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(※ここには2005-7-23から11-20までの更新履歴とひとことを置いてあります)



Last Update 11.20

「仕事 ――葬儀業から見た人間研究――」アップしました。このトーマス・リンチのエッセイは、わたしにとって大変思い出深いものです。詳しくは、翻訳の末尾に「ノート」として書いたので、どうかそちらのほうをごらんになってください。

♪ 先日、美術展を見に行く機会がありました。
一種のミニマル・アートなんですが、美術館ではなく、江戸後期に作られた古い民家をもとにした博物館といったらいいのかな、そういう場所に展示してあるんです。ガラス戸から差し込んでくる明るい日の光を受けた絵は、間近で見ることができるだけに、息づかいまで聞こえてくるようなものでした。

作品をお描きになった方と、お話しすることもできました。日差しを受ける場所にある絵がなぜ「光」を感じるのか。奥まった「仏間」に展示された絵が、光を感じる代わりに、奥行きを感じるのはなぜなのか。

わたしが「光」を感じたと思った絵は、紙に描かれたもので、水彩画のように、余白の白を生かしたものだとうかがいました。それに対して、奥行きを感じたと思ったものは、キャンバスに色を重ねて描かれたものだと。

ともに黄、灰、白の三色だけを使った平面構成なのですが、全面に差し込む光や、奥へ続いていく空間を、ここまで感じることができるのか、と思うほどでした。

具象画の場合は、そこにある「実体」に「帰ってくる」ことができるのだけれど、抽象画の場合はそういうことができない。拡散してしまう。だから、色数や形といった制限を加えていくのだそうです。なるほどな、ミニマル・アートっていうのはそういうものなんだ、と思いました。
非常におもしろいお話をうかがえて、とても楽しい時間を過ごすことができました。

♪うーん、寒さはこれからなんですよね。だけどわたしの家では、もうエアコン使ってます(笑)。この間はダウンを着ている人を見ましたが、今日は薄いTシャツで、おへそを出して歩いているおねえちゃんを見かけました。若いと寒くないのかな……。

このところ、寒い、寒いといっていますが、あと四ヶ月、そう言い続ける予定です。どうかそれに辛抱して、また遊びにいらしてください。それじゃ、また♪

Nov.20,2005





Last Update 11.17

「この話したっけ 〜アクセル・ローズはどこへ行ったんだ?」をアップしました。

この話はもともと「今日の出来事」として何の気なしに書き始めたのですが、いざ書いてみると、思いもかけない方向に話が行ってしまった。わたしが書いている過去の思い出話の多くは、これまでに何らかの形で書いた文章であったり、だれかに宛てたメールがもとになっていたりするものがすごく多いのですが(使い回し、ともいう)、この話はふたつとも書くことが初めて、というより、どちらも意識に上らせることもなかった出来事でした。

ブログに載せてから、彼女のことをどんどん思いだし、こんなふうに雑に書き流すんじゃなくて、もっときちんと書かなくちゃ、という気がして、記憶の中へどんどん下りていった。おそらく、どう考えて良いかわからなくて、自分の中でそのままにしておいたんだと思うんです。今回、記憶を掘り起こしながら書く、という、一種独特な経験を、書きながらしたように思います。

ひったくりに遭ったのは、怖くて思い出せなかったんです。書きながら、改めてゾッとしました。時間にすれば、最初から終わりまで、ものの三分とかからなかったぐらいだと思うんです。けれども、記憶が全部、コマ落としみたいになっている。あたりの状況とか、もっとくっきり思い出したんだけど、まだ怖くて、こちらははっきり書きたくない、みたいなところもあります。

だけど音楽って、不思議なもので、そのときの情景が克明に浮かんできますよね。いいような、胸が痛くなるような……。"Scarred"みたいにあんまり鮮明すぎて、未だに聴けない曲もあるくらい。
その曲を聴くたびに思い出す、もし、みなさんにもそんな記憶がおありでしたら、ブログの方にでも書き込んでください。お話ししましょう。

♪ ところで、昨日からこちらは一気に冷え込んできました。なんと11月中旬にして、ダウンを着込んで歩いている人を見かけました。もちろん北海道や東北ではなく、大阪府下の話ですが。だけど、そういう気分もちょっとわかるくらい。わたしはいまからそんなものを着ちゃ、2月は絶対冬眠するしかなくなる、と思い、まだジャケットでがんばっていますが、明日も今日くらい寒かったら、コート出した方がいいかもしれない。あー、寒いとほんとうにダメです。これからどんどん寒くなって、たっぷり三月の中旬くらいまでは寒いんだ。それを思うと、果てしなく陰気な気分になります。どうか、かわいそうなわたしを元気づけてください(笑)。

♪ 明日ぐらいには "The undertaking" の翻訳もアップできる、んじゃないかな、と思います。だったらいいんですけど(笑)。どうかまた遊びにいらしてください。

♪ 寒いですけれど、みなさんお変わりございませんよう。それじゃ、また♪

Nov.17,2005





Last Update 11.05

「物語をモノガタってみる」をアップしました。

物語というのは、なんなんだろうか、ということを、おもに物語の構造から考えてみようと思いました。ただ、当然のごとく、そこから派生してくるさまざまな問題、構造にしてもここで触れているのは、ほとんど入り口に過ぎませんし、「時間」という要素にも立ち入っていません。「歴史」にしても、ほとんど店先をかすめたようなものでしかありません。とりわけ、当初、行為としての物語りについても、もっと触れるつもりだったのですが、書ききれなかった部分が心残りです。この部分は宿題、ということで、そのうち行為の面に焦点を当てて書けたらなぁ、と思っています。

本文のほうにうまく入らなかったので、ここで書いてしまうんですが、そもそも日本語の「モノガタリ」の「モノ」とは、霊威や鬼神のことです。古代、それぞれの氏族がもっていた神話や伝説が、氏族が国家のもとに統合されていくのにつれて、それぞれの氏族の神話や伝説も、正式な「歴史」の中に統合されていく。そのなかで、歴史に収まらない怪異な話、奇異な話が「モノ」という言葉に、一種、貶められ、正規の歴史からこぼれおちた神話や伝承が「モノガタリ」となっていった、という経緯があります。

氏族が固有に物語を持っていた、というのが、実におもしろい。人間は物語るすべ、というものをおそらくは言語の発祥とほぼ同時期に、持っていたのだろうと思います。 自分が見、聞きしたことを、ほかの人に伝えるために。そうして、よくわからない現象を、なんとか説明づけるために。

そうして、わたしたちはこの「物語るすべ」を洗練させてきたのか。そうではない、とベンヤミンは言います。物語りは衰退に向かっていると。

一方で、Web上では、おびただしい数の「物語り」が語られています。わたし自身、そういうものを日々書き連ねているわけだし、身辺のこと、読んだ本や、観た映画、聴いた音楽の感想などがさまざまな書き手によって、想像を絶する勢いで、日々生産され続けている。

けれども、その「物語り」と、ベンヤミンが「衰退している」といった「物語」、ちがいはどこにあるのか。これは、わたしの個人的な意見に過ぎませんが、「聞き手」の存在ではないのか、と思うのです。ベンヤミンは言います。

話を物語るとは、つねに話をさらに語り伝える技術なのである。そして、話がもはや記憶にとどめられなくなると、この技術は失われていく。ひとが話に聞き入っているあいだに、織られ、紡がれるということがもはやなくなってしまうので、この技術は失われていくのだ。じっと聞き入る者が、我を忘れていればいるほど、聞いたことは彼の心深くに刻み込まれる。こうした手仕事のリズムにいったん捉えられると、聞き手は、話にじっと聞き入りながら、その話を物語る能力をおのずと授かってしまうのだ。物語る能力がそっと寝かされている寝床の網は、つまりそうした性質のものである。そしてこの網の目は、何千年も前に最古の手仕事形式の周辺で結ばれた後、今日になって、すべての末端でほどけつつある。

(「物語作者」『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』p.300 浅井健二郎編訳 ちくま学芸文庫)

「物語り」は人が言葉を使い続ける以上、決してなくなることはないでしょう。けれども「物語」が失われたとき、おそらくは「物語り」も変質していくはずです。つまり、それは聞き手の質が、決定的に変わっていく、ということではないか。語る人ばかりで、それを一種の情報として受け取る人はいても、その「物語り」に「聞き入り」「織られ、紡がれる」ことがなくなっていくのではないか。

ここで思うのですが、少なくともわたしは良い聞き手となりたいのです。わたしは、できるだけさまざまな本を読みながら、作者や筆者の声に耳を傾け、聞き入り、そうすることでそれを、織り、紡いでいきたい。それはすでにベンヤミンが言う「物語る」こととはちがっているのでしょう。それでも、そうすることによって、ひとりの「語り手」となっていきたい。

そうして「語られなかったこと」にも、耳を傾けたい。「物語り」が行為である以上、語られなかったことは、語られない、ということにおいて、一種の選択がなされ、決定がなされているはずです。「語られなかったこと」に思いを馳せ、語らなかったひとが、なぜ語らなかったのか、そうしたことも考えるのです。

それにしてもこの更新情報、中身に書いてないことばかり書いてます(笑)。そんなんで良いんだろうか……。初めてお読みになる方、こんなことは一切書いてないので、そこのところ、ヨロシク、です。

♪ さて、十一月です。街路樹のケヤキもハナミズキも、さまざまな色に変わっていて、歩道橋の上から見ると、はっとするほどきれいです。あぁ、どこかに行きたい。行きたいのは仕事場ではないのですが、仕方がないので仕事に行って来ます。

♪ ということで、それではまた。寒くなってきました。どうかお体にはお気をつけて。

Nov.05,2005





Last Update 11.03

♪ 新しい項目を作りました。その名も「鶏的思考的日常〜三歩歩けば忘れてしまう日々のあれこれ〜」
先日、メールを頂いたんです(L.H.さん、メールどうもありがとうございました)。ブログのほうにちょこちょこ書いている「今日の出来事」が探しにくい、というご指摘でした。

わたしとしては、あれは埋め草というか、ちょっとずつ翻訳を読みに来てくださっている方にサービスのつもりで(どこがサービスやねん、と突っ込んでください)、ブログだけの「特典」(笑)として書いてたんですね。だからこちらも書き流し、読んでくださる方も、その場で忘れてくださってかまわないような、比較的軽い文章のつもりでした。

思いがけなく「おもしろい」と言っていただいて、とってもうれしいんですが、確かにあれはどこにあるか、ブログのほうからではわからない構造になってます。だから、ご希望どおり、こっちのほうにまとめました。更新情報に書いたものとも一部ダブってるんですが、まぁそれは大目に見てください。今後もある程度まとまったら、適宜ログ化していきますので、どうかよろしく。

♪ ところで今日はサイト開設一周年です! ほんとは使い回しではなく、「物語をモノガタってみる」のアップがしたかったんですが、ところどころにあるでかい断層(うまく繋がってない、とも言う)を埋める作業がまだ終わってなくて、明日ぐらいにはそれも完了するかな、という感じなので、もう少しお待ちください。

♪ この一年、ほんとうにいろんなことがありました。ストックといえば、シャーリー・ジャクスンの『くじ』を、昔訳したノートがあるだけ。不思議と「つぎ、何を書いたらいいんだろう」と思うこともなく、書き始めるうち、やりたいことがあとからあとから見つかっていきました。カウンターも、わたしの誕生日を記念して0016から初めていったんですが、四桁になるのに一年ぐらいかかるんじゃないか、ぐらいに思ってたんです。積極的に宣伝したわけでもなく、ごくごく地味にやってきて、5000という数字は、やはりとてもうれしいものです。カウンターに数字を刻んでいってくださったみなさま、ひとりひとりにお礼を言いたいと思います。このサイトを訪れてくださって、ありがとう。そうして、わたしの書いたものを読んでくださって、ありがとう。

♪ わたしはいつもブログに文章を書き起こし、いったん書き上げた後に手を入れながらサイトにアップする、という方式をとっています。ブログの方は、まさに書きながら考え、手探りしながら進んでいるわけですが、果たしてそういうものが読んでいただく価値のあるものかどうか、それはちょっとわかりません。けれどもそうしたものを、「チラシの裏」(笑)ではなく、公開しながら進んでいくのは、わたしにとって意味のある作業だと思っています。

古い時代の人間が、尖った棒を板きれにこすり付けて、火を起こしたように、「書く」ことは発火である。いまだ何も書かれていない、真っ白な紙に筆尖が触れ、汚された瞬間に、両者は落雷のように発火する。この瞬間が言葉の誕生である。

(石川九楊『筆蝕の構造』)

石川九楊がここで言う「書く」とは、あくまで白い紙に筆で書くことを指しています。パソコンの液晶画面に、ひとつずつ字を打っていくことではない。けれども、それでも、何もない画面に、ひとつ打ち込まれた文字は、何もない空間に、あるものを出現させようという、長い道のりの第一歩だと思います。deleteキーを押したら、一瞬にして消えてしまうこの字は、紙に書きつけられた文字に比べれば、はかない、おぼつかないものであるかもしれません。それでも、この一歩を、やはりわたしは「発火」と呼びたいのです。少なくとも「発火」と呼びうるものを書いてみたい。いまはそれが無理でも。いつかは。その遠い先に向かって、〈いま、ここ〉でわたしはひとつひとつの字を打っていきます。

♪ 遊びにきてくださって、どうもありがとう。また、お話しましょう。

♪ それじゃ、また。近日中に「物語をモノガタってみる」アップしますね。

Nov.03,2005





Last Update 10.22

♪ 「ワインズバーグ・オハイオ 第二部」として、引き続き『ワインズバーグ・オハイオ』の短編三つを訳しました。今回は、第一部の「手」で少し出てきたジョージ・ウィラード青年(この時点でおそらく18歳ぐらい)をめぐるさまざまな人々が登場します。

この作品は、英語そのものはそれほどむずかしくはないのですが、訳していこうと思うと、ものすごく苦労する。表だってはほとんど何も起こらないから、できごとを拾っていくような訳し方をすると、それこそわけがわからないものになってしまいます。

読みながら、アンダーソンの声に耳を澄まし、なんとか声をつかまえようとし、そこから日本語に訳し、訳した文章と原文を突き合わせ、さらに原文を読み、訳文を読み、自分の文章の声を聞き、意味の通らないところをなおし、言葉を選び直し、再度自分の書いた文章を読み、また原文を読み……。

わたしの日本語は、ワインズバーグ・オハイオを出現させることができているでしょうか。

原作そのものが、いわゆるディズニーランドのアトラクションみたいな、乗り物に乗って揺られていけば、さまざまなスペクタクルを見せてくれるような小説ではありません。何も起こらないし、登場人物たちがいったい何を考えているかもよくわからない。それでも、原文を読んでいると、いつの間にか、登場人物のひとりひとりがわたしたちの内側に棲みついて、それぞれに動き出すのを感じます。フォークナーもヘミングウェイも、シャーウッド・アンダーソンの息子だし、レイ・ブラッドベリの『火星年代記』は、火星版(笑)『ワインズバーグ・オハイオ』です。そんなアンダーソンの声を、わたしの文章は、果たして伝えているでしょうか。ワインズバーグに住む人々を動かすことができているでしょうか。

書かない部分の多い小説というのは、読み手に多くを委ねている小説でもあります。だから、そこを解釈しすぎない、書いてない部分は、書いてないまま残すような言葉を探しました。

書きたいことをすべては書かない。伝えたいことをみなまでは伝えない。それは、ある意味で読み手を信頼することでもあります。わたしはその意味で、読んでくださる方を信頼しますし、わたしの書くものが、たとえはなはだ頼りないとしても、どうかお読みくださる間だけ、信頼して、文字が語る世界に入ってきてみてください。そうしてどうか、これからもときどきおつきあいください。『ワインズバーグ・オハイオ』、これを訳すのは、ほんとうにしんどいので、つぎあたりはもうすこしラクができるものを選びたいと思うんですが(笑)、それでも時間をかけながらもなんとか最後まで続けていきたいと思います。

♪ 今週あたりから、わたしの住んでいる地方も、すっかり秋が深まってきました。街路樹のハナミズキの葉も、きれいに紅葉しています。気がつくと、季節はあっという間に移っていきます。そのうち、わたしの苦手な冬が来る……。あぁ、冬眠してしまいたい……。

♪ かといって、冬眠するわけにもいきません、がんばってまたコンテンツも増やしていきますので、どうかまた遊びにいらっしゃってください。
季節の変わり目です。どうかみなさま、お変わりなきよう。

♪ それでは、また。♪

Oct.22,2005





Last Update 10.08

♪ 「この話、したっけ 〜わたし、プロになれますか?」をアップしました。

 才能ということ、知識や技術を身につけるということ、そうして、教える―教えられるということ、そうしたさまざまな要素が雑然と詰まった文章ですが、これまでわたしがさまざまな本を読みながら考えてきたことでもあります。そうして、これはこののち、本を読んだり、経験を重ねたりしていくなかで、変わっていく考え方であるとも思います。

 高校時代だと思うんですが、遠藤周作の『鉄の首枷――小西行長伝』という小説を読んだことがあります。このなかでおもしろいと思ったのは、行長は朝鮮出兵の際に兵站を担当した、という部分です。兵站なんていう言葉がまだなかった時代に(もちろん兵を養うという思想はあったようですが)、独自の計算術まで編み出して、前線に休むことなく食糧を補給していく。つまり、兵站こそ戦線の生命線であるということを、この時代にあって理解していたわけです。加藤清正とか、そうした軍人型の武将は、そうしたものを理解せず、行長と激しく対立して、結局は朝鮮出兵そのものが惨めな結果に終わってしまう。

奇妙なことなんですが、日本人は太平洋戦争でもこの「兵站」という発想が、きわめて乏しかったらしい。後半になると中国大陸の戦線は伸びきってしまって、兵站そのものが維持できず、前線では食糧は現地調達のような格好になってしまっていたというのを、なにかで読んだこともあります。
日本の兵隊が常に飢えていたのに、アメリカ兵は…みたいな記述もよく見かけるのだけれど、やはりこれも「兵站」に関する発想が、根本的にちがうのではないか、と思うわけです。

わたしはこの遠藤周作の本を読んで、一番大切なのは兵站なんだ! と思い、以降、わたしの核心思想のひとつとなりました。つまり、何かをやりたいと思ったら、お金がかかるわけです。もちろん、習うため、とか、道具を揃えるとか、そうしたインフラにお金がかかるのは当然なのだけれど、その間の生活を維持するためのお金もかかる。そうして、お金をかけはじめたら、それがいったんの成果を見るまで、かけ続けなくてはならない。だから、何かをしようと思ったとき、必ずそこから計画を立てていくんですね。

ところが、こういう考え方というのは、あまり受けがよくない。
「やる気」みたいなもののほうが重視される傾向にあるような気がするのです。やる気さえあればおのずと道は開けてくるものです、みたいな物言いのほうが、ずっと受け容れられやすい。

「やる気」があるのはあたりまえ、その上で、それをどう実際の行動へとつなげていくか、というのが、直接には書いていませんが、この文章の前半の問題意識でもあります。

そういうところにくらべて後半の「教えるという行為」に関する部分は、わたし自身の経験が未だ乏しいことと、十分に考えきれていないことを反映して、やはり曖昧なものであると思います。あと、「身体的な言語」みたいに、かなり粗雑な言葉遣いをしている部分もあります。
まぁこの部分に関しては、時間をかけて、本を読みながらゆっくりと考えていこうと思っています。時間をかけて作り出したものは、かならずそれだけの価値がある、とも思っているから。

♪ さてさて、青山南のロスト・オンザ・ネットを見ていたら、「ニューオーリンズの精神は音楽にある」というサイトがリンクされていました。
ここから“Do You Know What it Means to Miss New Orleans” が一部、なんてケチなことをいわず、フルコーラスが聴けて、もう、涙モノです。わたしはHarry Connick Jr.がDr.Johnと一緒に歌ってるCDを持っているんですが(Dr.Johnがすっごいカッコイイの!)、ここでのルイ・アームストロング、いかにもこの人らしい、何か心の底から暖かい気持ちがじわじわ広がってくるみたいなトランペットの音がすごくイイ。いつまで聴けるのかどうかわかりませんが、このテの音楽がお好きな方、どうかリンクたどって行ってみてください。

Do you know what it means to miss new orleans
And miss it each night and day
I know I’m not wrong... this feeling’s gettin’ stronger
The longer, I stay away

ニューオリンズが懐かしいっていう気持ちがわかるかい?
夜といわず、昼といわず、恋しいのさ
気の迷いなんかじゃない、この気持ちはどんどん強くなっている
離れていれば、離れているだけ……

♪ 秋の長雨なのか、わたしのいる地域は"Louisiana 1927"みたいに、ここ数日、雨続き。はっきりしないお天気が続きます。急に涼しくなってきましたが、どうかみなさま、お体には気をつけて。お健やかにお過ごしください。

♪ それじゃ、また♪

Oct.08,2005





Last Update 10.06

♪ ついに、ついに「ワインズバーグ・オハイオ」アップしました。うぅ、長かったです(感涙)。

 これ、ブログに連載していたのが6月の初めだったんです。手を入れながら、あー、この部分はスタバで訳したんだっけ、とか、原文のプリントアウトに全然関係ない文章のメモが残っていたりして、ああ、このころはこんなこと考えてたんだ、とか、いろいろ思い出しました。思えばずいぶん遠くにきたものです(フォークナーの『八月の光』のリーナの口調で)。

 なんにしても、やっぱり奥の深い作品はむずかしい。原文に拮抗できるような文章が書けているとは、逆立ちしたっていえません。それでも、いまの自分にできるだけのことはした、と言えたらいいなぁ。どうだろう。

 ヴァルター・ベンヤミンは、『翻訳者の使命』のなかで、ドイツの哲学者・作家であるパンヴィッツの以下の言葉を引用しています。

 翻訳者の基本的な誤謬は、自国語を外国語によって激しく揺さぶるのではなく、自国語の偶発的な状態をそのまま固定しようとするところにある。翻訳者は、とりわけ自国語からかけ離れた言葉を翻訳しようとするときには、語とイメージと音がひとつに結びつく、言語それ自体の究極的な要素にまでさかのぼっていかなければならない。自国語を外国語によって拡大し、深化させていかなければならないのである。(私訳)

 翻訳とは、リンゴと皮のように、内容と形式が一体となっている原典に、傷をつけ、剥ぎ取ってしまう暴力的な行為です。剥ぎ取ったあと、自分の限られた知識と狭い経験から、「似て見える」外皮をかぶせるのではなく、「王のマント」をかぶせることが、翻訳者の使命である、と、ベンヤミンは言います。

 こころざしは「王のマント」なのですが、力量の問題はいかんともしがたく、実際のところはずた袋をかぶせているのかもしれません。それでもこうしてやっていくうちに、少なくともわたしの言葉は鍛えられていくはずだと思っています。おつきあいくださって、どうもありがとうございます。読んでくださる方がいらっしゃらなければ、やろうと思っても、できることではありません。心から、お礼を言います。

♪ ところで!
ブログ、ついに一周年です! サイトも、久しぶりに来てみたら、カウンター、5000越えていました!!(キリ番、踏まれた方はよろしければご連絡ください。どうするか考えてないんだけど)。

 ブログでは、こんなこと書きました。

ここにわたしがいる、って見つけてもらえたらなぁ、と思って、始めたんです。

『山の上の火』(クーランダー、レスロー文 渡辺茂男訳 岩波書店 ちなみに子供向けの本です)というエチオピアの民話があるんです。ひとりの奴隷が、主人と賭をする。冷たい風のふきつける山の上に、一晩中、身体を暖めるための火も、毛布も、服も、食べ物も飲み物もなしに、裸で立っていられたら、おまえを自由の身にしてやって、おまけに畑と牛もくれてやろう。

奴隷は村の物知りじいさんのところへ相談に行きます。 おじいさんは、向かいの山の岩の上で、おまえのために一晩中火を燃やしてやろうと言うのです。

ふきつける風に凍え死にそうになりながら、奴隷は一晩中、目を凝らしてその火を見、なんとか耐え抜きます。

翌日そのことを主人に告げると、主人は不思議に思って「どうしてそんなことができたのか」と聞きます。奴隷が正直におじいさんが向かいの山で火を燃やしてくれていたことを話すと、主人は前言を翻す。「おまえは火を使ったではないか。おまえの負けだ」
奴隷は裁判所に訴える。ところが裁判官も主人の言うことを容れ、奴隷の訴えを退けるのです。

奴隷はふたたびおじいさんのところへ行きます。そこでおじいさんは一計を案じる。
みんなにごちそうをする、とおふれを出し、裁判官も、主人も、みんなを招くのです。みんなはごちそうを楽しみにして集まってくる。

ところがいい匂いが漂ってくるばかりで、いっこうにごちそうは現れません。みんなが文句を言い出したところ、おじいさんは言うのです。
「山の向こうの火が暖かいのなら、ごちそうの匂いだけでお腹も十分膨れるでしょう」
こうして裁判官も主人も、自分たちの非を悟り、奴隷は晴れて自由になる。

 わたしも、ここで、小さな火を燃やしてみよう。
この火は、お腹をいっぱいにしたり、実際に身体を暖めたりすることはできません。それでも、暗闇でちらちらと瞬いてるのが、見つけてもらえるんじゃないか。そうして、だれかがそれを「暖かい」と思ってくれたら。

わたし自身、そんな火にずっと暖められてきました。
ずいぶん遠くなったけれど、それでも火はやっぱり燃やされているのだと思います。少なくともわたしがそこに火の存在を感じている限り、わたしは凍えたりしない。
わたしは、大丈夫です。

わたしの火がどこまで届いているか、わからないけれど。
でも、ずっと燃やしています。

 こんなところまで使い回すなよ、と言われてしまいそうですが(^^;)、個人的には気に入っている文章ですし、ブログだと埋もれてしまうので、ついでにここへのっけておきます。

 ま、ブログといいこちらといい、似たような文章を何度も読ませられて、お気の毒だと思いますが、すいません、そういう性格のサイトなんです……。何回も何回も書いて、少しずつ練り上げていく、みたいな。

♪ そういうことで、今後ともよろしく。ときには落ち込んだり、ぐちゃぐちゃ言ったり、感傷的になったりしますが、とりあえず、元気にやっていきます!

♪ ということで、それじゃ、また。また、遊びにいらしてください。

Oct.06,2005





Last Update 9.29

「買い物ブギ」アップしました。
 お笑い系の話のつもりで書いたのですが、一部、脱輪しているところがあります。
 うーん、ダメだなー。根本的に感傷的な人間なんですよね。そういう部分、恥じてはいるんだけど、つい、出ちゃう。コマッタモンダ。なんとか後半、軌道修正できてるといいのですが。

♪ 近所の以前は社宅だった場所が、つぎつぎに大規模な「マンション」(この言葉をわたしはどうしても括弧付きじゃなく言うことはできません。mansion=豪邸、という図式が抜きがたくあるためです。わたしがイメージするmansionって、フランク・ロイド・ライトが設計したヒルズ・デカロ邸とか、そんな感じなんですよね)に変わっていっています。今日前を通ったところも、大きく「296戸完売御礼」という立て札が立っていました。

 それにしても、すごいですよね。ひとつの建物のなかに296世帯も集まって住むなんて。ほとんどひとつの町です。

 それだけの世帯、おそらく1000人前後が集まって住むってどういうものなんだろう。ええ、もちろんいまわたし自身が集合住宅に住んでいるわけですが、やはり戸建ての家と、住んでいる感覚がちがうように思います。同じ建物に住んでいる人とは、特に顔見知りでなくても頭を下げるようにしているのですが、挨拶も返ってきたり、こなかったり、です。なかには住人ではない人にも挨拶しちゃってるのかもしれません。

 アメリカなんかだと、郊外の戸建て住宅となると、隣ともかなり離れていて、独立性が日本とは全然ちがいます。そういうなかで生活する、というのは、少し怖くないかな、なんて。
 その昔、英会話教室でバイトしていたころ、講師のひとりが、昔は裏庭でよくバーベキューパーティをやって、近所の人もビールやケーキなんかを持って、集まってきたものだった、と言っていました。けれども、主婦も外へ働きに行くようになって、そうした近所づきあいが一切途絶えてしまった、と。

 近所づきあいというのは、反面めんどくさかったりやっかいだったりするわけですが、お互い顔見知りでいるのと、ないのでは、ずいぶんちがうものだと思います。わたし自身、「市場」みたいなところで売り場の人と話をしながら買い物をするのは苦手で、スーパーで愛想悪く買い物するほうがずっと気楽でいいのですが、やはりそうした面倒さをどんどん避けていくと、どんなふうになるのかな、それって怖いことになるんじゃないかな、なんて思ったりします。ものごとが楽になっていくと、おはようございます、のひとことや、会釈、あるいは黙礼だけでも、ちょっとしたことがひどく億劫になる、なんてことはありますよね。何だかなー。

♪ さて、日が暮れると、ほんとうに涼しくなりました。季節の変わり目です。どうかお体に気をつけて。

 ♪それじゃ、また♪ ワインズバーグ・オハイオ、もうすぐアップします(笑)。

Sep.29,2005





Last Update 9.24

♪ 「絵本のたのしみ」アップしました。長いです。なんでこんなに長いんだろう、っていうぐらい、長いです。そうでなくても長いのに、ブログに載せなかった追加分まであります。頭にインデックス載せて、そこに飛べるようにしておきました。お暇なとき、どうか少しずつお読みください。

 ただし、何らかのブックガイドを作るつもりはありませんでした。わたしは絵本が好き、というほど、好きなわけではなく、絵本の読み方に定見があるわけでもありません。書いている文章も、結構ぶれがありますし、ほんとはもっと統一したほうがいいんだろうな、と思いながら、ぶれたまま、書いています。
絵を見る、とかいいながら、絵についてひとこともふれていないのもあるし。
このかん、ずっと考えてきたことや、思いつきで書いたもの、いろいろです。

 それでも、書いてておもしろかったです。こんなに絵本について、自分に言いたいことがあるとは、書いてみるまで全然知りませんでした。

 書けなかった本はいっぱいあります。なんといっても心残りだったのが、『おやすみなさいのほん』(マーガレット・ワイズ・ブラウン 石井桃子訳 福音館)。
これにはなんとも印象的な祈りの言葉があります。

かみさま あなたの けものや うたう ことりたちに
しあわせを めぐみ、
ものいえぬ ちいさな ものたちを おまもりください

 天使とキリストを思わせる神の姿があって、これを思うとなかなか複雑な気持ちになってしまって、「祈り」ということをどう考えたらいいのかわからなくて、結局文章を書くことはできませんでした。それでもこの祈りの言葉の深さには、心を打たれます。

 やはり、絵本は第一義的に子供たちのものです。多くの子供たちが、心おきなく絵本を楽しめるように「ちいさな ものたちを おまもりください」とわたしも祈らずにはいられません。前にもいったみたいに、それが、だれに、あるいは何に向けての祈りかは、定かではないけれど。

♪ 書こうと思ったことがあったのですが、「絵本の…」に手を入れているうちに忘れてしまいました。うーん。さっきから思い出そうとしているのだけれど、出てこない……。ま、いいです。今週は、だいぶ以前にブログで連載した『ワインズバーグ・オハイオ』を更新する予定です。だから、またそのときに(笑)。

♪ 日中はまだまだ暑いけれど、日の光は金色を帯び、空は高く、気持ちのいい季節になってきました。関東の方は、台風でそれどころじゃないのかな。ともかく、良い秋の日をお過ごしください。それじゃ、また。

Sep.24,2005





Last Update 9.17

♪ 「この話 したっけ ――女であろうが男であろうが」アップしました。

 え? こんなの書いてたっけ、って思ってくださった方、どうもありがとうございます。いつもブログを見てくださって。大幅に加筆修正をしていますが「石を投げないでください」の改題です。

 昔、フェミニズムをまじめに取り組んでいらっしゃる方に、よく怒られたもんです(だから最初のタイトルが「石を投げないでください」。だってこんなこと言ったら、ほんとに石、投げられそうなんだもん(--;))。
 とりあえず、女だったら考えるのがあたりまえだ、みたいに言われて、ちがうんじゃないかなー、ってずっと思ってた。ちがうんじゃないかなー、と思った中身の、いまのところのまとめがこれです。反論があったら、どうかブログのほうにコメントしてください。石、投げるんじゃなくて。

♪ 数日前のこと。図書館のロビーで、自販機で買ってきたお茶を飲んでいました。向かいに、おばあさんが坐ってたんです。黄緑色のタオルを首に巻き、ゴム草履の鼻緒は、結策バンドでかがってありました。

 そのおばあさんは、たくさん持っている小さなナイロンバッグのひとつから、裏の白い広告を切ってまとめたメモ帳を取り出して、ボールペンで何か書きつけ始めました。それからこんどは別のナイロンバッグから、ものすごく昔の、それこそわたしが小学生のころ使っていたような、変色した「学習帳」という名のノートを引っ張り出してきました。それをテーブルの上に置いて、おばあさんは、メモ帳を書き写し始めました。
 わたしの位置からは、何が書いてあったのかまでは読めなかったのだけれど、縦書きにつづられていくそれは、おそらくは短歌だったのだと思います。
 その字が、大変美しいものであることは、わたしの位置からでもはっきりとわかりました。

 まず、ボールペンの持ち方からして、わたしなんかとは全然ちがったのです。
 そのとき、せんに、書くという行為は、天地を結ぶ垂直線が意識されるものである、というお話をうかがったことを思い出していました。その結果、かつて文字を書くということは、一種の宗教的行為であった、ということも。

 そのおばあさんが何を書いていたのか、わたしにはうかがい知ることもできなかったけれど、文字を書く、ということに、改めて思いを馳せてしまような、凛とした姿勢であり、書体でした。あまりにありふれて、筆記具としても意識にさえ留めないようなボールペンで、そうした文字を書くことができるのだ、と、一種、胸を打たれたような感覚を覚えました。やはり美しい字というのは、まずは姿勢なのだ、と。伝統的な日本の芸能が「所作」というところから入るというのも、意味があることなのだな、と思いました。

 こんなことを書いているわたしの字ときたら、角張って子供っぽい、マンガ字に近いものです。字を書くことが少なくなって、もともとヘタな字が、いよいよヘタくそに、子供っぽくなってきて、ちょっと悲しいものがあります。ほんと、小学生にも負けてるかもしれません。んー、ちょっとカコワルイ……。そうか、姿勢だ、まず姿勢を改めよう!

♪ さてさて。朝晩、ずいぶん涼しくなってきました。体調など崩されませんよう。また遊びにいらしてください。あ、書くの忘れてたけど、「第三夜」も少し加筆してます。越智治雄の『漱石私論』のところ、少し手を入れてます。興味のある方がいらっしゃいましたら、そちらものぞいてみてください。んー、公案のところ、どうもうまくつかまえられない。

 ♪それじゃ、また♪

Sep.17,2005





Last Update 9.13

♪ 「乾いた九月」アップしました。

フォークナーの短編の中では、有名なものであるし、比較的わかりやすいのではないかと思うので、フォークナー、名前だけは知ってるんだけど、という人が、まず読むのには最適かな、と思います。もしこの作品をお読みになって、つぎになにか、と思われるのでしたら、つぎはやはり長編の『八月の光』をお勧めしたいと思います。

 南部と黒人問題の関係って、一筋縄ではいかないところがある。「差別はよくない」――わたしはよくこうした物言いを「百円の真実」と呼んでいるのですが、こんな安直な物言いで語れるものではない。

 そう言っているわたしが、どこまで理解できているかと考えると、ずいぶん心許ないものです。それでもひとつだけ、気をつけたことがあります。

 高校の頃、映画館で『風と共に去りぬ』を観ました。そのときに黒人の乳母のしゃべることばが、ものすごく奇妙な日本語に訳されていたんです。ちょうど、「おじょうさま、おらにはわかりましねえだ」みたいな感じ。これはいったいなんなんだ、と思うと、もうそのことばかり気になって、あとのストーリーなんかろくすっぽ頭に入らなかった。

 なんで黒人のしゃべることばだけ、そんな不思議な日本語が当てられているのだろう。そんなことば、ほんとうにどこかにあるんだろうか。これはもしかしたら、どこかの方言なんだろうか?

 翻訳のなかに、南部訛り、イタリア訛り、アイルランド訛りなどを強調しようとして、日本での方言が当てられているのを目にすることがありますが、これはひどく気持ちの悪いものです。おそらくわたしは世界一長い小説としてギネスブックにも載ったことのある、オーストラリアの作家ザビア・ハバードの『かわいそうな私の国』を読んだ、数少ない日本人だと自負しているのですが、翻訳にあたられた越智道雄氏の大変な労作であるとは思うのだけれど、このなかに出てくる奇妙な方言が気持ち悪くてしょうがなかった。確か、中国地方の方言を翻訳に当てていたのではなかったかと思うのですが、その方言も微妙にちがう。わたし自身、詳しいわけでもなんでもないんですが、土地の人が喋っていることばをそのまま書き起こした文章ではない、へたくそにでっちあげた「その土地ふう」のことばだった。それが、翻訳に当てられていることに、二重の気持ち悪さを覚えたのです。

 『乾いた九月』、これは前から訳してみたい作品でした。というのも、新潮文庫に所収されている龍口直太郎氏の訳では
「ジョンのだんな、このおらをどうしようというだね? おらあなんにもしたおぼえがねえだ」
みたいになっていて、こういう訳し方はちがうんではないか、とずっと思っていたからです。

 それをいうなら、南部の白人だって、訛っているはずです。黒人訛りを強調するつもりなら、白人の南部訛りだって訳出すべきではないか。

 まぁそうしたことを考えていたわけです。かといって、この間まで奴隷として扱われていたウィル・メイズと、マクレンドンが対等にしゃべるわけがない。そんなことを考えながら、あれやこれやことばを選んでみました。そんなことを言っても、龍口氏の訳はやっぱりすごいな、っていう部分が多々あって、勉強になりました。読みにくいところ、文章のおかしいところありましたら、どうかご指摘ください。

♪ ところで先日本屋をのぞいたら、いしいひさいちのドーナツブックスの38巻、まだ買ってなかったことに気がつきました。十五年ぐらいかけて、集めてるんです。

その昔、わたしが中学から高校にかけて、デッサンを習いに行っていた頃、絵画教室にいつも『アクション』が置いてあったんです。毎週読んでたんですが、『アクション』にはまんなかへんに「アクションジャーナル」というコラムが三、四本載っているページがあった。このコラム、関川夏央とか山口文憲とか呉智英とかが無署名で書いていて、南伸坊や、まだ似顔絵版画をやってないころのナンシー関のカットがあった。とにかくすごくおもしろくて、そこだけよく切り取って、もらって帰ったものです。
プロの書き手っていうより、ちょっと年上のお兄さんたちが書いたカッコイイ文章、って感じで。こんな文章が書きたい、ってずっと思ってた。で、いしいひさいちの「ドーナツブックス」もそのコラムの横に載っていた四コマだったんですね。

以来、『フラダンスの犬』とか『公団嵐が丘』とか『椎茸たべた人々』とかいうタイトルの単行本が出るたびに、せっせと買っていたわけですが、最近はずいぶんその間隔も開いて、思い出すときに買う、って感じでした。だいたい本屋へいってもマンガのコーナーなんてまず寄らない。

ところでその第38巻は、タイトルが『ドクトル自爆』、ドクトル・ジバコのパロディですよね、だけど前の前のタイトル『クローン猫』、これ何のパロディなんでしょう? ずっとわからないでいます。まさかクローン羊のパロディのわけないし、そんなタイトルの本があるのかしら。二年くらい、頭を悩ませています。どなたかご存じのかた、教えてください。

最近無意味に長文化している更新情報、いったい何を考えてるんだか(笑)。

ということで、なんだかいつまでも暑いですけれど、よい日をお過ごしください。

♪それじゃ、またそのうち、お会いしましょう♪

Sep.13,2005





Last Update 9.04

♪ 「電脳的非日常」アップしました。

 くれぐれも何らかの参考ではなく、あくまでもお笑い系の話としてお読みください。一応、OSのインストールをしているときは多少のメモを取ってはいたのだけれど(笑:このときすでにネタにするつもりでした)、わたしの知識のなさのために間違った記述もあると思います。

 いつものようにブログ掲載時よりだいぶ加筆がなされています。こうしたことが簡単にできるのも、ほんとうにパソコンのおかげ。ありがたいことです。

 でもね、パソコンが壊れたとき、わたしは一瞬、祈っていました。
パソコンが復旧するよう祈りつつ、その合間に、どうかわたしをお許しください、と。
いっぺんにプリンタのコマンドを入れすぎて、フリーズさせて強制終了させてしまったことだってあるし、音が悪いからイヤだと文句をいいつつ、CDをがんがん鳴らしていた時期もある。暑い部屋で使って、熱暴走させたことなんて、数限りない。
お願いです、だれだか、あるいは、なんだかわかりませんけど、どうかお許しください、って。

 わたしは不可知論者です。
世界を支配する絶対者がいるとは思わないし、死後、人間の魂(もしそんなものがあるとすれば)がどうなるかわからない、わからないことを考えてみてもしかたがない、と思っている。

 それでも自然界には畏敬の念を持っているし、だれに対してか、何に対してかはわからないにせよ、祈ることはします。その結果、どうなるかは別として。

 わたしに正しい選択をくだすことができる賢さをください。間違っているとわかったとき、感情に溺れてそちらを選択しないような強さをください。過ちや愚かさや怠惰や不注意が積み重なって、自分の人生が台無しになりませんように。

 そうして感謝も心のなかでしてしまいます。パソコンをまた使えるようにしてくださってありがとうございました。来年の仕事を与えてくださってありがとうございました。家族を守ってくださってありがとうございました。

 だれに感謝しているのか、だれにお願いしているのか自分でもよくわからないのだけれど、少なくともわたしがそうすることで救われているのは事実です――自分の力ではどうにもならない、かなわぬ思いを口にすることで。

 どうか、みなさんがお元気でいらっしゃいますように。みなさんの明日がすばらしいものでありますように。そしてわたしの小さな声が、どうか届きますように。

♪ それじゃ、また♪ お暇なとき、また遊びにいらしてください。


Sep.04,2005






Last Update 8.31

「It don't mean a thing (If It Ain't Got That Rock)――ロックしなけりゃ意味がない――」アップしました。

わたしは何らかの批評ができるほど、音楽全般に詳しいわけではないし、ロックだってたいして聴いてきたわけではありません。ただ何か書いてみたかったんです。Dream Theaterを聴いていて、ああ、何か書いてみたい、って思った。だから、レビューでもないし、感想でもない、強いて言えば、それを聴いてこんなことを考えた、みたいな、そういう性格の文章です。好きなことについて書くのって、やっぱり思い入れがあるぶん、むずかしい。興味をともにしない人が読んでおもしろいかどうか、ちょっとよくわからないのですが。

♪ もうひとつ、「暑いときにはコワイ本 補筆――『夢十夜』「第三夜」を考える――」のほうも、少し手を入れています。これはもう少し考えたい部分がありますから、折りにふれて、ちょっとずつ手を入れたいと思っているのですが、やっぱり漱石は深くて、わからないというか、どんなふうに考えていいかわからなくて困っています。越智治雄『漱石私論』の公案の解釈のところなんですけど。文芸評論からの批判は、飽き足らないものを感じているのですが。おそらくありとあらゆる方面から研究されている漱石ですから、たぶん禅のほうからの研究もなされているのにちがいない。そう思って参考文献も探してはいるのですが、文芸評論ならだいたいどこらを探せば良いかの見当もつくけれど、知らない分野というのは資料ひとつ見つけるのも一苦労です。

♪ 普段は職場と図書館と自宅をぐるぐるしているだけで、どこにもいかないわたしですが、今月は三回も新幹線に乗りました。この話はブログのほうにもちょっと書いたのだけれど、そのときにこんな経験をしました。

西へ向かう「のぞみ」に乗っていました。ふと外を見ると、進行方向の空がバラ色に染まっています。おもしろいことにかなりのスピードで西進する新幹線に乗っていると、日がなかなか暮れないんですね。普段よりゆっくりと暮れていく空を、ぼんやりと眺めていました。

さまざまな風景が、少しずつ影を濃くしながら流れていきました。
工場があり、田圃があり、集落が少しずつ大きくなると、ぼつぼつとビルが民家の間に見えてくる。そのうち高層住宅が続き、ビルが立て込んでくる。そうして駅を過ぎると、次第にビル群もまたまばらになります。軒を並べる民家がとぎれ、町並みが切れると、今度はまた田圃が広がって。

そのうち、立ち並ぶ屋根の間にふつうの家屋より少しだけ背が高く傾斜も急な、黒い瓦屋根に目がいくようになりました。お寺です。
木立に囲まれているものもあれば、町中の民家に混じるものもある。けれども人が集まって住んでいるところの一角に、かならずその少しだけ背が高い、独特な形の黒い屋根があるのでした。

お寺というのは、人が集まって住むところに必ずあるものなんですね。こんなふうに、わたしたちの生活に溶け込んでいるのだな、と。
これまでそんなこと、考えたこともなかったけれど。

十年以上、新幹線を使って東西を往復しています。ここ数年は、移動する回数もすっかり減ってしまったけれど、それでも百回以上は目にしているはずの景色です。細かいところはいろいろ変わっただろうけれど、大きくは変わることもない町並みや、田圃だと思います。

それが、一度気がつけば、まるでお寺の屋根ばかりが目に飛び込んでくるようにさえ思えるのを、なんとなく不思議なような、どこか懐かしいような思いで見ていました。

♪ さて、今日で夏休みも終わり、なんて、あんまり実感はないのだけれど、明日から九月です。わたしのいるところはなんだか今夜は蒸し暑いのだけれど、スズムシの声が聞こえてきます。季節の変わり目、どうかみなさま、ご自愛のほど。

♪ それじゃ、また♪


August.31,2005






Last Update 8.24

♪ 「暑いときにはコワイ本 補筆――『夢十夜』「第三夜」を考える――」アップしました。

当初は一冊の本を紹介する程度にとどめておこう、と思ったんですが、書きながら、それだけではおさまらなくなってきて、ブログに毎日書きながら、同時並行的に本をいくつも読んでいっています。だから、ほとんどブログは読書ノート(笑)。サイトにまとめるにあたって、かなり手を入れてはいますが、話がうろうろしていて読みにくいかもしれません。

 ただ思うのは、それについて書く、ということは、頭のなかを整理することにはもってこいの方法だな、と。それも単に自分がわかればいい、という形で書いたメモではなく、読み手を想定しつつ書いていくと、自分のなかの曖昧な部分、ここから先はわかっていないな、という部分が非常に鮮明になっていきます。みなさまを相手に、良い勉強をさせていただいています(笑)。読みにくい文章におつきあいくださって、いつもありがとう。

♪ ここ数日すっきりしない日が続きましたが、今日は朝からよく晴れて、東向きの窓から朝日が昇っていくのが見えました。東の空がバラ色に染まっていき、濃い灰色の雲の上から、徐々に朱色の太陽が顔を出していくのを、意外に早いもんだな、とちょっとびっくりしながら眺めていました。
夏も終わりに近づいて、日差しは長くなってきて、それでもまだ日差しは強いですから、この時間(いま八時前なんですけど)東向きの部屋にいると、結構暑いんです。それでも吹き込む風は、ずいぶん涼しくなってきました。

♪ 八月ももう少し。いよいよ長月、九月ですね。
読みにくい文章に懲りないで、どうかまた遊びにいらしてください。
それじゃ、また♪


August.24,2005






Last Update 8.20

♪ 新着記事があるわけではありません(汗)。サイトリニューアルに伴って、トップのインデックスの部分が見えにくいので、なんとかしようといろいろ試行錯誤してるんですが、ちょっとまたいじってみました。こんなところでどうでしょうか。お持ちのブラウザでどんなふうに見えてるか、まだ見えにくいようでしたら、どうかブログの方に書き込み、よろしくお願いします。

♪ 背景画像は、Art at Dorianさんのサイトから、エゴン・シーレのLittle Tree (Chesnut Tree at Lake Constance)をお借りしているのですが、やっぱり絵の上に落書きしてることには変わりなく、ちょっとやめようかな、とも考えてるところなんです。こういう使い方はあんまりよくないかなー、なんて。

♪ ついでにこの間から気になっていた"about this site"を少し手直ししました。ほんのちょっとだけね(笑)。こんなこと書くほどのことでもないんですが、見え具合を確かめようと、今日の日付を入れてしまったので。

♪ 日中はまだ暑いですが、朝晩はさすがに涼しい風が吹くようになりました。いよいよ夏も終わりが近づいてきたんですね。
普通、季節の移り変わりというと、名残を楽しむよりも、つぎの季節に目が移っていくことのほうが多いように思うのですが、「夏の終わり」に限っては、秋のことを考える前に立ち止まって、一抹の寂しさみたいな、この季節独特の感じを味わうものなのではないでしょうか。盛夏が楽しむどころではない季節、ということとも関連しているのかもしれないけれど。
ツクツクボウシが鳴き始め、夕暮れが早くなって影も長くなり、水道の蛇口をひねると水の冷たさにびっくりするようなこの時期は、確かに「季節の終わり」の余韻にふさわしいような気がします。日の光も、少しずつ金色を帯びてくる。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行『古今集』)

あまりに人口に膾炙しすぎて、引用するのに気恥ずかしささえ覚えるのですが、それほどこの句はいまなお、わたしたちの感覚にぴったりくるものであるように思います。
クソ忙しかった夏の仕事も、とりあえず来週で一区切り。しかし、この夏はいろいろあったなー。はぁ(と長嘆息)。

♪ 季節の変わり目、どうか体調など崩されませんよう。また遊びにいらっしゃってください。
それじゃ、また♪


August.20,2005






Last Update 8.16

♪ 仕事前にひとしごと♪ というわけで、昨日ブログのほうに出した「死者とともに生きる」、さっそくこちらで読めるようにしました。

これはわたしにしてはめずらしく、最後の文章からさかのぼっていったものです。この一節がふっと頭に浮かんで、そこに至るまでに入れる材料を帳尻を合わせながら選んでいきました。最後がタイトに決まってる文章は、多少不自由なのですが、手をいれなきゃいけない部分も少なくて、すぐにHTMLにすることができました。相変わらず使い廻しの文章があっちこっちにあって、その部分は多少こっぱずかしいのですが、まぁ大目に見てください(笑)。

ただ、相変わらず思うのは、わたしってほんとうにものごとを知らないなー、ということです。お盆の習俗や伝統的な意味も知らないで、こんなこと書いちゃうんですからねー。コマッタモンダ。それでも、こうやって書いてみなければ自分がわかっていないこともわからないわけで。そこから少しずつ、また本なんかを読んでいけばいいんだ、って思っています。もし拙文をお読みのかたが、それはちがうんじゃないか、これってこういうことだよ、って思われる部分がありましたら、どうかブログのほうにコメントお願いします。お話、うかがわせてください。

♪ さて、仕事に行ってきます。みなさまも良い一日をお過ごしください(朝もはよから"The Sound of Muzak"を聴きつつ)。


August.16,2005






Last Update:August 15

♪ アンブローズ・ビアス作『アウル・クリーク橋でのできごと』をアップしました。

ひねりの効いたオチ、というのは、あまりに衝撃的な、ズシッとくる作品ですが、やはり短編小説を語る上で欠かすことのできない作品であると思います。わたしがこの作品を知ったのは、筒井康隆の『短編小説講義』(岩波新書)が最初でした。当時この作品が収められた『いのち半ばに』という岩波文庫の短編集が手に入りにくくて、あちこち探したのを覚えています。

 ノートに書いておこうと思って忘れたから、ここで書いておくのですが、日本でビアスを最初に紹介したのは芥川龍之介です。芥川という人は、非常におもしろい人で、たとえば漱石や鴎外のように留学した経験はありません。ところが西洋の土を踏んだことがなかったにもかかわらず、西洋の文学について、圧倒的な知識を持っていた。加藤周一は『日本文学史序説』のなかで、確かどこかで“丸善が芥川を作った”みたいなことを書いていたと思うのですが、いま探しても見つからない、わたしの記憶のデッチ上げかもしれません。まぁそれはともかく、輸入された英語の文献を通じて、西洋の近代文学を吸収した初めての存在が芥川だったわけです。

 もちろん『藪の中』はビアスの『月明かりの道』にインスピレーションを得たばかりでなく、同時に『今昔物語』からも題材をとっていることは言うまでもありません。ただ、そんなふうにアメリカの短編と、日本の古典を同時に吸収しつつ、ひとつの作品を生み出していく芥川の知性の強靭さには、改めて舌を巻かずにはいられません。

♪ 駅の途中の家の庭に百日紅の花が咲いています。この花を見るたびに、わたしは横溝正史の短編『百日紅の下にて』というのを思い出すのです。それも、ストーリーも何も覚えていないのに、確か、冒頭だと思うのですが、戦争で焼けただれたあと、黒く立ち枯れたなかに、一本だけ、百日紅の木が残り、戦地から還ってきた男がその木の下にたたずむ、というシーンだけ、いやにはっきりと覚えているのです。おそらく場面というのは全体を通じて、その一場のみ、そこにやってきた金田一耕助とその男が、過去の事件を回想する、という作品だったはずなんですが、焼け跡に残る百日紅の紅、という強烈なイメージが、夏になってこの花を見るたびに甦ってきます。

♪ ところで、お盆っていつまでなんでしょう。世間が夏休みの間もせっせと仕事に行っているわたしですが、ここ数日、電車もかなりすいているのがありがたいのです。人波がどっともどってくるのは、明後日あたりでしょうか。
暑い毎日が続きます。みなさま、どうかお健やかにお過ごしください。


August.15,2005






♪ サイトリニューアルのお知らせです。

♪ 細々とやってきたこのサイトですが、コンテンツの増加にともなって、トップページが見にくくなってきたので、それぞれのグループごとに目次のページを設けました。新着を除いては、トップから直接行くことはできなくなったんですが、なるべく新しいものにたどりつくように、多少工夫してみました。それに伴って、あちこち書き足してあるので、いろんなところをまた見に行ってみてください。

♪ こういうことは時間かけたら絶対できなくなっちゃうので、Dream Theaterをでっかい音で鳴らしながら、タグをもういやになるくらい書きました。ちがうところがあるかもしれない。うまく見えない、リンクに行けない、誤字脱字、綴りがちがう(旧トップでずっとCoffeeの綴りがちがってたの、初めて気がついた。もー、だれも教えてくれないんだもんなー。しくしく)、何かありましたら、即、教えてください。お願いします。みなさまの好意で支えられているこのサイトでございます。

♪ 新しいトップのデザインはいかがでしょう? 趣味悪いじぇ〜、とか、緑とピンクのコンビネーションがエグいじぇ〜とか、見にくいじゃねーか、とか、誹謗中傷罵詈雑言、ガンガン浴びせてください(笑)。もー、最近すっかり打たれ強い砂漠の駝鳥です。もちろん、エゴン・シーレがいいね、なんていうお優しいご意見など拝見できた際には、涙して拝見するにちがいありません。どうかお聞かせください。

♪ いやになっちゃうくらい暑いんですが、みなさまもどうかお身体にはお気をつけて。
それじゃまた♪


August.06,2005






♪ 暑いですね。みなさま、お変わりございませんか。
「暑いときにはコワイ本」アップしました。

♪ 思い起こせば小学校の二年生、小泉八雲の『耳なし芳一』を読んでから、この分野の本をそれはそれはたくさん読んできました。さすがにオトナと言われる年齢になって、読むこともなくなって、今回あらためて書こうと記憶の棚卸をやってみたのですが、これが出てこない。記憶の儚さを改めて思い知らされる経験となってしまいました。
 ここらへんにあったはず、とアタリをつけて、本棚の奥の方から十年以上、開いたこともないような本を何冊も掘り出して(咳が出て困った)。今回ばかりは、文章を書いているより、本を探している時間のほうが長かったかもしれません。

 ただ、せっせと読んでいたころは、あまり怖いとも思わず、いまから考えると、むしろストーリー展開の意外さを楽しんでいたように思うのです。『耳なし芳一』の住職はなんで耳にだけお経を書かなかったんだろう、とか、もしすべてにお経を書いていたらどうなったのだろう、と、読み終えてもそういうことばかり考えていたように思います。耳だけ書き残したのは、実は住職の戦術だったんじゃないだろうか、なんて。

 読んでいて、心臓が止まるかと思うほどぎょっとしたのは、恐怖小説ではなく、フローベールの『ボヴァリー夫人』でした。夢に徐々に裏切られ、夢を見た、ただそれだけのために、現実世界で追い込まれていくボヴァリー夫人の行く先が怖くて怖くて、読み終えても胸の動悸がおさまらず、しばらく眠れなかったのを覚えています。そのころから、超常現象より人間の心のほうがはるかに怖い、と思っていたのかもしれません。

 

 いまこうして見てみると、きっちりと作り込まれた物語より、空白の多い物語のほうが、なんとなくおもしろく感じます。八雲でいうなら、『耳なし芳一』より『むじな』のほうがおもしろい。
 ただ、琵琶法師って、どんなものなんだろう。その語りを聞いたことがないどころか、琵琶の音さえ聞いたことがありません。琵琶法師の語る『平家物語』を聞いてみたい。八歳のときから、未だに同じことを考えています。どうも根本的にはあまり進歩がないみたい。

 後半、もう少し考えてみたいことをそのまま盛り込んでいます。なんとなく、尻尾をつかまえられそうでつかまえられない、そういう部分を雑なまま、強引につなげているのは、心残りではあるのですが。パースペクティヴがほしいな、なんてことを思ったりしています。

♪ わたしがいるところは住宅街の真ん中、幹線道路につながる道もすぐ近くを走っているのですが、それでも近くに小さな川もあれば、田んぼも残っています。その川や田んぼを根城にしているのでしょう、ゴイサギが一羽、いるんです。夜「かあかあ」と鳴く声が聞こえることもあります。
 このゴイサギが、ときどきアパートの屋上に留まっているのです。手すりにとりつけられた彫刻かなにかのように、頸をまっすぐに伸ばして静止している姿は、凛として、美しいものです。たぶんローレンツの『ソロモンの指輪』で読んだのだと思うのだけれど、鳥は、横を見るときが正面で見ている(何かヘンな文章ですね)らしい。きりっとしたその横向きの姿を見ていると、ベランダから見ているわたしの姿も、その視野に入っているのだろうか、と思います。

一度でいいから
人間以外の眼でものを見てみたい
ものを感じてみたい

(田村隆一『緑の思想』)

♪ 暑い毎日ですが、どうぞお変わりなく。また遊びにいらっしゃってください。
 それじゃ、また♪


August.02,2005






♪ 台風が過ぎていきましたね。みなさんがお住まいのあたりはいかがでしたか。
わたしがいる地域はたいしたことはなくて、ベランダの鉢植えを全部避難させたんだけど、その必要もなかったぐらいでした。また戻さなきゃならないと思うと気が重い……。いや、ひとつ巨大なのがあるんです。
それでも台風のおかげで空気が澄んだのか、遠くの山の稜線がくっきり見えるし、肉眼では見えない川向こうの堤防を走る車のフロントガラスに反射した陽の光も、ここまで届いてきます。いいお天気です。
ちょっとおさまっていた暑さも、これからまたぶり返してくるんでしょうね。

♪ 「マジカル・ミステリー・ツアーへようこそ」、アップしました。ブログ掲載時とはタイトルが変わっています。いまいちしっくり来ないから、もしかしたらもう一回くらい変えるかもしれません。だけど中味は同じもの(笑)。
このテのレトロスペクティヴものは、もう書くの止めようと思ってるんですが、ネタに詰まると便利なもので……。だけどほんとにもうやめよう。人の思い出話を読んだって、おもしろくもなんともないですよね。
ただ、ちょっと楽屋落ちなんですが、ネコのときとはちがって、これは形になるまで一苦労でした。楽に書いてるように見えたら、それはそれでうれしいんですけれど、実は骨身を削って書いてるんです、っていうのは嘘なんだけど、とにかくこのところずいぶん細くはなったんですよね。なのになんでウエストだけ変わんないんだろう。ぶつぶつ……。

♪ ところで本文中、ちょっとだけ触れているのですが、ジョイス・メイナード、この人は非常におもしろい人です。またそのうち何かの形で書いてみたいと思うのですが、書くとしたらどうしてもサリンジャーとの関係に触れた『ライ麦畑の迷路を抜けて』からになるしかないのだけれど、ただ、なんというかその方向からは書きたくない、という気持ちもあって。いずれ書こうと思いながら、ずっと書けないでいることのひとつです。とりあえず、今回はそういう人がいたのだ、というさわりだけ。

♪ さて、いよいよアンダーソンも近いうちにアップできそうだし、本文より引用のほうが多い「短編小説」もそのうち登場する予定。かけ声だけ、ではないはずです。少なくとも、かけ声だけでも元気に! 口笛吹いていきましょう。

♪ 暑い日が続きます。みなさま、ご自愛のほど。
 それじゃ、また♪


July.27,2005






♪おひさしぶりです。
あれやこれやバタバタしていたので、全編訳すまでにえらく時間がかかってしまいましたが、シャーロット・パーキンス・ギルマン『黄色い壁紙』の翻訳をアップしました。寝苦しい夜をさらに寝苦しくすること請け合いの(笑)気持ちの悪いホラーです。

 この作品は、長いこと「ゴシックホラー」のジャンルにおかれてきたのですが、いまではフェミニズムの観点から読み直されることのほうが多いようです(詳しくはノートのほうに書く予定←まだ書いていないのです)。まぁどうやって読んだって、調律が微妙に狂ってるヴァイオリンで、バッハの“無伴奏ヴァイオリンソナタ”を聞かされてるみたいな(さすがに聞いたことはないけれど、これは怖いと思う)、なんともいえない不快感は変わりませんが。

 子どもの頃、よく絨毯の模様を見ていたことを思い出します。横向きの女性の顔で、長い髪が伸びていて……と思っていたら、つぎの瞬間には、楡かなんかの大木と、大枝にコトリがとまっているように見えて。またちょっと眼を動かすと、こんどはそこが草花の生い茂る野原に見える。そんな経験はだれにもあると思います。

 ちょうどそんなふうに、この気持ちの悪いホラーも、フェミニズムというフィルターを通して見ると、壁紙の奥に閉じ込められた、当時のアッパーミドルクラスの女性、しごとと、自己実現を求めて、檻からなんとか脱出しようとしている女性が見えてくる。ちょっとした見方の「ずらし」で、ものごとはまったくその様相を改める、というのは、確かにそのとおりだと思います。

 いろんなことがあって、いろんなひとがいて。自分はそのものごとなり、ひとなりを、完全ではないけれど、あるていどは理解している、と思っている。ところがそれも、ちょっと眼をずらすだけで、絨毯の模様が一変してしまうように、なにもかもちがったふうに見えてくる。ときに、その落差はめまいさえ起こさせるほどのものです。

 そう考えていけば、わたしたちの「理解」というのは、いつだって、どうしたって、頼りない、その場かぎりのものでしかない。

 結局のところ、わたしたちは「誤解」しかできないのかもしれません。

 だけど、たとえ「誤解」しかできないにしても、ものごとや、ひとに対して、そのことが知りたいのだ、あなたを理解したいのだ、と、手を伸ばしていくことは、やめたくない、そんなふうに思います。それがたとえ「誤解」に「誤解」を積むことにしかならなくても、あるいは、時に積み上げた「誤解」の一切を、砂漠化しなくてはならないにしても、そうすることで、自分のうちにそのものや、ひとの物語を紡ぐしかないのだ、と。

 さて、サイト、どんどん更新していきます! かけ声だけじゃありません(と、思います)。また、お暇なとき、遊びに来ていただけたら、って思います。

 暑い日が続きます。どうかお健やかにお過ごしください。
それじゃ、また♪


July.23,2005





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