home翻訳>ロイス・タゲットの長いデビュー


ここでは J.D.サリンジャー の短編 "The Long Debut of Lois Taggett"を訳しています。
サリンジャーは1953年に発表した短篇集『ナイン・ストーリーズ』が実質的な処女作とされていますが、この短篇集は標題通り、初期のサリンジャーの作品から九篇のみを選んだもので、二十篇ほどが選に漏れています。サリンジャー自身が当時の作品をあまり評価していないからのようですが、のちの作品に登場する人びとの原型や、サリンジャーらしい主題、スタイルなどが散見され、興味深い作品も少なくありません。ここで取り上げたのも、そんな短篇のひとつです。
初出は1942年の「ストーリィ」という雑誌。第二次大戦前のニューヨークに住む上流階級の女性が主人公です。私学を卒業して、社交界(society)にデビューした彼女は、社会(society)にどのようにデビューすることになるのでしょうか。
原文はhttp://www.geocities.com/deadcaulfields/stories/The_Long_Debut_Of_Lois_Taggett.txtで読むことができます。



ロイス・タゲットの長いデビュー


by J.D.サリンジャー

スコッチテリア


 ロイス・タゲットは、ミス・ハスコムの私学を58人中26番目の成績で卒業し、秋になると両親は、彼らのいうところの社交界に、そろそろ娘の顔見せ、というか、売り出す時期だと考えた。そこでふたりは五桁の費用をかけて、かのホテル・ピエールにてパーティを開催し、ほんの数名の者たちを除けば――ひどい風邪を引きこんだり、「フレッドは最近具合がよくないんです」と返事をよこす連中である――、親しく行き来する人のほとんどが出席してくれた。

ロイスは白いドレスを着て、蘭のコサージュをつけ、物慣れない感じではあったけれど、まずまず魅力的な笑顔を浮かべていた。客の中でも年配の紳士たちは「確かにタゲット家の娘だな。まことに結構」と言い、年配のご婦人方は「とってもかわいい子じゃありませんか」とささやき合い、若い娘たちは「ほら、ロイスを見てごらんなさいよ。まあ、悪くないわよね。あの髪の毛、どこでやってもらったのかしら」などと噂し、若い男たちは「酒はどこだ」と言い合った。

 その年の冬、ロイスはマンハッタン界隈を、衣擦れの音を立てながらせっせと歩き回った。相手は〈ストーク・クラブ〉(※ニューヨークにある有名なナイトクラブ)のゴシップコラムニストが目を光らせている席で、ウィスキー・ソーダを飲む、とびきり写真写りの良い青年たちである。ロイスの評判は悪くなかった。スタイルは良かったし、金のかかった趣味の良い服を着て、“知的”と見なされていた。その冬初めて、“知的”がおしゃれなことになったのだ。

 春になると、伯父のロジャーが経営する会社のひとつで、受付係りとして働くことになった。その年、社交界にデビューした娘たちの間で「何かやること」が大流行し始めていた。サリー・ウォーカーは〈アルバーティ・クラブ〉で夜な夜な歌っていたし、フィル・マーサは服か何かのデザインをやった。アリ・タンブルストーンはスクリーン・テストを受けていた。そこでロイスもダウンタウンにあるロジャー伯父さんの会社の受付係として働くことになったのである。

ちょうど十一日間(そのうち三日は午前のみ)働いたところで、急にエリー・ポッズとヴェラ・ギャリショー、クッキー・ベンソンがクルーズ船でリオへ赴くという話を聞いた。そのニュースがロイスの耳に入ったのは木曜の晩のこと。誰もが、リオへ行けば、とびきりおもしろいことが待っているという。ロイスは翌朝、仕事に行かなかった。その代わりに部屋の床にすわりこんで足の爪を赤く塗りながら、ロジャー伯父さんのダウンタウンの会社に来るような男は、間抜けなやつらばっかりだ、と結論を出した。

 ロイスは女の子たちと一緒にクルーズ船に乗り、マンハッタンには秋小口になるまで戻ってこなかった――まだ独り身のまま、3キロほど太り、エリー・ポッズとは絶交して。その年の残りはコロンビア大学で「オランダ―フランドル派の画家たち」「近代小説の技法」「日常スペイン語」の聴講生となった。

 ふたたび春がやってきて、〈ストーク・クラブ〉にエアコンが入るころになると、ロイスは恋に落ちた。相手は長身の劇場の広報係でビル・テダートンという、低い、しゃがれ声の青年だった。まちがっても家へ呼んでタゲット夫妻に紹介できるような相手ではなかったのだが、ロイスの目には、自分が家に連れて帰る相手はまちがいなくこの人だと映っていたのである。ロイスこそ夢中だったが、ビルの方は、カンザス・シティを出てからずいぶんあちこちを渡り歩いて、ロイスの目の奥深くをのぞきこみ、一族の金庫室に通じるドアを探すこつを身につけていた。

 ロイスはミセス・テダートンとなり、タゲット家は格別そのことで大騒ぎすることもなかった。自分の娘がアストービル家の立派な息子より、氷の配達人を選んだからといって、もはやあれこれ口出しするような時代ではないのだから。もちろん誰もが広報なんて氷屋のようなものだと知っていた。似たり寄ったりとはこのことだ。

 ロイスとビルはサットン・プレイスにアパートメントを見つけた。部屋が三つとキチネットがついていて、クローゼットはロイスとビルの肩幅の広いスーツを入れておけるだけの広さはあった。

 友だちに、幸せ? と聞かれれば、ロイスは「気がヘンになるくらいにね」と答えた。だが自分がほんとうに「気がヘンになるくらい幸せ」かどうかは、よくわからなかった。ビルのネクタイのラックにはゴージャスなネクタイがたくさんかかっていたし、贅沢なブロード生地のシャツを着ると、魅力的でたいそう立派に見えた。電話で誰かと話しているときはとくにそうだ。それに、ズボンを吊すときの手際はほれぼれするほどだし。それから、ええと、そうね、いつもとっても優しいし。でも……。

 それから急にロイスは自分が確かに「気がヘンになるくらい幸せ」であることに気がついた。というのも、結婚してから数日が過ぎたある日、ビルがロイスに恋をしたからである。

朝、仕事に行かなくては、と身を起こし、ベッドの反対側に目をやったビルは、これまで見たことのないロイスの姿をそこに見つけた。枕に顔を押しつけた顔ははれぼったく、寝顔はゆがみ、唇も乾いている。生まれてからこれほどひどい姿をロイスが人目にさらしたことはなかった――そうして、それを見た瞬間に、ビルは恋に落ちたのである。寝起きの顔を見せるような女とは、これまでつきあいがなかった。長いことロイスを見つめ、エレベーターで降りていくときも、その寝顔が離れなかった。地下鉄の中では、先夜、ロイスに聞かれた馬鹿げた質問のひとつを思い出した。ビルは思わず、電車のなかで声を上げて笑った。

 その夜、彼が家に帰ると、ロイスはリクライニング・チェアに腰掛けていた。赤いミュールをはいたまま、横ずわりしている。その格好で爪にやすりをかけながら、ラジオでサンチョのルンバに耳を傾けていた。それを見ていると、生まれてから今日まで、ただの一度も味わったこともないほどの幸福感が押し寄せてきた。宙を舞いたかった。歯がみしながら、気でも狂ったような、恍惚の叫び声をあげたいほどだ。だが、そんなことができるはずもない。そんなことでもしようものなら、厄介なことになるにちがいない。こんなことは言えるはずがなかった。「ロイス、初めて君のこと、ほんとうに好きになったよ。前はただのかわいいお堅い女の子だと思ってたんだけどね。結婚したのも金のためさ。だけどいまはもうそんなことはどうだっていいんだ。君はぼくのものだ。ぼくの恋人で、ぼくの奥さんで、ぼくのベイビーさ。ああ、神様、なんてぼくは幸せなんだろう」

もちろんそんなことはロイスには言えない。だから彼女が坐っているところまで、何気ないふうを装って歩いていった。かがみこんでキスして、やさしく引っ張り起こした。ロイスは「あら、どうしたっていうの?」と聞いた。ビルはロイスと一緒にルンバを踊り、部屋中をくるくる回った。

 ビルの発見から十五日間というもの、ロイスはサックスデパートの手袋のカウンターの前に立っているときでさえ、「ビギン・ザ・ビギン」のメロディを、口笛で歯の隙間から吹かずにはいられなかった。初めて、友だちの誰に対しても、心からいとおしく思えるようになった。五番街のバスに乗れば、車掌にほほえみかけたし、一ドル紙幣を手渡して、ごめんなさい、小銭の持ち合わせがないのよ、と言うのだった。動物園を散歩したし、母親には毎日電話で話した。お母さんってほんとうにすばらしい人ね。お父さんは――ロイスは気づいたのだ――働き過ぎよ。ふたり一緒に休暇旅行に行くといいわ。せめて金曜の夜には、うちに晩ご飯を食べに来てちょうだい、忙しいなんて言わないで、きっとよ。

 ビルがロイスに夢中になり始めて十六日目、恐ろしいことが起こった。十六日目の夜、ビルはリクライニング・チェアーに腰掛け、ロイスを膝にのせていた。ロイスの頭はビルの肩にあずけられている。ラジオからはチック・ウェスト・オーケストラの甘い調べが響く。チック自身が弱音器をつけたトランペットで、あのステキで古風な「煙が目にしみる」のリフレインを奏でていた。

「ねえ、あなた」ロイスがささやいた。

「どうしたんだい、ベイビー」ビルがやさしく答えた。

 固い抱擁から身をほどく。そこでまたロイスは、頭をビルの広い肩にあずけなおした。ビルは灰皿からタバコを取り上げた。だが、それを口に持っていく代わりに、エンピツを持つように指にはさみ、ロイスの手の甲のすぐ上で、小さく円を描いた。

「やだあ」ロイスは冗談めかしてやめさせようとした。「やけどしちゃうじゃない」

 だがビルは聞こえないかのように、ことさらにゆっくりと、というより物憂げな仕草でその行為を続けた。ロイスはぎょっとして悲鳴を上げ、身をふりほどいて立ちあがると、狂ったように部屋を飛び出した。

 ビルがバスルームのドアを叩いた。ロイスは鍵をかけている。

「ロイス、ロイス、ベイビー、かわいこちゃん、お願いだよ。自分でも何をしてるかわからなかったんだ、ロイス、ねえ、ドアを開けてくれよ」

 バスルームの中で、ロイスは浴槽の縁に腰をのせ、洗濯かごをじっと見つめていた。自分の右手でもう一方、やけどした方の手をぎゅっとつかんでいる。そうやっていれば、痛みがおさまるとでもいうように、すべてがなかったことにできるかのように。

 ドアの向こうでは、ビルがからからになったような声で呼び続けていた。

「ロイス、ロイス、頼むよ。おれ、気がつかなかったんだ、何が何だか。ロイス、頼むからドアを開けておくれ。お願いだ、後生だから」

 ついにロイスは出てくると、ビルの腕の中に戻った。

 だが、一週間後にまた、同じことが起こったのである。ちがったのは、こんどはタバコではなかった、というだけだ。ビルは、日曜日の午前中、ロイスにゴルフのスウィングを教えているところだった。みんながビルはとびきりゴルフがうまいと言うので、ロイスも「教えてよ」と言ったのだった。ふたりともパジャマを着たままで、裸足だった。とても楽しかった。クスクス笑ったり、キスしたり、笑い合ったり、実際、あんまり笑ったので、二度も坐りこまなければならなくなるほどだった。

 そのとき突然、ビルは二番ウッドの先を、ロイスのむきだしの足に振り下ろしたのである。彼のスウィングが正確ではなかったのは幸運だった。なにしろ渾身のスウィングだったのだから。

 それでおしまいだった。ロイスは両親のアパートメントにそのまま残っていた、昔の自分の部屋に引っ越した。母親が新しい家具とカーテンを買いそろえてくれ、ロイスがまた歩けるようになると、父親はすぐに千ドルの小切手を渡した。「何か服でも買うんだな」と父親は言う。「さあ、行っておいで」そこでロイスはサックスデパートとボンウィット・テラーデパートに出向いて、その千ドルを蕩尽した。おかげでずいぶん衣装持ちになった。

 その年の冬、ニューヨークはさほど雪が降らず、セントラル・パークもいつもの姿にはならなかった。だが、気温は大変低かった。ある朝、五番街に面した自分の部屋の窓からロイスが外を眺めていると、ワイヤーヘアード・テリアを連れて散歩している人がいた。ロイスは独り言を言った。「犬がいたらいいな」その日の午後、ペット・ショップへ行くと、生後三ヶ月のスコッチ・テリヤを買った。明るい赤の首輪とリードをつけて、クンクン鳴くのをタクシーに乗せて帰ってきた。「かわいいでしょう」とドアマンのフレッドに見せてやる。フレッドは頭をぽんぽんと叩いてやると、ほんとにかわいい犬ですね、と言った。「ガス」とロイスは幸せそうに言った。「フレッドにご挨拶なさい。フレッド、この子はガスよ」彼女は犬を引きずってエレベーターに乗った。「おいで、ガスちゃん」ロイスは言う。「おいでったら、かわいいワンちゃん」ガスはエレベーターの真ん中で身震いしていたが、じきに床を濡らしてしまった。

 数日後、ロイスはガスを手放した。犬の方がどうやっても慣れようとしないので、ロイスもしだいに両親のいう、犬を街中で飼うのなんてかわいそうよ、という意見に同意するようになったのである。

 ガスを捨てに行った晩、ロイスは両親に、リノへ行くのを春まで待たなければならないなんてバカみたい、と言った。早く終わらせたいの、と。そうして一月の初め、ロイスは飛行機で西部へ向かった。リノ郊外の観光牧場に滞在し、シカゴ出身のベティ・ウォーカーと、ロチェスター出身のシルヴィア・ハガティと仲良くなった。ベティ・ウォーカーの洞察力たるや、ゴム製ナイフもかくやと思われるほどの鈍さではあったが、それでも男について、二、三の助言をしてくれた。シルヴィア・ハガティの方は、無口でずんぐりしたブルネットで、ほとんどしゃべらなかったが、ロイスが知っているどんな女の子より大量のスコッチ・ソーダを飲み干すことができた。三人の離婚がそれぞれに滞りなく片づくと、ベティ・ウォーカーはリノの〈バークリー〉でパーティを開いた。観光牧場にいた数人の男性も招待したところ、レッドというハンサムな青年が、ロイスに言い寄ってきたのである。羽目をはずしたりはしなかったのだが、ロイスは急に「あたしの近くへ来ないで!」と金切り声をあげた。みんなしてロイスの悪口を言ったが、ロイスが長身でハンサムな男を怖がっていることは、だれも知らなかったのだ。

 もちろんビルにはまた会った。リノから戻って二ヶ月ほど経ったとき、〈ストーク・クラブ〉の彼女のテーブルにビルやってきて、腰をおろしたのだった。

「こんにちは、ロイス」

「あら、ビル。ここに坐ったりしないでほしいんだけど」

「ぼくは精神分析医のところに通ってるんだ。医者が言うには、じきに良くなるんだって」

「良かったじゃない、ビル。あたし、待ってる人がいるの。あっちへ行ってもらえない?」

「またいつか、昼飯でも一緒に食わないか」ビルが聞いた。

「ビル、友だちが来たの。もう行ってちょうだい」

 ビルは立ちあがった。「電話してもいいかな」

「よして」

 ビルは向こうへ行き、ミディ・ウィーヴァーとリズ・ワトスンが腰をおろした。ロイスはスコッチ・ソーダを注文すると、それを飲み干し、さらに四杯、お代わりした。〈ストーク・クラブ〉を出るころには、自分でもかなり酔っていることに気がついていた。そのままどんどんどんどん歩き続ける。とうとう動物園のシマウマの檻の前までやってくると、ベンチに坐った。そうやって、酔いが醒めて膝頭のふるえがおさまるまで、そこにじっとしていた。やがて、家に戻った。

 家というのは、両親がいて、ラジオのニュース解説者の声が聞こえてきて、かしこまったメイドが左側にまわりこみ、よく冷えたトマト・ジュースのグラスを正面に置いてくれるところだった。

 夕食後、ロイスが電話を終えて戻ってくると、ミセス・タゲットは本から顔をあげてたずねた。「誰と話してたの? カール・カーフマンさんだった?」

「そうよ」ロイスはそう言うと、腰を下ろした。「バカなやつ」

「バカなんかじゃありません」ミセス・タゲットはうち消した。

 カール・カーフマンは、太い足首をした背の低い男で、いつも白い靴下をはいている。色ものの靴下をはくと炎症を起こすのだという。おそろしくいろんなことを知っていて、たとえば日曜日に車で試合を見に行くつもりだ、とでも言おうものなら、すかさず、どのルートで行くつもりか聞いてくるのだった。「まだ決めてないんだけど、国道26号線かな」と答えると、カールは、そっちより7号線の方が絶対いい、と主張して、ノートとエンピツを取り出し、あれこれ説明してくれる。手間をかけさせて悪かったね、とお礼を言うと、短くうなずき、たとえ道路標識が出ていても、クリーブランドの有料高速道路のところで曲がったりしちゃいけないよ、と念を押す。エンピツとノートを片づけているカールを見ていると、申し訳ないような気がしてくるのだった。

 リノから帰って数ヶ月が過ぎたころ、カールはロイスに結婚を申しこんだ。断られることを前提としているかのような言い方だった。〈ウォルドルフ・アストリア〉で開かれたチャリティダンスパーティから、一緒に帰っているときである。セダンのバッテリーが上がってしまい、どうにかしてスタートさせようと悪戦苦闘しているカールに、ロイスは「焦らなくていいわよ、カール。まずは一服しましょうよ」と声をかけた。ふたりが車の中でタバコをふかしているときに、カールが陰気な調子で切り出した。

「ぼくとなんて、結婚するのはきっといやでしょうね、ロイス」

 ロイスはタバコをふかしている彼を見ていた。煙を吸いこんでいない。

「あら、カール。そんなこと言ってくださるなんて、いい人ね」

 ロイスはずいぶん前から、こう聞かれることを予想していた。だが、それに対する返答を考えてみたことは一度もなかった。

「君を幸せにするためなら、ぼくは何だってしますよ、ロイス。できるだけのことをね」

 カールが坐り直したので、ロイスのところから彼の白い靴下が見えた。

「そう言ってくださって、ほんとにうれしいわ、カール」ロイスは言った。「だけど、しばらくあたし、結婚のことなんて考えたくないのよ」

「そうだろうね」カールはすかさずそう言った。

「そうだ」ロイスは言った。「五十丁目と三番街の角に修理工場があったわ。そこまで歩きましょう」

 そのつぎの週のある日、ロイスはミディ・ウィーヴァーと〈ストーク・クラブ〉で昼食を取った。ミディ・ウィーヴァーはうなずいたり、タバコの灰をトントンと落としたりしながら、話の相手をしてくれる。ロイスはミディに、最初のうちはカールってバカだと思ったのよね、と言った。まあ、ほんとはそんなにバカってわけじゃないんだけど、でもね、ほら、あたしが何が言いたいか、わかるでしょ。ミディはうなずき、タバコの灰を灰皿に落とした。だけどね、あの人、ちっともバカじゃないの。ちょっと神経質で内気なんだけど、すっごく優しいのよ。おまけに、とっても頭がいいし。ミディ、あなた〈カーフマン・アンド・サンズ〉を実際に切り回してるのはカールだって知ってた? ええ、そうなのよ、ほんとなの。おまけに彼、ダンスがそりゃもううまいのよ。髪の毛もステキだし。なでつけてないときは、天然パーマなの。それはそれはすてきな髪なのね。それに、たいして太ってないし。筋肉質なのよ。それに、とにかくとっても優しいの。

 ミディ・ウィーヴァーは言った。「そうよね。わたし、昔からずっとカールが好きよ。いい人だと思うわ」

 ロイスは家に帰るタクシーの中で、ミディ・ウィーヴァーのことを考えた。ミディっていい子だわ。ほんと、ちゃんとしてる。頭だっていいしね。頭がいい人なんて、そうそういるもんじゃないけど。ほんとうに賢い人となると。ミディは完璧。ロイスは、ボブ・ウォーカーがミディと結婚したらいい、と思った。あたしはボブなんかにはもったいなさすぎるもの。あんなドブネズミ。

 ロイスとカールは春に結婚し、結婚式から一ヶ月もしないうちに、カールは白い靴下をはくのをやめた。タキシードを着たときに、ウィング・カラーをつけるのもやめた。マナスカンに行く人に、海岸を避けて行くルートを教えてやることもやめた。海岸通りを行きたきゃ、勝手に行かせればいいじゃない、とロイスが言ったのである。ロイスはさらに、バド・マスターソンにはもうお金を貸しちゃダメ、とも言った。あとね、ダンスのときは、もう少し大きくステップを踏んで。気取って小さく踏んでる人なんて、チビの太っちょだけよ。それに、もしこれから先、あなたが頭をベタベタに固めたりしたら、あたし、頭が変になっちゃうわよ。

 ふたりが結婚して三ヶ月も経たないうちに、ロイスは朝の十一時になると、映画に行くようになった。ボックス席に坐って、ひっきりなしにタバコを吸う。たいくつなアパートに坐っているよりはましだった。自分の母親のところへ行くよりも、そっちの方が良かった。最近では母親ときたら、ひとつことしか言わないのだ。「あなた、痩せ過ぎよ」映画を見に行く方が女友だちに会うよりも良かった。実際には、ロイスがどこへに行こうが、かならず誰かに出くわしてしまう。ほんと、あの子たちバカばっかり。

 かくてロイスは朝の十一時に映画館に通うようになったのである。映画の間は腰を下ろし、それから化粧室へ行って髪の毛を梳かし、お化粧を直した。そのあとは、鏡の中の自分に向かって言うのだった。「さて、と。これから何をしたらいいのかしら」

 もうひとつ別の映画館へ行くこともあった。買い物に行くこともあったが、このごろでは買いたくなるものもとくにない。たまにクッキー・ベンソンにも会った。そういえばあたしの友だちの中で、頭が良い人、ほんとに頭が良いって言える人ってクッキーだけじゃない? とロイスは考える。クッキーってステキ。ステキだし、ユーモアのセンスがあるんだわ。クッキーとなら、ストーク・クラブで何時間でも過ごすことができた。きわどい冗談を言い合ったり、友だちの品定めをし合ったり。

 クッキーって最高だわ。どうしてこれまでクッキーと仲良くしなかったんだろう。クッキーみたいにちゃんとしてて、頭の良い人を。

 カールはよく足の不調をロイスにこぼした。ある晩、ふたりで過ごしているときに、カールは靴と黒い靴下をぬいで、むきだしになった足をしげしげと眺めていた。そのとき、自分を見つめるロイスの視線に気がついた。

「かゆいんだ」笑いながらロイスに言った。「色靴下をはいちゃいけないんだよ」

「気のせいよ」とロイスは言った。

「おやじもそうだったんだ。医者が言うには、皮膚炎なんだって」

 ロイスはなんとか無邪気に聞こえるように苦労しながら言った。「あなたの言うことを聞いてたら、ライ病にでも罹ったんじゃないかって思っちゃうわよ」

 カールは声を上げて笑った。「それはないよ」まだ笑いながらそう言った。「夢にもそんなこと、考えたこともない」灰皿からタバコを取り上げた。

「あらあら」ロイスは無理矢理笑った。「タバコを吸うのに、なんで煙を吸いこまないのよ。煙を吸いこまないで、なにがうれしくってタバコなんか吸うの」

 カールはふたたび声を上げて笑い、自分が煙を吸いこまない理由とタバコの先に何か関係があるかのように、先をしげしげと見た。

「わからないな」と笑う。「とにかく、ただ吸いこまないんだよ」

 子供ができたことがわかってからは、ロイスは前ほど頻繁に映画に行かなくなった。そのかわりにしょっちゅう母親とシュラフトでランチをするようになり、野菜サラダを食べながらマタニティ・ドレスのことを話し合った。バスに乗ると、男たちはロイスに席を譲ってくれる。エレベーター・ガールは、個性の感じられない声に、これまでにはなかった敬意のトーンをかすかに加えて話しかけてきた。ロイスはベビーカーの日よけの下をのぞきこむようになった。

 カールの眠りはいつも深いために、ロイスが寝ながら泣く声を聞くこともなかった。

 赤ん坊が生まれると、みんなが「かわいい子」と呼んだ。小さな耳とブロンドの髪の、まるまるとしたかわいい男の子で、赤ん坊にべたべたとキスをするのが好きな人が、べたべたキスをしたくなるような赤ちゃんだった。ロイスはかわいくてたまらなかった。カールも夢中になった。義理の両親も、目に入れても痛くないほどのかわいがりようだった。要するに、すばらしく見事な結果を出したのである。数週間ほどが過ぎ、ロイスはどれほどトーマス・タゲット・カーフマンにキスしたとしても、半分にも満たないように思えた。小さなお尻は、どれほどなでてもなで足りなかった。話しかけても話しかけても、話したりないのだった。

「そうよ、誰かさんがお風呂にいくの。そう。あの子がはいるのはきれいで気持のいいお風呂じゃなきゃ。バーサ、お湯加減は大丈夫?」

「そうよ、あの子、お風呂にはいるのよ。バーサ、お湯が熱すぎる。もう知らない、バーサったら。熱すぎるじゃない」

 ある日、カールがやっとトミーの沐浴に間に合う時間に帰ってきた。ロイスは科学的原理に基づいたバスタブから手を引き抜いて、濡れた手でカールを指さした。

「トミーちゃん、あの人だあれ? あの大きな人はだあれ? トミーちゃん、あの人はだれかしら」

「この子にはぼくがわからないだろうな」とカールは言ったが、楽しそうだった。

「パパよ。あれがあなたのパパなのよ、トミーちゃん」

「わかりっこないさ」

「トミーちゃん、トミーちゃん、ママの指の先をよおく見て。あれがパパよ。あの大きな人よ。パパですよ」

 その秋、ロイスの父親が娘にミンクのコートを買ってやったので、七十四丁目と五番街界隈に住んでいる人なら、木曜日にはいつもミンクのコートを着たロイスが、大きな黒い乳母車を押して、五番街を渡ってセントラルパークに入っていくのを見たはずだ。

 やがて、結局のところ彼女はやってのけたのだった。ロイスがやりとげたとき、みんなそのことに気がついたらしかった。肉屋はロイスに一番いい肉を切ってくれた。タクシーの運転手は、自分の子供たちの百日咳について教えてくれた。メイドのバーサは、ぞうきんではなく、濡れたぞうきんで掃除をするようになった。気の毒なクッキー・ベンソンは、酔っぱらって泣き上戸になると〈ストーク・クラブ〉から電話をかけてよこすようになった。女たちは、ロイスの服ではなくロイスの顔を、じっと見つめるようになった。劇場のボックス席に坐った男たちは、下にいる観客の女たちの中からロイスを探し出そうとした。オペラグラスを当てるロイスの仕草を見るのが好き、という以上の理由はなかったのかもしれないが。

 そうなったのは、幼いトーマス・タゲット・カーフマンが眠っている最中、変なふうに寝返りを打ったせいで、毛足の長い毛布が彼の短い命を奪ってしまってから、六ヶ月が過ぎたときだった。

 ある晩、ロイスが愛していない男が、椅子に坐って絨毯の模様を見つめていた。ロイスは半時間近く、寝室から窓の外を眺めたあと、ちょうどその部屋に入ってきたところだった。カールの向かいに腰を下ろす。これほど彼の顔が、愚かしく、醜く見えたことはなかった。けれども、ロイスには彼に言わなければならないことがあった。そうして、不意にその言葉は口にされた。

「白い靴下をはいていいのよ、もういいの」ロイスは言った。「白い靴下をはいてちょうだい」





The End






自分という違和感


この短篇は、ひとりの女性が大学(小さな規模の私塾にちがい学校だが)を卒業し、社交界にデビューしたのちに、社会にデビューするまでの、「長い」デビュー期間を描いたものである。聖書の中の「コリント人への手紙」の13-11、「私が子供だったとき、わたしは子供として語り、子供として感じ、子供として考えていた。長じてわたしは大人となり、もはや子供のようには生きられない」を小説化したような作品である。

大学を卒業すれば、結婚相手を見つけるしかなく、仕事をするとしても、それはほんの暇つぶし。結婚すれば、家事はすべてメイドがやってくれるし、夫の社交生活を助けるほかは、日なが一日、ぶらぶらして過ごす。そうした優雅だけれど退屈な生活は、戦前のアッパーミドルクラスに生まれた女性独特なものだろう。いまのわたしたちから見れば、することがなくて映画館のはしごをしたり、離婚して実家に戻って「服でも買っておいで」と千ドルの小切手(いまでいうと百万円ぐらいだろうか)をもらうような生活は、ほとんどリアリティを持たない、絵空事のような世界だ。

だが、これは同時に「社会へのデビュー」という意味では、普遍的なテーマを扱ってもいる。

子供時代、誰もが世界と自分とのあいだに、隙間を感じることはなかった。世界にすっぽりくるまれ、自分が楽しいときは世界がまるごと楽しく、世界が悲しければ、自分も悲しかった。ところが少年期に入ると、もはやその世界と一体となっているという感覚は失われてしまう。

自分は、自分だ。世界は自分とは別のものだ。こうした意識が生まれることで、人は自分と向き合い、自分とはなにかと問うようになる。これが自分なのに、この「自分」に感じる違和感はなんだろう。一人称で話す、この自分とはいったいなんなのだろう。そうして人は「自分とはなにか」の答えを求めて、過去を参照し、未来を思い描く。同時に孤独を感じ、そこから逃れようとして、居心地の良い場所を探し、愛してくれる人や認めてくれる人を自分の周りに求めるようになる。

社会にデビューしたてのロイスは、真っ先に愛を求めた。社会的な身分などお構いなしに、簡単に恋に落ち、相手に愛されて有頂天になる。だが、彼の愛し方というのは、受け入れがたいものだった。ロイスはこのとき、愛されるというのは、自分がまったく無防備になって、相手にわが身をまるごと委ねることにほかならないことを知る。相手の愛し方によっては、わが身が危険にさらされるのである。

そこでロイスは愛されることを求めなくなる。退屈な、結婚も道先案内と同じようにひとつの手続きと考える男と結婚するが、やがて、心の底から自分が愛することのできる子供を得る。そうしてその子供を失う。

そこでロイスが向きあうのは、愛し、愛されるのとは別の法則が支配する世界だ。誰かがそこから救い出してくれるわけではない。まるごと自分をゆだねるのでもない。礼儀と思いやりをもって人と人が関わっていく、そんな世界である。家柄や地位から離れて、その人の過去と現在と未来の生き方、言い換えればその人の存在そのものを担保として、人と人が関わっていく世界である。

ロイスの最後の言葉は、これからのふたりがいったいどうなっていくのかは、教えてくれない。ロイスは愛していないカールと、これからも結婚生活を続けていくのか、いかないのか。わかるのは、ただ、ロイスが言わなければならなかったことは、相手を思いやるひとことだった、ということだ。

相手と向きあえば、いやでも相手と自分とのちがいを意識せざるを得ない。気にくわない相違点を、自分と同じに変えさせるのではなく、ちがいはちがいとして認める。やがてはそれと通じ合い、いつくしむこともできるかもしれない。

あるいは、ロイスとカールは、のちの「バナナフィッシュにうってつけの日」のミュリエルとシーモアになってしまうのかもしれない。

社会にデビューしたロイスは、このあとどこへ行くのだろう。

最後にこの短篇の技法についてひとこと。この短篇には「その秋」「その年の春」「恋に落ちてから15日後」といった具合に、時間がもうひとりの主人公ともいえる重要な要素である。わたしたちはこの流れの側に身を置いて、移り変わる風景を眺めるように、外からロイスの人生を追っていく。たとえばグリーンの 「パーティの終わりに」がわたしたちを少年の心の中に閉じこめてしまうのに対し、ここではわたしたちはロイスから少し距離を置いて、ロイスを眺めることになる。

そのため、サディスティックな夫に間近に暴力をふるわれた恐怖も、子供を失った悲しみも、切実な印象を受けとることはない。まるで移り変わる季節のように、ロイスは内的な力ではなく、めくられていくこよみに従って大人になり、出来事に遭遇する。読んでいるわたしたちは、特に感動することもなければ、カタルシスが得られることもない。それでも最後のロイスの言葉とともに、ささやかな〈何ものか〉が残るのである。
悲しみ。喪失感。言葉にすれば、失われてしまうような〈何ものか〉。そうした色の淡い曖昧なものを伝えるという意味で、わたしたちのよく知っているサリンジャー、まぎれもないサリンジャーがここにいる。



初出March.27-April 1 2010 改訂April.08, 2010 脱落箇所追加June 11, 2010
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