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物語をモノガタってみる


――しかし本当なのだ、物語はわたしたちを救ってくれる。
ティム・オブライエン『死者を生かす物語』




1.あなたはだれですか?

昔々、いまとなっては前世紀のこと。
当時の習俗に「合コン」というものがあった。そこである人物が自己紹介をするのに、「ボクはセンター試験では数学と物理と英語で満点だった」と、すでに受けてから何年も経過した試験の点数を語ったのである。端から見れば、ひどく奇妙な自己紹介ではあるけれど、本人にとっては自分を語るために、欠くことのできない属性として、「満点を取ったこと」があったのだろう。
けれどもこの点数は、あなたはだれですか? という問いの答えになっているのだろうか?

たしかに自分がだれなのかを説明するのは簡単なことではない。
ためしにやってみてほしい。

心理学方面に「20答法」というのがある。心理学というより一種の「心理テスト」に近いものなのかもしれない。
ともかく、わたしは……である、という文章を二十作ることで、自分自身のアイデンティティにアプローチする、というものらしい。

たとえば、私は学生である、と書いてみたとしよう。けれども、塾でバイトをしていれば、生徒に対しては「先生」であり、塾の経営者に対しては、「バイト」である。家に帰って親の前に出れば「子供」であり、そこからコンビニに行けば「お客」となり、ボーイフレンドからメールが来れば「彼女」、その相手との関係が微妙になれば、「わたしってほんとうにカノジョなの?」と悩む。つまり、他者との関わりと、自分が活動する場面を抜きに、自分は語ることができないのだ。

この場面と相手によってさまざまに変わっていく「○○」をすべて集めると、自分はすべて覆いつくされるのだろうか。
・わたしは女である。
・わたしは学生である。
・わたしは先生である。
・わたしは子供である。
・わたしはお客である。
・わたしはA君のガールフレンドである。
……
むしろ、逆に「自分のイメージ」がどんどん拡散していくような印象はないだろうか。
ならばこんな文章を考えてみよう。
・わたしは優しい性格である。
ほんとうに? この間、電車の中でお年寄りがすぐ近くに立っていたけれど、面倒だったので寝たふりをしたではないか。
でも、みんな優しいと言ってくれるし……。少なくとも優しい人間でありたいと思っているし……。
・わたしは優しいこともある。
・わたしは優しい人間でありたい。
だがこうした「性格」を表す言葉も、決して「わたし」を言い尽くすことはできない。
それはなぜなのだろう。
「ああっ、もう、わたしはわたしで、こんな言葉なんかじゃ説明できない」
その考えには、ハンナ・アレントも賛成してくれるはずだ。

 言論者であり行為者である人間は、たしかに、その「正体」(who)をはっきりと示すし、それはだれの眼にも明らかなものである。ところがそれは奇妙にも触れてみることのできないもので、それを明瞭な言語で表現しようとしても、そう言う努力はすべて打ち砕かれてしまう。その人が「だれ」(who)であるか述べようとする途端、私たちは、語彙そのものによって、彼が「なに」(what)であるかを述べる方向に迷いこんでしまうのである。つまり、その人が他の同じような人と必ず共通にもっている特質の描写にもつれこんでしまい、タイプとか、あるいは古い意味の「性格」の描写を始めてしまう。その結果、その人の特殊な唯一性は私たちからするりと逃げてしまう。

(ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳 ちくま学芸文庫)

自分なり、親しい人なりを、知らない人に説明しようとして、なんとももどかしい思い、アレントが言うように、言葉が「するりと逃げてしまう」経験、言葉を費やせば費やすほど、その人の「唯一性」がどこかへいってしまい、ありきたりの人の描写になってしまう経験は、わたしたちだれもにあるのではないだろうか。

さて、それはどうしてなのだろう。
もう少しアレントに説明してもらおう。

ある種の事物は名称をつけることができるから、その本性を意のままに扱うことができる。ところが、活動と言論の中で示される人間の「正体」(who)は言葉で表現できないために、人間事象をこのように取り扱うことは、原理上不可能なのである。

わたしたちはさまざまなことをするし、他者に対して、さまざまな話をする。そうした行動はすべて、わたしたちが「だれ」であるかを反映したものにはちがいない。けれどもこの行動にしても、話にしても、ある場で他者に向けて、なされ、話された言葉であって、そうした場や、相手から切り離すことはできないのだ。

では、その人が「だれ」かを知ろうと思ったら、どうしたらいいのだろう。自分が「だれ」かを説明しようと思ったら、どうしたら良いのだろう。

他人と異なる唯一の「正体」(who)は、もともとは触知できないものであるが、活動と言論を通じてそれを事後的に触知できるものにすることができる唯一の媒体、それが真の物語なのである。その人がだれ(who)であり、だれであったかということがわかるのは、ただその人自身が主人公である物語――いいかえればその人の伝記――を知る場合だけである。その人について知られるその他のことは、すべてその人がなに(what)であり、なにであったかということを語るにすぎない。

そうか、「物語」という手があるんだ。でも、物語というのは、昔々あるところにおじいさんとおばあさんがおりました……、というのではない? その人の「物語」を知る、ってどういうことなのだろう。この「物語」というのは、いったいなんなのだろう。

ここではその「物語」について、少し考えてみたい。

2.何が起こったか

『極短小説』という、55語の英語で書かれたショート・ストーリーの序文で、編者のスティーブ・モスは、これまで読んだ中で一番短い物語は、「ピーナッツ」でルーシーがライナスにせがまれて話した、「人が生まれました。生きて死にました。おしまい」である、と書いている。

これが世界最短の物語であるのは、物語としての要素を満たしているからである。それは、まず語り手(ルーシー)がおり、聞き手がいる(ライナス)。

そして、物語の内容「人が生まれました。生きて死にました」という、時間に沿って始まり−中間−終わりを持つストーリーがある。
これが、物語の基本的な構成要素である。

わたしたちは、いつも、さまざまな場所で、さまざまなことを見たり聞いたりし、それに反応して何らかの行動をしたりしなかったりする。そうした多くのことがらは、見たとも思わず、聞いたとも意識せず、記憶に留まることもなく、忘れてしまう。けれども特筆すべきできごとが起こって、どうしてもそれをだれかに伝えたくなったとする。
「ねぇ、聞いて。今日ね、こんなことがあったんだよ」

そのときわたしたちは記憶を掘り返し、意識的・無意識的に情報の取捨選択を行い、話そうとする文脈にそって、そのできごとを並べ直し、時間軸に沿って整理している。

そうしてできあがった話は、確かに伝統的な物語ではないけれど、物語と同じ構造を持っている。語り手がおり、聞き手がおり、時間軸に沿って、始まり−中間−終わりのあるストーリーがある。こういう話を、伝統的な物語と対比するために、ここでは「物語り」、そうした物語りを語ることを「物語り行為」、伝統的な物語を「物語」、そうしたものをひっくるめて呼ぶときは、物語、という使い分けをしてみる。書き手自身が相当に混乱しそうだが、なんとか区別をつけながらやってみよう。

ちょっと待って。わたしは起こったことを起こったとおりに話しているだけ。別に何も作ってないし、ありのままを話しているだけ。
そうだろうか? そのときのお天気は? 気温は? 湿度は? その場にはあなたとその人以外、だれもいなかったの? そこには何があった? 机の上には何が? 机の下には? 
わたしたちがどれほどそれを「起こったことありのまま」話しているつもりでも、それは必ず話し手自身の手による「編集」がなされている。逆に言うと、わたしたちは何が起こったか、「物語り」の助けを借りずには伝えることはできないのである。

わたしたちはその時、体験していながらも、自分では知ることができなかった部分も、現実には多くある。物語りとして聞かされることで、自分の体験のなかに織り込むことができるのである。
以下は主人公の女性が事故にあったできごとの描写である。

彼はちょうど、……ちっぽけなトラックを追い越そうとしていたので、わたしの方を見向きもしなかった。ちょうどそれを追い越したところで、突然猛烈な爆発が車全体を空中に投げとばしてしまった。わたしはハンドルがジェイムズの手からちぎり飛ばされたのを見たが、それから目をつぶってしまったにちがいない。

(マーガレット・ドラブル『滝』 鈴木健三訳 晶文社)

事故の最中はこのように何もわからなかった「わたし」も、後に事故のあらましを理解して、あらためてこのように語る。

わたしたちは、後になって教えられたのだが、大型トラックがおとした煉瓦の上に乗り上げ、ジェイムズの側の前のタイヤがふっとばされたのだ。この衝撃の力で彼の手がハンドルからはずれた――事故の際、わたしの目に入ったことはただ一つ、手をはなす直前の彼が必死にハンドルを掴んでいる姿、その手首や手の節々の盛り上がりだった。――そこで車が急に右に曲がり、そのまま車線を区切っている細い草の生えた分離帯を突っ切って、道の反対側の一本の木に突っ込んでとまったのだ。物凄い勢いで木にぶつかったから、前のドアは両側とも開いてしまい、ジェイムズは外に投げ出された。

ここで主人公が語るのは、自分が見聞きしたできごとではない。あるいはまた、その場に目撃者がいたわけでもない。警察による事故後の実況検分をもとに、このような物語りが編まれ、それを聞いた主人公が自分の体験に織り込んだのである。
これは小説の一部ではあるけれど、実際に自分の知り得ない部分も、あとから聞いた情報や解釈で補いながら、体験として理解するようなことも多い。何らかの事件に遭遇したときなど、新聞やニュースで自分が知り得ない部分の情報を得たのち、トータルな体験として記憶するようなケースだ。こうして「物語り」は、わたしたちが「事実」と思っている領域にも及んでいる。

わたしたちは「物語り」を使わずして、過去の経験を語ることはできないし、過去の「出来事」も語ることはできない。自分が誰かを語ることもできないし、他者を理解することもできないのである。

いたるところにある「物語り」。
フランク・カーモードは『終わりの意識――虚構理論の研究』(国文社)のなかでこういった。時計がチック、タックと音を立てるのは、わたしたちが物理的には同一の音を区別して、「チック」を始まり、「タック」を終わりとする「プロット」として聞いている、わたしたちはそうすることで「時間を人間化する構成法であると考える」。
なんとわたしたちは時計の音まで「物語り」として聞いているのである。

3.ストーリーとプロット

わたしたちは物語を聞くとき、ただ、まったくの受け身で話を聞いているわけではない。

ルーシーがライナスにした「人が生まれました。生きて死にました。おしまい」、ライナスはやられた、と思うだろうが、これは物語ではない、と怒り出しはしないはずだ。
けれど、これはどうだろうか。
「むかしむかしあるところに三つの石がありました。おとうさんの石、おかあさんの石、それから赤ちゃんの石です。おしまい」
これは、物語ではない。ためしに小さい子供にしてみてください。きっと「もっとちゃんとしたお話をして!」と怒られるはず。

これはどうしてなのだろう。
わたしたちの頭の中には、ある種の「あるべき物語像」というものがあるからではないか。そうして、物語を聞きながら、この「あるべき物語像」に当てはめながら、先を推測しながら聞いているのではあるまいか。だからこそ、この「あるべき物語像」と、自分が聞いている物語が食い違うと、「これはちがう」と思うのである。そうしてこの「あるべき物語像」というのは、相当小さいうちから、つまり、物語を理解できるようになるのとほぼ同時期に、わたしたちの内側に形成されているのではないだろうか。

「人が生まれました。生きて死にました」というお話と、三つの石の話はどうちがうのか。
これはストーリーとプロットの問題に関わってくる。

E.M.フォースターは『小説の諸相』のなかで「好奇心は、人間の能力のなかでいちばん下等なもののひとつです。日常生活でお気づきと思いますが、好奇心の強い詮索好きな人は、たいてい記憶力の悪い人で、たいてい頭もあまり良くありません」と書いていて、このところ、記憶力が低下する音が、がたがたと聞こえてくるようなわたしなど、もしかしてこれはわたしのことなのだろうか、とちょっと心配にもなってくるのだが、この部分につづいて、非常に明確に「プロット」と「ストーリー」を定義づけている。

ストーリーとは「時間の進行に従って事件や出来事を語ったもの」です。たとえば、「朝食を食べ、それから夕食を食べた」、「月曜日がきて、それから火曜日がきた」、「死が訪れ、それから腐敗が始まった」というぐあいです。そして、ストーリーの美点はただひとつ、それからどうなるんだろう、という好奇心を読者に起こさせることです。

プロットもストーリーと同じく、時間の進行に従って事件や出来事を語ったものですが、ただしプロットは、それらの事件や出来事の因果関係に重点が置かれます。つまり、「王様が死に、それから王妃が死んだ」といえばストーリーですが、「王様が死に、そして悲しみのために王妃が死んだ」といえばプロットです。時間の進行は保たれていますが、ふたつの出来事のあいだに因果関係が影を落とします。あるいはまた、「王妃が死に、誰にもその原因がわからなかったが、やがて王様の死を悲しんで死んだのだとわかった」といえば、これは謎を含んだプロットであり、さらに高度な発展の可能性を秘めたプロットです。それは時間の進行を中断し、許容範囲内でできるだけストーリーから離れます。王妃の死を考えてください。ストーリーなら、「それから?」と聞きます。プロットなら「なぜ?」と聞きます。これがストーリーとプロットの根本的な違いです。

(E.M.フォースター『小説の諸相』E.M.フォースター著作集8 p.129 中野康司訳 みすず書房)

文学についての最初(実は中国やインドではもっと古い理論があるので、正確には西洋と限定すべきだろう)の体系的概説を残したアリストテレスは『詩学』のなかでこんなことを言っている(この『詩学』という薄っぺらい書物は偉大な本であり、小辞典と称しながら索引抜きで555ページもある『言語理論小辞典』(オスワルド・デュクロ ツヴェタン・トドロフ共著 滝田文彦訳 朝日出版)で著者のデュクロとトドロフは「他のどんなテクストも歴史的重要性ということでは彼の『詩学』には比べられない」としたうえで、「ある意味では」と意味のない但し書きをつけながら、「詩学のいっさいの歴史は、アリストテレスのこのテクストの再解釈にすぎないのである」としている。ちなみになぜ「詩学」であって「文学」でないかというと、アリストテレスの時代「文学」とは「詩」であり、「詩」で構成された「悲劇」であって、「小説は近代の成り上がり者」(ジョナサン・カラー『文学理論』岩波書店)だからなのである)。

 叙事詩の筋は、悲劇の場合と同様に、劇的な筋(※ミュトス=プロット)として組み立てられなければならない。すなわち、それは、初めと中間と終わりをそなえ完結した一つの全体としての行為を中心に、組み立てられなければならない。そうすることによって、それは一つの完全な生きもののように、それに固有のよろこびをつくり出すことができるであろう。

(『アリストテレース・詩学 ホラーティウス詩論』第二十三章 松本仁助・岡道男訳 岩波文庫)

最初の情況があり(人が生まれました)、変化が起こり(生きて)、変化を意義のあるものにする解決がある(死にました)。
単なる出来事の連鎖ではなく、変化や動きがなければプロットにはならないのだ。

実は、物語の聞き手は、ストーリーを聞きながら、ストーリーの向こうにプロットを見いだそうとしている。

 エマ・ウッドハウスは美しく、才気にとみ、裕福であって、あたたかな家庭と明るい気質とを持ち、生活の最上の恵みのかずかずを身に集めているように見え、世に生をうけてかれこれ二十一年になるが、苦しみも悩みもほとんどなかったのである。

(ジェーン・オースティン『エマ』阿部知二訳 中公文庫)

これはジェイン・オースティンの長編小説『エマ』の冒頭である。わたしたちがこの部分を読んで、エマは間違いなくこのままでは終わらないだろう、何らかの災厄がふりかかってくるにちがいない、と予感する。何かが起こって、とんでもないことになるにちがいない、さらにオースティンのことをすでに知っている読み手なら、この「とんでもないこと」というのは、恋愛をめぐるごちゃごちゃであり、とりあえず最後にはエマが理想の人物と結ばれるのだろうな、それはだれで、どうなるんだろう、という、いっそうはっきりとした期待をもって読み進む。
つまりプロットを推測しながら、読んでいくのである。

人の話を聞いていて肩すかしをくらったり、こんなはなしだったのか、と失望したりする経験は、だれにもあるだろう。つまり、わたしたちは聞きながら、その話をもとにプロットを組み立てている。
その物語りがわたしたちが最初に予想したプロットとまったく同じであれば、ちょっとつまらなく思い、途中で「なんで?」という謎が生まれ、うまく解決すればおもしろい話だ、と満足し、終わってみれば微妙に食い違っている話を聞けば、この話はほんとうだろうか、と疑いを持つ。

プロットというのは、物語のなかにはあらわれない。読み手が、あるいは聞き手が推測したり、構築するものなのである。

4.出来事、プロット、こんにゃく問答

物語を聞く、あるいは読むわたしたちは、ひとつの暗黙の約束事を踏まえている。それは、「この物語には意味がある」ということである。

たとえその物語が複雑であったとしても、不明瞭な部分や、つじつまの合わないところがあったとしても、なんとか筋道をつけて理解しようとする。別の言葉を使えば、プロットを発見しようとしているのである。

「女の子が泣いた。彼は彼女の肩を抱いた」

これだけの言説を読んだだけでも、わたしたちは根拠もないのに「女の子」=「彼女」と理解し、「泣く」と「肩を抱いた」を結びつけようとする。そうして、

「女の子が泣いたので、彼は肩を抱いてなぐさめた」

という筋立て(プロット)で理解しようとする。

「女の子が泣いた。彼は彼女に『構造人類学』を渡した」

これだけでは理解が困難な言説に対しても、おそらく彼女は税込み6,930円のレヴィ=ストロースの本が買えなくて泣いていたところを、彼がプレゼントしてあげたのだろう、とか、あるいは哲学のレポートが書けなくて泣いている彼女に、これで書くといい、と渡してあげたのかな、とか、あるいは彼女は本に対して一種のフェティシズムを抱いていて、みすず書房の白っぽい表紙に慰めを見いだすのだな、とか、なんとかさまざまなプロットを用意して、この言説が一定の意味をなすように補おうとする。

ここで重要なのは、「女の子が泣く」「彼が彼女の肩を抱く」という出来事と、わたしたちが理解するプロットとは、直接には何の関係もない、ということだ。

あるいは、「女の子が泣く」「彼が彼女の肩を抱く」という出来事を元にして組み立てられた「女の子が泣いた。彼は彼女の肩を抱いた」という言説と、「女の子が泣いたので、彼は肩を抱いてなぐさめた」というプロットも、直接には何の関係もないものなのである。

ここで話者Aがいると仮定する。
Aは自分が目にした「女の子が泣いた」「共通の友人XがガールフレンドのYの肩を抱いた」という出来事を「女の子が泣いたのを見て、彼(X)は(女の子は泣かせてはいけないと考えて)彼女(Y)の肩を抱いた」というプロットでその出来事を理解し、「女の子が泣いたんだ。で、彼は彼女の肩を抱いた」と話したとする。

聞き手Bはそれを聞いて「女の子が泣いたから、(慰めようとして)Xはその子の肩を抱いたのだ」というプロットを組み立てて理解する。

つまり、語り手の「物語」と、聞き手の「物語」は、異なるものであるケースも起こりうるわけだ。

その食い違いをもとにしたのが、落語の「こんにゃく問答」だろう。

和尚になりすましたこんにゃく屋のおやじ六兵衛が、旅の雲水と「無言の行」で禅問答をすることになる。雲水は、仏教の哲理を問う身振りをするが、こんにゃく屋のほうは、それをことごとく自分の店の売り物のこんにゃくと受け取って、さまざまな手振りで答える。
雲水の方はそれを深遠な哲理と受け取って恐れ入る、というもの。

ただし、これは落語としてはおもしろくても、現実にはなかなか起こりうるものではない。

というのも、物語りの受け手は、つねに「これは何の物語りだろう」と推定し、その都度、修正を繰り返しながら聞いている。これから何が起こるのだろう、と、期待と関心を持っているかぎり、この修正は積極的に行われる。

もうひとつ、物語や通常の談話では、コンテクストが内容を大きく規定する。上にあげた「こんにゃく問答」にしても、身振り手振りだけによる問答という、誤解が起こらない方が不思議なような、いわば不自然な行為も、「禅問答」という日常を離れたコンテクストを設定することで、聞き手が違和感なく受け入れることができる仕組みになっている。
あるいは「わたしの娘は男だった」というこれだけで見れば論理的に矛盾しているようなこの言葉も、孫の話をしているふたりの女性、という状況のもとでの会話であれば、
「うちの息子の初孫は娘だったの。お宅ではどうだった?」
「わたしの娘は男だったわ」
と、聞き手は娘(の初孫)と、必要な語句を補って聞いているために、まったく矛盾を感じないのである。

あるいはその物語のジャンルも、聞き手の理解を助ける。「太郎は殺されたが死ななかった」という文章も、ホラー小説(あるいは映画)のジャンルであれば、聞き手はその物語りの意図を、その枠組みに沿って理解することができる。

先ほどの例にあげたAの物語りにしても、この一文だけでは誤解していた聞き手Bも、聞き手は結末を予想しながら、情報が新たに加わるごとに、修正を続けていくために、そのうち誤解は解消されていくだろう。

ここで話をまとめてみよう。
物語りが語られるとき、聞き手が最初に耳にするのは物語りの言説である。けれども聞き手はまず、ストーリーを理解しようとし、その奥にあるプロットを見いだそうとする。そうして「何についての話か」「何が起きるか」をつきとめようとする。出来事の間に存在するかのように思える因果関係も、わたしたちがプロットをたどる際に、出来事と出来事の間に読み込んだものに過ぎない。

これが、わたしたちが出来事を物語りの形で理解しようとする、ということなのである。

5.「話す」と「語る」

ところで、物語りの「語り」というのは、どういうことなのだろう。日本語でも「話す」と「語る」が使われるように、英語でも"say"と"tell"は使い分けられる。

これで思い出すのが、先日の話である。
友人との会話のなかで、「あの人ったら、語るわけ。もう、語る語る」という言葉を聞いて、非常におもしろいと思った。ここでは、「話す」と「語る」は明らかに使い分けられている。その話に出てくる「あの人」が、おしゃべりと言いたいわけではないだろう。あるいは、その「語り」の内容の特異さを指摘したかったわけでもなかったはずだ。おそらく、その人物の話し方は一般的な「話す」という行為からみたときの逸脱があった。その逸脱を指して、彼女は「語る」という言葉で表現したのだと思う。

「語る」と「話す」はどちらも人間の言語活動をあらわす言葉でありながら、その含蓄は微妙な差異を見せている。例えば、「話し合い」は日常茶飯に行われるのに対し、「語り合い」はあったとしても稀であろう。また「話が合わない」ことはあっても、「語りが合わない」という言い方は見当たらない。さらに、「話の接ぎ穂」を見いだすのに苦労をしても、「語りの接ぎ穂」を見いだすことはそもそも意味をなさないであろう。むしろ、「語り」が推敲される場面では、それが他の語りと「合う」ことや、「合わない」ことは問題とはならず、「合の手」が入ることはあっても、はなから、「接ぎ穂」は不要なのである。
 以上のことからすれば、「話す」が話し手と聞き手の役割が自在に交換可能な「双方向的」な言語行為であるのに対し、「語る」は語り手と聴き手の役割がある程度固定的な「単方向的」な言語行為と言えそうである。視点を変えれば、「話す」がその都度の場面に拘束された「状況依存的」で「出来事的」な言語行為であるのに比べ、「語る」の方ははるかに、「状況独立的」であり、「構造的」な言語行為だと言うことができる。このことは、語源的に「話す」が「放つ」に由来し、「語る」が「象る」に由来するという事実からも、ひとつの傍証が得られるであろう。

(野家啓一 『物語の哲学 ―柳田國男と歴史の発見―』p.92 岩波書店)

つまり、「話す」のではなく「語る」という言葉で彼女が表現したかったのは、その人物の話しぶりが、相手からの反応や応答をもとより期待していない、一方的なもの、おそらくどこへ行っても何度となく繰り返されるような類のものだった、ということなのだろう。

さらに物語が「モノガタリ」であって、「モノバナシ」ではないのはなぜか。
それはこの「語る」と「話す」のちがいにほかならない。「話す」が双方向のコミュニケーションとして、行く先を定めていないのに対し、「語る」は、筋を持った言説を述べる行為であるからだ。「物語」は、まさしく話されるのではなく、語られるものなのである。

ところで、「語る」場合はかならず過去形で話される。経験を語る場合も、歴史を語る場合も、昔話を語る場合も。そうして、ある種実験的な作品を除いて、多くの小説も、過去形で語られる。それはたとえ、未来を舞台にした作品であってもそうなのだ。

 未来についての小説のほとんどが過去形で語られるのは、一見矛盾しているように見えて、実はそれなりの理由によるものである。マイケル・フレインの『きわめてプライベートな生活』(一九六八)は未来形で始まる(「いつかあるところに、アンカンバーという名の女の子が住んでいるでしょう」)が作者はその時制を長く続けることができず、すぐに現在形に切り替えている。小説の想像の世界に入り込むために、我々は登場人物と同じ時空に身を置かねばならないが、未来形ではそれができない。過去形は物語にとって「自然」な時制なのだ。現在形ですら、何となくしっくりとこない。なぜなら、何かが書かれているということは、論理的にそれがすでに起こっていることを前提としているからである。

(デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』p.186 柴田元幸・斉藤兆史訳 白水社)

ここで「物語」が扱う世界が鮮明になってくる。物語が扱うのは、過去の出来事だ。
すでに起こったことだから、物語として語ることができるのだ。

それでは、単なる過去に起こった「話」と「物語」はどうちがうのだろうか。

「昨日竹林に入っていったら、ぴかぴか光ってる竹があってさ、もうびっくりしたのなんのって」
これは「話」ではあっても、「物語」ではない。
聞き手は「まさか、おまえ、目は大丈夫? 眼医者、行った方がいいんじゃない? 眼医者は駅前の××眼科が良いって話だけど、おまえはいつもどこへ行ってる?」と、行方を定めないコミュニケーションとなっていく。
この話が「物語」になるためには、一定の枠組みが与えられなければならないのだ。

先に引いた野家はこう言っている。

 一度限りの個人的な体験は、経験のネットワークの中に組み入れられ、他の経験と結びつけられることによって、「構造化」され「共同化」されて記憶に値するものとなる。逆にいえば、信念体系の中に一定の位置価を要求しうる体験のみが、経験として語り伝えられ、記憶の中に残留するのである。したがって、繰り返せば、経験を語ることは過去の体験を正確に再生あるいは再現することではない。それはありのままの描写や記述ではなく、「解釈学的変形」ないしは「解釈学的再構成」の操作なのである。そして体験を経験へと解釈学的に変形し、再構成する言語装置こそが、われわれの主題である物語行為にほかならない。それゆえ物語行為は、孤立した体験に脈絡と屈折を与えることによって、それを新たに意味づける反省的な言語行為といえるであろう。言い換えれば、「体験」は物語られることによって、「経験」へと成熟を遂げるのである。(p.107 引用同)

わたしたちはときどき、自分の過去に起こったことを話す。あるときこんなことがあった、そうして、自分はこんなふうに思った、こんなことをした。そうした話をしたくなるのは、相手に自分のことを知ってほしいからだ。自分とはこういう人間なんだ、こんな自分を知ってほしい、理解してほしい、だから、さまざまな思い出話をする。
アレントが言うように、ほんとうに自分を知ってほしいとき、「わたしは学生です」のようなことは言わない。そんな言葉は「わたし」を語るものではないからだ。「わたし」を語るのは、「わたし」を主人公としたさまざまな物語りだけだ。

けれども、その話は、それが起こったときの正確な再現ではない。「いま」の自分によって、「子供たちにいじめられていたかわいそうなカメを、なけなしの金をはたいて買ってやり、海へ戻してやった優しいおれ」や「意地悪な継母と継母の連れ子にいじめられて、『灰かぶり』と呼ばれていたころのかわいそうなわたし」というテーマにそって、半ば無意識のうちに、さまざまな出来事が組み合わされ、編集され、解釈と評価がなされ、「物語り」として紡がれているのだ。
「語り」というのは、そうした性格を持つものであり、さらに野家は「語る」は「話す」と「書く」の間にこそ位置づけられるべき独立した行為である、と言う。

6.歴史を語ることは物語りか?

先にあげたデイヴィッド・ロッジが、「未来を想像する」という項目で例に引いているのは、ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984』の冒頭である。ここでこの近未来小説をもう一度見てみることは、無駄ではないだろう。

 四月のある晴れた寒い日で、時計は十三時を打っていた。ウィンストン・スミスはいやな風を避けようと顎を胸もとに埋めながら、足早に勝利マンションズのガラス・ドアからすべりこんでいったが、さほど素早い動作でもなかったので、一陣の砂ぼこりが共に舞い込むのを防げなかった。
 廊下にはキャベツ料理と古マットの臭気が漂っていた。突きあたりの壁には、屋内の展示用として大きすぎる色刷りのポスターが画鋲で止めてあった。巨大な顔を描いただけで幅は一メートル以上もあった。四十五、六歳といった顔立ちである。豊かに黒い口髭をたくわえ、いかついうちにも目鼻の整った造りだ。ウィンストンは階段を目指して歩いて行った。エレベーターに乗ろうと思っても無駄だった。いちばん調子のよい時でさえたまにしか動かなかったし、まして目下のところ、昼間は送電が停止されていたからである。この措置は憎悪週間(ヘイト・ウィーク)を準備する節約運動の一環であった。三十九歳で、しかも右足首の上部に静脈瘤性潰瘍のできている彼は、ゆっくりと階段をのぼりながら、途中で何回もひと休みをした。各階の踊り場では、エレベーターに向かい合う壁から大きな顔のポスターがにらみつけていた。見る者の動きに従って視線も動くような感じを与える例の絵柄だ。「偉大なる指導者(ビッグ・ブラザー)があなたを見守っている」絵の真下には、そんな説明がついていた。

(ジョージ・オーウェル『1984年』新庄哲夫訳 ハヤカワ文庫)

デイヴィッド・ロッジはこの冒頭の一文が「名文であるのもうなずける」としたうえで、「要するにオーウェルは、読者が意識的にしているにせよいないにせよ、すでに知っているもののイメージを喚起し、修正し、そして再構成することによって想像上の未来を描いてみせたのである」(前掲書)としている。

だが、改めてこの冒頭を読んでみると、奇妙な感覚に打たれる。過去に描かれた未来は、現在のわたしたちからみれば既に過去であり、過去形で叙述されているために、通常のフィクションといってもなんら差し障りがないものであるはずだ。事実、冷戦期の東欧、プラハの春以降のチェコ・スロバキアや旧ユーゴスラビア、ポーランドや東ドイツなど、このような雰囲気があったのかもしれない、という感じがする。

にもかかわらず、ミラン・クンデラやギュンター・グラス、あるいはアゴタ・クリストフらが描く東欧を舞台にしたフィクションにはない、独特の歪んだ感覚がある。マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』やフィリップ・K・ディックのSF、あるいは「未来世紀ブラジル」や「ブレードランナー」「12モンキーズ」「マトリックス」などの映画に共通するのが、この歪んだ、足場のぐらぐらするような感覚なのである。

ロッジが言うように、「すでに知っているもののイメージを喚起し、修正し、そして再構成」した結果、だれもが同じようなイメージにたどりついていくのかもしれない。けれども未来を語ろうとするときの言説は、どのようなものであれ、一種の歪んだ、不安定な叙述にならざるをえないのではないか。

逆に、歴史小説や歴史に材を取った映画は、純粋なフィクションにはない共通した安定感がある。多くの歴史映画は「娯楽大作」として作られるし、たとえ悲劇的な結末に向かうものであっても、閉塞感といったものとは無縁である。

これはなぜなのだろうか。
ひとつには、歴史小説はわたしたちがその結末を知っている、ということがあるだろう。いわば動かしようのない結末という安定した着地場所があるのだから、そこへ向かうプロセスが揺らぎとは無縁なのも不思議はない。

すでにわたしたちは、物語が扱うのは、過去の出来事であることを確認した。作品の舞台が未来だとしても、その作品の語り手は、そのさらに未来の時点からふり返って語っているのである。この歪んだ感じ、不安定な感じは、物語が根本的に未来を語ることに適さないことに起因しているのではないだろうか。閉塞感や不安定さと無縁の「スターウォーズ」、あれは実際にはSFではなく、ジョージ・ルーカスが神話の英雄譚を、宇宙を舞台にしてそのまま現代に持ち込んだものであること考えあわせれば、このことはいっそうはっきりするのではないだろうか。

ここで問題になってくるのが、過去のことを語る物語りと、歴史はいったいどんな関係にあるのか、ということである。歴史的叙述と歴史小説は、はたしてまったく別個のものなのか、歴史はどこまで物語りなのか、ということである。
実はこの問題、非常に古くて、かつ新しいもんだいなのである。

アリストテレスは『詩学』のなかでこのように言っている。

 詩人(作者)の仕事は、すでに起こったことを語るのではなく、起こりうることを、すなわちありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で起こる可能性のあることを、語ることである。なぜなら、歴史家と詩人は、韻文で語るか否かという点に差異があるのではなくて――じじつ、ヘーロドトスの作品は韻文にすることができるが、しかし韻律の有無にかかわらず、歴史であることにいささかの変わりもない――、歴史家はすでに起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語るという点に差異があるからである。したがって、詩作は歴史にくらべてより哲学的であり、より深い意義をもつものである。というのは、詩作はむしろ普遍的なことを語り、歴史は個別的なことを語るからである。(第九章)

 叙事詩の筋は、悲劇の場合と同様に、劇的な筋(※ミュトス=プロット)として組み立てられなければならない。すなわち、それは、初めと中間と終わりをそなえ完結した一つの全体としての行為を中心に、組み立てられなければならない。そうすることによって、それは一つの完全な生きもののように、それに固有のよろこびをつくり出すことができるであろう。
 また、出来事の組みたては、歴史の場合とは異なったものでなければならない。すなわち、歴史においては、一つの行為についてではなく、一つの時間(時期)について解明がおこなわれなければならない。その時間のなかで起こったかぎりの出来事は、一人の人間についてであれ、二人以上の人間についてであれ、取りあげられるが、それらの出来事の一つ一つが相互に関係をもつのは偶然による。というのは、たとえばサラーミスの海戦と、カルターゴー人にたいするシケリアーでの戦いは同時に起こったけれども、けっして同一の結末を目指したものではなかったのと同様に、連続する時間のなかである出来事がほかの出来事のあとにつづいて起こっても、これらの出来事から一つの結末はけっして生じないことがよくあるからである。しかし、ほとんどの詩人はこれと同じことをしている。(第二十三章)

(『アリストテレース・詩学 ホラーティウス詩論』松本仁助・岡道男訳 岩波文庫)

つまりこれによれば、詩人が語るのは、ある人がこういうことをやった、ということではなく、人間というのはこういうことをやるだろう、やるにちがいない、ということを創作するのであり、歴史は個々に起こった出来事を記述するのだということになるだろう。

ところが偉大なアリストテレスも、なんだか相当おかしなことを言っている。
まずアリストテレスは、歴史は個々の事件を語る、という。しかも、個々の事件の関係をたどって、ひとつの結末に構成するものではない、という。これでいくと、歴史とは「個々の事件を発生順に正確に記録」したものになる。これは「歴史」というよりも、「歴史年表」といっては言い過ぎか、それにしてもせいぜいのところ「年代記」にすぎない。

ところがアリストテレスを百年ほどさかのぼる歴史家、トゥキュディデスは、まったくちがうことを言っている。
『物語としての歴史』(アーサー・C・ダント 河本英夫訳 国文社)には、トゥキュディデスの言葉が引用されているので、その部分を引用してみる。

彼はその有名な著作(※『歴史』)を、以下の文章で書き起こしている。「アテナイ人トゥキュディデスは、ペロポネス人とアテナイ人がたがいに争った戦いの様相をつづった。筆者は海戦劈頭いらい、この戦乱が史上特筆に値する大事件に展開することを予測して、ただちに記述をはじめた」。彼は自分が経験しつつある一連の出来事が「意義」をもつと考え、それが語るに値する重要な物語であり、のちにそれらを物語ることができるように、ものごとを起こるがままに観察したことは明らかである。トゥキュディデスは、本当に起こったことを知るにさいし能うかぎり正確であろうとした。そしてその正確さのため、莫大な労力を費やしたと述べている。……しかし正確な説明を与えることは、彼のさらなる目的にとって不可欠の条件であったものの、トゥキュディデスはたんに正確を期するためだけに多大な労苦を払ったのではない。……トゥキュディデスの著作は、彼の言葉を借りれば「未来について理解する手助けとして、過去についての正確な知識を得たいと望む」人々に向けて書かれた。(p.31)

この「歴史科学の父」(とダントは書いている)の時代から、歴史は「個別」を越えて、「普遍を語り」、「起こる可能性のあること」を語り、未来に向けて書かれていたのである。アリストテレスがヘロドトスに触れている部分はあっても、トゥキュディデスに触れてはいないのだ。少なくともアリストテレスとトゥキュディデスの歴史的認識は、相当にちがっていた、と言えそうだ。

さて、つぎに、アリストテレスのいう「すでに起こったこと」についてはどう考えたらよいのだろうか。

歴史は事実に基づいたもの。物語は虚構に基づくもの。わたしたちは、アリストテレス同様、なんとなくそのような区分を持っている。ところがダントは

歴史叙述において最も典型的に生じるように見える種類の文を、分離し分析してみようと思う。私はこれらを指して「物語文」と呼ぶことにする。これらの文の最も一般的な特徴は、それらが時間的に離れた少なくともふたつの出来事を指示するということである。(前掲書 p.174)

なんとなんと、歴史を叙述する文章が「物語文」なのだという。これはどういうことなのだろうか。

7.もういちどプロット

まず、プロットを命題によって記述してみよう(記号とか、命題とか、キライって言わずに、ちょっとだけ辛抱してください。けっこうおもしろいから)。

ルーシーがライナスに語った物語をここでも使ってみよう。

「人が生まれました。生きて死にました。」

これは
1.t1時に、「人」が生まれる(AはXである)。
2.t2時に、「人」が生きる(Aに事件Yが起こる)。
3.t3時に、「人」は死ぬ(AはX’である)。

と書くことができる。

物語が物語であるためには、不変の登場人物Aが存在することと、発端部の述語Xと結末の述語X’が何らかの関係を持つことである。(参考:ジャン=ミッシェル・アダン『物語論―プロップからエーコまで』末松壽/佐藤正年 文庫クセジュ)

あらゆる物語のプロットは、基本的にこの構造を持っている。

「桃太郎」は
1.t1時に、桃太郎が桃から生まれる。
2.t2時に、桃太郎は鬼退治する。
3.t3時に、桃太郎はお姫様とお宝を持って帰ってくる。
※t2時をさらに区切って細かく記述することも可能である。

フローベールの『ボヴァリー夫人』は、
1.t1時に、エンマが生まれる。
2.t2時に、エンマは結婚する。
3.t3時に、エンマは一度目の不倫をする。
4.t4時に、エンマは二度目の不倫をする。
5.t5時に、エンマは服毒自殺する。

ボーイ・ミーツ・ガール式のラブ・ストーリーなら
1.t1時に、AとBが会う。
2.t2時に、AとBの間に何かが起こる。
3.t3時に、AとBは結ばれる。

映画『アンタッチャブル』なら、
1.t1時に、エリオット・ネスはアル・カポネを刑務所に送ろうと決意する。
2.t2時に、エリオット・ネスのチームはさまざまにカポネファミリーと闘う。
3.t3時に、エリオット・ネスはカポネを刑務所送りにすることに成功する。

いくらでもできるが、涙を飲んで終わりにしよう。

ところが「物語」ではない「三つの石の話」を記述しようと思っても
1.t1時に、お父さんの石とお母さんの石と赤ちゃんの石がいた。

それだけなのである。

あるいはオチのない話というのは、
1.t1時に、Aは学校に行く。
2.t2時に、Aは図書館に行く。
3.t3時に、Aはバイトに行く。
これで話が終わってしまえば、オチのない話だ。けれども、バイトに行くかわりに、

3.t3時に、Aは家に帰る。

であれば、とりあえず「Aの一日」という意味で、話の格好はつく。つまり発端部の述語Xと結末の述語X’が回帰していることが必要なのである。何らの関係を持たない話は、オチがない、あるいは物語の体裁をなさないのだ。

では、歴史は果たして物語なのだろうか。

歴史としての記述は、
「×年に○○が起こる」ではないのだろうか?
命題の形で記述するならば、

t1時に、Aが起こる。

これだけのはずだ。少なくともアリストテレスが想定する歴史的記述はそうなっているだろう。

ところがアーサー・C・ダントは「物語文」を
「少なくともふたつの時間的に離れた出来事を指示し、そのうちの初期の出来事を記述する」と規定する。つづいてさらに「この構造はまた、ある意味で通常行為を記述するすべての文に現れている」
と、規定し直す。

 私がかかわっている種類の記述は、ふたつの別個の時間的に離れた出来事E1およびE2を指示する。そして指示されたうち、より初期の出来事を記述する。……「三十年戦争は、一六一八年に始まった」は、戦争の開始と終りとを指示しているが、戦争の開始のみを記述している。その戦争が、それが続いた期間によってそう呼ばれているという仮定に立つと、それが一六一八年に――もしくは一六四八年以前に――「三十年戦争」と記述できるものは、おそらく誰もいないだろう。(前掲書 p.185)

こうして、この「三十年戦争は、一六一八年に始まった」という「物語文」によって、出来事Aと出来事Bは結びつけられ、ひとつの「出来事」を形作る。「こうした無数の物語文が相互に連関しあって形作るネットワークこそが、まさに『歴史』にほかならないのである」(野家啓一『物語の哲学』)。

8.「物語」にできないこと、「物語」ができること

歴史は実際にあった出来事に基づき、物語は虚構に基づく、という考え方がある。だが、その「実際にあった出来事」というのは何なのだろうか。

ダントはこのような比喩を使って説明をする。

ある「出来事」を蓄える容器があるとする。
出来事はこの中に蓄えられ、変わることもなく、出現する順序もそのまま、内容に何も付け加えられず、ただあとから来る出来事が積み重なっていく。

こうした出来事を記述しようと思えば、起こるものをすべて起こった順序で記録しなければならないだろう。この容器をダントは「理想的編年史」と呼び、こうした記述ができる人物を「理想的な編年史家」と呼ぶ。

この「理想的な編年史家」は、起こることすべてを起こったと同時に、起こった通りに目撃し、出来事が付け加わるのに応じて書き増ししていく。この「理想的な編年史家」の仕事に対して、歴史家がすべきこと、というのは、単に誤った文を取り除き、証言に欠けているものを書き足すだけである。

けれども、それだけでは不十分なのだ。それは「ひとつの出来事についての真実全体は、あとになってから、時にはそのできごとが起こってからずっとあとにしかわからないし、物語のなかのこの部分は、歴史のみが語りうるのである」(前掲書p.184)。
「理想的な編年史家」には、決して「真実」を語り得ない。つまり、それこそが歴史家のみが語ることができる「物語」なのだ。

もういちどダントの物語文を見てみよう。
「三十年戦争は一六一八年に始まった」
これは、
1.t1時(1618年)に、「あること」がおこる。
2.t2時(1648年以降のあるとき)に、あることを起点とする一連の出来事を「三十年戦争」と名づける。
3.t3時に、「三十年戦争は一六一八年に始まった」と誰かが語る。
この三つの時間が含まれている文章なのである。

「あること」を三十年戦争のきっかけとなった出来事として性格づけるのは、t2時において初めて言えることだ。
ここから言えるのは、過去の出来事は、単独では歴史とはなりえない。起こってからしばらくたって、ほかの出来事と関連づけることによってのみ、歴史となりうる。
さらに付け加えれば、いままさにさまざまな出来事が生起する〈いま、ここ〉において、歴史としての記述は不可能なのである。

もうひとつ、この文章は、三十年戦争のきっかけとなった「あること」を語ることで、三十年戦争が「何が原因で起きたか」をも語る文章でもあるのだ。歴史を語ることは同時に因果関係を語ることでもある。すなわち、ダントの言葉に従えば、歴史家とは出来事を関連づけながら、原因と結果を見いだし、それ物語として語る存在なのである。

歴史家のE.H.カーは、『歴史とは何か』のなかで、ほぼ同じことをこのように語っている。

歴史上の事実は純粋な形式で存在するものではなく、また、存在し得ないものでありますから、決して「純粋」に私たちへ現われて来るものではないということ、つまり記録者の心を通して屈折して来るものだということです。したがって、私たちが歴史の書物を読みます場合、私たちの最初の関心事は、この書物が含んでいる事実ではなく、この書物を書いた歴史家であるべきであります。……実際、事実というのは決して魚屋の店先にある魚のようなものではありません。むしろ、事実は、広大な、時には近よることも出来ぬ海の中を泳ぎ廻っている魚のようなもので、歴史家が何を捕えるかは、偶然にもよりますけれども、多くは彼が海のどの辺で釣りをするか、どんな釣道具を使うか――もちろん、この二つの要素は彼が捕えようとする魚の種類によって決定されますが――によるのです。全体として、歴史家は、自分の好む事実を手に入れようとするものです。歴史とは解釈のことです。

(E.H.カー『歴史とは何か』p.29 清水幾太郎訳 岩波新書)
 

歴史とは、歴史家の手による資料的検証に従った年代記から引き出された「物語」である、と言うことができる。

そろそろまとめに入ることにしよう。

物語とはなにか。
物語は、現実、または想像上のひとり、または複数の登場人物によってなされる行動を描写するものである。
登場人物は、物語のなかで、状況の変化に応じて、さまざまに反応し、行動する。
状況の変化は、状況や登場人物の隠れた面を明るみに出し、新たな試練を生み出し、それが思考や行動を引き出す。この試練に対する応答が、話を結末へと導く。

たとえどれだけ単純な物語であっても、物語は出来事を発生順に報告以上のことをする。
「人が生まれました。生きて、死にました」
この文章は
・「生まれた」「生きた」「死んだ」という三つの出来事を関連づけ、
・なぜそのことが起きたか(なぜ人は死んだのか? それは人が生まれたから)を説明する。
何が起きたかを物語ることは、なぜ起きたかを物語ることでもあるのだ。

聞き手は、あるいは読み手は、物語の筋をたどる。
ストーリーの展開に沿って、結末に向けて引っ張られていく。そうして、結末を知った聞き手は、そこから全体をふり返り、その結末を受け入れようとする。

さらに『時間と物語』のなかで、ポール・リクールは、フィクションも歴史物語を模倣するという。

何事であれ物語るということは、それが実際に起きたかのように物語ることである、と言おう。……物語は過去時制で語られる。民話で「むかしむかし……」は物語へ入っていくのを示す。……フィクション物語の中で語られる出来事は、物語る声(…)にとっての過去の事象なのである。…ある声が話し、それはその声にとってすでに起きたことを物語るのである。読書に入ることは、読者と作者との協約の中に、物語る声によって物語る出来事はこの声の過去に属するのだ、という信念を挿入することである。……フィクションが準歴史的であるのは、それが伝える非現実的な出来事が、読者に語りかける物語る声にとって過去の事象であるかぎりにおいてである。そういうようにして非現実的な出来事は過去の出来事に似るのである。

(『時間と物語』III p.346-348 久米博訳 新曜社)

歴史は物語として語られるいっぽう、フィクションも歴史物語を模倣する。こうしてフィクションと歴史物語が相互に浸食しあうところから、「人間的時間」というものが生まれてくるのだという。(※この本ではここからリクールの非常におもしろい時間論へと話は移っていくのだけれど、この小文とは直接関係がないので立ち入らない)

自分が自分であるということは、どういうことか。
それは、自分の物語を語るということではないのだろうか。

ポール・リクールは『時間と物語』のなかでこのように言う。

 歴史と物語の一体化から生える脆いひこばえとは、個人または共同体に、物語的自己同一性(…)と名づけることのできる特殊な同一性を割り当てることである。…個人または共同体の自己同一性を言うことは、この行為をしたのはだれか、だれがその行為者か、張本人か、の問いに答えるものである。まず、だれかを名ざすことによって、つまり固有名詞でその人を指名することによって、その問いに答える。しかし固有名詞の不変性を支えるものは何か。こうしてその名で指名される行為主体を、誕生から死まで伸びている生涯にわたってずっと同一人物であるとみなすのを正当化するものは何か。その答えは物語的でしかあり得ない。「だれ?」という問いに答えることは、ハンナ・アーレントが力をこめてそう言ったように、人生物語を物語ることである。物語は行為のだれを語る。〈だれ〉の自己同一性は、それゆえ、それ自体物語的自己同一性にほかならない。……

物語的自己同一性は、安定した、首尾一貫した同一性ではないことである。同じ偶然的な出来事についていくつかの筋を創作することが可能なように(その場合、それは同じ出来事と呼ぶにはもはや値しない)、自分の人生についてもいろいろちがった、あまつさえ対立する筋を織りあげることも可能なのである。……物語的自己同一性はたえずつくられたり、こわされたりし続ける。……物語的自己同一性はこうして、少なくとも解決の名となるのと同じだけ、問題の名ともなるのである。(引用同 p.448)

〈わたし〉は物語りによって語られる。そうして〈わたし〉の過去も、物語ることによって生きつづける。
あるいは共同体の物語りも、歴史として語られることで、現在のわたしたちに認識され、所有される。
そうしてこの物語りは決してひとつだけではない。わたしたち自身の手によって、不断に更新し続けられる物語りなのである。
それが個人の歴史であっても、共同体の歴史であっても。

 歴史という構造物の場を形成するのは、均質で空虚な時間ではなくて、〈いま〉によってみたされた時間である。だからロベスピエールにとっては、古代ローマは、いまをはらんでいる過去であって、それをかれは、歴史の連続から叩きだしてみせたのだ。フランス革命はローマの自覚的な回帰だった。それは古代ローマを引用した――ちょうど、流行が過去の衣装を引用するように。流行は、アクチュアルなものへの嗅覚をもっている。たとえ、アクチュアルなものが、「昔」というジャングルのなかの、どこをうろついていようとも。流行は、過去への、狙いを定めた跳躍なのだ。

(ヴァルター・ベンヤミン『歴史哲学テーゼ』 今村仁司『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』所収 p.74 岩波書店)
初出 Oct.24-Nov.02,2005 改訂 Nov.06,2005



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