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マジカル・ミステリー・ツアーへようこそ






 初めて聴いたビートルズの曲が何だったか、まったく記憶にない。
 '70年代初めに生まれたわたしがものごごろつくころには、ビートルズなんてまともに聴かなくても何かしらの断片はしょっちゅう耳に入ってきていたし、なんとなく“知っている曲”もずいぶんあった。
 ビートルズという名前を聞いても、別にありがたくもなんともなかったし、ピアノの先生のところにあった〈ポピュラー曲集〉のなかにも"Let It Be"や"Michelle"の楽譜があって、普段弾いている曲に較べると段違いに簡単なそうした曲を弾いてみても別にどうということもなく、はるかにバッハの「平均律」の無機質さのほうがカッコイイと思っていた。もちろん無機質さ、というボキャブラリはまだ持ち合わせてはいなかったのだけれど。

 中学に入ると、学校ではほぼ毎月、図書委員会主催の「レコード鑑賞会」が開かれていた。まだCDというものが一般的ではなかった'80年代半ばの話だ。
 音楽室にある、設置した当時の価格で二百万しただとか特注だとかいう噂の巨大なスピーカーで、要は上級生が持ってきたレコードをみんなで聴きましょう、ということなのだった。
 わたしはその「レコード鑑賞会」で、"天国への階段"や"移民の歌"を聴き、"ポセイドンの目覚め"を聴き、"吹けよ風、呼べよ嵐"を聴き、"危機"を聴いた。

 いまでもよく覚えている。
階段教室だった音楽室は、壁一面に、音が拡散するように木のリブが打ちつけてあり、防音のためにひらべったい窓が高いところについていただけの、昼間でも薄暗い教室だった。
 前には高さ2mを越す巨大なスピーカーがふたつ。
 多くの高校生、中学に入ったばかりのわたしから見れば、とんでもなく大人に見える高校生の、それもほとんどが男子生徒ばかりのなかに混じって、わたしは後ろの壁、モーツアルトやベートーベンの肖像画がかかっているすぐ横、隅のほうで、身体を丸くして、圧倒的な音を受けとめようとしていた。

 それまで聴いていたものとはまるっきりちがう音楽。
 全身の毛穴がカッと開き、そこから音が入ってくる。音は身体の奥底へずんずんと降りていき、腰椎のあたりに留まり、そこを揺さぶっていくのだ。全身がバラバラになり、たゆたい、そうして、またもういちど自分が組み換えられていくような。
 初めて耳にする音楽を全身で浴びながら、わたしはそんなふうなことを考えていた。

 そういうなかで聴いたビートルズのベスト盤は、えらくかわいらしいというか何というか、何にも感じられない、要するに、スカみたいだった。
 言ってみれば、ビートルズは相も変わらず、〈ポピュラー曲集〉に収められた、昔の曲のひとつに過ぎなかったのだ。

 そののち、古本屋で見つけた文庫本『19歳にとって人生とは』のなかで、わたしはこんな一節を見つける。

 

 ほんのわずかの間だけれど、わたしにはビートルズというのが何者だか知らなかった時期があったのを覚えている。わたし(※注 作者のジョイス・メイナードは'53年生まれ)と同年輩のものたちが、そういう時期があったといえる最後の世代だろう。ビートルズが突然わたしたちの意識に現われてきたとき、まだ十二歳ではなく八、九歳だったものたちにとっては、ビートルズはいつも自分たちの生活と切り離せなかったような気がするに違いない。……

 わたしはまだビートルズのいなかった生活を覚えているので、また、わたしたちが一緒に年をとってきたような気がするので、若い新しいファンたちがあの最初のアルバムを聴いたりさらにひどい場合には、ビートルズを見限ってもっと下手くそなニセ物に乗りかえたりしているのを見ると、自分の独占物をおかされているような気がする。……

 ビートルズがわたしたちに与えてくれたのは音楽だけではなかった。それはたくさんあったと思うのだ。まず第一に、ビートルズは年のいかない若者を歴史のなかに、すくなくともジャーナリズムの歴史のなかに位置づけてくれた。ビートルズがいたあいだ、わたしたちはある種の力をもったのだ。行動することができたのだ。ビートルズの出現は、わたしたちにはじめて“若者”は力だという実感を与えてくれた。反戦集会を開き、ジョンソンに再出馬を思いとどまらせ、バングラデシュ支援のために二百万ドルを集めることができたけれど、これにはおとなの手はなにも借りなかった。そのお返しに、ビートルズがわたしたちに与えてくれた名誉のお返しに、わたしたちも彼らに名声を与えてやったのだ。

ジョイス・メイナード『19歳にとって人生とは』(ハヤカワ文庫)

 この本がアメリカで出版されたのは1973年。
 そのころ、メイナードは既にJ.D.サリンジャーと同棲していたのだが、わたしがこの事実を知って仰天するのは、それから十年以上あとのことで、この話には関係ない。
 英語に興味を持ち、アメリカを知りたいと思っていた当時のわたしは、自分も19歳になったらこんなふうな文章を雑誌に発表したりすることができるようになるんだろうか、と漠然と思いながら、この本に描かれた、わたしが生まれる前のアメリカを、何度も何度も、ほとんど暗記できるほど読み返したものだった。

 こうしてわたしはメイナードの目で、もういちどビートルズを見るようになる。どうしてもメイナードが言うように〈抱きしめたい〉を聴いて、「すばらしいゾクゾクするような感じ」はしなかったのだが。

* * *

 ウォークマンを初めて聴かせてもらったときの驚きは、いまでもよく覚えている。
 ウォークマンの発売は1979年ということだが、わたしの人生に登場したのは、80年代も半ばを過ぎてのことだ。教室で、わたしの後ろにすわっていたタカハシくん(仮名)が、「これ、いいぜ」と聴かせてくれたのだ。
 タカハシくんが言ったのは、ハービー・ハンコックの"Watermelon Man"のことだったのだが、わたしはウォークマンのほうにぶっ飛んだ。

 もちろんそれ以前にも、ヘッドフォンで音楽を聴いたことは何度となくあった。
 けれども教室移動のときに"Watermelon man"を聴きながら歩くと、あたりの風景が一変するのだ。そんな経験は初めてだった。空の色がちがい、植え込みの木の輪郭が、ふだんよりくっきりとして見え、構内の隅に停めてある教官の車の色さえも、鮮やかに見えた。
 これはすごい!
 仕方がないので涙を飲んで返したけれど、ほんとうはいつまでもいつまでも聴いていたかった。

 それからわたしは「英語の勉強をするから」と親を騙して、ウォークマンを手に入れる。
 近所の「貸しレコード屋」でせっせとレコードを借りてきては、カセットテープにダビングするのを繰り返した。

 そのときの初代ウォークマンで、わたしが一番よく聴いたのは、ビートルズだったと思う。 

 マイケル・ハーの『ディスパッチズ ――ヴェトナム特電』(筑摩書房)を読んだのは、翻訳が出てから、大学へ入ってからだったけれど、ちょうどこのころ、わたしは青山南の『ホテルカリフォルニア以降』のなかでこの本を知って、ものすごく興味を引かれた。

 一介の映画記者でしかなかったハーが、なにをどうやって、ヴェトナム特派記者の仕事を手にしたのかは知らない。『ニュー・ジャーナリズム』の編者トム・ウルフによれば、「アメリカ化したサイゴン」の姿を、軽いタッチで、ややシニカルに書くのが、ハーに課せられたそもそもの仕事だったという。
 ところが時期がまずかった。六八年の正月は、ヴェトコンが一挙に攻勢にでた、いわゆるテト攻勢のときで、「アメリカ化したサイゴン」といったテーマの風流な取材は、それ自体、バカげたものでしかなくなっていた。

……そこでハーは、ケサンに向かう。米軍がヴェトコンに完全包囲され、あわや全滅かと思われた、ヴェトナム戦争の大きな転回点となった地だ。ハーの乗った飛行機は撃墜され、かれはかろうじて一命をとりとめる。そして、再度ケサンへ。さらに、またケサンへ。とはいえ、ケサンでハーのすることといえば、ただ塹壕に他の米兵と身をひそめて、米軍のヘリコプターが迎えにくるのを待つだけのことだった。

「そこで、丘をみつめ、丘にたれこめている死や不可思議のことを考えているうちに、わたしは、じつに奇異でスリリングな幻影をみた。目にみえているとおもえるものは、たしかにみてはいた。自分の立っているところからみえる地面とか、動く人影とか、舞いあがるヘリコプターとか、その向うの丘とかだ。しかし、同時に、別なものもみえてきた。それは、地面であり、軍隊であり、わたし自身の姿だったが、向こう側の丘の有利な地点からみえているように自分の目にもみえてきたのだった。そんな二重の影像を、わたしはなんどもみた」

 そのときだった、とハーは書いている。

「わたしの頭のなかでは、くりかえし、がんがんと、ひどく不吉な言葉が鳴りひびいていた。それは数日前にはじめて聴いた歌の歌詞だった――魔法のように不思議な巡業(マジカル・ミステリー・ツアー)が、おまえたちを、連れ去ろうと待ちかまえている……連れ去りにやってくる……連れ去りに、連れ去りに……これはケサンの歌だ、とわたしはそのとき分かった。そして、いまもって、それはケサンの歌だ」

青山南『ホテルカリフォルニア以降』(晶文社)

 わたしはウォークマンで"マジカル・ミステリー・ツアー"を聴きながら、ハーが見たケサンを、車窓を流れていく中央線沿線の街並みの向こうに見ようとしていた。

 そのとき聴いていたビートルズは、もはや音楽室で聴いたベスト盤のビートルズではなかった。メイナードのビートルズでもなかった。もちろん、ハーのビートルズでもない。それにはほど遠い。
 それでもわたしはティム・オブライエンの小説群を読み、生井英考の『ジャングル・クルーズにうってつけの日 ――ヴェトナム戦争の文化とイメージ』(三省堂)を読み、ネルソン・デミルの『誓約』(文藝春秋社)を読み、なんとかヴェトナムを理解しようとしていた。"マジカル・ミステリー・ツアー"はそのための足がかりのひとつだったのだ。そうして、音楽はこのようにも聴くことができるのだ、ということを、わたしはそのとき知った。

 おそらく、そのころから漠然と思うようになったではないかと思う。
 どうしたって、そのときのそのときの自分のありようでしか音楽を聴けないのだ、と。
 ビートルズが変わったわけではない。わたしが生まれる前からビートルズの曲はそこにあったのだし、変わりなく流れていた。けれども受け取るわたしが、変わっていったのだ。


 古い世界から自分を連れ去りにやってくる、マジカル・ミステリー・ツアーへの切符は、いつも目の前にある。
 要は、それに気がつくかどうか、なのだ。
 切符を手に取ってみよう。すると、目の前に列車が滑り込んでくるだろう。

 

 マジカル・ミステリー・ツアーへようこそ。










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