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嫌っても、嫌われても

それでは一体、何のつもりでお前はこの物語を書いたのだ、
と短気な読者が、もし私に詰寄って質問したなら、
私はそれに対してこうでも答えて置くより他はなかろう。
 性格の悲喜劇というものです。
人間生活の底には、いつも、この問題が流れています。
太宰治『お伽草子』

椅子


1.忘れた『復讐』

グレアム・グリーンのごくごく短い短編に『復讐』(丸谷才一訳『イギリス短篇24』所収)というものがある。

語り手の十三歳から十四歳にかけての回想として物語は始まっていく。
当時、主人公は「校長の息子」ということでクラスのなかで孤立していた。さらに、カーターという少年から「心に苦痛を負わせる巧みな拷問」を受けていたのである。それがどういった「拷問」なのか、はっきりとはわからないが、主人公の父親のことを「**爺さん」と呼んだり、あるいは家の花形らしい兄のことを「軽蔑的な綽名(あだな)」で呼んだりして、そうでなくても浮き上がりがちな主人公を、さらにいたぶるようなことをしたのだろう。彼のそうした行為は「まるで爪の下にこじ入れられた細い木片のように作用した」。

ところが一方で主人公は、「拷問」者であるカーターのことを「尊敬」していたともいう。

ぼくは彼の残酷さを尊敬していたし、そして彼は、奇妙なことに、彼がぼくの内部で傷つけているその対象を尊敬していた。拷問者と被拷問者とのあいだには一種の関係が生じて来る。拷問が続行し、被拷問者が失敗しつづける限り、彼は相手を自分と対等の者として認めることになるのだ。ぼくは後年、カーターへの復讐をまじめに考えたことはなかった。

(グレアム・グリーン「復讐」『イギリス短篇24』丸谷才一訳 集英社)

「被拷問者が失敗しつづける限り」という部分、いったい何を失敗しているのかよくわからない。拷問によって、主人公が意気消沈していた、あるいは、日常のあれこれをしくじった、という意味にもとれるのだが、動詞 "fail" が当てられているとすると、むしろこの部分は「非拷問者が(拷問者の)期待を裏切りつづける限り」という意味と受け取ったほうが、論理が一貫するように思える(この作品は短編集に未収録のために原文を参照できない)。
ともかく、ここで言われているのは、苛め、苛められるという関係であっても、カーターと主人公は、お互いに対等であったし、相手に敬意を失わなかった、ということだろう。

わたしたちの周囲には、どうやっても好きにはなれないのだが、その能力や仕事は評価できる、という種類の人間はいるものだ。仕事ぶりや能力はすばらしい、かといって、そうした仕事の向こうにかいま見えるその人のプライヴェート、あるいはものの見方感じ方にはどうにも辟易してしまう。いっそ嫌いになれたら、とも思うのだが、その仕事はやはり評価せざるを得ない……。
ここでは「拷問」という刺激的な日本語が当てられているのだが、カーターと主人公の関係も、むしろそうした性質のものだったのかもしれない。しつこいいやがらせをしかけてくるカーターに主人公は悩まされながらも、一方で「尊敬」してもいたし、父親に対する敬意も感じ取っていた。そのためにどれだけいやがらせが続いても、主人公はカーターへの復讐を考えたことがなかったのである。

ところが、このカーターと対比して語られるのが、別のクラスメート、ウォトソンである。ウォトソンは、最初は主人公の数少ない友人だった。ところがカーターの側へ寝返る。

ウォトソンには、カーターの洗練はまったくなかった。カーターは絶えずぼくに対して、友情を(まるでお菓子のように)与えるそぶりをしてはひょいと引込め、拷問はどこかでいつか終るという印象を残すようにするのであったが、ウォトソンは、想像力を欠いた下手くそなやり方で、その真似をするのである。彼ひとりだったら、ぼくの心を傷つけることはまったく不可能であったろう。しかし、それにもかかわらず、ぼくが復讐を誓ったのはウォトソンに対してであった。なぜなら、彼の背信によってぼくの孤立はほとんど完全なものとなったのだから。

カーターの真似をしただけのウォトソンの方に、主人公が深い恨みを抱いたのはよくわかる。
わたしたちは自分がその能力を認め、尊敬している人間から軽蔑されるより、自分自身が軽く見ている人間から示される軽蔑のほうに、より過敏に反応し、いっそうの屈辱を感じる傾向があるからだ。「あの人からこう思われても仕方がない」というのと、「こんな人間にまで……」というのでは、自尊心の傷つきかたが大きく異なってくる。
主人公がウォトソンに深い恨みを持ったのは、それだけではない。「下手くそなやり方で」カーターの真似をするしかないウォトソン以外に、主人公の孤立を救ってくれるクラスメイトはいなかったのだ。

主人公はウォトソンに復讐することを心に誓いながら、学校時代を生き延びる。その時期が過ぎても、思い返すたびに、復讐心はよみがえる。
やがて大人になった主人公は、ひょっこりとウォトソンに再会する。ところがウォトソンの方は、懐かしげに声をかけてくるのだ。

「思い出さないかい? 学校で一緒だったんだぜ。カーターって奴と、しょっちゅう遊んだじゃないか。ぼくたち三人で。ほら、君はいつも、ぼくやカーターを手伝ってくれたっけ――ラテン語の下調べのとき」

 昔、ぼくが白日夢に耽っていたころには、コクテル・パーティでウォトソンと出会い、公衆の面前で彼の顔を平手打ちするという情景を空想したものである。クアラ・ルンプールの冷蔵商社以上に人目の多いところは、ちょっとないだろう。しかし、ぼくが口に出すことができた言葉といえば、ただ、
「ラテン語は、ぼく、不得手だったけどな」
だけであった。

主人公は振り返る。自分のあの復讐の思いはなんだったのだろう、と。それでも、自分がいまここにいるのは、「自分が何かで優れていることをたとえどんなに長い間の努力が必要であろうと立証したいという激しい欲望」を起こさせてくれた彼らのおかげではあるまいか。

ウォトソンに、また電話をする、と言ったまま、主人公はすっかりそのことを忘れてしまう。「そんなにあっさり忘れてしまったことが、ぼくの彼に対する復讐なのであろう」というところで話は終わる。

表面的には「クリスマス特集号」にふさわしい、「復讐」と「赦し」をテーマにした作品といえるのだが、この作品はもう少し別の角度から見ることもできるように思う。それは、「人を嫌い、人に嫌われる」ということである。

まず、主人公が「拷問者」と呼ぶカーターである。「カーターは絶えずぼくに対して、友情を(まるでお菓子のように)与えるそぶりをしてはひょいと引込め」という部分にもあきらかなように、主人公はカーターとはできれば友情で結ばれたいと願っている。だが、それはあくまでも主人公の見方であって、「拷問」を続けたカーターは、夢にもそんなことは考えていなかっただろう。主人公が考えていたように「対等」で結ばれていたかどうかも疑わしい。カーターがどう考えていたか、主人公にわからないと同様、わたしたちにもわからない。ひょっとしたら主人公のことがほんとうに嫌いだった、という可能性も否定できないのだ。嫌いでいやがらせをしているのを、「嫌われている」と認めたくない主人公が、その行為を「拷問」という翻訳を経て、受け入れていたともようにも思えるのである。

主人公は、そもそもの原因を作ったカーターにではなくウォトソンの方に復讐を考える。それは、自分が評価し、認めていた相手からなされる嫌がらせより、自分が軽蔑している相手からの嫌がらせの方が、よけいに自尊心を傷つけられたため、とも考えられるのだが、もっと単純に考えてもいいのかもしれない。つまり主人公はウォトソンが嫌いだったのだ。

同じ行為でも、好きな人間と嫌いな人間がやっていることでは、受け取る意味も異なってくる。ある製品のコマーシャルにいったいだれを起用するか、企業や広告代理店があれほどまでに神経を尖らすのはそのためだろうし、自分が嫌いな人間と仲良くしている人間は、ほとんど知らなくても、簡単に嫌いになれる。嫌いでなかった(できれば友だちになりたいとさえ思っていた)カーターがするいやがらせは「拷問」であっても、嫌いなウォトソンなら「下手くそな真似」なのである。

ここで注目しておきたいのは、わたしたちは、自分自身の嫌悪の情には非常に敏感だが、自分の方が嫌われているかもしれないというとき、わたしたちはあまりその事実に直面したがらない、という点である。自分がだれかを嫌っているときには、実に鮮明にそれが意識されても、嫌われているかもしれない、という疑念が兆したとたん、「父親が校長だから」「拷問」という、自分に受け入れやすい物語を捏造してしまうのかもしれないのだ。事実、主人公から嫌われていたウォトソンは「カーターって奴と、しょっちゅう遊んだじゃないか」と記憶を捏造している。

大人になって再会して、果たして主人公は「見る人によって見方も変わってくるのだなあ」と納得して、ウォトソンのことを忘れたのだろうか。
そうではないだろう。おそらく復讐を考えていた当時、相手のことを嫌うあまりに、いつのまにかずいぶん相手のことが大きく心にのしかかっていたのだろう。ところが時間を経て再会することで、相手の実際の大きさがはっきりと見えた。そこで嫌う必要さえないことに気がついた。あとに残ったのは軽蔑だけである。

嫌っている相手であれば、その相手の不幸を願う。だが、軽蔑している相手は、相手が不幸であろうが幸福であろうが、たいして気にならない。軽蔑している相手はどうだっていいものだ。だから忘れることができるのだ。

おそらくこれは「赦し」などとは縁もゆかりもない物語なのである。もちろんグレアム・グリーンのことだから、そのことには十分意識していたのだろうが。

ともかく、もう少し、この「嫌うこと、嫌われること」について考えてみたい。


2.嫌われるのはきつい


中島義道は『ひとを〈嫌う〉ということ』のなかでこう言っている。

 この歳になって痛感すること、それは人間とはなんと他人から嫌われたくない生物か、自分が嫌っている人にさえ嫌われたくない生物か、ということです。普通、理性的に考えれば、自分も世の中のかなりの人をさまざまな原因で嫌っているのだから、自分もある程度の人にさまざまな仕方で嫌われてもしかたないと思えるはずなのですが、これが実際にその情報を得るや気も転倒するばかりに驚く。他人から「嫌い」と言われることを、悪魔から呼びかけられるように恐れる。他人から嫌われていないという自己催眠状態を維持するために、ありとあらゆるトリックをしかけて自分をだまそうと必死になるのです。

 女性に多いのですが「私の至らないところ全部おっしゃってください。はっきり言われたほうが楽ですから」と言うので、「それでは」とはっきり言うと、そのときは従順な態度で感謝しているふうですが、じつは言った人に心の奥底で深い恨みを募らせていく。いや、俺はそんなおめでたくはないよという顔で、抽象的になら「俺なんかみんな嫌っているだろうなあ」とうそぶく豪傑野郎でも、「じつは、その通りです」と細々具体例を挙げだすと、平然としてはいられなくなる。彼を嫌っている人をその具体的理由まで含めて挙げてゆくうちに、十人を超すあたりから、顔は引きつりだし、唇は歪みだし、ついには「やめろ!」と怒鳴りだすのです。

 自分に対する他人の「嫌い」という感情はこれほど自然に耐えがたく、この点に関してはどんなに理性的な人でも個人のあいだの平等という基本理念を忘れてしまう。つまり、自分は他人を盛んに嫌っているのにかかわらず、他人から嫌われることは絶対に許せないという不平等な姿勢に凝り固まってしまうのです。

(中島義道『ひとを〈嫌う〉ということ』角川書店)

中島のいうように、自分が嫌われている、という事実は、なるべく向き合いたくないことなのかもしれない。中島つながりで思い出すのだが、中島敦の短編に「牛人」というものがある。これは一般には「復讐譚」に分類されるだろうが、「牛人」の復讐がまんまと成功するのも、自分が嫌われている、憎まれている、という事実に、主人公が長い間気がつかなかったからなのである。もう少しこの作品を詳しく見てみよう。

魯の叔孫豹(しゅくそんひょう)は、乱れた祖国を捨て、斉の国に行く途中、ひとりの女性とゆきずりの関係を結ぶ。斉の国に着くと、そんな女性のことなどすっかり忘れ、やがて要職にある人物の娘と結婚し、二児をもうける。
そんなある日、叔孫はある晩、天井が下がってきて胸を押しつぶされる夢を見る。横を見ると牛にそっくりな男がいる。その彼が重さを取り除いてくれたのである。翌朝、従者を集めてみるが、牛そっくりな男など、どこにもいなかった。

そののち、故国では政変が起こり、叔孫は帰国し魯で役職に就く。そこで斉に残した妻子を呼び寄せようとしたが、妻は別の男と通じていて、子供二人しか来なかった。

 或朝、一人の女が雉を手土産に訪ねて来た。始め叔孫の方ではすっかり見忘れていたが、話して行く中にすぐ判った。十数年前斉へ逃れる道すがら庚宗の地で契った女である。独りかと尋ねると、倅を連れて来ているという。しかも、あの時の叔孫の子だというのだ。とにかく、前に連れてこさせると、叔孫はアッと声に出した。色の黒い・目の凹んだ・傴僂なのだ。夢の中で己を助けた黒い牛男にそっくりである。思わず口の中で「牛!」と言ってしまった。するとその黒い少年が驚いた顔をして返辞をする。叔孫は一層驚いて、少年の名を問えば、「牛と申します」と答えた。

以来、叔孫は牛を小姓として召し抱え、以降、その息子は豎(じゅ:小姓の意)の牛で豎牛と呼ばれるようになる。気が利くし役に立つことから、豎牛はやがて家政のいっさいを切り回すようになる。叔孫の信任も厚い。だが叔孫は、彼のことを跡継ぎとは考えない。豎牛では魯の名家の当主にはなりえないからである。豎牛の方もそこは心得て、叔孫の息子たちには「慇懃を極めた態度」で接している。

ところが叔孫は病を得、寝たきりになってしまう。身の回りのいっさいは豎牛一人に任せられることになった。俄然、叔孫の病気をいいことに、豎牛はさまざまな策を弄して、長男は殺し、次男は追い出してしまう。

この頃になってようやく叔孫にも、この近臣に対する疑いが湧いて来た。汝の言葉は真実か? と吃として聞き返したのはそのためである。どうして私が偽など申しましょう、と答える豎牛の唇の端が、その時嘲るように歪んだのを病人は見た。こんな事はこの男が邸に来てから全く始めてであった。カッとして病人は起上ろうとしたが、力が無い。すぐ打倒れる。その姿を、上から、黒い牛のような顔が、今度こそ明瞭な侮蔑を浮かべて、冷然と見下す。儕輩や部下にしか見せなかったあの残忍な顔である。家人や他の近臣を呼ぼうにも、今までの習慣でこの男の手を経ないでは誰一人呼べないことになっている。その夜病大夫は殺した孟丙のことを思って口惜し泣きに泣いた。

一転、豎牛は叔孫にも本心をむき出しにする。今度は叔孫に食事を摂らせなくなってしまったのである。叔孫がほかの家臣に訴えても、病のために精神に変調を来したのだと思われてしまうし、また豎牛が巧みにそう振る舞うのである。

傍を見上げると、これまた夢の中とそっくりな豎牛の顔が、人間離れのした冷酷さを湛えて、静かに見下している。その貌はもはや人間ではなく、真黒な原始の混沌に根を生やした一個の物のように思われる。叔孫は骨の髄まで凍る思いがした。己を殺そうとする一人の男に対する恐怖ではない。むしろ、世界のきびしい悪意といったようなものへの、遜った懼れに近い。もはや先刻までの怒は運命的な畏怖感に圧倒されてしまった。今はこの男に刃向おうとする気力も失せたのである。

叔孫は豎牛の顔に「世界のきびしい悪意」を見るが、この作品を読んでわたしたちもまた、「遜った懼れ」を感じるべきなのかもしれない。人間の憎悪はここまで育つものなのだ。

ジェイムズ・サーバーのユーモラスな短編「ネコマネドリの巣の上で 」でも、冷静沈着なマーティン氏が、殺害を企てるほどに憎悪を募らせていく話が描かれるが、嫌悪感というのはうまく発散させてやらないと、その人の内部で増殖していくもののようだ。

叔孫が豎牛の、小姓としてではなく、親子としての待遇を求めている気持ち、義兄弟に対する妬ましい気持ちにもっと早い段階で気がついていれば。だが叔孫は、豎牛のことを、ただ便利に使える道具としてしか見なしていなかった。そのために、大木のように育ちきった憎悪と向き合わざるを得なくなったのである。

相手が嫌いだという感情は、相手から離れられないかぎり、育っていく。一方で、自分のことを嫌っている相手の感情には、わたしたちはなるべく向き合おうとすまいとする。その結果、受け止めてもらえない嫌悪感を、相手がいっそう募らせている可能性は、頭に入れておいた方がいい。


3.透明人間


いくら拷問だのなんだのといっても『復讐』がしょせん神経質で自意識過剰の子供の記憶に過ぎないとすれば、ロバート・コーミアの『チョコレート・ウォー』の「拷問」は、もっとシビアなものである。

この作品が舞台となる私立高校、トリニティ学院では、学校の運営資金を調達するために、全校生徒にチョコレートを販売することが義務づけられている。その期間になると、自分がチョコレートを何箱売ったか報告しなければならない。ところが一年生のジェリー・ルノーだけは、売り上げゼロの日が続く。

というのも、この学校の生徒を支配する影の組織〈ヴィジルズ〉が指令を出していたのである。

〈ヴィジルズ〉は生徒一人一人に指令を出す。ある生徒には教室中にあるねじをあと一歩で抜けるところまでゆるめることが求められる。翌日、教室中の、机も黒板も教壇も何もかもが崩れ落ちる。そうした「いたずら」というには多少度が過ぎる指令、絶対服従しかない指令である。そうしてジェリーには、十日間チョコレート販売をボイコットするように、という指令が下されたのである。

ところがジェリーはその十日間が過ぎても、チョコレート販売を拒否する。ジェリー自身にもよくわからない。生徒をみんなのまえで辱める副学院長に反抗したかったのか。チョコレートだけでなく、なんだかんだと販売を押しつける学校のやり方が気にくわなかったのか。自分でもわからないまま、彼はたったひとり抵抗を続ける。

やがてジェリーは目に見えない攻撃を受けるようになる。ロッカーは破壊され、自宅にはいやがらせの電話がくりかえしかかって来、襲撃も受ける。

 突然、ジェリーは透明人間になった。肉体も骨格もなくなり、姿を見られることなく時間を通りぬけられる幽霊になった。
 学校へ行くバスのなかでそのことに気づいた。みんなの眼が避けていた。顔をそむけてしまうのだ。だれも近寄ってこない。存在しないかのように無視する。みんなにとって、ぼくはほんとうに存在しないんだな、とジェリーは悟った。彼がおそろしい病原菌をもっていて、みんなは感染するのを怖がっているみたいだった。だからジェリーを見えないものとみなし、視野から消し去ってしまうのだ。(…略…)

 ジェリーが廊下を歩くと、紅海がまっぷたつに割れるシーンさながらだった。だれもぶつかってこなかった。……立てかけた棺そっくりのロッカーをのぞきこんでいると、だれかが自分を抹殺しようとしている気がしてきた。生きている痕跡、学校での存在を消そうとしている。それとも、ぼくは妄想をたくましくしているだけなのだろうか。……

 みんなが冷たい態度をとるなら、こっちも調子を合わせてやろう。……
 午前中最後の授業が終わると、ジェリーは廊下の人ごみのなかをぶらぶら歩き、アイデンティティの喪失を楽しみながら、のんびりとカフェテリアに向かった。階段に近づいたとき、だれかがうしろから押すのがわかった。ジェリーは前のめりになり、バランスを失った。急角度になっている階段を落ちそうになったが、なんとか手すりをつかむことができた。ジェリーは手すりをにぎったまま、体を壁に押しつけた。生徒たちの一段がどやどやと通りすぎ、だれかが忍び笑いをもらす声が聞こえた。ほかのだれかが、しーっといってたしなめた。
 もう透明ではない。

(ロバート・コーミア『チョコレート・ウォー』北澤和彦訳 扶桑社ミステリー)

1974年に発表されたこの作品には、黒幕も悪いやつもはっきりしている。ヤング・アダルト向けの作品ということもあるだろうし、まだそういう時代だったのかもしれない。その点は現実の学校とはずいぶん異なっているだろう。だが、破壊や暴行といったかたちでむき出しにされる暴力、あるいは徹底した無視などは、おそらくいまも何ら変わることなく続いているのだろう。

学校でのいじめの問題に関しては、またいずれ考えてみたいとは思っているが、この小文ではふれない。ただ、この作品からわかるのは、集団から嫌われるということは、自分が「透明人間にな」る、ということなのだ。つまり、自分の存在が抹殺されてしまうことにほかならない。そしてまた、集団ではなく、個人のレベルであっても、嫌われるというのはそれと同じだ。自分のことを嫌っている人間は、目の前から自分がいなくなってほしい、と思っている。わたしたちがそれを受け入れがたいのも、当然のことなのである。


4.「嫌い」に向き合う


さて、ここでささやかなわたしの体験を。
中学時代、まさに典型的な「いじめっ子」タイプのA子がクラスにいた。彼女とはいつも一緒にいるB子という子がいたのだが、このA子がB子に対してきつく当たるというか、奴隷として使うというか、片時も傍から放さず、ことあるごとにいじめていたのだった。わたしとしては、奴隷状態のB子がなぜそのA子から離れずにいるか、ずっと不思議だった。たまたま彼女とわたしは小学校が同じで、小学校時代から彼女が同じことをしていた、つまり、もっと強い子の顔色をうかがう「パシリ」だったことを知っていたために、わたしには理解しがたいことではあっても、そういう状態が彼女にとって居心地が良いのだろう、とは思っていたのだ。

一方、その「いじめっ子」であるA子の方なのだが、わたしはてっきり彼女の側も、自分がその女の子に対して、どんな態度で接しているか、十分にわきまえているとばかり思っていた。ほんとうに、そのいじめぶりというのは、そのくらいあからさまだったのだから。それで、あるときわたしがA子のことを、「いじめっ子タイプ」と呼んだら、それがA子の耳に入って、「なんてひどいことを言うの」と、泣くわわめくわの大騒ぎになって、うかつなことを言ってしまった自分をひどく後悔したのだった。

それからA子ではなく、B子のわたしに対するいやがらせが始まった。上履きがなくなったり、美術の道具がなくなったり、机の上にぞうきんが置いてあったり、といった些細なことである。それを表面、気にしていない、という態度を取るには相当なエネルギーが必要だった。「嫌われている」という状態が、どれだけ気持ちを消耗させるものか、わたしはこのとき思い知らされたのだ。
当時のわたしは現実の学校生活に身を置いていたのは自分の半分ぐらいで、残りの半分は本の世界にいた。残りの半分の意識は、この事態を、なんてバカバカしい、くだらないことなんだと見なしていたのだった。もし、この右上方30センチあたりから眺めているもうひとりのわたしがいなかったら、この状態はもっとこたえたにちがいない。

昼休みにわたしは教室で本を読んでいた。そのわたしの背中に、B子がお茶をかけたのである。本を読むとき、かなり集中して読むわたしは、かなりの量が背中に注がれるまで気がつかなかった。何が起こったか、事態が飲み込めるまでに多少時間がかかったのだと思う。教室においてある大きなやかんをささげ持つB子の、おどおどしたうすら笑いを見て、カッとしたわたしは、B子を殴り倒した。そこから倒れたB子の襟首を後ろからつかんで起こすと、掲示板に頭を三度ほどぶつけ(自分がわざわざ黒板を避けて、コルクボードの柔らかい掲示板のところまで連れて行っているのを、わたしははっきり意識していた。一面、びっくりするほど冷静だったのだ)、そのまま手を離すと、教室を出て教官室に行き、担任に自分のやったことを報告したのだった。

担任はB子にわたしに謝るように言い、わたしはその謝罪を受け入れた。一部に、わたしに対する贔屓ではないか、という声はあったのを知っているが、わたしは自分が悪いとは毛頭思わなかったし、そのときの担任の対応にはいまも感謝している。非常に幸いなことに、あとにもさきにも人を殴ったのはそのときがただ一度だけなのだが、その経験のおかげで、わたしはその場面になれば、自分が暴力をふるう人間だということを知ることができ、そのような場面に自分を置かないように気をつけるようになった。なによりも、もしかしたら自分が良い人間かもしれない、とまちがっても思わなくなったのが、じぶんにとっては一番良かったのかもしれない。

じき夏休みが来て、とくにこれといったことも起こらないままその学年が終わり、以後高校を卒業するまで、A子B子、別の学年で一度ずつ同じクラスになったような気もするが、ほとんど接触した記憶はない。積極的に避けたというよりも、わたしの方にあまり関心がなかったのだ。そのときの出来事は、おりにふれて思い出してはいだのだが。

グレアム・グリーンの『復讐』を読んだのは、それからだいぶあとだったが、これを読んで自分の経験を結びつけることはなかった。結びついたのは、『ひとを〈嫌う〉ということ』を読んでからだ。わたしはそれまで自分がどうしてA子の方に怒りをぶつけなかったのだろう、と思っていた。B子にそういうことをさせていたのはA子であることはよくわかっていたし、A子を怒るのが筋のように思えていたのだ。だがこの本を読んで気がついたのは、わたしはA子の顔色をうかがって、嫌がらせを続けるB子が嫌いだったのだし、B子の側も、単にA子の命令があっただけではなく、おそらくはわたしのことを嫌っていた(小学校のころからずっと)、そうしてわたし自身、そのことに気がついていたことに思い当たったのである。A子など、わたしにとってはどうでもよかったのだ。

わたしの場合、こういうかたちで怒りを爆発させることができたおかげで、相手と離れることもでき、自分の「嫌い」という感情にも一気にけりがついてしまった。その意味で、この経験はわたしにとってはうまい具合に作用した。運が良かったということなのだろう。B子の側が精神的に傷を負ったとすれば申し訳ないことではあるが。

わたしたちは、人を好きになったり、嫌いになったりする。好きな人がなぜ好きか、どれだけ考えてもよくわからないように、嫌いな人がなぜ嫌いなのかも、ほんとうのところはよくわからない。そうして、好きな人をなんとか好きにならないようにする努力にさほど意味がないように、嫌いな人を嫌わないようにする努力にも、あまり意味がないように思うのだ。

となると、気をつけるべきは、この「嫌い」という感情が、自分をできるだけ損なわないようにすることだろう。放っておけば「嫌い」は成長し、「憎悪」にまでなっていく。その前の段階で、相手との関係のありかたを変えていくのである。離れる、接触する機会を減らす、それが不可能でも、意識してあまり考えないようにする。

何よりも大切なことは、嫌われる側にまわった自分を受け入れることだ。自分が根拠なく人を嫌うように、自分もまた根拠なく人に嫌われる。人を根拠なく嫌うような自分が、非の打ち所のない善人のはずがない。嫌われることもまた、当然なのである。

『ひとを〈嫌う〉ということ』のなかにはヒルティの『幸福論』から引用がある。この胸の深いところに響く言葉を孫引きして、この小文を締めくくることにしよう。

交際相手としてはけっして愉快ではないが、しかし最も役に立つのは敵であろう。それは、彼らが将来友となる場合もママあるからというだけではない。とりわけ、敵から最も多く自分の欠陥を率直に明示され、それを改めるべく強い刺激を受けるからであり、また敵は大体において人の弱点について最も正しい判断をもつからである。結局、われわれは敵の鋭い監視のもとに生活するときにのみ、克己、厳しい正義愛、自分自身に対する不断の注意といった大切な諸徳を、知りかつおこなうことを学ぶのである。

(C.ヒルティ『幸福論』草間平作/大和邦太郎訳 岩波文庫
中島道義『ひとを〈嫌う〉ということ』)


初出July.25,26, 2007 改訂Nov.28 2007

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