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ここでは H.G.wells の短篇 "Magic Shop"の翻訳をやっています。
これはウェルズの1903年の作品です。
1895年『タイムマシン』をひっさげて、サイエンス・フィクションという新しいジャンルを開拓したウェルズでしたが、やがて作品は現実の社会問題に深く関わるものになっていきます。冒険科学小説から移行しつつある時期のウェルズは、科学では割り切れない、神秘と幻想の色彩の強い作品をいくつか著しているのですが、この「魔法の店」もそうした作品です。
以前紹介した「水晶の卵」では、ロンドンの街並みのなかに埋もれた骨董屋から物語が始まりました。今度の店はロンドンでも目抜き通り、巨大な建物群が並び、人も大勢行き交うリージェント・ストリートが舞台です。その一画に手品の道具を売っている店がある。ところがその店にはどうやら秘密があるようです。
原文はhttp://members.lycos.co.uk/shortstories/wellsmagicshop.html で読むことができます。



魔法の店


by H.G.ウェルズ


手品


 その手品の店を見かけたのは、それが最初ではなかった。一、二度、前を通り過ぎたこともあるが、ショーウィンドウにはいかにもおもしろそうなものがいろいろあったが――手品に使う玉やメンドリ、不思議な三角帽子に腹話術の人形、かごの手品の用具、何の変哲もなさそうなトランプといったものが飾ってあった――店に入ろうとまでは思わなかったのである。

ところがその日、ギップがいきなりわたしの指を引っ張ってウィンドウの前まで連れて行くと、あんまり中に入りたそうなそぶりを見せるので、連れて行ってやらないわけにはいかなくなった。実を言うと、その店がそこにあったという記憶がなかった――リージェント・ストリートの画廊と特許ものの孵化器から出てきたばかりのヒナが走り回っている店にはさまれて、狭い間口を構えていたとは。だが、まぎれもなく店はその場所にあったのだ。なんとなくその店はピカデリー・サーカスの近くか、オックスフォード・ストリートの角を曲がったあたりか、ことによるともっと先のホーボーンだったか、ともかくそんな場所にあるような気がしたのだ。いつもそこは通りの向こうで、ちょっと近寄りがたく、蜃気楼のような印象を受けていたのだ。ところがいまやまぎれもなくここにある。ギップは丸っこい人差し指の先で、ガラスをトントンと叩いた。

「もしぼくがお金持ちだったら」そう言うギップの指が叩く先には“消える卵”があった。「自分であれを買うんだけどなあ。それからあれも」――本物そっくりの“泣く赤ん坊”の人形を指した――「それからあれ」と指さしたのは、何かよくわからないものだったが、きれいなカードには「これを買って友だちを驚かせよう」と書いてある。

「あの三角帽子を上からかぶせると、何でも消えてしまうんだ。ぼく、本で読んだことがある。それからあっちに、パパ、消える半ペニー硬貨もあるよ――あれをこうやって上に持ち上げると、どこに行っちゃったかわかんなくなるんだ」

 息子のギップは母親にしつけられたせいか、自分から店に連れて行ってくれとせがむような子ではなかったし、だだをこねたりもしなかった。ただ、いつものように自分でもそれと気がつかないまま、わたしの指をドアの方へ引っ張って、自分が心奪われたものを示しているのだった。

「あそこに……」そう言ってマジックボトルを指さす。

「もしあれが手に入ったら、どうするつもりなんだい?」わたしは聞いてみた。前途有望な質問に、ギップはぱっとかがやかせて顔を上げた。

「ジェシーに見せてやるんだ」いつものことだが、ギップは思いやり深い子供なのだ。

「誕生日まで百日を切ったな、ギブルス君」わたしはそう言うと、ドアの取っ手に手をかけた。

 ギップは何も言わなかったが、私の指をきつくにぎりしめた。こうしてわたしたちは店に入ったのである。

 そこは、どこにでもあるような店とはまるでちがっていた。なにしろ手品の店なのだ、そこらのおもちゃ屋ならギップも自分が先になってずんずん入っていくだろうが、そうはいかない。すっかり黙ってしまったのだった。

 小さな店は細長いつくりで、照明も十分ではない。後ろ手にドアを閉めると、ドアベルがもの悲しげな音を立てた。だれも来ないので、しばらくのあいだ勝手にあたりを眺めまわすことができた。張り子の虎が、低いカウンターの上にのったガラスケースの上で、威厳に満ちてはいるが優しいまなざしで、几帳面に首を振っている。水晶玉が五つか六つ、手品のトランプを持った瀬戸物の手、サイズもさまざまな手品用の金魚鉢、バネの飾りがみっともなく突き出した不格好な手品の帽子。床にはマジックミラーが置いてある。姿を細長く引き延ばすものもあれば、頭を大きくして足を消してしまうもの、背の低い、まん丸のチェッカーの玉のような姿になってしまうもの。店の主人は、どうやらわたしたちが笑っているあいだにやってきたらしい。

 カウンターの向こうに、顔色が悪く黒い髪をした奇妙な男が立つ。片方の耳が大きく、ブーツのつま革のようなあごをしている。

「何かお気に召しますものがございましたかな」長い、手品師らしい指をガラスケースの上に広げて男は言った。わたしたちはその声に驚いて、初めて店主が気がついたのだった。

「息子に何か簡単な手品の道具を買ってやりたいんだが」

「手品ですね? 機械仕掛けのものがお好みですか、それともご家庭で楽しむようなもの?」

「何かおもしろいものがいいな」とわたしは答えた。

「なるほど」店主はそう言うと、何か考えているようすで頭をかいた。すると、つぎの瞬間には、見間違いようもなく、髪の毛のあいだからガラスの玉を取り出してみせたのである。「こういうのはどうでしょう?」そう言って、玉を差し出した。

 思いがけない出来事だった。このトリックなら、これまでだって何度となく見てはいたのに――奇術としては、ありふれたもののひとつだ――、まさかこんなところでお目にかかろうとは思ってもなかったのだ。

「おもしろい」わたしは笑いながらそう言った。

「でしょう?」店主が答えた。

 ギップはわたしの指を離すと、手を伸ばしてガラス玉を取ろうとしたが、相手の手のなかは空っぽだった。

「君のポケットをみてごらん」店主の言葉の通り、玉はそこにあった。

「その玉はいくらかね?」わたしはたずねた。

「ガラス玉のお代はいただかなくて結構でございますよ」店主は丁寧に言った。「なにしろこうやって」――そう言いながら肘のところからひとつ玉を出した――「ただで手に入るものですからね」さらにもうひとつ、首の後ろから取り出して、先ほどの玉と並べてカウンターにのせた。ギップはもらったガラス玉をまじまじと見詰めてから、不思議そうな目をカウンターのふたつに移し、最後に驚いてまん丸になった目を、にこにこと笑っている店主に向けた。

「このふたつもあげるよ」店主は言った。「なんだったらもうひとつ口から出してあげよう。ほら」

 ギップは黙ったまま、もの問いたげな目でわたしをしばらく見ていたが、やがて四つの玉を元に戻して、気持ちを安定させるためにまたわたしの指をにぎると、つぎに起こることを固唾を飲んで待ち受けていた。

「この店では手品の種はこういうやり方で仕入れるんですよ」店主は言った。

 わたしは冗談がわかる人間であることを示そうとして笑った。「問屋に行く代わりにね。それは安くてすむねえ」

「そうとも言えるんですが」店主は言った。「とどのつまりは支払うことにはなるんですよ。まあ、そんなたいした額ではないんですがね――みなさんがお考えになるほどではね……。まあ大がかりな仕掛けや、毎日必要なものでしたら、あの帽子から出しているんです……。それにですね、お客様、手前どもがこう言うのもなんでございますが、本物の魔法の道具となりますと、それを卸すような問屋などないのですよ。看板にお気づきではございませんでしたかな。『正真正銘の魔法の店』とございましょう?」店主は頬から名刺を引きはがしてわたしにくれた。「正真正銘、と」そう言いながら指で言葉を示して言い足した。「ごまかしはこれっぽっちもございませんよ」

 どこまでも冗談を通すつもりらしい。

 店主はにこにこしながらギップの方を向いた。「ねえ坊や。君は本当に良い子だねえ」

 わたしは店主がそれを知っていたのに驚いた。しつけのことを考えて、わたしたちは家ではあまりおおっぴらにほめそやしたことはなかったのだが。だがギップは怖じ気づくこともなく、黙って相手をじっと見つめていた。

「良い子だけがあのドアを入ってこれるんだよ」

 あたかもその実例を示すかのように、ドアががたがた鳴って、甲高い声がかすかに聞こえてきた。「いやだ! 中に入りてえ、とうちゃんよぉ、中に入るんだぁ。いやだ!」それからいかにも労働者階級らしいアクセントの父親が、なだめすかしている声が続いた。「鍵がかかってんだ、しょうがねえじゃねえか、な、エドワード」

「鍵なんてかかってないのに」とわたしが言った。

「かかってるんですよ、お客様」店主は言った。「いつだってね――あんな子には」そう言っているちょうどそのとき、またひとり、子供の小さな白い顔がのぞいた。お菓子やうまいものを食べ過ぎた、顔色の悪い子供が、欲望に顔をゆがめ、優しさのかけらも見受けられない小さな暴君ぶりをうかがわせて、自分を魅了する窓枠を叩いている。

「そんなことをしてやる必要はありませんよ、お客様」持ち前の義侠心を発揮したわたしが、つい開けてやろうとドアの方へ歩きかけたところで、店主が言った。やがてその甘やかされた子供も、わあわあと言い続けながら連れていかれてしまった。

「どうやってそんなことができるです?」子供がいなくなってほっとしたわたしは聞いてみた。

「これも魔法ですよ!」店主はそう言って、無造作に片手をひらひらさせると、なんと! 驚いたことに指先から色とりどりの火花が飛んで、店の奥の暗がりに吸い込まれていった。

「君は言ってたね」そう言ってギップに話しかけた。「ここに入ってくる前に、うちの“これを買って友だちを驚かせよう”の箱がひとつほしいと言っただろう?」

 ギップはせいいっぱい勇気をふりしぼって答えた。「はい」

「君のポケットのなかを見てごらん」

 カウンターから身を乗り出すと――実際、店主はきわめつけで長い胴体をしていた――この驚くべき人物は、「手品師」らしい仕草で、ギップのポケットから箱を取り出して見せた。

「おつぎは紙だ」と彼は言うと、バネの飛び出した空っぽの帽子のなかから一枚の紙を取り出した。「今度はひも」そう言うと、口の中にひもを巻いた球でもあるかのように、するするとひもを吐き出した。箱を包み終えたところで、ひもを噛み切り、残りのひもは飲み込んでしまったようにしか見えなかった。それから腹話術の人形の鼻の先についているロウソクに火をつけて、炎のなかに自分の指を突っ込むと(指は封蝋さながらに赤くなった)、そのロウで包みに封をした。

「それから“消える卵”だったっけ」そう言ってから、わたしのコートの胸ポケットからそれを取り出すと、これも包んだ。さらに“本物そっくりの泣いている赤ん坊”も。わたしは包みをひとつずつギップに手渡し、ギップはそれを胸に抱えた。

 ギップはほとんど口を開かなかったが、その目は雄弁だった。しっかりと抱え込んでいる両手もそうだ。言葉にできないほどの興奮が全身をかけめぐっていたのである。これこそほんとうの魔法だった。

 そのとき、わたしは自分の帽子のなかで何かが動く気配を感じてギョッとした――なにかやわらかく飛んだりはねたりしている。帽子を振り落とすと、腹を立てた鳩があらわれ――どうやら手品の鳩らしい――、カウンターに舞い降りると、カウンターを駆けていき、張り子の虎の奥にある段ボール箱のなかに消えたようだった。

「チョッ、チョッ」店主は舌打ちすると、器用にわたしの帽子を取り上げた。「うかつなやつだなあ――おやおや――こんなところに巣を作ってしまった」

 店主が帽子を揺すると、広げた手の中に卵を二つ、三つ、大きなビー玉、時計、かならずでてくる例のガラス玉が半ダース、くしゃくしゃに丸めた紙、そのほかにもあとからあとからさまざまなものが落ちてきた。そのあいだもしゃべるのをやめない。帽子の外にはブラシをかけても、中はさぼる人が多いから、と、言い方こそ慇懃だが、特定の誰か、つまりわたしをあてこすっているらしい。

「いろんなものがたまってしまうんですよ、お客様……もちろんお客様ばかりがそうだというわけではないんですがね……みなさんのほとんどが、中から出てくるものを見てびっくりなさいます」

丸めた紙くずが積もったカウンターの上の山はどんどん高くなって、やがて店主はその陰に隠れて見えなくなった。声だけが聞こえてくる。「人間がそのちゃんとした外見の裏に何を隠しているのか、誰にもわかったものではございませんからね。わたしたちがブラシをかけるのは外側だけ、まるで聖書ではございませんが、“白く塗った墓”のようなものでございま……」

 その声が急に止んだ――ちょうど、隣の家の蓄音機にねらいをさだめてレンガをぶつけでもしたように、いきなり静かになったのだ。紙の球の鳴る音も止んだ。なにもかもが止まった……。

「わたしの帽子はもう用がすんだかね?」しばらくしてわたしは聞いてみた。

 返事がない。

 ギップに目をやると、ギップもわたしの方を見ていた。マジック・ミラーにはゆがんだわたしたちの姿が映っていた。ひどく深刻そうな、黙りこくった奇妙な姿が……。

「そろそろ帰るとしよう」わたしは言った。「全部でおいくらかね?」

「失敬」わたしは大きな声を出した。「勘定を頼む。それと帽子を」

 紙玉の山の向こうから、鼻を鳴らすような音が聞こえたような気がした。

「カウンターの向こうを見てみよう、ギップ」わたしは言った。「どうやらからかわれているようだ」

 わたしはギップをともなって、張り子の虎の裏側へ回ってみた。そのカウンターの裏で、わたしたちがいったい何を目にしたとお思いか? 誰ひとり、そこにはいなかったのである。床にわたしの帽子が転がっているばかり、そうして手品によく登場する垂れ耳の白ウサギがくつろいで瞑想にふけっていたのである。いかにも手品師の使うウサギらしく、ぼうっとした様子で丸まっている。わたしが帽子をとりあげると、ウサギはぴょんぴょんと跳ねてあっちへ行った。

「パパ!」ギップはどことなく後ろめたそうにささやいた。

「どうしたんだ、ギップ」

「この店、すっごくステキだよね、パパ」

「そうかもな」わたしは胸の内でつぶやいた。「カウンターがこんなふうに急に伸びて、ドアをふさぐようなことにならなかったらな」だがそんなことを言って、ギップにいらぬ心配をさせたくはない。

「ウサちゃん!」ギップはわたしたちのわきを通って向こうへ行こうとするウサギに手を伸ばした。「ウサちゃん、ぼくに手品をしておくれ!」と言いながら、目で追いかける。おそらくそのときまではドアなどなかったはずなのに、ウサギはその隙間から身をよじって出ていった。すると、ドアが大きく開き、あの片耳の大きな店主がまた姿を現したのである。顔は相変わらず笑みを浮かべていたが、わたしに向けられた目は、何かしらおもしろがっているようにも挑発しているようにも見えた。

「この店のショー・ルームをごらんになりませんか」店主は晴れ晴れとした笑顔でそう言った。ギップがわたしの指を引っ張る。わたしはドアをふさぐカウンターに目をやってから、店主と目を合わせた。徐々に、手品ではなく本物の魔法ではないかという気がしていた。

「時間がそんなにあるわけじゃないんだよ」わたしはそう言ったのだが、言い終わらないうちにわたしたちはショー・ルームのなかにいたのだった。

「当店の品物はどれも最高級の品質のものばかりでございます」店主はしなやかな手をこすりながらそう言った。「それに越したことはございませんからね。当店には本物ではないマジックはございません。すべての品に十全の保証をいたしております。あ、お客様、ちょっと失礼しますよ」

 店主がわたしのコートの袖にくっついているものをぐいっと引っ張った。そのとき、彼が小さなくねくねと動いている赤い悪魔のしっぽをぶらさげているのを見てしまったのだ――その小さな生き物はかみつこうとしたり、もがいたり、なんとか手を逃れようとしている――。即座に店主はカウンターの向こうへひょいと放り投げた。それがゴム細工の人形にすぎないのは間違いなかろう。だが、一瞬……。しかも彼の手つきはちょうど、ネズミか何かの生き物を扱っているようにも見えたのだ。ギップに目をやると、ギップは手品用の木馬に見入っている。何も気がつかなくてやれやれだ。「まさか」わたしはギップと赤い悪魔の両方に目を注ぎながら、声を低めて店主に話しかけた。「この店にあのようなものがたくさんいるんじゃないだろうな?」

「うちの店のものではございませんよ! おそらくお客様がお持ち込みになったのでしょう」店主はわたしに合わせてひそひそ声で言った。いよいよにこやかな表情になっている。「おどろくほど大勢のお客様があの手合いを引き連れていらっしゃるんです、ご自分では何もお気づきにならないままね!」それからギップに言った。「何かおもしろいものは見つかったかい?」

 そこはギップが夢中になりそうなものならいくらでもあった。

 ギップは信頼と尊敬の入り交じった目で、この驚くべき店の主人を振り返った。「これは魔法の剣ですか?」

「魔法のおもちゃの剣だよ。曲がることもなければ、折れることもない、そのくせ指を切ることもない。十八歳以下の相手なら、これさえ持っていれば絶対負けることはない。大きさによって2シリング5ペンスから7シリング6ペンスまでいろいろあるよ。これにそろいの武器や防具は、武者修行中の少年騎士が身につけていたもので、どれもすばらしく役に立つんだ――身を守る盾、すばやさのサンダル、姿を消すかぶと」

「うわぁ、パパ……」ギップはため息をついた。

 わたしは値段が気になったが、店主の方はこちらには目もくれない。いまやギップをとりこにしていたのだ。わたしの指をにぎっていたギップの手も、彼のせいで離れてしまっていた。驚くような商品の一切合切を披露することにしたらしい店主を、やめさせることも無理な話だった。やがてわたしは、ギップがいつもわたしにするように、相手の指をしっかり握っているのに気がついて、一抹の不安と、ある種、嫉妬に近い気分を味わったのである。確かにやつはおもしろい、とわたしは考えた。おもしろいインチキ、実によくできたインチキだ。だが……。

 わたしはほとんど口を開くこともなく、ふたりのあとをぶらぶらとついていったが、店主からは片時も目を離さなかった。なんといっても、ギップがこんなに喜んでいるのだから。おまけに時間が来れば、まさか帰してくれないということもあるまい。

 ショー・ルームはむやみにだだっぴろい場所を、ついたてや間仕切り、柱などで区切っていて、通路のアーチをくぐってつぎの展示場に入るような仕掛けになっていた。それぞれの展示場には、ひどく奇妙な出で立ちの助手がうろうろしながらぶしつけな目でこちらを見ていたし、変な鏡やカーテンもそこここにあった。そのうちわたしはわけがわからなくなってしまい、自分がどのドアを通って入ってきたのかも判然としないありさまだった。

 店主はギップに汽車を見せていたが、それは蒸気でもなくぜんまいじかけでもなく、ただ合図をするだけで走り出す魔法の汽車だった。かと思えば、たいそう値の張りそうな箱には兵隊の人形が入っていて、ふたを取って何かを言えば、すぐに命を吹き込まれたように動き出すのだ――わたしの耳はそれほど良くなかったので、早口言葉のような音しか聞こえなかったのだが、母親譲りの耳を持っているギップは、即座に理解できたようだ。「ブラボー!」店主は歓声をあげると、兵隊たちをさっさと箱に戻して、ギップに手渡した。「さあ」店主にうながされれ、今度はギップが兵隊たちを動かしてみせた。

「この箱がほしいかい?」店主はたずねた。

「ほしいところなんだが」わたしは口を挟んだ。「定価となると苦しいな。わたしも独占企業の重役というわけではないからね」

「お客様、もちろんでございますよ」店主は小さな兵隊たちをさっと集めて箱に戻すと、ふたを閉め宙でゆすった。すると箱は茶色い包装紙に包まれて、ひもまでかかり、おまけに表にはギップのフル・ネームと住所までが書いてあったのである。

 肝をつぶしているわたしを見て、店主は声を上げて笑った。

「これぞ本物の魔法ですよ」彼は言った。「タネも仕掛けもない」

「わたしの好みから言えば、少々本物過ぎるね」

 それからまた店主はギップにいくつもの手品を見せ始めたが、奇妙な手品は進むにつれて、いよいよ奇妙になっていくのだった。説明しながら、内側もひっくり返して見せてくれる。息子はしきりにうなずいて、かしこそうな頭を小刻みに上下させているのだった。

 わたしは中に入りたい気分にはなれなかった。「ほうら不思議!」不思議な店主がかけ声をかけると、少年のよく透る、小さな声が「ほうら不思議!」とかえってくる。だがわたしはほかのことが気になってしょうがなかった。ここは筆舌につくしがたいほど奇妙な場所だ、という気分が、いよいよ強まってきたのである。言ってみれば「怪しさ」の気配があたりを、天井と言わず、床と言わず、無造作に置かれた椅子の数々にいたるまで、すっぽりとおおっていたのである。目をそらしたとたん、いろんなものがわたしの背後でかしいだり、動きまわったり、こっそりと鬼ごっこでもしているような奇妙な気配があった。壁のてっぺんにはマスクをつけた蛇の模様が彫ってあったが、その仮面も漆喰にしてはあまりにリアルなものだった。

 不意に、わたしは例の奇妙な風体の助手のひとりがわたしの目を引いた。離れたところにいるせいで、わたしにはどうやら気がついていないらしく――わたしに見えたのは、山と積まれたおもちゃの向こう、アーチの向こうにいる彼の体の四分の三ほどだった――、彼は柱に寄りかかって、退屈しのぎに自分の顔を使ってとんでもないことをしていたのである! なによりも恐ろしかったのは、彼が自分の鼻をもてあそぶ様子だった。まるでたいくつをまぎらわせるかのように。最初、鼻は小さな団子鼻だった。いきなりそれを引っ張って、望遠鏡のように伸ばしたのである。さらにそこから伸びて、どんどん細くなっていき、赤くて長い、しなやかな鞭のようになってしまった。まるで悪夢のなかの出来事のようだった。彼はそれをふりまわしたり、フライ・フィッシングをやっている釣り人のように前へ放ったりしているのだった。

 とっさに思ったのは、ギップに見せてはならないということだった。振り返ると、ギップは店主に夢中で、いささかも悪い感情は抱いている様子がない。ふたりは何ごとかささやきながらわたしの方を見ている。ギップは小さなスツールの上に立ち上がり、店主は大きな筒のようなものを手に持っていた。

「かくれんぼしようよ、パパ!」ギップは叫んだ。「パパが鬼だよ」

 わたしがやめさせようとする間もなく、店主は大きな円筒をギップの頭上高く掲げた。一大事だ。「そんなもの、どこかへやってしまえ」わたしは怒鳴った。「いますぐに、だ。子供が怖がるじゃないか。そんなものは捨てろ!」

 片方の耳の大きな店主は黙ったまま、大きな円筒をわたしの方に向け、中が空洞であることを示したのである。だが、小さなスツールもまた、空洞になっていた! 一瞬で息子は跡形もなく消え失せてしまった……。

 おそらく、見えないところから手がのびてきて、心臓をわしづかみにされるようなまがまがしい感覚を味わった経験は、誰にでもあることだろう。そんなとき、いつもの自分がどこかにいってしまい、緩慢になるでもなくかといって焦るわけでもない、怒ったり恐れたりの感情も消え失せ、張りつめていながらどこか自分が自分でないような状態になる。まさにそのときのわたしがそうだった。

 わたしはにやにやしている店主のところへ歩いていくと、スツールを蹴り飛ばした。

「馬鹿なまねはやめろ!」わたしは言った。「うちの子はどこだ?」

「おやおや」まだ円筒の内側をこちらに示したままだ。「タネも仕掛けもございませんよ」

 手を伸ばして店主につかみかかったが、相手はするりと身をかわした。もういちど捕まえようとしたが、今度は向きを変えて、逃げだそうとドアのひとつを開けた。「待て!」というわたしの言葉を笑い飛ばすと、どんどん遠ざかっていこうとする。わたしは後ろから飛びかかった――暗闇のなかへ。

 ドシン!

「わぁっ! びっくりした! いきなりどこから出てきたんです?」

 そこはリージェント・ストリートで、わたしは身なりの良い勤め人とぶつかったのだった。一メートルほど向こうに、狐につままれたような顔をしたギップがいた。わたしが謝っているところへ、ギップがやってきて、明るい笑顔を見せた。まるで、ほんの一瞬、父親を見失った、とでもいうように。

 だが、彼は腕に四つの包みを抱えていた!

 ギップは自分の気持ちを落ち着かせようと、すぐにわたしの指を握った。

 わたしは一瞬、自分がどうしたらいいかわからなくなってしまっていた。手品屋の入り口はどこだったろう、とあたりを見回したが、どうしたことか、どこにもないのだ。ドアもなければ店もない、ただ画廊と雛がたくさんいるショーウインドウの間には、どこでも見かけるようなありふれた壁柱があるだけだった……。

 ひどく動揺したわたしにできることはほとんどなかった。歩道の縁石まで歩いていって、傘をあげて辻馬車を停めた。

「馬車だ」ギップがうれしそうな声をだした。

 わたしはギップが乗るのを助けてやってから、かろうじて思い出した住所を告げて、自分も乗り込んだ。コートのポケットに奇妙な感触があったので手で探ると、ガラス玉が出てきた。カッとしたわたしは、通りへ投げ捨てた。

 ギップは黙っていた。しばらくわたしたちは口をきかなかった。

「パパ」やがてギップが口を開いた。「すごいお店だったね!」

 すべてはギップの目にどのように映ったのだろう。どこにも傷を負っているようには見えなかった――少なくともそれはよいことだった。怯えても、動揺してもおらず、ただ、午後の楽しかった出来事にすっかり満足しているようすで、腕には四つの包みを抱えている。

 くそっ! この中にはいったい何が入っているんだ?

「あのな」わたしは言った。「小さい子はあんな店に毎日行くことはできないんだ」

 ギップはいつものように冷静に、じっと言うことを聞いていた。一瞬、わたしは父親である自分は、母親のようにいきなりそんな場所で、人目もわきまえずキスするような真似ができないことを残念に思った。結局、とわたしは考えた、それほどひどいことにはならなかったのだ。

 だが包みを開けて初めて、わたしもやっとほんとうの安堵を覚えたのだった。箱の三つはふつうの鉛の兵隊が入っていた。とはいえ非常によくできていたので、ギップはそれが魔法の仕掛けだったことなど忘れてしまったらしかった。そうして四番目の箱には、生きた白い子猫が入っていた。とても元気で、食欲旺盛で、性質の良い猫だった。

 包みを開封しながら、わたしはとりあえずはほっとした。だが、子供部屋で必要もないのにいつまでも立ち去りかねて、ぶらぶらしていたのだった……。

 その出来事が起こってから半年が過ぎた。いまではわたしもいいかげん大丈夫だろうと思うようになった。子猫の魔法じみたところといえば、あらゆる子猫が備えているような種類の魔力だし、鉛の兵士団の規律正しさときたら、どんな大佐だってうらやましがるだろう。そうしてギップは……。

 多少なりとも知性を備えた親であれば、わたしがギップに細心の注意を払っていた理由も理解してくれるだろう。

 だが、もうそろそろいいだろうと思っていたころ、わたしは言ってしまったのである。「おまえの兵隊たちがまた命を持つようになって、自分で行進を始めたらおもしろいと思うかい?」

「ぼくのはそうだよ」ギップは言った。「ふたを開ける前に、ひとこと言ってやればいいんだよ」

「そしたら勝手にどんどん歩き出すのかい?」

「そうだよ、パパ。じゃなきゃ、こんなに気に入るわけないじゃない」

 うろたえたところは見せずにすんだが、それからも一、二度、ギップの部屋に兵隊が出ているときを見計らって、不意に立ち寄ってみたのだが、いまのところ、魔法で動いているのを見たことはない。

 確かなことは何も言えないが。

 もうひとつ、金銭上の問題もある。わたしには生来、きちんと勘定をすませないと落ち着かないたちなのだ。リージェント・ストリートには何度となく出向いて、あの店を探して往復した。いや、わたしとしてはこう考えたい。この件に関しては、やるべきことはやったのだ、と。というのも、ギップの名前も住所も彼らにはわかっているのだから、彼らがいったい誰であるにせよ、このことは任せておけば、いずれ彼らの都合の良いときに請求書を送ってくるだろう、と。





The End



わたしたちの好きな魔法


この作品は、わたしたちがウェルズと聞けば思い出す、『タイムマシン』や『宇宙戦争』『透明人間』の作者、SF作家としてのウェルズというイメージからすれば、多少意外かもしれない。科学の要素がないだけではなく、科学の対局にある「魔法」が大きな役割を果たしているからだ。この「魔法」に論理的な説明はいっさいない。

果たしてこの不思議な店主が見せるのは「タネも仕掛けもある手品(つまり、物理法則の支配する世界にありながら、ちょっとした錯覚を利用して、わたしたちを驚かせる)」か、それとも「魔法」なのか。奇妙な助手にしても、蜃気楼のような店にしても、証拠は「魔法」を指している。

だが、手品そのものが広く愛されるのは、手品師の技術に感心したいというより、わたしたちが驚きたい、不思議な思いがしたいからだろう。おそらくタネも仕掛けもあるとは思っていても、もしかしたら、とどこかで思うからこそ、心から楽しんでいるのではあるまいか。いまのわたしたちは「魔法」とは呼ばない、その代わりに「超能力」と呼ぶのだが、スプーンが曲がったり、トランプの数字を当てたりするのが「超能力」である、「超能力」と呼ばれるものがどこかにあると信じたい、と。

不思議や驚異には人を引きつけるところがある。『タイムマシン』を書いたウェルズはそのことを知っていた。ウェルズが「現代SFの父」と呼ばれるのは、荒唐無稽な夢物語ではなく、豊富な科学的知識をもとに、作品の細部に科学的思考と技術を持ち込んだからだ。だがそれも、あくまでも「不思議」や「驚異」により説得力を与えるためだった。理詰めなだけでは時間旅行のアイデアも、火星人が襲来するなどというストーリーも生まれるはずがない。

不思議や驚異の物語には、大きな穴がある。周囲が論理できちんと裏付けられ、場所や登場人物がリアルであればあるほど、その穴の向こうに何があるのだろう、と、わたしたちはのぞきこみたくなる。

その意味で、幻想的な色彩が強くても、やはりこれもウェルズらしい作品と言えるのだろう。

請求書は来るのだろうか。もし来ないとしたら、あの店主はその代金として、何を持っていったのだろう。果たしてギップはどうなっていくのだろう。大きな穴はわたしたちが埋めるのを待っている。

初出Aug.28-Sep.04 2008 改訂Sep.09, 2008

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