vol.15になったのを機に、更新情報のページのデザインを変えてみました。Web上でもブログが徐々に増えるとともに、そのスタイルが一般的になってきました。テキストページであれば、従来のシンプルなページがいいのでしょうが、「入り口」にあたるようなページでは、ブログみたいなスタイルの方がすっきりしてるかなあ、などと考えたわけです(このページデザインもそうなっています)。相変わらず本文の方は、なんのかんのとごちゃごちゃ言ってますが、見た目くらいはすっきりと、かわいらしくなったかな?
一年ほど前から、ひとつの文章を仕上げるまでに前とはくらべものにならないほどに時間がかかるようになってきました。ちょうど、オーウェルも「なぜわたしは書くのか」の中で言っていて、もちろんオーウェルとわたしでは比較にもならないのですが、それでもこれも書いていく上でのひとつの段階、という意味では同じ状態なのかもしれません。
何ごとか、書いてみたいと思うぐらいの人であれば、それなりに言葉を操ることに長けているはずです。本も読み、自分の体験を言葉にするすべも知っている。けれどもそうした「自分が使える言葉」が尽きる段階は、かならずやってくる。そうしたとき、おそらく人は、自分の言葉のネットワークをいったん崩し、また組み換えていくのだと思います。オーウェルはどうして自分が当時、溢れるほどの文章を、驚くほどのスピードで書いていたかの理由は教えてはくれていないのですが(おそらく彼には当時のことはそれ以上の興味はなかったのでしょう)、少なくともわたしに関して言えるのは、そういう時期を過ぎて、おそらくいまはいろんな意味で「リセット」をしているのだろうと思います。
そういうことで、更新の頻度も落ち、しかも時間をかけて書いた「狐のようで獅子のようで犬のよう」や「感情的?or 理性的?? ――女はほんとうに感情的か」が、読むに足るものかどうかも定かではないのですが。
翻訳はなかなか充実のラインナップです。まずディックの「お父さんのようなもの」は、やたらおもしろがって訳した反面、カポーティの「クリスマスの思い出」の現在形と固有名詞のない登場人物には苦労させられました。グリーンの「パーティの終わりに」は、「闇」を感じることができたでしょうか。サリンジャーは没のニュースを聞いて、初期短篇からひとつ選びました。
・2010-04-08……J.D.サリンジャー「ロイス・タゲットの長いデビュー」
・2010-03-16……「サキ・コレクションvol.7」
・2010-02-18……グレアム・グリーン「パーティの終わりに」
・2010-01-15……ジョージ・オーウェル「なぜわたしは書くのか」
・2009-12-29……「感情的?or 理性的?? ――女はほんとうに感情的か」
・2009-12-15……トルーマン・カポーティ「クリスマスの思い出」
・2009-11-29……「狐のようで獅子のようで犬のよう」
・2009-11-09……フィリップ・K・ディック「お父さんのようなもの」
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