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ここではジェイムズ・サーバーの「マクベス殺人事件」を訳しています。ユーモア小説なのですが、シェイクスピアの『マクベス』をご存じでなければ、まったく意味がわかりません。ご存じでない方は、どうかこれを機に『マクベス』をお読みになってください。

原文はhttp://www.sd84.k12.id.us/SHS/departments/Language/edaniels/English%20IV%20(H)/Macbeth/MacbethThurber.htmで読むことができます。


マクベス殺人事件


by ジェイムズ・サーバー


本


「それがとんだ勘違いだったってわけ」
そう言ったのはアメリカ人女性、彼女とはイギリスの湖水地方のホテルで知り合ったのだった。
「でもね、カウンターの上にペンギンブックスが一緒に置いてあったのよ――あの六ペンスの薄っぺらいやつ、ペーパーバックの。だったらそれも探偵小説だって思うじゃない、ほかのがどれも探偵小説だったんだから。残りは全部読んでたから、中味をよく見もしないで買っちゃったのね。どれだけ頭に来たかわかる? それがなんとシェイクスピアだったのよ」
私はわかりますよ、というようなことをもごもごと言った。
「ペンギンブックスの人たちは、どうして大きさだの何だの、シェイクスピアの戯曲を探偵小説と同じにして出版しなけりゃならなかったのかしら」相手の不満はつづく。
「表紙の色が違っていたように思いますが」と私は答えた。
「そうかしら、それには気がつかなかったけど。ともかくその晩、ベッドに入ってくつろいで、おもしろいミステリを読もうと準備万端整えて、さあ読みましょう、って開いたら『悲劇 マクベス』だったわけ……高校生のための本でしょ、『アイヴァンホー』なんかと一緒の」
「あるいは『ローナ・ドゥーン』のような」
「そうそう。そのときはちょうどアガサ・クリスティか何かが読みたくてしょうがない気分だった。エルキュール・ポワロがわたし、一番好き」 「気の弱い探偵でしたっけ?」
「あら、全然ちがうわよ」と犯罪小説専門家はのたまった。「ベルギー人のほうよ。あなたが言ってるのは、ミスタ・ピンカートン。ブル警部を助ける人でしょ。ピンカートンもいいけど」

 相手は二杯目の紅茶を飲みながら、自分が完璧に騙された、とある探偵小説のあらすじを話しはじめた――最初から最後まで、古くから一家の主治医をやっている人物の仕業だと信じていたらしい。だが、私は口を挟むことにした。
「それで『マクベス』はお読みになったんですか」
「そうするしかなかったんだもの。部屋中探したって、読むものの切れっ端すら見つからなかったし」
「お気に召しましたか」
「いいえ、ちっとも」彼女はきっぱりと答えた。「そもそもマクベスがやっただなんて、わたし、一瞬だって思わなかったわ」
私はあっけにとられて顔を見た。
「なにをやったんですか」
「わたしが言ってるのは、マクベスが王を殺したはずがない、ってこと。もうひとつ、あのマクベスの女が共犯だなんてこともない。当然、だれだってあの夫婦が一番怪しいと考えるわよね、だけどそういう人が犯人だなんてことはあり得ないの――ともかく、そういうことになってるのよ」
「よくわからないのだけれど、つまり私には……」
「だけど、そうじゃない? 誰がやったかすぐにわかったら、ちっともおもしろくなくなっちゃう。頭のいいシェイクスピアですもの、そんなことなんてお見通し。前に何かで読んだけれど、『ハムレット』で犯人を見破った人って、いないんですってね。そのシェイクスピアが『マクベス』でそんなに見え透いたことをやると思う?」
パイプにたばこをつめながら、わたしは最初からもういちど考えた。
「あなたは誰を疑っておいでなんです」ふとわたしは聞いてみた。
「マクダフよ」すかさず彼女が答えた。
「おやおや」わたしはそっとつぶやいた。

「ええ、マクダフです、そういうこと」この殺人事件のスペシャリストはかく語った。「エルキュール・ポワロだったらすぐに捕まえてたでしょうね」
「どうしてそれがわかったんです」
「そりゃ、わたしだってすぐにはわからなかった。最初はバンクォーを疑ったのよ。だけど、ほら、バンクォーもつぎに殺されてしまうでしょ。あそこはたしかによくできてたわ、あの箇所は。第一容疑者はかならず第二の殺人事件の被害者になることが決まってるの」
「そうなんですか?」わたしはおずおずと疑問を口にしてみた。
「ええ、もちろん」と、情報提供者は請け合う。「探偵小説は、読者をたえず意外に思わせ続けなきゃならないの。ともかく二番目の殺人が起こってからしばらくは、わたしも誰が犯人だかわからなかった」
「マルコムやドヌルベインはどうでしょう、王の息子の?」私は聞いてみた。「私の記憶では、息子たちは最初の殺人事件があった直後に、そそくさと行方をくらますんじゃありませんでしたっけ。なんだか怪しげじゃないですか」
「怪しすぎるのよ」とこのアメリカのご婦人はのたまう。「あまりにも怪しすぎるの。逃亡する人間は、絶対に犯人じゃありません。わたしの言うことに間違いはないわ」
「なるほど。ブランデーでも飲むことにしよう」私はウェイターを呼んだ。身を乗り出した相手の眼はぎらぎらと輝き、紅茶のカップをわなわなと震わせている。
「ダンカンの遺体を発見したのがだれだったか覚えていらっしゃる?」
私は、申し訳ないが記憶にないと答えた。
「マクダフが見つけるのよ」彼女の語りはいつのまにか歴史的現在時制になっていた。「それから階段を駆けおりてきて叫ぶの。『破壊の手が、神の宮居を毀ちけがし』とか『極悪非道の弑虐、その命を奪いとったのだ』なんてことをべらべら続けるわけ」この善良なる夫人はわたしの膝を叩いた。「そんなもの全部、前もって練習してきたせりふよ。そうでもなかったら、あんなに長たらしいこと、言えますかって。その場の思いつきでなんて――あなたなら、死体を発見してそんなことが言える?」私を見据える目はぎらぎらと光っている。
「わ、私には……」と私は言いかけた。
「そのとおり! ふつうならできっこない。前もって練習でもしてなかったらね。罪のない人間だったら『なんてこった、人が死んでるぞ』なんてこと言えるぐらいがせいぜいよ」そう言うと、眼に満足の色を浮かべて、その身をどさりと椅子にあずけた。

私はしばらく考えた。「では第三の刺客についてはどうお考えです? 第三の刺客は『マクベス』研究家を三百年、悩ましてきたことですが」
「それは、その人たちがだれもマクダフのことを考えてなかったからよ」アメリカ人女性は言った。「あれはマクダフです。それは確か。被害者のひとりが、そこらへんのチンピラ二人組にやられるようなことがあってはならないの――殺人者は絶対に重要人物でなくちゃ」
「しかし、あの祝宴の場面はどう考えたらいいんです」少し間を置いて私は続けた。「そこでマクベスは罪の意識にとらわれた行動を取る、バンクォーの幽霊が登場して、マクベスの椅子に腰掛けたときです」
夫人はまた身を乗り出して、私の膝を叩いた。
「幽霊なんていなかったのよ。あんなに図体の大きな堂々たる男が、あっちやこっちでお化けを見て回るなんてことありえない――とくに、灯りが煌々とついた宴会場で、何十人っていう人がまわりにいるときに。マクベスはある人物をかばったの」
「だれをかばったんです?」
「マクベス夫人に決まってるじゃない。マクベスは、自分の女房がやったんだ、と考えて、自分が罪をかぶろうとするの。亭主っていうのは女房が疑われそうになると、そうするものと相場は決まってるわ」
「でも、そうなると夢遊病の場面はどう考えたらいいんです?」
「同じことよ、ただ役割が逆転したってだけ。こんどは奥さんがダンナの方をかばったの。眠ってりゃしないわよ。あのト書きを覚えてない?『マクベス夫人、蝋燭を手にして登場』」
「覚えてます」
「夢遊病の人が灯りを持って歩くわけがないでしょ!」この友人である旅行者はこう言ってのけた。「ああいう人には透視能力があるの。灯りを持って歩く夢遊病の人の話なんて、聞いたことがないでしょ?」
「確かに」
「ってことは、つまり、眠ってなんかいなかったのよ。マクベスをかばうために、いかにも怪しげにふるまったの」
「ブランデーをもう一杯飲むことにしよう」そう言って私はウェイターを呼んだ。ブランデーが運ばれてくると、わたしはぐっと飲み干して立ち上がった。
「お話には確かに一理あります。『マクベス』をお貸しいただけませんか? 私も今夜、読み返してみたいのです。何だかいままでいちどもちゃんと読んだことがなかったような気がしてきたので」
「持ってきてあげるわ。わたしが正しいって、あなたにもわかるはず」



 その夜、私は戯曲を注意深く読み返し、明くる朝、朝食を終えると件のアメリカ人女性を捜した。パット練習場にその姿が見えたので、私は背後から忍び寄って腕を取った。驚いた彼女は大きな声を出した。
「ふたりきりでお話ができませんか?」私は声を潜めてそう言った。
平静を装った彼女を後ろに従えて、ひとけのない場所に向かった。
「何かおわかりになりました?」彼女は息をはずませている。
「つきとめました」私は誇らしげにそう言った。「殺人者の名前を」
「マクダフじゃないとでも?」
「マクダフはいずれの殺人とも無関係です。マクベス及びその夫人同様にね」
私は持ってきた戯曲を開いて、第二幕第二場を示した。「ここです、ここでマクベス夫人はこう言う。『あいつたちの短剣は、あそこに出しておいた、見つからぬはずはない。あのときの寝顔が父に似てさえいなかったら、自分でやってしまったのだけれど』ここをどうお考えです?」
「別に」アメリカ人女性はにべもない調子で言った。「特に何とも」
「簡単なことじゃありませんか! なんで昔読んだときには気がつかなかったんだろう。ダンカンがマクベス夫人のお父さんの寝顔にそっくりだったのは、実際にお父さんだったからなんですよ」
「おやおや」相手はそっとため息をついた。
「マクベス夫人のお父さんが王を殺したんです。そこに誰かが来る気配がしたので、死体をベッドの下に押し込んで、自分がベッドにもぐりこんだんですよ」
「だけど、話に一回しか出てこないような人間が殺人者のはずがないわ。そんなことはありえない」
「それも考えました」そう言って、私は今度は第二幕第四場を開いた。「ここに『ロスが老人と登場』とある。ほら、この老人は誰とも書いてない。私の読みではこれがマクベス夫人の父親なのです、自分の娘を后にしようという野心を胸に秘めた。これで動機も十分です」
「だけど、それにしても」アメリカ人女性は声をうわずらせる。「ほんの端役じゃないの」
「そんなことはない」わたしは楽しんでいた。「この老人はさらに例の三人の妖しの姉妹の一人にも変装していたことに気がつきさえしたら」
「あの三人の魔女の一人、ってこと?」
「そのとおり。この老人のせりふを見てください。『まことに不思議なこと、昨夜の事件といい、この前の火曜日、一羽の鷹が、空高く舞いあがり、誇らかにその高みを極めたかとおもうと、いきなり横から飛び出した鼠とりの梟めにあえなく殺されてしまいましたっけが』このせりふ、誰かのものに似ていませんか?」
「確かに三人の魔女の話には似てるわね」相手はしぶしぶそのことを認めた。
「そのとおりです」わたしは繰り返した。
「まぁ、たぶんおっしゃるとおりなんでしょう。でも……」
「私は自信がありますよ。さて、これから私が何をするつもりかおわかりですか?」
「いいえ。何をなさるの?」
「『ハムレット』の本を買うんです。そうして、秘密を解くんですよ、ハムレットの」
彼女の目がきらめいた。「それじゃ、ハムレットがやったんじゃないって考えてるのね?」
「私は完璧な自信があります、彼はやってない」
「じゃ、だれ? だれがあやしいと思う?」
私は含みのある目つきで相手を見やった。「あらゆる人物が」
そう言うと、私は来たときと同じく、音もなく木立ちの茂みに入って相手の視界から消えた。



The End


(※文中の『マクベス』の引用は新潮文庫版福田恆存訳『マクベス』をもとにしました)

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初出 July 21-22 2006 改訂July 25 2006



読み手の事情

最初に、いくつかの注釈を。
まず、『アイヴァンホー』、これはウォルター・スコットが描いた19世紀初期のイギリスの歴史小説の元祖のような小説である。
中世スコットランドを舞台に、騎士であるアイヴァンホーとロウィーナ姫のロマンスあり、リチャード王扮する黒衣の騎士は出てくるわ、アイヴァンホーの命の恩人でもあり、彼を慕うユダヤ娘レベッカは魔女として処刑されかかるわ、ついでにロビン・フッドも出てきて、虚々実々・奇想天外・波瀾万丈の展開の、19世紀の一大ベストセラーである。
本の中で言及されることも多く、『あしながおじさん』では、自分に常識がないことを嘆く主人公のジェルーシャ・アボットが大学に入ってまず読む本の一冊でもあったし、『若草物語』でも長女のメグがりんごをかじりながら読みふけるシーンもあった。
イタロ・カルヴィーノは「古典とは、普通、人がそれについて、『いま、読み返しているのですが』とはいっても、『いま、読んでいるところです』とはあまりいわない本である」(『なぜ古典を読むのか』須賀敦子訳 みすず書房)といったように、この『アイヴァンホー』もシェイクスピアと並んで、本を読むことを自認する人間ならば、若いうちにかならず読んでおかなければならない本のひとつなのかもしれない。
ともあれわたしが初めて読んだのは、ジェルーシャやメグよりさらにあと、若い、というにはカナーリ苦しい時期でしたが。

つぎの『ローナ・ドゥーン』、これはリッチー・ブラックモア、じゃなかった、リチャード・D・ブラックモア(だけどこのギタリストの名前はここから来てると思うなぁ)の17世紀を舞台にした歴史小説(発表は19世紀半ば)。
日本では翻訳はされていないようだが、スコットがハイランド(スコットランドのケルト系民族が居住する地域)を描いたように、ブラックモアはデヴォンシャーを描いた、とも言われている。
ただし『アイヴァンホー』と比較すると、元祖とその血を引く子孫のひとり、というぐらいの差があって、英米では今日でも『アイヴァンホー』を知っていることが、ある種、教養のバロメーターでもあるのにたいして、『ローナ…』のほうは、歴史ロマンス愛好家が読む作品、といったところのようだ。
ともかく、息子にその名前をもらいたくなる程度には高名な作家ということなのだろう。
「お父さん、うちはせっかく武者小路という名字なのだから、息子はあの立派な作家にあやかって実篤とつけましょうよ」ってなところか。

小心者のピンカートンが出てくるピンカートン・シリーズを書いたのは、デイヴィッド・フロム、男性名だけれどレスリー・フォードという別名も持つ女性ミステリ作家である。アメリカの作家だが、イギリスを舞台にしたピンカートンものが有名。戦前は日本でも翻訳が出たらしいけれど、いまではほとんど名前も知られていない。
ただしこの作品が発表された1938年当時のアメリカでは、ほぼ同時代であることもあって、クリスティなどと並ぶほどの人気があったのかもしれない。50年以上に渡って長編だけでも66作品を書き、しかもそのいずれもが一定の水準以上を維持しつづけたクリスティが化け物なのであって、むしろ、ミステリの世界ではこうした栄枯盛衰はつきものなのである。

さて、ここで作品の中にも出てくる『マクベス』の「第三の刺客」を簡単に説明しておく。
『マクベス』第三幕一場で、マクベスはふたりの刺客を呼んで、バンクォーとその息子フリーアンスの殺害を依頼する。ところが第三場では突然、刺客がもうひとり増えるのだ。

第一の刺客 しかし、誰なのだ。ここでおれたちに会えと言ったのは?
第三の刺客 マクベスだ。
第二の刺客 疑うにもおよぶまい、仕事はちゃんとご承知らしいし、逐一、述べたてたところ、すべてこっちの言いつかったとおりだからな。

と、どう見ても怪しい(笑)。そうして、バンクォーを実際に襲うのは、第二と第三(第一は灯りを持っている役目なのである)、とくに第三が「ひとりしかやれなかった」と言っているところを考えると、おそらく第三の刺客なのである。

いきなり出てきて、決定的な役割を果たしながら、この第三の刺客はかききえてしまう。作品に登場するアメリカ人女性ならずとも、この登場人物に関しては、さまざまな憶測をめぐらせたくなってしまうのである。これをもとにミステリまで書かれている(ジェームズ・ヤッフェ『ママは眠りを殺す』創元推理文庫 ※未見のため内容は不明)。

『ハムレット』の謎というのは、『ハムレット』自体に謎がありすぎてどこのことを言っているのかよくわからない。先代のハムレット王、ポローニアス、ローゼンクランツとギルデンスターン、オフィーリア、ガートルード、レイアーティーズ、クローディアス、ハムレットにいたるまで、登場人物もホレイショーを除けば、ことごとく殺されているので(オフェーリアのみが自殺だが、この原因をめぐっても、さまざまな説がある)、まさに『そして誰もいなくなった』の世界なのである(となると、ひとり残ったホレイショーがとにかく怪しいのか?)。

『マクベス殺人事件』のなかでは「ハムレットがやったんじゃない」と言っているため、ハムレットが殺したとされる事件に限って考えてみよう(そのほかにも、ロゼンクランツとギルデンスターンという学友二人と一緒にイギリスに送られて、そこで首をはねてくれるよう依頼するクローディアスの密書を見つけたハムレットは、自分の名前をふたりの名前に書き換えて、途中、こっそりと帰国する。このために、ローゼンクランツとギルデンスターンの死にも、当然責任はあるし、オフェーリアの自殺にも相当な責任はあるといえるが、それもここではひとまず除外)。

ハムレットが直接に手を下したのは、王妃の部屋で壁掛けの後ろで盗み聞きしていたポローニアス、決闘で死に至らしめるレイアーティーズ、ただし、これはあらかじめクローディアスがハムレットを殺そうとレイアーティーズをそそのかし、剣先が尖った、しかも毒の塗ってある剣を用意していて、それが決闘中に入れ替わって、ハムレット自身も、そうしてレイアーティーズまでも、その毒に倒れるという流れである。
そうして、自分が死んでいくことを悟ったレイアーティーズから、クローディアスの謀略を聞いたハムレットは、その剣でクローディアスを刺し、しかもさらにクローディアスが用意しておいた毒入りの酒(王妃ガートルードは誤ってこれを飲んで死んでしまう)の残りをむりやり飲ませて殺してしまう。

このなかで、おそらく従来もっとも「謎」とされているのが、ポローニアスの殺害である。それ以前の場面で、ポローニアスとクローディウスは、オフェーリアと会っているハムレットを、壁掛けの後ろで立ち聞きする。このとき、ハムレットは立ち聞きしている人間の存在に気がついていたのか、いなかったのか。
これがつぎのポローニアスの殺害の伏線となっているのか。
壁掛け越しにハムレットはぐさりと剣を突きつけるのだけれど、その向こうにいるのはクローディアスだと思ったのだろうか、それともポローニアスと知っていたのか。
実に諸説あるし、なかにはハムレットはクローディアスの実子であった、という説まであって、昔から多くの人が頭を悩ませてきたのである。

『マクベス殺人事件』の中では「ハムレットじゃない」と言っているために、おそらくこの場面ではく、最後の場面、ということになるのかもしれない。決闘の混乱に乗じて、クローディアスに一服盛った人物がいたのだろうか? 謎は深まるのである。
そのほかにも、ここのことを言っているんじゃないか、と思われた方、どうかご意見をお聞かせください。

* * *

シェイクスピアの戯曲を元に、数多くの作品が生みだされている。 もっとも多いのはなんといっても『ハムレット』で、身代わりで殺されてしまうふたりを主役に据えたトム・ストッパードの戯曲『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(松岡和子訳 劇書房)、王妃ガートルードの視点から読み替えたアップダイクの『ガートルードとクローディアス』(河合祥一郎訳 白水社)ばかりでなく、日本でも、志賀直哉の『クローディアスの日記』、小林秀雄『おふぇりあ遺文』など、さまざまな視点から、この戯曲を読み直し、読み替えられていて、それぞれにおもしろい。つまり、出来事に対する人間の心理が描かれているのではなく、出来事を前にしてさまざまに行動する人間が描かれているからこそ、わたしたちは、逆に、その心理をあれこれと詮索し、そこに新たな物語を付け加えたくなってしまうのだろう。

このサーバーの短編は、シェイクスピアの戯曲をもとにした作品のひとつではあっても、『マクベス』の謎に新たな光をなげかけてやろう、などという野心的なものではない。

イギリス人であろう語り手にとっては、あまりになじんでいて、それ以外の読み方ができるとは思ってもいなかった『マクベス』を、あろうことかミステリとして読んでしまうアのアメリカ人女性に出会ってしまうのである。
しかもこの女性の指摘は、なかなかに鋭いものがある。夢遊病者は灯りが必要ない、というくだりでは、思わずわたしも膝を打ってしまったほどだった(おそらくこの着想がサーバーにこの短編を書かせたような気がする)。

この女性に導かれるようにして、語り手自身が『マクベス』を読み返すことにする。
これは、わたしたちの「古典」の読み方のあるべき姿と言えるのではあるまいか。

石原千秋の『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)には、古典についてふれてある一節がある。

古典がなぜ古典たり得るのか、つまり古典はなぜ時間による風化から守られるのかという問題について考えてみよう。
 たしかに、時間は決して止まらず、どんな小説をも古くさせる。時間の経過はリアリティー(ほんとうらしさ)を奪うばかりでなく、書き込まれた言葉や物事を理解できなくし、読者を小説から遠ざけるだろう。ここで、「いや、古典には時間を超えた普遍性がある」などと甘っちょろいことを言うつもりはまったくない。古典が古典たり得るのは、多くの読者による読み直しの努力の賜(たまもの)だからである。…(略)…

 しかし、これとは違った別の意味での時間による風化がある。それは、読者の解釈によって言葉の隙間が埋め尽くされ、それ以上新しい読みを生まなくなることだ。そうなれば、誰が読んでも同じ読み方しかできないことになる。それは小説にとって死を意味する。そこで、小説の言葉が断片的で隙間だらけであることを知り尽くした小説家、そして小説の読者が「想像力」で次々と断片をつなげ、隙間を埋めるような勤勉家であることを知り尽くした小説家なら、言葉の断片性を逆手にとって読者を欺くことで、自分の書いた小説をこうした時間による風化から守ろうとするだろう。すぐれた小説家は、最も大切な宝物をみすみす見えるところに置いたりはしない。隠すのだ。もちろん、宝物が多く隠されている小説が古典の名に値する。

おそらく何百年たっても、人がシェイクスピアを読み返すのをやめないのは、この「宝物」が見つけたいからだ。そうして、このサーバーの短編は誰もが知っているはずの、けれどもその実、「いちどもちゃんと読んだことがなかったような気が」する『マクベス』、「読み返される」ことを待っている『マクベス』にもう一度向かわせる短編なのだろう。

もちろん、わたしも読んでみました。マクダフ、結構、怪しいかも。



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