「がんばれ」の代わりに
出会うと同時にこの出会いそのものを
相手に対して必ず表明しなければならないような唯一の存在、
それが人間である。
――エマニュエル・レヴィナス 「存在論は根源的か」
1.最近、「がんばれ」って言いました?
ひと頃はだれもが気軽に「がんばって」だの「がんばれ」だのと言っていたような気がするのだが、近頃ではこのことばもめっきり耳にすることが少なくなった。
当時だって、相手が受験生や試合を控えた選手のような特殊な場合をのぞけば、具体的に何かをがんばってほしいという願いがこめられていたわけではまったくなく、ごく気楽に、まあいろいろあるけどがんばってね、ぐらいの調子で使っていたように思う。
「がんばってください、って英語ではどういうの?」と聞かれることもあった。90年代半ばくらいまでは、映画スターにファンレターを書く子も周囲には少なくなかったのだ。
あなたのなんとかという映画を見て、たちまちファンになりました、あなたの表情はとてもステキで……、と辞書を引き引き本文を書きあげて、さて結びに、これからもがんばってください、と書こうとして、和英辞書を見る。ところがそこに並んでいるのは" hang in there " とか "hold on" とか " try hard " とかで、例文を見ても、どうも微妙にちがうような気がする。そこに踏みとどまれ、とか、何があってもやり抜け、といった、具体的な行為を指すことばではなく、もっと軽い意味合いの「がんばって」はないのか、というわけである。
わたしはたいてい「アメリカ人やイギリス人ってがんばらないから“がんばれ”なんて言葉はないんだよ、だから "Good Luck" くらいでいいんじゃない?」と答えていたのだが、ハリウッド映画にありがちな、お気楽なアメリカ人のイメージのおかげもあって、わたしのこのインチキ臭い説明も、それなりの説得力を持って受け入れられたような気がする。
やがて、この「がんばって」というのは、日本人特有の心的傾向をあらわした言葉である、と主張する外国人に会うようになった。彼はつねづね、現代日本はファシズムの段階は脱したが、未だ民主主義は定着していない段階である、というのが持論で、この「がんばって」という激励も、日本の非民主性を象徴することばだ、と考えているようだった。
曰く、「がんばれ」とはかならず目上の人間から目下の人間に向けて発せられることばである。" Good Luck." にしても、" Bless you." にしても、「がんばって」同様、もはや慣用表現となってしまって、誰も本来の意味に思いを馳せたりはしないが、根本にある、一対一の個人が「相手に祝福を贈る」という性格だけはまだ残っている。だが「がんばって」の根本にあるのは、相手に「励め」「努力せよ」と命じる言葉である。上位の人間が、その力関係を確認する(相手にも確認させる)ために、「がんばれ」と言うのだ、と。
日本がファシズムの段階を脱し、民主主義の途上にある、というのはなんだかおかしいぞ、そのうち丸山真男でも読んで論破してやろう、と思っていたのだが、丸山真男を読まないうちに、その人とも会うことはなくなってしまった。だが「がんばれ」が命令形で、そこに上下関係の意識がこめられている、という指摘には、なるほど、と感心したのだった。
さて、多田道太郎の『しぐさの日本文化』には、「頑張る」ということばが一章を割いて考察されている。同書が書かれた1972年当時、「頑張る」は「多用――いやむしろ乱用といってもよい」状況にあったらしい。
頑張る、とはもともと、我意を固執してゆずらないことである。私たちの記憶では、むかしはこのことば、それほど使われることはなく、使われるとすれば、いささか「悪い意味」においてであった。頑張るというのは、共同体の成員の中で、風変わりな自己を主張することであり、共同体のまとまりのため、具合のわるいことなのであった。……
エゴを主張し、それに執するという「不都合」なことが、何となく好感をもって迎えられ、しだいに日常語のなかで勢威をふるうようになったのは、私の見当では昭和になってから、それもおもにスポーツの世界であった。NHKアナウンサーがオリンピックで「前畑ガンバレ」と思わず絶叫し、その素朴な流露が国民の胸を打って、「頑張る」は市民権を得たのであった。
したがって『広辞苑』に言うような「どこまでも忍耐して」という含意はむしろ乏しく、持てるかぎりのエネルギーを出しつくすという意味で、このことばは、戦中戦後使われてきた。とりわけ戦後、個人主義がほぼ公認のイデオロギーとなると、それとバイタリズムがむすびついて、頑張るということばの隆盛を見るにいたった。
頑張るとは、「自分」が頑張るのである。あえて共同の意識を破ってまでおのれを主張することである。しかし、戦後の慣用語である「おたがいに頑張ろう」とは、みんなが、たがいにはげましあって我をつらぬくということだ。いわば、同調的個人主義とでもいったものだ。……
しかし私たちは、日常このように意識化して「頑張れ」「頑張ろう」といっているわけではない。ただ何となくそのような気分になっている。…社会集団の雰囲気に同調しておのれのエネルギーを出しきろうという気分である。そしてそのことを良しとする無意識の良心の激励である。したがって、新婚のカップルを駅頭におくる若人たちが、つい無意識に「頑張ってきてね」などという。結婚という事業も頑張らなければならないという。これは集団的無意識の表現なのであろうか。
(多田道太郎『しぐさの日本文化』筑摩書房)
引用部最後の、新婚旅行に向かうカップルに向けて言う「頑張って」は、「集団的無意識の表現じゃなくて、意識的に言ってるんだよなあ、多田道太郎は気がついてないみたいだけど」と高校の国語の先生がニヤニヤしながら言い、その手の話にはやたら勘が働いたわたしたちがどっと笑ったのを覚えているので(ついでに「それ、どういうこと?」ときょとんとした顔で聞いてきた後ろの席の女の子のことまで覚えている)、おそらくこの箇所は教科書か試験問題かに採られていたのだろう(それにしても記憶しているのがそういうことだけというのも、えらく情けない話だ)。
例の外国人は「がんばれ」が非民主的なことば、つまり、日本人に個人主義がいまだに定着していないことを象徴する上下関係を強く表すことばであると指摘したのに対し、多田氏はむしろ集団に同調的でありつつ個人主義的なことばであるという。
ともかくここからいえるのは、「がんばる」ということばは
第一に、戦後から1980年代ぐらいまで、日常的に多用されたことばであり、
第二に、日本人特有の心的傾向に密接な関係を持っている、
ということである。では、その意味するところは上下関係の確認か、それとも同調的個人主義の発露なのか。この点をもう少し考えてみたい。
2. あいさつか、激励か
わたしがこのことばを使っていた80年代は、がんばってね、というのは、別れのあいさつにかぎられていたといってもいい。駅で友だちと話している。電車がくるというアナウンスが聞こえてきて、「もう行かなきゃ。じゃ、また明日ね、××(さきほどまでに話題にしていたこと)、がんばってね〜」という具合に。
帰り際に出くわした友だちに言うのは、「じゃあね」とか「バイバイ」、先生には「失礼します」、そうしてそれまで一緒に過ごした友だちと別れるときに「じゃ、がんばってね」。多田氏が「同調的個人主義」と呼ぶ「おたがいにがんばろう」というのは、なんとなく堅い、古くさいことばに思えて、めったに使わなかったように思う。
そう感じていたのは、なにもわたしに限っていたことではないはずだ。1985年から1991年にかけて連載されていた小林まことのマンガ『柔道部物語』では、ひょんなことから柔道部に入った高校一年の三五(さんご)が、ガールフレンドのひろみに夏休みに暑中ハガキを書く、その末尾のことばが「おたがいにがんばろう」なのである。毎日毎日柔道の練習に明け暮れる三五に対して、ひろみは海に行って真っ黒に日焼けして遊んでいる。柔道部といい、暑中はがきといい、華やかな当時の風潮とずれている三五らしいことばだったのだ。
あいさつではないほう、叱咤激励の「がんばれ」は、親や先生から毎日のように言われていた。もっとがんばれ、がんばればできるはずだ、もうひとがんばりが必要だな……。多田氏のことばを借りると「持てるかぎりのエネルギーを出しつくせ」と叱咤激励されていたわけだ。自分でも、もっとがんばらなきゃダメだ、と思っていた(思うだけだったような気がするが)が、当時のわたしがほかの人に向けて使った記憶はほとんどない。つまり、子供であり生徒である当時のわたしが、だれかを叱咤激励するような機会などなかったということだ。たまに友だちのなかに「わたしなんてどうせやってもだめだから……」などと言い出す子がでてくると、「そんなこと言わないで、一緒にがんばろうよ」と、少し言い方を変えていた。
逆に、おとなになってみれば、この用法で使う機会はぐっと増えた。おそらく職場や学校、家庭などで人を指導する立場にまわった人は、かならずといっていいほど「がんばれ」と言っているはずだ。やればできるはずなのに真剣に取り組もうとしない相手、まじめさや熱意に欠ける相手に対して、奮起をうながそうとするときに、このことばは実に便利なのである。効果があるかどうかはともかくとして。
指導する、教える、技術を伝達する、何かをできるようにしてやる。これは日本、外国にかかわらず、上下関係にもとづく。教育する側は権威を持って、教育される側に自分の無能を自覚させ、その状態を脱するようにうながすのだから、ここには「対等」も「自由」も入り込む余地はない。その意味で、このことばに上下関係の含意があるのは当然だし、そういう状況で発せられる "Hang in there!"(耐え抜け、踏みとどまれ、がんばれ)は、たとえ民主主義が行き渡った国であろうと(そういう国があると仮定して)、上下の力関係を背景に発せられているはずだ。
こう考えてみると、叱咤激励の「がんばれ」は、日本人の心的傾向とは無関係に、本来的に命令形なのである。それを「がんばれ」→「がんばって」→「一緒にがんばろう」と状況に応じて、直接的な命令を穏やかなかたちに変えていき、同時に、どちらが上でどちらが下、という力関係も、あからさまでないものにしていく。相手と状況に応じて細やかに変えていくのは日本的な感覚かもしれないが、外国でも程度や気遣いや表現に差があるにせよ、やはり同じ傾向が見られるはずだ。そうしてこの用法に限っては、おそらくいまもほとんど変わらず使用されているだろう。
となると、変わっていったのはあいさつとしての「がんばる」の方だ。「がんばってね」と深く考えることもなく気軽に口にしていた当時のわたしたちの背景には、いったいどんな思いがあったのだろう。
たとえば社長が社員に向かって、別れ際、特に深い意味もなく「がんばってくれたまえ」と言う。ここには確かに上下関係の確認の意味が見てとれる。倒産の危機でもないかぎり、あるいはその会社がマスコミにたたかれて社長が四面楚歌にでもなっていないかぎり、社員が「社長、がんばってください」とは言わないだろう。
だが、対等な関係、たとえばおしゃべりを楽しんだふたりが別れ際に「じゃあ、がんばってね」と深い意味もなく相手に告げる。それは、多田氏のいう「社会集団の雰囲気に同調しておのれのエネルギーを出しきろうという気分」「そのことを良しとする無意識の良心の激励である」ということよりもむしろ、いまここで別れても、あなたのことを応援しているからね、離れている間もあなたのことを気にかけているからね、という含意があったように思うのだ。
つまり、このことばを日常的な別れのあいさつにしていた当時、相手のことを気にかけていることと、相手を応援していることは、ほとんど同義であったといえる。
だが、この用法での「がんばってね」は、あるときを境に姿を消したのだ。その「あるとき」というのを、大胆に推測してしまおう。おそらくそれは阪神大震災だ。「前畑がんばれ」が「がんばれ」ということばを日本人に広く受け入れさせるきっかけとなったのだとしたら、阪神大震災は「がんばれ」ということばの否定的側面を浮き彫りにしてみせたのだ。
3. 「がんばろう、神戸」
1995年の阪神淡路大震災のあと、その年とつぎの年、オリックス・ブルーウェイブのユニフォームの袖口に、「がんばろうKOBE」のロゴが縫い取られていた。
これは球場や球団も被災したオリックス・ブルーウェイブの、95年、96年のキャッチフレーズである。
一時は神戸での試合開催は不可能かとも言われた。しかし球団を挙げて被災地復興の一躍を担いたいという強い思いのもと、神戸でのペナントレース実施に踏み切った。準備不足が懸念されたが「がんばろうKOBE」を合言葉に戦いを挑むチームは目の色が違った。
だが、このことばはプロ野球チームのキャッチフレーズを超えて、日本中に広く受け入れられていたような印象がある。未曾有の災害をTVを通じて目の当たりにした多くの人びとは、たとえ神戸に住んでいなくても、直接に被災したわけではなくても、ボランティアや義援金などを通じて、できるだけの手助けをしたい、という気持ちを強く持っていたはずだ。だから、「がんばれ」ではなく、一緒に「がんばろう」なのだ、「がんばろう神戸」なのだという意識があったはずだ。
あえて一般的な「がんばれ」ではなく、あまり使われなくなっていた「がんばろう」を掘り起こしたのは、「がんばれ」ということばの否定的側面が意識されたからだろう。「がんばれ」と被災地の人にばかりがんばることを押しつけているじゃないか、と。対岸の火事の意識ではないのか、と。
だが、先にもあげたように、かつて「がんばれ」ということばには、わたしはあなたのことを気にかけているからね、応援しているからね、というニュアンスがあったはずだ。それを口にする「わたし」も当然、「がんばる」ことが前提となっている。だから、この意味で神戸以外に在住している人が「がんばれ神戸」「がんばれ淡路」と言っても、まったく問題はなかったはずなのである。ところが「がんばれ神戸」という声が聞かれることはなかった。おそらくこの阪神大震災のころ、相手のことを気にかけることと応援することは、もはや同じことではなくなっていたのだ。
かくしてオリックス・ブルーウェイブが優勝し、神戸の街も表面的には復興して、そのキャッチフレーズも取り下げられると、「がんばろう」ということばも一緒に消えてしまった。あとに「がんばれ」ということばの持つ否定的な印象だけを残して。
もうひとつ、このころから、精神的な不調で治療やカウンセリングを受けることが、特別なことではなくなったことと無縁ではないだろう。
阪神大震災があり、地下鉄サリン事件があり、その後一連のオウム真理教の騒ぎがあり、あわただしかった報道が一応の収束を見たころにしきりに耳にしたのは「癒し」ということばだった。「癒しブーム」「癒し系」などという派生語も生んだが、基本は「自分が癒されたい」ということだ。
「癒されたい」と実際に願っていた人がどれだけいたのかはよくわからないのだが、当時確かに、病気とまではいかないけれど、疲労がたまり、精神的にもなんとなく不調である、といった気分は、広く蔓延していたような気がする。商業ベースの「癒しブーム」は一過性のものとして過ぎ去ったが、その頃から人びとは自分の精神の状態に、従来なかったほど注意を払うようになったのではあるまいか。おそらく鬱症状を抱える人が増えたのではなく、以前は意識されなかった不調に病名がつき、治療の対象になった。その結果、鬱病やそれに類する症状を抱える人が、以前とは比べものにならないほど増えたのである。
やがて「鬱の人に『がんばれ』ということばは禁句だ」ということが定着するようになる。がんばりすぎて鬱になったのだ、それをさらに追い込むことをしてはいけない、というのである。こうして「がんばる」ということばの否定的な風潮はいよいよ強まってくる。
2003年には「教えてgoo」に「「頑張れ」はもう嫌だ。」というタイトルで、「頑張れ」に代わることばを探してほしい、という質問が出ている。
友達などを励ましたりしたいとき、ついつい「頑張れ」などと言ってしまうのですが、「頑張れ」ってあまりにも使い過ぎて、何だかただの社交辞礼のように思えるのです。
もっと別の言葉をあげようと色々考えるのですが、なかなか良いのは思いつかないし、やっぱり「頑張れ」は便利いい。結局また「頑張れ」を使ってしまうのです。それが最近ほんとに嫌で。
質問者はことばが乱用された結果、もはや意味を持たなくなった、と指摘しているのに対して、回答者の側は、このことばに否定的な印象を持っている、すなわち、このことばから否定的な「意味」を受けとっている。そうした人びとは、一様に「がんばりすぎないこと」や、共感・同意を示すことを主張している。この点が興味深い。
確かに「がんばれ」という激励は、いまの相手を否定し、そこからの成長・飛躍をうながすことばである。それをわたしは応援している、というわけだ。ところがいつのまにかわたしたちはそういうことを「失礼」「冷たい」と感じるようになっていた。だから今度は否定ではなく、理解や共感、同意を示そう、というのである。
これは一見寛容にも見えるのだが、ほんとうにそうなんだろうか。むしろきわめて個人主義的な発想とはいえないか。というか、むしろ個人主義が行き着くところまでいってしまった、というべきか。
がんばれ、ということばに、応援するわたしもがんばるから、という思いがこめられていたように、あなたはあなたのままでいい、がんばらなくていい、と言うのは、実のところ、わたしはわたし、そのままで変わるつもりはないから、このままわたしを受け入れて、という思いがこめられているように思うのだ。「がんばらなくていい」と言ってくれるのはおおいに結構だが、何もがんばらないあなたは、その間いったい何をしているわけ? と聞いてみたくなるわたしは、おそらく時代に取り残されている。
もちろん鬱状態にある人が、「がんばって」と言われることを苦しく思うのは、なんとなくわかるような気がする。それは、追い込まれるというのとは少しちがうかもしれない。
それまで親身になって自分の話を聞いてくれていた人が、別れ際、てのひらを返したように「じゃ、がんばって」と言ったとする。そう言われた方は「あとはあなたひとりでやりなさい」と突き放されたように感じて、精神状態によっては、かなりきつく感じられるはずだ。
逆に、それまでしんどい話を聞かされた側も、「がんばって」を言うとき、どこかで「やれやれ、これでこの話から解放される」と思っているのかもしれないのだ。他人のしんどい話を聞かされる側もやはりしんどいものだ。しんどい気分は伝播するし、聞く方も、どうしても巻き込まれてしまう。そういうとき、どれだけ親身になって聞いてあげていた人でも、どこかでそこから離れられることを喜んでしまっても、それはだれにも責められないように思う。そういうとき、つきはなす気持ちはなくても、ごく軽い調子で「じゃ、がんばって」と言ったとしたら、相手には、意図以上のショックを与えることになるのかもしれない。
どうやらこの「がんばって」は、もはや無意識に言ったり聞いたりできないことばになってしまったようだ。気軽なあいさつがわりのことばから、取り扱いに注意を要することばへと昇格(降格?)してしまったらしい。「がんばれ」に変わる、気軽で半ば無意識に使えることばをそろそろ探した方が良さそうだ。
4.さよならは別れのことばじゃなくて……
『しぐさの日本文化』の「頑張る」の章には、あいさつにまつわるこんなエピソードが紹介されている。
…ブルターニュの寒村では一老人が「近ごろの若いもんはボン・ジュール(こんにちは)も言わない」と嘆いていた。私は「ここでもまた」という微笑を禁じえなかった。
「ここでもまた」というのは、あいさつをしなくなったという傾向が、当時ですら世界的なものとして見られていたということだろう。それから三十五年がすぎて気がつくのは、「若いもんはこんにちはも言わない」とかつて嘆いていた年代の人びとが、実際に「こんにちは」すら言わなくなっている現状だ。実際、わたしの周囲では、何度か顔を合わして同じ集合住宅に住んでいることがわかっている七十代の人と、たとえエレヴェーターで一緒になっても、あいさつどころか目礼さえ交わさない。交わさなくてすむように、あらかじめそっぽを向いている人が少なくない。
だが、どれだけそうしたあいさつがなおざりにされるようになっても、親しい相手と会ったとき、あいさつをしない人はいないだろう。さらに、ともに過ごした相手と別れるときに、別れのあいさつをせずにその場を去る人は、おそらくいないにちがいない。人は未来永劫(というとおおげさだが)親しい相手と別れ際に、何らかのことばを発してそこを去るはずだ。
以前「バイバイ」と人から言われると泣き出すという子がいた。一歳前ぐらいではなかったかと思う。とにかく、「バイバイ」というと、その人はいなくなってしまう。だから、その子は寂しくなって、泣き出してしまうのだ。
「だからウチの子にバイバイは禁句なの」と、お母さんは苦笑しながらそう言っていたが、そのぐらいでも因果関係という考え方はするのだなあ、と思ったものだった。
また別の子で、もう少し大きい、四歳ぐらいの子だったが、その子の家に行って、一緒に遊んでやって、帰り際に片づけようとすると、その子のお母さんが大慌てで「片づけなくていいの」と言う。お客さんが片づけ始めると寂しくなって、その子は泣いて暴れるのだそうだ。お客さんだって帰らなくてはならない、ということは理解していても、帰る態勢に入っていくのを見るのがつらいらしい。だから、いきなり帰ってくれ、と頼まれたのだった。
自分の前から人がいなくなろうとするのを見るのがつらい、寂しい、という気持ちはよくわかる。さすがにわたしたちは、それで泣いたり暴れたりはしないし、一緒に楽しいひとときを過ごして、名残惜しい、寂しいという気持ちはあっても、いまはお互い気持ちよく別れ、またつぎに会うときを楽しみにする、というふうに気持ちを持っていこうとする。だからその思いをことばに託すのである。
「がんばれ」を聞かなくなったよりもっと前から、「さようなら」ということばはわたしたちの周りから影の薄いものになっていった。気がつけば、親しい相手から「さようなら」などと言われると、思わず「どうしたの?」と聞き返したくなるような、よそよそしい、改まった印象を受けるようになったのだ。
わたしがこのことばを使うのは、集合住宅のエレヴェーターで「お先に」と降りていく人に向かっていうときぐらいかもしれない。親しい人には、そんな言い方はしないし、職場などでは「失礼します」を使う。ゆるい、薄い結びつきの人に対して使うのが適当なことばであるように思う。
敬愛する太宰の後を追うように、その墓の前で自殺した田中英光は、遺稿ともなった「さようなら」でこう書いている。
「グッドバイ」「オォルボァル」「アヂュウ」「アウフビタゼエヘン」「ツァイチェン」「アロハ」等々――。
右はすべて外国語の「さようなら」だが、その何れにも(また逢う日まで)とか(神が汝の為にあれ)との祈りや願いを同時に意味し、日本の「さようなら」のもつ諦観的な語感とは比較にならぬほど人間臭いし明るくもある。「さようなら」とは、さようならなくてはならぬ故、お別れしますというだけの、敗北的な無常観に貫ぬかれた、いかにもあっさり死の世界を選ぶ、いままでの日本人らしい袂別な言葉だ。
「人生足別離」とは唐詩選の一句。それを井伏さんが、「サヨナラダケガ人生ダ」と訳し、太宰さんが絶筆、「グッドバイ」の解題に、この原句と訳を引用し、(誠に人間、相見る束の間の喜びは短かく、薄く、別離の傷心のみ長く深い、人間は常に惜別の情にのみ生きているといっても過言ではあるまい)といった意味を述べていたと思うが、「さようなら」の空しく白々しい語感には、惜別の二字が意味するだけのヒュウマニテも感じられぬ。
「敗北的な無常観」とまで言えるかどうかはともかく、そうして「サヨナラダケガ人生ダ」の訳にも確かに魅力はあるのだが、日々繰り返す出会いと別れのなかで、「さようならなくてはならぬ故、お別れします」というのは、親しい仲にはいささか冷たく、大仰であるように思う。何かもう少しちがう言い方があってもいいような気がするのだ。
いまでは「がんばって」の代わりに、どう言うのが一般的なのかどうかはよくわからないのだが、やはり別れ際には「これが最後じゃないんだよ、いまは離れるかもしれないけど、また会えるんだよ」というニュアンスをどこかで残したいものだ。また会える→それまでお互い、元気でいようね、あなたのことは心にいつもとどめておくからね……そういうことが、相手に祝福を贈ることにも通じていくのではあるまいか。
だから、別れ際には、わたしはこんなふうに言うことにしている。
ささやかな祝福を感じ取ってください。
じゃ、また。
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