ここではFrank O’Connorの"My Oedipus Complex"の翻訳をやっています。
これはフランク・オコナーは1903年生まれのアイルランドの作家、とくに短編の名手として知られています。日本ではどういうわけかあまり有名ではないのですが、詩人のW.B.イエィツが「チェホフがロシアのためにやったことをアイルランドのためにやっている」と称したほど。
タイトルにもなっている「エディプス・コンプレックス」というのは、「男子が同性の親である父を憎み、母に対して性的な思慕を抱く無意識の傾向」(「大辞泉」より)とあるのですが、この場合、ほんとうに「エディプス・コンプレックス」に当てはまるのか、というより、オコナー特有のユーモアと理解した方がよさそうです。
ユーモラスであたたかいフランク・オコナーの世界を、この作品を機に、多くの人に知っていただければこれほどうれしいことはありません。
原文は
http://www.cyc-net.org/cyc-online/cycol-0201-oconnor.html
で読むことができます。
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わたしのエディプス・コンプレックス
by フランク・オコナー
戦争中(ここでいうのは第一次世界大戦のことだ)、父はずっと軍隊にいたので、五歳になるまでわたしが父を目にする機会はそう多くはなかったし、そんなとき、相手をいやだと思うようなこともなかった。ふと目を覚ますと、カーキ色の軍服に身を包んだ大きな人影が、ろうそくの光のなかで、わたしをじっと見下ろしていることがあった。早朝、表のドアがばたんと閉まって、鋲のついたブーツが小道の砂利を踏んで遠ざかっていくことも。それが父の登場と退場だった。まるでサンタクロースのように、来るときも帰るときも謎に包まれていたのだ。
父がやってきたときは、うれしかったくらいである。明け方、大きなベッドによじのぼって、母と彼のあいだに体をもぐりこませるのはずいぶん窮屈だったが。彼は煙草を吸ったから、どこか懐かしい、かびくさいにおいがしたし、しかもひげを剃る――これはびっくりするほどおもしろい作業だった。現れるたびに、父は記念品という痕跡を残していった。戦車模型やグルカ・ナイフ、これは柄がたばねた薬莢でできていた、それからドイツ軍のヘルメット、帽章やボタン磨き用の棒などの種類もさまざまな軍装備品、どれも細長い箱に大切にしまい込まれて、洋服ダンスの上に鎮座した。いつか役に立つ日も来るだろうとばかりに。父は多少カササギのようなところがあったのかもしれない。どんなものにも使い道があるはずだと考えるカササギである。父が戻っていくと、わたしはさっそく椅子を出して、その宝物をかきまわして探索したが、ついぞ母にとがめられたことがなかった。どうやら母は、そうしたものを父ほどには高く評価していなかったらしい。
わたしの人生においては、戦争中こそがもっとも平和な時期だったのである。わたしの屋根裏部屋の窓は南東に面していた。母はカーテンをかけてくれたが、あまり役には立っていなかった。毎朝、日の出とともに目が覚める。昨夜までの心の重荷は氷解し、まるでわたし自身が太陽になったように光り輝き、喜びが内からあふれてくるのだ。そのころほど人生が単純で、可能性に満ち満ちていたことはない。上掛けの先から両足を出し――わたしは自分の足にミセス・レフトとミセス・ライトと名前をつけていた――ミセス・レフトとミセス・ライトにその日の問題を討議させる。というか、少なくともミセス・ライトはそう動いてくれた。彼女はおしゃべりだったが、ミセス・レフトに関しては、同じように動かすことができなかったので、多くの場合はうなずいて賛意を示すだけでがまんすることにした。
ふたりがおもに議論したのは、今日一日、お母さんとあの子は何をしたらいいんでしょうねえ、とか、クリスマスにはサンタクロースはあの子にいったい何を持ってきてあげたらいいんでしょう、あるいは、家のなかを明るくするためにはどうしたものでしょうか、といったことだった。そのほかにも赤ん坊にまつわる些末な議論もあった。母とわたしのあいだでは、この問題に関して意見の一致を見ることがなかったのである。この界隈で赤ん坊がいないのは我が家だけだったのだが、母は、お父さんが帰るまでとてもそんな余裕はないわ、というのだった。赤ちゃんって十七ポンド六ペンスもするんですもの、と。
これを聞けば、母がどれほど世間知らずかよくわかった。通りの先にあるジーニー家には赤ん坊がいたが、彼らに十七ポンド六ペンスが払えるはずはないことなど火を見るより明らかだったのだから。安い赤ん坊だっているにちがいないのだが、母ときたらずいぶん上等な赤ん坊をほしがっているのだ。わたしはあまり選り好みするのも考え物だと思っていた。我が家だってジーニー家の赤ん坊で十分ではないか。
その日の計画が決まったところで、わたしは起き出し、椅子を持っていって屋根裏の窓から頭を出した。裏の長屋の正面の庭が見えた。その先に目をやると、深い谷をはさんだ向こう側の丘の麓には、丈の高い赤レンガの家がひな壇のように並んでいる。渓谷のこちら側は朝日を浴びているのに、そこはまだ影にすっぽりと覆われていた。長い奇妙な影が、景色を見慣れないものに、動きのない、まるで絵に描いたもののように見せていた。
そのあとは母の部屋に入っていき、大きなベッドにもぐりこむのだ。目を覚ました母に自分の計画を教える。それまで気がつかずにいたのだが、寝間着姿のわたしの体は、すっかりこごえてしまっていた。だが、話をしているあいだに、凍りついた体も最後のひとかけらまで溶けていき、やがて母のかたわらで眠り込む。ふたたび目を覚ましたときには、階下の台所で母が朝食の支度をしている音が聞こえてくるのだった。
朝食をすませると、わたしたちは町に出かけた。聖オーガスティン教会のミサに参列し、父のために祈りを捧げ、それから買い物に行く。午後、天気が良ければ、郊外へ散歩に出たり、修道院にいる母の親友、マザー・セント・ドミニクを訪問したりした。母は修道院の人たちみんなに、父のための祈りを捧げてもらっていたし、わたしも毎晩、ベッドに入る前に、神様に、どうか父が無事にもどりますように、とお祈りしていた。実際のところ、何のためにそんなお祈りをしていたのか、ちっともその理由を理解していなかったのだが。
ある朝、わたしが大きなベッドにもぐりこむと、そこには例のサンタクロースもどきの父がいた。だが、しばらくすると、軍服の代わりに一番上等の青いスーツを着たのである。母はことのほかうれしそうだったが、わたしには喜ぶような理由など見当たらなかった。というのも、軍服を脱いだ父には、ちっともおもしろいところがなかったからだ。ところが母ときたら、満面に笑みを浮かべて、わたしたちのお祈りがかなったのよ、と言い、あとでミサに出かけ、わたしたちは父が無事戻ったことに対する感謝の祈りを捧げたのだった。
なんとも皮肉な成り行きだった! その日、父は昼食に戻ってくると、ブーツを脱いでスリッパに履きかえ、風邪を引かないように古い薄汚れた室内帽をかぶって、脚を組むと母に向かってもったいぶってしゃべりはじめた。母は気遣わしげな顔をしている。言うまでもないことだが、わたしは母の気遣わしげな表情が嫌いだった。きれいな顔が台無しになってしまうからだ。だからわたしは間に割って入ることにした。
「いまはおよしなさい、ラリー」母は優しくたしなめた。母がこの言い方をするのは、退屈なお客が来たときだけだったから、わたしは気にもとめずに話を続けた。
「静かになさい、ラリー」いらだたしげな声が返ってきた。「お父さんとお話してるのがわからない?」
このとき初めて、「お父さんとお話ししてる」という不吉なことばを聞いたのだった。これがお祈りをかなえてくださったということなら、神様はみんなのお祈りなんて、あまり真剣に聞いてくださってないのかもしれない、と思わずにはいられなかった。
「なんでお父さんとお話してるの?」できるだけどうでもよさそうな調子でわたしは聞いてみた。
「お父さんとお母さんにはお話しなきゃならないことがあるからよ。だから、もうじゃまをしてはいけません」
その日の午後、母にたのまれて、父はわたしを散歩に連れて行った。このときは郊外ではなく町に向かったのだが、わたしも最初のうちは、いつもの楽天的なところを発揮して、事態は好転の兆しを見せているのだ、と思うことにしていた。ところが、まったくそうではなかったのである。
父とわたしでは、町を散歩する、という定義自体がまるっきり異なっていたのだった。父ときたら、貨車にも船にも馬にもろくに興味を示さず、楽しそうな顔になるのは、同じような年寄り連中と話をするときだけ。わたしが止まろうとしても、いっこうに歩をゆるめず、手を握ったまま引きずっていく。反対に、彼が止まりたくなってしまうと、わたしがそれにあらがうすべはないのだった。壁によりかかるのが、そこに長時間とどまるサインであることにわたしは気がついた。父がふたたびそのサインを見せたときには、わたしもすっかり腹を立ててしまった。半永久的にそこに落ち着こうとしているように思えたからだ。わたしはコートやズボンを引っ張ったが、母とはちがった。もし母ならあまりしつこくすると怒り出してこんなふうに言うのだ。「ラリー、お行儀よくできないんなら、ぱちんとしますよ」
ところが父の才能ときたら驚くばかりで、いやな顔ひとつ見せず、ただ無視するのである。引っ張るのをやめて、泣いてみようかと思ったが、そんなことを気にして困るような相手ではない。実際、大きな山を散歩に連れていったようなものだった! つねろうがこぶしで殴りかかろうが、素知らぬ顔で、ときどき山のてっぺんからにやにやしながらおもしろがっているだけなのだから。わたしはそれまで彼のように自分のことばかりにかまけている人間を見たことがなかった。
夕食の時間になると「お父さんとお話」がまた始まったが、今度は父は夕刊を読みながら、数分おきに新聞を置いて母に新しいニュースを聞かせていたので、事態は複雑になった。このやりかたは汚いぞ、とわたしは思った。母の注意を引くために、一対一でならいつでも父と戦う用意はあったが、父は他人の助けをかりて不足を補っているのだから、もはやわたしにはチャンスはなかった。それでも何度かわたしは話題を変えようとしたが、どうやっても成功しなかった。
「お父さんが新聞を読んでるんだから、静かにしなきゃダメよ、ラリー」母は不機嫌に言うのだった。
母は父と話す方がわたしと話すのより好きなのか、あるいは父が何かしら恐ろしい力で母を捕らえてしまい、そのために真実を認められなくなってしまったのか。そのいずれかであることはまちがいなかった。
「ママ」その夜、母がわたしを毛布でくるんでくれたときに聞いてみた。「もしぼくが神様にいっしょうけんめいお祈りしたら、お父さんは戦争に戻る?」
母はしばらく考えこんだようだった。
「いいえ」そう言ってにっこり笑った。「神様はそんなことはなさらないと思うわ」
「ママ、どうして?」
「それはね、もう戦争は終わったからよ」
「だけど、ママ、神様は別の戦争を始めることができるでしょ、もしそうなさろうと思ったら」
「そういうことはなさらないわ。戦争を始めるのは、神様じゃなくて、悪い人なのよ」
「そうなのかぁ」すっかり落胆してしまった。神様というのは、評判ほどのものでもないのだな、と思うようになっていた。
翌朝、わたしはいつもの時間に、まるで瓶のなかのシャンパンのような気分で目を覚ました。わたしが両足を突き出すと、長いおしゃべりが始まる。ミセス・ライトは自分の父親に苦労させられて、とうとう彼を「施設」に送りこんだという話をした。わたしは「施設」というのがどんなところなのか知っていたわけではなかったのだが、父にはふさわしい場所のように思えたのである。それから椅子を持っていき、屋根裏の窓から頭を出した。夜が白み始めているところで、あたりの気配は妙に怪しげで、わたしは何か犯行現場を目撃したような気分になった。頭のなかはいくつものお話やらたくらみやらが渦を巻き、はちきれそうになったので、隣の部屋に転がるように駆け込むと、ほの暗い、大きなベッドによじのぼった。母の側は空いていなかったので、父と母のあいだに割り込むしかない。父のことなどすっかり忘れていたのだ。しばらくわたしはしゃちほこばって腰を下ろしたまま、父をどうしようか頭をひねった。ベッドを自分の割り当て分以上に占領しているので、たいそう具合が悪い。何度か蹴っとばしてやったら、うなり声とともに父の体が伸びた。おかげで隙間ができた。母が目を覚ましてわたしをまさぐる。わたしは暖かいベッドに深々と身を沈め、親指をしゃぶった。
「ママ!」わたしは指をくわえたままで、大きな満足しきった声を出した。
「シーッ。ぼうやったら」母はささやいた。「お父さんを起こさないで!」
これは新たな展開、「お父さんとお話」よりもさらに深刻な脅威となりそうな事態の出来だった。早朝の語らいを抜きにした生活など、わたしには考えられないのだから。
「どうして?」わたしはとがめるように尋ねた。
「かわいそうなお父さんは疲れてらっしゃるからよ」そんなものはおよそ理由の内には入らないし、母が「かわいそうなお父さん」などと変に感傷的な言い方をするのにもうんざりだった。この手のことばは大嫌い、いつだってそのそらぞらしさがいやでたまらなかった。
「ああ、そう」わたしは軽く受け流すと、とっておきの調子で話し始めた。「ママはね、ぼくが今日ママと一緒にどこへ行きたいと思ってるか、知ってる?」
「わからないわ」母はため息をついた。
「新しい網を持って、谷に降りていって、淡水エイを捕まえようよ。それからお昼は“フォックス・アンド・ハウンド”に食べに行こう。それから……」
「お父さんを起こすんじゃありません!」歯の間から怒ったような声を出すと、わたしの口をてのひらで軽く叩いた。
だがすでに遅かった。父は目を覚ました、というか、ほとんど覚ましかけた。うめき声をあげると手を伸ばしてマッチにふれた。それから時計をのぞきこんで、とても信じられない、という顔をした。
「お茶でも召し上がる?」母はそう聞いたが、これまで聞いたこともない、神妙な、息を潜めた声音だった。まるで、怯えてでもいるかのような。
「お茶だって?」むっとした調子で父は言った。「いま何時だと思ってるんだ」
「それからぼくね、ラスクーニー通りに行ってみたい」わたしはこんなことにじゃまされて大切なことを忘れてしまっては大変だと思って、大きな声で続けた。
「ラリー、すぐに寝るんです!」母は厳しい声で言った。
わたしはべそをかきはじめた。もはや気持ちを集中させることができず、そんなことではミセス・レフトとミセス・ライトが話し合った早朝の計画の内容を思い出すこともできない。せっかくの計画が、まるで生まれて間もなく闇に葬られてしまう子供のように、にぎりつぶされてしまうのか。父は何も言わず、パイプに火をつけてふかしていた。母もわたしも無視して、暗がりを見つめたままで。父が怒っているのはわかっていた。わたしが何か言おうとするたびに、母はいらだたしげに、シッと言う。わたしは屈辱感でいっぱいだった。こんなのひどいや、と思った。なにか、まがまがしいものさえ感じていた。母に、ベッドをふたつもメイキングするなんてむだだよ、同じベッドで寝たらいいのに、と言うたびに、こんなふうにした方が健康にいいのよ、と言っていたのに、いまはこの男がここにいるじゃないか。あかの他人なのに。母の健康のことを少しも考えないで、母と一緒に寝てるなんて! 父は早い時間に起きだして、お茶を入れた。母に持ってきてくれたが、わたしには何もくれなかった。
「ママ」わたしは叫んだ。「ぼくもお茶が飲みたい」
「わかったわ」母は辛抱強く言った。「ママのソーサーであげますからね」
話は決まった。父かわたしのどちらかがこの家を出なければならないのだ。お茶を母のソーサーでなんて飲みたくない。求めているのは、自分自身の家で、対等に扱ってもらうことなのだ。母への当てつけに、お茶は全部飲んでしまって残してやらなかった。母も黙ってそれを見ていた。だが、その夜、わたしをベッドに寝かしつけながら、母はやさしく言った。
「ラリー、ひとつ約束してちょうだい」
「なに?」
「朝になっても、あっちへ行くのはやめて、かわいそうなお父さんを起こしたりしないであげてほしいの。約束できる?」
また「かわいそうなお父さん」だ! あの我慢ならない男にまつわることなら、何もかもがうさんくさく思われた。
「どうして?」わたしは聞いた。
「かわいそうなお父さんはね、心配なこともおありだし、お疲れだし、おまけに夜はよく眠れないのよ」
「どうして寝られないの、ママ」
「あなたも知ってるでしょ? お父さんが戦争に行っているあいだ、ママは郵便局に行ってお金をもらってきていたでしょ?」
「ミス・マッカーシーが送ってくれたんだよね?」
「そうよ。でもいまではミス・マッカーシーもお金がなくなってしまったの。だからお父さんは、わたしたちのために、出かけて、お金をもうけて帰ってなけりゃならないの。もしお父さんにそれができなくなったら、どうなるかわかる?」
「わかんない」わたしは言った。「教えて」
「あのね、わたしたちは通りに出て、金曜日にここにくるおばあさんのように、物乞いをして歩かなきゃならなくなるの。それはいやでしょう?」
「そんなのいやだ」わたしは同意した。「そんなこと、できないよ」
「ならもうあっちの部屋に行ってお父さんを起こしたりはしない、って約束できるわね?」
「約束するよ」
念のために言っておくが、わたしは確かに言われた通りにするつもりだったのだ。お金が大きな問題だということはわたしにもよくわかっていたし、金曜日に来るおばあさんのように、物乞いをして歩くのは絶対にいやだった。母はおもちゃを残らずベッドのまわりに丸く並べて、わたしがベッドから出るとかならずどれかにぶつかるようにした。
目が覚めたときは約束をよく覚えていた。起きると床にすわって遊んだ――何時間も経ったような気がした。そこでわたしは椅子に乗って、屋根裏部屋の窓からさらに何時間も外を眺めた。父が起きる時間になればいい、誰かお茶をいれてくれないかなあ、と考えた。とてもではないけれど、太陽のような気分にはなれなかったし、退屈だった。おまけにひどく寒かった! 暖かくてふかふかの、分厚い羽布団のかかったベッドが恋しくてたまらない。ついにわたしはこれ以上がまんができなくなった。そうして隣の部屋に行ったのだった。やはり母の側にはもぐりこめる場所がなかったので、母の体を乗り越えようとしたところで、母が驚いて目を覚ました。「ラリー」ささやきながら、わたしの腕をきつくつかんだ。「約束を忘れちゃったの?」
「ぼく、約束を守ったよ」現場を取り押さえられたわたしは、半ベソをかいた。「すごーくすごーく長い間、静かにしてたもん」
「おやおや、この子は凍えてるじゃない!」母は悲しそうな声を出して、わたしの体をこすった。「さあ、ここにいたいんだったら、おしゃべりしないって約束してちょうだい」
「だけどママ、ぼく、お話がしたいよ」わたしは泣いた。
「そういうことを言ってもだめ」母はわたしが聞いたことのない、厳しい口調で言った。「お父さんは眠らなくてはならないんですからね。さあ、わかったでしょ?」
わたしには一点の曇りもないほどはっきりとわかった。ぼくはお話がしたくて、あいつは寝たいんだろ? じゃ、この家はいったいぜんたい誰のものなんだ?
「ママ」わたしも負けずに決然とした声を出した。「お父さんは自分だけのベッドで寝た方が健康にいいと思うよ」
このことばを聞いて、母はことばを失ったようだった、というのも、しばらく何も言わなかったから。
「さあ、これっきりよ」母は続けた。「ものすごーく静かにしてるか、自分のベッドに戻るか。どっちにする?」
この不当な仕打ちにわたしは意気消沈してしまった。母みずからが口にしたことばによって、その誤りを悟らせようとしたのに、母は無視することで応えたのだ。腹いせにわたしは父に一発蹴りをお見舞いした。母は気がつかなかったが、父はうめき声をあげると、驚いて目をかっと見開いた。
「いま何時だ?」パニックに襲われたような声で、母ではなくドアの方を、まるで誰かがそこにいるとでもいうように見つめた。
「まだ早いわ」母はなだめるように言った。「子供のやったことよ。もういちどおやすみになって……さあ、ラリー」そういうと、ベッドから出た。「お父さんを起こしてしまうような子は戻らなきゃだめ」
母のしゃべり方は、語調こそ穏やかだったが、わたしにはその意味するところがよくわかった。同時にわたしの重要な諸権利や特別待遇が、いま主張しておかなければ、永久に失われてしまうこともわかっていた。母がわたしを抱き上げたとき、わたしは悲鳴を、死者さえも起こさずにはおれないほどの悲鳴をあげた。おまえなんかに負けないからな、という気持ちをこめて。
父はうめいた。「このいまいましいチビが。こいつは眠るってことをしないのか?」
「癖がついてしまったのよ、あなた」母の声は静かだったが、困惑していることはよくわかった。
「なら、いまがその癖を改める潮時だ」父はそう怒鳴ると、ベッドが大波のように持ち上がった。ベッドの上掛けを全部自分の方へたぐりよせ、壁の方に寝返りをうったのだ。それから肩越しにこちらを振り返って、黙ったまま敵意に満ちた二つの小さな黒い目でにらんだ。男はひどく邪悪な表情をしていた。
寝室のドアを開けるために、母はわたしをおろした。そこでわたしは悲鳴を上げながら、部屋の端から反対側の端まで走った。すると父はベッドにがばっと半身を起こし「黙れ、この犬ころが」と息が詰まったような声で怒鳴ったのだった。
呆然としてわたしは泣き叫ぶのをやめた。これまでただの一度もこんな調子でものを言われたことがなかった。とても信じられない思いで父を見ると、その顔は怒りにひきつっていた。神様がわたしをだましていたことをいやというほど思い知らされた。わたしのお祈りに応えて無事に返したのがこんな怪物だったなんて。
「おまえこそ黙れ!」我を忘れてわたしは叫んだ。
「なんだと?」父は叫ぶと、かんかんになってベッドから飛び降りてきた。
「ミック、ミックったら!」母は悲鳴をあげた。「この子はまだあなたに慣れていないのよ」
「ここまで大きくなる前に、もっとしつけておかなきゃならなかったな」乱暴に腕をふりまわして大声で怒鳴った。「ケツをひっぱたいてやる」
それまで怒鳴ったことも、わたしの体のある部位をこんな下品なことばで呼ぶことに比べればものの数ではなかった。わたしはこんどこそほんとうに血が煮えくりかえる思いだった。
「たたきたけりゃ自分のをたたけ!」わたしは声をひきつらせて叫んだ。「自分のをたたけよ! だまれ! だまれ!」
かっとした父は、わたしのところへ飛んできた。だが、ことばを失った母のまなざしを浴びて、父の手には力がこもらず、結局は一度叩いただけで終わった。だが、わたしにしてみれば、こんな見ず知らずの男にぶたれるなんて、これほどの屈辱はなかった。このよそ者は、何も知らないわたしが神様にお願いしたばっかりに、戦争から帰ってくるとうまいことを言って大きなベッドにもぐりこんで、わたしにこんなばかげたまねをさせている。わたしは繰り返し金切り声をあげ、裸足で地団駄を踏んだ。半袖の灰色の軍支給のシャツを身につけただけの父は、不格好な毛むくじゃらの姿で、殺してやる、とでも言わんばかりにわたしを上からにらみつけていた。おそらくこのとき、彼もまたわたしを妬んでいるのだ、と理解したように思う。母は寝間着のままそこに立ちつくしていたが、わたしたちのあいだで胸を引き裂かれているように見えた。ほんとうに、心の底からそう感じていればいい。わたしはそれも当然の報いだと思っていた。
その朝から、わたしの毎日の生活は地獄になった。父とわたしは公然たる敵同士となったのである。小競り合いを幾度も重ね、彼がなんとかわたしから母と過ごす時間を横取りしようとすれば、わたしも同じことを仕返した。母がわたしのベッドに腰かけてお話を聞かせてくれていると、父は、戦争が始まってすぐのころに、ここらへんにおいといたはずなんだがな、などと言いながら、古いブーツを探しにくる。父が母と話し始めると、わたしはふたりの話などちっとも興味がないことを見せつけようと、大声でおもちゃに話しかけるのだった。
ある晩、仕事から帰ってきた父は、わたしが父の箱から連隊章やグルカ・ナイフ、ボタン磨き用の棒などで遊んでいるのを見つけてひどく腹を立てた。母は急いでわたしからその箱をとりあげた。
「遊んでいいよ、ってお父さんが言ってくださるまでは、お父さんのおもちゃで遊んだりしちゃだめなのよ、ラリー」母の声は厳しかった。「おとうさんだってあなたのおもちゃで遊ばないでしょう?」
どういうわけか父は母にひっぱたかれでもしたような顔つきになって顔をしかめると、そっぽを向いた。「おもちゃなんかじゃない」と苦々しげな声で言い、箱をまたおろして、わたしが何か取っていないか調べ始めた。「この手のものは、滅多にお目にかかれないような、値打ちものなんだからな」
時間がたてばたつほど、父がなんとかして母とわたしを引き離そうとしていることはいよいよはっきりしてきた。さらに悪いことに、父のやり口も、父のどんなところが母を引きつけているのかも、わたしにはどうしても理解できなかったのだ。あらゆる可能性を考慮に入れても、わたしが彼に及ばない点などありはしないのだから。
彼のことばには粗野ななまりがあったし、お茶を飲むときにはひどい音をたてた。しばらくのあいだ、もしかしたら母が興味を抱いているのは新聞なのかもしれないという気がして、わたしは自作のニュースを母に読んでやった。それからつぎに、煙草だろうか、と思って、というのもわたしも煙草はなかなかカッコいいものだと思っていたからなのだが、父のパイプをくわえてよだれをそのなかにたらしながら家中を歩き回っていたところ、とうとう父に見つかってしまった。お茶を飲むときに音を立ててみたことさえある。だが、母に、そんなみっともないまねはおよしなさい、と言われただけだった。
結局のところ、何もかもが一緒に寝るという不健康な習慣のせいにちがいない、と考えたわたしは、あえてふたりの寝室に入っていった。あっちやこっちに鼻をつっこんだり、ぶつぶつひとりごとを言ってみせたりしたから、よもやふたりが、自分たちが監視されているなどとは夢にも思わなかったにちがいない。にもかかわらず、わたしの目をとらえるようなものはなにひとつないのだった。しまいにわたしはがっかりしてしまった。どうやら大人になると、みんながあげる指輪のせいらしい。それまで待つしかない、とわたしは悟ったのである。だが、わたしはただ待っているだけで、戦いをあきらめたわけではないということを、父に思い知らせてやらなくては、と考えた。
ある晩のこと、父の態度はことのほか鼻持ちならず、わたしの頭ごしにぺちゃくちゃしゃべり散らかすものだから、ついにそれを実行することにした。
「ママ」わたしは言った。「ママはね、ぼくが大人になったら何をしようと思ってるか、知ってる?」
「知らないわ。何がしたいの?」
「ぼく、ママと結婚するんだ」わたしは落ち着いて答えた。
父は大声で笑いだしたが、わたしはだまされなかった。笑っているふりをしているだけじゃないか、お見通しだぞ。
母はこうした状況にもかかわらず、うれしそうだった。おそらく、いつの日か父の束縛から解放されることがわかって、ほっとしたにちがいない。
「すてきねえ」母はにっこり笑った。
「すごくすてきなことなんだよ」わたしは自信たっぷりに続けた。「だってね、ぼくたち、赤ちゃんをたくさんたくさん生むんだよ」
「そのとおりね、坊や」母は優しい声でそう言った。「うちにもうじき赤ちゃんが生まれるの。そしたらあなたもたくさん相手をしてあげてね」
わたしはそれを聞いて、天にも昇るほどうれしかった。父の言うがままになっていても、わたしの願いを忘れてはいなかったのだから。それに、これでジーニー家を上回ることができる。だが事態はそうは進まなかった。まず、母は心ここにあらず、といった具合になってしまい――17ポンド6ペンスをどこから工面しようか頭を悩ませているにちがいない、とわたしは思った――父は夜遅くまで起きているようになったが、これはわたしにとって別段良い兆候でもなんでもなかった。母は一緒に散歩に行くのをやめてしまい、ひどくピリピリするようになり、特にこれという理由もないのにわたしをぶつのだった。ときどき、わたしは災いの種のような赤ん坊のことなど、言わなければよかったと思った。どうやらわたしは災難を呼ぶ達人らしい。
実際、そいつは災難だった! 赤ん坊はすさまじい大騒ぎとともにやってきて――たかが生まれる程度のことでさえ、騒ぎを起こさずにはいられないやつなのだ――、一目見るなりわたしはそいつが大嫌いになった。やつは扱いにくい子供だった――とりわけ、わたしが相手をしてやるときは、かならず機嫌を悪くした。おまけに、のべつまくなしに人の気を引こうとする。母は実際、やつに対しては馬鹿同然で、わざとそうしているのにそれがわからないのだ。遊び相手として役に立たないなどというレベルではない。一日中寝ているばかりだし、わたしはやつが目を覚まさないように、家の中をつま先で歩かなければならなかった。父を起こさないようにすることなど、いまではものの数ではなかった。もはやスローガンは「坊やを起こさないで」に変わったのだ。わたしには赤ん坊がなぜちゃんとした時間に寝ようとしないのか、どうしてもわからなかったから、母の姿のないときは、いつも赤ん坊を起こした。ときどき眠らないようにつねったこともある。それもそのうち、母に見つかって、情け容赦もない平手打ちを喰らっただけだった。
ある日の夕方、父が仕事から帰ったとき、わたしは前の庭でおもちゃの汽車で遊んでいた。父には気がつかないふりをして、その代わりにわざと大きな声でひとりごとを言った。
「もしもうひとり、あのどうしようもない赤ん坊がこの家に来るようなことがあったら、ぼくは出ていくからな」
父の脚がぴたりと止まり、肩越しにわたしを見下ろした。「おまえはいまなんて言った?」と厳しく聞いてきた。
「ひとりごとを言っただけ」うろたえたわたしはあわててそう答えた。「個人的なことだよ」
父は一言も言わず、背を向けて行ってしまった。
確かにわたしは重大な警告を発したつもりではあったのだが、その効果はまったくちがうものとなって現れた。父がひどく優しくなったのである。もちろんわたしにはその理由がわかった。赤ん坊のせいで、母にはまったくうんざりしてしまったのだ。母ときたら、食事中にさえ立ち上がって、ゆりかごの赤ん坊を馬鹿になったような笑みを浮かべて、ぽかんと口を開けたまま眺めている。そればかりか、父に対しても、あなたもそうしてみて、とうながすのだから。父はいつも如才なく調子を合わせていたが、当惑顔をしていたところを見ると、母がいったい何を言っているのかよくわからなかったにちがいない。彼は赤ん坊が夜中に泣くとこぼしたが、とたんに母は不機嫌になって、坊やは何も理由がないときには泣いたりしません、と言うのだった。だがそんなことは真っ赤な嘘で、赤ん坊は何でもなくても、注意を引きたいというだけで泣くのだから。母が愚かであることを知るのは、たいそうつらいことだった。
父が好ましくなったわけではなかったが、彼はちゃんとした知性を備えていた。やつの正体を見抜いていたし、わたしが父同様見抜いていることもわかっていたのだ。
ある晩のこと、わたしはびっくりして目を覚ました。わたしの横に誰かいる。ぎょっとした瞬間、母にちがいない、分別をとりもどして、永久に父を見捨てたのだ、と思った。ところがそのとき、隣の部屋で赤ん坊の泣きだし、母の声が聞こえた。「よし、よし、よし」そこでわたしはわかった。これは父なのだ。父はわたしの隣で横になって、まんじりともしないままに荒い息をしていた。ひどく腹を立てているらしい。しばらくしてわたしは彼の怒っている理由がわかった。今度は父の番だったのだ。大きなベッドからわたしを追い出したあと、つぎに自分が追い出されたのだ。母の頭はいまではあのいやらしい赤ん坊でいっぱいだったから。
わたしは父がかわいそうでならなかった。わたし自身がその経験をくぐり抜けてきたのだ。わたしは年こそ幼かったが、寛大だった。彼の背中を優しくたたいてこう言ってやった。
「よし、よし、よし」
父はいっこうに反応しない。「おまえも眠れないのか?」うなるようにそう聞いた。
「ねえ、ぼくの方に腕をまわしていいんだよ」わたしは言うと、父はおそるおそる、としか言いようのないやり方で、そっと腕をのばしてきた。その腕はごつごつと骨張っていたが、何もないよりはましだった。
クリスマスが来ると、父はわざわざ出かけていって、わたしのために実にすばらしい鉄道模型を買ってくれたのだった。
The End
ヒーローではない人びと
フランク・オコナーという作家については、作品を読む前に、彼の短編論の方から知るようになっていた。青山南の『アメリカ短編小説興亡史』にはこうある。少し長いが引用しよう。
…長編の主人公は、たいがい、じぶんのいる社会を極度に意識していて、社会となんらかのかたちで折り合いをつけようとしている、とオコナーは言う。社会にたいする態度がどんなものであれ、主人公はノーマルな社会の存在をはっきりかんじているというのだ。
「ノーマルな社会があるという概念がなかったら、長編は成立しえない、と言ってもいいだろう。」
しかし、短編の場合は、そこに登場する人物は、たいてい、じぶんのいる社会を意識していない。じぶんはそんなものからはずれている、と考えている。短編ではいつも、社会からはぐれた者が社会の端っこをとぼとぼ歩いているのだ、とオコナーは言う。
「昨今、現代小説が話題になると、小説からヒーローがいなくなった、とよく言われる。しかし、短編には、もとから、ヒーローなどいたためしはないのだ。そこにいるのは、いまひとつ言葉がふさわしくないが、a submerged population group のひとたちである。」
そう、オコナーの短編論のキーワードはこの a submerged population group である。訳すと、「人目につかないひとたち」とか「とくに目立たないひとたち」とか「隅っこに追いやられているひとたち」ということになるだろうか。
(青山南『アメリカ短編小説興亡史』(筑摩書房)
オコナーがこの短編小説論 " The Lonely Voice" を書いたのは1963年のこと。だから、「ノーマルな社会があるという概念がなかったら、長編は成立しえない」ということばはドストエフスキーの長編には当てはまっても、現代の長編小説、たとえばポストモダンノヴェルには必ずしも当てはまるとはいえない。たとえばピンチョンの主人公たちは明らかに「ノーマルな社会の存在」を疑っているし、ピンチョンが疑うことによって、まだどこかに意識している「ノーマルな社会」は、バーセルミに至っては影も形もない。そうした長編小説はオコナーの定義とはもはやずれてしまっている、と言ってもいいかもしれない。
それでも「隅っこに追いやられているひとたち」が短編小説の主人公である、という定義は、いまなお短編小説の性質をよく表しているように思う。
「わたしのエディプス・コンプレックス」の主人公は、五歳の少年である。「大人の世界」のなかで「隅っこに追いやられている」子供は、ずいぶん大人とはちがう見方で世界を見る。わたしたちはラリーの目を通して、地上1メートル10センチあたりに据えられたカメラを通して見えてくる「ノーマルな社会」とは少しちがう世界を目にする。
この短編のなかには五歳の男の子が理解できないこと、気がつかないようなこと、彼独特の論理の世界に当てはまらないようなことは見事なまでに排除されている。だが、それを伝える語りは、的確な大人の言葉遣いだから、逆に「子供の視線の先」が正確に再現されているのだ。わたしたちは魚眼レンズを通して世界を見るように、オコナーの短編を通して、子供の目で世界を見る。だが、すでにわたしたちは「ノーマルな世界」を知っているから、そのずれに、わたしたちは笑いを誘われ、ときにはっとする。
だれもがかつては子供だったのに、わたしたちはもはや子供のころと同じ目で世界を見ることはできない。それでも、決して忘れたわけではない証拠に、心ここにあらずの状態では、ほんの数分遊んだだけで「何時間もたったような気が」することや、なにやら考え込んでいる母親を「17ポンド6ペンスをどこから工面しようかと考えているのだ」と思う彼の思考を、ちゃんと理解できる。もはやそういう見方をすることはなくても、わたしたちのどこかに、そのころの思考法や記憶や世界観の痕跡が残っているのだろう。オコナーの短編は、そこにあることさえ忘れてしまった記憶の扉を開けてくれる。
だが、オコナーのもうひとつの特色は、その暖かさである。五歳の男の子であっても、自分と敵対していた人物に対しても「かわいそうでならない」気持ちになり、相手を思い遣り、慰めてやろうとする。「隅っこに追いやられ」た経験を持つ者は、たとえ子供であろうと、同じ境遇の相手に優しさをもって接する。
父親とほとんど一緒に過ごしたことのなかった男の子が、復員してきた父親に対する嫉妬や対抗意識を「エディプス・コンプレックス」と呼んで良いものかどうか、わたしにはよくわからない。それでも、このなじみのない父親に対する反感と対抗意識を「エディプス・コンプレックス」になぞらえることによって、「男の子と父親が次第に心を通わせていく」という、要約してしまえばあまりにありふれた物語が、まったく新しい物語となった。
フランク・オコナーはこうも言っている。「短編は……さまざまな問題を扱うのではない。解釈を指示するわけでもない。人間の条件を伝えるに過ぎないのである。」
初出June 27-July 2,2008 改訂July.12, 2008
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