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all my histories


 about this page

ここにはこれまで" What's new "で書いてきた更新情報とついでにひとことを、ヴァージョンごとにまとめています。

初期のころは、「更新しました」というひとこと、そのときあったことや考えていたことぐらいしか書いていないのですが、どういうわけか途中から長文化していきます。
更新情報を書くのは、いつもひとつの記事をアップしたあとですから、記事本文を書いているときとは少し立ち位置がちがう。自分の感想なんかもからめながら、比較的気楽に書いています。
メインのコンテンツを見て、これはどういうことなんだろう、いったい何を考えてこんなことを言うんだろう、何でこんな短篇を訳そうと思ったのだろう……などなど、楽屋裏のあれこれがここにはつまっています。とくに、翻訳ではその作品から少し離れ、別の角度で見ていたりもしますから、もしかしたら読む人の参考になるかもしれません。ひょっとしたら何かが見つかるかも。そう思ってわざわざそのページを見たのに、あまり関係ないことがぐだぐだ書いてあった……てなことになっていたらごめんなさい。ま、つまりそんなページです。

(2010-5-4)


 what's new vol.15(2009.11.9-2010.04-08)

vol.15になったのを機に、更新情報のページのデザインを変えてみました。Web上でもブログが徐々に増えるとともに、そのスタイルが一般的になってきました。テキストページであれば、従来のシンプルなページがいいのでしょうが、「入り口」にあたるようなページでは、ブログみたいなスタイルの方がすっきりしてるかなあ、などと考えたわけです(このページデザインもそうなっています)。相変わらず本文の方は、なんのかんのとごちゃごちゃ言ってますが、見た目くらいはすっきりと、かわいらしくなったかな?

一年ほど前から、ひとつの文章を仕上げるまでに前とはくらべものにならないほどに時間がかかるようになってきました。ちょうど、オーウェルも「なぜわたしは書くのか」の中で言っていて、もちろんオーウェルとわたしでは比較にもならないのですが、それでもこれも書いていく上でのひとつの段階、という意味では同じ状態なのかもしれません。

何ごとか、書いてみたいと思うぐらいの人であれば、それなりに言葉を操ることに長けているはずです。本も読み、自分の体験を言葉にするすべも知っている。けれどもそうした「自分が使える言葉」が尽きる段階は、かならずやってくる。そうしたとき、おそらく人は、自分の言葉のネットワークをいったん崩し、また組み換えていくのだと思います。オーウェルはどうして自分が当時、溢れるほどの文章を、驚くほどのスピードで書いていたかの理由は教えてはくれていないのですが(おそらく彼には当時のことはそれ以上の興味はなかったのでしょう)、少なくともわたしに関して言えるのは、そういう時期を過ぎて、おそらくいまはいろんな意味で「リセット」をしているのだろうと思います。

そういうことで、更新の頻度も落ち、しかも時間をかけて書いた「狐のようで獅子のようで犬のよう」「感情的?or 理性的?? ――女はほんとうに感情的か」が、読むに足るものかどうかも定かではないのですが。

翻訳はなかなか充実のラインナップです。まずディックの「お父さんのようなもの」は、やたらおもしろがって訳した反面、カポーティの「クリスマスの思い出」の現在形と固有名詞のない登場人物には苦労させられました。グリーンの「パーティの終わりに」は、「闇」を感じることができたでしょうか。サリンジャーは没のニュースを聞いて、初期短篇からひとつ選びました。

・2010-04-08……J.D.サリンジャー「ロイス・タゲットの長いデビュー」
・2010-03-16……「サキ・コレクションvol.7」
・2010-02-18……グレアム・グリーン「パーティの終わりに」
・2010-01-15……ジョージ・オーウェル「なぜわたしは書くのか」
・2009-12-29……「感情的?or 理性的?? ――女はほんとうに感情的か」
・2009-12-15……トルーマン・カポーティ「クリスマスの思い出」
・2009-11-29……「狐のようで獅子のようで犬のよう」
・2009-11-09……フィリップ・K・ディック「お父さんのようなもの」


 What's new? ver.14 (2009.3.15 - 2009 10.23)

この時期は、あいだに引っ越しをはさんだのと、新しい仕事を始めたことで、約三ヶ月ほど更新せずにいました。そのあいだも、折々に遊びにきてくださった方、どうもありがとうございました。
なかなかまとまって勉強する時間もとれず、どうしても翻訳が多くはなっていますが、そんな中で、あれこれ本を読みながら少しずつ書いていったのが「半世紀前のやらせが教えてくれること〜TVとわたしたち」です。

そもそもはロバート・シェクリィの短篇「危険の報酬」だったんです。これは1950年代、テレビ黎明期のSFなのですが、そのころからすでに「やらせ」が問題になっていた。「百聞は一見に如かず」「映像は裏切らない」と言われるけれど、ほんとうにそうなのか。わたしたちは未だに「あれはやらせか、そうでないか」と口にしますが、そもそもそんな問題の立て方自体がおかしいのではないか。とまあ、そんなことをあれこれ考えました。

翻訳は、まあ期間が長いということもあるのですが、実に種々様々。でも、いずれもおもしろい作品ばかりです。心配なのは、翻訳がそれを損なっていないか、ということ。気になるところがあったら、どうぞブログにコメントをお寄せください。

・2009-10-23……ロアルド・ダール「幕開けと悲劇的結末 ――ある真実の物語」
・2009-10-16……「半世紀前のやらせが教えてくれること〜TVとわたしたち」
・2009-09-26……シャーリー・ジャクスン「魔女」「なんでもない日に落花生を持って」
・2009-08-30……ロアルド・ダール「女主人」
・2009-08-06……ジョン・チーヴァー「ニューヨーク発五時四十八分」
・2009-07-25……フランク・オコナー「天才」
・2009-04-24……フィリップ・K・ディック「変種第二号」
・2009-03-30……「便利な、不便な話」
・2009-03-15……フラナリー・オコナー「善人はなかなかいない」


 What's new? ver.13 (2008 11.20 - 2009 03.03)

この時期は、一月ぐらいまで、ずっと別の文章を書いていて、ブログの方まで手が回らない、いきおい翻訳も楽しく読めて、あまり頭を悩ませなくてすむ、という基準で作品を選んでいます。
それを書き終えて、鴎外と脚気問題について一度きちんと考えてみたくて、自分なりに調べながら書いていったのが、「鴎外は卑怯だったのか−軍医森林太郎と脚気」です。

鴎外の評伝の多くは、あまり脚気問題のことはふれていない。一方、鴎外から「文学者」という肩書きを切り離し、軍医、というより脚気問題だけ取り上げた文章のなかでは、鴎外は圧倒的に悪役です。

日露戦争時の陸軍で、脚気で多くの兵士が倒れたのは、鴎外が麦飯を認めなかったからだ、という批判は、脚気がどのような病気かを把握し、ビタミンという栄養素の存在を前提とした現在のわたしたちから見た「後出しじゃんけん」に過ぎないのではないか。問題意識の根本にはそれがあります。

ただ、書きながら思ったのは、“鴎外が麦飯を導入していれば、陸軍では多くの兵士が脚気で死ななくてすんだ”という理屈は、そのまま“脚気で死ぬより戦場で戦って死んだ方が良かった”ということに通じるのではないか、ということでした。
極端に言えば、敵を殺して死ぬ方が、病気で死ぬことより「良い」ことなのか。もちろん、軍隊で脚気の蔓延を防ぐことは、「軍医の任務」という観点では非常に重要なことだったでしょう。けれども、歴史的な文脈でこの事態を見るわたしたちは、そのことを不問にしたまま、「軍医の任務」という観点でのみ、鴎外の行為を断罪して良いものなのか。

結局、この文章を書くことは、なんらかの結論を出すというより、わたしのなかでは新たに問題を浮かび上がらせる結果になりました。ここでの更新情報に書いた方向で、今後もまた考えていきたいと思っています。

・2009-03-03……「サキ・コレクションvol.6 〜舌先三寸」
・2009-02-20……「濡れ衣が乾くまで」
・2009-02-03……「鴎外は卑怯だったのか−軍医森林太郎と脚気」
・2009-01-25……ロバート・シェクリィ「危険の報酬」
・2008-12-31……サマセット・モーム「幸せな男」
 「日付のある歌詞カード 〜サイモン&ガーファンクル “マイ・リトル・タウン”」
・2008-12-07……カーソン・マッカラーズ「家庭のジレンマ」
・2008-11-20……チャールズ・バクスター「グリフォン」


 What's new? ver.12 (2008 7.20 - 11.05)

「映画」について何か書きたくて書いてみたのが「三角形で見る映画」です。「英雄物語」に「三角形の構図」を持ち込むとどうなるか、とか、「表の三角形と裏の三角形」とか、もうちょっと整理するといいかもしれない、という感じもします。

これと微妙に関連しているのが「読むこと・聞くこと・思い返すこと」、ずっと映画を見ていて疑問だったんです。原作がある作品の映画化というのは、なんだかえらくスカスカした感じがする。「原作に忠実に映像化した」と謳ってあるものほど、スカスカ観が強い。「百聞は一見に如かず」というけれど、文字で読むこと、映像を観ること、耳で聞くことはそれぞれにちがいがあるのではないか、という問題意識から書いてみました。これも、もうちょっと掘り下げてみたいなあ。

「ここより先、怪物領域」はもうひとつのわたしの関心領域、「身近な倫理」シリーズのひとつです。いまは「モンペア」という省略形(?)もでき、日常語となってきた観のあるモンスター・ペアレントという言葉なんですが、こういうレッテル貼りはすごくよくないんじゃないか、みたいな問題意識がありました。わりと自分では気に入っている文章なんですが(笑)結論がやたら地味で……。

10月はプライベートでまとまった文章を書こうとしていたので、更新頻度も落ち、仕込みの時間がなかったこともあって翻訳が中心になっています。にもかかわらずフォークナーなんかやっちゃって、ああ、これはほんとに苦労した。何か、やってもやっても「当たらない」という感じで。そのぶん、つぎの「グリフォン」はすごく楽しく訳したんですが。え? プライベートの文章? また書き直してます(笑)。

・2008-11-05……ウィリアム・フォークナー「納屋は燃える」
・2008-10-07……「読むこと・聞くこと・思い返すこと」
・2008-09-25……「サキ・コレクションvol.5 〜狼たち」
・2008-09-10……H.G.ウェルズ「魔法の店」
・2008-08-17……キャサリン・マンスフィールド「見知らぬ人」
・2008-08-16……「ここより先、怪物領域」
・2008-08-04……「「あいづち名人」への道」<」
・2008-07-28……エリザベス・ボウエン「悪魔の恋人」
・2008-07-20……「三角形で見る映画」


 What's new? ver.11 (2008 4.08 - 7.06)

こうやってまとめてみると、この時期の関心事項が二種類、「善い−悪い」ということ、そうして「ことばには回収できない「何ものか」」にあった、ということがよくわかります。

翻訳を選ぶのは、ネットで原文テキストが見つかった、とか、楽にブログの更新がやりたい(実は楽に雑に訳してあとで苦労をしているので、結局ちっとも楽をしてないのだけれど)、とかのさまざまな理由があるのですが、やはり自分の関心に沿って選択しているのかもしれません。

いつかやろうと思っていたオーツの「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」を、思い切ってとりあげたのも、そのまえにブログで「石川啄木」について、まとまらないままに書いていたからだったような気がするし、アーノルド・フレンドがやってきた「ことばの外の世界」を考えることから、漠然としていた啄木の「ふるさと」が焦点化してきた。翻訳と、本・作家についてと、身の回りのあれやこれやは、一見ばらばらのように見えても、わたしのなかではつながっているのだなあと思います。

翻訳は、語学のテストを前に焦っている学生だけでなく、普段は外国の作品にあまりふれることのない人にも「こんな作品がある」と知らせる役目は果たしているとは思うのですが、それ以外の文章が、自分の人以外にどれほどの意味を持つものか、よくわからないのですが。

・2008-07-06……フランク・オコナー「わたしのエディプス・コンプレックス」
・2008-06-26……「「がんばれ」の代わりに」
・2008-06-09……「転がる石としてのあたしらの人生」
・2008-06-06……「サキ・コレクション vol.4 ―闘争と人間と」
・2008-05-24……「啄木と言葉のふるさと」
・2008-05-15……ジョイス・キャロル・オーツ「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」
・2008-04-30……「日付のある歌詞カード 〜Porcupine Tree」/「ネット時代のお作法・不作法」
・2008-04-18……ロアルド・ダール「味」
・2008-04-08……「良い人? 悪い人??」


 What's new? ver.10 (2007.12.19.-2008,3.31)

こうやって振り返ってみると、いくつか例外はあるのですが、「貨幣論」を読み出した時期であるということがよくわかります(笑)。

お金というものが経済活動を超えて、わたしたちの関係のありかたまでに影響を及ぼしている。たとえばジェイコブズの「猿の手」は、昔話のパロディなんですが、息子はなんで最初にお金を望むんでしょうか。昔話のように、ソーセージを願ったって、巨大な一物を願ったっていい。なのに、息子はお金を願う。そうして従来では、その願掛けの対象は、ただ願いを叶えるだけですが、「猿の手」は願い事の対価を要求する。昔話では単なる願掛けの対象物(英語ではそういうものを「タリスマン」と呼びます)です。ところが近代の作品である「猿の手」は「タリスマン」などではなく、実質的には「交換の媒介物」となっている。たぶん、それが近代人の発想なんじゃないか。

よくわかっていないことを反映して、もたもたした文章が多いんですが、それも少しずつ整理されて、見通しがよくなっていくんじゃないか、と思います。子供の成長を見守るような目で(笑)見てやってください。

その他、「坐ったままでどうぞ」みたいな、身近なものの移り変わりから、「いま」という時代が見えてこないか(わあ、大袈裟だ、書いてるのはそんな立派なことじゃないんですが)的なものも、できればこれから続けて書いていけたらと思っています。「坐る」とくれば「立つ」、そのうち出てくると思います。

・2008-03-31……「うわさ話の値段」
・2008-03-16……サマセット・モーム「奥地駐在所」
・2008-03-12……「自転車置き場と「正しい」距離」
・2008-02-22……「坐ったままでどうぞ」
・2008-02-17……W.W.ジェイコブズ「猿の手」
・2008-02-07……「有島武郎と共同体と共に生きることと」
・2008-01-13……サキ・コレクション vol.3「お金と人間と」
・2007-12-28……「望遠鏡的博愛」
・2007-12-28……ジョン・スタインベック「菊」


 What's new? ver.9 (2007.09.11.-12.06)

ショーの「夏服の娘たち」のあとにラードナーの「金婚旅行」が来たのは、多少、連想が働いていたともいえなくはないのですが、こうやってみてみるとその前にダールの「天国へ上る道」も夫婦ものです。今こでの翻訳は、期せずして三組の夫婦が並びました。

ダールの描く、夫婦の日常に潜む悪意のカリカチュア、といった具合のフォスター夫妻、明るい秋の日に訪れた決定的な一瞬を切り取ったショーのルーミス夫妻、日常というのは些細なことのおびただしい集積であることを教えてくれるラードナーのチャーリーとルーシー。こうやってみると、夫婦というユニットから、多くのドラマが生まれていることに気づきます。

その他、「嫌っても、嫌われても」は、どちらかというと身辺雑記の延長なんですが、つぎの「怒る人々」に隣接する領域のために、「読みながら考え、考えながら読む」の方に入れています。なんかいよいよこういう分類も意味がなくなってきてるんですが。

・2007-12-06……「怒る人々」
・2007-11-29……「嫌っても、嫌われても」
・2007-11-13……「晩ご飯、何食べた?」
・2007-11-05……リング・ラードナー「金婚旅行」
・2007-10-20……アーウィン・ショー「夏服の娘たち」
・2007-10-13……「横光利一と生のようなレトリック」
・2007-10-05……ジェイムズ・サーバー「たくさんのお月様」
・2007-09-20……ロアルド・ダール「天国へ上る道」
・2007-09-11……「二葉亭四迷と新しいことば」


 What's new? ver.8 (2007.06.13.-08.31)

つなぎの記事から生まれた「文豪に聞いてみよう」というコーナーを設けた時期です。翻訳は長尺ものがふたつあるんですが、記事のほうは比較的小ぶりの、どちらかというと軽めに書いたものが多くなっています。個人的には「あのときわたしが聞いた歌」に愛着があるのですが、他の人が読んでおもしろい内容じゃないだろうなあ、とも思います。「「真似」る話」は、ここからどこかへいくはず、だけど、どこへ行くかがまだわかってない、という感じです。もう少し先が見えたら、また書き直すかもしれません。

・2007-08-31……オルダス・ハクスリー「ジョコンダの微笑」
・2007-08-28……「芥川龍之介と不安」
・2007-08-21……「読む空気、生まれる空気」
・2007-08-05……「中島敦と身体のふしぎ」
・2007-07-29……ロバート・バー「健忘症連盟」
・2007-07-10……「「真似」る話」
・2007-06-22……「あのときわたしが聞いた歌」
・2007-06-13……「白い象のような山並み」


 What's new? ver.7 (2007.03.04.-06.09)

以前から長かった更新情報、というより、「ついでにひとこと」の方が、いよいよ長文化して、ほとんどひとつの読み物と化しています。三月に更新頻度が落ちているのは、体調を崩したのと「ポールの場合」に苦労させられたせいです。

わたしは会話を訳すのは比較的苦にならないし、あるいは「A&P」とか「散髪」とか「亀」などのような一人称体も、老若男女にかかわらず声さえ聞こえてくれば、文体が決まる。ところがこの「ポール」、全編を通じただれともつかない語り手は、どこまでいっても「声」がつかめず、ものすごく苦労しました。「芸術家たち」も苦労したなあ。

・2007-06-09……キャサリン・マンスフィールド「ディル・ピクルス」
・2007-05-31……「鏡よ、鏡」
・2007-05-20……「時間とわたしたち」
・2007-05-15……「サキ コレクション vol.2」
・2007-05-05……「仕事を考える」
・2007-04-26……ロアルド・ダール「番犬に注意」
・2007-04-15……「芸術家たち」
・2007-03-24……ウィラ・キャザー「ポールの場合」
・2007-03-04……「卒業の風景」


 What's new? ver.6 (2006.11.06.-2007.02.24)

この時期は、母が怪我をして入院したりして、個人的にいろいろありました。結構、きつい時期だったはずなんですが、こうやってみてみると、それなりに充実したラインナップ、というと、自画自賛(笑)だな。
「報道の読み方」は、いま読み返すといろいろ不備もあるんですが(消費社会とのつなげ方も雑だし)、「物語」→「事実」→「報道」とひとつの流れになっています。この方向はまた少し別の角度から深めていきたいと思っています。

・2007-02-24……H.G.ウェルズ「水晶の卵」
・2007-02-11……「あなたのなかの「子供」―描かれた子供たち」
・2007-02-05……「信頼ということ」
・2007-01-25……トルーマン・カポーティ「ミリアム」
・2007-01-13……「正月の時間」
・2007-12-30……アーネスト・ヘミングウェイ「殺し屋」
・2007-12-23……「日付のある歌詞カード 〜"Losing It"」
・2007-12-05……カーソン・マッカラーズ『過客』
・2007-11-26……「家のある風景」
・2007-11-14……ロアルド・ダール「羊の殺戮」
・2007-11-06……「報道の読み方」


 What's new? ver.5 (2006.7.05.-10.20.)

だいたい翻訳を一本、本をいろいろ読んで、そこから何かを考えていこうとする記事を一本、本とはあまり関係のない、思い出話やあれやこれや思ったことの記事を一本、というサイクルでやっていこうとしているのですが、ここでは翻訳が三本続いています。翻訳というのはもちろんある程度時間はかかるのですが、とくに、ストーリーがくっきりした話というのは、それほどああだこうだ考えなくてもいい。いろんな参考文献を読まなくてもいい。つまり、このあいだはそういう時期だった、ということなんでしょう(笑)。そうやって、満を持して出てきた?「ものを贈る話」も苦労しました。

・2006-10-20……「あの頃わたしが読んでいた本」
・2006-10-18……「鶏的思考的日常」リニューアルしました
・2006-09-26……「「賭け」する人々」
・2006-09-20……「伴走者として」
・2006-09-06……ロアルド・ダール「南から来た男」
・2006-08-24……「夏休みが長かったころ」
・2006-08-20……「ものを贈る話」
・2006-08-04……リング・ラードナー「散髪」
・2006-07-25……ジェイムズ・サーバー「マクベス殺人事件」
・2006-07-19……ジョン・チーヴァー「泳ぐ人」
・2006-07-07……「何かを書いてみたい人のために」補筆
・2006-07-05……「何かを書いてみたい人のために」


 What's new? ver.4 (2006.3.17.-6.21.)

こうやってまとめてみると、自分なりに力を入れ、本も読み、書き直しに時間をかけたときの更新情報は、燃え尽きた、というか、なんというか、実にたいしたことを書いてません(笑)。あきらかに「つなぎ」の回のほうが、おもしろいことが書いてあります(キンギョとか)。それも、なんだかなあ、ではありますね……。

・2006-06-21……シャーリー・ジャクスン「チャールズ」
・2006-06-16……「「事実」とはなんだろうか」
・2006-06-06……「金魚的日常番外編〜キンギョが病気になった!」
・2006-06-01……「わたしが出会ったミュージシャンたち」
・2006-05-27……アンブローズ・ビアス「月明かりの道」
・2006-05-17……「写真を読むレッスン――アーバスの写真を読んでみよう――」
・2006-05-12……ドロシー・パーカー「電話」
・2006-05-07……「病院で会った人々」
・2006-04-25……リリアン・ヘルマン「ペンティメント――ジュリア」
・2006-04-15……「闇を探す」補筆
・2006-04-06……「闇を探す」
・2006-03-26……ジョン・チーヴァー「とんでもないラジオ」
・2006-03-17……「いっしょにゴハン」


 What's new? ver.3 (2005.12.03-2006.03.15)

このヴァージョンでは、途中から段落の切れ目のつもりで書いていた「音符」が落ちています。ちょうどこの時期、視覚障害をお持ちの方がメールをくださったことが背景にありました。わたしとしては一種のアクセントのつもりで置いている「音符」も、別の方にとっては、ただの「雑音」なのかもしれない。だとしたら、少しでも雑音の少ないページにしよう、と。

だけど、そのときそう思ったことも、これを見るまで忘れてしまってました。またノイズの多いページになっちゃってるかもしれません。そういうこと、忘れないようにここに書いておこう。

・2006-03-15……「「読むこと」を考える」「ものを食べる話」補筆
・2006-03-09……「ものを食べる話」
・2006-03-02……トヴァイアス・ウルフ「雪の中のハンター」
・2006-02-22……「「読むこと」を考える」
・2006-02-10……グレアム・グリーン「八人の見えない日本の紳士たち」
・2006-02-04……「陰陽師的音楽堂」作りました
・2006-01-31……「ヴァレンタインの虐殺」
・2006-01-25……フランク・ストックトン「女か虎か」
・2006-01-16……「英会話教室的日常番外編 〜アズマさん西へ行く」
・2006-01-06……「いくつもの正月」
・2006-01-02……「リリアン・ヘルマン――ともに生きる」補筆
・2005-12-30……「リリアン・ヘルマン――ともに生きる」
・2005-12-22……リリアン・ヘルマン「ペンティメント 〜亀」
・2005-12-13……「'TWAS DA NITE ――クリスマスの思い出」
・2005-12-09……カーソン・マッカラーズ『木・岩・雲』
・2005-12-03……「ほんの動物――わたしたちと「隣人」をめぐるささやかな考察」


 What's new? ver.2 (2005.7.23-11.20)

この時期、まあちょっといろいろありまして(笑)、それを機にサイトに対する取り組みが変わっていきました。ね? 更新の頻度もあがってる。
8月の初めにサイト全体を新しくして、いまのサイトの基礎ができたのもこの時期です。更新情報も少し読み応えが出てきたかな。いまから見るとずいぶんムラがあるんですが。

・2005-11-20……リンチ「仕事 ――葬儀業から見た人間研究――」
・2005-11-17……アクセル・ローズはどこへ行ったんだ?
・2005-11-05……物語をモノガタってみる
・2005-11-03……鶏的思考的日常〜三歩歩けば忘れてしまう日々のあれこれ
・2005-10-22……アンダーソン「ワインズバーグ・オハイオ 第二部」
・2005-10-08……わたし、プロになれますか?
・2005-10-06……アンダーソン「ワインズバーグ・オハイオ」
・2005-09-29……買い物ブギ
・2005-09-24……絵本のたのしみ
・2005-09-17……女であろうが男であろうが
・2005-09-13……フォークナー「乾いた九月」
・2005-09-04……電脳的非日常
・2005-08-31……「It don't mean a thing (If It Ain't Got That Rock)」
・2005-08-24……「『夢十夜』「第三夜」を考える」――
・2005-08-16……「死者とともに生きる」
・2005-08-15……ビアス「アウル・クリーク橋でのできごと」
・2005-08-06……サイトリニューアルしました
・2005-08-02……「暑いときにはコワイ本」
・2005-07-27……「マジカル・ミステリー・ツアーへようこそ」
・2005-07-23……ギルマン「黄色い壁紙」


 What's new? ver.1 (2004.11.24-2005.7.05)

これを見ると、サイトを開設して三週間目に、更新情報のページを始めたことがわかります(自分ではすっかり忘れていた)。このころはまだ記事も少ないし、自分でも何がやりたかったかよくわからないころで、ただサイトが持てるようになってうれしくはあるけれど、どうやって運営したらいいのかもよくわかってない、という感じ。
何か、妙に文章が若いので、恥ずかしいようにも思います。埋めてしまいたいログもありますが(笑)、まあこんな時期もあったということで。

・2005-07-05……「金魚的日常リターンズ 後編」
・2005-07-04……「金魚的日常リターンズ 前編」
・2005-05-29……サキ・コレクション
・2005-05-17……「Coffee, Tea, or Me?」
・2005-04-25……オーウェル「象を撃つ」
・2005-04-24……「英会話教室的日常」
・2005-03-28……「小説のなかの「他者」と現実の「他者」」
・2005-03-18……ウッドハウス「階上の男」
・2005-03-06……「「文学を読む」ことについていまさらながら考えてみる」
・2005-03-02……「英語の詩を読む」
・2005-02-20……「声に出して読むということ」
・2005-02-10……ウォートン「閉ざされたドア」
・2005-01-17……「「私」と「I」の狭間で」
・2005-01-05……「The Working Song」
・2004-12-31……サーバー「ネコマネドリの巣の上で」
・2004-12-23……「この話したっけ」始めました
・2004-12-20……「マッカーシーはいかがですか」
・2004-12-11……「本好きへの100の質問」
・2004-12-05……山の上の火
・2004-12-01……「家族の友人」に苦労しています
・2004-11-27……「金魚的日常」
・2004-11-24……「waht's new」始めました



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