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雪の中のハンター

トバイアス・ウルフ


(※Tobaias Wolfe の短編"Hunters in the Snow"の翻訳をしています。
原文はhttp://www.classicshorts.com/stories/huntsnow.htmlで読むことができます。)



* * *

 降り続く雪の中、タブは一時間も待っていた。暖を取ろうと歩道を行ったり来たりしながら、ヘッドライトが近づくたびに、首を伸ばしてみる。気がついて車を止めた運転手もいたが、タブが手を振ろうとする前に、背中のライフルに気がついて、またアクセルを踏んだ。凍った道でタイヤがスピンしている。雪はいっそう激しくなった。タブは建物のひさしの下に移った。道の向こうには、白々とした雲が屋根のすぐ上までたれ込めている。タブはライフルを別の肩にかけかえた。雪の白さが空一面をおおう。

 警笛とともにトラックが、車体を傾かせてスライドしながら角を曲がってきた。タブは歩道まで出て、手を挙げた。縁石にのりあげてはねあがったトラックは、片輪を歩道に乗せたまま近づいてくる。スピードを緩めることさえしない。片手をあげたまま立ちつくしたタブは、つぎの瞬間、後ろへ飛びすさった。肩からすべりおちたライフルが、凍った歩道に当たって硬い音をたて、サンドウィッチがポケットから飛び出した。タブは建物の階段まで逃げる。もうひとつのサンドウィッチとクッキーの包みも、積もったばかりの雪の上に散らばった。階段の上まで逃げたタブは、そこで振り返った。

 トラックはタブがさっきまで立っていた位置から、ほんの数メートル先で止まっている。サンドウィッチとクッキーを拾い上げ、ライフルを肩にかけると、運転席の窓のところへ近寄っていった。運転していた男は、ハンドルにもたれかかって、膝をぴしゃぴしゃたたきながら足を踏みならしている。アニメの登場人物のような仕草で大笑いしながら、これだけはアニメらしくない目つきで、隣に座っている男を見た。「いまの見たか? 帽子をかぶったビーチボールってとこだったな? フランクよぉ」

隣の男は少し笑ったが、目はあらぬほうに向けたままだった。

「もうちょっとでひかれるところだったんだぞ。おまえに殺されかけたんだ」

「おいおい、タブ」運転手の隣の男がいった。「そうカリカリするなよ。ケニーがちょっとふざけただけじゃないか」そういって、ドアをあけると、身体を真ん中にずらした。

 タブはライフルの遊底を抜いて、トラックの座席によじのぼった。「一時間も待ってたんだ。十時に来るつもりなら、なんでそう言わない?」

「タブ、おれたちがここに来てから、おまえはずっと文句をいいっぱなしだ」真ん中の男がいった。「一日中腹を立てたまま、ブツブツいいたいんなら、家へ帰っておまえんとこのガキ相手にやってくれ。さぁ、どっちにする?」タブが答えないので、今度は運転手に向かっていった。「よし、ケニー、行こうぜ」

 どこかの悪ガキが運転席側のフロントガラスに煉瓦をぶつけたので、冷気と雪がその穴からまともに吹きつける。ヒーターはかからない。みんなケニーが持ってきた毛布を何枚も身体に巻きつけ、帽子の耳当てを下におろした。タブが手を暖めようと毛布の下でこすりあわせるのを、フランクがやめさせた。

 トラックはスポーケンを出て、黒い線となってつづく境界の柵に沿って、人里離れた場所に進んでいった。雪は止んだが、依然として空と大地の境目は判然としないままだ。雪原に動く影はない。冷気のために、だれの顔も血の気が失せ、ほほから上唇にそって無精ひげが浮き上がって見えた。途中で二度休憩をとってコーヒーを飲み、森にさしかかったところで、ケニーがここで狩りをしようといった。

 タブは別の場所のほうがいい、といった。ここでは二年つづけてあちこち行ってみたものの、獲物一匹、見つけることができなかったからだ。フランクは、あのおんぼろトラックから降りることさえできれば、どちらでもいいらしかった。「感じるんだ」そういうとドアをバタンと閉めた。脚を開いて目を閉じ、背中を反らして深呼吸する。「生き物の気配を嗅ぎつけるんだ」

「なによりも」とケニーがいった。「ここは許可区域だ。まわりのほとんどが禁猟区域なのに」

「寒いな」タブがいった。

フランクは息を吐き出した。「不平はよせ、タブ。集中するんだ」

「不平なんていってない」

「集中だとさ」ケニーがいった。「おつぎは寝間着に着替えるか、フランク。空港の花は完売したしな」

「ケニー」フランクがとがめた。「おしゃべりが過ぎるぞ」

「わかったよ。もうなにもいわない。ベビーシッターがどうしたなんて話はしないからさ」

「ベビーシッターがなんだって?」タブが聞いた。

「こっちのことだ」フランクはケニーから目を離さず答えた。「その話はするな。口を閉じてろ」

ケニーは笑った。

「おまえが頼んだからだ」フランクがいった。

「頼んだ、ってなにを?」

「わかってるだろう」

「おい」タブが割り込んだ。「おれたちは狩りに来たんじゃなかったのか?」

 三人は雪原を横切っていった。タブが柵をくぐり抜けようとしてひっかかる。フランクとケニーは、手を貸してやろうと思えば、針金のてっぺんを持ち上げ、底を踏みつけてやることもできた。だが、それをせず、突っ立って見ているだけだった。柵は何カ所もあって、森へつくころには、タブは息をあえがせていた。

 そこで二時間以上も鹿を探したが、姿はおろか、足跡や痕跡すら残っていない。いったん小川のほとりで昼食をとることにした。ケニーはピザを数切れと、チョコレート・バーを二本食べ、フランクはサンドウィッチ、リンゴ、ニンジンを二本と板チョコを食べた。タブが食べたのは固ゆで卵がひとつと、セロリ一本だった。

「まったく死んじまいたいような気分だぜ」ケニーがいった。「おれを火あぶりにしてくれよ」それからタブの方を向いた。「まだダイエットしてるのか?」そういいながらフランクに向かってウィンクした。

「じゃなきゃなんだっていうんだ。おれがゆで卵が好きだとも?」

「おれがいいたいのは、ゆで卵で太るなんていうダイエットを聞いたのは初めてだ、ってことさ」

「おれが太っただって?」

「そりゃすまなかったな。訂正するよ。おれの目の前でどんどん痩せていってる。そうじゃないか、フランク」

 フランクはテーブル代わりの切り株に、指先を開いてのせていた。手の甲が毛深い。大ぶりの結婚指輪のほかに、右の小指に金色の指輪をはめていたが、平らな表面に刻まれたFの文字がダイヤのように光っていた。フランクはその指輪をつまんで左右に回した。「タブ、おまえは自分のタマなんて、もう十年がとこ、見たことはないだろう」

 ケニーは身体を折って笑い、脱いだ帽子で脚をたたいた。

「じゃ、どうしろっていうんだ。甲状腺のせいなんだぞ」

 三人は森を出ると、小川に沿って獲物を捜すことにした。フランクとケニーは一方の川縁から、タブは反対側の川縁から、一帯を捜索しつつ上流に向かって移動する。雪は軽かったが吹きだまりは深く、そのなかを進むのは大変だった。どこまでいってもなだらかな雪面が広がるばかりで、踏み荒らした跡もなく、じきにタブは飽きてしまった。足跡を探すのをやめて、反対側のフランクとケニーに追いつくことにした。気がつくと、もうずいぶんふたりの姿を見ていない。弱い風が後ろから吹いてくる。風が止まると、ときおりケニーの笑い声が聞こえたが、それだけだった。タブは急ぎ足になって、吹きだまりをかきわけ、肘と膝でけんめいに雪をかき分けながら進んだ。心臓がドクドクいい、頬が紅潮したが、それでも足を止めなかった。

 川の蛇行しているところでフランクとケニーに追いついた。ふたりは両岸に渡した丸太の上に立っている。丸太の裏側はつららが下がっていた。凍った葦は突っ立ったまま、風が吹いても、ろくにそよぐこともなかった。

「何か見つけたか?」フランクが聞いた。

 タブは首を振った。

 日が翳ってきたので、三人は道まで引き返すことにした。フランクとケニーは丸木橋を渡って、タブがかきわけた道を通って一緒に下流へ向かった。じきにケニーが立ち止まった。「見ろよ」指さした先には、小川から森へ戻っていった足跡がある。タブの足跡はちょうどその上を横切っていた。川縁のその場所に残されていたのは、まぎれもなく、鹿のフンだった。「タブ、ありゃなんだ?」ケニーはフンを蹴飛ばした。「バニラアイシングに乗っかったクルミか?」

「気がつかなかった」

ケニーはフランクを見た。

「はぐれたと思ったんだ」

「はぐれたのか。そりゃ大変だ」

 三人は足跡を追って森に入っていった。鹿は吹きだまりの雪に半ば埋もれた柵を越えていた。「狩猟禁止」の札が杭のてっぺんに打ち付けてある。フランクは、あの野郎、字が読めるらしい、と笑った。ケニーはそのあとを追いかけたがったが、フランクはやめておけ、と止めた。ここらの人間だってやっかいごとはゴメンだろうよ。おそらくこの土地の持ち主は、頼んだらここで狩りをさせてくれるかもしれない。ケニーは、そりゃどうだかな、とはいったものの、トラックの場所まで戻って、車で道を上ってそこからここまで来ようと思えば、日も翳っていることは、ケニーにもよくわかっていた。

「落ち着けよ」とフランクがいった。「自然を相手にせき立てたところで、無理なはなしだ。捕まえられるときには、捕まえられるだろうし、無理なときは無理なんだ」

 三人はトラックに戻ることにした。森のそのあたりに生えているのはほとんどが松の木だった。陰になった雪は表面が凍っている。ケニーとフランクが通るときは持ちこたえていた雪も、タブのところでどさっと落ちてくる。脚を蹴り出すと、凍った縁でむこうずねを打った。ケニーとフランクははるか先へ行ってしまい、声さえ聞こえない。タブは切り株に腰を下ろして、顔をぬぐった。サンドイッチをふたつとも平らげ、クッキーも半分腹に納めてひとやすみした。あたりは静まりかえっている。やっと最後の柵にたどりついたタブが、ガマのようにはいつくばってくぐり抜けていると、トラックが動き出した。そのためにタブは駆け出さなければならず、やっとのことで尾板につかまると、トラックによじのぼった。そのまま荷台に横になってあえいだ。ケニーは後部席の窓をのぞいて、ニヤッと笑った。タブは凍りつきそうな風をよけようと、座席の下にもぐりこんだ。耳当てを引っ張りおろし、あごをコートの襟元に埋める。窓をたたく音がしても、そちらを見ようとはしなかった。

 タブとフランクはケニーが農場主の家に狩りの許可を求めに行っているあいだ、外で待っていた。古い家で、はがれたペンキが丸まっている。煙突のてっぺんから出た煙は西にたなびき、薄い灰色の羽毛のように、ふわふわと漂っていた。盛り上がった丘の真上に、青みを帯びた雲が同じように盛り上がっている。

「ずいぶん記憶力が落ちたもんだな」とタブがいった。

「なんだって?」フランクはあらぬ方に目をやったまま聞き返した。

「いつだっておまえの味方をしてやったのに」

「ああ。おまえはいつでも味方してくれた。で、何が気にくわないんだ」

「あんなふうにおれを残して行ってしまうことはなかった」

「タブ、おまえは大人だ。自分の面倒ぐらい、自分で見られるだろ。ともかくおまえは問題を抱えているのは自分だけだと思っているかもしれないが、それはちがう」

「フランク、どうかしたのか?」

 フランクは雪のなかからつきだしている枝を蹴った。「気にするな」

「ケニーがいっていたベビーシッターのことか?」

「まったくケニーはしゃべりすぎる。おまえは自分の頭の上のハエを追ってりゃいい」

 家から出てきたケニーは、うまくいった、と親指を上に向けた。それから三人はふたたび森に向かった。納屋の脇を歩いていると、鼻面だけが灰色の、黒い大きな犬が飛び出して、三人に向かってほえたてた。ひと声ほえるたびにじりじりと後退して、まるで大砲の反動を見るようだ。ケニーが四つんばいになってほえ返すと、犬はしっぽを巻いて逃げ戻り、その途中、肩越しに振り返ってちょっとおしっこをした。

「あいつは年寄りだな」とフランクがいった。「老いぼれ犬さ。どう考えても15歳は越えている」

「すんげえ老いぼれだな」ケニーがいった。

 納屋を越えて三人は雪原を横切っていった。あたりには柵もなく、地面は堅く凍結していて、思ったよりも早く歩くことができた。ふたたび足跡が見つかるまでは雪原の縁を行くことにして、丘の方へ引き返していった。次第に濃くなる闇のなかで、木々の影はぼやけ、強くなってきた風に吹き上げられた雪片が顔を刺す。とうとう最後まで足跡は見つからなかった。

 ケニーは悪態をつくと帽子をかなぐり捨てた。「こんなひでえ狩りはは初めてだぜ、まったく」もういちど帽子を拾って雪をはらう。「鹿を撃ち損なった十五のときからこっち、こんなにひどいシーズンはなかったぞ」

「問題は鹿じゃない」フランクが訂正した。「これが狩りっていうもんだ。これもみなここのエネルギーがそうなってるからだし、おれたちはそれに従うしかないんだよ」

「おまえはそうすりゃいいさ」ケニーが言い返す。「おれがここに来たのは、鹿を仕留めるためで、ヒッピーくずれのゴタクを聞くためじゃねえ。捕まえられなかったからこそ、足跡を追いかけてここまで来たんだろうが」

「もういい」フランクがいった。

「どっちにしろおまえは――おまえの頭ン中はあのケツの青いガキのことでいっぱいで、鹿に出くわしたってそれどころじゃないんだろうがな」

「くたばれ」フランクは背を向けた。

 ケニーとタブはフランクに続いて、雪原を横切って戻った。納屋の近くまで来ると、ケニーが立ち止まって指さした。「あのポストが気にくわねえ」そういってライフルを構えると、発砲した。乾いた枝をポキリと折ったような音がした。ポストは右側からてっぺんに向けて粉々になった。「ほら、くたばりやがった」

「いいかげんにしろ」フランクはそういいながら、どんどん歩いていく。

 ケニーはタブに、にやりと笑いかけた。「あの木も気にくわねえな」そういうと、また撃った。タブはあわててフランクのあとを追った。話しかけようとしたところに犬が納屋から飛び出してきて吠えた。「よしよし、いい子だ」フランクがなだめる。

「こいつも気にくわねえ」ふたりのうしろにケニーがいた。

「いいかげんにするんだ」フランクがいった。「銃をおろせ」

 ケニーが発砲した。弾は犬の眉間を撃ち抜いた。雪の中にすっと体が沈んで、脚を広げたままひらたくなった。見開いたままの黄色い目がずっとこちらを見ている。血が流れてさえいなければ、小ぶりの毛の敷物といったところだ。鼻面からあふれだした血が雪にしみだしていった。

 三人ともそこに倒れた犬をただ見つめるだけだった。

「こいつがいったい何をしたっていうんだ?」タブが聞いた。「吠えただけじゃないか」

 ケニーはタブに向き直った。「気にくわねえ野郎だな」

 タブは腰だめにして撃った。衝撃を受けたケニーは、後ろの柵にぶつかって、がくりと膝をついた。両手でみぞおちをおさえる。「おい」その手は血で染まっていた。薄暗がりの中で血が青く見える。まるで影に染まったようだった。なぜか場違いなできごとのようには感じられない。ケニーは仰向けになった。何度か深く息を吐く。「おれを撃ちやがったな」

「そうしなきゃおまえが撃ってた」タブがいい、ケニーの横に跪いた。「ああ、なんてこった。フランク、フランク」

フランクはケニーが犬を殺してから、ずっと立ちつくしていた。

「フランク!」タブが悲鳴を上げた。

「ほんの冗談のつもりだったんだ」ケニーがいった。「冗談だったのに。ああっ」突然背中を反らした。「ああっ」もういちどそういうと、かかとで雪を踏ん張ったので、頭が数十センチずり上がった。寝転がったまま止まり、かかとと頭を前後に揺すっている動作は、準備運動中のレスラーのようにも見えた。

フランクは我に返った。「ケニー」かがんで手袋をはめた手を、ケニーの額に当てる。「おまえ、ケニーを撃ったな」とタブにいった。

「やつのせいだ」

「いや、いや……」ケニーはうめいた。

 タブは涙と鼻水を垂らしながら泣いている。顔中ぐしょぐしょだった。目を閉じたフランクは、またケニーを見下ろした。「どこが痛い?」

「どこもかしこもだ」ケニーがいった。「どこもかしこも痛い」

「ああ、なんてことをしちまったんだ」タブがいった。

「どこを撃たれた?」フランクがもういちど聞いた。

「ここだ」ケニーがみぞおちを示した。血が少しずつたまっていく。

「運がいいぞ」フランクがいった。「左だ。虫垂を外れている。虫垂を撃たれたら、血の海で溺れるところだった」顔を背けると、フランクは雪の上に吐いた。暖をとろうとでもするかのように、自分の身体にしっかりと腕をまきつけている。

「大丈夫か?」タブがたずねた。

「トラックの中にアスピリンがある」ケニーがいう。

「おれなら大丈夫だ」フランクが答えた。

「救急車を呼ばなくちゃ」タブがいった。

「くそっ」フランクがいった。「どう言えばいいんだ」

「ありのままをいうしかないさ」タブが答える。「ケニーがおれを撃とうとしたから、おれが先に撃った」

「冗談じゃない。そんなつもりじゃなかった」

フランクがケニーの腕を軽くたたいた。「落ち着けよ、な」そういって立ち上がる。「さあ、行こう」

タブはケニーのライフルを拾い上げ、農家の方へ歩き出した。「こんなもの、あそこに残しておいちゃいけない。ケニーがまた変なことを思いついたらかなわない」

「まったく、こんどばっかりはたいしたことをやってくれたもんだ。どえらいことになったぞ」

 二度ノックして、やっと髪の長い痩せた男が扉を開けた。男の背後の部屋は、煙が充満している。目を細めてふたりを見た。「獲物は見つかったか?」

「だめだった」フランクが答える。

「そうだろうと思った。もうひとりにそのことは言ったんだ」

「事故があった」

 薄暗がりの中に立っているフランクからタブに目を走らせた男はいった。「仲間を撃ったんだな」

フランクがうなずく。

「おれが撃った」タブがいった。

「電話をかけたいんだろ?」

「差し支えなければ」

 戸口の男は向きを変えて中へ入った。フランクとタブもあとに続いた。部屋の真ん中に置いたストーブの傍らに女が座っていた。ストーブからは煙がもうもうとあがっている。顔を上げた女は、また、膝の上で眠っている子供に目を落とした。青ざめた顔は泣いた跡があった。前髪が斜めにぺたりと額にはりついている。タブは両手をストーブにかざして暖めながら、台所で電話をかけているフランクを待った。ふたりを入れてくれた男は、両手をポケットに入れたまま窓際に立っていた。

「仲間がお宅の犬を撃ったんです」タブがいった。

 男はそちらを見ないまま、うなずいた。「ほんとなら自分でやらなきゃならなかったんだ。だが、できなかった」「うちのひとはあの犬を、そりゃかわいがってましたから」女はそういうと、もぞもぞと動く子供をそっと揺すった。

「じゃ、やつに頼んだんですか? 犬を撃ってくれって、やつにそういったんですか?」

「年も取ってたし、おまけに病気だった。食べ物を噛むことさえできなかった。自分でやろうにも銃がない」

「どっちにせよ、あなたにはできっこなかったわ。百万年たっても」

 男は肩をすくめた。

 フランクが台所から出てきた。「おれたちが連れて行かなきゃならん。ここから一番近い病院まで80キロほどで、救急車は全部出払ってるらしい」

 女が病院までの近道を知っていたが、道順が込み入っていたので、タブがそれを書き留めなければならなかった。男はケニーを乗せて運ぶ板がある場所を教えてくれた。家には懐中電灯はないんだが、ポーチの明かりをつけておいてやろう、という。

 外は暗くなっていた。雲は低く、重たげにたれこめ、うなりをあげながら風が吹き荒れている。ゆるんだスクリーンドアが、ゆっくりバタンと閉まったかと思うと、突風にあおられて今度は強くたたきつけられた。納屋へ行く間もその音はずっと聞こえていた。フランクは板を取りに行き、タブは姿が見えなくなっているケニーを探した。その先の私道でうつぶせになって倒れている。「大丈夫か?」

「いてえよ」

「フランクは、虫垂は外れてるといってたが」

「盲腸はもう取ってる」

「用意はできたぞ」フランクがやってきた。「あっという間に、あったかい上等のベッドの上さ」そういうと、ケニーの右側に二枚の板を置いた。

「男の看護師が来ないうちにに乗せてくれよな」

「ははは……。その意気だ。準備はいいか、それ、一、二、三」そういうと、フランクはケニーを転がして板に乗せた。ケニーは悲鳴を上げ、脚で空を蹴る。ケニーが落ち着くのを待って、フランクとタブは板を持ち上げると私道を下っていった。後ろ側を抱えているタブの顔面に、雪がまともに吹きつけ、足の運びもままならない。疲れていたし、おまけに農家の主人はポーチのライトをつけるのを忘れていた。ちょうど家を過ぎたあたりで、タブは足を滑らせ、とっさに身体を支えようと板から手を離した。板が落ちて転落したケニーは、そのまま私道のはずれまで、悲鳴を上げながら転がっていく。トラックの前輪にぶつかって、やっと止まった。

「この間抜けなデブが。こんなこともできないのか」

 タブはフランクの襟をつかんで柵に力一杯押しつけた。フランクは手をふりほどこうとしたが、タブはフランクの頭を何度も叩きつけたので、とうとうフランクも抵抗をやめた。

「太ってるってのがどういうことだかおまえにわかるか。甲状腺がどういうことだか、わかってんのか」フランクをなおも揺さぶりながらタブはいった。「おれのことをなんだと思ってるんだ」

「わかった」

「これからはな」

「わかったから」

「二度とあんなことをいうんじゃない。もう二度とあんなふうに見るな。あんなふうに笑うな」

「わかった、タブ、約束する」

 タブはフランクを放すと、柵に額を当てもたれかかった。両腕は脇に力無く垂れている。

「すまなかった、タブ」フランクはその肩にふれた。「おれはトラックの方にいるから」

 タブは柵のところにしばらく立っていたが、やがてライフルを出っ張った腹の上から後ろに回した。フランクはもういちどケニーを転がして板の上に乗せ、ふたりはトラックの荷台にかつぎあげた。毛布を広げてケニーの身体にかけたフランクは「寒くないか?」と聞いた。

 ケニーがうなずく。

「よし。じゃ、こいつの向きを変えるにはどうしたらいいんだ?」

「一番左まで動かして、上げるんだ」フランクが前進させると、ケニーは身体を起こした。「フランク!」

「どうした?」

「動かなくても、むりやりしちゃダメだ」

 トラックはすぐに動き出した。「まずな」フランクがいった。「こいつを日本人のとこへ持っていくんだ。古式豊かな精神文明をもった連中なら、こんなクソッタレのトラックだってどうにかしてくれる」そうしてタブをちらりと見やった。「あのな、さっきはすまなかったよ。そんなふうに思ってるなんて知らなかったんだ。正直、まったく気がつかなかった。言ってほしかったぞ」

「言った」

「いつ? いつそんなことを言った?」

「ほんの何時間か前だ」

「たぶんおれがぼうっとしてたんだろうな」

「ああ、フランク。なんだかおまえは心ここにあらずだ」

「タブ、あのな、あそこであったことも、もっとわかってやらなきゃいけなかったんだな。わかってきたんだ。おまえ、いろんなつらい目に遭ってきたんだって。あれはおまえのせいじゃない。あいつも自業自得だ」

「そう思うか?」

「そう思う。撃つか、撃たれるかだった。もしおれがおまえでも、同じことをしていたはずだ」

 風がまともにふたりの顔にふきつけた。雪が動く白い壁となって、ヘッドライトの前にたちふさがる。フロントガラスに開いた穴から、渦を巻きながら雪が降りかかってきた。タブは手を叩きながら、なんとか身体を暖めようとしたが、何の役にも立たない。

「休まなくちゃムリだ」フランクがいった。「指の感覚がなくなってきた」

 その先の道路脇に明かりが見えた。酒場らしい。外の駐車場には、ジープやトラックが数台停まっていた。そのうちの何台かのボンネットには、鹿がくくりつけられている。フランクはそこに停めると、ケニーを振り返った。「調子はどうだ、相棒」

「寒い」

「ローンレンジャー気取りはやめてくれよ。まったくの話、こっちは外にいるより寒いんだ。フロントガラスは直しといた方がいいぞ」

「見ろよ」タブがいった。「毛布をはねのけてる」毛布は尾板の手前に固まっていた。

「いいか、ケニー」フランクが声をかけた。「あったかくしとかなきゃ。あとで寒いと文句をいっても、どうにもならんぞ。自分の面倒は自分でみろよな」毛布をケニーの身体にかけると、隅を折りこんだ。

「飛んじまったんだ」

「じゃ、しっかりつかまえてろ」

「フランク、なんで停まってる?」

「おれとタブもあったまらなきゃガチガチに凍っちまう。そうなったらおまえはどうなる?」ケニーの腕にそっとパンチを当てた。「だからな、ここでちょっとおまえの馬を休ませてやってくれ」

 バーの中は派手な色合い、ほとんどはオレンジ色のジャンパーを着た男でいっぱいだった。ウェイトレスがコーヒーを運んできた。「生き返るな」フランクは湯気の立つカップを両手ではさんだ。肌に血の気がない。「タブ、ずっと考えてたんだ。おまえがさっき、おれが上の空だ、っていったろ? ほんとうだな」

「もういいんだ」

「良くはない。確かにずっとその調子だった。このところ、自分のことで頭がいっぱいだったんだ。考えなきゃいけないことがありすぎた。もちろんそんなことは言い訳にもなりゃしないが」

「忘れてくれよ、フランク。あのときは、つい、カッとしちまったんだ。おれたちみんなピリピリしてたし」

フランクは首を振った。「そうじゃないんだ」

「なにかあったんだな」

「ここだけの話にしてくれるか? タブ」

「もちろん。おれたちふたりだけの話だ」

「タブ、おれはナンシーと別れることになると思う」

「おい、フランク、そりゃまた……」タブは座り直すと頭を振った。

 フランクは手を伸ばしてタブの腕にその手を載せた。「タブ、おまえ、ほんとうにだれかを好きになったことがあるか?」

「ま、そりゃ……」

「おれがいってるのは、正真正銘、ほんものの恋だ」タブの手首を強く握った。「全身全霊をかけての」

「よくわからんな。おまえがいってるようなことは、よくわからん」

「なら、ないんだよ。おまえが悪いわけじゃない。だが、それはほんとうにそうなった者じゃなきゃ、わからないんだ」フランクはタブの腕を放した。「軽い気持ちでいってるんじゃない」

「だれなんだ、フランク」

 フランクはしばらく黙ったまま、空のカップを見つめていた。「ロクサーヌ・ブルーワー」

「クリフ・ブルーワーの子供か? ベビーシッターの?」

「タブ、そんなふうに人間をカテゴリーに当てはめて考えちゃいけない。だから世の中の何もかもがおかしなことになる。そんなふうだから、この国も一蓮托生で地獄へまっさかさまなんだ」

「だが、あの子はたった……」タブは頭を振った。

「十五歳だ。五月に十六歳になる」フランクの顔に笑みが浮かんだ。「五月四日、午後三時二十七分。いいか、タブ、百年前なら十五歳っていやオールドミスだ。ジュリエットなんてたった十三歳だったんだぞ」

「ジュリエット? ジュリエット・ミラーか? よせよ、フランク、ミラーんちのガキはまだ胸も膨らんでないんだぞ。水着の上だって着てない。まだカエルをつかまえてら」

「ジュリエット・ミラーのことじゃない。ほんもののジュリエットだ。タブ、そういうのが人をカテゴリーに分けるってことだってわからないか? 誰それは重役だ、秘書だ、トラックの運転手だ、十五歳だ、って。だが、このいわゆるベビーシッター、いわゆる十五歳はだな、ほんの小指一本に、おれたちがまるごとかかってもかなわないぐらいのものが詰まってるんだ。あのちっちゃなレディーは特別なんだ」

 タブはうんうんとうなずいた。「あんな子供ならよく知ってる」

「ロクサーヌはな、おれがいままでそこにあることさえ知らなかった、まったく新しい世界の扉を開いてくれたんだ」

「ナンシーはなんていってる?」

「このことは知らない」

「まだいってないのか」

「まだだ。そんなに簡単なことじゃない。ナンシーはずっといい女房だったしな。おまけに子供たちのことも考えなきゃならん」フランクの目の光が揺らめき、素早く手の甲でぬぐった。「たぶんおまえはおれのことをとんでもない馬鹿野郎だと思ってるだろうな」

「そんなことは思ってない」

「いいや。絶対にそう思うようになる」

「フランク、友だちがいるっていうことはな、どんなときだって、何があったって、味方してくれる人間がいるっていうことなんだ。少なくともおれはそういうことだと思ってる」

「本気か、タブ」

「もちろん」

 フランクは晴れ晴れとした顔になった。「それを聞いてどれだけうれしいか、おまえには絶対わからんだろうな」

 ケニーはなんとかしてトラックから外へ出ようとして果たせなかったらしい。尾板ドアにエビのように折った身体をもたせかけ、頭をバンパーの上に突き出していた。フランクとタブはケニーを持ち上げてふたたび荷台に寝かせ、毛布をかけた。ケニーは汗をかき、歯を鳴らしている。「いてえよ、フランク」

「じっとしてりゃそんなに痛むことはなかったんだ。おれたちは病院に向かってるところだ。わかったな? いってみろ、おれは病院に向かってる」

「おれはびょういんにむかってる」

「もう一回」

「おれはびょういんにむかってる」

「病院に着くまでずっとそう自分に言い聞かせておくんだ」

 トラックが十キロ近く進んだころ、タブがフランクに向き直った。「おれ、とんでもないヘマをしちまった」

「なんだ?」

「道順を書いた紙をあそこのテーブルの上に忘れてきた」

「大丈夫だ。道なら覚えてる」

 降り積もる雪は小やみになり、雪原を覆っていた雲が流れていく。だが寒気は相変わらずで、しばらくするとフランクもタブも、歯が鳴り、震えがとまらなくなっていた。危うくカーブを曲がり損なったフランクは、つぎのロードハウスで停まることにした。

 そこのトイレにはハンドドライヤーがあったので、ふたりは交代でその前に立ち、上着とシャツの前を開いて温風を顔や胸に当てた。

「あのな」タブがいった。「あそこでおまえが話してくれて、うれしかった。おれを信用してくれて」

 フランクは温風の吹き出し口の前で、手を開いたり閉じたりしている。「おれはこんなふうに考えてるんだ、タブ。人間は孤立した島じゃない。誰かを信頼しなくちゃ」

「フランク……」

 フランクは待った。

「あのな、甲状腺っていったろ、ありゃ嘘だ。ほんとは、おれはただ放りこむのがやめられないだけなんだ」

「っていうことは……」

「昼だろうが夜だろうが、シャワーを浴びてようが、高速を走ってようが」タブは向きを変えて背中に温風を当てた。「仕事中、ペーパータオルの詰め替えをやってるときでさえ」

「甲状腺なんて悪くないんだな?」フランクはすでにブーツと靴下を脱いでいた。まず右足を、それから左足を、吹き出し口に差し込む。

「ああ。どこも悪くない」

「アリスは知ってるのか?」

「だれも知らない。最悪なのはそこなんだ、フランク。太ってるってことじゃない。痩せようとしないことでもなくて、嘘をついてることなんだ。スパイとか、殺し屋みたいに二重生活を送ってるんだ。ヘンな話だがな、おれはスパイだの殺し屋だのが気の毒でならないんだよ。まったく。あいつらがどんな経験をしてるか、よくわかる。自分が言うことなすこと、いつだってよく考えておかなきゃならない。始終、みんなが自分を監視しているように、尻尾をつかもうとしてるように感じるんだ。ありのままの自分でなんていられない。朝飯はオレンジ一個だけだ、って大げさに宣伝しながら、仕事へ行く道々、ガツガツ食ってるんだ。オレオ、マーズ・バー、トウィンクルズ、シュガー・ベイビーズ、スニッカーズ……」タブはちらりとフランクに目をやって、あわててそらした。

「タブ」フランクは頭を振った。「こっちへ来い」そういうと、タブの腕をとって、バーの奥の食事ができる場所に引っ張っていく。「おれの友だちが腹ぺこなんだ」ウェイトレスにいった。「パンケーキを四人前、バターとシロップもたっぷりつけて」

「フランク……」

「座れよ」

 皿が来るとフランクはバターの大きな固まりを切り分け、パンケーキの上にのせた。それからシロップのびんをそれぞれの皿にまわしかけて空にした。身を乗り出して肘をつき、あごを一方の手に載せる。「タブ、さあやってくれ」

 タブは何度も口いっぱいにほおばり、やがて唇をぬぐおうとした。フランクはナプキンを取りあげた。「拭く必要はない」タブは食べ続けた。シロップがあごにたれ、山羊ひげのようにも見える。「これも使えよ」そういうと、フランクはもう一本のフォークをテーブル越しに押しやった。「気合いを入れて食えよ」タブは左手にそのフォークを持つと、皿にかがみ込んで、本格的に食べ始めた。パンケーキがなくなると、「皿をきれいにしてくれよ」とフランクがいう。タブは皿を一枚ずつ取りあげて、四枚ともきれいになめた。深く座り直し、ひと息ついた。

「お見事。腹一杯になったか?」

「腹一杯だよ。こんなに満腹したのは初めてだ」

 ケニーの毛布はまた尾板に固まっていた。

「はねのけちまうんだろうなぁ」とタブがいった。

「ケニーの役には立ってないな。おれたちの役に立てたほうがいいかもしれない」

 ケニーが何かつぶやいた。タブが身を寄せた。「何だって? もう一回いってくれ」

「おれはびょういんにむかってる」

「いいぞ」フランクがいった。

 毛布は役に立った。風こそ顔やフランクの手に吹きつけたが、ずいぶんしのぎやすくなった。道路や木に積もった新雪が、ヘッドライトを受けて、きらきらと瞬いた。農家の窓から漏れる四角い光が雪原を青く照らす。

「フランク」やがてタブがいった。「農場の主人がいただろ? ケニーに犬を殺してくれ、って頼んだんだってさ」

「まさか」フランクは慎重にトラックを進めていく。「あのケニーがな。なんてやつだ」フランクが笑ったので、タブもつられて笑った。笑顔のまま窓越しに荷台を振り返る。ケニーはみぞおちで腕を曲げ、横になったまま、星の名前をつぶやいていた。頭の右上にあるのが北斗七星、トラックの背後、つま先の間で揺れている、病院の方角にあるのが北極星、船乗りを導く星だ。トラックがなだらかな丘にさしかかって曲がったので、北極星はケニーのブーツの間を行ったり来たりしたが、それでもずっと見えていた。「おれはびょういんにむかってる」ケニーはいった。だが、それは間違いだった。はるか以前に違う角を曲がっていたのだった。



The End

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孤島ではない人々


短編には、ときどきひどく怖いものがある。レイモンド・カーヴァーにも、ジョン・チーヴァーにもあって、このトバイアス・ウルフの短編も、最後にゾッとさせられる。そうして、この怖さはホラー小説の怖さとはちがって、現実と地続きであるだけに、わたしたちはどこにも逃げられない。

以前、龍安寺の石庭の話をうかがったことがある。 庭に置いてある石(島)は十五個。だが、位置をどうずらして見ても、十四個までしか見られないのだという。それは、なにものも全体を俯瞰することはできないという含意なのだそうだ。

この短編を読むわたしたちは、登場人物の行動に、いらだたしさを覚え、なんでさっさと連れて行かないんだ、なんでほかのだれかに頼むことをしないんだ、なんで……、なんで……、と思う。けれども、当事者であるとき、わたしたちは必ずしも適切な行動をとれているとは限らない、というより、ものごとに直面したときにわたしたちがとる行動が、適切かどうかなど、決してわからないのだ。

「雪の中のハンター」では、ことごとくが悪い方に転がっていってしまう。ケニーがフロントガラスを直していたら、フランクがうわの空でなかったら、ケニーが犬を撃ってくれるよう頼まれていたといってさえいれば、タブがそれまでに太って動作が鈍いことを馬鹿にされていなければ……。そうしたいくつものできごとが、悪い方へ、悪い方へと積み重なっていく。けれどもそれが「悪い方」と思っているのは、わたしたちが俯瞰する位置から眺めているからに過ぎない。

わたしたちは気がつくにせよ、気がつかないにせよ、無数の決断を繰り返している。こうすればこうなるのではないか、と、過去の経験をもとに推理することもあれば、なんとなく、深く考えるわけでもなく、あるいは癖で、ささいな理由で、ある行動を選ぶ。多くの場合、それほど後悔しなければならないようなできごとにはつながっていかないから、そのまま忘れてしまう。けれども、それが何らかの「結果」とわたしたちが思えるようなできごとに行き着いたとき、ああ、あのときああしていれば、こうしていれば、と振り返って考える。そのとき初めて気がつくのだ。あのとき自分が行動したのも、ひとつの選択であったのだ、と。

わたしたちは、だれもが雪の中のハンターのように、先のことを見ることができない。十五個目の石は、どうやっても見えない。ケニーを乗せたトラックは、永久に病院には行き着かない。

* * *

トバイアス・ウルフは1945年生まれの、現代アメリカを代表する作家の一人である。長編も邦訳された自伝的な作品である『ボーイズ・ライフ』『兵舎泥棒』などいくつかあるが、短編の名手として評価が高い。

高校中退後、ヴェトナムに従軍(このときの経験は、後に短編集『バック・イン・ザ・ワールド』で描かれることになる)、帰国後、オックスフォードに入学し文学を学ぶ。 レイモンド・カーヴァーらと並んで、「ダーティ・リアリズム」系の作家とされる。飾りのない文体で、特定の社会を舞台にして、細部を徹底的に描くというこの作風は、八十年代のアメリカ文学を特徴づけるものともなっている。

初出Feb.23-27 2006 改訂 March 02 2006




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