home翻訳>白い象のような山並み


ここではアーネスト・ヘミングウェイの短編「白い象のような山並み」を訳しています。
1927年に書かれたこの短編は、のちに『男だけの世界』(Men Without Women) と名づけられた第三短編集に収められることになります。
スペイン中部、駅のなかの酒場で汽車の出発を待つアメリカ人と娘、あとは店の女。時間にして四十分ほどの時間を切りとったようなこの短編は、不思議な余韻を残します。
原文は
http://web.ics.purdue.edu/~conreys/101files/Otherfolders/Hillslikewhitepg.html
で読むことができます。



白い象のような山並み


by アーネスト・ヘミングウェイ

エブロ川流域からカンタブリア山脈を望む


 エブロ峡谷の向こうに白い山並みが続いていた。こちら側は陰もなく、木立ちもなく、二本の線路に挟まれた駅が日にさらされていた。駅の横手には、駅舎とすだれの濃い影がはりついている。このすだれは竹でできた玉を連ねたもので、酒場の開け放した戸口に、蠅よけとしてぶらさがっていた。アメリカ人と連れの娘が、駅舎の外、日陰になったテーブルにいた。ひどく暑い日で、バルセロナ発の急行が到着するまで四十分ほどあった。急行はこの乗換駅で二分停車し、マドリードに向けて発つ。

「わたしたち、何を飲むの?」娘が聞いた。帽子を脱いでテーブルに置いた。

「ひどい暑さだな」男は言った。

「ビールにしない?」

" Dos cervezas.(ドス セルヴェッサス=ビール二本)"男はすだれの奧に向かって言った。

「大きい方で?」戸口の向こうから女の声がした。

「そうだ、大きい方だ」

 女がビールを入れたグラスふたつとフェルトのコースターを二枚持ってきた。テーブルの上にコースターを敷き、グラスをのせると、男と娘を見た。娘は目をそらして山並みの方を見やった。山並みは日差しを浴びて白く、地上は褐色で乾いていた。

「山が白い象みたい」娘が言った。

「白い象なんて見たことがないな」男はビールを飲んだ。

「そうね、なかったはずよ」

「いや、見たことがあるかもしれないぞ。君がいくらそう言ったところで何の証明にもならない」

 娘はすだれを見た。「何か書いてある。なんて書いてあるの?」

「アニス・デル・トロ。酒だ」

「飲んでみない?」

男は「すまない」とすだれの奧に向かって声をかけた。女がバーから出てきた。

「四レアルいただきます」

「いや。アニス・デル・トロを二杯頼むよ」

「水割りで?」

「水割りにする?」

「わからないわ」娘が言った。「水割りのほうがおいしいの?」

「なかなかいけるよ」

「じゃ、水割りにしていいんですね?」女が聞いた。

「よし、割ってくれ」

「リコリスみたいな味がするわ」娘はそう言うとグラスを置いた。

「まあなんだってそうしたもんさ」

「そうね。何もかもリコリスの味がするわね。とくにあなたがずっとほしがってたものはどれも。アブサンみたいに」

「よせよ」

「あなたが言い出したのよ。せっかくいい気分だったのに。楽しかったのに」

「わかった。じゃ、もう一回、楽しくやろう」

「ええ、いいわ。わたしだってそうしようとしてたんだもの。さっき山並みが白い象みたい、って言ったでしょ。悪くない言い方だと思わない?」

「ああ、悪くない」

「この初めてのお酒も試してみた。わたしたちがしてることってそれだけなんですもの――いろんなものを見て、飲んだことのないお酒を飲んで」

「そうかもしれない」

 娘は遠い山並みを見た。

「きれいねえ」娘が言った。「ほんとは白い象みたいには見えないわよね。木立ち越しに見た白い象の肌みたい、って言いたかったの」

「もう一杯、どう?」

「ええ、そうしましょう」

 生暖かな風が吹きつけ、すだれがテーブルをかすめた。

「このビールはうまいな。よく冷えてる」男は言った。

「そうね、おいしい」娘は言った。

「ほんとに、ひどくあっけない手術なんだよ、ジグ」男が言った。「手術とさえ言えないぐらいのものだ」

 娘は地面に目を落として、テーブルの脚を見ていた。

「君だって、気にしてるわけじゃないだろ、ジグ。なんでもないことなんだよ。ちょっと空気を入れるだけさ」

 娘は何も言わなかった。

「一緒に行って、ずっとそばについててやるよ。ちょっと空気を入れて、それでなにもかも完全にもとどおりさ」

「それでどうなるの、わたしたち」

「これからずっとうまくいくさ。前みたいに」

「なんでそんなふうに思えるの?」

「だってほかには何も問題はないだろう? おれたちが困ったことになってるのは、たったひとつ、そのせいなんだから」

 娘はすだれに目をやると、手を伸ばして、そのうちの二本を手に取った。

「で、あなたはわたしたちがこれからも大丈夫で、幸せになれるって思ってるのね」

「わかってるんだよ、幸せになれるって。心配することは何もない。それをやった人はたくさん知ってるんだ」

「わたしだって知ってるわ」娘が言った。「それに、そのあとはみんなとっても幸せになった」

「まあ」男が言った。「いやだったら無理をすることはないんだ。君が望んでもないのにそうしろって言ってるわけじゃない。だけど、ごく簡単なことなんだ」

「で、あなたはそうしてほしいのよね?」

「そうするのがいちばんいいんじゃないか。でも、きみがほんとうはそうしたくないんなら、やってほしくない」

「もしわたしがそれをやったらあなたは幸せになるし、なにもかも前みたいになるし、そうしてわたしのことは、好きでいてくれる?」

「いまだって好きさ。君だってぼくが君のことを愛してることはわかってるだろ?」

「わかってるわ。だけど、それをしたら、また前みたいにいい感じでいられて、もしわたしが何かを白い象みたいだ、って言っても、気に入ってくれる?」

「気に入るさ。いまだって大好きだけど、そういうことを考える気分じゃないんだよ。気にかかることがあるとおれがどういうふうになるか、知ってるだろう」

「わたしがそれをしたら、あなたの気がかりはもうなくなる?」

「もう何もない。おっそろしく簡単なことなんだから」

「じゃ、することにした。わたしはどうなったっていいんだもの」

「どういうことだい?」

「自分のことなんて気にしてないの」

「ぼくは気にしてる」

「あら、そうよね。だけど、わたしは自分がどうなろうが気にしやしない。だからすることにしたし、そしたら何もかもうまくいくんですものね」

「そんなふうに思ってるんだったら、やる必要はない」

 娘は立ち上がると、駅の端まで歩いていった。駅の向こうには麦畑が広がり、エブロ川の土手には木立が続く。川を越え、はるか彼方には山並みがあった。雲の影が麦畑を横切り、娘は木の間から川を眺めた。

「わたしたち、これを全部自分のものにできるのに。全部わたしたちのものにすることだってできるのに、わたしたちときたら、毎日毎日手の届かないものにしてしまってるのね」

「なんだって?」

「なにもかも、わたしたちのものにできるのに、って言ったの」

「なんでもおれたちのものにできるよ」

「そんなことむりよ」

「世界全部をおれたちのものにすることだってできるさ」

「いいえ、できない」

「どこにだって行ける」

「行けないわ。もうわたしたちのものじゃないもの」

「おれたちのものさ」

「そんなことない。一度、手放してしまったら、もう二度と取りもどすことはできないのよ」

「まだ手放してしまったわけじゃない」

「どうなるか見てるしかないのね」

「日陰に戻って来いよ」男が言った。「そんなふうに思っちゃいけない」

「どんなふうにも思ってなんかないわ」娘が言った。「ただ、いろんなことがわかってるだけ」

「君がいやならやってほしくないんだ……」

「わたしのためにならないこともね?」娘は言った。「わかってるわ。ビール、もう一杯飲まない?」

「よし。だけどわかってほしいのは……」

「わかってるわよ」娘は言った。「もう話はやめましょう」

 ふたりはすわってテーブルにつき、娘は峡谷のこちら側、乾いた一帯の向こうに広がる山並みに目をやり、男は娘を見たあとでテーブルに目を落とした。

「わかってくれなくちゃ」彼は言った。「君がいやなら、おれはやらないでほしいんだ。それが君にとって大切なことなら、どんなに大変だろうがよろこんでやり抜くつもりだ」

「あなたにとっても大切なことじゃない? わたしたち、何とかやっていけるかもしれない」

「もちろん、おれにとっても大切だ。だが、君さえいてくれたらいいんだ。ほかにはいらないんだ。それに、まったく簡単なことだっていうこともわかってる」

「そうね。あなたはまったく簡単なことだってわかってるのね」

「なんと言われようと、わかっていることには変わりない」

「あのね、お願いがあるの」

「君のためなら、何だってするさ」

「お願いよ、お願い、お願い、お願いお願いお願いお願い。しゃべるのをやめて」

 彼は口を閉じ、駅の壁ぎわに並べたカバンを見た。カバンにはいくつもステッカーが貼ってあったが、それはどれもふたりがいくつもの夜を過ごしたホテルのものだった。

「やっぱり君にはそんなことはさせられない」彼は言った。「そんなこと、もういいんだ」

「わめくわよ」娘が言った。

 女がすだれをくぐって出てくると、ビールの入ったグラスを水を吸ったフェルトのコースターの上に、それぞれのせた。「あと五分で汽車が来ますよ」と女が言った。

「このひと、なんて言ってるの」娘が尋ねた。

「あと五分で汽車が来るってさ」

 娘は晴れ晴れとした笑顔で、女に向かって、ありがとう、と言った。

「反対側のホームにカバンを運んだほうがいいな」男が言い、娘はにっこりと笑いかけた。

「わかったわ。ビールはあとでこっちに戻ってから飲んじゃいましょう」

 男は重たいカバンを両手にさげ、駅をまわって線路の反対側へ運んだ。線路を見渡しても、汽車の影はない。戻るときは酒場のなかを抜けていったが、汽車を待つ人々が酒を飲んでいた。男はカウンターでアニスを一杯飲み、人々を眺めた。みんな静かに汽車を待っている。彼はすだれをくぐって外へ出た。娘はテーブルの席に腰かけたまま、彼に笑いかけた。

「気分は良くなった?」

「大丈夫よ」娘は答えた。「気分なんてちっとも悪くない。わたしは大丈夫よ」



The End


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初出June 09-10 2007 改訂June 12 2007




善悪ではなく



まず、このごく短い短編に対する二種類の解説をあげてみよう。

 この作品はベイカー(※カーロス・ベイカー)のいう如く、〔利己的な人間の異常性の地獄の如き世界〕( Hemingway, p.141)を描いたものである。…
 この二人の会話の調子が異様である。女が沈黙の苦痛に耐えかねて話題をつくり、男がその話題を破壊してゆく。男はそうした空虚な話題を突きぬけて迫らねばならぬ「問題」があり、女は可能なかぎりその問題を遠ざけねばならない。この気分のくい違った会話は……〔褐色で乾ききっている〕自然の背景と適合して、肉欲の清算であり同時に愛の破滅でもある「堕胎」にむけて着実に進むのである。そして愛の破滅を知った女のヒステリックな絶望の喘ぎとあきらめが、男の異様に執拗なセルフィッシュネスと共に強烈にもりあがってくる。

(瀧川元男『アーネスト・ヘミングウェイ再考』 南雲堂)

「異常性の地獄」であるとか「肉欲の清算」であるとか、ずいぶんおどろおどろしい言葉が並んでいく。この静かな会話の向こうには、そんな行き詰まるような闘争がなされていたのか。それではもうひとつ。

 この五頁ほどの短編小説で興味深いのは、この会話から出発して無数の物語が想像できることである。男は結婚していて、妻に配慮して愛人に堕胎を強制する。男は独身者で、自分の生活を面倒にしないために堕胎を願う。しかしまた、子供が娘にもたらすかもしれない困難を予測して、男が私心なく振る舞っていることもありうる。なんでも想像できるのであって、男はたぶん重病にかかっていて、娘がひとり子供と残されるのを恐れているのかもしれない。子供は娘がアメリカ人と一緒になるために別れた男の子供であり、このアメリカ人は断られた場合には自分自身が父親の役割を引き受ける覚悟をしながら、娘に堕胎をすすめていることさえ想像できる。また娘のほうは? 彼女は愛人の言うことに従って、堕胎に同意したのかもしれない。しかしまた、彼女は率先してそう決めたのだが、期日が近づくにつれて元気をなくし、自分が罪深い女だと感じて、相手というよりむしろ自分の良心に向けた、最後の言葉の抵抗をもう一度おこなっているのかもしれない。じっさい、この会話のかげに隠されている事例は、無限に考えだせるのである。……

 いや、この単純で平凡な会話の背後に隠されているものは、なに一つ明らかではないのだ。どんな男でもこのアメリカ人と同じ文句が口にできるし、どんな女でもこの娘と同じ文句が口にできる。男は女を愛しているにせよ、愛していないにせよ、嘘をついているにせよ、誠実であるにせよ、同じことを言うだろう。まるでこの世の始まり以来、個々の心理とは無関係に、無数のカップルたちによってこのような会話が交されることが待たれていたとでもいうように。

 彼らには決めるべきことがもうなにもないのだから、彼らを道徳的に裁くことはできない。彼らが駅にいるときには、すべてがもう最終的に決められている。彼らはそれ以前に何度も話し合い、議論を重ねたのだ。今や、古い言い争い(古い議論、古いドラマ)がただ漠然と会話の背後に見え隠れするにすぎず、その会話ではなにも言い争われず、言葉はただの言葉にすぎない。

(ミラン・クンデラ『裏切られた遺言』西永良成訳 集英社)

二種類の解説を並べてみると、同じ作品について語っているとは思えないほどに異なっている。どうしてこういうことが起こってしまったのか。それは、この作品が、慎重にこの言葉を使うことは避けられているけれど、堕胎を扱ったものだからだ。

「堕胎」という言葉は、わたしたちに特別の感情的反応を引き起こす。たとえば「利己的な人間の異常性の地獄」などという評価は、はたして作品からきたものなのだろうか。いったいどこから「利己的」が出てきて、いったいどこが「異常」で、いったいどこが「地獄」なのだろうと思ってしまう。クンデラが言うように、この作品はどのようにでも読むことが可能なのである。だが、作品を読む前に、語られなかった言葉、語られないために、よけいに意識させられてしまう言葉から引き起こされる出来事にからめとられてしまうと、作品ではなくて、「堕胎」に対する道徳的な評価に陥ってしまうのだ。

作品を読む読者が考えなければならないのは、「堕胎をどう考えるか」ということではない(いや、考えることは一向にかまわないのだけれど、このヘミングウェイの短編とは何の関係もない)。そうではなくて、どうして「アメリカ人の男」と「娘」(原文では girl が当てられているため、ここでは「娘」と訳した)としか描かれないのか。ふたりの背景を示す手がかりや、性格をうかがわせる手がかりが一切抜け落ちているのはなぜなのか。あえて同じ言葉が繰りかえし、やりとりされるのはどうしてなのか。こうしたことだろう。

クンデラに導かれて、この短編をもういちど読んでみよう。クンデラはこの作品を「一つの状況の、なかんずく会話の視覚的かつ聴覚的な表層をとらえようとしているのである」という。

確かに、わたしたちはどんなに大切な会話であっても、それをそのまま留めておくことはできない。そのときにやりとりされた言葉の抽象的な意味は記憶されていても、それは相手の言葉そのものではないし、その場にしても、とりわけ印象に残ったごくわずかなものでしかない。

わたしたちが実際に誰かと話をする。相手の言葉をすべて記録したとしても、場面をビデオで録画していたとしても、それを見返すことは、現在を再現することにはならない。それを見るわたしたち自身が結末を知っているために、そこから編集して、ふりかえっているためだからだ。またビデオにしても、あらゆるものをすべて記録することは不可能だ。「現在」はたちまちに流れ去るものであり、わたしたちは「現在」という瞬間に、いったい何が生じているのか、知ることはできない。

ドラマや小説での会話は、現実のものではない。そこでは会話の中にさまざまな情報が盛り込まれ(たとえば「ひさしぶりね、前に会ったのは三年前の高校の卒業式以来ね」といった具合に)、行動の意味が会話のなかで明かされる。だが、これは現実の会話では決してみられないものだ。

 ヘミングウェイは現実の対話の構造を把握したのみならず、それから出発して、『白い象のような山々』に見られるような、一つの形式、単純、透明、清澄な、美しい形式を創りだすことができた。

クンデラはこの短編を「対話の旋律化」と呼ぶ。ピアノから始まり、「お願い、お願い…」でピークに達し、そこからピアニシモで収束するひとつの旋律だという。

あくまでもそれはひとつの見方だ。けれども、「堕胎」に関する道徳的な評価を離れることで、わたしたちはここまでひとつの作品を豊かなものとして味わうことができる。わたしたちが決して気づくことができない「会話」のありようを見、人と人の対話で演奏される短い美しい曲を聴くことができる。

堕胎、殺人、自殺、そういうものが作品のなかに描かれると、どうしてもそこで感情的な反応が引き起こされてしまう。とくに堕胎は、法律的には認められている行為であっても、あるいは多胎児の減数手術と同じことであっても、なかなか心情的には受け入れにくい出来事なのである。そこで斉藤美奈子の『妊娠小説』でもあきらかにされたように、おそろしく多くの「堕胎」小説が描かれることになる。それだけでドラマが成立してしまうのである。わたしたちの想像をなぞるがごとく、多くの小説は展開していく。望まない男、それを受け入れながらも傷つく女、諍い、決断……。そうした容易に想像できる筋書きに、この作品も、つい、当てはめてしまうのだ。

ヘミングウェイの「氷山の理論」、描かれるのは七分の一、ということは、残りの六倍の部分はわたしたちの想像に委ねられている。そこにありふれた物語を作ってしまうと、水面に現れた氷山の形も見損なうことがある。

この作品はいかにわたしたちが「善悪」の判断にからめとられやすいか、いったんからめとられてしまうと、逆に物事をどれだけ歪めて見てしまうかをも教えてくれている。



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初出June 09-10 2007 改訂June 12 2007


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