アンブローズ・ビアス  「月明かりの道」

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ここではアンブローズ・ビアスの短編「月明かりの道」を訳しています。
原文はhttp://gaslight.mtroyal.ab.ca/moonltrd.htmで読むことができます。


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月明かりの道


アンブローズ・ビアス



 I.ジョエル・ヘットマン・ジュニアの手記

 わたしほど、幸せとは縁遠い人間もいないでしょう。資産はある、尊敬もされ、まずまずの教育も受けている、健康状態も申し分ない、ほかにも強みには事欠かない、だから似たような境遇の者からは重きを置かれ、恵まれない者からはうらやましがられてきましたが、実際は、ここまで順風満帆でなければ、公の生活と内面の齟齬を骨身にしみるほど味あわなくてすんだろうに、と、折に触れ思ったものです。暮らしに追われ、身を粉にして働かなければならなかったとしたら、つい思い煩わずにはいられない、あの陰惨な秘密を忘れることもできたろうに、と。

 わたしはジョエル・ヘットマンとジュリアの間に生まれたひとり息子です。片や豊かな地方郷士、片や美しく洗練された女性として夫から情熱的に愛されていたのだけれど、そこに嫉妬と強烈な独占欲が介在していたことも、いまのわたしには理解できます。わたしたちの家は、テネシー州ナッシュヴィルの市街地から数キロ離れたところにありました。大きくて均整を欠く、どの建築様式にもあてはまらない屋敷は、街道から少し奥まったところに木や灌木に囲まれて建っていたのです。

 わたしが記そうとしているのは、十九歳、イェール大学の学生であったころの話です。ある日、父からの電報を受けとりました。緊急事態発生とあるだけで何の説明もなかったけれど、わたしはすぐに帰途についたのです。ナッシュヴィルの駅には、遠縁の者が出迎えてくれ、そのわけを教えてくれました。母が惨殺された、というのです。その原因も、あるいは犯人に関しても、何の目星もついてないようでしたが、以下の情況であったようです。

 父は翌日の午後帰宅する予定で、ナッシュヴィルに出向きました。ところがとりかかっていた仕事に支障が起こり、そこを出たのは夜も更けてからで、家に戻った頃には、ちょうど夜明け前だったようです。検死審問での父の証言によると、鍵も持っておらず、眠っている召使いを起こすのもしのびなかったために、確たる理由もなく、家の裏手に回ったというのです。家の角を曲がったところで、扉がそっと閉まる音が聞こえ、暗がりにぼんやりとした人影が浮かび上がったかと思うと、すぐに木立のなかに消えてしまった。咄嗟に追いかけ、戻ってから敷地をざっと調べて、侵入者は召使いのだれかにこっそりと会いに来て首尾をとげることができなかったのだろうと判断し、父は鍵のかかっていないドアからなかに入り、妻の部屋のある二階に上がっていったのでした。部屋のドアは開いており、暗い部屋の中に一歩足を踏み入れたとたん、床のなにか重いものに躓いて、頭から倒れ込んでしまった。詳述は避けてもかまわないでしょう。ともかく、それは気の毒な母で、なんと人の手で首を絞められ死亡していたのでした。

 家のものはなにひとつ盗まれてはいませんでしたし、召使いのなかにも、物音を聞いたものはいませんでした。死亡した母の喉元に残ったおぞましい指紋――おお、神様、あの指紋のことなどどうか忘れさせてください――を除けば、犯人はいかなる痕跡も残してはいなかったのです。

 わたしは学業を放擲し、父の下に留まりました。父は、仕方のないことではありますが、まったく別人のようになってしまいました。元来、穏やかで口数の少ない人間だったのですが、いまや深い憂鬱にとりつかれ、うちに閉じこもったまま、何ごとにも無関心、ところが物音や足音、あるいは急に扉がばたんと閉まったりすると、つかのま、耳をそばだてるのでした。それは注意を引かれたというより、不安におののいた、といったほうが良いのかもしれません。五感にふれるどんな些細な出来事にも、父は誰の目にもあきらかなほどにぎくりとし、蒼白になることさえあり、きまってそのあとは、いっそう深い絶望の淵に沈み込んでしまうのです。おそらく父は、いわゆる「ノイローゼ」のような状態にあったのだと思います。わたし自身はその当時、若かった――ともかく、若さというのはたいしたものです。若さがいかなる傷をも癒す特効薬だった。ああ、わたしがいまふたたび、あの魅惑の王国に住むことができるなら! 悲嘆を知らないばかりか、喪失の重みを量るすべさえなかった。自分が受けた打撃の大きさを正確に理解することなど、できるはずもなかったのです。

 ある晩のこと、そのおぞましい出来事から数ヶ月がたっていましたが、父とわたしは市街地から家へ一緒に歩いて帰っていました。東の空から満月がのぼって三時間ほど経ったころだったと思います。あたり一帯は夏の宵の厳かな静けさのなかにありました。耳に響くのはわたしたちの足音と、途切れることなく鳴き続けるキリギリスの声だけ、並木が人を寄せつけまいとするかのような黒い影を道に落とし、影が途切れる狭いあいだだけが、ぼおっと白く浮かび上がっていました。家の門にさしかかると、門の前は闇に沈んで灯りもなかったのですが、突然、父は立ち止まると、わたしの腕をつかんで、ほとんど声とは呼べない吐息の下からこう言ったのでした。

「あ……あれはなんだ?」

「何も聞こえませんが」

「見えるだろう? あれを見ろ!」そう言って、道の前方をまっすぐ指さしたのです。

「なにもありゃしません。おとうさん、家に戻りましょう。お父さんは加減が良くないんですよ」

 そのときにはもうわたしの腕をふりほどいて、月に照らされた道のまんなかで身をこわばらせて突っ立ったまま、正気を逸した者のように虚空を見つめていました。月明かりで見る父の顔は蒼白で、言葉にできないほど悲痛な表情が貼りついています。袖口をそっと引っぱっても、わたしがいることなど気づきもしないようでした。やがて父は一歩一歩、あとずさりを始めました。自分が眼にしている、あるいは、眼にしているはずの何ものかから、片時も目を離そうとしないまま。わたしは父についていこうとして半身を後ろに向けたのですが、どうしていいかわからなくなってその場に立ちつくしてしまいました。恐怖に襲われた、とも思えない。身体に感じた突然の冷気が、恐怖でなければ、の話ですが。氷のような風が頬を撫で、頭のてっぺんからつま先まで、冷気にすっぽりと包み込まれたように思いました。髪が冷気になぶられるのさえ感じたほどです。

 そのとき急に、二階の窓から灯りが差してきて、わたしはすっかりそれに気を取られてしまいました。召使いのひとりが、さしずめ凶事の予兆でも感じたのでしょうか、目を覚まし、自分でもよくわからない衝動に駆られてランプに灯をともしたのです。つぎにわたしが父を振り返ったときには、すでに姿はありませんでした。それから長い歳月が過ぎたけれど、父の運命を告げるどんなささやき声すらも、未知なる王国から推測という名の国境を越えて、聞こえてくることはなかったのでした。


 II. キャスパー・グラタンの手記


 いまのところ、どうやら生きているらしい。だが、明日になればこの部屋で、土塊と化した身を何も感じぬまま、ただ長々と横たえる、それがこの私なのだ。よしんばだれかがその厭わしい土塊の顔をおおう布を持ち上げたとしても、満たされるのは病的な好奇心だけだ。さらに「誰の死骸だ?」と尋ねる者もいるにちがいない。この手記の中では私が答えられる唯一の名を記しておこう――キャスパー・グラタン、おそらくそれで十分のはずだ。この名前が、正確にはよくわからない生涯のうち二十年以上に渡って、私のささやかな必要を満たしてくれたのだから。確かにこの名をつけたのは私自身ではあるのだが、もうひとつの名を失ってしまったのだから、それも仕方がなかったのだ。この世では人は名前なしではいられない。相手の身元がはっきりしない場合でも、名前さえわかればどうにかなる。数字で識別される人間もいるにはいるが、はっきりさせるにはやはり不十分と言わざるを得まい。

 それが証拠に、ある日、私がここから遠く離れた街の通りを歩いていたときのこと、ふたりの制服警官に行き会ったのだが、ひとりが半ば立ち止まるようにして私の顔に見入りながら、連れにこう言ったのだ。「この男、767号にそっくりだな」なんだか耳に馴染む、しかもおぞましい数字の響きだ。抑えがたい衝動に駆られ、咄嗟に脇道に飛び込んで走り続け、へとへとになって倒れ込んだところは、街を遠く離れた細い道だった。

 その番号のことは忘れられないだけでなく、かならず、卑猥なことをぺちゃくちゃしゃべりちらかす声や、うつろな笑い声、鉄の扉のガチャンと閉じる音と一緒によみがえってくる。だから私は名を名乗る、たとえ自分でつけた名前でも、番号よりははるかにましだと思うからだ。だが無縁墓地に記載されるときは、このふたつとも持つことになるのだろう。なんと贅沢なことか!

 この覚え書きを見つけてくれた人には、多少の配慮をお願いする。これは私の来し方を記したものではない。知っていることが限られているせいでそのようなものは書けないのだ。断片的な記憶を寄せ集めることしかできず、その記憶も、一本の糸に連なる色鮮やかな数珠のような、くっきりとした輪郭を持ち、なおかつ順序よく並んだ記憶もあれば、突拍子もない奇妙な出来事が、ところどころ空白をはさみながら赤く彩られた夢のように浮かび上がるもの、ちょうど、荒野で禍々しい魔女の燃やす火が、音もなくまっ赤にたちのぼっているような記憶もある。

 此岸のほとりに立って、自分がこれまでたどってきた道を最後に振り返る。二十年、血を流しながら歩いてきた足跡が、くっきりと刻まれている。貧困と心労のなか、道を誤り不安に苛まれ、重荷を背負ってよろめきながら歩いた跡だ。

孤立し、見捨てられ、暗鬱で、足取り重く

ああ、この詩人は私のことを予言していた――なんと見事な、恐ろしいまでにありのままの予言であろうか。

 イエスが最後に歩いた悲しみの道のような、私の来し方――罪の挿話が散りばめられた受難の叙事詩――その始まりを振り返っても、はっきりとしたものはなにも見えてこない。雲間から急に現れるのだ。その道のりはわずか二十年分しかないけれど、すでに私は老いている。

 人は自分の誕生の記憶を持たない――ただ、人から聞かされるだけだ。けれども、私の場合は異なる。あらゆる器官の働きも能力も十全の状態で、人生は始まっていた。それ以前の生活は、まるで他人事のようだ。記憶のようでもあり夢のようでもある、あやふやな幻があるだけだ。最初に意識したことは、自分が心身ともに成熟した人間であること、そうして、その意識を驚くこともいぶかることもなく受け入れたのだ。気がつけば、森のなかを、ぼろをまとい、靴擦れのできた足で、言いようもなく疲れ切り、空腹を抱えて歩いていた。一軒の農家に行き当たったので、訪い、食べ物を乞うと、名前を尋ねられた。答えてから食べ物を恵んでもらった。だれもが名前を持っていることを知らなかったにもかかわらず、やはり知っていたのだ。ひどく恥じ入りながらもそこを辞去すると、やがて夜になったので、森で身を横たえて眠った。

 次の日、大きな街に脚を踏み入れたのだが、街の名を記すつもりはない。まさに終わろうとしている生涯に起こったことなど、これ以上つまびらかにする必要はない。いついかなるときも、いかなる場所でも、過ちを犯したことからくる罪の意識、犯罪者ゆえの恐怖感に苛まれるおのが身を抱えての放浪の生涯だった。ともあれ、短い物語にまとめてみよう。

 かつて私は都市の近郊で、裕福な農園主として暮らしていたはずだ。妻である女性を、深く愛しつつ、同時に猜疑にとりつかれてもいた。しばしば浮かぶまぼろしを信じれば、子供もひとりいたはずだ。行く末頼もしい、立派な体躯の若者だ。だがその姿はいつも曖昧ではっきりしないばかりか、ときにまったくその像さえ結ばない。

 ある不幸な夕べ、私はあの事実と作り話がないまぜになった読み物でおなじみの低俗な手段を講じて妻の貞淑さを試してみようと思い立った。街へ出かけ、妻には明日の昼まで帰れないだろう、と告げておく。だがその実、夜明け前に帰宅して家の裏手に回り、鍵にかかったように見えるだけの細工を施しておいた扉から入ろうとした。近くまで行くと、扉が開き、ふたたび閉じる忍びやかな音が聞こえ、闇に消える男の姿を見たのだ。わき上がる殺意を胸に、男を追ったが、あいにく誰かもまったくわからぬまま、姿はかき消えてしまった。いまだにあれが人影であったかどうかさえ判然としないことがある。

 嫉妬と怒りに我を忘れて、侮辱された男の憤怒で目がくらみ、獣と化して、家に入り階段を駆け上がると、妻の寝室のドアをめざした。そこも閉ざされていたけれど、そこの鍵にも裏戸と同じ細工をしておいたので、入るのは簡単だった。中は闇だったが、じき妻のベッドの傍らに立った。両手で探ったが、妻はいない。

「一階にいるのだ」と思った。「帰ってきたことに怯えて、暗い廊下に逃げ出したにちがいない」

 妻を捜そうと部屋を後にしたが、向きを誤ってしまった――そうしてちょうどそのとき! 足に当たったのは、部屋の隅に蹲る妻だった。悲鳴をあげさせまいと、妻の首に咄嗟に手をかけ、もがく身体を両膝で押さえつけた。闇の中で、とがめも叱責もしないうちに、私は妻を窒息死させてしまったのだった!

 そこで夢は終わる。私は夢を過去形で語ったけれど、現在形のほうがぴったりくるような気がする、というのもこの凄惨な悲劇の場面は頭のなかで繰りかえし再現されるからだ。私は何度も何度も計画を練り、やったことを確かめ、つくろおうとする。そうしてすべてが空白になる。やがて雨が薄汚れた窓ガラスを叩き、また別の時は、薄い服の上に雪が降り積もり、馬車がガタガタと音を立てているうらぶれた町で、私は賤しい仕事に就き、貧しい暮らしを送っているのだ。陽が照っていた時のことなど、もう思い出せない。鳥は羽ばたいているかもしれないが、そのさえずりは聞こえない。

 もうひとつの夢は、また別の夜の光景だ。月明かりの道の木陰に立っている。もうひとり誰かがいるが、誰だかはよくわからない。大きな建物の陰で白い布がひらひらしている。次の瞬間、女が道の真ん中、私の目の前に立っている――私が殺した妻だ! その顔は生ける者のそれではない。妻はとがめるでもなく、憎むでも、にらみつけるでもなく、ただ私を認めて、じっと目をそらさない。この恐ろしい亡霊に向き合って、畏れおののき、後ずさる――そう、こうして書いているこのときさえ、私は恐怖におののくのだ。もはや筆跡を保っていることさえできそうにない……そう、この字がそうだ――

 私は落ち着きを取り戻した、だが、もはや語ることもない。記憶は始まったところで終わる――暗闇と猜疑の中で。

 そう、いま私は自分を取り戻している。「魂の司令官」でいられる。けれどもこれは執行猶予ではない。償いの新たな局面なのだ。私の贖罪は、等級としては変わりはなくても、そのありようは移り変わっていく。そのなかには、静寂もあるのだ。どうであれ、終身刑であることに変わりはない。「生きながらえるために地獄へ墜ちる」――これは愚かな刑罰だ。罪人は刑期をおのが手で選ぶ。今日、私の刑期は満了する。

 皆の下、私には無縁であった平安がもたらされんことを!


 III. 霊媒師ベイロールズの口を借りての故ジュリア・ヘットマンの語り


 わたしは早目にやすむことにして、ほどなく穏やかな眠りについたのですが、なんとも言いようのない胸騒ぎに襲われて目が覚めました。かつての、前世の日々では、よくあることでした。それがなんら実をともなわないことも、わたしはよく納得していたのですが、そのときばかりはいっこうに消える気配がないのです。夫のジョエル・ヘットマンはその晩、家にいませんでした。召使いたちは屋敷の別のところで寝ています。別に特別なことではありませんでした。これまで一度もそんなふうに不安になったことはなかったのです。なのにその一種異様な不安感は、どんどん強まって耐え難いものになっていき、そこにそのままじっとしていたいという気持ちを抑えて半身を起こすと、ベッドサイドのランプに灯をともしました。わたしの予想に反して、明るくなってもちっとも不安は去りません。反対に、危険は増すように感じたのです。ドアの下から外に漏れた光のために、外に潜む禍々しいものが、わたしがいることを知るかもしれない、と思ったのです。未だ現身の方々、頭をよぎる恐怖感に押しつぶされそうになったことのある方なら、夜の邪悪なものから、闇のなかで身を守ろうとすることが、どれほどおそろしいことかおわかりでしょう。灯をともすのは、姿なき敵の前に身を躍らすにほかならない、いわば捨て身の策なのです。

 ランプを消したわたしは、上掛けを頭からすっぽりかぶって、悲鳴を上げることもできず、祈ることも忘れて、静かに震えていました。こうした哀れなありさまで、あなた方の言う何時間も横になっていました。――わたしのいる世界では、時間というもの、時間という概念そのものが存在しないのです。

 ついに、「それ」がやってきました。階段を上る、忍びやかな、聞いたこともない足音が聞こえたのです! 自分の足下が見えないかのような、ゆっくりとした、ためらいがちな、覚束なげな足取りでした。混乱したわたしの頭には、、その音がなおさら恐ろしく感じられます。近づいてくる目も心も持たぬひたすらな悪意には、慈悲を乞うても無駄であるからです。廊下のランプはつけたままにしておいたはず、手探りで進んでくるのは、「それ」が夜の怪物である証拠だとさえ思いました。確かにこれは愚かな考えで、さっき自分が灯りをつけたことを恐れたことと食い違います。けれど、わたしに一体なにができたでしょう。恐れる心は脳とは関係がありません。愚かしいものなのです。恐怖心が見るおぞましい光景と、恐怖心がささやきかける小心な助言は、それぞれにばらばらなのです。わたしたちはそのことをよく知っている。恐怖の王国に移ってきて、かつて生きていた場所のなかにある永遠のうす暗がりをさまよい歩くわたしたち、自分自身にも、お互い同士さえもが見えないにもかかわらず、寂しい、ひとけのないところへ身を隠しているわたしたちには。愛する者たちと言葉を交わすことを熱望しながら、口を利くこともできない、そうして彼らがわたしたちを怖がるように、わたしたちも彼らを恐れます。それでも、掟がゆるめられるときが、不可能が可能となるときがある。愛の力、あるいは憎しみの、永遠不滅の力によって、その魔法は解けるのです――この姿が、告げたい相手、あるいは慰めてあげたい、懲らしめてやりたい相手に見える。相手からどのような姿に見えるのかを知る手立てはありません。ただ言えるのは、心から慰めたい相手、愛され、心を通わせたいと心底願っている相手さえも、わたしたちを見て恐れるのです。

 かつては女であったものが、本筋とは関係のないあれやこれやを申し上げるのをどうかお許しください。このように不適切な方法でわたしたちの声に耳を傾けようとするあなたがたにはおわかりにはならないでしょう。あなたがたはずいぶんと的はずれのことをお尋ねです。知る術のない、また知ってはならないことなのです。わたしたちにわかっていること、明かすことのできることのほとんどは、あなたがたにとっては意味を成さないものです。意志疎通を行おうと思えば、わたしたちの言葉のなかのほんのごく一部、あなたがたが実際に使うことができる言葉を使って、おぼつかない知性を通すしかありません。あなたがたはわたしたちを別の世界の住人であると考えていらっしゃる。いいえ、そうではなく、わたしたちが知っているのは、陽の光もなく、暖かくもなく、音楽も、笑い声も、鳥のさえずりも、ただひとりの話し相手さえいませんが、あなたがたと同じ世界なのです。ああ、神様、幽霊であるということは、すっかり変わってしまった世界で身を潜め、震えながら不安と絶望の餌食となって生きるということは、なんということなのでしょう。

 いいえ、わたしは怖れのあまりに死んだのではありません。「それ」は、踵を返して去っていったのです。階段を駆け下りていく足音が聞こえ、まるで「それ」が突然の恐怖に襲われたようだ、とわたしは思いました。それから、わたしは助けを呼ぼうと起きあがりました。震える手でドアノブに手をかけたかかけないか、というとき、ああ、神様、「それ」が戻ってくる音が聞こえてきたのです。階段をの駆け上ってくる足取りは、すばやくも重い、大きなものでした。家を揺るがすほどの足音だったのです。わたしは部屋の隅に逃げ出し蹲りました。祈ろうとしました。いとしい夫の名も呼ぼうとしたのです。そのとき、扉が開くのが聞こえました。しばらく何も感じることができずにいたのですが、はっと我に返ったときには、喉をつかまれて、締め上げられ――背後からのしかかるものに対してわたしの腕が弱々しく抵していたような気もします――やがて自分の舌が歯のあいだから飛び出すのを感じました。その瞬間、わたしはこちらでの生に移ってきたのです。

 いいえ、それがどういうものなのか、わたしにはわかりません。わたしたちが死の瞬間に知ったことを寄せ集めてみても、こちらに来てから思い出した、すでによく知っていたことと、たいしてちがいがあるわけではないのです。ここでのありようについて、わたしたちが知っていることは少なくはありませんが、そのことで、過去の人生のさまざまなページに新たな光が投げかけられる、というものではないのです。わたしたちに読むことができるのは、記憶のなかに書き込まれているものです。ここにいても、真理の高みに立ってあやふやな世界の混乱した光景を俯瞰することなどできはしません。わたしたちは未だ、旧約聖書の言う「死の影の谷」の住人であることには変わりなく、寂しい場所に身を潜めて、茨や灌木の隙間から、狂い、悪意に満ちた住人たちのようすをこっそりと見ているのです。徐々に色あせていく過去のことについて、どうして新しく知ることができましょう。

 ある夜の出来事をお話ししましょう。わたしたちにもいつが夜なのかは知っています。あなたがたが寝室へ下がってから、わたしたちは隠れている場所から思い切って外に出て、恐れることなくかつて家だった場所を歩いたり、窓からのぞいたり、あなたがたが眠っていればなかに入ってその寝顔を見つめることさえできるからです。わたしは無惨にもいまの姿に変えられてしまった現場である、屋敷のまわりを長いことさまよっていました。わたしたちが愛する、あるいは憎むだれかがいるあいだ、わたしたちはそうするものなのです。わたしはずっと自分の姿を現す方法、わたしがこうして存在していることや、深く愛していること、あるいはまた心を痛めていることを、夫や息子に伝える方法を虚しく探し続けてきました。夫や息子は眠っていても、必ず目を覚ましてしまうのが常でしたし、目を覚ましたときには、必死の思いで近づこうとするわたしに向けるのは、生者が死者に向ける恐怖に満ちたまなざし――わたしが求めるものとは似ても似つかぬまなざしであるために、わたしのがわも怯えてしまうのでした。

 その夜も、恐れを抱きつつもふたりを探していたのですが、どうしても見つけられませんでした。家のなかにもおりませんし、月明かりが照らす庭にも姿がありません。太陽はわたしたちには永遠に手の届かぬものとなっているのですが、月であれば満月であろうと三日月であろうと、わたしたちにも残されているのです。 夜に輝き、ときに昼にも姿を現わす月は、生きていたときと同じく、昇り、また沈んでいくのを繰りかえしているのです。

 わたしは庭を離れて、白い光の照らす静かな道を、あてどない、悲しい思いを胸に抱いて歩いていました。突然、愛しい夫の悲鳴が聞こえ、息子がなんとか気を落ち着かせ、引き留めようとする声がします。ふたりは木立の影のすぐそばに立っていました――近くに、こんなにも近くに! ふたりの顔はわたしの方を向いていました。年かさの男の目は、わたしの目にすえられていました。彼は、彼には、わたしが見えたのです――とうとうわたしが見えたのです。そのことに気がつくと、恐怖心はおそろしい夢のように、かき消えてしまいました。死の呪文が解けたのです。愛が掟などうち砕いてしまったのです! 喜びのあまり、狂ったようにわたしは叫びました。叫んだにちがいありません。「あの人は気がついた、わたしを見た、きっとわかってくれるわ!」それからわたしははやる気持ちをなんとか抑えながら、笑みを浮かべ、できるだけ美しい表情をつくろって、あの人の腕の中に身を捧げようと、愛の言葉を語ろうと、そうしてわたしの息子の手を取って、生者と死者に引き裂かれた絆をもういちどつなぎとめる言葉を語ろうと、歩み寄っていったのです。

 ああ、それなのに! 夫の顔は怖れのあまりに蒼白になり、目は狩り立てられた獣のようでした。わたしが進むと、夫は後ずさりし、とうとう踵を返して森の中へ走り込んでいってしまったのでした――いずこへか、わたしの知りようのないところへ。

 ああ、かわいそうな息子。二重の孤独のなかに置き去りにされた子。わたしは未だにそばにいることを伝えられずにいます。まもなく彼もまたこちら側の「見えない者の世界」に移ってくるでしょう。そうしてわたしは永遠に会えなくなってしまうのでしょう。



The End






さまざまな記憶


岩波文庫の『ビアス短編集』(大津栄一郎編訳)の巻末の解説には、アンブローズ・ビアスの日本での最初の紹介者が芥川龍之介であること、そうして、彼の『藪の中」が、この「月明かりの道」から着想を得たとされている、と記されている。

確かに、ひとつの出来事を、それぞれの立場で見聞きした複数の人間が、それそれぞれに語る、という構造、加えて、死んだ人間が、霊媒の口を通して語る、という点は同じであっても、こうして読んでみると、むしろ描かれた作品は、ずいぶん異なるもののような印象を受ける。

『藪の中』が扱うのは、若夫婦と盗賊の心理である。
三人の供述が一致しているのは、
・盗賊が夫を縛り、妻を犯した。
・夫が死んだ。
というこの二点のみで、中心となる謎、夫はどうやって死に至ったか、は最後まで謎のまま残される。

盗賊は決闘をして夫を刺したと言い、妻は自分が夫を殺したと言い、夫は自殺したという。その供述は、それぞれの心理を背景としたものだ。

それに対して、この「月明かりの道」は、ひとつの出来事を三方向から見た、といっても、むしろそれは
・事後、話を聞いた第三者
・加害者
・被害者
から見た事件の様相、といったものである。
夫は、自分が殺した妻を見て怯えるし、妻は自分を殺したのが夫だとは知らず、愛しいと思う、という食い違いはあるけれど、出来事そのものが食い違っているわけではないし、屋敷から出てきた人影はいったい何者だったのか、という謎は残るけれど、その謎も大筋とは関係はない。

けれども、この「月明かりの道」を読んで、わたしがおもしろいと感じたのは、そうした表面に現れた物語ではなく、「記憶」というものの作用だ。

出来事の記憶は、さまざまな作用を人に及ぼす。
幸福だった若者は、時の経過とともに記憶が薄れていくのではなく、逆に浸食されていく。
妻を手にかけた、という夫は、その記憶と直面することに耐えられず、みずからズタズタにしたあげく、なおかつそのときの場面に繰りかえし苛まれる。

これは、わたしたち自身の記憶ではないだろうか。
ある種の出来事は、その直後はそれほど打撃を受けなくても、時間の経過とともに、じわじわと自分にのしかかってくる。そのとき自分の内側を浸食するのは、出来事そのものではなく、その記憶だ。
またある種の記憶は、あまりに辛かったり、自分にとって過酷だったりすると、無意識のうちに忘却してしまい、部分的に欠落しながら、欠落部分はたとえばわけのわからない不安感や恐怖感に形を変えて、自分のもとに戻ってくる。

さらに、ビアスは死後の記憶、幽霊の記憶のありようまで描き出している。
このビアスが描く死後のありようは、なかなかリアルでおもしろい。幽霊たちはかえって生者を恐れながら、身を潜めて生きていること、死んでからのちも、超越的な視点を獲得することはできないのだということ、そうして、生きているころの記憶を、書き込まれた本のように読みながら、漂い続けている、ということ。
おそらくこの幽霊のリアルさから、「月明かりの道」はゴーストストーリーとして、読み継がれてきたのだろうと思う。

わたしたちは過ぎ去ったことを思い出すときは、いつも現在の光に当てながら、思い返している。あのときは楽しかったな、と思い返しているのは、現在のわたしなのだ。どんな記憶も、いま生きているわたし、に繋がっている。

死者はどんな思いで記憶を読み返すのだろう。

ところで。 最初に出てきた人影なんですが、それはやはり女中が引き入れた男が、部屋を間違えた、という推理はどうでしょう。数ヶ月後に女中部屋の灯りがつきますよね。あれは、物音を聞きつけた女中がつけた。それは、男とこれから会う約束しているか、あるいはすでに引き入れていて、主人が帰ってきた音に驚いた、という解釈をわたしはしているのですが。
みなさんは、あれ、誰だと思います?

これを読まれたかたは、芥川龍之介の『藪の中』も、ぜひご一読(再読)ください。
おもしろいものは、それぞれにおもしろい、という感じが味わえるかな、と思います。

初出 May 18-23,2006 改訂 May 27,2006


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