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第一部




 序.グロテスクな人々についての本


 作家は口ひげの白くなった老人で、ベッドに入ろうとすると多少の難儀を強いられる。部屋の窓は高く、朝、目が覚めたとき、木立が見えたらどんなにいいだろう、と思った。だから窓の高さまでベッドをあげるため、大工を呼んだのだった。

 ところがそれが大変なことになった。やってきた大工は、南北戦争に従軍した経歴のもちぬしで、部屋に入るなり、どっかりと座り込んで、ベッドを持ち上げるひな壇を作ると言い出した。作家がそこらへんに転がしていた葉巻を、大工は吹かした。

 しばらく壇の話をしていたふたりだったが、そのうちに話題はそれていく。元兵士の大工は、戦争の話を始めた。実際は、作家のほうがそちらに水を向けたのだが。大工は、捕虜になってアンダーソンヴィルの収容所に入った経験があり、そこで弟も失っていた。弟の死因は餓死で、それにふれるたび、大工は泣くのだった。作家同様、白い口ひげを生やた大工が、唇を引き結んで嗚咽をもらすと、口ひげも上下に震える。葉巻をくわえたままむせび泣く老人の姿は、どこか滑稽なところがあった。ベッドを高くするという作家の思惑は忘れ去られ、大工が勝手に仕事をしてしまったために、六十歳を越える作家は、夜になると椅子を使って自分で身体を持ち上げて、やすむ羽目になったのだった。

 作家はベッドのなかで寝返りをうって横向きになると、そのままじっとしていた。もう何年も、心臓には不安があった。大変な煙草飲みであったし、不整脈もある。いつか思いもよらないときに死ぬのではないか、とずっと思っていたし、ベッドに入るとそのことを考えるのが常だった。別に不安だったわけではない。それが及ぼす影響というのは、実際、ひどく特殊だったし、とてもひとことで説明できるような性質のものではなかった。

こうして床について死ぬことを考えていると、ほかのどんなときよりも、生きている実感が湧いてくる。身じろぎもせず横たわっているその肉体は、老い、もはやたいした役には立たない。にもかかわらず、その内には極めてみずみずしいなにものかがあった。子を孕む女のように。ちがうことといえば、彼の内にあるのは、赤子ではなく、若者なのだった。いや、若者ではない、それは、女、若く、騎士のように鎖帷子をまとった女性なのである。そう、愚かなことだ。高いベッドに横たわり、心臓の音に耳を澄ましている、老いた作家の内に何が存在しているのかをことばにしようとすることなど。理解しようとするのなら、この作家が、あるいは彼の内のみずみずしいなにものかが考えていることのほうだ。

 年取った作家は、あらゆる人々と同様、長く生きるうちに、それはそれはたくさんの考えを頭に詰め込んできていた。昔は男っぷりがよかったので、多くの女性と浮き名を流したものだ。もちろん、作家は人間のことを知っていた。多くの人間を、みなさんやわたしが知っているのとはちがう、奥深くまで踏み込んだ独特のやりかたで理解していた。少なくとも作家はそうおもっていたし、そう考えていい気分でもあったのだ。ともかく、その頭にあることをめぐって老人と言い争ったところで、なんにもなりはしない。

 ベッドのなかで、作家は夢とも幻ともつかないものを見ていた。うとうととしかけてはいたが、まだ意識はあった。そこに、いく人もの人影が浮かび上がってくるのだ。作家の内にある、なんとも形容しがたいみずみずしい何ものかが、目の前の人々の群れをつぎつぎに引き出しているのだ、と思った。

 この話のおもしろいところは、作家の眼前を過ぎゆく人々の姿だ。みながみな、グロテスクなのだ。男も女も、かつて作家が知っていた人々がみな、グロテスクになってしまっていた。

 グロテスクといっても、一様におぞましいというわけではない。魅力的なものもおれば、美しいといってかまわない姿もあり、すっかり容姿の衰えた女性が見せるグロテスクなさまには、作家の胸も痛くなった。その女が通り過ぎていくとき、作家は子犬がクンクン鳴くような声を出した。もしだれか、この部屋に入ってくる者があったなら、老人が悪い夢を見ているか、消化不良でも起こしているにちがいないと思ったことだろう。

 グロテスクな人々の行列は、一時間かけて老人の前を行き過ぎていった。そうして、ベッドから降りるのはたいそう苦痛だったけれど、なんとかそこから這いだして、書きものを始めたのだ。グロテスクな姿のひとつに深い印象を受け、なんとかことばにしたいと思ったのである。

 作家は、一時間のあいだ書き続けた。そしてとうとう一冊の本を書き上げ、『グロテスクな人々についての本』と題名をつけた。出版されることはなかったが、わたしはかつてそれを読み、とうてい忘れられないほどの感銘を受けたのだ。その本の中心的な思想は、大変奇妙なもので、ついぞわたしの心を去ることはなかった。その本を思い起こせば、それまで理解し得なかった人々やものごとが理解できるように思えた。その思想というのはひどく込み入ったものなのだが、簡単にまとめてみると、おおよそ次のようになるだろう。

 世界がまだ始まったばかりのころは、無数の思想が存在してはいたが、真実などというものはなかった。人間が自分なりの真実を作り上げたのだ。ひとつひとつの真実は、無数の、漠然とした思想の寄せ集めだった。 こうして世界中いたるところに真実が存在するようになり、そのどれもが美しいのだった。

 老人は、自分の本のなかで、何百もの真実を列挙した。ここでそのすべてをあげるつもりはない。処女性についての真実もあれば、情欲についての真実もあり、富の真実があれば、貧困の真実もある。節約の真実と浪費の真実、無頓着の真実、奔放の真実もあった。何百、さらにもう何百という真実があり、そのどれもが美しかった。

 そこに、ある人々がやってきた。ひとりが現われるたびに、真実をひとつつかんでいった。よほど強いものたちは、十個以上つかむこともあった。

 人々はその真実によって、グロテスクになったのだ。老人はこの現象に関してはたいそう精密な理論をうち立てていた。その考えによると、ひとりの人間が、ひとつの真実を自分のものとしてに取り上げた瞬間、これはわたしのものだと宣言した瞬間、そうして、それにもとづいて自分の人生を生きようとした瞬間に、グロテスクになってしまい、受け容れた真実も、うそっぱちになってしまう、というのである。

 みなさんはこの老人がこの話題を何百ページにも渡って展開したにちがいない、と思うかもしれない。なにしろ一生を通じて書き続け、全身、言葉で充満しているような人物であったから。この主題が頭の中で肥大化し、作家自身、グロテスクになっていく危険もあった。だが、そうすることはなかったのだと思う。おそらくその本を決して出版しようとしなかったのと同じ理由で。つまり老人は、彼の内にあるみずみずしいものによって救われたのである。

 わたしが作家のベッドを直した年寄りの大工にふれたのは、いわゆる「ごくふつうの人々」と同じように、作家の本に登場したさまざまなグロテスクな人々のなかで、理解でき、愛することもできる存在にかぎりなく近かったからなのである。






 1. 手


 オハイオ州ワインズバーグの町にほど近い、山あいの崖のそばに、ぽつんと一軒、小さな木の家があった。こわれかけたポーチでは、太った小柄な老人が、落ちつかなげに行きつ戻りつしている。目の前には、老人がクローバーの種を撒いたにもかかわらず、黄色いカラシ菜ばかりがはびこる畑が広がっていた。その向こうの街道では、畑から戻るいちごつみ人夫を満載した荷馬車が通っていく。いちごつみは若い男や娘たちで、笑ったり、大声をあげたりでかまびすしい。青いシャツをきた少年が荷馬車から飛び降りると、ひとりの娘を自分のほうに引き寄せようとし、娘のほうが、キャッ、と悲鳴をあげてはねつけた。少年の足が地面を蹴ると、土ぼこりが雲のようにたなびいて、沈む夕日をさえぎった。娘らしい細い声が、広々とした畑を渡ってくる。

「おーい、ウィング・ビドルボーム、前髪が目に入ってるわよ、とかしなさーい!」
有無を言わせぬその調子に、禿頭の男は、もつれた前髪をかき上げでもするように、むきだしの白い頭を、神経質そうな小さな両手でなで上げた。

 ウィング・ビドルボームは、いついかなるときも、疑惑の影の数々につきまとわれ、おびやかされていて、ここに住みついてから二十年にもなるというのに、自分が町の一員だとはとうてい思えないのだった。ワインズバーグの住人で親しいのはただひとり。ニュー・ウィラード旅館の主人トム・ウィラードの息子、ジョージ・ウィラードとだけは、なんとか友情めいたものを築いていた。ジョージ・ウィラードは『ワインズバーグ・イーグル』紙の記者で、ときどき夕方になると、街道を歩いて、ウィング・ビドルボームの家にやってくる。いま落ちつかなげに手を動かしつつ、ポーチをを行ったり来たりしながら、老人は、ジョージ・ウィラードが今夜もやって来て、一緒に過ごしてくれたら良いのだが、と思っているのだった。いちごつみ人夫をのせた荷馬車が行ってしまうと、丈の高いカラシナが繁る畑を横切って、柵によじのぼり、不安げな面持ちで、道の向こう、町の方向をうかがった。そこに立ってしばらく手をこすってみたり、道の左右をきょろきょろとうかがってみたりしていたが、やがて不安に耐えかねて、大急ぎで家に戻ると、ふたたびポーチを行ったり来たりし始めた。

 二十年このかた、町の住人にとっては謎の人物だったウィング・ビドルボームも、ジョージ・ウィラードと一緒にいるときは、気おくれも陰気なところも、いくらかは薄らいで、ふだんは疑心暗鬼の底に潜んでいる、謎に包まれた正体が、外界をうかがいに浮かび上がってくるのだった。若い新聞記者と一緒なら、昼日中のメイン・ストリートに思い切って出かけもするし、自分の家のおんぼろのポーチをおおまたで行ったり来たりしながら、夢中になってしゃべったりもした。そういうときにはいつものくぐもって震える声も、甲高く騒々しくなり、曲がった背も、まっすぐにのびた。釣り師の手で川に戻された魚が、体をくねらせながら泳いでいくように、無口なビドルボームが、長年の沈黙のあいだ、胸のうちに溜まりに溜まった思いをなんとか言葉にしようと、必死になって喋り始めるのだった。

 ウィング・ビドルボームの手は、多くを語る。ほっそりして表情豊かな指は、倦むことなく動き続け、ふだんはたえずポケットの内や身体の背後に隠れよう、隠れようとしているその手が前に伸びてきて、彼の言葉を繰り出す歯車のピストン棒となるのだった。

 

 ウィング・ビドルボームの物語は手の物語である。ウィングという名も、かごに閉じ込められた鳥が羽根をバタバタさせるように、その手が休むことなく動くところから来ていて、町に住む無名の詩人が名付けたのだった。その手は、もちぬしを怯えさせてもいた。できるものなら隠しておきたくて、畑で一緒に働いている男や、田舎道を眠そうな馬に引かせている御者の無口で表情のない手を、驚きのまなざしで眺めてしまうのだった。

 ジョージ・ウィラードに話しかけるときは、ウィング・ビドルボームは拳を固めて、テーブルや壁を叩いた。そうしていると、いっそう落ち着けるからだった。野外を一緒に歩いているときに話したくなってくると、切り株や柵のてっぺんの横板をさがして、そこをせわしなく叩きながら、落ち着きを取り戻してから話すのだった。

 ウィング・ビドルボームの手の物語は、それだけで一冊の本を書く価値がある。思いやりをこめて語られさえすれば、名もない人々の内にひそむ、奇妙で美しい資質を引き出すこともできよう。けれどもそれは詩人の仕事だ。ワインズバーグでその手が人目を引いたのは、単によく動くというだけだった。その手でウィング・ビドルボームは一日にバケツ十四杯分のいちごをつんだこともあった。手は彼の特徴であり、有名になったのもその手のためだった。反面、そうでなくともグロテスクでとらえどころのない人間が、その手のせいでなおのことグロテスクにも見えたのだ。ワインズバーグの人々は、ウィング・ビドルボームの手を自慢に思っていたが、銀行家のホワイト氏の新築の石造りの家や、クリーヴランドの秋のレースで二分十五秒の追い込みで、ウェズレー・モイヤーの馬、栗毛のトニー・ティップのことを誇らしく思うのと同じことだった。

 ジョージ・ウィラードのほうは、これまでにも何度もその手のことを聞いてみたいと思っていた。ときに、どうしようもなく知りたくてたまらなくなる。だが、その手のなんともいえない動きや、隠れよう、隠れようとしたがっているのには、理由があるにちがいない、と思っていても、日ごと、ウィング・ビドルボームを尊敬する気持ちが増していくために、胸を去ることのない疑問がうっかり口をついて出ないよう、気をつけているのだった。

 あわや聞きかけたこともある。ある夏の午後、野原を散歩していたふたりが、草の生い茂る斜面に腰を下ろそうと立ち止まったのだった。その日、ウィング・ビドルボームはずっと、ものに憑かれたように話し続けていた。柵の傍らで歩を止めて、巨大なキツツキのようにてっぺんの横板を叩きながら、ジョージ・ウィラードに向かって、きみはまわりの人間に影響されすぎる傾向があるぞ、ととがめていた。
「そのうち自分をダメにしてしまうぞ」と、大きな声で言った。「もともと、ひとりで夢想していたいのに、夢想することを怖れている。町のほかの連中と同じになりたがっているんだ。連中が話すのを聞いて、真似ようとしているだろう」

 草におおわれた土手に座って、ウィング・ビドルボームは自分が間違っていないことを認めさせようとした。その声は穏やかでどこか懐かしい響きを帯び、満足げな吐息をもらすと、くどくどとりとめのない話を始めたが、ちょうど夢のなかで道に迷ったような話しぶりだった。

 夢から抜け出したウィング・ビドルボームは、ジョージ・ウィラードに一幅の絵を描いて見せた。絵のなかで人々は、いまふたたび牧歌的な輝かしい時代に戻って暮らしていた。緑のひろびろとした野原を渡って、すらりとした手足の若者たちがやってくる。あるものは徒歩で、またあるものは、馬にまたがって。大勢の若者たちは老人の足下に集まってくる。老人は、小さな庭の木の下にすわって、みなに話をするのだった。

 ウィング・ビドルボームはひどく感情をたかぶらせていた。このときばかりは手のことも忘れてしまっていた。手はこっそりと前へ出てくると、ジョージ・ウィラードの両肩にかかった。なにかこれまでにはなかった大胆な気配が、その声音にもあらわれてきていた。「いままでに習ったことは、みんな忘れなきゃならない。夢見ることを始めなければ。これからは世間のやかましい声に耳を貸しちゃいけない」

 演説の途中でひと息つくと、ウィング・ビドルボームは、しばらくジョージ・ウィラードの顔を見つめた。その目はきらきらと輝いていた。もういちど両手をあげて、肩をなでようとしたところで、恐怖の色が顔に浮かんだ。

 身をひきつらせるようにしてウィング・ビドルボームはとびあがると、ズボンのポケットに両手を深く突っ込んだ。目には涙が浮かんでいる。「家に帰らなくては。きみとはもう話しちゃいけないんだ」と神経質そうに言った。

 老人は振り返ることもなく、丘を駆け下り、草原を横切っていく。残されたジョージ・ウィラードは、草深い土手に座ったまま、とまどい、おびえていた。不吉な胸騒ぎに身を震わせながら、立ち上がって町へ戻る。「手のことを聞いてはいけないんだ」老人の目に浮かんだ畏れの色を思い起こしながら、心を深く動かされていた。「何か変ではあるけれど、この正体を探ってはいけないんだ。あの人がぼくや世間を怖れていることと、あの手には関係があるんだ」


  ジョージ・ウィラードは正しかった。ここでこの手の物語を簡単に振り返ることにしよう。わたしたちが待ち望んで旗を振るだけではなく、その話をしていれば、手に秘められた魔力の不思議な話を語ってくれる詩人も現われてくれよう。

 若き日のウィング・ビドルボームは、ペンシルヴァニアで学校の先生をしていた。そのころは、ウィング・ビドルボームではなく、アドルフ・マイヤーズというもっと固い響きの名前ではあったが。アドルフ・マイヤーズであったころ、彼は生徒にたいそう愛される教師だった。

 アドルフ・マイヤーズには、子どもたちの教師になるべく生まれついているようなところがあった。力でもって人を抑えつけることをしないために、もの柔らかさが愛すべき弱点とも受けとめられるような、ごく少数の理解されにくい人々がいるものだが、彼もまたそうしたひとりだった。こうした人々の教え子の少年たちに対する感情は、男を愛する女の細やかさに似ていなくもなかった。

 だが、これだけではあまりに言葉が足るまい。ここからは詩人の出番なのだ。生徒たちと一緒に夕方の散歩に出かけたり、学校の入り口の階段に腰掛けて薄暗くなるまで話し込んだりしているときのアドルフ・マイヤーズは、夢のなかをさまよっているようだった。手はひらひらと動き回り、少年たちの肩を撫で、もつれた髪をもてあそぶ。話すにつれ、その声は甘く、音楽的になっていく。声にも同様に愛撫するような響きがあった。その声にしても手にしても、つまり、肩をかるく叩いたり、髪の毛にさわったりすることも、ある意味で、教師が少年たちの心に夢を育もうとする努力の一環だったのだ。愛撫するその指で、自分を相手に伝えようとしていたのだ。生活を作りあげていくために力を焦点化させることなく拡散させてしまう人間がいるものだが、彼もまたそうした一人だった。だが、その手に愛撫されながら、少年たちは、疑念も不信の念も心から消え失せ、彼らもまた夢を見るようになるのだった。

 そこで悲劇が起こる。頭の多少鈍い生徒が、教師に夢中になってしまったのである。夜ベッドに入って、口にはできないような類の妄想を抱き、朝になって自分の夢をあたかも事実であるように語った。その半開きの口からは、奇妙でぞっとするような弾劾が垂れ流された。ペンシルヴァニアの田舎町は震え上がった。人々の胸の内にあった、アドルフ・マイヤーズに対する密かな、漠然とした疑念は、こうして信念にまで固まっていったのである。

 悲劇はぐずぐずしてはいなかった。寝ている子どもたちはたたき起こされ、震えているところを問いつめられた。「先生はぼくを抱きしめたよ」と、ひとりの子どもが言った。「先生はいつもぼくの髪をいじるんだ」と言った子どももいた。

 ある日の午後、町の住人で、酒場を営むヘンリー・ブラッドフォードが学校にやってきた。アドルフ・マイヤーズを校庭に呼び出すと、握り拳で殴りつけたのだ。おびえている教師の頭上めがけて固い拳をふりおろすうちに、ますますブラッドフォードは激高していく。びっくりした子どもたちは、悲鳴を上げながら、虫がばらばらと逃げ出すように、四方八方に散っていった。「ウチの子に手を出したら、どうなるか教えてやろうじゃねえか、このけだものめ!」酒場の主人は怒鳴ったが、そのころには殴るのにも疲れて、足蹴にしては校庭のあちこちへ飛ばしていた。

 アドルフ・マイヤーズはその夜のうちに、ペンシルヴァニアの町から追い出された。ランタンを手にした一ダースほどの男たちが、彼のひとり住まいに押し寄せて、服を着て出てこい、と命じたのだ。雨のそぼ降るなか、ひとりは手にロープを握っていた。教師を縛り首にするつもりだったが、その姿があまりに貧弱で青白く惨めったらしかったために、哀れをもよおし、逃がしてやることにした。暗闇のなかに姿を消してから、男たちは弱腰だったことを後悔し、追いかけ、罵りながら木ぎれや大きなつちくれを、後ろ姿目がけて投げつけた。マイヤーズは悲鳴をあげながら、暗闇の中を全速力で駆けていったのだった。

 アドルフ・マイヤーズがワインズバーグで一人で暮らすようになって、二十年が過ぎた。四十歳にしかならないのに、六十五歳には見える。ビドルボームという名前は、オハイオ州東部の町を目指して急いでいる途中の貨物駅で、貨物の箱に書いてあった文字から取ったのだった。ワインズバーグには、叔母さんが住んでいた。虫歯だらけの年寄りで、鶏を育てていたが、その叔母さんが亡くなるまで、そこに寄せてもらった。ペンシルヴァニアでのできごとがあってから一年間は、ずっと具合が悪かったのだが、快復したあとは、おどおどしつつもあちこち歩いて回ったり、自分の手を何とか隠そうとしたりしながら、農場で日雇いとして働いた。なにが起こったのかはっきりとは理解できなかったものの、自分の手に咎があったにちがいない、とは感じていたのだ。生徒の父親たちは、何度も何度も手のことを口にしていたから。「その手をひっこめろ」と、酒場の主人は校庭で怒りながら地団駄を踏み、そう怒鳴っていたのではなかったか。

 渓谷に近い家のヴェランダで、ウィング・ビドルボームが行ったり来たりしているうちに、日は沈み、原っぱの向こうの道も灰色の影におおわれて見えなくなった。家に入って、パンを数枚切って、蜜を塗る。今日一日のいちごの収穫を積んだ夜行貨物列車が、ガラガラと音を立てて行ってしまうと、夏の夜は静寂に包まれた。彼はふたたびヴェランダに出て、歩き回った。闇のなかでは手も見えず、落ち着いていられた。ウィラードがいてくれたら、という、痛いほどの思いは、胸を去ることはなかったけれど、というのも、ひとを愛する気持ちを表そうと思えば、ウィラードを通じるしかなかったからなのだが、そのいっぽうで、切ないほどの願いも、孤独と、待ち続けていくことの一部になってしまっていた。ランプに灯をともし、質素な食事で汚れた数枚の皿を洗ってしまうと、ポーチに通じる網戸のそばに折り畳みベッドを置いて、眠るために服を脱ごうとした。パンの白いかけらが、テーブル脇の、清潔に磨き上げられた床に四つか五つ、落ちている。低い椅子にランプを載せると、信じられないほどの速さでそのかけらをつまみあげ、口の中にひとつひとつ入れていった。テーブルの下、そこだけが明るい灯の下でひざまずく彼の姿は、教会で礼拝をする僧侶のようにも見えた。神経質そうな、表情豊かな指が、光と影を行きつ戻りつ、目にもとまらぬ速さで動くようすは、ロザリオの玉を十個ずつ、つぎつぎと繰り続ける敬虔な信者の指とみまごうほどだった。





 その老人は、白いあごひげを生やし、とてつもなく大きな鼻と手をしていた。わたしたちが老人を知るようになるはるか前には医者をやっており、くたびれた白い馬に馬車を牽かせて、ワインズバーグの通りを、一軒一軒往診して回っていたのだった。やがて、金持ちの娘と結婚する。父親の死後、広大で豊かな農場を相続したのである。もの静かで背が高く濃い色の髪をした、だれもが大変美しいと思うような娘だった。ワインズバーグの住人だれもが、なんであんな医者なんかと結婚したんだろう、といぶかった。結婚して一年もたたないうちに、この娘は死んだ。

 老人の指の関節は、並外れて太かった。手を握りしめると、関節はクルミ大の白木の玉が鉄の棒に連なっているようにも見えた。トウモロコシの穂軸で作ったパイプを吹かし、細君亡きあとは、一日中、だれもいない診察室の、クモの巣がはった窓の近くにすわっていた。窓は開けたためしがない。以前、八月の暑い日に開けようとはしてみたのだが、びくともしなかったために、それっきり、窓のことなど忘れてしまったのだった。

 ワインズバーグもまた、この老人のことを忘れてしまっていたのだが、リーフィ医師の内側には、なにかすばらしいものの種があるのだった。へフナー街のパリ服地商会の二階、かびくさい診療室にひとりこもって、医師は倦むことなく、組み立て、それをまた自分で取り壊す、という作業を続けていた。組み立てていたのは、真実という名の小さなピラミッドで、組み立て終わると叩きつぶすのは、あるいは、ほかのピラミッドを築くための真実を手に入れるためだったのかもしれない。

 リーフィ医師は背が高く、十年以上、一着のスーツを着ているのだった。袖口は綻び、膝や肘には小さな穴がいくつもあいている。診察室では上にリネンの白衣を着ていたが、そのばかでかいポケットには、いつも反古紙が突っこんであった。数週間もすれば反古紙は、いくつもの小さくて固い丸い玉になり、ポケットがいっぱいになると、床にぶちまける。十年間で友だちといえばただひとり、同じく老人の、ジョン・スパニアード、苗木園を持っている人物だった。ときどき、悪戯っぽい気分になると、リーフィ医師はポケットからひとつかみ紙つぶてをつかみだし、苗木園主にぶつける。「このくそったれ、おしゃべりの、泣き虫じじい」大声でそう言って、腹を抱えて笑うのだった。


 リーフィ医師の物語、そして彼と背の高い、濃い色の髪をした娘、のちに妻になり、財産を遺す女性が恋人だったころの物語は、たいそう好奇心をかきたてられるものである。それは味わい深い物語、ワインズバーグの果樹園でとれる、いびつで小さな林檎のような物語である。秋になって果樹園を歩いていると、足もとの地面は霜で固くなっているのがわかる。林檎は摘み手がすっかりもいでしまっていた。採取された林檎は樽につめられ、都会に出荷され、本や雑誌や家具や人でいっぱいのアパートメントで食べられることになるのだろう。木には、摘み手がもぐのをいやがった形の悪い林檎が、ほんの二、三個残っているだけだ。そうした林檎は、リーフィ医師の握り拳にそっくりだ。ためしに囓ってみると、たいそう美味なのである。飛び出した小さな丸いこぶに、実の甘さがそっくりつまっている。霜の降りた土を踏んで、木から木へと歩きまわりながら、でこぼこしていびつな林檎をもいで、ポケットをいっぱいにしていく。いびつな林檎の甘さを知っている人々は、ごく限られていた。

 娘とリーフィ医師の恋愛は、ある夏の昼下がりに始まった。医者はすでに四十五歳、ポケットに反古紙を詰めて、それで紙つぶてを作る癖は、すっかり身に馴染んだものになっていた。その癖は、くたびれた白い馬が引く馬車に乗り、田舎道をガタゴト行く間についた癖だ。紙切れには、考えたこと、考えたことの結末や、始めの部分が書いてあった。

 そうした考えは、リーフィ医師の頭に、ひとつ、またひとつ、と浮かんだものだ。多くの考えのなかから、医者はひとつの真実、心いっぱいを占めるほどに大きな真実を、形作っていく。その真実は、この世界さえも覆った。やがてそれは禍々しいものに変質し、やがてぼやけ、消えていき、そうして小さな考えがいくつもまた現れてくるのだった。

 背の高い濃い色の髪をした娘がリーフィ医師のところに来たのは、妊娠して、おびえてしまったからだった。娘がそうした状態になったのも、これまた不思議な成り行きが重なったためだ。

 両親が相次いで亡くなり、肥沃な土地を相続することになるとわかってから、求婚者の群れが娘を追い回すようになった。二年間というもの、毎晩のように娘の下を求婚者たちが訪れた。ふたりを除いては、どれも似たり寄ったり。どれほど愛しているかを熱っぽく語り、娘に相対するときには声もまなざしもひきつって、必死なのだった。そのふたりは互いに似たところがまるでない。ひとりは白い手をしたきゃしゃな青年で、ワインズバーグの宝石商の息子、ひっきりなしに処女性という言葉を口にする。娘といるときは、この話題からついぞ離れることがなかった。もうひとりは黒髪の耳の大きな青年で、何も言わない代わりに、なんとかして娘を暗がりに連れ込もうとし、そこでキスをし始めるのだった。

 最初のうち、背の高い濃い色の髪をした娘は、宝石商の息子と結婚しようと考えていた。だが、何時間も黙ったまま話を聞いているうちに、なんとなく不安になってきたのである。処女性について話すことばの裏には、ほかのだれよりも激しい情欲があるような気がする。ときどき、自分を両腕に抱きしめて話しているのではないか、と思うことさえあった。その白い手が、ゆっくりと自分に回され、じっと見つめられているような。夜になって見た夢のなかでは、彼が自分の身体に噛みついて、その顎から血がしたたっていた。娘はその夢を三度見て、ほどなく何も言わない青年と妊娠するような関係になった。だが、彼は激した瞬間、実際に娘の肩に噛みついて、そのために何日もその歯形は消えなかった。

 背の高い濃い色の髪をした娘は、リーフィ医師を知るようになると、もう二度と離れたくなくなったらしい。娘が診察室へ入ってきた朝、何も言わなくても、医者も娘の心を理解したようだった。

 診察室には女の患者、ワインズバーグの本屋の店主の女房がいた。昔風の田舎の開業医がそうだったように、リーフィ医師も抜歯を行っており、その患者もハンカチを歯にあてがい、うなりながら待っているのだった。亭主がつきそっていたのだが、歯を抜くときにはふたりして悲鳴を上げ、血が女房の白いドレスにしたたった。背の高い濃い色の髪をした娘は、それも目に入らない。夫婦が出ていくと、医者はにっこり笑った。「町はずれのほうまで行ってみようか」

 数週間ほどして、背の高い濃い色の髪をした娘と医者は、始終一緒にいるようになった。娘が診療所に行く原因となったあの状態は、病気ということで収まったが、娘のほうはいびつな林檎の甘さを知った人間のように、もう二度と都会のアパートメントで人が食べるような、丸くてきれいな林檎に気持ちを動かされることがなくなってしまっていた。医者と知り合った年の秋に、娘はリーフィ医師と結婚し、翌年の春に死んだ。冬の間中、医者は紙切れに書き留めておいた思いつきの端々を、妻に読んで聞かせた。読んだあとは笑いながらポケットに突っ込み、そしてそれは丸くて固い紙つぶてになるのだった。





初出June,1-17 改訂Oct.05





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