く頭を下げる。ひとりを除けば全員が眼鏡をかけていた。その向こうの窓際に座るきれいな娘が、ときおり日本人のほうに目を走らせていたが、ひどく深刻な問題を抱えているらしく、自分と自分の連れ以外にはまともに注意を払う気にはなれないようだった。

 絹糸のようなブロンドの髪、リージェンシー時代ふうの小作りで愛らしい顔は、卵形で人形のようだが、しゃべりかたは乱暴だった。おそらくそのアクセントはローディーンかチェルトナム女子大あたりのもの、そこを出たのもそれほど前のことではあるまい。左手の婚約指輪をはめる場所に、男物の認印付きの指輪をはめており、わたしが席に着いたとき、日本人をあいだにはさんで、娘が話すのが聞こえた。「だから、あたしたち来週には結婚できる、ってこと」

「ほんと?」

 相手はいささか慌てたようだ。自分と娘のグラスにシャブリをつぐ。「もちろんそうしてもいいんだけどさ、ぼくの母親が……」だがそのつづきをわたしは聞き逃してしまった。一同で最年長の日本人紳士が、笑みを浮かべたまま小さく頭を下げてから、テーブルに身を乗りだして話を始めたからだ。口を開いているあいだずっと、養鶏場から聞こえてくるざわめきのような音が聞こえ、だれもがそちらを向いて、にこやかに耳を傾ける。つい、わたしもそちらに気を取られていたのだった。

 婚約者も娘によく似た風貌だった。ホワイトウッドの壁に並んでぶらさがる二体の人形を見るようだ。彼の方は、ネルソン提督時代の若き海軍士官、といったところ、そのころならある種の弱々しさと感じやすさも、昇進の妨げにはならなかったはずだ。

 娘が言った。「アドヴァンス料として五百ポンド払ってくれるんですって。それにペーパーバックの版権だってもう売れたし」いきなり業界用語が飛び出してきたので、わたしは度肝を抜かれた。わたしの同業者だということにも驚いた。二十歳を超えているようには見えない。もっと彼女に見合った人生があるはずだ。

「だけど伯父さんが……」

「伯父さんと一緒にやってけないことぐらいわかってるでしょ。結婚したら完璧に自立できるんだから」

「君は自立できるんだろうけどさ」そのくちぶりは、いかにも気乗りしなさそうだ。

「ワインを扱う仕事なんて、絶対に向かないってば。あたし、あなたのこと出版社に話したのよ、絶対うまくいくって。リーディングか何かから始めれば……」

「ぼくは本のことなんて何にも知らないよ」

「一からあたしが教えてあげる」

「おふくろは、書くことは精神的な支えになるとは言ってたけど……」

「五百ポンドとペーパーバックの版権の半分は、間違いなく確実な支えよ」

「このシャブリ、うまいよな?」

「まあね」

婚約者についてわたしは意見を変えつつあった。ネルソン提督流の腕前など持ち合わせてはいない。彼が打ち負かされるのは目に見えていた。ぴったりと横付けした娘に、船首から船尾までの掃射を食らうのだ。

「ドワイトさんが何て言ったか知ってる?」

「ドワイトさん、ってだれ?」

「もう、ちっとも聞いてないんだから。あたしの編集者よ。ドワイトさんが言うには、この十年間に出た処女作のなかで、こんなに鋭い観察力を発揮した小説はなかったんだって」

「そりゃすごいね」そのくちぶりは悲しげだった。「すごいや」

「あたしに言ったのは、タイトルを変えた方がいい、ってことだけ」

「そうなんだ」

「『とわに澱みなき流れ』って、あんまり好みじゃなかったみたい。『チェルシーの潮流』っていうタイトルの方がいいんだって」

「で、君はなんて言ったの?」

「言うことを聞いておいた。処女作を出そうと思ったら、編集者の機嫌は損ねないようにしなくちゃね。とくに結婚式の費用を出してくれそうなときは。そうしてくれると思わない?」

「なるほどね」心ここにあらず、といったようすで彼はシャブリをフォークでかきまぜている。婚約するまでは、シャンペンばかり飲んでいたのだろう。魚料理を食べ終えた日本の紳士は、片言の英語で、だが極めて礼儀正しく、中年のウェイトレスに新鮮な果物のサラダを注文している。娘はそちらに目を遣り、つぎにわたしを見た。だが、その目に映っているのは、おそらく未来だけだろう。これだけは言ってやりたい、という激しい思いにかられる。『チェルシーの潮流』などという処女作からは、どんな未来も開けはしないぞ、と。婚約者の母親と同じ意見だ。そう認めるのは悔しかったが、確かにわたしも娘の母親世代なのだ。

 わたしは娘に聞いてみたかった。編集者は君にほんとうのことを言っていると、まともにそう思っているのか? 編集者だって人間だ。ときには若く美しいことの利点を過大に評価することだってある。『チェルシーの潮流』が五年たってもまだ読み継がれているだろうか? 努力を要される年月に覚悟はできているか? 「なにひとつましなものが書けず、ひたすらに続く挫折」の期間に? 年齢を重ねても書くことはたやすくはならず、日々の努力はしだいに耐え難いものとなり、君の言う「観察力」は年を重ねるうちに衰えていく。四十代になれば、君は将来性ではなく、仕事によって評価されるのだ。

「あたし、つぎはサントロペについて書こうと思ってるんだ」

「そこに行ったことがあるなんて知らなかったよ」

「行ったことなんかない。新鮮な視点がすっごく大切なんだってば。あたしたち、半年ぐらいそこに住んでもいいかもね」

「そのころにはアドヴァンスもたいして残ってないだろうけどね」

「アドヴァンスはただのアドヴァンス。五千部売れたら15%印税が入るし、一万部を超えると20%になる。もちろんつぎのアドヴァンスも入ってくる。つぎの本を書き終えたら、だけど。『チェルシーの潮流』が当たったら、すごい額よね」

「当たらなかったら」

「ドワイトさんは売れるって言ってた。そういうことはよくわかってるはずよ」

「ぼくの伯父さんは元手に1200ポンド出してくれるみたいだ」

「けど、それじゃどうやってサントロペに行けるのよ?」

「たぶん君が帰ってきてから結婚したほうがいいのかもね」

娘はひどくとげのある言い方をした。「『チェルシーの潮流』が結構売れたら、あたし帰ってこないかもね」

「よせよ」

娘はわたしを見、日本の紳士の一団に目を転じ、それからワインを飲み干した。「これはケンカ?」

「とんでもない」

「つぎの本のタイトルを決めたんだ。『紺碧の青』っていうの」

「紺碧っていうのは、青のことじゃなかったっけ」

娘はうんざりした顔で婚約者を見た。「ほんとは小説家なんかと結婚したくないんでしょ?」

「君はまだ小説家じゃない」

「あたしはそうなるように生まれついてるの。ドワイトさんがそう言ってたもん。あたしの観察力って……」

「わかった。そのことはもう聞いたよ。だけどさ、君の観察力をもうちょっと自分ちの近くで発揮できないかな? このロンドンとかで」

「『チェルシーの潮流』でもう書いたもの。自分が書いたこと、もういちど繰り返したくない」

 勘定書はさきほどからふたりの横にあった。青年が財布を取りだして払おうとしたが、娘は引ったくって届かないところに置いた。「これはあたしのお祝いだから」

「何の?」

「もちろん『チェルシーの潮流』の。ねえ、あなたってすごくゴージャスだと思う。だけど、ときどき――あたしたち、あんまり合わないのかも」

「ただぼくは……君を怒らせるつもりはなくて……」

「いいの。ここはあたしが払う。それと、もちろん、ドワイトさんが」

 青年が娘の言い分に従ったちょうどそのとき、ふたりの日本人が同時に口を開き、あわてて止めると、お互い、相手に頭を下げた。まるでドアのところで鉢合わせでもしたかのように。

 最初、一対の人形のようだと思ったふたりに、実際のところ、かくも著しい相違があろうとは。同じ種類の美しさの下に、一方には弱さが、他方には強さが隠されていた。娘のなかのリージェンシー様式が、麻酔の助けも借りず、1ダースもの子供が産めるという点であるとすれば、青年のそれは、ナポリで最初に出くわした黒い瞳に、あっという間につかまってしまうということだろう。いつか娘の本棚に1ダースの本が並ぶ日が来るのだろうか。それもまた麻酔なしで生み出さなければならないものだ。わたしは自分が『チェルシーの潮流』が惨憺たる結果に終わったあげく、娘は写真のモデルに、青年はセント・ジェイムズ街でワインの商いで堅実に身を立てることになればいい、と考えていることに気がついた。娘には、彼女の世代のハンフリー・ウォード夫人にはなってもらいたくはない――わたしがそれほど長く生きることはあるまいと思われたが。老いのおかげで、あまたの怖れが現実のものとなるのを見ずにすませることができる。ドワイトなる人物は、どこの出版社に勤務しているのだろう。娘が吹聴する観察力とやらのために、彼がすでに書いているであろう宣伝文句が目に浮かぶようだ。目先が利くなら、批評家向けに、裏表紙に載せる写真だって撮っているはずだ。彼らだって出版人と同様人間なのだし、ともかく娘はハンフリー・ウォード夫人には似ていない。

 レストランの奥でコートを探しているふたりが交わす言葉が聞こえてきた。青年が言った。「こんなところであの日本人、みんなで何をやってるんだろう?」

「日本人?」娘が言った。「日本人って何よ? ときどきあなたってわけわかんないこと言うから、ほんとはあたしと結婚したくないんじゃないかって思っちゃう」



The End
(※原文はhttp://www.fontys.nl/lerarenopleiding/tilburg/engels/Litcult2005/txt_greene_gentlemen.htmで読むことができます。)



見る、読む、書く

ポール・セローの『写真の館』という長編小説の最初のほうに、グレアム・グリーンが登場する。

この作品自体はフィクションで、主人公のモード・コフィン・プラットは写真家である。年をとった彼女は、自分の写真を集めて回顧展を開こうと考え、それに出展するために、最後の作品として、グレアム・グリーンのポートレイトを撮ろうと考えるのだ。

グリーンの承諾を得るために、モードはグリーンと面会することになる。

 グリーンは六時ぴったりにバーに入ってきた。ダーク・ブルーのスーツを着た背の高い男。ちょっぴりくたびれてはいるが、顔つきの印象は強烈で、思索的ながっしりした顎をしている。…略…疲れてかえって魅力的になったグリーンの顔はたるんではいたが、赤く日灼けしていた。これなら聖職者といっても通りそうだった――自信にみちた身のこなし。うんざりした、人を憐れむような唇。ついさっきまでお祈りをしていたかのようなやさしい表情。そのくせその敬虔な顔にはどこかくずれたところがあり、その威厳ある態度にはどこか名もない人の雰囲気があった。警戒心からか育ちからか、両手がかすかに不安そうに垂れている。いつもの制服を脱いでしまったみたいだ。勲章をつけていない将軍、でなければ、二階に法衣を脱いできた司教。満ち足りているのに、むずかしい顔を装おうとして、それには完全に成功していない顔。髪は白く、かすかに禿げかけている。顔立ちにとびぬけた特徴はないのに、全体として見ると揺るぎない威厳があり、老いたライオンのような気品ある獰猛さをただよわせていた。

(『写真の館』村松潔訳 文藝春秋)

写真を「芸術ではない。籠を編むのに似た職人仕事なのだ」というモードは、写真家の目でグリーンを見、さまざまな話をする。そうしてベントレーで食事をすることになる。もちろん食べるのは魚だ。

「必要なのはただひとつ」と言って、彼は後ろを振り返った。「目をあけることです」
 彼は店の入り口に目をやった。見ると、八人の日本人紳士が物音もたてずに入ってきた。ダーク・スーツの小柄な紳士たち。手際のいい、几帳面な、トランジスター化された身のこなし。彼らは店の中央の大きなテーブルのまわりに腰をおろした。
 グリーンが言った。「ほら、あれがわたしの日本人紳士たちですよ」
「見える! わたしには見えるわ!」それはわたしが思い出せること、書けることを証明するために出現した天使みたいなものだった。グリーンが魔法で呼び出したかのように、忽然と現われた八人の折り目正しい日本人。

もちろん、『八人の見えない日本の紳士たち』を読んだことがなくても、セローの『写真の館』を楽しむことはできる。けれども、読んでいれば、もっと深く読みこむことができる。逆に、『八人…』を織り込みつつ語られる『写真の館』を読むことで、先行する『八人…』も、またちがった陰影を加えることになるのだ。

 職業上の反射神経から、わたしは撮影アングルを考えていた。ベントリーの店にいるグリーン。壁の鏡のなかに半身が映り、犠牲にされた魚が彼を見上げている。半分空になったワインのボトル。グリーンの顔は笑いで生気をおび、顔中の筋肉がいっぺんに動いて、輝いている。背後には彼の勝利のあかし、日本人たちの髪をぴったり撫でつけた小さな頭が垣間見える。光の銅鑼が鳴って定着された完璧な写真。自分の創造したものの手前にいる芸術家。グリーン――プラット撮影。

わたしたちは、本を読む。フィクションは、知識や情報を与えるばかりでなく、わたしたちの内側に、何かを起こす。そのひとつがまぎれもなく、読むことによって生まれた、自分も何かを産出したい、という思いである。ひとつの音叉がもうひとつの音叉に音を与えるように。

読むことと書くことの、夢のような出会いを、『写真の館』に見ることができる。

グレアム・グリーンは1904年生まれ。オクスフォード大学を卒業した後、新聞社に入社、暇なときに小説を書いていたが、のちに専業になる。第二次世界大戦中は情報省や外務省に勤務した。

グリーンは多作な作家で、エンターテインメント系の作品とシリアスな作品のふたつの系列の作品がある。映画『第三の男』はグリーンが映画用に書き下ろした作品である。

いっぽう、22歳のときにカトリックに改宗したこともあり、宗教の問題がシリアスな作品では大きなテーマとなっている。同じくイギリスのカトリック教徒でもある作家のイヴリン・ウォーは、グリーンは「映画のカメラのように描く」と評している。


初出 Feb.2,3 2006 改訂 Feb.10


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