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YAとして読む『蠅の王』

 ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』を読んだのは、中学一年のとき。
スティーブン・キングがこれを読んで吐いたエピソードを何か(たぶん『恐怖の四季 夏編(スタンド・バイ・ミー)』)に書いていたけれど、そのかんじはよくわかった。

ところが英語教師でイギリス人のマークは、イギリスのパブリック・スクールの寄宿舎はまさにストーリーそのもの、本を読んだ瞬間、あ、これは自分のことが書いてあると思った、と言う。

「パブリックスクールの寄宿舎って知ってる?
中央に教室があって、まわりにいくつも寮がある。
どの寮も定員70人。7学年の生徒が10人ずつ。寮対抗のスポーツの試合とか、競技会なんかもある。
ぼくのいた寮で同じ歳のヤツはこんな感じだった。
ジム・サマヴィルってやつ。
あとはそいつのtwinky、それと子分が三人。
半分独立はしてたけど、やつの友だちが一人。
ほかの四人はひとりひとりがバラバラ。
小さくてやたらケンカっぱやいやつ。たぶんコンプレックスがあったんだろうな。
それからwimp、こいつは虚弱体質でトロくてどうしようもなかった。
そしてモラリスト」

「未来の聖職者ね」

「そのときから聖職者だよ。たぶん実際には聖職に就いてるわけじゃないだろうけど。
自分は、そうだな、まわりからどう思われてたんだろう、わからない。
とにかく、ぼくはモラリストと、ケンカっぱやいやつと、半分独立してるやつとはけっこう仲も良かった。
だけどジムとは、敵同士だったんだ。ぼくもキライだったけど、あいつの方がとにかくぼくを目の敵にしていた」

「ジムって、つまり権力が好きなタイプなんだ?」

「もちろん」

「だから権力を怖れもしなければ、興味もない人間に我慢ができない。
『蠅の王』のジャック・メリデューみたいに」

「それは言えてる。確かにそいつは自分以外の誰か一人でもいたら、もう自分が上、相手が下っていう関係を作らなきゃ気がすまないっていうやつだったね。

ずっとそいつとの仲は緊張していた。ときどき圧力を抜くようにしながら、なんとかやりすごしてはいたんだけど、ついに、BANG!、ものすごいケンカになった。
ふたりとも血だらけになりながら、相手のこと、ののしって、ののしって、ののしって。そいつはぼくの喉をねらって、椅子を上から振り降ろしてきた。間一髪で逃げて、そいつの頭をでかい牛乳瓶でぶん殴った。そいつの頭はざくっと割れて、血だらけになった。そこへ上級生が駆けつけて止めたんだ。
まわりが、しかけてきたのはジャックの方だったって証言してくれて、ぼくの方はお咎めナシ、ジムの方にもとくに処分はなかったけど、その年のうちにぼくの方がパブリック・スクールを辞めて、公立のグラマー・スクールに移った。 

勉強の面からいうと、パブリック・スクールの教育はすばらしいと思う。
だけど生活はひどいもんだった。あの年代の男を70人もひとところに集めておくのは、毎日『蠅の王』を実体験しろ、って言ってるようなもんだよ」

「そういえばゴールディングもイギリス人だね」

「パブリック・スクール出身者かもしれない」


2004-10-08




手元にある『我が町、ぼくを呼ぶ声』(原題 "The Pyramid" 井出弘之訳集英社文庫)で見てみると、ウィリアム・ゴールディングはパブリック・スクールではなく、グラマー・スクールの出身。
同書では、グラマー・スクールで学ぶ「ぼく」のライバルとして、パブリック・スクールに通うボビーが出てくる。音楽好きで繊細な主人公がオックスフォードに進むのに対して、ボビーは士官学校に進む。

脱線ついでに、小野寺健『英国的経験』(筑摩書房)のE.M.フォースターの項で見つけたパブリック・スクールの記述をここに引いておく(なにしろこのブログは、わたしにとっての備忘録でもあるので…)。

「のちのち文学者になるような人は、彼(※フォースター)にかぎらずこの時期には辛い思いをしている例が多く、…とくにパブリック・スクールでは肉体的訓練や団体精神に重きを置く伝統があるために、個性的な、どちらかと言えば孤独を好むことの多い文学者タイプにとっては生きにくい場所だからです」

なるほどねぇ。
「白樺派」が出た当時の、乃木将軍が校長だった学習院の雰囲気ってこんな感じだったんだろうか、なんて脱線をはじめるとキリがないので、いよいよ本題の『蠅の王』に入ろう。







集英社文庫の後ろには「原爆戦争勃発」と書いてあるし、解説には「第三次世界大戦(?)」と書いてあるが、本書の中では「外の世界」に何が起こっているのか、具体的に触れられているわけではない。最後の場面を除いて、一貫して十二歳前後の登場人物たちの視点で語られているため、はっきりとはしないのだ。それでも登場人物の一人、ピギーは飛行機に乗る前、操縦士たちが「原子爆弾とかなんとか」と言っているのを耳にしていて、少年たちは原爆を逃れるために飛行機で疎開していたのではないかという想像がつく。

ともかく、少年たちを乗せておそらくイギリスから発った飛行機が、何者かによって「攻撃され」「炎に包まれて落ち」、機体の一部が南海の孤島に不時着する。

まず最初にわたしたちの前に姿を現すのはラーフ。
「彼の年齢は十二歳と数ヶ月だったので、子供特有の丸っこいぽんぽんはもはやみられなかったが、かといって年ごろの少年というにはまだ間があり、裸になって恥ずかしがるようなこともなかった。両肩の幅といい頑丈さといい、将来ボクサーにでもなれそうであったが、他面、邪気というのが微塵もないその口もとや眼にはある種の柔和さが漂っていた」(引用は集英社文庫版平岩正穂訳による。以下同じ)

そのあとからどたどたと不器用についてくるのが、太ったピギー(この“豚ちゃん”というニックネームは、彼がそれだけでは呼んでくれるなとラーフに頼んだもの。本書では彼の本名はあきらかにされない)。
ひどい遠視で喘息持ちのピギーは、状況を見定める力を持ち、集会を提案する知性のもちぬしでもある。

ラーフが吹いたほら貝の音を聞いて、小さな子どもたちや双子が集まってくる。

最後にやってきたのは黒い外套に身を包んだ「合唱隊」の一団。
先頭で常に命令を下しているのが、ジャック・メリデュー。
「ピギーは、もう名前を訊こうともしなかった。彼は、制服に特有なある優越感とメリデューの声の内に潜んでいる手放しの権威に、怖気づいていた。そして、こそこそと合唱隊から遠いほうのラーフの陰に隠れて、しきりに眼鏡をいじくっていた」

合唱隊の中にもうひとり、印象的な少年が登場する。
ラーフたちのところへ着くや卒倒する彼の名前はサイモン。
キリストの第一の使徒でもあり、ヘブライ語のShimeon=「耳を傾ける」に由来する名前を持つ彼は、こののち、重要な役目を果たす。

集会でリーダーはラーフに決まる。
「少なくとも、聡明さにかけては、ピギーに一日の長があったし、指導者(リーダー)らしい指導者は明らかにジャックだった。しかし、じっと腰をおろしているラーフのおちついた態度には、何か彼をきわだたせるものがあった。からだの大きさ、魅力的な容貌、ということもあった。それに漠然としてではあるが、最も強く作用していたものに、例のほら貝があった。ほら貝を吹いた存在、ほら貝という一種独特なものを両膝の上に抱いてこの高台の上ですわり、みんなのくるのを待っていた存在――こういう存在はほかの存在とは別格だった」

珊瑚礁に囲まれ、大海から守られた穏やかな海に浮かぶ南海の孤島は、楽園のようだった。
果物も水も豊富にあった。
『十五少年漂流記』のような生活が始まるはずだった。

ところが小さな子どもたちは、森の中に蛇がいる、獣がいる、と怯える。

ラーフが提案し、ピギーの眼鏡のレンズで火をつけた狼煙は、小火になって、森陰で蛇を見たと言っていた小さな男の子の姿は、その騒動の最中に見えなくなってしまう。

最初に島を探検したときに、子豚を捕獲し損ねたジャックは、狩に取り憑かれ、合唱隊を「狩猟隊」に仕立て上げる。そうして小屋を建て、生活を規律あるものにしていこうとするラーフとの確執は深まっていく。

ラーフが沖合に船影を見つけた日、狼煙は消えていた。
顔に粘土をぬりたくり、「豚ヲ殺セ。喉ヲ切レ。血ヲ絞レ」と歌う狩猟隊が狩りに出、狼煙の番を放棄していたからだった。

豚をしとめて興奮しているジャックと、狼煙が消えていたために船に見つけてもらえなかったことを責めるラーフが衝突する。
君が助かるチャンスをふいにしたんだ、とラーフについて詰め寄るピギーをジャックが殴った瞬間、眼鏡が飛んで、火をつけるために欠かせない道具でもあったピギーの眼鏡のレンズの片方が毀れてしまう。
ジャックの謝罪と、残ったレンズでふたたびともした火の効果で、争いはいったん収まって宴となるが、ひさしぶりの肉を食べたあとで、ラーフは集会を召集する。

なんとか規律を維持しようとするための集会だったが、途中から「獣」に話は移っていく。
「獣」を怖れる小さな子たち。
狩人として「獣」を否定するジャック。
常識から「獣」の存在を認めようとしないピギー。
その中でサイモンは
「ぼくがいおうとしたのは……たぶん、獣というのは、ぼくたちのことにすぎないかもしれないということだ」
と発言する。
だがこの発言の真意はだれにも届かず、サイモン自身も展開するすべを持たない。

子どもたちが寝静まった深夜、島にパラシュートが降下する。パラシュートに乗っていた人間は、すでに生きてはいなかった。この骸は狼煙のすぐ近くに降り立つ。

狼煙の番をしながら眠りこけていた双子が、暗闇の中で目覚め、パラシュートをまとった骸を獣だと思って逃げ帰る。
こうして獣は「姿」を持つ。

なんとしても狼煙だけは確保したいラーフ。
とにかく行動したいジャック。
小さい子どもはピギーに任せ、大きな子どもたちは島を探索する。
思いの外時間がかかり、狼煙の場所へ着いた時は、夜になっていた。
月明かりで膨れ上がるパラシュートと、崩れた顔を見た子どもたちは、実体を見極めることもできず、恐怖に駆られ、悲鳴を上げながら逃げ帰る。

戻った浜辺では、狩猟隊などが獣に太刀打ちできるはずがない、というラーフの言葉をきっかけに、ラーフとジャックの対立は決定的になる。自分が新たな隊長になるべきだと主張するジャックに従う者はいない。
ジャックは一人、仲間から外れる。

狼煙は砂浜で上げることになった。
火は心強いが、砂浜ではすぐに消えてしまう。
乾いた焚き付けを十分に用意するのも大変だ。
そうした作業の最中、元合唱隊のメンバーは、ひとり、またひとりとジャックの元へ去っていく。

再度結成された狩猟隊。
豚を仕留める腕は、経験のたびにあがっていく。
獲物を仕留めると、切り落とした頭を棒きれに刺し、「獣」に捧げる。
「この頭はあの獣にやるんだ。ぼくたちからの贈り物だ」

サイモンは、双子が出くわしたものの正体を確かめるために、一人で山へ向かう。
彼は「獣」のことなど信じてはいないのだ。
そうして、捧げられた豚の頭と出会う。
蠅のたかる豚の頭、蠅の王に。

浜辺では、隈取りをし、裸形で槍を持ち、蛮族に「変装」したジャックたちが、火を盗みに来る。
自分たちが岩場にいることを伝え、夜、宴を開くから「食べにきてもいい」と。

山上では、蠅の王はサイモンに語る。
「おまえはそのことは知ってたのじゃないか。わたしはおまえたちの一部なんだよ。おまえたちのずっと奥のほうにいるんだよ! どうして何もかもだめなのか、どうして今のようになってしまったのか、それはみんなわたしのせいなんだよ」

「わたしは、おまえに、警告を発しておく。わたしは少し腹をたてているんだ。分るかね? まったくおまえは邪魔っけなんだ。分るかね? わたしらはこの島でおもしろおかしく暮らしてゆきたいのだ! 分るかね? 
わたしらはこの島でおもしろおかしく暮らしてゆきたいのだ! だからもうあまりしつこく邪魔しないでくれ、え、いたずら坊や、でないと――(…略…)わたしらはおまえをひどい目にあわせてやる。分るかね? ジャックもロジャーもモリスもロバートもビルもピギーもラーフもだよ。おまえを、みんなでひどい目にね。分るかね?」
この言葉を聞いたサイモンは、ふたたび卒倒する。

意識を取り戻したサイモンは、狼煙の場所へ行き、みんなが「獣」だといっているものの正体を見極める。
そのことを伝えなければならない、と山を駆け下りる。

ラーフとピギーは岩場へ行く。
自分の軍門へ下れ、と主張するジャックと、隊長は自分だ、と主張するラーフ。
いつのまにか、歌と踊りが始まる。
「獣ヲ殺セ! 喉ヲ切レ! 血ヲ流セ!」
肉を食べ、焚き火を前に、ラーフもピギーも踊りの輪に加わることを拒むことができない。
闇を稲妻が引き裂く。
そこへ、森の中から何者かが這うようにして出てくる。
山の上の死体について、みんなに伝えようとするサイモンに、棒きれが振り下ろされ、踊りの輪はサイモンに襲いかかる。

降り出した土砂降りの雨は、サイモンの死骸を沖へ流していった。
朝になって浜に残っていたのは、ラーフ、ピギー、双子、そして小さな子どもたち。
ほかはみんな岩場に移ってしまっていた。
残った彼らは、自分たちはその場にいなかったのだ、と、サイモンが殺されるのを見てはいないのだと、なんとか思いこもうとする。
夜、浜辺は再度蛮族に襲撃され、ピギーの眼鏡が奪われる。

眼鏡を取り返しに、岩場へ向かう四人。
眼鏡を返すこと、救助されるためには、狼煙の火を絶やさないことが何よりも大切なのだ、と主張するラーフと、掌握した権力を楽しむジャック。
ジャックの命令で双子は縛り上げられる。
獣に対する備えとしてあったはずの大岩が転落し、巻き添えになったピギーは断崖から転落して死んでしまう。
ついにジャックは殺意をこめて、ラーフに槍を投げかける。
その場から逃げ出すラーフ。

山狩りが始まる。
火が放たれ、ラーフは獣のように追い立てられる。
炎と蛮族の槍から逃げまどうラーフ。

そこに海軍士官が立っていた。
「なかなかおもしろそうに遊んでいるじゃないか」と士官は言う。
「君たちの煙が見えたんだよ」

「「ぼくらは初めはいっしょに団結してやっていたんです――」
 士官は、相手の心をはげますように頷いた。
「ああ分ってるよ。初めはものすごくうまくいってたんだね。『珊瑚島』みたいにね」
 ラーフは黙って士官の顔を見た。一瞬間、かつてこの浜辺をおおっていた、あの不思議な魅惑の面影を思い浮かべた。しかし、島は朽ち木のようにかさかさに干からびてしまったのだ――サイモンも死んだ――そして、ジャックのやつが……涙がとめどなく流れ、彼はからだを震わせて嗚咽した。(…略…)少年たちの間に立って、からだはよごれ、髪はべったりとくっつき、鼻は垂れ放題のまま、ラーフは、無垢(イノセンス)が失われたのを、人間の心の暗黒を、ピギーという名前をもっていた真実で懸命だった友人が断崖から転落していった事実を、悲しみ、泣いた」




2004-10-11




この小説はメタファーに満ちている。

たとえばほら貝。
浜辺でラーフが見つけた美しいほら貝は、それを手にしているラーフをほかの子どもから際立たせる。
集会で発言するときは、ほら貝を手に持つ、持たない者は口を挟まない、といった秩序の象徴でもある。
ピギーはジャックの襲撃を受けた時、なんとしてもほら貝を守ろうとし、最後にジャックと対決するときにも抱えていく。
そして、ピギーの上に大岩が落ちた時、ほら貝も粉々に毀れてしまう。

ピギー。
唯一、名前が明らかにされない彼は、不格好で、動作が滑稽なピギーは、自分では意識していないし望んでもいないけれども、集団のトリックスターでもある。話は退屈だし、ふたこと目には「喘息」を口にして労働から逃げ出すけれど、彼の知性と人を見る能力は抜きんでており、なによりも、彼の眼鏡は火を起こすのに欠かせない道具である。ピギーは「狩られる」豚でもあり、同時に人間に火をもたらすプロメテウスでもあるのだ。

ジャックの名字。
ジャックは最初に登場したとき、メリデューと姓で呼びかけられる。作品中、唯一(正確には、自己紹介を求められて、自宅の所番地や電話番号まで言ってしまう小さなパーシヴァルも名字を言うが)姓を与えられた存在である。
姓を持ち、制服に身を包み、合唱隊を統率する、文明社会を体現しているかにも見える彼が、豚に遭遇するや、まっさきに西洋近代文明から滑り落ち、顔に粘土を塗りたくり、後に色で隈取りをし、服を脱ぎ捨ててしまう。このことは非常に興味深い。
わたしたちは組織や規律をきわめて文明的なもの、と考えがちだが、ゴールディングの作品はそうではないことを示している。
彼は権力を求める。
ラーフのように、救助を求める、という鮮明な目的意識があって、組織を運営しようとしているのではないのだ。彼は自分が権力をふるうために、組織を必要とする。
ジャックが狼煙を必要としない、むしろ、無意識的に妨害するのはそのためだ。
ジャックは戻りたくない。
小さな島の王でありたいのだ。
ここでは制服も、蛮族の隈取りも、実は同じことなのだ。

そして「蠅の王」。
「蠅の王」がひとの心の奥に潜む「獣性」の象徴であることは、非常にわかりやすく(少年期の読者にもわかるように)はっきりと書いてある。
ただ、ここで疑問に思うのは、ジャックが「蠅の王」に屈服した側で、ラーフがそれと闘おうとする側、と単純に読んでよいのだろうか、ということなのだ。

「蠅の王」の声を聞くのは、もうひとりのトリックスター、サイモンであって、ラーフではない。
彼が「獣」を怖れないのは、ピギーのように「意味がない」からでも、ジャックのように槍をもっているからでもない。サイモンは最初から「獣」とはひとの心の中に棲んでいることを知っているからであり、だからこそ「獣」と対話もできる。
そのサイモンは、「蠅の王」の予言通り、「みんな」に(ラーフもピギーも、直接には手を下さなかったにしても輪の中にはいたのだ)殺される。「獣」は気づいてほしくないのである。
気づかれれば、もはやその人間を支配することはできなくなるから。

1.で書いたマークの寄宿舎にもジャックがいたように、ジャックも、ピギーも、ラーフも、そしておそらく数はずいぶん少ないだろうけれど、サイモンも、わたしたちの傍にいる。
「YAとして読む」とタイトルにつけたのはそのためだ。
宗教的な寓話として、わたしはこの作品を読みたくはない。

「獣」はだれの心の中にもいる。
「獣」の存在を認め、それを知ること。
それが「獣」に屈服しない唯一の方法だ。

実はこの小説はこれで終わりではない。
最後に爆弾が用意されている。

「少年たちの嗚咽にとり囲まれた士官は、心を動かされかなりどぎまぎした。彼らが気をとりなおす時間の余裕を与えようと、顔をそむけた。そしてじっと待っていた。その間、沖合はるかに停泊している端正な巡洋艦の姿に、じっと眼をそそいでいた」

わたしたちはいつの間にか、ラーフと一体になって追われている。
もはや追っているのは、十二歳の少年ではない。
隈取りをし、槍を尖らせ、火を放つ「蛮族」なのだ。

そこで海軍士官に会う。
ほっとする。
助かった、と思う。

島での生活を振り返り、ラーフと一緒に失われた友情やイノセンスに涙を誘われそうになる。

そうして最後の段落になって、わたしたちは、士官の視点で、大人の視点で珊瑚礁の外の世界を見ることになる。

沖合で少年たちを待っているのは、客船でも、漁船でもない。巡洋艦だ。
「端正な」、すなわち少年たちの原始的な暴力とは違う、より近代的な装いをこらした暴力の世界。
わたしたちが帰っていくのは、そういう世界なのだ。

そう。
助けなど、どこにもない。

ラーフは物語の冒頭から、海軍の指揮官である父親が助けにきてくれる、と信じている。
父親に見つけてもらうために、狼煙の火を絶やしてはならないのだ。
何よりも狼煙を維持するために、リーダーとなってコミュニティを築こうとする。

ときには責任に打ちひしがれ、大人がいてくれたら、どうしたらいいか教えてくれたら、と思う。
眠る時には、母親もいたころの、自分が寄宿学校に行く前に住んでいた家の記憶に帰っていく十二歳の子どでもあるのだ。
それでもラーフは狼煙を守るためには、闘うことも辞さないし、生き延びるために考えることを学んでいく。

最後に待っていた「大人」が来た。
けれども「大人」は、目を背けるばかりで現実を見ようとはしないし、真実に気づくこともない。
とりあえず珊瑚礁の島から彼らは出るだろう。
けれども、間違いなく、彼らの戦いは続いていくのだ。
それぞれの内側に「蠅の王」を抱えたまま。

「そして、物語には三つの種類がある。すなわち、めでたく終わる物語、悲しく終わる物語、そして目出度くも悲しくもなく終わる、言い換えれば、実際には何も終わらない物語の三種類である」(ディヴィッド・ロッジ『交換教授』白水社)

戦いは続く。
そこに獣はいる。






2004-10-12