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あの頃わたしが読んでいた本

ぼくがただ求めていたのは手を引いてくれるともだちだった
― Rod Stewart "Maggie May"


自転車

1.公園の魔女


かすかな記憶をたどっていくと、最初の本屋はアーケードのある商店街の一角にあった。
ほの暗いアーケードの下を母親に手を引かれて歩く。近づいてくるのは人の脚ばかりだ。
やがて、向こうのほうで光が見えてくる。平台に置かれた雑誌が、鈍い照明を反射しているのだ。その光が本屋の目印だった。
外に出ている雑誌の台をはさむように細い通路が左右に分かれ、いっそう暗い奧に続いていく。そこでわたしは母の手を放し、入ってすぐの壁側の台に向かう。胸のあたりにくる手前の台には、おひめさまやウサギ、クマや機関車がおいでおいでをするように並んでいて、その向こうの本棚にもカラフルな背表紙がぎっしりと詰まっている。背伸びをして手を伸ばし、ぎっしり詰まっている棚から本を抜き出すのは骨が折れた。ちょうど台の下は引き出しになっていて、その中にも本がいっぱい入っているのだろうか、ここなら開けやすいのに、ここを開けたら怒られるのだろうか、と考えていたような気がする。

のちに繰りかえし聞かされた話によれば、母親に連れられて出かけるたびに、一冊まず読んで、読んでいない絵本を買っていた、という。
ところがわたしの記憶ではそうではなくて、いまにして思えば「白雪姫」や「シンデレラ」の、カラフルなディズニーアニメを絵本にしたものがほしかったのだけれど、そういう本は買ってもらえなかったのだ。最初はまだカタカナが読めなくて、そのきれいな本はものすごくおもしろそうなのに、何が書いてあるかわからなくて、悔しい思いをしたのは、ミッキーマウスだったのか、シンデレラだったのか。

たいてい買ってもらえるのは、平台に置かれた本ではなくて、くるくるまわる本差しに数冊ずつ入っている本だった。ボール紙を張り合わせた、分厚いけれど、ページ数の少ない短い本文に、あまり芸術的とはいいがたい派手な色の挿絵がついた、ごく安い、昔話やイソップやグリムの絵本だったのだろうと思う。

家には福音館や岩波などから出ている、母親の言う「ちゃんとした」絵本、芸術的な挿絵と有名な作家の手による絵本もあった。
ところがこういう本がわたしのところに「おりてきた」のは、本屋に置いてあるその分厚くて安っぽい絵本のほとんどを読み終わったあと、もう少し大きくなってからだ。
そうしてそのおさがりの「立派な絵本」に、わたしはすっかり魂を抜かれてしまったのだった。

『カチカチ山』では、タヌキの策略にはまったおじいさんは、おばあさんを食べさされてしまう!
「あわもちくったし、ばあじるくった、ながしのしたのほねをみろ」とタヌキは言い捨てて、山に帰ってしまうのだ。
驚いたなどという生やさしいものではない。
それまで読んでいた本では、タヌキもおばあさんにケガをさせるだけだったし、最後はおぼれかけたタヌキは涙を流して謝り、ウサギも許してやるのだ。
そんな話とくらべると、単に自分が逃げるだけではない、禍々しい企みを成功させてにやついているタヌキの顔は、胸がドキドキするほど恐ろしく、同時にあらがいがたいほど、引きつけられもした。

そればかりではない。『おおかみと七ひきのこやぎ』では、最後におおかみを井戸に落としたあと、こやぎたちは「おおかみしんだ! おおかみしんだ!」といってぐるぐる踊り回る。
兄たちが食われたあとに残った三匹目のこぶたは、逆にオオカミを煮え立ったナベに落として、煮て食べてしまう。
シンデレラをいじめた意地悪な姉たちは、焼き鏝を当てられる。

わたしはめまいがしそうだった。
子供向けにリライトした、漂白したような本から抜け落ちている、一種強烈な、あえて言うなら「悪」というものが持つ強烈なエネルギーに、身のうちがふるえるほど惹かれたのである。
こうしたくっきりした「悪」があってこそ、反対の存在もひきたつ。ここまで残酷なことをするタヌキだからこそ、ウサギも心おきなく仕返しができる。
だが、背中に背負わせた粗朶に火打ち石で火をつけるウサギ、大やけどを負ったタヌキの背にとうがらしをぬりつけるウサギは果たして「善い」存在と言えるのか。
オオカミの腹を切り裂き、こやぎを六匹取りだしたあと、そこに石をつめて縫い合わせる、そこまでする必要が、おかあさんやぎにはあったのか。
中間色で描かれた挿絵の向こうで生き物たちは、一方は一方を食い、食われる側はそれに立ち向かい、知恵をふりしぼって仕返しをしていた。善だの悪だのを越えて、そこには生き生きと躍動する生き物たちがいた。

もちろんそんなことはその当時、わかるはずもない。わかったのはただ、お話とはこんなにもおもしろいものなのか、ということだった。

たちまちその世界に引きこまれたわたしは、悪いタヌキや、小さくて恐がりだけれど何もかも見ているこやぎや、ずるがしこいほどに知恵の回る三匹目のこぶたと、文字通り寝食をともにしたのだった。ほんと、こわかったよねぇ、と自分にしか見えないこやぎに話しかけて自分は傘立てに隠れられるだろうか、と考え、砂場で悪いタヌキを沈めるための泥船を作るかたわらには、見えないウサギがいた。
そうしたわたしがなにより恐ろしかったのは、タヌキやオオカミではなく、「魔女」や「やまんば」のような、人間とも、人間ともつかないものだった。

グリム童話や日本の昔話には、おそろしい「おばあさん」が登場する。ふだんはふつうの様子をしているのだが、その奧に恐ろしい本性を隠しているのだ。
いったんその本性がむき出しになると、魔法を使ったり、髪をふりみだしてものすごい速さで山をかけまわったりする。
あるときその挿絵を見ていて、ハッとした。○○のおばさんだ!

うちと同じ並び、数軒先にそのおばさんが住んでいる家があった。わが家と同じ間取りの古い小さな平屋だったのだけれど、ヒマラヤスギの植え込みの奧の家は薄暗く、そこに背中が曲がって、白髪をうしろで小さな髷に結っていたおばあさんと、娘であるそのおばさんが住んでいた。
わたしたちは「○○のおばあさん」「○○のおばさん」と呼んでいたのだけれど、実際はいったいいくつぐらいだったのだろう、もしかしたら「おばあさん」のほうもそれほどの歳でもなく、娘の「おばさん」のほうはもしかしたら二十代だったのかもしれない。とにかく覚えているのはあごに大きなほくろがあって、そこから黒い毛が三本、飛び出していたことだけだ。

たぶんわが家が町内会の役を引き受けてでもいたのだろう。そのころ「お使い」と称して、近所に配布物や回覧板を持っていかされることが多かった。ほかの家なら平気なのだけれど、そこの家だけはどうしてもいやだった。おばさんが恐かったからだ。

玄関先で「ごめんください」と言う。大きな声を出そうとしても、びくびくしているせいか、蚊のなくような声しか出ない。案の定、だれも出てこないためにもう一度、声を張り上げる。
今度は聞こえたらしく、中からゴトゴト音がする。誰が出てくるのだろう、とドキドキしながら待った。
ガラスの引き戸の向こうに小さなおばあさんの姿が映ったときは、ほんとうにホッとした。
そうではなくて、中からドタドタと足を踏みならすような音がすることもあった。身がすくんで、くるりと向きを変えて逃げ出したいのを、じっと耐える。やおら、ガラッと戸が開いて、
「何?」と、怒鳴られる。
「これ、お願いします」といって差し出すと、ひったくるように取り上げてガシャンとそのまま戸を閉めることもあれば、一転、笑顔になったかと思うと、はだしのまま玄関におりてきて、わたしの後ろにまわりこみ、「よく来たなあ、上がっておいで」といって、うしろからのしかかられるように抱きしめられることもある。
「何しに来た」と言ったあと、こちらをものすごく怖い目でにらんでくることもあった。憎々しげに曲がった口元からは、よく聞き取れない声でひっきりなしに何か毒づいていたのだった。
母親が一緒なら、まったくふつうの応対をしているのだが、母がよそを向いている隙に、にらみつけられたこともある。

このおばさんが、わたしが何かして、そのことを怒っているのか、わたしを憎んでいるからあんなに恐い目でにらむのか、どうして後ろからのしかかってくるのか、そういえばティッシュにくるんだおかしをくれたこともあった、そういう行動のすべてがわたしにはさっぱり理解できなかった。

絵本を見て、なぞがとけた。
魔法使いのおばあさんなら、あるいはやまんばなら、それも納得がいく。
お菓子をくれたり抱きしめたりしようとするのも、すべてたくらみがあるからだ。

わたしは当時でさえ、ほんとうに「魔法使い」や「やまんば」だと信じたわけではなかったろう。それでもときに恐ろしい顔でわたしをにらみつける理由を、むりやりにでも見つけたかったのではなかったか。

ところが絵本で類似を発見して以来、いよいよそのおばさんのことが怖くてたまらなくなった。
滅多に家から出ない、ひとりでは買い物にも行かないような人だったけれど、たまに家の前で掃除をしているのを遠くからでも見てしまうと、足はそれだけですくんでしまう。急いでUターンしてあたりをしばらくぶらぶらしてからもういちどそっとのぞいて、姿がないのを確かめてから家に帰るというぐらいだった。

ごくまれに、夕方の公園でそのおばさんを見かけることもあった。
犬を散歩させているわけでもなく、子供がいるわけでもない、ぽつねんとベンチに座っていたかどうかするのを見つけて、わたしは胸をドキドキさせながら、見つからないように走って帰った。あれは、きっとさらっていく子供を選んでいるにちがいない。

いま思うに、おそらく精神的に多少不安定な人だったのではなかったのだろうか。
それでも、気分によっては、自分が持つことのなかった子供に、なんとかしてふれたかったのだろう。
おそらく「魔女」だの「やまんば」だのということは、母親にさえ言っていなかったはずだから、その人が知っていたとは思わない。それでも、わたしが怖がっていることは、気づいていたのではなかったか。
その人はどんな思いで子供たちを見ていたのだろう。
暮れていく公園のベンチに座っている「魔女」の長く伸びた影、というのは、大人になったわたしの捏造した記憶なのかもしれないが。


2.伝記と神様


小学校に入る前の春休み、入学式の日を毎日指折り数えていたものだった。
学校に入ったら勉強するのを楽しみに、毎日せっせと白地のノートを字で埋め、ランドセルを背負い、制服を着るのは許してもらえなかったけれど、真新しい制帽をかぶり、靴を履いて庭を歩き回った。

入学式が終わって初めて入った教室の正面には、白とピンクの和紙で折った花に囲まれた黒板があって、「にゅうがくおめでとう」と大きな字で書いてあった。そうして、初めての担任の先生は、ひらがなのきれいな字で、黒板に自分の名前を書いた。名字にも名前にも花の名前が含まれた、きれいな名前だった。

そうやって学校が始まって間がないころ、わたしにも新しい友だちができた。わたしたちは教室の後ろ、三人で、笑い合いながらふざけっこをしていたのだ。
おそらく先生が話している最中ではなかったように思う。やるべきことが終わって、まだ授業時間は完全には終わっていない、そんな中途半端な時間だったのだと思うのだけれど、とにかく三人で遊んでいたところを、先生に咎められたのだ。

三人は呼び出され、前に並ばされた。
失敗した、と思った。とりあえず神妙な顔でもしておこう、と思った。隣のふたりは、まだつつきあって笑っていたが、わたしは黙ってうつむいた。
ところが、あろうことか先生はわたしの態度を見て、「* * さんは反省しているから席に戻ってよろしい」と言う。
驚いた。
母親なら、決してそんな顔ごときで騙されたりはしないのに。
ああ、先生というのはこの程度のものなのか。
六歳のわたしは、はっきりとそう思ったのだった。あまりに強烈な経験で、いまだにそのときの教室の情景さえ目に浮かんでくる。
だが、そのときの経験が、どうも以降の自分の学校での行動を決めてしまったような気がしてならない。


教室には「学級文庫」というものがあった。小さな本棚に古い本が何冊か置いてあったのだ。
すでに読んでいた本も少なくなかったが、そこで新しく目にした本もあった。「伝記」というジャンルがそれだ。
架空の登場人物ではない、実際に生きて死んだ人の物語に、わたしはさっそく夢中になった。

ある土曜日、わたしは下校時間になったにもかかわらず、教室でその伝記の一冊を読んでいた。みんなが帰ってしまったあとだったのだけれど、読み始めた本がおもしろくて、どうしてもやめられなかったのだ。確か、黒い衣を着たお坊さんの絵が描いてあったように思う。良寛か一休ではないかと思うのだけれど、誰の伝記だったかまではわからない。ともかく、先生は教室に残っているわたしに、そんなにおもしろいんだったら、まだ残って読んでいていいですよ、と言ってくれたのだった。
そうしていると、だれかのお母さんが教室にやってきた。
子供がみんな帰った静まりかえった土曜日の教室に、先生とそのお母さんとが話す低い声をかすかに耳の隅で意識しながら、わたしはそのお坊さんの話を読み続けた。
読み終えて、本を書棚に戻して帰ろうとしていると、いつのまにかお母さんとの話も終えた先生が、読んだことをお話に書いてごらんなさい、と言ったのだった。

それからのちもこの先生はことあるごとに、わたしに「お話」を書くように言った。授業の時に書かされる作文ではなく、「お話」と言った。わたしは果たして一度でも書いたのだろうか。
その先生がそう言っていたのは、わたしだけだったのか、ほかの子にも同じように言っていたのかは知らないのだけれど、なにかあるたびに先生はわたしに「お話」を書くように言うのだった。

それまで、「お話」というのは、ただそこにあるもので、どこかでだれかが書いているものだと考えたことはなかった。
自分と同じような子供だった人が、大人になっていろんなことをした、という「お話」。
そうしてそれを書いたのも、自分と同じように、かつて子供だった人。
これまで芋虫が葉っぱを食べるように、手近にある本を何でも読んでいたわたしが、初めて「書く人」に意識を向けるようになったのは、このときからだったような気がする。


教室にお坊さんの伝記があったのだけれど、そこの学校はカトリックの学校で、一年生の時から「宗教の時間」があった。
シスターから聞く「良きサマリヤ人の話」や「放蕩息子の話」や「迷子になった一匹の子羊の話」をわたしはおもしろい昔話を聞くように聞いたのだった。

そんなころ、家族でどこかに行った。
不意に、雲間から日が差すのが見えた。厚い雲に切れ目が入り、まるで定規で引いたようにまっすぐな白い帯が三本、宙を走っていた。
学校で見た聖書物語の挿絵そのままだった。キリストの姿のまわりには、かならずそうした後光が差していた。わたしにとって、その日差しはキリスト像と一体のものだった。
だからわたしは大声で言った。
「神様が見えるよ!」
ぎょっとした顔で、両親は顔を見合わせていた。


担任の先生は、二年生もそのまま持ち上がりになったのだけれど、間もなく休むようになった。お母さんが病気になったのだ。代わりにシスターや臨時の先生が教えに来てくれて、わたしたちは先生のお母さんが早く元気になりますように、と、修道院でお祈りをした。だが、やがてお母さんが亡くなったという話を聞いた。

しばらくして先生は戻ってきたのだけれど、授業中、いきなり泣きだして教室を出ていくようなことも何度かあり、結局、その学年の途中で先生は退職した。
おそらくお別れ会があったり、手紙を書いたりしたのだろうが、その記憶はまったくない。その学年の残りの期間を見てくれたはずの臨時の先生の記憶もない。
だがやがて、だれかからその先生は、その学校と同じ系列の教会の修道院に入ったという話を聞いた。いつかシスターになった先生に会えるかもしれない、という話を聞いたのか、それともそれはわたしが思っただけなのか。ともかく、ベールを被ってシスターの服を着たその先生は、絵の中のマリア様のようにきれいだろうな、と思ったのだった。


3.ホームズの日々


人生を変えた本、というと、大仰な話なのだけれど、もしかしたらわたしの人生を変えたのはコナン・ドイルの『バスカビル家の犬』ではあるまいか。

あまりこれを読んだらいい、などということは言わない母だったのだが、小学校二年生の時、一緒に本屋に行ったとき、ホームズはおもしろいよ、とその本を選んでくれたのだった。

子供向きにリライトしたもので、江戸川乱歩の少年探偵団を意識したのか、なんとワトソンは少年だったのである。そうしてチェックの鳥打ち帽とケープのついた上着、半ズボン姿のワトソン少年が、ダートムーアの底なし沼のすぐ近くのバスカビル家に行くのである。

作中に挿入される黒い犬の伝説、そうして、大きな岩に横たわってこときれている若い女と悪逆非道の領主の挿絵。
夢中になる、などというような、生やさしいものではなかった。
一言一句、暗記するまで読んでもまだ足りない。読み終わってはまた最初に戻ってもういちど読んだ。
わたしが歩いているのは、アスファルトで舗装された歩道などではなく、沼地のほとりのぬかるんだ泥地だったし、鼻先で沼の瘴気を感じながら、通りの向こうには捕虫網を持って走っているステープルトンがいるはずで、ランドセルを背負ったわたしは、ワトソン少年、ホームズに報告するために、あたりを注意深く見まわしているのだった。

ワトソン少年が出てきたのは『バスカビル家の犬』ただ一冊で、あとは大人のワトソンだったが、もちろんどれも夢中になった。『まだらの紐』だの『ぶな屋敷』だの、『赤毛連盟』を読んで、外国には赤い髪の人がいるのか、と感心し(のちに自分が思っていた色とずいぶんちがっているのを知るのだが)、『踊る人形』でアルファベットを覚えた。学校のノートには、端を持ったり足を曲げたりしている人形の絵が並んだ。

そうして、『バスカビル家の犬』のつぎに取りつかれたのが『緋色の研究』である。
この作品ではモルモン教の教団が大きな役割を果たす。描かれる舞台では、一夫多妻という見慣れないもので、異教徒との結婚を望めば恐ろしい制裁が待っている。
そうして、ダートムーアが『バスカビル家の犬』で重要な役割を果たすように、まだ半ば未開の地であるアメリカの、厳しい自然環境の下で恐ろしい犯罪が暴かれてゆくのだ。
のちに自転車で走っているのが同じモルモン教徒だと知って、ひどく変な気がした。

何よりも引かれたのが、ホームズはステッキ一本見るだけで、持ち主の社会的地位から、性格、嗜好や現在の心理状態まで見抜いてしまう点だった。
この世界には、表面で見えるよりずっと多くのことが隠されている。そうしてものごとはよく見れば、おどろくほどたくさんのことが見えてくるのだ。
そうして家でさかんに「この靴に泥はねがついていることを考えると、お姉ちゃんは公園をつっきって帰ってきたね」などと言って、うるさがられるようになったのだった。

ホームズの作品はすべて集めた。そのひとつひとつをわたしはいったい何度読み返したことだろう。
やがて、すでに犯人がわかっている推理小説など、読み返すこともなくなるのだけれど、そのころのわたしは繰りかえし読んで、飽きることを知らなかった。
本を開けばそこは世紀末のロンドンだった。もはや本を読む、というより、ページに書かれた言葉は、その世界に入りこむための呪文のようなものだったのだ。

ちょうどそのころ、近所に空き巣が入るという事件があった。
そこの家の人は和文タイプを仕事にしていて、独特のタイプを打つ音がよく響いていた。通りからでも十分聞こえるほどの大きな音だったのである。
話を聞いて急いで現場に急行した。狭い通りいっぱいにパトカーやらワゴン車やらが停まっていて、遠くから見るだけで胸が高鳴った。なんとかして中が見えないものだろうか、と、背伸びをして覗いたりもしたのだろう。

玄関にロープが張られた家の前に、暗い顔をしてタイプをいつも叩いている女の人がうつむいて立っているのが見えた。
やがて、空き巣というのはほんとうは空き巣ではなかったらしい、という噂が流れた。
どうやら狂言だったらしい、そこの娘さんがいろいろあって……。
もっと知りたくて、どういうこと? と聞いたら、そんなことを知りたがるものではありません、と怒られた。しかたがないから「狂言」という言葉を、あとでこっそり辞書でひいた。

せっかくの事件なのに、何がなんだかわからないなんて。
こんなはずではない。そう思って、そこの家の周りをうろうろしていたのを母親に見つかったのだろう、これだけ言ってもわからないのか、と、正座をさせられて長い時間説教を喰らったのだった。

推理小説はね、お話なの。ほんとうは、人が殺されたり、ものが盗まれたりすることは、おもしろいことでも、楽しいことでもないの。
お話だから、楽しいの。お話と、実際の世の中はちがうのよ。

それまで物語の世界は、自分がいるところと地続きのはずだった。
たとえ魔女がいても、鬼や怪物が出てきても、それはわたしがいるところからちょっと先。
通りの向こうには、ロンドンのべーカー街があって、殺人者やモーリアティ教授らが暗躍し、ホームズが彼らを追いつめている。
殺人者は何度でも人を殺し、ホームズは繰りかえしそれをつかまえる。
それは、本の中での出来事なのだ、わたしが実際に生きている世界とは、まったくちがうところなのだ、そこは、本の世界とは、何の関係もないところなのだ、ということを、わたしはシャーロック・ホームズを読むことで、逆に知っていったのだった。


4.『火星兵団』と『平家物語』


五年生になって転校したわたしが、新しい学校で一番楽しみにしていたのは、図書館だった。
それまでの学校の図書館は、蔵書数がそれほど多くなくて、図書館の本のほとんどを読み尽くしてしまっていたからだった。

その学校の図書館には、貸本屋からの寄贈本のコーナーが置いてある一角があった。
見開きに「寄贈」という判がべったり押してある本は、どれもわたしが生まれるはるか前に出版されたもので、ページは茶色く変色し、端がぼろぼろと朽ちかけているのもあり、古い本独特のにおいがし、印刷がぼけた挿絵がついていた。
そうして、その本は「少年向け」と「少女向け」にきれいに分かれていた。

「少年向け」は、江戸川乱歩の明智小五郎シリーズを初めとして、山中峰太郎の冒険小説や海野十三のSF小説があった。
タコの姿の火星人が、本来の姿を隠して黒い服に身を包み、黒めがねをかけて現れる『火星兵団』や、海底都市や地底都市の話はどれも、わたしが生まれる前の時代が、作品に描かれる「未来世界」なのである。
山中峰太郎の冒険活劇では中国に行った主人公が闘うのは凶暴な大熊猫。そうしてルビはジャイアント・パンダ、と打ってある。
挿絵の人々の昔風の服や街並みの様子に、わたし自身が未来とも過去ともつかない場所にタイムスリップしたような気分で読みふけった。

「少女向け」は読んだのだろうか。いま考えるに、おそらくは中原淳一か、それを模した挿絵がついていたのだと思う。まん丸な目にわさわさとまつげが生えていて、やたら生き別れの姉妹とか、そんな話が出てきたような記憶があるので、確かに何冊かは手に取ったのだろう。ともかくそちらのコーナーは、わたしの視界にははいって来なかったのだ。

転校後の学校は、いろいろ窮屈なところだった。
そこに通うようになって間もないころ、家で読んでいた子供向けにリライトされた『平家物語』を休憩時間に読んでいたときのこと。いきなり担任に、本当に賢い人間というのは、人前で見せびらかしたりはしないものだ、と言われたのだ。
叱られたわけではない。ただそのときの口調に、わたしは全身がかっと熱くなった。
叱りとばされた方が、よほどましなような、なんともいえない、冷ややかな口調だったのだ。

なるほど、ここはそういう見方をする人間がいるところなのだな、と考えるほど、わたしはすでに大人になっていたのだと思う。学校ではもう二度と図書館の本しか読むまい、と決心したのだった。それならば、文句はないだろう。
学校で読むのは、図書館にある大昔の冒険小説や少年探偵団。
授業でも、しばらくのあいだ「それはどこで習った」「だれに教わった」「教科書とはちがうやり方をするな」と言われ続け、わたしは急速に「学校用の自分」というものを作り上げていった。ちょうど火星人が本来の姿を隠したように。
どう考えても自分はそこでは「火星人」にしか思えなかった。

家に帰ってランドセルをおろすと、やっと素の自分に戻れる。
それまで詰めていた息を吐き、固くなった体をほぐすように、わたしは自分がほんとうに読みたかった本と心おきなく向きあえるのだった。

そのころ家には従兄弟や親戚からもらった子供向けの本がたくさんあった。そうした本は段ボール箱に詰められたまま、階段の下の物置に積んであり、そのなかから一冊を選んでは、階段に腰かけたまま読むのだった。『平家物語』も『今昔物語』も『ギリシャ神話』も『ガリバー旅行記』も『十五少年漂流記』も『路傍の石』も『杏っこ』も『蜘蛛の糸』も、全部そうした宝の山から見つけた本だった。

もちろん『平家物語』は見つけたときからおもしろく読んでいたのだが、わたしが『平家』を読んでいる、という話を聞きつけた伯母さんが、こんど歌舞伎座でやるから、といって、連れて行ってくれることになったのだ。
ずっと座っていられるか、とか、言葉がわからないのではないか、とかいう母親の心配をよそに、わたしはおよそゆきが着られるチャンスがうれしく、歌舞伎がなんなのかもわからないまま見に行った。

あとにも先にもただ一回だけの歌舞伎座のことなど、なにも覚えていないのだけれど、遠くの舞台が明るかったことと、人は小さく見えるのに、肉声が響き渡っていたのが不思議でしょうがなかった。
本で読む俊寛は、ムカムカするほどイヤなヤツ、気持ちよくキライになれる人物で、島に取り残されてもかわいそうともひどいとも思えないような人物だったのだが、舞台で見た俊寛はまるでちがった。遠ざかる舟のあとを追おうとする俊寛を見ていると、胸がかきむしられるような思いがし、たったひとり島に残された俊寛の孤独は自分の孤独と重なった。
しばらくは夜ふとんの中で、最後の場面をまぶたに浮かべては、涙を流して寝る夜が続いた。

それ以来『平家物語』も、自分の中では圧倒的にリアルな物語になった。
それでも『祇王』のような、動きの少ない部分はおもしろくなかった。『平家』に出てくる女の登場人物たちは、なんのかんのとメソメソして、祇王も仏もちっとも好きにはなれなかった。
なんといっても好きだったのは、巻七の『忠度都落』だ。
忠度は平家一門にあっては珍しい、きわめてすぐれた武人だったのだが、それだけではない。歌人でもあったのだ。
都落ちする一門のなかにも見苦しい態度を見せる人間が何人も出てくる。そういうなか、端然と都を去る忠度が、途中で引き返すのである。そうして歌の師匠であった藤原俊成のところへ戻り、自分の作った歌を勅撰和歌集に推薦してくれるよう託したのである。

自分の名前を残したい。
その気持ちはわたしがそれまでに読んだどんな本にも出てこなかった。
ただ、ひどくよくわかるような気がした。
どこまでいっても、人間の身ははかないものなのだ。力で権力の座をのぼりつめた清盛も、その平家一門を都から追い落とし、連戦連勝を重ねた義仲も、義経も、やがて悲惨な最期を遂げる。
それでも生きた証は名となって残っていくのだ。

忠度の物語は八百年後のわたしの胸のなかに、脈々と息づいていた。
だんだん薄れていく歌舞伎の記憶をもとに、わたしは忠度の姿を想像する。
頭の中では来る日も来る日も援護計画を立てた。
お歯黒をやめさせるのだ。まずなによりもそのことを教えてあげなくては。
空想のなかで、わたしは有能な家来になり、頼もしい援軍になりして、なんとか忠度を助けようとした。
これほどひとりの男性の生死が、自分にとって重要になるとは夢にも思わなかった。その意味で、もしかしたら、わたしの初恋は、この忠度だったのかもしれない。


わたしを歌舞伎に連れて行ってくれた伯母さんは、学校の先生をしている人だった。 わたしの顔を見れば、新聞を読んでる?、と聴いてくる。
新聞はむずかしい、TV欄とマンガしか読んだことがない、というと、それだけじゃだめよ、というのだった。わからなければ、辞書を引きなさい、国がわからなかったら、地図を見るのよ。毎日読んでたら、だんだんわかるようになるわ。

この人があるとき句集を出した。
部数も少ない、自費出版にどれほどもかわらないようなものだったが、わたしにもくれた。
墨で書いてあるわたしの名前は読めたけれど、「謹呈」という字が読めない。だから、これ、なんて書いてあるの? と聞いた。
「きんてい、っていうこと。つつしんでお贈りします、っていうことよ」
「伯母ちゃん、本が出てうれしい?」
「そりゃうれしいわよ。自分の子供みたいなもの。わたしには子供がいないからね。子供の代わりよ」
「これで名前が残るね」
わたしがそう言うと、伯母さんは笑った。
「このくらいの歌集だとなかなかそういう話にもならないけどね」
「勅撰和歌集だったら?」
「むずかしいことを知ってるのね」

伯母さんの歌は、むずかしくてよくわからなかったのだけれど、忠度の歌の意味は、なんとなくだけれど、わたしにもわかった。わたしはいつのまにか覚えてしまったその歌を、お風呂の中や散歩しているときなどでそっと口にしてみた。そうすると、大好きな忠度が、近くにいるように思えたのだった。

さざなみや 志賀の都は あれにしを
 むかしながらの 山ざくらかな


5.図書館が学校だった


図書館が好きだった。
そこには本を読む人がたくさんいたから。

学校では、本を読みなさい、と言われ、本を読むことはいいことだ、と言われ、本を読もう、というポスターまで図工の時間に描かされた記憶があるけれど、そこには自分と同じような読み方をしている子供も、先生も、いなかった。

公立というのは窮屈なところだと思っていたから、中学受験は母親に言われるままにするつもりだったけれど、そう決めたとたん、本を読んでいると「勉強しなさい」と怒られるようになった。だからゆっくり本が読める場所を探さなければならなくなったのだ。

そのころのわたしは、地元の公立図書館では、子供室ではなく、大人の書架の方に入っていくようになっていた。

そこにはさまざまな人がいた。
机のある奧は、勉強している高校生たちに占領されていたけれど、書架の脇に置いてある椅子に腰掛けて本を膝の上に拡げている人は、うつむいて、本の世界に静かに入っていた。
それでも、わたしが椅子をさがしていると、黙ったまま、カバンを椅子から床におろして、わたしが座る場所を作ってくれた。
書架の前に立つ人は、わたしが本を探していると、そっと体の位置を動かして、わたしが見やすいように場所をあけてくれた。
背伸びをしているわたしのために、高い位置にある本を黙ったまま取ってくれた人もいた。
ピロティの椅子に座って読んでいたら、飴をくれたおばあさんもいたし、雨の日に入って、傘を傘立てに入れようとしていると、タオルを差し出してくれた母と同じぐらいの年格好の人もいた。
そうして司書さんに本の場所を聞くと、落としたひそかな声で、過不足ない情報を与えてくれた。

そこにいるだれもが、読むことの情熱を自分のうちに抱きながら、ふだんの生活の場から、図書館にやってくるのだった。自分の読んでいる本をこれみよがしにすることもなく、あるいは、おおっぴらに、これを読んだ方がいい、もっとこういう本を読みなさい、そんな本を読んじゃだめだ、などと言うこともなく、理解だの思いやりだのと言葉にしないまま、さりげなく気遣いを示してくれた。

本を探し出して借り、持って帰ってそれを読み、また図書館へ行き、返し、新しい本を借りる。その繰りかえしのなかで、わたしはなにかを学んだのだ。
言葉ではなかったから、それをうまく言い表すことはできなかったけれど、それでもわたしは理解した。
本を媒介として、わたしはそこにいる大勢の人にふれていたのだ。
そうして、そこにはいない大勢の人、本の作者や、翻訳者、編集者や、あるいは活字を組んだ人、印刷した人、製本した人、出版社や販売会社の人、その本をそれまでに読んできた数多くの人にもまたふれていた。

図書館はわたしが見つけた場所だった。
そこで誰かが読み、楽しみ、いつくしんだ本の一節を、同じようにわたしも読み、味わった。そうして、その本を介して、言葉ではないもの、眼にも見えないものが自分のうちへ流れてゆくのを感じた。わたしもまたそれをいつくしみ、自分のものとしながら、自分の元から送り返していった。そうしながら、それがさらに成長していくことを、わたしも無言のままで協力した。そこには同じ、読むことの情熱を共にする者同士の、暗黙の了解があった。
わたしがそこで時間をかけながら学んだのは、そういうことだったのだ。

こうして子供時代を終えたわたしは、本を抱えたままつぎの時代に入っていくことになる。



初出Oct.11-16 2006 改訂Oct.20 2006

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