ものを食べる話 
おなかがすいて、ものを食べる。
のどが渇いて、水を飲む。
食べたり、飲んだり、というのは、わたしたちの生存の根幹に関わる行為だ。
けれども、もし水分や栄養の補給だけが食べることの目的ならば、食事をする必要はないのかもしれない。病院で受ける点滴のようなもので十分ではないのだろうか? 事実、“ウイダー in ゼリー”のほうが、栄養のバランスがとれているし、ダイエットにもなる。三食それでもかまわない、といっている人の話を聞いたこともある。わたしたちの身の回りには、さまざまな栄養補助食品やサプリメントがおびただしくある。そういうものを規定量取っていけば、食事などする必要はないのではないか。
それでも、おそらく多くの人は、それはちょっと……と思うのではないだろうか。
燃料補給なら、それでかまわないのかもしれない。けれども、食べたり、飲んだり、という行為は、欠乏を満たすためだけのものなんだろうか?
本のなかに出てくる「食べたり、飲んだり」を見ながら、「食べる」ということを少し考えてみたい。
まずは、宇宙食のような“ウイダー in ゼリー”からの連想で、未来の食事を見てみよう。
1.未来の食事
小さなテーブルに座り、トウモロコシのクリーム煮をフォークで食べる。フォークとスプーンは与えられるけれど、ナイフは決して与えられない。肉料理のときは、あらかじめ切り分けられて出される。まるでわたしが手をうまく使えないか、歯に支障があるかのように。でも、どちらにも障害はない。だからこそ、ナイフを与えられないのだ。
(マーガレット・アトウッド『侍女の物語』斉藤英治訳 新潮社)
『侍女の物語』の舞台は近未来。
それは、大統領が暗殺されて国会が機銃掃射され、軍隊が非常事態宣言をするという異変の後に起こった。その時点では、彼らはそれをイスラム教の狂信者たちの仕業だと言っていた。
落ち着いてください、と彼らはテレビで言った。事件は完全に鎮圧されました、と。
こうして、聖書を字義通りに実践する宗教的な独裁国家がアメリカに誕生する。そこでの女性は「保護」という名目のもとに、一切の政治的民主的諸権利が剥奪されていた。環境破壊か、あるいはエイズの蔓延か、理由は定かではないけれど、出生率が極端に低下したために、女性は種族保存のための貴重な「道具」なのである。妊娠可能な「わたし」(オブフレッド=フレッドの所有物の含意)は、「侍女」として、「司令官」の家に派遣される。
買い物は「侍女」の仕事である。その世界には貨幣は廃止されて存在せず、人々は支給されたトークンで、物品と引き替える。
干からびたロールパン、萎びたドーナツ。
わたしは思い出す。シタビラメ、ハドック、メカジキ、ホタテガイ、マグロ。詰め物入りの焼いたロブスター、脂っこいピンク色のサーモン・ステーキ。それらがみな鯨のように絶滅するなんて考えられるだろうか? でも、わたしはそういう噂を聞いた。店が開くのを待って外に並んでいるときに、誰かが声を出さずに唇をごくわずかに動かしてそう教えてくれたのだった。そのときわたしたちは、ウィンドーに飾られた絵に誘われて店の前に並んでいた。絵には汁をたっぷり含んだ白い切り身が描かれていた。店はその絵をウィンドーに出す。売るものがないと絵を引っ込める。看板による言語だ。……
昔このブロックのどこかにアイスクリームのお店があった。店の名前は思い出せない。……アイスクリームはダブルでも買えたし、ほしければチョコレートの粉を振りかけてもらえた。店には男性の名前がついていた。ジョニーズだったろうか? ジャッキーズだったろうか? 思い出せない。
娘が幼い頃、わたしたちはよくその店に行った。わたしはカウンターの正面のガラスの中が見られるように、彼女を抱き上げてやった。中には、ごく淡い色をつけた色とりどりのアイスクリームのパットが並んでいた。……ジミーズ、そう、それが店の名前だった。
魚も、アイスクリームも、奪われ、行方不明になった幼い娘と同様に、いまとなっては記憶に刻まれたものでしかない。それでも、記憶のうちにとどめるということは、記憶のうちで所有する、ということでもあるのだ。現実には、紙の一枚、鉛筆の一本さえ所有できず、所有される側である「わたし」のささやかな抵抗。それが、記憶を所有するということであり、それを語ることなのだ。
あるときは、三枚のトーストと二個の茹で卵、アップルジュース。黒パンとレタスのサンドイッチ。何度も出てくるこの作品の「現在」の食事の場面は、いずれも上記のようなものである。主人公の置かれた状況、ひとりきりの、飼料のように与えられる食事。
「わたし」は何を食べて、何を引き替えにいって、何をしたかを事細かにつづっていく。
でも、わたしは悲しく、ひもじく、惨めなこの物語を、逸脱が多く遅々として進まないこの物語を語りつづける。結局のところ、わたしはこの物語をあなたに聞いてもらいたいから。わたしは同様に、チャンスさえあれば――わたしたちが会えるか、あなたが逃亡するかすれば――あなたの物語も聞いてみたい。未来か、天国か、牢獄か、地下か、どこか他の場所で。とにかく、それはここでないことだけは確かだ。あなたに何かを語りかければ、わたしは少なくともあなたを信じることになる。あなたがそこにいることを、つまりはあなたの存在を信じることになる。我話す、故に汝在り。
隠れ家での生活を余儀なくされたアンネ・フランクの日記にも似た、この「侍女の物語」は、生きた証を刻みつけるために語られ、カセットテープに録音される。「何を食べたか」とは、生きた記録なのだ。それがたとえ「トウモロコシのクリーム煮」のようなものであっても。そうして、極限状態においては、生きること、生き続けることが、何よりも、抵抗ということになるのだろう。
「司令官」は「わたし」の前で酒を飲む。けれども「わたし」が飲むことはない。所有するものとされるものは、ともに食事をしない。本来なら、もっとも親密な行為であるはずの肉体の交わりを持っていてさえも、「司令官」は決して「侍女」と一緒に、ワインの一杯すら飲もうとはしない。というのも、ここでの性行為は、感情を行き交わせるものではなく、ただ生殖の目的と、所有の確認のためのみに行われるからなのだ。
主人とその所有物である奴隷は、同じ場で食べることをしない。それは、ともに食べる、という行為が、「分かち合う」ことを含んでいるからなのではないだろうか。実際に、ひとつのものを分かち合うことをしなくても、実際にともに食べることで、双方のうちに何かが生まれ、それが互いに行き来するのではないだろうか。
所有する側から所有される側に、なにものかが移行していく。
一方的に所有されるはずだった側にも、なにものかが生まれ、それが所有する側にも移行していく。このことを恐れ、所有する側は、自分が所有している「もの」と、ともに食べることをしないのではあるまいか。
生まれる、としたら、何が?
そのことを考える前に、もう少し身近な「ともに食べること」を考えてみよう。
2.家族、このやっかいなもの
毎日毎日繰り返していく「食べる」という行為。
それを当たり前のように続けていく場が、家庭というところである。
1940年代から80年代までのアメリカのある一家を舞台にした長編小説『ここがホームシック・レストラン』(中野恵津子訳 文藝春秋社 ※原題は“ホームシック・レストランでのディナー”で、実はこれには深い意味がある。できれば原題どおりにタイトルをつけてほしかった)から、「家族が食べる」ことを見てみたい。
夫が出ていったあと、残されたパールは、食料品店で働きながら、頭が切れて扱いにくいコーディ、おっとりしてやさしいエズラ、優等生のジェニー、とそれぞれに個性的な三人の子供を育て上げている。プライドが高く気丈で、「子供たちをひとかどの人間にしよう」とけんめいにがんばるパールだが、生活の不安定さと寄る辺のなさから、ときどき溜まったうっぷんを爆発させてしまう。
母が爆発した。「パールが荒れてる」とコーディは弟と妹に言った。そういうときの母を、コーディはいつもパールと呼んだ。「用心しろよ。ジェニーの引き出し、全部ぶちまけてるから」
「えーっ」とエズラ。
「八つ当たりしまくって、ぶつぶつ独りごと言ってるよ」
「あーあ」とジェニー。……
母が階段の下で、「ごはんよ」と子供たちを呼んだ。蚊の鳴くような声だった。
三人はとぼとぼ階段を下り、階下の浴室で皮がむけるほど丹念に手を洗った。一人が洗い終わっても、全員が洗い終わるのを待った。それから、三人そろって台所に入っていった。母は缶詰め肉の固まりを切っていた。子供たちのほうを見ようともしなかったが、三人が腰を下ろしたとたん、話しはじめた。「母さんが夕方五時まで働いても、まだ足りないっていうのかい。返っても何にも片づいてない。評判の悪い連中といつまでも外で遊んでいるか、学校のコーラスだ、クラブのミーティングだって時間をつぶして。食事の用意はしてない、夕ごはんも作ってない、掃除もしてない、郵便もとってない……
「でも、それは日曜日のことだろ」とコーディが言った。
「それで?」
「今日は水曜だよ」
「そうね」
「だったら、三日もたってるじゃないか。なんで今頃、日曜のことを?」
コーディの顔にスプーンが飛んだ。「生意気言うんでないの」立ち上がりざま母の手がコーディの頬を打った。「このろくでなしのウジムシ」。その手はジェニーのお下げ髪にも伸び、ぐいっと引っぱったので、ジェニーは椅子から浮きあがった。「バカ、まぬけ」と、今度はエズラに矛先が向かった。パールは豆のボウルをつかむと、エズラの頭の上からドサッとかぶせた。ボウルは割れなかったが、豆が一面に飛び散った。エズラは両手で頭をかかえて身を縮めた。「あんたたちは寄生虫だよ。みんな死んじまえばいい。せいせいするよ。行ってみたら、みんな死んでればいいんだ」
それだけ言うと、パールは二階へ上がってしまった。三人は皿を洗い、ふきんで拭き、棚にしまった。テーブルやカウンターの上を片づけ、床を掃除した。どこかにゴミが落ちているとなんとなくホッとし、シミを見つけると嬉しくなってボナミでごしごしこすった。
家庭というのは、家族がそれぞれ自分の不機嫌をぶつけ合う場でもある。逆にいえば、家族相手だからこそ、甘え、思いのままに振る舞うことができるのだ。
子供が親に甘えるばかりではない。ここでは子供たちに甘えているのは、母親であるパールの側だ。
「団欒」を成立させるためには、いくつかの条件が必要なのだ。経済的な安定、健康であること、さしあたっての不安がないこと……。それが満たされないとき、家族の食事は「団欒」とはほど遠いものになるのかもしれない。けれども、良いか悪いかは別として、それができるのも相手が家族だからなのである。
やがて三人は成長する。大学卒業後、コーディは成功した実業家になり、ジェニーは医学部へ、そうして残ったエズラは母親の反対を押し切って、地元のレストランで働くようになり、そこのコックであるルースに恋をする。ところが弟のものが何でもほしくなるコーディ、こんどはこのルースが気になってたまらない。
コーディは大きなパイの一切れにナイフを入れながら、食べ物について考えていた。食べ物というのは、ほかの人にとっては、言葉では説明できない重要な意味があるらしい。もしかしたら、食べ物に対する態度で人間を分類できるかもしれない。たとえば母は、「非・食べさせ型人間」の部類に入る。コーディが小さかった頃、子供たちが日々の栄養補給をまだ全面的に母親に頼っていたときでさえ、おなかが空いたと言うと、突然、急きたてられたように動きまわり、苛立ち、気もそぞろになった。夕方、仕事から帰ってきた母は、いらいらしながら台所をうろついた。戸棚から缶詰めが落ち、足元にポーク・ビーンズやスパム、ツナのオイル漬け、豆などの缶が散らばった。母は帽子をかぶったまま料理した。……
それでも母は、コーディが病気で寝ているときには、ベッドに食べる物を運んできてくれた。まず、熱い紅茶。母の紅茶はうまかった。それから缶詰めのコンソメ。あっさりした流動食ばかりだ。母は腕を組んで、コーディが全部食べ終わるまで戸口のところに立って見ていた。他人が食べたり飲んだりしているとき、母は不快そうだった。自分ではほとんど食べず、ただ皿をつついているだけのこともあった。がつがつしたり、出された食事に関心をもちすぎる人間を、暗に批判した。……
ルースの作ったパイを頬張りながら、コーディは、そんな母親の三人の子供たちについて考えた。まずジェニー。レモン水とレタスでダイエットして、甘いものを口にすることを自分に許さない。しょっちゅう食事を抜いている。今でも母の不快そうな表情が心に焼きついて離れないのかもしれない。コーディ自身も、食べ物に関するかぎりジェニーとたいして変わらない。彼にとって食べ物自体は重要ではなかった。ほかの人が食べたがるので(たとえばデートやビジネス・ランチのとき)、付き合いで自分も食事を注文する。だが、アパートの冷蔵庫にはコーヒー用のクリームとジン・トニック用のライムしか入っていなかった。朝食はとったことがない。昼食もよく忘れた。……
エズラだけはそうした事情を免れてきていた。……何より、エズラは「食べさせ型人間」だった。人の前に料理を出したあと、顎の下に両手を握り締め、食べる人のフォークを目で追いながら、顔に期待をみなぎらせてじっとそばに立っている。自分の作った料理を食べる人に対するエズラの態度には、優しさというか、忠実な愛に近いものが感じられた。
ルースも似ている、とコーディは思った。
彼はパイをもう一切れお代わりした。
特別な理由がない限り、家族は食卓を囲んでともに食事をする。そういうなかで、子供は食べることや、食事の仕方を学んでいく。自分ではない、他者のふるまいを見ながら、それをまねし、身体に記憶させていく。コップを倒したり、食べ散らかしたりすると叱られ、そうすることでこんどは相手の反応を予期し、対処の仕方を覚えていく。こうして学んだことは、知識として身につけたものとは異なり、その人間を形づくる。
家族というのは大変だ。欠点だらけの人間が親になり、子供を育てていかなければならない。欠点を取り繕わなくてすむのが家庭のはずなのに、そこであらわになってしまった欠点は、ときには取り返しのつかないほどの傷を、ほかの家族に与えてしまうこともある。
ともに食べることが「なにものか」をやりとりすることならば、だれよりも身近で、だれよりもともに食べる回数を重ねてきた家族は、やりとりしてきたものも膨大になっているはずだ。おそらくそれは、その人間に蓄積されている。その人間を形づくる要素のひとつとなっている。だから、わたしたちは大人になっても、離れて暮らしたとしても、自分を親や家族とは切り離すことはできないのだ。親を切り離すことは、自分の一部を切り離すことでもある。
ともに暮らし、誰よりも身近なのに、異なる人間であるために、完全には分かり合えない家族。愛していても、思いやっていても、なかなかストレートな形では伝えられないし、あまりに身近すぎて本人でさえその気持ちに気がつかない。
家族との食事、というのは、決して「団欒」などという簡単な言葉でくくれるようなものではない。
3.ダイエット
"diet" という語の第一義は、飲食物そのものを指す。"fish diet" というのは、ローカロリーの魚を食べてダイエットする、という意味ではなく、魚を中心とした食事ということだ。ただ、"food" という語が食べることと密接に関連しているのに対し、この語は、栄養とか身体の影響というニュアンスがでてきて、そこから食事療法や規定食、制限食、減食といった意味が派生する。さらにそこから特定の食事→常食という意味もある。"basic diet" というと、ふだんよく食べているもの(主食といってしまうと、微妙にずれてしまうのだけれど)といった意味になる。
ジョイス・メイナード『ライ麦畑の迷路を抜けて(原題は"At Home in The World")』(野口百合子訳 東京創元社)には、すべての意味のダイエットが出てくる。
雑誌に才気あふれる文章を発表していた十八歳のジョイスは、ある日、きみが気をつけるなら、ほかの人間にはなれないような本物の作家になれることを自覚してほしい、という手紙を受け取る。差出人はJ.D.サリンジャー。当時彼は五十三歳だった。
文通から始まり、サリンジャーの下を訪れたジョイスは、このようなもてなしを受ける。
彼がランチを作った。全粒粉のパン、チェダーチーズ少々、ハチミツであえたナッツ。彼は、折りたたみ式の小さなテーブルをふたつテラスに出した。
「これで足りるといいんだが」彼が言った。「あまりもてなしをしないもので。女子青年同盟のような接待はとてもできなくてね」
「ほっとするわ」とわたしは答えた。
彼はチーズとリンゴをひと切れずつ切った。「この組み合わせはいいんだ」むしゃむしゃと頬張った。
わたしもリンゴとチーズを切った。
執筆のほかは、ホメオパシー(毒性のない薬をあたえて、患者の症候と同じような症候をつくりだし、患者の抵抗力をまして病気を治療する方法)を実践し、彗能(中国唐代の禅僧)の本を読み、瞑想とヨガを行う毎日を送るサリンジャーは、食事にも厳しい制限を設けていた。
調理すると、食物からすべての栄養素が失われてしまう、と彼は説明した。それだけではない。砂糖や小麦粉のような精製食品は――全粒小麦粉、ハチミツ、メイプル・シロップでさえ――体に悪影響を与える。わたしにチーズを出したけれど、乳製品もまたよくない。とくに殺菌したミルクからつくられたものは、結局のところ、重要な栄養素が破壊されてしまう六十二度以上に熱せられているのだからだめだ。調理した肉は人間が口にするもっとも有害な食品のひとつだが、むろん生の肉が安全というわけではない。……
だいたい、ジェリー(※サリンジャー)は調理されたものはすべて避けるようにしている。一日のおもな食事は、生の果物と野菜とナッツ。多くの人々が口にしている食物については、ジェリーは“毒”という言葉を使った。
高校を卒業してから、一日にリンゴ一個とアイスクリームコーンひとつ以外はほとんど食べないようなダイエットを繰り返していたジョイスにとって、こうした食事制限そのものは、まったく苦痛ではなかった。けれども、ともに生活するようになると、ふたりの相違はどんどん深まっていく。
毎日の食事で実行している禁欲は――“節制”と彼は言っていた――生活のほかの面でも信奉していた。瞑想における彼の目標は、欲望を去り、自我を抹消することだった。思考を追い出して脳を空にすることこそが、目標だった。これに対して、彼は禅の“定(じょう)”という言葉を用いていた。……
だが、わたしがヨガのポーズをとって目を閉じ、呼吸を始めると必ず、世俗のことが意識にのぼってくる。二十からカウントダウンし、腹筋を使って息を吸い、息を吐く……すると、撮影中の六十年代に関する記録映画のためにインタビューしたいという、ドキュメンタリーフィルム制作会社から昨日きた手紙のことを考えてしまう――断るけれど、ほんとうはぜひ参加したい企画なのだ。……
食べ物についても考える。カウンターの上のバナナ・ブレッド。行ってひと切れ切ってきたい。とうとう、その考えを頭から振り払うために、そうする。もうひと切れ、またひと切れと欲しくなり、ついにバナナ・ブレッドはなくなる。わたしは気分が悪くなって、自分がしたことを恥じる――その時点ですることは、食べたものを吐くしかない。
わたしたちはだれでも、自分が尊敬していたり、あこがれていたり、好きだったりする相手の行動を、まねたい、自分もそうしたい、そうなりたい、という欲望を持っている。他者の欲望を模倣して、自分も同一の存在であると認めてもらいたいと思う。つまり、わたしたちが自分の欲望だと思っていることの多くは、他者の欲望を模倣することであり、模倣することで自分の欲望を満たそうとしている。
ときに、この欲望は、自分本来の欲求――おなかがすいたら食べたいものを食べ、満腹したところで食べ終わる――を圧殺してしまうことさえあるのだ。
身体の持つ欲求とかけ離れてしまった「食事」には、「ともに食べること」が持っているはずの喜びは、もはやどこにもない。食べることと身体の間には、密接な関係があるのだ。
4.天国での食事
わたしたちは人と食事をするときには、空腹を満たす以上のものを望む。おいしいものが食べたい。もちろんそれもあるだろう。
だが、それ以上に何かがあるのではないか。
バーバラ・キングソルバーの『野菜畑のインディアン』(真野明裕訳 早川書房)では、重要な場面では、たいてい人が集まって飲み食いしている。
「わたし」は二十三歳の女性。ひょんなことからチェロキー・インディアンの小さな女の子を預けられる。二歳ぐらいのその子は性的虐待を受けており、なんとか居留地から連れ出してくれるよう頼まれるのだ。お金もなく、持ち物といえば、フロント部分しかガラスがはまってない、おんぼろのフォルクスワーゲンだけ。けれども「わたし」は「やるしかない」と、その子をつれて西へ向かう。
アリゾナまで来たところで車のタイヤがつぶれ、たどりついたのは「ジーザス・イズ・ロード中古タイヤ店」。
マティはしばし考えこんだ。「五千マイル保証の、質のいい再生タイヤを、取り付け、バランス調整こみで六十五ドルに負けとくわ」
「どうするか考えてみなくちゃ」とわたしは言った。とても感じのいい相手だったので、タイヤを交換するだけの余裕がないとあけすけに言いたくなかった。
「こんな朝っぱらから悪いニュースじゃたまんないわよねえ。ちょうどコーヒーをいれかけてたとこなの。飲まない? こっちへきて掛けて。……ピーナツ・バター・クラッカーがあるのよ」とマティがタートルのほうへ身をかがめて言った。「この子ピーナツ・バターは食べるかしら?」……
マティがタートルにピーナツ・バター・クラッカーを一枚渡してやると、タートルは両手でぎゅっとつかんだ。クラッカーが粉々に割れ、タートルは目をいかにも悲しげに大きく見開いたので、泣き出すかと思った。
「いいのよ。それをお口に入れちゃいなさい。もう一つあげるわ。……その子、ジュースでもほしいんじゃないかしら? ピーナツ・バターを流しこむものがいるわよね」
「お気をつかわないで。そこの蛇口から水をくんでやるわ」
「ひとっ走りしてアップル・ジュースを持ってくるわ。すぐよ」……
「どうぞおかまいなく。ただでさえもうすっかりお手数をおかけしちゃってるんだから。実を言うと、わたし、今のところタイヤを二本どころか一本だって買う余裕がないの。とにかく、仕事と住むところが見つかるまで、しばらくは無理なの」わたしはタートルを抱き上げたが、タートルは今度はわたしの肩を茶碗で叩きつづけた。
「あら、気にしないで。あたしはべつに売りこもうとしてたわけじゃないんだから。あなた方二人にはちょっと元気づけが必要だなと思っただけよ」
もちろん人間には栄養やカロリーや水分が必要だ。けれども、それだけでなく、「ちょっとした元気づけ」が人を生き返らせることもある。
のどが渇いていれば気がつく。おなかが空いていても気がつく。けれども「元気づけ」が必要かどうかは、なかなか本人にはわからない。
それに気がつくのは、周りにいる人間だ。欠けていることに気がついたとき、それを恩着せがましい態度ではなく、ごく自然に差し出せたら。ちょうど、自分自身が水を飲むように、相手にも差し出すことができたら。
やがて「わたし」はこの中古タイヤ店で働くようになる。
マティは中古タイヤ店を経営する傍らで、エルサルバドルやグァテマラからのいわゆる「不法」難民をかくまい、難民の保護区をつくる「サンクチュアリ運動」をおこなっていた。そこでグァテマラ難民のエステバンとエスペランサのカップルと知り合う。ふたりにはタートルと同じ年頃の娘を、政治的な弾圧を受けるなかでさらわれた、という経緯があった。
「わたし」と、共同生活をしているルー・アンは、近所に住む二人の年輩の女性ミセス・パースンズとエドナ、そしてエステバンとエスペランサを集めて、食事会を開くことになる。
ミセス・パースンズはこう言った、「で、この裸ん坊はその人たちの子? 野蛮なインディアンみたいに見えるけど」これはタートルのことを指していた。タートルはちゃんとシャツを着ているとは言えないまでも、裸ではなかった。
「わたしたちには子どもはいません」とエステバンが言った。エスペランサはほっぺたをぴしゃりとやられたような顔をした。
「わたしの子です。それに実は、おっしゃるとおり野蛮なインディアンなんですよ。さてお食事にしましょうか」……
エステバンが包みを取り出した。中身は箸だった。……
「ああ、わたしが箸が好きなわけはね、中華料理屋で働いてるからです。わたし、皿洗いなんで」
「それは知らなかったわ。いつからそこで働いてるの?」とわたしは言い、同時に、エステバンのことをなにもかも知っているつもりでいるほうがどうかしていると思い知った。そもそも彼の生活全体が、実はわたしにとって謎なのだった。
「一ヶ月前から。勤めてる店の主人一家は中国語しかしゃべらなくてね。五つになる娘だけが英語を話せるんです。父親はその子にわたしのやるべきことを説明させている。幸い、その子はとても辛抱強い」
「そんなのはとんでもないことだと思う、とミセス・パースンズがぶつくさ言った。「いつのまにか世界じゅうの人間がこの国でチンプンカンプンなことをペチャクチャしゃべるようになって、しまいにゃここがアメリカだってことがわかんなくなるわよ」
「ヴァージィ、礼儀をわきまえなさいよ」とエドナが言った。
「だって、ほんとのことだもの。外人は自分の生まれた土地にじっとしてるべきよ。こっちへきて働き口を奪わないで」
「ヴァージィ」
わたしはいても立ってもいられなかった。母に行儀をしつけられていなかったら、その意地悪ばあさんに、フォークを置いてとっとと出ていけと言っていたろうと思う。あんたの目の前にいるのは英語の先生よ、と怒鳴りつけてやりたかった。皿から蟹玉の食べ残しを洗い落としたり、五歳の子に指図されたりするためにこの国へきたわけじゃあるまいし。
だがエステバンは動じたふうもなく、で、さだめし毎日のようにこういうことを言われつづけているにちがいない、とわたしは気づいた。……
「おチビちゃん、一つお話をしてあげよう」とエステバンが言った。「これは南米の、野蛮なインディアンの、天国と地獄のお話だよ」ミセス・パースンズがつんと澄ました顔をし、エステバンはかまわずつづけた。「地獄へいくとね、この台所みたいな部屋があるの。テーブルにはおいしいシチューの入った鍋が置いてあって、えも言われないいい匂いがしてるんだ。まわりには、わたしたちみたいにぐるっと人が坐ってる。ところがその人たちは飢え死にしそうになってるんだよ。チンプンカンプンなことをペチャクチャしゃべってるんだけどね」彼はミセス・パースンズをひときわまじまじと見た。「でも神さまがこさえてくれた素晴らしいシチューを一口も食べることができないんだよ。さてどうしてかな?」
「喉が詰まっちゃってるのかしら、永久に?」とルー・アンが聞いた。……
「ちがう。いい線ついてるけど、ちがいますね。かれらが餓えてるのは、むやみと柄の長いスプーンしか持ってないからです。あれぐらい長い」彼はわたしが片づけ忘れたモップを指した。「こういう馬鹿げた、おっそろしいスプーンじゃ、地獄の人たちは鍋に先を突っこむことはできても、食べ物を口に入れることはできやしない。ああ、どんなにおなかがすくことか! かれらはどんなに悪態をつき、互いに罵り合うことか!」彼はまたヴァージィを見ながら言った。話すのを楽しんでいた。
「さて、天国を見に行ってごらん。どうかな? 地獄のとそっくりの部屋があり、同じテーブル、同じシチュー鍋、スポンジ・モップと同じくらい長いスプーンがある。ところがこの人たちはみんな満ち足りて太ってる」
「ほんとに太ってるの、それとも栄養十分ってだけのこと?」とルー・アンがこだわった。
「栄養十分てだけ。申し分なく、みごとに栄養十分で、すっかり満ち足りてる。どうしてだと思う?」
彼はひと切れのパイナップルを自分の箸でいとも器用につまみ上げ、はるかテーブル越しにタートルに差し出した。タートルは生まれたての雛鳥のようにぱくっと口に入れた。
この「南米の、野蛮なインディアン」の話は、「ともに食べる」ことの本質を突いている。天国の食事は、相手の存在を認め、信頼し、相手の空腹を満たすことが前提となる。まず、相手にあたえること。そうして初めて、自分も満たされるのだ。
『ライ麦畑の迷路…』のジョイスのように、相手から認められたい、そう願っているだけでは、つまり、自分が満たされることを願っているだけでは、決して自らが満たされることはない。これではいつまでたっても地獄の食事だ。ともに食べるというのは、まず何よりも、身体を持つ存在としての相手を認めることなのだ。
ところでこの天国のスープには、何が入っていたのだろう。栄養十分、満ち足りる、ということは、それだけの栄養になるものが入っている、ということだ。栄養になるものとは、それが植物であれ、動物であれ、なんらかの生命ということである。わたしたちの身体は、無機物を摂って栄養とするシステムにはなっていない。となると、天国での食事もまた、なにものかの生命を奪うことによって成り立っているのだろうか?
5.生命を食べる
スーパーでパック詰めの肉や魚を買ってくるわたしたちは、それがつい数日前まで生きていた、という事実を意識することもない。けれどもそうした肉類を食べるということは、その生き物の命を奪うことだ。そう考えると、白いトレーに入って、清潔にパック詰めされた切り身やスライスされた肉片は、できるだけ生命の痕跡を感じさせないような工夫がなされているようにさえ感じられる。
ところが、いったん日常から滑り落ちるとどうなるか。ウィリアム・ゴールディング『蠅の王』(平井正穂訳 集英社)では、南太平洋に不時着した少年たちは、野生の豚を狩る。
彼らはこの茂みを包囲したが、結局、雌豚は横腹にさらにもう一本の槍を突き刺されたまま、逃げていった。……もうこうなれば、鮮血の痕を辿ってこの獲物を追っかけてゆくことは、狩猟隊のどの少年にもできる容易な仕事であった。午後の時刻が次第に経過していった。じっとりとした暑さに朦朧となるような、血腥い午後であった。少年たちの前方をよろめきながら、雌豚は、絶えず血を流し、気が狂ったように逃げていった。その跡を追う少年たちは、いわば情欲的なものによってその雌豚と結ばれており、長時間の追跡と滴り落ちている鮮血によって、興奮しきっていた。……
ここまできて、暑さにへこたれてしまい、その豚はぶっ倒れてしまった。少年たちはわあっと押し寄せた。思いがけない世界からのこの恐るべき襲撃に、豚は狂乱していた。叫び、飛び上がった。あたり一帯には汗と騒音と血と恐怖の渦がまき起った。ロジャーは蹲った豚のまわりを走りまわり、その肉の裂け目を見つけしだい、槍で突いてまわった。ジャックがその上に乗っかかって、ナイフをぐさっと突き刺した。ロジャーがそれから、ここぞと思うあるところに槍の切っ先をぐいぐい突きこんだが、しまいには自分の体重でよろけるほどだった。槍は一寸きざみに肉の内部へと食いこみ、怯えきった豚の悲鳴は、やがて耳をつんざくような断末魔の絶叫となった。それからジャックは喉もとにとどめを刺し、温かい血を両手いっぱいに浴びた。雌豚は、ついに彼らの手にかかってあえなく最期をとげた。彼らは重苦しい、そしてみたされた感じを味わった。
こうして豚を屠ったその場で、リーダーのジャックは、豚の頭を切り落とし、棒きれに突き刺して「獣」への供物とする。やがて、火を囲んで宴が始まる。
岩の上では焚き火が燃やされていた。そこでは豚肉が炙られ、その脂がほのかな炎の上にぽたぽた落ちていた。ピギー、ラーフ、サイモン、それに豚を炙っている二人の少年を除いて、この島にいるすべての少年たちは芝生の上に一団となってかたまっていた。笑ったり、歌を歌ったり、寝そべったり、あぐらをかいたり、草の上につっ立ったりしていたが、みんな両手に食べ物をもっていた。脂でよごれたその顔から判断して、もう肉を食う宴もあらかた終わりに近づいているようであった。……
「さ、おれたちのダンスをやろう!」
彼はぽくぽくする砂地に足をとられながら、火の向こうの広い空き地になっている岩の方へ走っていった。稲妻がとだえている間は、あたり一帯は暗くものすごい状況を呈していた。がやがやと喚きながら、少年たちは彼のあとからついていった。ロジャーは、豚になって唸りながらジャックに突進していった。ジャックは、ひょいひょいそれを避けた。狩猟隊の者は、槍をとり上げ、料理当番の者は焼き串をもち、残りの者は薪を棒切れ代わりにもった。みんな輪になってまわりだし、同時に歌を歌い始めた。
人間は、大昔から生き物を殺し、その肉を食べてきた。肉食獣と同じように。
けれども肉食獣は、自分が獲物の命を奪っている、死をもたらしているとは考えない。そう考えるのは、人間だけだ。
さきほどまで生きていた生き物を殺す。自分が生きるために、殺して、それを食べる。これは残酷なことではないのか。
おそらく大昔から人間はこのことを正当化する必要を感じてきた。古代社会の人々は、神と交流するために動物を屠って供儀とし、ときにそれをともに食べ、踊った。それも一種の「正当化」であったろう。
あるいは、豚を追いつめ、仕留めた少年たちが味わう「重苦しい、みたされた感じ」も、満腹したのち、暗闇の中で火を囲んで踊り始めた少年たちの高揚感も、「罪悪感」と同根の感情なのかもしれない。わたしたちは少年たちの感情を容易に想像することができる。それは、わたしたちの内部にある、はるか遠い祖先の記憶なのかもしれない。
あるいは、ジョイス・メイナードが描くサリンジャーの食事。その中で、彼が「節制」と呼ぶ、肉を摂らない食事。これもまた、一種の「正当化」といえるのかもしれない。少なくとも、動物の肉を食べなければ、直接には動物に死をもたらしていることにはならない。だが、木の実や野菜といった植物もまた、生命を持っているのではないのか。
わたしたちは、生き物を殺して食べる。噛みくだき、嚥下し、消化して自らの身体に所有していく。
わたしたちの身体は、いくつもの「死」を抱えこみながら、生存を続けていく。
6.「死」と「食べる」
土曜の午後に彼女は車で、ショッピング・センターの中にあるパン屋にでかけた。そしてルーズリーフ式のバインダーを繰ってページに貼りつけられた様々なケーキの写真を眺めたあとで、結局チョコレート・ケーキにすることに決めた。それが子供のお気に入りなのだ。彼女の選んだケーキには宇宙船と発射台と、そしてきらめく星がデコレーションとしてついていた。反対側には赤い砂糖でつくられた惑星がひとつ浮かんでいた。スコッティーという名前が緑色の字で惑星の下に入れられることになった。パン屋の主人は猪首の年配の男だった。来週の月曜日でスコッティーは八つになるんです、と母親が言っても、パン屋の主人は黙って聞いているだけだった。
(レイモンド・カーヴァー『ささやかだけれど、役に立つこと』村上春樹訳 中央公論社)
レイモンド・カーヴァーの『ささやかだけれど、役に立つこと』という短編は、このような滑り出しで話が始まる。
その誕生日、スコッティーは学校に行く途中、車にはねられる。歩いて家に帰ってきたものの、そのまま横になって目を閉じてしまう。母親が急いで病院に連れて行くが、目を覚まさない。医師は軽い脳しんとうだというが、それでも目が覚めない。
「昏睡ではありませんよ」の言葉に、ずっとつきっきりだった両親は、家に帰ることにする。
まず父親が帰る。無人の家に電話が鳴っている。急いで出てみると「ケーキを取りに来ていただかないと」と電話の相手が言う。動転している父親には話の脈絡がつかめない。がちゃんとそのまま切ってしまう。そこから、執拗に電話が繰り返されるようになる。
両親が交代で帰る。家に戻るたび、電話が鳴り、「スコッティーのことを忘れちゃったのかい」とだけ言って切れる。ふたたび病院に戻ると、子供の容態は変わらないものの、病院側の処置はそのたびに深刻の度合いを増している。にもかかわらず、医師は「昏睡ではない」と言い続ける。
とうとうスコッティーは、目を覚まさないまま死んでしまう。
家に帰ってきたふたりを迎えたのは、またしても「スコッティーのこと忘れたのかい?」という電話。
やがて母親は気がつく。ショッピング・センターのパン屋だ。
ふたりは真夜中のショッピング・センターに出かけていく。
「本当にお気の毒です」とパン屋は言った。彼はテーブルの上に両肘をついた。「なんとも言いようがないほど、お気の毒に思っております。聞いて下さい。あたしはただのつまらんパン屋です。それ以上の何者でもない。昔は、何年か前は、たぶんあたしもこんなじゃなかった。でも昔のことが思い出せないんです。あたしが一人のちゃんとした人間だったときもあったはずなのに、それが思い出せんのです。今のあたしはただのパンを焼くパン屋、それだけです。もちろんそれで、あたしのやったことが許してもらえるとは思っちゃいません。でも心から済まなく思っています。あんたのお子さんのことはお気の毒だった。そしてあたしのやったことはまったくひどいことだった……あたしには子供がおりません。だからお気持ちはただ想像するしかない。申し訳ないという以外に何とも言いようがない。もし許してもらえるなら、許して下さい」……
「何か召し上がらなくちゃいけませんよ」とパン屋は言った。「よかったら、あたしが焼いた温かいロールパンを食べて下さい。ちゃんと食べて、頑張って生きていかなきゃならんのだから。こんなときには、物を食べることです。それはささやかなことですが、助けになります」
彼はオーブンから出したばかりの、まだ砂糖が固まっていない温かいシナモン・ロールを出した。彼はバターとバター・ナイフをテーブルの上に置いた。パン屋は二人と一緒にテーブルについた。彼は待った。彼は二人がそれぞれに大皿からひとつずつパンを取って口に運ぶのを待った。「何かを食べるって、いいことなんです」と彼は二人を見ながら言った。「もっとたくさんあります。いっぱい食べて下さい。世界中のロールパンを集めたくらい、ここにはいっぱいあるんです」
二人はロールパンを食べ、コーヒーを飲んだ。アンは突然空腹を感じた。ロールパンは温かく、甘かった。彼女は三個食べた。パン屋はそれを見て喜んだ。
レイモンド・カーヴァーの短編は、怖い。表面に現れる、現れないにかかわらず、暴力の臭いに満ちている。この作品でも、無人の家に鳴り響く電話は、理不尽に降りかかってくる暴力以外の何者でもない。さまざまなできごとが、まったく無関係に積み重なっていき、登場人物はそのなかで脈絡を見つけることができない。
これは、わたしたちの日常そのままではないのか。わたしたちは、なんとか出来事と出来事の間に「因果関係」を見つけようとし、なんとか自分を納得させる「物語」を築こうとし、先のことを予測しようとする。
カーヴァーの短編は、わたしたちのこのささやかな営みを、あざわらうかのようだ。
「死」は恐ろしい。動物は「死」ということを理解できない。言葉を持ち、それを記憶する人間だけが、「死」の観念を持つ。
けれども、死んでしまうという経験は、だれもほんとうにはできないから、わたしたちは結局、「死」ということを理解することはできない。
そこにあることは知っていても、どういうものかわからないものは、怖い。だからわたしたちはできるかぎり、「死」を忘れよう、遠ざけようとする。
けれども、わたしたちは有限の身体を持っている限り、「死」から逃れることはできない。だからわたしたちは、自分が身体を持っていることさえ、忘れようとする。ダイエットをし、あるいは身体の欲求をはるかに超えて食べ続け、過度の飲酒や、本来ならば身体を痛めつけるものでしかないドラッグなどに嗜癖するようになる。欲望と欲求はどんどん離れていく。
身体は欠乏を訴える。喉が渇いた。おなかがすいた。
わたしたちは自分が身体を持っていることを思い出す。
わたしたちは身体を持っている? では、この身体を所有している「わたし」というのは、何なのだろうか? 「わたし」は、ものを持つように、あるいは「司令官」が「侍女」を所有するように、身体を所有しているのだろうか? そうではないだろう。「身体」を離れたところに「わたし」がいるわけではなく、逆に、身体によって「わたし」が生かされているのだ。
空腹になることを、そうして食べることを通して、わたしたちは自分の身体を意識する。そうして、自分が生き続けるために、飢えや渇きを満たす。
けれども、それだけではない。そもそも食べることは、他者の仕草をまねることで、わたしたちが身につけた行為だ。食べる、ということを身につけた当初から、わたしたちはひとりでは食べてこなかったのだ。
わたしたちは、自分ではない他人が何を考えているか、理解することはできない。けれども、他者には身体があるから、その身体を媒介にして、存在を感じ、想像し、理解することができる。
食べる、というのは、おそらくはひとりで食べることではないのだ。他者とともに食べることで、自分のうちになにものかが生まれ、それを他者にあたえ、他者のうちに生まれたなにものかを受け取る。それが、おそらく、食べる、ということの根幹にあるのだと思う。
なにものか。
他者の表情を見て、空腹ではないか、と感じること。
ともに食べて、「おいしいね」と言うこと。相手からその言葉を受け取ることで、自らも満たされる。
あるいはまた、自らの際限のない欲望に、歯止めをかけることを学ぶ。相手の望むものをまた自分も望み、相手の望みの前に、自分の欲望を抑えることを知る。
同時に、ともに食べることは、相手の知らない一面を知る機会でもある。
相手の嗜好を知り、食べる仕草に、そのひとの積み重ねた日々の片鱗を知る。
たったいちど限りの、〈 いま・ここ〉を、ともに食べることで、分かち合う。
だからこそパン屋が言うように「何かを食べるって、いいこと」なのだろう。
言葉は、誤解もするし、人も傷つけるけれど、ともに食べることで、身体は言葉を超えて響き合う。食べることは、おそらくこの身体が交流する、ということなのだ。
最後にもうひとつ。
イサク・ディーネセンの『バベットの晩餐会』(枡田啓介訳 筑摩書房)には、パリ・コミューンで夫も子供も失い、身一つでスウェーデンの田舎の牧師館にやってきた料理人バベットが登場する。ところがこのバベットは、たぐいまれな料理人だった。
そこで十四年間働いて、一万フランの富くじを当てたバベットは、監督牧師の生誕百周年を記念する晩餐会を自分に任せてほしい、一切の費用は自分が負担するから、と、雇い主に頼みこむ。
「芸術家の心には、自分に最善をつくさせてほしい、その機会を与えてほしいという、世界じゅうに向けて出される長い悲願の叫びがある」、そのための晩餐会なのである。
一瞬、将軍ははっとした。手にしたグラスを鼻に近づけ、さらに目の高さまで上げてみて、それからテーブルにもどした。ひどく驚き、戸惑っていた。将軍は考えた。「不思議だ。アモンティラードではないか。それもこれまで味わったこともない極上のものだ」気を鎮めるために、ちょっと考えてから、用心深そうにスープをほんのひとさじ口にすると、またはっとしてスプーンを置いた。「これはなんと不思議なことだ」とこんども思った。「これは正真正銘の海亀のスープだ、それもなんとみごとなスープなのだ」将軍は一種のパニックに襲われ、グラスをあけた。……
テーブルを囲んだ人びとは、身体も心もしだいに軽くなり、食は進み、どんどん飲んだ。もはやあの誓い(※信者たちが晩餐会の前に歌った「思い患うことなかれ、なんじ思慮深き者よ なんじの日々のパンと装いを」)を思い起こす必要もなかった。自分たちの食べる物 と飲むもののことを忘れているだけでなく、頭からきれいさっぱり捨て去ってしまってこそ、気持よく食べたり飲んだりできるのだと、彼らは悟ったのだった。……
「バベット、ほんとうにすばらしいディナーだったわ」
ふたりは突然、心の奥底から感謝の気持に満たされた。そういえば、客の中のだれひとり、自分たちが食べた物についてひとことも口にしなかったことを、そのときはっきりと思い浮かべたからだった。思い返してみると、テーブルで自分たちの前に出された料理をどれひとつ思い出すこともできなかった。
おそらく、至福の食事、というのは、そういうものなのだろう。
何を食べたか、飲んだか、あるいは、何を話したかすらも忘れ、ただ、ともに食べるのだ。それだけで、わたしたちはよくわからないままに満たされ、豊かな、暖かい気持ちになる。
『ささやかだけれど、役に立つこと』でのパンを食べる場面が、微かな希望を感じさせるのも、おそらくそのためだろう。スコッティーの両親は、やがてそこを出ていかなければならない。息子のいない世界に戻り、そこで生きていかなければならない。パン屋もまたパンを焼き、それを売る繰り返しの日々に戻っていかなければならない。事態は何ら改善していない。
けれども、たとえ厳しい現実に戻っていかなければならないとしても、ともに食べることで身体に刻まれた経験は、おそらく、ほんの少し、わたしたちを変える。何を食べたか、何を話したかは覚えていなくても、ともに過ごして楽しかった、という記憶は、思い返すわたしたちを暖めてくれる。
だからこそ「何かを食べるって、いいことなんです」。
――「早くはいって暖まって! ココアを飲んで」
(アン・タイラー『アクシデンタル・ツーリスト』田口俊樹訳 早川書房)